○
井藤公述人 お招きにあずかりまして、
税制改革法案に関する
意見を述べさせていただきます。
今度の
税制改革案というものは、申し上げるまでもなく、昨年の秋の第九国会の
間接税改正と特に関連があるのであります。今度の
税制改革案の特性としてあぐべきものは、次の四つではないかと思います。
政府のあげておりますのと少し違います。一番の特性は、
租税負担の
軽減ということであります。それから二番が、
社会政策的考慮をした。これは
政府の
趣意書には書いておりません。それから三番が、
資本蓄積を助長する。それから四番が、
税制の
簡素化その他
税法上の整備をする。この四つが今度の
税制改革の特徴だと思うのであります。そのうち四番目の
税制の
簡素化その他整備の問題でありますが、これは
租税テクニツク的な問題が大分ありますので、これにつきましては私は
公述を省きます。主としてほかの三つの問題、すなわち
負担の
軽減の問題、それから
社会政策的考慮、それから
資本蓄積、この三つの問題を中心に
公述したいと思います。
そこでまず
負担軽減の問題であります。これはきまりきつた
数字を申すようでありますが、一応申し上げます。そこで
昭和二十六年度の
租税及び
印紙收入の合計は四千四百四十五億、これは
予算書の
通りであります。それから
專売益金、これは
租税と同じものでありますが、これがタバコ及びアルコールを含めまして千百三十八億であります。広い
意味の
国税は合計いたしますと、
昭和二十六年度は、五千五百八十三億であります。そのほかに
地方税、これは
推算であり、はつきりした
数字ではありませんが、一部に伝えられるところによりますと、
地方税の合計が二千八十七億円と言われております。両者合計いたしますと、
国税、
地方税を通じて
昭和二十六年度の
租税收入は七千六百七十億であります。それから
昭和二十五年度はどうかと申しますと、内訳はもう省きますが、
国税、
地方税を通算いたしまして、七千四百八十九億であります。そこで差引きますと、
金額からい
つて百八十一億の増税にな
つておるのであります。しかし
金額がふえたからというので
負担が増加したとは言えないのであ
つて、例によりまして
租税とそれから
国民所得の
割合、これによ
つて一応の
負担の
軽減の
程度、または加重の
程度を判断してみたいと思います。それで
国民所得の
数字は、
政府発表の
昭和二十六年予算の説明に出て来る
数字であります。私が
計算したものではございません。そこで
租税の
国民所得に対する
割合でありますが、
国民所得は
昭和二十六年度は三兆七千二百四十億円といわれております。この
租税は
国税、
地方税を通算しての話でありますが、
租税の
国民所得に対する
割合は、
昭和二十六年度は二一%であります。それから
昭和二十五年度、昨年度はどうかと申しますと二三%、それから少し過去をさかのぼりますと、
昭和二十四年度は二九%、これは最高であります。
ちようどシヤウプ勧告の前年でございまして、
昭和二十四年度は二九%、その前の年の二十三年度は二四%、その前の二十二年度は一八%、それからうんと飛びまして事変前の
昭和十年をとりますと、二三%になるのでございます。そこで
昭和二十四年度二九%を最高といたしまして、二十五年度は二三%に下
つております。それから二十六年度はさらに二一%と下
つておるのであります。それで一応
租税負担が
軽減されたといえるのではないかと思います。もちろんこれは多くの人が申す
通り、また私もこの衆議院の
税制改革の
公聽会などでたびたび
公述いたしました
通り、この
パーセンテージに過大の
軍事性を置くということはよくないのでありまして考慮すべきいろいろの事項があるのであります。しかし一応は参考になるのではないかと思うのであります。
そうにいたしましても、
租税の
国民所得に対する比率だけではあまりに大ざつぱだ、もう少し真相に近い
数字がないものか。そこで実は昨年の三月二日でございましたか、やはり
大蔵委員会の
税制改革に関する
公聽会で私が申し上げました別の
