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1951-05-18 第10回国会 衆議院 行政監察特別委員会 第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年五月十八日(金曜日)     午前十一時十七分開議  出席委員    委員長代理理事 島田 末信君    理事 塚原 俊郎君 理事 内藤  隆君    理事 小松 勇次君 理事 猪俣 浩三君    理事 山口 武秀君       大泉 寛三君    岡延右エ門君       鍛冶 良作君    志田 義信君       野村專太郎君    福田 喜東君       藤田 義光君    久保田鶴松君       坂本 泰良君    高倉 定助君  委員外出席者         証     人         (福岡地方検察         庁小倉支部検         事)      中富 精一君         証     人         (国家地方警察         釧路方面隊長) 三橋 珍雄君         証     人         (国立療養所長         島愛生園長)  光田 健輔君     ————————————— 本日の会議に付した事件  不正入出国に関する件     —————————————
  2. 島田末信

    島田委員長代理 これより会議を開きます。  本日は委員長が都合により欠席いたしましたので、指名により私が委員長職務を行います。  この際お諮りいたします。公務関係上喚問を保留いたしておりました国警釧路方面隊長三橋珍雄君が現在上京いたしておりますので、本日証人として喚問いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 島田末信

    島田委員長代理 御異議なければさように決定いたしました。  これより不正入出国に関する件について調査を進めます。ただちに証人より証言を求めることといたします。なお先日証人決定の際、本日の証人として中島精一君として決定いたしましたが、中島ではなく中富の誤りでありましたので、この際訂正いたします。  中富精一さんですね。あらかじめ文書で御了承願つておきました通り証人として証言を求めることにたりましたからさよう御了承願います。  これから不正入出国に関する件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務知つた事実であつて、黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書朗読を願います。     〔証人中富精一朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事も  かくさず、又何事もつけ加えないこ  とを誓います。
  4. 島田末信

    島田委員長代理 署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  5. 島田末信

    島田委員長代理 これより証言を求めることになりますが、証言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また御発言の際は、議事の整理上その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。なお、これから証言を求める場合はおかけになつていてけつこうですが、お答えの際は御起立を願います。  証人は元海上保安官高田進に対する関係法違反被告事件について公訴を提起したことがあり度すか
  6. 中富精一

    中富証人 あります。
  7. 島田末信

    島田委員長代理 高田進の前歴について、証人が調べてわかつた点をお話しください。
  8. 中富精一

    中富証人 お尋ねのありました点、記録に基いて証言してさしつかえありませんか。
  9. 島田末信

    島田委員長代理 よございます。
  10. 中富精一

    中富証人 これは主として被疑者であり、その後公訴提起によつて被告人となつた高田進供述に基いて同人経歴を申し上げます。同人は拓殖大学を中途退学して、逓信官吏練習所昭和六年に卒業しております。その後朝鮮総督逓信局勤務をして、久留米輔重兵第十八連隊に入隊をして少尉に任官をし、除隊後上海興亜院勤務し、大戦になつて陸軍司政官として香港、シンガポール、内南洋諸島勤務をして、昭和二十一年引揚げて、九州海運局勤務をし、昭和二十三年五月海上保安庁の設置に伴つて同庁勤務をして当時に至つた経歴であります。
  11. 島田末信

    島田委員長代理 高田進と共謀した金源龍及びその紹介者である金健の両人を召喚して取調べたことがありますか。
  12. 中富精一

    中富証人 金源龍本件検挙当時すでにその所在をくらましまして、同人取調べはいたしておりません。金健本件検挙当時警察において取調べ、なお検察庁に送置以後、自分において取調べをしました。
  13. 島田末信

