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1951-03-20 第10回国会 衆議院 文部委員会 第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年三月二十日(火曜日)     午前十一時三分開議  出席委員    委員長 長野 長廣君    理事 岡延右エ門君 理事 佐藤 重遠君    理事 若林 義孝君 理事 小林 信一君    理事 松本 七郎君    柏原 義則君       甲木  保君    高木  章君       東井三代次君    飛嶋  繁君       圓谷 光衞君    平島 良一君       井出一太郎君    笹森 順造君       坂本 泰良君    渡部 義通君       浦口 鉄男君  出席国務大臣         文 部 大 臣 天野 貞祐君  出席政府委員         検     事         (法務府法制意         見第二局長)  林  修三君         文部政務次官  水谷  昇君         文部事務官         (大臣官房会計         課長事務代理) 相良 惟一君         文部事務官         (大臣官房宗務         課長)     篠原 義雄君  委員外出席者         労働基準監督官         (労働基準局監         督課長)    堀  秀夫君        專  門  員 横田重左衞門君         專  門  員 石井つとむ君     ――――――――――――― 三月十九日  委員受田新吉辞任につき、その補欠として坂  本泰良君が議長指名委員に選任された。 同月二十日  委員若林義孝辞任につき、その補欠として森  下孝君が議長指名委員に選任された。 同日  委員森下孝辞任につき、その補欠として若林  義孝君が議長指名委員に選任された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した事件  宗教法人案内閣提出第五一号)  教育職員免許法の一部を改正する法律案内閣  提出一〇七号)(予)  教育職員免許法施行の一部を改正する法律案(  内閣提出一〇八号)(予)     ―――――――――――――
  2. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 これより会議を開きます。  教育職員免許法の一部を改正する法律案、同施行法の一部を改正する法律案、この二案を一括して議題といたします。本案は予備審査中の法案であります。これより質疑に入ります。――それではただいま議題といたしました二つの法案に対する質疑ちよつと留保いたしまして、宗教法人法案議題とし、質疑を継続いたします。
  3. 若林義孝

    若林委員 昨日の公聽会において、宗教法人法重要性その他が非常に明確になつたのでありますが、この法案の中にある信者という意味であります。境内建物その他においては、各宗派宗団における異なつ言葉で呼ばれておりますその言葉意味を、政府当局から明らかにせられたのでありますが、この信者という意味宗教団体法人関係者包括して、信者どいう文字で呼ばれているようであります。この信者とは一体どういうものを指さすか。アメリカ・イギリスの方ではビリーヴアーと呼んでいる。あるいは宗教法人構成員という文字もあると思うのであります。あるいはメンバーという字にしてもいいのではないかと思つたりするのであります。在来、宗教法人に関する信者に類するものとしては、われわれの感じで申しますと、氏子崇敬者信徒教徒、檀家、檀徒、そうして信者、それから、あるいは指導的の幹部になりますものとしては、教主、管長、宮司、法主――順序はいろいろ違いますけれども、いろいろの名前で呼ばれておるのでありますが、それを一切合財包含したのが信者かとも思うのであります。そういう意味において、大体これはあげ来るならば無数にあると思うのでありますけれども、政府として調査の上でとらえておられます意味をひとつ明確に――条文には、数が多過ぎて載せられぬと思いますから、一応ひとつここで議事録の中にでもとどめておきたいと思つて、御説明をお願いいたす次第であります。
  4. 篠原義雄

    篠原政府委員 ただいまの御質問でございますが、お話もありますように、信者意味につきましては、若林委員のおつしやつた通りのことをわれわれは了解しております。すなわち現実的に申し上げまするならば、氏子崇敬者檀徒教徒信徒等意味しております。ほかに、なおこの信者につきましては、それを信奉する教師尼教師、いわば僧侶など、そういうものも包括して、宗教団体人的内容をなすところのすべてを総称してこれを信者と呼んでおる次第でございます。
  5. 若林義孝

    若林委員 事はきわめて小さくなりますけれども、ひとつお答え願いたいと思います。第一条の「集団」と「団体」との区別をお聞かせ願いたい。
  6. 篠原義雄

    篠原政府委員 ここで「集団」と申しますのは、人的な集まり、しかも、それが特定の目的のもとに組織されたものでない人的結合集団と考えております。  それから団体の方は、一定目的のもとに組織的に一体をなした人的な結合をわれわれは団体と考えおる次第でございます。
  7. 若林義孝

    若林委員 次に第二条の第一号の「教会」と、第二号の「教会」との区別をひとつ説明願います。
  8. 篠原義雄

    篠原政府委員 第一号の「教会」は、いわゆる目に見える会堂中心といたしました物的、人的な総合的な団体意味しております。第二号の方の「教会」は、御承知のようにキリスト教関係宗教団体に見受けられますような、非常に広範囲人的組織を持つたもの、具体的に申しますならば、キリスト教を信ずるすべての、その教団の人的な集まりであるとともに、それが一定会堂あるいは施設を持ち、総合的に活動されておる実体を称して、ここに教会と表現しておるわけであります。
  9. 若林義孝

    若林委員 「主たる目的とする」という字が二条にあります。それから「包括」という文字が使われておりますが、この二点について御説明をいただきたいと思います。     〔岡(延)委員長代理退席委員長  着席〕
  10. 篠原義雄

    篠原政府委員 「主たる目的」と規定いたしましたゆえんのものは、宗教団体活動実態を見ますときに、二条で規定いたしますような目的を、その本来のおもなる目的としておるという実態であるとともに、一面におきましては、これらの目的以外に社会事業あるいはその他の事業を行つておる実態でございます。これらを慣例上われわれの方では副目的と称しております。それに相応して、先ほど申し上げました本来のおもなる目的を主目的と唱え、社会事業その他公益事業等遂行目的を副目的、こういうふうな唱え方をして、その関係から主目的というふうに規定したわけでございます。  それから「包括」ということでございますが、これは單位団体である寺院神社教会等宗教団体組織的実態とした総合的な結合、その結合内容につきましては、規則において定めることになつておりますが、濃い、薄いの関係はございますけれども、これらを母体とした総合的な団体を「包括」というふうに言葉の上で表現しておるわけでございます。
  11. 若林義孝

    若林委員 「礼拜施設」ということが、昨日も問題になつておりましたが、いま一度簡明、明快なる御答弁を願いたいと思います。
  12. 篠原義雄

    篠原政府委員 礼拝の施設というものは、御承知のように、宗教団体の大半、はたとえば本殿とか拜殿とか、本堂とか、会堂中心活動しておる状態でありますが、これらの建物を総称し、また必ずしも本殿とか、拜殿とか、そういう形式を持たなければならないという意味ではなく、いわゆる宗教団体の信仰の中心体である本尊とか、あるいは奉斎主神、かかる神仏の安置されておる、またはこれを崇敬する場所としてしつらえてあるところのものを、礼拜施設というふうに考えておるわけでございまして、その所有関係あるいは借用関係というものは、この法の上では、必ずしも所有関係でなければならないというような意味には考えておらないので、かなり広い意味における礼拜施設ということを御了承願いたいと思います。
  13. 若林義孝

    若林委員 「教派宗派教団教会修道会司教区」という字が使われておりますが、これについて、ひとつ簡明に御説明願いたいと思います。
  14. 篠原義雄

    篠原政府委員 「教派」と申しますのは、御承知のように、神道教派という教団が、従来神道教派十三派と申しまして存在しておるわけでございますが、この神道十三派のことを教派神道と申しております。その教派という言葉をここでとらえて来たわけであります。「宗派」と申しますのは、従来仏教宗派と呼ばれておりました仏教の各宗各派を、ここでは宗派という言葉でとらえた次第でございます。「教団」と申しますのは、キリスト教その他の宗教団体に使用されておる言葉でございます。おもにキリスト教団あるいはカトリック教団というような実例がございますのを、ここでとらえた次第でございます。「教会」は先ほど簡單ながら御説明申し上げた通りでございます。「修道会」と申しますのは、カトリツク関係の、もつばら信者の方が自己の宗教的な営みをするために、行的な修行をし、あるいは折りの生活をする、そのために団体を結成され、しかもそれが実際面について見ますときには、多くの場合社会活動と申しますか、社会福祉的な活動の方面にみずから奉仕するというところに、非常に大きな特色を持つておりまして、こういつた団体の全部を総称いたしまして修道会と呼んだのであります。司教区と申しますのも、これもカトリック教団にございますところの包括的な団体でございまして、これは御承知のように、司教区の責任者といたしましては、司祭あるいは司教といつた一定教職教権を持つた方がおります。その下に教義上の問題あるいは財産権の問題、こういつた物心両面支配権を持つた司教さんがおいでになりまして、その管轄下にある教会堂を統轄しております。しかも会堂を備えて信者を持つておる次第でございまして、この包括的な宗教実体を、カトリックでは司教区と唱えておりますものを、この法文の上に明示した次第でございます。
  15. 若林義孝

    若林委員 次に第三条であります、昨日の公聽会でも、墓地公益事業用地その他が問題になつたわけでございますが、「固有」という文字意味と「一画の土地」という意味とを明確にされつつ御説明を願いたいと思います。
  16. 篠原義雄

    篠原政府委員 まず「固有」という文字、それから三条第二号に規定してあります「一画の土地」これを一応概念的に御説明申し上げつつ、墓地公益事業と関連して参りたいと思います。  ここに「固有」というのは、性質的にながめまして、宗教団体が本然的に通性として持つている性質というような意味合い、本来具有するといつたような意味合いにわれわれは理解しておる次第でございます。従つてそのこと自体から、その境内地境内建物が、その当該宗教法人所有にかかわるということを意味しておりませんので、あるいは借用する土地建物でもけつこうであります。ただこの「固有」は性質を表わしたものと御了解願います。  次の「一画の土地」でございますが、「一画」とは、御承知のいわゆる雨だれ落ち意味しないという意味でございまして、建物あるいはその周辺を総括いたしまして、建物存在するならば、その付近土地一体も、その存在をして意義あらしめるという関係から、「一画の土地」というものを考えた次第でございます。実例といたしましては、多くの場合一筆の土地という形で登記等に利用されておりますが、これがいわゆる「一画の土地」の意味と了解願いたいと存じます。これらを考えますときに、境内地範囲との関係におきまして社会事業その他公益事業を考慮いたしますと、公益事業がここにあげますところの境内地の中にたまたま営まれる場合におきましては、そのことによつて、すなわち公益事業の用に供される建物があるからというその理由だけから、境内地から除却される、境内地範囲が消滅するという意味ではないのであります。こういうふうに理解してこの「一画の土地」というのを相当汎範囲に考えている次第でございます。なおその建物が、本来宗教活動公益事業その他を営むのを目的にしております関係上、境内地というものの中に包含されて考察されることが、あるいは至当ではないかということから、境内地範囲の中に公益事業等の場合の規定を挿入したらどうだという御意見のように理解されるのでありますが、ここでは先ほどの固有といつたような意味合いから、もつぱら宗教的な活動の面をとらえて、ここに境内地境内建物の一応の定義をした次第であります。必ずしも公益事業をしておるから境内地になるという意味ではないのであります。それからその公益事業用地がただちに境内地になるとするならば、非常に範囲が複雑になります。あるいは遠近の距離の関係等を考慮します場合において、墓地境内地その他の関係でこれを考えなければならない、あるいは社会通念的に申しますならば、非常に広範囲な、しかも宗教活動の面との結びつきが薄いというような関係もできて来ますので、一応この公益事業建物に要する土地境内地とするという明文をこの規定の上に設けなかつた次第でございます。  それから墓地につきましては、境内地の中に散在する墓石、あるいは墓地形態をとつておるもの、並びにその宗教活動のために必要であるという現実要求から、境内地に隣接したところに墓地を設けておる場合、こういう関係墓地につきましては、われわれは境内地という範囲の中にこれを考えたいと思つております。しかしながら、それが墓地であるからでなくして、当該社寺関係において密接不可分関係にあるという実体をとらえまして、その墓地境内地の中に包含せしめる、こういうように考えております。
  17. 若林義孝

    若林委員 質問はそのくらいにいたしまして、残余文書によつてお尋ねしようと思いますが、いま一点宗教法人の十二条であります。この間もどなたかから御質問が出たようでありますが、同じ名称を他の宗教団体が使うことが、禁止されておるようには思わないのでありますが、これはこの法の上ではさしつかえないのであるかどうか。あるいは宗教法人自体が、他の名称を使うことを禁ずるということを法人規則できめることができるのか、そういうことについてひとつ
  18. 篠原義雄

    篠原政府委員 宗教法人名称等についての御質問でありますが、この名称につきましては、御承知のように宗風伝統がございまして、具体的な例をとるならば、お寺関係につきまして、同じ名称が用いられている現状でございます。あるいは同じ山号と申しますか、何々山何々寺という、あの山号についても用いられております。これを法の上で規制するということは、実態、あるいは伝統、あるいは宗風を法で規制するという形になりまして、行き過ぎではないかと思いますので、そこまでは法は考えておりません。なお、各宗派なり教団規則で、そういう禁止をすることは可能である。同一宗派内におきましては、その取扱いにおきまして、規則をつくつて濫用を防ぐということは、けつこうでございますが、その規則は他の宗派教団に適用されませんから、必ずしも他の宗派お寺名前を一宗派規則で制限するということはできないかと考えております。
  19. 若林義孝

    若林委員 この点もう一点。例をあげるとちよつと変になるのですが、天理教なら天理教の本部が、どういう名前をつけておるか知りませんが、大和の丹波市にあるわけであります。悪意ある者がその名前を利用して、東京のどまん中へ持つて来て同じ法人名をつけた団体ができた場合――これは天理教内部の問題だけではなくして、天理教と別個の人がやるか、あるいはその内部人たちが悪意を持つてそういうことをやつた場合はどうなるか、そこをひとつお伺いしたい。
  20. 篠原義雄

    篠原政府委員 実際問題といたしまして、われわれといたしましても、非常に困つた問題だと思つておるわけであります。宗教法人公益性、あるいは社会一般取引の安全の上から申しまして、強く特性を生かしたいという趣旨から申しますならば、そういうことを禁止あるいは防止することが望ましいのであります。しかし名称それ自体が、宗教の本来の活動根本義に触れて来るところに非常に問題がございまして、われわれといたしましては、法人公益性を確保するという意味で、宗教団体各位において自主的に御考慮願いたい、こういうふうに思つております。また法の上でこれを禁止する、あるいは防止するということは、先ほどの例から、行過ぎではないか、こういうふうに考えておる次第であります。
  21. 若林義孝

    若林委員 残余が相当あるのでありますけれども、他の委員の発言があるようでありますから、文書によつてただすことにいたしたいと思います。
  22. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 先ほどの若林委員墓地の問題と関連して、ちよつと注文をしたいと思うのであります。  実はこの問題につきましては、昨日もちよつと公聽会において触れましたけれども、仏教におきましては、ほとんど原則的に墓地寺院境内にある。しかもその土地たる国有地であつたりするので、これは問題はおのずから別でありまして、この点この法案においても疑義はないと思いますが、比較的新しく渡来しました、たとえばキリスト教等におきましては、これは渡来の新しい古いの問題ではなく、原則的に教会墓地とは全然切り離しております。教会境内墓地があるというのは、カトリックにおいてもプロテスタントにおいてもないのであります。たとえば東京都におきましても・カトリックあたりは、私有地か公有地か知りませんけれども、付近墓地を購入して、ここに共同墓地を設定している。こういうことになると、いわゆる寺院に付属するところの境内地における墓地とは、非常に問題が違う。そこに関係者の危惧もあるわけであります。その点につきましては、昭和二十一年かに、内務省からですか通牒が出ているそうであります。またそれに関連して幾つかのそういつた通牒みたいなものがあるわけであります。これは今回は間に合いませんでしたけれども、将来の問題として、その通牒の次第によりましては、これを法律に織り込むような用意もしなければなりませんから、その通牒等の参考になるものを、委員会提出していただきたいということを御注文しておきます。
  23. 篠原義雄

    篠原政府委員 岡委員の御意見の点は、非常に重要な問題でありますので、われわれといたしましても、十分注意いたしておる次第でございます。なおただいま御要求に相なりました墓地等に関する通牒につきましては、本日中に御配付いたそうかと用意しておりますから、後ほどお手元にお配りできることと存じます。
  24. 渡部義通

    渡部委員 根本的な点は、大臣が出席されてから、さらに質問したいと思いますが、技術的、解釈的な点に対して二、三質問を続けます。  関連的なものになると思いますが、境内地の第五号の「庭園、山林その他尊嚴又は風致を保持するために用いられる土地」という場合に、この山林の中には、広大なものがありまして、この広大なところに住民があり、その住民がこの土地用役しておる場合がしばしばあるわけです。そういう場合に住民用役地と従来の神社もしくは仏閣の境内地というようなものとの関係はどうなりますか。
  25. 篠原義雄

    篠原政府委員 具体的にはちよつとわかりかねますが、おのおの社寺所有関係を持つておるものにつきましては、おのずからその住民との関係につきましては、あるいはそれが住民に貸しておるか、あるいは使用権を設定しておるかというような技術的な関係が出て来るだろうと思います。しかしその関係しておる範囲につきまして、現実住民がその生活目的に使われておる場合におきましては、それは境内地の中から省かれて考えられておる、こういうのが実情であります。
  26. 渡部義通

    渡部委員 神社佛閣所領地と、そこの住民あるいは農民との間における関係については、古来日本の歴史の中で、非常に問題になつて来ております。現に伊勢神宮のあの広大な裏山の山林について、農民入会権の問題とからんで、紛争が起きておる。こういう場合に、これを神宮の領地として免税とか、あるいはその他の特権的なものが確保されるのか、あるいは農民入会権を主張しておるように、その権益が十分貫徹されるような形で解決されるのかというような事柄が、現実問題としては非常に重大になつて来ておると思います。こういう場合に対する明確な見解を持つておられることが必要だと思うので、その点を伺いたい。
  27. 篠原義雄

