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1951-03-19 第10回国会 衆議院 文部委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年三月十九日(月曜日)     午前十時四十二分開議  出席委員    委員長 長野 長廣君    理事 岡延右エ門君 理事 佐藤 重遠君    理事 若林 義孝君 理事 小林 信一君       柏原 義則君    甲木  保君       坂田 道太君    高木  章君       圓谷 光衞君    東井三代次君       井出一太郎君    笹森 順造君       渡部 義通君    浦口 鉄男君  出席政府委員         文部政務次官  水谷  昇君         文部事務官         (大臣官房会計         課長事務代理) 相良 惟一君         文部事務官         (大臣官房宗務         課長)     篠原 義雄君  出席公述人         仏教連合会常務         理事      里見 達雄君         教文館取締役社         長       藤川 卓郎君         さとう会僧侶  薄井 雲城君         日本宗教連盟情         報部長     眞溪蒼空朗君         教 派 神 道 千家 尊宣君         天理教総務   白鳥 鍖一君                 安藤 正純君         群馬大学工学部         講師      林  壽二君         大本愛善苑総長 出口伊佐男君         大八洲教教主  丸井眞之助君         日本イスラム協         会理事長    大村謙太郎君         神社本庁役員  市川 豊平君         カトリツク牧師 長江  惠君                 長滝  武君         宗教法人PL教         団理事     湯淺 龍起君         東京大学教授  岸本 英夫君  委員外出席者        專  門  員 横田重左衞門君         專  門  員 石井つとむ君 本日の公聽会意見を聞いた事件  宗教法人法案について     —————————————
  2. 若林義孝

    若林委員長代理 これより宗教法人法案について、公聽会を開催いたします。開会にあたつて、本日御出席公述人各位にごあいさつを申し上げます。  申すまでもなく、目下本委員会において審査中の宗教法人法案は、一般的関心を有する法案でありまして、今国会における重要なる案件であります。よつて委員会といたしましては、広く各層の学識経験者各位の御意見を聞き、本案の審査を一層権威あらしめ、遺憾なからしめんとするものであります。各位の豊富なる御意見を承ることができますのは、本委員会の今後の多大の参考となるものを期待いたしておるのであります。各位におかれましては、その立場より腹蔵なき御意見の御開陳をお願いいたします。本日は御多忙のところ貴重なる御時間をおさきになり御出席をいただきまして、委員長といたしまして厚く御礼を申し上げます。  なお議事の順序を申し上げますと、公述人発言時間は十分ないし十五分程度といたし、その後において委員より質疑があることと存じますが、これに対しても忌憚なくお答えを願いたいのであります。なお念のため申し上げておきますが、衆議院規則の定むるところによりまして、発言委員長の許可を得ることになつております。また発言内容は、意見を聞こうとする案件範囲を越えてはならぬことになつております。また委員は、公述人に対しては質疑することができますが、公述人委員に対して質疑することはできませんから、さよう御了承を願いたいのであります。なお発言劈頭職業と氏名を御紹介を願い、法案に対しての賛否をお述べをいただきます。  この際委員各位にお諮りをいたします。丸井眞之助君を公述人に指名するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 若林義孝

    若林委員長代理 御異議なしと認めます。よつてさように決しました。  それでは、これより里見達雄君の御意見を御開陳願います。里見達雄君。
  4. 里見達雄

    里見公述人 私、仏教連合会常務理事里見であります。  先に結論を申し上げますれば、私は今度の法案に賛成するものであります。それのみならず、すみやかに御審議をいただきまして、一日も早くこの法案が成立いたしますることを希望いたすものであります。  次にその理由を申し上げます。宗教法律の対象となつてはならないことは、申すまでもないことと存じます。しかし今回の法案は、宗教そのもの内容と申しますか、教義でありますとか、あるいは信條でありますとか、また儀式でありますとか、そういうものには全然関係なき宗教団体でありまして、しかもこの法律によりまして、法人となろうとするものにだけ適用せられるものであります。従いまして、私どもとして異議がないばかりでなく、また宗教団体としてこの種の法律が絶対的に必要であるということを認めるものであります。  この法案の中におきまして、一つの問題となることは、いわゆる認証であろうと思います。この認証ということも、宗教内容そのものには何ら関係なく、その団体宗教団体であるかいなかというところに問題があると思います。従いまして私どもといたしましては、この点につきましても何ら問題を感じないのであります。宗教団体の名のもとに、宗教団体でないものが認証を受けようといたしますときには、若干の支障があろうと存じますが、しかしながらそれ以外においては、まつたく問題のないものと考えます。  次にこの法案は相当長い準備期間を持つたものでありまして、一年有余にわたりまして、宗教界方面意見を徴されまして、修正修正を加えたものであります。なお私ども宗教界意見が、この内容の中に十分取入れられておるということに、私どもは満足をいたすものであります。もちろん性格、伝統を異にいたしまする宗教団体を、一つ法律範囲において律せんといたしまする場合、宗教団体それぞれの立場から申しますれば、そこに若干の支障と申しまするか、そういうものがあることはわかるのでありますが、しかしながらこの法律のわくの中において、各宗教団体の特質がそれぞれ生かされて行くよう、非常な苦心と努力をしておられますことに、私どもはむしろ感謝をいたすものであります。次にこの法律は、私ども宗教界にあるものにとりましては、すでに三年来の懸案となつております。現在宗教界の各方面におきましては、この法律の実施を予想いたしまして、相当準備を重ねております。これが遅延いたすということになりますと、そこに若干の不安を起し、また混乱を来すおそれもあるのでありまして、私どもはできるだけすみやかにこの法案の成立いたしますることを希望いたすものであります。  なお一言つけ加えて申し上げまするが、これは私一個の意見でなく、仏教宗派意見を十分に徴しました上の結論であります。従いまして、私の申し上げましたることは、仏教宗派を通ずる意見と御了解をお願い申し上げたいと存じます。まことに失礼をいたしました。
  5. 若林義孝

    若林委員長代理 この際委員から里見君に対する質疑はございませんか。
  6. 渡部義通

    渡部委員 遅れて来て、一般的な内容はわかりませんので、残念でしたけれども法案成立が遅れると、宗教界に不安と混乱が起きる情勢であるというのは、どういうような事情であるか、お聞きしたいのです。
  7. 里見達雄

    里見公述人 ただいま申し上げまするように、これは宗教界といたしましては、ここ三年来の懸案になつております。それで毎回この法案が提出せられるであろうということを一般は予期をいたしておつたのでありますが、今日まで各種の事情において遷延をいたしております。それに昨年来、この法案の骨子になるものにつきまして、各方面意見等をそれぞれ徴されました関係上、今度こそはこの法案が成立するのであろうということを一般が期待をいたしております。従いましてこの法案が非常に遅延をいたすということになりますると、どうして遅延したのであろうかというような若干の不安感を持ち来すとともに、その間にまたいろいろなるデマ等がかりに飛ぶことがあるといたしますと、必要のない混乱等が起るおそれがある、そういう意味で申し上げました。御了承願います。
  8. 渡部義通

    渡部委員 今お聞きした通りのことを繰返されただけですが、私がお聞きしたいのは、どういう形で不安が現われ、どういう形の混乱が起きるかという具体的な点をひとつ……。
  9. 里見達雄

    里見公述人 ただ私が申し上げましたことは、そういうおそれがあるということを申し上げましたので、必ずしも起るとは申し上げなかつたつもりでおります。それで一、二の具体的な例を、私は仏教でありまするから、仏教について申し上げますれば、その間に寺院離脱でありますとか、あるいは独立でありますとか、そういうようないろいろな問題を惹起するおそれがあるのであります。
  10. 若林義孝

    若林委員長代理 里見達雄君に対する質疑はございませんか。——では、ありがとうございました。  この際お諮りをいたします。日本天主公教団司祭長江惠君を公述人に指名いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  11. 若林義孝

    若林委員長代理 御異議なしと認めまして、さよう決しました。  次に藤川卓郎君にお願いいたします。
  12. 藤川卓郎

    藤川公述人 私は藤川卓郎でございます。職業教文館社長弁護士であります。新教キリスト教——プロテスタントの方を代表して申し上げます。  結論條件付賛成でございます。條件と申しますのは、第一には法案第八十四條に対する修正であります。第八十四條には「国及び公共団体機関は、宗教法人に対する公租公課関係がある法令を制定し、若しくは改廃し、又はその賦課徴收に関し境内建物境内地その他の宗教法人の財産の範囲を決定し、若しくは宗教法人について調査をする場合その他宗教法人に関して法令規定による正当の権限に基く調査、検査その他の行為をする場合においては、宗教法人宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意しなければならない。」とありまして、終りの方に「信教の自由」という文字がございまするが、その次に「平等」という字を入れていただきたいという趣旨であります。條文の訂正の仕方はほかにもあるかと思いますが、趣旨はそういう趣旨であります。最後の方は「特に留意し、その取扱いは公平でなければならない」と入れてもいいのでありますが、何ゆえに「平等」という文字を挿入しなければならないかという意味は、これは憲法第二十條に「信教の自由」という言葉がございまして、その後段には甲の宗教と乙の宗教区別する特権的なことをやつてはいかんという規定がございますが、この「自由」の中には必ずしも平等が入つていないのであります。平等が入つておりますならば、この憲法第二十條の後段規定もいらないし、また憲法第十二條の趣旨から申しましても、信教の自由の中に必ずしも常に平等は入つていない。その意味は、信教の自由と申しますると、個人々々の心の問題であります。ところがここに私が申します平等とは、甲の宗教と乙の宗教とを区別しないという趣旨でありますので、その意味規定を挿入する必要があります。従来御承知通りにわが国におきましては、いろいろな事情からいたしまして、キリスト教は戰前において仏教並びに神道などと同一に取扱われていなかつたのであります。宗教団体法ができまするまでは区別せられておりました。その長い間の日本官吏と申しますか、一般取扱者考え方がなお残つております。ただいま時間の関係実例は申し上げませんが、実は私は二十七、八年間宗教団体顧問弁護士をしておりまして、いろいろな扱いをして来ましたが、国家官吏キリスト教に対する理解のない者が現在でも相当多いのであります。つまり仏教神道に比較して不利益な立場にありまするので、この第十四條は注意的な親切な規定でありまするから、平等という字を入れることによつて、もう一歩進めて、キリスト教に対する親切を——キリスト教に対する親切というと、語弊があるかもしれませんが、その親切を表わしていただきたいという意味であります。  次には第三條で、第三條は境内地範囲あるいは境内建物範囲の問題であります。従来歴史のある教派宗派、あるいは神社仏閣寺院というようなものは、広い境内地を持つておりますが、それに対する保護規定であります。これは神社仏閣だけでなしに、キリスト教もそうでありますけれどもキリスト教は比較的新しい宗教でございますから、新しい伝道地をどんどん広げて行つているのであります。私は現在たくさんなものを取扱つておりますが、アメリカから最近大きな教派が、中国の伝道ができなくなりまして日本に入つて参りました。それらの関係で、私が取扱つているだけでも相当ございますが、そういつたものに対して、境内地あるいは境内建物という趣旨を広げて、第三條の終りの方に「宗教法人が新たに取得した建物又はその土地で、前項各号の一に該当する建物又は土地であることについて所轄庁証明があるものは、当該宗教法人境内建物又は境内地とする。但し、当該建物又は土地が、前項各号の一に該当しないことが判明したときは、所轄庁当該証明を取消すことができる。前項但書規定による所轄庁証明の取消しがあつたときは、当該建物又は土地にかかる当該証明がなかつたものと見なす。」こういう規定を加えていただきたいのであります。宗教使命伝道にあります。伝道が根本の使命でありますから、伝道地を広げるために新しく建物あるいは土地を取得したような場合に、免税をすることは非常に大切なことであると思うのであります。新規に伝道いたしますときにはたくさんな金もかかります。また逆に申しますと、そこに信徒ができていないし、負担能力も欠如しておりますから、一層国家は便宜を與える必要があると思うのであります。  第三といたしましては、附則の二十六及び二十七に、「宗教法人がもつぱらその本来の用に供する」とあります。これは税金の問題でありますが、この文字を少し訂正いたしまして、「宗教法人がみずから又はその所属宗教法人の本来の用にもつぱら供する」、こういうように改めることであります。その理由は、教団はその所属教会をして使用せしむるために、境内建物あるいは境内地を取得する場合が非常に多いのでありますから、その場合に免税せられないと、この立法の趣旨が貫徹できないのであります。従来法務——現在も私は法務府と争うているのでありまして、まだ正式回答はありませんが、内々聞くところによると、法務府はどうも私たちと反対の解釈をとつている。つまり教団がその所属教会のため使用せしむる場合は免税されない。現在では教会なら教会それ自身が使うのは免税する、こういうのでありますが、わが日本キリスト教団のごときは全国のたくさんな教会とか、あるいは新しくできる教会を全体的に統轄しておるので、やはり教団自身が、つまり本部自身が使わなくても、本部がその個々の教会をして使わしむる場合も、免税せられなければ困るのであります。現在のこの法文の解釈では、従来の法務府の解釈に徴しまして疑惑を生ずると思いますので、そういうように御訂正願いたいと思います。  これが日本キリスト教団といたしまして正式に決定いたしました本法案に対する修正の注文でございますが、それ以外に、さらに私は認証規定につきまして、府県知事が管轄して認証するということを原則としておるという点につきまして、いささか疑問を持つておるのであります。そういうようにいたしますというと、この宗教法人審議会中央にだけしかない。宗教法人審議会地方にないということによりまして、地方の官庁では非常に困るであろうと思うのであります。たとえば東京都のごときは、ほとんど六千になんなんとする寺院とか、教会とか、宗教団体を包括しておられるということでございますが、そういうところは結局再審査とか訴願とかいうようなめんどうなことを免れるために、認証の判をべたべた押すよりほかに方法がなくなるのではないか。もしそういうことになりますれば、結局認証制度が現在以上にかえつて濫用せられまして、現在は御承知通りにただ登記するだけでありますが、今度は国家から認証せられたというので、いろいろな宗教が出て来るのじやないかという心配をしているのであります。大分時間がたちましたから、それだけを申し上げまして私の責任を果したいと思います。
  13. 若林義孝

    若林委員長代理 藤川君に対して、質疑はありませんか。
  14. 渡部義通

    渡部委員 ただいまキリスト教を代表してと言われましたけれどもキリスト教の中でも、たとえばカトリックユニテリアンにおいては相当意見が異なつていると思われますし、またそういう事柄はただちに宗教定義的な問題、つまり礼拝堂を持つているとか持つていないとかいうことが定義一つになつて来ているが、こういう事柄に関しては、ユニテリアンの方は必ずしもそういうふうな礼拜所とか堂といつたようなものを持たなくても済むわけで、そういうような点でさえも意見が違うと思います。また当面のいろいろな動きにつきましても、たとえば日本においてはミツシヨン離脱の運動が起きている。こういう事柄について、キリスト教団内のいろいろな党派の意見を如実に代表され得るかどうか、その点をお聞きしたい。
  15. 藤川卓郎

    藤川公述人 キリスト教を代表して申しましたが、先ほどお断りしておきました通り新教であります。プロテスタントの方を代表している。私は宗教連合会の方から御推薦にあずかりましたためにそういうように申し上げたのであります。御承知通り全国プロテスタントの八割をキリスト教団の方が占めており、その面では私の意見と違わないのであります。ただいまユニテリアンのお話がございましたが、ユニテリアンの方は実は私はよく存じませんから、ユニテリアンを代表しているという趣旨ではございません。カトリックの方はほかの代表の方がおいでになりますので、その方は私は関係ございません。そういう趣旨でお聞き取り願いたいと思います。
  16. 小林信一

    小林(信)委員 ただいまの最後の第十四條の問題で、知事認証について御意見があつたのですが、これらの要件を備えていると認めたときはというその要件の問題に対して何か修正して行くか、あるいは認証する機関知事一人であるというようなことがいけないとか、そういうような具体的な問題で、何か御意見がありましたらお伺いしたいと思います。
  17. 藤川卓郎

    藤川公述人 ただいま御質問にお答え申し上げますが、原則として府県知事認証するという規定をかえて、原則としては文部大臣宗教法人審議会に諮つて認証するというのが、私は正しいことではないかと思つております。そして單立教会あるいは教派宗派教団等に属さないもの、あるいはそれに類似したようなもの、要するに大ざつぱに申しますと、むずかしいもの、あるいは疑問のあるものはことごとく中央の方に、文部大臣の管轄にし、そして認証する前に逆に宗教法人審議会にかけるのがほんとうじやないか、こういう考え方をしております。
  18. 小林信一

    小林(信)委員 そうすると個人というようなものよりも、なるべく大勢の人たち意見が総合された結果がいい、こういうふうなお考えだと思うのですが、ここに揚げてある要件というようなことについては、その程度でよろしいかどうか、なお重ねてお伺いしたいと思います。
  19. 藤川卓郎

    藤川公述人 ごもつともだと思うのであります。実は宗教定義を掲げる方が一番はつきりするとは思いますけれども宗教定義は御承知通りに、なかなかむずかしい問題でありまして、それも各教派宗派——キリスト教でもカトリックプロテスタントは、その定義を若干異にしておるかのごとく承つておりますので、宗教定義ということになると、相当むずかしいことになります。そこで結局宗教定義を掲げて、それに当てはまるかどうかということによつて宗教団体をきめるというのが理論的ではありますが、実際問題といたしまして困難がありまするから、そこで相当な学識経験者とか、その他を文部省の方で委員に選ばれまして、それによつて宗教というべきかどうかということを判断して、それが宗教の範疇に入る、あるいは教団、あるいは教派宗派範囲に入るということになれば、そこで初めて認証するというのがいいことじやないかと思つております。
  20. 小林信一

    小林(信)委員 そこをなるべく詳しく御意見を承りたいのです。できるなら御遠慮ない御意見がお伺いしたいと思うのです。なお最初に申されました信教の自由というような標傍でなくて、さらに平等という言葉を入れて、宗教宗教との間に無差別な平等な取扱いをして行くべきだ、こういうことをはつきり明文化すべきだというような御意見があつたのであります。そうしてその具体的な例として、今まで不平等な取扱いがあつたというような御意見でありまして、今後もそういうふうなおそれがあるように承つたのですが、具体的にどういうふうなおそれがあるか、お伺いしたいと思います。
  21. 藤川卓郎

    藤川公述人 たとえば税金を課せられるにいたしましても、キリスト教牧師館には税金をよく課せられておるのであります。しかし仏教の庫裡は免税になつておる。あるいはまた仏教参道というものはやはり境内地として認められておるが、キリスト教の会堂に行く途中はほんとうの飛石だけが参道であつて、両側は参道でないといつたような解釈をせられておる。あるいはまたキリスト教結婚式をつかさどるというような理由らしいのですが、その結婚式收入があるというので、教会のベンチに課税せられた実例もあるというようなわけでございます。どうもキリスト教に対する認識が十分でない実例がございます。そういうようなことを申し上げたらよろしいのでございますか。
  22. 小林信一

    小林(信)委員 そうすると、ただいまの御意見が單に宗教宗教との間に区別があるということでなくて、何か形式的なあるいは慣習的な点からの一つ不平等的取扱い——私のお聞きするところでは、一つ宗教と他の宗教との間に区別をするというふうには考えられないのですが、その点いかがですか、はつきり何かそういう点も区別して取扱つておる傾向があるかどうか。
  23. 藤川卓郎

    藤川公述人 それはキリスト教であるがゆえに区別するのであるか、それともキリスト教というものの内容がわからないために、たとえばお寺さんとか、お宮さんとかいうものに対しては、長い間の世間の習慣ではつきりしております。お寺さんやお宮さんのことは、だれもよくわかつておるのでもが、キリスト教事柄内容がわからないために誤解が生ずるのもありましようし、あるいはまた邪推すれば、わかつていながら区別するのがある。つまりキリスト教に対する一種の感情から区別するのがあるかもしれません。そこのところははつきりいたしませんけれども、要するにそういう幾多の例がございます。たとえば岐阜県でございましたか、昨年教会ピアノに対して税金がかかつた。これはやはり礼拜の用に供するものなんですが、しかしそこのところはただピアノをひいて歌を歌つておるのだから、かけろというような感じであつたかもしれません。そういうような意味で、税金をかけた官吏なり公吏なりの気持ははつきりわからないのであります。
  24. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 藤川公述人にお伺いするのでありますが、キリスト教に対する理解のない点については、私、実は一昨日の委員会におきまして、仏教新教及び特にカトリック建物等に対する術語の違いを一々指摘しまして、そういうことのないように、納得の行くように言質をとつておりますから、まずその点は大体安心であろうと思います。藤川さん御承知通りカトリック新教一般の人が同じキリスト教として考えておるものの中でも、カトリック神父等独身生活をやつておる、それがために非常に生活様式も違うのであります。その区別さえないことは非常に遺憾でありますが、この点はこの法案を通じて認識を一昨日與えておきましたから御心配ないと思います。私が藤川さんにお聞きしたのはそういう点でなくて、この法案に例の神社というのがあります。御承知通り、数十年間神社宗教であるかどうかということは、論議されておることであります。そしていまだに未解決である。私はこの法案が出ることを契機として、この問題を解決してもらいたいと思う。それからもう一つは新興宗教を排除する目的を持つておるかどうか、こういうことも伺つてみたのでありますが、一向そういうあれもない。大体新興宗教なんというものは欧米なんかからいうと、おかしなものである。日本はある意味においては文明国であるけれども宗教に関する限り野蠻国である。こういうものが何百と戰後続出することは世界共通の事実である。こういうことが一般に信ぜられておる、そういう雨後のたけのこのごとく、戰後だけでも数十の新興宗教ができておるということは、世界に比類を見ないところの事実なんです。ですから、そういう神社問題も解決なさず、あるいは新興宗教が雨後のたけのこのごとく出るにかかわらず、何らそれに対する排除的な精神が盛られていない、これはせんじ詰めると、單に課税の問題だと極論してさえいいようなきわめて調子の低いものである。あなたはこういう法案で満足されるかどうか、その点をひとつつておきたいと思います。
  25. 藤川卓郎

