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1951-02-17 第10回国会 衆議院 大蔵委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年二月十七日(土曜日)     午前十一時四分開議  出席委員    委員長 夏堀源三郎君    理事 奧村又十郎君 理事 小山 長規君    理事 西村 直己君 理事 田中織之進君       大上  司君    川野 芳滿君       佐久間 徹君    島村 一郎君       高間 松吉君    清水 逸平君       水田三喜男君    三宅 則義君       宮幡  靖君    宮腰 喜助君       松尾トシ子君    深澤 義守君       中野 四郎君  出席公述人         一橋大学教授  井藤 半彌君         十條製紙株式会         社常務取締役  金子佐一郎君         大阪銀行副社長 堀田 庄三君         京橋税務署長  中村 末藏君         東京大学経済学         部助教授    武田 隆夫君         全日本中小工業         協議会委員長 中島 英信君         日本労働組合総         同盟法律対策部         長       前田 正次君  委員外出席者         專  門  員 椎木 文也君         專  門  員 黒田 久太君     ――――――――――――― 本日の公聽会意見を聞いた  所得税法改正その他税制改正案について     ―――――――――――――
  2. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 これより大蔵委員会公聽会を開会いたします。  本日の問題は、所得税法改正その他税制改正案についてであります。御承知の、ごとく、当大蔵委員会におきましては、目下税制改正法案八件を一括して審議を進めておりますが、本日はそのうち特に重要と思われる所得税法の一部を改正する法律案法人税法の一部を改正する法律案相続税法の一部を改正する法律案及び租税特別措置法の一部を改正する法律案の四改正案について、公述人方々の御意見を拝聽することにいたしました。公述人方々におかれましては、本日の問題について忌憚のない御意見の開陳を行われ、当委員会税法審査に御協力あらんことをお願いする次第であります。  本日御意見を述べらるる公述人方々のお名前は、お手元に配付してあります印刷物の通りであります。なお公述人方々発言の時間はお一人約三十分くらいでお願いすることとし、発言順序につきましては委員長に御一任を願いたいと存じます。これより公述人の御意見を拝聽いたします。まず一橋大学教授井藤半彌君。
  3. 井藤半彌

    井藤公述人 お招きにあずかりまして、税制改革法案に関する意見を述べさせていただきます。  今度の税制改革案というものは、申し上げるまでもなく、昨年の秋の第九国会の間接税改正と特に関連があるのであります。今度の税制改革案の特性としてあぐべきものは、次の四つではないかと思います。政府のあげておりますのと少し違います。一番の特性は、租税負担軽減ということであります。それから二番が、社会政策的考慮をした。これは政府趣意書には書いておりません。それから三番が、資本蓄積を助長する。それから四番が、税制簡素化その他税法上の整備をする。この四つが今度の税制改革の特徴だと思うのであります。そのうち四番目の税制簡素化その他整備の問題でありますが、これは租税テクニツク的な問題が大分ありますので、これにつきましては私は公述を省きます。主としてほかの三つの問題、すなわち負担軽減の問題、それから社会政策的考慮、それから資本蓄積、この三つの問題を中心に公述したいと思います。  そこでまず負担軽減の問題であります。これはきまりきつた数字を申すようでありますが、一応申し上げます。そこで昭和二十六年度の租税及び印紙收入の合計は四千四百四十五億、これは予算書通りであります。それから專売益金、これは租税と同じものでありますが、これがタバコ及びアルコールを含めまして千百三十八億であります。広い意味国税は合計いたしますと、昭和二十六年度は、五千五百八十三億であります。そのほかに地方税、これは推算であり、はつきりした数字ではありませんが、一部に伝えられるところによりますと、地方税の合計が二千八十七億円と言われております。両者合計いたしますと、国税地方税を通じて昭和二十六年度の租税收入は七千六百七十億であります。それから昭和二十五年度はどうかと申しますと、内訳はもう省きますが、国税地方税を通算いたしまして、七千四百八十九億であります。そこで差引きますと、金額からいつて百八十一億の増税になつておるのであります。しかし金額がふえたからというので負担が増加したとは言えないのであつて、例によりまして租税とそれから国民所得割合、これによつて一応の負担軽減程度、または加重の程度を判断してみたいと思います。それで国民所得数字は、政府発表昭和二十六年予算の説明に出て来る数字であります。私が計算したものではございません。そこで租税国民所得に対する割合でありますが、国民所得昭和二十六年度は三兆七千二百四十億円といわれております。この租税国税地方税を通算しての話でありますが、租税国民所得に対する割合は、昭和二十六年度は二一%であります。それから昭和二十五年度、昨年度はどうかと申しますと二三%、それから少し過去をさかのぼりますと、昭和二十四年度は二九%、これは最高であります。ちようどシヤウプ勧告の前年でございまして、昭和二十四年度は二九%、その前の年の二十三年度は二四%、その前の二十二年度は一八%、それからうんと飛びまして事変前の昭和十年をとりますと、二三%になるのでございます。そこで昭和二十四年度二九%を最高といたしまして、二十五年度は二三%に下つております。それから二十六年度はさらに二一%と下つておるのであります。それで一応租税負担軽減されたといえるのではないかと思います。もちろんこれは多くの人が申す通り、また私もこの衆議院の税制改革公聽会などでたびたび公述いたしました通り、このパーセンテージに過大の軍事性を置くということはよくないのでありまして考慮すべきいろいろの事項があるのであります。しかし一応は参考になるのではないかと思うのであります。  そうにいたしましても、租税国民所得に対する比率だけではあまりに大ざつぱだ、もう少し真相に近い数字がないものか。そこで実は昨年の三月二日でございましたか、やはり大蔵委員会税制改革に関する公聽会で私が申し上げました別の計算方法によりまして、今度もまた計算してみました。それはどういう計算方法かと言いますと、租税はさきに申しました数字をとります。それから国民所得をとらないで、もう少し納税力の真相に近い数字を求めてみたのであります。それはどういうやり方でやりましたかというと、国民所得が全部納税力を示すのではなくて、国民所得の中で、われわれの所得の中で食費の部分はどうしてもいるものでありますので、これは納税力がありまん。そこで一人当り国民所得の中から一人分の食費を引いた残り、これを負担能力最大限を示すものと認めましてそういう意味負担能力最大限数字で表わしてみたのであります。そこで食費はどうして計算したかというと、いわゆるエンゲル係数によつたのでございます。そこでエンゲル係数でありますが、これは私の推算もございますので多少不正確なところもあるのでございますが、過去にちよつとさかのぼりますと、エンゲル係数昭和十年は三四%であります。それから昭和二十二年が六五%、この辺が非常にエンゲル係数が高いのでありましてわれわれの生活が非常に苦しかつたインフレのまつ最中であります。二十三年がエンゲル係数が六三%、二十四年は六〇%、昨年二十五年は推算でありますが大体五五%、二十六年度は幾らかと申しますと大体五〇%、正確なものになると仮定いたしまして、五〇%と推算、むしろ推定するのであります。そこでそういうふうにエンゲル係数をとりまして、それによる金額国民所得から引いたもの、これをもつた納税能力最大限を示すものと仮定いたしまして、そしてそういう意味租税納税能力に対する。パーセンデージをとつて計算してみたのであります。そうするとどうなるかというと、前の租税国民所得に対する割合とは大部計数が違つて参ります。そこでその計算をいたしますと、昭和二十六年度は、もちろん国税地方税通算しての話でありますが、国税昭和一十六年度は四一%となるのであります。それから去年、昭和二十五年度は五一%、昭和二十四年度は七二%、昭和二十三年度は六四%、昭和二十二年度は五一%、それからずつとさかのぼりまして、昭和十年は一九%となつております。そこでこの二つを――二つと申しますのは租税納税能力に対するパーセンテージと、租税国民所得に対するパーセンテージ、この二つを比べますと、やはり一番租税負担が重かつたの昭和二十四年度でございまして、租税国民所得は対する割合が二九%、私が今言いました意味租税納税能力に対する割合が二七%になつております。これが最高であります。そして租税納税能力に対する割合を申しますと、二十五年度は五一%に減り、二十六年度は四一%に減つておるのであります。さりながら昭和十年度の一九%に比べますと、やはり租税負担が相当重いといえるのではないかと思います。ですがこれもさきの租税国民所得に対する割合よりは、より真相に近いというだけでございまして、これもやはり怪しいといえば怪しいのでありますがしかしないよりはましだ、全然ないよりは多少は参考になるのではないかというので、こういう計算をやつてみたのであります。これはほんの一つの参考として問題にされたいのであります。学問的にいえば、これはいろいろ穴だらけでありますが、そういう意味計算したのであります。  それからもう一つ全般的のことをちよつと申しますが、これは必ずしも負担軽減とか負担の加重の問題でありませんが、それは直接税と間接税との割合であります。昭和二十六年度は改正でどうなるか、これは国税のみで地方税は入つておりません。これにつきまして大蔵省主税局でも計算されておりますが、私の計算主税局計算とはちよつと違うのであります。どちらがいいかといえば私の方がいけないかと思いますが、どういう点が違うかと申しますと、主税局計算は直接税と間接税と、その他のものという中間階級があるのであります。私は中間階級やその他がなくて、直接税か間接税か、態度をはつきりさしたのであります。これが私の計算であります。これは言うまでもなく、直接税というのは大体資産に累進して負担するもの、それから間接税というやつは大体消費税でありまして、貧乏なものも金持も大体同じ金額負担する、そういうものであります。そういう場合に、中間及びその他のものを認めるということは、確かに実益はあるのでありますけれども、私はやはりその他のものの金額というものもばかにならないものでありますので、どちらか近い方に整理する方がいいのではないか、そういう意味で私は前から二つ認めて、その他のものを省いておりますが、その計算であります。それによりますと、昭和二十六年度は直接税会計は三千七十九億円、全体の五五%であります。それから間接税は、もちろん專売益金を含めてでありますが、二千五百四億でありまして、全体の四五%であります。すなわち昭和二十六年度におきましては直接税――国税だけでありますが、直接税は五五%であり、間接税は四五%。そこで前年二十五年度はどうかというと、これも私の計算でありますが、直接税は五六%、間接税は四四%、ちよつと間接税がふえておるだけでありまして、大体かわりません。二十四年度はどうかといいますと、直接税が五七%で間接税が四三%、これもあまりかわらぬ。ほんの少し、一%ずつ動きがある程度でございます。それから二十三年度はどうかというと直接税五一%に対して間接税四九%。二十二年度は直接税が五三%、間接税が四七%。戰争のまつ最中の昭和十九年度をとりますと、これは直接税が非常に重く六七%、間接税が三三%であります。それから昭和十年はどうかというと、事変前でありますが、これは直接税が四一%、間接税が五九%になつております。そこで過去三年間くらいのところを見ますと、直接税と間接税の比率があまりかわらないのであります。ただ戰争中などに比べますと、直接税が非常に重くなつておるのでありまして、これをこれだけの数字で判断いたしますと、日本制度はだんだんと大衆課税に――惡い意味大衆課税に逆転しておるとも一応とれるのであります。しかし私は必ずしもそうとは思わない。といいますのは、今度の第二次世界大戰におきまして、財産税の徴收であるとか、戰災であるとか、それから財閥の解体であるとか、その他いろいろな事情で富の分配関係が平等化したのであります。これはこの前の世界大戰後のわが日本とは逆でありまして、この前の世界大戰後のわが日本におきましては、富の分配関係が不平等化したのでありますが、今度は平等化して参りました。これはこの前の世界大戰後の門英国と同じ傾向であります。平等化して来たのでありますが、その場合に国をあげて金持ちの方に平等化したのならいいのでありますが、貧乏の方にさつと切られたであります。これは私もよく言う数字でありますが、ただ数字の内容が新しくなつております。これはこの程度の簡單な数字ごらん願つてもわかるのであります。それは昨年度の確定申告者の数です。昨年度確定して、まだ一年ほど前の――精密に申しますと昭和二十四年度の分でありますが、しかし申告するのは去年の一月申告する、あの所得税確定申告に関する統計を見ますと、基礎控除以前のものでありますが、総所得二十万円以下の者がどれだけおるかというと、人数からいつて八七%であります。それから金額から申しまして、総所得二十万円以下の者は六八%であります。すなわち人数からいうと約九割、それから金額からいうと約七割が、一年の総所得二十万円以下の者において負担されておる。二十万円というと相当多いようでありますが、戰争前の、今から十五年ほど前の貨幣価値に換算いたしますと一千円でありまして、一千円と申しますと当時は二千二百円以下が第三種所得が免除であつたのであるから、いわば今から十五、六年前であつたならば免除であつたような連中が、所得税の大部分を負担しておる、こういうような状態になつております。そこで直接税は金持ち負担するのだ、間接税消費税は大衆が負担するのだと申しましても、現在のわが日本におきましては、割合にそういうことが言えない、みんな国をあげて貧乏になつておるような状態であります。従つて実際計算といたしましては、間接税が非常に重要性を持つておる。間接税は理論的には決していい税金ではありませんけれども、徴税という点、あるいはまた納税という点からいいますと、これは非常に便利なものでありますので、きわめて変態的な現象でありますけれども、現在わが日本におきましては、やはり間接税に非常な重要性があると思うのであります。そういう意味におきまして、この比率も昭和十九年度などと比べて、これだけで議論をするのはどうかと思うのであります。  一般的のことはそれだけにいたしまして、今度は内容に入ります。そこで二番目の問題に入りまして、社会政策的考慮――一体今度の税制改革で確かに社会政策ということが考慮されております。それを具体的に申しますと、まず所得税ではどうかというと、基礎控除引上げ金額などは申しません。これは皆さん御案内の通りであります。扶養控除引上げ不具者控除引上げ、それから税率の引下げ、これは従来のものを社会政策的に改めたとも言えるのであります。それから新たに次のような控除制度を設けました。それは未亡人控除、六十五歳以上の老年者控除勤労学生所得控除生命保險料の控除、これはいずれも所得税につきまして、社会政策的な効果があるものといわなければならぬのであります。相続税につきましては、これも一つ行われているのでありまして、被相続人の死亡によつて支拂われる生命保險金につきまして十万円までを控除することとなりました。これもまた社会政策的といわなくてはならぬのでありまして、この方針につきましては、私は全面的に賛成するのであります。  それで問題は三番の資本蓄積であります。この問題に移りますが、これは私は結論を言うと賛成できないのです。社会政策的な考慮が大いに拂われたのであるけれども、この資本蓄積の問題になりますと、私は今度の政府案については遺憾とするもので、結論を言いますと反対なのであります。そこでもう少上それを具体的に申します。と、今度の税制改革で、資本蓄積という点についてどういう考慮が拂われているか、まず一番は一般的に租税負担軽減をはかる、租税負担軽減をはかるということは国家が金を蓄積しないで、民間の手で蓄積せしめるというのでありまして、これは確かに資本蓄積の効果があります。私はこれにもちろん反対するのではないのであります。反対したいのは次の三つの措置であります。それはどういうことかというと、そのうちの一番は、新たに取得いたしました特定の機械、船舶などに対しまして、三年間を限りまして法定償却高の五割増し程度増加特別償却を認めるということであります。もう一つ預金貯金の利子の源泉選択制度を復活したということ、三番目は法人積立金に対する二%の課税を廃止したということ、この三つであります。これはいずれも資本蓄積の尊重という立場から、こういう措置がとられようとしているのであります。それでこれは金額から申しますとみな大したものではございません。一番の特別償却制度五割増しを認めても、金額からいうと政府の資料によりますと、この減税高が七億四千五百万円、これは預貯金利子源泉選択の復活によつて国としては増減なしという推算大蔵省で下しております。源泉徴收はふえるけれども、申告納税が減るというので差引増減なし。それから法人積立金に対する二%の課税の廃止によつて国家の減收が五億四千万円と言われております。そこで金額からいうと、けちな金額で大した問題じやございませんけれども、私は問題は根本精神がいいか惡いか、これを私は問題にしたいのであります。  それからもう一つ特に申し上げたいことは、こういう税制改革の問題を取扱う場合に、ただ一つの局面だけを抽象的に取上げた場合には、減税ということはどんな場合でもよいのであります。たとえば法人積立金に対する二%の課税を廃止するといつても、これによつて簡單資本蓄積というものは行われるのであります。法人負担を軽くし、それだけ法人の純益を増し、ひいては日本経済の復興に貢献するのであります。これはあらゆることについて言えるのであります。問題はそれ以上の方面とのつり合いであります。均衡ということが問題になるのでありまして、抽象的にいえば、みな賛成することばかりでありますが、ほかとの関連という意味からいうと、相当問題があるだろうと思うのであります。それでは一々その問題について簡單に結論だけ申します。そこで新たに取得いたしました、特定の命令で定めるところの機械、船舶などにつきまして、三年間五割程度増加特別償却を認める。これはやはり日本経済再建のために必要であることは言うまでもないことでありますが、これによつて主として恩恵をこうむるのは何かというと、やはり資力優秀なる大企業ではないかと思うのであります。大企業を優遇するということは、もちろん惡いことではございません。むしろ必要なんだけれども、ほかとの権衡上どうかということを考えるのであります。それが一番。  第二番が源泉選択の復活の制度でありますが、これは御案内の通り、従来わが日本で長く行われておつたのでありますが、例のシヤウプ勧告によつてやめたのであります。ところが今度の政府案では源泉選択を復活して、五〇%で課税しよう、この目的は預貯金の奬励、たんす預金を吸收する、そうして預金を集めるということ、これはまた日本経済の再建のためにはきわめて必要なことでありますが、私はほかの税法との関連においてこれは反対をしたのであります。そこで五〇%というのでありますが、所得税累進税率を見ますと、五〇%というのはどこからかかつておるかというと、一年の所得のうち五十万円を越ゆる部分が五〇%かかつております。そこで源泉選択を復活いたしまして、だれが利益を受けるかというと、所得五十万円を越えるような高額の――これが高額かどうかわかりませんが、井藤などの立場からいえば高額であります。――所得者が非常に優遇されることになりまして、累進課税の精神に反するのであります。それから一体貯蓄奨励になるかというと、確かに貯蓄奨励にもなりますが、またならぬとも言えるのであります。それは貯蓄といつても事実は小所得者貯蓄奨励ということに非常に意味があるのであります。ところが最高率五%の源泉選択では、小所得者の貯金というものはこれによつて集めることはむずかしいのではないか、というのは、どういうことかというと、小所得者はみな五〇%以下の軽い税率が適用されるのであるから、源泉選択を適用しない方が得であります。それから五〇%以上の大所得者の場合はどうであろうかというと、こういう人たちは金が余れば銀行預金をするでありましよう。しかしこういう人たち経済的能力の強い人が多いのでありまして、銀行預金以外の方法でこれを投資するという方法が行われるのであります。従つて、これは必ずしも預金の誘引とはならない。もちろん預金誘引的効果はありますけれども、そうとばかりは言えない、私は預金の誘引にはこの源泉選択制度ももちろん必要でありますが、それ以上有効なのは預金利子引上げとか、これは有効であります。それからもう一つたんす預金がなぜふえるかというと、これは税金が高いからということもあるでしよう。だがそれよりも将来に対してわれわれは不安を持つから、またインフレーシヨンが起りはしないかと思うから、タンス預金がふえるのであります。そこで源泉選択をすることによつて、確かに預金を吸收する作用はありますけれども、今申しました点から考えますと、私は必ずしもこれは賛成できない。ことにシヤウプ勧告以後のわが日本税制というものは、課税物件に対しまして一〇〇パーセントの捕捉をするんだ、脱税は絶対に認めないという建前になつておるのであります。そうなつておればこそ、たとえば勤労所得につきまして、従来シヤウプ勧告以前では、二五%の控除率であつたものを一五%に減らした。昔はなぜ二五%までやつておつたかというと、勤労所得は御案内の通り源泉課税をやりますから、脱税が非常に少い。ところが事業所得などになりますと、とかく脱税が多い。そういうことを考えまして、二五%にしたのであります。しかしながら勤労所得であろうと、事業所得であろうと、その他の所得であろうと、一〇〇パーセント税務署所得を把握するとすれば、二五%の勤労所得は多過ぎるというので、一五%に減らしたのであります。税務署がきわめて合理的に仕事をし、所得を一〇〇パーセントとらえるということを前提としてできておるのが、現在の日本制度であります。現状がそういう望ましい状態に達しておるかどうかは問題でありますが、それが建前になつておるのであります。ところが源泉選択の復活によりまして利子所得の把握というものがやや困難になるだろう、そうすると、例のシヤウプ勧告の趣旨の一〇〇パーセント把握ということが、この一角から私はくずれて来るのではないかと思うのであります。これは所得税ではなくて、富裕税相続税をかけるときに参考になるのであります。富裕税相続税というものは、とかく不動産課税になりやすい。動産というものは逃げるのでありますが、しかしながら源泉選択の復活によつて、さらにこれが困難になれば、困ることになるのではないかと思うのであります。要するに私は、資本蓄積ということはもちろん必要だと思いますが、その観点からこれを尊重するのあまり、租税制度の合理性が、一角からくずれかけたことを遺憾とするのであります。  その次に、法人積立金課税二%廃止の問題であります。法人の配当金にどういうふうに所得税課税するかということにつきまして、英国式考えと、ドイツ式考えが対立しておるということは、皆さん御案内の通りであります。ドイツ式考えは、法人に独自の人格を認めまして、法人にも重い税金をかける、個人にも税金をかける。ところが英国式の考えは、法人というものは、結局は個人の営利のための機関なんだから、法人には重い税金をかけないで個人が配当をもらうときに、個人に集めてかけようというのが、シヤウプ勧告の考え、すなわち英国式の考えであります。私はこの考え自体につきましては、大昔から疑問を持つのであります。しかし日本税制は英国式の考えが前提になつておるので、それを前提として考えなければならぬと思うのであります。そこでなぜ二%の積立金課税をやつたか、この趣旨は皆さん御案内のことと存じますが、この積立金というものは利益でありまして、本来個人に配当すべきもの、ところが個人に配当される場合には、その配当に対しまして、個人の所得税がかかります。ところがかかりますまで、それを会社の中に留保しておきますと、その間は税金はかからない。会社という立場からいうと、その金額を無利子で利用するということになるのであります。そこでなぜ二%の課税をすることになつたかと申しますと、これは個人営業者に営業純益があつた場合は、その年に所得税が全部かかります。ところが法人の場合は、留保所得については、すぐには個人の所得税がかからぬ、この負担の不均衡を避けるために、法人に二%の積立金課税をやることにしたのであります。それからもう一つは国庫という立場から申しますと、当然とるべき收入を一時失う。それを補償するという意味でかけておるのであります。これはシヤウプ勧告におけるきわめて精微な部分でありまして、シヤウプ勧告を見ましたときに、これはこまかな計算をやつておると私は感心したのであります。これをなくするということは、やはりシヤウプ勧告の基本的な法人課税精神に反するのではないか、私はシヤウプ勧告を金科五條とは考えておらない。シヤウプ勧告については、反対すべきところはたくさんあるのでありますが、日本の現在の法人課税、個人課税の建前が、シヤウプ勧告を前提にしておるのだつたら、これを破るということは、二%の課税をやめるということは、シヤウプ勧告の精微をそこなうのではないかと思うのであります。  これに関連して申し上げたいことは、有価証券の強制登録制度――これもシヤウプ勧告で実施を要求しておつたのでありますが、これをやめました。なぜ有価証券の強制登録制度の実施が必要かといえば、申すまでもなく、株式の売買による譲渡利得を把握して個人所得税をかける、このためには、どうしても強制登録をやらなくちやならぬ、ところがこれはわが日本では、なかなかできにくいということになつたのであります。これを残すということは理論的に申しまして日本法人課税及び個人課税における大きな穴でありまして、この穴が埋められておらないのであります。遺憾なことには、シヤウプ勧告におきましても、第一次勧告におきましては、有価証券の強制登録の実施を主張しながら、第二次の勧告におきましては、これについて一言も触れておらないということは、私はシヤウプ勧告として、思想的の不統一があるのではないかと思うのであります。そこでもつと裏から申しますと、わが日本の現状から申しますと、こういうような有価証券の売買の強制登録制度ができない、それが日本の現実だとすれば、私はシヤウプのやり方のような、かつ現在日本で行われておるような法人課税のやり方、そういうような課税制度というものは、日本の国情に適しないものだと思うのであります。日本の国情からいうならば、昔の日本のやり方の方がむしろ適当なのではないかと思うのであります。これはきよう初めて言うのではありません。二年前から絶えず言つておることが、いよいよ正しくなつたと私は確信を抱くようになつたのであります。そういう意味シヤウプ勧告を前提とする限りは、法人積立金課税を廃止するということは、理論上矛盾するのではないかと思うのであります。  要するに資本蓄積のための三つの措置、すなわち新規の取得の機械などに対して三年間五割程度の特別償却をするということ、預貯金源泉選択を復活するということ、法人積立金に対する二%課税を廃止すること、この三つの措置は大体大つかみに申しますと、大資本、大企業にとつて有利なものであります。日本経済再建のために大資本、大企業が必要であるということは言うまでもないことであります。それどころか、租税制度というものは資本主義経済秩序を前提とするものでありまして、資本主義経済秩序の存続を脅かすような租税制度は、私は矛盾だと思うのであります。しかしながらこれとほかの租税制度との関連を考えますと、権衡という点からいつてどうか。また具体的にいうと、社会政策との関係を見てみますと、たとえば所得税基礎控除は二万五千円から三万円に上りました。これはけつこうであります。これを事変前の価値に直しますと、三万円というと十五、六年前の貨幣価値に直しますと二十分の一の百五十円であります。その当時第三所得の免税点が千二百円、昭和十年、十一年ごろの一世帶千二百円免税、月百円免税ということは、これは最小生活費免税という意味を持つておりました。ところが現在の所得税基礎控除三万円というものには、そういうような意味がないのでありまして、これではどうしてもやつて行けない。いわばそういう面で無理なことをやつておる際に、こういう資本蓄積のための三つの措置を講ずるということは権衡という点からいつて、はたしてよいか惡いか。私は結論からいうと反対であります。権衡からいうのであつて、この措置自体については決して反対するわけではありません。幸いなるかな、今度の措置は税法の本文を改めないで、租税特別措置法改正という臨時措置でやりました。これはよかつたのでありまして、また時期が来れば復活すればよいと思うのであります。それから特別償却もこれは命令によつて指定するようになつておりますが、これを指定されるときも、できるだけ嚴重に指定をされんことを希望する次第であります。はなはだまとまらぬことを申しましたが、これをもつて私の公述を終りたいと思います。
  4. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 ただいまの井藤君の御意見についての御質疑がありますれば、この際これを許します。三宅君。
  5. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 ただいま井藤教授のお話になりましたところによりますと、学問的見地からいたしまして、たいへんにりつぱな御意見であると考えております。私どもの観点よりいたしますと、この税法の施行によりまして、御説の通り負担軽減社会政策の改善と資本の蓄積ということが問題化しておるわけでありますが、ここで先生のお話になりましたところによりますと、われわれの負担軽減はパーセントからいつて二十年が最高潮であつた、こういう説明を承つておるのであります。私どももそれを中心に考えておるような次第でございます。ただわれわれの今後のあり方に対しまして、この税法はこういうふうな基礎控除引上げとか扶養控除の設定とか、あるいは不具者もしくは老年者あるいは寡婦、未亡人というものに対して割合勇敢にやつたと私は思うのであります。先生もそういうふうにお考えになつているようでありまするが、また新たにこういうもの以外に何か制定した方がよろしいとお考えになるものがありましようか、ありましたら承りたい。
  6. 井藤半彌