    篠原政府委員 具体的に申しますれば、伊勢神宮国有境内地について、お説のような問題があるやに聞いております。この問題は国有地の無償讓与の法律の適用の中に置かれております。従つて宗教活動に必要な範囲については、国有地当該社寺に無償で讓与するということになつております。宗教活動に必要な範囲の認定につきましては、大蔵大臣の所管のもとに社寺境内地処分審査会という機関が設けられおります。おのおの專門学識経験者がその宗教活動に必要な範囲についての決定をし、その答申の結果大蔵大臣が決定する、こういう愼重な態度をとつております。ここで私がその内容につきまして、随意判断することは困難であると思います。
  28. 渡部義通

    渡部委員 こういう問題は、今後随所に起きて来る可能性がある。ことにこういう法案が出て、境内地というものが拡大されて来る。他方戰後増産云云というような事情から、そういう境内地がどんどん現実農民用役地として欠くことのできないものになつて来ておる。こういうときに、境内地を先にするか、農民の死活の現実の利益を先にするかというような根本問題は、政府として、はつきりした見解を明示しておかれる必要があると思うのです。もしあなたに解釈ができないとなれば、一体どこでその解釈をはつきりするのか、この点はどうですか。
  29. 篠原義雄

    篠原政府委員 この法案で、境内地境内建物規定しておりますが、この境内地境内建物は、いわばひな型的な内容を持つておりまして、このものが、ただちにこの法の施行とともに境内地になつてしまう、あるいは境内地に指定するんだ、こういう法律上の強い意味合いのものではないのでございます。従つて農地法との関係におきまして、われわれの承知する限りにおきましては、いわゆる境内地であり境内山林であるものが、あるいは開墾の形、あるいは農地の形において買収その他の行為が行われていることを聞いております。従つて、この法案農地法との関係におきましては、その農地法関係において処理される性質のものが多いのではないか。この法案自体が、境内地を設定するという意味には、理解しておらないのであります。
  30. 渡部義通

    渡部委員 そうするとこの入会地のような問題、おるいは境内地における農民現実用役の問題は、主として農地法によつて解決されるであろうという見解はわかります。そこで農地法によりますと、一般日本の耕地は、不在地主的な、あるいは不耕作的存在は、原則として許されないのであるから、神饌田とか仏供田とか修道耕牧地とかいうものが問題になつて来るわけです。従つてこの神饌田仏供田は、はつきり農地法によつて制約されると思うのです。この点は、私ははつきりしておると思うが、しかしその次の修道耕牧地が問題になると思うのです。修道耕牧地という限り、大体においては現在の農地法の圏外に置かれておる。言いかえれば、売買讓渡その他が自由な状態に置かれておる山林等中心になるわけですが、この山林修道院によつて広汎に買収され、あるいは寄進その他の方法によつて修道院土地となるようなことになつて、この修道院の広汎な土地が、生産的仕事に用いられるが、そのときにここに税金がかからないことになりますと、これは産業の面においても、非常に問題が含まれると思うのです。のみならず、この広汎な土地修道耕牧地という形で、一つの外国による治外法権的な形をとることがあり得るわけです。たとえば中国天主園の非常に広汎な土地が、アメリカクリスト教によつて囲われて、そうしてそこでいろいろな用役も行われておるばかりでなくて、ほとんど治外法権的になつて、どうすることもできないというような、外国土地がそこにできてしまうというようなことさえも起きているわけなんです。これは中国では非常に問題になつて人民革命の際に、そういうものは没収されたけれども、日本においてこのような状態ができる可能性はあり得るのであつて、しかも、今日のように日本外国から押えつけられているというような状況のもとにおいて、この広汎な耕牧地ができて来ますと、これはやはり治外法権的なものになつて来ることがあり得るのである、少くともそういう可能な危險性が予見され得るのであるから、こういうものに対する政府見解はどうであるかという点をお聞きしたいのです。
  31. 篠原義雄

    篠原政府委員 ただいまの農地法との関連におきまする神饌田仏供田、あるいは修道耕牧地等の御意見でございますが、現実の問題といたしましては、その農地の適否の関係、あるいは範囲関係、こういつたものは、各農地委員会において決定しておる状況でありまして、神饌田、あるいは仏供田、あるいは修道耕牧地が、農地の適用からはずされて、この宗教活動の用に供されておる実例もございます。それはいわゆる農地法の問題として論議すべきものではないかと思いますが、将来の問題におきましても、お説の点は、あるいは法令的裏づけとか、あるいは条約その他の根拠があつての上において、そういうことが可能かと序ぜられるのでありましてこの宗教法人法が、ただちに境内地を設定する趣旨のものではない。それらの問題は、他の問題との関連においてその法が優先するか、あるいは条約が優先するかという問題になるのだと思いますので、一応具体的な実例としては、そういうものがあるということをここで申し上げておきます。
  32. 渡部義通

    渡部委員 つまりそういう危險な可能性が予見されるのであつて、この修道院耕牧地というようなところは、農地法の圏外に属する。直接の取締り――取締りというよりは売買讓渡等の制約から除外されておる山林原野というものが対象となる点で、ことにこれが広汎に買収されて、それが生産を行つて無税にされる。その点で、日本の他の生産業者に対する関係からも、非常に困難な問題が起きて来るばかりでなく、他面では治外法権的なものになるとすれば、こういうことを防ぐような考え方を、政府において持たれる必要があるんじやないかという点、それを私はお聞きしておるのです。
  33. 篠原義雄

    篠原政府委員 この法案意味するところは、先ほど固有という意味合いのもとから申し上げておる次第でございまして、神饌田仏供田修道耕牧地等は、現実宗教活動それ自体、あるいは土地の上に礼拜し、あるいは儀式を行うといつたような慣例もございます。あるいはその土地の上で祈りつつ修行する。こういう実態がございます。しかもそれは一面におきまして信教の自由という面を考えますときには、宗教法人法案といたしましては、そういう土地境内地のうちに入れるのが至当ではないか、こういうふうに考えておる次第であります。
  34. 渡部義通

    渡部委員 私はそういう注意をはつきりさせる必要があると同時に、この危險性を明確に予言しておかなければならないと思うわけでありますが、この点は意見の相違になりますから打切ります。  次に、十八条の宗教法人の成立に関する問題になつて来ますが、宗教法人は、何人くらいから宗教法人ということができるわけですか。
  35. 篠原義雄

    篠原政府委員 人的な範囲につきましては、法文は規制しておりません。しかしながら、法案のほかの条項において規定いたしますような関係から予想しまして、宗教団体として自他ともに考えられる実質を持つに至つた場合を予想しております。従つて、たとえば公告の制度をとるとか、また責任役員その他の機関の職能規定であるとか、こういうものを考えますときには、必ずしも法では予定しておりませんが、五人であればいい、あるいは十人であればいい、そういうふうなことは考えられないと思います。
  36. 渡部義通

    渡部委員 それはもちろん常識的なことであるが、この法文によると、責任役員が三人以上あればいいというようなことになりますと、非常に小さな一握りの宗教法人ができる可能性があるわけなんです。この点は、やはりもう少し明確な考えを持たれる必要があるんじやないかという疑問があるので、もう少し明確にお答え願いたいと思うのです。
  37. 篠原義雄

    篠原政府委員 この人的範囲につきましては、たとえば非常に数の多いものが、活動が活発であるということにもなりませんでしようし、あるいは少数の者でも、非常に活発な活動をしている向きもございます。従つて、人的な範囲を法文の上で書き表わすこと自体が、非常に困難であると思いますので、これはこの法案全体が、みずからが、宗教団体としてその実質を有する場合においては、法人格を取得するために申請ができる、こういうふうな意味合いから考えまして、また設立の場合においては、信者その他の利害関係人に設立の公告をするという規定がございますし、かたがたこういうふうなことを考えますときに、特に神社寺院教会につきましては、礼拜施設を備えることを一つの要件と考えております関係上、そういつた宗教活動をなす実質的な母体を持つためには、相当な人的な関係も考慮されるし、こういつた種々の観点から、少数の者で、それらの意図のもとに宗教法人をつくるということでなく、社会的に宗教活動をなし得る実質を持つということが、この法案全体から御了解していただけるのではないかと思います。
  38. 渡部義通

    渡部委員 お答えのような趣旨であればこそ、問題があると思うのです。たとえば、発生期の宗教団体、あるいはこれから新しい宗教活動を行おうというような条件のもとでは、ごく少数の一握りの人たち宗教活動中心をなして開始されることになるのは、当然のことであつて、まず第一に、そういう条件がある。それから礼拜施設ということについては、私は反対であつたけれども、かりに礼拜施設というものが条件の中に入るとしましても、この礼拜施設というような規模については、何ら書かれていないのであつて従つてどんな小さい礼拜施設があつても、それは当然礼拜施設の中に入るのである。そうすると、一握りの人が小さな礼拜施設を持つて、これは宗教法人であるといつた場合に、この認証を拒否するところの根拠はないじやありませんか。
  39. 篠原義雄

    篠原政府委員 お説のように、認証を拒否する根拠はございません。
  40. 渡部義通

    渡部委員 そうすると、五人ぐらいの宗教法人というものが続出する可能性が、非常に多いということになるわけですが、そういう場合には、どうなるのですか。
  41. 篠原義雄

    篠原政府委員 はたして宗教団体として、五人ぐらいの人的な要素を持つた団体が、宗教法人として申請するかどうかの問題は、現実のわれわれの事務を扱つている関係から申しますと、大半そういうものは見受けられない、事実上の問題としては、ないと思います。
  42. 渡部義通

    渡部委員 そこに問題があると思うのです。もちろん正しい形での宗教活動が行われるような場合には、常識としても、そういうものは少いと思うのです。しかしながら、そうではなくて、宗教法人という名のもとに、免税的な意図を持つてやられるとすれば、そういうものが続出する可能性がある。宗教団体であるといつて、数人が集まつて何か小さい礼拝的なものを設け、この礼拜的なものは居住する家屋であるというような形で、免税の目的でするものが出て来る可能性はあり得るわけなんです。これを防がなければならぬが、その場合に防ぐような根拠は、この法の中にはないという点を指摘しなければならぬと思うのです。何かありますか。
  43. 篠原義雄

    篠原政府委員 ここで第二条におきましても、教義を広めるとか、儀式行事を行うとか、信者を教化育成するのを主目的に考えております。従つて、かりに御説のような例をとつて申し上げますならば、單なる自己の住宅で、あるいは他の目的のために存在しているところのものが、たまたま宗教的な集まりをするとか、あるいは礼拜の小さい施設を設ける、そのことで宗教団体となるかならないかという問題につきましては、われわれといたしましては、第二条の正常な適用において考えられますし、なおまたその後において、その主たる目的でなく、他の目的においてそれが存在しておるという団体がございます場合におきましては、認証の取消しの場合もありましようし、ひいては目的逸脱の関係から、解散命令の規定もございますし、あるいは罰則の規定もございまして、いわゆる不実の記載といつたような関係から、罰則の規定もしておる次第であります。
  44. 渡部義通

    渡部委員 この法人規定によつては、あるいは第二条をも含めたものとしても、不実であるかどうかというようなことを否定することは、非常に困難なのであつて、それが判定できないような形で行われることこそ、インチキ宗教の特質なんだから、その点は非常に注意しなければならぬと思うのです。そういう見地からしましても、たとえば戦後静岡県で届出をした宗教団体が、千二百に及んでおるということを聞いておりますが、こういう戰後千二百も続出する新しい宗教団体の中に、やはりこういう目的から出ているようなものがあり得るのではないかという懸念があるわけですが、それについては調査されておりますか。
  45. 篠原義雄

    篠原政府委員 静岡県にある宗教団体につきましては、直接の調査はしておりません。しかし県の方なり、あるいはその宗教団体から届け出てあるところの書類などによりまして、いわゆる宗教目的外の、一般の営利を目的とするとか、あるいは普通の社会生活をしていながら、たまたま宗法人を利用する、こういう向きのもののあることを――またそのさ少の資料は、われわれのところにもあります。
  46. 渡部義通

    渡部委員 戰後新しい宗教が、一つの県について千二百も出て来るというようなことは、実に私は重大な問題だと思うのであつて、それがこの宗教法人法の制定されなければならない一つの理由になつておるときに、先ほどから疑問の点を申し上げたような、抜け道が幾らもあるというようなものであつては、そういうインチキ宗教さえも取締ることができない。しかも他の方面では、重大な宗教の本質的な活動をする場合に、これを禁止するような、これを解散せしめ得るような条項さえも含まれておるというようなことでは、われわれは非常に納得できないわけです。むしろ、その無数に続出し得るような、しかもそれが免税とか、その他インチキの方法による私利私欲のためにできるものこそ、取締り得るような条項を、さらにつけ加える必要があるのではないか。そういう点に、不備はないとお考えですか。
  47. 篠原義雄

    篠原政府委員 あくまでも信教自由の建前を根本としておるこの法案につきましては、先ほども申し上げましたような認証の取消しであるとか、罰則の適用であるとか、あるいは解散命令であるとか、こういうことにおきまして、そういう向きのものの存在を防ぐことができようかと思われますので、お説のように、小さい団体でも非常にりつぱな教団もあり、宗教団体もある。従つてわれわれは、その中心を正常なる宗教活動をするその実体と申しますか、そのことをとらえ、それが信教の自由において確保されるということこそ大事だと思いまして、立案した次第であります。従いまして、先ほど申しました取締り監督の規定というものが、信教の自由の建前から、あるいは不安の念がおありになるかもしれませんが、本法におきまして規定する――先ほど来の説明で御了承願えると思いますが、現状においてはこの程度で十分だ、こういうふうにわれわれは考えております。
  48. 渡部義通

    渡部委員 あとは大臣が来てから質問します。
  49. 浦口鉄男

    ○浦口委員 ただいまの渡部委員質問に関連して、お尋ねをいたしますが、ただいまのこの法人としての構成人員の問題、これはやはり重大な問題だと思うのであります。実は昨日の公聽会におきましても、届出の宗教団体の数が約二十万、信者の数が九千六百万、日本人の人口の八千四百万より多い信者の数が届け出られておるということがわかつたのであります。もちろんこれについては、いろいろ論議されて、根本的にはわれわれも大体了承できるのでありますが、ここで問題になりますのは、認証を受けるときの届出に際して、一体信者の数を届けるものかどうか。ただいまの数字を申しましたについても、文部省としては、やはり信者の数というものをつかんでいられるのですから、今度の認証を申請するについても、何かそういう方法があると思うのですが、その点について、ひとつお尋ねいたします。
  50. 篠原義雄

    篠原政府委員 宗教法人の人的な範囲の数ということにつきましは、先ほど来御説明申し上げて、これで盡きると存ずる次第でありますがへ今の文部省に信者の数の集計しておる根拠は、文部大臣のもとに、この宗務課の権限といたしまして、宗教団体に関する情報、資料の収集ということができることになつております。従つて各都道府県の関係官庁に対し、その資料を要求し、あるいは宗教団体自体に、その資料を要求いたします。その依頼に基いて集まつて来た資料で、先ほどの資料ができておる次第であります。従つて実体的にこれを調査する権能はございませんので、昨日のような数字の上に、いささか問題になるような資料ができたというような結果になる次第であります。
  51. 浦口鉄男

    ○浦口委員 それでは、その問題はそれとしておきまして、次に十三条の一号の「当該団体宗教団体であることを証する書類」こういうことになつておりますが、これに対しては、具体的にどういう書類がいるとか、あるいはその書類の内容について、例を示していただきたい。
  52. 篠原義雄

    篠原政府委員 十三条の第一号に掲げておりますところの書類は、宗教団体であることを証する――この点は第二条の宗教団体と関連をもちまして、いわゆるその団体宗教団体にふさわしいという意味が、教義を広める、あるいは儀式行事、信者を教化育成する、こういうところに主目的がある関係上、それらに触れた記載ある文書であればけつこうである、こういうふうに考えます。
  53. 浦口鉄男

    ○浦口委員 その場合に、教義の内容というものに触れる必要があるかどうか。たとえば、神社なら神社を例にとりますが、こういう神様をまつつていて、その精神を普及するとかいうことでいいのか、もつと具体的にその内容に触れるのか、その点をお伺いいたします。
  54. 篠原義雄

    篠原政府委員 ここでわれわれが予想しておりますのは、宗教法人目的の関連において、一つの法人ができます上においては、その特殊性が必要であると存ぜられます。従つて、各神社においても、お寺においても、その宗教の教義の中心を簡單に、たとえば今御例示されたような形において表現されてあるならば、十分ではないか、こういう、ふうに考えるわけです。
  55. 浦口鉄男

    ○浦口委員 昨日の公聽会で、教義というものを持つていない団体がある、しかしそれでも信仰の的になつている、こういう意見もありまして、事実そういうものをわれわれは承知しているのでありますが、そういう場合には、どういう取扱いをされますか。
  56. 篠原義雄

    篠原政府委員 非常に困難な問題でございますが、一般に單に教義を持たないというのは、やはり教義を持たない理由、あるいは理論的根拠というものが考えられるのじやないか。従つてそれ自体が一つの間接的な教義を表現しておるのじやないか、こんなふうにも考えられます。
  57. 浦口鉄男

    ○浦口委員 それでは次に、認証の具体的な取扱いについて、ひとつお尋ねしておきます。この法人の管轄庁のことについては、第五条で承知しておりますが、この認証の実際的取扱いについて、昨日の東大教授岸本さんの御解釈では、地方の県知事で大体認証を与えるべきものかどうかということを大別して決定して、決定の非常に困難なものが初めて中央審議会にかけられるのではないか、こういう解釈が出ておりましたが、その点いかがでありますか。
  58. 篠原義雄

    篠原政府委員 地方の場合におきましては、認証を拒否――認証ができないという場合に、初めて問題が出て来まして、そういう場合については、再審査、あるいは訴願、こういう場合が出て来る。そういう場合に都道府県から、中央の文部大臣を通じまして、宗教法人審議会に諮問する、こういう形になります。
  59. 浦口鉄男