    藤川公述人 ただいまの御質問しごくごもつともで、私もきわめて同感であります。しかし同時にまたきわめて困難な問題であるということを感ずるのであります。われわれの方から申しますならば、人間が人間を超越するところの存在者に対する関係であるというように、かりに宗教という定義をあげるといたしますと、神社問題は、ここに人間をまつてあるならば、人間としてであるならば、それはわれわれの言う宗教ではなくして、ただ祖先崇拜であるという考え方になるのではないかと思うのであります。ところがそれは考え方でありまして、人間であつても非常に優秀な人は死んでしまうと神様になるのだ、そういう信仰だと言えばそれまででありますが、要するにそういう一定の基準がないために、ただ形式要件だけで宗教として認証し、あるいは登録する、あるいは宗教として国家が便宜を與える、ある種の免税の特典などを與えるということにつきましては、確かにただいまのお話の通り国家的に考えますならば、そこに非常な疑問があると思うのであります。しかし新興宗教を全然防ぐということもまた問題でしよう。新興宗教のうちにも相当な宗教があるという考え方もできるのであります。私はあるとは思つておりません。ほんとうのことを言うと、私は新興宗教にいいのがあるということを知らない。知らないからあるとは思いません。けれども理論的に申しますと、新興宗教のうちにでもいいのがあつた場合はどうするのだ、こういう理論も成り立つわけでございますから、そこに非常にむずかしい点が生ずるのであります。従いまして、先ほどの総論でありますと、もうこれこそ確実なものだというのだけを認証する。実は昨年の二月に私は総司令部の方のドクター・カーとウツタードさん、その他から、個人意見でいいから出せというお話がございまして、私が書いて出したのがございます。それをただいま持つているかと思いますが差上げます。これは教団ではなく私個人として昨年の二月に総司令部の方へ出しました意見で、相当徹底しているつもりでありますが、ここでは非常に煩雑になりますし、そのことは他の宗教なり、新興宗教の方々をあまり刺激してもいかがかと思いますので、この程度にさせていただきます。
  26. 若林義孝

    若林委員長代理 藤川卓郎君に対する質疑はありませんか。——ではありがとうございました。  次は薄井雲城君の御発言を許可いたします。薄井雲城君。
  27. 薄井雲城

    ○薄井公述人 僧侶でありまして、薄井雲城と申します。本案に反対の意見を持つておるものであります。  まず第一に私は本案がもつと早く公表されてほしかつた、こういう点であります。かつて宗教に関する国家の立法といたしまして宗教法が三十年ほど前にありました。それから宗教団体法ができた。この三十年ほど前のいわゆる宗教法と申しますのは、貴族院に提出されるたびに審議未了で数回そんなことを繰返し、とうとう日の目を見ることができなかつたのであります。この当時は文部省におきましては独自の文部省の案ができており、それから仏教界においてもまた仏教家の立場としての実は案を持つている。そういうぐあいで各人各団体においていろいろな法案準備いたしまして、輿論によつて法案を成立せしめようとしたのであります。ところが今回のこの宗教法人法案は、私がちよつとこの間ある知人のところへ行つて、何か新聞で断片的に最近宗教法人法が出るという話を聞いたが、その骨子だけでも拜見さしてもらいたいと申し込んだところが、まあちよつとしたものを拜見したのです。しかもそれは極秘の判が押してあつて、君、それの第何條にこんなことを書いてあると、新聞やよそへ行つておしやべりしてはいかぬと言われましたので、私は恐る恐る机の下でその法案を拜見いたしました。そうして帰つて来たが、何かそのときに、秘密のうちにでも本法案が出るのではないかというような変な気分に襲われたのであります。     〔若林委員長代理退席、岡(延)委員長代理着席〕 これを考えてみますと、最近新聞で、外交の問題は秘密がよろしいのだ、こういうことを言う政治家がおりますが、やはり宗教法人法案もそういう運命かなと思つて考えたが、しかし事これは私どもの道徳やあるいは人間の心の機微に触れる、人間の生活の根底になる法案なのでありますから、十分これは一箇年くらいの猶予期間を置きまして、私どもの意のあるところを盡さしめて成立せさていただきたい、こういう念願であります。全般的に私はもつと早く公表して輿論に訴えて本案の成立をなし遂げていただきたい、こう思うのが私の第一の反対理由であります。  第二の問題といたしましては、私は仏教の特質をひとつ本案の中に生かしてもらいたい、こういうことを希望するものであります。宗教と申しますと、何かわれわれ以外の偉大なものを考え、あるいは自然の上に何か考えるというように、形而上的にいわゆる神様を立てて人と神の関係とか、あるいは神に対する人間の感情というものが宗教だ、こういうように一般的の通念ができておるのでありますが、私は仏教の根本論は、そういつた形而上学的な実在への感情とかあこがれとかというものでないと思う。少しこれはインド哲学を研究した人なら、だれでも認めるのでありますが、仏教の根本論はいわゆる諸法無我であります。無我ということを平たく申しますと、無靈魂あるいは無神論というのと同様になるのであります。この無神論の上に立つ私は、原始仏教論を飜つて考えてみますと、この法案の中にこういうことが随所にある、たとえば第二條において宗教法人としての資格として、まず第一号に礼拜の設備を持つておる神社寺院教会というようなことがあるけれども、無神論、無我論の上に立つ仏教は、必ずしも礼拜とか信仰とかいうことを表面に出して説く必要はないのであります。仏教の本義はそういつた礼拜の形をとらなくとも、お釈迦様は二千五百年前に人間の生活に即した人間に自覚を與え、住みよい世界を建設しようとした努力が宗教なんでありまして、こういう意味において、本案に、何かわれわれの信仰の対象になるようなものがなければ、宗教法人としての資格がないというような規定を、何かの意味に、別個な文字で、私はどうしても表わしていただきたいと思うものであります。最近のいわゆる既成仏教団体に対しましては、私は少し言葉が過ぎるかもしれないが、とにかく仏教も現在のように葬式や法事に專念しておつては、ほんとうの仏教の姿は現われないのだ、何とかして釈迦の大精神を現代に生かして行つてこそ、われわれの生活に即した仏教が打立てられるのだ、こういうのはまず世の中一般……。
  28. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ちよつと委員長から公述人発言中申し上げますが、何宗の何派に属するかというような立場はつきりして、あなたが反対の態度を示されるという点はけつこうですけれども、既成仏教云々と言われましたから、それに対してあなたの仏教はどういう仏教であるかということをちよつとはさんでいただきたい。そうでないと、委員諸君があなたに質問するのにしても、ちよつとまごつきますから……。
  29. 薄井雲城

    ○薄井公述人 委員長さんからのお話でありますから、私の根本理念といたしますと、大げさな言葉で申しますと、仏教改革をモットーとして、自分で一種の根本仏教に立脚した説を私は説いております。そういうような観点でございまして、私はやはり仏教の根本思想によつて本案に対してその態度をきめておる、こういうように御了解願いたいと思います。     〔岡(延)委員長代理退席、委員長着席〕  結論を急ぎますが、最近の仏教界の動向といたしますと、何とか仏教を正しい方向にひとつひつぱつて行きたい、こういうような声はもはや万人が否定できまいと思うのであります。そのときに、中世において西洋には、ルターとかカルヴインとかいう改革論が出たのでありましたが、あれは原始キリストに返れと叫んだのであります。私も仏教を改革してほんとうの仏教たらしめるには、いわゆる教祖釈迦に返れということを実は申し上げたいのであります。(拍手)そういう教祖釈迦に返つたときに、私の説は無神論の上に人間の生活に即し、自覚を説き、そして住みよい社会を建設するのが釈迦の仏教であります。かるがゆえに、私はそこには信仰や礼拜ということにそうこだわらず、仏教には礼拜の対象があつてもよし、なくてもよい、こういうふうにひとつお考え願います。  そこで解散規定第八十一條でございましたか、これをながめますと、礼拜の対象が滅失いたしまして、そしてゆえのないのに二年間もそれを復旧しておかない場合には解散をする。なるほどこれは常識的なことではありますが、しかしそれを何かありがたい本尊様に限つた礼拜の施設と解釈するようなことでは、私のほんとうの仏教運動とはいささか違つて来る。最近礼拜の設備を備えないお寺が随所に現われました。たとえば一、二の例をあげますと、澁谷の駅を眼下に見おろします小高い丘の上に、和敬会というお寺が、ある金持ちの寄進によつてできました。このお寺には礼拜の対象がないのであります。鐘つき堂がありますから、金をごんと一打ち鳴らすと、澁谷一円の人は諸行無情の気分にもなるでありましよう。そのお寺に参りますと、間が三つほどありまして、その一つの床の間に、唯仏是心と書いた掛字が下つているだけであります。お線香を上げる設備も何もございませんけれども、これは宗教法人令によつて宗教法人となつているのであります。また神田に行きますと、真理運動で有名な神田寺があります。これも何も礼拜の設備がないのであります。幕にお釈迦様のお写真の像がかけられている程度であります。もちろん二階の日本間に参りますと、小さい観音様のお像があるのであります。私はかつて、偶像を排撃する神田寺にしてなぜ観音様を安置するかということを聞きましたところが、これは信者の一人が借りて来て、ここに安置しておるのだとこういうなようわけです。私が仏教は無神論の立場に立つというような大層大げさな断定の上に立つて皆様に申し上げたこの説がもし間違いならば、これは別にそう深く追究さるべきものでもないと思います。私にも相当な自分の研究の結果、この無我論が無神論的なものだという確信のもとに申し上げるのであります。どうぞ事案に関する立法者も私の意のあるところをひとつ御研究の上、適宜の処置をおとりいただきたいと思うのであります。  次に第三点といたしましては、私は認証主義に全面的にこれも反対するものであります。なるほど認証主義だからといつて、それが信教の自由を脅かすとかなんかという問題ではないというように、立案者の考えはお考えになられたことだろうと思うのであります。由来、宗教法案の歴史を考えてみますと、どうも国家は何かこう立法上宗教に対する監督規定を嚴重にしたいのであります。かつて宗教法案時代におきましては、あるいは宗教団体法もそうでありますが、第一次に文部大臣、第二次に地方長官の監督規定があつたのであります。けれども、私ども仏教徒といたしますと、むしろこの監督規定を歓迎した。何かこうお役所の方から大きな判でも押してもらうと、ちようど御朱印状でももらつたかのように喜んだ。それがやはり今度の認証規定の陰にひそまつている賛成者の御意見ではないかと私は思うのであります。ところが、この当時のいわゆる監督規定あるいはいろいろな拘束される規定を、坊さんの側から別に異議をさしはさまなかつたのは、裏に交換條件があつたのであります。それはいわゆる境内地の無償讓與の問題であります。ところが、今回は境内地の無償讓與の問題はみな解決済みになつてお寺さんの方もあるいは神道の方もすでにいただいたわけであります。今度は別に何も交換條件がない仏教者の立場なんであります。そこで認証を届出主義にして——なるほど新興宗教の雑多なインチキ宗教が取締りにくいから、こういう認証をするというような規定も考えられるのでありましよう。しかしながらその新興宗教が雑駁で迷信邪教だと一概にけなすわけには行かないのであります。仏教の正しい改革運動に挺身する私の建前も、実はある意味においては新興宗教一つであります。雑多な迷信邪教の新興宗教をつぶさんとして、私の正しい仏教の改革論をもまさについばまんとするような法案でありましては、私は全面的に反対せざるを得ないのであります。  いささか私の反対に関する意見を陳述いたし、これをもつて終ります。
  30. 長野長廣

    ○長野委員長 次は眞溪蒼空朗君。
  31. 眞溪蒼空朗

    ○眞溪公述人 私は日本宗教連盟の情報部長をいたしております眞溪でございます。私がこの会におきまして意見を述べたいと思います理由を申し述べたいと思うのであります。  まずその意見を述べたいと思う理由一つは、この宗教法人法案に関しまして、ややもすれば一般に誤解を生じているということでございます。その誤解のおもなるものにつきまして情報を伝達いたしたい、しかし誤解が一日も早く一掃されますことを要望したいのであります。第二の理由は、この法条というものは現在のところ、われわれにとりましては最上のものであると信じまするがゆえに、その賛成の具体切な事項について、若干意見を述べたいというのが意見を述べたい理由の二つでございます。  まず第一の誤解一掃に関する問題でありますが、その誤解のおもなるものの中の一つに、この法律は淫祠邪教を取締るものであるという誤解であります。また取締つてもらいたいという要望も一部にあるということであります。しかしながらこの淫祠邪教というものは、一体だれが決定するのかという問題であります。これは国である、あるいは国の機関である、あるいは法律というものが決定をすべきものではなくて、少くとも民主主義における信教の自由という立場からいたしますれば、その宗教団体が存在するかしないかを決定するものは、民衆それ自身でなければならぬと思うのであります。従いましてこの法律は決して宗教団体にかくあるべきものであるということを何ら要求いたしておりません。従つてこの法律は、この法律によつて宗教法人となりたいものだけに適用されるのでありまして、この法人法によつて宗教法人にならなくても、憲法の保障するところの信教の自由は、いかなる個人といえども、いかなる団体といえども、教義の宣布、儀式の執行ができるのであります。でありますから、私どもはこの法律は決して淫祠邪教というものを判定する法律ではないということを強調いたしたいのであります。またそれを取締つてもらいたいという要望につきましては、信教の自由という立場から絶対に反対せざるを得ないのであります。新興宗教とは一体何か、それは年代でいうのでありましようか、あるいは教義の内容でいうのでありましようか、こういう問題は絶対に法律では判定できないと私は考えるのであります。  第二の誤解の問題は、この法律は政府の宗教支配が復活するのではないかという一つの誤解であります。それは先ほど来も問題になりましたように、認証ということがありますために、宗教の支配の復活が危惧されておると思うのであります。しかしながらその認証というものは、その団体宗教団体であるかどうか、宗教団体とは第二條に規定されておる單なる形式上の問題でありまして、それがその法律にきめておるものに合つておるかどうかという判定、それにこの法律によつて間違いなくその規則ができておるかどうかという問題、またその宗教団体の代表者が申請をする代表権を持つておるかどうかといつたようなことを、政府が認証するにすぎないのであります。宗教の本質それ自身については、政府は何ら認証の対象としておらない。しかも信教の自由ということを建前としておる案でありますために、しばしば政府の宗教支配の杞憂のある点に対しまして、その杞憂がないようにしばしば規定をいたしておるのであります。たとえば認証に当る官庁は、越えてはならない一つの域をしばしば規定いたしておるのであります。しかも個人以外のものに法律法人格を與えるということは、国が責任を持つべきであります。従つて現在のように、いわゆる届出主義、登記主義ということになりますと、規則をつくつて届けさえすれば宗教法人になれる、しこうして宗教法人なつたものが宗教団体であるかどうかの判定が行われぬのであります。極端に申しますと、宗教法人令は、いわゆる脱税のために悪用されるところの法律であるとも言うことができるのであります。この意味において国が法人格を與えることに対して責任を持つということからいたしますれば、何といたしましても、この程度認証の制度はやむを得ないというふうに考えるのであります。  また第三番目の誤解は、この法律はいわゆる包括団体を分散せしめる法律であるというように言うのであります。またその逆に被包括団体からいいますと、包括団体の統制権を強化するものであるという誤解があるのであります。しかしながら今日の宗教法人令におきましては、包括団体から脱退して参りますことを規定した箇條は一つもございません。第六條の所属団体の規則変更は、その管長の承認を得なければならないという規定から見ます。と、一見脱退に対しても所属宗派の管長の承認がいるかのごとくにも考えられるのであります。しかしながら判例の上から、あるいは解釈の上から、そうではなくして、新しく包括団体を設定する場合においてのみ、その包括団体の管長の承認がいるのだ、従つて脱退する場合には、包括団体の承認がいらないといつたような解釈の上で脱退をいたしておるのであります。ところが今度の法律におきましては、宗教法人個々の基本的人権は認めて、脱退は自由にできるのでありますが、従来のように單なる解釈で行かないで、そこに一定の契約事項を破棄するということでありますがゆえに、その包括団体にも通告して、また自分の利害関係者にも報告をして、納得ずくで、いわゆるガラス張りの中で宗教法人の挙動を決定するというふうにできておるのでありまして、むしろ包括団体の側から申しますれば、きわめて適切な規定ができたものと解釈いたすのであります。また包括されておる団体といたしましても、決して包括団体から脱退ができないのではありませんで、正当な事由があり、正当な手続をとるならば、いつでも自由に脱退できるという基本的な人権が認められておるということからいたしまして、こうした誤解はまつたく誤解であるというふうに考えられるのであります。  なおさらに第四番目の誤解は、この法律は株式会社法であつて宗教法ではないという意見でございますが、むしろ私どもはこれは宗教法であつてはならないと思うのであります。宗教団体法ができました当時には、宗教法律によつて規定すべきではないという猛烈な運動が起りました結果、宗教法がかえられまして宗教団体法なつたことを思い起しましたときに、われわれは絶対に再び宗教法などというものは規定いたしてはならないのであります。従つてこの誤解は、まつたくこの法人法を知らない認識不足の誤解であると私は考えます。  そこで第二の賛成する具体的事項の二、三を申し述べたいのでありますか、まずこの法人法全体といたしまして、信教の自由ということを中心にしておる。われわれは昭和二十年でありましたか、信教の自由を制限する一切の法規、法令は排除しなければならないというスキャップ指令をもらつておるわけでありまして、この指令のために国が宗教を支配する宗教団体法が廃止を命ぜられておるのであります。でありますから、この宗教法人法は、あくまでもこのスキヤツプ指令の意を体して、信教の自由を中心としなければならないという点にあるのであります。このことはまつたくこの法人法に具体的に表われておるということが言い得ると思うのであります。まずこれが私の賛成する第一の條件でございます。つまり宗教活動、自主的にしてきわめて自由なる宗教活動を可能ならしめる物的な基礎を確保せしめておるという点に、この法人法の中心があるという点を賛成をいたすのであります。第二番目には、規則の認証制度をとつておりますが、これはすでに述べましたように、宗教団体でないものが宗教法人になれないようにしておるという点について賛成を表するのであります。  第三番目には、この宗教法人法は、官理面におきまして、宗教団体の非常に民主化をはかつておるとともに、宗教法人それ自体の責任というものを非常に明らかにしておる。たとえば責任役員の規定でございますとか、あるいは第十二條の中に出て参りまする包括団体と被包括関係どの間において、一定の契約事項があるならば、その契約事項を示さなければならないというふうに、他の宗教団体が他の宗教団体を絶体的に強制し、服従せしめるというような点のなくなつておることなどは、最も賛意を表したい一つであります。  なおさらに従来は法文のほかにたくさんの政令が出まして、実は法文だけ賛成いたしましても、政令でしばしば私どもが困ることがあるのであります。ところが今度の宗教法人法は、政令その他をすべてこの法律に一本にいたしております。このことはまつたく従来の慣例を破つた新しいシステムであると考えるのでありまするが、これはきわめて法規に暗いところの宗教団体側にとつて、非常に便利であるということが言い得ると思うのであります。この点もまた賛成をいたしまする事項の一つでございます。  なお第五番目には、従来宗教法人の合併ということはできなかつたのであります。つまり合併しようといたしまする場合には、二つの宗教法人が解散しまして、さらに新しい法人を創設する以外はなかつたのであ力まするが、今回合併の規定ができましたことによつて、きわめて簡單に合併できるということも、また賛成をしたい一つの事項でございます。  なおこの宗教法人法案は、いわゆる最大公約数というものによつてできておるのでありまして、現在でもおのおの六百の宗派があり、二十万以上の宗教法人がありまするが、この最大公約数の法律の中において、その伝統あるいはそこの特色を十分に生かし得るところの、彈力性を持つた一つ法人法ということが言い得ると思うのであります。この点もまた私どもが賛成をしたい具体的な事項の一つでございます。  なお宗教法人の、その用に供する土地建物というものは、現在の地方税法の第三百四十八條第三項に規定されておりまするが、その用に供される範囲がきわめて不明確でありまして、しばしば地方長官の認定の差異によつてつておるのでありまするが、この宗教法人法案におきましては、第三條において、その宗教法人がその用に供する土地建物を具体的に規定しておる。しかも附則の第二十七項においてそれの本来の目的に使うものはこれを免税といたしまして、十分宗教活動の物的な確保に便ならしめておるという点も、またわれわれの賛成をしたい重大な事項でございます。  その他これを全面的に考えまして、現在の段階におきましては、少くとも最上のものであるというように考えますので、すみやかなる成立を希望してやまない次第でございます。
  32. 長野長廣