    井藤公述人 私はむしろ基礎控除引上げ扶養控除引上げをお願いしたいのでありまして、新たに追加すべき項目は、実は考えればまだもつとほかのものも出て来やしないかと思いますが、それよりもやはり従来からあるところの基礎控除扶養控除というものは基本的なものでございますので、これをもつと引上げていただきたい、そういうふうにお願いしたいと思つております。
  7. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 ただいまのお話によりますと、昭和十年ごろの基礎控除というものは千二百円が免税点になつておりますが、今日に直しますとやはり三十万円もしくはそれ以上になります。それはとうてい国家財政としてできないことでありますからして、先生のお話になりますのは一応五万円くらいという意味合いでしようか。それともどのくらいの基準を持つておりますか、もしわかりましたら承りたいと思います。
  8. 井藤半彌

    井藤公述人 実は私計数上何万円と申し上げることはできないのです。これははつきりと申し上げます。ではどういう意見かと申しますと、やはりこういう国をあげて貧乏になつている際でありますので、こういう措置もある程度やむを得ないのじやないか。私の申し上げたい結論は、資本蓄積に関する三つ措置、これをやめなければならぬ、今のような基礎控除というと非常に問題は大きいのでありまして、御案内通り、五千円上れば所得税の收入はぐんと減ります。これが減るとまた何か新たな税金を設けるとか、どこかにさしさわりが出て来るのであります。今日はそういうことをはつきり申し上げませんでしたが、直接税をなるべくやめよう、これは理論的に申しまして変なことですから、さつき申しましたような日本の現状からいたしまして、間接税が多分いいのじやないかと言つたのです。そういう意味からいたしまして基礎控除をだんだん引上げていただくということは非常にけつこうと思うのですが、これが非常に減收ということに関係しますので、それで五万円くらいでいいかと言われますと私は言い切れない。それは三万円よりは五万円がけつこうです。私は二十万円とは申しません。われわれの月給なんかでも、それでは二百倍になつているかといえばなつていない、百倍でもなつておるかおらぬかの程度でありますので、私は数字では申し上げませんが、大体の精神をおくみとり願いたい。
  9. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 もう一点伺いますが、大企業に有利である、中小企業もしくは零細企業にはおもしろくない、こういうふうに先生のお話を承るわけであります。大企業はもちろんいいと思いますが、中小企業にもう少し名案がありましようか、ありましたらこの際承りたい。
  10. 井藤半彌

    井藤公述人 中小企業につきまして基礎控除的なものを設けたらどうかという説が、農民の問題に関連して出ておるのであります。私は中小企業方々が非常に苦しいということは認めます。けれども私は大企業に――もつと率直に言いますと法人ですね、法人が個人に配当する前に、どこかわけのわからぬところで消える金が非常に多いのだということをよく聞くのであります。そこで私は、結論を申しますと、シヤウプ勧告によりまして法人課税を軽くするということは、これはシヤウプの立場からいえば言えるかもしれぬが、日本立場からいつでおもしろくない。それでこの勧告によつて一番恩恵をこうむること少かつたのはだれかというと、私は労働者ではないかと思う。中小企業者上りも労働者の方である、と言いますのは、さつき申しますように源泉徴收をやつております。これはぼやつとした推算でありますけれども、労働者の賃金につきましては大体九〇%まで把握できて脱税といつても約一〇%くらいといわれております。その次に脱税が困難だといわれておるのが農業者であります。御案内通り地面がございますので、これは隠すことはできません。たとえば八五%とか七五%と把握せられて、あとは脱税があつても三〇%くらいである。ところが中小企業の場合は六〇%・七〇%くらいしか把握できないので、あとはずいぶん脱税になるのじやないかという推算があつた。この推算数字自体に対してはどの程度権威があるか問題ですが、われわれの大体の感じから申しますと、そういうことがあるのじやないかと思う。私はそういう意味から申しまして、中小企業につきまして基礎控除的な要素、勤労控除的な要素を認めることもいいと思いますが、それをもし認めるとすれば、勤労控除をもつとふやさないと権衡上どうか。シヤウプ勧告は、さつき申しましたように一〇〇パーセントとらえるということが前提であつて、事実一〇〇パーセントとらえられないので、そのためにいろいろな線がくずれてきたのでありまして、私はくずすのは惡いとは思いません。理論に走つて実際に合わないものはどうかと思うのでございますが、しかしそういう際でございますのでやはり中小商工業に対しまして――勤労所得的な要素があるのでございますから、勤労所得ほどに行かないでも、多少控除すべきだと思います。そうなりますと、また勤労者の負担軽減負担の均衡という問題になるのではないかと思います。
  11. 宮幡靖

    宮幡委員 シヤウプ勧告に対しまする御批判の点、その他につきましてはこれはいずれも井藤先生の研究室にまかしておきましてお尋ねしたいと思います。従つて議論にわたることは本席では伺いませんけれども、ただ公述をわずらわしております主要の問題が税法改正であり、しかも資本蓄積ということに主眼を置いての問題であります。たまたま先生のおはなしが特別償却、貯金利子の選択課税法人積立金課税廃止ということが、精神としては反対である、しかし臨時措置法としてやられたことは妥当であろう、従つて適当な時期においてはこれをさらに復活する方がよろしい、こういうふうに要約されておるようでありますが、この点につきましてはわれわれははなはだ恐縮でありますが、異論をさしはさみます。これでも足りないと考える。と申しますのは、特に特別償却の問題につきましては、ただいまの日本税制の上から考えますと、耐用年数の算定の基礎等につきましては、物理的の耐用年数だけを加味されておりまして、経済的な耐用年数などというものはむしろ除外になつておることは先生御存じの通りだと思います。すなわち一般機械設備の陳腐化見込み、あるいは技術水準素材の状況変化、こういうような部分品の資本的償却であるとか、修繕費との関連がどうなるのか、立地條件や、作業の時間、激動産業、比較的閑散産業との関連が少しも考慮に入れられていない。新たに発達しようといたしております特に化学工業等、合成繊維の試験的設備、こういうようなものに対しまする経済的の耐用年数の控除など、もつといえば無形固定資産の耐用年数などということについても、考慮がまだ足りないように私どもは考える。従つて償却方法が、個別償却一本主義と申しますような税法建前であります。その場合において、わずかに経済的な耐用年数を盛り込むものが特別償却であります。これあつて初めて法人機械設備の更新もできるのであります。これは大企業といわず小企業といわず、ことごとくこの範疇に入るだろうと思います。従つてこの措置が資本主義、少くとも大産業を擁護する立法であろうという御批判は、これが巷の一私人の批判でありますならば、私どもは微苦笑いたしましてこれを看過するにやぶさかではありません。しかしながら斯界の権威者であります井藤先生のお言葉としてこの公聽会において拝聽いたしますと、ともすれば誤れる資本主義排除の観念の方々に、どうも惡く利用されるのではないか、こういう心配があります。現在国家予算の問題を考えましても、卑近な例で申せば、キテイ台風が吹いた、アイオン台風が吹いた、この災害の復旧は急務であります。昔の日本のように、財政的蓄積のありました当時においては、急に開かれました臨時国会の予算委員会などの審議も、單に歳出を審議するのみでありました。蓄積を出してどういうふうに復旧をやるかということを検討すればよいのでありましたが、残念ながら現在国家も蓄積がありませんので、緊急やむを得ざるところの災害復旧等の施設も、まず入りを考え、しかして歳出をあんばいするという、国家本来の予算とは少くとも違つておると思う。そういう時代でありますので、法人、一企業を見ましても、やはり蓄積がありません。従つて機械を更新するような場合には、借入金に仰がなければならない。借入金は現在の金融制度から行きますと、なかなか容易なことではありません。従いまして特別償却は、現在の三年間五割などというような微々たるものではなく、もつと容易に更新のできる特別償却を認むべきであると私どもは考えております。従いまして今回の特別償却の問題は、これを廃止するというような意向は持ちません。むしろ政府の立法というものは適切なものだ、かように考えております。  預金利子の点につきましては、これまた御意見通り五〇%という選択課税というものには、程度の問題では、私はおそらく先生と同じような疑問を持つものであります。一体五〇%がいいのか、六〇%がいいのか、もつと言えば四五%がいいのかということは、相当疑問があると思いますが、一応資本蓄積の一環としてはこれをやるべきであると私どもは確信いたしております。  なお百パーセント收入所得把握するという趣旨から行けば、こういうお話もありましたが、勤労所得税にきわめて脱税が少いという観念は、これは研究室のお話としては私は了承いたします。しかし実際はそうではありません。旅費に仮裝し、修繕費に仮裝し、あらゆる経理の面において操作されておるので、勤労所得の源泉課税が、ほとんど九〇%、九五%まで徴收されておるという考えは、ここに京橋の税務署長さんもおられますが、現場の方から意見を聞いたならば、そんなに把握されておるものではない。むしろ他の所得の方が査察制度等によりまして追求がきついのであります。勤労所得というものの内容が全部把握されておるということは、少し時代の声に押された感じがいたします。われわれ実務家といたしましては、勤労所得税の源泉徴收内容をよく知つております。決して給料や手当を合算いたしましたものが正常にかかつておりません。修繕費もあれば、旅費もあれば、あらゆる意味において、源泉徴收部分においても、残念ながら、ほめた言葉ではありませんが、脱税があるというような実情であります。従いましてそれらと比較しての議論は少しどうかと思います。  法人積立金課税廃止のことにつきましては、おおむね法人の蓄積のない点について申し上げられたようであります。私どもも積立金課税いたしますような、独法式を認める点に大体異論はないが、英米式と申しますか、法人は個々人の資本の操作機関である、決して法人と自然人との二人格を税法上認むべきではないというのが私どもの観念でございます。こういうふうな方向に持つて行かなかつたならば、日本の中小企業を初めといたしまして、産業の復興は困難であろうと思うのであります。そこで先生に対してははなはだ失礼でありますが、民間の一私人のお声ならば、その反響がきわめて小さいので一われわれは看過するにやぶさかではありませんが、先生のお言葉でありますので、ぜひこの点につきまして、もう一度きわめて簡單なお言葉でけつこうでありますが、現在の政府措置というものは、現段階においては適当であるという程度の裏づけをいただきたいと思います。まことに失礼でありますが、以上お願いする次第であります。
  12. 井藤半彌

    井藤公述人 いろいろな問題がございましたが、簡單結論だけ申し上げます。一番初めの、現在の日本の固定資産の減価償却制度が理想的でない、これは大いに改める必要があるのではないかという説には、私も賛成であります。決してその説に反対ではありません。現にここに公述人としてお見えになつております金子佐一郎さんが委員長となつて日本租税研究協会というものをつくつていることは、皆さん御案内通りだと思いますが、あれなんかでも、そういう問題を御研究になつております。これは大いに改正の余地があるものと私も思います。今のお話と私も全然同意見でありますが、しかしそれは税法全般の問題でございまして、臨時措置の問題ではないのであります。だから今おつしやいましたような趣旨をももちろん加味されるとは思いますが、それは臨時措置ではなく一般的な措置として取扱うべき問題ではないかと思います。  それから、私が時流に押されているのではないかというようなことをおつしやられましたが、私は決して時流に押されておりません。私は三十年来この立場をとつてかわらぬのでありまして、私は商科大学で財政学の講義をやつておると同時に、社会政策の講義もやつております。私が社会政策を勉強しているからそんなことを言うかというと、決してそんなさもしい根性で言うのではありません。やはり私どもは広く――広くと言うと少し偉そうな言い方でありますが、社会政策というものは資本主義を破壊するのが目的ではなくて、むしろ資本主義を擁護するためである、資本主義防衛のためで、ブルジヨア的なものだと言う人すらもあるくらいでありまして、私は別に資本主義がどうの、社会主義がどうのということは問題にいたしませんが、現在のわが日本状態から申しまして、社会主義は必要だと思つております。  それから、先ほど申し上げましたように、租税というものについてどうも景気のいい減税論がありますが、そういう景気のいい減税論は、こういうことを忘れているのではないか。結論的に言うと、私が今言つたこととむしろ逆のような印象を受けるかもしれませんが、租税というものは資本主義経済秩序というものを前提にした財政手段でありまして、それに反するような制度は矛盾だと思います。あまり景気のいい、たとえば累進税論、財産税論は、その意味において私は反対しておるのです。ところが今度問題になつ三つの問題は、それを危うくするようなものではなくてむしろ社会政策とか何とかいうようなことの権衡から考えて、中止される方がいいじやないか。その一例といたしまして、勤労所得基礎控除額は三万円というような低いものである。だからこれはさきに申し上げましたように、たしかにいい制度であると思う、この三つ制度はいい制度だと思いますが、負担の均衡という点から申しますと、やはり私が今申しましたような結論を述べたくなるのであります。  それからもう一つの問題は、勤労所得について、これはあげ足をとるようで失礼ですが、私は一〇〇%把握とは申しませんでした。九〇%くらいと申しました。これは推算によつたのでございまして、今私に御教示くださいましたように、勤労所得でも確かにうまく脱税をやつておると思います。それはいろいろな手で脱税が行われておると思います。まさか学校などではそういうことはできませんが、とにかく勤労所得につきましても、御説の通り確かに一〇〇%把握しておりません。中小企業あるいは大企業などは、一〇〇%どころか、五〇%の課税というようなところもあり得ると思います。しかし私が今申し上げました勤労所得については九〇%、それから農業については七五%あるいは八〇%、それから商工業については七〇%とか。六五%と申しましたのは、私の感じで言つておるのではなくて、今私計数は持つておりませんが、やはり推算をやつたものがあるのでありまして、それによつて申しております。これについて、少し変じやないかというお説、あるいはごもつともかもわかりませんが、だからと申しまして、私は、勤労所得については理想的に行つてつて、ほかのものについては脱税が多いのだというようなことを断言するのでありません。大体の傾向からいつて、この三つの順序から行くと、勤労所得がよくとらえられてそれから農業所得、商工所得というこの傾向については、御賛成くださるのじやないかと思うのであります。
  13. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 次に十條製紙常務取締役金子佐一郎君。
  14. 金子佐一郎

