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1951-06-21 第10回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第14号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年六月二十一日(木曜日)     午後一時四十一分開議  出席委員    委員長 篠田 弘作君    理事 佐々木秀世君 理事 島田 末信君    理事 塚原 俊郎君 理事 内藤  隆君    理事 猪俣 浩三君 理事 山口 武秀君       井手 光治君    鍛冶 良作君       志田 義信君    田渕 光一君       野村專太郎君    福田 喜東君       八木 一郎君    大森 玉木君       椎熊 三郎君    藤田 義光君       久保田鶴松君    加藤  充君       中村 寅太君  委員外出席者         証     人 永山 正昭君         証     人         (油谷炭員工         員)      江川 文彌君     ————————————— 六月五日  委員梨木作次郎辞任につき、その補欠として  加藤先君議長指名委員に選任された。 同月十五日  委員山本久雄辞任につき、その補欠として岡  西明貞君が議長指名委員に選任された。 同月二十一日  委員高倉定助辞任につき、その補欠として中  村寅太君が議長指名委員に選任された。 同日  委員中村寅太辞任につき、その補欠として高  倉定助君が議長指名委員に選任された。     ————————————— 本日の会議に付した事件  不正入出国に僕する件  委員会報告書に関する件  委員派遣承認申請に関する件     —————————————
  2. 篠田弘作

    篠田委員長 会議を開きます。  この際お諮りいたします。不正入出国に関する件につきまして、前々から御連絡いたしておきました通り北海道及び九州地方委員を派遣して、現在の実情を調査いたしたいと存じますが御、異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 篠田弘作

    篠田委員長 御異議なければ、さよう決定いたしました。  なお派遣委員の氏名その他所要の手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 篠田弘作

    篠田委員長 御異議なければ、さよう決定いたします。     —————————————
  5. 篠田弘作

    篠田委員長 次にお諮りいたします。桜木町駅国電事故に関する件につきましてすでに証人喚問の段階も終り、調査も終了いたしましたので、委員長手元において、ただいまお手元に配付いたしました通り報告書原案を作成いたしたのであります。これを委員会報告書として決定するに御異議ありませんか。
  6. 山口武秀

    山口(武)委員 国電の桜木町問題について当委員会が開かれたのでありますが、これは各委員におきましても、それぞれ疑問についての観点の相違ということも考えられる、それから結論についても必ずしも一致しているというようなことはないということもあわ得る。そうしたことを考えましたときに、委員長の方だけでこの結論をきめるということは当を得ていないのではないか。それからなおこの委員会の性質からいたしましても、結論を出すにつきましては当然委員会においてこれを討議し、その上で結論を出すべきであると考えられます。そうしなければならないと思うのでありますが、先ほどの理事会におきまして、幾つかの事情も述べられて、そのような措置をとられるということでありますが、それにつきましては、私たちがこの結論の書類を見て検討いたしまして、もしもこの結論に対し反対の意見があつた場合には、それをつけ加えていただきたい。このようなとりはからいは、今後の例として残さないようにしていただきたい。さような場合はやはり委員会において討論をして結論を出すような、正規な方法を認めてもらいたいということで、これに賛成するわけであります。
  7. 篠田弘作

    篠田委員長 ただいま山口委員の御発言通り、この報告書を一応委員会にかけまして討論し、あるいは修正をすることは当然でありますけれども、今月中に議長に報告しなければなりませんことが一つと、委員会はもう今月中でこれが最終である。そういういろいろな都合がありますので、ただいま山口委員の御発言通り、これを御検討になりまして、もし修正をしたいあるいは希望条件をつけたいというような場合は、出していただきまして、委員長において、少数意見としてこれを報告書の末尾につけ加えるごとに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  8. 篠田弘作

    篠田委員長 それではさように決定いたします。  なお字句の修正等につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 篠田弘作

    篠田委員長 それではさようにいたします。     —————————————
  10. 篠田弘作

    篠田委員長 ただいまより不正入出国に関する件につきまして調査を進めます。永山正昭証人より証言を求めることにいたします。ただいまより不正入出国に関する件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければなぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて、黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたとときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書朗読を願います。     〔証人永山正昭朗読〕   宣誓書   良心に従つて、真実を述べ、何事  もかくさず、又何事もつけ加えない  ことを誓います。
  11. 篠田弘作

    篠田委員長 宣誓書署名捺印を願います。     〔証人宣誓書署名捺印
  12. 篠田弘作

    篠田委員長 これより証言を求めることになりますが、証言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際は、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、こちらから質問をしておりますときはおかけになつていてけつこうですが、お答えの際は御起立を願います。  証人経歴及び党歴について述べてください。
  13. 永山正昭

    永山証人 大体の経歴を申し上げます。  北海道小樽市出身、年齢三十七歳、北海道庁立小樽中学四年修了、昭和九年五月無線電信講習所を卒業、船員生活を経まして海員協会勤務、戦争中は西日本石炭輸送株式会社東京支店に入り、昭和二十年若松本社に転勤、船員部総務課長船員保険課長をいたしました。昭和二十年、終戦海員組合ができるにつきまして、その準備委員として参加、昭和二十一年十二月海員組合をしりぞきました。昭和二十二年から日本共産党本部組織活動指導部員になりまして九州におりました。昭和二十四年春本部にもどりまして、本部海上漁民対策部に従事、昭和二十四年十二月労働組合部員となつて、その後本年の五月本部を退職いたしまして現在に至つております。大体以上であります。
  14. 篠田弘作

    篠田委員長 椎野証人は、あなたが日本共産党海上関係の全国的なオルグであり、また本部細胞であるということを前の委員会証言しておりましたが、そうするとあなたは、今までは本部細胞であつたわけですね。
  15. 永山正昭

    永山証人 さようであります。
  16. 篠田弘作

    篠田委員長 本部細胞として届出はしておりましたか。
  17. 永山正昭

    永山証人 本部細胞として届出はしております。
  18. 篠田弘作

    篠田委員長 団体等規正令による届出をしておりますか。
  19. 永山正昭

    永山証人 しております。
  20. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたは日本共産党九州地方海上議長であつたということでありますが、そうですが。
  21. 永山正昭

    永山証人 そういうことはございません。
  22. 篠田弘作

    篠田委員長 海上議長つたことはない……。
  23. 永山正昭

    永山証人 海上会議という会議を持つたことはあります。その会議では議長を出すことになりますから、その会議の席上で議長にたびたび選ばれたことはあります。けれども海上区という一つ機関と申しますか、そういうものの正式のいろいろな身分なり、そういうものを与えられたことはありません。
  24. 篠田弘作

    篠田委員長 海上会議議長なつたことはあるが、海上議長という一つのそういう正式な機関なつたことはない……。
  25. 永山正昭

    永山証人 そうであります。
  26. 篠田弘作

    篠田委員長 海上議長というものはありますか。
  27. 永山正昭

    永山証人 今申し上げたようにないのでございます。
  28. 篠田弘作

    篠田委員長 海上区というのは、一体どういう組織構成を持つておるものですか。
  29. 永山正昭

    永山証人 申し上げます。大体共産党組織は各地方委員会県委員会地区委員会ということになつております。そのうちたとえば九州で申しますと、若松であるとか、あるいは博多であるとか、あるいは門司であるとかいう港がございます。そういう港の地区委員会常任がございますから、その常任のうち海員関係仕事を受持つ者があります。そういう者が月に一回、二回全九州的に集まつて会議をする、そういうものを海上区というふうにいわれておつたのでございます。その海上区の会議をいたしましたときに、一票たびたび議長なつたことがございますが、海上区という特殊の機関、そうしてその議長というような正式の地位なり、身分というものになつたことはございませんし、そういうものは本来ございませんです。
  30. 篠田弘作

    篠田委員長 そうすると海上共産党の活躍をするために、一つ海上区という組織はないわけですね。
  31. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。たとえば組織といたしましては、日本共産党党員というものはすべて地区委員会に属します。地区委員会がたくさん集まりまして、それが県委員会に属します。県委員会がたくさん集まりまして、地方委員会に属し、その上に中央委員会がある、こういうことになつております。それはあくまでも組織の単位であります。ところで各地党員というものも、国鉄党員もございますし、海員党員もございますし、電産関係党員もあるわけであります。この国鉄の諸君が、たとえば九州全体として国鉄会議を持つということがございます。あるいは全国的に会議を持つことがございます。それは国鉄グループとか、電産グループとか申しております。それを海員の場合は、海上区というように九州では申しておつたわけであります。
  32. 篠田弘作

    篠田委員長 そうしますと、海上区というものは九州地方委員会というか、福岡県委員会というか、そういうものに所属しておるのですか。
  33. 永山正昭

    永山証人 福岡県委員会でなしに、九州全体の海員活動から申しますときには、九州地方委員会に属します。従いまして九州地方委員会一つ特別委員会ということになるわけであります。
  34. 篠田弘作

    篠田委員長 港区といいますか、そういう組織はありますか、一つの港を中心とした……。
  35. 永山正昭

    永山証人 今申し上げましたように、九州地方委員会九州全体としての海員活動会議というものを海上区の会議と申しておつたわけであります。それと同じように、門司なら門司若松なら若松で、常任地区委員会の中におりますから、これが中心になつて門司なら門司若松なら若松海員関係仕事をする、そういう者が集まつて会議を持つときに、港区会議という言葉を使つております。
  36. 篠田弘作

    篠田委員長 若松なら若松の港区会議というものと、それからまた船内細胞というものがあるのですね。
  37. 永山正昭

    永山証人 大体船内細胞というものをつくるのが原則であります。ところが事実問題として船の船員というものは、大体今の船員法によりますれば、最大限二年しか同一の船に乗つておられないのであります。そして早いものは一年でおりる、あるいは半年でおりるというふうに、しじゆう異動が生ずるのであります。従いまして船内細胞というような組織をとることが事実上できないという形になつております。
  38. 篠田弘作

    篠田委員長 二年の間切り一つの船に乗ることができないか、船内細胞はつくらないと言われるが、大体二年間を限度として船内細胞というものをつくつておるのでしよう。
  39. 永山正昭

    永山証人 申し上げます。ほんとうは共産党組織は各経営内、工場内に細胞をつくるのが建前でございます。従いまして船にもそれぞれ細胞をつくるというのが建前になるのが一般的な原則でございます。しかし日本の場合は各船ごと細胞をつくるということをやつておりません。
  40. 篠田弘作

    篠田委員長 昭和二十二年ごろ証人の宅で、西日本石炭輸送株式会社親睦団体である同志会青年部労働学校というものを、証人が主宰しておやりになつたことがありますか。
  41. 永山正昭

    永山証人 ございます。もつとも昭和二十二年ごろとおつしやいましたが、昭和二十一年の暮くらいからと思います。
  42. 篠田弘作

    篠田委員長 証人江川文彌という人を知つておりますか。
  43. 永山正昭

    永山証人 知つております。
  44. 篠田弘作

    篠田委員長 いつごろから知つておりますか。
  45. 永山正昭

    永山証人 昭和二十二年の春ごろと思います。
  46. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたは江川君に対して、日本共産党入党を勧めたことがありますか。
  47. 永山正昭

    永山証人 ございません。
  48. 篠田弘作

    篠田委員長 昭和二十二年の夏ごろ、証人江川椎野悦郎氏との会見仲介をしたことがありますか。
  49. 永山正昭

    永山証人 記憶しておりません。
  50. 篠田弘作

    篠田委員長 そうすると、椎野君と江川君との会見は、あなたが仲介しなくても会見をしたという事実を知つておりますか。
  51. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。椎野氏は九州地方委員会中央から派遣せられておつて、そしていわゆる党内では名士であるわけであります。従いまして、いろいろな会議その他で、江川君は若松地区委員会地区委員でございましたから、あるいは会つたりなんなりしたことがあつただろうと私は思います。しかし私が特に椎野氏と江川君とを紹介したという記憶はございません。
  52. 篠田弘作

    篠田委員長 椎野君と江川君の会見の席上に立ち会つたことがありますか。
  53. 永山正昭

    永山証人 ございません。
  54. 篠田弘作

    篠田委員長 これは前の委員会江川君の証言てすが、あなたの仲介によつて椎野君が江川に会いたいと言つておるというので、あなたが一ぺん会つてつてくれないかというて椎野君に江川君を会わした。その席上に、あなたと椎野君と江川君ともう一人党員がおつて、そのときに椎野君から、党も非常に財政上困つておる、その資金を獲得するためにひとつ朝鮮との密貿易をやつてくれないかということを、江川君に椎野君から頼まれた。それで江川君は椎野君の依頼よつていろいろそういつた方面のあつせんをしたということを前の委員会証言しておりますが、あなたはそういう記憶はないのですか。
  55. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。少くとも私が立ち会つた会議でそういうようなことは絶対にありません。
  56. 篠田弘作

    篠田委員長 それではあなたは昭和二十二年の秋ごろに日本郵船の戸畑丸通信士矢島昇に会つたことがございますか。
  57. 永山正昭

    永山証人 ございます。
  58. 篠田弘作

    篠田委員長 会つたときに、矢島君から日本共産党中央委員会書記局あての封書を受取りましたか。
  59. 永山正昭

    永山証人 そういうことはございません。
  60. 篠田弘作

    篠田委員長 二十二年の秋ごろに矢島君に会つたのは、どういう理由会つたのですか。
  61. 永山正昭

    永山証人 矢島君は通信士として私の後輩でありますから、私の自宅へ訪ねて参りました。それで会つたのであります。
  62. 篠田弘作

    篠田委員長 矢島君があなたのうちへ訪ねて行つたのですね。
  63. 永山正昭

    永山証人 はあ。
  64. 篠田弘作

    篠田委員長 それは樺太から帰つたときですか。
  65. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  66. 篠田弘作

    篠田委員長 それでただ訪ねて来たたけですか。
  67. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  68. 篠田弘作

    篠田委員長 そのとき、樺太からの通信を、封筒に入れたものを、あなたに渡したということはないですか。
  69. 永山正昭

    永山証人 そういうことはありません。
  70. 内藤隆

    内藤(隆)委員 永山証人は現在どこにお住みになつておりますか。
  71. 永山正昭

    永山証人 江東区深川佐賀町ニノニノ九でございます。
  72. 内藤隆

    内藤(隆)委員 片倉製糸住宅ですか。
  73. 永山正昭

    永山証人 さようでございます。
  74. 内藤隆

    内藤(隆)委員 どういう関係片倉製糸住宅におられるのですか。
  75. 永山正昭

    永山証人 知人紹介——片倉製糸住宅ではございません。倉庫を改造したアパートに住んでおります。
  76. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そのアパート所有はどこなんですか。
  77. 永山正昭

    永山証人 所有は私は存じません。
  78. 内藤隆

    内藤(隆)委員 家賃はどうしていますか。
  79. 永山正昭

    永山証人 家賃払つております。
  80. 内藤隆

    内藤(隆)委員 だれに払つておるのですかと
  81. 永山正昭

    永山証人 管理人払つております。
  82. 内藤隆

    内藤(隆)委員 管理人払つてつて所有者を知らないというのはおかしい。
  83. 永山正昭

    永山証人 管理入を知つております。
  84. 内藤隆

    内藤(隆)委員 その管理人はどこの者ですか。
  85. 永山正昭

    永山証人 そこに一緒に住んでおります。
  86. 内藤隆

    内藤(隆)委員 一緒に住んでおつて所有権がどこにあるかわからないのですか。
  87. 永山正昭

    永山証人 どなたの所有か私は知らないのです。
  88. 内藤隆

    内藤(隆)委員 いつ時分から住んでおられるのですか。
  89. 永山正昭

    永山証人 もう大分前から住んでおります。さつき申し上げました昭和二十三年と思います。
  90. 内藤隆

    内藤(隆)委員 おかしいですな。この住宅難に悩んでおる際ですから、片倉製糸所有のものであるとするならば、そこに共産党の大看板をさげたあなたが入つておられるということは、私には考えられないことです。
  91. 永山正昭

    永山証人 片倉製糸倉庫か何かを改造したアパートでありますから、倉庫ではないわけです。そこへ知人紹介で入つているわけであります。
  92. 内藤隆

    内藤(隆)委員 知人というのはどういう人ですか。
  93. 永山正昭

    永山証人 私の友人です。
  94. 内藤隆

    内藤(隆)委員 共産党員ですか。
  95. 永山正昭

    永山証人 いえ、違います。
  96. 内藤隆

    内藤(隆)委員 それから九州へ行かれたのは昭和二十二年の春ですか。
  97. 永山正昭

    永山証人 九州若松に住みましたのは昭和二十年の夏であります。
  98. 内藤隆

    内藤(隆)委員 二十年の夏からいつまでおられたのですか。
  99. 永山正昭

    永山証人 昭和二十三年の春でございます。
  100. 内藤隆

    内藤(隆)委員 現在の職業は何ですか。
  101. 永山正昭

    永山証人 現在は無職であります。
  102. 内藤隆

    内藤(隆)委員 どうして食つているのですか。
  103. 永山正昭

    永山証人 今就職先を探しております。
  104. 内藤隆

    内藤(隆)委員 無職の状態が今日までどのくらい続いております。
  105. 永山正昭

    永山証人 まだ一月くらいです。
  106. 内藤隆

    内藤(隆)委員 ではその前はどうしていたのですか
  107. 永山正昭

    永山証人 その前は、先ほど申上げましたように、党の本部勤務員であります。
  108. 内藤隆

    内藤(隆)委員 党の本部勤務員で、昭和二十六年の五月から本部から給料も何ももらわないで、無職でおられる、こういうわけですね。
  109. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  110. 内藤隆

    内藤(隆)委員 それから、江川君と知り合つたの昭和二十年の春とおつしやいましたね。
  111. 永山正昭

    永山証人 いいえ、昭和二十二年の春です。
  112. 内藤隆

    内藤(隆)委員 あなたは、江川君に入党を勧めた記憶はないとおつしやいましたが、その前から江川君は入党しておつたのですか、もしくは入党していたでのすか。
  113. 永山正昭

    永山証人 私が初めて江川君と会つたときには、党へ入党手続中でございました。
  114. 内藤隆

    内藤(隆)委員 手続中であつたから勧誘しなかつたわけですね。
  115. 永山正昭

    永山証人 大体私、直接入党を勧告するというようなことは、あまりしたことがないのです。
  116. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そこで二十二年の春江川君と知り合つて——江川証人前々の当委員会における証言によりますと、二十二年の夏ごろ、あなたの紹介椎野悦郎氏と会つて、そうして最前委員長言つたもう一人と、四人の者が会合した席上において、朝鮮との密貿易をやつてくれと頼まれた、こうりつぱに証言しておりますが、そういう事実はありませんね。
  117. 永山正昭

    永山証人 ございません。
  118. 内藤隆

    内藤(隆)委員 でもちよいちよい江川君と会つているのでしよう。
  119. 永山正昭

    永山証人 会うことは会つております。
  120. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると、江川君は当時入党手続中であり、あなたはりつぱな看板を掲げた党員である……。
  121. 永山正昭

    永山証人 江川君と初めて会つたの昭和二十二年の春ごろでございました。
  122. 内藤隆

    内藤(隆)委員 いずれにしても、二十二年の夏ごろは親しい関係にあつたことは間違いないのですね。
  123. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  124. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると、お互いに党の前途のためとか、党の直面している資金難というような問題について語り合つたことはありませんか。
  125. 永山正昭

    永山証人 そういう党の前途のためとか何とかということについて語りあつたことは始終あります。
  126. 内藤隆

    内藤(隆)委員 その話の最中に、党の資金かせぎのため密貿でもやつたらどうかという話はありませんでしたか。
  127. 永山正昭

    永山証人 そういうことはございません。それはまつたく逆であります。密貿易をするというようなことは決して党のためにもなりませんし、それから、これは江川君に聞いてもらえばよくわかることでありますが、先ほど委員長が申しました労働学校というようなことを私やつておりました。当時昭和二十二年の秋ごろは、大体において終戦船員賃金は非常に安くて、商買とか密貿とかいうことが盛んであつたころであります。江川君は西日本石炭輸送会社船員でありました。これは引舟で石炭を積んで輸送するのでありますが、あそこで私が一番問題として取上げたことは、大体船員石炭の抜荷をしている。あるいは荷後炭と申しまして、石炭を揚げたあとに石炭が残る。そいつを金にかえる。あるいは北海道からあずきを買つて内地に持つて来て売り、金をもうける。こういうようなことが船員の低賃金のために非常に流行しておりました。西日本石炭輸送会社船員の間にもそういうような悪習があつたのであります。従つてそのようなことからばくちがはやり、あるいは入れ墨がはやるというようなことになつておりました。まずそういうことを何とかしてなくしようというのが私の最大の仕事でありました。従いまして、これは江川君に聞いてもらえばよくわかりますが、毎日大々労働学校なり何なりで特に問題にして取上げたことはそういうことでございます。
  128. 内藤隆

    内藤(隆)委員 今あなたの言わんとするところは、そういう社会悪を退治するためにわれわれ苦心しておつたから、密貿のごときはやるはずがないじやないかということを立証しようというのでしよう。それはわかります。  それからもう一つ、今あなたの証言の中に、椎野君というのはわが党の名士である。そうして九州の方に来ておつた。そうすると、党の名士というような名前の売れた人が来られた場合に、あなたの親しい江川君を椎野君に紹介するということくらいは普通ありがちなことですが、なかつたのですか。
  129. 永山正昭

    永山証人 先ほどから申し上げましたように、江川君は若松地区委員会常任でございます。それから椎野君は九州地方委員会本部から来ておられた名士でございます。従つて各地をまわられることもございましよう。大体各地地区委員会地区委員その他を覚えたり、地区委員会をまわつたりするわけであります。従いまして、いろいろな人に会つたりなんかするのです。私は始終若松にいたわけではございません。若松におりましたり、あるいは長崎に行つたりなんかしておりました。従いまして、私が特に紹介しなくても、若松地区委員会常任である江川君が、椎野さんと知り合つたりすることは当然あり得るわけです。
  130. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると、あなたの今の証言によると、あなたが紹介しなくても椎野君はすでに江川君を十分承知しておるというのですね。
  131. 永山正昭

    永山証人 承知しておることもあるだろうというのです。
  132. 内藤隆

    内藤(隆)委員 だけれども、椎野君はそういうふうに名士として委員の顔を覚えたり、地区の情勢を視察したりする立場にある。また江川君も相当重要な立場にあるのだから、椎野君は江川君を十分承知しているはずと思うが、あなたはどう思いますか。
  133. 永山正昭

    永山証人 私は、椎野氏と江川氏と会つたこともあつただろうし、それから椎野氏が江川君を覚えていてもいいだろうと思います。
  134. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると、この間の椎野悦郎なる入のここに立つた証言によると、写真を見てどうやら見たことのある程度で、徳田球一君をある所で襲撃した犯人によく似ているというのです。そこでこう考えざるを得ない。それはその新聞の写真なんか見なくてもすでに椎野君は江川君を十分承知しておる。しかるにここでいかにも知らぬような顔をして、どうも思い出せぬが、しいていえばこういうふうな記憶があるとここで証言している。十分知つていながらそういうことを言うのは偽証だと思うのですが、これについてはあなたはどう考えられますか。
  135. 永山正昭

    永山証人 椎野氏は、先ほどから申し上げましたように、九州の党内では有名な人であります。それから江川君は、椎野氏に比べればそう有名な人でもないわけであります。地区委員会常任というのは、大体一つ地区ごとに多いところで二十名、少いところでは五、六人くらいいるわけであります。従いまして、江川君の方で椎野氏をよく覚えておつても、椎野氏の方で江川君を忘れるとか、あるいは覚えていないということは私はあり得るだろうと思います。
  136. 内藤隆

    内藤(隆)委員 しかしわれわれのような立場における政党人でも、ほとんど全国その県に行けば大概顔を知つております。いわんや椎野君のように議長を勤めておるような入が、長い期間いろいろな関係において江川君と会つてつて、そうしてここに来て白々しく新聞を見てどうやら覚えがあるような顔だというのは、私は合点がいかないのです。そうすると、あなたの方の団体は、組織は、一種の何といいますか、強いつながりを持つている結党でなければならぬように私は聞いておりますから、江川君を記憶していないという椎野氏の証言は——新聞を見てようやくわかつたという程度の証言は、どうも私は疑わざるを得ない。こう思うから私は聞いておるのです。それからそういつた四人で立ち会つたということは、あなたは絶対ありませんか。
  137. 永山正昭

    永山証人 ありません。
  138. 内藤隆

    内藤(隆)委員 本日は幸いに江川証人もここに来ておられるのです。江川証人はこれをきつぱりと四人で会つたことがあると証脅しておる。非常な食い違いがあります。御迷惑でもあるいはまたそれぞれの手続をとりまして、ひとつ立ち会つてもらうかもしれませんから、一応それだけ言つておきます。
  139. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 ただいまの証言で大体わかりましたが、ちよつと証言の中に、まだふに落ちないところがあるのです。江川文彌という人と、それから椎野さんと会つたことがあるかどうかと言つたときに、あなたはずつとそのときに、記憶がないという証言でございましたが、それをはつきりさせるために一つ、二つ聞くのですが、若松常任というのは何人いるんですか。
  140. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。そのときにどきによつて多くなつたり減つたりいたしますが、大体四人ぐらいはいたと思います。
  141. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 その四人の方は、椎野さんがおいでになつたときは、常任ですから、いろいろな地区の御報告をしたり、それから話し合うと思うのですが、その四人が大体椎野さんのようなえらい人が行くと、紹介はどちらでもいいのですが、会うことが普通じやないでしようか、それはどう思いますか。
  142. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。大体あそこは地区委員会としましては、北九州一つになつております。従つて若松、戸畑、門司、それから八幡、小倉、これだけが大体北九州として一つ地区になつております。従つて椎野氏があそこに来られて常任の会を持つということになりますれば、大体四人の人は集まります。八幡は特に大きいところでございますから、八幡は十人ぐらいいたかと思います。それから戸畑は小さくて、門司も割合に少かつたと思います。全体として申しますれば、やはり二十人なり三十人ぐらいになる、こう思います。
  143. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 とりあえず椎野さんは若松に行つたことだけは事実でございますね。
  144. 永山正昭

    永山証人 おそらく若松に来られたことは何回もあると思います。
  145. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 昭和二十二年の夏ごろ行かれたことを、あなたは記憶ありませんか。
  146. 永山正昭

    永山証人 記憶しておりません。
  147. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そのとき、あなたは若松にいなかつたのですか。
  148. 永山正昭

    永山証人 ちよつと記憶にないのでございます。
  149. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そうするとおかしいのですが、先ほどあなたは、昭和二十一年の暮から若松労働学校を開いて、昭和二十二年の夏ごろ椎野さんが行かれたときに、四人で密貿の話をしたことは絶対ありません、こういう証言でありました。その絶対にないということは、椎野さんは来たけれども、四人でそういう話をした会合は絶対なかつたということに私はとつたのですが、椎野さんが来たこともあなたは知らなかつたのかどうかということです。
  150. 永山正昭

    永山証人 私は椎野さんが来られたということも記憶がないのです。
  151. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 そこが重大なところなんです。椎野さんが来たときに、あなたがいたかいなかつたかということがはつきりしなければ、どんなことを聞いても私らはこれ以上進めることができないのです。ちよつと考えてください。そのときあなたがいないとすれば、これはあなたに証言を求める必要はないのです。そこを記憶がないといつてうやむやにされたのでは、はつきりしないのです。昭和二十二年の春から夏——夏と言つておるのですが、そのころにいたかいないか、ひとつ考えてはつきりしてください。これは遠い十年も二十年も前のことではないのです。二十二年の夏のことですからわかることです。ちよつと思い出してお答え願いたい。そこがはつきりしないと進まないのですから……。
  152. 永山正昭

    永山証人 私が若松椎野氏に会つたことは、年代は記憶しませんが、はつきり記憶していることが一回ございます。それは国鉄若松機関区に問題が起つたときに、椎野氏と会つたことがあります。
  153. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 それはいつですか。
  154. 永山正昭

    永山証人 職場放棄ということがございましたが、あれの少し前です。
  155. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 今お聞きしておるのは、何月何日どうだつたということじやなしに、昭和二十二年の夏、あなたが若松にいたかどうか、これはアリバイの問題です。実際いうと、あなたがほんとうにいなかつた紹介するはずもないし、四人で立ち会うはずもない。これがはつきりしなかつたら、全然あなたは証人としての価値もなければ、こう何も聞く必要はない。二十二年夏にいたかいないか、若松にいなければしからばどこにいたか、何月何日を思い出せというなら、それはなかなか思い出せませんが、昭和二十二年夏若松にいたか、九州のどこにいたか、東京にいたか、それは思い出せると思う。それをひとつ思い出してください。あなたが椎野さんに会つたことは一回だけはつきり覚えておるというから、聞きましたら、また考えてうやむやになつてしまつた。はつきりしておるというから、証言を求めるとわからないのですが、昭和二十二年夏はどこにいたか思い出してください。
  156. 篠田弘作

    篠田委員長 証人にちよつと申し上げますが、先ほどの委員長の質問に対して、二十二年から指導部の何かやつたと言いましたね。
  157. 永山正昭

    永山証人 本部組織指導部員であつたわけです。
  158. 篠田弘作

    篠田委員長 二十二年春ですか。
  159. 永山正昭

    永山証人 二十二年の初めであります。
  160. 篠田弘作

    篠田委員長 二十二年初めから本部の指導部員になつて、すぐどういう活躍をしたのですか。
  161. 永山正昭

    永山証人 それで九州に派遣されたかつこうになつております。
  162. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは二十二年夏は、九州の指導部員として若松におつたのじやないかと思いますが……。
  163. 永山正昭

    永山証人 九州にいたことは確実だと思います。
  164. 篠田弘作

    篠田委員長 若松にいたかどうかわからないのですか。
  165. 永山正昭

    永山証人 その辺は、大体始終旅行して飛びまわつておりましたから、昭和二十二年夏に若松にいたかいないか、こう畳みかけられてもちよつと……。
  166. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 畳みかけるのではないのです。これは一番大事なポイントです。そこで二十二年夏九州に派遣されて、どこにいたかわかりませんか。
  167. 篠田弘作

    篠田委員長 それはあとで考えてもらうことにいたします。
  168. 椎熊三郎

    椎熊委員 私は先ほど証人の言葉が低声のために聞き取れないところが多かつたので、委員長が聞かれたのと重複する点があるかもしれませんが、その際聞こえなかつたものですから、そういう点もお許しを願つてお尋ねしたい。  証人は小樽の出身ですが、小樽におられた際に共産党入党されたのでしようか
  169. 永山正昭

    永山証人 違います。
  170. 椎熊三郎

    椎熊委員 違うのですか。
  171. 永山正昭

    永山委員 ええ。
  172. 椎熊三郎

    椎熊委員 いつ入党されたのですか。
  173. 永山正昭

    永山証人 終戦の年の十二月であります。
  174. 椎熊三郎

    椎熊委員 そのときは東京におられたのですか。
  175. 永山正昭

    永山証人 九州若松におりました。
  176. 椎熊三郎

    椎熊委員 九州若松へ行つてから入党したのですか。
  177. 永山正昭

    永山証人 ええ。
  178. 椎熊三郎

    椎熊委員 だれの紹介入党しましたか。
  179. 永山正昭

    永山証人 田代文久氏。
  180. 椎熊三郎

    椎熊委員 それはどういう立場の人ですか。
  181. 永山正昭

    永山証人 国会議員です。
  182. 椎熊三郎

    椎熊委員 国会議員ですか。
  183. 永山正昭

    永山証人 そのときは国会議員でございませんでした。
  184. 椎熊三郎

    椎熊委員 それは九州における共産党のどういう立場の人でしたか。
  185. 永山正昭

    永山証人 当時はまだ地方委員会ができないころだと思いますから、福岡県委員会の責任者であろうと思います。
  186. 椎熊三郎

    椎熊委員 九州共産党地区委員会の責任者ですね。
  187. 永山正昭

    永山証人 ええ。
  188. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは本部から労働学校設立の使命を帯びて九州へ派遣された人ではなかつたのですか、その際。
  189. 篠田弘作

    篠田委員長 ちよつと永山証人に申し上げますが、委員全部にあなたの声が行き渡らない。先ほど聞いておると大きい声も出るのだから、努めて大きい声で……。速記にも聞えませんから。
  190. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは共産党本部から、労働学校を設立し、労働者を教育する使命を帯びて派遣された人じやないですか。
  191. 永山正昭