    ○長野委員長 岡委員
  33. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 直溪公述人にお伺いします。この法案は、御承知通り文部省で法案を作成し、内閣提出という形になつておりますけれども、今公述されましたところの真溪さんは、この法案作成に参画された中心的人物であると仄聞しております。そこでわれわれは、結論から申しますと、私の感じ、特にこれは自由党の委員はそうでありますが、これは要するにないよりはよろしいというので通すことに努力しておるのであります。真溪さんは実質的立案者の一人であります関係上、これがパーフエクトのものだ、ベストのものだということをおつしやるのはまことに当然のことと思いますが、さて真溪さんの先ほどの御意見の中に、これは統制機関でもない、また認証する機関でもないというようなことを仰せられたのでありますが、大体今も真溪さんのお言葉の中にもありました通り日本には——真溪さんは二十万と言われましたけれども、大体十八万だそうです。こういうように、この小さい国に十八万もの宗教法人の数がある、これはもう世界的偉観である。まことに数の点においては偉観であるが、これは日本が世界的に宗教的な観点から見ると、野蛮国であるといわれるゆえんである。そこでわれわれは何とかして——宗教を判定するのはむずかしいということを眞溪さんは言われたけれども、簡單に申しますると、宗教というものは神と人との間を律するものだ、こういうことは欧米共通の定義であると思う。それもない、要するに一人のちよつとかわつた人物が出て、何か踊りでも始めると、まだ生きているうちに、みんなが一つの教組あるいは御本尊様として、これにならつておどつておる、こういうことはおそらく世界のどこにもない例だと思う。こういうものを、この法人法ができたことによつて、登録さえすれば——またあなたがおつしやる通り、これは判定したり何かするものではないのだから、簡單に文部大臣もあるいは都道府県知事もこれを認証してくれるであろうということで、このことがむしろ淫祠邪教の奨励機関になりはしないかということを私は恐れる、日本はあまりにその点に無知蒙昧だからである。あなたは先ほど自由云々と言われたけれども日本に自由を與えたら、あなたは御存じでしよう、終戰後いかに日本国民が自由をはき違えたか、自由とは放縦なりと解釈して、その通りに放縦乱雑に流れたことは、あなたも痛感されたと思う。あなたは何派に属しておられるか知らないけれども、あなたも宗教に関心を持つておられる方に違いないのですから、その点において無知蒙昧なる国民をそのまま放置する、むしろ奨励するということになりはしないか、私はそれをおそれる。一切そういう点には触れないのだという。なるほど触れないことはやりやすい。それに触れようとすると、非常にむずかしい。たとえば神社宗教であるかないかということに触れるとやつかいだから、そういう気持で触れないでおくと、結果においてかえつてこれを奨励し、そしてまた雨後のたけのこのごとく免税をさせるために出て来る。これは私をして言わしむれば、免税のためにできた法律である。されば免税に便乘せんがために——あなたも統制機関でもなければ認証機関でもないという、そこに盲点があるのだから、私をしてはつきり言わしむれば、でたらめな宗教であつて——私はそれを宗教と思わぬのですけれども宗教らしい仮面をかぶつて登録されるということになりはしないか、私はそれをおそれる。その点についての御意見を伺いたい。
  34. 眞溪蒼空朗

    ○眞溪公述人 ただいまの御質問にお答えいたしたいと思います。宗教というものが正しいか正しくないかという問題は、私重ねて申し上げまするが、国や法律が決定をいたすべきものと違うと思うのであります。あくまでも民衆それ自身が決定をいたさなければならないのでありまして、もし民衆が宗教に関する正しい認識を持つて参りますならば、いわゆるインチキ宗教といわゆるものはなくなつてしまうであろうと思うのであります。従いまして、そういう意味におきましては、国民のすべてがいわゆる責任を持つておると思うのであります。なお宗教法人法は信仰の自由ということを中心にしておると申し上げましたが、その自由は、決して放埓なる意味における自由ではございません。特に第八十六條を見ていただきますると、その宗教法人法というものが信教の自由ということを強調しているからといつて、他の法律規定の適用を防ぐものではないのであります。でありまするから、他の面におきまする法律において、その宗教団体に反社会性があるならば、その法律の適用を受けて処罰されるでありましよう。でありまするから、われわれは宗教の本質については、あくまで法規によつて規定すべきではないということを強調いたしたいのでございます。
  35. 若林義孝

    若林委員 先ほど来淫祠邪教ということが委員側からも出ておりますが、本日はこの議論はすべきでないと思う。それから宗教法人の数のことを岡委員が言われたのでありますが、これは天理教にしても、何万という法人一つの中にある。本願寺にしても、何万とあるわけです。それからアメリカにおきましてもキリスト教一本じやないのであります。新教があり旧教があり、いろいろあるわけでありますから、この議論を前提としての議論は、今日は避けた方がいいのではないか、こう思うのであります。
  36. 小林信一

    小林(信)委員 最初誤解をしておる問題に対して、種々御説明があつた中に、いわゆる邪教を擁護するというような誤解があるけれども、これは宗教そのものの特性からして、実際は民衆が解決するのである、こういう大方針にのつとつて、この問題は解決すべきであるというふうな御見解があり、さらによい部面からしまして、宗教の自主的にして自由な活動というものを尊重しておる、それに対して物的な基礎を確立する点を擁護しておる、こういうふうにお話になつたのですが、これらを一貫して考えましたときに、宗教の本質的なものから考えて、そうした物的基礎を與えられるようなことでなくて、もつと宗教の自主性、信教の自由を確立するために、こういう物的基礎を排除したらどうか、こういうふうなこともまたあなたのお説からすれば考えられるのですが、そういう点についての御見解を承りたいと思います。
  37. 眞溪蒼空朗

    ○眞溪公述人 従来宗教法人というものの見解につきまして、長い間問題になつて来たと思うのであります。昔の時代におきましては、宗教団体宗教法人という、いわゆる一元論を考えておつたのでございます。お寺というものが法人としての機関である、つまり代表役員、責任役員といつたようなものが死んでしまつて一時なくなりましても、それは法人格を失うものじやなくて、そこには個人とは違う一つ法人的な性格を持つておる。またお宮というようなものが、その施設が燒けてしまつても、その森が残つておることにおいて、それは普通の土地と違う宗教的な雰囲気を感じたのであります。つまりこういつたものに法人格があるんだというような、いわゆる宗教団体宗教法人の一元論を考えておつたわけであります。今日といえども日本宗教団体考え方は、そういう考え方が正しいのではないかと思うのでありまするが、しかしながら宗教法人格を與えるという問題になりますと、やはりその精神面は一応別にいたしまして、宗教活動を可能ならしめる物的な措置のみ與えるといつた方が、信教の自由という建前から正しいのではないか。従いまして宗教法人の裏には、表裏一体となつて宗教団体があるというふうに考えられるのであります。その宗教団体は、こうした物的な措置とは別の宗教的な雰囲気というものがあるというふうに考えるのであります。そういつた意味で、この宗教法人というものと宗教団体というものを一応別に考えたい、こういう考えでおります。
  38. 渡部義通

    渡部委員 眞溪氏はこの法案の全部にわたつての実際上の起草をせられたというので、二、三お聞きしたいのであります。この法案には非常に多くの問題を含んでおりますけれども、今小林君が言われたように、財産関係免税関係だけが非常に強調されておるという点については、私は小林君の意見にまつたく同感であります。そういう点から申しましても宗教法人規定する場合に、礼拜の施設を設ける云々というようなことが書かれておる。そういうことになりますと、先ほど薄井氏から話があつたように、原始仏教的なものにおいては、そういう礼拜施設というものを持たないのがむしろ原則的である、さらにそういう動きが日本仏教界に非常に強くなつておるということがあり、またユニテリアンのような新教になりますと、これはやはり礼拜施設というものを少しも重視しておらない。そうするとこういうものが法人的な保護を受けられないというような状態に置かれて来るのでありまして、その点は非常に、先ほど藤川氏ですか、言われた宗教団体の平等の取扱いというような意味から、不公平になるのではないかというような懸念があるわけでありますが、起草者としては、どういうふうな見解から礼拜の施設を設ける云々というようなものを挿入されたのか。
  39. 眞溪蒼空朗

    ○眞溪公述人 私は決して起草にもあずかつてもおりません。ただ宗教連盟という宗教団体の連絡機関に職を奉じておりますために、いろいろ連絡をしたにすぎないのでございます。従いまして、ただいまの御質問に答える責任は私ございませんのですが、ただ私の感じから申し上げまして、この礼拜施設と申しますのは、宗教活動を行つておるという裏づけを意味するのではないか、回教におきましてもまた愛善苑等におきましても礼拜の施設は持つておりません。しかしながら礼拜いたしますのには、礼拜の場所というものがあるはずでございます。でありますから、そうした伝統が重んぜられるのでありますから、そういう礼拜する場所をもつて礼拜施設と見ることもできるだろうというように考えていただきたいというふうに私は思うのであります。私は立案者ではございませんから、責任はございませんので、そういう私の希望を述べさせていただきます。
  40. 渡部義通

    渡部委員 それでは起草者と聞き違えたのは私の錯覚でありますから、それは別といたしまして、そういうようなこの法案に賛成であられるという立場に対して、もう一つ質問いたしますが、先ほど藤川氏は、宗教というものが仏とか神とかあるいは絶対者、ロゴスといつたものに対する人の心の関係であるというふうに言われましたが、それが宗教団体であり、宗教である限りは、他の社会人一般に対する働きかけというものが伴うのであつて、従つて宗教は同時に社会的の実践といつたことも伴うわけでありまして、この中にもはつきり書かれてある。ところが宗教の社会的実践の自由という立場からいいますと、第八十一條の解散命令の條項というものが、すぐ問題になつて来るのではないか。これによりますと、公共の福祉を害するとか、宗教団体の目的を著しく逸脱した行為というようなものが、裁判所の命令によつて解散せしめられるという結果になるわけであります。宗教の社会的実践が裁判所の命令によつて極端に制約されるということになると、信教の自由というものが確保されないことになるわけであります。     〔委員長退席、佐藤(重)委員長代理着席〕 たとえば戰時中日蓮宗とか浄土真宗とか禪宗とか、あるいはことに本門法華宗、大本教、天理教というようなものが非常に彈圧されまして、あるものは治安維持法にひつかかり、そうして獄死までするというような状態になつたのであります。これは宗教として当然なすべき、当然あるべき本来の姿における活動であつたわけでありますが、それが当局によつてこの治安維持法というような形で彈圧された、こういう解散命令等が裁判所によつて行われるというような條項がありますと、今日またそのようなことが起らないとも限らない。というのは、今日必ずしも裁判所や政府当局その他が望まないような宗教団体の動きというものが当然あるわけでありまして、たとえばミツシヨン離脱問題というような問題があつて、アメリカ側の指示とアメリカ側による制約から、日本キリスト教が解放されなければならぬという立場からの運動がありまして、この運動が当然一つの民族独立の運動、民族自主化の運動となつて起きているのでありますし、またキリスト教者の平和の会というようなものがありまして、これは今日では非常に広汎に起きておるのであります。これは日本仏教会派とか、あるいは日本神学校の中にも非常に起きておる。こういうふうな動きがどんどん発展して行きまして、これは全面講和とか占領軍の撤退とか、あるいは再軍備反対とかいうような平和を守る運動として今日現に起きているのであります。こういうふうになりますと、この動きに対する外国の方からのいろいろな圧迫もあり、あるいは国内においても支配階級は必ずしもこの動きを望んでいないというような点からしまして、宗教的な実践に対する障害が起きて来、その実践に対する制約あるいは彈圧というものが必然的に起きて来る可能性がある。情勢が逼迫するに従つて宗教の本来の性質からいいまして、平和と自由を守り、また日本民族の幸福を守ろうとする動きが強くなれはなるほど、これに対する圧迫というものが強くならざるを得ない。こういう状態のもとで解散命令が裁判所によつてなされるということ、これに対するあなたの宗教人としての考え方をお開きしたいと思います。
  41. 眞溪蒼空朗

    ○眞溪公述人 私はただいまの御質問に対して十分にお答えする言葉を持つておりませんが、お説のようであるがゆえに宗教の本質を法律規定しないことを希望いたしておる次第でございます。
  42. 佐藤重遠

    ○佐藤(重)委員長代理 それでは千家尊宣さん。
  43. 千家尊宣

    ○千家公述人 私は出雲大社教の総監をいたしておりますが、同時に東京分祠長をいたしております。本日は神道連合会の総意をもつてお話を申し上げます。この法案には賛成であります。すみやかに成立いたしますように希望いたします。  宗教は言うまでもなく尊重されてしかるべきでありますが、第一條の第二項の文字を見、さらに第三條の内容を見ますと、その点が具体化されておるようでありまして、きわめて妥当であると考えます。認証の問題はやはり必要でありまして、実際的に宗教行為がないのにかかわらず、ただ届出をすれば、それで国家の保護を得られるということは、これは妥当だと言いかねます。その点におきまして現在の宗教法人令よりは、今御審議中のこの案が妥当であろうと私は考えます。  もう一つ審議会の制度でありまして、これもきわめて妥当であります。人間でありますからあやまちがあるのは無理がない。それを審議会において行き過ぎを改め直すということはきわめてけつこうであろうかと存ずるのであります。  以上簡單でありますが賛成であることを申し上げます。
  44. 佐藤重遠

    ○佐藤(重)委員長代理 公述人に何か御質問ございますか。——御質問ないようであります。  それでは午前中の分はこの段階で一応打切りまして、午後さらに継続したいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  45. 佐藤重遠

    ○佐藤(重)委員長代理 それではさようにとりはからいます。午後は一時半から再開いたします。  ではこれで休憩いたします。     午後零時十六分休憩      ————◇—————     午後一時四十三分開議
  46. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 休憩前に引続き公聽会を開会いたします。   新たに御出席の方もございますから、あらためて公述人各位にごあいさつ申し上げます。目下本委員会において審査中の宗教法人法案一般的関心を有する法案でありまして、今国会における重要なる案件であります。よつて委員会といたしましては、広く各層の学識経験者各位の御意見を聞き、本案の審査を一層権威あらしめ、遺憾なからしめんとするものであります。各位の豊富な御意見を承ることができますのは、本委員会の今後の多大の参考となるものと期待いたすのであります。各位におかせられましては、それぞれの立場より腹蔵なき御意見の御開陳をお願いいたします。本日は御多忙中のところ貴重なる御時間をおさきになり御出席いただきまして、委員長といたしまして厚く御礼申し上げます。  なお議事の順序を申し上げますと、公述人発言時間は十分ないし十五分程度といたし、その後において委員より質疑があることと存じますが、これに対しても忌憚なきお答えを願いたいのであります。なお念のために申し上げますが、衆議院規則の定めるところにより、発言委員長の許可を受けることになつております。また発言内容意見を聞こうとする案件範囲を越えてはならぬことと相なつております。また委員公述人に対して質疑をいたすことができるのでありますが、公述人委員に対して質疑することはできない規定に相なつております。さよう御了承願いたいのであります。なお発言の劈頭に職業宗派名、御氏名を御紹介願い、法案に対しましては劈頭におきまして、賛成の態度をはつきりいたしていただきたいのであります。  この際お諮りいたします。市川豊平君を公述人として指名するに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  47. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 御異議なしと認めます。よつてさように決定いたします。  まず白鳥鍖一君より御意見を聽取いたします。白鳥鍖一君。
  48. 白鳥鍖一

    ○白鳥公述人 私は天理教総務、天理教教師白鳥鍖一でございます。私はこの宗教法人法案につきましては全面的に賛成をいたすものでございます。なおこの成立の一日も早からんことを哀心希望いたしております。それにつきまして、私の意見を申し述べることにいたします。  宗教法人法案の第一條二項に「憲法で保障された信教の自由は、すべての国政において尊重されなければならない。従つて、この法律のいかなる規定も、個人、集団又は団体が、その保障された自由に基いて、教義をひろめ、儀式行事を行い、その他宗教上の行為を行うことを制限するものと解釈してはならない。」この「すべての国政において尊重されなければならない。」という点において、信教の自由の確保と宗教の権威と宗教団体の円満なる活動が、保たれるべきであると思うのでございます。しかしてそれは国家が特定の宗教団体に、特別の保護干渉を加えてはならないという理念を持つべきでありまして、政教の分離は宗教の尊重、信教の自由という問題に不即不離であることを、はつきり認識されなければならないと考えます。  これに関連いたしまして宗教上の特性及び慣習の尊重ということが大いなる関係を持つのでありまして、第八十四條に「国及び公共団体機関は、宗教法人に対する公租公課関係がある法令を制定し、若しくは改発し、又はその賦課徴收に関し境内建物境内地その他の宗教法人の財産の範囲を決定し、若しくは宗教法人について調査をする場合その他宗教法人に関して法令規定による正当の権限に基く調査、検査その他の行為をする場合においては、宗教法人宗教上の特性及び慣習を尊重し、信教の自由を妨げることがないように特に留意しなければならない。」この條項は大いに尊重さるべき大切な点だと考えるのでございますが、続いて第八十五條「この法律のいかなる規定も、文部大臣、都道府県知事及び裁判所に対し、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項についていかなる形においても調停し、若しくは干渉する権限を與え、又は宗教上の役職員の任免その他の進退を勧告し、誘導し、若しくはこれに干渉する権限を與えるものと解釈してはならない。」というこの條項、続いて第八十七條の「この法律のいかなる規定も、この法律に基いて文部大臣又は都道府県知事がした処分を違法として裁判所に出訴する権利を妨げるものと解釈してはならない。」このいずれも信教の自由という根本問題の重要点であると思うのでありまするが、きわめて広範囲な表現でありまするがゆえに、その運用については、特にあらゆる他の法律によつて巨細にわたりこれが守られねばならぬと思うのでございます。この点については深い用意をする必要があると考えておるものでございます。  なお第七十一條に「文部省に宗教法人審議会を置く。」とありまして、その三項に「宗教法人審議会は、宗教団体における信仰、規律、慣習等宗教上の事項について、いかなる形においても調停し、又は干渉してはならない。」この條文も以上のものと同じ意味を持つものでありまするが、その他についてもこの審議会の運営よろしきを得なければならないことは言をまたないことでありまして、その人選、その機構、その運営につきまして、この審議会に対しては特に重大な関心を、われわれは持つものであることを申述べておきたいと存じます。  次に第五條の一項に「宗教法人所轄庁は、その主なる事務所の所在地を管轄する都道府県知事とする。」とありますが、その事務機構に関する問題でありますが、知事の自由裁量とするか、文部省が指定するか、こういう点であります。従来はこの点につきまして各地方庁区々の行政事務が行われたような状態でありまして、極端に申しますれば、ある場合には宗教なり宗教団体への認識を欠くものがあつた場合や、あるいはそうしたところのあつたというような過去の苦い経験に顧みまして、この信教の自由という根本理念の実際面という上から、この点には細心の注意が払われなければならぬと考えるものであります。現に宗教法人法かいまだに国会に提出されない先に、すでにこの次には知事認証を要するものだというので、あるいはその認証料を集めるとか、あるいはまたすでに認可というようなことと同様の態度で臨むというような取扱いをさえ、されておるという向きがあるやに聞くに及びましては、この点には十分の警戒を要する指導、指示を與えて、この運営を遺憾なからしむるようにとりはからわなければ、せつかくの法案の目的は達せられないということを私は考えておるのであります。たとえば宗教法人がもつぱらその本来の用に供する、宗教法人法第三條に規定する境内建物及び境内地の認定などの問題につきましても、過去の実際から顧みまして、これには準則でも策定して示すまでに注意を必要とするのではないか、その他実際事務に当る地方機関には幾多問題があると思われまするので、この点は特に注意をしなければならない問題であるということは申し述べておきたいと思うのであります。  次に第三條の第一号から第七号までの宗教法人固有の建物及び工作物及び固有の土地についての判定でありまするが、判定をする機関あるいは判定をするものという点につきまして、宗教団体を尊重するという観点からいたしましても、本法の目的を完全に遂行して行くという上からいたしましても、その判定は文部大臣でなければならないと思うのであります。文部大臣によつてなされるならば、宗教法人審議会にかけることもできますし、またそうしたいろいろな機関を通じて、宗教法人法というものの完全なる遂行という上から、統一ある運営という上から見ましても、ぜひ文部大臣でなければならないと考えるものであります。  次に今申しました第三條の固有という言葉でありまするが、これは当然宗教の教義を広め、また儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを目的といたしまして、伝統、慣習上等からなければならないもの、またがつてからあつたものであろうと解釈されなければならないこの伝統や慣習、特性などの認められて行かなければならぬというところに、非常に固有という言葉の大切な意味があるということを私は考えるものであります。  以上で私の意見開陳を終ることにいたします。
  49. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 白鳥君に対する質疑はございませんか。
  50. 浦口鉄男

    ○浦口委員 公述人にひとつお尋ねいたします。この法律案が非常に長い準備期間をもつて草案に当られたということは承知をいたしておりますが、また一面いわゆる新興宗教といわれる方の面には、必ずしも賛成でないという方もございます。そういう人方についてはこれは別といたしまして、必ずしも反対でないという方の中にも、もう少し時をかして愼重に審議すべきだという意見もありましたが、今お聞きをいたしますと、すでにもう法案がまだ通適しない前に、認証手数料とかいろいろの名義で金を集めている行動もある、だから早くこの法案を通過させてもらわないと宗教団体は困る、混乱するというような御意見があつたように思うのでありますが、どうもその点もう一度お聞かせ願わないと、ちよつとわれわれとしてはふに落ちない。なぜ早く通過させないと宗教団体混乱し、困るか、その点をもう一度御説明願いたい。
  51. 白鳥鍖一

    ○白鳥公述人 私は今申し上げましたように混乱をするということは申し上げておりませんが、この法案の相当長い期間にいろいろ準備がなされておりました上から、すでにそうした問題が各所に起りつつあるということだけを申し上げたわけなのでありまして、そういう上から行きましても、なるべく一日も早く成立させて、その運営について十分お考え願わなければいかないであろう、この点を申し上げたわけであります。宗教それ自体には別に私としては混乱という状態は考えておりません。
  52. 浦口鉄男

    ○浦口委員 それでは念を押すようでありますが、法案自体にはもちろん全面的に賛成いたし、しかもそういう事実が起きているので早く通してほしい、こういうことで、そういう事実が起きているから早く通すべきだ、こういうことではないのでありますか。
  53. 白鳥鍖一

    ○白鳥公述人 さようでございます。それは私は別にそういう意味で申し上げたのではないのであります。
  54. 若林義孝

    若林委員 宗派神道の最大の教団の代表者だと思いますので、その見地から一点だけお伺いをいたしてみたいと思います。  この法案が一たび具体案として文部省から発表せられますときに、新聞その他では取扱い方自体、いかにも淫祠邪教を押え、同時に新興宗教もこれで押えるんだというような新聞記事の取扱い方があつたわけであります。本来この法案は、古いも新しいも彈圧その他を目的とするのではないのでありまして、正しい宗教をのびのびと伸ばして行くという精神に私は満ちていると思うのでありますが、取扱い自身が、認証という言葉に非常に重点を置きまして、新しい宗教を押えるのだという印象を受けたと思うのでありますが、教団の中心人物として御関係になつております白鳥さんが、この認証という言葉で新しい宗教を押えるのだという感じをお持ちになるかどうか。この点ひとつあなたのお考えを承つておきたいと思います。
  55. 白鳥鍖一