計算方法によりまして、今度もまた
計算してみました。それはどういう
計算方法かと言いますと、
租税はさきに申しました
数字をとります。それから
国民所得をとらないで、もう少し
納税力の真相に近い
数字を求めてみたのであります。それはどういうやり方でやりましたかというと、
国民所得が全部
納税力を示すのではなくて、
国民所得の中で、われわれの
所得の中で食費の部分はどうしてもいるものでありますので、これは
納税力がありまん。そこで一人
当り国民所得の中から一人分の食費を引いた残り、これを
負担能力の
最大限を示すものと認めましてそういう
意味の
負担能力の
最大限を
数字で表わしてみたのであります。そこで食費はどうして
計算したかというと、いわゆる
エンゲル係数によ
つたのでございます。そこで
エンゲル係数でありますが、これは私の
推算もございますので多少不正確なところもあるのでございますが、過去にちよつとさかのぼりますと、
エンゲル係数は
昭和十年は三四%であります。それから
昭和二十二年が六五%、この辺が非常に
エンゲル係数が高いのでありましてわれわれの生活が非常に苦しかつたインフレのまつ最中であります。二十三年が
エンゲル係数が六三%、二十四年は六〇%、昨年二十五年は
推算でありますが大体五五%、二十六年度は幾らかと申しますと大体五〇%、正確なものになると仮定いたしまして、五〇%と
推算、むしろ推定するのであります。そこでそういうふうに
エンゲル係数をとりまして、それによる
金額を
国民所得から引いたもの、これをもつた
納税能力の
最大限を示すものと仮定いたしまして、そしてそういう
意味の
租税の
納税能力に対する。パーセンデージをと
つて計算してみたのであります。そうするとどうなるかというと、前の
租税の
国民所得に対する
割合とは
大部計数が違
つて参ります。そこでその
計算をいたしますと、
昭和二十六年度は、もちろん
国税、
地方税通算しての話でありますが、
国税は
昭和一十六年度は四一%となるのであります。それから去年、
昭和二十五年度は五一%、
昭和二十四年度は七二%、
昭和二十三年度は六四%、
昭和二十二年度は五一%、それからずつとさかのぼりまして、
昭和十年は一九%とな
つております。そこでこの二つを――二つと申しますのは
租税の
納税能力に対する
パーセンテージと、
租税の
国民所得に対する
パーセンテージ、この二つを比べますと、やはり一番
租税負担が重か
つたのは
昭和二十四年度でございまして、
租税の
国民所得は対する
割合が二九%、私が今言いました
意味の
租税の
納税能力に対する
割合が二七%にな
つております。これが最高であります。そして
租税の
納税能力に対する
割合を申しますと、二十五年度は五一%に減り、二十六年度は四一%に減
つておるのであります。さりながら
昭和十年度の一九%に比べますと、やはり
租税負担が相当重いといえるのではないかと思います。ですがこれもさきの
租税の
国民所得に対する
割合よりは、より真相に近いというだけでございまして、これもやはり怪しいといえば怪しいのでありますがしかしないよりはましだ、全然ないよりは多少は参考になるのではないかというので、こういう
計算をや
つてみたのであります。これはほんの
一つの参考として問題にされたいのであります。学問的にいえば、これはいろいろ
穴だらけでありますが、そういう
意味で
計算したのであります。
それからもう
一つ全般的のことをちよつと申しますが、これは必ずしも
負担軽減とか
負担の加重の問題でありませんが、それは直接税と
間接税との
割合であります。
昭和二十六年度は
改正でどうなるか、これは
国税のみで
地方税は入
つておりません。これにつきまして
大蔵省主税局でも
計算されておりますが、私の
計算は
主税局の
計算とはちよつと違うのであります。どちらがいいかといえば私の方がいけないかと思いますが、どういう点が違うかと申しますと、
主税局の
計算は直接税と
間接税と、その他のものという
中間階級があるのであります。私は
