○
森幸太郎君 本日
農林委員会におきまして、先般
アメリカに
農業視察団として参りましたことについて、
農業問題を取上げて報告しろという
委員長からの御通知があ
つたのでありますが、実はわれわれ一行は、御
承知のように
井上君、
小林君、足立君、坂本君、松野君、私と衆議院から六名選ばれたわけであります。出発いたしましたのが、
ちようど一月の九日でありまして、
休会中でありましたので、
皆さんにごあいさつ申し上げることができなか
つたのでありますが、帰りましたときも四月八日で、これまた
休会中でありまして、
皆さんにごあいさつの
機会を失したのであります。われわれは一日も早く
視察いたしたことについて、この
農林委員会を通じて報告いたしたいと考えてお
つたのでありますが、今日までその
機会が与えられなか
つたのであります。本日幸いその
機会を与えられましたので、しばらくの間御清聽をお願いいたしたいと存じます。
いずれ各議員からお話があろうと存じますので、私は概略の御報告を申し上げたいと存じますが、何分広い
アメリカのことであります。
多岐多端にわた
つておる
農業の形式でありますから、同じものを見ましても、同じことを聞きましても、それぞれ見る人の
考え方によ
つて感得するところが非常に違
つて来ることは当然であります。私は私として見ましたこと、聞きましたことを申し上げるのでありまして、はたしてそれが正当であるかどうかということは別の問題でありまして、もし誤ま
つておるようなことがありましたら、他の方から御修正もあろうかと存じます。
われわれの
アメリカへ参りましたのは、御
承知の
通りアメリカの
連邦議会、
州議会が
農業に対していかに立法するか、その立法することに対して、いかに
議会が権威を持ち
責任を持
つているか、そうしてその立法された
農業政策はどういうふうに行政されているか、次に行政されておる結果、農民がどういう
農業経営をいたしておるかということを見ろというのが、われわれ派遣の目的の
主眼とされてお
つたのであります。
われわれ
アメリカに参りまして、サンフランシスコの近くの
陸軍飛行場へ到着いたしたのでありますが、
カリフオルニア州において約一週間ばかり滞在いたしまして、
カリフオルニア州の
州議会、また
カリフオルニアの
農業の
状態をも一応
視察をいたしました。それから
ワシントンに
参つたのであります。
ワシントンにおいて初めてわれわれが派遣された正式の手続をとられまして、そこにおいて
アメリカの
農務省の
機構、
政府の
機構、
アメリカの成立ち、また
アメリカの現在の国際的の
立場等、いろいろ
アメリカの
政策等について四日間を通じての講義がせられたのであります。それよりさらに
農務省に参りまして、
農務省から
農務省の
機構なり、
施設施策等についての説明がありました。
それから実際の
視察に出かけたのであります。
ワシントンより南へ下りまして、
テネシー州の方に参りました。
テネシー州は御
承知の
TVAのある所であります。この
TVAによ
つていかに
アメリカの
農業が改善されたか、あるいは
アメリカの
電力が豊富に
なつたかという
原因をなしております。
TVAを
視察いたしまして、そしてさらに
南方へ下りまして、綿の主
産地、米の主
産地、
タバコの
生産地等を見、それから
北部の方にまわりまして、
北部では
酪農地帶がおもにな
つておりますが、この
酪農地帶を
視察して、さらに
カリフオルニア州の方に参りまして、帰
つて来たのであります。
アメリカの
農業と一概に申しましても、
各州においてその
状態が違
つておるのであります。
タバコを主産とする所あるいは小麦、穀類を主産とする所、あるいはまた米を主産といたしておる所、そして畜肉をや
つておる所、また
酪農をや
つておる所、いろいろ州の事情によ
つてその
生産条件がかわ
つております。かわ
つておるということは
アメリカがいかにも広くて
気候状態が非常に違うのであります。われわれ
アメリカから帰りまして、どうだ
アメリカは
日本と比べてぬくいか寒いかというようなことを聞かれましても、
簡單にぬくいとも寒いとも御返事ができない
状態であります。卑近な例を申しますと、
ニユーオルリアンスという
南方の町に参りまして、そこを晩の八時半に立
つて、翌る日の九時に
シカゴに着いたのでありますが、それが、汽車で参りまして三百マイル。