    永山証人 労働学校を設立するということが、特別の使命ということではないと思います。大体、九州地方で、九州地方委員会のもとで、いろいろ海員その他の……。
  192. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは九州へ行つてから入党したというのですが、派遣されたときは党員でなく派遣されたのですか。そんなことはないでしよう。
  193. 永山正昭

    永山証人 先ほど委員長の御質問に対してお答え申し上げましたように、私が本部組織指導部員になりましたのは昭和二十二年の春からであります。従いまして今の御質問の、昭和二十年当時は本部の指導部員ではなかつたわけであります。
  194. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうすると九州行つたのは他の用向きで行つたわけですか。あなたがかつてに行つたわけですか。
  195. 永山正昭

    永山証人 昭和二十年でございますか。
  196. 椎熊三郎

    椎熊委員 九州へ行つてから入党したというのですね。
  197. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  198. 椎熊三郎

    椎熊委員 入党前に九州にいたのですか。
  199. 永山正昭

    永山証人 九州にいたのはたまたま、先ほど申しましたように、九州西日本石炭輸送株式会社本社に勤務しておつたわけであります。
  200. 椎熊三郎

    椎熊委員 共産党から派遣されたのではなく、あなたは仕事の都合で九州で就職されたというのですか。
  201. 永山正昭

    永山証人 九州で就職しておつたわけです。そうしてたまたま田代文久さんの紹介入党したわけです。
  202. 椎熊三郎

    椎熊委員 今言われた椎野何がしという人は共産党名士だとあなたはおつしやつたのだが、共産党でもそんな封建的な考え方を持つているということを初めて聞いてびつくりしたのだが、そういう名士九州まで行かれたりした場合に、九州の責任ある地区常任委員と——わずか四名か五名というものと会つたか会わぬかわからぬというようなことでは、共産党中央本部名士が行つて共産党の使命は全うできるわけはない。必ず会うために行つておると私どもは思う。あなたはそう思うでしよう。どうですか。そうでないとりくつが合わないでしよう。あなたの感想でもいい。
  203. 永山正昭

    永山証人 共産党の中に名士があることが封建的かどうかは別といたしまして、やはり徳田球一とか野坂參三という人は党の中央委員でもございますし、椎野氏は今議長でございますから、一党の総裁であります。そのころは中央委員候補でございます。共産党員が六万か七万かあるうち、中央委員というのは二十五名でございますし、中央委員候補というのは十何名で、最高幹部であります。そういう意味合いで、私は名士と申し上げたのです。
  204. 椎熊三郎

    椎熊委員 わかりました。それほどたくさんの中の十数名という最高峰の人が、党の使命を帯びて九州に行つて九州地区の責任者たる常任委員なるものが会わないでおられるわけはない。会うために行つておる。会わざるを得ないものじやないでしようか。
  205. 永山正昭

    永山証人 私は椎野氏が江川君と会つたことがないだろうということを申し上げておりません。おそらく会つたことがあるかもしれない。しかしたとえば私の方は徳田球一氏をよく覚えておりますが、徳田さんの方は私なんか覚えていない。同じ党員であつても……。そういうことで、椎野氏の方は、江川君と会つて江川君を覚えておらない。江川君の方は椎野氏をよく覚えておるということは、よくあると思います。
  206. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうするとあなたのただいままでの答弁を総合すると、おそらく会つておるだろうということですね。     〔委員長退席、佐々木(秀)委員長代理着席〕 あなたはそう思われるというのですが、会うということが常識だということでしよう。
  207. 永山正昭

    永山証人 それは委員長の御質問に対する答弁で申し上げましたが……。
  208. 椎熊三郎

    椎熊委員 委員長の質問に対する答弁が私は聞き取れないから重ねて聞いておるのです。
  209. 永山正昭

    永山証人 再度申し上げます。いろいろ会合その他がございます。その会合の席上に江川君が出ることがあろうと思います。それから椎野さんが出ることもあろうと思います。そういうような会合なり何なりで顔を合せるということは私はあつたと思います。けれどもそういうような会合で顔を合せた江川君の方は椎野さんを覚えておつても、椎野氏の方では……。
  210. 椎熊三郎

    椎熊委員 それ以上は君の想像だからよろしい。会つたであろうということを大体確認されておる。そこであなたは九州においては重大な使命を帯びて行つておる党員だが、主としてあなたの住居はどこであつたのですか。
  211. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。若松にしばらくおりました。それから鹿児島県にもしばらくおりました。
  212. 椎熊三郎

    椎熊委員 転々としてその居所をかえておつたのですか。
  213. 永山正昭

    永山証人 転々として居所をかえておりません。二つだけです。
  214. 椎熊三郎

    椎熊委員 一定の住居を持つておるわけですか。
  215. 永山正昭

    永山証人 持つております。
  216. 椎熊三郎

    椎熊委員 中央から共産党名士と称せられるような、偉いような顔をしておる人が来る場合に、あなた方に何らかの通知があるのですか。
  217. 永山正昭

    永山証人 ございませんです。
  218. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうすると忽然として現われるのですか。     〔発言する者あり〕
  219. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 御静粛に願います。
  220. 椎熊三郎

    椎熊委員 共産党中央本部員が、地方へ党の用向きで行く場合に、地方に連絡せず忽然と現われるというのが常識なのかどうか。
  221. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。それは当然連絡があります。
  222. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうするとあなたの地位ではそういう連絡を受けるような立場にあつたわけですな。
  223. 永山正昭

    永山証人 どういう連絡でございますか。
  224. 椎熊三郎

    椎熊委員 名士が行くとか、今度はだれが行くとがいうような……。
  225. 永山正昭

    永山証人 私は九州におきまして、本部からだれか偉い人が来るとかいうような本部の連絡を受けるという立場にはございません。それぞれ九州地方委員会には九州地方委員会常任委員会というものがありまして、事務局があるわけであります。それで、たとえば徳田球一氏が九州をまわつて演説会をやるというような場合には、各地方委員会なり、演説会を開催するような場所にある県委員会、それから地区委員会に通知があるだろうと思います。
  226. 椎熊三郎

    椎熊委員 大体あなたもそういう偉い人が来るということはわかるわけですな。
  227. 永山正昭

    永山証人 そういうことは新聞にも出ますし……。
  228. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうするとあなたが九州党員になつてから九州を離れるまでの間に、椎野君は何回くらい来ましたか。
  229. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。九州には何といいますか、ときどき来られるというのではなくて、しばらくおられたと思います。
  230. 椎熊三郎

    椎熊委員 それでは当然あなたはよく御懇意に会つておられるわけですか。
  231. 永山正昭

    永山証人 椎野氏と会つたことはございます。けれども格別懇意ということはございません。
  232. 椎熊三郎

    椎熊委員 党員としてあなたは、名士というほどに尊敬されておる人だから、そういう意味で九州におる間は面会したということは確認できるわけですね。
  233. 永山正昭

    永山証人 私が九州椎野氏と会つたということは確認できます。
  234. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうしてあなたは大体あなたの住居地において会われたことが多いでしようね。
  235. 永山正昭

    永山証人 そういうことはございません。
  236. 椎熊三郎

    椎熊委員 汽車の中とか、どこかの出張先とかいうことじやないでしようね。
  237. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  238. 椎熊三郎

    椎熊委員 住居を持つてつたところで会つたということは確認されますか。
  239. 永山正昭

    永山証人 椎野氏が九州地方委員会に来られたときは、九州地方委員会というのは福岡の博多にございます。従つて私が椎野氏と多く会つたのは博多でございます。
  240. 椎熊三郎

    椎熊委員 若松会つておらぬですか。
  241. 永山正昭

    永山証人 先ほど申しましたように、一回ははつきり記憶がございます。
  242. 椎熊三郎

    椎熊委員 一回若松で会つた記憶がございますね。
  243. 永山正昭

    永山証人 ございます。
  244. 椎熊三郎

    椎熊委員 それはいつです。
  245. 永山正昭

    永山証人 それは大体国鉄若松機関区にちよつと問題が起つたことがあります。
  246. 椎熊三郎

    椎熊委員 職場離脱があつたときですか。
  247. 永山正昭

    永山証人 その少し前です。
  248. 椎熊三郎

    椎熊委員 そうすると二十二年ですね。
  249. 永山正昭

    永山証人 二十三年の……。
  250. 椎熊三郎

    椎熊委員 それはこつちですぐわかりますから…。職場離脱のあつたすぐ前に、若松で会われたのですか。
  251. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  252. 椎熊三郎

    椎熊委員 そのころ江川氏とあなたとしよつちゆう会つておられるのですか。
  253. 永山正昭

    永山証人 江川君とはしよつちゆう会つております。
  254. 椎熊三郎

    椎熊委員 江川君が北海道へ行つてからは、あなたとは連絡がないのですか。
  255. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。北海道江川君が行つてから、一度九州へ手紙をもらつております。一度だけ手紙が来ております。その以後のことは私承知しておりません。
  256. 椎熊三郎

    椎熊委員 江川君は、北海道海上オルグかなんかをつくるということが使命で行つたというようなことを聞いておりますが、あなたは小樽の人ですから、あなたの紹介か何かで行かれたわけですか。
  257. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。江川君は若松地区常任をしておりましたときに、からだが悪くなりました。江川君は国が北海道の後志の壽都であります。たまたまそのとき江川君と同じ国の田谷君というのがおりまして、そうして江川君がからだが悪くなつたので、しばらく療養した方がいいということでもつて、国へ帰つてそうして養生するように勧めました。江川君は療養するために帰つたわけであります。もつともからだがよくなつたら北海道地方委員会へ行つて、それぞれ地方委員会の指示のもとに活動するようにという意味合いで、私がたしか広谷君に江川君の紹介状を書いて渡した記憶がございます。そういうことがございまして、江川君は、あのときは病気の療養のために帰つたのであります。
  258. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたのさつきの略歴が聞きとれなかつたのですが、学校はどこです。
  259. 永山正昭

    永山証人 北海道庁立小樽中学校を四年でやめております。
  260. 椎熊三郎

    椎熊委員 四年で退学されたのですか。広谷君とは同期くらいですか。
  261. 永山正昭

    永山証人 広谷君とは幼稚園で一緒であります。広谷君は小樽の市立中学であります。
  262. 椎熊三郎

    椎熊委員 庁立さ。
  263. 永山正昭

    永山証人 いいえ、小樽市立中学であります。
  264. 椎熊三郎

    椎熊委員 市立か。
  265. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  266. 椎熊三郎

    椎熊委員 あなたは庁立の方ですか。
  267. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  268. 椎熊三郎

    椎熊委員 幼稚園は一緒
  269. 永山正昭

    永山証人 はい。
  270. 椎熊三郎

    椎熊委員 江川君が北海道へあなたの紹介状を持つてつたというのは、ただ単に病気療養で帰つてつたということは今初めて聞くのですが、われわれは今までの調べによると、ある種の使命を帯びて、あなた方の紹介によつて北海道べ渡つたというふうに記憶しております。それをただ病気のために帰つたといわれると、われわれの今まで聞いておつたことと違つて来るわけです。そこで明らかになつたのは、あなたが北海道の地方委員である広谷君に紹介状を持たしてやつた、手引きをしてやつたという事実が、ここで明らかになつたわけです。それほどの間柄の江川君ですが、その江川君が共産党の有名な椎野君と、あなたが立会いの上で会つたということを明確にここで証言しておる。それはどうですか。
  271. 永山正昭

    永山証人 私は先ほどから申し上げておりますように、椎野さんに江川君を特に紹介したことはございません。一度もありません。
  272. 椎熊三郎

    椎熊委員 特に紹介しなくても、その必要のない間柄じやないのですか。地区における少数の選ばれたる責任ある委員であり、片一方は共産党の有名人である。特に紹介しなくても当然知つていなければならぬ間柄じやないですか。
  273. 永山正昭

    永山証人 それはそういうことも言えるかと思いますが……。
  274. 椎熊三郎

    椎熊委員 大体常調上は言えるでしよう。
  275. 永山正昭

    永山証人 先ほどから申し上げますように、九州というところは広うございますし、九州全体を、あるいは福岡県あるいは長崎県あるいは大分県というふうに、椎野氏は各県をまわつていられます。従つてつた人はたくさんおられると思いますが、その一人々々を椎野氏が記憶しておらなくちやならぬということは私はないと思います。     〔佐々木(秀)委員長代理退席、委員長着席〕
  276. 椎熊三郎

    椎熊委員 義務もないと思うけれども、大体知つておるでしよう。  そこでもう一つ聞きたいのは、支部の常任委員などというものになつた場合は、どういう形式でなるのです。地区細胞の選挙ですか、それとも本部か何かの命令ですか。
  277. 永山正昭

    永山証人 大体地区常任をきめます場合は、いろいろあると思いますが、地区で選考いたしまして、そうして上の方の承諾、上部機関の承認がいるわけであります。上部機関の承認を得てきまるのであります。
  278. 椎熊三郎

    椎熊委員 地区細胞で選考して、上級機関の承認を得てきまるというわけですね。本部や何かの関係はどうなんです。きまればただちに本部へ氏名を届ける。そうすると本部議長などを勤める人は、何かそういうリストか何か持つてつて、どこにどういう委員がおるのだということを当然覚えていなければならぬわけですね。
  279. 永山正昭

    永山証人 それは先ほど申しましたように、地区委員会というものが全国に無数にございます。従いまして、そこには大きいところでは数十名のところがありましようし、少いところは五、六人というところもあります。四人ということろもあると思います。その全体の名前を特に人事官か何かだつたら別でありますけれども、とても覚えられるものではないと思います。
  280. 椎熊三郎

    椎熊委員 そこであなたの証言を聞く気持を整理するために最後に聞くのだが、今あなたとの問答によると、大体椎野さんほどの有名人が来るということは、常任委員を勤めておる人は知つておるだろう、それからおそらく椎野氏は記憶がなくても、江川氏は顔を知つておるだろう、それからあなたは大体九州椎野さんとも会つたが、特にあなたの住居のある若松で一回会つておることを明確に記憶しておる。それは九州における鉄道の職場離脱の問題があつたやや前、こういうことだけは明らかになつた。そうすると私はあなたの考え方は、当然椎野氏と江川氏とは会つておるのだろう、会わないなどということは想像もできないことで、当然会うくらいなことはあつたろうという常識上の考え方を今述べられた、その裏づけをなすものは今あなたが説明されたことに々つて明確になつた。それで私はあなたに質問するところが明確になつたわけです。ただあなたは四人が立会いで密貿易の陰謀をたくましゆうする会合に列席したかどうかということに対して、そういうことはないとはつきり言われただけです。しかしわれわれの他の調べによると、あなたは立会いの上で共産党党費獲得のために、朝鮮密貿易を計画してこれを命じたという事実が一方には明らかになつた。そういう意味で、私はたいへん明確になりました。
  281. 井手光治

    ○井手委員 ちよつと簡単に……。昭和二十一年の末から二十二年にかけて、あなたは労働学校を開催したということを先ほどの証言で言われましたけれども、昭和二十一年の暮から、昭和二十二年のいつごろまでに労働学校をやられたか。開始されたのはいつごろで、閉鎖されたのはいつごろですか。
  282. 永山正昭

    永山証人 労働学校というのは、看板を出していわゆる学校式にやつたのではないので、要するに初めは、先ほどの御質問にもありましたように、同志会青年部の委嘱で、私が講師で、労働組合法と船員法その他の講義をやりました。それでそういうことが例になりまして、その後同志会労働学校をやめたあとも、ずつと私の自宅にみんなが集まつて、いろいろそういうふうな勉強をした、こういうぐあいであります。
  283. 井手光治

    ○井手委員 私の今聞いたのは、いつごろ始まつていつごろ終つたかということです。
  284. 永山正昭

    永山証人 昭和二十一年の暮から、大体昭和二十二年の春までと思います。
  285. 井手光治

    ○井手委員 そこで、昭和二十二年の春に労働学校を閉鎖したが、あなたは労働学校を開いておつた当時は、ほかの地方にからだを移したことはありますか。
  286. 永山正昭

    永山証人 ございます。
  287. 井手光治

    ○井手委員 そうすると、いわゆる党の方針によつて労働教育をやつて労働学校の講師をしておるというのですが、その間労働学校というものを放棄して、からだをあつちこつち動かせる余地があつたのですか。
  288. 永山正昭

    永山証人 毎日々々必ずやるというほどのものでもざいませんし、それからその労働学校建前は、いわゆる講師の講義を全部聞くというようなあり方ではなくて、集まつた者がいろいろな問題について討議するというふうなかつこうでありましたので、必ずしも講師がいることを必要としない学校であつたわけであります。
  289. 井手光治

    ○井手委員 そこであなたの記憶では、昭和二十一年の暮から昭和二十二年の春の労働学校閉鎖のときまでのあなたの行動は、若松におつたか、おらなかつたかということは大体明らかになつたのですが、それから先、春から夏までのあなたの行動について記憶を新たにしてもらいたいと思います。
  290. 永山正昭

    永山証人 再三申し上げました通り、私は中央から九州地方委員会に派遣されておつたのでありまして、大体若松とか博多とか長崎とか佐世保とかいうところをいろいろまわつてつたのであります。三、四日か一週間くらいずついろいろのところの地区委員会をまわつてつたのであります。というような立場にございましたので、昭和二十二年の夏にお前は若松にいたかあるいはどこにいたかということを言われましても、ちよつとお答えできないのであります。
  291. 井手光治

    ○井手委員 共産党員として中央から派遣されて、九州地区のそういう指導的な役割をしておる人の行動というものは、おそらく党本部、少くとも九州地方委員会においては、あなたの行動は明らかになつておらなければならぬ。あるいは記録があるかないか、これは調べてみなければわかりませんが、しかし少くとも党の相当の重要役員が、そういう広範囲にわたつて行動を明らかして動かなければならぬという態勢にあるならば、そのことはある程度明瞭になつておらなければならぬと思うのであります。これはおそらく党の機関の役目として当然のことだと思うのですが、あなたの行動はやみからやみへ、まつたく自己にも記憶がなければ、他人もわからぬというような、そういう不明瞭な行動をおとりになつたのか。あなたの昭和二十二年の春までの行動は明らかになつたから、佐々木代議士も御質問になつた夏のあなたの行動について、御記憶があれば——記憶がないのなら別ですが、もう一度お開きしたいと思います。
  292. 篠田弘作

    篠田委員長 夏中全部そうやつて歩いておる。夏中一ぺんも若松に帰えらなかつたという記憶があるかどうか、そのくらいのことはわかるでしよう。夏中若松にいたということは、今言つたあなたの証言によつて成立たないかもしれない、全部九州地区委員としてやつておられたのであるから。しかしその間自分の住居である若松に夏中一回も帰つたことがないかどうか。行つたり来たりして、若松におつたこともあるのではないか。それがあなたの記憶にあるかないかということです。
  293. 永山正昭

    永山証人 それはあると思います。何日間か若松におつたかと思います。
  294. 篠田弘作

    篠田委員長 その間の出来事として、椎野君と江川君というようなことは……。
  295. 永山正昭

    永山証人 そういうことはありません。
  296. 井手光治

    ○井手委員 きわめて不明瞭な答弁で非常にふに落ちないのですが、その点は先ほど内藤委員及び関係委員からお尋ねしておりましたが、私はこれは事実問題として、共産党の慣例としてここにお聞きしておるのです。共産党椎野議長——当時中央執行委員の大立物椎野氏が、あるいは徳田氏でもいいし、その他の者でもいいが、ことに椎野氏は九州地区の担当委員であつたというのですが、党の最高幹部が若松なら若松に行かれましたときに、その若松地区委員、しかも最高幹部である常任委員と当然会われておるだろうということは常識だというあなたの証言なんです。そういう幹部が地区に臨まれたときに、慣例として最高幹部と会うのは、共産党の例はどうですか。そういう慣例になつておりませんか、名もなき党員と会うというのではない。委員あるいは常任委員、四人の常任委員椎野君が会われておるということは、一般的の慣例であるかどうか、これをひとつお聞かせ願いたいと思います。     〔委員長退席、佐々木委員長代理着席〕
  297. 永山正昭

    永山証人 必ずしも一般的な慣例はございません。たとえば来方が問題になりますが、国鉄の問題で若松に来られたというような場合は、国鉄関係党員もしくは国鉄関係仕事をしておる者が主として会われることになる。
  298. 井手光治

    ○井手委員 それは例外です。一般的の場合はどうです。
  299. 永山正昭

    永山証人 一般的にはそういうことが言えるかもしれません。
  300. 井手光治

    ○井手委員 そうしますと、一般的には党の幹部が行つたときには、われわれの党でもそうだが、地方の支部長なり、副支部長なり、あるいはその他の役員、最高幹部には儀礼的にでも会う。それは常識的でもあり、慣例でもあるということははつきりしたと思うのです。そこで椎野氏は、あなたは先ほどの証言で、九州地区には地区委員が相当数あるので、その多数の人の顔を一々覚えておるということはちよつと考えられないということを言われた。ところが私どもの常識からすると少くとも、それは二十人とかいうような地区常任委員が集まつたのなら、その顔なり名前を全部覚えるということは困難かもしれませんが、しかし本人は若松におつて慣例上、常識上党の地区の最高幹部であるところの常任委員と——それが三人か、そのうち二人か、四人全部であつたか知らないが、三人か四人の常任委員と慣例的に当然会つたというのは常識的に成立つという理論から、椎野君が江川君を覚えておる、おらないということは、これは判断の仕方でどうにもなると思いますが、それほど一体常任委員九州地区を担当しておる椎野君との一般的なつながりというものは浅いものなんですか。
  301. 永山正昭

    永山証人 私が申し上げましたのは、北九州地区ということです。今の御質問では、椎野氏は九州地区の責任者である。従つて九州地区の最高幹部を知らないことはないであろう、あるいは会つたことはないということは言えない、こういう御質問でありますが、九州地方委員会の地方委員、あるいは常任委員というものと椎野氏とは、九州地方委員会におつた人でございますから、これは御懇意でもあつたと思いますし、始終会つてつたと思います。また私が先ほど申し上げましたのは、九州地方委員会の下に福岡県委員会がある、福岡県委員会の下に北九州地区委員会がありまして、その北九州地区委員会の下にまた若松市の委員会、小倉市の委員会門司市の委員会というふうにあるのであります。そういうつまり四つばかり下の方の常任委員の一人々々の顔を全部覚えてないこともあるだろう、こういうことを私は申し上げたのであります。
  302. 井手光治

    ○井手委員 覚えておることもあるだろう、ないこともあるだろうということは、あなたの証言を求めるまでもなく常識的に私も知つております。私の聞きたいのは、今もあなたが証言されたように、九州地区委員会の下に県委員会がある。その下に市の委員会がある、こういう段階になつておるということはその通りだろうと思うのですが、かりに一村落の常任委員であつても、われわれが地方をまわりましても、村には村長、助役が一人か二人しかおらないがそこでは最高幹部であります。そこへ行つたときに村長さんから名刺をもらつたら、その人はどういう人かということはこれは何も単位が小さいとか大きいとかいう問題ではなしに、その人に会つていれば、その人に会つたという記憶があることは、われわれ全国をまわつておりまして覚えておる。ところが共産党は血のつながりを持つた強力な政党だし、その地区、しかも若松市というのは、九州で名立たる市です。その常任委員会つて覚えておらぬのがあたりまえだろうという証言は、私はどうかと思う。そういうような地区委員会と最高委員会とのつながりというものは、一般的には薄いものですか、もつとつながりの強いものですか、その点を最後に伺つておきたい。
  303. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 永山君に重ねて申し上げます。速記の方で、速記をとるのにあなたの声が小さいために十分聞きとれないということを申されておりますので、再三申し上げることでありますが、できるだけの声を出してひとつ御証言願いたいと思います。
  304. 永山正昭

    永山証人 椎野さんが江川君を覚えておるのが当然だろう、当然記憶があるだろう、そう思うがどうかということでございます。再三申し上げましたように、地区委員会というのは福岡県だけでも相当数ございます。それから九州全体で福岡県、長崎県、大分県、鹿児島県というふうに県委員会委員がおる、九州地方委員会委員がおる、地区委員会地区委員がおる、市委員会には若干名の市委員がおるということになつております。椎野さんは九州地方委員でありまして、九州地方委員会常任委員なり、こういう人たちとは始終一緒仕事をされておるのでありますから、九州地方委員とか、あるいは常任委員という方とは始終接触があるわけであります。けれどもその下の大分県委員会とか、あるいは福岡県委員会委員になりますと、九州地方委員会委員との接触よりも若干薄くなるわけであります。福岡県委員会委員諸君、あるいは大分県委員会委員諸君、こういうような諸君とはそれでも大体一応覚えておるだろうと思いますが、その下に今度は地区委員会がある、その地区委員会常任委員のだれだれというふうなものを全部覚えておらないのは当然ではないかというのは、私は必ずしも変でない、こういうことを申し上げておるわけであります。
  305. 藤田義光

    ○藤田委員 まず最初に昭和二十二年に共産党組織活動指導部員になられたという証言がございましたが、この組織活動指導部というのは、徳田球一氏がみずから部長になつてできたあの指導部でございますか。そうしてこの指導部は、書記局並びに政治局との関係はどういうふうになつておりますか。
  306. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。指導部は、最初の部長はあるいは徳田書記長であつたかもしれませんが、はつきり記憶がございません。  それから組織活動指導部というのは、大体書記局の専門部でございます。
  307. 藤田義光

    ○藤田委員 この組織活動指導部というのは、たしか昭和二十二年の暮れの第六回共産党全国大会後にできたというふうに私は記憶いたしておりますが、証言では二十二年の春に指導部員になつたということでございますが、これは間違いございませんか。
  308. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。私の記憶違いかもしれませんが、組織活動指導部というのは当初からあつたと思います。
  309. 藤田義光

    ○藤田委員 地区委員会地方委員会県委員会、この段階ができまして、紺野氏が九州担当に乗り込んだのは、終戦後大分時日が経過してからと私は記憶しておりますが、いつごろ細胞から地区委員会県委員会地方委員会という組織が確立されたか、はつきりしたところをひとつお答え願いたい。
  310. 永山正昭

    永山証人 私は地方委員会で、そういう九州地方委員会全体の組織がどんなふうに確立したかというようなことに携わる地位にはおりませんでしたので、私にはわかりません。
  311. 藤田義光

    ○藤田委員 あなたの略歴を大体お伺いしましたが、共産党におきましては、昭和二十年の暮れに入党して、二十二年の春組織活動指導部員になられた、これだけの党歴でございますか、お伺いしたいと思います。  ついでに、江川氏は一般に共産党内では、永山氏を恩人としなくてはならぬ、非常に永山氏にお世話になつておるということを聞いておるのでございますが、どういう関係江川文彌氏が永山氏の恩義を受けておるということをいわれておりますものか、この点をお伺いしておきます。
  312. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。党歴につきましては先ほどお答え申し上げました通りであります。  それから江川君が私に恩義を感じておるということはどういうことであるかという御質問であります。それについてお答えいたします。江川君は西日本石炭輸送会社船員でありました。その前、たしか日本郵船会社の船員つたわけであります。西日本石炭輸送会社船員になつて昭和二十三年の初めだつたと思いますが、共産党に入つたということで、初めて会つたわけであります。その後若松市の常任になりまして、そして江川君が私にときどき漏らしたことでは、郵船会社時代、あるいは共産党に入る前、そのころ自分は非常にふまじめな船員つた、いろいろなことをやつた。しかし今はこうして共産党に入つてそうしてあの江川があんなにまじめになつたということを人からいわれ、ことに昔知つてつた人からいわれる。そういうことを始終たびたび漏らして、私を含めての党に、共産党といいますか、そういうような空気に感謝しておつたわけであります。もし江川君が私に恩義があるといえば、そういつたことであろうと用心います。
  313. 藤田義光

    ○藤田委員 きようの資料で配付されました前衛四十四号の紺野氏の論文を見ましても、終戦後非常に活発に船員から党員獲得が行われたようであります。ばくちの常習犯とかあるいは入れ墨を入れている人は入党させないというようなことが、相当党内ではつきりいわれたそうでございます。これは永山さんが一番詳しいのですが、終戦後の社会一般の情勢から、海上においては特に密貿易ということが、もうほとんど全部の船員がやつてつた、それが普通であつたというふうにわれわれは聞いておりますが、当時西日本石炭輸送会社の総務課長としての永山さんも、そういう事態を目撃されておりますか、どうですか。
  314. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。全部の船員がそういうふうに堕落したわけではありません。これはいつでも一部の船員でございます。けれども一部の船員密貿易をするとか、あるいは商売をやるとか、入れ墨をやつたとか、ばくちをやるとかいうと、それがいつでも全部の船員がそうであるかのようにいわれるわけであります。そして西日本石炭輸送会社船員について申しますれば、たとえば自分の給料が幾らであつたというようなことも、引船の船員ですらも知らないような状態でありました。そうして抜荷であるとか、あるいはバンカーの横流しであるとか、それから若松から大阪までに船が航海いたしますが、その間船長の家が鮴崎などという所にあるわけです。そういうところに一週間くらい船がとまるというようなことがあつたわけであります。そういうふうなことを何とかしてなくしたいというのが私の念願でもございましたし、またわれわれ全体の念願でもあつたわけであります。それであるいはばくちであるとか、あるいは入れ墨であるとか、そういうふうなものも何とかしてなくしようということが私どもの若松における一番の仕事であつたわけであります。そういうことであります。
  315. 藤田義光

    ○藤田委員 密貿易をやらない人、ばくちとか入れ墨をしない人の中から党員の獲得を重点的にやつてつたということは間違いありませんね。
  316. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。大体そういうことであります。但し過去に入れ墨をやつてつた、あるいはばくちをやつたことがある、こういう者も今後そういうことをやらないとか、まじめになるというような場合には、これは私はどんどん入れてよいのだと思います。これは日本共産党が全部聖人君子というわけにも行きませんし、そういうふうな性質のものではないと思いますので、ただそうでなくてもいろいろと誤解されやすい、いろいろなデマを飛ばされやすいということから、できる限り私生活なり船内生活なり何なりというものをまじめにしなければならないということが、あのころの私どもの建前であつたのであります。そういうことはだれよりも江川君自身がよく知つているはずであります。
  317. 藤田義光

    ○藤田委員 当時共産党は旭日昇天の勢いでありまして、永山氏は慎重な態度で党勢拡張をやられたという、想像以上に当時としては慎重な態度をとられたようであります。密貿易は党のためにならないという証言がありましたが、当時密貿易の常習者、入れ墨をやつている人、あるいはばくちの常習者、これは非常に危険である、だからこれ以外の人を入党させて密貿易をやれば発見されないというようなことが巷間に伝えられております。入党の条件としてこういう札つき以外を重点的に入党させたのは、札つきでない人を入党させることによつて密貿易をカムフラージユするというような気持があつたのではないかといわれておりますが、この点に関してはどういう御見解でありますか。
  318. 永山正昭

    永山証人 そんなことは絶対にないということを申し上げます。
  319. 藤田義光

    ○藤田委員 それから先ほどの証言で、江川氏は二十三年の春入党されたというような御証言があつた記憶しておりますが、間違いはありませんか。
  320. 永山正昭

    永山証人 そうであります。
  321. 藤田義光

    ○藤田委員 そうしますと、最初の委員長の質問に対しまして、二十二年の春ごろから知つておられたと申されたが、その間入党するまで一年間のギヤツプがあつたわけでございますが、この点は単なる船乗りの江川共産党組織活動指導部員としての永山氏の交際は、常識的に非常におかしい点がありますが、その点はどうですか。
  322. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。今私聞き間違えたかもしれませんけれども、先ほどの委員長の御質問に対しましては、江川君と初めて会つたの昭和二十二年の春であると申しましたが、江川君が党に入りましたのもそのころだと思います。
  323. 藤田義光

    ○藤田委員 これは多少横道になりますが、あなたはこの五月に、ちようど当委員会江川問題を取上げたころ共産党本部をやめられております。やめられましたあと、さつき生活の道を内藤委員かだれか聞いておりましたが、失業保険金をもらつておられますか。
  324. 永山正昭