中間階級やその他がなくて、直接税か
間接税か、態度をはつきりさしたのであります。これが私の
計算であります。これは言うまでもなく、直接税というのは大体資産に累進して
負担するもの、それから
間接税というやつは大体
消費税でありまして、貧乏なものも金持も大体同じ
金額を
負担する、そういうものであります。そういう場合に、中間及びその他のものを認めるということは、確かに実益はあるのでありますけれども、私はやはりその他のものの
金額というものもばかにならないものでありますので、どちらか近い方に整理する方がいいのではないか、そういう
意味で私は前から二つ認めて、その他のものを省いておりますが、その
計算であります。それによりますと、
昭和二十六年度は直接
税会計は三千七十九億円、全体の五五%であります。それから
間接税は、もちろん
專売益金を含めてでありますが、二千五百四億でありまして、全体の四五%であります。すなわち
昭和二十六年度におきましては直接税――
国税だけでありますが、直接税は五五%であり、
間接税は四五%。そこで前年二十五年度はどうかというと、これも私の
計算でありますが、直接税は五六%、
間接税は四四%、ちよつと
間接税がふえておるだけでありまして、大体かわりません。二十四年度はどうかといいますと、直接税が五七%で
間接税が四三%、これもあまりかわらぬ。ほんの少し、一%ずつ動きがある
程度でございます。それから二十三年度はどうかというと直接税五一%に対して
間接税四九%。二十二年度は直接税が五三%、
間接税が四七%。戰争のまつ最中の
昭和十九年度をとりますと、これは直接税が非常に重く六七%、
間接税が三三%であります。それから
昭和十年はどうかというと、事変前でありますが、これは直接税が四一%、
間接税が五九%にな
つております。そこで過去三年間くらいのところを見ますと、直接税と
間接税の比率があまりかわらないのであります。ただ戰争中などに比べますと、直接税が非常に重くな
つておるのでありまして、これをこれだけの
数字で判断いたしますと、
日本の
制度はだんだんと
大衆課税に――惡い
意味の
大衆課税に逆転しておるとも一応とれるのであります。しかし私は必ずしもそうとは思わない。といいますのは、今度の第二次世界大戰におきまして、
財産税の徴收であるとか、戰災であるとか、それから財閥の解体であるとか、その他いろいろな事情で富の
分配関係が平等化したのであります。これはこの前の世界大戰後のわが
日本とは逆でありまして、この前の世界大戰後のわが
日本におきましては、富の
分配関係が不平等化したのでありますが、今度は平等化して参りました。これはこの前の世界大戰後の
門英国と同じ傾向であります。平等化して来たのでありますが、その場合に国をあげて
金持ちの方に平等化したのならいいのでありますが、貧乏の方にさつと切られたであります。これは私もよく言う
数字でありますが、ただ
数字の内容が新しくな
つております。これはこの
程度の簡單な
数字を
ごらん願つてもわかるのであります。それは昨年度の
確定申告者の数です。昨年度確定して、まだ一年ほど前の――精密に申しますと
昭和二十四年度の分でありますが、しかし申告するのは去年の一月申告する、あの
所得税の
確定申告に関する統計を見ますと、
基礎控除以前のものでありますが、総
所得二十万円以下の者がどれだけおるかというと、人数からい
つて八七%であります。それから
金額から申しまして、総
所得二十万円以下の者は六八%であります。すなわち人数からいうと約九割、それから
金額からいうと約七割が、一年の総
所得二十万円以下の者において
負担されておる。二十万円というと相当多いようでありますが、戰争前の、今から十五年ほど前の
貨幣価値に換算いたしますと一千円でありまして、一千円と申しますと当時は二千二百円以下が第三種
所得が免除であ
つたのであるから、いわば今から十五、六年前であつたならば免除であつたような連中が、
所得税の大部分を
負担しておる、こういうような状態にな
つております。そこで直接税は