    ○浦口委員 そういたしますと、その場合に、都道府県知事の認証したものに対しては、中央審議会としては、問題のない限りそのままこれを認める、こういう意味でありますか。
  60. 篠原義雄

    篠原政府委員 その通りでございます。
  61. 浦口鉄男

    ○浦口委員 そういたしますと、東京などでも、実際問題として六千くらい現在でも法人届出のものがある。これを取扱うについては、おそらく東京都で何係がそれを扱うか、私ちよつと調べておりませんが、相当の人員とその他費用がいると思います。そういう点について、文部当局といたしまして、はたして事務的にこれが円滑に急速にできて行くかどうか、そのお見通しをちよつと承りたいと思います。
  62. 篠原義雄

    篠原政府委員 各府県とも、相当数ございます。東京都の六千というものも、その実情をよく分析してみますれば、各宗教法人は、そのほとんど大半は、各宗派あるいは教団あるいは神社本庁、こういつた包括教団包括されている宗教法人が多いのでございます。従つて、それが作成いたしますところの規則というものも、いわゆる包括教団との関係におきまして、準則その他のひな型を示しまして、従つて割合に定型的な規則ができるのではないか、こういうふうに考えております。従つて数の上では非常に多数ございますが、その質におきましては、必ずしも多数ということにはならないかと思います。従つてこれが法の施行後におきましては、いわゆる三箇年の間に処理できる形になつております。見通しといたしましては、さほど困難ではない、期間的には無理でないと考えておる次第であります。
  63. 浦口鉄男

    ○浦口委員 次に、第八十四条に関連してでありますが、境内地の問題で昨日もちよつと問題になりましたが、一つの宗派として、何と申しますか山一つがその宗派の信仰そのものだ、こういうふうな神社関係と思うのですが、そういう場合に、これはもちろん審議会などで決定されることと思うのでありますが、文部当局としては、認証の際に、そういうことが届けられて、それを認める以上は、そういう場合に、これをやはり無条件で認めなければならないかどうか、その点について御見解を承りたいと思います。
  64. 篠原義雄

    篠原政府委員 具体的な例をもつて承知したいと思いますが、かりに御神体的なものがある。そういう宗教団体があつて、これが認証を申請して来た場合、これを認めるか、こういう御質問でしようか。――これはわれわれといたしましても、当然認証することになるだろう、こう考えております。
  65. 浦口鉄男

    ○浦口委員 いま一つ。代表者の届出にあたりまして、未成年者がある場合についての実際問題を、ちよつと聞いておきたいと思います。
  66. 篠原義雄

    篠原政府委員 責任役員、あるいは代表役員、あるいはその他法人を代表する資格のある機関は、この役員の欠格事由の中に、法の二十三条で、未成年者は、その資格がないということになつております。
  67. 浦口鉄男

    ○浦口委員 その未成年者の解釈は、満十八歳であるか、あるいは二十歳であるか。
  68. 篠原義雄

    篠原政府委員 満二十歳と思つております。
  69. 浦口鉄男

    ○浦口委員 結婚をすれば、未成年者でも成年者になれるということも承知しておるのですが、たとえば十七歳で結婚をして、届出をして、すぐ離婚をしたという場合には、どうなりましようか。
  70. 篠原義雄

    篠原政府委員 それは民法の問題かと思います。いわゆる行為能力がある。特定の財産処分行為、法律上の法律行為をすることができるという趣旨でみなされるわけでないでしようか。一般の成年あるいは未成年の規定は、民法の三条ですか、あれによつて規定されているのではないかと思います。
  71. 浦口鉄男

    ○浦口委員 よろしゆうございます。
  72. 佐藤重遠

    ○佐藤(重)委員 二十二条は、今の質疑応答で大体わかりましたが、この第一項に「代表役員、責任役員、代務者、仮代表役員又は仮責任役員」こうなつておるのでありますが、そうしますと、代表役員、責任役員の代務者はあつて、仮代表役員または仮責任役員の代務者というものは、予想しなくてもいいわけですか。
  73. 篠原義雄

    篠原政府委員 この仮代表役員または仮責任役員、これは民法で申しますところの法人と、その機関の利益相反する場合の特別の規定をいたしますところの、特別代理人の規定でございます。従つてその行為自体に関連いたしまして、利益相反する場合の特別な場合が予想されるときに、仮代表役員あるいは仮責任役員というものが設けられる。従つてそれに対する代務者といつた必要は生じて来ない。たとえば、そういうことができない場合には、ほかの適任な者を仮代表役員なり仮責任役員に選定し得るならば、法律行為は可能になつて参りますから、その意味において、仮代表役員、仮責任役員には、代務者は必要はない、こう考えております。
  74. 東井三代次

    東井委員 先ほどの若林委員の第十二条の名称に関する質問に関連してでありますけれども、あのときのあの質問に対して、篠原政府委員が答弁をされました、その趣旨は大体において私はわかつたのでありますけれども、結論として、しかし法律がそれに関与し得ないというような趣旨であつたと思うのであります。法律は関与し得ないけれども、しかしその認証を行う場合に、そういつた非常識な申請に対して、行政的な何らかの基準、たとえばこの第八十六条に、公共の福祉というようなことが書かれてありますが、結局この憲法の精神も、公共の福祉というような一つの基準がリミットと考えられるのでありますが、そういう考慮は何かできないものでございましようか、そういう点について、ひとつ意見を承つておきたいと思います。
  75. 篠原義雄

    篠原政府委員 その点につきましては、非常に大事な問題だろうと思います。その名称と申しながら、事柄が非常に宗教根本義に触れる点が出て参りますから、所轄庁としてかかる認証の措置の上において、これが可能であるということは、かえつて信教自由との関連におきまして、おもしろくないことになろうかと存ぜられます。なおかつ、実際の措置の上におきまして、たとえば八十六条をお引きになりましたが、しかく明確に、たとえばその名称が非常に公序良俗に反するような名称、かかる向きのものについては、考えられるだろうと存じます。また他の宗教法人名称を濫用したり、あるいはこれを盗用するというようなことにつきましても、事実上は可能かと思いますけれども、認証をする場合において、行き過ぎになるおそれも考慮されますので、お話の点も重々了解いたしますが、これは法の上では、やはりそこまで行くことは、行き過ぎにわたるというふうに考えております。
  76. 東井三代次

    東井委員 それで大体わかりますが、たとえばさいぜんの例はあれでございますが、天理教本部というようなものが東京のまん中にできる。あるいは大谷派本願寺、本派本願寺というようなものを、東京のまん中にそういつた名称を持つた宗教団体が設立を申請した場合、それは相当な社会的混乱というようなものが起つて来る。そこで私は、公共の福祉というようなことに関連して考慮できないかということを予想するのでございますが、もう一度伺いたい。
  77. 篠原義雄

    篠原政府委員 非常にむずかしい問題でございまして、公共の福祉という事柄が非常に幅が広く解釈され、あるいは狭く解釈される。実際問題としましては、その解釈いかんにも非常にむずかしい問題があろうかと思います。御説のように、認証事務をする事務上においては、意見ぐらいは述べられるかもしれません。これもしかるような実際の場合におきましては、言えようかと思いますけれども、いろいろなケースもありましよう、大小おのおのケースが異なつておりますから、一概には、單に同じ名称を使うということにおいて、これが公共の福祉といつたような面から抑制できる、こういうふうには、われわれは解釈したくないのであります。
  78. 長野長廣

    ○長野委員長 ちよつとお諮りします。午後は文部大臣、大蔵、法務、労働、地財の各局長が参つて答弁をするはずでありますから、午前はこれで休憩にいたしたいと思いますがいかがでしようか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  79. 長野長廣

    ○長野委員長 それでは休憩に入ります。     午後零時二十二分休憩      ――――◇―――――     午後二時開議
  80. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 休憩前に引続き会議を続行いたします。  大臣が出席されましたので、大臣に対する質疑を行います。
  81. 柏原義則

    ○柏原委員 大臣質問いたします。戰争中には、宗教団体法がありまして、宗教団体に対して、強烈な統制を行つたわけでありますが、終戰後になりまして、ポツダム政令によつて宗教法人令が出まして、宗教団体にとりまして、ある程度解き放し――完全な自由ではありませんが解き放しの状況になつた。そのためにいろいろな弊害も起きた。今回宗教法人法施行されるにつきましては、その弊害を除去するという目的でないことは、いろいろ御答弁をいただいてよくわかつておりますが、統制ではないけれども、ある程度宗教の自由に対して制限を加える。そこでその制限の本質をなすものは、認証ということでありますが、認証となりますと、文部大臣並びに県知事が認証の主体性を握ることになるのであります。その場合におきまして、先般来公聽会などの意見を聞きましても、文部大臣の責任は、認証の責任者でありますから、まことに重いということになるのであります。私は天野文部大臣に大学で習つた弟子でありますので、先生のこともよく知つております。先生は道徳、並びに哲学方面の大権威者で、人格尊重という理論において、実践において、りつぱな先生でございますが、私いまだかつて、先生から宗教に関する信念を承つたことがないのでありまして、認証の重大な責任者である文部大臣が、宗教に対してどういう信念を持つておられるか。かつて議会で宗教的情操教育に関する決議案を出した当時、時の文部大臣田中耕太郎君は、宗教は道徳に生命を与える、法律に理想を与える、人類に希望を与える、世界に平和を与えるものだと、非常に宗教に対して深い熱意と理解を示された御答弁があつたのでありますが、全日本宗教認証の総元締めであるところの文部大臣として、宗教についてどういう信念を持つておられるかということを承りたい。  その次に、非常に問題になりますのは、宗教審議会の構成であります。宗教審議会を構成する委員というものは、大体学識経験者、宗教家から出しますが、ともすると古い宗教とか、歴史のある宗教を尊重しますが、新しい活発な宗教からも、代表者はとるべきものだろうと思うのであります。だれを指名するかということは、文部大臣に全責任があるわけであります。審議会の構成並びに宗教に対する大臣の御信念を、簡単に承れたらけつこうだと思います。
  82. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 宗教を、ただ届出だけで認めないで、それを審議会にかけて、場合によつたら拒否するということは、私はやはり必要なことだと思つておりますが、しかしこの際きめるのは審議会がきめるのですから、大臣の直接の宗教的信念が、ただちにここに反映して来るというふうには私は考えません。これは法的な一つのことで、審議会がきめるということになると思いますが、しかしお尋ねでございますから、私の考えを述べますと、私はとにかく歴史を支配している一つの力と申しましようか、そういうものを自分は信じているものでございます。そういうものを神とか、あるいは、哲学では絶対者とか、あるいは仏とかいろいろ言つてもよろしいでしよう。私はそれを東洋の道ということから道理という意味で見て、歴史を支配しているところの道理というものがある。われわれはそれの実現に役立つところに、人生の意義がある。道理は、自分では自分を実現しない。東洋の言葉でも、人よく道を広む、道が自分で道を広めるということはない、道はいつでも人聞によつて広められる、そういう道を広めるということに人生の意義があるということを信じて、自分の一生がどういう一生であろうとも、何らかの意味において道を広めるごとに役立つ、こういう考えを持つている点では、私は幾らか宗教的信念を抱いているわけですが、しかしそれは現実宗教を信じているということとは違いがある。その違いを簡單に言うならば、私の信念というふうなものは、自分が道を会得し、その道を実現するということですが、成立宗教ということになれば、いつでも道と個人というものを媒介するところのものがなければならない。キリスト教で言うならばキリスト、仏教で言うならば釈迦、そういう媒介者がなければ、ほんとうの宗教というわけには行かないのであります。私の宗教心とか宗教的信念とかいつても、成立宗教を私が信仰しているというわけではございません。私の宗教的信念というものは、そういう性質のものでございますけれども。しかし人間がそういうものを強く信じていない限りは、われわれがほんとうに社会に処して正しい生活を追求することはできないという意味では、私は田中博士の道徳の根底に宗教的信念が必要だということに同意するものですけれども、必ず成立宗教によらなければ道徳は実現できぬとまでは考えておりません。  それから、第二の審議会の構成については、古いと新しいとを問わず、ほんとうに公平に、客観的に考えて、適当な人を選びたいという考えであります。
  83. 圓谷光衞

    圓谷委員 文部大臣に、この法案目的についてお伺いいたします。提案の理由によりますと、宗教団体に法的の能力を与えて、自由と自主と政教の分離をはかつて、そうしてその運営によつてその目的を達成し、国民の福祉に寄与したい、こう述べておられますが、この目的ということは、宗教の発達振興を目ざしておるのかどうかということであります。この第一条の「この法律は、宗教団体が、礼拜施設その他の財産を所有し、これを維持運用し、その他その目的達成」とある、この「目的達成」でありますが、單に財産擁護だけでなくして、またさらに正しい宗教の発達振興ということも、この法律によつて目ざしておりますかどうか、その一点をお聞きしたい。
  84. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 そう考えております。
  85. 圓谷光衞

    圓谷委員 私がお伺いしようと思いました宗教の根本に対する大臣の信念については、今柏原君の質問にお答えになりましたが、われわれは第九十議会において、宗教振興の決議案を満場一致で決議しましたが、この法案が、やはり宗教の振興とか、正しい宗教を振興させて、国民の福祉に寄与したいということでありますと、やはり宗教団体というものはいかなるものであるかということを明確にしておかないと、少くとも審議会ができます以上は、認証問題が起つて参ります。そこで私は宗教団体の定義について、どうもまだはつきりいたしませんので、これを伺いたいと思います。第二条にこれが規定してありますが、宗教団体の定義といたしまして、礼拜施設を有し、儀式行事を行い、教義を信者に広めるのである、こうなつておりますが、教義、信者、儀式行事、礼拜施設というものの四つが、宗教団体の包藏する内容と承つてよろしゆうございますか。
  86. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 第一号に掲げてある宗教団体については、その通りだと思います。
  87. 圓谷光衞

    圓谷委員 そうすると、礼拜施設だけあつて宗教と認め、また行事、儀式をやつて宗教と認める、その四つのうち一つだけをやればいいのでありますか。またこの四つが全部並行されているものが宗教団体となるのでありますか、それはどちらですか。
  88. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 宗教団体ということになれば、その四つが並行していると私は患います。
  89. 圓谷光衞

    圓谷委員 そうしますと、その次の例として、神社寺院教会修道院その他これに類するものが宗教団体であると規定してあります。神社とか寺院教会修道院というようなものは、建物かと思いますが、これらのものが宗教団体の例にあげられたことはこういうものを宗教団体とみなすというところの見解は、今回文部省できめられたものか、また古い歴史的な伝統から来ているのですか。
  90. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 それはただ建物だけではなくて、建物において礼拜をする場合、そこには教義とかいろいろなものがなければ建物意味をなさないのでありますから、そういうものをすべてひつくるめたものを宗教団体思つております。
  91. 圓谷光衞

    圓谷委員 建物建物であつて、たとえば青年団といえば、そこに集まる青年を団体と言つておるのですが、宗教においては、特に建物宗教団体と申されるのですか。
  92. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 建物だけを言うのではなくて、建物を使つていろいろな宗教を広めたり、信仰をしたり、教義というものがあつたりする。そういうことがあつて初めて宗教団体で、宗教団体には前にも四つのあれがなければならないということを申しましたから、そういうものの一つの方便といいましようか、実現する一つの仕方としてそういうものがあるのだと考えます。それだけで団体とは思わないのであります。
  93. 圓谷光衞

    圓谷委員 それでは例を申し上げてお伺いします。たとえば、京都に行きますと、そこにたくさんのお寺がございますが、そのうちに皇室を檀家として持つているお寺が数箇所ございます。ところが皇室が檀家でなくなつた場合において、そこにお寺建物礼拜堂が残つて信徒はありません。そういう場合に、これはやはり宗教団体とみなしますか。これはお寺の場合でございますが、神社においてはこの実例は数限りあります。たとえば年に一回のお祭りをするために、タバコ神社であるとか、あるいは蚕のようなものをまつつておる神社もある。それから氏神の場合、氏神は御承知通り族制政治の場合に、先祖をまつつたものでありますが、神主もおりません。これは信徒でなくて氏子と言つております。その場合に、この四つの条件を兼ね備えていなければ宗教団体でないということになると――これは認証の問題に行きますが、その点はどういうものですか。こういうものを宗教団体として届け出た場合に、さつきの四つにははまらないわけですか、これはいかがですか。
  94. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 政府委員にお答えいたさせます。
  95. 篠原義雄

    篠原政府委員 そういう具体的な実例も間々見受けます。それでこの法案で一応宗教団体規定しているのは、人的、物的の強弱の関係、あるいは大小の関係は問題でございません。たとえば今四つの主目的がありましたが、その広狭の差、あるいは、強弱の差というものはおのおのの宗教によつて別だろうと思います。しかし人的なものが全然なく、ただ物的なものだけが存在している、こういう向きのものは、われわれは宗教団体とは考えておりません。
  96. 圓谷光衞

    圓谷委員 儀式、行事のみをやつて、ここに礼拜堂を持たない、たとえば内村鑑三氏のごときは無教会主義で、聖書の研究によつて伝道されておりました、こういう例もあります。こういうものに対して、認証の問題が起る場合を予想して、これをお聞きしておるのですが、この四つの要件が全部備わらなくても、宗教団体と認めることはできるのでしよう。さつきは四つの要件が金科玉条であるごときお話でありましたが、いかがでしよう。これは文部大臣でなくてもよろしゆうございます。
  97. 篠原義雄

    篠原政府委員 われわれの方の宗教法人法といたしましては、この四つの要件を必要とする。しかしこれが宗教団体という現実宗教活動、これについては、たとえば無教会主義の活動をされている人もありましよう。しかし法の上で一応宗教団体として取上げ、しかもそれが法人となる過程としての宗教団体は、先ほどの四つの要素を持つているものを宗教団体というのである。しかしながら現実に、たとえばそのうち二つ欠けているとか、あるいは一つしかない、こういうものでも、宗教団体それ自体としては、別に問題はないわけで、この法の上で宗教団体というのは、かかる性質のものを宗教団体とし、かつ法人格を取得せしめ、あるいは宗教法人として保護されるためには、この実質を持つていなければならない、こういうふうに理解しております。
  98. 圓谷光衞