ニユーオルリアンスにおりますときは、もう夏の
気候でありまして、プールにはすでに水浴びしているというようにぬくいくらいでありました。そしてその晩汽車に乗
つて翌る朝
シカゴへ着いたのでありますが、途中ではもう枯野原の吹雪の
状態であり、
シカゴへ着きますと、道は凍てて歩けないという寒さで、どうも昨夜と今朝と違うというような
気候状態でありました。これほど
アメリカは広いのでありますから、
従つて農作物の類におきましても、一概にこれを申し上げることはできないのでありまして、これを総合的に考えて行かなければならぬのであります。しかも
アメリカの
農業生産力は、第二次
世界戰争途中から非常に進歩いたしまして、非常に
生産率がふえております。いろいろ詳しい
統計表も持
つておるのでありますが、実はその荷物は、どういう
関係であつたか、まだわれわれの手元に送り届けられぬために、詳しい数字を申し上げることができぬことは残念でありますが、
農業が戰前より非常に
生産増加をいたしております。その増加いたしております
原因は、役畜が
機械化されたためであります。馬で耕作し、あるいはろばで耕作しておりました役畜が
機械化されて、
機械によ
つて耕耘されるということが、
農作物の
生産の
状態をかえて来たように考えられるのであります。
畜力利用の場合においては、畜力を養うために
相当の飼料、あるいは乾草がいつたわけでありますが、それが
機械化されましたために、それだけのものが人間の食べる
農産物の方に転嫁される面も
一つ考えられるのであります。とにかく、
機械力の進歩いたしましたことと、
技術の発達しておること、——その
技術面におきましては、
耕種栽培の方においても進歩いたしておりますが、品種の
改良ということが非常な重大な役割をいたしておるように考えます。
なおまた
TVAというのは、二十何箇所かの
ダムをつくりまして、それにおいて発電いたしておるのであります。
TVAというのは
テネシー河という河の
河水統制をや
つたのであります。
テネシー河というのは非常な屈曲の多い河でありまして、
ミシシツピイ河に注いでおるわけでありますが、この
テネシー河が一年に何回となしに汎濫する
状態にありました。それがために
耕地が破壊されることは非常なものでありまして、これを何とか整理しなければいけないというので、
ダムが設置にな
つたのであります。そうして
ダムを設置して、河水を統制するとともに、
テネシー河を
利用して運送の便をはかる、いわゆる
インクライン式に、船を
ダムを通して河上まで物を運ぶという
一つの
政策、それから
発電——この発電をしましたことによ
つて、
肥料の
生産が起
つて来たのであります。
アメリカは、
化学肥料を使用することは近来のことでありまして、今まであまり
化学肥料を
使つておらなかつたようでありますが。この
TVAによ
つて電力の豊富になりましたことから、
化学肥料の
生産も戰後非常にふえて参りまして、
肥料の施用が
農産物の
生産を高めて来たという
一つの
原因にな
つておると思うのであります。
ここで、
アメリカの
農業施設の上において、われわれとして特に考えましたことは、
アメリカの
農業技術指導研究というものが統制されておるということであります。
農務省の直轄に
農業大学があります。この
農業大学と
機械大学は、
各州にこれを設置する
方針をと
つておりますので、
りつぱな農業大学ができております。この
農業大学の内容は、
一つはもちろん言うまでもなく生徒を教養することであります。しかしその教養の
方針も、ただ所定の学課を修めさせて進学するという
簡單なものでなしに、ほんとうの
農業を
改良し、
農業に従事し、
農業を指導するところの人材をつくることを
主眼として、州の大方の経費をも
つてこれを経営いたしております。そしてその一部には、
農業大学の大きい仕事として
研究機関を持
つておることであります。
日本でいいますと、
農事試験場あるいは
農事研究場というような、その州に適応する
事業に対して、地区を定めて
相当の
研究機関、
試験機関を持
つておることであります。そしてこの
農業大学で学術的に
研究いたしましたことを、
自分の
試験場、
農事研究場で実地に
研究、
試験せしめて、その結論を
農業大学の
責任として
農業改良普及の
事業に結びつけておることであります。これはどの州の
大学に行きましても、この