金持ちが
負担するのだ、
間接税、
消費税は大衆が
負担するのだと申しましても、現在のわが
日本におきましては、
割合にそういうことが言えない、みんな国をあげて貧乏にな
つておるような状態であります。
従つて実際
計算といたしましては、
間接税が非常に
重要性を持
つておる。
間接税は理論的には決していい税金ではありませんけれども、徴税という点、あるいはまた納税という点からいいますと、これは非常に便利なものでありますので、きわめて変態的な現象でありますけれども、現在わが
日本におきましては、やはり
間接税に非常な
重要性があると思うのであります。そういう
意味におきまして、この比率も
昭和十九年度などと比べて、これだけで議論をするのはどうかと思うのであります。
一般的のことはそれだけにいたしまして、今度は内容に入ります。そこで二番目の問題に入りまして、
社会政策的考慮――一体今度の
税制改革で確かに
社会政策ということが考慮されております。それを具体的に申しますと、まず
所得税ではどうかというと、
基礎控除の
引上げ、
金額などは申しません。これは皆さん御案内の
通りであります。
扶養控除の
引上げ、
不具者控除の
引上げ、それから税率の引下げ、これは従来のものを
社会政策的に改めたとも言えるのであります。それから新たに次のような
控除制度を設けました。それは
未亡人控除、六十五歳以上の
老年者控除、
勤労学生所得控除、
生命保險料の控除、これはいずれも
所得税につきまして、
社会政策的な効果があるものといわなければならぬのであります。
相続税につきましては、これも
一つ行われているのでありまして、被
相続人の死亡によ
つて支拂われる
生命保險金につきまして十万円までを控除することとなりました。これもまた
社会政策的といわなくてはならぬのでありまして、この方針につきましては、私は全面的に賛成するのであります。
それで問題は三番の
資本蓄積であります。この問題に移りますが、これは私は結論を言うと賛成できないのです。
社会政策的な考慮が大いに拂われたのであるけれども、この
資本蓄積の問題になりますと、私は今度の
政府案については遺憾とするもので、結論を言いますと反対なのであります。そこでもう少上それを具体的に申します。と、今度の
税制改革で、
資本蓄積という点についてどういう考慮が拂われているか、まず一番は一般的に
租税負担の
軽減をはかる、
租税負担の
軽減をはかるということは国家が金を蓄積しないで、民間の手で蓄積せしめるというのでありまして、これは確かに
資本蓄積の効果があります。私はこれにもちろん反対するのではないのであります。反対したいのは次の三つの措置であります。それはどういうことかというと、そのうちの一番は、新たに取得いたしました特定の機械、船舶などに対しまして、三年間を限りまして
法定償却高の五割
増し程度の
増加特別償却を認めるということであります。もう
一つは
預金貯金の利子の
源泉選択制度を復活したということ、三番目は
法人の
積立金に対する二%の
課税を廃止したということ、この三つであります。これはいずれも
資本蓄積の尊重という立場から、こういう措置がとられようとしているのであります。それでこれは
金額から申しますとみな大したものではございません。一番の
特別償却制度五割増しを認めても、
金額からいうと
政府の資料によりますと、この
減税高が七億四千五百万円、これは
預貯金利子の
源泉選択の復活によ
つて国としては増減なしという
推算を
大蔵省で下しております。
源泉徴收はふえるけれども、
申告納税が減るというので
差引増減なし。それから
法人の
積立金に対する二%の
課税の廃止によ
つて国家の減收が五億四千万円と言われております。そこで
金額からいうと、けちな
金額で大した問題じやございませんけれども、私は問題は
根本精神がいいか惡いか、これを私は問題にしたいのであります。
それからもう
一つ特に申し上げたいことは、こういう
税制改革の問題を取扱う場合に、ただ