    ○金子公述人 今般政府租税負担軽減並びに合理化、税制簡素化をはかるとともに、資本蓄積を助成しようといたしまして、所得税法人税等につきまして税制改正と行い、この新年度から実施をするように考えられておるようであります。さらに重ねて資産の再評価を行い得るように措置がなされるように聞いておるのでございます。私は産業界の立場から、これに対して少しく私見を述べてみたいと思います。  今回の税制改正は、税制な根本的な改正にはほとんど触れておりません。そして減税的な面を見ますと、七百億円程度軽減がするということが言われておるのであります。これはもちろん実際に七百億円の減税はなされるでありましようが、ただこれがはたして国民の生活を楽にする結果が出るか、出ないかということは別問題でありまして、本年は物価騰貴も非常に予想されますので、おそらく物価騰貴によつてこの減税の恩恵は相殺されるのではなかろうかということが考えられるので、これは税の計算においてもひとつ考慮に入れなければならぬのではないかと思います。一方国の税收入の絶対額は、昨年とあまりかわりがない。というのは、これは七百億を減税はいたしましたものの、物価騰貴によりまして国民の所得が増大し、これに対して自然増收が期待されますので、結果としては租税收入としてもありまり前年度にかわりがないというものになるのではなかろうかと思うのであります。  それは別といたしまして、まずこれを所得税の面から今回の改正について考えてみますと、基礎控除あるいは扶養控除というものが引上げられましたり、最高税率五五%の適用が五十万円から百万円に引上げられたり、さらに生命保險料を二千円まで控除を認めるとか、預貯金利子等の源泉選択税制度を設けるとかこれはいろいろの点から申しまして税の軽減並びに合理化あるいは制度簡素化をねらつたものであろうと思います。これについてはまず改正前のものに比べれば、一段とこの目的が達成せられているように思うのであります。しかしその問題としては確かによりよく改善されたと思いますけれども、それではその結果、中産階級と考えられる程度の税負担が、はたして現在の実情とにらみ合せてどの程度になるかと言いますと、まず二十万円超から三十万円くらいで四〇%くらい、しかもそれに地方税を入れますと四七・二%、三十万円から五十万円の所得者は四五%になりますが、さらに地方税を入れますと五三・二%となります。これを見ますと、大体中産階級と考えられる程度所得は、半分は税のために持つて行かれるというのでありまして、これで資本の蓄積等のことを期待することは、はなはだ困難ではないかと思います。従つてこのような改善は、さらに一段と推進されなければならないと思うのでありますが、それは今後の財政上の必要というものとにらみ合せて、できる限りさらに努力をしてもらわなければならないと考えております。それに勤労所得の問題につきましては、先ほどもお話があつたのでありますがこれはいろいろの問題はあろうと思いますが、現在の勤労控除一五%、最高が三万円という程度は、私はまだ低いと思います。これはできる限りにおいて引上げる必要があるように考えております。結局国民生活の安定並びに勤労意欲の高揚と民力の涵養による自主的の資本蓄積に資するためには、このような問題は、一応取上げられた限界以上に、さらに考究されてしかるべきものと考えております。  ただ今回の改正には入つておりませんが、私としてぜひお願いしたいのは、退職金に対する所得税であります。この退職金と申しますのは、これはおのおのの立場からいろいろ考えられております。あるいは功績に対する褒賞金と考えられるもの、あるいは賃金のあと拂いと考えられる場合もあります。それから退職後の生活資金であるというふうにも見られるのでございます。これらの論議はいろいろありましようけれども、結局はそれを受領いたしますところの退職者の立場からいたしますれば、これは退職後の生活費に充てられるとか、あるいは子女の教育に充てられる等、まつたく切実な資金としてこれが運用される場合が多い実情でございます。  一方わが国においては社会保障制度にまだ多くの責任を期待することができない実情でありますので、企業といたしましては、これらの社会的な負担を一部分課せられているというふうにも考えられるのであります。従つてこの退職手当のごときものを、普通の給與と同様に課税するということは、私はいけないのではないかと思います。実情を申し上げますれば、これらの退職手当に対しましても、現行法では給與所得の上に上積みといたしまして、高率の課税が行われております。そして退職時期を異にすることによりまして、手取りの退職手当に著しく相違が出ずるのでございます。  それから三番目には、課税計算方法が五箇年の変動所得として扱われて計算がいたされておりますので、複雑でありますために、退職者は手取り退職金額を的確に予知することが困難であります。かくいたしまして、これらの問題につきましては、ともかく退職者の立場に立つて考えますれば、普通の給與所得と同様に扱われることは、はなはだ私は遺憾な点が多いと存じますので、こういうようなものにつきましては、特別の措置が講ぜられてしかるべきだと思います。もちろん他との均衡もありまして、これに対して免税措置というところまで取上げられないならば、せめてその半額を免除して、そしてその残りの半額に対しては、低率な課税をするとかいうような、何らかの形においてこの問題が他の一般給與所得と異なつた特別措置によつて課税されることをぜひ実現していただきたいのであります。  それから法人税のことについて触れてみますと、これはかねてから経済界から要望せられておりました普通法人積立金課税二%が廃止されまして、この問題は、理由はシヤウプ勧告において利子課税のごとく言われておりますが、実質的にはやはりこれは資本課税の感じが強かつたのであります。そのことがこの際廃止されたことは、資本蓄積の面から見ましても最も適切であろうと思います。さらに新規設備に対して三箇年間減価償却の五〇%増しの処置が講ぜられたことも、資本蓄積の面から見て同様に適切な処置と考えられるわけであります。ただこれらの今回の改正以外に、先ほどの所得税において退職手当金に対して特別な税の軽減を望みましたように、この法人税の場合におきましても、退職金の積立金に対する課税はぜひやめていただきたいと思います。各企業ともこの退職金につきましては、労使間においていろいろ退職手当規則等もありまして、お互いに契約事項になつておる面もありますので、本来ならば当然その支拂う時期は、本人の退職したときでありましようが、会社としてのこれに対する支排い義務の発生というものは、毎期々々相当額生じていることは間違いないのであります。しかるにこれらの積立金をいたしますればこれに課税されますので、従つてこれらの積立金を躊躇する向きもありまして、多くの場合一般の経費としてこれが支弁せられているようでありますが、これは企業の経営の健全化という点から見ても、また現在急務とされております資本蓄積というような面から見ましても、ぜひともこれが免税措置が講ぜられて行くべきであろうと思います。そうしておけば、一方従業員の面から見ましても、これに退職手当の支拂いの期限が確保されるような感じが強うございまして、この不安が一掃されるということ、またこれは勤労意欲の高揚の面においても間接的な効果があるものと考えられるのであります。現に米国においても、この従業員の年金積立金については非課税であるということを聞かされておりますが、これらの点も考慮に入れますれば、この免税措置は別に大した不合理ではないと私は信じております。  なお企業といたしまして、設備の修繕維持ということは相当大きな問題だと思いますが、先般貸倒れ準備金に対しまして免税の限度がきめられて、これに対して特別措置が考えられたのでありますが、この修繕費の引当金制度というものをぜひ確立さしていただきたいと思うのであります。それは修繕費が單に通常の補修の範囲において毎期平均して出るような企業はまずよろしいのでありますが、修繕の場合には多額な修繕費を一時に支出しなければならない、しかもそれは資本的な支出と考えられないというような問題もありますので、これらの面につきましての準備の面から見ましても、また一面資本蓄積の面から見ましても、この問題についてはある一定限度を画しまして、貸倒れ準備金同様の措置が講ぜられて修繕費引当金制度を認めていただきたいというふうに考えるのであります。現に法人税法施行規則第十五條で船舶に対する修繕の引当金が認められておりますので、これらの問題を拡大して考慮していただけばよろしいんではないかと考えるのであります。  それから次に資産再評価の特別措置に対しまして、一言意見を申し上げてみたいと思います。昨年資産の再評価が行われまして、当時八月までに企業はそれを実施するかしないかを決意いたしまして、これを今回限りで打切るという法的措置にこたえなければならなかつたのであります。私は昨年の衆議院の公聽会で同じような意見を求められましたときに、これは非常に無理であると申したのでございます。というのは、企業がまだ收益について安定した感覚が非常に少いのでありまして、赤字企業もいつ黒字になるかよくわからない。また黒字企業もいつ赤字に転換するかわからないというような問題も非常にありましてこれは最高限度額を八月までにきめることはよろしいが、その実施は少くとも三箇年くらいの間にこれを実施せしめるように彈力性を持たせなければ、なかなか踏切りはつかないであろうということも申してみたのでありますが、しかし法はそれにかまわず、八月で締め切つてしまつた。ところが、その結果といたしましては非常に低調でありまして、さらにその結果を見ますと、法人のうち六七%しかその再評価を実施した会社がないというようなことも言われているのであります。しかし、その後、朝鮮動乱の影響が企業の收益を好転せしめましたので、ますますこの問題についてもう一ぺん再評価をやらしてくれという要望が出て参りましたので、その要望にこたえまして今回第二次再評価が取上げられたと思うのでありますが、これは初めから再評価そのものについては強制をしてよいくらいの合理的な措置である。企業の收益力がこれに伴いますならば、これは本来の筋からいつては当然どの企業に何回機会を與えましてもさしつかえないのだと思いまして、今回の措置については、その面においては何ら意見はないのでありますが、ただ今回の措置が、おそらくや條件としてはまつたく前回と同様のことにおいてこれを行わんとするようであります。すなわち昨年バスに乘り遅れた企業だけを、もう一台同じバスを出してこれに乘らせようという程度の処置のように考えますが、シヤウプ勧告においても、物価が一割五分以上騰貴した場合において、この再評価を再度やらすことの可能性も申しておるようでございますが、昨年に比べまして物価はすでに三割以上騰貴しているのでありますので、この際收益力の高い企業からは、やはりこの限度額をその比例において引上げて、再々評価と申しますか、第二次再評価を許すべきであろうという議論が出ていることは、傾聽すべきであろうと思います。なお、昨年度その再評価をやりました結果が、非常に低調であつたということの原因をこの際究明いたしまして、この第二次再評価を許さなければ、結局はまたそれからの原因にはばまれまして、結果としては同じようなはなはだ低調な結果を招くのではないかというような感じがするのであります。そこで、その原因と考えられるものを少し拾つて見ますと、再評価税六%の問題でありますが、これはぜひともこの際半分くらいに軽減したらばよろしいのではないかと思う。というのは、昨年この六%の税をとりまして、昨年度にその半額を納付せしめておりますので、その未納付分三%の範囲においてはその減税措置も考えられる余地があると思うのでございますが、とにかく昨年のこの再詳価税をとるかとらぬかについてはずいぶん議論があります。しかしながらこの再詳価を認めて法人税が激減するということは、財政上の面から見ておもしろくないのでありますので、これが一つの補完税とも考えられる面も多分に含んで、この再詳価税六%をとつた。しかしながら今年は先ほども触れましたように、国民所得の非常な増大を予期され、従つて自然増收もありますので、これらの面はこの方面において相当カバーされると考えますから、この際この再評価税を三%程度軽減していただくことが、再評価をなおよりよくさせる上において、大きな力が出て来るのではないかと考えます。そうして昨年は再評価をして原価償却を増して、適正なる原価が増大すると考えておりましたのに、これに対して公定価格の改訂は行わないということをはつきり言われましたが、これははなはだしき矛盾でありますので、今回はこの再評価をいたしました場合におきましては、現在公定価格は全面的に廃止されんとする傾向にあるときでありますので、なおさらのことこの公定価格は、当然これによつて改正せられてしかるべきものと考えるのであります。それから公共事業というような類似の企業にありましては、この再評価の時期並びに再評価税の延納ということについては、特に留意していただかなければ、これらのことは実施はできないと思うのであります。すなわち電気、ガス、鉄道等の公益企業につきましては、その増加償却額が、料金、運賃等に織り込む措置が講ぜられまして、これが可能になるまでこれをぜひとも延ばしていただくか、あるいはこの再評価税の延納を認めて合理的解決をしなければ――これは公益企業というものこそ再評価をさせたいのでありますが、これらのことを可能ならしめる点については、どうしてもこのような措置が伴わなければならないと考えます。  それから固定資産税の問題がこの再評価をにぶらしておりますが、この固定資産税のうち、特に償却資産、機械等の償却可能の資産につきましての税金などが、やはり相当高い、しかもこの再評価の限度額から七〇%程度引いたところで、課税基準を設けております。現行法では七%以上再評価をやることは、固定資産税の負担もそれだけ多くなるということによりまして、相当この面を躊躇せしめておるようではありますので、償却資産に対する固定資産税の廃止もしくは軽減という点は、非常に困難な問題ではありますが、十分考慮されてもよろしいのではないかと思います。  それから償却不足額の繰越しを認めていただきたいと思います。従来は耐用命数が延長する形においてその償却不足額を認めておるのでありますが、今回この超過所得税もなくなりましたし、損金の繰返しも五箇年認められるようになりましたので、今期なし得なかつた償却率は、随時收益力が、これをなし得るようになりましたならば、この償却率の実施ができるようにこの繰越しを認めていただきたいということが、各方面で希望されております。こういたしますならば、この再評価をいたしまして、もしも企業が所期のごとき收益が存続できなかつたり、あるいは期待したような收益が実現しなくても、この操作は、この面において十分彈力性を持つことになりますので、相当大胆にこの再評価をとり上げて、従来のごとき資本食いつぶしを是正し、架空利益に対する課税を廃止するという予算的な一つ措置国家企業に実施できまして、大きくは日本再建に寄與するものと考えております。  それから積立金の資本金繰入れの問題は、直接税法とは関係ないようでありますけれども、この問題につきましては、やはり日本企業の大部分が病人でありましてこれらの実施を企業の自主にまかせましても、おそらくこれをなし得るところの企業は、増大したところの資本に対して配当金その他を顧慮して参りますと、なかなかないのではないかと思います。従つて高收益の企業にとつては、相当合理的な積立金の最後的処置の実施でありますけれども、全体としてはこれに対してやや関心が薄いのでありますが、しかし自主にまかすという以上は、でき得る企業にさせるのであつて、できない企業はしなければよいじやないかという議論も反面あるのでありますが、しかしやはり間接的影響を受けることを考慮されて、收益力のにぶい企業においては、非常に消極的のようであります。ただこれらの点で、一つわれわれが重大に考えておりますのは、かりにこれらの措置を許しまして、この大企業にして、しかも收益力のある企業がこれを資本に繰入れ、これに対して無償株を交付した場合において、その企業自体におきましては、非常に合理的な処置でありましても、これが市場に競合することになりました場合には、はたして現在の株式市場において、これらの無償株、これは交付するときだけでありまして、一たび株主の手に無償株が渡つて、再びこれが市場に売り出されるときには、有償株にかわるのでありますから、この有償株を吸收するだけの能力が株式市場にあるかどうかということが、非常に問題であります。もしもなかつた場合には、この有償となつた無償株の氾濫によつて実質的の増資が阻害されたり、また株主に有利であるとして無償株を交付したものが、かえつて株価の思わない下落によりまして、案外損を與えるということがあるかどうか、これはわれわれとしても、想像がなかなか簡單にはつかないのでありますが、この点は一応愼重に考慮してみなければならない問題だと思つておるのでございます。  時間も参りましたので、あと二、三、簡單に申し上げますと、次は固定資産の耐用命数の改訂の問題につきましては、大蔵省におきましても、協議会を開き、また財界におきましても、日本租税研究協会並びに経団連等におきまして、真剣にこれを目下検討中でございますが、これはややもすれば物理的耐用命数にひつぱつて行かれがちでございますが、この際経済的の耐用命数というものを十二分にこれに組み合せまして、いわば合理的な耐用命数をつくり上げて、この改正によつて少くとも従来のような不合理なを一掃できるということを、われわれとして大きく期待しておる次第であります。これはまだ成案もできておらぬようでありますので、この際御遠慮いたしたいと思います。  それから最後に株式譲渡差益税の問題でございます。これは一般の企業といたしましても、増資ということによりまして、自己資本の拡充をはかり、また社債等によりまして、これまた同様の措置を講じたいということが、現在の念願でありますが、しかしこれが円滑に行きますためには、この株式譲渡差益税の問題が、大きくからまつでいるのではないかと思います。株式の譲渡差益というのは、もうかつて所得があるものに課税をするのは当然だと思いますので、この点を云々する意思はございません。ただ株はもうかつたときに課税するならば、必ず損したきに、それだけ税の負担軽減すべきだと思いす。ところがこれは短期においては多少その点は諦められているようでありますが、税の面から見ますれば、必ず株というものは売買の土に損する人もあれば、また反面得する人もあるというようなぐあいで、結局これを完全に行えば税收入というものは期待できないのではないか、また個人的にいつても株などというものは、必ず利益があるときまつたものであれば、だれも彼も株式の売買をいたすでありましようけれども、これは損をする人もあれば大きく得をする人もある。これは同じことであります。こういうふうになつて来る税であります。しかも今問題になつているのは、これらの理論は別といたしまして、実際面においてなかなかあの厖大な取引を完全に把握いたしまして、これに課税を適切にするということが困難であるという実情から考えますならば、これは課税をしないということは不適正でありますので、課税をするならば、最もこれをすつきりした税制に持つて行つた方がよいのではないか。それにはこの株式譲渡の移転税というような形式でもつて源泉徴收するような形においてこれを処置された方が一番よいのではないかと考えるのでありまして、その点はひとつ当局においても今後研究せられるでありましようし、また株式市場においても相当間顕現しておるようでありますから、いずれ何か成案ができるものと考えておるのであります。以上はなははだ簡單でありましたけれども、所見の一端を述べた次第であります。これをもつて終ります。
  15. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 御質疑はありませんか。
  16. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 ただいま金子專務のお話によつてわかつたのでありますが、私の聞かんとするところは、旧所得に対しましては、余子さんは五制を控除して、あとの五割にかけるというのでありますが、この点をもう少し勘案いたしまして、現在の十分の一・五の控除だけではとても足りぬと思いますので、その中間の率を定めた方がよいかと思いますが、これに対する御所見はありませんか、ということが一点。第二点は再評価ということについては、もちろん私どもも考えておるのでありますが、超過所得もなくなりました今日といたしましては、再評価も当然であると思いますが、朝鮮動乱等におきますところの影響というものは、大企業は多いかもしれませんが、中小以下の企業においては影響がないように思いますが、これについてはどういうふうに考えておりますか、金子さんの御意見を承りたいのであります。
  17. 金子佐一郎

    ○金子公述人 第一の御質疑でございますが、これは勤労所得と退職手当と二つにわけてお答え申し上げたいと思います。勤労所得の一五%控除というものは、これは前には二五%控除されておつたのであります。そしてこれはシヤウプの勧告もありまして一五%に下げられたのであります。なおかつその三万円というものが、はたして今の貨幣価値からいつて適切であるかどうかという面も考えますと、全体としては勤労控除をもう少し高めた方が私はよいと思います。それを申し上げたいのであります。それから退職手当は、これは職をやめまして、そしてこれから前と同じような收入はおそらく得られないという立場においてこれを受取る場合が多いと思いますので、これに対しては半分くらいに税をまけて、半分くらいは税の対象から拔いて、その残りについて適切な課税をしたらよいのではないか、こう申し上げたいのであります。退職手当については、実際普通の給與と同じように考えられて、現在それに上塗りになりまして課税されておることは不適切だと思うのでございます。  それから第二の御質問でございます、中小企業が朝鮮事変により好影響をこうむつておるかどうかという問題につきましては、案外この朝鮮事変の影響をこうむつているということ自体が、中小企業でもそうであけましようが、今般的でないと思います。まして中小企業においてはかえつていろいろの間接的の影響のために、前よりも困難な経営になつているというようなことも聞いております。でございますから、この問題は大企業も中小企業も同様、この朝鮮事変の影響というものは平等に好影響を受けておるとは決して言えないと思います。ただ再評価に関してこれを考えた場合において、再評価というものは、いかなる企業もなし得るならばなすべきだと考えております。従つて今回の第二次再評価を許すということは、昨年朝鮮事変が勃発してまだその影響がよくわからないときにこれを決意せしめたのでありますので、その後の状況によつてなし得る企業も多々出たと思います。それらの企業で再評価をしたいという人たちに、もう一回やらせる機会を與えるという一つ措置だと思いますので、もしも朝鮮事変の影響の結果、何ら收益も増さないというような企業があるといたしますならば、この場合には棄権するという考え方以外にはないのではないかと考えております。従つてこの再評価の第二次実施というものが、別にそういう企業にとつて特に惡い影響が間接的にあるというふうには考えておりません。
  18. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 私はもう一点伺いたいと思いますが、先ほど宮幡委員も井藤先生に伺われたのでありますが、耐用年数というものは、もちろん物理的でなく経済的な事柄が中心でありますから、これは他に委員会のようなものを設けて、そういうような耐用年数というものをきめる方がよろしいと思いますか、それとも法律で今まで通りおやりになる方がよいか、その点を伺いたい。それから再評価というものは法律で強制した方がよいかとも思うのでありますが、今までの法律では任意であつたが、むしろ司評価を強制いたしまして、資本の充実もしくは、減価償却等も十分やつた方が合理的である、こう思うのです。もう一つは資本の繰入れということも二年、三年という先でなくして、ただちにこれは資本に繰入れていただきたい、こういうふうにも考えられるのでありますが、余子さんはその三点についてどういうふうにお思いになりますか、平凡でよろしゆうございますからお答え願いたいと思います。
  19. 金子佐一郎

    ○金子公述人 固定資産の耐用命数につきましては、現在においては大蔵省に固定資産耐用命数改定協議会を設けまして、私もその委員の一人として出ておりますし、相当活発に論議を囲わせております。ただ先ほど申しますように、民間でもこれが研究に没頭しておりますが、ただ今の御質問は今後そういう耐用命数というものを定めないで、そして一々協議会のような形で採決してやつて行つた方がよいということにつきましては、かえつてこれが混乱を生じるのではなかろうか、というのは、耐用命数をきめるというのはあくまでも税法上の是認の範囲をきめるのでありまして、その企業といたしましては、法定耐用命数まできめ得ない企業も多々ございます。またこれ以上やる企業もあるだろうと考えます。つまりこれは税法上の目安でありまして、結局この範囲でやれば税はかけない、この程度の限度外をやれば、税で否認して行くという一つの目安となるだけでありまして、実際の企業の耐用命数というものは物理的にも一致しないし、また実施する結果償却というものとも一致することを期待しておらないのであります。ただやはりこの点につきましては、一応現在のように各方面の意見を十分に当局が取入れて結論をきめるならば、その目安というものはそのままこしらえておいてもいいんじやないか、このように考えます。
  20. 宮腰喜助

    ○宮腰委員 再評価の強制という問題は、これは初めから強制はしてよろしいと思います。ただ税金をとつて強制することは絶対不可能であります。この点は問題のわかれ道であります。再評価は強制すべき素質を持つたものであり、結局それは帳簿上の操作に終ると思います。資本繰入れをただちにやらすという問題は、これは重大問題でありまして、今度の新商法の二百九十三條の三に、任意積立金は七月以降いつでも役員会の決議でもつて資本に繰入れることができるという規定がございます。ただ再評価積立金だけが特別措置においてどうするかということをきめるだけであります。これは水道の蛇口が二つあるようなもので、再評価の積立金を押えても無償株交付というような問題はおそらくそこから発生する可能性もあると考えます。従つてこの問題は、一つにそういう点を考えれば、一を押えて一を離すというような意味合において何か矛盾があるようにも思いますが、心配なのはただ再評価の積立金を資本に繰入れさした場合に、その自主性を企業にまかせますから、その点は心配はいらないのですが、その各企業自体がこれがよいと思つてやつた場合においては、それが市場において競合いした場合において、今日のような株式市場に力がないときに、はたしてどんな結果が出て来るかということをちよつと思いますと、その点が消極的になるという結論であります。  株式譲渡の見込税の問題ですが、これは私も廃止すべきであると当然考えております。また金子さんのおつしやるように、移転税をもう少し上げて、移転税につてとつた方がよいような感じがしますが、しかし今の段階としては他の税との権衡上、これをどうしても廃止するような段階には持つて行かない、たとえば株式市場で相当の利益をあげているならば、その利得は所得税でとられていても、この譲渡利得税は、その中間の――たとえば最初から白紙委任状で売買されまして、最後の人が名義書きかえをする、その中間の人のところに譲渡利得税を抑えと言つて通知しても、にせ名前の人が多くて、はがきが返つて来るという状態でありますから、中間のもうけた人が脱税して、最後に、価格が下落してやむなく引受けなければならないというような人が、結局自分の名義に書きかえる。こういうことで、中間の人の脱税が、非常に多くあるようであります。そこで負担の均衡上、この脱税を防止しよう。これを防止することは、とても不可能ではないかと私も考えるのでありますが、この税をとろうというような場合に、一つ方法として証券会社にこの中間の利得者に対する取立て委任を、法律で制定してやつたらいいのじやないか、こういう一つ方法も考えていい一思う。第二の方法としては、証券に添付異類をつけまして、その添付書類をつけたまま譲渡して行く、その添付書類の中に何月何日に売買されて税をここに拂つたということにすればよいようでありますが、この点も私日本橋の税務署で、実際的に各課長署長の方々と相談していろいろ研究してみたのですが、添付書類をつけるということになると非常に煩わしい。途中で紛失してしまいますと、その証券自体のいろいろな紛争問題が後日起きて来る、こういう意味合いでいずれも適当な考えが出て来ない。そこで私は証券会社に取立て委任をすることが非常に妥当なように思うのですが、金子さんはそういうことを研究されたことがありましようか。
  21. 金子佐一郎