方針であります。生徒を教えることと、
試験研究と、そうしてその結果を
農業者に実際に指導する
技術を普及する、この三つの面を持
つており、しかもそれが
農務省の
管轄区域にあるのであります。
アメリカの
農業がいかにも合理化され、そしてそれが日進月歩であり、
駸々乎として進んで行くということは、科学の
研究のとどまらない限り
アメリカの
農業は進んで行く。そして
農業の
改良普及に従事しておる者におきましても、すべて
大学を出た
りつぱな人であり、そういう
普及員は
再再大学に集まりまして、新しき学課と
研究の結果を聞き、また
自分らの体験いたしましたことともに
研究を進めまして、さらに
技術改良の向上をはか
つて行き、三位一体となり連絡をと
つておるということは、非常に
アメリカの
農業が発達いたしておる主因をなすものと思うのであります。
〔
委員長退席、
松浦委員長代理着席〕
これは
日本におきましても、十分
研究し、学ばなければならないものとわれわれは考えて来たのであります。
なおもう
一つ私の考えましたことは、
日本の
農業生産物の問題でありますが、これは
日本は足らぬのでありますから、結局
生産されたものをさらにできるだけふやして行く、そして食べてしまうのでありますが、
アメリカの
農業は、
農業生産物それ
自体が区域的に偏在いたしておるので、
生産されたものを全国的に配給しなければならぬ、分配しなければならないということがそこから起
つて来るのであります。いわゆる
生産と分配と貯蔵、運搬と申しますか、そこに
加工が加わ
つて参りまして、
アメリカの
工業というものが、一に
農業生産物というものを
主要原料として成り立
つておる。
農産物の興廃がただちに
アメリカの軽
工業の興廃につなが
つておるという
関係でありますので、
農工商を通じて、
アメリカの
農業生産というものに非常な関心を持
つておると思うのであります。もちろんこれは
国内消費のみならず、海外に輸出するところのものも
生産されておるのでありますが、一に
農業生産の結果がただちに
アメリカの
工業に
関係いたしておるということを、私は見て考えたのであります。それでありますから、
相当の都市における
商業会議所におきましても、
農業部というものが特に設けてあります。そしてその地方にあるところの
農業生産の
状態を常に考慮いたしまして、そして地方の
農業生産が進展するように、あらゆる援助をするということを考えております。つまり
都会と
農村とを結びつけておるということを、非常にわれわれは感じたのであります。また
農業機械におきましても、ただ
機械をつく
つて売ればいいという
意味でなしに、たとえば
シカゴにおきましても、
インターナシヨナルという
トラクターの大きな
工場がありますが、その
工場へ行きましても、
工場を設計することについて、実際に
農村において
トラクターを
使つてお
つて、どういう欠点がどこにある、また実際使用しておるところの
農家はどういうことを希望いたしておるかというふうに、使用しておるものと設計する
機械業者と非常に心をあわせまして、そして農具の
改良に力を入れておるということは、
生産する
機械そのものの将来性を考えて、
インターナシヨナルなんか十分に注意をいたしておるということを、私は見のがしてはならないと考えました。
いずれにしましても、
アメリカの
農業と
工業と商業が一体とな
つて行われておるということは、特にわれわれとして注意を払わされたわけであります。
アメリカの
農業は、今申しましたように
気候関係で非常に違
つておりますことと、
アメリカの国の成立ちが、御
承知の通りにイギリス、ポルトガル、イタリア、フランスあるいは原住民もおり、あらゆる諸国から集
つて来た国でありまして、それぞれの人は、種苗を持
つて来た者もありましようし、また
自分らの
考え方によ
つて農業を始めたというような
関係から、非常に
アメリカの
農業は複雑しております。しかもそれが広大な地域であ
つて、いろいろの
気候状態がかわ
つております
関係から、それぞれ適当なものを選択することに苦心をして、今日までの
農業を組織して参つたと思いますが、それにいたしましても、それをうまく統制をつけておるということが、
アメリカの
一つの大きい今日の
農業の結果を生んだのではないかと思います。ことに
技術指導の上におきましても、
日本のようにわずかな補助をや