一つの局面だけを抽象的に取上げた場合には、減税ということはどんな場合でもよいのであります。たとえば
法人の
積立金に対する二%の
課税を廃止するとい
つても、これによ
つて簡單に
資本蓄積というものは行われるのであります。
法人の
負担を軽くし、それだけ
法人の純益を増し、ひいては
日本経済の復興に貢献するのであります。これはあらゆることについて言えるのであります。問題はそれ以上の方面とのつり合いであります。均衡ということが問題になるのでありまして、抽象的にいえば、みな賛成することばかりでありますが、ほかとの関連という
意味からいうと、相当問題があるだろうと思うのであります。それでは一々その問題について簡單に結論だけ申します。そこで新たに取得いたしました、特定の命令で定めるところの機械、船舶などにつきまして、三年間五割
程度の
増加特別償却を認める。これはやはり
日本経済再建のために必要であることは言うまでもないことでありますが、これによ
つて主として恩恵をこうむるのは何かというと、やはり資力優秀なる大企業ではないかと思うのであります。大企業を優遇するということは、もちろん惡いことではございません。むしろ必要なんだけれども、ほかとの権衡上どうかということを考えるのであります。それが一番。
第二番が
源泉選択の復活の
制度でありますが、これは御案内の
通り、従来わが
日本で長く行われてお
つたのでありますが、例の
シヤウプ勧告によ
つてやめたのであります。ところが今度の
政府案では
源泉選択を復活して、五〇%で
課税しよう、この目的は
預貯金の奬励、
たんす預金を吸收する、そうして
預金を集めるということ、これはまた
日本経済の再建のためにはきわめて必要なことでありますが、私はほかの
税法との関連においてこれは反対をしたのであります。そこで五〇%というのでありますが、
所得税の
累進税率を見ますと、五〇%というのはどこからかか
つておるかというと、一年の
所得のうち五十万円を越ゆる部分が五〇%かか
つております。そこで
源泉選択を復活いたしまして、だれが利益を受けるかというと、
所得五十万円を越えるような高額の――これが高額かどうかわかりませんが、井藤などの立場からいえば高額であります。――
所得者が非常に優遇されることになりまして、
累進課税の精神に反するのであります。それから
一体貯蓄奨励になるかというと、確かに
貯蓄奨励にもなりますが、またならぬとも言えるのであります。それは
貯蓄といつても事実は小
所得者の
貯蓄奨励ということに非常に
意味があるのであります。ところが
最高率五%の
源泉選択では、小
所得者の貯金というものはこれによ
つて集めることはむずかしいのではないか、というのは、どういうことかというと、小
所得者はみな五〇%以下の軽い税率が適用されるのであるから、
源泉選択を適用しない方が得であります。それから五〇%以上の大
所得者の場合はどうであろうかというと、こういう
人たちは金が余れば
銀行預金をするでありましよう。しかしこういう
人たちは
経済的能力の強い人が多いのでありまして、
銀行預金以外の方法でこれを投資するという方法が行われるのであります。
従つて、これは必ずしも
預金の誘引とはならない。もちろん
預金誘引的効果はありますけれども、そうとばかりは言えない、私は
預金の誘引にはこの
源泉選択の
制度ももちろん必要でありますが、それ以上有効なのは
預金利子の
引上げとか、これは有効であります。それからもう
一つ、
たんす預金がなぜふえるかというと、これは税金が高いからということもあるでしよう。だがそれよりも将来に対してわれわれは不安を持つから、またインフレーシヨンが起りはしないかと思うから、
タンス預金がふえるのであります。そこで
源泉選択をすることによ
つて、確かに
預金を吸收する作用はありますけれども、今申しました点から考えますと、私は必ずしもこれは賛成できない。ことに
シヤウプ勧告以後のわが
日本の
税制というものは、
課税物件に対しまして一〇〇パーセントの捕捉をするんだ、脱税は絶対に認めないという建前にな
つておるのであります。そうな