    ○白鳥公述人 私は絶対にそういうことを考えておりません。
  56. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 次は安藤正純君でありますが、御承知通り学識経験者としておいでを願つたのであります。委員長は、先ほどその身分、立場等をはつきり申すように御注意申し上げましたけれども、安藤先生は御謙遜で、あるいはそれをはつきり申し上げないかもしれませんから、私からかわつて申し上げます。  安藤正純君は御承知通り、衆議院議員として多年国政に盡瘁され、特に文教方面には深い関心を持つておられ、また文部政務次官として十分行政面にもタツチされた方であります。宗教、特に仏教方面に関しましては、該博なる知識を有せられる方でありますから、さようなお気持をもつてその御意見を聽取せられ、また質疑をなさるように私から申し上げておきます。
  57. 若林義孝

    若林委員 委員長から安藤正純君について御発言があつたのでありますが、ただいまの御紹介の言葉一般的の事柄であります。今日安藤正純君を参考人として出ていただきますのは、今委員長が言われたより以上まだ目的があるのでありまして、多年の間宗教連盟の理事長とし、なお明治三十二年小学校においてあるいは公立学校において国立学校においては、宗教情操教育を施してはならぬという政令があつたのを非常に多年の苦心をせられまして、遂に昭和十年であつたと思うのでありますが、宗教情操教育を小学校、公立学校あるいは国立学校においても堂々とやつてよろしいというところまでに、昭和十年は次官通牒だつたと思いますが、日本の教育面における宗教にタツチし、宗教と教育というものとを結びつけることに多年の努力をせられたのであります。なお、宗教団体法ができますときにも、宗教界立場から非常な御盡瘁になつたであります。なお、昭和二十四年十月二十五日文部次官通牒として、終戰後、宗教占領政策と申しますか、全面的に宗教に関する事柄を学校で取扱つてはならぬということになつておつたのに一大変化を與えられますことについても、非常な努力をせられたのであります。そういう意味において、日本の今日までの宗教政策について、身をもつて御盡瘁くださつたこの安藤正純君を、最後宗教法人法という大きな法案をつくる際にも相当、御意見その他参画になつているのでありますが、そういう意味においてわれわれ委員といたしましては、参考人として御推薦をし、また希望もいたしておつたということをひとつつけ加えておきたいと思います。
  58. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 安藤正純君。
  59. 安藤正純

    ○安藤公述人 私は公聽会に参考人として呼ばれまして、今委員長から御紹介があり、かつまた若林議員からも御丁重な紹介があつたので、恐縮をしておる次第であります。決してそんなわけじやないのです。今おいでになつて意見を述べている方も、各宗教の專門家でありまして、專門的見地からそれぞれ参考になる意見を述べられ、この法案に対する適否の意見はつきりされたことと思いますから、私のようなしろうとがこんな忙しいときに、ぐずぐず言う必要はないのです。ことにまたこの委員の中には、一瞥すれば若林さんのような專門家もあり、お顔ぞろいだからそれでけつこうだと思う。ただ委員がたいへん少くて——私はどうでもいいですけれども、来ておいでの方にはちよつとお気の毒な気がする。これはほかの委員会でもそんなふうだから、やむを得ません。簡單に私のこの法案に対する意見を、せつかく出て参りましたから申し上げます。  これは一年有余にわたつて宗教団体の間に愼重な研究がなされ、また各宗教間でも幾度も寄りまして、意見の交換、突き入つた検討もされたことでありますし、さらにまた連合軍総司令部と各宗教間との折衝も何回となくやつたことでありますから、もうたいてい意見は出ておりますので、贅言を費す必要はないと思います。一口に申しますと、政教分離であり、信教自由でありますから、その原則に基いて、宗教は言うまでなく自由な活動ができるという立場に置かれることが理想でありますし、またそうなければならないと思います。憲法規定してありますように、いたずらに国家宗教に干渉をするきらいがあつたり、また宗教が政治にくちばしを入れるようなことがありましては、政教分離の原則にそむきますから、その限界をはつきり守つて宗教はあくまでも独立、自治、自立して行けば、りつぱな宗教活動ができると思います。ただ残念なことには、宗教界に抱負が足りません。宗教界宗教活動に関する経綸がはなはだ乏しいのであります。だから各宗教はそういう点にみずから省みて、初めてほんとうに自由になつたのだから、権力などによらないし、ほかの力などには全然よらないで、自分でほんとうの宗教活動をするという立場に立つて運動をしてもらいたいと思います。しこうしてこの法案は、政教分離、信教自由の原則に立つてはつきりしていると思います。ただ宗教活動というものが世の中にあり、宗教団体というものがたくさん存在している以上「それは一つの大きな社会現象でありますから、その社会現象を取扱うことに必要である範囲において、この宗教法人法はできたのであります。そしてこの宗教法人——ずいぶん長いのですが、これを通観いたしますと、政教分離という基礎に立つてはつきりしております。そして今後その宗教の運営をいたしますのに、こういう法律があつた方が便利であると考えますから、私はこの宗教法人法は賛成です。各宗教団体間においてもほとんど異議はなかろう、むしろ全然賛成ではなかろうかと思うのであります。ただ私ちよつと気がついたことでありまして、あるいは研究が足りないかもしれませんが、この第三條に境内地規定しておりますのに、一号から七号まであげてあります。簡單に言うと、私はこの中に宗教団体が公益事業に用ゆる土地を入れてもらいたい、そういう希望を持つておるのであります。公益事業ということは宗教のやらなければならないことだと思います。あるいはそれは宗教本来の專門の仕事ではないという御議論があるかもしれませんが、しかし宗教行為ということを拡充して考えてみると、やはり公益事業ということはやらなければなるまい。ことにこういう時節にあたりまして、宗教がそういう方面に非常に骨を折るということがたいへん必要であろうと思います。そういたしますれば、ここに掲げてあるところの境内地の中に公益事業をやる土地も入れで、従つて出て来るところの免税の特典というようなことも、はつきりさした方がいいのではないかと思います。もちろんこういう長い條項でありますから、今私が言つたようなことは入つておるかもしれません。私が今申し上げるのは、公益事業ということと宗教関係はつきりして、しかもその公益事業は宗教がやつてもちつともさしつかえがない——どころではない、大いにやるべきものだから、この境内地のことをきめるところに列挙式にしてもらいたいということをここで申し上げておきます。これは私の希望であります。  それから先ほど前の方の意見に基いて委員から御質問が出たようですが、この宗教法人法の制定にあたりまして、今までの大きな既成宗教には異議はないと思うが、新興宗教の中にあるいは二、三異見があるかもしれません。新興宗教が悪いとは言わない。信教は自由であり、また人の思想の動きですから、既成宗教でなければならぬことはむろんなのです。新興宗教けつこうです。しかしながら新興宗教というものをよく通観すると、これは一口に言うと玉石混淆です。いいのもあるが、あつて非常に困るのもある。こういうのを宗教法人法で律するというわけに行きません。そういうところに手を加えれば、政教分離という原則にもとつて参りますから、手を加えるわけに行かない。ただこれは運営の間の便宜をはかつた規則的法律なんですから、そういうことに手を加えられないが、もし新興宗教でも何でも、宗教というようなものに志す者があるならば、まずこの法律が出たということを見て、よく考えて、そういうことが機会となつて、みずから省みて自粛自戒ができると思い、おのずからそこに精神的に玉石混淆が整理されて行くという副産物があると思います。それでありますから、そういうような宗教の方も、これを機会としてみずからトレインし、みずから自粛して行けばたいへんいいことになると思います。これはたいへん長い規定で、これだけあればこれは法律なんですが、この法律から出る取扱い規則も何もみな入つておるようにこまかくできておつて言葉をかえていえば非常に親切にできておる。だからこれでさしつかえないと思います。  ただ最後に一言したいのは、政教分離でなくてはいけない。しかし政教は分離であつて分裂ではありません。往往政教分離になつた、信教自由になつたのを誤解しまして、宗教は世の中から除外されたんだ、排除されたんだ、そんなものは人間の生活にはいらないといつたような気分があると思います。それは政教の分裂です。国家は決して政教の分裂は企図しておりません。政教の分離をはかつておる。はつきり分離して行かなければなりません。政教の混乱が生じますから、政教は分離すべきものである。しかし政教が分裂したらたいへんであります。従つてこの法人法が法律となつて現われて、これがただちに施行されます場合に、その施行する上においては、施行する衝に当る役人の方々は、宗教というものをよく理解をして取扱つてもらいたいと思う。税の官吏は税のことをよく研究して、かつまた本来の税制に関する理解がなくてはならぬ。宗教取扱う役人たちは、宗教法人法の法の文面だけでなく、宗教法人法が含蓄するところの精神、宗教の精神というふうな、宗教に対する理解を持つて取扱つていただきたい。そうでないとこの法人法を成立させて、それが妙なつまらないようなことが発生をすることがないとは限りません。そういう点を注意をしてもらいたいと思うのであります、内容の点についてはもう皆さんからもお話が出たと存じまするし、くどくどしろうとの私が申し上げることは、かえつてつまらないことですから、大体全面的に賛成をいたしまして、私の意見陳述といたす次第でございます。
  60. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 安藤正純君に対する質疑はございませんか。
  61. 浦口鉄男

    ○浦口委員 一つだけお尋ねをいたします。安藤さんがしろうだとおつしやつたことは、たいへんな御謙遜だと思いますが、私はほんとうのしろうととして一つだけ御意見をお伺いしておきます。それはこの法案はもちろん信仰そのものの本質に触れない、従つてその善悪というふうなものを規制するものではないことはよく承知しております。しかも宗教宗教団体というものを別に考えまして、別というよりも宗教団体そのものの法人としての規制についてとりきめておりますので、そういう根本には触れないということになつておりますが、しかし一部のいわゆる新興宗教といわれる方の御意見の中には、既成の仏教などはほんとうの信仰とはいえない、非常に俗な言葉でいうと、葬式か法事の道具にすぎないというような意見も事実出ておるわけです。こういうことをせんさくして参りますと、非常にむずかしい問題になりますので、私触れませんが、ただここで形の上で考えられますことは、これは世間に非常にたくさん例があるのでありまして、村とか町の顔役が神社の総代をやつており、また寺の代表もやつておるというふうなことが事実非常にたくさんございます。ことに政治家などにもそういう人がたくさんおる。またキリスト教の信者で、ある教会の代表者になつていて、また神社の相当重要な位置にある、こういう方もあるわけです。こういう事実が今度の法人認証を求める届出に際して、両方の役員として届けられる場合があると私は思います。もちろんそういうことを避けて、認証を求められるということも考えられますが、そういう事実が実際にありましたときに、たとい信仰そのもの、宗教そのものの根本に触れないとはいつてもそこにわれわれしろうと考えといたしまして、二つの違う宗教団体の代表あるいは役員を兼ねるという事実があつた場合に、非常にこれはおかしいと思う。そうした場合に、これをそのまま認証を與えるべきものか、もちろんこれは審議会の決定によるわけでありますが、また與うべからざるものかというふうな点について、もし御意見がございましたら承りたいと思います。
  62. 安藤正純

    ○安藤公述人 今の御質問は非常に要点に触れた質問だと思うのです。そういうふうな疑問がおそらく起つて来るだろうと思います。私がさきに申し上げたのは、これを施行する場合においてよほど考えてもらいたいということを、一々は申し上げませんが、そういつたようなことを含んでおるのです。それからあなたのおつしやつたことで、失礼かもしれないが、新興宗教の人が、既成宗教などは一向信仰などがだめだ、葬式や法事ばかりしている。仏教ども、これはその通りのようなことを言われてもしかたがないのです。しかしそれは仏教の教義とか、その教義から発する信仰の問題ではないので、その仏教を護持している坊さんが悪いのです。坊さんが堕落しているのです。これはもう徹底的に自覚し、また外からも徹底的に衝撃を與えなくちやいかぬのです。そうして改革してもらわなくちやならぬ。仏教が教義が悪いの信仰がないのということは、仏教を護持しておる人間がみずから汚すことですが、これはひとり仏教ばかりではない、キリスト教にもそういうことはありましよう。神道の中にもむろんあると思いますが、そういう点は先ほど私申し上げたが、大いに自律、自戒、自粛してやつてもらいたいと思う。  それから最後の御質問ですが、仏教の方のお寺の檀家総代であつて神社の総代になつたり何かしている。これは私はこういうことから来ているのではないかと思うのです。何だかよけいなことを言うようだが、一体今まで神社神道というものは、明治政府の取扱い宗教と見ておらなかつたのです。そこに重大疑問がある。しかし神社神道というものも宗教だというのがもとからの私の意見なのです。そこであなた方も御承知だろうが、昭和十四年に宗教法が貴族院、衆議院にかかりまして、衆議院に出たときに、私が委員長でずいぶん苦しめられたのです。しかし初めのときに、私がまだ委員にならぬときに、そのときの総理大臣が平沼さんなのです。平沼さんに質問したのです。一体神社神道というものは宗教なのか宗教でないのか、あるいは宗教のごとく見られ、あるいは宗教でないことくいわれておるが、どつちだといつて質問しましたところが、平沼さんは神社宗教でない、こう言つたのです。そういうふうになつて来ているのです。なぜそういうふうになつているかというと、今あなたがそこの点に触れて、非常にいいところに触れているのですが、もし宗教だとすると、宗教なら信仰自由だから、神社へ参拜しないでもいいという者が出て来るのです。ところがキリスト教の信者でも仏教の信者でもどこの信者でも、神社というものは尊崇し、礼拜してもらわなければならぬという立場から、宗教でない。そこで神社宗教という取扱いが出て来た。今の問題は学問上の問題ではありません。政治的の問題なのです。一体明治政府がそういうやり方をしていたということがいけないのです。つまり明治政府に宗教政策がなかつたという証拠ですね。ところが神社というものは、終戰後はつきり宗教になつてしまつたのです。そして、私などがやつておりました日本宗教連盟というものの中に、仏教キリスト教教派神道も入り神社も入つて来て、宗教として今日りつぱに立つておれば、また各教宗派間のつき合いもしておるわけなのです。ですから今後は私はそれがはつきりして来るのではないかと思います。また神社神道の方もその点に非常に励精、トレインをして研究をしたり、骨を折つておられますから、あつちの総代をしたりこつちの総代をしたりして、何だか信仰がどつちでもいいようなことが出て来るようなことは、だんだんなくなるのではないかと思います。  それからもう一つ、よけいなことかもしれないが言つておくが、仏教の方からいいますと、これは仏教だけにちよつと例をとりますが、各お寺には檀家というものがあり、檀徒というものがある。檀徒のほかに信徒もまたあるのです。信徒というものは檀徒ほど嚴重な性格を持つておらないのです。ですから檀徒なら一箇寺の檀徒になつて、ほかの檀徒になるということは、まあほとんどありませんが、信徒はここのお寺の檀徒になつていても、ほかのお寺なり、ほかの神社なりの信徒になるということが、今日ずいぶん多いのですよ。ですからこれが今度法人法によつて認証するという場合には、そういう点はずいぶん問題になつて来ようかと思います。しかし私が認証はこういうときにすべきものか、すべからざるものかというようなことを、今からここで言うことは、これはほんとうに公述人の権限逸脱になりますから、いずれそれは審議会の方がうまく研究をして、だんだんそういう方面はつきりして来るだろうと思います。
  63. 浦口鉄男

    ○浦口委員 いろいろありがとうございました。それ以上触れると、問題がまた別になつて参りますから……。
  64. 若林義孝

    若林委員 ただいまのに関連して……。文部省からわれわれの方に手渡してくれておりますのに、信者の数というものが九千六百万人となつております。日本の人口は八千二百万といわれますのに、信者の届出は九千六百万人となつておりますから、おそらく今安藤正純君から言われましたように、重複をしておることは事実だと思うのであります。この統計がそれを示しておると思います。  非常に宗教政策について御盡瘁をくださいました公述人に対して、一点だけ伺つておきたいのであります。先ほど政教分裂という言葉をお使いになりました。政教分離と政教分裂とを混同してはならないということですが、非常にいい御注意だと思いますが、宗教団体と政治とが分離されたこと——政治の中には宗教というものがにじみ出ておらぬといかぬ。だから一條々々の法律の中にも、国家の施策の中にも、宗教情操なり宗教というものが、にじみ出て、初めてりつぱな政治になると私たちは思うのでありますが、明治三十二年にああいうような法令が出されており、御苦心のあとがあるのでありますが、昭和十年にこれを是正せられたわけであります。ともすれば、そのときの教育を受けた連中が、今教育者になつておる。将来とも私はいかにして宗教を政治の中ににじみ出して行くかということに——笹森委員も見えておりますが過般そういう発言があつたわけであります。マツカーサー元帥は、口を開けば、あの宣言書の中に、宗教的の信念が出ておりますが、日本の政治家の中に、総理大臣のいろいろの施政の中には、宗教的情操というものを見出すのに苦心をする。将来私たちは、政治の面においては、この点に重点を置かなければならぬと思うのであります。この要点として、政治と宗教との分離であるか、宗教団体との分離であるか、こういうことについて、ひとつ意見を伺つてみたいと思います。
  65. 安藤正純

    ○安藤公述人 だんだん難問をぶちかけられて——若林君などは、こういう席で言わないでも、いつでも話ができるのですが、しかしまあその質問が出ましたから言いますが、私はそれはなかなか重大な問題で、これは、ここに岸本さんなんかも来ているから、岸本博士あたりから、宗教学の立場から聞いた方がいいと思うのですけれども、まあ私の考えは、宗教団体と政治との分離は、これはもちろんですね。ただ宗教団体取扱うことは、一つの行政行為としてやることは必要だと思う。では宗教そのものと政治そのものとどうかというと、これはいろいろ議論はあるかもしれないが、私はこれも別だと今は思つております。これから研究して意見が変節改論されるかもしれないが、今日はまず政治と宗教とは別だと思つておる。しかし若林君が言われるように、私はほんとうに同感なんですよ。そういう点に、あなたの非常に真劍な議論に共鳴します。これはどうしたらいいかというと、私が政教分離ではあるが分裂でないというのは、その趣旨でして、この宗教精神の涵養はあくまでもしなければいけないのです。それはどうしてやるかというと、私は個人の修養だと思うのです。個人の教養だと思うのです。これは個人のどういう教養かといえば、むしろ人間的教養だと思うのですね。人間が宗教というものの精神から離れたら、人間の値打はずつと下落しますから、ほんとうに気がつけばそこまで行くんじやないか。個人的に進めて行くということが最も必要である。そこに宗教界が骨を折るというふうに希望をいたしております。
  66. 柏原義則

    ○柏原委員 安藤先生の、ただいま宗教団体が公益事業をしつかりやつてほしい、きわめて賛成でございますが、公益事業をやる場合の土地境内地に入れてもらいたいというお話でございましたが、今まで境内地としてお寺なんか大きな邸があつて、その中に公益事業として病院をやる。歴史的には境内地なんですが、病院をやれば一つの利益を生む事業になります。そうした場合に従来の境内地の中に病院をつくるとなると、もつぱら宗教の用に供すると、こう書いてありますので、病院のようなものをやると、もつぱらでないという意味境内地の資格を失うおそれがある。こういう場合もありますし、さらにまた離れたところに新たに宗教団体が社会事業をやる、病院をやる、その病院の土地境内地にしてほしい、この二様あるのですが、どういう意味でありますか、ひとつ意見を………。
  67. 安藤正純

    ○安藤公述人 今柏原さんのおつしやつた病院なら病院をやる、この病院が必ずしも公益事業でない場合もあるというのですか。
  68. 柏原義則

    ○柏原委員 いやそうじやないのです。病院というものは、公益事業的なものですから、境内地の中に病院を建てるとしますと、やはり收益というものを生みます一つの事業ですから、もつばら宗教の用に供する土地とありますから、病院を建てるために、境内地としての資格を失うおそれがあるわけです。あなたの言われるのは、それをおそれておられるのか、またさらに飛び離れたところに病院だけを建てる、しかもそれは宗教団体の経営で、社会事業的にやる、公益事業的にやる、その土地境内地に入れてほしい、こういう二つの場合があると思うのですが……。
  69. 安藤正純

    ○安藤公述人 あなたのあとでおつしやつた場合を公益事業として境内地の中に入れるということは、少し無理だと思います。それはそれで別にやればいいのですが、境内地としてある中にいろいろ出ておりますね。たとえば参道もそうですし、儀式、行事の執行、庭園、山林、風致それから災害防止、それから歴史、古記による縁故土地、それまでみな入つておるのですから、その歴史とか古記による縁故土地というのは、これは過去のことで、過去の伝統を重んずるもので、非常に必要なことだから、これも賛成なんですが、しからば現在公益事業をやる、それが将来の歴史になり、古記になるのですからね、将来世の中から見れば……。そういうものもここにはつきり入れておいてもらいたいと思うのです。ですから、たとえば病院をやつて、それで金をとつて收益があるという場合、それはまた規則か何か、内規とかどういうものかで限定もできるのじやないですかな。たとえばその境内地でやる病院は、ほんとうの公益事業、宗教的公益事業として特別の金をとらぬとか、非常に低い実費で診療するといつたようなことも考えられて来るのじやないか、要するに公益というものが宗教にくつついているものだということを、はつきりしたいというために列挙してもらいたい、私のこういう意味なんです。
  70. 圓谷光衞