    ○金子公述人 今のお話などは非常にむずかしい問題だと思います。というのは、かりに証券会社にその取立てを委任いたしましても、その委任というものが、どの程度まで事務的に可能であるか。それはおそらく命じますならば――そういうような形のものがどういうことでなされるかという詳しいお話も今私は伺いませんが、私どもとしてもこういう何かここに新しい方法でもめつけ出し、そうしてこれが事務的に完全にできるならば、いかなる方法でも税をとるということは合理的なことでありまして、それだけを免税的な考えで措置するという考えは、これは持つてはならないと思うのでありますが、いかにも事務的に困難だろう。そこに問題点があるのです。結局は名義書きかえを譲渡ごとに完全にするということは、事務的にできないことでありまして、ただ理論的に考えられるが、このことができてこそ、そこに一つ一つのそういう問題も考えられるし、また今お話の通り証券業者にそのことを委託して、それが名義書きかえはしない範囲においても、それらの点においても徴税ができるかどうかという点でございますが、これもいわゆる遊興飲食税その他のものが、これは今のようはなお捕捉しにくい対象ではあると言いながら、業者にすべてがまかされている税というものが、はたして正しく入つているかどうかということを考えてみますと、なおさら一層その感が深いのであります。私も主だその点につきましては、研究も足りないのでありまして、一層また勉強させていただきたいと思います。今の御意見は十分参考に拜聽いたしておきます。
  22. 宮幡靖

    宮幡委員 時間が過ぎてはなはだ恐縮ですが、再評価の問題につきまして、三宅委員からお尋ねがありましたが、まだひとつ金子先輩の御研究の一端を伺うことができない点があるので、それを簡單でけつこうでありますからお答えいただきたいと思います。現在退職積立金を持つております会社、この退職積立金は現在の株主に專属するものであるかどうか。もしその状態において増資をいたそうといたします場合には、新しい増資株式に、株主総会において特約をいたしまして、旧株主に專属するものであるという特約をいたしますと――その場合に商法の観念から行きますと、株主の不平等という観念も生れて来るかもしれません。しかしこれは研究の余地のあることであります。專属する決議が有効に成立いたした場合に、増資ができる。こうなりますと新たに発券されます株式は、すなわち商法上の劣後株、こういうことになると私は考えるのであります。従つてこれを早期に繰入れて処理をいたさなければ、実質上の増資ということ――現実の資金を流入させます増資ということを阻害しておるわけであります。これは專業家の方々は十分いろいろな面において実際ぶつかつておるだろうと考えておりますが、早期繰入れに金子先輩の御意見は愼重の考慮を要する、むしろ早期にやるべきでないという一つの構想が流れておるように――私ども誤解かもしれませんが、伺いましたが、早期に繰入れなければ、実質上の資本増加ということは困難であると私は考える。この点について簡單でけつこうでありますから……。
  23. 金子佐一郎

    ○金子公述人 再評価の資本繰入れにつきまして、この無償株をかりに交付するといたしますれば、その受ける株主が、再評価時以前の株に対して、いわゆる旧株に対してなさるべきであつて、再評価後に増資した新株に対して割当てることは不合理ではないかという意見は、われわれ始終大分やりました。やりましたけれども、結論は結局そういう点においては不可能だ。理論的には一応そう考えられるようであるけれども、現在投資をしようとする新株についても、その株主平等権の見地からしても、また現在の株価というものが、かりに新投資において、他は五十円で出すならともかく、もしもそれ以上の株価で売り出された場合においては、すべてそういう企業の中に一切含まれている実力というものを加味されて投資を促されるものであるから、これはそういう点で線を引くことは無理であるということを言われました。それからもう一つは、かりにこの資本金に繰入れるということが、株を発行せずして、繰入れも法的措置によつてはできるのであります。それは先ほど繰返して申しまするようですが、商法二百九十三條の三において、株式を一応発行しないで資本にこれを振りかえることもできるのであります。こういう措置も考えてしかるべきだと思うのでありますが、結局一部分をまず資本に組み入れて、そうして無償株を交付する。そしてまた第二の資本に繰入れる段取りになつた場合、前に発行した無償株にもそれがまた行くのかどうかというような問題にまでも、この問題は議論しておると発展いたしまして結局この資本繰入れ時におけるところの株式に対しては、全面的に一株に対して幾つというふうに、平等にこれを交付すべきであろう。またそれでなければ、結局事務的に処理がつかぬという結論を得て、現在自分はそう考えております。
  24. 宮幡靖

    宮幡委員 もう一つ、これは事務的なお尋ねでありますが、私の手元へ、経団連から参りました退職積立金に対する要望書を頂戴しました。現在特別委員会において毎週金曜日の午後二時から検討を加えておる一つの議題となつておるわけであります。その要望書の末尾には、金子先輩の御陳述と違いまして、退職金に対する免税の措置を講ぜられたい。切り離して、別個に免税の措置を講ぜられたい。こういう強い御要望であります。どうかこういう線にしたいと思つて研究をいたしておるわけでありますが、御公述いただきましたのは、半額控除、低税率、こういう御公述で、これも穏当だろうと思います。しかしながらその要望書をそのまま拝見いたしまして、かりに免税の措置を講じたと仮定いたしますと、企業が積み立てます退職積立金に対しましては、現在と同じように課税するのが妥当だと思います。御説の中に、退職積立金課税免除しろということでありますが、もし最終給付におきまして、その退職給與を受けます方が免税されるという段階におきましては、企業内の退職積立金の留保には課税するのが租税理論として正しい。実際に支拂つた場合には、これは積立金の流用として損金にすべきだと思いますが、この点、公述の中で、要望書との間に若干矛盾を感じましたが、その点ちよつと御意見を承りたい。
  25. 水上達三

    ○水上公述人 ただいまの御意見で、ちよつとお考え違いでありはしないかと思われる点がございますが、法人税において退職積立金課税するということは、結局は課税をしないと同じことであるということでございまして、主観的の問題であります。というのは、退職金は経費で拂うのでございます。従つて損金に認めなければならないのであります。ただあらかじめ何年か先に拂う積立金を今積み立てておけば、それは引当金という確定債務でないから課税する。拂つたときには、その拂つただけ、それから引出されただけ税金は返してもらえるのであります。結局は課税する意思がないのであります。ただ主観的に課税がなされるのでございますので、結局退職積立金課税をしないでおきますれば、一旦とつてあと返してもらえるのを、最初からとらずにおくというだけの措置でありまして、これは主観的な問題だと思います。従つて退職金の免税なり、あるいは軽減措置というものとは、一応関連性がないと考えております。
  26. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 それでは休憩いたします。午後は一時半より会議を開きます。公述人の都合もありますので、定刻に会議を開きますから、御出席を願います。     午後零時五十二分休憩      ――――◇―――――     午後一時五十六分開議
  27. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 午前に引続き公聽会を続行いたします。  公述人意見を聽取いたします。大阪銀行副社長堀田庄三君。
  28. 堀田庄三

    ○堀田公述人 私大阪銀行の堀出であります。はなはだ失礼ですが、ちよつとのつぴきならぬ所用を持つておりまして時間がございませんので、本日は税制改正今般にわたつて意見を述べたいと思いましたが、やむを得ず私の関係いたしておりまする金融機関の立場から、それに関連する部面につきまして、特に意見を述べさせていただきたいと存じます。  なお一言その前に全般にわたつてのごく簡單意見を述べさせていただきまするならば、今回の所得税改正におきまして、税全般にわたつて七百四十億のうち、六百十数億が直接の所得税軽減になつておるのであります。それに基いて午前中論議がありましたように、かなり社会政策的な線が盛られておりますことは、いまだ十分とはもちろん申されませんけれども、大いに改善の跡を見ることができるのでありまして、非常に御同慶にたえぬと存ずるのであります。しかしながら一面におきまして、二十四年度の財政の締めくくりにおいて、税の滯納になつておりまするものが四百三十五億、それに前年度からの繰越しを入れますると、滯納が実に千二百五十八億になつておる。本年もおそらくこれに劣らぬ滯納を控えておることと存ずるのであります。これを一面別な角度から見ますると、この滯納があるにかかわらず、財政が黒字であるという実体は何を物語るかというところに問題があるのではなかろうか。これだけのものをとらずにおいて、しかも財政が黒であるということは、見方によれば計画としてはとり過ぎではなかろうか。もつと端的に言うならば、正直に納めた者が非常に苛酷な税をとられた結果になるのではなかろうか。どうかこういう面におきまして、一層の徴税の実をあげられて、それを積極的な税の軽減に充てていただきたい、こういう感じがするのであります。ことに昨年度十二月末現在における徴税の成績を拝見いたしますと、源泉課税の分におきまして約七一%、申告所得において四四%の成績であるというふうに聞いております。これを見ましても、主として源泉で課税されておるところの勤労階級の負担が、軍過ぎるというふうに考えざるを得ないのであります。かれこれ考えまして、一層勤労階級の税負担軽減することに、今後とも御配慮が願いたいと存ずるのであります。  さて私が意見を述べたいと存じまするのは、今回の改正のうち、井藤教授が午前中申されました三、四の項目中、資本蓄積に関する部分につきまして、特に金融機関としては預貯金等の課税にあたり源泉選択を認め、その税率を百分の五十とする。この問題について主として意見を述べたいと存じます。なお資本蓄積の一連の措置といたしまして、法人税においては積立金に対する税金を廃止する、あるいは新規の機械設備等に対して償却を厚くするという二つのものがございまするが、これは午前中金子氏から述べられたところと、私はまつたく同意見でありまして、今回の改正案を見、賛意を表するものであります。金融機関といたしまして最も関係いたしまする預貯金利子に対する源泉課税の問題につきましては、かねて金融機関から再々陳情をいたしておりました問題でありまして、今回このことが実現の運びになりましたことを、非常に喜びといたしておるのであります。  結論から先に申しますれば、これに賛成を表するのみならず、金融機関といたしましては、従来より熱心に陳情いたしておりまするなお多くのものが、今回の改正から漏れておることを指摘いたしたいのであります。それは無記名定期預金復活していただきたいということと、預金者貯蓄組合預金の免税点を、現在三万円となつておりまするものを、十万円程度に上げていただきたいということと、預貯金利子の支拂い調書に対しまして、千円以上を報告いたしておりまするものを相当引上げていただきたい。なお富裕税の取調べにあたりまして、同法第三十六條に規定いたしておりまする預貯金の報告義務につきましては、過般一時中止されたのでありまするが、引続きこれを恒久的に中止を願いたいという問題、さらに金融機関といたしましては、かねて貸倒れ準備金に対しまする免税の限度が、一般法人並に貸金の百分の二に達するまで、毎期貸金の千分の三あるいは所得金額の百分の二十に相当する金額のいずれか低い方を準用することになつております。もつとも昭和二十七年三日までは、毎期貸金の千分の六あるいは所得金額の百分の三十の繰入れが認められておるのでありまするが、明年三月以降はこれが一般企業と同様になりますにつきましてこれをひとつ改めて増額を願いたい。その理由は後ほど申しまするが、要するに金融機関は預金者の預金を全額、むしろそれ以上に貸出しに向けており、見方によればきわめて安定を欠いた状態にありますので、万一に備えるために外部に奉仕するのではなく、内部の準備金として積み立てるのでありまするから、総額百分の二の積立てを、百分の五ないし十くらいまで上げていただくことが望ましい、こういうふうに考えておる次第であります。  それからいま一つは、税務署の取調べにあたりまして、従来しばしば摩擦を起しておるわけであります。税務当局におかれてもいろいろ手かげんをいたしていただいておることは、よくわかるのでありますが、とかく所得所得源を探求するために、これを銀行預金にお求めになるような風習慣行があるように思うのであります。これは幹部の方にお話すればよくおわりになつておるのでありますが、実際の現場を扱われる方々においては、ともすれば銀行の預金者の取調べということが、何か違法があるとか、脱税があるとか、あるいは犯罪の嫌疑があるとか、あるいは相続税についての取調べ上必要であるかといつた場合に、銀行の取調べをなさることはもとより当然でございまするが、そうでなく、むしろ銀行の預金から逆にその所得がどうして来たかというふうに、銀行の預金をよすがとして所得を探求する方便に使われるということになりますると、銀行に金を預けると何もかも全部洗いざらいにつつ抜けになるという不安がありまして、過般いろいろと問題を起こしておるのであります。こういう点につきまして、どうか先ほど申しましたように、銀行をお調べになる場合にはその必要なる、やむを得ざる限度にとどめ、預金者心理を無用に制激しないようにする、こういうようにおとりはからいを願いたいと思うのであります。  さて私が以上の要請なり論旨を進めまする根本の理由は、資本の蓄積ということが日本の経済の現段階において、いかに必要であるかという問題から出発するのであります。午前中井藤教授のお話によりますと、資本の蓄積も必要であるが、それは方々のつり合いを考えると、そのことに税的な措置において重点を置く限りにおいては、他との均衡を失する、あるいはそのことが租税体系の一画をくずす結論になりはしないかということにおいて、趣旨は認めるが、やはり根本の理論的な方向からは、反対であるというふうにお話があつたように記憶するのであります。この理論は今に始まつたわけではなく、大よそわれわれが知つている限りにおいては、日本においても大蔵省等の内部において、銀行局と主税局の間には絶えず戸の論争が繰返されておつたところでありまして、世界各国の例を見ましても、こういう問題はしよつちゆう論議の対象になつておるのであります。そこで私はこの理論が間違つておるとか、それに対して異議をさしはさみたいという考え方は毛頭ないのであります。純粋の租税理論あるいは公平の理論から申しますれば、まさにそういうお考えが正しいであろうと存ずるのであります。しかし問題は、現在日本が置かれておる経済情勢、並びに日本が一日も早く自立態勢をとるために、何を第一義的に必要とするかという問題とにらみ合せて、考えるべき点であると思うのであります。今日やはり資本の欠乏という問題ほど、日本の自立経済に大きな支障はないのであります。勝つたイギリスがあの程度の苦難をなめて、今日日本よりもなおいろいろな角度で耐之生活をしておるわけであります。そういう中におきまして、破壊された設備を復興するだけでも容易なことでないのであります。それをさらに戰前の生産活動に移すために、いかに資本が欠乏しておるか、そういう段階におきまして、本来ならばほかのことはしばらくおいても、この際資本を充実するために臨時の非常措置をとつても、あえて行き過ぎではないとさえわれわれは考えおるのであります。もちろんそのために社会政策にブレーキをかけるとか、そちらの方を遅らせるという考えは毛頭ないのでありまして、でき得べくんばその方も並行して行きたい。しかしそのほかの考え方から、資本蓄積を遅らせるような措置はこの際断じてとるべきでない、こういうふうに考えておるのであります。金融機関におきましては、御承知のようにいろいろな角度から預金を集めて、それを産業資金として動員することに努力をいたしておるのでありますが、いまだ十分な効果が上らず世間からもいろいろと御批判を受けておりますことはよく存じておるのであります。現在どれだけの預金があるか、それが戰前とどれだけの比率になつておるかということを、御参考までに申し上げてみますならば、昨年十二月末における全国銀行勘定の預金は、一兆一千百九十六億円に達しておるのであります。しかるにこれを物価指数で逆算いたしますると四十二億円にしか当らないのであります。昭和十年の例と比較いたしますると、昭和十年には預金が九十九億五千万円ありましたのでありますから、現在の厖大な額に見える預金は、約四一、二パーセントにしか実質的には当つていないのであります。しかもその中に占めておりまする安定性のある預金は、定期預金を例にとりまして数字を調べてみますると、現在におきましては約一兆一千何がしのうち二五%が定期の額であります。しかるに昭和十年の九十九億五千万円のうちに、定期はどれだけあつたかと申しますと、約六〇%を占めておつたのであります。こういうふうに考えますると、その量におきましても、質におきましても現在の預貯金額はいかにも貧弱な額にしか達しておらないのであります。それに反しまして産業活動の方は非常な無理をして急遽設備を復興し、かつ生産を向上させて参りまして、昨今ではGHQの統計を見ましても、重要産業の工業生産は一〇〇%をほぼ越しておる。つまり戰前の域に大体において平均して達しておる状況にあるのであります。これはそれだけの非常に多くの産業資金の需要を意味するものでありまして、実質的に昔の四二%くらいの預金をもつて、現在それだけの生産活動をやるために、いかに多くの産業資金がいるかということは想像に余りある次第であります。かるがゆえに、われわれは預金を全部貸し出してなお足らず、日本銀行からの借入れに仰いで、その供給を間に合せておるわけでありまするが、なおかつ至るところに深刻なる金不足が展開しておるわけであります。少し余談になりますが、われわれがいわゆるオーバー・ローンとして預金の一〇〇%以上を貸し出すということは、これは銀行経営の常道からはいかにしても考えられないような行き方であります。試みに外国の例をとつてみますると、アメリカにおきましては、銀行は平均預金の三〇%ないし三五%の貸出しをいたしております。英国におきましては大体二五%前後であります。最近著しき例として、カナダの銀行は二〇%前後の貸出ししかいたしておらないのであります。むしろ銀行は優良なる企業への貸出しをあせつておるような状況にあるのであります。日本の現状とにらみ合せまして、まことに思い半ばに過ぐるものがあるのであります。こういうふうな状況下におきまして、かなり銀行の常識をはずした経営までいたしても、なお金が不足であるということは、せんじ詰めれば銀行に金が帰つて来ない、預貯金として集まつて来ないということを意味する結果にほかならぬと思うのであります。しからば、それはどこに一体原因があるのであろうかということを探究いたしておみますのに、もちろん貨幣価値の不安定という問題もありましよう。将来またインフレが再現するということもありましよう。なお過去における苦い経験ということもありましようが、それらをしばらくおくといたしましても、現在最も預金者の心理に響いておりますのは、預金の秘密性保持という問題であります。銀行預金をすると、それが税の対象になり、元も子も現われるというようなことがかりにありとすれば、銀行に金を持つて来る人はだんだんなくなつ来るわけであります。これはそういう不正な考え方、あるいはそういう不透明な行き方を国民がするのが間違つておると言えば、それまでであります。しかし事実おおいがたい事実として、銀行の秘密が漏れるということによつて預金が逃げるという関係を、いかんともすることができないのであります。その例といたしまして、過般富裕税の申告を十二月末日現在でするという告示が大蔵省から出ました場合に、たまたまそれが新聞に漏れまして、私は大阪に滯在いたしておりましたのでありまするが、四日間滯在いたしまするうちに、その富裕税についての新聞が出た日より四日間に、大阪市内における銀行の預金が十一億著減いたしたのであります。これは全国の統計は定かでありませんが、おそらく莫大なる数字になつておると思うのであります。こういうぐあいにきわめて敏感に反映する。これは法律をもつて縛ることもできません。いろいろな強制をもつてこの預金者心理、経済心理をチエツクするわけにも行かないと思うのであります。またそれだけ日本の民衆の公徳心が遅れていると言えば、それまででありまするが、しかし現にそのために産業資金がますます枯渇し、金詰まりが解決しない。そのために自立経済が遅れるという事態に直面しては、目をおおうわけには行かないと思うのであります。こういう意味から申しまして、私はこの際どうしてもかりに理論的に筋が通らなくても、敗戰後日本経済を建て直す捷径といたしまして、しばらく非常措置をお願いしたい、こういうふうに考うるものであります。そういう意味合いにおきまして、今回の預貯金利子に対しまする源泉選択をお認めくださいましたことは、まことに私は時宜の措置であると存ずるのであります。なおこれについていろいろな御意見も午前中にございましたが、要するにどちらが大事か。つまり理論通りに行くならば何も政治はいらない次第でございます。明快なる理論ですべてが割り切れるわけでありまするが、政治は生き物である。そこにむずかしさがあるのではなかろうか。してみれば、生きた政治を生きた経済の実情に照し合せた方法をしばらくとつていただくことが、やはり国政の運営上必要な方策ではなかろうか、かように存ずる次第であります。無記名預金復活をお願いいたしますることも、またこういつた一連の考え方であります。源泉課税あるいは無記名預金は、高額の所得者あるいは有産階級を益するもので、無産階級あるいは零細な預金者には何も関係がないのじやないかというお話も、必ず出るであろうと思うのでありまするが、その方面はまた別に、先ほど申しました預金者貯蓄組合の免税限度を上げることで、救済をいたして行きたい。なお今回の減税の全般を見ましても、所得税における六百何十億かの軽減は、あるいは扶養家族の点において、あるいは基礎控除の点において、かなり社会政策的な線が盛られ、そこに費されておることから考えましても、この問題と別に、先ほど来申しましたように、社会政策の線は別に進めていただくということで双方相補つて行けばいいのではなかろうか、かように存ずるのであります。富裕税の申告の問題も、これまた冒頭に申しました考え方と同じであります。  そこで先ほど来申しましたことに全部盡きると思いますが、要はこの際やはり日本の経済を建て直すために、資本蓄積に関するすべての問題をそれぞれ暫定的に有利に取扱つていただく、こういうことにお願いしたいと思うのでありますが、同時に私はこの際しみじみと一つの世相について考えさせられるのであります。それは政府が税の問題についていろいろ資本擁護をやられ、蓄積のために補助政策をとられるということだけで、はたしてわれわれ国民としていいのであろうか。あるいは国民の先頭に立たれる国会議員の方々においても、大いにひとつ国民の指導をしていただく見地において、考えていただくことがないであろうか。これはドツジさんも指摘いたしましたように、減税したものがはたして蓄積にまわるかどうか、全部消費にまわる懸念はないかという点にも関連するのであります。巷間に見ておりますと、なかなか消費が盛んに行われつつあるのであります。クリスマスもやれば正月もやり、忘年会もやれば新年宴会もやる。あるいは冠婚葬祭に至りましては、この敗戰国がほとんどまた戰前の姿に返つてしまつたような感じがするのであります。ここにおいて国民の資本蓄積に対する心構えと申しますか、受入れ態勢を整える必要はないであろうか。つい二、三日前帰つて参りました私の友人が、英国のロンドンにおりまして、あるカフエーに行つたのでありますが、その席上、三人で行つて三つの紅茶が持つて来られて、三箇の砂糖があつた。それを何の気なしに三箇とも自分の紅茶茶わんの中に入れてしまつたのでありますが、あとでほかの者が砂糖がないのでぽかんとしておる。どうしたのだといつて聞くと、君が三人分を一人で入れてしまつたというので、非常に赤面をしたということであります。また私の友人が、これまたアメリカから帰つて参りましたのが、ある会社の技師として派遣され、向うで非常に優遇を受けて公式のレセプシヨンを開かれたのであります。その席上におきまして、非常に感熱丁重に日本に関係ある――名前は申しませんが、あるジエネラルを自分の隣にすえて、きわめて懇切丁寧なる歓迎を受けたそうであります。その席上の料理が何であつたか、もちろんカクテル・パーテイーということで呼ばれたそうでありますが、文字通りカクテル一ぱいあつただけで何もなかつた。しかしその心盡しは実に誠意にあふれておつた。あの持てる国のアメリカでも、そういうやり方をしておるのであります。そういたしますと、この敗戰国の日本で現在行われつつある、金のないのが金持のまねをし、あるいは酒々としてせつな的な消費に走つておるといつたような行き方に対して、われわれは再考しなくてもいいであろうか。私の考えるところは、敗戰国は敗戰国らしく新生活運動を開始すべきではないか。すべて生活を簡素化してこそ、初めて消費の節約から生ずる蓄積が始まるのではなかろうか、こういうことを痛切に考えざるを得ないのであります。国会議員におかれましても、どうか英国が、アメリカがこの行き方をしているのに、日本がただ税だけを論じて、これで国民の蓄積ができるかということに思いをいたされんことを切望してやまない次第であります。  とりとめのないことを申しましたが、今回の改正におきましては、大部分において私は賛意を表するものでありますが、時間の関係上詳細にわたつて論じ得ないのはなはだ遺憾といたしますが、私の職業に関係する範囲についてのみ、主として述べさしていただいたわけであります。
  29. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 御質疑はありませんか。
  30. 清水逸平