    永山証人 もらつておりません。
  325. 藤田義光

    ○藤田委員 そうしますと、本部員というのは一定の職業ではないのでございますか。
  326. 永山正昭

    永山証人 一定の職業であります。
  327. 藤田義光

    ○藤田委員 一定の職業でございましたならば、労働三法に基く労働者の基本的権限は当然保障されなくてはならぬ。共産党が失業保険に対する手続をやつておらぬというようなことは非常にふしぎな現象でございますが、この点はどういう理由でございますか。
  328. 永山正昭

    永山証人 私、そういうような共産党本部員の給与であるとか、待遇であるとかというようなものの係ではございませんので、どういうわけでそういうことをしていないのかという御質問をされましても、私にはわからないのであります。
  329. 藤田義光

    ○藤田委員 共産党組織活動指導部員というのは、党勢拡張の非常に重大な責任を持つているわけであります。この人が党をやめましてすぐに職を探す、探しながらもその間一箇月以上もゆうゆうと食べておられるということは、よほど収入がよかつたわけでございますか。
  330. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。やあましたときは組織活動指導部員というのではございませんで、労働組合部の一部員であります。それからやめてからゆうゆうと食べていると言われますが、決してゆうゆうと食べてもおりません。また収入はわずかなものであります。
  331. 藤田義光

    ○藤田委員 そうしますと、労働三法に基く権利の主張をなされる予定は全然ございませんか。共産党なんかの本部職員を失職した方は、失業保険なんか必要でないわけですね。
  332. 永山正昭

    永山証人 今の御質問は労働三法ですか、そういうことを本部に対して請求する気持はないかという御質問だと思いますが、現在の本部の事情も私多少漏れ聞いておりますが、私が本部をやめなくちやならなかつた理由も、その一つはそういうことにあるのでないかと思いますので、請求する気はございませんでした。
  333. 藤田義光

    ○藤田委員 何と申しますか、労働者の最低の権利まで放棄されるという態度は、われわれとしては実に意外でございますが、次にお伺いしたいのは、江川氏の弟さんが何か病人であるということを御存じでございますか。ちよつとなおらぬ病気をされておるというようなことをお聞きになつたことがございますか。
  334. 永山正昭

    永山証人 私は直接江川君の家族の状況その他については知つておりません。
  335. 藤田義光

    ○藤田委員 江川文彌氏は完全な健康体に現在はなつておるようでございますが、北海道に帰りましたときの病気というのはどういう病気でございましたか。
  336. 永山正昭

    永山証人 私は当時若松にいなかつたのでありますが、若松地区委員会で勤務中熱を出して、そして突然便所の中で倒れた。そういうことがありましたので、これは病気をなおなければいかぬということで、医者にも見てもらいましたが、病名ははつきり記憶しておりません。しかしいずれにせよ、きちんと仕事をして行くという状態ではないということで、北海道に療養に帰つてもらつたわけであります。
  337. 藤田義光

    ○藤田委員 江川氏個人の名誉にも多少関係しますのではつきり申し上げられませんが、弟さんの病気は遺伝学上多少心配されるようなものであるというふうにもわれわれは聞いております。そうしますと、江川氏の証言の信憑性に関して非常な問題が起きるわけであります。この問題に関しては、執務上倒れたといういわゆる常識的な病気であつたように御記憶で、これ以上追究してもむだだと思いますから打切りたいと思います。ただ執務中卒倒した程度の病気であつたならば、なぜに北海道に帰つて静養させ、しかも北海道の小委員会の責任者に添書まで書くというようなことをされたか、この点がどうも常識的にはつきりしないのでございます。この点を最後にお伺いしたいと思います。
  338. 永山正昭

    永山証人 執務中倒れたというようなことが、一度でなく何回もあつたのです。それは執務中に倒れるとか寝るということはあると思います。しかし、だからといつてすぐその仕事を解くというようなことは普通の場合はないわけであります。ことに江川君の場合はたびたびそういうような状態があつた。それでどうもほんとうでないということから北海道に帰つてもらうことになつたわけであります。それから病気がよくなつたら地方委員会で働くようにという紹介状を書いたことについて、ふに落ちないということでございますが、江川君が北海道に帰れば当然北海道地方委員会の監督下になるわけでありますから、せいそれ病気がよくなつてなおつた北海道地方委員会とよく連絡して、そしてまた元気で働くことはきわめてあたりまえなことだと私は思います。その紹介をしたということであります。
  339. 山口武秀

    山口(武)委員 時間がございませんから、先ほど質問のあつた点はできる限り省きまして、江川証言との食い違いの問題をひとつお聞きしてみたいと思うのであります。先ほど私聞きとれなかつたのですが、永山証人江川文彌と知合いになつたのは二十二年春ごろだ、こういうふうに言つておられましたが、これに間違いないのですか。
  340. 永山正昭

    永山証人 間違いはございません。
  341. 山口武秀

    山口(武)委員 実は江川文彌君の証言によりますと、二十一年の春江川君が機関長問題で闘争を起していた、そのために海員組合に行つたとき、永山証人海員組合若松支部にいて、その海員組合に行くたびに永山証人会つて、それで繋がりが深くなつたと言つておりまして、二十二年の春ということを言つております。それから内容が大分具体的に言われているわけですが、このようなことに対して先ほどの言葉が間違いないとしますと、どういうようにお考えでしようか。
  342. 永山正昭

    永山証人 私の証言に間違いはございません。
  343. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと江川君が機関長問題で闘争を起して、海員組合若松支部に行つたというようなことについて御記憶はないでしようか。
  344. 永山正昭

    永山証人 私、当時海員組合若松支部におりましたが、そういうことはございませんでした。
  345. 山口武秀

    山口(武)委員 それでは江川君が機関長問題で闘争を起したことは御存じですか。
  346. 永山正昭

    永山証人 存じません。
  347. 山口武秀

    山口(武)委員 それは永山証人のそのころにおける党の立場からも、そういうような闘争があつたかないかということは、あるいは記憶に残るのではないかと思いますが、このような闘争はあつたでしようか。これはわかりませんか。
  348. 永山正昭

    永山証人 若松では私聞いたことはございません。
  349. 山口武秀

    山口(武)委員 これは前の江川証言によりますと、二十二年の秋に戸畑丸矢島昇から海上区に同道を頼まれた。そして永山証人のところで話をしたところ、矢島は実は書類を預かつて来ているのだと、厚い白い大型の角封筒を出した。その表には日本共産党中央委員会書記局、裏にはマークのようなものが書いてあつて、そして私立会いで矢島から永山に手交したと言つておる。これはすでに先ほどのお答えの際に明らかになつたことでありますが、矢島昇という人を永山証人はかなりよく知合いであつたかどうか。
  350. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。知合いでありました。
  351. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと証人矢島君と知合いであつた関係、それから証人江川君と知合いであつた関係、この関係はどちらの方が深かつたか、この点いかがでしようか。
  352. 永山正昭

    永山証人 どちらが深かつたかというと、繋がりの仕方が江川君とは若松地区委員会常任委員、私は地方委員会における中央部である。それから矢島君との繋がりは、矢島君は私の後輩であるといういわば私的の繋がりでございますから、それでどちらが深かつたかというようなことはちよつと性質が違うのであります。けれども今の御質問で言われたような、江川君が矢島君を同道して何か書類を持つて来たとか何とかいう事実は全然ありません。
  353. 山口武秀

    山口(武)委員 実はその点を聞きたいのはこういう意味なんです。江川君が永山証人のところへ一緒に行つてくれと矢島君から言われた。何のために一緒に行つてくれというのかその際は言わなかつた。大事な用があるということだけしか言わない。それで永山証人矢島君、江川君と三人一緒なつたところで、実はこういう書類を預つて来たのだと切り出した。これはたとえば矢島君が江川君のところへ行つて、こういう書類を預つて来たということをすぐ相談しに行つたというなら受取れる。ところがそういうことは言わないで、ただ行つてくれということだけで行つておる。そうすると矢島君が永山証人をたずねるのに、特に江川君が同道しなければならないような緑が薄い関係になつておるのか。矢島君はもし秘密な用を頼まれて来た場合には、江川君に相談しないで直接永山証人の方へ行つたらよかつたのではないだろうかというような点で疑問に思つておる。やはり矢島君が来る場合には、江川君を通さなければならなかつたという関係があつたのですか。
  354. 永山正昭

    永山証人 つまり矢島君が江川君を仲介しなければ私と会えない関係にあつたのかという御質問だろうと思いますが、そういう関係にはなくて——大体そんな書類を持つて来るということはないはずなんですから、私をたずねるにいたしましても、江川君に特に私のところへ同道してくれというような関係ではございません。たずねて来るとすれば、直接たずねて来るはずであります。
  355. 山口武秀

    山口(武)委員 江川証言によりますと、その次の日に若松を立つて東京に四、五日いて帰つて来た、そうして中央の田中松次郎氏立会いで伊藤律氏にその秘密の書類を渡したと言つておりますが、それは事実でしようかどうでしようか。
  356. 江川文彌

    江川証人 そういう事実は、ございません。
  357. 山口武秀

    山口(武)委員 これは永山証人の判断を求める点なんですが、先ほどから秘密の書類を預つたという場合に、その秘密の書類の表書きに日本共産党中央委員会書記局と書いてあつたというのですが、秘密の書類の表書きにこういうようなことが書かれていて一体危険がないのか。普通の常識でいえば、秘密書類にはこういう表書きが書かれるべき性格のものではないと思うのですが、この点はどうですか。
  358. 永山正昭

    永山証人 御質問の通りでありまして、第一そんな書類は来たことがないのです、また来べき性質のものではないのですが、もし来るといたしましても、そういうふうな場合に、大きな封箇に日本共産党中央委員会書記局御中というようなことを書くことはちよつと考えられないことであります。税関もございますし、その他いろいろの機関もございますから、特にそんなふうに明記することは、常識的に申しましてもあり得ないことだと私は思います。
  359. 山口武秀

    山口(武)委員 江川君が九州から北海道に行くことについてのいきさつは、先ほどの幾多の質問で大体わかつたのですが、私一つここでお伺いしたいと思いますのは、九州から江川君が北海道へ行くときに、まつすぐに北海道行つたのかどうか、というのは、こういう話を聞いておるのです。江川君は九州を立つて東京を通つて北海道へ行くわけなんですが、その途中舞鶴に寄つた。舞鶴に寄つたというのは、おじさんかだれかがシベリアから引揚げて来るというので、その出迎えだか何だかに舞鶴に行つた、ところがそこで江川君はCICに召喚されたとか、逮捕されたとか、その点どういう言葉を使つていいのかわかりませんが、とにかくそういう事実があつた。そのことがあつて江川君は再び九州に引返してしまつた。それから東京へ出て九州に帰つたとかいうようなことを私たちは聞いておるのですが、この点に関しまして、北海道へ行く相談にあずかつた永山証人として何か聞いていることはないでしようか。
  360. 永山正昭

    永山証人 江川君は病気になりまして、北海道へ帰ることになつたのであります。ところがその途中、ちよつと舞鶴をまわつて日本から北海道に帰りたいということで、そういうつもりならばそういうふうにして帰つたらよかろうということになつてつたわけであります。ところが舞鶴へ行つて、舞鶴でちよつと事件が起つて江川君は逮捕されました。そのことが舞鶴から九州へ電報が来たのであります。その後釈放になりまして、そうしてまつすぐに北海道へ帰らずに、その逮捕された事情を、好意的にとれば報告にということですが、また九州にもどつて来たわけであります。つまり舞鶴を経由して北海道へ帰るということで一回旅費を出したわけでありまするから、舞鶴から九州にまた帰つて、それから北海道へ行くということになると、旅費を二回払うことになつて、ちよつともめたことを私は記憶しております。大体今申し述べましたように、北海道へ帰る帰り方にちよつとごちやごちやがあつたことは事実であります。その後九州に一旦もどつて、やはりからだのぐあいが悪くて倒れたりなんかして、どうしても北海道へ帰らなくちやならないということで帰つたわけであります。
  361. 山口武秀

    山口(武)委員 実はこの点が重大なことなんで聞いておるのです。といいますのは、これは江川君の偽証にもなるような問題でして、この前私聞きましたときに、江川君が取調べを受けたのはこういう関係では絶対ありませんというようなことを言つておる関係がありますので、そのためにも事情をお聞きしたいのです。舞鶴から電報が九州に来たということをいわれましたが、逮捕されたときに、だれがだれのところに打つて寄こしたのですか。
  362. 永山正昭

    永山証人 舞鶴の地区委員会から若松地区委員会に来たわけであります。
  363. 山口武秀

    山口(武)委員 江川君が逮捕されて、九州に行きまして永山証人に会われましたときに、なぜ逮捕されたのか、あるいはどういうような取調べを受けて来たのかというような点については話はなかつたでしようか。
  364. 永山正昭

    永山証人 舞鶴では大体引揚船をたずねたわけであります。そうしたところが当時舞鶴の官憲がら逮捕されたという話であります。
  365. 島田末信

    ○島田委員 時間が大分たつておりますから、ごく簡潔に二、三点だけお聞きしましよう。先ほど本部を解職された理由は、大体本部の経理事情によるというような口吻でありましたが、もう少し解職された理由を詳しく述べていただきたいことと、現在も党員であるかどうかお尋ねしたい。
  366. 永山正昭

    永山証人 解職の理由は、経済的な事情によるだろうということは私の想像でありまして、私がなぜ本部をやめなくちやならなかつたか、本部をやめさせられたかという理由は、本部の方にあるわけなんです。私が先ほど申しました経済的なこともその理由だろうと思います。しかしそう申しましたのは、これは私の想像であります。
  367. 島田末信

    ○島田委員 あなたは、経済事情によるのだろうという想像でもつてやめさせられた理由を言つておりますが、解職したのは本部のかつてであり、自分にはわからない。但しそういう解職の仕方に対して、あなたは今全然不平も不満も持つていないわけですか。
  368. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。いろいろと財政的な事情もございましようし、それから本人の能力ということもございましようし、またいろいろ問題があろうと思います。そんなふうな点について、私はそれをどうのこうのという考えは個人として持つておりません。
  369. 島田末信

    ○島田委員 うわさであると思いますが、ことしの五月にすでに脱党しておるというようなことを私ちよつと聞いたのですが、そういうような事実はありませんか。
  370. 永山正昭

    永山証人 脱党はしておりません。
  371. 島田末信

    ○島田委員 それから海上区というような名称は正式の組織名ではなくして、大体一つの仮称といいますか、そういつた海員とか船員一つグループとして勢力を拡大して行くというふうな一応別動隊的な意味でつくられた名称のように私は受取つているのですが、少くともあなたが本部の指導部員としてそのいわゆる海上区の組織の拡大について活躍をするということが唯一の任務だつたように理解するのですが、その意味から特に九州海上区の組織の拡大発展ということについて、あなたが唯一のいわゆる責任者であるというような立場には間違いありませんね。
  372. 永山正昭

    永山証人 申し上げます。私は本部から派遣された組織指導部員であつたわけでありますが、海員関係のことが私の唯一の任務ではございません。海員のことだけで、ほかのことは一切やらない、あるいは一切やつてはいけないというのでなくて、たまたま出身が海員であり、船会社におつたので、海員のことは詳しくもあるし、大いにやりたまえということだつた。しかしこれが私の唯一の任務ということではないわけであります。それが一つと、もう一つ海員関係つまり海上区、そういう海員関係九州における責任者というものはあくまでも九州地方委員会議長でありまして、私が責任者ではないのであります。先ほどから申し上」げましたように、各地区委員会常任海員関係仕事をする者が月に何回か九州地方委員会会議を持つということがございました。これの会議議長に私がたびたび選ばれたということはございます。しかしこの会議全体の責任者、これも九州地方委員会議長が責任を持つのであつて、私ではないのであります。つまり九州地方委員会議長紺野与次郎であつて、あとで山本斎君にかわりましたが、そのかわつた諸君が責任者であつて私ではないのであります。
  373. 島田末信

    ○島田委員 次に江川君は証人の腹臣であつたということは間違いありませんね。
  374. 永山正昭

    永山証人 申し上げます。腹臣という意味はどういう意味かわかりませんが、江川君については……。
  375. 島田末信

    ○島田委員 俗にいえば信頼のできる子分というような立場です。
  376. 永山正昭

    永山証人 そういう関係ではないのであります。彼は若松地区委員会地区委員でありますし、私は先ほどから申し上げましたように九州地方委員会中央派遣員であるというような関係であります。従つてたとえば門司あるいは長崎の関係仕事をする人、これらの人はみな——特に江川君が私と親しかつたというのではございません。けれども私が西日本石炭輸送会社におりましたし、江川君はそこの船員であつた。私はその会社におりましたときには記憶がないのでありますが、同じ会社にいたことはございますけれども、特に信頼のできとか、あるいは特に腹臣であつたというようなことはございません。それから先ほどから申し上げましたように、江川君の前身と申しますか、前にいろいろと過去のあつた人間であるということは私も本人から聞いておりましたので、そういう意味合いでは私は一切合財何でも信頼するという立場にはなかつたのであります。
  377. 島田末信

    ○島田委員 椎野さんが九州に二十二年の夏来たというのは、やはりいわゆる海上区の組織状況とか、その後の情勢を調べるとか、またその後の発展上いろいろ計画があつて来たのですか。
  378. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。私がはつきり記憶しておると申しましたのは、国鉄若松機関区に闘争が起りました。そしてこれは記録を見ればわかると思いますが、九州の鹿児島本線はほとんどとまつたことがない。これはいわゆる職場放棄の闘争の前であります。そのときに椎野さんが指導に来られたのを覚えております。しかし椎野さんと私が会つたのは、地区委員会ではなくて、その職場放棄をした国鉄の諸君のために、椎野氏がいろいろ激励の辞を述べられました、そのときに私は会つたのであります。これは記憶しております。
  379. 島田末信

    ○島田委員 それから先ほどの証書に、密貿易は、党のためにならぬと言われておりましたが、どういうわけでためにならぬのですか。
  380. 永山正昭

    永山証人 密貿易日本共産党のためにならない、それはどういうわけでならないか、こういう御質問でありますけれども、これも先ほど来申し上げましたが、第一に密貿易というようなことは、明らかに非合法な手段であります。そしてこういうことで金をもうけるというようなことは、まず世間一般の非難を招くことであります。それから日本共産党は、先ほど来申し上げましたように、いわゆる不正なり腐敗なりというものと闘うということを建前にしております。そういうものが密貿易をやつて金をもうけるというようなことは、党として、私なんかといたしましては考えられないことであります。
  381. 島田末信

    ○島田委員 共産党密貿易によつて党の資金をかせいでおるということは、終戦以来一般的なうわさといいますか、常識といいますか、(「事実だ」と呼ぶ者あり)事実といいますか、そういうことでどの程度か私は今言えませんが、そういつたようなことは一般国民の間で常識的なこととなつてつた場合、党のためになるかならないか、それは知りませんが、もう一つの考え方として、共産党の正式の党員密貿易をやつたのでは、党のいろいろな人気を悪くするのでいけないから、党員外の者をうまく利用して密貿易をやるんだというような計画もあつたように聞いておりますが、そういう点については、あなたは何か聞いておりますか。
  382. 永山正昭

    永山証人 私はそういうようなことは絶対にないと思います。
  383. 島田末信

    ○島田委員 最後に聞きますが、椎野さんが九州へ来たときに、あなたはいわゆる海上区の発展については、相当開拓の責任のある活動をしておつたことは、もう当然疑う余地がないと思いますが、その場合に、椎野さんほどのいわゆる名士中央から来たときには、その出迎えについて、若松でじつと待つてつたのではなく、少々先まで迎えるとか、あるいは出迎えた後は随行するとかいうことが、一応常識だと思いますが、あなたは椎野さんを迎えるために、またその後の行動についてどういうことをやられたか。
  384. 永山正昭

    永山証人 椎野氏が九州へ来た場合には駅に出迎えたか、それから九州をまわられるというときにはお前はついてまわつたかというような御質問でございましたが、これは椎野氏が名士と私が申し上げましたのは、党内での地位というようなことから申したわけです。椎野氏が九州へ来るから出迎えに行くというようなことは、まず私どもの間では考えられないのであります。それから当時ある一時期には椎野氏にも秘書がついていたと思います。従いまして椎野氏の歩くところ一切合財私がついてまわるということは、直接の上下の関係もございませんし、またそんなことは私どもの間ではないのであります。
  385. 加藤充

    加藤(充)委員 三点ほど簡単なことを、事実関係をお尋ねしたいのですが、江川君と証人会つたのは二十二年の春だとおつしやる。労働学校とやらが二十一年の暮れごろから二十二年の春ごろまで開かれていた、こういうのでありますが、そうすると江川君は労働学校には来ておらなかつたのですか。
  386. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。何回かは来たことがあつたろうと思いますが、しかし当初からは来ていなかつたと思います。
  387. 加藤充

    加藤(充)委員 江川君の入党の日時は、証人記憶ではいつになつていますか。
  388. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。昭和二十二年の春ごろだと思います。
  389. 加藤充

    加藤(充)委員 そうするとお尋ねいたしますが、大体二十二年の春ごろかと記憶されておる、その時期の前に江川君はどんな船に乗つてつたのか。それから入党後だと思われる時期の江川君の勤め先あるいは乗船の模様はどういう状態であつたのですか。
  390. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。入党したのは、たしか西日本石炭輸送株式会社の江戸丸という船に乗つてつたころだと思います。その前は先ほど申し上げましたように、日本郵船会社にいたことがあるということを私は本人から聞いたと思います。
  391. 加藤充

    加藤(充)委員 西日本石炭輸送株式会社の船に乗つてつたころだというのですが、西日本石炭輸送株式会社というのはどんな仕事をしておつたのですか、そこの船はどの方面の航路に就航しておつたのか、証人もし御存じなら承りたいと思います。
  392. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。西日本石炭輸送株式会社の船というのはたくさんございますが、江川君の乗つてつた船は引船でありまして、若松もしくは苅田というところから石炭を積んで大阪もしくは神戸へ行く船であります。
  393. 加藤充

    加藤(充)委員 朝鮮なんかに行く船は、西日本石炭輸送株式会社の持船の中にはないでしようか。
  394. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。今はどうか知りませんが、当時はございませんでした。
  395. 加藤充

    加藤(充)委員 矢島君とやらが二十二年の十一月もしくは十二月ころあなたをたずねた、それは樺太方面から帰つたときだつたというような証言があつたと私は記憶するのですが、そのときに矢島君が何のためにたずねて来たのか、それからどんな話をしたのか、書類を受取つたことはなかつたということだけではなしに、さしつかえなければお話をしていただきたいと思います。
  396. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。戸畑丸はソビエトの土威から石炭を積んで、八幡の製鉄所に入るようになつてつて来たわけであります。それで非常な苦労をして帰つた。それのために八幡市なりあるいは製鉄所なりから、何らかの歓迎会と申しますか、慰安会といいますか、そんなふうなことがあるだろうということを予期して帰つて来た。ところがそういうふうなことはさつぱりないというようなことを話しに来られたと思います。そうして、ことにソビエトから帰つて来たことに対し、共産党の方なんかでも全然何のあいさつもない、御苦労という言葉もない、こういうことは非常に不満であるというふうなことを私に話しに来たわけであります。
  397. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 いいですか。——それではちよつと私からお伺いいたしますが、先ほど島田君の御質問に対して、海上区の責任者は九州地方委員会議長であるということを言われましたが、それは間違いありませんか。
  398. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。九州地方海員関係の責任者は九州地方委員会議長であります。
  399. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 そうしますとその議長には紺野与次郎さんがなつたことはございますか。
  400. 永山正昭

    永山証人 ございます。
  401. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 紺野与次郎さんの次はだれですか。
  402. 永山正昭

    永山証人 山本斎という人です。
  403. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 山本斎という人は、九州のいわゆる地方委員会議長であつたわけですね。その山本斎さんが共産党員であり、しかも議長というと九州地区の幹部ですね。共産党では密貿易とかなんとかいうことは絶対にやらない、そういうことをやることは想像されないということをあなたは証言されたのですが、この山本斎という人は、現在麻薬の密貿易の嫌疑を受けて起訴されておることをあなたは御存じですか。
  404. 永山正昭

    永山証人 そういう新聞記事は見たことはあります。しかしそれがはたしてどういう事件であるかということについては、私は必ずしも新聞記事を信じておりません。
  405. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 新聞記事はどうあろうとも、麻薬の密貿易で起訴されたことの事実があるのです。この人は九州地区議長です。そうするといわゆる海上のオルグなり海上共産党員の人たちが議長として信任したところの人が、現に麻薬の密貿易の嫌疑を受けて起訴されておるということの事実があれば、われわれとしても九州方面の海員問題に対しては相当疑問を抱くのです。そこで先ほどから疑問になつておることを一、二私もお伺いしたいのですが、先ほどからまだはつきりしない点がある。あなたは九州組織活動指導部の部員としていわゆる本部から派遣されたのですね。本部から派遣されている人は何人ですか。
  406. 永山正昭

    永山証人 九州地方委員会が割合弱かつたということから、多いときには十人くらい本部から派遣されております。
  407. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 北九州には……。
  408. 永山正昭

    永山証人 北九州ときまつておらない。
  409. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 若松には……。
  410. 永山正昭

    永山証人 九州地方委員会に配属されております。九州地方委員会からたとえば長崎なり、どこへなりへ派遣するわけでありますから、本部から若松へ派遣されるとか長崎へ派遣されるということはないのです。九州地方委員会から各県へ派遣するというかつこうになつているのであります。
  411. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 もう一つお伺いしますが、若松福岡、博多、門司、この方面に居住していた組織活動指導部員は何人ですか。
  412. 永山正昭

    永山証人 それは私覚えておりません。
  413. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 あなたは現に若松に居住していたのでしよう。
  414. 永山正昭

    永山証人 はい。
  415. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 あとは知らないのですか。
  416. 永山正昭

    永山証人 知りません。
  417. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 その地方に居住していたのはあなただけですね。
  418. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  419. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 そうすると中央から組織活動指導部員として派遣された中央委員は、紺野与次郎さんとか徳田球一さんなど、われわれの通俗の言葉でいえば党の偉い人が行かれる場合は、その地方の組織活動指導の状況を報告するのが当然だとわれわれは常識的に考えるのですが、そういう方々は党の大幹部が行かれたときに報告もいらなければ何ら面会する必要もないのですか。
  420. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。たとえば中央から徳田さんが来られる、たれが来られるというときに報告するということはあります。
  421. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 あなたは紺野与次郎さんに何か地方の実情なり報告なりお話したことはありますですね。
  422. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。紺野さんは中央から派遣されたかつこうになつてつたのです。それで九州地方委員会議長であつた九州地方委員会議長としては、九州地方委員会の人です。細胞責任者ですから、従つて紺野さんと私が会つたり、話したりすることは当然であります。
  423. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 それは当然でしよう。そこであなたは先ほどから紺野さんに会つたことがあるとぼかすのです。——。いや椎野さんです。椎野さんも中央の幹部です。椎野さんに会つたかということになると、あなたは一回だけははつきり記憶しておる、その他はたまたま会つたかと言つて、今までぼかされていたのですが、それをはつきりしないと、われわれは運営に困る。それではつきりしておきたいのは、椎野さんが行かれれば必ずあなたは会うのか、若松に行つた場合——九州のどこに行つた場合というのじやない、若松に行つたときには必ず会うのですか。
  424. 永山正昭

    永山証人 必ずしも会つておりません。
  425. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 いても…。
  426. 永山正昭

    永山証人 はい。それから今紺野さんと混同されましたから、もう一ぺん申し上げますが、紺野氏は九州地方委員会議長であります。従いまして、海員関係についても、何関係についても、最高の責任者であるわけです。従つて紺野氏に対しては、私ども始終報告して、いろいろ接触が多いわけであります。ところが椎野さんという方は、後に統制委員になられた、いわば正規の地方委員会の役員というかつこうでなく、全体の党員の中で、あるいは腐敗分子が出るとか、あるいはよくない者が出るとか、あるいは反党的な行動をする者が出る。そういう者を取締る位置に参あつたわけです。
  427. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 わかりました。それはその程度でよろしゆうございます。私の聞くのは、その時期さえわかればいいのですから。それからもう一つお伺いしたいのは、あなたは先ほど井手委員の質問に対しまして、昭和二十二年の春まで労働学校——普通の学校ではないが、いわゆる労働者の青年や何かが自由に集まつておる学校をやつた昭和二十二年の春にこれはやめた、そこまでは記憶しておる、しかし昭和二十二年の夏はどこにいたか記憶がない、こういうお話でございましたが、昭和二十二年の四月はどこにいたか、記憶ありませんか。
  428. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。先ほどから労働学校のことを申し上げましたが、その労働学校をやつておるときに、私がいつも若松におつた……。
  429. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 いや、それを聞いておるのじやない。昭和二十二年の四月にあなたはどこにいたか、記憶はありませんか。——それはなぜかというと、昭和二十二年の四月は選挙があつたのです。それでぼくは聞いておるのです。
  430. 永山正昭

    永山証人 何の選挙ですか。
  431. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 昭和二十二年の四月に選挙がありまして、椎野君が北九州福岡第二区から立候補しておる。そのときに共産党本部から派遣されておる本部員が選挙に関係ないということはないでしよう。そうすれば選挙のときはどこにいたかということがわかるのです。それで記憶を新たにしてもらいたいというので、あなたに私は記憶を呼び起さしておるのです。わかりませんか。
  432. 永山正昭

    永山証人 選挙のときは、私は選挙の演説会とかなんとかいうふうなものにじやんじやん参加するようなあれでなかつたのですから……。
  433. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 永山君、ぼくはそういうことを聞いておるのじやない。昭和二十二年の四月は選挙があつた。あなたが演説したかしないか、そんなことを聞いておるのじやない。共産党本部員が選承に携わないということは常識で考えられないはずです。党勢拡張もやるのですから。昭和二十二年の四月にあなたはどこにいたか、選挙と申し上げても、選挙に携わつた携わらない、あるいは選挙の運動にどのくらいの度合いでやつたかということを聞いておるのじやない。昭和二十二年の春まではわかつておるが、夏以後がわからないと言うから、あなたの記憶を新たにさせるための私の提供で、たまたま昭和二十二年の四月は選挙があつたのじやないか、だから思い出せるじやないかというのです。
  434. 永山正昭

    永山証人 大体北九州だろうと思います。
  435. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 北九州といつても広い、あなたが北九州といつても広うござんすとさつき言つたように広いのです。選挙のときにあなたはどこにいたかくらいは……。
  436. 永山正昭

    永山証人 もう一度申し上げます。大体私は九州にいるときは船乗りから汽車乗りに……。
  437. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 あなたはよそのことをどうだこうだというが、そんなことは聞いておりません。昭和二十二年の選挙のときにはどこにいたか、ほかのことはあなたは記憶が非常にはつきりしておる。ただ昭和二十二年の夏になると記憶がありませんと言う。その夏がこつちの方では大切なのです。
  438. 永山正昭

    永山証人 夏と申しましても……。
  439. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 ぼくの言うことは一つの提供だから、私の言うことに反駆してもらわなくてもいいのです。どうですか。
  440. 永山正昭

    永山証人 多分若松だと思います。
  441. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 若松でしよう。そこでそう出たから正式に聞きますが、若松で投票しましたか、しませんでしたか。
  442. 永山正昭

    永山証人 記憶がありません。
  443. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 それは永山君、ぼくはあなたのために言うのですよ。ここでせつかく宣誓した証言に、選挙のとき、今まで考えて若松にいたということを思い出されたのでしよう。投票したかしないかも、何回もある選挙じやないのです。ことにあれは衆議院の総改選なのです。そのときにあなたはいわゆるほかの仕事の営利会社や何かの社員ならいざ知らず、政党関係の、共産党党員であり、中央から派遣されている指導部委員が自分が投票したかいないかも記憶にないなどというようなことは、この委員会をあまりにもあなたは軽視しているのではないですか、もつとまじめにお答えしていただきたいと思います。
  444. 永山正昭

    永山証人 実は私は九州におるときはほとんど汽車の中の方が多いのです。
  445. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 そのことはわかつておる。先ほどから何回も聞いておるが、投票したかしないか。
  446. 永山正昭

    永山証人 したでしような。
  447. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 したでしよう。それはしたはずです。そうするとそこまで記憶が新たになつたのです。昭和二十二年の四月まではわかつたでしよう、四月までは。だともう五月、六月というと夏です。そこまで初めてあなたの記憶がはつきりして来て、夏に若松にいたかいないかまだ思い出しませんか。
  448. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。何回も申し上げますが、一箇月どこにいるというかつこうでないわけであります。私の仕事は一箇月のうちにどこに一週間、どこに一週間というふうに歩きまわつていることが私の仕事つたわけであります。
  449. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 それならばもう少し具体的にお聞きしましよう。昭和二十二年の四日以降九月まで、その間に若松のあなたの自宅へ宿泊されましたか、何日間か……。
  450. 永山正昭