    圓谷委員 先ほど安藤さんのお話のうちで、平沼騏一郎さんは神社宗教でないとこうおつしやつたと申したが、あなたのおつしやる神社宗教的な教派神道を申されているのか、また従来日本国家が管理しておつた神社、官幣大社とかその他いろいろありますが、それらのものがはたして宗教であるという御見解ですか。これは明治初年に大分学者が論じられた問題でありますけれども、この法案を通過させる上に重大な問題だと思つております。それで元は神ながらの道といつておりました。宗教定義からかからなければこれは決定しないのですが、宗教は大体宗祖を持つております。教典を持つております。さらにそれを伝道する信徒、これが宗教の三つの要素だと思います。日本国家でやられた国家神道でありますか、これらで宗祀とかあるいは教典とか、あるいは氏子というものが全然ない神社もある。しかし教化の対象にならない崇敬者はありましよう。こういう点から見て、安藤さんの御意見は、全部日本にある神社宗教であるというような御見解ですか、そこを承りたい。
  71. 安藤正純

    ○安藤公述人 教派神道は昔から宗教に入つているのです。だから私の言つたのは神社神道意味です。たとえば天理教だとか、金光教だとか、黒住教だとか、大成教だとかいうのは宗教に入つているのです。それ以外の今までの神社というものは、明治以来の取扱い宗教に入つていなかつた。私どもはそれは宗教だと、これは愚見ですが、そう思つていたんです。ところが今日はそういうことでなくなつて国家との特別関係を離れてしまつて、やはり神社宗教になつて、それと同じ方法をとつております。
  72. 圓谷光衞

    圓谷委員 それはとつていますが、あなたはやはり宗教であるという観念でおいでですか。
  73. 安藤正純

    ○安藤公述人 観念より何より宗教になつてしまつたんです。制度の上から神社本庁というものができて、宗教のやり方をやつているんです。現在それは事実なんです。ですから今日はそれは教派神道ももちろんだが、神社の方も宗教としての仕事をし、またその取扱いもしているわけなんです。
  74. 圓谷光衞

    圓谷委員 私のお伺いしているのは、国家がしたからとしても、文部大臣の提案の理由にもありますが、この宗教法人法案では宗教でないものを宗教法人にしたり、そういうことがあつてはならぬ、こういうことになつておるのであります。そこでこれは大きな問題でありますけれども宗教でないということであれば、国家がしようとも、本質的にこれは宗教と認めて行かないということになれば、われわれはここで相当考えなければならぬ。そこであなたの御意見は、国家がしたからというが、これは昭和二十年ですか、ポツダム政令が出て、一応これは現在の宗教法人令で宗教国家は認めております。認めておりますが、ところが今度新しくできる法案によつて、従来のものが宗教でなければ宗教でなくてできる。そこが問題で、あなたはどういうお考えでいるかということです。
  75. 安藤正純

    ○安藤公述人 それは神社が一体宗教であるとかないとかいうようなことを、この宗教法人法できめちやいけないのですよ。そんなところまで行つてしまつたら宗教の本質に入るし、またそんなことをきめられるわけはない。だれもこれが宗教だなんということを、きめる知識もなければ権限もないんです。であるけれども、ただその場合に今の神社というものが宗教行為になつていないとかりに認定すると、それは宗教法人審議会ですか、そこでそういうことが論じられて、認証するとか、しないとかいうことが出て来るのじやないか。それから私個人意見は、神社宗教なつた方がいいという意見です。宗教だという考えです。
  76. 笹森順造

    ○笹森委員 安藤先生にお尋ねしたいと思いますが、ただいま圓谷さんとの話でも、実は私ども自身も疑問にしておる点がありますので、もう少しはつきりしておきたいと思いますからお尋ねしたいと思います。  それは第一は、先ほど安藤先生は、この宗教法人法が今出ることは、宗教法人令よりも一歩進めたものであり、都合のよいものであり、宗教活動のためにたいへんいいことだから、これは賛成だということをおつしやつておつたのでありますが、この占領下にあつて、こういう宗教法人法などを根本的に考える時期であるかどうかということに対しましては、私ども深く考えなければならぬ点があるのではなかろうかと実は思つておつたのです。そのうちの一つは、ただいま圓谷君からも指摘されましたような問題で、まだ日本の国民の中では思想的にほんとうに整備されておらぬものがあるように思う。つまり従来の神社神道というものは国家の儀礼として、あるいは宮中三殿の御儀であるとかいうものには、外交官などにおいてもこれは宗教にあらざるがゆえにあの儀に列し、その他の儀式においても国家の儀礼としてこれに列せられておつたという例は、日本の国民の頭の中に相当深く入つておつた。それが占領されて以来すべて国家から切り離されて、これは宗教団体としなければ存在できないということになつてしまつた。しかし神式と称するものが国民の中にあつて結婚式にあつてもいろいろなことがある。これは宗教観念以外のものとして、国民の行事、慣習の中に残つておると私どもは見ておるのです。それとともに宗教的には仏教であろうとキリスト教であろうと、それらの宣伝者あるいは国家の功労者に対する尊崇崇拝の念があつて、それの記念堂として、私どもが従来の神社に記念された人方を、宗教ではなくてこれを尊崇するという一つの形があり得ると私どもは思つておる。例をいうと、ワシントン・モニユメント、リンカーン・モニユメントなどは一つの記念堂として、人々が宗教的に何ら関係なしに行くというようなことがあり得る。明治神宮に行つても、あるいはその他のところに行つても、そういうことでやつておる。神式というものをぜひ宗教としなければならないというぐあいに、宗教法人令が命じたような国民的な認識が十分にまだ透徹していないじやないかという考えも私どもには実はあるわけで、現在の占領下において占領政策の一つと考えられるような要素がまだ残つておる時代に、こういう宗教法人法というようなものをつくる決定的な時期であるかどうか、こういうことについての先生の御感想をまずお尋ねしたいのであります。
  77. 安藤正純

    ○安藤公述人 今の笹森さんの御質問は、これもなかなか重点的の質問であるのですが、一体この宗教法人法というものをこしらえることが、いいか悪いかということの根本的問題になると、そこに議論があると思います。さらにもつと研究してやつてもよかつたのではなかろうかと思う節もないではありません。しかしすでにここに出た上は、いいか悪いかといえば、これに賛成を表したい、こう考えるわけです。それから今重大なる例としてお引きになつた、神社というものが宗教を離れて、祖先崇拝あるいは日本の伝統の保持というような面から見て必要だから、宗教に無理に入れなくてもいいじやないか、こういうお考えですね。
  78. 笹森順造

    ○笹森委員 そういう一つ考え方があるのです。私どもの信念でなくて、国民的な感情にそういうものがある。
  79. 安藤正純

    ○安藤公述人 これは私はやはり神社というものが、ずつと日本の歴史とくつつき、風俗習慣と一致して来たのですから、神社宗教になつてもならないでも、日本人のそういういい習慣は残つて行くと思うのです。ですから私などは現に仏教徒であるが、神社に対して、信仰でなく、崇敬の念を持つております。敬虔なる崇敬の念を持つておるのです。だから日本の国とずつとついて来たこの伝統というものは、一朝一夕にくずれるものではない。だからこれが宗教なつたところで、そういう点はちつともさしつかえない。ことに日本人の淳風美俗である相先崇拝ということは、必ずしも神社によらなければ祖先崇拝ができないわけではありませんけれども、しかし神社によつてその祖先崇拝をよけい鼓吹するということも、たいへんよいことでありますから、それもできて行くと思います。ただこの神社宗教になるのがいいのか、ならないのがいいのかという根本問題になると、これはずいぶん議論があるが、なつて行く方がいいのじやないかと大体私は考えております。それに当事者である神社そのものが、今それを望んでいるのじやないのですか。そして宗教活動をやつておるのだから、そういうことに順応して、宗教としての内容的実質をもつと早く備えてもらいたいということを、むしろ私は希望しておるのです。
  80. 笹森順造

    ○笹森委員 議論をするわけでも何でもないのでありまして、今のお話を私はそのまま了承いたします。ただ現在の神社取扱つておる方が宗教になりたい、なりたくないという問題ではなしに、国民の感情の中に、それは一つの記念堂であるという印象が残つておるものを、むしろその当事者が神社にしてしまえば、国民的な感情にそぐわない時代的なものが、占領下にまだあるのではないかという点を、実は先生に御意見を一応伺つたわけであります。しかしそれはそれでけつこうであります。  その次の問題は何であるかというと、先ほど来根本の問題に触れて、政教分離に関するお話がございましたが、私ども法律取扱う上で、やはりこれはどうしても一応はつきり頭で理解しておかなければならぬのではなかろうかと思つておるわけであります。そこで自分の乏しい理解では、政教は分離すべきである。分裂はいけないが、分離はいいのだというようなお話があつたのでありますが、私どもは政教は分離すべきものと、実はかねがね考えておりましたので、もう一度先生のお考えを教えていただきたいと思います。それは宗教情操なり、宗教本能なりは、自然ににじみ出るものとして政治の上にも現われて来ましよう。しかし宗教ということになると、一つ宗教なしに宗教ということは言えない。仏教なしに、神道なしに、キリスト敢なしに、マホメット教なしに、宗教ということは実際言えない。そこで私ども理解では、そういう仏教なり、キリスト教なり、マホメット教なりというものは、政治と明確に分離すべきものだ、つまりチャーチとステートは区別さるべきものだ、こういうことを私どもは実は長く考えておつたわけであります。ですから、たとえばある国では、国会をやるときに、祈祷する、キリスト教の聖書を読むというようなことは、私は政教分離の意思に反するものだと見ておる。あるいはマホメツト教を信ずる者もあり、あるいはまたキリスト教以外の宗教を信ずる者もその国の中にあるのですから、そういう慣例はどこから出て来たにしろ、政教分離の点からいつてはつきり不適当だと、実は私は批判をして来ておるわけです。ですから私ども理解では、宗教本能あるいは宗教情操においては、これは当然政治ににじむべきものであるけれども宗教と政治は分離すべきものであるということを私どもは信じて来たのです。その点に対して先ほどの先生の御説明は少し違うようですから、どういうことであるか、もう一ぺん先生の御信念を御披瀝願いたいと思います。
  81. 安藤正純

    ○安藤公述人 笹森さんの今おつしやつたことは、私のさつきの言葉が足りないので、あなたとまつたく意見が同じなんです。政教を分離しなければいけない。これは私どももそう考えておる。それは言うまでもない。ヨーロツパの中世の歴史などを考えましても、どうしたつて政治と宗教はわかれて行かなければしようがないし、日本ども国策に宗教を利用したり何かしましたから、そういう点から考えても、政教ははつきり分離すべきものだ、私はこういう宿論なんです。それを今度憲法はつきりしましたから、それは非常にけつこうなんです。しかし分離は当然だが、分裂してはいけない、こう言うのは、これはそこに誤解が生じたのです。その意味は、人間の心が、これが政治の心だ、これが宗教の心だ、これが労働の心だ、これが教育の心だと、そう人間の心が限界を立てておられるものじやないのじやないか。人間の心というものは、一つの働きになつて出て来るのだから、その政治の心の中に宗教情操というものが入つて来なければいけない。たとえば寛容の精神であるとか、同情の精神であるとか、慈悲の精神というようなものが入つて来なければいけない。それが政治に現われて来なければいけない。それをするにはどうするのかといえば、個人的の宗教教養、それでやつて行くのが一番いいのだ、こういう意味なんで、分裂という言葉が誤解を招いたのです。分離は当然して行かなければならぬ。しかし人間の心の中にもともとある宗教心を啓発して、これを涵養して行きたい、こういう意味なんです。宗教情操の意味なんですから、どうぞそう御承知を願います。
  82. 笹森順造

    ○笹森委員 もう一点だけ……。先ほど御発言になりましたことに関連して、具体的な問題をお尋ねしたいと思います。それは浦口君から出た御質問の中で、私どももかねがね考えておる点が一つあります。それは何であるかというと、今日仏教寺院の中に墓地がたくさんございます。東京その他のごとく新興都市でありますならば、共同墓地がございますけれども地方に参りますと、長い歴史の伝統を経て、大体墓地は旧藩時代以後お寺の中にある。従つてその中に墓地を持つております者は、仏教以外の宗教信仰を持つておりましても、どうしてもお墓は大事にして行かなければならない。特にお墓の管理は、大体僧侶等がその任に当つているのが慣例であります。従つてそのお寺に対して財政的な援助をしたり、あるいはまたそのお寺が困らないようにして行くことは、墓地を持つている者の当然考えることであり、宗教的に転換をし、祖先の宗教と違つた宗教に移つた者でも、墓地を大事にしなければならぬという気持は続いております。従つて従来墓地は国有として、お寺の所有ではないという意味で、どこへ持つてつてもよい、お寺の境内といわれる土地ならばどこへ持つてつても、その住職が所在するところならば、そこに骨を埋められるといつた慣例を持つているし、私どもは長くその中に住んでおつたのです。そういう意味で、そのお寺の総代というようなものになり、財政的にお寺を助けるというようなことを、他の宗教を信じている者がするということは、現代においてもりくつが合う。共同墓地を持たないこと、こういうようなことは——、法の不備のために、われわれが心配したような二つの代表者になり得ないということがあるならば、支障を来すことがあり得る。これは信仰の妥協でもなければ、宗教の混淆でもなくて、現在の制度としてこういうことが残つているということは、先生も御承知だろうと思う。こういうことが——信仰じやなくして、お寺の墓地を守るという関係上、そういうことがあり得るという御理解を先生は持ち得るかどうか。これについて私ども研究したいと思つていますけれども、この点についての御判断をお願いいたします。
  83. 安藤正純

    ○安藤公述人 やはり笹森さんのおつしやる通り、私個人としては、これは信仰といつたような問題じやなくて、いい慣習という点から考えると、そういうことはあるであろうと思います。ですから、そういうようなことを取扱う役人たちに、宗教的慣習に理解をよく持つてもらいたい、こう考えておるのです。墓地のことはよく知りませんけれども、だんだん発達しまして、現に東京都の墓地のごときも、東京市時代に、東京市内のお寺の墓地というものは、みな共同墓地といつたふうなことになつてしまつたのです。初めそこに争いが出たのですけれども、これはお寺特有の墓地だ、單独の墓地だから、そこにほかのものを持つて来ちやいけないということで、ずいぶん議論があつたり係等が起きましたが、しまいに共同墓地というような形になつてしまつたわけです。やはりだんだんそういうふうになつて参りますから、この法人法の取扱いにおいても風俗、習慣、いい伝統を重んじ、寛容の精神をもつて取扱うということが必要であろう。私もそういうふうにしてもらいたいと希望するわけです。
  84. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ほかに御質問はございませんか。安藤先生には長時間にわたり、あたかも政府委員のような立場でお答えを願いましてまことに恐縮でした。ありがとうございました。実はこの墓地の問題、これは、たとえばキリスト教あたりの共同墓地に対する課税等の問題にちよつと疑問がありましたので、私今非公式に宗務課長から承つたのでありますが、幸いにこの話が出ましたから——これは他の法律に何か無税にするというようなことがございますそうですから、その間の消息をもう少し具体的に、政府委員より答弁させます。篠原政府委員
  85. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいま墓地の取扱いについて御質問がございましたが、墓地につきましては、墓地埋葬等に関する法律がございます。それとともに、この実際的な取扱いにおきまして、各宗、各派平等から公平に取扱う必要が現実の問題として出て参りましたので、その件につきまして、昭和二十一年九月三日に通牒が出ております。その中に、ただいま笹森委員から御質問のあつた趣旨のことがありまして、たとえばお寺の中に信者の墓地があつた場合、その取扱いには十分注意する、それとともに、墓地を新設する場合につきましても、各宗派の特徴を十分尊重しまして、遺憾なきようにする旨の非常にこまかい点にわたりましての通牒がございます。こまかい点につきましては、またいずれ機会を得まして御説明申し上げたいと思いますが、墓地それ自体の取扱いといたしましては十分な注意を払つて、われわれといたしましても、現実の取扱いの上において不公平のないように、また実際の面につきまして、支障のないように考慮いたすつもりであります。
  86. 笹森順造

    ○笹森委員 ただいま委員長から無税とするというような御発言がちよつとあつたようでありますが、私どもは、これは国有地であります国家のものであるというような感じを今まで持つたので、その点だけちよつと課長から御説明願います。それをどこかの寺院に與えて、その寺院の管理を経て寺院土地とするのか、これは無税とするのか、そうではなくて、これは国有地として当然税金をとらないものか、その点はつきりしていただきたいと思います。
  87. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 墓地それ自体税法の上の取扱い免税になつております。国有地との関連において問題が派生しておりますのは、例の社寺等に無償で貸付してある境内地境内建物の無償讓與の法律が、昭和二十二年法律第五十三号で出ております。従つて今まで社寺等に無償で貸付してあつた国有地の上に墓地がある場合の取扱いといたしましては、隣接する区域であるとか、境内地に隣接する墓地であるとか、あるいは境内地の中に散在する墓地、こういうものにつきましては、当該社等と非常に密接な関係がありますので、これは当該社寺に讓與することになつております。従つて、これは一面政教分離の線から、社寺と国有地との関係を密にするという趣旨のもとに出た法律でありますから、ただいまの墓地を国有に存置しておくということは、それ自体としてまた意味が非常にあるのであります。しかし現実の面におきまして、宗教団体の活動と非常に密接な関係がありますから、その限りにおいて、宗教活動を行うに必要な範囲で無償讓與の範囲の中に挿入している向きのものもあります。
  88. 笹森順造

    ○笹森委員 もう一つはつきりしておきたいと思います。国有地であつたものが、その宗教活動の必要上——境内にそういう墓地なんかあつたりして——その方が都合がよいので、これをその宗教団体に讓與したという場合においても、例外としてやはりその仏教以外の宗教の信徒が、その信徒として違つた認識において宗教行事をするということについても、先ほど説明されたようなことを尊重されておるということがはつきりしておるかどうか、それをお尋ねします。
  89. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいまの御質問につきましては、先ほどお答え申した趣旨において、同じように取扱いがなつておるということを申し上げます。
  90. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 それではちよつとこの席からでありますが、もう少し私ははつきりしておきたいと思うのです。寺院境内地にある墓地は、これはもうあなたの説明で十分わかりました。ところがキリスト教、特にカトリツク等においてはその共同墓地なるものが外にあるのが原則です。そこには教会がないのです。たとえば東京の例で申しますと、カトリツク関係において多摩に墓地を持つておる。これは私有地あるいは公有地、どつちから買つたかわかりませんが、そういう場合の点もいかにするかということをはつきりとここに解明してほしい、その点新教においてもその通りであつて、ほとんど教会境内地に墓はない、これは原則です。
  91. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいまの御質問に対しましては、先ほど融れましたところの通牒によりまして、十分その御心配のないような通達の趣旨になつております。こまかい点につきましてはいずれまた申し上げたいと思います。
  92. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 次は学識経験者として御出席を願いました群馬大学講師林壽二君。
  93. 林壽二