    島田委員長代理 金源龍所在をくらましたために取調べができなかつたというので、取調べるつもりはあつたのですね。
  14. 中富精一

    中富証人 もちろんであります。
  15. 島田末信

    島田委員長代理 その後何か所在はつきりさせるような方法を講じられましたか。
  16. 中富精一

    中富証人 金源龍捜査の結果、日本にはいないといいう捜査の報告を受けました。
  17. 島田末信

    島田委員長代理 それでは金健取調べ内容を一応御説明願いたい。
  18. 中富精一

    中富証人 金健取調べました結果、同人自分に対する供述要旨は次の通りでございます。  金健昭和二十一年八月ごろ、東京国際映画社というものを設立して、二十人くらいの出資で映画の製作を営んでおつたところが、昨年—これは昭和二十五年の七月十二日の供述でありますが、そのときの言葉に昨年の二月ごろ、その会社とは別途に国際演芸株式会社を設立して、同人取締役社長となつて、現在右二つ会社社長をしているという関係のものであります。昨年の三月初めごろから五月の二十日ごろまでの間に、合計八、九回にわたつて、百四十万円ほどの金を金源龍なる者に貸したというのであります。金源龍なる者は、韓国から来朝し七東京古月荘旅館—これは場所は詳細ではありませんが、東京都の古月荘という旅館にとまつている者であつて韓国少尉と自称しており、占領軍の訓練のために来朝中と申しておつたというのであります。かような関係で、金健金源龍に今述べた期間に百四十万円ほどの金を貸しており、その金は金源龍薬品買つて韓国陸軍部に納めるということであり、もし金源龍がその目的を途げたあかつきは、貸金の倍額を支払うという約束であつたというのであります。金源龍は、その金で買い入れた品物韓国に送り出すについては、GHQの証明日本政府証明をとつて送るのであるから、その証明を手に入れて君に見せるから——君というのは金健であります、金健に見せるから、それを見た上で君は韓国に帰つてくれということである。ところがその後、金源龍金健約束をした証明書を見せないので、五月二十日ごろ以来一週間ぐらいは、毎日のように同人のとまつてつた新橋古月荘という旅館通つて請求をしたのでありますが、五月末ごろになつて品物博多に送つて、同地から韓国に送るようになつているので、証明書東京でもらつて博多に持つて行くようになつているから待つてくれ、との言い分であつた。そうして六月の十日ごろに福岡市の国際ホテル行つて、待つておるから、同所に来てくれとのことでありましたので、そのため私は——金健はその品物が確実に正規許可状によつて送り出されるかどうかを確かめるために、博多にやつて来たものであり、その間のいきさつは、これまで警察税関で申し立てた通りであるというのが、自分に対する供述要旨であります。そこでこの税関警察で述べた要旨はどうであるかと申しますと、本年の——これもむろん昨年のことであります。五月末ころでありましたが、金源龍会つて命を返済してもらうように請求すると、品物博多に送つておるから、うそと思うなら博多品物も見せるし、証明書も見せると言うので、——これはちよつとダブつておりますが、前からのつなぎに申します。六月の十日ころに福岡市の国際ホテル行つてつておりますから見てくださいと申すので、自分もそこに行く約束をして本月七、八日ころにセントポール高田進に会いました。ここで高田名前が登場します。ここはお茶でも飲むところですから、どちらも行きつけであるのでよく知つて一緒になつておる。そのとき自分金源龍に金を貸しておるから、正規ルート朝鮮物資を持つて行くと言つておるが、自分は不安であるから、博多行つてみたいと思うと話をしたところが、高田もそんな方法でやる方法があるかなというふうな話をしておりました。高田海上保安庁勤務している人で、密航者密輸出入の取締りをする官吏であることは知つておりました。福岡に行く場所はどこですかと尋ねましたので、国際ホテルと答えますと、自分九州に用事があつて行くから、一緒になるかもわからないと高田が言うのであります。金健高田に向つて金源龍から相談を受けて、自分はやましい気持でなくて正規ルート物資を送ろうと思つて金を出しておるから、もしあれが正規ルートでなかつた場合は、処置をお願いするということを高田に相談すると、高田は、自分も行くから、それを見て来ようという返事であつた。そこで、高田にお願いしたところが——お願いした気持は、もし正規ルートでなかつた場合には、不正輸出ということになるから、高田さんにこれを押えてもらうという気持で頼んだのであります。また高田は、六月の十日ころ金源龍博多国際ホテル行つてつておるから、そのころ博多に行こうという約束をした。金健は六月十二日午前九時ころ東京を立つて、途中神戸に下車をして、元自分の株主であつて、現在はくつ展外交員をしておる松村欣樹という者が、九州くつの注文を受けに行くからというので、一緒同人を連れて、神戸から出発したというのであります。本月十四日—これは昨年の六月四日になります。本月十四日博多に着いて、国際ホテルに宿泊してみると、高田さんは、来て三十八号の部屋に宿泊しておつたが、金源龍は来ておらなかつた自分は心配して、博多運送店を、金源龍名前の荷物が来ておるかおらないかを調査したが、不明であつた。翌日金源龍から受媛の宇和島より電話がかかつて、遅れて済まないが、長崎に品物を送るため船の用意をしておるから、この用が済み次第に来ますと言うので、その翌日十五日に私の部屋金源龍がやつて来ました。船は博多までまわすからというので、自分は、では証明書を見せてくれと申したところが、金源龍はもう二、三日したら東京から証明書を持つて来ますというのでありましたが、自分同人を信用できないので、品物を見せないのではないか、金を返してくれと大きな声でその不都合をなじつて、口論をした結果、月末に出る品があるから、その品物自分がとつて貸金の一部にするように話がきまつた。このように述べております。
  19. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 証言について、自分が調べた調書を読むだけではしようがないから、調べたら、調べた要点を言つてもらつたらどうだな。それでなければ、検事調書あとざらいみたいになつて、ごちやちやしてわからぬ。直接調べられたならば、要点はこうだということをもう少し簡単明瞭に言つてもらわなければ、記録を持つてちやちや読んだつて、調べたあとあとざらいみたいもの……。
  20. 島田末信

