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1951-03-30 第10回国会 衆議院 文部委員会 第21号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年三月三十日(金曜日)     午前十一時三十九分開議  出席委員    委員長 長野 長廣君    理事 岡延右エ門君 理事 佐藤 重遠君    理事 若林 義孝君 理事 小林 信一君    理事 松本 七郎君    柏原 義則君       甲木  保君    坂田 道太君       高木  章君    東井三代次君       圓谷 光衞君    井出一太郎君       笹森 順造君    坂本 泰良君       渡部 義通君    小林  進君       浦口 鉄男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 天野 貞祐君  出席政府委員         文部政務次官  水谷  昇君         文部事務官         (大臣官房人事         課長)     岡田 孝平君         文部事務官         (大臣官房会計         課長事務代理) 相良 惟一君         文部事務官         (大学学術局         長)      稻田 清助君         文部事務官         (大学学術局教         職員養成課長) 玖村 敏雄君         文部事務官         (調査普及局         長)      關口 隆克君  委員外出席者         参議院文部委員         長       堀越 儀郎君         参議院議員   荒木正三郎君         日本学術会議会         員       上原 專緑君         日本学術会議会         員       尾高 朝雄君        專  門  員 横田重左衞門君         專  門  員 石井つとむ君     ————————————— 三月三十日  教育職員免許法の一部を改正する法律案内閣  提出第一〇七号)(参議院送付)  教育職員免許法施行法の一部を改正する法律案  (内閣提出第一〇八号)(参議院送付)  文化功労者年金法案内閣提出第九九号)(参  院送付) の審査を本委員会に付託された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  教育職員免許法の一部を改正する法律案内閣  提出第一〇七号)(参議院送付)  教育職員免許法施行法の一部を改正する法律案  (内閣提出第一〇八号)(参議院送付)  教育公務員特例法の一部を改正する法律案(内  閣提出第二一号)(参議院送付)  文化功労者年金法案内閣提出第九九号)(参  議院送付)     —————————————
  2. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 これより会議を開きます。  昨日の委員会におきまして協議決定いたしました戸籍法改正に関する件について法務委員会連合審査申入れの件でありますが、その後協議の結果、すでに戸籍法は本日の本会議議事日程に加えられておりますので、連合審査会は、すでにその時期を失したのであります。御了承願います。右御報告いたしておきます。     —————————————
  3. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 教育公務員特例法の一部を改正する法律案を議題といたします。  ちよつと速記をとめてください。     〔速記中止
  4. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 速記を始めて。
  5. 上原專緑

    上原説明員 教育公務員特例法改正の件につきましては、学術会議学問思想自由保障委員会の方で、非常な関心を持つておりますばかりでなく、学術会議といたしましても、関心を持つておるのでございます。ただ教育公務員特例法改正全体についてというよりは、特に問題となりますのは、第五条の三項から五項に関する改正に関連しまして、第六条と第九条が関心対象になるわけでございます。  意見を申し上げます前に、私ども現行法から受ける印象を率直に申し上げますと、およそ四つないし五つばかり注意される点がございます。第一は、第五条は、大学管理機関を中心とした大学自治が強調せられておるという点でございます。それから第二の点は、第五条の規定が、学長教員部局長の全体が対象になつておるということでございます。つまり教員の中には教授とか助教授とか講師はもとより含まれまするし、部局長の中には、学部長であるとか、あるいは大学附設研究所長というようなものも入るのではないかと思います。学長から学部長教授助教授講師というような、大学のおもだつた職員の全体が包含されておるということが、特に注意せられるのでございます。それから第三には、この第一の大学自治の強調と関連いたしまして、第二に対象になつております学長教員部局長というような人たち身分保障と申しますか、あるいは保護といいますか、それが相当強く現われておるというふうに感ぜられるのでございます。この第三の点に関連いたしまして、現行法が制定せられましたときには、学問の自由というものを保障する御意向があつたかどうかわかりませんが、いい意味におきましては、第三の点に関連いたしまして学問の自由をそういう形で保障するという作用を演ずるであろうと考えるのであります。第四の点は、大学自治あり方として大学のいわゆる民主的運営という考え方が、相当濃厚に出ておるように考えられるのであります。それにもかかわらず、第五に、特にこの改正対象になつております第三項から第五項を見ますると、公開審理であるとか、そのほか弁護人の選定であるとか参考資料提出であるとか、いろいろな規定がございますが、その規定が実は非常に包括的といいますか、一般的である。これは実施の上でなかなか技術上の困難があるかもしれないという印象も受けるのでございます。ただいま申し上げましたのは、私ども現行法を見たときに率直に受ける感じ、あるいはそういうぐあいに理解せられるように考える点でございます。  そこでそれだけの観察を前提にいたしました、現在問題になつております改正というものを見ますると、いろいろの点において、百八十度的な転換を目ざしたような印象を受ける。大学自治というこの精神は、やはりかわらないでございましようが、大学自治内部において、学長なり教員なり部局長なりの身分保障という点については、何といつても非常に弱まるのではないだろうか。これは議論としては、大学自治建前であつて学長なり教員なり部局長身分保障ということは、副次的なものだと考えられるかもしれませんが、単に大学自治だけが問題ではなくて、大学自治の具体的なあり方というものが問題になる場合に、現行法改正案を比較いたしますると、少くともそれらの教職員身分保障の点が、著しく弱められるだろうという印象を強く受けるのであります。そういうことになつて参りますると、特に学術会議学問思想自由保障委員会立場といたしましては、そういう人たち身分保障が弱められるばかりでなく、ひいては学問の自由というふうなものも、阻害されるおそれがあるのではなかろうか。学問の自由というものは、これは非常に抽象的なようでございますが、特に日本の社会のように遅れた国々、これを進ませて行くためには、あらゆる問題を取扱い、あらゆる方法学問が自由になされなければならない。単に研究者身分保障せられるという問題を越えて、どのような方法で、どのような対象で、どういう仕方で研究するということも自由であるということが、社会的に保障せられているという関係が、望ましいのではないかと思うのでございますが、それに影響を持つて来るように思う。そこでいろいろ考えるのでございますが、私どもといたしましては、どういう理由現行法改正が行われるようになりましたかは存じませんし、先ほど第五に申しましたように、学長なりあるいは教員なり部局長、それらがいわば処分対象にせられた場合の公開審理であるとか、そのほかの手続、これは非常にめんどうなことで、いわゆる大学運営能率も害しましようし、それから、特にそのために大学教授本来の重要な職分である学問研究の時間がさかれるという欠点はあるかと思うのでありますが、それにもかかわらず、この学問の自由というものに深い関連を持つておりますこの現行法改正せられますと、これは研究機関としての大学に、相当大きい影響を与えることになるのではなかろうか。先ほど申しましたように、現行法には非常に高遠な理想が盛り込まれておるが、高遠な理想でもつて運営せられた結果が、運営上技術上の困難を惹起した、そのためにこれを改正するということが改正の御趣旨であるとすれば、技術上の難点があるがために、最初掲げられた高遠な精神というふうなものが、そこで消えてしまうことになるのではないか、これは相当ゆゆしい問題であると考えるのでございます。私どもといたしましては、最初高遠な理想を掲げてこの現行法が制定せられ、それによつて大学教職員というようなものが、将来大学においてあるべきあり方というふうなものの自覚を深めまして、それに従つて行動をして来た。それが若干の大学において、大学運営上技術上の能率を阻害するような結果を生じたということを理由として、百八十度的転換がなされるとすると、これは大学教職員の志気にも影響するようなことになるのではなかろうか、こういうふうに考えるのでございます。私どもといたしましては、先ほど言いましたように、現行法完全無欠であるとも考えません。しかしながら、そこに盛り込まれた理想の高さというものは、十分に尊重しなければならぬのではないか。この理想の高さは、改正をせられる場合にも、決して殺されてはならないものではないか。改正案として私どもが承知いたしておりますところによりますと、それがどうも消される懸念が濃厚である、こういうふうに感ずるのであります。今申し上げました高遠な理想と、現実運営上難点の問題に関連するわけであります。ただいま問題になつております。東京大学神戸大学事例、これは尾高さんもおられますので、あと東大の方の御事情も言われるのではないかと思いますが、現在問題になつております一、二のケースに注意を集中するのあまり、現行法全体がねらつた高い理想というものが失われるようなことがあつてはいけないのではないか、現行法運営上支障を除く方法はほかにあり得るだろう、こういうふうに考えます。ことに現在問題になつておるのは、教授方のようでありますが、これはやはり学長もその中に含まれる、部局長も含まれておる、教授助教授講師を含めた教授全体がその対象になつておる。結局現在起つております一、二の事例も、それのために起る大学運営上難点、こういうことがたとえございましても、その難点に何か適当な方法で除去せられるとして、この現行法が制定せられたときの高い精神というものは、何とかして生かして行くべきものではないか、このように考えるのでございます。まだいろいろ申し上げたいこともございますが、一応とりまとめたかつこうで申し上げまして、なお御懇談の節に、ほかの点を譲りたいと思います。
  6. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 それでは次に尾高さんにお願いいたします。
  7. 尾高朝雄