    ○林公述人 群馬大学工学部の林壽二であります。私の申し上げるのは宗教法人設立についてはいわゆる準則主義をとれ、もう一つ地方宗教法人審議会を各都道府県に置け、この二つ。もう一つ法律案の立法目的に対する疑義が一つ。この三点であります。  まずいわゆる宗教法人設立については準則主義をとれという例であります。これをまた三つにわけて申して行きます。設立についての認証制度というものは、必ずしもいわゆる類似宗教の発生を防止できない、もう一つ、新興宗教団体認証に際してはきわめて困難の点がある、もう一つこれはそれに付随した事柄でありますけれども、準則主義によつて設立した悪いといいますか、その劣位の宗教法人に対しては保護助成の方法を講ずること、この三つであります。  まず設立についての認証制度は必ずしもいゆる類似宗教の発生を防止できないこと。この理由はその設立についての認証制度の目的は、宗教法人の組織だとか、運営、こういうものの確実性を期するにあり、こう立案者は言われると思いますけれども、しかしこの本案の主眼の一つに、いわゆる類似宗教の簇生を防止しようとする点があることは、この本案を読んでみると明らかであろうと思います。しかし宗教の発生は法律的に見てですけれども、自然発生的であつて、いわば生命の不安というようなどろ沼の中に咲く花のようなものである。その花はその時代に生きる人類の幸福が何であるかをさし示すものであります。従つてその花によつて政治のいかに進むべきかを知ることはできますが、その一片のと申しますか、一つ法律によつてよくそれを抹殺することはできないと思います。さらにかくのごとき認証制度があるからといつて、生れ出た新興宗教団体法人格取得の努力を拾てない、努力しようとする場合でありますが、拾てないことは——法が宗教法人に対して税法だとか財産法上の特権を與えておりますし、あるいは世間もまた宗教法人に対しては信用を與えているから、むしろこの生れ出た新興宗教団体が、法人格取得の努力をするということは、これはやむを得ないむしろ当然のことであろうと思います。  第二点の、新興宗教団体の認定に際しては困難な点があることであります。それは、認証知事または大臣によつて行われますが、はたして歴代の知事や大臣にその適格性がありと断言できるか。これは先ほど安藤先生からお話がありましたが、その理由は、けだしその認証事項中の最も困難とする点は、当該団体がはたして宗教団体なりやいなや、これを判定する点にあると思います。かくのごとき難問題に対しましては、納得の行くような判定を下せるかどうかということが困難な点であろうと思います。もちろんこの認証宗教法人審議会の諮問とか、あるいは認証することのできない場合には再審査とか訴願によつて、申請者の言い分は十分に考慮されることになつておりますが、はたしてこれによつても申請者に納得が行くかどうか。これも疑問の二点であります。  もし知事または大臣が再審査、訴願の請求をおそれて——こんなことはないと思いますが、また能力の不足だとか、権力の介入によつて、これもあるいは杞憂にすぎないかもしれませんが、そういうことによつて、その意に反して認証を受入れるようなことがあるとしたならば、認証制度の主眼は失われ、また逆に能力の不足だとか、あるいは権力の介入のため、これを否決するようなことがあれば、再審査とか訴願の制度は單なる飾りものにすぎない、こう思われます。  第四点、さらに宗教法人審議会知事または大臣の、先ほどの適格性の欠ける、その不足を補うに十分であると、こう言えましようか。これもまたやはり宗教団体の判定には、少からず難点を持つであろうと思いますし、特にその会の委員の構成、あるいは運営のいかんによつて、たとえば委員たる宗教家がはたして政治上の寛容を示すかどうか。または運営が民生的に行われるかどうかというような点にも難点があろうと思います。  さらに認証の拒否によつて、公認された宗教団体のわくから締め出されたいわゆる類似宗教、この団体の身の上まで本案は考えているかどうか。または認証制度にあきたらなくて、あえて法人格を取得しようとしない宗教団体がありとしたら、それはどうするか、警察の手に引渡すか、この点宗教法人法案に関連してではございますが、心配するのであります。  以上の点から、私はむしろ設立に関しては、いわゆる準則主義の方がいいのじやないか、こう考えております。ただこの際設立の登記事項は、たとえば本案の第十二條の示す規則の記載事項をもつて登記事項とすれば大体いいのじやないかと思います。登記技術の点やらいろいろあろうとは思いますが、まず本案の第十二條の示す規則の記載事項を登記事項とし、さらに宗教団体であるかいなかを示すなるべく可及的な、なるべくという意味の客観的な材料、一例を申し上げますと、これは適例ではないかしれませんが、相当多数の者が自分が信者であることをみずから証明する書類のようなものを登記事項とする。そうすれば割合に客観的な材料でもつて宗教団体であることが納得行くのじやないか、こう思いますし、またこの程度のものでがまんしなくちやならないと思つております。これはつけたりでありますけれども心配されるのは準則主義によつて設立した劣位の宗教法人でありますが、これに対して保護助成の道を講じなくちやならないのじやないか。これについては私は具体的な例は持つていませんが、たとえば特に本法案関係のある法令の励行を助成する。それから本法案第六條、これは公益事業及び公益事業以外の事業も、その目的に反しない限りできるという規定でありますが、これらの事業を保護するような場合も、劣位の宗教法人に対する保護助成の道ではないかと思います。これが設立に関していわゆる準則主義をとれという主張であります。  第二番目は、地方宗教法人審議会を各都道府県に置け、この主張であります。理由はまず本法案の第七十一條によりますと、宗教法人審議会文部大臣の諮問機関として、規則変更等の認証その他法律による所属事項の調査審議及びその関連事項の建議を任務としています。それでかりに現在のいわゆる旧宗教法人——これは宗教法人令による宗教法人でありますが、これがほとんど全部今度の法案の新宗教法人に入りました場合を想像しましただけでも、その数は先ほどどなたかおつしやいましたが十八万にも及びます。従つてこのために宗教法人審議会の処理すべき事務は相当多数であることが予想されます。これを中央の一箇所で、しかも非常勤の委員が十名ないし十五名で処理して行くのは、かえつて宗教法人審議会の設置目的に沿わぬのではなかろうか。というのは、これをあえて行おうとすれば、その会の調査とか審議は、結局宗教団体の実情を最もよく知つている地方の手を煩わすか、または形式的な処理に終るのではないだろうか、この心配宗教法人審議会の最も必要とするところは、文部大臣の知能としての、ブレーンとしての宗教法人に対しての事実に関する具体的な知識であろうと思います。さらに別の面から、都道府県知事宗教法人に関する任務は、質において文部大臣とそんないかわつていません。たとえば認証だとか、解散命令関與だとか、こういうようないわば宗教法人の本質に関するような幾多の重要事項を処理しなくてはならないのであります。これらの理由によりまして各都道府県に地方宗教法人審議会を置いて、これに委讓し得る限りの事項をなるべく委讓した方が、かえつてこの目的を達成するんじやないかと思います。  第三番目、これは疑義でありますが、本法の立法目的に対して疑点が二つあります。  本案の立法の根拠は、おそらく憲法が保障した信教の自由をますます本法律によつて獲得して行くことにあるのだろうと思います。そのときに、現在の宗教法人令による宗教法人は、一年半の猶予期間中に解散するか、あるいは新宗教法人になるかの二つに一つの道を選ばなくてはなりませんが、大多数の法人はおそらく後者を選ぶであろうし、そうしてこの法律案もそれを期待しているに違いないと思います。しかるときに、本法案は旧宗教法人が喜んで本法の支配のもとに入つて来るほどに、権利の保護だとか信仰の自由の獲得に欠るところはないかどうか。もし本法律案の予想に反して、本法の支配下に入つて来ない解散宗教団体を将来まま子扱いにするようなことはないかどうかの心配。  もう一つ、第一條によりますと、本法の立法目的というのは、宗教団体法律上の能力を與えることにあります。もしそうだとしますと、第八十四條の内容は右の立法目的の範囲外にまで言及しておる。これはあるいは読み間違いかもしれませんが言及しておる。また第八十五條、第八十六條は、宗教法人以外の宗教団体にまで言及している。これははたして單なる注意規定と見ていいのか、あるいはそれとも本法の内容が第一條の示す右の立法目的、いわば法人格を與えるというその立法目的の範囲外の事項、または範囲外の団体に影響を及ぼすおそれがあるから、この規定を置いたのであろうか。この疑点。  以上述べましたような二つの主張と一つの疑点が納得行くように、あるいは主張がいれられれば、ほかの点に対しては賛成するものであります。
  94. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ちよつと林君に申し上げますが、條件付賛成であるかのように思われましたけれども、その点をはつきりしていただきたい。
  95. 林壽二

    ○林公述人 條件付賛成であります。
  96. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 林君に対する質疑はございませんか。——質疑はないようでございますから、次は利害関係者側の出口伊佐男君でありますが、この方は新興宗教一つを代表しておられる方でございます。出口伊佐男君。
  97. 出口伊佐男

    ○出口公述人 大本愛善苑総長出口伊佐男でございます。私はこの法案の制定につきましては賛成であります。そしてなるべくすみやかに公布、実施されますことを希望するものであります。理由といたしましては、この法案は現在行われております宗教法人令よりも一層改善の跡が見えておりますし、進歩したものであると考えるのであります。  その一といたしまして、信教の自由の根本原則がこの法案において、さらによく具体化されていると考えます。私は昭和十年以来戰時中、当局から彈圧を受けました元の大本の責任者であります。その体験からいたしまして、終戰後現在行われております宗教法人令の出ましたことを、最も喜んだ一人でありまして、それ以来活発な活動をすることができるようになつておるのでありますが、さらにこのたびの法案によりまして、今までよりもさらによりよくなつて行くのではないか。その点障害という面につきましては、運営いかんによることでありますが、法案そのものにおきましては、特にこれが大きな障害になるであろうと考えられるようなものを私は認められないのであります。  第二は宗教法人のあり方が民主化されておるということであります。これは法全般にわたりまして、設立、管理、運営等につきまして、特に明確になつたと考えます。  その三は宗教団体の健全な育成に貢献するものであると考えるのであります。これは法全般にわたつての精神として認められるものであります。私は将来よりよき新興宗教というものは現われるもの、現われなければならない、現われるであろうということを期待しておるものでありまして、それらの健全な育成という点におきましても、この法案が障害をなすものではないと考えておるのであります。  その四は、日本宗教界の現況をよく把握して、立案されていると考えるのであります。この法案を作成されるにあたりましては、現在の各宗教団体等における意向は十分しんしやくされていると考えております。  ただここで一言申し添えておきたいと思いますことは、現在行われております宗教法人令におきましては、宗教法人の設立について届出主義をとられているのでありますが、本法案ではこれが認証主義に改められておるのであります。私どもは、宗教団体本来のあり方としては、やはり届出主義であることが望ましいのであります。それが認証主義になつたということは、一面この点だけはやはり退歩といえば退歩と見るべきではないか。しかしこういうことになつたのも、これは現在の宗款界のやはり反省すべき点でありまして、宗教界の現状、現段階におきましては、こういう道が考えられなければならなかつたということも、またやむを得ないと考えておるのであります。ただ将来におきましてはこうした認証主義でなくても、従来のような届出主義で、宗教界に新しい宗教もぐんぐん伸びて行くことのできるように自主的に、自律的に行くよう、これは宗教界の今後の努力また向上によつてそれを期したい、期せられなければならないと考えておる次第であります。  ここにただ一点特に御考慮を願いたい問題があるのであります。それは第六十六條と第八十三條に関連して行くものであります。第六十六條の第一項に礼拜建物及びその敷地の登記ができると規定しておりますが、第二項には右の敷地の登記は、その上にある建物の登記がある場合に限つてできるということになつております。しかし建物のない土地またはその上にある建物とは称せられない、いわゆる工作物が礼拜の用に供せられている実例は相当多いと思うのであります。私ども教団においてもそれがあるのでありますが、それらの土地をも登記ができるように考慮せられたい。この点は第六十六條と第八十三條の修正ということになるわけでありますが、これだけを特に私どもとしては希望いたす次第であります。  この法案が以上申し述べましたようなことで、私どもとしては今までよりもよりよくなつ法案によつて宗教界といたしましては、やはり宗教法人法が近く公布実施されるという声を以前から聞いておりましたためにいろいろ教団等においてあるいは宗教団体等において、ああも改めたい、こうも改めたいと考えているようなことなどが、この法案の声のために非常に延び延びになつている面が各方面にあると思うのであります。そうしたことから、でき得るならばなるべくすみやかにこれが公布実施されたい、このように希望する次第であります。私の公述は以上であります。
  98. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 出口君に対する質疑はございませんか。出口君に対する質疑はないようでございますから、次にやはり利害関係者の丸井眞之助君でありますが、丸井君はいわゆる新興宗教一つでありまする六八洲教の教主でございます。丸井眞之助君。
  99. 丸井眞之助

    ○丸井公述人 私は六八洲教の教主丸井眞之助でございます。新興宗教として法律上の組織をいたしましたのは新しいのでありますが、私の宗教活動はすでに二十何年にわたつております。私はほかの宗教家と違いまして、大正十四年二月ごろから今日まで、二十六年余にわたりまして、夜晝なく少しも休まず念力をこめ続けまして、釈迦やキリストあるいはそのほかのきようまでの世界中のあらゆる人々以上に、はげしい長い行を続けました。そして魂の世界、あるいは神とか仏とか、あるいは宗教とか、そういうものの実際、釈迦とかキリストなどの奇蹟やいろいろなことがあつたというようなことにつきましても、私は実際に釈迦、キリスト以上の奇蹟をきようまで行つて来ております。その実例はたくさんございますが、昭和十三年の三月から満一箇年は、東京で朝から晩まで毎日文部省や内務省に行つておりました。そのほか東京ではおも立つた方にはお目にかかつて、そのときには、いつどうなるかというような予言をいたしまして、いろいろ意見を申し上げておりましたから、いまなお覚えていてくださる方がたくさんあると思つております。  そういうような実績をもちまして、そういう立場からこの法案につきまして意見を申し上げたいと思いまして、飛騨の雪に埋もれ込んでいる中からわざわざ上京いたしました。飛騨国に入りましたのは、終戰の直前から出かけたのでありますが、それは、神社本庁の前身でありまする皇典講究所の幹部から、神主たちをみな集めるから、山で教え直し、鍛え直してくれという話がありまして、それで今の場所を探したのであります、そして出かけまして、名古屋まで行きましたら終戰になつたので。私だけが山に入りまして、そのまま山の中でただ一人行を続けております。その土地の人は私を仙人のように思つておりますが、仙人ではない、やはり普通の人としての生活をしながら、山の中で原始林を開墾しております。それをやりながら宗教活動をしておるのであります。そういう、実際に魂の世界を通つて参りました私の立場から申し上げますると、今までの宗教というものについての皆様のお考えが少しかわつているのじやないか、宗教の教えなども、もちろん間違いが多いようだし、宗教はどうあるべきかということにつきましても、非常に私としては憂えまして、昭和十三年などは、文部省から昭和十二年の三月発行されました「国体の本義」、あれはうそだ、だからほんとうのことを教えよう、あのような思想を話していたら、思想信仰が行き詰まつてしまつて、につちもさつちもならぬときが来る、だから今の間にほんとうのことを教えなければいけない、そして信教は自由だといつても、それを放任しておいてはいけない、実際の人々の全部が宗教については、まるで赤ん坊のようなものだから、国家としては何とかしてひとり立ちのできるまで手をを引いて育ててやる必要がある、そのためには、その自由を束縛しない程度で導いて行くような法律がなければいかぬ、こういうことを話しておりました。実際に魂の世界では、間違つたことや悪いことはどんどん淘汰されております。そして……。
  100. 長野長廣

    ○長野委員長 ちよつと公述人に申し上げますが、この法案に関連してということになつておりますから、自分の従来の経歴よりも、この法案に直接関連のあることについて御意見を述べていただきたい、
  101. 丸井眞之助

    ○丸井公述人 それで淫祠邪教につきまして、午前中にもいろいろお話があつたようでございまするが、そういうようなものを信仰しておりますと、その信者たちも不仕合せに陷つて行くのであります。そういうようなことはみな知らないで——前にも大衆の審判にまつたらどうだというような御意見もありましたが、実際にお聖天さんだとかというのは、男と女が抱き合つておる仏像をまつつております。あるいは白龍といつて、へびをまつつたり、あるいは稻荷と称して動物のきつねという考えを持つたり、あるいは東京の付近に三峰山という非常にはやるところがありますが、そこにはお犬さんといつて、犬神霊をまつつております。そういうようなものを人間の信仰の対象としておるのは実にばかなことで、そういうわかり切つたのは、何とかしてやめさせるというような方法も必要だと思います。大衆は実際にそういうことを何にも知らずに、ちよつとはやつていると、行つてみようかと、言つて、それにつられて信仰しておるような状態でありますから、これは何とか方法を考える必要があると思います。  また新興宗教がたくさんできて来ておることにつきまして、いろいろ御意見がありましたが、それは宗教そのものがわかつていないということや、今までの宗教がみな間違いが多かつたところに、新興宗教がたくさん出て来ておる一つの原因があります。いま一つの原因は、宗教は金もうけになるということで、どんどんその金もうけだけを考えてやられておるごと。もう一つは、脱税の目的で宗教組織をするというようなことなどがありますから、金もうけの目的でやつておる宗教だとか、あるいは脱税の目的でやる宗教は、どうしても取締らなければいかぬと思います。その取締りのために、教義だとか、あるいは信仰の対象にしておるものについては、審議会で査定する必要があると思います。  具体的の案といたしましては、認証を與えるには、必ず宗教法人審議会の諮問を経なければいけないと訂正した方がいいと思います。文部大臣や文部省の係官たちでは、宗教ということが実際にわかつていないのだから、法律上の形式さえできておれば、ただちに認証を與えられることになつて悪いことをしようとする者を保護するような結果となるおそれがあります。ことに一県にしかないものは知事認証さえあればよい、そうなりますと、悪いことをするものや、実際の魂の実力がないもの、すなわち宗教としての資格のないものが出やすいということになりますから、認証文部大臣宗教法人審議会に必ず諮問してからでないと與えることはいけない、その改正することが必要だと思います。最近文部省の宗務課へ参りましたときに、係官はいまさら曹洞宗だとか、あるいは神社本庁を取締つてもしかたがないだろう、こういうことを申されましたが、現在の神社本庁には教義がありません。そして祭神の御神族すら間違えておりまして、わけのわかつていない宮司が多いのであります。それだけでなく、従来の国家神道時代の氏子をただ奉讃会員として金を出させるだけで、表面の形式を宗教法人令に当てはめただけで、実際はそうでない、いまなお国家神道のそのままをやつております。だからそういうのは、むしろ取締らなくちやいかぬと思います。それで神道本庁としては、すみやかに教義をつくつて、祭神の御神族も明らかにせられまして、その上で宗教法人としての認証を受けられることが必要だと思います。  それから宗教は国内だけでなく、世界に向つて働きかけて行かなければならぬものでありますから、その資金がなかなかたいへんであります。その点から申しまして、この法案の第六條の第二項、公益事業でなくとも普通の事業でも、やつてもいいという條項は、私は大いに賛成するのであります。すでに昔から所々方々の宗教法人の境内に、信者ががきますと、とまる宿屋を経営しているところがたくさんあります。これは昔からずつとやつております。そういう点から見ましても、一般の普通の事業をやつてもさしつかえないと思います。  大体においてただいま申し上げましたことを御考慮願えれば、この宗教法人法はすみやかにつくつていただくことがけつこうだと思います。以上で私の公述を終ります。
  102. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ただいまの丸井君の発言中、事実ではあろうと思いますけれども、文部委員会の公式記録としてはどうかと思われる箇所がございました。その箇所は委員長において適当に処置いたします。丸井君に対する質疑はございませんか。——質疑はないようでございますから終ります。  次は、キリスト教以外の外国宗教を代表する意味において、利害関係者である大村謙太郎君、
  103. 大村謙太郎

    ○大村公述人 私は日本イスラム協会の理事長としてここへ出て参りました。日本イスラム協会以外に、各宗教全部の垣根を越えてやつております宗教懇談会の理事長もしておりますが、今日は委員長の御指名によりまして、日本イスラム協会の理事長としての立場から、お話をしたいと思います。  御承知の方もあると思いますが、イスラム——いわゆる回教あるいはマホメツト教と申しますが、ほんとうの名前はイスラムなんでございます。この宗教は世界三大宗の一つであつて、世界に三億五千万以上の教徒を持つております。イスラム教は将来の日本にとりましては、イスラム教徒のおります南方諸邦が日本の将来の貿易圏に連なるのでありまして、私自身はイスラム教徒ではございません。私が死にますと仏教の坊さんが来て葬式をしてくれるのだと思うのでありますが、長い間イスラムを研究をしておりますために、いつかイスラムの世界に顔を出しております。ところが最近この公聽会で何か今度の宗教法人法案に対して意見を述べろ——こういう立場から申しますと、別に意見はございませんで、実は全面的に賛成である、ですからそれ以上意見がないということを書面をもつて申し上げたのですけれども、なお出て来いということでまかり出た次第であります。なお詳しく原案を拜見いたすひまがございますれば、いろいろ文句もあるのでございましようが、ひまがございませんで、十分に読むこともできません。また法律的知識もはなはだございませんので、ただこの法案を読みまして、イスラムの立場から御参考になることを一つ、二つ申し上げておきたいと思います。  イスラム協会で扱つておりますのは、イスラムに関する研究の面と、教徒の福祉増進の面と両方ございます。このイスラムの学問の面はこれはなかなか教理、歴史等をやりますので、むずかしいのでありますが、教徒の福祉増進の面は、これは厚生省の方に連なる問題でございまして、ときどき厚生省の方のお呼出しを受けております。それからもう一つ大きな問題は国際的な立場である。イスラムの世界というものに宗教を通じて連なつて行くという面でございます。こういういろいろの面がございまして、文部省の管轄下の研究それから厚生省の管轄下の福祉増進の面、それから外務省の管轄に属する交際の面、いろいろ広い面がございますので、一つ宗教団体であるから、自分にもわからないのでありますが、宗教文化団体というような立場に立つております。ところが東京及び神戸にイスラムの礼拜——寺であります、マスジツトと申しますが、一つございまして、これらはみな外国人教徒によつてでき上つたものなのであります。その場合におきまして、この法案が外国人教徒の——むろん日本人教徒も多少おりますけれども、これもごく貧弱なもので、その宗教の中においては勢力がないのであります。それで寺を持つておりますが、結局外国人であるという問題が起るのであります。イスラムでは寺をかりにたれが建てようが、建てた寺は教徒全部の所有であるということになりまして、日本法律ではそこにだれか代表者、たとえば土地の名義人とか寺の名義人というものが出て参るのですけれども宗教団体として一つ法人となる場合には、はたしてどういうものがそこに出て来るか、結局外国人が名義人に出て来る、こういう場合の考慮が今度の法人法の中にあるかないか、どうもずつと読んでいたときには、私にはその点がわからなかつたものですから、そういう点をひとつ委員の方に御考慮願つていただきたい、こう思つております。  もう一つは、これは自分のやつておりますイスラム協会の方の仕事ですが、イスラム協会という宗教及び宗教の周囲にあるもの、字間とか外交とか、そういうようなものを扱つておる一つ団体が、法人法によつて法人になれるのかなれないのか、こういう点が一つの疑問に思われます。大体においてこの二つの点を申し上げて、御参考に供したいと思います。大体それくらいであります。
  104. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ちよつとその外国人関係云々と御心配の点はもつともだと思いますから、政府委員からごく簡單にひとつ……。
  105. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいまの御疑念の点でございますが、所有権が外国人であろうとも、その点につきましては何らこの宗教法人法の支障はございません。なお外国人が設立者になる場合においても自由でございます。
  106. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 質疑はございませんか。——大村君に対する分はこれで終りました。  次は神社——純然たる神社でございます。これは御承知通りこの法案作成の過程においても、文部委員会においてもまた本日の公聽会においても、最も議論の焦点となつたものでございます。純然たる神社側を代表いたしまして、神社本庁の市川豊平君。
  107. 市川豊平

    ○市川公述人 神社といたしまして、本法案は賛成であります。しこうして一日も早く実施されんことを期待しております。但しこの機会に、皆さんの御審議の過程において特に御考慮願いたいと思う点を申し述べます。  この法がひとり神社のための法律でなくて、全部の宗教を所管する法律である関係上、われわれはただ神社のみからいえば、いささか注文したい点もまだ残つているようですが、各宗教に対する最大公約数という意味において、これでわれらは神社の運営ができるであろうか、重大なる支障があるであろうかという点を主として検討して参りました。さしあたりこれで運営して行けるつもりでおります。ただ各界においてしばしば論議されております通り神社は他の宗教とは非常に異なつた特質をたくさんに包蔵しておると思われます。従つて今後神社の運営にどういうふうにこれが影響して来るかということは、現段階においては実はわれわれも十分予想し得ないところでございます。そこで神社関係者の希望といたしましては、これは当然のことではありますが、もし自由なる宗教活動を積極的に展開して行く上において、重大なる支障が生じた場合には、その際には、われらはこの法律の改正を要請するであろう、その点を特にお願いしておきます。  次はこの法案の第八十四條の中に、国もしくは公共機関に対する訓示的な御規定がありまして、これはわれわれとしてはまことにありがたいことだと思いますが、しかしこれは実際に運用して行く上において、どういうふうになるだろうという疑念がいささかあるのです。この規定にかかわらず強行された場合にはどうなるであろうかという疑問です。もちろん第八十四條に規宿してあります内容は、分析するといろいろございます。一例を申しますと、いわゆる宗教の用に供する境内地なり、境内建物の限度を査定する場合に、あるいは宗教団体側の主張と、査定する側の主張とは、せり合いが起るときがあり得はしないかという感じであります。その場合に、その異議を救済する方法は、何ら規定してないようであるが、これを何とか運用の面において御考慮願いたいというのです。もちろんあるいは裁判所に訴えることもできましようが、決して宗教団体は一一裁判所に訴え、法廷において争うということを実は好まないのでございます。なろうことならばこういう問題につきましては、やはり救済として文部大臣に訴願し、文部大臣はこれを宗教法人審議会に諮問して、御決定くださるというような方法にはなるまいかという希望を持つております。もちろん條文をこの際そういうふうに改正していただかなくても、今後の運用の上においてそういうふうに御考慮願つてはいかがかと考えるのでございます。大要以上二点を申し述べまして私の意見終ります。
  108. 若林義孝