    島田委員長代理 ただいま委員から御発言があつたように、取調べ調書朗読というより要点だけ……。
  21. 中富精一

    中富証人 私は朗読はしておりません。今飛ばして要点だけ述べております。朗読ではありませんが、簡単にという御希望でありますならば、そのよにお答えいたします。
  22. 島田末信

    島田委員長代理 大体骨子のわかる程度の要領のいい……。
  23. 中富精一

    中富証人 御質問を整理していただきましよう。どういう……。
  24. 島田末信

    島田委員長代理 今の内容金健を調べた大体の要領は、やはりはつきり言つてもらわぬと……。
  25. 中富精一

    中富証人 そのような金健供述要旨であり、そこで金健福岡市において相当品物を売り払つた事実があります。この事実については、今述べましたように、金源龍に対する自分の債権を回収ができないために、金源瀧品物自分が売り払つたということを申しております。
  26. 島田末信

    島田委員長代理 それは金源龍密貿易に使おうとした品物ですか。
  27. 中富精一

    中富証人 そうであります。
  28. 島田末信

    島田委員長代理 そうすると金健は、結局密貿易のために金を貸したというのではなくして、正規輸出のできるものを目当に金を貸したということになるのですか。
  29. 中富精一

    中富証人 そうであります。
  30. 島田末信

    島田委員長代理 その点、あいまいな点はなかつたのですか。
  31. 中富精一

    中富証人 金健金源龍の間において、はたして百四十万円という金の貸借があつたかどうかという点については、はたはだ疑問であります。しかしながら相手方の金源龍を逮捕または取調べができない本件では、金健供述を否定する根拠がないので、結局金健主張金健主張として、それをそのように取扱うよりはかなかつたのであります。
  32. 島田末信