    圓谷委員 釈迦もキリストも、初めは新興宗教です。釈迦もキリストも、伝道の場合においては、これらのものを持つていなかつた。この場合に、日本にこれから新しい宗教が興るか、宗教改革が起るかは予想できませんが、宗教団体が四つにはまらなければ認証できないということになると、私は多少疑問を持つて来るのですが、これはこのままにしておきまして、次に文部大臣にお伺いしたいことは、神社ははたして宗教とみなしますか。
  99. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 これはむずかしい一つの問題だと思いますが、私は宗教とは考えないのです。神社はやはり祖先崇拜であつて宗教ということを言えば言えないこともないかもしれませんが、私は宗教と考えない方がいいじやないかと思います。これは両説あることは御承知だと存じますが、私はそういう考えを持つております。
  100. 圓谷光衞

    圓谷委員 大臣の提案理由の御説明を見ますと、宗教でないものを宗教に認めたりすることはいけないから、この法律を出して宗教団体の指定をする、こういうことが言われております。これが宗教でないということになりますると、この第二条に「神社」というものを入れることはどうかと私は考える。
  101. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 今私は、個人的な意見をあなたに問われて述べたのであつて、これは両説あつてどちらも考えられる。今宗教法人法案は、これを宗教として扱うという建前でやつておるので、そういうこともできるわけだと思つております。
  102. 圓谷光衞

    圓谷委員 それはわかつております。私が今言つているのは、十三派の神道を言つているのではありませんで、国家神道のことを申しているのであります。昨日の公聽会において、牧野さんは平沼さんのお話を引例されまして、神社宗教でないということであつた。しかしながら、現在は国家で宗教にしてしまつたから、これは宗教とするよりしかたがないだろうという答弁がありました。明治初年に神社宗教でないということについて、幾多の学者が論争され、いわゆる廃仏毀釈の問題が起りました。昭和十四年の四月八日に法律第七十七号で、宗教団体法が平沼内閣の荒木文相のときに成立したのです。これによりますと、明らかに宗教神社をわけられた。そして、しかも宗教に対しては強い国家統制で、宗教発達どころでない、押えられたという形をとつて来たのでありますが、昭和二十年に総司令部からこれが廃止の指令が出まして、そして二十年の十二月二十八日に勅令第七百十九号、宗教法人令が施行されて、現在は宗教となつているのであります。これは私も承知いたしておりますが、この宗教法人令によりまして、宗教法人は届出制で所得税、法人税が免除される、但し公共に害があるときには、これを解散することができるという三原則によつて現在まで来たのであります。このことにかんがみて、この法案が成立することになつたと私は思うのでありますが、ただもし神社宗教でない――私はないと思つています。個へ的には大臣と同じ見解です。これをこのわく内に入れて宗教として行くことはわれわれ国会議員として現在重要な時期にあたつて日本の思想問題に及ぼす影響が大きいと思いますので、この点について、もう少しお伺いしてみたいと思うのであります。なるほど今は占領下にあつて、これは司令部の指示によつて宗教なつたのでありますが、日本の国の各家庭にも、どこにも神だなが安置されてあります。これは仏教徒の家でもどこでもまつつてあります。この宗教の本質である、たとえば宗教には宗祖が必ずなければならないと私はいつでも思う。教えがなければならない、信徒を持たなければならない、しかもそれによつて魂の教化をしなければならないということでありますが、日本の国の発達の歴史を見ますと、祭政一致の国家であります。その点からいたしまして、これは各家庭における祭神の行事であります。拜殿と言つており、参堂と言つている。これは神ながらの道だと私は思う。この神ながらの道は、つまり日本国民全部の相先崇拜の情操的信念となつて現われております。一貫した日本の家族制度の中に、しみじみとにじむ行事が、これになつております。これを宗教にすると、宗教は憲法に規定された個人の自由であります。これを宗教にしておくために、教育基本法にひつかかりまして、文部省は、生徒を連れて参拜してはならぬ、というような、基本法できついお達しを出しておる。これは、私は日本の道であると考えておるのであります。この論争はここでやりたくありませんが、この点について、文部大臣の私見を承りまして安心したのですが、これはほんとうの宗教でないならば、この法案の中ではわれわれも削除しなければならないと考えております。これは私は日本の神ながらの道だと考えているのですが、いかがです。
  103. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 これは、今ここでそういう理論的なことを論ずるというのでなく、実際の現実に即したことを法律規定して行こうというのです。それで、神社一体宗教宗教でないかと言えば、本質論をすれば、私はこれを宗教でないというのが、妥当ではないかという私見は、持つておりますけれども、しかし一種の素朴的な宗教だということは言える。そして、実際宗教としての取扱いを受けて来ているのですから、現に全国の十万の神社というものは、宗教法人令によつて宗教法人となつて現在に至つておる、そういう成り立ちになつている。そして神社の方でも、この法律の成立を希望されておるわけなんですから、私はこれはこの原案の通りがいいのだと考えます。
  104. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ちよつと待つてください。――ただいま参議院の文部委員会より、佐藤重遠君外十四名提出の、教科書発行の保証金に関する法案につきまして採決の直前にあるが、その前に五分間ぐらい大臣の御出席を求めて、一点だけ質疑をいたしたいとの申出がございます。ごもつともな要望でありますから、五分間だけ御退席を願います。その間政府委員において答弁のできるような問題で質疑がございましたら、続行していただきたいと思います。
  105. 渡部義通

    渡部委員 圓谷君の質問もあり、私も先般来何回かこの礼拜施設に関する質問をしたわけですが、今圓谷君からの質問に対する政府委員の答弁によりますと、宗教法人たるためには、いわゆる四条件を備えなければならぬのだということを明確にされたようです。しかしながら、そうしますと、ユニテリアンとか、禪宗とか、原始仏教とかいうようなもので、明らかに必ずしも礼拜施設を必要としないばかりでなく、至るところで宗教活動が可能であるというような、しかも今日発展しつつある宗教あるいは宗教団体が、この法的な保護を受けられなくなるということになりはしませんか。
  106. 篠原義雄

    篠原政府委員 お説のような宗教活動をいたしております宗教団体もございます。しかし、いわゆる民法三十四条による特別法人としての宗教法人を設立するためには、やはり客観的なよりどころと申しますか、物的基礎と申しますか、そういうものを必要とし、かつまたそこから法はその宗教団体に対する地位を確立することが適当だろうというので、この二条に一応の宗教団体の定義を「この法律において「宗教団体」とは」と、こういうふうに規定した次第でございます。
  107. 渡部義通

    渡部委員 だから問題は、そういうふうな施設を必要としないばかりでなく、むしろ、ないことを精神といいますか特徴とさえするような非常に有力な宗教団体がある場合に、それを除外しなければならないような規定的な語を、ことさらにつけ加える必要はないではないか。それをつけ加えることによつて、法的な保護を受け得るものと、受けられないものとの、平等を欠く条件を、むしろここにつけているのではないか。そういうものを必要としないのではないかというふうに言つておるわけです。たとえば、現実に利害関係から言つても、ここに問題が起きると思うのです。それは、宗教活動に必要な募金活動が、現在盛んにいろいろな宗教団体によつて行われるわけですが、この募金活動の場合にもそうだし、募金の収益上の免税関係においても、同様な問題が起きて来るのであつて、この条項があるがため、この礼拜施設云々ということがあるがために、仕癖施設を持つ必要のない団体が、そういう活動をした場合に、まつたく保護を受けない、一方は保護を受けるというような不公平が生ずるのであつて、その結果、信教の自由――きのう公聽会で問題となつた平等というような点が奪われはせぬか、この懸念があるわけなんです。圓谷君の盛んに強調した点も、この理由があるからだと思うのです。これをとる必要があるのではないか、またとる意思があるのかどうかという点を、お伺いします。
  108. 篠原義雄

    篠原政府委員 御説の神社寺院教会という單位団体につきましては、礼拜施設というものは、いずこの宗教団体につきましても、言い得るのではないか。それからユニテリアン等の、いわゆる全体的にまとまつた一つの団体と考えられる、しかもそれが一定の事務所と一定の場所を擁しており、そしてその下部において、いわゆる單位団体的なまとまりを持つて、そして全体的に活動している場合、こういうものもあり得るわけですが、こういうものにつきましては、いわゆる第二号の規定におきまして、これは包括教団と考えておりますが、この包括教団的な存在につきましては、礼拜施設というものは考慮しない。いわゆる神社寺院教会のごとき、かかる單位団体的な宗教法人となろうとする宗教団体については、先ほどの主目的の三つのほかに、礼拜施設を備えているということを要件とする、こういうふうに考える。これを包括しているところの、あるいはその実体を持つている包括団体については、礼拜施設というものを第二号においては要件としていないのであります。
  109. 渡部義通

    渡部委員 それでは明確にしておきますが、礼拜施設がなくても、たとえば無教会派とか、それから原始仏教のような、宗教活動が広汎に行われる、そういうふうな活動団体は、これを宗教団体として認めて本法の保護を受ける、こういうことになるのですか。
  110. 篠原義雄

    篠原政府委員 ただいまの私の説明が足りなければ、補足させていただきたいと思いますが、包括教団存在であるならば、いらない、こういうふうに私はお答えしたわけであります。それがその母体である單位団体としては、必ず礼拜施設を備えているということを要件にしている、こういうことであります。
  111. 渡部義通

    渡部委員 それならば、話が違うと思います。今申し上げましたような種種なる宗派、あるいは宗教団体は、礼拜施設を持たないことがむしろ原則的なのであつて、それを包括した場合と、また單位団体である場合においても、原則的にそういう施設を持つていないのだから、また持つことを必要としないのだから、單位団体宗教団体として認められないとするならば、全体として認める云々というようなことは、單なる言葉のあやになつて現実においては、法的な保護を受けないということになると思います。
  112. 篠原義雄

    篠原政府委員 具体的な事例として、私了解しにくいのでありますが、その母体である單位団体が、全然礼拜施設を持たない、従つてその包括教団としても全然持たない。こういう場合においての取扱いといたしましては、これはいわゆるこの法案が特定の物的な財産とか、あるいはその管理、維持とか、あるいは法人としての実体を備えて運営して行くために、法人格を取得せしむるという目的からいうならば、かかる宗教団体が、その必要性があるかどうかということが、私は問題だろうと思います。従つて人格を付与するに足るだけの物質的な基盤的な実質を持つているかどうかということに、帰するのではないかと思います。
  113. 渡部義通

    渡部委員 それは大いに持つておる。というのは、たとえばどういう宗教団体にせよ、礼拜施設を持たない団体にせよ、宗教活動をなす場合に、基金の負担もあろうし、また事業の負担もあろうし、そのためには募金活動もせんければならぬだろうし、そういう場合があり得る。ところが、この法案には、募金活動やその免税に関してまで書かれておるとするならば、そういう礼拜施設を持たない団体が、その募金活動をするような場合には、現実にこの法案と関連して、不公平な取扱いを受けねばならぬという根拠があるわけであります。
  114. 篠原義雄

    篠原政府委員 募金活動の場合に、法人格を取得していなければ、不公平になるということでありますが、私は活動ができるだろうと思いますが……。
  115. 渡部義通

    渡部委員 それでは聞きますが、法人格を持つていた場合と同じような形での活動ができ、また完全に平等な形における免税ということも、法人格を持たない宗教団体における募金活動にはあり得るわけですか。
  116. 篠原義雄

    篠原政府委員 たとえば、家屋あるいは境内地に相当するものを、お持ちなのですか、持つていないところに意味があるのではないですか。そうしますと、いわゆる境内地境内建物範囲内には、免税その他の問題が出て来ます。しかし募金等の場合においては、団体の代表者の名においてできるのではないか、こういうふうに考えております。はたして法人格を取得するに必要な実質を持つておるかどうか。また活動に不便かどうかという点が、問題になろうかと思いますが、法的には、平等に、代表者の名において募金活動ができるのじやなかろうかと考えておる次第であります。
  117. 渡部義通

    渡部委員 それは募金活動をすることは可能でしよう。しかしながら現実問題としては、免税とかそういう問題が起きて来るのではないかと思うのですが、収益事業の利潤に対する問題はどうなるのですか。
  118. 篠原義雄

    篠原政府委員 その団体が、実際に建物なりあるいは土地なりを所有して、そしていわゆるここで申します境内地境内建物にふさわしい形の実体を持つているならば、これは宗教団体と言い得るのではないかと思います。
  119. 渡部義通

    渡部委員 そうすると、礼拜施設は持たないが、たとえば事務所を持つているというような場合には、どうなるのですか。
  120. 篠原義雄

    篠原政府委員 單位団体としては、單なる事務所――事務所の性格もございましようけれども、たとえば教派教団のない場合は事務所ではないので、礼拜その他の関係宗教上の事務を取扱う場所が事務所であると思います。單に事務所と申しましても、いろいろな意味があると思います。
  121. 渡部義通

    渡部委員 具体的に言いますと、たとえば輝宗なんかは、礼拜施設を持たないし、持つ必要もないのです。その礼拜施設のかわりに、一定の坐禪を組む場所があればそれでいいわけなんで、その場所は、必ずしも屋内であることが決定的な条件になるわけではないので、屋外であり得るかもしれない。屋外の場合は別としまして、一定の家屋があつて、そこが坐禪を組む場所になつている。しかし礼拜施設というものは特別にないというような場合の建物はどうなるのですか。
  122. 篠原義雄

    篠原政府委員 具体的にはつきりして参りましたが、今の禪宗と申しましようか、いろいろございましようが、曹洞的な坐禪というようなものは、広義に解釈して、われわれは礼拜施設という中に含ませて考えたい、こう思つております。
  123. 渡部義通

    渡部委員 一応これで中止します。
  124. 甲木保

    甲木委員 私は、この法律によつて法人とならない団体の取扱いについて、まずお伺いしたいと思います。  本法案によつて法人とならない宗教団体は、この法案のいかなる恩典にも浴さない反面、この法案のいかなる条項をも適用されないことになるのであります。このような場合には、法人とならない宗教団体は野放しとなつて、届出の必要もないということになるのでありまして、こういう場合には、こういう団体に対してどういうふうなお考えを持つておられるか、それをまずお尋ねしたいと思います。
  125. 篠原義雄

    篠原政府委員 御意見通り宗教法人にならない宗教団体につきましては、この法は直接に規定する、あるいは適用になるということはございません。しかしこの法案自体につきましても、第二条に掲げてある各宗教団体、あるいはこういう類似的な団体宗教団体である、それが宗教法人になり得る道が開かれているのであります。従つて、かりに例をとるならば、神社寺院教会など、現実活動されておるというふうな宗教団体の方々でも、みずからこの法人になりたくなければ、ならなくてもよろしいのであります。ただ本法の適用を受け、かつまたこの法上の地位の獲得を望むならば、この宗教法人法によつて申請していただきたい、こういう趣旨であります。従つて宗教法人以外の宗教団体も、現実にはできます。しかしこれにつきましては、この法は直接の規定を持つておりません。またこれは程度の問題、その他種々雑多な問題がありまして、一般的にこの法の上で、かかる宗教団体を対象とするには、非常にむずかしい問題が出て来るのであります。従つてこの法案におきましては、要するに宗教法人となり得るような関係についてのみ考えたらどうだというのが、われわれの意図するところであります。
  126. 甲木保

    甲木委員 次に、法人の資格を持たない宗教団体と、法人格を持つ宗教団体との関係について、お尋ねしたいと思います。たとえて申しますならば、法人格を持たない末派寺院と申しますか、この末派寺院は、法人格を持つた本山との関係においてどうなるか。この場合、本山は、末派寺院に対しての権限を持ち得るのであるかどうか。あるいはまた、末派寺院は、法人格は持たないが、本山が法人格を持つということで、何らかの特別な特権を認めるかどうかということでございます。この点について御意見を伺いたい。
  127. 篠原義雄

    篠原政府委員 本来この法の建前といたしましては、包括教団、それに包括されております被包括の各單位団体、この規則につきましては、おのおの法人となる限りにおきましては、一個の独立した法人格を持つておる。権利義務の内容も、その相互の規則において関連事項を規定していただく、いわゆる相互規定的な方法によつていただく、こういう趣旨でできております。従つて本山的な宗派一定の権限を持とうという向きの教団につきましては、その権限行使に相当する根拠を持つとともに、それに相応する規定を、寺院の方においても、あるいは教会においても持つというふうに予想をいたしておる次第であります。しかし後ほどの例の、宗派の方なり、あるいはまた一方の單位団体の方の寺院教会等が非法人である場合におきましては、この相互規定性という関係は、法の上から直接に出て参りません。あるいは宗教団体といたしまして、宗教上の関係であるとか、あるいは宗教活動の面であるとかいうものは、この法の上においては、直接の対象としておらないけれども、しかも教義の面あるいは宗教活動の面につきまして、相互に規約なり、あるいは規律なりを定めて、それを宗教的な意味合いから遵守する、そういうことは伝統にもありまするし、今までの宗風等にも、そういうものが見受けられます。それは実質的な慣習、慣例あるいは規律として考えられる向きのものでございまして、かかる向きのものは、実質的にやはり法規的存在として相互を拘束しておる、こういうふうに解釈するし、また現実の問題といたしまして、財産権あるいは所有権の行使の制限、あるいは所有自体の問題、こういう問題につきましては、やはり法人対個人の民法上の問題といたしまして、これが規律されることは当然と考えております。
  128. 甲木保

    甲木委員 それならば、認証を受けた包括団体は、まだ認証の手続中であるか、あるいは訴願中である従来の被包括団体に対して、何らかの権限が持たされるかどうか、この点を伺います。
  129. 篠原義雄