    永山証人 それは、宿泊したことはございます。
  451. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 その宿泊が大体半分であつたか三分の一であつたかくらいは御記憶あるでしようねいかに歩いていても……。
  452. 永山正昭

    永山証人 それは大体一箇月のうち、あのころは二月に一回くらいしか家に帰つておりません。
  453. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 二月に一回、何日くらい帰つていましたか。
  454. 永山正昭

    永山証人 大体二月に一回家に帰つて三、四日ぐらいでした。
  455. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 三、四日…。あなたの御家族は奥さんと、子供さん何人おられますか。
  456. 永山正昭

    永山証人 三人です。
  457. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 そうですか、その点は幾らお聞きしてもはつきり申してくれませんから困るのですが、それではもう一つお伺いいたしますが、折尾という人をあなたは御存じですか。
  458. 永山正昭

    永山証人 知りません。折尾というのは駅名じやないですか。折尾というのは土地の名前じやないですか。鹿児島本線の……。
  459. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 折尾という駅の名前ですね、そこに購買部がありますか。
  460. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。何の購買部でございますか。
  461. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 鉄道の購買部……。
  462. 永山正昭

    永山証人 購買部はどこにもあると思います。
  463. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 そこにどなたか御存じの方おりませんか。
  464. 永山正昭

    永山証人 全然知りません。折尾の辺は……。
  465. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 鉄道関係仕事はあまりしないのですね。
  466. 永山正昭

    永山証人 先ほど申し上げましたようにしないことはございません。
  467. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 することもあるのですね。
  468. 永山正昭

    永山証人 やります。しかし主として若松機関区であるとか、長崎というところへ行つて、折尾というところは何というのですか、鹿児島本線と若松本線と入れ違いのところです。従つてあれは北九州に入らないのです。八幡の一部ですから……。
  469. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 そこに行つたことございますね。あなたは……。
  470. 永山正昭

    永山証人 全然ありません。
  471. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 そうですか。そうしますとそこも知らない、また今夏のこともまだ記憶が出て来ないというのですが、もう一つ私はくどいようですが、昭和二十二年の四月までわかつて、五月に一週間なり十日なり旅行したとすればどこに行つたか。旅行しなければ何日くらい自宅にいたかということはわかりませんか。
  472. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。大体旅行するのはきまつているのであります。まあ佐世保、長崎、鹿児島とかああいうところで、九州を一周するわけです。それが大体月のうちの半分以上が汽車の中というような暮しが私の暮しであつたわけであります。従つて夏にお前は若松にいたかいないかと言われても、若松にいたこともあると思うのです、佐世保にもいた、長崎にもいた、始終汽車で歩いておつた
  473. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 それではこう聞きます。昭和二十二年の四月には投票したのだから若松の自宅におつたのは事実ですね。昭和二十二年五月には自宅に何日かおりましたか。
  474. 永山正昭

    永山証人 申し上げましたように、何月には若松にいて、五月には長崎にいて、六月には鹿児島にいるというようなことでなくて、始終汽車に乗つて歩いておつた
  475. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 それはわかりました。始終ですが、五月にいた記憶があるかないかを言つてください。
  476. 永山正昭

    永山証人 北九州にはどうせしよつちゆう歩いていたと思います。
  477. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 北九州ではない、若松
  478. 永山正昭

    永山証人 若松にいたことがあると思います。
  479. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 五月にいたということは確実。六月はどうですか。あなたには大きく言うとぼかしてしまりから、一月々々こまかく言いましよう。六月はどうでしたか。
  480. 永山正昭

    永山証人 大体そういうふうにおつしやれば、月に一回ぐらいは若松に来たことがあるかと思います。
  481. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員長代理 それならばあなたの先ほどからの証言は、実に委員の質問に対しあなたは侮辱しておる。夏中全然わからない。それならば五月にはどうした、四月にはどうしたかというと、一箇月に一ぐらいはいたことがありますと言う。そういうのでしよう。そうしたらはつきり記憶しておるじやありませんか。五月にいたかといつたら、それは月に一回はあります、六月におつたかといつたら月に一回ぐらいはありますということで、いたことは事実です。私の言うのは具体的にいえば、いたということは何日か知らぬが、昭和二十二年の六月というと夏です。もう夏は若松にいたという事実だけは明らかになつたということだけを申し上げる。委員長とかわりますから……。     〔佐々木(秀)委員長代理退席委員長着席〕
  482. 田渕光一

    ○田渕委員 議事進行上伺いますが、時間も切迫して来ましたので、江川証人とあとで二人対決をなされますか。
  483. 篠田弘作

    篠田委員長 江川君をもう一度調べまして、江川君の証書によつて必要があれば対決をさせなければならぬと思います。
  484. 田渕光一

    ○田渕委員 そういう場合には、永山君に一応おつていただいて、その結果さらにというようなことでなさいますか。
  485. 篠田弘作

    篠田委員長 その通りであります。
  486. 田渕光一

    ○田渕委員 そう解してよろしゆうございますか。その前に伺いますが、大体江川君の病状は——先ほどの藤田君の質問でわかつたのでありますが、江川君の人物は、あなたはどういうぐあいに見ておられましようか。
  487. 永山正昭

    永山証人 お答えいたします。
  488. 篠田弘作

    篠田委員長 お答えいたしますと言う必要はないから、委員長と言つて委員長の許可を受けてください。永山君と言つたら立つて……。
  489. 永山正昭

    永山証人 江川君の人間をどんなふうに見られるかという御質問と思います。若松におりましたときは、こまかい点とかあるいは金銭的の面、それから若干私行上の問題、そういうことについて欠点はございました。しかし大体において一生懸命まじめに党活動をしました。よく働いてくれたと思つております。人間としては非常に単純で、素朴で、いい面としては非常に人なつこくて純情であつたと思います。それからよくない面としては、逆にこまかいことなどにルーズであり、そのほか私生活に多少ルーズな点がある。金銭関係なんかでも、若干問題になつたこともあります。そういう点が欠点でありました。
  490. 田渕光一

    ○田渕委員 まじめな人のように、いろいろ指導されたので、非常にその点を感じて恩義といえば、そういう点を恩義に感じておるだろう、こういうような証言でありましたが、もう一点伺いたいのは、あなたは大体においてまじめな人、こういうふうなぐあいに伺いました。さつき藤田委員から伺いました点で、病気のときに数回倒れたことがあるというようなお話でありましたが、これは俗にいうてんかんとかいうような病気をさしたのでありましようか、それとも執務が激務のために、神経衰弱あるいは脳貧血で倒れたのでございましようか、その点を伺います。
  491. 永山正昭

    永山証人 当時てんかんとか何とかいうことは、はつきりわからなかつたと思います。ただちよつとわけのわからない病気ということになつておると思います。倒れたときには、私は直接その現場にもタツチしておりませんでしたので、そのへんのことはわからないのですが、病名はあのときも結局わからなかつた、こう記憶しております。
  492. 田渕光一

    ○田渕委員 九州若松で、理論的な、討論的な、労働学校とも申しましようか、そういう会議を開いて、当時の船員の堕落しておつた抜き取りなどを矯正しておつた、こういうぐあいに伺つておりますが、そのときの海上オルグの活躍状況を伺いたい。
  493. 永山正昭

    永山証人 私が先ほど申し上げましたように、今御質問にありましたような労働学校を開いて、みなを教育して行くとか、そんなふうなことが大体私どもの活動だつたのであります。
  494. 田渕光一

    ○田渕委員 西日本汽船で三回の大きな闘争があつたのでありまするが、簡単でよろしゆうございますが、その状況と、これに関連する海上オルグの活躍状況はどういうぐあいでありましたか。
  495. 永山正昭

    永山証人 三回の大きな闘争というのは、大分前のことで、あまりはつきりこまそれとしたところまで知りませんが、大体は給料の遅欠配の問題か何かから引船が一回、二回、三回というふうに、大きく団結して闘つたことがあつたのであります。大体そういうことです。
  496. 田渕光一

    ○田渕委員 党の九州海上地区というのは、海上に基礎を置いて確立したというように伺つておりますが、ちようど陸上の基礎と同じように、海上海上で基礎を確立した、こういうふうに伺つてよろしゆうございますか。つまり国鉄、電算その他いろいろな陸上の活動の基礎と同様の組織になつてつて、たとえば海上中央委員会から九州委員会、あるいは北九州委員会、それから若松その他都市の委員会、それから港区、そうして船員細胞というようなぐあいに、陸上と海上は別個の基礎を持つておられましたか、どうですか。
  497. 永山正昭

    永山証人 別個の基礎は持つておりません。要するに若松地区委員会とか、あるいは長崎地区委員会とかいうような一つ地区機関、つまり今質問者が申されましたことは、海上に基礎を置いた何とかと言われましたが、そういうことは結局党の政策が海上にもぐんぐん浸透して行くということを言つておるのだろうと思います。
  498. 田渕光一

    ○田渕委員 それでは一九四九年、おととしの前衛四十四号の統一への道、海員組合大会から学ぶという紺野与次郎君の論説、これをあなたは認められますか。
  499. 永山正昭

    永山証人 読んだ記憶はございます。はつきりこまごました記憶は今覚えておりませんが……。
  500. 田渕光一

    ○田渕委員 それには陸上の基礎と海上の基礎がはつきりしております。陸上は陸上の基礎を持つているし、海上海上の基礎を持つてつて——どうも海上に対しては今まで非常にあいまいに伺つてつたのでありますけれども、陸上の組織の基礎とちよつともかわりないものができている。そういうようなぐあいに紺野与次郎君もはつきり前衛の四十四号の五十ページから五十一ページにわたつて出しております。そこで伺いますが、一度船内に細胞が活動して、その船員がよその港に上ります。あるいはよその港へ移動しております。そういう場合に、海上組織というものは当時秘密組織であつたのだから、党員などもお互いにおれは共産党員である、海上秘密党員であるというような証明を持つてつたように聞いておりますが、この証明というのは、どういうぐあいにして相手方に党員だということを知らせるのでありますか。その証明と、違う港へ行つたときに、おれは若松共産党員である、若松地区党員であるということを小倉あるいは八幡その他で知らせる方法はどういうぐあいにしましたか、伺いたいと思う。
  501. 永山正昭

    永山証人 党員であるということの立証は各機関にあります信任状が当ります。それから何か秘密党員というようなことを言われましたが、海員関係におきましても、党員はそれぞれ地区委員会あるいは細胞というようなことで届出がしてあるのでございまして、秘密党員ということはございません。もちろんお互いにわからないことはあります。それはそれぞれの所属の地区であり、各地区が全部連絡し合うということはございませんから、お互いにわからないことがあるということは当然であります。しかしそういうことは秘密党員であるとか何とかいうことにはならないのであります。
  502. 田渕光一

    ○田渕委員 さらに伺いたい点がございまするが、あとで江川証人に伺つた結果、さらにまた伺うことにして、私の質問は留保しておきます。
  503. 篠田弘作

    篠田委員長 他に御発言がなければ、永山証人に対する尋問は一応これにて中止いたします。なお江川証人との関連において、同席の上伺うことになるかもしれませんので、しばらく元の控室においてお待ち願いたいと思います。
  504. 山口武秀

    山口(武)委員 江川証人を呼んで、さらに都合で永山証人にまた聞かれるという話ですが、これははつきりしてよろしいかとは思うのですが、委員会手続上からいつてどうなんでしようか。たとえば一回一人呼んで、それをやめてほかの証人を聞いて、もう一ぺん尋問するというようなことは、手続上何か問題はないのですか。
  505. 篠田弘作

    篠田委員長 手続上の問題は、きよう何時から証人尋問を行うということに通知してあるのであつて、何回にわけて行うとか、その間に一回休憩をするとかしないとかいうことは全然問題ございません。
  506. 山口武秀

    山口(武)委員 ちよつと異例ですな。
  507. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 はつきりしておきます。それはただいま委員長が言われたように、永山証人に対する尋問は終つたということになれば、本日することは手続上いかぬと思いますけれど、も、ただいま委員長からの発言は一応中止ということにしてありますから、手続上何ら問題はないということになります。
  508. 加藤充

    加藤(充)委員 私の方は、委員会が得心の行くまで調べられるのはけつこうです。これはその通りおやりになつていいのですが、ただ先ほど委員長がおられなかつた間に、佐々木君が委員長をおやりになつたのですが、その間に誤解があると思う。というのは、ちよつと恐縮ですが、わずかですからお聞きとり願いたい。二十二年の夏もしくは八月ごろ、証人若松にいたことがあるかという質問と、それから一日ぐらい若松の家に帰つたことがあるかという質問は、同じような質問でありますけれども、性格が違つております。というのは、一日ぐらい家に帰つた事実があるかというのは、この居住というもの、八月あるいは夏いたかということと違うのであつて……(「そんな議事進行はない」と呼び、その他発言する者多し)ところがそういうような質問を通して、証人発言は非常に委員会を侮辱しておるというようなお考えを簡単に持ちますと、これは証人に対して、どなたが証人におなりくだすつても、証人自体にたいへん気の毒だと思いますので、この点を明確にしておいて、なお必要があれば……。     〔発言する者多し〕
  509. 篠田弘作

    篠田委員長 佐々木委員長代理の御質問につきましては、私は退席しておりましたからよくわかりません。しかし委員長として、どういう質問をしなければならぬという制限はもちろんありませんから、委員長として必要なる質問をされたことであろうと思います。その間にもし証人を非常に侮辱するというようなことがあれば、速記録によつて調査いたします。
  510. 加藤充

    加藤(充)委員 質問自体を私は言うのです。あつかましいことを申し上げておりません。質問自体の中に、証人を侮辱したような発言があつたということを指摘しておるのではありません。違つた性格の、違つた答えの出て来る質問をやつてつて、しかもそれを同じ質問をやつたように簡単に考えられて、証人の答弁が違つて来ると、同じ質問に対して侮辱した発言をするのはけしからぬというような感情をお言葉でお漏し賜わつて証人を苦めた、こういうことを私は申し上げるのです。
  511. 篠田弘作

    篠田委員長 そういう事実があるかないかは、速記録によつて調査いたします。
  512. 加藤充

    加藤(充)委員 あるからないように注意してほしい。     —————————————
  513. 篠田弘作

    篠田委員長 引続き江川文証人より証言を求めることにいたします。  江川文彌さんですね。
  514. 江川文彌

    江川証人 そうです。
  515. 篠田弘作

    篠田委員長 ただいまより不正入出国に関する件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祈祷の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務上知つた事実であつて、黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書朗読してください。     〔証人江川文彌君朗読〕    宣誓書   良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  516. 篠田弘作

    篠田委員長 では署名捺印を願います。     〔証人宣誓書署名捺印
  517. 篠田弘作

    篠田委員長 これより証言を求めることになりますが、証言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際は、その都度委員長の許可を得てなされるようお願いいたします。なお、これから質問をしておりますときはおかけになつてよろしゆうございますが、お答えの際には御起立を願います。  証人昭和二十二年夏ごろ、九州若松委員会椎野悦郎氏に会つた際、永山正昭外一名がその席にいたということを、この前の委員会証言をされておりますが、椎野証人は、昭和二十二年夏には若松に行つたことはない、また証人をよく記憶していない、こういうふうに言つている。そこでさきにあなたの述べられた、昭和二十二年夏九州若松地区委員会椎野悦郎に会つた、また永山正昭外一名がその際同席したというこの証言は間違いありませんか。
  518. 江川文彌

    江川証人 聞違いありません。
  519. 篠田弘作

    篠田委員長 そのときの様子をちよつと話してみてください。
  520. 江川文彌

    江川証人 そのとき、前の日に永山正昭から、椎野悦郎氏が会いたいと言つているから会つてくれということを言われまして、次の日午後から、何時ごろだつたか時間ははつきり記憶していないのですが、稚野氏と、——この前の証言で私名前がわからなくて、折尾の駅の売店の責任者だということを言いましたが、その人は亀山という人でございます。その人と会いまして、そこで椎野氏から、現在の党の財政は非常に苦しい。それを緩和するために現在の密輸密貿易というようなことをすることによつて党の財政を少しでも緩和することができる。それに対して協力してくれということをその場で言われたのであります。そのときは永山正昭もそこにははつきりおりました。そしてその椎野氏が帰つたあとで、これに対しておれは関係しないからそのつもりでやつてくれということを永山正昭からそのときはつきり言われました。
  521. 篠田弘作

    篠田委員長 証人永山君のつき合いはどのくらいになりますか。
  522. 江川文彌

    江川証人 昭和二十一年の夏ごろから、昭和二十三年八月、私が北海道へ来るまでの間でした。
  523. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたが北海道行つたのは、病気のために行つたというふうに永山君は証言しておるけれども、何か特別の使命を持つて行きましたか。
  524. 江川文彌

    江川証人 はあ、九州におるときにからだが非常に弱かつたことは事実でございます。だが北海道へは、北海道海上組織するという使命をはつきり受けて行きました。
  525. 篠田弘作

    篠田委員長 だれから受けて行きましたか。
  526. 江川文彌

    江川証人 それは中央委員会に参りまして、中央委員会で紺野与次郎氏に会いまして、そうして田中松次郎氏に会いまして、そこから何か指令のような書いたものを北海道地方委員会に持つて行きました。
  527. 篠田弘作

    篠田委員長 北海道地方委員会に行つて、だれに会いましたか。
  528. 江川文彌

    江川証人 まず函館に連絡船をおりまして、函館の地区委員会の様子をまず見に行きました。おりたついでに……。そのときに西館氏がおりまして、西館氏に中央から持つてつたものを渡しましたら、それを持つてすぐ地方委員会に行けというので、地方委員会に行きまして、広谷俊二にそこで会つたのです。
  529. 篠田弘作

    篠田委員長 証人椎野悦郎に、密貿易を依頼されて以来、その後会つたことがありますか。
  530. 江川文彌

    江川証人 あります。
  531. 篠田弘作

    篠田委員長 何回ぐらい……。
  532. 江川文彌

    江川証人 その後ただ顔を見たとか何とかいうことなら、回数は今のところ記憶いたしませんが、はつきりしているのは、昭和二十三年に徳田球一が九州に参りました。
  533. 篠田弘作

    篠田委員長 昭和何年……。
  534. 江川文彌

    江川証人 昭和二十三年だつたと思います。それはちようど国鉄若松地区委員会の支配下にあります機関区が職場放棄を起していた最中であります。それでそのときにその闘争は行き詰まりがあつて、それで椎野氏の指示を仰ぐということから、若松地区委員会の何か書いたレポを持ちまして、私が久留米へ行きました。そのときに徳田書記長が、久留米の、あそこは医大ですか医専ですか、そこに行きまして、ちようどレントゲンをとるというときでした。そこで椎野氏に会いましたら、ちよつと学校の方へ行つててくれというので、診察が済んでから、何学校かわかりませんが、学校へ行きまして、学校で講演をしたのです。
  535. 篠田弘作

    篠田委員長 だれが講演したのですか。
  536. 江川文彌

    江川証人 徳田書記長がです。私が控室に行きましたら、そこに椎野氏が来まして、ちよつと待つててくれと言いました。そうしたら徳田書記長が講演を済まして控室へ帰つて来まして、そこらにいる人と握手しました。私は海員労の江川ですと言つて握手をしましたら、椎野氏が、これは永山君と一緒にやつている江川だよということをはつきりそこで言いました。そのときにまだはつきりしているのは、椎野氏が紙と鉛筆を出しまして——あの人はなかなか指令なんか自分で書かない人で、私が言うから言う通り書きなさいと言つて私に書かして持たしてやつたのです。
  537. 篠田弘作

    篠田委員長 だれに持たしたのか。
  538. 江川文彌

    江川証人 私に……。
  539. 篠田弘作

    篠田委員長 どこへ……。
  540. 江川文彌

    江川証人 若松へ……。
  541. 篠田弘作

    篠田委員長 若松のだれに持たしたか。
  542. 江川文彌

    江川証人 そのころ若松国鉄の指導に来ていた、前に国鉄におつた人ですが、名前は今……。
  543. 篠田弘作

    篠田委員長 若松国鉄に持たしてやつたのかね。
  544. 江川文彌

    江川証人 いいえ、国鉄じやないのです。
  545. 篠田弘作

    篠田委員長 国鉄の争議の指導に来ていた人に……。
  546. 江川文彌

    江川証人 はい。
  547. 篠田弘作

    篠田委員長 そうすると、永山君と一緒にやつている人だと君のことを言うくらいだから、椎野君は君に会えば、江川君と何も言わなくても……。言うまでもない仲だね。
  548. 江川文彌

    江川証人 そうです。向うから言葉をかけるような、まあそのころだつたら全然党員のいない所で会えば、私の方からやあ椎野さんと言えば、向うの方から、私の名前を言わなくてもおお江川君と言うくらい、はつきり知つている仲です。
  549. 篠田弘作

    篠田委員長 椎野証人はこの前ここで証言したときに、江川という人を知つているかと言つたところが、全然知らないと言う。そこで君の写真を見せてどうだと言つたところが、見たような顔だけれども記憶に残つてない、しいて言えば徳田球一氏を狙撃した犯人に似ているということを言つておる。(笑声)
  550. 江川文彌

    江川証人 とんでもない話です。私を徳田書記長に、これは永山一緒にやつている江川ですと紹介するくらい、はつきり知つておるのです。
  551. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは証人と、九州地区海上区設立前後における永山正昭君どの交際の状況について話してみてください。
  552. 江川文彌

    江川証人 私が昭和二十一年、ちようど大正丸という船へ乗つていまして、それをおりるころに、何月ごろだつたかはつきりわからぬが……。
  553. 篠田弘作

    篠田委員長 昭和二十一年夏ですか。
  554. 江川文彌

    江川証人 二十一年の何月だつたか、春から夏にかけてだと思うのですが、そのころに海員組合に出入りしていたことから知つているわけなのです。そうしてその後永山正昭氏から、党の方へ入党するように、活動にもう少し積極的に入つて来るようにということを言われておりましたので、私からはつきりした返事というよりは、まあ口でうやむやに承認していたというような状態なのです。それから昭和二十二年の何用だつたか、春に、私が西日本石炭輸送株式会社へ入りまして、そのときにはつきり私が入党することを承認したのです、それは五月か六月ごろだと思います。そのころ署名しております。それから永山正昭氏の配下に入りまして、ずつとオルグ活動を続けておりました。
  555. 篠田弘作

    篠田委員長 君が昭和二十二年の春入党したというときに、永山正昭君は若松でどういう仕事をしておりましたか。
  556. 江川文彌

    江川証人 永山正昭氏は、そのころ仕事という仕事にはついていませんでした。
  557. 篠田弘作

    篠田委員長 仕事というのは職業じやない。共産党仕事……。
  558. 江川文彌

    江川証人 そのころは全国オルグという名目で、九州に派遣されておりました。そうして若松中心として、党の海上組織活動をしておりまして、そのころに西日本石炭輸送株式会社の従業員でつくつております同志会の中の青年部の党学校というような形の学校を、毎日みんなのために開いてやつたり、そういうような啓蒙活動をしておつたと思います。
  559. 篠田弘作

    篠田委員長 永山証人は君に対して入党を勧告したことはない、それから君ばかりでなく、自分はあまり積極的に入党などを人に勧告したことはないということを言つておるけれども、その証言はどうですか。
  560. 江川文彌

    江川証人 とんでもない話です。私の入党申込書ですね。それはおそらく永山氏が持つていると思うのです。持つていなかつたら、中央委員会の前の海上区にあると思うのです。それを見ると、千田教文と永山正昭と、はつきり紹介者として捺印がしてあるはずです。  それで永山氏は、入党に対しては非常に積極的に党員を獲得していた人です。非常に地味に、一人でも多く、一人でも多くという活動のやり方の人です。
  561. 篠田弘作

    篠田委員長 証人は、元大安丸事務長の有馬敬という人は共産党員であるという証言を、この前にしましたね。
  562. 江川文彌

    江川証人 しました。
  563. 篠田弘作

    篠田委員長 有馬はこれを否定している。有馬が共産党員であるという事実を、あなたはどうして知つたか。
  564. 江川文彌

    江川証人 有馬が共産党員であるということは、党の方から出ました名簿ですね、その名簿にもはつきり名前が載つています。
  565. 篠田弘作

    篠田委員長 共産党で名簿なんというものは出すのですか。
  566. 江川文彌

    江川証人 私がやつていたころ出していました。大体海上党員の名簿です。それからもう一つ関連あるのは、去年か一昨年だつたと思いますが、共産党海上の方から、金日本海員組合中央委員候補のメンバーを出しているのです。その名前をたくさん印刷しまして、その一番最後に、これは外部には絶対見せるなと書いている名簿ですね。その中にも有馬敬は載つているのです。
  567. 篠田弘作

    篠田委員長 その名簿を実はこの間椎野議長に見せたところが、こういう名簿なんというものは自分らのところでつくつたことはない。これはおそらく外部の、職業的に売つて歩く者がつくつたものである、こういうふうに言つております。
  568. 江川文彌

    江川証人 それはとんでもないでたらめです。でたらめもはなはだしいですよ。
  569. 篠田弘作

    篠田委員長 しかしそれには、共産党で判を扱うかどうかわからないが、何か共産党のものであるという証明は——名簿が手に入るかもしれませんけれども、この名簿は共産党のものであるという証明が成り立ちますか。
  570. 江川文彌

    江川証人 共産党でつくつた名簿だということは——では私の方から提出してもいいと思うのですが、その名簿に名前をたくさん書いてある。それと関連して三十部くらい党の方から出した書類があるわけです。それと対照してみたら、それだけをどこから持つて来たのかということが大体うかがわれるのじやないかと思います。  それから有馬が小樽に入港してソビエト領に出て行くとまに——そのころ共産党では、陸上の党員は委任状というものを必ず持つて歩くのです。ここの地区委員会からよその地区委員会に行る場合には、その人間は共産党員であるということを証明するための書類があるわけです。それを向うの方に行つて半分に切つて確認するということになつておるのです。ところが海上党員は、若松入党した人が若松からきようは大阪に行つたと思うと、神戸へと転々と歩くので、確認するためにそこの港々で控えがないから出せないということなのです。そういうことから、昭和二十二、三年ごろ海上党員だけの持つ特殊な信任状ができたわけです。それは正式な名前では委任状というのではなくて、党費領収書といつております。海上党員はどこの港に行つて党費を収めてもかまわぬことになつておるわけです。それでそこに行きますと党費を受取つたという印を押して、その右肩には中央委員会の印が押してあります。それには各連絡所の名前がずつと載つておるわけです。そういうものを出しておりました。それを有馬が樺太に行くときに、向うにいれば大丈夫だろうけれども、もしこつちに入港したときとか、またこつちから出港する場合に官憲の察知があつて、それを見つけられるおそれがある。だからそれを預かつておかないかというので、私預かりました。
  571. 篠田弘作

    篠田委員長 来て返したかね。
  572. 江川文彌

    江川証人 そして返しました。それだけはつきり知つているのです。顔を知らないなんてとんでもない話ですよ。
  573. 篠田弘作

    篠田委員長 有馬君は、樺太から持つて来た日本共産党あての書類を、あなたが立会いの上で北海道地区委員会議長の西館仁に渡したということを否認しているわけです。そんなものはもらつて来たことがない。もしあなたがそれが間違いないと言うならば、そのときの事情をもう少し記憶を呼び起して話してみてください。
  574. 江川文彌

    江川証人 夏だつたということは、あのころあまり寒くなかつたし、雪がなかつたから大体春から夏にかけてと思えるのです。それで有馬氏が小樽から出港する前に、私たちいろいろ打合せをしまして、そのとき樺太の方に行く船なんか珍しかつたわけです。それにソビエトとの貿易ということで非常に方々でも力を入れていたということも事実なのです。それで出港するときに、自分は今運営会の支部に行つて赤旗を借りて来た。赤旗と言つたかソビエトの国旗と言つたか、ソビエトの国旗とも聞いたと思うのですが、それを借りて来た。そして出港してまず樺太の港に入るときは、船にいる党員がデツキに出て、インターナシヨナルを歌つてこの旗を立てて入港するのだということを言つて非常に張り切つていたわけです。それでそのとき出港して行つて、どのくらいで帰つたかはつきり記憶にないのです。  次に私が海員組合で有馬が入港したということを知りまして、すぐ船へ行つたわけです。原則として海上のオルグは、党員の衆つている船がいたら訪船活動をやる、その活動の一環として行きました。そのときに彼が、実はこういうものを預つて来た、これはどうするか。と言うから、よしそれじやそれはだれにも見せるな。すぐこれは上部機関に届けなければならぬから。ということで、それじや札幌へ行こうというので札幌へ行きました。札幌でそのころ議長つたと思います西館仁に手渡しまして帰つたわけです。有馬さんが私と全然会つてないと言つてるいそうですが、会つているとはつきりしているのは、私が地方委員会に行きましたら、地方委員会のアカハタの総局にいる方です。名前は今はつきり記憶ないのですが、君、こういう人を知らないか。と言つて有馬敬と書いて見せた。その人だつたら知つている。ひよつとすると近く小樽へ入つて来るかもしれない。それじや手紙を持つてつてくれ。自分が引揚げて来るときに有馬君の船で引揚げて来て、彼と意気投合した。これを持つてつてくれ、と言われまして、彼が入港したとき、それも渡している。それから彼が樺太から小樽に入港して札幌へ行つてつて来てから、樺太の状態、上つてこういう人と話をして来て、こういうようなことがあつたということを北海新報という新聞だつたと思います。はつきり出している。
  575. 篠田弘作

    篠田委員長 記事の記憶はないですか。
  576. 江川文彌

    江川証人 記事の記憶は、大体日本ではソビエト文学が非常に喜ばれているということを話したら、非常に向うの方では喜んでいたというようなことや、何か文学的なことを非常に多く書いてあつた。私に会つたことはないということは、おそらく海上のそういうことを知つている人だつたら一笑に付すと思います。この前海上の人が「君と会つたことがないなんて、まつたくおかしいね。」と言つてつていたくらいであります。
  577. 篠田弘作

    篠田委員長 有馬君が君と知合いであるということを証言できる人はだれかいますか。たとえば有馬君と君と会つているときに一緒に立会つたとか人とか、あるいは君と有馬君がどこかで飲んだとき一緒に飲んだ人とか、そういう人はいませんか。あるいは君が訪船活動をして有馬君をたずねたときに、一緒にそこで話した人なんかおりませんか。
  578. 江川文彌

    江川証人 党員の中にですか。
  579. 篠田弘作

    篠田委員長 党員でなくてもかまいません。
  580. 江川文彌

    江川証人 党員でなくてと言えば、出航する前にちよつと海員組合で会いまして、そのころ海員組合で何か洋画が来ておつて、その映画のことを有馬君が海員組合で批評していたわけです。そこに私もおつて一緒に批評したわけです。そういうようなことから、一緒にいたということを知つているのは、ひよつとすると現在小樽の海員組合にいる大竹氏、そのころおつた山本氏、それからまだよく知つているのは、そのころ海員組合の小樽支部に書記をしておりました小関静枝という女です。その女は最近入党したということを聞いております。私がいるとき家出しまして、東京へ出て来ました。そして東京で一時は海員組合の手伝いをして、船舶通信士協会の事務をとつていた山科二郎の家にいるということを聞いております。おそらく人党していると思います。
  581. 篠田弘作

    篠田委員長 その人は知つているわけですね。
  582. 江川文彌

    江川証人 知つております。
  583. 篠田弘作

    篠田委員長 証明できるわけですね。
  584. 江川文彌

    江川証人 はい。
  585. 篠田弘作

    篠田委員長 委員諸君の中で、だれか質問ありますか。
  586. 内藤隆

    内藤(隆)委員 さいぜんの永山証人に田淵委員が質問の際、あなたの人間としての性格とか、日常の生活に対することを南きました。その際たいへんあなたは党活動に熱心であつたということも聞いておつたが、いわゆるプライヴエートな生活においては相当に欠点があつた。ことに金の問題で相当疑うべき点もあつたのだということだが、あなたは何か記憶がありますか。
  587. 江川文彌