つて、こうしろ、ああしろという命令でなしに、
農業者自体が
農業経営の上において創意くふうをいたし、そして
資金を必要とする場合に
政府に協力を求める。
政府はそういう場合におきましては、その
農家の
資金の必要な
状態をよく調べましてあるいは
土地を買うとか、あるいは農機具を買うとか、住宅を建てるとか、いろいろ実際の必要な面を調査いたしまして、これが
農業経営において妥当であるかということをよく考え、また調査し、そしてなおそれに対していろいろの勧告を与えて、合理的な
農業経営に導くようにいたしまして、初めてこれに金を貸している、こういう
方針をと
つております。それでありますから、
むしろ金を貸した者
自体が
責任があるという立場でこれを指導して参りますので、いまだか
つて償還を怠
つた者はほとんどない
といつてもいいほど、
資金がうまく融通されておるようであります。
アメリカの
農業は、
日本の
農業に比較して申し上げることは、ほとんどできないほど大きい
農業であります。ことに今日は
機械化されておりますので、麦にしましても、あるいは綿にしましても、あるいは米にいたしましても、
機械で種子をまき、
機械で
肥料をやる。大きいのになると
飛行機で種子をまき、
飛行機で
肥料もやるというような大仕掛な
農業でありますから、比較することはできませんが、反当りの収量につきましては、とうてい
日本に及びません。
日本の集約的な
農業には及びませんが、しかし何分広い
耕地でありますので、
土壤の保全ということを言
つておりますが、
土地を実際に見ますと、
相当やくざな
土地が多いのであります。壤土というような
土地はあまりに少い、ずいぶん荒れ切つた
草原地帶でありますが、これに対していろいろと
改良を施しておるようでありますが、先ほど申し上げました
人造肥料が加味せられるので、あるいは将来
酸性土壤になるようなことがないかという心配もありますが、しかし石灰も
相当使つておりまして、これに中和をいたしてその心配のないようにいたしております。しかし堆肥であるとか厩肥というものを全然使わないのでありますから、
土地が
有機質に富むというようなことは、なかなか
相当の年数を待たなければならぬのではないか、かようにも考えられるのであります。なお
アメリカの
農業の将来につきましては、まだまだ発展の余地がある。
耕地がさらに集約的に行くことはむずかしくありましても、
土地の
利用の面にくふうするならば、まだまだ
耕地の能率を上げて行くことができると思います。
畜産方面でありますが、これは
日本の
酪農と違いまして、
酪農生産物自体が
アメリカ人の主食でありますから、これはどこで
生産いたしましても、
日本のように行き詰るというようなことはないのであります。乳牛のごときも、
相当数がみな飼養されております。そしてこの搾乳のごときはほとんど
機械でや
つております。手でしぼるようなことはほとんどありません。しぼりました乳は
都会の一部に集められまして、それが完全に消毒せられ、これがバター、チーズに
加工されて行くのでありますが、その大仕掛なことは、とうていわれわれまねのできないことであります。しかし今日の畜産はまだまだふやして行くということであり、またその
品種改良の上におきましても、インドにおける特殊なものを
利用いたしまして、
一代交雑によ
つて品種を
改良して行くということに、
相当に成績をあげておるようであります。
なお馬の
人工受精のことにつきましても、
相当研究が進められておりまして、今では疑義を抱くことなく、完全にこれが行われるということで、
相当成績をあげておるようでありますが、そのことについては、
日本としましては、まだまだ精虫の
運搬等について、
技術上
研究をしなければならぬ問題が残されておると思いますが、
アメリカにおきましては、
人工受精も
相当成果をあげておるようであります。
なお食肉の問題につきましてその規模の大きいということは、御
承知とは存じますが、
シカゴの
家畜市場へ参りまして屠殺の
状態を
伺つたのでありますが、この
シカゴの
家畜市場は、
アメリカ全土の六分の一をその数に現わしておると聞いております。その近くにあります
加工施設を見ましたのに、豚が一時間に六百頭とか、牛が百六十頭も処理されておるというような
機械的な整備が行われておりますので、その規模の雄大なこともおのずから御了察願えることと存じます。なお特に私が考えさせられたことは、