    島田委員長代理 次に本件には、戦時中海軍情況機関であつた萬和公司由比又男、伊藤衛一及び高田上海在勤中、知合いになつたと思われる元海軍軍属、元外務省職員が相当深い関係を持つておるということを聞いておりますが、事実はどうです。
  33. 中富精一

    中富証人 本件捜査経過において現われて来る人物は、今述べた金源龍のほかに久原房之という者があります。由比又男という人物があります。また伊藤衛一なる者があります。牟田哲二中岡万亀夫、今述べました金健、これは日本流中岡信一、こういう人物が現われました。久原房之は、向田が上海興亜院調査官をしておつたころに、同人萬和洋行の社員であつて海軍経理部に雑品を納めておつて高田世話つてつたのであり、終戦後引揚げてから、萬和福岡出張所主任伊藤衛一方に一年余り同居しておつたという経歴であります。これが萬和とのつながりは、萬和洋行なるものは由比又男の創設したものであつて、その理事を勤めておつた人間であります。伊藤衛一は萬和福岡事務所主任を勤めておつた者であります。牟田哲二上海萬和の常務をしておつた者であります。中岡万亀夫は、これは萬和には関係はありません。金健も同様であります。以上のような関係で、久原由比伊藤牟田、いずれも萬和関係者のみであります。
  34. 島田末信

    島田委員長代理 そういう顔ぶれは、世にいわゆる右翼思想を持つた、何か目安があつてつておるような活動分子だというふうに見られやすい人物ですか。
  35. 中富精一

    中富証人 そのようには見えられません。
  36. 島田末信

    島田委員長代理 そういう根拠はあまりないわけですか。
  37. 中富精一

    中富証人 本件にはそのような状態は見られません。
  38. 島田末信

    島田委員長代理 それから本件には、高田以外になお海上保安庁職員関係しておるというように考えられますか。証人取調べられたところではそういう関係が見られませんでしたか。
  39. 中富精一

    中富証人 証人本件取調べ経過から察せられるところでは、そのような関係者はないと認められます。
  40. 島田末信

    島田委員長代理 高田以外にはないのですね。
  41. 中富精一

    中富証人 ええ。
  42. 島田末信

    島田委員長代理 それから係検事として、本件取調べに当つての上司の監督の不十分だとか、その他海上保安庁の一般的な綱紀がゆるんでおるというふうな事大を認められましたか。
  43. 中富精一

    中富証人 職務内容についてどのようなことであるかということは、詳細の取調べはいたしておりませんが、少くとも海上保安庁に照会の結果は、高田がこの犯罪行為に関与した期間中は、公務旋行命令または休暇等正規の手続によつた出張でないということだけは明らかであります。
  44. 島田末信

    島田委員長代理 それから高田は三級事務官であつたようですが、平素非常にぜいたくな暮しをしておつた。普通二級事務官として不可能な生活をしているようなことが言われておりますが、そういう事実があつたとすれば、本件以外にもいろいろ密貿易をやつたような形跡がありますか。
  45. 中富精一

    中富証人 本件以外にはそのような事実はありません。
  46. 島田末信

    島田委員長代理 この事件について、海上保安庁警備救難部長松野清秀君は、本委員会で無罪になるのではないかと言われておるというような証書をしたようですが、検寧庁側の見解はどうでしようか。
  47. 中富精一

    中富証人 本件自分確信を持つて起訴し、今日まで十回以上にわたる公判によつて審理を進められて、もうすでに審理も終結に近く相なつており、現在は弁護人側立証段階もすでに盡ておるのであります。おそらく次回の公判においては事実の審理が終結して、判決を述べる段階となると考えておりますが、自分確信は、起訴当時の確信といささかもゆるぐものはないのであります。有罪の判決確信を持つております。
  48. 島田末信