    若林委員 今日正式に委員会において御発言は別にまだなかつたと思うのでございます。将来も大臣を相手に論議されると思いますのは、やはり神社宗教であるかどうかということの論だろうと思いますが、明日それがあるだろうと思うのであります。この法案は、神社宗教として取扱法令になつておるのでありますが、神社の当事者として、この点に御不満があるかないか、この点をひとつ神社本庁として、八万七千の神社側の皆様の意向としての御意見を伺つておきたいと思います。
  109. 市川豊平

    ○市川公述人 ただいまの御質問に対して申し上げますが、神社は終戰後、宗教として取扱われる道が開かれて、みずから宗教法人になりました。その法人令はやがて改正されるであろう、法律となるであろうということは十分予想しており、この法人令の経過というものは、われわれの方はできるだけの機関を通じて、管下の神社などに徹底を期しておりますが、今日において宗教として、あるいは宗教法人としてこの法律の所管を受けることについて異議は聞いておりません。もちろん神社宗教であるかどうかということは、神社本庁が決定するわけではなく、各神社がみずから決定すべきものと考えております。
  110. 浦口鉄男

    ○浦口委員 第八十四條についてちよつとお尋ねいたします。これは神社の境内がほかの宗教と違つて非常に広いというところから、そういうお考えが出たと思うのでありますが、今のような、実施の面についての間違いのないように、こういう御希望はそのままに了承いたしますが、実際問題として準則主義と申しますか、もう少しはつきりと数字とかあるいは文字の上においてきめるということがいい、そういうふうな御意見ではないのでございますか、その点について……。
  111. 市川豊平

    ○市川公述人 もちろんこの問題は、私はただいま神社本庁の立場から申し上げたわけでございますが、おそらくこのことは各宗教団体にも共通する問題ではないかと存じます。神社の側から申しますと、仰せの通り、きわめて境内が広範囲であるからその問題が起るであろうということも予想できるのですが、神社の側からいいますと、もう一つ意味があるのです。それは、神社におきましては、他の宗教とあるいは異なるかと思いますのは、むしろ信仰は物についている場合が非常に多いのです。土地そのものが信仰の対象であるということが多い。それは具体的に申しますと、いわゆる神体山といつて、山そのものが御神体であるという例もある。この範囲を算定するなどということは、非常にデリケートな問題であろうと思います。それからさらにもつと俗的に考えますと、これはひとり神社に限らず、第三條におきまして、教職舎というようなことも認めておるわけですが、かえつてその点はキリスト教会のごときところの方が疑問が起りはせぬかと思う。そういう点において査定当局と宗教団体の主張のせり合いということが、あるいは起りはせぬかという感じがします。従つて條文まで御改正願いたいと申し上げかねますが、運用の上において、十分愼重を期していただきたいということをお願いする次第であります。
  112. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 これにて市川君に対する質疑終りました。  次はキリスト教でございますが、キリスト教は御承知通り新教すなわちプロテスタント、旧教すなわちカトリツクの二つに大きくわけることができます。そこで新教すなわちプロテスタントを代表いたしまして午前中藤川公述人によつて意見が述べられましたが、ただいまから旧教すなわちカトリツクを代表いたしまして、日本天主教教団司祭長江惠君。
  113. 長江惠

    長江公述人 私はカトリツクの立場から、カトリツクを代表して申し上げます。カトリツクの本部にも比すべき教区本部教会主任をしております。今回の宗教法人法案につきましては、カトリツク教会としては賛成であります。この法案がすみやかに法律化されて実施されることを望みます。  その理由といたしましては、まず第一に宗教は信仰の自由の上からいつて、なるべく法律などによつていわば制約されることがないように望みますけれども、社会あるいは社会活動と接触する面において、どうしても法律の制約を受けなければならないとするならば、今回のような法律案をもつて、すなわち信仰内容について関知せず、また各宗教に特有の組織の問題についても触れないところの法案が望ましいと思います。それゆえにまず第一に今回の法案に賛成いたします。  第二には、しかしそれならばむしろ今回のものよりは、前の宗教法人令の方がもつと自由でよかつたのじやないか、認証制ではなくて、届出制による法人令の方が、より自由であつたと思われるかもしれません。しかしカトリック教会といたしましては、今まで行われております法人令によりますと、実際においていろいろおもしろくないことが起つたのであります。それはカトリツク教会の施設に対する課税もしくは免税に対する面において、今回の新しい宗教法人法によるような明確な境内地規定がありませんでしたから、特に地方において課税の問題について、いわば私たち宗教家の立場としては、当然免税にされるべきものが免税にならないような場合が起りました。今度の法案におきましては、その点が非常にはつきりしておりますから、そのような立場からむしろ望ましいと思われます。  但し最後に申し上げたいことは、今度の法案におきましては、仏教あるいは神道的な用語が多く用いられております。私たちといたしましては、もちろん庫裏とかそのほかいろいろ宗教上の境内地規定する言葉がありますが、そこにわれわれの用いる言葉も入れていただきたいのでありますけれども、これは日本の伝統の上からいつても、また数の上からいつても、今までの使用されている言葉を受入れることも、それが法文化されることもしかたがないと思われます。但し将来誤解がないようにこの仏教的なあるいは神道的な言葉について、それがカトリツクの場合にはカトリツクの言葉に従つて解釈されるという点を明確にしていただきたいと思います。  以上の理由からカトリツクといたしましては今回の法案に賛成をいたします。そしてすみやかに法律化されることを希望いたします。これをもつてカトリツクの立場の説明を終ります。
  114. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 長江君に対する質疑はございませんか。——長江君に関するものはこれにて終りました。  次は学識経験者として長滝武君でありますが、学識経験者につきましては、先ほどから特に御紹介しておりますから、一応先例によつて申し上げますが、長滝君は明治、大正、昭和を通じて日本で最高権威者である記者といわれた徳富蘇峰先生に数十年間にわたつて師事され、君もまた国民新聞及び今日の毎日新聞の前身であります東京日日新聞に蘇峰先生と一緒に長く在社せられまして、特に文教方面、文部省担当の記者として、数十年間にわたつてその方面の豊富なる知識と経験とを有する方であります。また教育評論家等としても著名な方であります。そのつもりでどうぞ御意見の御聽取及び御質疑等をしていただきたいと思います。長滝武君。
  115. 長滝武

    ○長滝公述人 ただいま過分の御紹介をいただきました長滝武であります。宗教法人法案に対する賛否の問題について申し上げます。私は宗教法人法案の成立に賛成をするものであります。與えられました時間内におきまして、要点だけを申し述べて御参考に供したいと存じます。全文八十九條の中で、大観いたしまして、宗教法人令に比較いたして、特に私どもが主眼点として考えられますことをまず申し上げてみたいと思います。  本法案の対象は、もつぱら宗教団体の物的基盤である宗教財産の保全にあると考えます。宗教並びにその活動自体は、極力法の対象から避けてある。すなわち信教の自由の原則を十分に適用いたしておる点であります。  第二点は、政教分離の原則を尊重いたしておる点であります。この点につきましては、再審査、訴願、意見の聽取というような規定が設けられてあることであります。  第三には宗教法人も民法の第三十四條の特別なる公益法人として、公益的活動を要請されております。すなわち法人の規則の明確化こそ宗教団体自体の教義を明らかにするとともに、一般社会公共性との重大な関連を持つものであると存じます。しかるに現状の宗教法人の規則は、みずからの組織的活動の根本規定さえ不備でありまして、いわんや一般公共との関連において、はなはだ不明瞭、かつ法人活動について不安と危惧の念なきにしもあらずと考えるわけであります。よりまして宗教法人の規則の適正化こそ重大問題でありまして、本法はその点十分の配慮をいたし、改正の根本要点の一つであると考えるのであります。  次には宗教団体の宗風、伝統及び自主性の尊重について十分の考慮が払われておる点であります。  次には一般公共性からの配慮も、信教の自由の基盤のもとに十分配慮されている。この点を強調いたしてみたいと思います。  次に、宗教法人審議会を置いたことは、所轄庁の行き過ぎ防止に重大なる意義がありますので、その活動によつて宗教行政のよい意味における一大転換が期待さるる、こう考えるわけであります。  そこで私のさらに御参考に供したいことは、宗教団体法が昭和十四年の四月八日に公布されまして、翌年の四月一日から実施されました当時には神道はわずかに十三、仏教が二十八、キリスト教が二、合計四十三でありましたが、その後昭和二十四年の十二月三十一日までの間に、神道が百五十九、仏教は百五十六、キリス十教が三十三、その他五十八、合計四百六、約十倍に激増いたしておるわけであります。ところがさらに進んで昭和二十五年の一月一日から二、三日前までの統計を見まするならば、神道において三百六、仏教において三百七、キリスト教において四十三、その他において百四十、合計七百九十六という数字を示して、約二十倍の激増を見ておる次第であります。ところがこれをかりに団体的に見まするならば、神道においては十一万七千七百二団体に激増いたしております。仏教におきまして、八万一千六百四十団体キリスト教においては三千二十六団体、その他におきましては千五百六十六団体、合計二十万三千七百五十四団体に激増を見ておる次第であります。ところが先ほど若林議員のお言葉にありましたが、この信徒の関係をちよつと御参考に供してみたいと思いますが、先ほど、九千六百万という信徒を持つておる、人口より多いじやないかということでありましたか、これをこまかに考えてみますならば、神道におきましては五千六百七十三万六千八百三十人という信徒を持つておるということであります。なお仏教におきましては、三千五百九十五万六千八百六十八人という数字が文部省に届けられてあります。なおキリスト教においては三十七万八百十九人という数字が同じく届けられておる。その他において百九十四万五千百五十一人、合計九千六百一万六百八十五人という数字が文部省に届けてあることを考えますときに、いかにこの新興宗教の激増のはなはだしいかに驚嘆する一人であります。そこで私はこの数字を申し上げる次第ではなかつたのでありますが、現行法におきましては、ただ設立登記後に届出をする、こういうことでありましたが、新法におきましては、登記前に認証を受ける、すなわち宗教法人の濫出を防止する、すなわち自由の濫用を防止するという点に、いわゆる非常な飛躍的特徴を持つておると考えるのであります。そこで、賢明なる議員各位のことでありまするから、新興宗教内容について申し上げませんでも、私以上にお聞き及びのことと思いまするから、あえて申し上げませんけれども、私は今日この宗教法人がかくのごとく驚くべき数字を示し、いわゆる振興ぶりを見ましたときに、ほんとうに一世を指導する宗教家が一人でもあるならば、今日のごとく約三十万の少年の犯罪、あるいは犯罪を起すおそれある少年は、六十万はおろか、ほとんど三百万を突破せんとする状況にあります。なお小学生の賭博もしくは喫煙のごときを入れまするならば、ここに数百万を数える現状になつております。私は学校教育と相まつて、いわゆる宗教方面の教化、育成ということが、実に今日の世相において一日もゆるがせにするわけには行かぬ実情にあると思います。かく考えますときに、少々とも明治六年に宗教についての勅令が出まして、その後明治十年、十七年と二回改正になりましたが、その後先ほど安藤さんが申し上げたことでありますが、大正十四年の加藤内閣のとき、岡田良平文部大臣のときに、宗教法案が議会に提出されましたが、当時は水野錬太郎、花井卓藏の引延ばし戰術によつて、とうとうあの厖大な質疑をされまして、安藤正純さんは多分その当時参與官であつて、山崎達之輔さんは政務次官であつたと記憶しておりますが、その後ずつとそれに対する法令が出ませんで、昭和十四年四月八日に初めて三十七條の宗教団体法ができた。ところが昭和二十年十二月三十一日に、ポツダム覚書によりまして、宗教法人令と改正されて今日になつておりますが、今日のような現状にありまする以上、一日も早くこの宗教法人法案の成立することが最も望ましいのでありますが、この議会はもうすでに切迫いたしておりまして、今月中にこれが参議院を通過するにあらずんば、四月は休会になるので、五月の半ばになるのであります。そうするとこの一月半の空白の間に、非常な勢いをもつて新興宗教の、いわゆる届出が行われると思います。私はこの届出が悪いとは申しませんけれども、一口に俗語でいえば、いわゆる粗製濫造の新興宗教が続出するおそれありと申さなければならぬと思います。この意味におきまして、ひとつ今議会において、宗教法人令より非常な進歩を画しました宗教法人法案がすみやかに通過せらるるよう、議員各位において絶大の御努力あらんことを希望いたしまして、私の公述を終ることにいたします。
  116. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 長滝君に対する質疑はございませんか。——質疑はないようでありまするから、長滝君に関する分は、これをもつて終ります。  次は利害関係者の一人でございまする、宗教法人PL教団理事湯淺龍起君。
  117. 湯淺龍起

    ○湯淺公述人 PL教団の湯淺龍起であります。  私は本法案に賛成であります。ただ各條章の解釈と申しますか、法律の用語を存じませんが、その点について、なお明らかにしていただくことができればありがたいと思うところがありますので、それを私の意見として申し述べたいと思います。  この洪案は、宗教の善悪を決定するものではないというふうに伺つておりますので、その点は賛成でございますが、第十三條第一号に、「当該団体宗教団体であることを証する書類」ということになつておりますが、この点についてさらに第十四條の認証の段階におきまして、その第一号にやはり「当該団体宗教団体であること。」そうなつており、宗教団体定義は第二條に、「宗教の教義をひろめ、儀式行事を行い、及び信者を教化育成することを主たる目的とする左に掲げる団体」そうなつておりますが、この認証の段階におきまして、教義を広めるという点につきまして、この教義の適格性、あるいは教義があるかないか、成文化されておるかいないか、といつたようなことについて、あるいは実際に布教している教義の内容等について、調査されるのであるかどうか。第一條の目的にありますように、そこまではタッチしないのであろうと自己流に解釈しておりますが、教義宣布の実行の有無は、もちろん調査されることと思いますが、その内容にまで触れられるものであるかどうか。教義そのものの調査をされるのであるかどうか。その辺の解釈を、もし御審議の経過において明らかにしていただくことができれば、ありがたいと思うのであります。  教義の調査ということになりますと、これは非常にめんどうな問題になると思いますし、あるいは先ほどもどなたかの御発言にありましたように、教義のない宗教といいますか、ない宗教はないと存じますが、成文になつた教義のない、たとえば神社といつたようなものにつきましては、非常にむずかしい問題ができて来るのではないかと思います。従いましてその教義の調査に名をかりると申しますか、あるいは調査をすることによつて宗教の布教に何か干渉——と申しましては言葉が穏当ではございませんが、そういうよりつつ込んだ点が出て来るようなことになる事態が、地方等におきましては、解釈の相違によつて生ずるおそれなきにしもあらずと考えられるのであります。この点について、もし御審議の途中において、御解釈はつきりしていただくことができれば、まことにありがたいと存ずる次第であります。  その次は第八十一條だつたかと存じますが、裁判所が職権で、あるいは所轄庁、利害関係人もしくは検察官の請求によつて、解散を命ずることができるようになつております。これも第一條の本法の目的から申しまして、解散をすることの方に比重の多い法律でないことはもちろんわかつております。この法案の一貫した精神をもつて見ますと、よくわかるのでありますが、この利害関係人とございますのは、いかなる範囲、範疇を持つものであるか、私どもしろうとには明らかでないのであります。事宗教に関する限り、大きくいえば、国民の全体は利害関係人であると解釈することもできるのではないか。あるいは一教団と一教団とは互いに利害関係を生ずる場合があるかもわからない。どの点までの範囲でこの利害関係人というものを解釈すべきであるか、この御解釈を明らかにしていただくことができるならば、前項について述べたと同様の理由でありがたいと思うのであります。  それから審議会の構成のことでございますが、非常に重要な立場と申しますか、役割を持つておりますので、この構成メンバーにつきましてはあらゆる階層、ことに先ほどから新興宗教とかなんとかいう言葉が聞えて来るようでございますが、新しく興るべき宗教団体等の利益をも代表する層、あるいはこれに理解を有する方などをそのメンバーに選考していただく、これは法案とは直接関係がないかもしれませんが、お願いできるならば御配慮願いたい。  それから宗教の自由、政教の分離について周倒な留意を払つていただいておりますことについて感謝しておる次第であります。私どもしろうとでございまして、法律言葉意味がよくわかりませんままに、以上の点につきましての危惧を明らかにしていただくことができるならば、まことにありがたいということを申し上げまして、賛成の公述を終ります。
  118. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ただいまの発言中、教義の調査云々ということはきわめて重要な問題でありますから、この点のみに関して政府委員より簡潔に答弁いたさせます。
  119. 篠原義雄

    ○篠原政府委員 ただいま御質問の、教義を調査する、あるいは干渉にわたるというようなことは絶対にないということを、この法案において保障しておる次第であります。
  120. 若林義孝

    若林委員 ただいま湯淺公述人からいろいろ御希望的の意見があつたのでありますが、われわれ委員といたしましては、その意を体しまして——議事録を後刻ごらん願いますならば、当局の明快なる答弁を求めておりますから、御安心を願いたいと思うのであります。  一点だけ伺つておきたいことは、先ほど天理教の白鳥公述人から、念を押して承りましたと同じように、あなたは新興宗教立場にあられる方でありますが、この法案がいかにも新興宗教を彈圧するものであるごとく新聞で伝えられましたが、特に新興宗教側の方として、この法案からそういう感じをお受けになつたかどうか、またそういう目的のために、危惧をする字句はどういうところであるか、もしあればそこを伺つておきたいと思います。
  121. 湯淺龍起

    ○湯淺公述人 この全條を通じまして、拜見いたしましたところでは、そういうふうには感じられないのでございます。ことに第一條にはつきりしてございますので感じられないのでございますが、先ほど希望を申し述べました点につきまして、もし立案の御精神をくまない向きが起きました場合に、あるいはそこからいろいろな難点と申しますか、疑点が生じて来ることによつて、取締りではないけれども、いろいろ内政と申しますか、宗教の布教そのものにまでタツチして来る点が起るのではないかということを——これは私ども前にひとのみち教団と申しまして彈圧された経験がありまして、その辺非常に神経過敏になつているのだろうと思いますが、まあ杞憂するわけであります。ほかに何も申し上げることはないつもりでございます。第一條においてはつきりしておりますので、その精神をもつて解釈されれば申分ないわけでありますが、ただ先ほどから申し上げました、たとえば利害関係人ということで、だれでもあの宗教は気に入らないから解散してくれという請求権があるということになりますと、これは非常に問題で、そういうことになりますと、かえつて信仰の世界に大きな混乱を生ずるのではないか。これは何も私ども宗教団体のことだけを申し上げたわけではございません。一国民といたしまして、宗教の世界が混乱に陷ることは悲しむべきだと思います。  以上杞憂的な言葉を述べたにすぎないのであります。
  122. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 湯淺君に関する質問はこれにて終りました。  最後学識経験者として岩本英夫博士であります。博士は東大教授で、長らく宗教講座を担当し、外国にも数回そういう関係でおもむかれ、著書も多数ある方であります。岸本英夫君。
  123. 岸本英夫