農事試験場、
農業大学でや
つております
試験機関が徹底していることであります。
日本の畜産
試験場を見ましても、その持
つております家畜の頭数は実に微々たるものであります。
アメリカでは、
農業大学で持
つております牛にしても、豚にしても、実にその数が多いのであります。
大学か
農事試験場かわからぬような大きいものを飼養いたしております。またその
試験がいかに合理的であり、その結果がただちに
農業者に
利用し得られる、ただ空理空論でなしに、臨床的と申しますか、
農業大学で
研究いたしましたこと
自体がただちに
農業者になし得るように、
相当量の、
試験材料を
使つて試験をいたしております。たとえば牛が生れまして三日から、ただちに親の乳を離して、人工えさによ
つてこれを飼育する、そうして母親の乳は人間がこれを
利用する。あるいは五日目がよいかあるいは七日までかからなければならぬかというような
試験におきましても、
相当数の牛をも
つてそれを実際にや
つておるという
試験の
やり方であります。牛乳の
利用の
加工の面におきましても、
相当量の牛乳をみずから
生産いたしまして、その
生産によ
つて加工しました結果を、
農業者にこれを指示するというような
やり方をや
つておりますことは、いかにも
農業が徹底して指導されておるということを痛感いたしたのであります。
それから
農村と
都会との
生活を、あまり隔てないようにするというのが
アメリカの
考え方でありはしないかと、私は見て来たのであります。
都会に住む者も、
農村に住む者も、
生活の基準があまりかわらないという
方針をも
つて進んでおるのではないかということを、考えさせられたのであります。
それから第一、道がついております。砂漠の中といえども、
りつぱな国道は鋪裝されております。どこへ行きましても、
鋪裝道路が津々浦々に通じておりまして、しかもそれがまことに
りつぱな道であります。何分広い
土地でありますから、数も少く、
直線コースをと
つておるのでありますが、
農村に
生活いたしてお
つても、町に住んでおりましても、それぞれ自動車を持
つておりますから、
生活上に大して不便を感じない。ただ
上水道がないために、
農村においては不自由をいたしておりますけれども、散在いたしておる
農家あるいは十
里ごとに一軒ずつあるような
農家におきましても、みなトランスを一個々々つけまして、電気の
施設があります、動力も来ておりますし、すべて
冷蔵庫等によ
つて家庭の食糧を
利用いたしておるということで、
農村におりましても、ただ
上水道がないために一面において非常な不便があるというだけで、その他においてはほとんど
都会に
生活いたしておる者とかわらない。どこの小さい村の集団に行きましても、そこには
相当の
娯楽機関もあり、
医療機関があるということにな
つておりまして、
アメリカの民主的な国家を形成する上において、そういう
方針をとらなければならないことにな
つておるのではないかと私は感じたのであります。われわれも一部で二人、三人、
農村に分宿をさせてもらいまして、
農村ではどういう
生活をいたしておるかということを、直接体験させてもらつたわけであります。
それから風俗、風土、民俗という方に入りますけれども、
アメリカとしましては、
あまり人のことをおせつかいをやかない。人は人でや
つて行くのだから、
自分は
自分で
りつぱな者にな
つて行くという気持が、どこの面にも見られるのであります。これは
自分の観察でありますけれども、
農村にとまりましても、夫は夫、細君は細君、子供は子供として、そこに独立自主的に、親にもたよらず、子供にもたよらない、ただ
自分は
自分としての務めを完全にやるというような気持で、家庭が成り立
つておるということを感じさせられるのであります。また
相当の家庭に参りましても、この気持は同じことでありまして、むすこはむすことして堂々と独立しておる。あの社会学
研究のレーバーという博士のお宅にも、私は伺つたわけでありますが、レーバー博士が
一つの農舎をつく
つておられました。これは
自分で設計して
自分でつく
つたのだと言
つておられましたが、石垣のつくりぐあいから、コンクリートの固め方から、まことに不細工なものでありました。むすこさんが二人おられます。兄貴には一日一ドル半、弟には一ドルの手間賃を払
つてこれをやらしたのだ、こういうふうにレーバー博士は言