    島田委員長代理 金源龍は今に所在は明らかでないのですか。
  49. 中富精一

    中富証人 金源龍は沓としてわかりません。うわさではありますが、韓国または朝鮮に帰つておるという話であります。
  50. 島田末信

    島田委員長代理 委員の方御質問ありますか。
  51. 塚原俊郎

    塚原委員 一、二点お伺いしたいのです。先ほどこの事件関係のあつたものは、主として萬和洋行ですか、萬和公司ですか、これのみに限定されたようなお話でありましたけれども、委員長もさつき御質問したようですが、外務省磯係の人とか、あるいは海軍関係の人がこの事件関係しておつたというふうに私どもは聞いておるのですが、その点についてはいかがですか。
  52. 中富精一

    中富証人 本件捜査の結果から見ますと、そのような事実は発見することはできませず、諸般の証拠関係からそのような事実を疑うに足る根拠はありませんでした。
  53. 塚原俊郎

    塚原委員 全然なかつたですか。
  54. 中富精一

    中富証人 はい。
  55. 塚原俊郎

    塚原委員 金健金源龍に貸した金は百四十万円ですか。
  56. 中富精一

    中富証人 はい。
  57. 塚原俊郎

    塚原委員 これで薬品を購入したと言われましたけれども、その薬品というのは実際に購入したのですか。
  58. 中富精一

    中富証人 購入しております。
  59. 塚原俊郎

    塚原委員 それは、どういうものですか。
  60. 中富精一

  61. 塚原俊郎

    塚原委員 クレオソートばかりですか。
  62. 中富精一

    中富証人 薬品としてはクレオソートばかりで……。
  63. 塚原俊郎

    塚原委員 それ以外には、ないですか。
  64. 中富精一

    中富証人 それ以外のものもたくさんあります。
  65. 塚原俊郎

    塚原委員 それをちよつと言つてください。
  66. 中富精一

    中富証人 これは征露丸と申しておりますが、征露丸が十万千八百八十個、これは数量を全部申し上げますか。
  67. 塚原俊郎

    塚原委員 品物の名だけでけつこうです。
  68. 中富精一

    中富証人 その地荷車のタイヤ、やすり、ホームスパン地、人絹、自転車部分品はどろよけその他トーチランプ、丸のこ、このような品物です。もつともこれは申し上げておきますが、百四十万円とのつながりがあるという趣旨ではないのでありまして、本件によつて検挙せられたものの銘柄であります。ところが、取調べの結果、荷主の方には全然代金の支払いができておりません。従つて百四十万円というものは、金源龍は購入の代金としてそれは借りたかもしれないのでありますが、金源龍荷主の側においては代金の決済ができておらないので、その点を誤解のたいために申しておきます。
  69. 山口武秀

    山口(武)委員 金源龍日本にいないというように検事は考えておるというお話でしたが、これはどういうところからそういう判断をなすつたのでしようか。
  70. 中富精一

    中富証人 金源龍の最後の足取りは昭和二十五年の六月二十一日に福岡を立つて、それ以来捜査の結果所在がわからないのであります。もともとこの問題は、新橋古月荘におつたというだけの根拠でありまして、日本における住所等がないので、結局捜査はそれ以外進められない形であります。
  71. 山口武秀

    山口(武)委員 そうすると日本にいないということも、それはあなたの判断で、それほど確かな根拠に基いているものではないのですか。
  72. 中富精一

    中富証人 そうであります。それは先ほど、日本にいないという部分については、うわさに聞けば、ということを申し上げましたが、その趣旨であつて、居住の関係は絶対的なことはわかりません。捜査関係取調べができないというだけのことであります。
  73. 山口武秀

    山口(武)委員 金源龍金健との間に、百四十万の貸借関係があつたかどうかは疑問であると、このように言われておりましたが、この二人の間における貸借の際に、証書のとりかわしというようなものはなかつたのですか。
  74. 中富精一