    尾高説明員 私も日本学術会議学問思想自由保障委員会委員をいたしておりますが、ほかに学術会議の中にある重要な三つほどの委員会責任を負つております関係から、はなはだ怠慢で、今までせつかく上原委員長が熱心に委員会を招集なさいましても、とかく欠席がちであつたのでございます。ただ先ほどの上原委員長のお話にありましたように、本日のは日本学術会議のまとまつた意見でもなく、また学問思想自由保障委員会のまとまつた意見というほどにまで熟さない個人的な意見を申し上げる段階である、かように心得ますので、私一個の意見を申し述べてみたいと思うのであります。たまたま私自身東京大学評議員をしております関係上、昨年の四月以来、東大内部で起つております公開審理に、ずつと関与しております。そうした経験から来たところの見解をも含めて、申し述べさせていただきたいと思うのであります。  学問の自由を保障するという大きな精神、これは憲法第二十三条の規定するところでございまして、あくまでも貫かれなければならないことは、申すまでもないと考えるのであります。しかしながら、私は学問の自由ということは、同時に大きな責任を伴うものであると考えるのでありまして、責任の裏づけのない自由というものは、民主主義の世の中には存在しないと考えるのであります。従つて学問の名において、何をなしてもそれを保障するというのが、憲法第二十三条の精神であるとは私は考えないのでございます。そこで実際問題として、教育の職にある者が、学問の名においてなした行動が問題になる場合は、十分にあり得ると考えるのであります。その場合、しかしながら、それがどういう責任であるか、その責任に対してどういう措置がとらるべきであるかということを、大学なら大学自体の自主的な決定によつて実施して行くというのが、ほんとうの意味でのアカデミツク・フリーダムと思われるのでありまして、たとえば外部からの圧力によつて、ある教授なら教授思想なり学問なりは非常に危険であるから、やめさせろということがありました場合に、これに対して大学管理機構がその事実を審査して、そうしてその理由がないということであるならば、あくまでもそうした外部的な圧力に対して、学問の自由を守り抜くという精神がなければならないと同時に、他方またある一つ研究機関の中で、研究者のなした行動が、学者もしくは教授というふうな立場において、実際の行動の上から言つて——学説内容等ではなくして、行動の上からいつて責任があると考えられる場合には、外部からの干渉を待つまでもなく、大学自体の自主的な審査を行つて善処するということが、やはりなければならない、こういうふうに考えておるのであります。  そこで、教育公務員特例法現行法における第五条でございますが、これはまあ教育公務員身分保障のために設けられたものであり、今上原委員長も言われたように、非常に崇高な理想を持つておるものでございますが、しかしこれについては、いろいろ技術的な点から見て、考えなければならない問題があるように思うのであります。国家公務員法によるところの公務員身分保障と、大体形は似ておるのでありますけれども、しかしよく見ますと、非常に性格が違つておる点がございます。すなわち国家公務員法によるところの身分保障、あるいは公開審理の場合には、いわば事後審理になるのでございまして、処分を受けた者が、いわば原告的な立場に立つて処分をしたところの官庁が被告のようなかつこうになり、人事院公平委員会に提訴され、そうしてそこで公平委員会が第三者的な立場に立つて審理を行う、こういう建前になつていると思うのであります。これは純粋の司法手続ではないと思いますが、非常に司法的な色彩の強い手続であり、またその手続それ自体がこまかく規定されておるわけであります。これに対して教育公務員特例法の第五条によるところの公開審理は、大学管理機関が、あるその大学に属するところの教育公務員責任を問題とする場合に、事前に審理をする段階にあるのでありまして、それが人事院公平委員会公開審理とは非常に違う点でございます。それだけ教育公務員については、慎重な手続をとるという趣旨になつておるものと考えられるのであります。  なおその審理そのもの構造が、この特例法第五条の場合には、大学学長あるいは評議会というふうなものが、ある教育公務員行動について、その責任が問題になると考えて、そうしてそれを申し渡す段階というものは、いわば司法手続的に申すならば、検事の公訴提起というふうなところになるかと思うのでありますけれども、それに対して、当該者から公開審理を申請する。その請求人弁護人等をつけて、そうして公開審理を要求することにより、公開審理が行われるわけでありますけれども、その場合に、それを審理するものは、再び大学学長を議長とするところの評議会であります。いわば検察的な立場に立つものと、それから判事のような役割を演ずるものが二位一体をなしておりまして、そういう審理それ自身構造から申しまして、これはどうも司法的な手続ではない。われわれは初めそれを聴問的なものであると考えておつたのでありますが、聴問というのは、糾問裁判のような響きを持つてよろしくないというふうに考えるのであります。行政手続としてそういう愼重なる審理を行う、こういうふうに解釈しております。法規の実際の明文から行くならば、そう考えざるを得ないと思うのでありますけれども、しかし研究者身分保障ということに重点を置く立場から言うならば、法律規定はそうであつても、それをできるだけ司法手続に準ずるような方向に持つて行くべきだ、こういう主張が強いわけであります。東大において行われておる公開審理におきましても、公開審理それ自身本質論に関しましては、大学側行政手続を非常に愼重にするという解釈と、請求人もしくは弁護人側司法手続的にこれを運用すべきであるという意見が食い違つたままに、審理がずつと進行して参つておるような次第であります。そうした性格それ自身がはつきり規定されていない上に、手続的な規定が全然欠除しておるのであります。従つて東大評議会としては、そういう公開審理を行う権限を持つと同時に、責任を持つておる評議会自体公開審理の基準を設け、手続的な規定をつくつて、それで運営して行くべきものと考えて、それをつくり、かつそれを請求入側に示したのでありますが、すでにその手続的な規定それ自身について、請求人側と非常に意見が食い違つて参りまして、これも両者の意見の妥結を見ないままに、事実上進行して来たというような次第であります。従つてこれがかりに司法的な裁判でありますならば、裁判長が職権をもつて訴訟の指揮をいたしまして、証人の喚問であるとか、あるいは被告発言であるとか、弁護人の弁論であるとか、そういうものについて順序をきめて、あるいは発言をさしとめるとか、あるいは傍聴人が喧騒にわたる場合にこれを制止するとか、いろいろな力を持つているのでありますが、この特例法によるところの公開審理は、そういうことが一切ございません。しかもこれは東大の実際にやつて来たやり方でありますが、東京大学評議会としては、これを行政手続的なものと理解して、現行法にできるだけ忠実に実施をして参つた次第であります。しかし請求人もしくは弁護人側の、これを司法手続に準ずるものとして取扱うようにという強い要求に対しても、それをむげにはしりぞけないで、なるべくそこは協力して、公明な審理を行うように努力をして参つた次第でありますが、すでに昨年の四月に発足したこの公開審理というものは、延々としていつ片づくやら——今週の火曜にやりましたのが第十九回目でございます。われわれは決してその労をいとうわけではございませんが、しかしながら、全国的にこうした制度そのものを概観いたしました場合に、これでいいかということについては、深い疑問を抱かざるを得ないのであります。すなわちわれわれ大学に教職を奉じている者は、研究者であり、かつ教育者でありまして、裁判の実務というようなこととには、まつたく縁のない人間であります。それが事実上裁判に近いような仕事をずつと続けてやるということは、非常な迷惑というのではございませんが、本来の職責であるところの学術研究というものに対する大きな障害になる、それがおろそかになるという、そのウエーストは相当重大なものであると考えざるを得ないのでありまして、何とかもう少しこの現行法は、すつきりしたものに改めらるべきであるということは、私個人として最初から感じておつたところでございます。  しからば、どういうふうにそれを改めて、審理を公明かつ迅速に行うことができるか、そうして一方においては学問の自由を守り、研究者身分保障という目的を達すると同時に、他面において学問の自由に伴う研究者責任というものを明らかにする、そういう両方の目的をあわせ達成し得るような法の改正は、どうしたらいいかということについては、私別にまとまつた意見を持つているわけではございませんし、それから改正案について、この点に関する所見を申し上げるのも、私としては差控えたいと思いますが、少くとも今までの経験に照して、今のままでは困るということだけは、申し上げられると思うのであります。
  8. 松本七郎

    松本(七)委員 上原委員長に少し具体的にお伺いしたいのですが、現行法理想的な面が、今回の改正案によつて相当ゆがめられて、学問研究の自由というものに相当大きな影響を与えるという御心配のようでございましたが、しからばこの改正案をどのような程度にしたならば、この理想の実現に向つて、ある程度の希望を保持しながら行くことができるかという点については、何か御意見ございませんでしようか。
  9. 上原專緑

    上原説明員 お答え申し上げます。先ほど申しました現行法に盛られております高い精神というものは、第一は、大学自治というポイントだと思うのであります。第二は、研究者身分保障、それに関連して学問の自由の保持ということでございます。第三は、大学自治民主化、民主的な大学自治ということが、一つの要点になつておると思うのでございます。先ほども尾高さんから言われましたように、この現行法には、非常に高い精神が盛られておるには違いないが、実際運用してみると、いかにも困る。こういうことで、特に手続的な観点から見まして、何とか改正したいということを、尾高さん個人としてはお考えになつておるということでございましたが、おそらくは東大評議会の一員としては、そういう印象を強くお受けになるのも無理からぬと思うのでございます。しからば、先ほど列挙いたしました三つないし四つ精神を生かしつつ、技術上の難点を除いて行く具体的な方法につきましては、いろいろあり得ると思うのでありますが、まず現行法改正をお考えになりました向きで、今のような点が考慮に上つておるかどうか。つまり大学運営技術の問題、それから公開審理を行われる場合に、研究者としての大学教授研究の時間をさかれる、そのために大学使命ということを阻害される、使命の達成に支障を来すという点だけが一方的に考えられて、この現行法が制定せられた場合の、その高い広い深い精神というようなものが閑却されているのではないだろうか。その点への吟味というものが、もう一ぺんなされれば、あとは純然たる技術の問題になつて来るのでありまして、どうすれば公開審理というものが、より簡素な形で行われるだろうかということのごくふうは、できて行くと思うのであります。ただいまも尾高さんが言われましたように、東大ではもう十九回これをやつて、いまだに事柄が落着しないということでございます。大学運営の方から見ますと、まことに人事行政が早く行えないという欠点はあつただろうと思いますが、その間に全体として考えて見ますと、大学あり方というものにつきまして、教授はもとより、大学関係者が深く考えられた、この点は、何とても大きな収穫であつたのではないかと思うのであります。規定は、たびたび申し上げますように、非常に簡単でありまして、手続に関する何の規定もないということについても、これは落度であると思うのでありますが、十九回を重ねられて、その点についているいろいろふうされて来られて、大学とは何かという問題についてお考えになり、りつぱにその問題を処理して来られたそのことは、高く評価していいのではないか。これがモデル・ケースになり得るかどうか。たとえば東京大学の場合と神戸大学の場合とは、事柄性格も大分違つておるのではないかと思うのでありますが、いずれにしましても、東大で、評議会の方も、あるいは請求人側も、一生懸命になつてこの問題を考えて来られて、大学自治とか、あるいは大学構成員あり方とはどういうものであるかということについて考えられて来たその過程を通して、公開審理の方式というものが少しずつきめられて行く、これは非常に収穫であつたと思うのであります。何かこの際手続法を、一挙にあるいは改正案の中に盛り込んだようなかつこうでつくるのがいいのか、東京大学神戸大学は非常に御苦労でありますが、さらにそこで公開審理の方式を打出して、それがいわば慣例的なかつこうで、漸次ほかの大学によつてもモデル・ケースとして用いられて行く、参考に供されるということの方が望ましいか、それは簡単にきめられないと思うのであります。しかし、いずれにいたしましても、私の強調いたしたいと思いますことは、現行法は、手続的には欠陷があるであろう。その欠陷の中で、東京大学神戸大学はよくそのむずかしい手続の問題についてお考えなつた、こういうことが一つ。  それから現行法改正はその難点を除去するということに急であつて、将来非常に大きい影響力を持つその精神を殺してしまうようなお気持の方が強いのではないかという印象を受けるということ、少くともこれは非常にドラステイツクな改革だという印象を強く受けるということ、従つて改正の必要ありとすれば、その精神はあくまでも生かしていただきたい。その改正方法といたしましては、今考えられるものとしては、この改正案の中に、そういう手続的なものまで入れてしまうか、あるいは東京大学神戸大学にいましばらく御苦労を願つて、モデル・ケースとしてそれをりつぱに措置して行かれる、それを待つた方がいいか、いろいろある、だろうと思うのでありますが、この改正についてのお考えを持たれた向きも、あるいは東京大学神戸大学などにおきましても、それが単に事務的な問題だけではなく、先ほど来申しますような、そういう広い高い精神の問題に関連しているということ、これはずいぶん苦労を重ねて来られたわけですから、非常に申し上げにくいわけですが、大学自治というものは、そういう形でなければ打出せないものです。よけいなことになりますけれども、本来日本ではほんとうの大学自治というようなものはなかつた。あつたものは、慣例的にあるいはフイクシヨナルにそういうものがあつただけである。そこへ、つまり学長なり教授なりあるいは部局長なりの任命権者に対して、大学自治を守り、しかもその大学自体民主化して行く、そういうことをやるためには、十九回、二十回の公開審理で、非常に困られはしましたでしようけれども、それぐらいのことは、当然あるべきではないか。こういうふうに考えてみますと、その手続、今までとられたことにつきましては、決してマイナスの面ばかりではなかつた、こういうふうに考えるのであります。具体的にこうしろというよりは、今申しましたような技術難点のために、精神が没却されないようなことを、各方面で考えていただくということが前提になれば、技術上の措置というものは、比較的簡単に行くのではないだろうかということ、それから今までの手続は、大学というもののあり方をきめて行く上において、マイナスの面ばかりでは決してなかつただろうということ、具体的なケースにかまけて、現行法制定の深い精神というものが忘れられてはならぬということ、それだけを考えるわけでございます。
  10. 松本七郎