    ○清水委員 ただいまのお話の富裕税徴收について銀行預金の現在額の報告の指令が出た。そのときに大阪で四日間に十一億の預金が減つたというお話ですが、その後においてそれが取消されたという大蔵大臣の声明が出ました。これがどういう形でもどつて来ているのでございますか。
  31. 堀田庄三

    ○堀田公述人 その後徐々におちつきましてやはりまた元の形に返りつつありますが、かりに定期預金で預けられたものも、何らかの形で期限が来て出された。こういうものは再びまだ定期預金にはなつておりません。暫定預金として徐々に返つて来ております。
  32. 清水逸平

    ○清水委員 昨年の何月かに無記名預金が廃止になりました。その無記名預金がどういう形の預金に残りましたか。あるいはその無記名預金が廃止になつたときには、今まで無記名預金であつたものが、そつくり下げられたか、または形がかわつて預金されたか、その金額がおわかりでしたら伺いたい。
  33. 堀田庄三

    ○堀田公述人 この金額について実は私調べたのでありますが、無記名預金制度が、新規に取組むことを中止せよという命令に接したのが二十五年の一月でございます。それで実際上は昨年の九月まではそのまま存続を認めるが、それ以後は存続できないという指令に接したのであります。そこで新規に取組むことができない、ストツプ令をかけられた直前、すなわち二十四年十二月末現在におきまして、無記名預金は千二百億ばかりで、全体の預金の六十何パーセントかに達した。それが非常にえらいスピードで伸びて来ておつた。それが中止になつてしばらく預金が停頓の形になりましたが、その後今やつておりますような割増金付定期預金、あれを記名式にしまして、それに乘りかえさせるようにしているわけです。それが徐々にそちらの方にかわつて来ておりますが、以前無記名預金の伸びたカーブと、記名預金になつて今の割増金の定期預金が伸びるカーブとの間には差が出て来ておる。それと国民所得から申しまして、かなりのものが日々ふえて来ておる。それがもし無記名預金が許されておつたならば、はるかに伸びておつただろうという推測は十分できるわけです。それだけのものが記名式になつては伸びておらぬ、こういうことになつております。それからだんだん減つて参りまして、九月までに全部なくなるべかりしものが、九月までには全部なくならぬというのは、やはりとりに来ない者がありまして、処理が不可能であつたために少し残りまして、現在でも約百億くらいのものがそのまま処理不可能状態でありますが、これは日のたつに従つてなくなるだろうと思います。
  34. 清水逸平

    ○清水委員 午前中の井藤さんのお話では、資本蓄積についてはむしろこういう源泉選択などをするよりも、預金利子を上げる方がいいという御意見でありました。これに対する御意見を伺いたい。
  35. 堀田庄三

    ○堀田公述人 これは今現に出ておる意見でもあります。これについてはよくわれわれも研究しております。現在一番預金を伸ばすのに、預金者に対して魅力となるのは何かという問題になるわけであります。これは極端な利子引上げをすれば、利回りの関係からいいのでありますが、わずかな利上げをしても、現在の預金者にはほとんどこたえない。むしろそれよりも機密性の保持ということの方が、どれだけ魅力があるかわからない、かように思うております。
  36. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 二、三点伺いますから、簡單に御答弁願いたいと思います。預貯金の秘密性を保持するために、税務署もしくはどこから調べに来てもだまつておる。これはもつともな話でありますが、そのためにある預金等が、名前が変更されておりましたり、もしくは無記名であつた場合におきましては、相当数のものがとりに来なくなつてしまつて、そのまま銀行の收益になりはしないかと思うのですが、そういうことになると、それを改善する方法がありましようか。その辺をひとつ承りたい。
  37. 堀田庄三

    ○堀田公述人 銀行はあくまでも預金を時効にかけるということはございません。それを利益の方へ組入れることはいたしておりませんから残つております。
  38. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 もう一点だけ伺います。今のお話でありますと、税務署が高くきめ過ぎたから滯納があつた。滯納があつてもやつて行けるところを見ると、やはり税体系から見て欠点があるのじやないかというふうにとつたわけでありますが、これはやはり正直者がばかをみて、不正直な者が得をしておるというようなことにもなるわけでありますから、この滯納処分に対しまして、何か銀行の方といたしましては考えを持つておられますか。ただ預金をふやすことのみが中心であるというふうに考えられますか。その点を承りたいと存じます。
  39. 堀田庄三

    ○堀田公述人 これは非常にむずかしい問題で、むしろ私の專門外のことでありまして、いかにして税をとるかということは、主税当局が一生懸命御研究になつていてもなお解決せぬ問題で、いわんや私どもはこれに口出しはできないのでありますが、問題は税額をおきめになるときに――ここに專門家がおられますが、いろいろな標準がおありだろうと思います。それが客観情勢の変化によつてとれなくなるという点がいろいろあるのではないかと思います。そこで税をなるべく納めやすいようにしてとるという――今滯納の問題もいろいろ研究されておるようでありますが、極端に言えば、今までの滯納を一ぺんたな上げにしてしまえという意見すら起きておるように聞いております。しかし先はど申されましたように、納めた者がばかを見るということでは、国民感情としても治まらぬだろうから、それをやはり年賦なら年賦にして、納めやすいようにして順次になしくずしにして売る。すでにむずかしくなつた段階の者には、そういつた方法も考えられるのではないかということを、しろうとでございますが考えております。
  40. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 私は昨日だかこの委員会で聞いたことでありますが、幸いに銀行家がおいでになりましたから、堀田さんにお伺いしたいと思いますが、滯納整理ということは、納税にはやはり前にも納税貯金組合というものがあつたわけであります。あなたのような大銀行では必要ないかもしれませんが、前々から納税貯金といいますか、納税組合といいますか、政府も補助してこういうものをつくらしてやつたならば、割合に円滑に納税ができるのではないかと思つておりますが、大銀行ではうるさいと言つて取扱いませんか、どうでございますか。その辺の御構想をせつかくおいでのことでありますから、承りたいと存じます。
  41. 堀田庄三

    ○堀田公述人 その問題はすでに実行しております。今めんどうだから取扱わぬのではないかというようなお話がありましたが、あるいはだれかそういう失礼なことを末端でいたしておることがないとは私は断言いたしませんが、どこの銀行でも、納税準備預金というものは、かなり熱心に勧誘いたしておるはずであります。現に私どもは人まで派して集会をいたしております。それで貯蓄組合とともに納税組合といいますか、そういうものを結成し、同時に納税準備預金というものを扱つておりまして、これは税の非拂い以外には出させないということで、日掛式あるいは月掛式というようにして準備しておりまして、割合に成績を上げておるつもりであります。
  42. 小山長規

    ○小山委員 先ほど来の堀出さんの資本蓄積に対する御意見につきましては、私どもまつたく同感なのであります。ただその場合に、その中の一環として申されました無記名定期預金の問題が、今党としても、われわれとしても、非常な決断の境目にあるのであります。なぜその決断がつかないかと申しますと、一つは、税の公平の観念を破りはしないかということ、しかし税の公平の観念を若干破つても、その税はいずれはとれる税である。今とれなくても二年か三年の後にはとれる税であるということを考えますならば、それは一つの考えとして押し切れそうであります。ただ最後の決断がつきかねるのは、一体この無記名定期預金によつてどれくらいの預金の増加率を望めるか。これが非常な犠牲を拂つてやつただけの効果がなかつたとしたならば、これは政府としても政治家としても非常な問題であろうということが、私は決断のつきかねるところであろうと思うのでありますが、この無記名定期預金復活によつて、最初実施されましたときに千二百億余りに上つた率でもつて、そういうような蓄積が急速に行われるであろうかということについて、実務家としての堀出さんの御意見を聞かしていただきたいと思います。  なおこれに関連いたしますが、無記名定期預金は現在禁止されておりますけれども、債券発行等に関する法律によりまして、無記名の証券は発行を許されております。これをやりました場合の発行余力、あるいは最善の方法といたしまして、自己資本の充実その他によつて得られるところの最大の金額は、どの程度に想定されるものであろうか。つまりその金額が案外に小さいものであるならば、またその他の方法を考えなければならないと思いますけれども、現在の金融機関が無記名の銀行債券を発行し得る発行余力との関連を、実務家としての堀田さんから伺つておきたいと思います。
  43. 堀田庄三

    ○堀田公述人 無記名定期預金制度をやかましく言うが、それを始めたらどれくらい集める自信があるかという、第一の御質問に対しましてお答えすることは、実は非常にむつかしいのであります。今まで私どものやつて参りました経験に徴しまして、的確な数字を申し上げることはむろんできないのでありますが、この無記名定期預金ぐらい、今までできた預金の中で魅力のあつた預金は、預金者にとつてなかつたのであります。自然これを再開いたしますれば、おそらくたんす預金その他のものがこの形になつて吸收されるのではないか。しからばたんす預金その他がどれくらいあるかということは、従来しばしば問題になりますが、これはまただれも的確なことを言い現わせることのできる者はないのでありますけれども、通貨の発行高をかりに四千億とすれば、五%あつても二百億出て来るのではないか。それは新しく掘り出されるものがそうだと考えまして、そのほかに記名式で行つたものが大部分無記名にかわつて来る。こういうものを入れますと、その総和というものは相当のものになるのではないかというふうに考えております。  第二の金融債のお話につきましてはへ金融債と無記名定期預金というものは、本来性質が違うものでありまして、普通銀行が債券を発行できるようになつたということは、あのときの趣旨から申しまして、長期債を発行して長期資金をとるということであつたと記憶しております。そして期限一年の金融債が発行できれば、無記名と同じものではなかろうか、こういうことが言い得ると思いますが、しかしこれはあくまでも性質が違うのではないか。普通銀行というものは、やはり手に汗をして、あるいは汗とあぶら、額に汗をして零細なる預金までも一生懸命集める。つまり預金を集めてこれを貸し出すということが、普通銀行の職能でありまして、これがもし債券で楽に吸收する、大口の債券を集めて預金の方が熱がなくなるということになりますと、それ自体がすでに問題だと思います。それから商業銀行というものは先ほど申しましたように、とにかく預金を集めてこれを短期なものに運用するということが本来の性質であります。してみると債券によつて金を集めて、これを比較的ともすれば長いものに投資をしておるような傾向に持つて行く。これは普通銀行の職能からはずれて来るのではないか。だからイージーな債券主義によつて行くということ自体と、それからその間にやはり短期な運転資金から、長期な設備資金に流して行くような傾向に陥つて行くことは、銀行の性格がかわつて来ることではなかろうか、こういう点も考え合せますと、債券は依然債券、無記名預金は無記名預金、そうして区別をして行くべきものだと考えております。
  44. 小山長規

    ○小山委員 余力は……。
  45. 堀田庄三

    ○堀田公述人 発行余力はこの間の貸倒れ準備金を資本金勘定に入れて、それを引当てにできるという銀行局通告によりますと、全国の銀行で約千百億か二百億になるのであります。
  46. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 次は京橋税務署長中村末蔵君。
  47. 中村末藏

    ○中村公述人 税法改正意見とかあるいは改正要望意見という点につきましては、午前中から各公述人からるるお話がありましたので、私は職掌柄執行面について一言申し上げてみたいと思います。  ただいま議会に上程されておるところの改正案によりますと、社会政策を十分に加味しまた負担の合理化をはかる、なお資本蓄積というような血を取入れまして、大体執行の上から見ますればやりやすい、仕事がしやすいということが言いうるのではないかと思います。ただ欲を申すならば、基礎控除の三万円はいま少し引上げてくれたらどうかというような意見も聞きます。また私もさような意見を持つておるものでありますが、何しろ日本再建途上にある今日といたしましては、われわれ国民といたしましては、この程度でがまんすべきではないかというように考えております。おそらく御質問も多いことと思いますので、説明はある程度で省略さしていただきたいと思いますが、ただ一言この機会を借りまして、おわびかたがた御了解を願いたいと思います。それは終戰以来今日までの間、一般国民から非常に税務署は信用を落しております。税に対する不平不満等は至るところで聞いておるというような実情であつたのでありますが、これにつきましては税務署の職員の陣容、人不足、いわゆる手不足、それに加えるに経験者が少なかつたために、所得の実額を把握することができなかつた。いわゆる見込み課税を多くやつたということであります。それからいま一つは、この間におけるところの経済界は非常に混乱しておりまして、実際においてその所得をつかむということが、なかなか困難であつたということであります。それから第三に申し上げたいことは、一般納税者中、大部分の方が税に対する認識があまりにもなかつた。この三点によつて税務執行上におけるところの摩擦とか、あるいは不平不満等が起つたのでありまして、その一半は確かに税務署が責任を負わなければならないのでありまして、この点重々おわびをいたす次第であります。しかしながら経済界も最近やや安定を保ちつつありますし、また納税者におかれましても、最近深い関心と理解とを持たれて参つております。税務署におかれましてもその後陣容を整え、講習あるいは研究会その他あらゆる機関を通じまして、優秀なる税務官吏を養成しつつありますので、この三者が相一致いたしたならば、近き将来においては相互信頼、税務署納税者を信頼し、納税者は税務 署を信頼して、明朗な税務行政ができるのではないかと信じておるものでありまして、またそうあるべきを私どもは念願しておる次第であります。御参考までにこの二十五年分の個人所得税について、以下状況を申し上げてみたいと思いますが、各署とも本二十五年度分につきましては実査主義を励行しております。調査せずして更正決定はせぬという方針であります。そこで当署における現在までの状況を御参考までに申しあげますと、当署管内の納税者に対しましては、一月中に全部の調査を終了しております。そのうち帳簿が完備しておりまして、收支調査いわゆる收入支出を完全に調査したものが全体の数に対して五分、それから基本調査のいわゆる收入金、売上金、経費等につきましてまつたく記帳がなかつたというものに対する調査が、全体の一割五分に当つております。その他の八割一分というものは帳簿が完備しておりませんで、実額を把握することができなかつたのであります。しかしながら今までの調査とは異なりまして、個人々々につきまして現在商品のあり高とかあるいは雇い人の数とか、その他あらゆる角度から調査をいたしまして、実際に近いところの額を把握したのでありますが、その後本月の十二日から申告訂正と申しまして、署の調査額と本人の申告額が相違しておる方に対しましては、この十二日から署においでを願いまして、調査の内容を説明し了解を求めまして、申告額の修正、いわゆる訂正でありますが、訂正していただいております。その結果は、まだ日が浅いもので、数ははつきりいたしませんが、大部分納税者の方はその説明に納得されまして、修正されておる実情であります。従いましてこの二十五年分の更正決定にあたりましては、できるだけ本人の納得したところの課税をしようというので進んでおります。少くも八割以上は納税者の了解のもとに事を運ぼうという考えでおります。中には相当の所得があるにもかかわらず、申告をこばんでおるという方もあるのでありまするが、これらに対しましては法の示すところによりまして、更正決定をいたさなければならないのであります。従来は非常にその更正決定が多かつたのでありますが、二十五年以降におきましては、更正決定はできるだけ避けようという方針で進んでおります。以上の次第でありまして、この税務の運営がうまく行くか行かないかということは、ひとり徴税者のわれわれのみによつて果すべきものではありません。ことに申告納税制度が採用された今日においては、むしろ納税者の方が十分なる理解を持たれまして、分に応じたところの負担を進んですべきであるという根本信念を持つていただくことがやがては公平なる税務の運営ができるのではなかろうかと思うのであります。執行曲につきましては、いろいろ御不満なり不平なり多々あろうかと思いますが、それらにつきまして御質問がありましたならば、お答えいたしたいと思います。
  48. 奧村又十郎

    ○奧村委員 ただいま東橋税務署長から非常に率直な公述がありましたので、私ども非常に参考になつて喜んでおります。そこで終戰後一時は税務行政がかなり混乱した、これは相済まぬ、そこまでお話になつたが、しかし最近は税務官吏も素質が向上し、また調査も次第に行き届いて来たから、更正決定などについてはすべて実額調査で行く。まことにこれはけつこうと思うのであります。それに関連して一つお尋ねをいたしたいと思うのでありますが、昭和二十五年度の所得の調査が大体行き届いて、この二月十二日からそれぞれ申告者を呼んで話合いをする、これはけつこうでありますが、それまでの調査の過程において、これは大体どういうところを調査なさつたか。つまり店舗の取扱い商品の状態、帳簿その他はもちろんでありましようが、銀行預金の調査をなさつたかどうか。またなさらないとしても、その点の調査において大した万障がないかどうか、この点をお伺いしたい。
  49. 中村末藏

    ○中村公述人 お答えします。銀行調査をしたかどうかというお尋ねでありますが、原則として銀行調査はいたしません。ただ調査上、銀行を調査しなければならないという特殊なものにつきましてはやりますが、それ以外におきましては眼行調査はやつておりません。先ほど堀出さんから話がありましたが、あれは特殊なものであろうかと私は存じております。一例をあげますと、これは私の方の管内ではありませんで他署の管内でありますが、査察が入りまして、ある程度所得はあるという判定を下されたのでありますが、その財産というものはどこに現われておるかということがわからなかつたために、その際は銀行を調査いたしました結果、無記名預金として約五百万ばかりあつたというような事実もありますので、かような場合には銀行を調査いたしますが、普通の場合においては銀行調査はいたしておりません。
  50. 小山長規

    ○小山委員 これは非常に耳寄りなことを伺いました。無記名定期預金でも調査によつてわかりますか。わかるならば、無記名定期預金を別にはばむ理由はないのでありますが、綿密な調査をすれば、無記名定期預金でも税の徴收上さしつかえないという事例があつたわけでありましようか。
  51. 中村末藏

    ○中村公述人 それは普通の場合においては発見がなかなか困難であります。しかしただいましましたのは、それを担保としてその銀行の一方から融資されておつた。その関係上発見が早かつたということであります。
  52. 奧村又十郎

    ○奧村委員 先ほど一時的に税務行政が混乱した時期がある。その時期のあつた理由といたしましては、税務官吏が所得の調査に十分な能力がなかつたというのも原因であつたが、私ども大蔵委員会の見方としては、特に申告所得税などに対して税收見積りが多かつた。無理に税收をあげなければならぬとして、いわゆる国税庁から税務署に対してその年度の申告所得税徴收額、つまり努力目標を割当てた。そういうことが過去にあつたわけであります。それで十分な調査ができないにもかかわらず、努力目標に達するまではどうしても税金をとらなければならぬというので、無理に水増し課税をやつた、割当課税をやつたという税務署が多かつた。それで今回はそういう割当というか、参考指示というか、そういうような話は全然なかつたかどうか、参考のために伺いたい。
  53. 中村末藏

    ○中村公述人 従来とても大蔵省あるいは国税庁から割当ということは受けておりません。現在ももちろん受けておりません。ただ署といたしましては、調査半ばに至りますと、今までの実績によつて本年の総額は大体これくらいになるだろうという見通しは立てますが、その見通した額がすなわち努力目標でありまして、上から指示されたところの努力目標ではなかつたのであります。
  54. 奧村又十郎