    中富証人 ありません。そういう点を考え合せて、そのように私は考えております。
  75. 山口武秀

    山口(武)委員 それからこの事件に関しまして、高田進由比又男、伊藤衛一らと密輸団組織編成行つたというような話も聞いているのですが、密輸団組織編成をやつたということになりますと—たまたまこの事件が、事件としてはきわめて中途半端に終つておるのですが、それだけのことであつて、それ以前の問題はないということが、確実に言えるのですか。それから今後の計画というようなものは出て来なかつたのですか。それをお伺いしたい。
  76. 中富精一

    中富証人 本件は、ここに告発書がありますが、多数の—と申し上げてはなんですが、はつきり申し上げますと、金源龍ほか十二名を税関から告発をして参つたのであります。同時にまた、送致を受けた記録は、金源龍ほか十二名を関税法違反被疑者として送致を受けたのであります。検察庁において取調べをいたしました結果が、結局金源龍高田進密輸出の共謀であつて、その他の被疑者は、いずれも高田進依頼により、あるいは金源龍依頼によつて部分的な仕事を、情を知らずして担当したものであつて、共休関係、少くとも共犯の立場に立つような事情が証拠上出て参らないのであります。従つて高田進金源龍共犯であることは、明確な証拠によつて認定をし得ると考えたのでありますが、金源龍は今申し上げますように、所在が不明であるために、やむなく高田進のみを起訴したような次第であります。従つて先ほど述べたような関係者並びにその他十一名の被疑者については、本件はむろんのこと、その以前においても、他にこの種の犯罪があると思料せられる証拠はありませんでした。
  77. 山口武秀

    山口(武)委員 高田由比又男、伊藤衛一は以前からの知合いであるというようなことになつておりまして、それでこの関係がわかつたわけですが、そうしますと、情も全然知らない、それから仕事が、きわめて部分的に何も知らないでやつただけであるというようなことは、少々納得が行かないというような感じもするのですが、その点いかがですか。
  78. 中富精一

    中富証人 ごもつともです。この点については最も本件捜査にあたつて苦心でいたした点でありますが、久原房関係について申し上げますと、同人高田進から、福岡県の八幡市の付近品物を入れる倉庫を見つけてくれということの依頼を受けて、同人が勤めておりますヰゲタ鋼管株式会社付近の、妙見の山用倉庫という倉庫を借り受けて、品物を入れる世話をしたという事実が、久原房之の関与した事実の大部分であります。これについて久原の従前の高田とのいきさつや、また海上保安庁官吏である高田品物を送るなどというような仕事は、おそらく不似合いな行為であるから、同人がその情を知つて世話をしたものであろうという考え方は、何人もこれはかように考えるのが常識であります。この点については各種の面から資料を収集し、また被疑者であつた久原房之を取調べをしたのでありますが、全然そういうことについては知らなかつたという一点張りでありまして。また同人の詳しい供述の結果を総合いたしましても、われわれが考えているような嫌疑を抱くに足るだけの資料がなかつたのであります。由比又男につきましては、同人久原伊藤に対して、倉庫をお世話をしてやつてくれということの助言をしたにとどまつている。伊藤衛一は、これまた高田依頼を受けて、福岡市のマル博運送店に、品物を保管をしてくれということの依頼を受けたことと、福岡市において高田進依頼を受けて、長崎まで使いに行つておる事実があります。その使いに行つたというのは、福岡に届いておる品物を、長崎の牟田哲二に送りたいから、お前が行つて、その品物の保管並びに売れる物があれば長崎へ売りたいからということを言い含められて、伊藤衛一が使いに行つておる事実があります。これが本件における伊藤衛一の関与した事実でありますが、これにつきましても、密輸に関する情を知つてとか、あるいは密輸を謀議したというようなことは、証拠上全然出て参りません。牟田哲二は、今言つた伊藤衛一の話を受けて、実は高田品物をこういうふうにして、博多から長崎へ送つてくれと言つておるが、どこかへ品物を預かる場所を探してくれないか、まてくれないか、ということを相談を受けて、大体品物は何か、またどのくらいの数量であるかということを問いただした結果、使いに行つた伊藤衛一も詳細なことを知らないために、それでは引返して高田さんに詳しいことを聞いて、どういう品物で、数量はどれくらいするかということを聞いて、折返しお知らせしますからと言つて、子供の使いのように引返したのであります。従つて牟田も、結局はどういう品物が、どれだけのものが来るかということがわからないから、借りる倉庫の交渉のしようもあるし、またどういうものであれば長崎で売れるかということの判断にも、まだ決定的な資料がなかつたわけであります。これがこれらの人の関与した関係であります。以上のようなわけであつて、いずれも部分的に分担した仕事が、あまりにもすらすらと進んでおらないのでありまして、ただ久原伊藤関係は、倉庫世話あるいはその他の関係において、相当深入りをしておるのでありますが、密輸出をすることの情を知りながら、その援助をしたとか、あるいは共同的な仕事をしたという点については、証拠上認めるに足るものがなかつたのでありまして、今もなお久原あるいは伊藤らが、そのような気持高田行為に関与した—少なくとも援助行為としてわれわれは疑いを持つわけでありますが、現在の段階におきまして証拠がないのであります。
  79. 山口武秀