    松本(七)委員 そうしますと上原先生の御意見は、大体根本においては現行法でいい、ただ公開審理をする場合の運営について、もう少しこれが円滑にできるような手続上の規定等を改正したら、それでいいんじやないかという御意見でありますか。
  11. 上原專緑

    上原説明員 その通りでございます。
  12. 松本七郎

    松本(七)委員 それから尾高先生にお伺いしたいのですが、改正について、何かかなりの御意見をお持ちのようでございましたが、私見でもけつこうですから、何か御意見御披露願えないでしようか。
  13. 尾高朝雄

    尾高説明員 先ほど申し上げたように、その点についての私見といえども、これは軽々に申し上げられないと思いまして、差控えたいということを申したのでございますが、それではまつたく熟さない私個人の気持だけを申し上げさせていただくことにいたします。  私としては、とにかく国家公務員法によるところの身分保障というものは、教育公務員にもかぶさつている、共通していることでありまして、大学の決定を経て罷免されるというふうなことが起つても、その上でさらに人事院に提訴して、そうして公平委員会審査を受けることができるわけであります。しかしながら、それにまかせて、学内での審査は簡単にしていいじやないかという考え方に対しては、それこそ大学自治をみずから求めて放棄するもの、あるいはそれを非常に弱めるものであるという非難が、当然予想されるわけでありまして、そこが非常にむずかしいところだと思うのであります。私ども裁判官ではございませんから——上原先生は、東大評議会が十九回もやつて苦労したのは、必ずしもマイナスじやない、非常に意味があつたとおつしやいましたが、それは意味もあつたろうと考えます、相当重大なテスト・ケースであつたと思うのでありますが、しかしながら、ああいう仕方をどうしてもしなければならないかということについては、私は深い疑問を抱くものであります。同じ学内の同僚の——私は決して学問とか思想とか、そういう意味でもつて教育公務員の地位が問題にされることがあつてはならない、あくまでも行動に現われたところの責任が問わるべき場合には問われなければならないと思うのでありますが、そういう場合を審査するのに、同じ学内の同僚のことでありますし、相当事情のわかつているところも、一般論としてはあり得るのではないか。とするならば、学内での審査というものは、もつと簡素なものであつてよい。そうしてそれは大学管理機関評議会なら評議会責任を持つてやるべきであると思うのであります。ことに司法手続に準ずるような方式を事前審理の中に行うことは、少し行き過ぎであるというふうに、私は率直に感じております。しかし、それではそれだけでいいかということになりますと、場合によつては、大学当局それ自身が、政治的な色彩を持つて動いて、そうして政治的な意味での教職のページというふうなことを、簡素化されたところの手続を経てやつてしまうというふうなおそれも、もちろんあり得ると考えますが、それに対する救済はどうしたらいいかということが、問題の焦点だろうと思います。これから先は、まつたく私の思いつきのようなものでありますが、人事院公平委員会は、これは一般公務員身分保障審理でありまして、教育公務員に対しては、特別なそういつたものを設けるということが考えられないものかというような気がいたします。たとえば、管理法というふうなものと結びつけて考えられるかどうかわかりませんけれども人事院公平委員会でなく、やはり教育公務員——これは私立大学とか公立学校とか、いろいろなものまで考えると、非常に複雑になるのでありますが、学術研究者であり、かつ教育者であるところの大学教授、もしくはそれに準ずるような者の身分上の決定が一応なされた場合に、それがはたして公平であつたかどうかということを審理するところの客観的な機関を、別個に設けるということは考えられないかというふうに私は考えます。しかしそれでも、それは大学自治というところから手を離れて、ほかのところへ持つてつて、そこでやつてもらうというので、大学それ自身が終始責任を持つてつたということにならない難点は免れないかもしれません。しかしながら、少くとも一般公務員と同じような、人事院規則によるところの公開審理にまかせてしまつて大学内部での事前決定は簡単にやつていいと非難、すなわちそれは大学自治をみずから軽んずるものであるというその非難に対しては、ある点まで救い得るものではないか、その辺のくふうをしてみたらどうかというのが、私のほんの、十分に考えたわけでは毛頭ない意見、もしくは感想の程度のものであります。
  14. 松本七郎

    松本(七)委員 そうしますと、そういう制度が新たにできるまでの間、現行の公開審理のままであつたがいいか、あるいはそういう先生のお考えのような制度ができるまでは、一応この改正案で行くがいいか、この点についてはどうで、ございましようか。
  15. 尾高朝雄

    尾高説明員 非常にデリケートな御質問でございます。具体的に自分のことばかり申して、はなはだ恐縮でありますけれども東京大学評議会が、今御説明のようなことのために時を過して、それがもちろん意味のないことではなかつたに相違ないのでありますけれども研究機関としての機能を相当阻害されていたことは、私ども考えでは非常にシリアスだと思うのであります。それはメリツトと差引どうなつて行くかということになると、非常にむずかしい問題になりますが、しかしやりかけたことでもありますし、これはああいう形でとにかく結論まで持つて行くのはよろしいし、その労をいとうわけではありません。私一個人としてこれは考えております。しかしながら、ほかの大学で同様の問題が起つた場合に、はたして今のままで、そうした事件をさばき得るかどうかということについて、私は深い疑問を持ちますので、この手続的とは申しながら、大学という研究機関研究機能に対して、相当重大な障害を及ぼすような現行法を、そのままにしておいていいということは、私ども考えられないのじやないか。何とかしていただきたいと同時に、先ほど思いつきを申し上げましたが、何かそれにかわるべき合理的な制度を考えて、早急にそれを立法化することが望ましいというのが、私の意見であります。
  16. 松本七郎

    松本(七)委員 今お二人の意見を伺つたわけですが、委員会としてまとまつた意見というものは、まだできておらないのでありますか。
  17. 上原專緑

    上原説明員 学問思想自由保障委員会につきましては、大体の話合いはいたしました。しかし、話合いをいたしまして、すつかりまとめるような形で、国会の方からの御諮問かあつたりした場合には、少し困ることがあるのではなかろうか、そういうふうに考えまして、大体の意向はわかつておりますけれども、正式に、これが委員会意見であるということを確定したものはないのでございます。ただ、まとまつた部分につきましては、委員会といたしましては、技術上の難点は除去せらるべきであろう、しかし現行法制定の精神は殺すべきではない、こういう考え方でございます。ことにそれにつきましては、大学管理法というものもまた問題になつて参りまするし、そういう点を考えてみると、よけいにこの改正には愼重を期せられたいと考えておるわけでございます。
  18. 渡部義通

    ○渡部委員 お二人の御意見を大体拝聴したわけでありますが、東大の事実審理の問題、審査過程の問題につきましては、私も特別弁護人として、かなり多くの回数を出ており、出なかつた日のことについても、プロセスについては全部こまかく承知しておりますので、この点から尾高氏にちよつと御意見を聞きたいことがあるわけです。私はあそこにずつと出ておりまして、評議会評議員たちが非常に苦心をしておられたこと、南原総長を初め、評議員の皆さんが、かなり長時間にわたつて、しかもしばしば非常に苦心かつ御苦労をしておられるところの状況を見ておるわけです。しかも被告発者といいますか、不利益処分を受けようとする人々の側の意思をもかなり尊重して、審理手続等に至るまで、いつもわれわれと協議を進めく、大学の方で一応決定されたことをも中止して、被告発者側等の意見を多分に取入れる形で審理を進められたという点を、はつきり私は見ておりますので、そういう点につきましては、非常に感謝をしておつたわけです。従つて上原さんが言われたように、非常に困難な長い過程ではあつたが、これは大学自治あり方、あるいは公開審理の方式というようなものを、そこから生み出すところのテスト・ケースとして、非常に貴重な意味を持つたのだということは、私は非常に同感されるような状態であつたと思うのです。そこで審理が非常に長引き、研究者であり、学内で相当の特別の任務を持つておられる人たちが、このことに長い時間を費されるということが、大学の行政の上にも、研究の上にも支障を来す。確かにそれは支障を来すであろうということも、私には考えられるわけですが、同時に、この公開審理を通じて、私たちの痛感したことは、公開審理の中で、学校当局側が告発の資料として提出されたものの中の諸事実、これらの諸事実が審理の過程で、必ずしも明確な根拠の上に立つているものではなかつたということが、大分明らかになつて来ている。これは当局の側からも、一応は認められているところと思うのですが、かりに、現在のところはその一部分であるにせよ、明らかになつて来ているのです。これは確実な根拠がなかつたのだということが、明らかになつている。そうしますと、一部分が明らかになるということは、全体として非常に重大な意味を持つのでありまして、東大のように、単にテスト・ケースであるばかりでなく、モデル・ケースであらしめたいというので、東大管理機関がかなり愼重な態度をとられた。そういう学校においてはいいとしまして、そうでないような学校におきまして、もし手続、あるいは審理の労を非常に惜しむがために、簡略にこの審理が進行されるというような場合がありますと、しかもそれが法制的に規定された形でやられるというようなことがありますと、被告発者側に非常に不利になるということが、東大審理の実際の中で明らかになつたと思うのです。私たちの非常に重大に考えているのはこの点でありまして、告発者側あるいは学校当局側の根拠として提出されている根拠というものが、すべて明確なものの上に立つているとは限らない。被告発者側から自由に証人も呼び、資料も出していただいて、それを一々突いて行くと、その間に被告発者側の主張が認められなければならないような面がかなり多かつた。そういう点からいいまして、やはり今日東大に行われているような形の中からのみ、ほんとうに被告発者側の身分及び見解を十分に取入れられた形での結論が出て来るようになるのじやないか、そういうように考えられるわけなのです。結論を言いますと、東大の実例によりまして、むしろ現在東大のとつておられるような形での審理が今後も続けられて行くことが、教育者あるいは研究者身分保障にもなり、学問の自由をほんとうに守ることにもなり、ほんとうに民主的な大学自治も、そこで実現されることになるのであつて、それが簡略化されるというのは、つまり正しい方式が発見されるということでありまして、東大の今日の混乱は、やはり今まで日本では全然そういうことのなかつたものから、初めて正しい方式がつくり出されて行くという、その過程において起つておることじやないか、こういうように考えるのですが、その点はどうなんですか。
  19. 尾高朝雄

