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中澤証人 午前中から碍子の交換を引続いてや
つておりました。それで十一時二十五分ころ、午前中の分は一旦終りまして、昼食のため
桜木町から
横浜へ出まして、
横浜から横須賀線で保土ケ谷に一帰りまして昼食をとりました。十二時五十八分ころだと思います。またその詰所を川まして、市電で高鳥町駅まで来まして、高島町駅から
桜木町まで東横線で行きまして、そのときは大体十三時半ころではなか
つたかと思いますが、ホームへ着いたのが十三時半ころだと思います。それから工具材料も持
つておりまして、大体現場に配置し、仕事にとりかかる現場へ行きまして、絶縁具を全部準備をしまして、それから仕事にかかりました。仕事の順序としましては、朝人員の点呼をやりました。仕事の組合せ、そうい
つたのも朝点呼をや
つた順にやはり午前中の続きで午後からも仕事にかかりまして、仕事にかか
つたのがやはり十三時半ころだと思います。そうして四号柱に
上つて仕事を始めるまで私は見ておりました。それからこれでは大丈夫だと思いまして、今度五号、六号柱の方に上る作業員を見ておりました。そうしますと、急に大きな音とともにスパークがしましたので、ひよつと振り返
つてみますと、今話したように大きなスパークとともに線が切れ、そうして作業員も一名墜落したのであります。私も約二十五、六メートルくらい離れていたところにいたと思います。それからすぐにそこに飛び降りまして、けがはなか
つたか、こう私はどな
つたのであります。そうしますと、けがはない、大丈夫だ、こういうふうに言われたので、私も安心したものの、もう
上り線側には
電車は入れることはできない、こう思いまして、自然とそこに集ま
つて来た工手に、それでは
電車を止める
手配をしよう、
架線の復旧工具材料を心配して来るから、現場は頼む、こう言
つて私は
信号所へかけて行
つたのであります。そうしてかけて行きまして、
信号所に飛び込んで、やあやつ
ちやつたと言
つて飛び込みまして、それから今
上り線で断線したので、もう
上り線側には
電車は入れることはできないから、
電車を入れないように頼む、こういうふうに私が言いましたら、
信号所では、
上り線側がだめなら、
下り線はどうか、こう言われましたので、
下り線側に入れる分にはさしつかえない、こう私が言いましたら、そうか、こういう声があ
つたので、私は十分納得できないと思いまして、私の関係のところに、今
桜木町で吊
架線が断線したから、すぐにセビとクランプと割線を急いで持
つて来い、こう言いましたら、それじやすぐに持
つて行く、こういう何がありましたので、一旦そこで電話を切りまして、続いて大船電力当直に、今
桜木町で吊
架線を断線さしたから、急いで人員の
手配をしてくれ、こう頼みましたら、人員はどのくらいや
つたらいいか、こう言われたので、私今急にかけて来たので、人員がどのくらいいるかと言われてもそれはわからぬから、すぐに調べて来て報告する、こう言
つて電話を一旦打ち切りました。そうして再び
信号所を飛び出すときに、
上り線側に
電車を入れることはできないから頼む、こう言
つて私は
信号所を飛び出したのであります。飛び出して五号柱付近までかけて行きました。五号柱付近まで行きますと、
電車は四号柱近くまで、すぐ目の前に来ました。その
電車はあれほど
信号所に言
つて来たのであるから、まつすぐ行くものと信じていたのであります。それから私は
ちよつとその
電車を見ていますと、急に
上り線側の方に入りまして、これはたいへんなことに
なつたと
思つているうちに、
パンタはこわれ、大きな音とともに前車両の屋根上一ぱいに火の海となりまして、これはたいへんなことに
なつたと思いまして、急いでそこからまたかけて行きました。かけて行きましたら、屋根から車内にアークが吹き込んでいるので、中の
お客さんも
ガラスをかく人、また体を半分窓から出して出られないでいる人、こうい
つたような
状態で、中は混乱していたので、私も
ドアを開けようと思いましたけれども、そのときには
ドアを開けることもできないで、そのときにまだ電気は相当のスパークがしておりますので、早く電気をとめなければこれはたいへんなことになると思いまして、すぐ
信号所にまた飛び込みまして、至急電話で、早く電気をとめてくれというふうに大船電力当直にかけたのであります。そして電気は間もなくとま
つたと思います。それから私はすぐにまた飛び出そうと思
つたときに、
信号所の二人が、今の
事故はぼくの方は知らなか
つたことにしてくれ、頼む、頼む、こう言われるので、私はあれほど
上り線に入れては困ると言
つておいたのにどういうわけか、私がこう言いましたら、
信号所では、悪か
つたから、まあ頼む、頼むと盛んに言うのであります。