    山口(武)委員 先ほどの証人お話で、高田以外に海上保安庁職員関係はなかつた。それから高田が出張したことについて、正規の出張手続を経たのでなかつたということを言われておりますが、正規の出張でないと、これは高田は上司に対してどういう手続をとつ出て行つたか、この点はどういうふうになつておりますか。
  80. 中富精一

    中富証人 その点は重要な点でありますから、証拠に基いて朗読いたします。これは昭和二十五年七月十日付、海上保安庁長官から福岡県八幡市警察署長あての公文書であります。海上保安官高田進捜査事項照会書に対する回答についてと題し、貴八経防発第九三九号による海上保安官高田進捜査関係事項照会書については左記の通りであるから了知されたい。一記、拝命の年月日、昭和二十三年五月一日、二、本名の職務権限、本年五月三十一日までは、長官官房庶務課に所属し、便宜上情報室(室員、本人共四名)を設けて、その主任となり、情報の収集及び通報並びに国警その他関係方面との連絡に当つていた。六月一日海上保安庁の機構改正に伴つて情報室は廃止される予定であつたが、新機構が確立するまでは暫定的に総務部秘書課に所属せしめ、同業務を続行していたものである。三、各基地担当海域図、本庁では作製していない。四、神戸市三泊、福岡八日間の旅行目的、六月十五日より情報収集のため出張したい旨申し出で、手続を依頼してあつたが、未発令である。このようになつております。この最後の部分がただいまのお尋ねに対してお答えできると思いますが、そのような申出はあつたけれども、手続がまだ決定しておらないというので、正規官吏の出張にはなつておらないと思います。
  81. 山口武秀

    山口(武)委員 先ほどの委員長の質問に対して、証人のお答えは、高田本件以外に関係がないということを言われておりましたが、さらにその前の質問である高田の暮し向きというものが、二級事務官としてはなし得ざる暮し向きであつた。そういうところから判断してみて、これ以前にはそうした問題に関係があつたのではなかろうかということに対する答弁がなかつたようであります。この高田進の暮し向きに対して調べがなされているかどうか。これがいわれておるように、二級事務官としてなし得ざる暮し向きであるとすれば、どういう事情でそういう暮し向きが可能であつたかということを伺いたいと思います。
  82. 中富精一

    中富証人 高田進の暮し向き、これは実際の住居についての取調べはいたしておりません。これは本人の目供によりますと、妻知恵子三十八歳、長女満智子十六歳の三人の暮しであるが、妻と子供は広島県安芸郡奥海田村新浜角、佐々木平松、これは妻の実父ですが、そこに別居しておつて自分は杉並区阿佐ケ谷七百四十三番地に内縁の妻と居住しておつて、収入は当時一万二、三千円の支給を受けておる、こういうことであります。同人が今お尋ねのような暮し向きにおいてぜいたくをしておるというような事情は、自分取調べにおいてはわかつておりません。
  83. 山口武秀