つておられましたが、そういうふうに
自分の子供にやらせても、一ドル半あるいは一ドルの手間賃をやるというふうに、実に
日本では想像のつかぬ
やり方をしておられました。それは当然であるので、
日本では世襲財産的に何代続いた
農家だという、私も古い
農家のむすこであるが、もうすでにおやじの持
つておつた
耕地はほかの人がや
つておる。
自分は広々した岡へ出て来て、ここで家を構えて百姓をやろうと今計画をしておるのだが、なかなかりくつ通りには行かぬので、こういう草も生えぬような高原だと見せられましたが、そういうふうに
自分は
自分としてや
つて行く、子供は親のものを受継いで行くという
考え方でなしに、あちらこちら
自分の自由な立場で動いて行くというのが、
アメリカの
農業の上においても見られる傾向であります。
日本から
アメリカに行
つておられる人は
相当あります。
カリフオルニア州のごときは、
日本から非常にたくさん行
つて農業を経営しておられます。
日本の
農業者は、とにかく
日本で集約的な
農業を経営された経験がありますので、向うへ行きましても、やはり集約的な経験を持つた
農家として、大きい規模の
農業を経営されておるようでありまして、
アメリカの従来の人たちよりは利益はよくあげておられるようであります。向うでも、
日本から来られた人は非常に勤勉である、よく
土地を
利用されるということを言うておりましたが、なかなかよくや
つておられます。時期が時期でありましたので、普通の一般の
農作物を見ることができなか
つたので、温室栽培を見せてもら
つたのでありますが、温室栽培のごときも、
アメリカのばら協会の副会長をしておるというほど、
相当の位置に進出した柴田という方でありましたが、ばらを栽培されておりました。それを見せていただいたわけであります。なお
日本の
農業者の多く集ま
つておられるところにも参りまして、戦後における
農業経営をいろいろ——戰争中はある一定の場所に収容されて、帰
つてみたら、
自分らの
農業経営をあずけておつた人がかわ
つていて、非常に苦心したけれども、今日ではとりもどしができて、ようやく秩序を回復したと言
つておられますが、
日本から行
つておる人でも
相当苦労してや
つておられます。しかし二世になりますと、
日本から行つた人とは全然気持がかわ
つております。
アメリカに集ま
つておる人は、みな二世以下が国民にな
つておるのでありまして、祖国を持ちながら祖国を考えない。これが
アメリカの国民性と思うのであります。合衆国という名がありますが、私は合衆国という名は、まことによい適当な言葉を使つたと思います。黒いのや、赤いのや、白いのや、髪の毛の違うのや、いろいろな者が集まりながら、しかもそれが
一つとな
つて、手をかたく握
つて経営しておるという国柄でありますので、
日本から行きましても、二世にな
つても三世にな
つても、われわれは大和民族だというような
考え方を持
つてお
つては、
アメリカの市民にはなれない。やはり
アメリカ合衆国の国民という気持でや
つて行く、こういう気持におのずからなるのではないかと思いました。われわれが二世を大和民族だというような気持で考えることは、これは大いなる間違いではないかと思いました。しかし一世の方は、どうか
日本を一日も早くりつぱな国に建直してほしいというので、
日本の現状を非常に心配しておられることを、われわれ目の前に見せられたわけであります。
日本は近い中に独立も許されるだろうし、決して世界に劣らぬところの大和民族であるから、必ずやりつぱな国に建直しができようからと申し上げたのでありますが、非常に
日本の現状について心配をしておられました。
なお最後に私一言申し上げたいことは、
アメリカの人々の気持を私がどう受取つたかということであります。
〔松浦
委員長代理退席、
委員長着席〕
私が行きますときには、この戰争に負けたわけだし、小さい
日本人が出て来よつたというので、敗戰国民として肩幅狭く、遠慮がちに
アメリカを歩かなければならぬのではないかというような気持もいたしておつたわけであります。しかし行
つてみますと、
アメリカの人々には、五年前に戰争した
日本人だ、顏の色が黄色いのだというような気持は全然ありません。どの町へ行きましても、
日本人として軽蔑されるようなことはありません。そういうことを歯牙にかけず、何らわけ隔てなくわれわれを迎えてくれましたことは、われわれ非常に望外の喜びでありました。しかも