    ○奧村委員 最後に一つお尋ねいたしますが、二月末日が確定申告の期日であります。その申告期日までに納税者をそれぞれ税務署へ呼んで話合いをするということは、これは税法違反でない、けつこうであると思う。しかし実際上そのやり方において税務官吏が行き過ぎると、税法を無視した行き方になる場合が、ややともするとあると思われるのであります。すなわち税務署としては、君のところの所得はことしは二十万円と思う。それで書かれたらどうか。もし書かれなければ、どういう方法をもつて調べるかわからぬが、徹底的にやるからというようなことで、多少すごみのある言葉を含まして言われますと、気の弱い君ですと、真に所得はなくとも、どういうふうになるかわからぬというのであきらめて、それを承諾して帰る。こういうことになれば、これは事実上げ税法違反です。あくまでも納税者がみずからの所得をみずから申告して納税するということが、今の税法精神であります。全国非常にたくさんの税務署であるから、そういうことがなきにしもああらずと、今回もわれわれ案じておるのでありますが、そういうことがないという確信が持てるかどうか。その点をひとつお伺いしたい。
  55. 中村末藏

    ○中村公述人 その点につきましては、従来私どももよく耳にしておつたのであります。しかし今までの税のあり方というものは、今年こそ改めなければならないというような気持を持つております。また国税局、国税庁におかれても、さように考えられております。従いましてこの申告訂正にあたりましては、全署員を一堂に集めまして、その点十分注意をしておりますから、おそらく今後はさような点はなかろうと信じております。
  56. 奧村又十郎

    ○奧村委員 まことにその行き方はけつこうでありますが、おそらくそういうふうな行き方で行けば、私の見るところでは、昨年の申告所得税の税額と比べると、実際の税徴收額は半額くらいに減るのではないかというような不安を持つているのですが、その点あなたの税務署で昨年と比べてどの程度まで税金がとれるか。これは特に確定申告に対して所得税の税收見積りについて、これは概略の見通しをひとつお聞きいたします。
  57. 中村末藏

    ○中村公述人 ただいまの御質問につきまして、あまりこまかくお答えすることはどうかと思いまするので、簡單に申し上げたいと思います。  昨年の税金よりも減るのではなかろうかというような御質問でありますが、今日まで調査した実績を見ますと、二十四年中の売上げと二十五年中の売上げを比較いたしますと、二十五年の方が増加しております。收益率という点におき」ましては、朝鮮動乱勃発前までの二十五年の実績を見ますと、幾分利益率は低下しておるように見受けられたのでありますが、その後動乱の結果値上りというようなものがありまして、收益率いわゆる売上げ百円当りの利益率というものは去年と大差ない。むしろあるいは多少よくなるのではないかというように考えておりますが、まだ動乱後の実績ははつきりしておりませんから、はつきりしたお答えはできませんが、今申し上げましたような実情にあります。
  58. 小山長規

    ○小山委員 徴税上のことで若干お伺いいたします。実はこの間われわれのグループで、中小企業の税の指導をされている方を呼びまして、これは東京都でありますが、ガラス張り経営ということで、あそらく署長さんもお聞きになつたことがあるであろうと思いますが、その数字を克明に見せていただきましたところが、税務黒が決定するところの標準率というものと、非常に違うという結論がそこに出ております。そこで、この間これまた私的グループで国税庁長官から説明を聞きましたところによりますと、今度は申告所得税のところでありますが、十分な基礎調査をやつて、そうしてかりに異議の申立て、あるいは再調査の申立てがあつても、再び調査をしないでもいいだけの資料を集めておく、こういう話があつたのでありますが、この二つを勘案して考えますときに、税務署の基礎資料というようなものは、ほんとうに合理的にある一つの事例をとりまして、モデル的なものをとつておやりになるものなのか。あるいはごく大数的なことでおきめになつているのか。最近の実情はいかがでありましようか。ひとつ伺つておきたいと思いすす。
  59. 中村末藏

    ○中村公述人 ただいまの御質問の御趣旨から行きますと、ちよつと離れるかもしれませんが、税務署の調査というものは、納税者個人々々について、その個人に備えつけてあるところの帳簿を一々調査して、その上できめるというのが原則であります。たまたま納税者のところに記帳がないという場合に、初めてこれを同業者からの権衡とか、あるいは先ほども申し上げましたように、在庫品の高とか、商売によつて年何回これが回転するかというようなことを見まして、いわゆる推定をするわけです。調査のしようがないためにやむを得ず推定をするというのでありまして、原則的には、税務署納税者のところへ行けば、必ずその帳簿によつて実際を調べて、その実際に基いて決定するというのが本来の建前であります。ですが、今申し上げましたように、納税者のところにそれだけの帳簿がない。いわゆる申告納税制度なつた以上は、納税者各自が自分で自分の所得を適正に計算して申告納税すべき建前になつておるのでありますから、税務署が調査に行けば、必ずそのほんとうの帳簿によつて、ほんとうの所得というものが計算できるはずです。ところがまだ改正された過渡期とでも申しましようか、全納税者の中には帳簿を備えつけていない者が大部分――先ほど申し上げましたように、全体の八割一分というものが記帳してない。こういう結果、そこに課税上のいざこざが起つて来るのでありまして、いわゆる実地調査、收入を調べ、支出を調べて、はつきりこれだけ所得があつたというものに対しては、まつたく相違する意見は出て来ないのです。
  60. 小山長規

    ○小山委員 今の質問に対してはその程度しか言えますまいが、次にほかの問題をちよつと伺つてみたいと思います。  御承知のように、今度の、税法によりますと、讓渡所得計算が非常にむずかしい。そこでその中で特にむずかしいのは株式の譲渡所得と譲渡損でありますが、これは税務署に現われて来たところはどんなふうでございましようか。つまり株式の譲渡益、譲渡損を申告して来る方は相当ありますか。それとも全然ございませんか。全然というか非常に少うございますか。あるいはそれをどういうふうに指導されておるか。またどういうふうに調査されておるか。その辺の実務を伺つてみたいと思います。
  61. 中村末藏

    ○中村公述人 実務については私あまり明るくないのでありますが、今どの程度にあるかということも、ちよつと記憶に残つておりません。  それから譲渡所得の問題、評価の問題にもなるのでありましようが、市場に現われた株価に対しましてはこれは問題がないと思います。ただ市場に現われない株価の譲渡所得をいかに見るかということは、なかなか困難な問題であろうと思いますが、今度の富裕税と同じように、その場合は一応その会社の資産状態から見て、株価を評価しなければならないということになつて来るので、取扱い方は非常に混み入つて来るのではなかろうかと思つております。
  62. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 簡單に三点ばかり伺いますから、簡單にお答え願います。税務行政の第一線の京橋署長からのただいまの御説明によりまして、五%が全部調査、一四%が基礎調査、いわゆる一九%までは調査した、あとの八一%は調査未了であるということになつておりますが、もつともな話だろうと思います。私も本委員会におきましてそういう線であろうと思つておりましたが、この前の委員会におきまして、主税局長が四〇%までは全部見るというようなことを言つておりましたが、それは東京都内ではいいと思いますが、地方においては困難だと思います。それに対する御意見と、もう一つは調査査察部というものがあります。調査一査察というのはなかなか辛辣きわまるということを言われているのでありまして、調査と査察とわけて、査察の方は国税局に置いて、調査の方は国税局もしくは税務署に置いた方がよろしいというふうな説もあるように思いますが、税務署長さんはどう考えておりますか、承りたいと思います。
  63. 中村末藏

    ○中村公述人 第一間にお答えします。調査は令部したのであります。主税局長の四割というのは、收支調査を四割やるということを申されたのではなかろうかと思います。私どももその線に沿つて、收支調査を全部やるべく調査にとりかかつたのでありますが、いかんせん物税者方にその收支調査するだけの材料がなかつたために、結果においては五分としかできなかつたということであります。その副産物としまして、基本のみわかつたものが一四%あつた。ところが、あとの八一%はまつたく帳簿がなくて、現在商品あるいは生活状態あるいは雇い人の従事員数とかいうようなあらゆる角度から推定して、そうして所得を見出したということであつて、調査としては全部調査したのであります。  それから調査査察部の問題でございますが、これはどうも署長としての意見ちよつと申しにくいのではなかろうかと思いますが、簡單に個人的の点から申し上げます。いろいろ意見はあるようでございます。査察部を独立して、そうして調査課は直税部にくつつけた方がいいのではないか、また調査課は税務署に置く方がいいのじやないかということもいろいろ話を聞き、またわれわれも考えないわけではないのでありますが、今日まで調査課の業績というものは、実に偉大なる数字をあげております。これを税務署に置いたと仮定いたしまするならば、現在までの税務職員の量と質では、これだけの効果を上げることはできなかつたのではなかろうかと思つておるのであります。ただ事務上の連絡という問題につきましては、当初あまり連絡が密ではなかつたのでありますが、最近は調査課と税務署との連絡は相当密になつております。現在においてはあまり支障は来さない、こう考えております。
  64. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 第二点は、法人会とか青色申告会とか、京橋では非常によくできておるという話でありますが、そのためにややもすると、中間のボス的存在が現われておるということを聞きますが、あなたの方はどういう運営をしておられますか。その辺を簡單に承りたいと思います。
  65. 中村末藏

    ○中村公述人 法人会でありますが、これは京橋管内では昨年の八月十一日に結成いたしまして、全法人数は五千六百ほどありますが、そのうち会員になられておるのが千二百法人ぐらいかと思つております。この運営につきましては、最初の目的といたしましては、いわゆる法人の現在までにおけるところの申告状況、二十四年度におけるところの法人の申告状況を見ますと、発生件数、いわゆる申告しなければならない件数に対しまして、五割四分の申告状況であります。四割六分というものは期限後の申告あるいはまつたく無申告である。それがために加算税あるいは泊徴税という余分な税を負担しておる。その余分な税額は申告納税額に対して追徴税が四割、加算税が三割、合計七割という余分な税金負担しておる。本税だけでも容易でないという方々が。税を知らなかつたために余分の税を負担するということは、これははなはだ遺憾に思うというので、この法人会というものを結成して、全法人税法の徹底、取扱い方の注意等を促して、完全なる申告納税をしてもらうべく、この会が発足したのでありまして、発足以来簿記の講習とかあるいは資産再評価税のごときものには、実地指導というようなことまでやりまして、あるいは所得計算方法についての説明会とか、区の公会堂を借りて常に指導に当つてつたのであります。その結果昨年の九月から十二月までの申告状況を見ますと、きわめて良存であります。そうして過少申告も少くなりまして、いわゆる更正決定によるところの増は、二十四年度におきましては四割八分という増でありましたが、昨年の四月以降十二月までにおきましては、三割七分の増加でありまして、きわめて申告が良好であるということは、これによつても明らかになつております。それからその間ややもすると――これはややもするとではなく、ときどき耳にすることでありますが、税務代理行為に抵触するのではないかということも聞かされておりますが、京橋署においては決してさようなことはないと私はかたく信じております。
  66. 三宅則義

    ○三宅(則)委員 斯界の元老である中村署長から、勇猛果敢に現状を明らかにされたわけでありますが、もう一点伺いたいのは、私の多年の持論でありますが、税を公平に負担せしめるには万人が、いわゆるすべての人が負担する、こういう制度が一番よろしいのでありまして、かつての観念から申しますと、私は税籍簿というものを全国民につくつてやりたい、こういう希望を持つておる。たとえば米の配給と同じように、生れてから二十歳になつたならば、必ずこれが全国にまわりまして、どこに移転いたしましても必ず税籍簿がくつついてまわる。そうなりましたら移転したために脱税なつたり、納税を忘れたりすることはなくなります。こういう制度を設けたいと思いますが、第一線に活躍せられておる中村署長はどう思つておられるか。
  67. 中村末藏

    ○中村公述人 それはけつこうなことだと思います。私どもの署長会議等におきましては、ときどき出る問題でありますが、いよいよ実行ということになりますと、なかなか困難で実現を見ないでおる次第であります。
  68. 奧村又十郎

    ○奧村委員 実は先ほど非常に大事な御質問を一つ落しましたので、お尋ねいたします。今月の十二日以後、月末の確定申告に際しまして、各申告者を税務署にそれぞれ呼ばれて話合いをなさる。これはけつこうと思いますが、その話合いの際に税務署の調べでは大体これだけ、それでこの程度申告せられたい、こういうお話になるはずであります。そこで納税者が税務署のその話を承諾して、その通り確定申告を出した場合、その後において税務署が更正決定を絶対にやらないか。税務署で一旦話合いをしたにもかかわらず、またあとから更正決定をやるということが、今まではずいぶんあつた。そこで一体税務署の言うことは、何を信用していいかわからぬということがあつたのでありますが、今後税務署の御指導によつて確定申告を出した場合は、更正決定をやらぬということが言えるかどうか。この点は重大なことでありますが、今度なさつておるその仕事について、その方針がはつきりしておらぬと、あとで困ることが起ると思うので、その点はどういうふうに考えておられるか。
  69. 中村末藏

    ○中村公述人 ただいまの御質問から行きますと、今までといたしましても、確定更正をやつた者に対して、さらに更正決定をしたということは、おそらくなかつただろうと思います。今までの仮更正、いわゆる十月とか、あるいは九月という年の中途において仮更正をやつた場合に、今度本更正のときにより以上の決定をしたということはあつたかもしれませんが、本更正をやり直したということは、おそらくなかつたと私は信じております。それから本年におきましても、この際は本更正でありますから、本更正に対してさらに更正決定をするということはありません。但しその後に至つて、あるいは故意あるいは何かの事由によつて、本人が所得を隠蔽したというような事実があれば、これは別です。それ以外はさらに更正決定をするということはしません。脱税等があつたことを後になつて発見されたという場合には、これはやります。しかしそれ以外にはやりません。これははつきり申し上げてさしつかえないと思います。
  70. 奧村又十郎

    ○奧村委員 まことにくどいようですが、これは非常に大事な問題でありますが、そういたしますと、これは国税局あるいは庁の方も了解の上のことですか。
  71. 中村末藏

    ○中村公述人 それは了解はいたしませんが、当然そうあるべきはずでありまして、今申し上げましたように、脱税しておることが発見されたとかいうようなことは別ですが、それ以外のことにおきましては、さようなことはないはずです。取扱い上から行きましても、そうでなければならないのでありまして、これは国税庁、国税局から別に指示を受けなくても、署長としてはそれくらいの腹構えで行かなければならないのじやないか、私はこう思つております。その課税に、念を押しておきますが、脱税しておつた、一方においてたとえば百万円あるものが、五十万円を特に隠しておいたという事実があれば、これは別です。
  72. 奧村又十郎

    ○奧村委員 そのことはつまり平常の営業について税務署の御調査になつたところを納税者がそのままのみ込んで申告すれば、更生決定はやらない。つまりその事業以外に、特に詐欺あるいは不正の隠れた所得があれば更生決定をする、こう理解してよろしゆうございますか。
  73. 中村末藏

    ○中村公述人 さようです。
  74. 清水逸平

    ○清水委員 先ほど来大分納税者との了解もついて、いい成績を上げておられるようなお話でありましたが、税務署税金の調査に商売屋などに来た場合に、お客様の方が逃げて行くというようなことが往々あるのであります。きようは税務署が来ているから、あそこに買いに行くのはよそうというようなことが、全面的に言いふらされておりますが、これらに対する署長の署員に対する教育というか、訓練についてお考えを承りたいと思います。
  75. 中村末藏

    ○中村公述人 お答えいたします。署員に対しましては、懇切丁寧にしなければいかぬということは、みなを集めるたびに、口すつぱく言つておるはずであります。この点は十分行き届いておると思います。ですが、数多いことでありますから、あるいは中にはその態度等において、芳ばしくない者もあるかもしれませんが、そういう場合には遠慮なく署長なり課長なりに、電話でもけつこうでございますから、お話願いたいと思います。  それからさらに私の方から御注文いたしたいのは、最近やや年齢も高くなつて参りましたが、今までの税務官吏は平均年齢二十二、三歳という者で、物資が不足しておつたために、学帽をかぶつて、げたばきで出たというような時代もありたのであります。かようなかつこうをしまして調査に臨みますと、とかくこの若僧がというように、納税者の方から甘く見られるような場合もあつたかのように見受けております。そうしますと、若いものですからやはり感情にぱつと走つて、そこでいざこざを起したというような実例も耳にしておるのでありますが、最近はそういう点はなくなつております。それから警察よりも税務署の方がこわいということをよく聞くのでありますが、警察も惡いことさえしなければちつともこわいところでない。税務署もその通りで、分に応じたところの負担を完全に果してさえおれば、ちつともこわいところでない。むしろこわいという方は、幾分でも税を少く納めておるのじやないか、こう私は考えております。
  76. 夏堀源三郎