    尾高説明員 渡部委員は、今仰せの通り、特別弁護人として、東大公開審理に立ち会つておいでになりまして、今のお説は、結局において、現行法のままでこれを運用して行くのが、学問の自由を守ろという上からいつて望ましい、そうして東大での公開審理は、それのモデル・ケースであらしめたいというようなことで、その東大評議会のやり方についても、相当それが公明なやり方で事を行つたという点を、お認めいただいたと思うのでありますが、ただしかし、その結果として、評議会側が初めに責任を問うべきではなかろうかと考えたその基礎になつている事実が、必ずしもその通りではなかつたことが、だんだん判明して来たとおつしやいましたけれども、これはわれわれが最後の段階で、いろいろな事実を調べた上で、評議会が独自の立場で断定を下さなければならない責任を持つていることだと思うのであります。審理中でありますので、特別弁護人側に立たれた渡部さんが、それは必ずしもその通りでなかつたことが明らかにされたとおつしやつたその御発言に対する私の所見を申し上げることは、差控えたいと思うのであります。  丁寧な、愼重な方式をとろということが、学問の自由もしくは、学問研究に携つている者の身分保障するという目的に、より多くかなうということは、これは明らかであります。     〔佐藤(重)委員長代理退席、岡(延)   委員長代理着席〕 しかしながら、初めに私申し上げましたように、学問の自由というものは、同時に大きな責任を伴うものである、こう考えます。その点において、これはいわゆる南原声明以来、南原東大学長並びに全学をあげて、その点はこれを支持している東大の主張であると考えるのであります。その責任を明らかにするという面がまたあいまいになることは、これはあくまでも避けなければならないと考えるのであります。ほかの大学というと、当りさわりがあるのでありますけれども、ではこの公開審理というものの規定を改めて、特例法第五条を改正して、簡素化した処置を講じ得るようにした場合に、学問の自由が脅かされるという、そういう危険が伴うことは、私個人として十分にあり得ると考えるものであります。従つて事前審理を簡略にしたとするならば、今度は事後において一般の国家公務員とは違つた制度のもとに、その大学の処置が、はたして妥当であつたかどうかを公平に審査するような機構を考えたらという思いつきを、先ほど申し上げたわけであります。他面現行のままで、この非常な愼重というか、ある意味において煩瑣な手続大学でやることになりました場合に、たとえば法学部とかそういうふうなもののない大学等におきまして、専門の弁護人がついて、そうしていろいろ問題になつている人の立場を擁護する、それに対して、大学としては、自分の責任を守るためには、どうしてもその点は問題にしなければならないというふうな事件が起つたときに、処置に窮するであろうことも、察するにかたくないと思うのであります。いろいろな場合を考え合せた意味から申して、私は必ずしも渡部さんのおつしやる通りだとは思いません。要するに、今のままではやはり困る、それをもう少し簡素化する必要がある。そうしてそれだけ大学としては責任を持つて、その簡素化された手続においてできるだけ愼重に事を処理すべきである、そうしてその大学できめたことが、はたして妥当であつたかどうかは、もちろん問題になり得ることでありますから、事後において教育公務員あるいは研究者に対しては、特別の審査制度を設けろというような考慮が払われてはどんなものだろうという、前申した見解を繰返してお答えにする次第であります。
  20. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ちよつと渡部君及び尾高朝雄君に申し上げますが、本席は討論会ではございませんから、渡部君は、その聞かんとするところを簡明直截に質問せられ、答弁者は、それに簡明に答えるように、討論会でないことをひとつ御注意願いたいと思います。
  21. 渡部義通

    ○渡部委員 それは違う。これは初めから懇談会としてやつているわけで、速記も普通はいらぬと思うのだが、ただ重要な御意見があるから、速記してもらつた方がいいというだけなんで……。
  22. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 速記をつけている以上は、正式の委員会ですから、その点誤解のないように。
  23. 渡部義通

    ○渡部委員 そんなら速記をよしてもらつた方がいい。正式な委員会というよりも、こまかく意見を聞くというのが趣旨であつたわけです。
  24. 松本七郎

    松本(七)委員 これは、せつかくこういう重要な御意見を伺うのですから、本来ならば公聴会を開いてやるのが望ましいわけですが、そういう時間がないので、できればやはり正式な委員会速記もつけて御意見を聞きたい。それができない場合に、やむを得なければ非公式の懇談会でもけつこうだということで、一昨日お願いしたわけです。
  25. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 松本委員の御趣旨はよくわかりました。今の形は、速記をつけた以上は、これは正式の委員会とみなすのが、衆議院規則等の定めるところなんです。それで今言つたようなやり方でやつて行きたい。時間も迫つているし、討論会のようでなく、簡明直截にやるというようにしていただきたい。
  26. 渡部義通

    ○渡部委員 それでは、尾高さんのお答えですが、やはりあそこの面で、東大のように冷静沈着にやつてくれたからこそ、実際問題として、部分的には告発者の面が考え違いだというような事柄が出て来るわけなんです。ところがそういう愼重さを欠いた形でやられると、実際上、手続とかいろいろな制約から、そういう面さえ出て来ない憂いがある、そこが私たちが非常に問題だと思うのです。そうすると、簡単にやられると、不利益処分を受けた者の身分的な保障というものが成り立たないし、不利益処分を受ける多くの人たちは、組合運助をするとか等々の理由で、決して個人的な意思だけによつて行動しているわけではないのでして、たとえば、あの東大の問題にしましても、年末手当の問題、あれはどうしても年末のある時期までには解決しなくちやならない、従つてそれまでに学校当局と会つて、どうしても解決しなければならないという、期日に迫られている問題であり、また職員全体の生活問題でもあつたわけなんです。それで面会に行くけれども、面会者の方では、いろいろな事情からなかなか会えない、しかしどうしても会わなくちやならぬというので、この面会というものが、強要という形に見えるような情景が出て来るわけなんです。そういうものが、面会を強要したという一つの根拠として、不利益処分を受けるということになると思う。そういう事情がよく告発者側と被告発者側とが話し合つて行けば、その辺の理解が大分出て来るわけなんです。そういう事柄を、今申し上げたように、双方ともその点について理解ができるような形で進行するためには、やはり非常に複雑な形であつても、現在のような運営方式がとられざるを得ないのじやないか。そういうことの中から、先ほど上原さんも言われたような、ある一つのモデル的なものが、最善なものが生れて来て、それが他の学校にも適用されて来るように、慣習法的にも、あるいはそれが学校内規の問題としても適用されて来るようになつて来る。そうすれば、方式としてりつぱなものが、現行法のもとでもできて来るのじやないか、こういうふうに考えるわけなんです。南原総長の意見自身がそういう方であつたと思う。東大は重要だ、東大のやつたことが他の学校のモデルにもなるのだから、東大においては愼重にして、またその中から、こういう場合における手続方式、審理方式というものをつくり出して行こうじやないかというのが、南原総長の意見でもあつたと思うのです。それだからこそ、東大の場合には非常に苦労をされたわけであり、長時間を要したわけであつて東大の場合がそうだつたから、これはいかぬと言い切つてしまえないものが、南原総長自身の、あるいは東大評議会審理態度そのものの、あるいは審理のイデイーといいますか、理想といいますか、そういうものの中にもあつたのじやないか。こういうふうに私は東大審理を見て来たわけなんですが、そういうふうな考えは、東大の方にはなかつたわけですか。
  27. 尾高朝雄

    尾高説明員 東大の方にそういうイデイーがあつたかという御質問でありますが、私はあくまでも個人立場からお答えいたします。学問の自由、あるいは学問に携わる研究者身分保障ということは、非常に重大なことであると考えまして、そのイデイーを実現する一つの場合として、あの公開審理が行われたということは、確かだと思うのです。しかし他面において、あの法律そのものはずいぶん欠陥の多いものであつて、あれでは処理に窮する場合が、一般論として起るということを痛感いたします。従つて、何とか改正せらるべきであるということでありまして、今渡部さんは、身分保障趣旨というものが、簡素化することによつて傷つけられるとおつしやいますけれども、あのままの形を存続させていたのでは、それはいかなる責任を問わるべき問題が起つても、大学として処置に窮するような場合が非常に多いのじやないか。要するに、身分保障ということが転じて、まつたくの、事のいかんにかかわらず、一旦教育公務員なつた者は、これは罷免しようと思つてもできないというふうなことになることを私はおそれます。
  28. 渡部義通

    ○渡部委員 どうでしようか。学術会議の方では、学問思想に関する特別の委員会があつて上原さんはその委員長でもあり、尾高さんは委員でもあられるわけです。しかしながら、この問題については、まだ結論的な意見というものは、今のところ大体話合いが進行中であるが、出ていないと言われましたので、できれば学術会議の方でも愼重な態度をもつていろいろ研究していただいて、その上でもう少し多数に来ていただいて、学術会議とさらに懇談をしてみたいというふうに考えるわけなんですか、どうでしようか。
  29. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 渡部君の御提唱は、よく了承いたします。ところが本日の午後か明日くらいまでには、どうしても上げなければならぬ緊急のものでございます。そこで機会を改めてということでいかがですか。
  30. 渡部義通

    ○渡部委員 よろしゆうございます。
  31. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 それでは了承いたしました。
  32. 上原專緑

    上原説明員 本日は私ども意見をお聞き取りくださる機会をお与えくださいまして、非常にありがたいと思います。これは意見ではございませんが、二つだけ希望を申し上げさせていただきたいのでございます。  一つは、先ほど来話に出ております大学自治、それも民主的な大学自治、この問題は非常に大事な問題であつて、その自治が実現するためにはいろいろの困難があるだろう、ヨーロツパあたりでは、何百年の伝統を経て出て来ました大学自治でございます。これはどうしても、日本でも実現させなければならぬ。その実現の過程に、若干の故障が起つて来るのは、これはいたし方がない。大学自治の本分は——もう今は時世が違いますから、そうも言えませんが、本来大学自治の本分は、大学関係の事項の審理、つまり裁判大学でやる。裁判権を中心にして大学自治考えられたのが伝統であります。現在ではそうも行かないでありましようが、大学自治というようなものを打出して行くためには、大学関係者も非常に苦労をしているのです。従いまして、事実上の困難というようなことがいろいろございましようとも、それは大学自治というものが打出されて行くための過程として、関係者は——私も関係者の一人でありますが、忍ばなければならない犠牲というものがあるのではないか。従つて、この現行法改正につきましては、その点に特に御留意を願いたいということが一つであります。  第二は、ただいまも渡部さんから御提案がございましたが、それはちようど私の方としても御希望申し上げたい点なのであります。学問研究者の身分保障関係があり、学問の自由に関係のあるような法律が、新しくつくられたり、あるいは改正されたりする場合には、学術会議に諮問してほしいということを、三月八日付で政府の方へ申し入れまして、国会の方へもお願いを申し上げたのであります。またそれに基きまして、現在問題になつております教育公務員特例法改正につきましても、意見を聞いていただきたいということを、希望いたしたのでございます。さつそくこの措置をおとりいただきましたことはありがとうございましたが、いかにも時日がございません。お聞きの通りに、委員会全体の意見を申し上げるには、なお若干の手続が残つておりますし、いわんや学術会議全体の意見を申し上げるには、さらに手続がいるのでございます。この改正案の御審議に、どれくらいな時日が予定されているか存じませんが、相なるべくは学術会議全体へ意見を徴せられる、それができませんでございましたならば、私ども学問思想自由保障委員会の方へ委員会意見を出せというようなことを仰せいただきますと、私どもとしては非常にありがたいのでございます。  以上二点を申し上げておきます。
  33. 浦口鉄男

    ○浦口委員 ただいまの渡部委員からのお話や、上原さんのお話によつて、この問題につきまして、またあらためて学術会議と御懇談の機会をつくつていただくと、たいへんけつこうであります。ところが、今上原さんのお話にもありましたように、公立大学管理法案と国立大学管理法案が今審議の過程でもありますので、この問題についても、学術会議といたしましてまた御研究いただきまして、この次の懇談会には、あわせて御意見をお聞きできるように、委員長の方からお願いをしていただきたい、こう思うのであります。
  34. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 了承しました。
  35. 渡部義通

    ○渡部委員 委員会といたしましては、いろいろ委員諸君の御都合もあるでしようし、なるたけ大勢出られるような機会を考える必要もあるでしようし、その点は理事会の方でもよくはからつていただいて、その上学術会議の方から今御希望のあつたように、さらに、機会をあらためて、この問題について、より深く、またより熟した形で話合いをしてみたいと思うのですが、その点をひとつはからつてもらいたいと思います。
  36. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ごもつともな御意見で、その線に沿つて、その趣旨にかなうよう努力いたします。  それではただいまの会議はこの程度とし、午後は二時より続行いたします。暫時休憩いたします。     午後一時十四分休憩      ————◇—————     午後三時一分開議
  37. 長野長廣