連邦議会へ参りましても、
州議会へ参りましても、われわれは非常な好意をも
つて迎えられました。
アメリカの国民諸君がみずからの税金の負担において、またみずからの節食によ
つて日本に食糧を送
つてくれたことがもととな
つて、
日本の食糧事情も今日漸次かわ
つて来ておる。しかもすべての産業が、民心の安定とともにおちついて、すでに戰前に復帰いたしております。この間いろいろ連合国等の指導もあるけれども、要するにあの戰争が終
つて、どうしようかと心配したときに、
アメリカの示してくれた好意があ
つて今日の復興ができたのだ。このことはわれわれ衷心から感謝したい。
日本は共産思想と自由思想の中間にあ
つて、いろいろ心配をいたしておる。この思想のおちつきということは、結局民生の安定である。民生の安定は、第一が食糧の安定である。
日本は人口がふえました、そうして
土地は狭くな
つておるので食糧が足らない。なお
日本としては、
アメリカからいろいろの指導も受け、われわれみずから考えて、自給度を高めるということは、一生懸命現在もまた将来も考えて行くことであるけれども、人口がふえて来れば結局それだけ食糧が足らぬのである、足らぬときは将来どうするか、人口と食糧問題は、
日本の現在また将来に対して大きな問題であるから、われわれはこの問題に非常に心配をいたしておる。しかし
日本は幸いに、今申しましたように、人口があり、労力があるから、この労力をうまく
利用して食糧を確保いたしたいが、情ないことに
日本は資材、原料に乏しい、たとえば
日本から
アメリカに持
つて行くものは、絹糸と絹織物とその他の雑品があるけれども、それよりほかない。
アメリカからもらわなければならぬものは石油があり、石炭があり、鉱石があり、綿がある。
アメリカは余
つておるじやないか、その余つたものを
日本が買
つて、
日本の労力で
加工すれば、われわれは世界各国から食糧が確保できるのであるから、われわれの足らないところの資材、原料を
日本に送
つてもらいたい。そうすれば
日本の人口問題は、決して世界各国に心配してもらうようなことはない、解決できるのであるから、どうか
日本を今後そういう気持において見てもらいたい。
日本は世界情勢の現状から申しても、一日も早く独立をしなければならない。もう五年あまりにもなるわけであるし、世界の情勢もまた
日本を早く独立をさせなければならぬような情勢と、われわれは観察する、どうか一日も早く独立するように骨を折
つてもらいたいというあいさつをいたしまして、これはいずれにおきましても同感でありました。ことに
連邦議会の
農林委員会におきまして、私は特にこのことを強調いたしました。
日本では綿が足らぬ、豆が足らぬ、石油が足らぬ、このわれわれの
日本の食糧を救済する
意味において、そういう原料、資材を
日本に送
つてもらいたいということを話し、また向うの農林
委員の諸君も、そういう
日本の
考え方に対しては、できるだけの協力を惜しまないということを誓
つてくれたようなわけであります。ことに
テネシー州に行つたときも、上院、下院であいさつしたのでありますが、知事のごときは、どうか
日本で間に合うものがあつたら、どんなものでも持
つて帰
つて、
農業政策の上に
使つてくださいということを強調いたしました。しかし私はいろいろもら
つて行きたいものがあるけれども、どうも
日本の国は小さくて、持
つて帰
つても入らないから、目に見えぬものをどつさりもら
つて帰りますと、冗談を言
つておりましたが、それほどに親切に言
つてくれました。またアイオワ州のごときは、
議会で私にあいさつしろというのであります。従来
アメリカの
州議会も
連邦議会も、
外国語の演説はいたさせぬことにな
つておるそうであります。しかしどう思いましたか、アイオワ州では特に私に話をしろというので、先ほど申したようなことを演説したのであります。そうしますと一人の議員が立ちまして、
自分は三十六年間議席を持
つておるけれども、
外国語の演説があ
つたのは今回が初めてである。この
議会としてはまことに記録すべきである、今
日本を代表されて話されたことには非常に感銘した、この
州議会ではただちに満場一致の決議をも
つて、
日本の衆参両院
議長にあいさつ状を送らなければならないと思う。どうかこれに賛成しろという緊急動議を出しました。それは満場一致で決議されまして、