    江川証人 私としてははつきりそういうことを言われることは記憶に残つていないのですが、一度だつたと思いますが、若松海上区の区費、それから党費を領収していて、永山氏に引継ぐときに、十円だつたか二十円だつたか、カンパされたのを書きこんでないことがありました。それで十円か二十円どうしても合わないので、これを君のさいふから出しておきなさい、収支だけははつきりさせておかなければいけないと言つて、あの人は金の収支の面には非常にきちんとした人でした。
  588. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そういうことをとらえて言つておるのかもしれませんね。
  589. 江川文彌

    江川証人 そうかもしれません。
  590. 内藤隆

    内藤(隆)委員 それから委員長の尋問にもありましたが、永山君はあなたに入党を勧誘したことはないという証言をしております。しかるに委員長が尋問になつたときに、永山君から勧誘を受け、むしろ永山君の紹介によつて入党している、こういうような証言があつた。この点は間違いありませんね。
  591. 江川文彌

    江川証人 間違いありません。
  592. 内藤隆

    内藤(隆)委員 それからもう一つ、あなたと椎野君と会つたのは、永山紹介椎野君の希望で会つたのか。それからもう一つ、そこに立会つてつた外一名は、この前の委員会記憶になかつたが、きようは亀山某なるものであることがわかつた。そこでその会つた家はだれの家でありましたか。
  593. 江川文彌

    江川証人 会つた家は馬越丈太郎という者の家であります。
  594. 内藤隆

    内藤(隆)委員 それは二階でしたか、下でしたか。
  595. 江川文彌

    江川証人 二階です。
  596. 内藤隆

    内藤(隆)委員 その会つたときの二階の間取りくらい記憶がありますか。
  597. 江川文彌

    江川証人 二階は二つ部屋がありました。通りに面した方の部屋……。
  598. 内藤隆

    内藤(隆)委員 何畳くらいありますか。
  599. 江川文彌

    江川証人 さあ何畳ですか……。
  600. 内藤隆

    内藤(隆)委員 床の間はありましたか——できればこれに窓がどこについておるかと書いてみてくれませんか。
  601. 篠田弘作

    篠田委員長 必要があればいいが、あまり詳しいことを聞かれても、記憶になかつたら、かえつて逆になりますよ。
  602. 内藤隆

    内藤(隆)委員 それでは記憶だけで……。
  603. 江川文彌

    江川証人 会つた部屋はちようど鉄道の駅の斜め向いです。家に向つて右側はお寺です。それから家に向つて左側はかどの福住とか何とかいう一つの商社です。その間にありまして二階は二間だつたと思います。そうして道路に面した方の部屋の表から中に向つて右側に押入れがあります。そうして左側の手前の方に床の間があつたと思います。それからその一つ目と二つ目の部屋のちようど間ごろの右の端から下の方におりて行くはしご段があります。
  604. 内藤隆

    内藤(隆)委員 これはもし証言の食い違いを発見する場合に、会つた場所のあなたの記憶が現地に行つて実際に適合しておれば、いかに一方がそれはないと言つても、きつぱりと証拠が出ると考える。だからこれは重要性を持つてるお。おそらくは一方の永山証人なり、椎野悦郎氏なりは全然会つていない、こう否定しておるのだから、あなたの会つた家の構造なり、あるいは部屋の構造なり、あるいはまた会つた場所に床の間を背景に椎野が座つてつたとか、その記憶が重大だ。だからそういう意味で私は聞いたのだが、しかしこれは記憶違いということもあります。かえつて記憶がもうろうとしておつた場合に、たつて無理に想像をされては困る。だから書くことは一時待ちましよう。  それからそのときの永山君及び椎野君、亀山君の服装を記憶になつていたら……。
  605. 江川文彌

    江川証人 服要の記憶は……。
  606. 内藤隆

    内藤(隆)委員 もちろん洋服は着ておつたでしよう。
  607. 江川文彌

    江川証人 洋服は着ておつたです。
  608. 内藤隆

    内藤(隆)委員 共産党員の好んで着るような、ルバシカのようなああいうようなものでも……。
  609. 江川文彌

    江川証人 椎野氏はあのときは背広を着ておつたと思います。
  610. 内藤隆

    内藤(隆)委員 ネクタイを締めておつた……。
  611. 江川文彌

    江川証人 その記憶はちよつとないですね。
  612. 内藤隆

    内藤(隆)委員 めがねはどうです。
  613. 江川文彌

    江川証人 そのときめがねはどうかわからなかつたのですが……。それからまだはつきりしていることは、そのあとに椎野氏と会つたときに、家庭的なことまで私に話したことがあります。
  614. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そのあとというのは、永山紹介したその後に会つたというのですね。
  615. 江川文彌

    江川証人 はい。その後にその次の年の春ごろだつたと思います。そのときに何かの指導か何かで若松のやはりそこの場所に来たときに、あるいは何の用事で来たかはつきりわからないのですが、椎野さん、からだのぐあいはどうですかと言いましたら、椎野さんが、実はうちの女房が肺結核だ。それで私の目に結核菌が入つて、それでしばらく療治をしたとかするとかいう話は出ていました。それはおそらくどこかの病院に、はたしてそういう事実があるかどうか調べたらわかると思いますが、そういう女房が肺結核でぼくの目の中に女房の結核菌が入つてねということは、だれにでも言うことじやないです。
  616. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そこであなたの証言を聞いておると、この前の委員会と同様な一つの確信を持つてつたことはわかります。
  617. 江川文彌

    江川証人 確信を持つております。
  618. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると、きよう来た永山君とたいへんなる食い違いを生じている。この点について何か……。
  619. 江川文彌

    江川証人 これに関連したことで事実だと思いますが、それをお話してよろしゆうございますか。
  620. 篠田弘作

    篠田委員長 どうぞ。
  621. 江川文彌

    江川証人 私がこの前の証書を終えまして、私に関してのことは、私はあくまでも責任を持たなければいけないということで、よりはつきりしたものを何かつかめるのじやないかということから、私北九州に行きました。それで私は若松海員組合におりましたときに、海員組合には組合の部員も相当おりましたし、海上共産党員は苅田町に集まつていて、また今北九州の方をオルグしております古谷という海員オルグもそこにおりました。そこで私がいろいろ話をしておりましたら、現在苅田町の町会議員もしておりますし、それに海員組合の出張所長をしておる藤本真一だと思います。その人がそこえ入つて来まして、よう江川君どうしたんだ。いや、実はこれらに今話しているけれども、でたらめだと言つておる。あなたはどう思いますかと言つたら、いや、それはでたらめじやないよ。君の言うのはでたらめじやない。私実は君の証言しているのが新聞に出たときに、何だ、江川は今ごろ出したのかと思つた昭和二十二年ということははつきり言えるけれども、何月ごろか言えない。そのときに永山正昭、椎野悦郎、紺野、その名前も出ておりました……。
  622. 篠田弘作

    篠田委員長 それはこの間の尋問が終つたあとだね。
  623. 江川文彌

    江川証人 終つたあとです。
  624. 篠田弘作

    篠田委員長 それは苅田町の町会議員の古谷氏ですね。
  625. 江川文彌

    江川証人 藤本氏です。
  626. 篠田弘作

    篠田委員長 それも共産党員ですか。
  627. 江川文彌

    江川証人 共産党員ではないと思います。
  628. 篠田弘作

    篠田委員長 元共産党員ですか。
  629. 江川文彌

    江川証人 もとシンバというようなかつことか、そのころ海員組合には何といいますか、小泉秀吉派と田中松次郎派とにわかれており、西日本は非常に共産党の勢力が強かつたのです。それで苅田というところは西日本船員ばかり入るところなんです。そういうことから苅田または若松党員でない組合の部員は反動といつてたたかれて、もう仕事のできないようなことがあつたのです。そういうことから、名目だけ共産党のシンパだ、また共産党へ秘密党員として入党したという形だけあつても非常に有利に進むわけです。そういうことから、ひよつとすれば入党したんじやないかと思います。私若松におるとき藤本真一の入党用紙を見たと大体記憶しております。それで、その人の言うには、実は昭和二十二年、場所は言わなかつたですが、紺野・椎野永山、高田、まだだれか言つてつたですが、それらはおれの前で言つた、おれにも言つた……。
  630. 篠田弘作

    篠田委員長 密貿易を……。
  631. 江川文彌

    江川証人 ええ。現在共産党は非常に資金に苦しい。それだから、それに対して、アカハタをやつているけれども、アカハタだけではどうにもならない。それに並行さして密貿易、密航をやる、それでその人材はだれにするかというところまできまつたというのです。それで私が藤本氏に、それじや当然私になつたんでしようと私笑つて言つたんです。ところが、いや、どうかなあと言つてごまかしたんです。
  632. 篠田弘作

    篠田委員長 それはこの間ですね。
  633. 江川文彌

    江川証人 ええ。それからはつきりしたものが出て来たわけです。
  634. 篠田弘作

    篠田委員長 それじや、藤本君を証人に呼べばそういうことはわかるわけですね。
  635. 江川文彌

    江川証人 はあ、大体わかると思います。
  636. 田渕光一

    ○田渕委員 本日の証言で、先刻の証人永山正昭君は尋問事項の第六、七、八、九の四点ことごとく否認いたしているのであります。またただいま出席されております江川証人は本日の尋問事項の一から五まではことごとくこれは前回の証言通り事実であると証言されておるのであります。かようなぐあいに、証言の食い違いが出て参りますことは、近くは横浜の桜木町における工手長の中沢重二証人と信号手の高原豊秋証人の食い違い、またさかのぼつていろいろ考てみまするならば、応々にして証人証言の食い違いがあるのであります。証人は言いつぱなしで帰つております。私は国権の最高の機関である国会の証言というものは、ちようどアメリカの議会における上院の軍事、外交両委員会におけるマツカーサ元帥の証言のごことく最も厳粛であり、権威がなくちやならぬものと思う。しかるにこの証言の食い違いをこのままにして伏せておくならば、将来当委員会があらゆる証人を呼びましても、その証言がことごとく食い違いであり、でたらめ、うそ、偽りを言いましても、これに対する再発その他の手続をとらなければならぬというような、まことに威厳のない委員会になるおそれがあるのであります。かような意味において、私は数度対決尋問をされたい、こういうことをお願いしたのでありますが、先ほども私はいましばらく永山証人に聞きたかつたのでありますけれども、時間の関係上、議事の進行上一応これを留保して、江川証人証言をまつてさらに追究をいたしたい、聞きたい、こう思つたのであります。  かような意味から、国会の証言、ことに当委員会証言というものは厳粛であり、重大なる責任を持たせるものである。あそこへ行つて、議員諸公にうそを言えばこういうようなことになるのだということをこの際知らしめる意味におきましても、ただちに永山証人を当主にお呼び願つて、率直に、ありのままに、厳粛な態度で、両方ともほんとうに国会におけるわれわれ国民の証言というものは、この国政に参与し、あるいは寄与するところ大きなものであるということを知らしめる意味におきましても、ひとつ厳粛なる運営の上において対決をさしていただきたい。時間の都合しただちに永山証人を御喚問願い、われわれの審議を進めたいと思います。
  637. 山口武秀

    山口(武)委員 ちよつと質問……。
  638. 篠田弘作

    篠田委員長 山口君、ほかの質問ならば……。
  639. 山口武秀

    山口(武)委員 ちよつと待つてください。あなたの自由党の方だけかつてに質問して、それで打切つて対決する。そんなら初めから対決をやつたらいい、おれはまだ二人にもつと聞かなくちやならぬ問題があるから聞きたい。それは江川証人個人についての問題で聞きたい問題がある。
  640. 篠田弘作

    篠田委員長 それじや、ただいま田淵委員の議事進行に関する動議について一応きめておいて、山口委員がまだ発言しておらないのだから、その発言を許したいと思いますが、御異議ありせんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  641. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは田淵委員の今の議事進行の動議に御異議ありません。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  642. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは山口委員その他まだ発言をしておられない方の御発言が終りましたならば、江川証人永山証人と同席せしめまして、対決と言つちやあ何ですが、対決尋問を一応行うことにいたします。
  643. 山口武秀

    山口(武)委員 江川証人にお伺いいたしたいのですが、あなたの家族関係のことについて少々お伺いしたい。あなたの弟さんは病気であるということをいわれておりますが、事実ですか。
  644. 江川文彌

    江川証人 病気です。
  645. 山口武秀

    山口(武)委員 その病気というのは精神病ですか。
  646. 江川文彌

    江川証人 私にははつきりわかりませんが、てんかんのような病気です。
  647. 山口武秀

    山口(武)委員 私どももあなたの弟さんがてんかんである、従つて精神病であるというようなことは…(発言する者多し)
  648. 篠田弘作

    篠田委員長 ちよつと山口委員に申し上げますが、証人は密出入国の問題について証言に来ておるのであつて、そういう家庭的な、証人の家庭の、言いかえれば証人の恥辱になるような問題にまで証言に来ておるのじやありません。もし必要であつたら医者の証明をもらつたらいい。
  649. 山口武秀

    山口(武)委員 それは委員長、少々受取りがたいと思う。と言いますのは、先ほどの藤田委員もこの点について尋ねている。そのときには委員長は何の御注意もなかつた
  650. 篠田弘作

    篠田委員長 私はそのときはおらなかつたのだが……。
  651. 山口武秀

    山口(武)委員 それからなお永山証人の際に、そこにおられる内藤先生は家の関係や家主の関係も聞いておられる。それに対しても何らの御注意もなかつた。ひとり私に対してこの問題に注意あるのは少々了解しがたい。従つてこの点はやはりもう一言だけやらしていただきたい、こう考えるわけです。(発言する者多し)あなたに兄さんがいまして、その方が戦死をされておられるという話を私たちは調べて参つたのですが、この方はそのような傾向はなかつたでしようか。と言いますのは、北海道のあなたの家の近くの人がやはり多少そういうような点があつたのだというようなことを言つておりますので、あらためてお聞きしたいわけです。
  652. 江川文彌

    江川証人 私は私の戦死した兄貴に限つては絶対そんなことはなかつたと確信しております。
  653. 山口武秀

    山口(武)委員 それからあなたの家で生活保護法の扶助を受けておるということですが、これはあなた御存じありますか。
  654. 江川文彌

    江川証人 私最近ずつとうちに帰つておりませんから、うちのことはあまりわかりません。
  655. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと、あなたはうちの生活状態がどういうふうになるかということは御承知ないし、あまり関心もなかつたということになるわけですね。
  656. 江川文彌

    江川証人 関心はありますけれども、私が共産党のオルグとして歩いておるころは、おそらく自分のうちの生活ということは考えられなかつたということは、共産党の方はみんな知つておると思う。
  657. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと、あなたは共産党を抜けておられる、そして現在生活保護法を受けておられるというと、あなたは共産党を抜けたのだから、共産党の活動というのはなくなるのだから、当然心配されるはずだ、おるいは関心を持たれるわけですが、その点はいかがですか。
  658. 江川文彌

    江川証人 関心を持つております。そういうような状態をつくるために、私は非常に努力しております。
  659. 山口武秀

    山口(武)委員 どういうような努力をしておられるか。
  660. 江川文彌

    江川証人 私はやはり仕事というものにすべてを打込むということから始まつて行くと思うのです。うやむやで働いていては自分の将来も何もおそらく手につかぬと思うのです。そのためにもこういう問題もはつきり解決したいということなんです。
  661. 山口武秀

    山口(武)委員 今の論法はちよつと関係ないのですな。それでそういうようなわけでしたら、先ほどあなたは北九州に行かれた、私どもの調査においてもやはりそういうようなことが出て参つておりまして、聞こうと思つたらあなたの方から言われたのでありますが、北九州に行かれました目的というのはどういうことなんでしよう。
  662. 江川文彌

    江川証人 証言してから北九州行つたのは、私は九州には党員以外の友達もたくさんおりますし、また非常に会いたい人もたくさんおるのです。それで北海道から汽車賃をかけて九州まで行くというのは、今後一生のうちに行けるかどうかわからない状態なんです。それでここまで来て大体半分来ているし、それにまた自分も九州において、党にいたころ、それをまだだれか知つている人がいるのじやないかというようなことから行つているわけです。
  663. 山口武秀

    山口(武)委員 あなたは現在炭鉱夫をなさつておるわけですね。
  664. 江川文彌

    江川証人 そうです。
  665. 山口武秀

    山口(武)委員 それでなおうちの関係についても関心を持つて、その状態を解決するよう努力しておる、こういうわけですね。
  666. 江川文彌

    江川証人 そうです。
  667. 山口武秀

    山口(武)委員 そういう単に北九州へ行くと海員知つた人がいるかもしれないというようなことから、勤めの方もそのままにして、北九州まで出向いたというのはどうも了解しがたいのですが、もう少し明瞭にしていただきたい。
  668. 江川文彌

    江川証人 お答えします。それは私が炭鉱からここに出て来まして九州の方に行つたというのは、それは私自身の意思によつてあくまでも動けると思うのです。どこからか金を借りて、今後何年間も負債でにつちもさつちも行かなくなつて金を借りて行つたとか何とかいうのであれば、私はうちの生活も考えない、自分の生活も考えないということもありますけれども、そういう負債も何もない。私が十日や一週間の旅行をしたからといつて、それは問題にはならぬと思う。
  669. 山口武秀

    山口(武)委員 あなたは十日や一週間ということを言つておりますが、この前の委員会からすでに一箇月以上たつておる。それから普通の人からいいますと、一つの所に勤めに参つておりまして就職をしておる。就職をしておる場合には、雇用主もこの人が就職をして働いておるということは計算に入れて事業を営んでおる。こういうような関係の人が、これはおれの自由意思であるからということになると、あなたはその仕事に対する責任ということは考えておられないのですか。(「それはおかしい」と呼ぶ者あり)おかしいと言われるが、就職した場合には、たとえばわれわれとしても国会におるから、おれは自由だからといつて国会をほつたらかしてほかの方に行つておるわけに行かぬ。しかも家庭の問題まで解決しなければならぬという場合には責任をもつて仕事に努力しなければならぬではないですか。
  670. 江川文彌

    江川証人 お答えします。私は普段陸上の何か事務的な仕事とか何とかいうのであつたなら、それは私からも進んでやります。だがこれを解決するまで——炭鉱といえば非常に危険な所なんです。いつ何どき頭の上から石が落ちて来るかわからぬ、炭鉱は始終人の死んでいる所です。そして穴の中に入るのに、私はこういうことを行き当りばつたりその場で考えるというようなことでなく、自分で確信を持つためには非常に考え、いろいろ気持を使います。やはりこれを解決するまでは、私の気持というものも、そんなうかうかして、何でも、いつでも、どこでも、どんな気分でもということは絶対できません。そういうような気分の者があの炭鉱の何千尺もある底の所で仕事をして、もしけがをしたらこれはうやむやになつてしまいます。そういうところから、私は非常にからだも疲れていたし、事実私はからだは丈夫の方ではないのです。それで二十八日に九州から帰つて来て、一日か二日に北海道に帰つて、私のいとこの所に行つてちよつと休ましてくれというようなことで、いとこの所で休んでおりました。
  671. 山口武秀

    山口(武)委員 そうすると二十八日に帰られましてから炭鉱には全然顔を出していない、仕事をしていない、こういうことになるのですね。
  672. 江川文彌

    江川証人 そうです。
  673. 山口武秀

    山口(武)委員 それはどうも奇妙な話です。  なおお聞きしたいのは、九州まで行きますのにはかなり金もかかるのですが、幾ら金がかかるのですか。
  674. 江川文彌

    江川証人 証言いたします。私が今度北海道から参りましたときには、汽車賃も足らなくて、急行でなく普通で参りました。そしてここで旅費、日当をいただきました。その旅費、日当で九州に行つて、ここに北海道に帰るだけの汽車賃はありました。
  675. 山口武秀

    山口(武)委員 費用が幾らかかつて九州に行くのに幾らかかつたかわかりませんか。
  676. 江川文彌

    江川証人 それは詳しくどういうふうに使つたか、どうしてやつたかというてとはわかりませんけれども、ここでもらつたのは一万一千九百円、はつきりしております。
  677. 山口武秀

    山口(武)委員 東京に来ますと金もかかつたろう、宿賃、食費というものもかかつておるだろう。それでなお幾らあなたは金が余つたのですか。幾ら余つたかということはこれだけの金があれば九州まで行つて帰れるというくらいの考えがあつたのですか。
  678. 篠田弘作

    篠田委員長 個人の旅行については直接の関係はないようですから、そのくらいでどうですか。そうして本格的な問題に入りましよう。時間がありませんから……。
  679. 山口武秀

    山口(武)委員 どうも委員長は当人に助太刀するような気持がするのです。というのは普通の常識から考えまして特にここに来るまでに金もなかつた。それでどうしようかと思つてつて来たというような場合に、そういう金がないという人が、もらつた金を使つてしまう。これはやはり普通の考えの人はそういうようにはならないと思う。それがなおこのままで——自由費の諸君が大いに応援されて、このままにしたいというならそれでよろしいのですが……。
  680. 篠田弘作

    篠田委員長 だからその問題は証人も言つておるように、一万一千九百円もらつたと言つておりますから、計算の問題はあとで出してみて、文書でも出さしたらどうですか。大体時間がありませんから、待つている人もありますから、証人がもう一人——晩飯も食わなければならぬし……。
  681. 山口武秀

    山口(武)委員 それでなおお聞きしたいのは、これは海員関係では多少とりざたされて、問題になつているのですが、江川証人日本郵船の横浜支店の船員部長というのを知つているか、あるいはそういう職名だけでも知つておりますか。
  682. 江川文彌

    江川証人 船員部長——日本郵船の船員部長ということもあるし、また配乗係、配乗監督または船員係というのは、あそこは船の上下がありますから、船員をあずかつている関係上、まああると思います。
  683. 山口武秀

    山口(武)委員 あなたはここへ手紙を送つたことがありますか、これは今年になつてから……。
  684. 江川文彌

    江川証人 あります。
  685. 山口武秀

    山口(武)委員 ありますか。その手紙というのは、いわゆる共産党についての、あるいは党員についての密告文である、こういう性質のものですか。
  686. 江川文彌

    江川証人 密告というのは、私が党員として活動している場合に、その機密について相手に知らしたというのなら、密告になるけれども、私が全然党員でもない、何でもないということでありますから、今後の海上のあり方、今後の民主主義についてというような問題だつたら、密告にならぬと思うのですが、まあたよりしたということは事実です。それではつきりすると思うのです。
  687. 山口武秀

    山口(武)委員 江川証人の今の何でも明らかになりましたが、これはとりざたされているように手紙を送つたことは明白なんです。これの内容というのは、密告云々の言葉の問題なんか出ましたが、それは問題ではありませんで、この中で、たとえば共産党の内情、あるいは共産党がどういうことをしている、あるいは共産党がどういう方針をとつている、こういうことを言つてつて、大いに協力を求めたいとかなんとかいうことを言われたことたんでしよう。それでこれは証人も認めるか、こういう内容のものを出していますか
  688. 江川文彌

    江川証人 出しています。
  689. 山口武秀

    山口(武)委員 この密告文、あなもが気にかけるならば手紙でもいい。内容はわかつているのですから………。これを出したというのは、大体ことしの、私は三月ごろじやないかと思うのです。いかがですか。
  690. 江川文彌

    江川証人 三月か、それよりも前じやないかと思うのです。
  691. 山口武秀

    山口(武)委員 この三月あるいはその以前であるということが明確になつたわけですが、このときにおきましては、すでにいわゆるレツド・パージという問題が出ていた。こういうような状況下において手紙が出されているということが問題になつて来たわけです。それで私がここで少々奇異な感に打たれますのは、かつて江川証人が三月、おそらくこの手紙を出された後に、北海道の新聞にあのような記事が発表された。その記事の発表につきまして、これは共産党の不正というものを暴露して、そうして大衆の目を開かせるのだ、そうして私がこれまでに入党させた人に対する責任というものがあるのだ、これらの人を誤らせてはならないので、これらに対する責任というところからも、これらの人の目を開かせるために新聞発表をやつたのだということに証言されたわけですが、そうなつて参りますと、こういうような証人としてはきわめて責任を感じたからやつたのだというようなこと、一方密告というようなことが行われたとすると、これは少々矛盾しはしないだろうか、この前に証人が言われました新聞発表の動機というもの、これに対して証言したこととかなり矛盾して来るものがありはしないかというように考えるのですが、その点はいかがですか。
  692. 江川文彌

    江川証人 私は矛盾と考えないのです。そのときは、私に直接どういうようなあれをしてくれとか、またそれに対して現在の闘う問題を相談するということではなくて、今後またいろいろ支持、支援をお願いするというのは、もし、私が直接海に出て行き、海員会つて、それで話をしたりまた何なりする。また会社の中を撹乱するというような場合には、私も相談に乗りたいし、またその民主化の上からそういうものを排除しなければならぬ。また私もそういう面でいろいろ御支持を願うということと、また何も船員部長にそれを話したからといつて、手紙を出したからといつて、それは直接海上の大衆に訴えることにならぬと思う。海上の大衆に訴えるのは新聞なり何なりが非常に効力を発するということになると思うのです。何も矛盾じやないと思うのですね。
  693. 山口武秀

    山口(武)委員 だから私はその三月というのは、レツド・パージというものを背景としていたときである、こう言つたのです。というのは、あなたが感じられておるように、もしも船員に対する責任ということを言われますならば、これはやはりその船員に対して多少親切な気持で出されたのだろうが、この手紙というもの、私流にいえば密告、こういうものから、いわゆるレツド・パージにかけてやるというような事態を招来するわけなんです。そういう点であなたの話に私は納得できないものがある。
  694. 江川文彌

    江川証人 その点はつきり申し上げます。私、この海上のレツド・パージがいつあつたかわからないのです。それで四月だつたと思いますが、小樽に出て行つたときに、小樽の船員係か何かしておる、名前は何といつたか、前に営口丸か何かに乗つておりました操機長で、郵船会社にいる人があるのです。その人のところに行つて海上の党の情勢はどうですかと言つたら、そこで、いや、レツド・パージがあつたからもう大丈夫だろうということを言われて、ほう、レツド・パージをしたのですか、よくわかりましたねと、そこで話しております。それは聞いてもはつきりわかります。
  695. 山口武秀

    山口(武)委員 私がさらに聞きたいのはこの点なんです。あなたは共産党を脱党された。ところが世間ではやはりどうも怪しいとしてなかなかこの脱党を受取つてくれない向きがありそうだ。そういうので、おれがほんとうに転向したのだというような意味で新聞発表というものがされたのではないだろうか。
  696. 篠田弘作

    篠田委員長 しかしそれは本人の心境の問題ですから、この密貿易、密出入国と直接関係がないから、次の証人が待つておるのですから、それをやろうじやないですか。——それではあと五分間を限つて山口君の発言を許します。
  697. 山口武秀

    山口(武)委員 そういうようなばかなことを言われては困る。
  698. 篠田弘作

    篠田委員長 困つてもしかたがない。それは委員長の権限です。もう少し証人を喚問した趣旨に合うような質問ならば、これはやむを得ません。     〔「動議を出してやるぞ」「ばか言つちやいけない」と呼び、その他発言する者あり〕
  699. 篠田弘作

    篠田委員長 静粛に願います。山口君、たびたび申し上げますが証人を喚問した趣旨がありますから、その趣旨に沿うような尋をしてくだい。
  700. 山口武秀

    山口(武)委員 あと一つだけ。それはこの前の証言の際に証人は、刑事事件あるいはその他の関係でこれまで取調べを受けたことは、神戸の水上署で調べられたことがある密入国の未遂の問題、それからもう一つの問題は新聞発表が行われてから——これは北海道新聞の発表です——その後特審からの調べがあつた。それから当委員会の今立調査員の調べがあつた。そういうことに言つておりますが、それに間違いありませんか。
  701. 江川文彌

    江川証人 そのほかで何か取調べられたというのは、どの程度のことなのですか。取調べられたというのは不審尋問にかかつたり……。
  702. 山口武秀

    山口(武)委員 不審尋問ぐらいのことは言いません。
  703. 篠田弘作

    篠田委員長 その問題について取調べられたというのでしよう。あなたが北海道新聞なら北海道新聞なりに発表したことについて取調べを受けた、そういうことでしよう。
  704. 山口武秀

    山口(武)委員 そういうことじやない。刑事上の問題について……。
  705. 篠田弘作

    篠田委員長 密入国に関係なく、刑事上の問題で取調べられたことがあるかという問題ですが、そういうことがありますか。
  706. 江川文彌

    江川証人 今のところちよつと記憶がないのですが。
  707. 山口武秀

    山口(武)委員 この前私がこれを聞いたら、それ以外にはありませんということを明瞭にあなたは答弁しておられるのです。それで今、不審尋問かどうかということを言いましたが、そういうことじやないのです。私がお聞きしたいと思うのは、あなたが九州を立つて北海道へ行かれるとき、あなたは舞鶴へ行かれた。このことは調査の結果知つているのです。それでその舞鶴で逮捕されたことがある。こういう事実があるとすれば、あなたのこの前の証書というものは偽証になりまするので、私は承りたいと思います。
  708. 篠田弘作

    篠田委員長 ちよつと山口君に御注意申し上げます。この前の速記録を調べなければわかりませんが、この前のあなたの御質問は、この事件に関係をして取調べを受けたことがあるかというように私たちは記憶しております。
  709. 山口武秀

    山口(武)委員 いや、私は速記録を調べてあります。
  710. 篠田弘作

    篠田委員長 その問題はあとで速記録を調べて……。
  711. 江川文彌

    江川証人 それは九州から北海道へ来るときではない。九州から舞鶴へ行きまして、また九州へ帰つております。そのときに舞鶴で、引揚船に行かれないことになつておるのですが、その引揚船に行きまして、逮捕されたとか何とかというのではなくて、今それを言われて記憶に出て来たのですが、引揚援護局かどこかにおる米軍ですね。(「CICだろう」と呼ぶ者あり)その人に召喚というか、ちよつと来いということで行きまして、どうして船へ行つたかというようなことをいろいろ質問されて帰されました。
  712. 山口武秀

    山口(武)委員 そのときはあなたは勾留されませんか。
  713. 江川文彌

    江川証人 勾留されません。
  714. 山口武秀

    山口(武)委員 その調べは一日以内あるいは昼間のうちに終つたのかどうか。
  715. 江川文彌

    江川証人 昼からとまた次の日の昼前だつたと思います。
  716. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと、取調べを受けてどこかへ帰されたのですか。
  717. 江川文彌

    江川証人 そうです。
  718. 山口武秀

    山口(武)委員 どこへ帰られたのですか。
  719. 江川文彌

    江川証人 それは舞鶴の青葉町ですか、あそこの磯木広一とかいう党の事務所がありますね。あそこの向いのうちです。
  720. 山口武秀

    山口(武)委員 この点は私たちが取調べたことがあります。舞鶴の地区委員会から若松地区委員会にあなたの逮捕された問題で書類が行つておりますので、これはわかつておりますから、この点だけにいたします。
  721. 加藤充

    加藤(充)委員 この前の証言の中に、ある点で事実間違いであれば、訂正を願つておいた方がいいのじやないかと思われる点があるので確かめるのですが、北海道の茅沼地区委員会という地区委員会がございますか。
  722. 江川文彌

    江川証人 北海道茅沼地区委員会でなくて、岩宇委員会の茅沼細胞だと思います。
  723. 加藤充

    加藤(充)委員 この前の証言の中に、「茅沼地区委員会委員長をしておる大高貫八というのがおります。それは私が小樽におるころにしよつちゆう顔を合せておつた男なのですが、」という証言があるのですが、これによると、茅沼地区という所に委員会があつて、大高貫八というのがその責任者であるというふうな証言にとれるのですが。
  724. 江川文彌

    江川証人 私そのときに茅沼地区委員言つたか茅沼委員会言つたか、現在記憶にないのですが、何でも茅沼におる共産党員の大高貫八ということは事実です。
  725. 加藤充

    加藤(充)委員 それからあなたが小樽に行つてからのいろいろな仕事ぶりの中に、延慶丸の船の斗争が何とかかんとかと書いてあるのですが、その日時は二十二年の夏ということになつておりますが、これは日時の訂正をする必要は、今ありませんか。
  726. 江川文彌

    江川証人 二十二年と私が言つていれば間違いです。二十三年です。
  727. 加藤充

    加藤(充)委員 それからあなたは今、九州からお帰りになつて、いとこのうちにおとまりになつてつたというのですが、いとこさんの氏名、住所はどういうことですか。
  728. 江川文彌