  77. 武田隆夫

    ○武田公述人 私東京大学で財政学を担当しております武田と申す者でございます。税制改正及び資産再評価に関する法案が提出されまして、公述を求められましたので、簡單に私の意見を申し上げたいと思います。  現在わが国の租税負担が、戰争前に比べましても、国際的に見ましても重いということは、いろいろな点からかねがね言われておりましたことでありまして、そういう点につきまして、租税軽減するという趣旨から税制改正が立案されましたことは、たといその程度がいまだ不十分なものであるとは申しましても、きわめてけつこうなことであろうかと思うのであります。特に今日のような国際情勢のもとにおきまして、各国におきましては、逆に増税ということが現実の日程に上つておる時代におきまして、わが国におきまして租税負担軽減を目的とするところの立案がされましたということについては、慶賀する点がなお多いのではないかと思うのであります。しかしながら、そういうような租税軽減をされましたことが、資本の蓄積を増進する、また国民生活を安定させるという趣旨で、今申しましたような国際情勢のもとに提案されたのでありますればありますほど、その提案されました租税軽減、資本の蓄積という立法の中に矛盾があつてならない。そうしてまたそれを審議されます議員諸賢におかれましても、そういう情勢をお考えになりまして、十分に御審議をお願いいたしたいと考えるわけであります。  そういう観点から、以下の意見が申し上げられるわけでありますが、まず今回の税制改革の重要な目的の一つでありますところの、資本の蓄積を助長促進するというねらいについて、考えを申し述べたいと思います。資本の蓄積を助長促進する方法といたしまして、資産の再評価をやる。それから先ほどから井藤教授や金子氏が問題にされました、法人積立金に対しますところの二%の課税を廃止する、同時に、特別の償却を認めるというような点につきましては、私はこういう資本蓄積の法案というものは、今日日本が置かれておる情勢を考えまするならば、おおむね妥当な方策ではないかと考えるのであります。ただ資本の蓄積という点を重視いたしまするならば、むしろ資産の再評価というものは任意的ではなやして、強制的にした方がいいのではないか。同時にその再評価税の軽減、それからその分納の期間、あるいは年々分納すべき額というものについて、前回よりももつとゆるやかなと申しますか、資本の蓄積を助長するような方向に考慮することが、必要ではないかと思うのであります。なぜならば、申すまでもなく、資産の再評価によつて得られますところの評価益というものは、あくまでも名目的なものであるからであります。それから法人積立金に対するところの利子附加税でございますか、それを廃止するということ、それから固定資産の特別償却を認めるということ、これもまたいろいろ税制整備とか統一という点から異論がある点もございますけれども、現在におけるところの措置といたしましては、先ほども申しましたように大体妥当ではないかと考えております。資本の蓄積に関する点は、時間もございませんので、それだけ申し上げます。  次には、所得税軽減措置といたしまして、基礎控除引上げるとか、扶養控除とか生命保險料控除であるとか、そのほかのいろいろな控除が提案されております。そしてその点は先ほど来社会政策的な考慮であるというふうに一括して言われておりますが、そういうような問題について若干私の考えを申して見たいと思います。  先ほども申しましたように、今日わが国におきますところの租税負担が重いと考えられおる点は、いろいろな点から言われているのであります。たとえば井藤教授が言われましたように、国民所得に対する比率をもつてその重さを云々する人もおります。あるいはまた、さらにその国民所得の中から食物費を引いた残りの部分に対する比率をもつて云々される人もあります。さらにまたそういうような租税負担は、あくまで政府の支出の面も考慮して、その支出によつて納税者が受けるいろいろな利益を勘案して、しかもなおイギリスとかアメリカに比べて、国民所得に対する比率は大して違つていないけれども、そういうような経費の面から受ける利益と比べてみるならば、重いというような議論もなされております。しがしながら私の見るところをもつていたしますならば、今日租税負担が国民全部にわたつて非常に重いと感ぜられている最も有力な原因、最大の理由は、基礎控除額が低きに失する。そしてその基礎控除をした残りに対していきなり二〇%、二割というところから始つて、少額の所得に対しても、かなり小刻みに所得を区別して、税率は比較的大幅に五%というような幅で引上げて行く。そういう点に租税が非常に重いという感じを與える、一番大きな原因があつたのではないかと考えておるわけであります。特に所得税というのは、シヤウプ勧告にもありますように、今日におきましては大衆税であります。大衆税という意味は、国民のほとんど大部分が納めなければならない租税であるという意味でありますが、そういう租税の面において国民が国家を最も感ずるわけであります。われわれが国家からいろいろな利益を受けておる。そして常に国家の中に生活しておりますが、最も端的に国家権力というものを意識するのはこの租税の面であり、特に直接税の面であろうかと思うのであります。先ほどから税務署長さんの発言に対しまして、きわめて熱心に御議論がありましたが、それもまた一つの現われではないかと思うのでありまして、国民はさらにそういう点については深い関心を持つているわけであります。ところがそういう所得税におきまして、今日までの基礎控除額というものは御承知のように二万五千円であります。これを改正によつて引上げたといたしましても三万円であります。その三万円の基礎控除というものは、今日のわれわれの生活から見ますならば、とうてい最低生活をまかなうに足りるような額ではないわけであります。しかしながら資本制社会の発展以来、この基礎控除という問題が常に問題にされている。特にこの租税所得税という形でとられるようになつて参りますと、免税点、あるいは基礎控除という問題は、国民の最低生活をまかなうに足る経費に対しては、租税をかけてはならないという見地から常に主張されておるのでありまして、それは決して社会政策的な考慮というべきものではないのではないかと考えております。先ほどから資本の蓄積が今日においてやむを得ない、妥当であるということを申しましたのも、今日の租税は好むと好まざるとにかかわらず、資本主義というものを前提として論ぜられなければならないという点から申し上げたのでありますが、それと同じように、資本主義を前提としてその中において所得税を考えますならば、この基礎控除の問題は、決して社会政策的な問題ではなくして、もつと根本的な資本主義そのものの維持とか、資本主義そのものの発展とかこういうことにかかわるべき問題であろうかというふうに、私は考えておるわけであります。つまり資本制社会における生産の要素であると申しますか、生産の一方担当者であるところの労働者あるいは労働力というものを維持し、それを再生産して行くという点において、そういう面に対しましても租税が食い込んで行きますならば、資本制社会の維持あるいは発展ということは、その面において制約されざるを得ないと思うのであります。さらに先ほど申しましたように、この所得税ということにおいて国民が最も国家というものを感じますならば、その所得税が生活を維持すべき最低額にまで食い込んで徴收されるということになりますと、その点において国民はその国家に対して、あるいは国家がその上に立つておりますところの資本主義そのものに対して、いろいろな点で疑惑をいだくようになつて来る。たとい資本の蓄積が他の面においてはかられまして、日本の経済が自立するようになりましても、そういう日本経済の自立はだれのためになされるのであるか、何のために国家の独立がはかられるのであるかというような点について、根本的な疑問をいだかないということは言えないのではないかと思うのであります。そういうふうにして見まするならば、そのほかの問題が社会政策的な考慮であるとしましても、基礎控除の問題だけは社会政策よりももつと深い問題であろうかと思うのであります。その基礎控除が今日少額であつても、ともかく引上げられるということは慶賀すべきであると思うのでありますが、この三万円をもつてしましては、そしてまた基礎控除に準ずべきものとして扶養控除を入れて考えましても、なおわれわれの最低生活を維持するには足らないのであります。たとえば昨年度東京都の統計課がいたしましたところの、東京都におきまする労働者の家計の実支出の調査がございます。つまり東京都におきますところのごく普通の勤労者の家庭において、実際にどれだけ生活のために費用がかつたかどいう点の調査があるわけであります。その調査によりますと、夫婦で子供が二人の勤労者の家庭におきましては、月一万四、五千円、一万四千幾らという支出がどうしても必要である。それを点検してみますると、やむを得ないという経費ばかりであります。月一万四、五千円を年額に直しますと、十七万円から大体十八万円であります。それだけが勤労者の最低とは申せないかもしれませんが、少くとも生活のために必要である。その実支出のうちで飲食に、つまり食うて生きて行くために、先ほどの私の言葉をもつてすれば労働力を再生産するためだけに必要な経費に――裸でいるわけに行きませんから、それよりももつとかかると思うのでありますが、その経費が大体月七千円から七千五百円、八千円くらいかかつているわけであります。そうしますと、年に飲食の費用だけで八万四、五千円から九万四、五千円かかつてわけであります。そこからは租税徴收するというわけに行かないのではないかと私は思うわけであります。今度改正基礎控除は三万円、扶養控除が一万五千円であります。基礎控除の三万円、扶養控除が家族三名でありますから四万五千円足します。さらに勤労控除現在の一五%を控除いたしますと、八万八千円ばかりになります。これで飲食費だけはどうやらカバーできるという程度になつているわけであります。しかしながら今日におきましては、こういうような年に十七万円から十八万円の実際の所得と申しますか、税を引いた残りを手に入れますためには、名目にいたしまして月一万六千円から一万七千円くらいの月給をもらわなければ拂つて行けないのであります。年にいたしまして二十万円くらいのサラリーをもらう人にして、初めて今日の基礎控除額、扶養控除額をもつてようやく飲食費だけを、租税を拂わないで確保し得るという状態になつているわけであります。しかしながら、年に二十万円の月給をもらうということは、今の日本におきましては中位の――私は東京大学におきまして、助教授では相当古株の方でございますが、大体私くらいの、大学を出て十数年たつた人間が、初めて今の程度基礎控除扶養控除をもつて租税負担にどうやら耐えて飯だけ食つて行けるというような状態になつているわけであります。そうしてみますると今日この程度基礎控除額や扶養控除額をもつてしては、なお不十分であるというふうに考えざるを得ないわけであります。もちろんこの基礎控除額、扶養控除額を引上げるということは、国民全部が納めるところの大衆税である所得税の問題として考えてみますると、今回のように基礎控除について五千円という少しの引上げをもつていたしましても、六百幾らという税法上の收入減になるということを考えてみますれば、早急には引上げられないと思いますが、この程度をもつて十分であると考えられることなく、さらにその引上げに努力していただきたいと思うのであります。基礎控除引上げて高額所得者負担せしめるということは、さつき賛成した資本の蓄積ということと矛盾するかと思いますけれども、再評価をもう一回やつてもよいという考えが出て来るほど、今日の日本経済は收益力を持つて来つつあるわけであります。そういう点からしますと、この基礎控除をさらに引上げて行くということは、必ずしもそう困難ではないと思うのであります。  なおこの基礎控除資本蓄積の問題に関連して、一言申し上げでおきたいと思います。昭和二十六年度の予算は、いわゆるドツジ方式と申しますか、超均衡予算、つまり予算に黒字を出して、その黒字の部分をもつて投資をしたり公債を償還したりするという方式、租税を通じて強制的に蓄積をいたしまして、これを経済に投資して行くという方式は、そういう色彩は相当減つて来ていることは事実でありますが、なお予算についてそういう強制的な蓄積をするという考え方が相当残つている。しかるに租税の面において先ほど来資本蓄積、そのために銀行預金の問題云云という点につきましては、資本蓄積はあくまでもこれは個人の自発的な蓄積にまつという建前がとられているように思うのであります。すなわち大所得者租税負担を軽くしてする。かるいがゆえに余力が生ずる。その余力をなるべく目につかないように銀行に預金をさせる。その預金にもあまり重い利子を課さない。そうしてその預金がこの資本の蓄積のために用いられるというような、いわば自発的な蓄積の方式がとられておる。予算全体になお強制的な蓄積の方式が残つているために、租税負担が全体として重い。そのために基礎控除も三万円程度でがまんしなければならない。税率も下層のあるいは中層の所得者に対しては、相当重い税率をかけざるを得ない。そういう建前はすべて強制的な蓄積という点から、出て来ることではなかろうかと思うのであります。しかるに租税の問題をわれわれが論ずるときには、あたかも自発的蓄積が建前であつて、そういうような強制的蓄積というようなことは忘れると申しますか、考慮しないで論ずる。そのためにこの大所得者に対するところの税率を引下げる。あるいはもつと引上げるべきものを引上げないでおく。それからまた先ほどからいろいろ議論がありますように、預貯金の秘密を保護するとか、その利子についての考慮をするとかいうような問題が、生じて来ているのではなかろうかと思うのであります。むろん今日の日本の実情をもつていたしまして、この預金のルートを通ずるところの資本の蓄積というものがきわめて大きなウエートを持つているわけであります。その点におきましてシヤウプ勧告は銀行に対して非常に風当りを強くいたしまして、銀行は今日貸出しの利率と、それから預金の利率の差が非常に大きい。それは銀行の非能率ということを示しているのである。そういう例はヨーロツパのどの国にもないというようなことを言つたり、あるいはまた先ほど井藤教授が言われましたように、預金利子に対するところの源泉選択制度を認めてそれを軽くするという点も、それは大所得者に対して有利になるだけであつて銀行預金の増加という点からは大して重要なことではないというようなことを、シヤウプ勧告では言つております。つまりシヤウプ勧告におきましては、銀行に対しますところの風当りは非常に強いのでありますが、それも今日におきますところの日本資本蓄積の実際の状態と、それからまた、今日におきますところの国民の納税の道徳の程度から考えますと、シヤウプ勧告のような考え方は行き過ぎであり、日本納税道徳をヨーロツパ並のものに考える、あるいは日本における資本蓄積の特殊性というものを、あまり考えない議論ではないかと思うのでありますが、そういう点におきまして、銀行のそういう資金蓄積に対する優遇、預金の優遇というようなことはいたし方がないといたしましても、なおかつ予算全体として強制的な蓄積の色彩が相当残つている。それに対して租税のことを考える場合には、われわれはいつも資金の蓄積は自発的に行わるべきものであり、事実そう行われておるかのごとくに考える。そういう間に矛盾がある。その結果といたしましてさらに小、中の所得者に対するところの所得税負担が重くなつて来る。そのためにその率はもう少し引上げられるべきところの基礎控除扶養控除というようなものも、引上げられないというような面があるのではなかろうかと考えているわけであります。もう一回強調いたしますと、基礎控除の問題は先ほどから言われましたように、社会政策的な色彩というよりも、資本主義社会そのものの維持発展ということに、もつと密接に関係する問題である。その問題を看過いたし、その問題に対して考慮を拂わないならば、たとい資本が蓄積され、日本の経済が自立するようになるものだとしても、日本の経済ははなはだもろいものになるのではないか。そういうようなことは明治以来日本の資本主義が発展の途上において、常に起つて来たところの方策の繰返しになるのではないか。そういうような点につきまして議員諸賢が十分御考慮くださるならば、今日のような情勢において、こういう法案が出されました意義というものが、もつと有効に発揮されるのではないかと思う次第であります。
  78. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 御質疑はあとで一括してやることにいたします。  その次は全日本中小工業協議会委員長中島英信君。
  79. 中島英信

    ○中島公述人 大分時間がおそくなつておりますから、できるだけ簡單にいたします。それから私は大体中小企業の団体でありますから、本日の問題につきましてもそういう観点から主としても三・四の点について申し上げたいと思つておりますが、その前に一応この基本になる考え方を一言だけ申し上げたいと思います。  税の制度というのは、要するに健全なる国民生活なり、均衡のとれた国民経済の発展を支持して行くようなものでなければならないと考えます。そういう点から見まして、第一点にはやはり国民の最低生活、企業であれば弱小の企業についても、その企業の維持できて行けるような條件をつくり上げて行く。そういうものを脅かさないようなものであるということが、第一番に必要であると思うのであります。そういう点で午前中からいろいろ問題が出ましたが、国民所得に対する所得税税率の大きさという問題につきましても、しばしばアメリカなどと比較をされております。しかし百万円の所得に対する二〇%と言えば二十万円になりますが、十万円に対する二〇%と言えば二万円であります。同じ率ということだけでは簡單に比較ができない問題であると思うのであります。つまり百万円の場合には、二十万円とられてもなお八十万円残るわけである。しかし十万円の場合においては、十万円で辛うじす最低生活を維持しておるという場合には、パーセンテージは同じ二〇%であつても、非常に強い影響を生活に與える。こういうわけでありますからして、軍に国民所得に対する一般的な比率というだけでもつて簡單に考えられない。実際の生活に即して、その税が重いか軽いかということを見て行く必要がある、こういうふうに思います。特に中小企業の場合などは、皆さんも御承知の通りに、税金が納められないというようなことのために一家心中が行われたりします。もちろんその数は少いとはいつても、相当の強い影響を與えているということは、そういう事例にも現われておると思います。中小企業庁で、この前地方中都市の中小企業の金融調査をしておりますが、その場合にも金詰まりの原因の二五%は税金のために困つておるといつたようなことが、その調査の報告の中に出ております。現在においても相当に強い圧迫を加えられておる、こういうふうに見られるのであります。  それから第二点としては、やはり公平な税制でなければならぬというふうに考えます。これはたとえば中小企業の場合でありましたらば、勤労者との比較、大企業との比較、こういつたものにおいて均衡のとれたものでなければならない。さらに均衡のとれた公平という点から見ますと、財政の收入の面と財政の支出の面と両面を見てやはり均衡のとれたものでなければならない、こういうふうに考えます。先ほどから今度の税制改正については、社会政策的な考慮がされておるというようなことがしばしば出ておりますが、今の問題について、たとえば中小企業関係などを見てみますと、税金法人税に対して申告所得税は、大体收入予算の二倍になつております。もちろんこの申告所得税の中には農民その他も入つておりますし、必ずしも商業や工業だけではありませんけれども、大体中小の企業者が国家に納めているところの税金は、大企業者に比較して二倍以上になつておる。実際の生産額という点から見ますと、大体中小企業は大企業に対して六対四くらいの割合になつていると思いますが、税金の方におきましては二対一というくらいの重さでもつてとられている。それに対して財政の支出の面においてどのくらいの考慮がなされておるかということについては、非常に少いということは皆さんも御承知の通りであろうと思います。そういう点も考慮して、均衡のとれたものにして行く必要があると思うのであります。  それから第三点といたしましては、第二点と関連をいたしますけれども、やはり国民経済の今後のあり方、国民経済の進んで行く方向というものと、やはり関連するのではないかと思います。この点については、やはり中小企業日本の経済における地位とか、重要性とかいうものに対する正しい評価というものが、必要であると考えるのであります。ただそれは社会政策的に救済する対象としてだけではなくて、やはりそれを積極的に発展させて行くことが、日本の経済を安定し、そうして安定した基盤の上に立てて行くことになるのではないか、こういうふうにわれわれは考えおります。つまり中小企業によつて多くの労働力がここに吸收されておりますし、現在のような経済制度の基盤となる自由企業というものは、やはり中小企業というものに最も強く発揮されておる。さらにこの上に立つ民主主義的な政治というものも、こうしたところの基盤の上に立てられて行く。こういう点から考えまして経済の復興とか自立のために、中小企業立場というものを十分に積極的にとらえて、その上に立つて考えていただくことが必要である。それでありますから、たとえば資本の蓄積の場合にいたしましても、單に大企業における資本の蓄積を考えるだけではなくして、中小企業の場合においても、同様に均衡のとれた資本の蓄積がなされて行くということが、あわせて考慮されなければならない問題であると考えるわけであります。  大体そういう考え方に基きまして、具体的な問題について若干意見を申し上げたいと思います。一つ基礎控除の点であります。この点については先ほどからいろいろな意見が出ておりますから、重複するようなことはなるだけ省略いたしたいと思います。今も武田さんから相当長い時間お話がありましたから、かなり意が盡されていると思いますが、私らも大体同感であります。と申しますのは、中小企業の中には法人企業と個人の企業とがあります。大よその割合から言うと、中小企業の八〇%は個人企業である。これらの個人企業の中に比較的有力なものもありますけれども、零細なものはいわゆる利潤をもうけるために仕事をしているというよりも、生活を維持するために事業をやつているというようなもの、いわゆる生業といわれているものが非常に多いわけであります。この場合は、生活費のために得た所得に対して課税をされているわけでありますから、大体勤労者の場合とほぼ同様であります。この基礎控除の点について今度その額が引上げられておりますが、この点については非常に賛意を表するものであります。但しその額については、もう少しやはりこれを引上げる必要があるのではないか、こういうふうに考えております。非常に綿密な数字でもつてどのくらいの額がいいかということを計算することは困難でありますが、簡單な例を見てみましても、今日独身の者がまかないつきで下宿をしているという場合には、四千五百円とか五千円くらいとられている。五千円の給料をもらつても、右から左に單に食うだけと住むだけのためにとられてしまう。こういうようなことは東京などでは相当見られるところであります。総理府の統計局で調べております全国の世帶生計費を見てみましても、ちよつと古くなりますが、昨年の十一月当時で一月一万二千九百三十九円、そのくらいの世帶支出がなされているようでありますが、約一万三千円と見まして、しかもその場合には生計が赤になつているようであります。こういう点から見ても、現在の最低生活を維持するためには、三万円というような基礎控除では非常に少いのではないかと考えます。実際はもつとこれは数字をこまかく見て行く必要があると思いますけれども、先ほど武田さんのあげられた数字で見ましても、夫婦と子供二人で月に一万四千円くらいの支出が必要であるというように見られていますが、大体一人の生活費は大都会であればやはりどんなに少くても五千円くらいを見る必要があるというように考えます。これは地方によつて状況が若干違うと思いますし、最低のとり方もいろいろありますから一言点を最低とるかということについては簡單に申せませんけれども、現在の日本の経済の実情と国家の財政の実情という点から見て、極端にこれを引上げることは困難であると思いますけれども、現在の生活の実情から見まして、少くとも一人月四千円くらいの程度のところは、これを考慮する必要はあるのではないかと考えます。つまり年五万円程度までは引上げてもよいだろうというふうに、われわれとしては考えている次第であります。  それから、基礎控除の問題は先ほどからしばしば述べられておりますから、そのくらいにいたしまして、税率の問題であります。税率の点は低所得者の生活にあまり脅威を與えないようにする、また税金が非常に不合理であるという考えを與えないようにするためには、低所得者に対する税率はできるだけやはり少い方がよいと考えます。従つてやはり最低は百分の十から始まるということが至当であります。しかし非常に少い税金をとるために、非常に多くの税務行政費がかかるということは、あるいはまあ不経済であるかもしれませんが、そういう点をどうしても考慮する必要があつて計算上そういうことが不可能であるということであれば、まあ百分の二十はあるいはやむを得ないかもしれませんが、その際には累進して行く率をもう少し緩和する必要があると思います。現在一番困つているのは、やはり年收二十万円以下ぐらいのところであると思いますので、この課税所得金額の点において、十万円以下を百分の二十として、それから累進して行くというような形にするのが、現状においては妥当ではないかというふうに考えております。できるだけ多くの国民に税金負担させるということは、国民の政治に対する関心を高める意味において必要である、こういう議論がありますが、その点はわれわれも反対するものではありません。そういう意味において、負担し得る程度のものを負担することはさしつかえないと思いますけれども、そういつた点を考慮しましても、現在の税率ではなおやや高いと思われますので、もう少し税率の方は引下げる必要がある、こういうように考える次第であります。  それから特別控除の問題であります。この点については、われわれは従来からやはりひとつの特殊の主張を持つております。それは中小工業等における極小の企業者、主として自家労働者でありますが、自分と家族とともに働いているというような小企業者の場合においては、勤労者と同様に勤労控除を認むべきであるということです。今回のこの改正案を見ますと、特別控除が幾つか出ております。大体これらについては私も賛意を表するものであります。もつとも未亡人控除というようなものについては、現在夫はいるけれども病気である、そういうのも一緒に養つておるというような女の人もあるようですし、あるいは外国に行つたまままだ帰つて来ない、こういうようなものはまだ未亡人ではないと思うのですが、そういうものでやはり相当に苦しい生活をしている者があるという点から見ると、この規定ではそういう点に若干問題があるのではないかという気がいたします。なおそうして範囲を広げた場合には、一方において男女同権、または同一労働に対する同一賃金という原則が確立されている今日、若干問題点があるかと思いますが、しかし過渡的な意味においてならば、実情やむを得ざる措置であるというように考えます。勤労学生控除の方も同様で、これもやはり現状としては私は賛成をいたすものであります。もつとも勤労学生といいましても、晝働いて夜の学校に通う者、それから夜働いて晝の学校に通う者、それから晝働いておつて、形の上では晝の学校に通うようになつている者というふうに三つあると思いますが、初めの二つはあまり問題がないと思いますが、第三のものについては、晝学校に行くべきものが晝働いておる、これは非常に苦しい状況であると思いますが、同時にこういう状態をそのまま国家が公認するということは、非常に興味のある問題であるというふうに考えるわけであります。おそらく財政の支出の方においては、晝間の学生が当然晝間に登校するということを前提として、官立の学校に対してはいろいろな財政的な措置がされておると思いますけれども、一方税をとる方においては、来なくてもいいものだということを前提として考えられている。大学の教授の講義というものは、聞いても聞かなくてもいいものだということを、国家で公認するというようなものではないかという点について、若干問題があるような気がいたしますけれども、これも戰後の特殊の事情としてあるいはやむを得ないかもしれません。しかしこれらについては特に問題を出すものではないのでありまして、ただ申し上げたいのは、こういうような面から見てこの特別控除の点については、根本的な検討において若干欠けておるのじやないかというような気がいたすのであります。同じ勤労学生にいたしましても、工場に働いている者は勤労所得控除されて、その上にこの特別控除を受けるということになると思います。ところが街頭に出てなんきん豆を売つているとか、行商するとかいうものは、その分についてだけ控除される。ここに若干不均衡が生ずるわけであります。この場合、工場に行つて五千円の收入のある者は二軍の控除を受ける。ところが街頭でなんきん豆を売つて三千円の收入のある者は、ただ一つ控除しか受けない。一方は労働者であつて一方は小事業者である、こういうふうな形になつて取扱われることになると思うのですが、この点は実際は非常に均衡を失していると思うのです。というのは、私が冒頭にこの特別控除の問題について申し上げましたように、いわゆる中小企業者といわれている中の一番下層の極小企業者というのは、実際はいわば分散した労働者のようなものなのであります。現に親子三人で一日十四時間も十五時間も働いて、一月一万円の收入もない、こういうようなのが相当あるわけであります。一日十五、六時間といいますと、朝八時から晩の十一時、十二時まで働くわけです。そうして收入が一万円にもならぬ。これが事業者として扱われておるわけであります。実際そういう状況は全体的な数字の上にも現われているのではないかと思うのです。先ほどちよつと引用しましたCPSの調査によりましても、一世帶の平均支出は一万二千九百三十九円になつておりますが、同じ年同じ月における勤労世帶の支出というものは、一万三千二百十二円になつていて、かえつてそれの方が多くなつているわけです。なぜそういう現象が起るかというと、いわゆる労働者といわれておる者よりも、こういう零細な企業者の方がはるかに收入が少いということが、相当広汎な事実としてあるためであります。しかもそういう收入の少い極小企業者というものは、資本によつて利潤を得ているというようなものでなしに、自分と自分の家族の労働によつてその生活を得ているわけであります。こういつた事実が非常に明白であるにかかわらず、これに対して措置をしないということは非常に不均衡である。この点は非常に明白な事実ではないかと思うのであります。今日月に三万円、四万円あるいは五万円という收入を得るところの大会社の経営者あるいは高級社員というものは、やはり勤労控除を受けるわけです。しかし家族が全部働いて月一万円の收入しかないというものにそれが行われない。この不均衡をどうしても是正する必要がある。この公聽会で申し上げてどれだけの効果があるか知りませんが、国民の代表として国民の選良としてこれを審議なさる議員の皆さん方には、特にこの点について深い考えを與えていただきたいと考えておるわけであります。  今の点でもう一つつけ加えで申し上げますが、中小企業の場合には、そういうことを言つても、これを捕捉することは技術的に困難ではないかというような反対論が出るのではないかと思いますけれどもこれ旨いろいろありまして、若干そういう部面もありますけれども、下請をやつているような極小企業者になりますと、金の出るところが非常にはつきりしておりますから、この場合などは、源泉課税をしようと思えばできるくらいに、はつきりしているんじやないかと思います。そういう意味において、ただ技術的に困難であるというような点からこれに反対するということは、理由にならないんじやないかと考える次第であります。  最後に申し上げたいと思いますのは、中小企業の中にも、先ほど申しましたように個人と法人とがあります。従つて中小法人の場合と個人企業の場合、若干相違点がありますけれども、実際に課税する場合には、中小法人の場合には個人企業と同じような見方でもつて行われている場合が多いようであります。その意味において中小法人も個人企業といろいろな点において似ている場合がありますが、私が申し上げたいと思いますことは、個人企業法人企業との均衡をとる必要がある。法人の場合にはさらに株主に課税されるという意味で、二重性を持つておる点はありますけれども、これは今回井藤教授も言われましたように、日本の現状においてはやはり法人に対する課税を主とする方が適当だろうと思うのであります。しかしこの場合において法人と個人と比較いたしまして、たとえば今度の税制改正におきましても、積立金に対する法人税の廃止が出ております。この点は同じように個人の事業におきましても、明確な事業の事の積立金に対しては、これを所得に算入して課税するというようなことをしないで、所得から控除するという措置が当然にとられてしかるべきであると思うのであります。普通の個人の事業におきましても、事業の会計と個人の会計とは、一応原則として別にされることになつておるわけですからして、この点は法人だけに積立金に対する法人税を廃止する、個人の場合には依然としてこれらに課税するというような点は、やはりこれも公平を失するものであるというように考えます。  それからこれは直接ここに問題に出ておりませんけれども、その同じような基礎に立ちまして、法人税は一律の課税ではなしに、法人税においても累進課税制度を実施する方が適当である。そういつた形においてとれば、中小法人と大法人と均衡をとることもできるし、法人と個人との均衡をとることもできると思います。つまり所得金額に応じてやることの方が、かえつて公平ではないかという考えから、法人税についてもむしろ累進率を考える方がよいという意見であります。  大体私の申し上げたいことは以上でありますが、全般的に見て、この税の改革において今回税法上の減額がなされたということについては、賛意を表するものでありますが、程度はなおはなはだ低い。そういう点から見ると、なお中小企業に対する顧慮が必要である。中小企業は現在いろいろな面において間接的な圧迫を受けておる点が非常に多いのであります。つまり販売の面において、資材の面において、金融の面において、あらゆる面において企業の條件がはなはだ困難でありますが、税金の面においても相当に困難な状況にありますからして、こういう点を考慮して、もつと中小企業が十分に国民経済の中において、その役割を果し得るように考慮をしていただきたい、そういう点から先ほど申し上げた幾つかの点を、私たちの意見として申し述べたいと思うわけであります。
  80. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 次に総同盟法律対策部長前田正次君。
  81. 前田正次