ちようどわれわれがこつちに帰りましたときに、林
議長の手元へ
州議会の決議によ
つてあいさつ状が来ておりましたが、それほどわれわれに対して好意をも
つて迎えてくれたのであります。
またある郡、ノツクス郡という郡に参つたときの話でありますが、そのときわれわれに対して、われわれを歓迎する
意味であ
つたのでしようが、議席の前に各国の旗が立
つておりましたが、その各国の旗の中に
日本の日の丸の旗が一本立てられてあ
つたのであります。私はその会場に入りましたときに、はつと思
つたのであります。当時
アメリカに行きまして、そこで日の丸の旗を見ようとは思わなか
つたのであります。そのときのあいさつに、私はこう申しました。あのところに立
つている旗は、われわれの歓迎のために大方つくられたものであると思う。われわれは心からうれしく思います。しかしあの日の丸の旗は、まだ連合国の中に公然と立てられることを許されていない。あの日の丸の旗が一日も早く連合国国旗の中に立てられることをわれわれは希望する。世界の情勢も、そうであるようにわれわれには感じられる。どうか輿論に動く諸君は、あの日の丸の旗が公然と連合国の旗の中にまじることができるように、今後御努力をいただきたいというあいさつを私はいたしました。そうすると会の終りに会長は、
アメリカの旗と
日本の旗と二本拔いて、それを交叉して私のところへ持
つて来て、これを記念に持
つて行
つてくれと言
つてくれたのでありまして、私はありがたくもら
つて帰
つて来たようなわけであります。
こういうふうに、至るところに参りましても、
日本が早く立ち直ることについて、向うは非常な同情を持
つておるのであります。ことに農務長官に会いましたときにも、農務長官は、五十年来
アメリカの
農業を発達さして来た、
アメリカの
農業については、われわれは
皆さんに自慢をしたいという気持が起るのはもつともな話である、この自慢を、どうか自慢をさしてもらいたい、そうして
アメリカの
農業がどういうふうに発達したかということについて、どうか
皆さんはできるだけの
視察をしていただきたい、どんなことでも御用がございましたら、われわれはできるだけの便宜をはかりましようということを言うてくれました。ことに農務次官補のごときは、特に長い時間をさきまして、われわれ一行とひざを合せて、いろいろ
農業政策についての懇談を、忙しい中でありましたがや
つてくれまして、非常にわれわれはうれしく感じたのであります。
なお国際連合の事務所に参りましたときに、
日本は早く国際連合の
農業委員会に加入するような手続をとるべきである。ドイツのごときは、まだ国際連合に加入してはおらぬけれども、すでにこの
農業委員会には加入しておる。一日も早くそういう手続をとられて、そうして
農業に対する
農産物の交流、
技術の交流等について、
日本も国際連合の中に加入せられた方がよかろうということも注意されたのでありまして、また小麦協定のごときも、一応小麦協定には昨年の六月、
日本は加入しないことに決定しておるが、しかし近く小麦協定
会議も開かれるが、そのときに新しく申し込まれることが適当であろうというふうな注意もしてくれまして、われわれといたしましては、
アメリカがいかに
日本の
農業発達に対して力を入れておるかということについて、深く感激いたしたわけであります。
なお帰りには
農務省の渉外局長と申しますか、何か国際的に各国の
農業の
関係を結ぶ局長にあいさついたしたのでありますが、その方が申されるには、われわれは
皆さんを
アメリカの
農業関係の各ブロツクの紹介の役をしただけであります、あなた方と
アメリカの
農業の指導部との橋渡しをしたわけであります、どうか今後
皆さんは、この紹介をいたしましたことによ
つて交際を続け、そして互いに知識の交換、
技術の交換をしてくださることがよかろうかと思うというようなあいさつをいたしてくれました。まことに
アメリカの人々が、衷心われわれを喜び迎え、そしてできるだけの指導をしてくれましたことは、非常に仕合せに存じました。
あまり広いところの話を申し上げたので、あつちこつち飛びましてざつくばらんなお話にな
つてまことに申訳ありませんが、大体以上をも
つて私のお話を終りたいと存じます。なお詳しいことは御質問がありましたら他の議員の方からお答えもし、また
小林君、
井上君からもこもごもあると思いますので、私はこの程度でお許しを願いたいと存じます。ありがとうございました。