    江川証人 札幌市北一条西二十二丁目、江川保正。
  729. 加藤充

    加藤(充)委員 それでその間に何か勤め先の方に手紙か何かの連絡をして、長らくのあれを了解を求めたようなことがあるのですか。
  730. 江川文彌

    江川証人 電話でこつちにいるからということだけお知らせしておきました。
  731. 加藤充

    加藤(充)委員 何か初めて出て来るときから、親方あるいはその他のところから応援されてとに参かくまあというようなことで出て来たので、長らく九州の方へ行つたり、あるいはそちらへ行つて、すぐ帰らなくても、簡単に了解が得られるという状況でもあつたのですか。
  732. 江川文彌

    江川証人 そういうような状況ではありません。
  733. 加藤充

    加藤(充)委員 それから二十二年の夏ごろは証人はどこに勤めておりました。
  734. 江川文彌

  735. 加藤充

    加藤(充)委員 その当時は乗船をしておつたのですか。勤めの内容はどんなものだつたのです。
  736. 江川文彌

    江川証人 そのころは、乗船といいましても、西日本石炭輸送株式会社の引ボートです。その引ボートがたくさんのカツターに石炭を積んで大阪まで行つて来る、そうして航海が短く、碇泊が非常に長いわけです。それでそういうようなのを利用して、航海中は船に乗つてつたけれども、入港したら党の活動はいくらでもできるわけです。
  737. 加藤充

    加藤(充)委員 そういうことを聞いていないのです。勤めておつて、勤めの内容はどうかということを、私は証人にお尋ねしておる。
  738. 江川文彌

    江川証人 勤めの内容は、機関員または操機手。
  739. 加藤充

    加藤(充)委員 西日本石炭輸送株式会社で、あなたがやめられるまでの間にやつてつた仕事の内容というようなものは、どういうことですか。
  740. 江川文彌

    江川証人 ただいま申しました機関員または操横手であります。
  741. 加藤充

    加藤(充)委員 それはどの方面でおやりになつてつたのですか。
  742. 江川文彌

    江川証人 それは船を推進させるスクリユーを回転させるための原動力を扱つております。     〔日本語を知らぬのか」「愚問はよせ」と呼ぶ者あり〕
  743. 加藤充

    加藤(充)委員 若松を動かなかつたわけですか。
  744. 江川文彌

    江川証人 大体若松中心にしたり、あるいは若松、苅田が中心で、そこから大体船は動いていないのです。
  745. 加藤充

    加藤(充)委員 それじやそう言つていただけばわかるので、何も汽罐の設備をいじくつているからといつて船におつたわけではない。その船自体が動いたりしておる。どこを動いておつたかということが、相当意味を持つて来ると私は思うから聞いておるので、わかりもしないやじは不愉快きわまる。結局若松と苅田の間で仕事をしておつた、こういうことですね。そうすると、昭和二十二年の夏ごろ以降に、あなたが具体的に密貿あるいは密入国というようなものに関係しておやりになつたことは、この前の十五日の当委員会証言で述べられた以外のことはないのですか。
  746. 江川文彌

    江川証人 以外ですか。
  747. 加藤充

    加藤(充)委員 あれ以外に述べ残したようなことはありませんか。
  748. 江川文彌

    江川証人 密入国、密貿易についてあれ以外に述べ残したもの——私現在議事録が手元にないものですから……。
  749. 加藤充

    加藤(充)委員 議事録がなくても、あなたがこの前述べたことは大体記憶があるだろうと思う。一年も三月も先のことじやないのです。それこそ二十二年のことを聞いているのじやない。
  750. 江川文彌

    江川証人 大体述べておると思います。
  751. 加藤充

    加藤(充)委員 そうするとあれ以外には、密入国ないしは密貿について、証人は具体的には二十二年の夏以来やつておらぬということなんですね。
  752. 篠田弘作

    篠田委員長 言いかえれば、個人でもつて密貿易や密入国をやつたかということですか。
  753. 加藤充

    加藤(充)委員 あれ以外に……。
  754. 江川文彌

    江川証人 証言した以外に、その以前というのであれば、ありますけれども、その以後というのは、それ以外にないと思います。
  755. 加藤充

    加藤(充)委員 その以前に、二十二年の夏ごろ以前に、何か述べ残したことがありますか、この前の証言のほかに。
  756. 江川文彌

    江川証人 党と関連のあつた密入国、密貿易に対しては、大体述べておると思います。全然党と別個なことではありますが……。
  757. 加藤充

    加藤(充)委員 それじやお尋ねする。当委員会共産党の密入国あるいは密輸出だけ調べるのでないのですから、お尋ねするが、あなたはこの前十五日に述べられたこと以外に、もし関係があつたり、あなた自身がおやりになつたりしたことがあるならば、述べてさしつかえなければ述べていただきたい。
  758. 江川文彌

    江川証人 さしつかえありません。述べます。それは私が日本郵船に入つつているころ、戦争中だつたのですが、台湾から砂糖を持つて来たり、南洋群島から砂糖を、税関を通さないでしよつちゆう持つて参りました。そういう事業はあります。
  759. 加藤充

    加藤(充)委員 船員というものは、そういうことをあなたばかりでなく、大体が安い賃金を補給するという意味合いか何かでやつていたのだととうことは、一般に言われますか。
  760. 江川文彌

    江川証人 一般に言われるということではないと思います。
  761. 加藤充

    加藤(充)委員 それでは、あなたはやることの少いうちの一人ですか。
  762. 江川文彌

    江川証人 おそらく戦争中は——まあわからないですね。そういうことはだれも、おれもやつておる、おれもやつておるとは言いません、自分自身、自分は自分だけと思つておりますから……。
  763. 加藤充

    加藤(充)委員 そうすると戦争後から二十二年の夏までの間はいかがです。
  764. 江川文彌

    江川証人 それまでの間といいますと、それは税関を通さないで、また官憲を通さないで持つて来るというものは、やはり正式にいえば密入国になりますけれども、朝鮮で、たらこを一本買つて来たとか……。
  765. 加藤充

    加藤(充)委員 ちよつと途中ですが、それは密入国でなくて、密貿易関係です。魚が入つて来ても密入国にはなりません。
  766. 江川文彌

    江川証人 密入国ですか。
  767. 加藤充

    加藤(充)委員 いやあなたが混乱しておるから言つておるのです。密貿易のことについて、戦時中なりあるいは戦争終結後二十二年の夏ごろかまでに、あなたがおやりになつたことで、この前の委員会のあなたの証言の中に述べ残したことがありはしないかというのが、私の質問なんです。それに対してあなたがお答えくださればいいのです。——それではこういうことにいたしましよう。密出入国についての点をまず第一点に伺つて、なお密貿易のことについてお伺いしましよう。従つて私の質問は二点です。
  768. 江川文彌

    江川証人 この前証言した以外で——密入国のことは、おそらく全部証言しておると、自分ではただいま記憶しております。密輸出、密輸入ということに関しましては、戦争中港へ行きますと珍しいもの——たとえばウイスキーを一本より日本へ持つて帰れない、三本より持つて帰れないというときに、一本をそこらに隠して来たり、また二本を隠して来たりということは、たまたまありました。
  769. 加藤充

    加藤(充)委員 あなたが密航の未遂だという言葉でお述べになつている二十二年の四月ごろは、あなたは入党していましたか。
  770. 江川文彌

    江川証人 この前も証言しておりますが、口頭で大体承認しておりましたけれども、二十二年の、その後五月か六月に正式にサインしていることを証言しております。
  771. 加藤充

    加藤(充)委員 二十二年の四月ごろだというと、入党以前だということになりますね。それから最後にこの密航の問題のときに、これは当委員会でも大いに力を入れて聞いていただきたいところだし、いただかなければならぬところだから聞くのですが、犯罪は朝鮮の港で発覚して、あなたの乗つておられた洞南丸か何かが若松に入港した、そこで下船をして、そうして神戸に来て、神戸の警察で調べられたというのですが、ああいう場合には、犯罪がすでに発覚しておる場合に、帰つて来た第一の寄航地で問題になるのが普通なのですか、それとも船籍港とか勤めの関係とかいうような形で、神戸とか何とかいうところまで行つて、そこで問題にされるのが普通なのですか。
  772. 江川文彌

    江川証人 お答えします。それに対して私もそのころは自分自身でもそういう矛盾に対して考えたことがあるのです。それで党的な立場、階級的な立場といいますか、若松に入港したときには、大体向う未遂になつて船の方では問題にしい。次にまじめにやるようにということで、外面はおろされているわけです。それで若松の警察、水上署にも私らは行つていないわけです。それで神戸に行つて、神戸の会社に行きましてから、会社の方で水上署に電話をかけて、そして警察官が来て私たちに縄をかけて水上署に行きました。そして水上署へ行つて、二時間くらい何か今でもわからぬようなことを言われて帰されて、そして会社に来たら、もう私らはやめなければならないというような立場にあつたから、これは私らをやめさせるための一つのきつかけとして警察へ連絡をとつて、警察に逮捕されたから、犯罪人だからということでやめさせるんじやないかなというような気持をまわしたことはあります。ところがそれは私はわからぬです。
  773. 加藤充

    加藤(充)委員 密入国の共犯か何かみたいな形で発覚したんですが、二十二年の四月ころというと、今ごろと大分世の中の状態が違いますが、しかしそういうような簡単なことで済まされておつたのですか、日本の国に入つたり出たりする人間並びに物質というものが。
  774. 江川文彌

    江川証人 お答え申し上げます。それはこの前も証言しました通り、非常に税関または水上——あのころは海上保安庁というものはあまり見なかつたですが、船内のサーチなど厳重にしていたわけです。物を持つてつたり来たりするときは、船内の状態を、板の下、石炭の下がどうなつておるかというようなことまで……。
  775. 加藤充

    加藤(充)委員 長くなりますから、なるべく私の質問した範囲で答えてください。
  776. 篠田弘作

    篠田委員長 そういう状態にあつたかどうかということを答えればいいわけです。
  777. 江川文彌

    江川証人 私とすれば、日本の行政機関ではそういう状態にあつたということは言えません。だが船員立場から見れば、どこでもくぐつてそういうことはできました。
  778. 加藤充

    加藤(充)委員 発覚したときに、あなたはこれはえらいことになつたというふうにお感じになつたか。何とかしてやれるんだからこれはつまらぬことをした、簡単に済むんだというふうにお考えになつたか。
  779. 江川文彌

    江川証人 そのときはこれは未遂だし、それから朝鮮の方でだし、船長とか繰機長がこれはあまり問題にしないで、内地に着いたら違う船に乗るように私らは運動するからということで、ひよつとするとできるんじやないかと思つてつたけれども、ひよつとすると若松の港に入つて、われわれは船が着くなりボートが来て連れて行かれるかもしれぬぞというような気持はありました。
  780. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは江川証人に対する尋問はこれで一応中止いたしまして、永山正昭君をここに呼び入れまして対決をさせます。     —————————————
  781. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは先ほど来永山証人江川証人から密出入国、特に椎野共産党議長から密貿易を依頼されたというような証言につきまして、長時間にわたつて尋問しましたが、非常に食い違いが多いというよりも、むしろまつたく食い違つておるのです。そこで当委員会といたしましても、はたしてどちらが偽証をしているのかという問題につきまして、宣誓をした証人がまつたく逆なことを言つているということは、そのまま当委員会として看過しがたいのでありまして、一応お二人に同席していただいて、そうしてはたしてどちらがうそを言つておられるのかということを確かめたいと思います。  お二人に申し上げますが、片一方がしやべつておることが違うからといつて、すぐ片一方がいきり立つて、それに応酬するというようなことは絶対にないように、委員長の質問に対して、十分に記憶を呼び起して、冷静にあなた方は証言をしていただきたい、こういうふうに思います。  それではまず永山証人からお尋ねいたします。先ほど永山証人を尋問いたしましたときに、江川証人入党を勧告したこともないし、また他の人々に対してもあまり自分は入党というものを勧告したことがない、こういうお話でありましたが、それは実際において江川証人に対して入党を勧告されたことはあるかないか、それをひとつ……。
  782. 永山正昭

    永山証人 ございません。
  783. 篠田弘作

    篠田委員長 江川君にお尋ねいたしますが、あなたの入党書には永山君の紹介となつておるという話でありますが、事実ですか。その入党の当時のいきさつを述べてください。
  784. 江川文彌

    江川証人 入党書に署名する場合に、まず千田教文という人が署名しまして、それから永山さんの家に行きまして、そこで永山さんが署名したということを記憶しております。
  785. 篠田弘作

    篠田委員長 永山君、それはどうですか。
  786. 永山正昭

    永山証人 そういう記憶はございません。
  787. 篠田弘作

    篠田委員長 記憶はないのですか。事実がないのですか。
  788. 永山正昭

    永山証人 そういう事実はないと思います。
  789. 篠田弘作

    篠田委員長 事実はないと思うのですか。
  790. 永山正昭

    永山証人 申し上げます。江川君に対して直接入党を勧告したことはございません。
  791. 篠田弘作

    篠田委員長 間接にはありますか。
  792. 永山正昭

    永山証人 間接にもございません。江川君に会つたのは、江川君が党に入党するという申込みをされた直後に、会つたのであります。
  793. 篠田弘作

    篠田委員長 そのいきさつはどうですか、江川君。
  794. 江川文彌

    江川証人 私は会つております。会つておるし、永山氏から入党を勧告されています。
  795. 篠田弘作

    篠田委員長 何回くらいされておりますか。
  796. 江川文彌

    江川証人 何回くらいされたか、記憶いたしませんが、やはり会うと、どうだどうだというようなことも言われております。そして私の入党書に永山氏の紹介のサインをしているということは、大体間違いないと私は思つております。
  797. 篠田弘作

    篠田委員長 大体ですか、それとも絶対ですか。あなたの場合は、共産党入党するということは一生一度のことだ。永山君の場合は、たくさんの人を勧誘していると思われるから、あるいは記憶がないかもしれぬ。あなたの場合はどうです。さつきあなたは永山君の紹介で入つたと言つておる。
  798. 江川文彌

    江川証人 そのころ永山氏が大体若松海上の方をずつと責任を持つてつてつたわけです。それで紹介者二人が党に入党の場合に必要なんです。一人は千田教文君、それからもう一人は永山氏が私の紹介責任者となつてサインしていた。大体というよりも、相当な角度から……。
  799. 篠田弘作

    篠田委員長 相当といつても、二人きりしか押さないのだろう。二人きりしか押さないのだから、その一人が千田君であるということを覚えておるのだから……。一人は永山君であつたと、君はさつきそう言つた。こつちはそうでないと言う。
  800. 江川文彌

    江川証人 いや、永山正昭です。
  801. 篠田弘作

    篠田委員長 間違いないですね。
  802. 江川文彌

    江川証人 はい。
  803. 篠田弘作

    篠田委員長 それから永山君にお尋ねするけれども、若松の馬越丈太郎という人のうちを知つておりますか。
  804. 永山正昭

    永山証人 知つております。
  805. 篠田弘作

    篠田委員長 たびたび行きましたか。
  806. 永山正昭

    永山証人 たびたび行きました。
  807. 篠田弘作

    篠田委員長 それはどういうわけでそこへたびたび参りましたか。
  808. 永山正昭

    永山証人 昭和二十二年の暮と思いますが、私が若松におつたうちがおられないような事情になりまして、そして馬越さんの二階を、たしか一月ばかり家族を預かつてもらつたことがございます。
  809. 篠田弘作

    篠田委員長 そこで江川証人とお会いになつたことはありますか。
  810. 永山正昭

    永山証人 そこのうちを私が借りておるときに、江川君と会つたことは、そこに家族を預けておつたときには、記憶がございません。
  811. 篠田弘作

    篠田委員長 その後は。
  812. 永山正昭

    永山証人 その後、その場所が若松地区委員会になりまして、そこではたびたび会いました。
  813. 篠田弘作

    篠田委員長 江川証人にお尋ねいたしますが、馬越丈太郎という人のうちで、永山証人から、椎野氏が君に会いたいと言つている、そこで会つてくれと言われで、そこで会つたという事実を、あなた先ほど証言をしておるけれども、そういう事実は間違いございませんか。
  814. 江川文彌

    江川証人 間違いありません。
  815. 篠田弘作

    篠田委員長 だれとだれで会いましたか。
  816. 江川文彌

    江川証人 永山氏と私と椎野悦郎、それからこの前まで名前がわからなかつたのですが、亀山という男です。
  817. 篠田弘作

    篠田委員長 永山君はそれを記憶しておりませんか。
  818. 永山正昭

    永山証人 そういう事実はございません。
  819. 篠田弘作

    篠田委員長 結局二人が、一人はまだ共産党に残つている人ですし、一人はむしろすでに脱党した人ですから、証言の食い違うということは、これは普通に言えば当然かもしれませんが、本委員会は、宣誓をしてどちらか偽証しているということがはつきりした場合には、先ほど読んだように、十年以下の懲役ということになつておるのでありますから、その点をよくお考えになつて、事実は、またあらゆる角度から調べてみれば、ほかの証人も出て来ると思います。ですから、今までの証言というものにこだわらないで、ひとつ記憶を十分呼び起してやつていただきたい。  先ほど椎野君は永山君を知らないかもしれない、しかし永山君は、若松地方委員会常任であつたから知つておるかもしれない、こういう証言でしたね。永山君の証言は……。それは間違いありませんか。
  820. 永山正昭

    永山証人 今委員長永山とおとり違えておるようですが……。
  821. 篠田弘作

    篠田委員長 椎野君は江川君を知らないかもとれぬ。しかし江川君の方では、もちろん椎野君をよく知つておるし、それから椎野君自体からいつて、片一方は九州地方委員会のとにかく知名の士であるし、江川君は一方また若松常任であつたから知つておるかもしれない。また知つておるということは考えられる、こういうふうにあなたは証言されましたね。
  822. 永山正昭

    永山証人 いたしました。
  823. 篠田弘作

    篠田委員長 しかしあなたは、そうすると椎野君と江川君が会つて話をしている、あるいは何かの会合で江川君が入つてつたときに、椎野君があいさつしたり、江川君があいさつをしているという場面は、現実に見たことはございませんか。
  824. 永山正昭

    永山証人 ございません。それから今の江川君のお話ですが、亀山なんという人は全然私は知りません。
  825. 篠田弘作

    篠田委員長 今の永山証人のお答えに対して、江川証人はどういうふうにお考えですか。
  826. 江川文彌

    江川証人 これはあくまでも事実であつたということです。
  827. 篠田弘作

    篠田委員長 会つたことは事実だつたというのですか。
  828. 江川文彌

    江川証人 はあ、事実です。
  829. 篠田弘作

    篠田委員長 先ほど江川君の私生活の問題で、人間として素朴で単純で非常に仕事熱心であつた。しかし金銭上の面で、若干感心しない面があつたということは、これはどういうことですか、永山君。
  830. 永山正昭

    永山証人 多少帳簿のつけ方——たしか当時出ておりましたアカハタの収支なんかを江川君はやつておりまして、それがかなり不足分がございまして……。
  831. 篠田弘作

    篠田委員長 どのくらいですか。
  832. 永山正昭

    永山証人 記憶はございませんです。しかし私はそれを大体全部かぶつたわけです。
  833. 篠田弘作

    篠田委員長 江川君は、先ほど十円とか、二十円とかいうお話だつたが、アカハタの売上げについて、そういつた事実はありますか。
  834. 江川文彌

    江川証人 お答え申し上げます。私若松に参りましたときに小椎尾豊かだれかのカンパの金だと思います。十円か、二十円つけ落して、金が足りなかつたときに、永山氏に非常に注意されたことがあります。そのほかに、党の大きな金を使い込んだというような事実は、私はないということをここではつきり言います。
  835. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは永山君にお尋ねしますが、そういつたような相当な金を、共産党員が党の金を使い込んだというような場合に、上部機関であるあなたが、ただそれをかぶつて、そのために本人に対しては何ら処分もないし、そのままでやはり共産党というものは——言いかえれば、上部機関、親分が子分の過失をかぶつて、それを過して行くような慣例になつておりますか。
  836. 永山正昭

    永山証人 そういうことになつておりませんです。ただ江川君が北海道に病気療養のために帰ることになりまして、そのときにかなり穴が明いておつたわけであります。それは多少問題になつたけれども、本人が安い給与で苦しい生活をしながらやつてつたことであつて、本人が、あるいは酒を飲んだとか、何をしたとかかにをしたとかいうようなことでもつて使つた金とは考えられないわけです。そしてことに、先ほど来私証言いたしましたが、江川君は船員でございますし、帳簿をつけるとかなんとかいうようなことが、決して得手ではないわけであります。従つてそういう点を勘酌いたしまして——それはいろいろ人にはだれでも欠点はあることであるが、江川君が帳面のつけ落しがあるとかなんとかいうようなことは、それを補つて余わあるいいところもほかの面にあるのであるから、こういうことは問題にしてもらいたくない、問題にさせないというのが、私の態度であつたわけであります。
  837. 篠田弘作

    篠田委員長 江川君が安い給料で働いておつたときに、あなたは高い給料で働いておつたかどうか。江川君の過失をかぶるほどの収入があなたにあつたのかどうか。それを……。
  838. 永山正昭

    永山証人 高い給与で働いてもおりませんでしたが、金額は覚えておりませんが、五、六百円のものじやなかつたかと思います。それくらいどうにかできたわけであります。
  839. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは江川君は、そういう事実があつたことを認めますか。
  840. 江川文彌

    江川証人 私が北海道の方へ来まして、それから帳簿を監査して、私が全然感じていなかつた収支の面で食い違いができていたということであつても、私の方に現在まで連絡がなかつたから、わからないわけです。
  841. 篠田弘作

    篠田委員長 君には全然連絡がなかつたわけですか。
  842. 江川文彌

    江川証人 ええ。それで先ほど申しましたように、十円、二十円の食い違いということはありました。
  843. 篠田弘作

    篠田委員長 それから、もう一つかんじんなことは、先ほど永山君の証書によつて江川君が病気であつたから、北海道に病気療養に行くときに、あなたが広谷俊二君に紹介状を書いて渡してやつた、そういう証言でしたね。
  844. 永山正昭

    永山証人 江川君が若松を引上げて北海道に帰るということは、病気療養のためでございます。しかし、北海道に帰るのでございますから、病気がよくなつたならば、北海道地方委員会のもとでいろいろと活動するように、そのときに知己というものもないかもしれないということから、広谷君に紹介状を書いたわけであります。
  845. 篠田弘作

    篠田委員長 病気は何ですか。
  846. 永山正昭

    永山証人 それも先ほどの証言で申しましたが、病名ははつきりしなかつたと思います。
  847. 篠田弘作

    篠田委員長 だれか医者に診断してもらつて、病気であるからといつてつたのですか。それとも江川君の体が思わしくないから、これは病気であるからといつて、あなたが紹介状を書いたのですか。
  848. 永山正昭

    永山証人 たしかそれも先ほど証言いたしましたが、倒れたのは一回や二回ではございません。何回か倒れたりなんがしたのです。それで江川君が病気になつた直接の場合には、私は当時おりませんでしたから、その間のことは知りませんが、しかし当然医者にかけたりなんだりはしたと思います。しかし病気が何であるかということは、私そのとき、若松地区委員会の方から、病名はちよつとわからないという報告があつたの記憶しております。
  849. 篠田弘作

    篠田委員長 そうしますとあなたは、病気であるから北海道へ帰して療養させるつそれでなおつたらば広谷俊二君の手元で、北海道地区委員会で働かせる、こういうお考えであつたようであるが、それを江川君そのものの能力が相当にあるから、病気がなおつた北海道で活動させたい、こういう御意思であつたのでありますか。
  850. 永山正昭

    永山証人 そうであります。それから病気療養には、若松にいるよりは自分の家のある実家の方がよいだろう、こういうふうに考えたわけであります。
  851. 篠田弘作

    篠田委員長 江川君にお尋ねするのでありますが、あなたは病気療養もその一つの原因であつたが、もう一つ重大な、北海道海員組合に対して、いわゆる海上オルグを組織するという一つの使命を帯びてあなたが出発した。それには永山君はそのときあなたに何か言いましたか。ただ病気療養に行けということだつたのですか。
  852. 江川文彌

    江川証人 証言いたします。その前に私からだが弱かつたということは事実であります。そうしてからだが弱くて何かデモのときに倒れたようなこともありますけれども、その私が立つしばらく前に、北海道に野坂が行く、そのときに私が北海道のオルグとして野坂さんと一緒に行くことになつたからということを永山さんから私に言われております。
  853. 篠田弘作

    篠田委員長 それは何年ごろですか。
  854. 江川文彌

    江川証人 私が北海道に行く年です。
  855. 篠田弘作

    篠田委員長 何年ですか。
  856. 江川文彌

    江川証人 昭和二十三年です。
  857. 篠田弘作

    篠田委員長 永山君、それはどうですか。
  858. 永山正昭

    永山証人 記憶ございませんです。もう一度申し上げますが、江川君が病気になつて北海道に行くことは、病気療養のために行くことになつたのであります。けれども北海道に帰つて、そして病気がよくなれば北海道で活動するのが当然のことでありますから、そのときにはひとつよろしくやつてくれということで江川君を帰したわけであります。
  859. 篠田弘作

    篠田委員長 まだ重要ないろいろな証言が残つておりますが、これは時間の節約上同じことを尋ねても何ですから、委員の諸君からひとつ聞いていただきます。
  860. 島田末信

    ○島田委員 永山証人にお尋ねいたしますが、先ほど江川君を尋問する前のあなたの証言にあたつて、あなたは江川君を二十一年の春だつたかに初めて知つたと言いましたね。
  861. 永山正昭

    永山証人 二十二年の春です。
  862. 島田末信

    ○島田委員 江川証人にお尋ねしますが、あなたは昭和二十一年の春だつたかに初めて永山さんを知つたと言いましたね。
  863. 江川文彌

    江川証人 はい、そうです。
  864. 島田末信

    ○島田委員 それでは永山さんにもう一度尋ねますが、何か記憶違いではありませんか。あなたは今二十二年の春江川君が入党して後に知つたと言つているが、大体一年の食い違いがあるようですが、どうですか。
  865. 永山正昭

    永山証人 私が江川君に初めて会つたのは、江川君が西日本石炭輸送会社の江戸丸の船員のときです。それは昭和二十二年の春と思います。春に間違いありません。昭和二十一年の春というのは、昭和二十年には九月に海員組合の大きなストライキがあつたわけであります。そうして昭和二十一年の春ごろは私海員組合におりましたが、江川君はおそらくそのころは大型船に乗つておられたと思います。そのころは私は江川君と面識はございません。江川君と会つたの江川君が西日本石炭輸送会社の引船江戸丸の船員であつたときに初めて千田君の紹介会つたのあります。
  866. 島田末信

    ○島田委員 これに対する食い違いは、いずれまた他の委員からもお聞きすることと思います。  次に馬越方であなたが、椎野さんやら、亀山さんやら江川君と一緒に会つたということについては、江川君はあなたをいろいろお世話になつた恩人として非常に情誼の上では尊敬しておつたという仲であるが、そういう会見をした事実について、その家もはつきりしておるし、また会見した場所のいろいろな間取りやらあるいは服装に至つてもまだ多少の記憶も残つているというふうなことだが、これは一応今江川君がそこまで証言するのには、よほど記憶がはつきりしておるというか、そういう事実がなければ言えぬと思いますが、これは何かあなたの記憶違いではありませんか。ひとつはつきりとお尋ねしたいと思います。
  867. 永山正昭

    永山証人 はつきり申し上げます。馬越丈太郎の二階で、椎野悦郎江川文彌、亀山何とかいう人と四人で会つたという事実はございません。
  868. 内藤隆

    内藤(隆)委員 関連しておりますが、その馬越丈太郎の所に奥さんを預けておいたことは間違いないですね。
  869. 永山正昭

    永山証人 はい。
  870. 内藤隆

    内藤(隆)委員 元の家をどうして立ちのきをされたのですか。
  871. 永山正昭

    永山証人 先ほど証言申し上げましたように、私は西日本石炭輸送会社に勤務しておりました。それでそこの社宅に入つてつたわけであります。それが退職後も家がなくて家族をずつと社宅に置いておいたわけであります。ところが会社の方でもいろいろと住宅難のためにぜひ出てもらいたいということでもつて出たわけであります。
  872. 内藤隆

    内藤(隆)委員 この馬越丈太郎氏の二階で、椎野氏、あなた、それから亀山君と江川君の四名が会つたというところが一番の問題の山です。あなたは全然ないと今きつぱりと否定をしているわけであります。またその前の証言によつても、この馬越丈太郎の家に江川氏が訪問して来たこともないですね。
  873. 永山正昭

    永山証人 先ほどから申し上げておりますように、昭和二十二年の暮と思いますが、十一月です。大体一月ばかり家がなくなりまして、馬越丈太郎方の二階に家族を預けたのであります。それから心配してくれる人がいて、鹿児島の友人の宅に家族を預けました。その後その馬越丈太郎の家の二階が若松地区委員会の事務所になつたわけであります。その事務所では江川君とたびたび会つたということは私申し上げております。
  874. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると馬越丈太郎の二階で会つたのは、あなたの奥さんがおいでのときは会つたことはないのですね。
  875. 永山正昭

    永山証人 会つたことはないのです。
  876. 内藤隆

    内藤(隆)委員 その後馬越文太郎の二階を共産党地区の何か事務所に借りたその後において会つたことはある、こういうことですね。
  877. 永山正昭

    永山証人 そうであります。江川君は若松地区委員会常任となつたので、その二階の事務所に寝とまりしておつたわけであります。
  878. 内藤隆

    内藤(隆)委員 馬越丈太郎は党員ではありませんか。
  879. 永山正昭

    永山証人 おじいさんです。
  880. 内藤隆

    内藤(隆)委員 おじいさんかどうか知らないが、党員ではないのですか。
  881. 永山正昭

    永山証人 党員ではないのです。
  882. 内藤隆

    内藤(隆)委員 何も知らずに共産党に貸したのですか。
  883. 永山正昭

    永山証人 いいえ、承知の上で……。
  884. 内藤隆

    内藤(隆)委員 承知の上で……。そうすると一応共産党のシンパみたいなものですな。  それからもう一つあなたにお聞きしておきたいのは、入党の問題ですけれども、あなたは全然江川君を勧誘したこともなければ、もちろん入党届に証人として、あるいは紹介者として署名したこともないとおつしやる。ことにあなたは、九州に行つてから私は党員をあまり多く勧誘しておりません、こういう証言をされたが……。
  885. 永山正昭

    永山証人 それはこういうことであります。私が直接入党勧告をしたという例は非常に少いのであります。それから江川君の入党勧告者は、江川君が言つております千田教文君であります。
  886. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると、あなたは九州地区本部から派遣されて行つたのは、どういう使命を帯びて行かれたのですか。
  887. 永山正昭

    永山証人 それはつまり九州地方委員会がいろいろな意味で本部からの補強というか、そういうものが必要なために、先ほど証言申し上げましたが、本部から多いときは十人、少いときは五、六人の全国オルグが派遣されました。あるいは造船関係であるとか、あるいは金属関係であるとか、あるいは国鉄関係であるとかいうような諸君が九州に来たわけであります。その中の一人として私が来たのであります。今の御質問の意味は、お前はともかく九州共産党を盛んにするために九州行つたのに、直接入党を勧告しないのはおかしいじやないか、こういう御質問だと思います。私が申し上げますのは、いろいろな会合で話をするとか、あるいは何をするとか、党の政策の宣伝というようなことはやりますが、私が個々の一人々々について具体的に、君ひとつ共産党に入れというような入党勧告をしたことはあまり多くない。こういう意味であります。
  888. 篠田弘作

    篠田委員長 それに関連してちよつと聞きますが、すると中央から派遣された中央オルグというものは、大体において党の宣伝活動というものに重きを置いて、党員の拡張ということは、それを通して各自の自発的意思によつて党に加入させるということが目的であつて、適当なく物を見て入れというようなことはやらぬのですか。
  889. 永山正昭

    永山証人 そういうこともありません。あるいは入党勧告をじやんじやんする方もあると思います。私は直接だれかれに入党勧告をする、直接だれに入党申込書を書いてくれというようなことをした例が少いということを申し上げておるだけであります。
  890. 篠田弘作