つておればこそ、たとえば
勤労所得につきまして、従来
シヤウプ勧告以前では、二五%の
控除率であつたものを一五%に減らした。昔はなぜ二五%までや
つておつたかというと、
勤労所得は御案内の
通り源泉課税をやりますから、脱税が非常に少い。ところが
事業所得などになりますと、とかく脱税が多い。そういうことを考えまして、二五%にしたのであります。しかしながら
勤労所得であろうと、
事業所得であろうと、その他の
所得であろうと、一〇〇パーセント
税務署が
所得を把握するとすれば、二五%の
勤労所得は多過ぎるというので、一五%に減らしたのであります。
税務署がきわめて合理的に仕事をし、
所得を一〇〇パーセントとらえるということを前提としてできておるのが、現在の
日本の
制度であります。現状がそういう望ましい状態に達しておるかどうかは問題でありますが、それが建前にな
つておるのであります。ところが
源泉選択の復活によりまして
利子所得の把握というものがやや困難になるだろう、そうすると、例の
シヤウプ勧告の趣旨の一〇〇パーセント把握ということが、この一角から私はくずれて来るのではないかと思うのであります。これは
所得税ではなくて、
富裕税、
相続税をかけるときに参考になるのであります。
富裕税、
相続税というものは、とかく
不動産課税になりやすい。動産というものは逃げるのでありますが、しかしながら
源泉選択の復活によ
つて、さらにこれが困難になれば、困ることになるのではないかと思うのであります。要するに私は、
資本蓄積ということはもちろん必要だと思いますが、その観点からこれを尊重するのあまり、
租税制度の合理性が、一角からくずれかけたことを遺憾とするのであります。
その次に、
法人の
積立金課税二%廃止の問題であります。
法人の配当金にどういうふうに
所得税を
課税するかということにつきまして、英国式考えと、ドイツ式考えが対立しておるということは、皆さん御案内の
通りであります。ドイツ式考えは、
法人に独自の人格を認めまして、
法人にも重い税金をかける、個人にも税金をかける。ところが英国式の考えは、
法人というものは、結局は個人の営利のための機関なんだから、
法人には重い税金をかけないで個人が配当をもらうときに、個人に集めてかけようというのが、
シヤウプ勧告の考え、すなわち英国式の考えであります。私はこの考え自体につきましては、大昔から疑問を持つのであります。しかし
日本の
税制は英国式の考えが前提にな
つておるので、それを前提として考えなければならぬと思うのであります。そこでなぜ二%の
積立金課税をやつたか、この趣旨は皆さん御案内のことと存じますが、この
積立金というものは利益でありまして、本来個人に配当すべきもの、ところが個人に配当される場合には、その配当に対しまして、個人の
所得税がかかります。ところがかかりますまで、それを会社の中に留保しておきますと、その間は税金はかからない。会社という立場からいうと、その
金額を無利子で利用するということになるのであります。そこでなぜ二%の
課税をすることに
なつたかと申しますと、これは個人営業者に営業純益があつた場合は、その年に
所得税が全部かかります。ところが
法人の場合は、留保
所得については、すぐには個人の
所得税がかからぬ、この
負担の不均衡を避けるために、
法人に二%の
積立金課税をやることにしたのであります。それからもう
一つは国庫という立場から申しますと、当然とるべき收入を一時失う。それを補償するという
意味でかけておるのであります。これは
シヤウプ勧告におけるきわめて精微な部分でありまして、
シヤウプ勧告を見ましたときに、これはこまかな
計算をや
つておると私は感心したのであります。これをなくするということは、やはり
シヤウプ勧告の基本的な
法人課税精神に反するのではないか、私は
シヤウプ勧告を金科五條とは考えておらない。
シヤウプ勧告については、反対すべきところはたくさんあるのでありますが、
日本の現在の
法人課税、個人
課税の建前が、
シヤウプ勧告を前提にしておるのだつたら、これを破るということは、二%の