    篠原政府委員 被包括団体法人となるための申請中の場合に、それに対して、かりに例をとるならば、宗派たる法人が権限を持つかどうかという御趣旨でございますれば、これにつきましては、法の上ではまだその両当事者を縛る規則ができておりませんから、縛れないと思います。しかしながら、これはいかなる場合においてもそうでありますが、法人を新しく設けようという場合におきましては、神社その他の関係者から、あるいは宗派の方にその管理者を任命するとか、あるいは適当な宗教家を招聘するとか、いろいろな契約関係とか、慣例上の関係があろうかと思います。従つてそういう意味合いのもとにおける拘束力は持つておるのじやないか、そう考えております。
  130. 甲木保

    甲木委員 次に「宗教法人は、その目的に反しない限り、公益事業以外の事業を行うことができる」と規定しておるのでありますが、公益事業以外の事業で、その目的に反しないというもの、及びこれに反すると考えられるものについて御意見を承りたいと思います。
  131. 篠原義雄

    篠原政府委員 この限界につきましても、非常にむずかしい点がございます。われわれの理解し得る限りにおきましては、宗教法人も一個の公益法人と考え、民法三十四条の特別法人と考えておる次第であります。従つて宗教法人公益性という観点から申しまして、宗教法人公益事業以外の、すなわち営利目的的な活動をするという場合におきましては、これは公益法人として行き過ぎておる、こういうふうに考えております。しからば、ここでいう「公益事業以外の事業」とは、いかなるものかということでございます。種々あろうかと存じますが、一、二の例を申しますならば、その教化宣伝のために必要な文書を印刷するとか、あるいは出版するとか、あるいは託兒所を営むとか、こういう種類のものである限りにおいて、われわれは一応公益事業以外の事業と理解しております。
  132. 甲木保

    甲木委員 従来の宗教団体、なかんずく新興宗教の中には、この法案の適用を受けんがために、宗教法人株式会社とでもいうべき宗教団体をつくり、たびたび新聞紙上をにぎわしましたが、私はこの法案ができても、今後も、さらに営利本位のインチキ宗教が続出し、善良なる大衆を欺瞞し、社会の不安を助長する結果になりはしないかと懸念するものであります。しかも公益事業以外の事業についての停止命令をしている第七十九条に規定するところの条項は、きわめて寛大であります。かつまた第八十八条第九号の罰則も、あまりにも私ども寛大過ぎはしないかと思うのであります。思うに、過度の特権に守られた宗教には、必ず腐敗があり、真実の祈りと繊悔はあり得ないと思うのであります。従つて宗教団体の健全なる発達を希求する意味において、その主目的のいかんにかかわらず、宗教法人公益事業以外の事業をやるどいう場合、他の法人事業をやる場合と同様に、法の取扱いを受くべきだと思うのであります。すなわち、宗教の本質は、あくまでも人生の欠陷を、補わんとすることが、根本目的であるのでございまするが、ただ利潤追求の営利事業に陷るおそれがないかどうか。またこの場合におけるところの課税は、どういうふうに考えておられるのでございますか。
  133. 篠原義雄

    篠原政府委員 ただいまの御質問でございますが、先ほど一言申し上げましたように、宗教法人が営利を目的とする事業はふさわしくないと、われわれも考えております。しかしそれ以外の、目的に反じない事業を営み、収益があがる場合におきまして、その使途につきましては、六条第二項に明記しております。しかしその税的取扱いという面から考えてみますとき、収益を伴う事業を営む場合におきましては、その前提である、先ほど一言しましたような公益法人と同じ内容、同じ程度におきまして、一般社会事業公益事業、こういつた事業を営む場合における収益と同じように、かかる法人の場合と平等な取扱いを受けております。従つて、税の点について具体的に申しますならば、その収益の――私の記憶にあるのが正確ならば、約三〇%はその法人のために使用され、残りの七〇%について税がかかる、こういうふうに了解しておりますが、これは單に宗教法人の収益事業のみでなく、公益法人その他社会事業等において認められておりますところの事業の場合におきまして、それが収益を伴う場合と同様に、平等な取扱いを受けておる次第でございます。
  134. 甲木保

    甲木委員 次に、認証についてお尋ねいたします。第十四条には、宗教法人の基本的要件を規定しているものと了解いたしますが、まず第一項第一号、当該団体宗教団体であるかないかの確認の証拠は、いかなるところに求めておられるか、はたして第十二条の規定に基く記載のみで、確認ができると思つておられるかどうか、御意見を承りたいと思います。
  135. 篠原義雄

    篠原政府委員 この規則の上におきまして「目的」という項があります。その目的につきましても、その法人の特殊性と申しますか、その表示が必要と考えられます。従つて、ある程度の宗教目的に関連した規定が、ここに掲げられるだろうと思います。それとともに、その規則の認証の申請の場合には、添付書類といたしまして、十三条の第一号に、宗教団体であることを証する書類を添付することになつております。その規則及び添付書類を基礎にいたしまして、宗教団体なりやいなや――当該団体宗教団体であることを審査する次第ではございますが、その証する書面の中には、宗教団体であること、すなわち二条でいう教義を広める、儀式、行事を行う、あるいは信者を教化育成する、こういう面における事柄が、その内容を記載されているものと考える次第でありまして、その両両相まつて可能かと考える次第であり
  136. 甲木保

    甲木委員 次に第二十二条についてお尋ねしたい。この条項については各委員からもいろいろと質問が行われておるのでございますが、代表役員及び責任役員の資格、任免、職務権限等は、宗教法人の特殊性に応じて自由にその規則規定ができるということになつておるのであります。かつ二十二条においては、役員の欠格の要件を記載してありますが、この条項によれば、極端かもしれませんが、少々気違いであつても、また明らかに宗教的情操、知識もなく、また宗教団体の代表役員として、責任役員としての人格、識見のない人であつても、代表及び責任役員になることができるのであります。すなわち宗教法人の特殊性に従い、自由にその規則でできるということは、まことにけつこうでありますが、また一方に気違い教祖や、ボス役員、営利団体を製造するようなことにもなるのであります。今日の宗教は、教義を行う者の人格そのものの欠点にあると私は信ずるのであります。あの日蓮も、親鸞も、イエスも、ルーテルも、その他昔のあらゆる名僧は、その信仰は受難と苦闘の中につちかわれ、血のにじむような修行を行つて、みずからさとりをひらいて来ている。そうして大衆に対して教義を広めて来たのであります。一寺の住職となるためには、一定のきびしい修行を終えた者でなくては、なれなかつたのでありますが、今日の新興宗教の中には、公認となる前には、邪教として世間から酷評をされていたのでありまするが、金の力で公認の宗教となるや、そのインチキ性は、公認なるがゆえに、堂々と邪教ぶりを発揮して、今日莫大なる資産をつくり、栄華をきわめておるのであります。信者氏子集団は、神社という一箇の建物中心に、一定の地域において発達し、その教理や神官の宗教的人格、識見等に対しては、あまり関係がないのでございますが、しかるに檀徒集団においては、伽藍あるいは一定の地域というものにかかわらず、その宗の教義、住職の宗教的人格、識見というものが中心となつて発達して来ておるのであります。これは宗教団体としては当然のことであり、これがまた宗教団体の特性であります。そうして必要不可欠の要素でありまして、この要素を備える団体は健全なる発達を遂げ、その要素を欠く団体においては、漸次衰頽して行くのであります。この点から考えますとき、この法案において、教義すなわち中心者となる資格等を、格別に規定しておいた方がよくはないかと思うのであります。すなわち宗教法人の役員として適当でない者でもというような条項を入れる必要がありはしないかと思うのでございますが、御意見承りたいと思います。
  137. 篠原義雄

    篠原政府委員 ただいまの御意見に関連いたしまして宗教法人とわれわれが考えておりますのは、その役員の範囲並びにその職務権限、こういうものの、いわゆる宗教活動の面におけるそういつた面は、なるべく避けたいという趣旨からでき上つておる関係上、自由に責任役員、代表役員の資格あるいは範囲等を規定していただく、それが各宗、各派によりまして、非常にまちまちであります。またそのこと自体が、法がこれを求めることは、宗教活動の面にまで立ち入るおそれがあるということを考えまして、これを避けたわけであります。しかし、その必要があるという向きの宗教団体の場合におきましては、みずからの規則の中で、あるいは宗派規則、あるいは寺院規則、あるいは教団規則教会規則に、おのおのの特殊性を生かすところの責任役員、あるいは代表役員に関する、規定を設け、かつその職務権限も、資格要件も、その規則において定めていただければけつこうだ、またこれによりまして、宗教活動あるいは特殊性というようなものも、そこから出て来るのではないか、こういうふうに考える次第であります。
  138. 甲木保

    甲木委員 最後に一つお尋ねします。大臣説明にもありますごとく、宗教法人の責任を明確にし、さらにその公共性に配慮を払うという見地より、宗教法人の財産、事業収支等については、それを明らかにするとともに、また一方、宗教法人は、その会計についても検査を受ける義務を持ち、所轄庁にその会計を監査する権限を与えなければならないと思うのであります。すなわち第二十五条において会計監査の責任を明確にすることが必要であると思います。これによつて従来とやかく問題を起しておつた宗教団体も、健全な宗教団体として発達することができると思うのであります。会計監査を嚴重にいたしましても、決して宗教の自由に対しては何らの干渉でもなく、常に自由と自主性、責任と公共性の二つの要請を骨子とした法案となると思うのであります。すなわち第十八条、第二十一秦及び第二十五条は、この法案の最も重大な条項であり、その条項において適切な処置をとるのでなければ、本法案は、それこそほんとうに仏つくつて魂入れずということになるのでありますから、われわれは、一片の了解をもつて仏とするようなことは、賛成できないのでございます。この会計監査においては、嚴重にひとつ取締るというようなことにしていただきたいと思うのでございますが、この点について御意見を承り、私の質問を終ります。
  139. 篠原義雄

    篠原政府委員 お説の点ごもつともな節が多いのであります。しかしながら、われわれといたしましては、宗教団体のたとい財産管理、財産検査という面につきましても、事柄が宗教活動に必要な財産であり、また資金であり、財産その他の運営であり管理である、こういう面につきまして嚴重に監督する、あるいはその中に立ち入るということは、非常にむずかしい事柄も考えられますので、この点につきましては、全体的に信教の自由を保全する建前の上から、また政教分離という建前の上から、お説の点ごもつともであります、その意思に沿うように、実際上におきまして、その運営よろしきを得るようにしたいと思います。しかしながら立入りあるいは停止、監督、こういうことは行き過ぎだろうとわれわれは考えておる次第であります。
  140. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 皆さんにお諮りしたいことがございます。大臣に対する質問は、柏原君一人終えたのみで、圓谷君もその途中にあります。なおまた、そのほか数名の通告があるのでございますが、参議院からの申入れによりますと、予算分科会は本日で打切りたい意向だそうでございます。そこで事予算に関する問題でございますから、国会全体の運用に影響するところ多大でございますので、そちらの方へ行つていただかざるを得ないだろうと思うのでありますが、圓谷君は質疑の途中でありますから、あまりあとが長くなければ完了した方が都合がよいと思います。圓谷光衞君。
  141. 圓谷光衞

    圓谷委員 先ほど文部大臣から私見として承りました場合に、神社は大体宗教でないということが、ほぼ明確になつた。そこでお伺いいたしたいのですが、現在この法案は、神社を含めたもので通さないと、財産権の擁護の問題が起つて参りますので、現段階としては、神社側もこの法律を適用させてもらいたいという要望があるようであります。しかし、将来は大いに研究されて、神ながらの道、すなわち日本人の歩んだ道というものを、神社法なり何なりで別に考えなければならぬという御見解を持つていらつしやるかどうか。特に私が心配いたしておりますことは、日本神社中心とした相先崇拜という情操を持つております。でありますのに、日本にはほんとうの宗教はないのだ――宗教的情操は、他国民に落ちない。ゆえにインドにはほんとうの仏教が発達しないで、一たび日本に参りますれば、あの奈良、平安の繚乱たる日本仏教が完成された。儒教も孔子様が支那に説いても行われなかつたが、日本に来ると三百年の天下が孔孟の道によつて教えられた。キリスト教が入つて参りまして、信長、家康の弾圧にあつて一時消えたが、日本に来ましたときに、日本人の大和民族の血を通せば、日本的のほんとうの宗教が勃興するという考えを持つておる。これの基礎になるのが、すなわち日本の道である、こういう考えを持つております。しかしこの際は、神社も一応ポツダム政令によつて宗教と認めろという指令もありますので、これは私は固執いたしませんが、大臣としては、将来このことは大いに研究しなければならぬ問題であるというような御見解を持つていなそうかどうか、これは重大問題だと思う。
  142. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私は現在の取扱いとしては、これがよいと思つております。けれども、また国民の要望というようなことも考えなければなりませんし、将来また研究するということもいたしたいと考えております。     〔岡(延)委員長代理退席、佐藤(重)   委員長代理着席〕
  143. 圓谷光衞

    圓谷委員 次に、新興宗教についてでございますが、これが大分問題になつて、この法案は新興宗教を押える法案ではないかというようなことが、私のところにも参つております。戰争後における宗教の勃興は、世界共通のことで、イタリアなどではカトリック政党が出て来たというような状況でありますが、日本も日露戰争後においては、キリスト教界には海老名彈正、綱島梁川、内村鑑三、仏教界には近角定觀のごとき名僧が現われ、ほうはいとして宗教が興つた。日本において今新興宗教が大分できて参つたのでありますが、これは私は国民の魂の要望だと思つております。また一つには、届出制でいろいろな営利事業ができる、また免税もされるというような点からも興つたかとも思われますが、既成宗教に対して、先ほど篠原さんからのお話でありますと、この宗教がさつきの四つの規定がなければ審議会において認証されない。その認証されない宗教がたくさん残るわけであります。ところが宗教であつても、宗教法人となりたくなければ、ならなくてもいいのですが、これらが営利事業その他を必ず営むだろうと思います。どの宗教でも、初めは新興宗教信者も少いし、もちろん新しい宗教が現われて来て、古い宗教がすたれるということは、歴史の示すところであります。新聞等では、新しい淫祠邪教と言つておりますが、私はそうは考えておりません。日本の国民の魂の要求だと考えております。こういう問題について、この法案のほかに何か別な新しい宗教に対するお考えがあつたら承りたい。
  144. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 宗教はみな国民の魂の要求だということは、これは事実なんです。しかしその魂に応ずる宗教が、必ずしも新興宗教だからこれを助長しなければならないというものばかりでなくして、たまにはそういうものがはびこられては困るという宗教もあり得ると思います。だから、そういうものを受入れる場合はとにかく、拒絶するという場合においては、よくこれを審議会にかけて慎重にやろうということは、私は非常にけつこうなことだという考えでございます。
  145. 圓谷光衞

    圓谷委員 次に、この法案の骨子は、とにかく宗教団体に法的能力を与えて、財産の擁護ということが、目的の最も重大要件になつておるのでありますが、先ほど大臣の御答弁にもありました通り、この法案は財産の擁護のみではない、むしろ健全なる宗教の発達、正しい宗教が振興されて、国民の福祉に寄与したいということが、第一条の目的になつておるという場合に、私の考えておることは、古い宗教、ことに仏教等は大きな財産を持つておりますが、こういうものを擁護して、これから苦難の道を歩む新しい宗教との差別待遇ができるわけであります。釈迦も涅槃に入るときに言つておる通り、それ衆、嘆き悲しむをやめよ、形ある一切のものは滅びざるを得ず、ただわが法のみは永遠に滅びないであろうといつて弟子に戒めております。キリストもまた、金持ちが天国に行くのは、らくだが針の穴を通るよりむずかしいと言つておる。この法案が、さきの提案理由にあつたことく、宗教の健全なる発達を目ざすときに、單なる物的擁護だけでこの目的が達成されるであろうかということに、私は疑問を持つております。ことに既成宗教の方々の公聽会を聞いても、要するに免税点であるとか、財産の擁護ということがあるために、神社は決してほんとうの宗教でなくても一応認証されるということになつて来ると思うが、私どもはほんとうに日本の重要なる宗教法案をつくる場合において、こういうことだけでよろしいかどうか、文部大臣の御見解を承りたい。
  146. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 やはり宗教というものが、一つの団体として成り立つて行くには、その財産というものが確立しておることが、ぜひとも必要なことではないか。だから、そういう財産が成り立つようにすること、しかしまた立ち入つて宗教というものの中に入つて指導をするようなことは、政府のすべきことではない、それは宗派自身のすべきことだと思う。政府は、そういう宗派の中に入つて何も干渉しない。政教分離という意味も、宗教団体政府が立ち入つた干渉はしないということが、私は趣意だと思つております。そういう趣意で、宗教の健全なる発達と育成をしたい、こういう考えでございます。
  147. 圓谷光衞

    圓谷委員 宗教団体の持つ財産は、私は信仰の結晶だと思います。すなわち、その信仰が物になつて現われて来たものだと思う。しかし、古いところの宗教の、ただ單に昔の信者によつてできた殿堂、伽藍その他山林、田畑いろいろございましようが、このものだけを擁護して、真に新しい宗教が没却されておる。なるほど、今、国家においてこの財産を擁護してやれば、既成の宗教に対しては、これはオアシスでしよう、喜びでしよう。私は日本宗教を真にあこがれておりました。実際私は宗教振興法案を立案した一人でありまして、ほうはいとして、日本宗教が興る状態をこいねがつておりますがゆえに、單にこれだけで――私は古い宗教は、一応反省期に入ると思いますが、これで擁護して行つたならば、どうなるかという心配がある。これもまた進化論の原理が行われると考えておりますので。この法律は、決して悪いとは申しませんが、国家でもつてこれを保護してやる、信教は自由である。そうしてほんとうに名僧達識が出て集まつて来る、そうして国家で財産を保護して、はたして第一条の目的を達成されるかということが心配なんですが、いかがですか。
  148. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 財産を保護しさえすれば、それが宗教がりつぱに発達するという考えではないのですけれども財産も堅実でないと、宗教の発達にそぐわないということから、そういう点もした方がいい。しかし、何も單に保護するというだけではなくて、先ほどお話のあつたような、財政の状態などに立ち入つてはしませんけれども、しかし大体において、それを監視するといいましようか、それを外から見ておるというようなことは、宗教の発達にとつてよろしいことだと思う。既成の宗教が盛んになるから、それが新興宗教を圧迫するとかいうことは、ないと思います。おつしやる通りに、魂の要求なんですから、ほんとうに要求に応ずるような宗教ならば、だんだんに発達して行くでございましよう。大体として、私はこういう法案のあることが、宗教の健全なる発達に必要だという考えでございます。
  149. 圓谷光衞