    篠田委員長 江川君は実際に入党勧告をされたと言つておるが、そのほかにだれか入党勧告をされた人を知らないかどうか。
  891. 江川文彌

    江川証人 知つております。
  892. 篠田弘作

    篠田委員長 永山君から直接入党を勧告された人は、どういう人を知つておりますか。
  893. 江川文彌

    江川証人 永山さんから直接入党を勧告された人は、そのころ、昭和二十二年西日本石炭輸送株式会社の大型船二はいが入つて来まして、その船に乗るために来た無船通信士—松橋とか何とかいつたと思いますが、それも入党勧告をされました。それから私が若松におりますときは、若松入党した党員入党用紙を全部保管しておりました。そのときには永山正昭氏の紹介した—サインした党員の用紙は、非常にたまにというのではなく、やはり出て来ました。それから永山正昭氏が勧告した党員といいますと、そのころおりました高田氏—高田氏というのは偽名で、吉村というのが本名だと思います。
  894. 篠田弘作

    篠田委員長 吉村何といいますか。
  895. 江川文彌

    江川証人 吉村何というか、私はちよつと記憶がありません。それから小椎尾豊氏……。
  896. 篠田弘作

    篠田委員長 それはまだ共産党におりますか。
  897. 江川文彌

    江川証人 現在はわかりません。
  898. 篠田弘作

    篠田委員長 永山君はそういう人を知つておりますか。
  899. 永山正昭

    永山証人 小椎尾君は知つております。小椎尾君は、私が入党勧告をしたことはございません。  それから委員長に申し上げますが、この質問の趣旨は、江川君が私から入党勧告されて入党したか、そうでないかということだと思います。もう一つは、江川君は昭和二十一年の春に私に会つた、それから私は昭和二十二年に初めて会つた、こういう点が食い違つておるのだと思います。入党勧告の方は、私は江川君に直接入党せよと言つたのではございません。これは言つた人間は千田君であります、これがいつでも証言に立つと思います。  それからもう一つ昭和二十一年の春に江川君が私に会つたという証言でございますが、もしそれが事実であるならば、どこで会つたか、そのとき江川君は何丸に乗つていたか、そういうことを私は聞いてみたい。
  900. 内藤隆

    内藤(隆)委員 大体私は共産党組織などは全然存じません、また研究しよう……。
  901. 篠田弘作

    篠田委員長 内藤委員にちよつと注意しますが、対決しておるのですから、一人だけの質問ではなして、両方やつてください。
  902. 内藤隆

    内藤(隆)委員 あなたは九州に行つた偉い人ですが、入党させるには、初めから何か人物試験のような期間があるのではないですか。
  903. 永山正昭

    永山証人 それはいろいろな人がございますから、よい人、悪い人というような判断はかなりきびしくなければならないと思います。
  904. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうするとあなたは江川君を約一年間ほどながめて、最前証言なつたことく、これほど党のためにもまじめに熱心にする男だからというので入党を勧告したと想像されてもしかたがないと思うが、どうですか。想像というか、むしろそういうことが本筋ではないですか、江川君の人物を認めたから……。
  905. 永山正昭

    永山証人 たびたび申し上げますが江川君の入党申込書は昭和二十二年の三月と思います。私が中央委員会からの確認をとつたのは、確かにそれからしばらくたつて江川君が四十三号西日本丸という船に江戸丸から転船をして、四十三号西日本丸をおりるようになつた直前であります。
  906. 内藤隆

    内藤(隆)委員 わかりました。最前の委員長の尋問に対しまして、江川君が病気だから北海道にやつて療養させる、その療養が効が現われて直つた場合に党の活動を北海道においてさせるのだ、こういう証言がありましたね。
  907. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  908. 内藤隆

    内藤(隆)委員 そうすると、あなたは党員の活動を何か命令し得る権限を持つてつたのですか。
  909. 永山正昭

    永山証人 そういうものは持つておりません。けれども北海道党員が病気療養に行く、そしてその病気がなおるといたしますれば、地方委員会の指導のもとに党活動をすることは、これは私の権限でもたれの権限でもなくて、これは当然のことであるわけです。従つて北海道に行つて病気がよくなる、そのあとに江川君が活動するとすれば、やはり海員関係のことが一番適任なわけです。ことに北海道のそう遠くありませんから、小樽のたしか責任者だつたと思いますが、古谷君が直接の責任者でありました。古谷君は、先ほど証言しました通り私は昔知つておりましたので、古谷君に私的な意味も含めて、特に江川君という人間はこういう人間で欠点もあるけれども、非常によい男であるから、大事にかわいがつてつてくれという手紙を個人として書いたわけであります。
  910. 内藤隆

    内藤(隆)委員 両証人の服装をながめておりましても、たいへん相違があるので、あなたの最前の証言はあるいはそうかもしれないと思われる節は、五、六百円のアカハタか何かの紙代というものの帳簿上の不正があるとおつしやつた。しかしながら江川証人は、十円か二十円程度の何か間違いがあつたというので、あなたから非常に強硬に責められた。しかたがないから自分は当然責任を負うて、自分のさいふから十円か二十円の金をさいてこの問題は終つたと言うておられますが、これは間違いありませんか。
  911. 江川文彌

    江川証人 間違いありません。その強硬に責められたというのは、二十円の金を責められたというより、共産党組織として今後進めて行く上において、こういうようなことが少しでもあつてはいかぬ、こういうようなことはすべての偏向、堕落というような芽になる。二十円の金が惜しいのではなくて、今後のこういうような出る芽、それをつむためにも、今から心がけなければならないということを……。
  912. 内藤隆

    内藤(隆)委員 忠告を受けてあなたが出したのですね。ここでもまた大分食い違いが出て来ておるのです。しかしあなたがた御両君のかつこうを見て五百円、六百円くらいやり得る、それだけの力があるように見えるから、もう少し考えてもらいたい。
  913. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 こうして二人の証言がどこまで行つても平行線を行つておるので、もう一致することがないと思うのですが、ただ一、二お聞きしたいのは、現に議長椎野さんが九州にに行かれたときに、若松なんかに行けばおとまりになるところはどういうところですか。永山さんの方にお聞きいたします。
  914. 永山正昭

    永山証人 若松椎野氏がとまられることは大体ないと思います。それは理由を申し上げますと、若松地区委員会組織は非常に弱体でありまして、近くに八幡とか小倉とかいうような大きな都会がありますので、そういうところの方に大体とまることになつております。
  915. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 江川君にお尋ねしますが、あなたが椎野さんに会つたという日は、まだ明るいうちだつたというこの前の証言のようですが、会われましてからすぐお帰りになりましたか、それともどこかまでお送りになりましたか、それとも若松におとまりになりましたか。そういうような実情を御存じでしたらお聞かせを願いたい。
  916. 江川文彌

    江川証人 済んでから私は送つて行きませんでした。そうしてどこへ帰つたかも私は存じません。
  917. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 とまつたということも聞いておりませんか。
  918. 江川文彌

    江川証人 とまつたということも聞いていません。
  919. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 昭和二十二年の春から夏にかけて椎野氏が若松に来たという記憶はない、ただ国鉄の争議の問題のときに来たような記憶があるということでしたが、もう一度永山氏にお尋ねいたします。今休憩された間にお考え願つたことだろうと思いますか、やはりこれは二十二年の春から夏にかけて椎野氏が若松に行つたということは今も思い出せませんか。
  920. 永山正昭

    永山証人 記憶いたしておりません。
  921. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 それでは全然別のお尋ねをいたしますが、若松の近くの苅田町会議員の藤本真一という人を御存じですか。
  922. 永山正昭

    永山証人 知つております。
  923. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 どの程度でしよう。知つているといつてもいろいろありましようけれども、ただ一回か二回会つたというのですか。ときどきお会いになつておるのですか。
  924. 江川文彌

    江川証人 私が九州におりますときに何回か会いました。
  925. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 その藤本真一という人は今共産党員ですか。それとも共産党員ではございませんですか。
  926. 永山正昭

    永山証人 党員でないと思います。
  927. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 藤本真一という人が江川君と面識が深いか、それともまた一回か二回会つているか。藤本氏は江川君を知つているか、知つていないか。その点いかがですか。
  928. 永山正昭

    永山証人 知つていると思います。
  929. 田渕光一

    ○田渕委員 永山証人に伺いますが、馬越丈太郎さんの家で会つたときに、椎野君が君に会いたいというから、ひとつ会つてつてくれ、こういうことで江川証人を会わした。そこで党資金の問題等いろいろ話がありまして、結局椎野君から密貿易という話が出た。その話が終つて、しかしおれはこれに関係せぬよ、こういうことをあなたがはつきり言われたということを江川証人が先ほど言つたのでありますが、私はずつとこの証書を聞いていて、あなたが労働学校でいわゆる荷抜き事件その他の不正なことをやつてはいかぬと言う、不正はたしなめ、ことに江川証人のわずか十円か二十円のことを言うのではない、党としての経理上こう言うんだということがあなたの人格からうかがわれるんです。そうするとやはりこういう密貿易で党の資金をかせぎたいということを率直に言つたが、しかしおれは関係せぬよと言つたこともわれわれにはうなずけるのでありますが、江川証人の言葉から、なるほどあなたとして言いそうなことである。これは善意にとつてそうでありますが、悪意にとつて行くならば、あなたはたかなか共産党の大物でずるい、あらゆる点においてあなたは逃げている。そうしてこれをこういうふうにと急所をはずしておる。あなたを決して共産党の小物扱いをしておらない。少くともあなたは大物である。われわれはこの証言を聞いてそう思う。少くともおれは関係せぬよということは、はつきり会議が終つたあとで言われた言葉でありますかどうか。江川証人に伺います。
  930. 江川文彌

    江川証人 会議が終つてから言いました。
  931. 篠田弘作

    篠田委員長 そのときの状態のことを話してください。何時間ぐらいの会議というか話合いをしたのですか。
  932. 江川文彌

    江川証人 話合いは大体一時間ないし二時間ぐらいで終つたと思います。そうして帰りましてから、永山さんから、おれは全然関係しないからそつちの方でいいようにということを言われたのです。それからしばらくして私の友達の柳田文雄だつたと思いますが、そのころ日の丸汽船かどこかの船に乗つていたと思います。その人が入港しまして私をたずねて来ました。この人は私の船乗り時代の友達で非常にいい人間だし、永山さんに柳田を入党させてくれと言つたら、いやちよつと待つてくれ……。
  933. 篠田弘作

    篠田委員長 だれから入党させてくれと言われましたか。
  934. 江川文彌

    江川証人 永山さんに言いました。その柳田を入党させるかと言つたら、永山さんからちよつと待てというようなことを言われました。
  935. 篠田弘作

    篠田委員長 入党の問題を聞いているのではない……。
  936. 江川文彌

    江川証人 それであれを使えないかということも永山氏からそのときに言われた。
  937. 篠田弘作

    篠田委員長 密貿易にかね。
  938. 江川文彌

    江川証人 そうです。
  939. 篠田弘作

    篠田委員長 永山君は、おれは関係しないが、密貿易をする能力のある人間は使おうという意思があつたというふうに君の証言からとれるが、それはどういうふうに考えますか。
  940. 江川文彌

    江川証人 そのころ永山さんは非常に動きがじみで、活発な闘争とか何とか表に出るというよりは、宣伝啓蒙とか筆でしよつちゆうものを書いている人です。それでもし発覚するようなことがあることを考えまして、自分はこれに関係しないからということを言つていますけれども、やはりその後にも船乗りが入つたりして、これは大体できるのではないかというようなことがあれば、だれもいないところであれを使えるのではないかというようなことを、そういう気持から言つたと思います。
  941. 篠田弘作

    篠田委員長 君は永山君と一時非常に親しく、また指導もされておつたようだが、大体若松におるときには毎日永山君と会つていましたか、それともその交渉の程度は、たとえば三日おきに会うとか、一週間おきに会うとか、用事のあるときに会う程度であつたか、それとも用事がなくても永山君にはしよつちゆう会つていたという程度ですか。
  942. 江川文彌

    江川証人 私が昭和二十二年、ごろ、西日本の船に乗つておりましたころは、入港しておる間は大体永山さんが若松におる限りは——たまには会わない日もあると思いますが、三日に二日は会つていたと思います。その後昭和二十三年ごろはおそらく永山さんが若松へ来ますれば、私がどこかへ出張するとか何とかいう以外は毎日会つていたと思います。
  943. 篠田弘作

    篠田委員長 永山君にお尋ねしますが、昭和二十二年の春ごろに西日本石炭輸送株式会社に勤めておりましたか。
  944. 永山正昭

    永山証人 勤めておりません。
  945. 篠田弘作

    篠田委員長 あなたは西日本石炭輸送株式会社に勤めたことはないのですね。
  946. 永山正昭

    永山証人 先ほど証言いたしましたように勤めておりました。しかしそのころはもうやめておつたのであります。
  947. 篠田弘作

    篠田委員長 すると江川君と交渉のあつたときはやめておつたのですね。
  948. 永山正昭

    永山証人 そうです。
  949. 篠田弘作

    篠田委員長 一緒に勤めたという関係はありませんね。
  950. 永山正昭

    永山証人 おそらく私が会社におりましたときに、会社の船に乗つていたかもしれませんが、私は記憶しておりません。
  951. 田渕光一

    ○田渕委員 永山証人に伺いますが、椎野君が会いたから会つてつてくれということで江川証人と会つた。そこでいろいろ話が出た。話が終つて、おればこれに関係せぬよと言われた。これははつきりして来たのでありますが、少くとも江川証人椎野を会わすという目的はどこにあつたのでしよう。あなたは知らぬ知らぬと言つておるけれども、江川証人言つたように、こいつは密貿易はやれる、これは使える、あれはどうだと目をつけるだけのあなたに鑑識力があることははつきりして来た。そこで椎野が会いたいということは、党資金であせつてつてあなたに話があつた。そこでこれなら使えるだろうから会いたまえということで仕組まれて、椎野会見ができたものと私は思う。そこで会わして大体話ができた。そこでおれは関係せぬよ……(発言する者多し)
  952. 篠田弘作

    篠田委員長 静粛に願います。
  953. 田渕光一

    ○田渕委員 そこで私は江川証人に伺いますが、そのときに椎野君から密貿易の話があなたにあつたのですか。永山証人椎野君が話したのですか。これを聞きたいのです。
  954. 江川文彌

    江川証人 私に話しました。
  955. 田渕光一

    ○田渕委員 永山氏はそれを傍観しておる立場ですか。オブザーヴアー的にじつと聞いておる立場ですか。それを江川証人に伺いたい。
  956. 江川文彌

    江川証人 永山氏はその場合においては紹介者というような意味合いのオブザーヴアーというかつこうでおつた記憶しております。
  957. 田渕光一

    ○田渕委員 そこで江川証人に伺いますが、何らこれに対しては永山証人発言されませんでしたか。その席上でただ傍観しておるだけで、何らあなたに永山さんから話がありませんでしたか。
  958. 江川文彌

    江川証人 永山氏から一言か二言、何か言われたと思いますが、何をどう言つたかは現在記憶はありません。主として椎野氏と話しておりました。
  959. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 若松であなたが党活動をやつておるときには、おもに永山君の指令といいますか、永山君と相談してやつていたのですか。指令とまで行かなくとも、永山君からこうしろ、ああしろと言われてやつてつたのがあなたの立場でしたか、それをお聞きしたい。
  960. 江川文彌

    江川証人 若松全体または苅田というように、海上に関してはすべて永山さんに相談し、また永山さんの指示を受けておりました。
  961. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 永山さんにお伺いしたいのですが、昭和二十二年ですか、三年ですか、徳田書記長が久留米あるいは佐賀に行かれましたね。あのときにあの一行が行かれたことはあなたは御存じだろうと思いますが、そのときにあなたは一緒に向うの方に行かれましたか。それとも若松におられましたか。また地方に出張しておられましたか。あのときの実況をひとつ。
  962. 永山正昭

    永山証人 九州に徳田さんが来られたとき、佐賀の爆弾事件のときには鹿児島におりました。
  963. 佐々木秀世

    ○佐々木(秀)委員 鹿児島から帰つて来てから爆弾事件があつたことを聞かれなさつたか、それとも向うで聞かれようと、いずれにしてもそれはわかつたろうと思うのですが、江川君は、当時書記長が久留米に行かれたときに、椎野氏と会つているという証言を先ほどされているのですが、そういうことを江川君から、江川君が久留米に行つて徳田事記長一行のところに行つたということを後刻でも後日でも聞いたことがありますか、それとも話し合つたことがありますか。
  964. 永山正昭

    永山証人 久留米かどこか知りませんが、徳田書記長に江川君が会つたということを江川君から聞いたことは記憶しております。
  965. 田渕光一

    ○田渕委員 江川証人証言では、亀山という人がそばにおつて、その亀山も知つているというのですが、それを永山証人記憶から浮び出せませんか。
  966. 永山正昭

    永山証人 その若松地区委員会で、椎野江川、亀山、それに私が会合して密貿易の相談をしたということでありますが、そういう事実はありません。私は密貿易というようなことは、今でも反対でありますし、それからそんな会合に参加するはずもございません。そして江川君に聞いてもらつてもわかることでありますが、たとえば西日本の船あたりでも、荷後炭の問題とか何とかいうようなことはたくさんあつたと思います。金をもうけようと思えば、荷後炭をじやんじやんみなに売つてもらうというようなことでも、もうけられるわけであります。しかしそういうことをすることに対して一番反対したのは私でございます。そういうふうな建前から、密貿易をやるというようなことは、私にはとても考えられないことであります。  それからもう一つ九州地方委員会に、私の記憶する限り亀山という人はおりません。亀山という財政をやつている人がおるかおらないか、これは調べてみればわかることです。亀山という人で財政をやつたのはいます。本部の財政部長で亀山という人がおります。中央委員であります。しかしこういう人が九州まで行くというようなことは、ちよつと考えられません。亀山という人が九州地方委員会にいたかどうか、そういうことをお調べになれば、江川君の証言がほんとうであるかうそであるかということは、明白になると思います。
  967. 篠田弘作

    篠田委員長 ちよつと関連して聞きたいことが一つある。それでは永山君にお聞きしますが、あなたは今でも密貿易には反対である。しかし共産党として密貿易をやらなかつたということの証言はできますか。
  968. 永山正昭

    永山証人 共産党員にもいろいろあると思います。船員の中の共産党員もしくは共産党支持者が、密貿易をやつたりあるいは商売をしたりした者が一人もないということは、私は申し上げません。これはあるかと思います。しかし終戦後、先ほどの証言でも申し上げましたが、船員の商売がずいぶん盛んになつて、あるいは油船では油を売る、どんどん横へ流すということが一般的になつて来たようなときに、共産党員もしくは党の支持者というような諸君は、商売をしたり、油の横流しをしたりしないということが、私は定評あつたと思います。そういうことは私自身誇りに思つております。それに合せて、西日本石炭輸送株式会社船員に対しましても、いろいろな不正行為というようなものはできる限り——できる限りじやない、絶対にやらない、少しでもそれを改めて行くという私の態度であります。それは江川君も幾らでも証言できることだろうと思うのであります。江川君自身も大型船にいたころいろいろなことをやつたということを、江川君から聞いたこともあります。そんなことがないように私はしよつちゆう言つてつたと思います。従つて密貿をやるというようなことに私が関係してやるというような証言江川君がされたとか、あるいは新聞にこういうことが出たということは、私にとつては実に驚くべきことでありまして、これは私を知るすべての者にとつて驚くべきことであつたのです。
  969. 篠田弘作

    篠田委員長 それではお尋ねいたしますが、あなたは日本共産党九州地方委員会委員長議長をやつてつた山本斎という人を御存じですか。
  970. 永山正昭

    永山証人 知つております。、
  971. 篠田弘作

    篠田委員長 この人が昭和二十五年の十月の二日にヘイロン、麻薬を朝鮮共産党員の孫享という者から一キロ密輸入をして逮捕されたということを知つていますか。
  972. 永山正昭

    永山証人 そういう新聞記事が出たことを見ております。     〔「前にあつたことだ」と呼ぶ者あり〕
  973. 篠田弘作

    篠田委員長 静粛に願います。発言したければあとで幾らでもやらせます。前にあつたことを聞くために対決さしているので、新しいことを聞くために対決さしているのではありません。  今あなたは、共産党員というものは密貿易などはやらないということを言われておるが、少くとも九州地方委員会の長というと、共産党の大物と思いますが、そういう人が、麻薬の密貿易で現に逮捕されておるということは、あなたの個人的信念とは非常に違うと思いますが、あなたはどう思いますか。
  974. 永山正昭

    永山証人 そういうことは、私の個人的信念と確かに違います。そうして私は、日本共産党はそういうようなのであつてはならないと思つております。今でもそう思つております。それから山本君の事件については新聞を見ただけでございます。詳しいことは聞いておりません。山本君は九州議長でございますし、私は東京の方に来ておりますから、こまかいことは知つておりません。しかし、一般的な新聞に出た山本君に関する記事、それを私は全部ありのまま信ずるという気にはなれないのであります。これは先ほども申し上げました……。
  975. 田渕光一

    ○田渕委員 少くとも、ここまで進んで来ると、江川証人に伺いたいのですが、永山証人は、密貿易というものには口は触れませんけれども、椎野君から、共産党の党資金のために密貿易をしたいという話があつて、そのうちに一言、二言永山証人発言があつた。また亀山君も同席しておつた。また会議が終つて、おれは関係せぬよと言われたことは、永山証人の人格として、正義感としてよくわかる。しかし事ここまで来て、実際においてそういうことがなかつたと、永山証人は全然これを否認しておる。ところがあなたは、りつぱに、やつたということをはつきり言つておる。ここで偽証がどつちかに出て来るということになるわけであります。こういう重大なるときに、江川証人ははつきりしたことを言つてもらわなければ困る。そこでこの空気を、実際永山証人が全然知らぬと逃げておるし、あなたの言うたことは、少くともわれわれはそういうことはあつただろうとうなずける。これをもうひとつはつきりさせる空気、判断がわれわれいるのでありますから、実際にそういうことを永山証人は知らなかつたのであるか、ほんとうは知つておりならが、いつもの通りで、大事なところは逃げて、君ら話をしろ、おれは紹介しただけで密貿というようなけがらわしいことは関係せぬと言うたのか、その点はつきりすればわれわれはその判断ができると思います。その点をはつきりおつしやつていただきたい。
  976. 江川文彌

    江川証人 証言します。ただいまの質問につきまして、永山氏が密貿易に対して全然関心を持つていなかつた、ましてや反対であつたと言つておりますけれども、先ほどの証言でも私がしましたように、私が今度九州へ行きましたから、実は君の言うのはほんとうだ、それは永山、それから小椎尾、椎野、紺野、ここから話を聞いた。そうして、たれをそれに振り向けるかというところまで行つたというさつきの私の回答があると思います。はつきり申し上げれば、苅田港の海員組合の出張所長である藤本真一、その人が——そこに共産党の古谷というオルグもおりました。また西日本に前に私がおりましたころの狩集という党員もおりました。またそこには海員組合の石田さんという人もおりました。党員の一人もおりました。そこではつきり言つております。
  977. 篠田弘作

  978. 山口武秀

    山口(武)委員 私、最初にお断りしておきますが、先ほどは大分発言を制限されたのです。
  979. 篠田弘作

    篠田委員長 それは、関係のないことは時間が迫つているかり制限をしたのです。
  980. 山口武秀

    山口(武)委員 時間の制限を受けたのです。
  981. 篠田弘作

    篠田委員長 今後も、直接関係のない尋問が長びくようであれば制限します。
  982. 山口武秀

    山口(武)委員 先ほど言われたのは、対決の問題があるので、あとの関係があるから、時間が迫つているから五分間、こう言われたのです。そういう一方的なことをされては困ります。というのは、五分間という時間を制限するについて、私の話が横にそれたからというので制限したというのなら、横にそれないならば幾らしてもよろしいということになる……。
  983. 篠田弘作

    篠田委員長 それでは困るから五分間以内にまともな話をしてもらいたいという意味で制限したのです。まあいいから、それはそれとして、質問してください。
  984. 山口武秀

    山口(武)委員 私は、質問したいことが大体五時間から十時間くらいあるのです。しかしながら、それでは困るだろうと思いますので、前に質問のあつたことは大体除きたい。それから、先ほど新しい質問でなくて古い質問だということを言われましたが、これも少々不満足であります。しかしながら、これも大分おもしろくないのですが、この際そういうことにこだわらないようにしますから……。
  985. 篠田弘作

    篠田委員長 山口君にちよつと御注意申し上げますが、江川証人永山証人の各人の尋問は大体終つたのです。ただ証言の食い違いについて、ここで同席をさしているのでありますから、過去における証言の食い違いについて御質問を願うのでありまして、新しい問題についてあなたの独創的見地で御質問願うならば、二人を別に同席させる必要はありません。
  986. 加藤充

    加藤(充)委員 議事進行について……。先ほどの証人の個別的な尋問の際にも、それから対決尋問に移りましてからも、証人証言のいわゆる信憑力の問題、いかにその証言を価値づけるかという委員会の判断を明確にするために、そういうふうな意味合いの証言なりを得るために、そのために質問が続行されたと思います。現に田淵君もそういう意味合いの質問をすぐ寸前にやつた。われわれの尋問もそういうふうなことに触れることが多いのであります。しかもそれは証言を求めるということからきわめて重大なことであり、かつ価値の多いことなのであります。従いまして、そういうことをてめえの方ではかつてにやつてつて、われわれの発言を制限するということは、証人尋問という意味合いを全然没却して無視することに相なりますから、その点について委員長の善処を要望するものであります。
  987. 篠田弘作

    篠田委員長 加藤君にお答えします。あなた方の発言について、現在も何ら制限をしておりません。自由に発言をしてくだざい。但しその発言が、委員長において不適当と認められる場合においては制限するかもしれません。まず発言をしてください。山口君。
  988. 山口武秀

    山口(武)委員 やはり意見が違つていて、これまで問題にならなかつた、これを聞きたいと思う。それで先ほど永山証人に私は尋ねたのですが、それによりますと、二十二年の秋に戸畑丸矢島昇がソビエトからの秘密文書というものを頼まれて来た。それを江川証人が立会いで、矢島君から永山証人に渡したということを言われていたわけなんです。これは先ほど永山証人に聞きましたところ、そういう事実はないと言う。これも大分大きな違いがあるのです。この点江川証人いかがでしようか。
  989. 江川文彌

    江川証人 それは事実です。
  990. 山口武秀

    山口(武)委員 矢島昇から海上区に同道を頼まれたということを言つておられますが、江川証人はこのとき矢島君とどこで会つたのですか。
  991. 江川文彌

    江川証人 証言します。そのころ、先ほどからも申し上げておりますように、西日本石炭輸送株式会社におりまして、そうして西日本石炭輸送株式会社の船は航海しているよりも、碇泊しているときが非常に多い。そうしてその間大型船の訪船活動、または小型船の訪船活動というものをやつていたわけです。それで戸畑丸に訪船活動に行つたときに、矢島氏に会つた記憶しております。
  992. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと、もう一つ江川証人にお尋ねいたしますが、この矢島君と江川証人永山証人会つて、書類を渡したというような場所はどこなんですか。
  993. 江川文彌

    江川証人 それは馬越丈太郎の二階だつたと思います。
  994. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと、思いますということをあなたは言われておりすが、明確ではないのですか。
  995. 江川文彌

    江川証人 証言します。そのころいろいろ永山氏に連絡をとつたり、また会議を開いたりするときは、西日本永山氏がおりました。先ほど申しました一番先の西日本当時のうち、または馬越丈太郎の二階、またはそのころの配炭公団の昭和寮といつたと思いますが、そういう方々でいろいろなかつこうで連絡をとつていたころなんです。それで私の場合は馬越丈太郎の二階だつた記憶しております。
  996. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと、はつきり今確信できるということではないのですね。     〔委員長退席、島田委員長代理善席〕
  997. 江川文彌

    江川証人 馬越丈太郎の二階です。
  998. 山口武秀

    山口(武)委員 あなたは先ほどははつきりしませんでしたが、今度はつきりしたのは、それは今私が詰問して今答えるまでの間に、何か新しいことでもお気づきになりましたか。
  999. 江川文彌

    江川証人 お答えします。ただいま記憶がよみがえりました。それでそのとき、その帰りだつたかそこへ行くときだつたか、私の非常に小さいときからの友達で、田谷直治というのが全国オルグで派遣されていまして……。
  1000. 山口武秀

    山口(武)委員 どこへ。
  1001. 江川文彌

    江川証人 九州若松でした。それとあそこの前で会つたと思うのです。
  1002. 山口武秀

    山口(武)委員 思うのですか
  1003. 江川文彌

    江川証人 その近所で会つておるのです。それで今田谷直治のことが、頭にひよつと浮んで来たら、ああ馬越の二階であつたと確信できたのです。
  1004. 山口武秀

    山口(武)委員 またその点が、あなたが言われたのでむずかしくなつて来た。今あなたは会つたと思つた、それで思うのかと言うと、会つた。その思つたということと会つたと言われるまで、わずか一秒か二秒かの間ですが、その間に会つたと思つたことが、会つたということになつたということについては、また新しい何かの発見があつたのですか。
  1005. 江川文彌

    江川証人 申し上げます。ただいまのは、すでに田谷と会つたと思つたというのではなくて、田谷と会つたのです。田谷と会つたのが、馬越丈太郎のうちの前だつたと思つた言つた。会つたというのは事実です。
  1006. 山口武秀

    山口(武)委員 永山証人、あなたは私が江川証人にお聞きしたことをお聞きになつていたと思いますが、この関係は、永山証人、事実はどうでしようか。
  1007. 永山正昭

    永山証人 昭和二十二年暮、戸畑丸若松に入つたことは事実でありすす。そうして矢島君が私のところにたずねて来たことも事実であります。今の江川君の証言によりますれば、馬越丈太郎の二階で会つたというのですが、馬越丈太郎のうちの二階というのは、若松地区委員会であつたかどうか。
  1008. 島田末信

    ○島田委員長代理 江川証人に聞きますが、今の馬越丈太郎のうちは、地区委員会で使つてつたかどうかということについて答えてください。
  1009. 江川文彌

    江川証人 証言します。はつきり地区委員会の事務所として使つたのは、永山氏が鹿児島へ行かれてからだと思うのですが、その前永山氏がまだ九州におるときには、先ほども証言しましたように、馬越丈太郎の二階または配炭公団の昭和寮、永山正昭氏の西日本の方の住宅、交互にそのときどきの必要とか、またいろいろな状態に応じて、会議を開く場所でも、打合せする場所でも違つてつたと思います。そのときははつきりした事務所になつていない、それよりも居住であつた
  1010. 山口武秀

    山口(武)委員 今の永山証人のお答えが明瞭でないのですが、私が申し上げましたのは、矢島君が江川君立会いで、永山証人のところヘソビエトからの秘密文書というものを渡したことがあつたかどうかということ、それでそれが今言われた場所であつたかどうかということ、これを聞くのです。
  1011. 永山正昭

    永山証人 矢島昇君はたまたま船内委員長でありましたが、矢島君からソビエトからの文書を受取つた、それも江川君立会いで受取つたということはございませんでした。それから今の江川君の証言によりますれば、馬越丈太郎の二階で会つたというようなことでございますが、馬越丈太郎の二階はそのときは地区委員会の事務所でも何でもございません。従つて全然あの事務所で会うなんということはあり得ないことであります。
  1012. 山口武秀

    山口(武)委員 江川証人にお伺いしますが、矢島君が江川証人海上オルグに行つてくれということを言われましたときに、矢島君はどういうわけで行くのかというようなことは言われなかつたのですか。
  1013. 江川文彌

    江川証人 矢島君が私にですか。
  1014. 山口武秀

    山口(武)委員 ええ。
  1015. 江川文彌

    江川証人 それはこういうようなものを預かつて来たから一緒に行つてくれないかということです。
  1016. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと、江川証人の言われる今の話は、この前の証言と相違している。というのは、この前の江川証人証言では、大事な用があるから海上オルグに一緒に行つてくれということを言つた。そのときにそういうふうな秘密文書を頼まれて来て渡すのだから行つてくれというようなことは、あなたは言つていない。そして向うへ行つて永山氏と話をしていたところ、矢島がその書類を持ち出したのだ、あなたはこの前の証言ではこのように証言している。必要があるならば、私はここで速記録を読んでやつてもよんしいと思いますが、その必要もないだろうと思う。それで、そうしますと今の証言と違うことになつてしまうのですが、これはいかがなことなのですか。
  1017. 江川文彌