課税をやめるということは、
シヤウプ勧告の精微をそこなうのではないかと思うのであります。
これに関連して申し上げたいことは、有価証券の強制登録
制度――これも
シヤウプ勧告で実施を要求してお
つたのでありますが、これをやめました。なぜ有価証券の強制登録
制度の実施が必要かといえば、申すまでもなく、株式の売買による譲渡利得を把握して個人
所得税をかける、このためには、どうしても強制登録をやらなくちやならぬ、ところがこれはわが
日本では、なかなかできにくいということにな
つたのであります。これを残すということは理論的に申しまして
日本の
法人課税及び個人
課税における大きな穴でありまして、この穴が埋められておらないのであります。遺憾なことには、
シヤウプ勧告におきましても、第一次勧告におきましては、有価証券の強制登録の実施を主張しながら、第二次の勧告におきましては、これについて一言も触れておらないということは、私は
シヤウプ勧告として、思想的の不統一があるのではないかと思うのであります。そこでもつと裏から申しますと、わが
日本の現状から申しますと、こういうような有価証券の売買の強制登録
制度ができない、それが
日本の現実だとすれば、私はシヤウプのやり方のような、かつ現在
日本で行われておるような
法人課税のやり方、そういうような課
税制度というものは、
日本の国情に適しないものだと思うのであります。
日本の国情からいうならば、昔の
日本のやり方の方がむしろ適当なのではないかと思うのであります。これはきよう初めて言うのではありません。二年前から絶えず言
つておることが、いよいよ正しく
なつたと私は確信を抱くようにな
つたのであります。そういう
意味で
シヤウプ勧告を前提とする限りは、
法人の
積立金課税を廃止するということは、理論上矛盾するのではないかと思うのであります。
要するに
資本蓄積のための三つの措置、すなわち新規の取得の機械などに対して三年間五割
程度の特別償却をするということ、
預貯金の
源泉選択を復活するということ、
法人積立金に対する二%
課税を廃止すること、この三つの措置は大体大つかみに申しますと、大資本、大企業にと
つて有利なものであります。
日本経済再建のために大資本、大企業が必要であるということは言うまでもないことであります。それどころか、
租税制度というものは資本主義経済秩序を前提とするものでありまして、資本主義経済秩序の存続を脅かすような
租税制度は、私は矛盾だと思うのであります。しかしながらこれとほかの
租税制度との関連を考えますと、権衡という点からい
つてどうか。また具体的にいうと、
社会政策との関係を見てみますと、たとえば
所得税の
基礎控除は二万五千円から三万円に上りました。これはけつこうであります。これを事変前の価値に直しますと、三万円というと十五、六年前の
貨幣価値に直しますと二十分の一の百五十円であります。その当時第三
所得の免税点が千二百円、
昭和十年、十一年ごろの一世帶千二百円免税、月百円免税ということは、これは最小生活費免税という
意味を持
つておりました。ところが現在の
所得税の
基礎控除三万円というものには、そういうような
意味がないのでありまして、これではどうしてもや
つて行けない。いわばそういう面で無理なことをや
つておる際に、こういう
資本蓄積のための三つの措置を講ずるということは権衡という点からい
つて、はたしてよいか惡いか。私は結論からいうと反対であります。権衡からいうのであ
つて、この措置自体については決して反対するわけではありません。幸いなるかな、今度の措置は
税法の本文を改めないで、
租税特別措置法の
改正という臨時措置でやりました。これはよか
つたのでありまして、また時期が来れば復活すればよいと思うのであります。それから特別償却もこれは命令によ
つて指定するようにな
つておりますが、これを指定されるときも、できるだけ嚴重に指定をされんことを希望する次第であります。はなはだまとまらぬことを申しましたが、これをも
つて私の
公述を終りたいと思います。