    圓谷委員 ある方が発達にけつこうだということは、ないよりはましだということにも解釈できるのですが、宗教の根本から行くと、仏様は、欲望を捨てろ、百八煩悩を捨てろと、煩悩、滅却論をうたつておりますが、こういうことをやるのは、かえつて宗教の発達を阻害するのではないかと思つておるのです。これはちよつと極端になるかもしれないのですが、むしろこういう法案は、もう少しお考えになつた方がいいじやないかと、これを見て考えておるのですが、これは論争になりますから一応やめます。  最後に、政教分離という意味です。これは大体国家のあれとわけるわけですが、たとえば、こういう点はどういうようになるのでありますか。宗教の政党というのができたと仮定する場合、たとえば、天理教なら天理教の主体が一つの政治活動を起す、政治のにおいがする政党を一つつくるという場合は、絶対この法案で、できないわけですか、そこのところはどういう意味ですか。そういう場合を予想してお伺いします。
  150. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 今の御質問の問題は、この法案の問題でないのではないかと私は思います。
  151. 圓谷光衞

    圓谷委員 私もそう思いましたが……。それではこれで終ります。
  152. 松本七郎

    ○松本(七)委員 先般若林委員から、政教分離についての御質問があつたのでありますが、そのときに、政府委員の答弁で、政教分離ということは、宗教団体との分離であるというような御答弁があつたのであります。どうも納得ができないままに、そのままになつておつたのですが、大臣の政教分離についての見解を、明らかにしておいていただきたいと思います。
  153. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私はやはりそうではないだろうと思つております。政教分離というのは、宗教団体に対して、政府がいろいろな保護を加えるとか、いろいろなことはあつても、宗教そのものに立ち入つて、その宗教団体のこういう教義はよくないとか、こういうことはどうだとか、そういう宗教の自由を束縛するようなことは何もしないという意味で、宗教団体と政治とがわかれているというように、解釈をすべきものじやないかと思つております。
  154. 松本七郎

    ○松本(七)委員 そうすると、宗教内容に立ち入らずに、宗教団体そのものに何らかの援助を与えるというようなことは、さしつかえないという御見解ですか。
  155. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 その宗教内容に立ち入つて宗教のこういう教義がどうであるとか、これがどうであるとか――それはもちろん非常な場合においては文部省が取締らなくても、当然警察で取締るような場合があり得るわけですが、そうでない場合においては、政府が別に宗教内容そのものに立ち入るというのではなくして、ここにあります通りに、宗教を保護し、その発達を助けるという意味からして、その意味で政教分離ということが私は言えると思います。
  156. 松本七郎

    ○松本(七)委員 たとえば、特定の宗教を奉じておる私立学校に、政府が財政的な援助を与えるというようなことは、どうですか。
  157. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 特定の宗教を、何か政府が補助するということは、私はしないのではないかと思います。そうではなくて、私立学校として補助するということはあつても、特定の宗教なるがゆえに、それを補助するということはないのではないかと考えます。
  158. 松本七郎

    ○松本(七)委員 この問題は、もちろん私立学校に補助することがあり得ることは当然ですが、特定の宗教を奉じておる私立学校を、特に除外するのかどうかということです。これは大切な点だと思います。私立学校の補助という名において、特定の宗教を奉じておる学校だけが優遇されるということがあり得ることなんですが、この点を伺つておるわけです。
  159. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私は、それは特定の宗教を奉じておるがゆえに、特にこの学校を補助するとか、特定の宗教であつて、成立宗教で、りつぱな宗教である限り、それを奉じておるがゆえに、補助しないとか、そういうことはないと思います。一般の私立学校という教育の建前から補助するということもあり、補助しないということもあるだろうと思います。
  160. 松本七郎

    ○松本(七)委員 それと似たようなことですが、最近伊勢神宮の寄付を、大臣が音頭をとつて、主要な商社に寄付募集をやつておる事実がある。これは政府自体がやつておるわけではないでしようが、いやしくも大臣という地位にある者が音頭をとつて、そういうことをやることは、いかがであろうかと思いますが、そういう点についての御見解を伺いたいと思います。
  161. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 それは、個人としてされておることであろうと思います。私はそういう事情をつまびらかにしませんから、そういうことがよいとか悪いとか、一般的には言いかねますが、それは個人としてのことだろうと思います。
  162. 松本七郎

    ○松本(七)委員 もちろん、個人としてであろうと思いますが、大臣という地位にある人が、個人の立場でそういうことを、現在この客観情勢にあるときに、やられることが、はたして妥当かどうか、われわれはこれは行き過ぎじやないかと思つております。この点もし事実を御存じなければ、事実を明らかにして、少し大臣に再考を促したいと思います。ひとつ考慮していただきたいと思います。何か聞いておられませんか。
  163. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私はそれはどこまでも個人としてされておることだと思います。個人とすれば、あるいはある宗派の学校に行つて私どもでも何か言うこともありますし、また場合によつては、そういう宗教の学校を助けたりすることもあり得ると思うのであります。個人としてなら、私はさしつかえないと思います。その言葉自体が悪ければ別であります。
  164. 笹森順造

    ○笹森委員 最初に、総括的なことでお尋ねしたいと思います。この宗教法人法案提出に至りました径路を考えてみますと、現在行われておりまする宗教法人令に、十分に満足ができない情勢から、こうなつたと思うのであります。先ほど来大臣の御答弁の中にも、これは一歩を進めたものであるから、ある方がいいのだ、大体そういうようなお考えのようでありますが、これをもつと深く申しまするならば、この宗教法人法案というものを提出するにあたりまして、国際的な情勢なり、日本の置かれた現情勢にかんがみて、これが最も適当なる時期であつたという確信をお持ちであるかどうか。これはこの法案の賛否を決するための根本の見方であろうと私どもは思いますので、この点についての大臣の御判断を伺いたいと思います。
  165. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私は今これを制定することが、ぜひとも必要だと考えております。
  166. 笹森順造

    ○笹森委員 その理由をもう少し詳しくお聞かせ願いたいと思います。
  167. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 戰前から戰後にかけて、人心が非常に不安になつて来ておることは、明らかなことであります。従つて宗教というものが今後非常に盛んになるという方向にある、現に盛んになつておると私は思います。そういうときに、宗教は、なるほど人の魂の要求であつても、その要求に応ずる宗教が、非常に不都合なものであつては困る。従来のような、ただの届出制ということになれば、どんな宗教でも成立することができる。そしてまた実際そういう宗教が流行するという情勢にあると私は思います。戰後の非常に不安なときには、宗教の流行ということは、非常にけつこうなことですから、これをできるだけ健全なものにして行く、そうしてまた健全な宗教を育成しようということは、私はまさに時宜に適した法案だと申すことができると思います。
  168. 笹森順造

    ○笹森委員 私のお尋ねいたしました本旨は、元来この「宗教」という文字、あるいは言葉自体が、日本人の持つておりまする精神的な、形而上の一つの現象に対しまして、当てはまつておるかどうであるかということについての疑念を、実は持つておるのであります。外国人の意識しておりまする宗教というものと、日本人に対して外国語の宗教という文字を当てはめたものとが、ぴつたりしておらぬという情勢が、この占領治下において、まだ感ぜられるのではなかろうかという懸念がありますので、この根本の問題についてお尋ね申し上げておるわけであります。この点についての御見解を伺いたいと思います。
  169. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私は、宗教というのは、たとえば同じキリスト教であつても、これを日本人が信ずるか、あるいは欧米人が信ずるかということによつて、おのずからその信仰内容に違いもできる。また同じ宗教だから、みんなが同じ宗教内容を自覚しているわけではなくて、その人の環境とか教育の程度とかいうようないろいろのことによつて、種々さまざまなものがあり得ると思う。現在の不安な日本においては、日本人の把握するところの宗教内容は、必ずしも欧米人と同じでなくてもよいのでありまして、めいめいが、それぞれの宗教によつて自分の日々の生活に喜びを感じ、生存の意義を感ずるということになれば、それでいいのだと思います。
  170. 笹森順造

    ○笹森委員 この問題は宗教法人令との関連において考えなければならない考察思想の展開があつたと、私は思うのであります。先ほど来しばしばほかの委員の方からも御発言があつたようでありますが、まだ徹底しておらないような感じがいたしますので、もう一ぺんその点について、私自身の疑問を質問いたしたいと思います。今私は、ここで宗教法人令を批評しようとは思つておりません。あるいは、また占領治下においてあの政令を出したということの理由についても、十分認めなければならぬ点があると思つておるのであります。つまり神社神道というものを、私どもが宗教にあらずと政府によつて示され、明治以後そういう態度をとつて神社神道というものに対する態度を確立して来ておつたのであります。これは、私から申し上げるまでもなかろうと思います。三殿の儀式がありました際に、外国の方々は、これは宗教行事であつたならば、われわれは宗教上の感じから参列できぬと言いましたときに、これは日本の国家的なりつばな儀礼である、これには宗教の要素がないものであるから、国家の行事として当然出席してもらいたいと言つたということも、外交上のはつきりした記録の上に、われわれは承知しております。爾来これらの人が三殿の儀式に連なり、その例に従つて諸儀式に連なつておつたことも、承知いたしております。また戰争前において、靖国神社、護国神社等について、ほかの宗教を信じております宣教師等にも、そのことを明確化して、これは宗教行事にあらず、偉人の記念堂なり、またこれに対する敬意を表する道であるということを説明して、宣教師らにも、あるいは護国神社に、あるいはまた靖国神社に行つて敬意を表することについて、理解せしめることを行つておつたのが、私ども過去においてとつて来た実行の記録であります。これに対して、その人方も、そういう理解を持つておつたことも事実であります。しかるに、そのことがいわゆる軍国主義のために行き過ぎて用いられまして、戰争のための宗教的な分子がそこに出て来たとされて、宗教法人令において、神社のそうしたものが一切切り離された過去の経過も知つておるのであります。ところが、われわれがいわゆるレリジヨンというものでなく、国民的感情といたしまして神社に対して持つておるものが、依然として宗教という範疇に押し込められておるということでこの法律が出ておることが、占領下においてまだ時期にあらずという一つの感じが起らざるを得ない。政令制定当時におけるいきさつは、わかります。またわれわれは、過去のものを決して正当化しようというものではありませんが、その民族的な感情として残つておるものがある今日において、どうしても神社もこれを宗教としなければならないという立場に置かれて織り込まれたというところに、今後に大きな問題が残つて来はしないか、また現在それがあるのではなかろうか。神式の結婚式、あるいはその他の儀式などが、宗教的なものを離れて日本の民族の中にあるのに、それも宗教という範疇に入れようというところに、今置かれた占領下において、こういう法律をつくることが適当であるかどうか、こういうことの質問であります。この点についての御見解を、御披瀝願いたいと思います。
  171. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 神道というものに対する考えは、ただいま承つた通りに、私も思つております。けれども、神道というふうなものを、全然この宗教的な範疇から除外せねばならないということは、私は言えないのではないかと思う。やはりこれは一つのプリミテイヴな宗教といつてもよいのであつて、これによつて弔いもやられておるし、また結婚式などもやられるし、また神社に参拜されておる。こういうことはやはり一種の宗教的感情であつて、これを宗教的な範癖からぜひとものけてしまわなければならないというわけには行かないと思つております。本来の理論的な根拠から言えば、それは宗教でないということが、十分言えると思いますけれども、これまでのしきたり等から考えてみれば、一種の宗教だというふうにも見られるから、現在の取扱いとしては、これを宗教という範疇に入れて取扱うのが、適当な処置だというふうに考えております。
  172. 笹森順造

    ○笹森委員 焦点に触れて、もう一歩深くお尋ねしたいと思います。ただいま申しました昔の神ながらの道の神社神道というものの中に、宗教的な要素を持つて、あるいは結婚式、あるいはまた葬式等もやるという分子があるということのお話でありまするが、これが宗教の対象となる場合と、宗教の対象とならない場合があると私は考えます。なぜならば、無宗教の人であつても、葬式はいたします。無宗教の人であつても、結婚式はいたします。宗教以外に、人間の社会生活の中で、われわれの人生の中でやる儀式その他があるのです。宗教神道と截然とわけられたこれらの儀礼習慣というものの存在を、全然無視する結果になりはせぬかということをお尋ねしておるのであります。今大臣の仰せになりました神社神道の中に、宗教的な要素のあるものもある、これを私は否定はいたしません。しかし以前からそこに截然として区別されておりましたハイ神道と申しましようか、高部神道と申しましようか、宗教的な色彩のない別の一つのものがありはせぬか。私どもが他の宗教を信じておりました場合でも、やはり護国神社に参ります。維新当時に自分の地方のために命をささげた偉人の記念堂として、そこに行くことを喜びとしております。また私は、今日でも靖国神社に参ります。そして軍国主義という範疇ではなくして、犠牲の精神を持つて国のために命をささげた人の記念堂としてそこに行く。宗教行事をのけて、そこにそういうものが存在していることを、私は喜びとしております。こういうような点の区別なしに、これを全部宗教として、この法律の中にたたき込まなければならないというところに、現在日本人の国民的感情として残つておるものが無視されている点がありはせぬかということを、はつきりしたいがゆえに、これを申し上げているわけであります。この点に対する大臣の御見解をもう一ぺん承りたいと思います。
  173. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 そういう弔いとか、あるいは結婚式というようなことが、全然宗教的の意味なくして行われる場合も、もちろんあり得るのです。けれども、その根本には、やはり人間が何らかの意味において運命とか、あるいは絶対者とか、そういうようなものに対する憧憬というものを持つておるから、そういう儀式も出て来ているのであつて、これは広い意味においては、やはり宗教的なものを持つておるといつてもさしつかえない。現在の実際の取扱いとしては、やはり神道といいますか、神社というふうなものも、宗教の範疇に入れて扱うことがよい、こういう実際の取扱いから、この議論をしているわけでございます。もし、まつたく宗教的な意味はない、儀礼なんだ、こういえば、キリスト教でも、仏教でも、ある意味でそういうものがあると思うのです。仏教でも、坊さんをある意味では、ただ弔いをやる人だ、こういうふうに考えて、そこに何の宗教的なものもないということだつて、しいて言えば言えるわけです。神道の場合に、もし宗教的な意味を持たないものがあると言えるなら、仏教に関しても、キリスト教に関しても、あると言えると思う。そういうものの根本をたずねれば、人心が人間の魂の故郷というものを求める、そういう一つの宗教的情操から由来しているという意味で、広い意味では、これを宗教という範疇に入れてもさしつかえない。現にここで言つているのは、それを取扱う一つの法律上のことですから、私はこれを入れることに、何らさしつかえないという考えであります。
  174. 笹森順造

    ○笹森委員 承りますと、承るほど私は疑問を深めて参ります。ただいまのお言葉では、むしろ思想の混乱をさえ感じます。なぜかならば、キリスト教においても、仏教においても、ある儀式は宗教的にあらずというものもあり得るというお話で、しかもこれを取扱うのに、結局こうした方が都合がいいという、最後には功利的なお話になりますが、私はキリスト教で取扱いますその儀式、あるいは仏教で取扱いますものは、必ず一つの人間外の対象を通してであると理解しております。すなわち神を通すか、あるいは仏を通して、儀式が人間と人間との間に行われておる。ところがそうでない無宗教家の行いまする儀式は、まつたく倫理的なものであります。その倫理的なもの、道義的なものと、宗教的なものとの間に、截然たる区別があると、私は理解しております。ところが、ただいまの大臣のお話では、キリスト教の神を通しての結婚式も、あるいはまた仏を通しての仏教の儀式も、そうでないものも、みな同じだということになると、普通慣例による倫理的な関係の人間と人間との間に行われるものと、神仏を通したものと、すべてを混同しておるというお答えのように感じます。私は、その宗教行事と普通の慣例あるいは倫理的な行動との間に、截然たる区別があるんだということを考えておりますから、その点は意見の相違であるか何であるかしりませんが、大臣は何でもかんでも一緒だとお考えになりますか、もう一ぺんお尋ねしたいと思います。
  175. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 全然同一だと、私は言つたわけではございませんが、そこにやはりにおつた同じように考えられるものがある。キリスト教仏教は、神や仏を通してやつておる。しかし神道の、たとえば弔いとか、あるいは結婚式とかいうふうなものが、神を通さぬとは言えない。神というものを自覚されておる程度が、ただ低いというだけであつて、何らかの意味において絶対者というものを通じなければ、神道の葬式といえども、神道の結婚式といえども成り立たない。そこに程度の差はあるけれども、広い意味においては、やはり宗教という範疇に入れてよいのだ、こういう趣意を述べたわけで、決して全然同じだとか、そういう論をしたわけではありません。やはり私は宗教的なものを持つておると思うのです。
  176. 笹森順造