    ○前田公述人 総同盟の前田でございます。政府が今回国会に上程されましたところの所得税法の一部を改正する法律案を初めとする一連の税法改正案について、その提案の理由の中で、政府は国民の負担軽減をはかる。それから第二番目には負担の公平化と合理化、そうして事務の簡素化をはかる。第三番目には資本の蓄積に資する措置を講ずる。かように説明されております。しかし私たちは今回上程されました各種の改正案が、この額面通りにはなかなか受取りにくいというふう判断しております。  まず第一に負担軽減をはかるというふうに申しでおりますが、この負担軽減につきましては、今までの負担が適当であつたかどうか。適当であつた場合に、それを軽減するということでありますれば、これを額面通り軽減というふうに受取れるかもしれませんが、現在までの負担が過重であり苛酷であり、ないしは無謀なものであつたという場合におきましては、よし若干の軽減があつたとしても――もちろんやらないよりはましですが、あつたとしても、これでは負担軽減というには値しない、かように考える。もちろんこのことは改正される内容に関係して参りますので、内容の際に申し上げたいと存じます。  さらに負担の公平という問題でございますが、負担の公平の原則といたしましては、私どもは負担能力の有無というものに関係するのであつて負担能力のないものに負わせるということは公平でない。従つて負担能力のあるものに、その能力に相応した負担を負わせるということが、私たちは少くとも税制におけるところの公平の原則であろうかと考えておるわけであります。この点におきましても、前段を同じように内容に関係がございますので、今回の改正ではきわめてその点も不十分ではないか、かように考えます。  さらに第三日の資本蓄積につきましては、これは先ほど一橋の先生が申されましたように、その額はきわめて小さいものである。歳入のそれによつて影響するところはきわめて小さいというふうに言われておりますが、この問題は私どもは、きわめてその影響するところが大きいというふうに考えております。なぜかと申しますと、さきに申し上げました負担軽減並びに負担の公平化、この二つの問題との関連から、一方において資本の蓄積という、少くとも能力の限界がそれを上まわるであろうところのものを、さらに蓄積させる措置を講ずるということは均衡を失し、もしくは非常に国民感情を刺激するものになるであろうということを考えるわけでございます。私どもが税制改正に際しましてこいねがつておるところのものは、まず第一にその税制が国民の生活を保障するという基本の上に立てられなければならない。国民生活を破壊するような税制であつてはならない。かように考えたいのでございます。もちろん国民の生活というふうに申し上げましても、国民生活もそれぞれの国におきましてその財政事情、その国の力と申しますか、経済的な力に影響いたしますので、その保障する生活の程度というものにはもちろん問題があるといたしましても、その生活の保障というものが、生存権を脅かすというところまで行つたならば、私は国家としての機能を失つておるものだというふうに考えたいのでございます。  次に税制の改革で特に私どもが考えたいことは、ただいま申しましたような生活保障を賃金の面、收入、所得の面から見るのでなしに、政策の面で見ていただきたい。それが国家の歳入、歳出の予算に当然関係して参りますが、その基礎となるところの税制におきましても、これに見合うような税制が必要であろう。と申しますのは、やはり相当の額を租税收入によつて得なければならないであろうというふうに考えます。従いましてさきに申し上げました生活を保障するために、ある程度所得までは税金の対象とならない社会主義的な政策をさらに進めていただきたい。そのためには相当の收入を得なければならない。まことに相矛盾するわけでありますが、これらは公平の原則に基きまして、負担の公平という点から、能力のある人からこれに相応するだけのものを、ぜひ出していただくという措置を講じていただきたい、かように考えておるわけでございます。  以上の考え方に基きまして、今回の改正が私たちにとつてきわめて不満足なものであるということを申し上げたいと思うのでございます。従いまして私がこれから申し上げますことは、私労働組合関係でございますので、主として俸給生活者関係になるのでございますが、それらの者が希望するところのものはどの程度であり、しかもどういうふうなものを希望しておるかということを申し上げまして、今後の審議にわれわれの希望をぜひ取入れて生かしていただきたい、かように考えておるわけでございます。  まず第一に、私たちはさような立場から所得税改正について最大の関心を持つております。所得税改正の中におきまして、勤労控除の問題が今回の改正では取扱われておりません。これは前にそれぞれ公述されました方々がいずれも述べておりましたように、かつて二〇%の控除でありましたものを一〇%にするというシヤウプ勧告があつたのが、政府の努力によりまして一五%という形で出て参つて、それがそのままになつております。この面につきまして私どもは、勤労控除というものの性格がきわめてむずかしいものであるという点から、ぜひ今回の改正にもこうした点を取入れていただきたいと考えます。  まず勤労控除の場合におきまして、主として国体労働者の場合には、その労働にふさわしいだけのカロリーを補給しなければなりません。従いまして軽労働者と重労働者では、その飲食物費に相当大きな差異を生じて参るのでございます。かような際に重労働者を基準にいたしませんと、重労働者がそれだけ栄養をとることができない。従いまして労働力が低下するという現象が、漸次現われて来ることになるわけでございます。従いまして勤労控除はそうした重労働者を基準にして、相当の額を見ていただかなければならない。この額の見方につきましては非常にまちくになるのでございますが、私どもは勤労控除は三〇%にしていただきたい、かように考えておるわけでございます。三〇%のその限界につきまして、金額でそれぞれ切つてございますが、現実に勤労所得によつて莫大な、途方もない收入を得つておるというふうな者はございませんので、これらにつきましては制限を設ける必要がないであろうというふうに考えております。  さらにただいま申し上げました三〇%の主張の裏づけといたしましては、いわゆる課税対象の完全な把握ということが、先般行われた税制改革の骨子になつておりますが、これが完全に行われておらない。たとえば昨年度の税收入等を見ましても、一千二百億の滯納にもなつておる。しかもこれはなかなか処理ができないであろうというふうに見られておるわけでございます。さらにその裏に相当の脱税が行われておるということは、巷間伝えられるところであり、われわれも否定することができないというふうに考えるのでございます。従いまして勤労所得税を相当確実に捕捉することができるという面、この面につきましては先ほど異論がございまして、そうしたことはない、旅費その他の名目でそうしたことがカバーされておるというふうに言われましたが、旅費等はいわゆる税務検査の最もうるさい費目になつておりまして、そうしたことは実務に携わつておらない方の御意見かと思います。もちろん勤労所得脱税がないと申すわけではございませんが、さように簡單脱税し得るものではないということを申し上げたいわけでございます。さらに、これは国会でも問題になつておりますが、国家公務員並びに地方公務員、公共企業体関係、これらの公的な立場にあるところの俸給生活者は、この面におきましては一切そのような措置がとられておりません。純粋な現物給與でありましても、ある額を越えますと、金額に換算いたしまして課税されておるという状況になつております。従いましてもしさような見解を持つとするならば、これらの点につきましては一段の考慮が携わるべきであつて脱税勤労所得にあるとするならば、完全にないと思われるところのこれら政府関係の企業に対しては、また別段の考慮がなされなければならない道理であろうと考える次第でございます。  次に基礎控除の問題でございます。こまかい数字は省略させていただきますが、先ほど中小企業関係の方が申されましたように、東京都における五人世帶の生計費が、このところ大体一万三、四千円ということになつております。これを独身者に換算いたしますと、大体四千二百円から四千五百円ということになるわけでございます。これはもちろん負担費というものを含んでおりません。従いまして税金を含めますと、四千二百円でありました場合には四千四百円程度、四千五百円でありました場合には四千七、八百円程度ということになるわけでございます。従いまして現在におきましての基礎控除の適当な額としては、やほり四千五百円を下まわるものであつてはならない、かように考えるものでございます。従いまして年五万四千円ということになります。しかしながらこれは現在をもつて申し上げるのでございまして、最近急激に変動しつつある経済界の動向は、インフレの傾向を帶びており、しかもその傾向は相当確実な歩調をもつて上昇しつつあります。従いましてこれらの傾向を考慮いたしますときには、さらにこれに上まわるところのある程度のものを積み立てまして、その程度基礎控除の基礎額とすべきである、かように考える次第でございます。われわれが主張いたしますところのものは、まことに税金を軽くするばかりであつて、それでは国家財政が成り立たないというふうな御意見が、反対に出て来るのではないかというふうに考えますが、それらはまた別の面で考慮するところが多々あるというふうに考える次第でございます。その点について触れることは、時間の関係もありますので省略いたしたいと存じますが、やはり主として固定資産と法人所得というものを、大体われわれはその対象としておるというふうに考えていただきたいと存じます。  次に第三番目の所得税のそれぞれの率でございますが、これらの率につきましても、私どもは刻み方が非常に低いということと、五五%で打切るという措置には賛成し得ない。私たちは負担の公平化というものが、それによつていわゆる国民生活を安定するという考え方に立ちまする場合には、より大きい收入がありまするならば、それに見合うところの税金を納めていただきまして、それによつて私たちの希望するような形にしていただきたい、かようにいたします。五五%百方円というふうに切る必要はないというふうに考えておるわけでございます。大体におきまして五万円程度までは一〇%にしていただいて、二十万円程度まで一五%というふうな形で進めていただきたいというふうに考えるわけでございます。  第四番目に扶養家族控除の問題でございます今回の改正におきましては、現行一万二千円を一万五千円というふうにしておりますが、これにつきましても、東京都の生計費からそれぞれ割出しました成年一人当りの生計費は、先ほど申し上げた通りでございますが、家族の指数というものは年齢別で相当違います。従いましてさようなことを税制に取入れるということは、必ずしも適当でないので、大体それの三割方を減じまして、家族一人に対して三万円程度控除をしていただきたい、かように考えるわけでございます。  次に十條製紙の方が申されました退職手当の問題でございますが、今回の改正にこの点が漏れております。私どもは退職手当につきまして、やはり十條製紙の方が申されました通りに考えておりまして、現実に退職する場合、それが相当長期の勤続であり、そしてすでに他に転じて労働して收入を上げることが不可能であるという状態にあつて、退職して退職金をもらうという形が大体一般的な傾向でございます。従いまして私たちの主張する退職金に関する特例も、そうしたものを大体考えておりますので、これが中間におきます一般的な退職というものは、あまり考えておりません点をあらかじめ申し上げておきます。退職手当につきましては、大体においてその年の收入に含まれておりますが、退職手当の性格は賃金あと拂いであるとか、老後の保障であるとか、報賞であるとか、いろいろいわれておりますが、いずれにいたしましても、退職手当が退職後における生活の資であるという点は大体の傾向であり、そのうち外に出るものは他に転ずる退職者ということになるわけでございます。従いまして私どもが考えておりますところの退職後における生計に資するという面におきましては、課税対象として考慮することなく免税にしていただきたい、かように考えております。しかしながらこれとても限度がございまして、老後保障以上のものになる相当の額でありますれば、たとえば先般放送協会の改組にあたりまして、放送協会の重役のもらつた退職金が、莫大な額であつたというふうに巷間伝えられておりますが、一千万円の退職金という場合におきまして、それを全部免税にするんだというような意味ではございません。少くとも退職後十年程度の生活を行えるために、この程度の額までは免税にすべきであるというふうに考えるわけでございます。  さらにこれにあわせて申し上げますことは、恩給並びに国家公務員共済組合関係の掛金がそれぞれ行われておりますが、この掛金を相当含んでおります退職制度によるところの退職金に、やはり課税されるのが建前になつております。この点につきましては、賃金として支拂われた際に源泉課税が行われ、なおそれが掛金として納め、それに見合う程度のいわゆる国家の醵出金を加えたものが、拂いもどされるわけでございますが、これに課税されるということは、まことに二重課税であるという形が明確に現われて参りますので、この点については別段の措置を講じていただきたいということを申し上げたいのでございます。  次に六番目に労働組合の行うところの事業並びに労働組合の專従者に対する給與、こうした問題があるわけでございますが、日本における労働組合の財政的能力というものは、御承知のようにまことに貧弱であります。かように貧弱な労働組合が、しかも生活にあえいでおるところの労働者からの会費によりまして得ましたところの財政によつて本部の專従者を現在置き、ないしはその人の賃金を保障する形をとつておりますが、このいわゆる役員に対する手当、これにも税金がかかるわけであります。しかしながらこれにつきましては、労働組合が日本の民主化を促進するためのきわめて偉大なる任務を持つところの組織であり、さらに労働組合が日本再建日本経済の自立ということをやはり念頭に置いて、その職場に努力しておるというような点から考えました場合に、そうした組合の專従職の給與を支拂うために組合員からとる会費、これはもちろん源泉課税対象になつたところのものでございます。それから安排われるところのものにさらに課税するということは、もちろんその人の生計費として支給されるのでございますから、課税することが当然だというふうにお考えになるかもしれませんが、もしそれに対して課税しないということになりますならば、労働組合はそれだけいわゆる会費收入というものを減じまして役員の給與の減額を行うことが可能なのでございます。従いまして若干條件が違いますので、労働組合の專従者の給與関係その他人件費に必要なものに関係する税金のかけ方、並びに現在若干の組合が行つておりますところのきわめてささやかなる事業益金、こうしたものについての課税ということについてはぜひ廃止していただきたい、かように考えておるわけでございます。なお労働組合のいわゆる事業に対する課税を廃止いたしました場合に、これが資本家と提携いたしまして、労働組合名義の事業というようなものが出るのではないかというおそれがあろうかと存じますが、その点われわれも全然ないとは思いませんので、それにはそれに関するところのいろいろな、いわゆる警戒法規というものは御用意あつても一向さしつかえないと存じますが、労働組合の事業並びに労働組合の要するところの人件費に対する源泉課税というものは、ぜひ考慮して廃止していただきたい、かように考えるわけであります。  次に間接税の問題でございますが、間接税につきましては、その奢侈品というのが何をさすかということは、非常にめんどうではございますが、きわめて高価なもの、一般の勤労階級が身につけることもできない程度のものを基準にいたしまして、いわゆる高級な奢侈品については、相当な額を増額していただきたい。そういうものに対して減税措置を行うことは、国民の奢侈的な傾向を助長するものであつて、現在のように困難な経済事情にある日本の選ぶべき道ではないと考えるのでございます。  さらに今回の改正におきましてはいまだ提案されておりませんが、地方税への考慮がどの程度行われるかということがわかりませんので、はつきり申し上げられませんが、地方税への考慮につきましては、さきに申し上げました税率改正に、さらに一段の考慮を加えていただきたい、かように考える次第であります。  次に法人税の一部を改正する法律案の問題でございますが、これは井藤教授が申されました通りにわれわれも考えております。これらの資本蓄積があながち惡いのだと一概に否定し去るという意味だけではございません。私どもは税制というものが国民の信頼が失うような形で行われることに反対するのでございます。従いまして国民生活を破局に瀕せしめたままで、資本の蓄積をはかるという措置は断じて講ずべきではない。きわめて微温的な、きわめてささいな額であるというふうに申されたといたしましても、これらの措置はあげて所得税軽減の面に充てられ、さらにそれを相当の程度まで引上げまして、その以後においてこれらの措置が講ぜらるべきだというふうに考えるわけでございます。さらに一言付言いたしますならば、法人税につきましては、先ほど中小企業関係の方が申しました通り、これに対し三五%一率ということでなしに、やはり累進課税を付していただきたい。もしそれによつて財政收入が多過ぎるというふうなことが起りましても決して心配はございません。それは国家企業に投資をするという形によつて、その資金をぜひ生かしていただきたい、かように考えておるわけでございます。さような形におきましてこそ、初めて民生の安定をはかる措置が講じ得られるというふうに考えますので、その面についてはさらに一段の研究をして、その実施措置を講じていただきたいと考えております。  以上大体私どもが申し上げましたことは、皆様にとつてまことに無理なことばかりだというふうにお考えかと存じますが、これらの点につきましては、いわゆる俸給生活者がすべてそのように考えております。そのように考えておるというのは君だけだというふうにおつしやるかもしれませんが、この点につきましては、勤労者は現在の施政というものについてきわめて大きな疑惑を持つております。食えないという現実と、食い過ぎるという現実が目の前にぶらさげられておるわけでございます。従いましてこのような実態を是正するために、私が先ほど来申し上げました所得税に関する改正を十分考慮していただきたい、かように考えるわけでございます。  次に第四番目に、私は租税等特別措置法の改正案について、中味についてあまりはつきり把握しておりません。はつきり把握しておらないのに、こうした意見を申し上げますことは間違いであろうというふうにおつしやるかもしれませんが、この問題につきましては、日本の経済自立のために外資が必要であるということがあります。もちろん現在でも利用しておりますが、これといわゆる外国人の資産に対する特別措置として、その性格は全然違うものであるというふうにわれわれは考えます。従いまして外国人に対する特別措置、外国人の所得、外国人の資産に対する特別措置というものをなお今後も継続されるような、ないしはその措置を強固にするような措置に対しては、私たちは絶対に反対をするものであります。これがありますならば、日本経済の自立は單にから念仏に終りまして、日本の重要な企業というものに対する日本人の影響力というものは、だんだんなくなつて参るわけであります。従いましてこれらの点は、私が申し上げるまでもなくすでに御承知のことと存じますが、日本経済の自立を日本人の手によつて行うという立場に立ちましで、これらの点について今後の措置を十分御研究いただきまして、現在施行されております特例の廃止について御検討していただきたい、かように考える次第でございます。  まことに簡單なことばかり申し上げましたが、大体において今回の措置資本蓄積という点に重点が置かれておつて、勤労者ないしは国民の財政負担軽減という点につきまして、なるほど額面的には七百四十三億の減税だということに言われておりますが、実際には朝鮮事変等の影響を受けまして、インフレの上昇は必然的に国民所得の増大を来し、従いまして財政的な軽減というものも、実質的な増加になつて来るであろうというふうに、私たちは本年度の経済事情を見通しておりますので、その点につきましては、まつたく軽減にはならないというふうに考えております。従いまして、今回の税制についてただいま私の申し上げました点につきまして、十分検討していただきまして、国民大衆、特に勤労者、俸給生活者の意を安んぜしめるような税制改正を行つていただきたいということを申し上げたいと思います。  以上をもつて終ります。
  82. 夏堀源三郎

    夏堀委員長 御質疑はありませんか。――御質疑もないようであります。以上をもちまして、本日予定しておりました公述人の方全部より御意見を拝聽いたしました。  この際委員長よりちよつとごあいさつを申し上げます。公述人方々には御多忙中にもかかわらず御出席くださいまして、長時間にわたり有益なる御意見を開陳せられ、本委員会といたしましても、所得税法改正その他税制改正案を審議する上に多大の参考と相なりましたことを、委員長といたしましてこの際公述人方々に厚くお礼を申し上げます。  本日の公聽会はこれをもつて散会いたします。     午後四時五十五分散会