○
横田委員 先ほどの
むしろの例をとりましたところが、
むしろを織
つておる
人たちは、
むしろという
芸術品をこしらえておるのじやないのでありまして、
むしろを織ることによ
つて生活をしておるのです。
むしろを織
つておる人の実態を見ておると、きれいな
むしろを織るのはいいが、
一つの制約があ
つて、一枚織
つて幾らなんですから、できるだけ、二十枚よりか二十一枚、二十一枚よりか二十二枚織
つて行くのです。これは自然の状態です。ただそのときに、二十一枚になり二十二枚になる、一枚ふえるということは、
検査さえ通れば、もつとどつかに売れさえすればいいという
程度の
商品に対する
責任感しかないのは、理の当然だと思います。私はそういう
意味において、売れた
むしろが、
検査というものをやられた場合において、悪いのですから当然売れなくな
つて来ると、
検査はいくら厳重にや
つたところが、その裏にあるところの
農民の
生活がよくならない限りにおいては、これは決して
むしろの質がよくなるのではない。この
検査規格に合うような
製品ができるのではない。それを聞いたところが、あなたがお答えにならないのは当然のことであ
つて、これも了承するのです。もう
一つ伺
つておきたいのは、ただこういふうな場合に、
検査規格を良心的にあなた方がおきめになる、
提案者である
河野君は、人柄からい
つても悪いことをする人でないことはわかるのですが、結局において、こういうふうな
規格を厳重にして
行つた結果として、
犠牲になるのは
生産者である。この事実をお認めになるかならないか、こういうふうな結果が起きてはいけないから、こういうふうな結果がないような
農村をつくるためには、あなたはあなたの与えられた、あなたの持
つておられる役のうちにおいて、どういうふうな主張をされ、どういうような努力をしようと思
つておられるか、この点だけをお聞きしたい。