    ○笹森委員 それ以上は議論になりますから、その点は差控えます。私は、少くともこの法律を出す時期としては、現段階は最善の時期ではなかつた、こういうものをつくつても、いずれまた再考しなければならない時期が来る。しかし、これは宗教法人令よりは一歩を進めたものであるということは、私も否定をしない、こういうことではなかろうかと私自身で思つておりますが、この点は質問でなくて討論のときに申し上げたいと思います。  その次に、本論に入りまして第一条のことでありますが、これは公聽会においても、いろいろ問題になり、質疑応答を重ねましても、公聽会の席で意見を発表しました学識経験者あるいは利害関係者からも、遂に截然たるものを見得ずして今日に至つておる一点であります。「この法律は、宗教団体が」と申しております。先ほど来この委員会においてもしばしば御質問もあり、御答弁があつたようでありますが、この「宗教団体が」という宗教ということに関することが、やはりここではつきりしておらぬのであります。そこではつきりしておらないものを、ここにもう当然のこととして掲げておりますところに、この法案全体を通して、これを理解する上に非常に困難性がある。ですから「宗教団体が」というならば、やはり何が宗教であるかということを明確にするのでなければ、この法律の成立の意味がないじやないかとさえ考えられますが、この点について……。     〔「公聽会ではそんなことは言わない」と呼ぶ者あり〕
  177. 佐藤重遠

    ○佐藤(重)委員長代理 私語を禁じます。
  178. 笹森順造

    ○笹森委員 公聽会のある人が、そういうことを言つておる。その点について、宗教自体の定義を、この法案できめておらないということでよろしいかという点について、大臣の御意見を承ります。
  179. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 宗教といえば、この法律で言うときには、普通にだれでも理解しているように、個人が自分の生命の源として絶対者というふうなものの存在を信じて、しかもその個人と絶対者との間を媒介する媒介者というものがある、こういう三つの要素を備えている場合に、これを宗教というように理解しておるのであります。私はごく普通のだれでもがしている世間通用の概念で、これはさしつかえないというふうに思つております。
  180. 笹森順造

    ○笹森委員 ただいまの点は、特に記録に残りますから、これは私どもが大臣の言として、この法律を運用する上に、根本のものとしなければならない。この間の公聽会の席でも、宗教という言葉の定義は百種類以上もあり、容易にできるものではないということで、この法律でこれを明らかにしない方がよろしいという一公聽人のお話が確かにありました。ところがただいまのお話では、普通だれでもが考えておるただいまのお話の通りのものを一応宗教とする、こういうことでありますが、ここに私どもは、そういう考え方だけでこの宗教法人という法律をつくることに、非常な不安を実は感じておるのであります。特にこの法律の中で、私どもはそれは不十分だ。だから、この後に出て参ります所轄庁のあるいは地方の審議会なりあるいは知事なりが、大臣の今のような理解の通りに、多くの人が、みな千編一律にこのことを処理するということに対して、私は実は非常な不安と疑問を持つのでありますが、大臣の今言われました通りのことが、はたして地方審議会においても、あるいはまた地方庁の所轄庁においても、その通りの理解をもつて今後臨み得る、そこにまたそれ以外の弊害は起つて来ないのだという御確信を持つてこの法案を御提出なされておるかどうか。それに非常に危險を感じますから、その点についてのお答えを願います。
  181. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私は、宗教といえば、大体人がそういうふうに考えておるものではないかと思います。嚴密な学問的な定義を言えといえば、それは幾百種もあるかもしれません。しかしわれわれが宗勢いえば、神とか仏とかいう絶対者のない宗教というものはない。それから、また、それを信ずる個人のない宗教というものもない。また絶対者と個人とを媒介すると申しますか、仲立ちをする教祖とか、そういりもののない宗教もないのではないかと思います。だから、そういう三つの要素を持つたわれわれの心の要求を満たしてくれる精神活動、そういうものを一つの宗教と言うことは、これは私はしいて論を立てない限り、普通だれでもが認めておることだと思つておるのであります。従つて、そういうだれでもが認めるような概念と理解しておけば、別にさしつかえないという考えでございます。
  182. 笹森順造

    ○笹森委員 特に国家がこれを奬励あるいはまたこれを保護するという立場に立ちまする場合には、ただいまのお話だけでは、まだ私どもは、この法案を通すにけつこうだというわけには行かない要素があるように感ぜられる。というのは、宗教生活そのものが、すなわち社会生活であり、あるいは家庭生活であり、団体生活であり、国家生活であるのでありまして、これは非常に影響するところが多いと思うのであります。だからその絶対者に対する理解が内容的に――この法律内容に触れないということならばわかりますが、少くともこれは倫理的でなければならない、道義的でなければならない。宗教の倫理性というものを強調しなければ、この法律案というものは、せつかく成立されましても、かえつて多くの弊害を国家、社会にかもすという結果が生れるのではないかということを、実は非常に懸念しておるのであります。ただいまの絶対者に対します一つの考え方が、單なる恐怖から来、あるいはまたこれが仇敵あるいは復讐から来るというようなごく原始的なものが、まだこの人間社会の中にたくさんあります場合に、少くとも国家の権力をもつて法人格を与えてするというならば、この法律の中に、やはりそうした思いやりが、ぜひ必要ではないであろうか。この前にも御説明があつたようでありますが、宗教の新旧大小は問わない、あるいはまた正邪をさえ問わないという言葉の表現があつたのですが、そうではなくて、やはり宗教の倫理性というものは、どうしてもどこかこの法律の中ににおわせ、あるいはまたその精神が貫いているという感じがなければ、今後宗教行政の上に国家が立ちまする場合に、非常に缺陷があるのではないか。この法律案の中にも、宗教の倫理性のにおいを強く出さなければならないと思うのでありますが、その点についての大臣のお考えを承ります。
  183. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 宗教の倫理性ということが必要でありますから、審議会を設けるのであつて、ただ、今申したような、何かを信仰しさえすればいいというのであれば、届出制でいいのであつて、この審議会を設けようというのは、宗教の倫理性というものの顧慮から、こういう審議会というものが起るのであつて、笹森さんの御質問ですが、私は非常に意外とするところであります。そういうことを問題にしなければ、審議会も何もいらないのではないかと思うのであります。
  184. 笹森順造

    ○笹森委員 その意外が、実は意外なのであつて、審議会の最低基準というものが、ここに示されておらない。この法律の中で、審議会が何によつてこれを審議するかというような心づかいが、十分現われておらない。いわんや地方所轄庁においては、その基準がない。実は私はそれを一番心配しておるのです。結局意外とする点は、意外でないので、おそらく大臣の意外とする点を私は心配して話しておるということが、合点行かれるのではないかと思うのですが、この審議会にせよ、あるいはまた地方長官にせよ、一体審議する場合には、ある一つの最低の基準が示されなければならないのではないか。ところが、その基準がはつきりされずにここに出ておるというところに、危險性を感じておるわけであります。それは中央審議会ならば、学識経験者も出て来ましようし、あるいは宗教哲学者も出て来ましようし、いろいろその他の人も出て来ましようが、地方庁においては、それが非常に欠けるところが多いのではなかろうかということを心配する。従つて、話はそこに参つたのでありますが、中央審議会における最低基準、よるべきところを別にお示しなさる考えであるか、もし考えるならば、どういうことを最低基準として、ただいまお話のようなことを規制されるつもりであるか、その構想を進んで御説明願いたいと思います。
  185. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 これはそういう審議会の標準というようなところまで、この法律規定しなくてもいいのではないか。審議会を設けるということは、審議会がそういう標準をつくつて、適当な審査をするということだと思うのです。だからして、倫理性ということをここで何も強調しなくても、審議会をつくるということが、宗教の倫理性を顧慮しておるということをすでに示しておることなんだ、こういうふうに私は思つております。
  186. 笹森順造

    ○笹森委員 中央審議会に関するお話は、それでお答えがあつたのでありますが、地方長官についてその懸念は、どう払拭されるか、お答え願います。
  187. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 地方でもつて拒否された場合に、それを中央で審議するわけであります。
  188. 笹森順造

    ○笹森委員 幸いに拒否されますと――辛いと言うと、はなはだ相済みませんが、次の機会に中央審議会に参りまするが、それを拒否しないという場合における判断についての危險性の払拭をどうするかという質問であります。
  189. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 地方庁だから何でも間違うということもないのではないか。地方庁でも、相当の方が今はおるのですから、間違いはないのじやないか。しかしそれが間違つた場合には、それを中央で取消しをすることもできるから、そういうことによつて、弊害を防ぐことができるのではないかと思つております。何もないというよりも、そしてただ届出ということよりも、こういう審査を経るということの方が、はるかに私はよいことだというふうに考えております。
  190. 笹森順造

    ○笹森委員 私の懸念しておりますのは、やはり中央の学識経験者、あるいはまた中央審議会ならば、私どもは信頼してよかろうと思うのでありますけれども、日本全国の知事が――今度どういう方が当選されますかわかりませんが、それは今お話のような方もありましようけれども、そうでない方もあり得るという懸念も多分にあり得るから、実は申し上げているのでありまして、私の結局のお尋ねはこうなるのであります。あらゆる宗教は、新興宗教であろうと、あるいは古い宗教法人法による取扱いの認証を受けたものであろうと、すべて中央の審議会を経て文部大臣が見てやるという方が、ほんとうに公平に行くことになりはしないか、たとえば、ある県において認証を受けたものが、隣りの県では、認証を受けないということがあり得る。隣りの県で認証を受けなかつたものが、その隣りの県へ行つて認証を受けるということもあり得る。こういうところに、人聞は万能ではありませんから、その府県の知事の考えによつて、取扱いによつて違うことがあり得るのであります。それで、結局するところ、私はすべて一応中央の審議会にかける。この新しい法律ができたときに、実際にこの中央審議会にかける。そしてその後に起つて来たものについても、同様の取扱いをするということが、ほんとうに親切なことであり、この法の目的を遂げるために、適当な方法でありはしないかということを思いますので、第五条の所轄庁を、都道府県の知事とするということは、むしろよけいなことで、これは省いて、全部中央にすべきではなかろうか。そうしなかつたならば、そういうふうにまちまちになるという懸念があるので、その点に関する大臣の御見解を聞きたいのであります。
  191. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 笹森さん、これは取扱いのことになりますから、政府委員からでいけませんか。まず政府委員から説明させて、不十分だつたら私がやります。
  192. 篠原義雄

    篠原政府委員 ただいまの、各都道府県で一応宗教団体宗教法人に申請いたしまして認証を受けたが、ある県におきましてはそれが拒否された。こういう場合におきましては、認証の取消しの規定がございまして、他の府県で認証を取消したとか、あるいは認証を受けない、こういう向きのものは、認証の取消しを何人といえども請求し得る規定になつておりますので、そういうことになろうかと思います。そうすると、これが再び再審査の活動段階に入るのでありまして、初めの他の都道府県における認証を拒否されたものにつきましても、あるいはそれについての訴願等の道が考慮されておる。そういう場合におきましては、認証取消しの問題につきましては、中央の宗教法人審議会の議を経て審議されるということになります。従つて最悪の場合につきましては、全国同じように宗教団体の平等、あるいは宗教性を尊重したいという趣旨から、中央に一つ設けた次第であります。
  193. 笹森順造

    ○笹森委員 ただいまのことは、取扱いの事柄のお話であります。それで取扱い上のことはわかつたのですが、中央に一つ置く方が、今までも、たとえば大きな学校の取扱いは大体中央で一つでやつてもさしつかえなく、またその方がよかつたのでありますが、この場合においても、やはり中央で、少くとも最初に第一回の大きな宗教団体を一つ取扱うという場合は、中央の審議会にかけて大臣がやる方が、最も公平で妥当であろう、こういうことを実は考えたのでありますが、このことをひとつたとい一都道府県において起つたものであろうと、最初の場合に、これをそういうぐあいにした方がよいのではなかろうか、こういう点についての大臣の――今の事務上のことでなくて総体的な上からのお尋ねをしておるわけであります。
  194. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 確かに笹森委員のおつしやることも、一理あると私は思いますが、しかし多数のものを取扱うのに、一時に中央でということが無理だというようなこととか、いろいろな事情から、この手続上のことを考えたのでありましようが、しかし究極するところは、やはり中央に帰着するのですから、そこに一つでもつて審議するということになれば、そういう弊害も起らないのではないかという考えを持つております。
  195. 佐藤重遠

    ○佐藤(重)委員長代理 笹森君にちよつと申し上げますが、ただいま参議院側から、大臣の出席を要請して来たのでありまするが、どうでしようか。もう三十分以上あなたの御質問は続いたのですが、まだたくさんございましようか。
  196. 笹森順造

    ○笹森委員 それでは、あとの質問は保留いたします。実は総括的な質問はこれだけでありまして、各条項に触れての質問もたくさんございますので、委員長の御注意によつてこの次にさせていただきます。
  197. 若林義孝

    若林委員 法務関係の御当局の方から、一応念のために御所見を承つておきたいと思うのでありますが、従来宗教というものは、先ほど笹森委員からもお話がありましたように、種々雑多でありまして、これはアメリカといえども、一口に記憶のできぬくらい数がたくさんあるわけであります。日本であるから、文化が低いから、新興的にたくさん興つて来るというものではないのでありまして、雑多ないろいろな宗教があり、これがもまれて行つて初めて正しい宗教が芽ばえて来ると思うのであります。直接この衝に当ります個人個人の、この法案に関する代議士諾公の気持におきましても、いろいろかわつて来るのであります。いわんや行政面の末端において、やはり信教の自由がありますので、おのおの特異の信仰を持つておるのでありまして、自分の信仰する対象ならばわかりやすいのでありますが、これが異なつておりますために信仰の内容その他が理解しにくいから、この八十四条で、差別的待遇をしないよう、宗教の特異性を尊重するようという注意書き的のものになつておると、われわれは心得ておるのであります。そこでこの信教の自由という言葉で、宗教の尊重性なり平等性を表わしておるのであろうと思うのでありますが、ともすれば、そういう自己の信仰内容、あるいは宗教の特異性が理解できないために、末端の行政面においては、差別待遇をするがごときおそれがあるわけであります。そこで宗教関係者の方の要望としては、信教の自由の次に、もう一つ平等を入れようという希望さえもあるわけなんであります。この点嚴密に言えば、信教の自由という言葉の中に、平等という意味も含まれておるとは思うのでありますが、この点、法務関係の御当局の御解釈を承つておきたいと思います。
  198. 林修三

    ○林(修)政府委員 ただいまの若林委員の御質問にお答えいたします。御承知のように、新憲法におきましては、第二十条において、信教の自由を保障しております。国が特定の宗教に対して、いかなる特権も与えてはならないということに規定しております。当然に信教の自由ということは、無差別平等的な取扱いということを、その概念の内容に含んでおるものと、われわれは解釈いたしております。ただいま若林委員の仰せられました点につきまして、第八十四条の条文が、信教の自由を防げるようなことのないようということは、ある宗教を特に差別的に取扱つて優遇する、あるいは逆にそれを別な取扱いをするというようなことが、当然にそういうことがあり得ない、すべきでないということを含んだ意味でこれが立案されておる、そう解釈いたします。
  199. 若林義孝

    若林委員 次に、第三条に、境内建物及び境内地の定義を定めてあるのでありますが、古い境内地や古い建物だけを免税保護するという意味からいつて境内地の定義から参りましても、古い建物境内地というものは明確にわかりやすいのでありますが、新しく将来境内地となり、あるいは宗教境内建物としてここに建てようというわけで、その土地あるいは建物宗教法人が取得しようとする場合の取扱い方でありますが、いかなることを条件として境内地とみなすか、これは宗教法人としては、他の附則の第二十六項、二十七項に関連をするのでありまして、大いにこの利害関係が反することになるのであります。この点同一府県内においても、これを取扱います箇所によつて区別をつけられておるということの実情であります。この点相当まだ係争中の事柄もあると心得ますので、法務当局の御意見を承つておきたいと思います。
  200. 林修三

    ○林(修)政府委員 ただいまの御質問にお答えいたします。第三条におきましては、境内地境内建物の定義を書いておるわけでございますが、これはここにございます通りに、やはり本殿とか拜殿とか、あるいはこういうような宗教の本来の目的のために用いられる建物あるいはその敷地とか、その他これに密接な関連のある土地建物につきまして、これを境内地あるいは境内建物と称しておるわけでありまして、今仰せられました予定地あるいは予定建物と申しますか、そういうものは、第三条の規定からは、ただちには出て来ないのじやないかと存じます。附則の第二十六項、第二十七項におきまして、登録税法あるいは地方税法の免除規定があるのでありますが、ここにおきましては、やはり「宗教法人がもつぱらその本来の用に供する宗教法人法第三条に規定する境内建物及び境内地」と、こういうふうに書いております関係上、この税法の取扱いにつきまして、この税法をそういう予定建物あるいは予定敷地の免税まで延ばすかどうか、これは立法政策の問題でございますが、この条文解釈といたしましては、どうもそこまでは入らないのじやなかろうかと考えるわけであります。
  201. 若林義孝

    若林委員 その場合は、登録税その他がいるということになりますか。
  202. 林修三

    ○林(修)政府委員 まだ本来の用途に供されていないという場合におきましては、やはり登録税はいるということに相なろうかと存じます。これは事実の認定問題になるわけでありますが、そこに全然新しい土地を買つて、まだ本来の宗教法人の用に供されていないということになれば、やはりこの条文解釈としては、そういうことになるのではないかと思います。
  203. 若林義孝

    若林委員 すぐ建物を建てる場合は、明確になるから登録税が、いわゆる附則二十六項、二十七項の適用を受ける、それから少し時日を置いてやる場合は受けることができない。こういう解釈ですか。あるいは、そうなれば、日数その他は一体どれくらいの期間を予想するか。
  204. 林修三

    ○林(修)政府委員 実はこれは具体的な事例にあたりましては、そこは課税当局の認定問題が入るのじやないかと思いますが、結局条文の解釈といたしましては、その宗教法人が、自分の宗教の本来の宗教の用に供するかどうか、供する建物であるか、土地であるかということの認定ができるかどうかということでありまして、そこはおのずから社会観念上の判断でやるべきことであろうかと思つております。
  205. 若林義孝