    ○岸本公述人 私が申し上げようと思いますことは全般的のことなのでありまして、すでに今までの公述でも出ているように思いますが、一番おしまいでもありますので、あるいは重複するかと思いますが、かまわずに申し上げてみたいと思います。そしていろいろ申し述べる点がありますが、結論といたしましては私はこの法案に賛成であります。申し述べてみたいと思います点は、一つ信教自由、政教分離という問題との関連についてこれを考えてみたいのでありまして、もう一つ日本宗教事情の特殊性との関連においてちよつと考えてみたいと思つております。  第一の信教自由、政教分離の問題につきましては、国家という立場から宗教をどう取扱うかという問題を今日考えてみますと、これは当然ポツダム宣言、新憲法の精神による信教の自由、政教分離ということになるわけでありまして、これを砕いて申しますと、宗教信仰というものはぎりぎりのところが個人めいめいの自由である、国家の決定すべきものではないということであると思うのであります。従つて個人の信仰の内容というものは、それが何か他の社会的な弊害を伴つて来ない限りにおいては、国家は権力をもつてそれを干渉しないというのが、今日の国家宗教に対する立場であると思います。これは言葉をかえて申しますと、宗教に対する無干渉ということになると思うのであります。しかしその無干渉が行き過ぎますと、これは国家宗教に対して無関心になる、冷淡になる、無規するということにまで行きかねない。終戰後も無干渉ということと、その冷淡、無視ということがあるいは間違つて混同されていたのではないかという点も感じるのであります。ことに日本のような、何といいましても、国家が持つ力の大きい国ではその点が大事なのでありまして、その点に留意しないで無干渉の方ばかり強調しますと、精神的理想のない、無宗教的な国家をつくる憂いがあるように思うのであります。これは憲法におきます、あるいはポツダム宣言におきます信教の自由、政教分離の精神では断じてないのでありまして、わざわざ宗教の問題を取上げていつておりますのは、宗教を重んずればこそ、そういうふうにいつているのだと私は解すべきものだと思うのであります。そういうように、一方には干渉しない立場国家がとりながら、しかも宗教の意義は認めてこれを育成して行くという、この二つの相反した要請の間を行くきわめて困難な立場に立つているのが、この宗教法人法であると私は見るのであります。その立場から見てみますと、まずこの辺におちつくのではなかろうか、いろいろ問題はあるとしても、この辺におちつくのではなかろうかというように私は感じるわけであります。つまりその点を申しますと、法の対象が宗教自体ではなくて宗教団体、つまり形に現われた部分だけに限られておるということ、それから届出に対する認証——今までの公述者のうちの御意見では、認証制と許可制と誤解しておる方がおありでないかと思いましたが、許可制ではないのだということをはつきりしておかなければいけないのだと思います。どこまでも認証制、よほど軽い意味であると思います。そして国家が直接に認証しない場合は、宗教法人審議会に行くわけでありますが、審議会の権限も十分に制約してありますから、制約してありながら、しかも国家とは別の一般の社会から得られました宗教法人審議会をつくるという点にも、よほど苦心があるように私は見るのであります。もちろん突き詰めて参りますと、先ほどからも御質問がありましたように、この宗教団体規定の根本になるべきものとしては、宗教規定の問題に入つて来ると思いますが、宗教をどう規定するかということはこれは容易でない問題で、われわれ宗教という現象を研究しております研究者の間でも、容易に一致しない点でありますが、しかし大体の目安をつけることはおそらく必要になるだろうと思います。しかしながら、どこまでも形の点だけを制約して、形の点だけを問題にして取上げて、信教の自由には触れないとするこの宗教法人法の建前からするならば、おそらく行き方としては、宗教をどう規定するかということは法の表面には表わさずにおく、宗教団体だけを規定しておくという、この辺でむしろいいのではないか。宗教法人審議会ができましたならば、おそらくそこで十分に議論をして、そうしてある意味での内規と申しますか、審議会における了解としての最低線をつくつておく必要が起るのであろうと思います。ぞれはかえつてこの法人法の表面には出さない方が、信教の自由、政教の分離という線に沿うのではないかという感を私は持つのであります。  二番目には、日本宗教事情の特殊性との関連について、私の感じを申し上げてみたいのであります。御承知のように、日本宗教の現状と申しますのは、これは同じ文明国でもキリスト教一色に塗られておる欧来と違いまして、非常に違つた性格のものであります。性質の違つた仏教キリスト教神道、さまざまな宗教が一緒に肩を並べておりますので、そこにいろいろ日本だけの問題も起つております。その点を頭に置きながらこの法案を見てみまして、ちよつと私問題になるかと思いましたのは、これは先ほどもちよつと問題に出ておりましたが、神社神道との関係なのであります。神社神道のうちのどういう点が問題になつて来るかと申しますと、私の感じでは、御承知のように神社神道というものは、仏教キリスト教あるいは教派神道と性格的に非常に違う点があるのであります。それは、それら仏教キリスト教等はある教相がありまして、人の心を出発点として、心から心へ広まつて行つた宗教でありますから、人間だけがあれば成立する宗教であります。もちろん付属物も教団が発達するに従つて必要になつて来るのでありますが、絶対不可欠の要素ではない。ところが神社神道は自然発生の宗教でありまして、今日の神社神道のあり方を見ておりますと、やはり中心になりますのは神々の存在する場所である。まず場所があつて、その場所が先行して、そのまわりに信者、崇敬者が集まつて来るという形をとつておるように思うのであります。そういうふうに違つた性質のものであるということを頭に置きましてこの法案を読んでみますと、法案の一番初めにあります宗教団体が、礼拜の施設その他の財産を所有するという、物の言い方をしている点が気になるのであります。何かさつき神体山の例が出ておりましたが、宗教団体が先にあつて、神体山を所有しておるという感じとは少し違うようなあり方を神社神道はしておるように思うのであります。従つてこれを取上げれば問題になる点だと思います。思いますが、もう一度この法案を読み返しましてこの宗教法人法が今形に現われたところだけに特権を與える、あるいは制約して行こうというその法のねらいの点についてこれを考えてみますと、その限りではこの文句で一つもさしつかえないように思うのでありまして、のみならずそれを取上げて二つの異なつた性格の宗教を、どういうように今後取扱つて行くかということになると、非常にむずかしい問題になると思いますから、まず今日のところ、これもこれでいいのではないか、私はそういうように思う次第であります。  それからもう一つ日本宗教事情の特殊性との関連において、これも先ほどから出ておりました新興宗教の濫立の問題でありますが、すぐれたいい新興宗教も非常にたくさんあるのでありますが、怪しげな、あるいはなくもがなの社会に害毒を流すかと思われるものも少くないのでありまして、これは日本の社会にとつては今日非常に大きな問題であると思います。がしかし、それはこの宗教法人法の與えられた課題ではないのだと考えております。宗教法人法としては、宗教団体と認め得るものであれば、それはすべて法の範囲で処理して行く、取扱つて行く、もしもそうした特殊な宗教団体に害悪があれば、日本国家が持つておりますほかの法律が発動して、それを制限して行くことになるものでありまして、宗教法人法としてはそれに対して、プラスでもマイナスでもない中立の立場にあるのが、この宗教法人法のあり方であるのだろうと私は思うのであります。と申しますことは、言葉をかえて申しますと、国家宗教政策という観点から見ますならば、この宗教法人法はごく一部分にすぎないということであります。洗練された宗教的理想を国民の心に点ずるという仕事は、この宗教法人法とはまつたく別に、大事な問題としてそつくりそのままに残されているというふうに考えるべきであろうと思いまして、その問題はそうした別の意味において十分にお考え願いたいと思うの幹あります。  それらが私の感じでありまして、まあそれになおつけ加えて申しますならば、先ほどカトリツクの公述人の方から、もう少しカトリツクの用語がほしいというお話がありましたが、私の感じは実は逆なのでありまして、たとえばここの第二條、宗教団体定義に一と二とありまして、その一に、「礼拜の施設を備える神社寺院教会、修道院その他これらに類する団体」とありますが、私はこれはやや異様に感じるのであります。カトリツクはもちろんりつぱな宗教だと思つておるのでありますが、日本におけるカトリックの大きさから考えて、わざわざここに修道院をあげなくても、その他これらに類する団体でもよかつたのではないか。その次の場合にも、「修道会、司教区」という言葉が出ておりますが、これもわざわざあげなくてもよかつたのじやないかと思います。あげなくてもよかつたというその意味は、決してこれは宗教団体ではないというのではないのでありまして、その他これらに類する団体というところに入つてもいいくらいの、つり合いの問題でありますから、これはかれこれ言う必要はないかと思つております。  こういうような理由で、いろいろ問題はあるとは思いますが、今日の現状に照した場合に、この宗教法人法が発布されることは、非常にいいことではないかと思う次第であります。
  124. 笹森順造

    ○笹森委員 岸本博士に対してはいろいろお尋ねしたいことがあるのでありますが、五時を過ぎておりますが、委員長は時間はどうお取扱いになりますか、それをお聞きした上で発言いたしたいと思います。
  125. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 国会法等においては、別に五時を過ぎてもさしつかえないそうでございますから、大体そう長くない程度でひとつ……。
  126. 笹森順造

    ○笹森委員 お断り申し上げたいと思うのですが、途中出たり入つたりして、あるいは前にお示しくだされ、あるいは公述された方のお答えがあつたことと重複することがあつては相済まないと思いますけれども、その点をお断りしてお尋ねしたいと思います。  ただいまの大体賛成であるという結論からお話しくださいましたことは、私ども大体同意であります。しかしなお公述されましたお言葉の中に、いろいろと言外にこの法律がまだ十分ではないという点も、何かお気づきになつている点があろうかとも、私どもは以心伝心——間違つておるかもわかりませんが、そう感じたので、できるだけこの法律を完璧に近いものにしたいという念願からいろいろお尋ねしたいと思います。  最初に国家宗教には干渉すべからず、不干渉主義である、こういうお話でございますので、これも私ども当然だと思います。いかに国家が人に内在する信仰に干渉しても、彈圧しても、その人の信仰であるならば、その世界には国家の権力は及ぶものではない。からだを縛ろうが、あるいは死刑に処そうが、これは一向その人の信仰には関係のないものである、私どもはこう思つております。従いまして、従来彈圧を受け、迫害を受けて苦難の歴史を経た宗教に私どもは大をなしておるものを見るのでありますから、ある意味において国家がこれを保護し過ぎるというようなことは、新興宗教その他の将来を考える場合に、試練、よい研磨の機会を失わしめるものじやないかということも考えられますが、しかしそれはすでに野蛮時代の社会現象でありましようから、今日はむしろこれを奬励する、文明の国においては、いかなる宗教でも、宗教であるならばこれを奨励するということであろうと思います。そこで先ほどから宗教は奨励しなければならない。特に国家が無宗教区をつくつてはならない、社会現象としてその民族の中に、国民の中に当然起つて来るりつぱな宗教本能をつちかうということで御賛成の御発言もあつたようでありますが、私はそのときにいかなるものが奨励さるべきものであるかという点を、もう少しはつきりしておかなくちやならないと思つたのであります。なぜならば、宗教に大事なことは、人間以外のものに対する信仰以外に、人間と人間との関係がある。つまり宗教の倫理性を私どもは非常に強調したいのであります。宗教には信仰の面と、たとえば神という言葉が当らなければ、仏でも、あるいは大慈悲でもよろしいのでございますが、そのものと人間との関係を通して、人間と人間との正しい関係が出て来るのでなければ、特に文明国の日本がこれから法律をもつて保護しようという宗教の上に、いろいろおもしろからざる結果を来すのではなかろうか。この意味において、後に御発言のありましたように、この宗教規定することについては、この法律のうち外であるというお話でございまするけれども、少くともこの面において、この法律がそういう一つの態度を明らかにすることが必要ではなかろうか。私ども宗教の大小であるとか、あるいは新旧であるとかいうことを問わないにしても、宗教の倫理性に対することがここに少しも表われた感じがしない。この宗教の倫理性に対しては、この法案では当然考えなきやならぬ点だと思うのでありますが、どういう御観察をこの法案に対してお持ちになつておりまするか、お尋ねしたいと思います。
  127. 岸本英夫

    ○岸本公述人 ただいまの御質問の倫理性の高い宗教を持つべきである、持ちたいという御意見に対しては、まつたく同感なのであります。しかしはつきり限定してお話になりましたように、この法案に関してどう考えるかという御質問であるとするならば、私の感じでは、むしろこの法案自体は、それに対してニユートラルに置いておいた方がいいのではないかという感じを持つておるのであります。と申しますのは、倫理性の高い宗教、洗練された宗教が必要だということはつくづく感じるのでありますが、これは笹森さんもお話になりましたように、国家の保護だけ上から與えても與えられない。わき上つて来るものでないとほんとうのものにならないように私は思うのであります。従つてそうしたものが出て来るような苗床は、どこまでもつくつて行くけれども、しかしこちらから無理にひつぱり出さないという態度が、国家としては非常に必要じやないかというように考えますし、またそういうように規定しておくことの方が——国家宗教をそういう意味でひつぱり上げるということは、いい場合には非常にいいのでありますが、一歩ひつくり返して行きますと、戰争中に起りましたような宗教に対する干渉というような意味にも、裏返せばなるのでありますから、そういう意味でも、私自身の感じでは、この法案に関する限りはニユートラルの方がいいのではないか、こう思つております。
  128. 笹森順造

    ○笹森委員 大体そのお答えで私は同意もし、またわかるのでありますが、この法律取扱い範囲内でという一つのあれがありますので、私は一番先にこの法案を出すのが適当なりや不適当なりやの根本問題も実は持つておるのでありますが、せつかくこの法案が出たのでありますから、そのつもりでごく従順にお尋ねしたいと思います。  そこでもう一歩展開して御意見を聽取いたしたいと思いますのは、審議会に相当重きを置いて、この宗教規定に関しては目安を置いて、大体審議会においては現象としてこの過程を見て、その上でこの宗教を許すべきか許すべからざるかということの判断になるように最低線をそこできめたらいいじやないか、こういうこと、これがすなわちこの法案の非常に不備な点でなかろうかと私は実は憂えのであります。今のお言葉を返しては、はなはだ議論がましいのでありますが、そこに非常に危險性を持つのではなかろうか。むしろこの法案はつきりと最低線を示した方がいいのじやないか。そうすることによつて審議会自体もこれが認証を與うべきか、與うべからざるかというその最低線の基準まで審議会がつくるという権能を持ち、あるいは操作することが、この法の建前としていいかどうか、私はこの法案取扱い方でそこに大きな欠陷を感じておりますので、しかもその審議会自体の意見がいろいろ変遷して参りますときに、ただいまお述べになりましたような逆の結果を来すという憂いが、この法の建前自体に潜在していはしないか、この点をお尋ねしたいと思います。
  129. 岸本英夫

    ○岸本公述人 その問題は私のお説の通りあると思うのであります。あると思うのでありますが、第一の問題としましては、根本にこれは宗教法人としての性格を與えてやることが、特権を與えて保護するという意味を含んでおりますので、従つて違う方面から制約がやつて来るということは、これはやむを得ないということが一つあると思います。それからそれにつきまして制約する最低限として宗教というものはこういうものだということを置くことができれば、みんなが納得するものができれば非常にいいと思うのでありますが、おそらくそれは不可能じやないか。大体常識としてみなわかつておるのだと思いますけれども、しかしそれをはつきり法文の形にして置くということになりますと、おそらくこれは容易でないのではないか。われわれの学問の世界でも、宗教とは何ぞやという問題が、定義だけでも百以上あります。実にむずかしい問題であります。従つてその危險があるということは私認めるのでありますけれども、認めながらやはりこれ以上進めないのが現状ではないか。そうして進めないから、それならばこういう法案はなしにしたらいいじやないかという議論になるかと思いますが、そうすると宗教団体に保護も——法人というような性格的な保護も與えることができないということになりますので、結局突き詰めて行くと、まずこの辺におちつくのではないかというのが私の感じなのであります。
  130. 笹森順造

    ○笹森委員 そこでもう一歩具体的にその点を指摘して御意見を伺いたいと思いますが、この認証を受けようとして申請をします場合には、そのものが社会現象として存在する必要があるかと思います。それがとつさの場合に、あるいは社会現象として一般の人方がまだ認識がない場合でも、この宗教法人法のあるものを備えている、そこでそれが與えられるような危險もありはしないか。もつと具体的に申しますれば、新興宗教の場合に、ここに宗教活動としてすでにある期間——たとえば一年とか二年とか三年とかというものに、今日ある新興宗教が出て、あすそういう届出をするということであるならば、かりにこれが一切の他のものを具足しておつても、社会現象としての存在をわれわれはいろいろと疑わなければならぬ点も出て来る。従いまして、最低限度の規定として、社会現象として存在する年限ぐらいは、少くともここにはつきりしておく必要がありはしないか。社会現象としての存在期間に対するこの法案取扱い方についての御意見を伺いたいと思います。
  131. 岸本英夫

    ○岸本公述人 なるほどこれはまつたく私気づきませんでしたけれども、ある宗教団体ができ上つたとしまして、それが社会的に公に発足して、一年なら一年した後で決人としての申請を許すとすれば、審議会でもその実績を見ることができるわけであります。して見ますと、私もおつしやる通りにそうした方がいいように思うのでありますが、これ以上はおそらく政府委員の問題になるだろうと思います。
  132. 笹森順造

    ○笹森委員 その点は、また私どもの職掌として論議いたしますが、その次にお尋ねしたいことは、もしも害悪を社会に及ぼすような、社会福祉に反するようなことがあつたならば、この宗教法人法以外の法律でこれを規制したらよろしいじやないかということをおつしやいますことは、私どもこの法の建前であることは承知をしております。ここにまた大きな危惧を私どもは実は感じておる。そういうものであることが、何らこの法の建前としては規制してない。そうして存在を許して国家がそれに対して財産その他の保護を與えて、あとになつてから、そういうことが出る。つまり私どもはころばぬ先のつえということを考えます関係上、先ほどから根本問題には触れないのだ。しかし後に社会福祉に反し、あるいは倫理、道徳に反するようなことがあつた場合には、またこれをやめさせることがあるのだということは、何だか逃げるような気もして、最初からそれを予防するというようなことの心づかいがどうも足らないような気がする。決して新興宗教に対して反感または誤解、あるいはまた偏見をもつて押えるということではなしに、もう少しそういう憂いがないようなことをすべきではないか。最初からそういう間違いをしたならば、別のところでやるのだということを脅迫しなければならないような危惧を、もしもこの法律自体が持つておるとするならば、そこに最初からの心づかいとして他の面において予防する点が足らぬのじやないか。この法の性格として、そういうことであつたのでは、少し考え方が不十分ではないかという感じがいたしますが、その点お尋ねいたします。
  133. 岸本英夫

    ○岸本公述人 その問題は、私のこの法案に対する感じといたしましては、ひとり新興宗教だけではなくして、すでにりつぱに伝統を持つております宗教教団でも、もしもそれがほかの法律に触れることになれば、これはそれに従つて解散を命ぜられるということにもなるのだと思うのでありまして、ひとり新興宗教には限らないと思うのであります。そうして新しく発生して来ます宗教の場合には、なるほどお話のようなふるいにかけられる、そういうものができると非常にいいと私も思うのでありますが、そのふるいにかける目安をつくるということは、私の感じでは、どうしても既成の概念でもつて新興宗教を圧迫するということと裏表になつてしまう。従つてこれはお話のように非常にはがゆい点なんですけれども、やむを得ずここへとどまつておるのが、ほんとうのニュートラルであるゆえんではないかと私は思います。
  134. 笹森順造

    ○笹森委員 最後に一点だけお尋ねいたします。中央審議会ができます際には、相当妥当な判断ができる期待が置かれると思います。ただそれが地方において地方長官がこれを取扱うという場合に、非常に危惧の念が持たれるのであります。先ほど来地方審議会を置いたらいいじやないかという説と、すべての宗教法人として認証を與えるのは、これは一切文部省が取扱つた方がいいじやないかといういろいろな意見があるようであります。利害得失はいろいろありますけれども、全部の届出を文部大臣最後認証する。そうして中央審議会にかけるということの方がよいのではないかという考え方を持つておる人が相当多いのでありますが、この点に対しまするお考えを承りたいと思います。
  135. 岸本英夫

    ○岸本公述人 この点は笹森さんはそういう誤解をお持ちでないと私は思いますが、そういう意見を言われる相当数の人は、意味を誤解しておられる場合があるように思うのであります。と申しますのは、これは私どもの誤解であつたらたいへんでありますが、中央審議会へ来るのは、地方知事認証しなかつた場合のものが主としてやつて来る。もちろん二つ以上の県にまたがるものはやつて来るに違いありませんが、地方知事がいやと言つたものは、そこでいやということになるのではなくて、必ず中央審議会へやつて来る。そしてだれが見てもこれはりつぱな宗教教団であるというものは、地方で通つてしまう。そういう形になりますから、この機構はなかなかよくできている。結局問題になるのが中央に来る、わかり切つたものが地方でふるにはかけられるというように私は了解しておりますが、その意味でこの行き方でいいのではないかと私は考えております。
  136. 笹森順造

    ○笹森委員 ただいまの問題は運営上の問題になりますので、私は他の機会に讓りたいと思います。いろいろありがとうございました。私の質問はこれで終ります。
  137. 若林義孝

    若林委員 この法案に対して根本的に非常に明快なる御公述をいただきまして、深甚なる敬意を表する次第であります。全部ではないのでありますが、一部に、また笹森委員のお言葉の中にも出ておつたのでありますが、そうあわててつくらなくてもいいではないか、占領治下においてきゆうくつなときにやる必要はないではないか、講和條約でも済んでからゆつくりやつたらいいじやないかという論をなす者があるわけでありますが、あなたのお考えとして早急にやつた方が、先ほど言われましたように、国家が無関心である、宗教無視の態度に出ることのないように、また宗教尊重という機運もその間になければならぬというお心持から、これを愼重審議して二期、三期と、国会を遅らしてでも慎重審議すべきか、大体ここに足かけ四年ぐらいになると思いますが、まる二年間くらい各権威者が寄られてつくられたのであるから、この案を早急に通すべきであるか、その点についてお考えをひとつ承りたいと思います
  138. 岸本英夫

    ○岸本公述人 これも私よく存じないのでありますが、私の知つている範囲で、今こうした法案に関するあり方といたしましては、宗教団体法がくずれまして、終戰後大急ぎにつくつた宗教法人令が残つております。少くとも現在あの宗教法人令で持つて行くよりは、この宗教法人法にかえた方がいいということは、私は言えると思うのであります。もしこれを延ばすとすれば、宗教法人令をどうするか、宗教法人令をやめてしまつて、この宗教法人法を、二、三年先に見送るかということになるかと思うのであります。そうするとこれは法人がくずれるわけでありますから、清算の問題とか、いろいろたいへんなことになります。どうしてもただいままでのものをどう置きかえるかというところに、われわれが立つておるのでありまして、抽象的にこの法案だけを今発布しようか、やめようかという問題には立つていないと思うのであります。そういう意味から考えて参りますと、これは相当苦心をいたしておるように読んで見受けられますから、これが早急にできた方が「宗教法人令にかわるという意味においてだけでも、非常にいいのではないかと思う次第であります。
  139. 若林義孝

    若林委員 終りました。
  140. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 これにて公述人意見開陳及び委員公述人に対する質疑は全部終了いたしました。  散会にあたり委員長よりごあいさつ申し上げます。本日は貴重なる御意見の御開陳を願い、当委員会法案審査の上に多大なる資料を賜わりました。その御意見を参考といたし、法案審査に遺憾なからしむる所存であります。御多忙のところありがとうございました。厚く御札を申し上げます。  本日はこれにて散会いたします。次会は明二十日午前十時より開会いたします。     午後五時二十六分散会