    ○長野委員長 休憩前に引続いて会議を開きます。  これより教育職員免許法の一部を改正する法律案及び同施行法の一部を改正する法律案参議院送付)の両案を一括して議題とし、質疑に入ります。  なお参議院送付案は政府原案を修正議決せられたものでありますから、念のため申し添えておきます。
  38. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 ただいまの委員長の御発言によつて、ただいま上程に相なつておりまするこの法案が修正されておるということでございますが、ここに参議院の文部委員長及び直接この修正の衝に当られた荒木参議院文部委員が来ておられますから、これを幸いに、修正箇所のみについて、こういう趣旨であろということをひとつ聞かせていただきたいと思います。
  39. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 ただいま当委員会におきまして、議題になつております教育職員免許法の一部を改正する法律案に対する修正案の件でございますが、その前にちよつとお断りを申し上げておきます。  これは私から申し上げることはどうかと思うのですが、先ほど来、文部委員長と岡さんとの間に話があつたのですが、どうも会期が非常に残り少い切迫したときに、参議院の方で相当審議が手間取りまして、衆議院に送付されてあまり期間がないということにつきましては、私どもも非常に遺憾に思つておる次第でございます。     〔委員長退席、佐藤(重)委員長代   理着席〕  次に参議院の方で修正をいたしました内容について御説明を申し上げたい、かように思います。  免許法の中で改正をいたしましたのは、附則第七項の中に規定されておりまする二年を、「特別の事情のある都道府県で政令で定めるものにあつては、三年とする」という点でございます。これは内容を申し上げますと、臨時免許状を持つておる者でも、教員の需給関係から考えまして、二年の間はそのまま教職にあることを認めるというのが、政府原案の内容でございますが、私どもの修正をいたしました三年と申しますのは、一例を申し上げますと、北海道のごとく、ほとんど教職員の半数以上が臨時免許状しか持つておらない、こういう地方におきましては、ここ二年のうちには、とうていこれらの教職員を資格のある者に編成がえするということは困難な実情にございます。そこでこういう特別な困難な事情のあるところでは、政令で三年まで延長することができるというふうにした方が実情に即するのではないか、こういうふうに考えまして、これの修正をいたしたような次第でございます。もちろん全国的に見ましては、臨時免許状の教員が非常に少くて、新しく資格をとつた教職員が十分にあるというところは、全然問題がないわけでございます。また北海道のようなところでも、成規の免許状を持つた者が教壇に立つということの一日も早きことを、私どもは望んでおるのでございますが、実際問題といたしまして、大多数の教員が臨時免許状しか持つておらないというような実情を考えますときに、やはりそういう特別な事情のある地域におきましては、三年まで延長できるような規定を設けておく方が、実情に即した適宜な措置ではないかというふうに考えまして、かような修正を提案いたしまして、幸い参議院の文部委員会におきましては、全員一致をもつて議決されたのでございます。なお本日の本会議においても、出席議員全員の賛成のもとに議決されたものでございますので、どうか当衆議院の文部委員会におかれましても、この事情を御了承いただきまして、よろしくお願いを申し上げる次第でございます。  それから次に、教育職員免許法施行法改正法律案についても、やはり一部の修正をいたしたのでございます。この修正は、できるだけ取扱いを公平にしたい、かような考えをもつていたしたのであります。それは二つの点を修正いたしております。第一の点は、第二条第一項の表の第七号の三の改正規定を修正いたしたのでございます。内容を申し上げますと、小学校の専科教員であつて、中学校に五年以上勤務して成績の優秀な者は、中学校の二級普通免許状を取得することになつておるのが政府原案でございます。しかし専科教員の免許状を持つておる者の中には、今申し上げた中学校に勤務しておる者もございますが、また中には小学校にも勤務いたしております。それで中学校に勤務しておる者だけに優遇の道を講じ、小学校に勤務しておる専科教員について何らの措置をしないということは、公平を失する、こういうふうに考えましたので、小学校に勤務しておる専科教員の免許状を持つておる者でも、中学校に勤務しておる者と同様に、五箇年間勤務し、しかも成績優秀と認められた者については、小学校の二級普通免許状を与え得るように修正した点でございます。  それから次の点は、同表第七号の四に関するものでございます。これは旧国民学校令による国民学校初等科教員免許状を持つておる者で、五年以上小学校の教員を勤め、しかも成績優秀な者については、小学校の二級普通免許状を与えるというのが、政府原案の規定でございます。これに対しまして、私どもといたしましては、幼稚園に勤務しておる者で、やはり五年以上勤務し、成績優秀な者については、幼稚園の二級普通免許状を与えるようにするのが、小学校幼稚園の均衡をはかる上において適当な措置ではないか、こういうふうに考えましたので、幼稚園に勤めている教職員につきましても、小学校に勤めている者と同等な取扱いをするように修正したわけでございます。以上が施行法の一部を改正する法律案に対する参議院におきまして修正せられたる点でございます。  非常に簡単でございましたが、以上御説明を申し上げまして、なお疑問の点がございましたら、御質問にお答えを申し上げたい、かように思います。
  40. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 ちよつと委員長から申し上げます。ただいま免許法を議題としておりますが、教育公務員特例法をあわせて議題といたします。参議院送付案の修正の御説明をお願いいたします。荒木参議院議員
  41. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 これは私から御説明を申し上げることが、はたして適当であるかどうかを疑問に思つておるのでございますが、参議院におきまして教育公務員特例法の一部を改正する法律案に対しまして、修正案が提出されまして、それが議決されているのでございます。しかしこの発議者は緑風会の堀越委員長、それから社会党の若木勝藏氏、それから民主党の木内キヤウ氏、それから緑風会梅原眞隆氏、第一議員クラブの矢嶋三氏となつておるのであります。  簡単にこの経過を申し上げておく方がいいのではないかと思います。と申しますのは、この特例法に対する修正案は、社会党から出されたものが一つ、それから緑風会から出されたものが一つ、それから民主党から出されたものが一つ、それから自由党から出されたものが一つ、こういうふうにあつたのでございます。ところが、できるだけ相似た点は協議の上一本にまとめた方がいいではないか、こういう御意見が出まして、最後に第五番目の修正案として作成されたのが、参議院において議決を見ましたただいま申し上げました発議者による修正案でございます。そういうような経過になつているということを御了承をいただきたいと思うのであります。従つて私の足らない点は、堀越先生から十分御説明を願うことにしたい、かように思うのであります。  そこで、修正案の内容は二点でございます。第一点は、第十四条の第一項に但書をつけ加えた点でございます。これは結核に罹病いたしました教職員の休職の期間の問題でございますが、「任命権者は、特に必要があると認めるときは、その休職の期間を満三年まで延長することができる」というのでございます。これにつきましては、社会党は、これを「二年」を「三年」に延長する、こういう修正案を持つてつたのでございます。これに対しまして、民主党がただいま示されたような修正案でございまして、緑風会の方におかれては、さらに予算の範囲内という言葉があつたのでございますが、協議の上、民主党の案に意見がまとまりまして、最後に提出されたような関係になつております。「特に必要があると認めるときは、」——これは任命権者がそういう必要があると認めた場合にのみ、三年まで延長することができるというふうになつておるのでございます。  次に、もう一点の修正点は、第二十五条に関するものでございますが、これは昭和二十七年十月三十一日までは、都道府県単位の教職員組合を結成することができるというのでございます。この理由といたしましては、地方公務員法にあります職員は、給与、勤務時間その他の勤務条件について地方公共団体の当局と交渉するための団体を結成することができる、この規定によりますと、教職員は明らかに特例的な存在であります。と申しますのは、教職員が所属しております地方公共団体の当局には、これらの給与に関する問題について決定権がないのでございます。これらの決定権は都道府県にございますので、これらの職員団体を結成する理由が、給与並びに勤務条件、勤務時間等にある以上は、それらの条件を決定する当局を相手に職員団体をつくるのが地方公務員法の趣旨に沿うゆえんである。こういうような考えに基きまして、当分の間都道府県単位に組合を結成する自由を認めたのでございます。ここに期限を付しましたのは、二十七年十月三十一日には、市町村にまで教育委員会ができることになつておりますので、そういう期限を付したのでございます。  大体修正点は以上の二点でございます。そのほかに、この法の適用に基く事務的な修正と申しましようか、そういう点が若干入つているのでございます。  非常に簡単でございましたが、以上御説明を申し上げました次第でございます。よろしくお願いいたします。
  42. 圓谷光衞

    圓谷委員 文部大臣が見えておりませんから、文部政務次官にひとつお伺いしたいと思うのですが、一体国会の本質から言いまして参議院と衆議院二つある。また、イギリスやアメリカにおいても上院と下院を持つている。そこで、国民の意思を代表する機関として衆議院に審議は大体優先権を持たせる。衆議院においての法案について、もし横暴のことあり、または不当な議決があつた場合には、参議院はこれをチエツクする性能を持つている。これが上院の性能だと思う。しかるに、この法案を衆議院で先議せずに、初めから参議院にやつて、衆議院の委員会の意思の決定せざるときに、参議院が修正を持つて来て、そうして衆議院の委員会にこれを可決しろというようなことは、一体これは議会運営の本質からいつて正しいことであるかどうか、ひとつ御答弁願いたい。
  43. 水谷昇

    ○水谷政府委員 この点は、その当時法案がたくさん提案せられるので、衆議院の方に非常にかさんで参りましたので、これを審議上の便宜からあんばいをして、そうして参議院の方にまわしたものが、たしか二つだと思いました。もつとも、法案について予算が伴うものでありますれば、もちろん衆議院の方へ先に提案するのでありますが、この点は予算を伴うていないものでありますから、審議の便宜を考えまして、二法案だけ参議院の方に先議をしていただくようにしたのでございます。そのうちのこれが一つでございます。
  44. 圓谷光衞

    圓谷委員 今の政務次官の答弁は、私の質問に対して見当がはずれているのです。私は予算が伴うとか伴わないとかいうことを聞いておるのでなくて、行き方として、本質的に私の言つたことが正しいものであるか。政府当局は参議院に先にやつた。参議院では公務員特例法について、三月もあちらで審議しておつた。衆議院に対しては、わずかに一週間ぐらい前に持つて来る。こういうことは、政府が提案するのに、それが正しい行き方であるかということを聞いているのです。予算や法案が多いから分配してやつたということは、理由にならないのです。
  45. 水谷昇

    ○水谷政府委員 圓谷委員の御説ごもつともと思いますが、この点については、両院の議長から官房長官に対して、法案が一度に出る場合には、それをあんばいして、なるべく便宜にスムースに行くように、こういうような申入れもありまして、以上申しましたように相当数のうち、二法案だけを参議院の方に先議してもらう、こういうことにしたわけであります。
  46. 圓谷光衞