    江川証人 お答えします。この前の証言と言葉の食い違いはあつてもその実質的問題は違わぬと思うのです。
  1018. 山口武秀

    山口(武)委員 それはあなたが言うことでなくて、当委員会の判断することです。あなたの間違つたことはどういうわけかということを聞いているのです。
  1019. 江川文彌

    江川証人 私は間違つていないと思います。
  1020. 山口武秀

    山口(武)委員 あなたはこの前の証言では、永山証人矢島氏と話合つているところでその書類を持ち出したと言つたのです。それで一緒に行つてくれということについては、大事なことがあるから一緒に行つてくれと言つた。書類を頼まれて来て、これを持つて行くのだから行つてくれということは言つていない、これは速記録に明白に載つておる。ところが今の話の書類を頼まれて来たから行つてくれということは証言に食い違いがしておる、そのあなたの言葉の違いというものはかなり重要性を持つ、それだから私はよく確めたいと思つてあなたに聞いた。あなたに当委員会で判断するようなことを判断してくれとは言つてないのです。
  1021. 江川文彌

    江川証人 お答えします。ただいま言われたのもやはり同じだと思います。それは陸へ上るときに、前には重大なことがあるからと言われた。今度はやはりそれも重大なことでこういうようなあれがある、それだからということで、それは非常に重大なことなのです。
  1022. 山口武秀

    山口(武)委員 今の江川証人証言というものは、当委員会で判断するようなことを混同してしまつて、この言葉の違い、証言の相違が出たということについては、明確な答えがなかつた、私はこう判断いたしますが、あなたはなお御意見ありますか。
  1023. 江川文彌

    江川証人 私が大事なことがということと、それからこれがある。これが大事なことだからということには、やはりそれはそのときの、私が記憶したときの相手の態度で、品で言つたことと、それからからだでやつたことの違いもありますし、前にはその人間の口で言つたこと、それから今これがと言つてその品物を出したこと、そういうようなことはやはり何も全然食い違いじやなくて同じことだと思うのです。
  1024. 島田末信

    ○島田委員長代理 江川証人にちよつとお尋ねしますが、前の証言の、いわゆる大事なことがあるからということは、その当時の記憶からいつて、事実そういうことを言つておるか、あるいは今の証言は当時の場面を想像して言つたことなのか、そこをはつきりしてください。
  1025. 江川文彌

    江川証人 そのころは、これは大事なものだからということは、はつきり言つております。そして、これは大事なものだから、それを目の前で出して見せられなかつたら、何が大事なものだか、私にもわからない。やはり私もオルグとして、大事なものとはどういうものだということには、当然なると思います。そこで品物を見る。大事なことだということは、同じことだと思います。
  1026. 山口武秀

    山口(武)委員 証言つておるうちに、江川証人証言から、ますます事が食い違つて来ておる。それは、今の話によりますと、大事なものだからこれこれだ、こうやつてみて大事なことを示したのだ、こういうことを言つておりますが、前の証言ではそういうことは言つていないはずです。どうですか、その点間違いましたか、取消しなさるのですか。一応私は証人に余裕を與えてもう一ぺんただします。
  1027. 江川文彌

    江川証人 お答えします。前にも申しておりますように、これはあくまでも私が現在証拠を提出しておるというものじやなくて、記憶によつてということを前から話しておつた。その記憶の食い違いでも、それが全然食い違つているというのだつたら何ですけれども、前に出た記憶と、今の話のときの記憶と、その同じものをかわつたかつこうで、かわつた面から見たことにすぎないと思うのです。
  1028. 山口武秀

    山口(武)委員 もともと証言というものは、全部これは記憶に基いてやることです。ときに書類を見てやるということもありますが、これも大きな意味で言えば記憶なのです。そういうことを、いまさら特に証人から私は説明される必要はないと思う。それでなお事が明確になつてつたのですが、大事なことだといつて物で示した、こう言つておりますが、この前の証言ではそうではなかつた。話をしておるときに、その書類を持出したので、事がわかつたというふうに言つておる。これは明らかな事実の違いなのです。これはさらに次の問題に関係があつて、それが大きな関連を持つて来るから、私は聞いておるのです。どうですか。
  1029. 島田末信

    ○島田委員長代理 山口君に申し上げますが、それはお互いに誤解を招いていかぬと思うのです。それでたとえば……。
  1030. 山口武秀

    山口(武)委員 そんなことを親切に注意しなくてもいいのだ…。
  1031. 島田末信

    ○島田委員長代理 それで江川証人の言うことは、何も書類を出してこれだと言つておるのじやない。そこで…。
  1032. 山口武秀

    山口(武)委員 委員長に聞いておるのじやない。
  1033. 島田末信

    ○島田委員長代理 われわれはレコードに吹き込んだものをそのまま聞くのじやなくて、ただ事実はどうであつたかということを判断するだけです。そこでそんなてにをはの違いなんかを言うべきじやないと思う。
  1034. 山口武秀

    山口(武)委員 そんな簡単なことを言つておるのじやない。
  1035. 島田末信

    ○島田委員長代理 それじや江川証人にもう一ぺんお聞きしますが、その当時ただ問題は、大事なことだ、重大なことだということを、持つておる物を示して実際に言つたのか、言わなくても君がそういうふうに想像したのか、そこが食い違いがあるかないかの基本だと思うのだが、そこをはつきりして下さい。
  1036. 江川文彌

    江川証人 やはり船に行きますれば、出してから大事なことだとは言わぬと思うのです。だれでも、おいちよつと大事なことがあるからということで、人のいないところで、大事なこととはどういうことだと聞かれて、それを出すということなんです。
  1037. 島田末信

    ○島田委員長代理 書類を示したようなことはないのですね。こういう大事なものだというふうに明らかに示した事実はないのですか。
  1038. 江川文彌

    江川証人 そのときはちよつとわからぬです。
  1039. 山口武秀

    山口(武)委員 委員長に念を押しておきますが、島田委員委員長としてすわりましたときには、いつもこういうふうに何だか証人弁護人のようなことでやられる。しかし私は一向に困りません。それはこの前の証言、それから先ほどの証言、それから今の証言、これは食い違つておる。この点は明らかにしておきましよう。それは速記録を見ればよろしいのですから、それで明瞭です。もうすでにこのことは明白です。この問題はよろしいのですが、さらに私はお聞きしたいと思いますのは、このとき矢島君にその同道を頼まれたときに、あなたはこれは秘密文書を頼まれて来たのだということに気がついたかどうかということなんだ。
  1040. 江川文彌

    江川証人 これは大体気がつきました。
  1041. 山口武秀

    山口(武)委員 なぜ気がつかれたのでしようか。どういう理由で、どういう勘から秘密文書と気がつかれたのですか。
  1042. 江川文彌

    江川証人 そのころ樺太から入つた船、樺太からこういうものを持つて来たと言われたら、それは当然秘密文書と私は考えます。
  1043. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますとそういうように秘密文書が入つてつたということばそれまでにもあつたのですか。あなたはそういう事実を知つているのですか。
  1044. 江川文彌

    江川証人 申し上げます。そういうことは船の人間がたびたびやるということは、野坂參三氏の書いた「亡命十六年」あれに日本の船乗りがどれだけ野坂氏のレポを日本に持つて来て、どれだけの成果を収めておつたかということをはつきり言つている。(「やぶへびだ」と呼ぶ者あり)
  1045. 山口武秀

    山口(武)委員 それはちつともやぶべびじやない。野坂氏が「亡命十六年」の中に、何べんも日本に、しよつちゆうやつた、文書の密輸入をやつているということを——文書の密輸入というのはちよつと変ですが、野坂氏の文書を持つて来たと、そんなに書いてありますか。
  1046. 江川文彌

    江川証人 その文書はどういうふうな字句で書いてあるか記憶がないが、私の読んで受取つた感じはそうです。船乗りが野坂氏のレポに当つた。またソビエトの方から日本の方に重要書類——重要書類と書いてあつたかどうか、書類を官憲の目をくぐつて運んだということを書いております。
  1047. 山口武秀

    山口(武)委員 私もあの本はよく読んでおります。あなたの言うように、しよつちゆうそういうことがあつたという事実はありません。あなたはしよつちゆうあつたということを言われるが、何かの錯覚です。少くとも一ぺんのやつとしよつちゆうというのは単数と複数の違いがある。それでこれはあくまであなたはしよつちゆうあつたということを固守されるのですか。それとも感違いであつた……。
  1048. 江川文彌

    江川証人 ただいまはつきり聞えませんでした。
  1049. 山口武秀

    山口(武)委員 野坂氏が文書を送つてよこして、しよつちゆうというように言われたが、それは今私何べんも聞きかえしたのですが、向うから送つてよこしたというやつを、しよつちゆうということは、あなたの言葉の言い違いであつたかどうかということを聞いておる。
  1050. 江川文彌

    江川証人 言葉の言い違いというよりは、その文章から受けた私の感じということをさつき旨いました、それというのも、單に持つてつてもらつたということでなくて、非常にそこでそういうような、彼から言わせれば、階級的意識のある船員というものを非常に賞讃していたと思うのですから、一回やそこらの小さなことで賞讃していたことはないと思う。
  1051. 山口武秀

    山口(武)委員 野坂氏の共産党への文書は一回です。それが階級的に賞讃される、されないという問題と、それが何回もあつてしよつちゆうあつたという問題は全然別問題です。数字の点で混乱する問題ではありません。こんなことはあなたの意見を聞くまでもなく、常識判断をもつてしても明瞭です。それでなお問題点になりますのは、そういうことが戦前あつたということと、戦後あつたということは一応別問題になります。それであなたは戦後にもそのようなことがあつたということを聞いておられるか、知つておられるかということをお尋ねする。
  1052. 江川文彌

    江川証人 その前に戦後そういうことがあつたということは私は直接聞いてもおりませんし、感じてもおりませんでした。
  1053. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますとまたここで私は証人の考えというものが飛躍しておるのじやないか、といいますのは、先ほどの話によりますと、文書を、こんなものをこうやつた、それだけでも、ソビエトから秘密文書が来たというようにとつてしまう、そういうわけであります。そういうことをもつて、そういうような判断をするならば、同じ論法をもつてするならば、これはあるいは矢島君がどつかで金時計でも拾つたのではないか、その金時計を拾つてこれは金にすると何万円かに売れるぞ、それをどうしようかと思つたので、こんなものを拾つた、これはどえらいものが手に入つたという想像が成立つ、こういう例を私があげて行けば幾らもあげられるが、その中から特にこれはソ連から来た秘密文書だというように着想されるというのは、はなはだ私は了解しにくい、それについて何かありますか。
  1054. 江川文彌

    江川証人 申し上げます。ただ樺太へ行つて来た船が港に入つて、大事なものだと、こうやつたくらいで、秘密文書ということはおそらく受取れないと思う。そこではつきりしますのは、この船は樺太へ行つて樺太から帰つて来たということです。そうして私がそのときの見たり聞いたり感じたりしたことを全部出せばわかるかもしらぬけれども、そこの中のほんとうに先島と会つたときの記憶一つか二つ、それを出しておるので、そのときに何も私はあの船が樺太へ行つて来たということも知らないし、どこへ行つたのか知らないと、矢島は、おい、大事なものと言つて何を見せても私はわかるわけはないです。
  1055. 山口武秀

    山口(武)委員 なぜわかつたか。
  1056. 江川文彌

    江川証人 やはりその船が樺太から入つて来たということ、向うの方からということ。
  1057. 山口武秀

    山口(武)委員 樺太から入つて来たということが判断材料の一つ、向うのこととか何かわれわれに聞きとれないことを言つたようですが、これは言わなかつたのですか。
  1058. 江川文彌

    江川証人 これは向うの方からということです。そこでおそらく党の機関に来れば、自分の周囲では全部党員と思つても間違いないのです。それを少くとも九千トンかある船内で、それをわざわざ私の前に出して大きな声で説明はおそらくしませんよ。できることだつたら短く言つて、その相手がピンと感ずるようなかつこうで処理してしまわなければあぶないでしよう。
  1059. 山口武秀

    山口(武)委員 そうしますと、あなたは今言われましたのは短かく言つたのですか。矢島君があなたに言われたのですか。
  1060. 江川文彌

    江川証人 何も大きな声では言わないですよ。
  1061. 山口武秀

    山口(武)委員 聞いたようなことをあなたが言つた……。
  1062. 江川文彌

    江川証人 ええ。
  1063. 山口武秀

    山口(武)委員 先ほどの証言ではそういうことはありませんでしたね。よろしいです。もうすでにその問題は今言われた話をずつと速記録を調べるといろいろわかりますから、私は速記録を調べてからの問題に譲ります。  それで永山証人にお伺いしたいのですが、今言つたような事情で、もしも江川証人の言うごとく、矢島君という人がソビエトから秘密文書を頼まれて来たというような場合に、やはり矢島君は、江川君を通して永山証人のところにそういうふうなものを持つて来るということになるものでしようか。あるいはもしも矢島君がそういうことをすれば、直接に永山証人のところに来るものでしようか。
  1064. 永山正昭

    永山証人 ソビエトから秘密文書云云のこともそういうことは全然ないのでありまして、こんなことを一々研究する必要もないと思いますが、しかしもし外国からそんなふうな文書を持つて来るとすれば、矢島君が江川君を通じて私に渡すとか、あるいは江川君を立会人として渡すとか、それから新聞記事によりますと、それからすぐ私が東京に参つて、そして田中松次郎君の立会いで伊藤律さんに渡したというようなことですが、こういうふうに一々立会人を通して渡すというようなことは、常識的に申しまして考えられないのであります。
  1065. 山口武秀

    山口(武)委員 私はそれでよろしいです。
  1066. 加藤充

    加藤(充)委員 矢島君を戸畑丸に訪問をしたその日に、同道して永山君を訪れたのですか。
  1067. 江川文彌

    江川証人 その日だつたと思います。
  1068. 加藤充

    加藤(充)委員 だつたと思うのですか。また何かヒントで確実に御答弁が願えればいいのですが——では聞きますが、あなたは秋というのは日本の季節で何月から何月を秋と思いますか。
  1069. 江川文彌

    江川証人 私は春夏秋冬というのは非常に今判断に苦しむということは事実です。というのは、私は北海道に生れまして、北海道は四季が非常にはつきりしている。     〔島田委員長代理退席、内藤(隆)委員長代理着席〕 冬だといえば雪が降り、春だといえば雪解けから青い芽が吹く、暑いときはといえば夏、また涼しくなれば秋、雪が降るといえば冬なんです。だから九州の方に行きまして、非常にそういうことに苦しみました。秋だと思つていたのに非常に暑かつたり……。
  1070. 加藤充

    加藤(充)委員 それではそのように私は思うが、それはどうだというふうにやつてもらわないと、証言というものは客観的な言葉で述べるべきで、秋といえば日本人の常識としての、委員会の常識としての秋の季節を思い出すのです。ところがあなたは戸畑丸が入つて来たのは二十二年の秋ごろと思いますと言うのです。そして十一月か十二月ごろですと言うのです。これはあなたの方の生れの習慣で十一月、十二月を秋というのであるならば、そういう説明を聞けばわかりますが、われわれが秋と証言で聞いたときには、おそらく九月か十月であつて、十一月、十二月ということは秋とは考えていないのであります。ところがあなたの証言の中に「お答え申し上げます。戸畑丸が持つて入りましたのは、二十二年の秋ごろと思います。十一月か十二月です。それから大安丸が小樽に入港しましたのは、二十四年の春ごろです。」そしてこの春ごろというのには、七月か八月ごろだという註釈はついていないのであります。それでこういう何でもないようなことなんですが、こういう常識的なことがぼけておつて、それがかんじんかなめの証言の性格とすれば、あなたが原告側に立つような証言のときには、いかにも明確に出て参るが私どもはふに落ちないのである。秋か冬かがわからない人が、そんな、日だつたと思うとか、どういう条件のもとでどうしたというような証言を承つても、われわれはそのままのに込むわけには行かないのであります。  それでお尋ねをいたします。矢島君を永山君のところに同道訪問いたしましたときに、永山君と矢島君は心安いような状態で話をしたか。また永山君が面会に出て来るまでの間に、あなたと矢島君とはしばらくの間、永山君の住居であるか地区の事務所であるかそれはしばらくあずかるといたしまして、待たされたことがあるかどうか、そのことを承りたい。
  1071. 江川文彌

    江川証人 お答えいたします。そのころ永山氏と矢島氏とは何か非常に同志的な愛情といいますか、なつかしそうな、初めて会つたというような感じではなかつたと思います。
  1072. 加藤充

    加藤(充)委員 第二の、あなたは永山矢島と話をするまでの間待たされていたか。
  1073. 江川文彌

    江川証人 永山氏が矢島氏と話される間は、待つていたというより、私はそばですわつておりました。
  1074. 加藤充

    加藤(充)委員 あなたが矢島君同道で訪問した際に、永山君は待たせずにすぐに会われましたか。そして心安いような、なつかしいような話しぶりの話がすぐに始まりましたか。
  1075. 江川文彌

    江川証人 そのときどういうような関係であつたか今記憶にないのですが、そこで矢島氏は、五分か十分くらいと思いますが、何かの都合で待つていたと思います。
  1076. 加藤充

    加藤(充)委員 それでははつきりしないのではなくて、会われるまでに五分か十分間待つていたというのでしよう。
  1077. 江川文彌

    江川証人 そうです。
  1078. 加藤充

    加藤(充)委員 永山さんのおうちは部屋数が多かつたり、大きかつたのですか。
  1079. 江川文彌

    江川証人 永山さんのおうちは、部屋数が幾つくらいあつたか、今記憶がありません。
  1080. 加藤充

    加藤(充)委員 大体の見当がつきませんが。確かな畳数だとか、間取りとかいうものを聞いておるのではない。大きい家で幾部屋くらいあつたか、あるいはあると見てとつたかということを聞いておるのです。
  1081. 江川文彌

    江川証人 永山さんのうちは二階に二つか三つの部屋がありまして、下の方はつきりわかりません。
  1082. 加藤充

    加藤(充)委員 馬越さんの二階の間取りはいかがなものですか。
  1083. 江川文彌

    江川証人 馬越さんの二階の間取りは、先ほども話しましたように、二階に大きな部屋が二つあつたと思います。それで私たちが使つたのは表側の部屋で、そうして入つて家に向つて右側の方に押入れがあつて、左側の前の方に……。
  1084. 加藤充

    加藤(充)委員 それじや五分か十分ほど待されている間に、永山は全然出て来ずに奥の部屋に入つていたのですか。それともだれかが取継いて、主人、あるいは永山はこうこういうあれがあるからちよつと待つてくれということで待たされておつたのですか。
  1085. 江川文彌

    江川証人 私の感じではそのころ……。
  1086. 加藤充

    加藤(充)委員 いやあなたの感じをお尋ねするのじやありません。
  1087. 江川文彌

    江川証人 そのころは、永山さんはまだ西日本の家におつたと思います。あすこの馬越丈太郎の二階にまだ引越して来なかつたときです。引越し前です。  もう一度言いますけれども、そこのむすこの長岡昇が党員なんです。そこの二階があいていましてやはり党では会議とかそういうのに利用したりするようなことになつていたときなんです。
  1088. 加藤充

    加藤(充)委員 証人にお尋ねしているのは、矢島と同道して永山のところに会いに行つたときのことを聞いておるのです。それでそのときに五分か十分待たされたというのであるから、だれか応接に出て来たのか。それとも永山が初めに出て来て、支度やその他部屋の様子などを直すために待つていてくれというようなことで、永山があなた方をお待たせしたのかどうか、そういうことを聞いているのです。またそのときにあなたは永山はどの部屋におつたと見てとつたかという事実を私はお聞きしているのです。
  1089. 江川文彌

    江川証人 お答えいたします。そのときに出て来て応対したのは、長岡か長岡の奥さんだつたと思います。それからそのとき永山氏はどこにおつたのか私ははつきりわからないで。そうして長岡に永山氏をすぐ呼んでくれということで、どこにおつたかわからないですね。
  1090. 加藤充

    加藤(充)委員 五分か十分永山君の出て来るのを待つている間は、あなたはどこで待たされておつたのですか。
  1091. 江川文彌

    江川証人 二階の表の方の部屋です。それから今ちよつと記憶に上つて来ましたが、そのころ永山氏はそこのうちからちよつと離れたところの配炭公団の昭和寮か何かそういう名前だと思いますが、そこで何か会議を開いておつたのじやないかというような記憶が今出て来ました。
  1092. 加藤充

    加藤(充)委員 そうするとあなたが同道してたずねたのは永山の家なんですか、それとも地区の事務所だつたのですか。
  1093. 江川文彌

    江川証人 お答え申し上げます。私たちとしましては、やはりそのころ西日本船員であつて永山氏が……。
  1094. 加藤充

    加藤(充)委員 そういうりくつじやなしに答えてくれ、簡単で……。
  1095. 江川文彌

    江川証人 りくつじやないのです。永山氏が共産党の全国オルグということは、会社でもどこでも知つておるわけです。それでそのころ組織的なことから直接永山氏の家へ出入りするとか、また事務所へ直接出入りするということより、方々にアジトというようなかつこうのところが非常に多かつたと思います。そういうことから……。
  1096. 加藤充

    加藤(充)委員 それでどつちなんです。
  1097. 江川文彌

    江川証人 永山氏の住居というよりは、長岡氏の二階をちよいちよい細胞会議とかそういう会議で利用していたということです。党の方には非常に積極的にそういうような部屋を貸したり提供するという意識があつたということです。
  1098. 加藤充

    加藤(充)委員 どうもあやふやで、冬が夏になつたり秋になつたりいたしますからその点はやめますが、あなたが文書を初めて矢島から見せてもらつたのはいつです。そうしてまたそのときにはだれとだれとがおつたときなのです。
  1099. 江川文彌

    江川証人 それは先ほど申し上げましたが、秋、あそこらの秋は……。
  1100. 加藤充

    加藤(充)委員 そういうことをお聞きいたしません。
  1101. 江川文彌

    江川証人 一緒に私が船に行きましたときに、無線技師は普通の船員と違いまして高級船員で、一人ないし二人の部屋があるわけです。そういうことから船の中でたくさんいるところで、常識で考えてもそういうものは……。
  1102. 加藤充

    加藤(充)委員 委員長ちよつと時間の節約の関係もありますから、質問に対して答えが逸脱した場合は、委員長の責任において御注意相なりたいと思います。
  1103. 江川文彌

    江川証人 船内には矢島昇のほかには何もいなかつたと思います。そのときに矢島昇から先ほど申しましたようなかつこうでそれを見せられ、そうして二人で上陸したということです。
  1104. 加藤充

    加藤(充)委員 そうすると永山のうちで待たされておる間か、あるいは永山君が出て来たときにあなたがその書類を見た、こういうのではないのですね。
  1105. 江川文彌

    江川証人 そういうのではないのです。
  1106. 加藤充

    加藤(充)委員 それじや船内で見してもらつたということなのですか。
  1107. 江川文彌

    江川証人 船内で見せてもらいました。それは直接見せてもらうというのではなく、船内でひよつと見せてポケツトに入れて隠した。それで全然見せなかつたということはおそらく常識で考えてもないと思います。そうすれば見せたとか見せられたとかいうことより、二人でそれを持つて行くとき、私はそれだということは納得しておるし、無理やりに見せてくれとも言わぬし、向うの方でも見せぬと言わぬ。二人は党員として気が合つておりますから、見るときは見せるし、そういうことは二人で軽い気持でいろいろできていたことなのです。
  1108. 加藤充

    加藤(充)委員 軽い気持であるとか、ちよつと見たとか見せたとかいうようなことをお聞きしておるのではないのです。その封筒をこの前の証言でおつしやつたような性格のものである、あるいはそういうふうな文字の表われた体裁のものであるということを見て、はつきりわかつたのはどこであつたのか、それがすなわち私が聞いておる文書を見せてもらつたのはどこであつたかということなのです。
  1109. 江川文彌

    江川証人 それははつきりしましたが、船で見せてもらつたときと、また永山氏に渡すとき、永山氏に渡すときには、私もどういうのか、やはりはつきり見ます。そういうことで記憶がよりはつきりして来ておるということです。
  1110. 加藤充

    加藤(充)委員 それじや文字などをあなたが確認したのは一体船内であつたのか、永山君のところであつたのか。
  1111. 江川文彌

    江川証人 これは確認というより、やはり初めからこれは中央行きだなと思つていた。そうして永山氏の所に行つて永山氏がこれは中央に届けなければならぬということで、これをはつきり見、その間にだんだん関心が深まつて、そうしてはつきりしたということになるのです。
  1112. 内藤隆

    内藤委員長代理 はつきりした場所はどこなんです。
  1113. 江川文彌

    江川証人 最後的にはつきりした場所は、やはり永山氏と会つたときです。
  1114. 加藤充

    加藤(充)委員 そうすると永山さの所ではつきりしたと言うのですね。
  1115. 江川文彌

    江川証人 はい。
  1116. 加藤充

    加藤(充)委員 永山さんの所ではつきりしたのは、どういうときにはつきりしたのですか。
  1117. 江川文彌

    江川証人 それを私が立会いして渡すとき——渡すときは、永山さん、実はこうこういうことだからということから、やはりそれは当然はつきりいたします。私が立会に立つたら、ただ目の前を通るものではなくて、ではこれを渡しますよということで、そこははつきりして来ますよ。
  1118. 加藤充

    加藤(充)委員 永山君に矢島君から直接渡されたのですか。
  1119. 江川文彌

    江川証人 お答えします。それを、何といいますか、私がここにおつて永山氏がそこにおつて、そうして矢島氏が渡すときに、私も一緒に立つて……。
  1120. 内藤隆

    内藤委員長代理 要するに矢島が直接に永山君に渡したかどうかということでしよう。
  1121. 江川文彌

    江川証人 直接です。
  1122. 加藤充

    加藤(充)委員 あなたは、その角封筒だという手紙の白い表裏をどういうときに見ましたか。永山君に渡してから後に、永山君が表裏でも見ておつたときに、のぞき見でもして見たのですか。あるいは渡すときに、君に確認させるような形で表裏を見せながら、矢島永山君に渡したとでもおつしやるのですか。
  1123. 江川文彌

    江川証人 それは船で矢島氏に会つたときから永山氏に渡したときまでに——それはいつどこでどういうかつこうをしてというような記憶じやないと思うのです。ちようどこの前、椎野氏が証言に立つたときに、たくさんの人間を前に見て向うの人は知つておるけれども、私は知らない……。     〔「そんなことは委員会のやることだ」「だれに教わつた」と呼ぶ者あり〕
  1124. 内藤隆

    内藤委員長代理 それはいいでしよう。
  1125. 江川文彌

    江川証人 一回じやなく、何べんもやつているうちに、やはりはつきりして来ると思います。
  1126. 加藤充

    加藤(充)委員 長岡君とやらが取次に出て来たというのですが、あなた方二人、だれもおらない所に待ち合せをしておつたのですか。
  1127. 江川文彌

    江川証人 証言します。それは、そこの二階はしよつちゆう使いますから……。
  1128. 内藤隆

    内藤委員長代理 だれもいない所だね。二人しか……。
  1129. 江川文彌

    江川証人 そうです。
  1130. 加藤充

    加藤(充)委員 時刻は何時ごろです。
  1131. 江川文彌

    江川証人 時刻は……。
  1132. 内藤隆

    内藤委員長代理 時計を見ているはずじやないのだから……。
  1133. 江川文彌

    江川証人 午後だということは確実で、大体夕方に近かつたのではないかと思います。
  1134. 加藤充

    加藤(充)委員 私は先ほどあなたは秋と冬の区別がわからなかつたということを申し上げましたが、どうも重大な文書だという封筒のやりとりのこまかい刹那的な問題についても、重要な問題についてややこしいことがわかりました。  それで矢島君と永山君が話をしていた様子は、なつかしそうだつた、旧知の間柄であつたような様子で話をしたと言うのですが、話の内容は一体どんな話をしていましたか。
  1135. 江川文彌

    江川証人 証言します。話の内容といえば、向うへ上陸した、いろいろ向うの人は親切であつた、また炭鉱地帯のことを話したと思います。炭鉱地帯に行つて、向うのどういうものを食べていたとか、子供たちがどう言つてつたとか、われわれがタバコがなかつたら、笑いながらとてもなつかしそうに、人なつこいというようなことを話していた。そのときの話は、私も関心を持つたというだけで、はつきりこうこうこういうこととこういうことを言つたというような記憶は、ございません。
  1136. 内藤隆

    内藤委員長代理 ちよつと加藤君……。
  1137. 加藤充

    加藤(充)委員 簡単にします。文書とやら手紙とやらを永山君が受取りましてから後に、その文書はどこから出て来たものだというふうな話については触れたことが記憶に残つておらないということを証人は今証言したと思うのですが、それでさしつかえありませんか。
  1138. 江川文彌

    江川証人 どういうことですか。
  1139. 内藤隆

    内藤委員長代理 質問の趣旨がわからぬそうです。
  1140. 加藤充

    加藤(充)委員 そのときに永山矢島との間にどういう話がかわされたか、聞いたことを述べてもらいたい、こういう趣旨の質問をいたしたのであります。ところが炭鉱地帯のこと、それからまたソ同盟が船乗りに対してたいへん親切であつたということごとどもを話していた。それは覚えているが、その余のことについては記憶にないと証人は答えたのであります。
  1141. 江川文彌

    江川証人 お答えします。ただいまの質問を私はこういうようにとつていたのです。永山とこの話が済んでから非常になつかしそうに話をしていた。ところがなつかしそうに話していたことはどういうことか、それが私としては、なつかしそうな旧友としての話はわからないわけです。
  1142. 内藤隆

    内藤委員長代理 それは加藤君、どうですか。
  1143. 加藤充

    加藤(充)委員 私は証人がそういう誤解を招くような故意の発問をいたした記憶はございません。なつかしそうに話をしていたという話の態度はわかつたが、しからばそのときに永山君と矢島君が証人の目の前でその文書を授受した直後に行われた、その会見のうちに行われた話について記憶のあるところを述べてみてほしい、こう尋ねたのであります。で、私はその点もういいですから次の点を質問いたします。
  1144. 江川文彌

    江川証人 それにちよつと答えます。
  1145. 内藤隆

    内藤委員長代理 いいと言えばいいでしよう。
  1146. 加藤充

    加藤(充)委員 それでソ同盟の何か将校から——中尉とやら聞いたように記憶する、そういう話は一体どこであなたは聞いたのですか。
  1147. 江川文彌

    江川証人 お答えします。それを今私が言おうとしてお願いしたわけです。それはやはりそこで永山氏と矢島氏と会つてそれを渡したときに、中尉だつたか——中尉だつたと思います。将校ということは事実です。その人に預かつたということをやはりそこで話しました。
  1148. 加藤充

    加藤(充)委員 その会見は大体どのくらいの時間で終りましたか。
  1149. 江川文彌

    江川証人 証言します。その会見は、私の今の記憶では大体一時間足らずでなかつたかと思います。
  1150. 加藤充

    加藤(充)委員 夕方から一時間足らずしていると、外へ出てから暗かつたか暗くなかつたか、冬のことですか。
  1151. 江川文彌

    江川証人 証言します。そのころ少し薄暗い——まだこれより明るいです。そしてしとしと雨が降つたような感じがしておりました。
  1152. 加藤充

    加藤(充)委員 雨が降つたような感じというのはおかしい証言なんですが、そのことについては私は質問いたしませんが、帰りに矢島君とあなたは同道だつたか。矢島君より先だつたか、あるいはどこそこまで同道だつたというような記憶はありませんか。
  1153. 江川文彌

    江川証人 同道ではなかつたと思います。
  1154. 加藤充

    加藤(充)委員 どこでわかれましたか。
  1155. 江川文彌

    江川証人 馬越丈太郎の家の二階だつたと思います。
  1156. 加藤充

    加藤(充)委員 あなたが先だつたか、矢島君が先だつたか。
  1157. 江川文彌

    江川証人 おそらく私が先だつたじやないかと思います。
  1158. 内藤隆

    内藤(隆)委員長代理 他に御発言はありませんか。——他に御発言がなければ、証人に対する尋問はこれにて終ります。両証人には長い時間御苦労さまでした。  本日はこれにて散会いたします。     午後八時二十一分散会