    若林委員 これは私は将来伸び行こうとする宗教法人にとつては、相当重大な問題ではないかと考えるのでありまして今日これ以上の御答弁を要求することは無理かとも思いますので、この辺でこの三条については、一応了承することにいたしておきます。  次に、これにやはりよく似た事柄になりますが、宗教法人が登録をし、所有する宗教法人自体は、その土地を使わないのでありますけれども、その所属の宗教法人といいますか、教会でいう親教会、子教会関係からいえば、子教会でありますが、その所属の宗教法人が資力がないために、包括団体である宗教法人土地を買いまして、使用するのは所属の被包括団体宗教法人である場合なんです。言いかえれば、東京に本部があります。その本部の宗教法人、つまり包括団体が、横浜にある教会のすぐそばに土地を買うて、その土地を横浜の被包括宗教法人が使つておる場合、やはり第三条のそのものの境内地として、同じような取扱い方を受けるかどうかということを伺いたい。
  206. 林修三

    ○林(修)政府委員 第三条から申しますれば、今お話のございましたところの、かりに包括団体としての宗教法人と、被包括宗教法人との関係において、その包括教会なり教派の方が持つております土地なり建物を、その包括される宗教法人が、三条にあげますような用途に供しているというときには、境内地あるいは境内建物になるかと思うのであります。問題はあと附則の二十六項なり二十七項の免税のことに関連して来るかと思うのでありますが、ここのところは、宗教法人法の条文から拜見いたしますと「宗教法人がもつぱらその本来の用に供する宗教法人法第三条に規定する境内建物及び境内地」こういうように指定しております。従つて問題をわけて考えますと、二つ問題が起るのではなかろうかと思います。包括団体と申しますか、教派教団とその寺院なり神社の單一団体の方と同じ法人である場合には、これは大体ここから申しましても、疑問の余地はなかろうかと思うのであります。その法人が違つておるとか、宗教法人が、包括する団体と被包括団体寺院なり神社等が、宗教法人として別な宗教法人になつております場合に、この適用があるか。これは解釈いたしてみますれば、この登録税法なり地方税法の免税規定は、やはりこれは宗教法人がその宗教目的のために使うという趣旨のものを免税する趣旨であろうと思うのでありまして、ただいまの場合を考えてみますれば、宗教団体の性格は、法人格は違いますけれども、同じ教派であり同じ宗派の各団体に使わせておるという場合でございますから、多少地区的にははつきりしない点がないではございませんが、この解釈といたしましては、登録税法なり地方税法の免税規定を適用し得るものではなかろうか、かように私どもとしては解釈できると存じております。ただ御承知のように、地方税法におきましては、固定資産税の免税につきまして、第三百四十八条でありますか、この附則二十七項で改正いたしております第三百四十八条の第二項の但書におきまして、その固定資産を有料で借り受けておる場合には免税しないという規定が入つております。そういうような関係で、包括宗教法人が、その被包括宗教法人に有料で貸しておるという場合には、固定資産税の免税が受けられないことに相なるかと思います。
  207. 若林義孝

    若林委員 実は附則の二十六、二十七につきまして「宗教法人がもつぱらその本来の用に供する」というのを「宗教法人がみずから、又はその所属の宗教法人の本来の用にもつぱら供する」と改めるような希望を申し出ておる向きもあるのでありますが、ただいまの当局の御説明によりまして、このような字句を挿入するまでもなく、この意味が二十六、二十七の両方の条文の中に含まれておると解釈をしてさしつかえないでしようか。
  208. 林修三

    ○林(修)政府委員 私どもといたしましては、この案の立案の衝に当りまして、文部省とも打合せいたしておりますが、さように解釈いたしております。ただ地方税法は、御承知通りに、全国一万の市町村が運営いたすのでありまして、実際の課税にあたりまして、市町村当局がどういう解釈をするかということは、問題はございますけれども、私どもの立案の趣旨といたしましては、今申しましたようなことは、ここに含み得ると考えております。
  209. 東井三代次

    東井委員 関連して――先ほどの若林委員のお尋ねした三条の土地の問題について、林政府委員にもう少しお伺いしておきたいと思うのです。その御答弁では、土地の予定地は、やはり登録税を課するようなことになるという御解釈であつたように思います。ところが、建物が建つておる土地を登録するという場合もあり得ますけれども、たとえば建物を建てる予定地を買いまして、先に土地を登記する、こういう場合もたくさんあるわけです。そういた場合、現在建つて、おらぬから登録税を課するというよりも、むしろ、認定はなかなかむずかしいと思いますけれども、たとえば所轄庁がこれは何々の予定地であるというような一つの証明を出す。そういつた証明力があれば、どうですか、そういつた場合に何とか救済の方法はありませんか
  210. 林修三

    ○林(修)政府委員 東井委員の御質問にお答えいたしますが、解釈論といたしましても、やはり多少そこに問題があるのではなかろうかと思うのであります。さような場合に、予定地を免税するということならば、この立法にあたりましても、本来の用に供するもの、あるいは供するものと決定したるものとか、かように書くのがほんとうであろうと思うのでありますか、やはりこういうふうに書いてありますれば、現実に供しておるということが主たる内容になるのではないか、かように考えるのであります。
  211. 東井三代次

    東井委員 あなたの御解釈は、それでいいのでありますが、行政面まで及んで、さらにどうこうということは、非常に今むずかしいと思いますが、それでは目的の半分ぐらいを達成して、あと半分が十分じやないというふうに思いますので、何とかこれは林政府委員、法務府の方からでなければ、主務官庁の方から、何かそういう点は御意見ございませんか。その点、一つの国の意見として、何かばらばらのような気がするのです。行政にあたつて、これは予定地である、将来当然に境内地になるものだという大体の認定がつけば、それを証明して、そうして登録税の課税を免除してやるというような、何かそういう行政面の救済の方法があり得ましようか。林政府委員のお話では、この法文の解釈上は、それは出て来ないと言われるのですが。
  212. 篠原義雄

    篠原政府委員 具体的な事例においても、一、二そういう事例が東京都においてもございました。客観的に非常にその可能性の強いもの、あるいは実質を具備するのに、客観的に見まして非常に可能性の強いもの、こういうものにつきましては、登録税の免除はあつたように事実を聞いております。従つて、これはやはり林政府委員のおつしやつたように、事実の認定ということが、非常に問題になります。その具体的事実の場合に、どういうふうに認定するかの税務当局の解釈の問題になろうかと思います。そういう実例もあつたことを、一応御報告しておきます。
  213. 東井三代次

    東井委員 大体それ以上進み得ないようにも思いますが、しかしそれは所轄庁の方から、何かもう少し積極的にプッシユして行くような方法とか、そういつたお考え、将来どうなりましようか、ひとつ意見を承りたい。
  214. 篠原義雄

    篠原政府委員 われわれもかかる向きのはつきりしているような実情にあるものにつきましては、地方庁とも、また中央の関係各庁とも連絡いたしまして、十分の疎通をはかつて、実際に即する解決をして行きたい、われわれは常日ごろそういうことに專念いたしておる次第でございます。
  215. 浦口鉄男

    ○浦口委員 第三条と附則の二十六、二十七に関連して、具体的な問題をひとつお尋ねしておきます。それは神社寺院あるいは教会のあります境内地の都合によりまして、全然そことかけ離れた土地に牧師なり僧侶、あるいは神官の住宅があつた場合、それをどういうふうに解釈されるか、これをひとつ具体的にお示しを願いたい。
  216. 篠原義雄

    篠原政府委員 この点につきましては、事実問題として非常にむずかしい点がございますが、一般的には、われわれといたしましては、その法文にも明らかにあるように、教職舎、牧師館に相当するもの、こういうようなものにつきましては、当然その範囲に入るわけであります。しかしその部分的な割合とかいうことも事実上の問題でありまして、この点につきましては、境内建物一般的な性質といたしましては、ここに述べてございます。しかし実際に名義上そういうふうな建物であつても、事実はたしてそれが本来の目的のために使われているかどうかによつて、名目したとえば牧師館であつても、あるいは庫裏であつても、これを実際に使用する関係においては、極端な場合におきましては、たとえばそれを貸家にしておる。他の目的に使用している場合も考えられる。従つて部分的にも全体的にも、宗教団体建物は厖大なもの、あるいは広大なものですから、事実使用関係を基礎にいたしまして判定しなければならない問題ではないか、こういうふうに考えます。
  217. 浦口鉄男

    ○浦口委員 念を押すようですが、それでは、実際に牧師なり神官なり僧侶が住んでいれば、三条と附則の二十六・二十七を適用していい、こういうふうに解釈してよろしゆうございますか。
  218. 篠原義雄

    篠原政府委員 原則として、大体の場合においてはそうだと、われわれは考えております。というのは、牧師が住んでいる、あるいは住職が住んでいるということの事実よりも、それをいかにその目的に使用しているか、事実関係の方が大事だと思うのです。たとえば、單にお坊さんがそこにいて他の者に貸している。確かに住んでいることは事実なんです。しかし本来の目的の用に供しているかどうかという事実が大事だ、こういうふうにわれわれは理解します。
  219. 浦口鉄男

    ○浦口委員 どうもその辺少しはつきりしないのですが、私が最初にお聞きしたのは、お坊さんの私宅、自分の住居、こういうことに限定をしてお尋ねをしたのであつて、住居となれば、いわゆる神官なり牧師の住宅になる。住んではいるが本来の目的に使用していなければというふうなことになりますと、ちよつと私の質問とは離れて来るのでありますが、その点いま一度はつきりと御答弁いただきたいと思います。
  220. 篠原義雄

    篠原政府委員 お話の住宅という意味が、もつぱらその個人的な利用関係といいますか、そういう関係に置かれておる限りにおきましては、ここでいう境内建物には入らない、こう考えております。
  221. 東井三代次

    東井委員 労働基準法の適用の問題でありますが、これにつきまして、まず原則論としましては、労働省の方では、宗教団体にも労働基準法を適用するというお考えでございましようか。
  222. 堀秀夫

    ○堀説明員 宗教団体につきましても、労働者を使用しております場合には、労働基準法の適用がある、こういうふうに解釈しております。
  223. 東井三代次

    東井委員 結局法律は労働基準法の施行細則の第一条第三号によつておられると思うのでございますが、さように了承してよろしゆうございますか。
  224. 堀秀夫

    ○堀説明員 その通りでございます。
  225. 東井三代次

    東井委員 そこでこれはあるいは議論になるかもわかりませんが、私は労働基準法というこの法律目的なり、本質というようなことから、いろいろ考えてみますと、どうも労働基準法を宗教団体に適用するということが、何か本質的にそぐわぬものがある。たとえば事務所を持ち、そこに勤務をして事務に携わつておる者があつて、それを一つの労働者と客観的に見れば、見られぬこともないのでありますが、その宗教団体で事務をとつておりましても、それが一種の宗教的な雰囲気の中で事務に奉仕をしておるというような気持で当つておる場合、普通の労働者に適用されるこの労働基準法が、それに適用されるというようなことは、少し気分的にそぐわないものがある。これはしかし議論でありまするから、これに対する御意見は今承つた通り法律ではこういうようにわれわれは考えておると言われれば、それまででありまして、それは私はくどくどと申し上げませんが、今も堀説明員が、宗教団体にも労働基準法を適用するのを建前としておると言われる。そこで、それでは現実の問題として、行政的に現在労働基準法を各宗教団体に適用しておれれるかどうか、それをちよつと承つておきたいと思います。
  226. 堀秀夫

    ○堀説明員 やはりただいまの考え方に基きまして、宗教団体でありましても、事務所等に事務員その他の労働者を使つておるというものに対しましては、一律に適用する建前にしております。
  227. 東井三代次

    東井委員 あなたは本省の方においでになりまするから、あまり地方のこまかいことまで御存じでないかもわかりません。けれども監督課長という地位においでになりまするから、大体地方の実情も、やはり一応の御認識があろうと思うのであります。私は奈良県出身でありまするから、奈良県の実例をもつて申し上げまするが、奈良県におきましても、大きな宗教団体がたくさんあり、お隣の京都府にも大きな仏教の本山がたくさんございます。そういつたところをずつと調査いたしてみますると、労働基準法を適用されておる本山、本部、おらない本山、本部――同じような客観的な形態を備えておりながら、それを一律に適用するならする、あるいはしないならしないといつたことでなく、そこに適用されておるものもあるし、おらないものもある。こういうことになつておるのでありまするが、こういうことを御承知であるかどうか、ちよつとひとつお尋ねしたいのでございます。
  228. 堀秀夫

    ○堀説明員 ただいまの御質問の点でございますが、具体的に労働基準法が適用されるかどうかという問題につきましては、これは他のたとえば労災保險とか、あるいは失業保險というような法律と違いまして、宗教団体におきましても、労働者を使つておる場合には、労働基準法が適用される、こういう建前になつておれば、すべての宗教団体でそういうものに該当するものには、自動的に適用になるわけであります。ただ、ただいまの御質問の御趣旨は、おそらくあるところに対してはたとえば監督官が行く、あるいはあるところには行かぬ、こういうことを御指摘になつておるのだろうと私は想像しておるのですが、この点につきましては、われわれの方といたしましては、なるべく差別待遇がないように、監督する場合にあたりまして監督計画等を立てる、あるいは実際にその監督官が行かないで、机の上で書類等を出していただいてやるというようなものについても、なるべく差別待遇のないようにということにしております。お話のような点が、あるいはあるかもしれませんが、われわれとしては、そういうことはないように努めておる次第でございます。     〔佐藤(重)委員長代理退席委員長   着席〕
  229. 東井三代次

    東井委員 ないように努めていただくのは、非常にけつこうでありますが、現実にそれはあります。大阪の基準局管内に、たくさんのでこぼこの例がございますから――これは適用されておらないところに適用せよと私から申し上げるのではない。ただそういうことは、やはり平等に行政上行わるべきものだというように私は思うのであります。そこで私が考えるのに、たとえば京都府と奈良県と比較して、京都府には全然適用されておらぬ、そして奈良県で適用しておるというようなことは、そこに何か京都府で適用しない理由があるのかどうか。今労働者を使つておるところはと言われるのでありますが、たとえば法衣を着て、そうして本山に修行をしておる形で、しかもその修行のかたわら事務に携わつておるというのが、はたして労働であるかどうかというような問題になつて来るのであります。そういつた実態を見て、これには労働基準法は適用さるべきものじやないというようなたとえば出先の役人の解釈で適用しておられないものであるか。そうすれば、たとえば同じ本山でも、ほんとうにそういつた宗教的な雰囲気の中で、修行をしつつ事務に携わるものと、それからまた、たとえば経理の問題というようなことになりますと、直接にやはりこの修理修復に当らなければならないし、また別の労働者を使つて、いろいろそういう面にも携わつて行かなければならぬというようなことになつて来ると、同じ一つの宗教団体の事務所におきましても、事務にいろいろの種別があるということになりまして、一部の種類の事務に対しては基準法を適用すべきものじやない、この部分に対してはこれは当然に基準法を適用すべきものだというふうに、内部実態をいろいろと見きわめて行きますと、こういう区別もし得るのであります。同じ大阪基準局の管轄内で、京都府あるいは大阪府の宗教団体に、そういつた労働基準法を適用しないで、奈良県だけが、しかも奈良県のうちでも、最もはつきりした一つの事務系統と申しまするか、そういつた組織を持つておりまする天理教が、労働基準法を適用されておるというようなことは、私はどうも受取れない。そういう点について、もしあなたに、京都府でなぜ適用しないか、また同じ奈良県におきまして、同じ宗教団体の形態を備えておつても、なぜほかに適用されておらぬかというような理由がおわかりでございましたら、ひとつつておきたいと思うのであります。
  230. 堀秀夫

    ○堀説明員 ただいまの大阪、京都、奈良の相違点につきましては、私も実は実情をそれほどつまびらかに承知しておりません。従いまして、あまりこの場で具体的な御説明はしかねる次第でございますが、ただいまお話の、純粋に宗教的な儀式、あるいは布教儀式、そういうものに純粋に活動しておられるというような場合には、これは労働者でないというふうに、事実を認定する場合がございまするので、そのような問題が重なつて今のような結果になつたのではないかと想像しておりますが、お話のように、非常に具体的な現実として差別待遇があるということでございまするならば、この点は事実をよく調査いたしまして、御趣旨に沿うようにはからいたいと思つております。
  231. 東井三代次

    東井委員 そういう実例がありますから、これははなはだ妙な言い方でありまするけれども、最初労働基準法を天理教の教務庁の方に適用するときに、何か感情のもつれがあつたというようなことを、これはうわさであるが聞いたのであります。そういうことなら、まことに遺憾なことである、おそらくそういうことではなかろうと思うのであります。そういうことでなければ、私はこれは一律に行政されるべきものだ、こういうように思いますので、どうかひとつ今、堀さんが説明されました、ほんとうに宗教的な雰囲気の中で宗教に奉仕しておるというような場合には、労働者というようなことでなくて、それには適用すべきものでないと思うというようなお考えは、私は非常にけつこうなお考えではないかと思う。宗教団体側から見れば、むしろ、宗教本山なり本部に勤務している者は、一切をあげて、しかも労働の代価として給料を受取つておるとか、そういつた気持はない場合が多いのであります。だから、普通の労働者としてこれを取扱うということは、むしろ――私は極端にすぎるかもしれませんが、宗教を信仰し、修行しておる者に対する一つの冒涜であるというくらいに考えるのでありますから、どうかひとつ行政面において深甚なる御考慮を願つて、特にこの近畿地方における実情を監督官庁として十分御調査の上で、善処していただきたいと、くれそれもお願いし希望しておく次第であります。
  232. 小林信一

    ○小林(信)委員 今のお話で思いついたのですが、あの伊勢神宮の巫女ですが、あれが何か労働基準局からしかられたというような話があつたのです、が、その場合にはどういう解釈を労働基準局ではしたのですか。
  233. 堀秀夫

    ○堀説明員 伊勢神宮の巫女につきましては、次のように承知しております。あのように純粋な宗教的な目的をもつて祭祀に奉仕しているというあの巫女につきましては、あれは労働者ではない、こういう扱いをしておると、私は承知しております。
  234. 長野長廣

    ○長野委員長 もうありませんか。  本日はこの程度にとどめて、散会いたしたいと存じます。次会は明後二十二日午前十時より開会いたします。     午後四時五十五分散会