    圓谷委員 それはよくわかります。わかりますが、一体参議院というものは、衆議院の横暴をチエツクするためにあるのに、まるで参議院が衆議院になりかわつたような状態は、私は非常に遺憾とする。今後は政府においても、政府の法案提出については御注意を願いたい。  それからさらに玖村さんにお伺いしますが、この一年を二年とする場合に、昨年この法案を通す場合においては、これは荒木君らが、そのとき日教組の委員長でおられたようですが、そのときに三年にしてくれというような陳情があつたことを私は記憶しておる。その際に玖村さんの御説明では、その筋に対してこのオーケーをとる場合においても、それでは教育者の質が低下する。まず一年にしておいて、早く勉強させる、臨時免許でなくするのが正しいのであるというようなお話があつた。さらに一年で臨時免許状が切れた場合においても、それを切りかえてまた使うことができる。しかるに今回二年とすることができるということにしたことは、手続上の関係でやつたのだ、手続上複雑にしないように、二年まではすぐに切りかえてできるようにしたのだというようなお話を聞いておつた。ところが今度は参議院の修正でさらに三年になつた。また五年にするかもしれない。そういう点は、私は昨年のお話から聞きますと、一体二年にしたということも私は納得できないのですが、その点はそうした方が教育者の質がよくなつて、そして教職員も安心してできるとか、あるいは荒木君の説明では北海道の例を出されたのですが、北海道一つのためで、全国はさしつかえないのだということは、これは稻田さんでしたかからもお話があつた。北海道のためにこういう法案をやるのであるかどうか、この点玖村さんに一つお伺いしたいと思います。
  47. 玖村敏雄

    ○玖村政府委員 三年とか二年とかに延ばすことによつて教員の素質がよくなるとは考えません。ただ先ほどもおつしやいましたように、相当多数の臨時免許状を持つておる教師の多い都道府県におきましては、その免許状書きかえの手数を省くということは、事務処理上必要かと考えます。  もう一つの点は、もし臨時免許状の有効期間を二箇年にいたしますと、現職にある臨時免許状所有者が、安定感を得るという点は確かにあると思います。  第三の、北海道という例が上つておりますが、政令で都道府県が決定されますについては、何か客観的な基準がなければならないと考えておりますが、現段階においては、なお申し上げるところまで参つておりません。
  48. 圓谷光衞

    圓谷委員 そうすると政府の方の御意見は、二年が妥当であるというお考えですか、三年の方が、二年にしたよりもさらに安定感が得られる、妥当であるというお考えであるか、そこをはつきりお伺いしたい。
  49. 稻田清助

    ○稻田政府委員 政府原案として二年を考えました場合には、先ほど玖村政府委員が説明いたしました特殊の地域につきましては、教員の再教育とかあるいは配置等の面において、十分考えることを期待いたしたのであります。  しかし、これは理想でございますので、一面そうした特殊の地方における事務処理の便宜を考慮いたしますれば、そうした特殊な地域に限りましてのみ、三年にするということも一案であると考えております。
  50. 圓谷光衞

    圓谷委員 そうするとこれは特殊な地域のみ三年にするということになるのですか。
  51. 稻田清助

    ○稻田政府委員 参議院の修正案は、「特別の事情のある都道府県で政令で定めるものにあつては、三年」とありますところから、政令におきまして北海道のごとき特殊の地域を指定いたせばけつこうだと考えます。
  52. 若林義孝

    ○若林委員 特例法の修正の解釈について簡単に質疑をいたしますから、簡明にお答えを願いたいと思います。結核についての休職について「特に必要がある」という文字をお使いになつておりますが、どういう場合のことをお考えになつておりますか。
  53. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 これには、いろいろの場合があるかと思います。たとえば、結核の療養をしておつて、二年経過して、もう少しの期間の療養を許せば、非常に大多数の者は大体健康を回復して出られるというような場合には、やはり任命権者が適宜な処置がとり得るというようなことは、全体的に見て非常にいいことではないかと思うのです。そういう場合もあると思います。また府県当局に、かなりの財政的措置ができるという場合には、やはりその府県の意思によつて、三年までできるという場合もあると思います。だから財政の場合もあると思いますし、またその他いろいろな事情があるかと思うのです。
  54. 若林義孝

    ○若林委員 こういう場合、必要がある場合というのも、一考できるわけです。ところが「特に」とお使いになつた、その「特に」という文字をなぜお使いになつたのでありますか。
  55. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 これはやはり財政上の問題もありますので、相当厳重にという意味も持つておるのじやないかと思うのです。また実際の場合を考えてみますと、二年によつて療養期間が切れるというために、その人は相当無理をして、医師の大体快癒をしたという診断のもとに、学校へ出て行かざるを得ないような生活状態にある教職員も、相当あるわけです。そういうことが起りますと、やはりその弊害は、直接子弟に影響すると思うのです。ですから、そういう場合があつたときは、そういうことを厳重に取締つて、そのかわり一面においてはその人たちの療養期間を多少延ばす、こういうような措置がとられる場合が私はあるかと思うのです。これはいろいろの場合がありますので、一々その場合をあげることはできないかと思うのですが、そこで「特に必要がある」という「特に」という言葉は、やはり相当愼重にこの問題が処理せられるということを含んでおるように私は思うのです。
  56. 若林義孝

    ○若林委員 特に必要がある場合というのと、そうでない場合との認定が、明確に人間の力でできるかどうか。またこの点で任命権者が非常に困るのではないかと思うのですが、その点をこの条文に沿うて行く場合の実際のケースを、頭に思い浮べられて御答弁を願いたい。
  57. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 これはやはり任命権者が実情に即して、これは必要やむを得ない、こういうふうに感ずる場合ですから、いろいろの例があると思いますので、私はその例を一々想定することは私にも困難でないかと思うのです。これはやはり任命権者がそういう判断を下すべきではないか。私はその府県の実情はいろいろあると思う。いわゆる予算の問題とも関係して来ると思うのです。そのほかのいろいろな事情というものを考えて、どうしてもこれは三年に延長する必要がある、こういう場合に行われるのであつて、この判断は、やはり任命権者が事実に即して判断する以外にないのじやないかというふうに考えております。
  58. 若林義孝

    ○若林委員 二年にいたしますのと三年にするのとでは、予算的措置が非常にかわつて来るだろうと思うのですが、これについて二年と三年とにはどれだけの予算的の措置に差があるかを伺いたい。
  59. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 これは各地方々々において行いますので、全国的なケースということは、私はこの条文からは直接問題は出ない、かように思うのです。しかし全国的にもしこういう必要があつて、そういうふうになつた場合は、どれくらいの予算がいるのかという問題については、これは的確な数字をあげることは、実は困難な事情にあります。と申しますのは、現在組まれている平衡交付金の中には、この療養患者の費用というものは、これは寡少に見積られております。寡少というよりも、一年分しか組まれていないのです。これはたしか昭和二十四年度の結核患者だけの数を取上げて、それを予算化している、二十五年度に増加した分については考慮されていない、そういう予算編成になつております。従つて、従来の例から見て、的確な数をあげることは、私は困難であると思いまう。ただ私どもは、四十三都道府県のうち、十府県を除いた程度の調査資料を持つております。それによりましても、現在の予算と比較することは、無意味であるというふうに考えておるわけです。
  60. 若林義孝

    ○若林委員 そうしますと、政府としてこれに対する予算措置は必要でないという解釈なのですか、やはり相当の予算措置は必要であるという御解釈でありますか。
  61. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 この条文から行きますと、政府は予算措置を必ずしも必要とはしない。これは都道府県の意思によつて決定される問題ですから、必ずしも必要としない。しかし政府においてこれらの問題についても若干の予算的措置をせられた場合は、都道府県において非常にこれがしやすくなるということは事実でございます。私どもは、初めはやはり政府の予算的措置が必要であると思いましたので、こういうふうに「特に必要があると認めるときは」ということは考えておらなかつた、二年を三年にすることを考えておつた。それはこの問題を全部地方の自治体にまかせないで、やはり平衡交付金の中で若干見るようにするためには、こういう但書をつけておれば予算的措置ができない、こういうふうに考えておりまして、この但書のないことを希望しておつたのですが、しかし現在平衡交付金の中には、三年に延長するだけの予算的措置に、いろいろ問題があるようでございますから、こういうふうに地方の責任において行うように、結論としてなつたのでございます。
  62. 若林義孝

    ○若林委員 もし国がその予算措置なしでやつたとするならば、おそらくまだ定員の範囲内から除外されておらぬと私は思うのでございます。さすれば残つておる現職者は、職務的に非常に過重な負担を受けるのではないかと思うのですが、その点どういうふうにお考えになつておりますか。
  63. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 ですから、予算の問題になりますと、やはり地方において予算的な措置ができるという場合に限つて行う都道府県も出て来ると思う。またあるいはこれはやむを得ないという結論に立つて、定員の中から若干これに充当する場合も出て来ると思いますので、地方によつて大分事情がかわつて来るのではないかと思います。
  64. 若林義孝

    ○若林委員 今地方財政に対する圧迫ということがよく言われるのですが、特に教育問題なんかについてやりますときには、われわれとしても恐る恐る考慮しておるのです。この間の教科書の無償給与のことでも、あらかじめ平衡交付金で準備をしておいてさえも、なおかつ省令という今の法令になつたわけであります。その点地方財政を圧迫することになるかならぬか、ひとつお考えを伺いたい。
  65. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 その問題は、私はお答えをする前に少し実情を申し上げたいと思いますのは、今一々都道府県の名前を記憶しておりませんけれども、この前の参議院の文部委員会でも申し上げたのですが、十の都道府県が三年まで療養できるような措置をしております。現に東京都もそうでございます。三年まで療養できるように措置しておる。これは地方財政で、進んでやつておるのでございます。そういうふうに現在でも、この法律がなかつた以前においても、そういう措置をとつておる都道府県も、全国では十にも及んでおるわけでございます。従つて、やはり原則としては、地方財政の許す範囲ということも、私は一つ考慮されると思います。また教育的な見地というものも考慮せられて行われるのであつて、一概に地方財政を圧迫する、こういうふうに言い切ることは、できないのじやないかというふうに考えております。
  66. 若林義孝

    ○若林委員 この修正案を関係方面へお出しになつた場合、予算の要、不要ということについて、意見を付せられておると思うのでありますが、この場合どういう御意見を付して行かれましたか。
  67. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 私はそれにお答えすることには、非常に適任でないわけなんです。私どもが発議いたしまして、初め向うに交渉いたしましたのは、こういう但書はないのです。二年を三年にする、こういうものでありました、それについては予算申請の上でこの法案を提出するのではないということは、向うで話をいたしました。それについては、いろいろ質議がありました。特にあらためてGSに対しまして、参議院の文部委員会においては、この但書のない二年を三年にする場合においては、予算的措置が必要でないかという御意見がありまして、この点を明らかにしろということでありましたので、重ねて司令部と折衝いたしました結果、それは国会において自由に審議されたらいい、予算的措置が必要であると認めて否決するのもよかろうし、あるいはこれを可決するのもよかろう、こういう御返事でありました。それはこの修正案でないわけです。明らかに私どもが出した二年を三年にするという修正案です。しかしここでは、その修正案でなしに、任命権者が、言いかえますと教育委員会が特に必要があると認めたときは、そういうふうにすることができるというのでございますから、そういう点は政府の予算には直接な関係はございませんので、おそらくそういうことは交渉していないと私は思います。
  68. 若林義孝

    ○若林委員 では今の御説明では、この修正案の修正案ということになつておりますね。端的にいえば、あなたが直接おいでになつたときには、二年を三年にするというのですから、この点に関しては予算的措置が必要だという建前でおいでになつたのか。これは二年を三年にするということなら、当然そうなりますね。この点をひとつ……。
  69. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 二年を三年にするという場合は、私どもは予算の編成上からは、定員内でする考えでしたから、予算の修正をこの法律によつてする意思はございませんでした。その点は明確にしてあるわけです。ですから二年を三年にする場合でも、やはり私どもの修正案と申しますか——修正案として委員会には出しておらないのですが、当初のものでも、予算の範囲内でする、こういう建前のもとに私ども考えておつた。将来政府において、来年度においてもあるいは追加予算が組まれる場合には、このことが考慮されることを望んでおつたわけでございます。
  70. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 今荒木参議院議員の御説明で、大体そのいきさつ等もわかつたのでありますが、荒木さんが持つて行かれた修正案は、二年を三年とする、こういうふうにあるのでありますが、その際われわれ仄聞しまするに、国家財政的な措置は全然いらない、こういうことで向うも簡単にオーケーしたそうであります。われわれは全然予算の措置なしにはできないと思うのですが、オーケーをとるに急なるのあまり、十分なる根拠に立脚せられたのではないように考えられるのであります。その間幾多の経緯を経ましてこういうものが出て来たのでありますが、またそれは別としまして、その場合荒木さんは、予算の措置はいらない、定員の範囲内でやる、こういうことを仰せられたのでありますが、これはまことに驚きいつた話でありまして、荒木さんは日教組の委員長をしておられる。われわれは荒木さんが直接聞かれたかどうかは知らぬけれども、日教組あたりから、定員が足らぬ、この充実をしてくれということの陳情をしばしば受けておる。これは他の委員もおそらく同じであろう。ところが二年を三年にする、こういうふうに断定するのに、定員の範囲内においてどうでも操作ができる……それほどあなたは、実情において定員に過剰があると思うのですか、その点をお聞きしたい。
  71. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 私はこの問題についてごまかすとか、そういうことは全然ないわけです。いやしくも法律案の修正案を提出するにあたつて、そういうことは全然ない。予算の建前上、予算修正を前提としないということを言つているのです。誤解のないようにしていただきたい。予算編成の建前上、予算修正を前提としないでこの法案は修正する。(「よろしい、前段は了承します。その後段です」と呼ぶ者あり)それは教職員の意向というものは、やはり大いに参酌して行くべきだ、私はこういうふうに考えておりますが、これは余談になるからちよつと省きまして……。ですからこれは誤解のないようにしていただきたいと思います。現に政府が組んでいる結核に対する予算編成はどうなつているかと言うと、前の法律では二年です。それでは二年間の結核患者を計数に出して、それを予算化して行くかというと、そうではない。ある昭和二十四年度という数を持つて来て出している。これは実数とは一致しないのです。実数と一致しないのが、私はあたりまえだと思うのです。そういうことはできない。だから、三年にするということも、こういう予算編成の上からできる、予算修正をしなくてもできる、こういうふうに言つているわけです。だから予算修正をしなければ、この修正案を提出することができないというふうには解釈しておらない、そういう意味なんです。これは私が先ほど申し上げましたように、私は公明にやつて行くのであつて、皆さんの杞憂も、重ねて司令部に行つて折衝する考えです。  それから私は今でもやはり定員を増加する必要があるという考えです。ですからいつまでもこの問題については私はたびたび言つているのです。やはりこういう趣旨法律によつて認められた場合は、当然政府は補正予算なり来年度の予算において、考慮されなければならぬ、そのことは切望するということは、たびたび申しております。従つて、いつまでも定員の中でやつているというふうには、考えておらないのです。
  72. 若林義孝

    ○若林委員 私が危惧しますのは、将来予算を増額しなければならなくなつたときに、この法案は予算はいらぬのだ、増額する必要はないのだということを建前にしておつたならば、その交渉が将来のじやまになるわけなんで、いきさつをよく承つておかなければならぬ。従つて地方財政というものを、より圧迫するということになると思うのでありまして、この点よく事情を詳察しておられる岡委員から、間にはさまつて今質疑が出たと思うのです。それからこの修正案に反対している教育委員会があるというように思うのですが、その点御存じでしたら、お聞かせいただきたいと思います。
  73. 荒木正三郎

    ○荒木参議院議員 私は教育委員会から反対の意思を受けたことはないのです。
  74. 若林義孝

    ○若林委員 けつこうです。それではあと留保して、今日はこれで打切つておきます。
  75. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 ただいま議題となつております法案中、教育職員免許法の一部を改正する法律案及び同施行法の一部を改正する法律案の質疑は、これにて打切ることに決するに御異議はないでしようか。   (「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  76. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 御異議がなければ、これにて質疑は打切ることにいたします。  これより教育職員免許法の一部を改正する法律案教育職員免許法施行法の一部を改正する法律案、この両案を一括して討論に付します討論は通告順によつてこれを許します。圓谷光衞君。
  77. 圓谷光衞

    圓谷委員 自由党を代表いたしまして、この法案に賛成いたします。われわれの了解するところでは、免許法は教育者の素質を向上して、国民の子弟を保護するために立法されたものであつて、無資格教員の免許状と臨時免許状の有効期間は一年が原則であるということを了承しておるのであります。地方によつては、この免許状を持つている教員が、相当現在においては数が多いので、原案において、地方によつて二年にすることもできるとしたことも、またやむを得ざる処置であると考えるのであります。これを政令で定める、府県では三年にすることができるという修正は、北海道のごとき例外的なる府県においてのみ適用さるべきものであつて、その運営にあたつては、大学の新卒業生の就職を妨げ、教育の機会均等の大原則の実現を阻害することのないよう、政令で制定の際、政府において厳重に注意されることを強く要望して、本案に賛成するものであります。
  78. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 小林信一君。
  79. 小林信一

    小林(信)委員 修正をした両法案に対しまして、賛成をするものであります。  この両法案の提案理由の中に、この法律教育職員の資質の保持と向上を考慮するものであつて、そのために、政府といたしましては、ここに修正案の改正案提出した、こういうふうに申されておるのであります、なるほど修正したものから見ますと、相当にその点が考えられておると思いますが、まだまだ根本的にこの法律をもつて教育職員の資質の向上、あるいは保持ということが全うできるとは、私たちには考えられないので、政府に対してこの点十分なる考慮をしていただきたい、こういうことを念願するものでありまして、私は特に次の点をこの際申し上げたいのであります。新しい制度とこれに伴うところの教育方法という二つの事実を通しまして、その資質を向上して行かなければならぬのでありますが、現行制度は、これは日本の従来の教育が自然的に発展したものでなくて、他国のものをそのまま取入れたものであります。なるほど制度は共通するところはあるかもしれませんけれども方法においては、十分日本独自の文化とか、あるいは国民性、あるいは現在の経済事情、こういうものに即して行かなければならないものであつて、単に他国のものをそのまま取入れておる場合は、日本的な真の教育というものは生れて来ない。今現に行われておりますところの教員の資質向上というようなことが、何ゆえ実質的に教職員の資質を向上することができないか。今日の段階に立つても、教職員の質が低下しておる、あるいは教育に対する熱意がないというふうなことが言われておるのは何か。この二つの新制度という問題と、あるいはこれに対する方法という二つの問題と、それからこれに対しまして政府が処置するところの免許法というものに欠陷があるがために、そういうことができておるのではないかということを痛感するものであります。やはり教員諸君の経験というふうなものを、相当重視いたしまして、その経験の上に立つて教員諸君が熱意を持つて日本的な教育方法を創意工夫して行くというようなことがなされない以上は、真の資質の向上は望まれないし、日本教育の充実はないと思うのであります。最近心ある教育者諸君がこれを感じまして、政府の今考えておるような方法でなく、みずから自分たちの教養に努めようとしている傾向が見られるのでありますが、これに対して政府の方でも、この免許法のみによつて教員の資質を向上するというようなことは妥当でない、もつと積極的に教員の意欲を燃やして行かなければならぬというような感じを、私たちが質問している中から多分に受けたので、今後そういうふうに努力して行かれると思うのであります。問題は講師のことになるわけでありますが、講師の諸君といえども、やはり十分な勉強ができないとか、まだ新制度を解釈するだけの余裕とか、あるいは経済的な余裕が与えられておらないというような点もあるし、また何か政府の方からいたしまして、こういう方法で教えろというような形で押しつけられるような傾向があるのであります。そういう点から見ますると、講師の問題は、あながち講師自体の問題でなくして、政府当局にそういう問題が多々あるのじやないか。政府当局がまたそういうふうな形に出て行くことは、やはり免許法そのものに何かそういう傾向をもたらしておるのじやないかというふうな点も考えまして、この免許法の問題につきましては、まだまだ検討することが多々あるように考えられます。教員諸君が一番自覚する点は、自分の経験の上に立つことであつて、その経験の上から新しい制度を十分消化して、自分でくふうし創造して行くというような考えを持たせるような方法が、この際とられなければいけない。一応教員諸君に対しまして、基準というようなものをつくつて、こういう段階を用意することはいいかもしれませんけれども、それによつて、単にその段階をふんで行きさえすればいいんだ、そうすれば自分の身分が安定するんだ、生活が安定するんだというような感がまだまだ深いのでありますが、これを除去して、真に日本教育を自分たちの手によつてつくつて行かなければならぬという責任感を持たせるということは、他の何らかの方法によらなければならぬということを、今日の事情からして私は痛感しておるものであります。単なる免許法によつて資質が向上できるというような考えを、もし政府当局が持つならば、日本教育は、この免許法に負うところが多いのでありますから、考慮していただかなければならない、そういう点で今回の一部改正を見たわけであります。経験ということを重視しまして、従来の既得権を幾分復活されておる点は、教員諸君に非常な感激を与えると思いますが、これとても、私たちはまだ十分でない、かように考えております。  なお改正個所におきまして、聾唖学校の先生方に、一級普通免許状をとる場合には、従来単位を獲得する要はなかつたのでありますが、今回六単位を加えられたことは、一面聾唖学校が、他の学校に比較いたしまして何となく権威がなかつたような感を与えたものが、これによつて一層聾唖学校の必要性、重要性が認識されて、権威を与えたということにはなるわけでありますが、しかし聾唖学校の特殊な事情と、これに従事しております教育者諸君の問題を考えますときに、遺憾に思う点であります。しかしそのためには、十分なる講習の機会を与えられ、あるいは施設の充実をして行くとか、あるいはそのために必要な経費等も他より実情に沿つて多く支給するというような内容を承りまして、了解するのでありますが、特にこの点がほかの部面に比べまして、以前よりも強化されるような傾向にあつたことは遺憾であります。ただいま自由党の方から、臨時免許状の問題で北海道等が……(「簡単簡単」と呼ぶ者あり)——これは単に北海道だけの問題ではないと思うのです。各府県にも相当そういう実情があるわけですから、あながち北海道と限定されるようなことは、せつかくの修正の意味がなくなりますから、北海道に限定されるというようなことに政府でとらわれず、またこれではせつかくの修正が無意味になるわけでありますから、私たちはそういうように限定をしないよう希望するものであります。  簡単にというお声がありますから、以上をもつて政府に御注意を促して賛成するものであります。
  80. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 坂本泰良君。
  81. 坂本泰良

    ○坂本(泰)委員 社会党を代表しまして、簡単に意見を申し上げます。  教育職員の免許法自体につきましては、われわれは非常な疑問を持つているのであります。しかしてこの教育職員免許法教育職員の資質の保持と向上をはかるという目的に沿うかどうかという点についても、非常に疑問を持つておるものでありましたが、この教育職員免許法が施行になりまして、この実行にあたつて非常に困難な問題が生じたのであります。特に薄給である教育職員は、この免許法をとるために、非常に経済的に負担が重加されまして、単に免許をとるために吸々として、かえつて教育職員の資質が低下するというような、結果を惹起いたしたのであります。しかしながら、この法が規定され、終戦後の日本としては、どうしても教育職員法律的に賦課された義務だとすれば、何としてもこれはやつて行かなければならないのであります。しかしてその運用において、非常に遺憾な点がありましたのを、今回のこの改正は、その運用の点を打開するために払われた努力であり、その結果この二年を三年にするというふうになつたのであります。これは先ほど小林君の意見にもありましたように、単に北海道だけの問題ではなくて、やはり全国的の問題だと思うのであります。仮免許状を獲得するのに対して、法律によつて負荷されたものを修了して本免許状をとるためには、やはり相当の期間を与えなければならないと思うのであります。かような意味におきまして、この二年を三年にいたしましたのは、これは全国的のものである。その全国的の状況、事情に応じてこれを適用すべきものであるということを了解いたしまして、この点賛成いたすものであります。  またその他の改正の点につきましても、やはりその具体的の実行の面において努力を払われておるのでありますから、根本問題は別といたしまして、法によつて教育職員に負荷された義務だとすれば、なるべくその実行が教育職員のためになるように、しかしてそれがひいて教育職員の資質の保持と向上になるようにしなければならないのであります。かような意味において他の改正の点においても賛成をいたす次第であります。ただ聾唖学校に対するところの六単位を附加された点は、この免許を受けられる教職員自身について考えますと、これもまた非常に困難な問題があると思われるのであります。またこの六単位をとるために、教職員個人的負担も相当重加されることになると思うのであります。政府当局におかれましては、かような点を打開して、なるべく無理のないように、この免許状の獲得について留意せられんことを切望いたしまして、本法案に賛成をいたす次第であります。
  82. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 渡部義通君。
  83. 渡部義通

    ○渡部委員 私は参議院が修正議決した部分を含めてのこの改正案に賛成いたします。  その理由を述べますが元来二十四年五月三十一日に成立した免許法及びその施行案ついてはわれわれは断固として反対して来ました。なぜわれわれが反対したかと申しますと、それは教職員の資質向上を目的とするものであることがうたわれているにかかわらず、たとえば現行法の第五条等に見るように、これは教職員身分や政治的自由というものに、非常に強い制限を加えた結果、教職員を再び戦前のように卑屈無気力な教職員にする可能性を十分に含んでおり、その結果教職員の自発的な、創造的な発展というものをチエツクする欠陷、憂いが十分にあろということ、さらにまたこういう制約の結果は、決して教職員の質的な向上を来すものではなくて、かえつて教職員に対する国家の、あるいは官僚的な統制というものを強化するだけになるのであつて教職員の自発性というものを失わせることによつて、むしろ教職員の質的低下を来すだろうということ、これが第一の私たちの徹底的に反対した理由でありました。第二は、任命権者に教職員身分上の生殺与奪の権をある程度まで与える結果になるという点から、われわれは反対したのでありました。第三には、教職員がすでに得ておつたところのいろいろな自由や権利、身分上の保障というものが、かえつて現行法によつては奪われることになり、また免許を取得する上では現実問題として、時間的にも経済的にも、はなはだ無理困難を伴うものがあつた。その点でまた資質の向上にもならないし、授業上の支障も、非常に大きい憂いがあるというので、私たちは現行法に対しては徹底的に反対して来たわけでありました。  この私たちの反対した基本的な部分については、今日の修正案においても、何ら修正されておらない。しかしながら、今度の修正案は、教職員の免許の取得上に関するいろいろな不便や不利益が、多少ともこれによつて緩和された、この緩和されたことが教職員一般の現在要望しているところのものに比較的接近して来た、こういう意味とまたこの限度において、私たちとしてはこの修正案に賛成するわけであります。  なお今日でも、修正部分においてもいろいろの欠陷も弱点もあるわけでありまして、ことに盲聾唖学校等の事柄については、教員組合等の、従つて教職員一般の非常に強い要望があつたにもかかわらず、こういうことが取上げられていない、つまり採用されていないというふうなことがありまして、この点に関しては、今小林君や坂本君が言われたと同じような点から、私たちは、今後も強力に教職員たちの要望を実現して行かなければならぬと思つております。  以上の限界をもつて私は賛成をしておきます。
  84. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 これにて討論は終局いたしました。  採決いたします。賛成の諸君の起立を願います。     〔総員起立〕
  85. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員 長代理起立総員。よつて本案は参議院送付案の通り可決せられました。  なお報告及び報告書の提出については委員長に御一任をお願いいたします。  ちよつと速記をとめてください。     〔速記中止
  86. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 速記を始めてください。     —————————————
  87. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 次に文化功労者年金法案を議題とし、質疑に入ります。本案は参議院が修正議決せられて送付せられた議案であります。これから質疑に入ります。
  88. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 大臣が御出席になるまで、他の政府委員に御質疑ございませんか。
  89. 浦口鉄男

    ○浦口委員 政府委員がおいでのようですので、ひとつお尋ねをいたします。提案理由の説明の中にあります、従来ありました天皇の栄典大権に基く文化勲章制度とは別個にこれをおつくりになつたことは、承知するのでありますが、この文化勲章制度が別に存続して行くものかどうかその点をお聞きしたいと思います。
  90. 岡田孝平

    ○岡田(孝)政府委員 これは従来あります文化勲章制度とは別な制度として、新たにつくろうとするものでございます。従来の文化勲章は、文化勲章令という勅令によりましてこれを行つておりますが、文化勲章令はそのまま当分続く予定でございます。しかしながら、この勲章制度につきましては、別に内閣の方で、将来栄典法というようなものを考究しておりますから、その際には文化勲章もその栄典法の中に入る、かように考えております。今回出しました年金法は、それとは別なものとして考えております。
  91. 浦口鉄男

    ○浦口委員 別にこれをつくられた理由と経過を、もう少し御説明願いたい。
  92. 岡田孝平

    ○岡田(孝)政府委員 従来あります文化勲章制度は、天皇の栄典大権といたしまして、勲章制度の一環として行われております。それはもつぱら精神的な優遇のみでございまして、何らこれに対して物質的な点は考慮されておりません。ところが、文化の発達に非常に貢献のあつた者に対しまして、何らかの物質的待遇をもあわせ講じまして、これを表彰したらどうかということが、相当輿論にも起つて参りまして、かような制度をつくつたわけでございます。それで、従来の文化勲章の方は、学術芸術という二つの面に大体局限されておりまして、その他の文化に対しましては、ほとんど考えられておりませんでした。單に学術、芸術そのものの価値を高めたということで、これに対して文化勲章をつくつたことが、大体その趣旨であつたのでございます。今回はややそれを広めまして、学術、芸術はもとより、教育、宗教、その他思想一般の、いわゆる文化という方面に特に功績のありました者に対しまして、この年金を支給することにいたしておるのであります。なお勲章制度そのものに、直接に年金をつけますと、やはり憲法上疑義がございますので、そういう点を避けまして、これは別に政府といたしまして、年金を支給することを内容とする顯彰制度を設けよう、こういう趣旨になつております。
  93. 浦口鉄男

    ○浦口委員 今の御説明から、こういうふうに了解してもよろしゆうございますか。将来、文化勲章制度は、このたび提案されました文化功労者年金法案の中に包含されるもの、こういうふうに解釈してよろしゆうございますか。
  94. 岡田孝平

    ○岡田(孝)政府委員 勲章制度とは、将来といえども別に取扱うことになつております。
  95. 浦口鉄男

    ○浦口委員 ただいまの御説明だけでは、なぜこれを並行して置かなければならぬかということが、どうもはつきりしないのであります。それは、たとえば今までの勲章制度には、物質的な裏づけがなかつた、あるいは勲章制度そのものに年金を付することが法的にどうとか、こういう理由があつたのであります。しかも従来の文化勲章制度は、学術、芸術だけを含んで、その他のものを含まない。従つて、もつと幅の広い、一般文化に対する功労者を表彰しよう、こういう意味からこれができたというお話ですが、どうも前の文化勲章制度を置きながら、これを将来も並行して行くことに対しての根拠が、非常に薄弱だと思うのでありますが、その点もう一度お聞きをしておきます。
  96. 岡田孝平

    ○岡田(孝)政府委員 先ほど申し上げましたように、勲章といいますと、これは天皇の栄典大権でありまして、これは明らかに天皇の権限のもとにあります栄典になるわけでございます。これはもちろんそういうことに対して、何らか物質的なことを考えるということも、いろいろ研究いたしたのでありますが、むしろ勲章そのものとは離れまして、政府が特に文化に功績のあつた人たちに対して、賞金として年に五十万円を支給して、そうしてその者の功績を顯彰する。物質的な内容そのものを直接内容といたしまして顯彰するということを、これは天皇の大権とは離しまして政府の仕事としていたしたい、こういう趣旨であります。
  97. 浦口鉄男

    ○浦口委員 具体的に申し上げますと、従来の文化勲章制度においても、このたびの文化功労者年金法案におきましても、いわゆる学術あるいは芸術についての功労者を表彰することになるわけで、その場合にこの二つの制度によつて、実際問題として扱われるその功労の大小とか、軽重というようなものが出て来るのかどうか、その点をひとつ……。
  98. 岡田孝平

    ○岡田(孝)政府委員 従来の勲章とこれと比較いたしまして、功労について特に軽重はないと存じます。先ほど申しましたように、單に学術、芸術のみならず、その他文化の面に功績のあつた者に、広く年金を支給することになりますから、そういう面におきまして、実際勲章をもらいます者と、年金をもらいます者とは、事実において異なつて来るということも予想しております。ただしかし、文化に顯著な功績のあつた者というのは、大体文化勲章をもらつております者が、年金を支給する場合に、その有力な候補になるということは、当然予想されますので、一致する場合も相当多いと思いますが、必ずしも一致しない。ただその功績におきましては、別に軽重はありません。  もう一つは、勲章の方は内閣の賞勲部の方で取扱つておりますし、そういう関係で、取扱う役所も違います関係もありまして、必ずしも一致いたしませんが、功績ということにつきましては、別に軽重はないと存じます。
  99. 浦口鉄男

    ○浦口委員 そういうことになつて参りますと、勲章で受けるか年金で受けるかというふうな違いで、これを二つ似たものを置くということは、どうもたいへんおかしいように感ずるのでありますが、今急にこれを一つにまとめることがむずかしい何か事情があるのかどうか。あるいは将来はまとめるべきではないかと思うのですが、その点いかがですか。
  100. 岡田孝平

    ○岡田(孝)政府委員 その点は、憲法の十四条に規定がございまして、勲章その他の栄典に対しましては、何らの経済的の特権も与えてはならないというふうにございまして、勲章そのものにかような年金を支給することにつきましては、非常に疑義がございますので、そういう点を避けております関係上、これを一本にすることは、ちよつと困難ではないかと存じます。
  101. 佐藤重遠

    佐藤(重)委員長代理 本日はこれにて散会いたします。明二十一日は午前十時定刻より開会いたします。     午後四時三十五分散会      ————◇—————     〔参照)教育職員免許法の一部を改正する法律案内閣提出参議院送付)に関する報告書教育職員免許法施行法の一部を改正する法律案内閣提出参議院送付)に関する報告書(都合により別冊附録に掲載)