    山口(武)委員 家族が別居しておつて、こちらに内縁の妻とかいう人がおられるということになりますと、これは今言われたような給料の程度で、二つの生活が成り立つて行くことは、かなりむずかしいのではないだろうかというふうに考えられる。当然ここに暮し向きの問題で取調べがあつてしかるべきだと考えるわけですが、なぜその点に対する取調べというものがなかつたのでしようか。
  84. 中富精一

    中富証人 そのような生活態度であれば、御説のように相当経費がかさむことは、もとより見やすい道理であります。自分としては、そのような取調べをするまでもなく、諸般の証拠によつて同人密輸出をなそうとしたものであるという、関税法所定の違反行為をなしたものであるということを認定する証拠が十分である。そのような家庭環境にあるという事柄は、犯罪の情状として、これまた十分に証明がつく資料、たとえば福岡から七万円の金を杉並区の今のいわゆる内縁の妻に送金しておるような事実、これらについても証拠があるのであります。従つて現在の自分が起訴した本件の起訴事実についての犯罪の情状として、被告人の家庭環境等を立証する上におきまして、これをもつて十分なりと信じたから、その捜査をしなかつたのでございます。
  85. 山口武秀

    山口(武)委員 この問題が起る以前に、高田は平素二級事務官としてなし得ざる生活をしておつた。そうするとこの問題が起つて取調べたとき、その以前にも、そのような暮し向きから見て、別な問題がありはしないだろうかというふうに考えられて、そういうふうに取調べを進められることはきわめて当然なことであろうと思うのですが、今の証人の説明では、私には納得が行かないのです。この点もう少し納得の行くように説明してもらいたい。
  86. 中富精一

    中富証人 ごもつともでございます。検察官としては、そのような事件のきつかけを与えられました場合に、ただいま委員の御質向のようなところまで手を広げ、徹底してその被疑者または被告人に関する限り、どのような過去の事実も掘り下げて行くというようなチャンスが与えられた場合に、それをなすことはあるいは当然であり、また理想であると考え、また自分自身としてもそのような検察陣営のあり方でありたいと考えるのでありますが、悲しいかな異常な事件の負担でありまして、とうてい警察またはその他の当該機関から送致を受けました被疑事件を処理して行くだけでも寧日ないありさまでありまして、この点については国会におかせられて、特に各位の御洞察を賜わりたいと思うのであります。証言外にわたるかもしれませんが、御質問に対しては適切な答えであると思います。
  87. 山口武秀

    山口(武)委員 私はきわめて不適切な答えであると思う。少くとも、あなたはそういうことを言われておりますが、このような問題が出て、しかもさらにこの高田の以前の問題が出て参りますれば、あなたは先ほど否定されたが、海上保安庁関係職員に全然同趣旨の問題がなかつたというような問題が、あるいは否定されるような結果が出て来るかもしれない。それからほかの仕事のために、この事件についてだけしか調べることができない、そういうことをしやあしやあとつて、そこから先のことは国会で考えてくれ、こういうようなことは、検事の態度としてあるまじきことだと思う。あなたはそれで当然のことだとして考えられるのですか。われわれの常識をもつてしては、そのような考え方はとうてい成り立たないと思うのですが、どのようなことから、そのような考え方が生れるのですか。
  88. 中富精一

    中富証人 委員の御質問は、高田の生活ぶりから見て、過去の犯罪捜査する上においても、同人の生活状態等を調査することが適切でなかつたかというような御尋問と考えてお答えしたわけでありますが、御尋問の趣旨はその通りでよろしゆうございますか。
  89. 島田末信

    島田委員長代理 今山口君の質問の内容で、証人に対する尋問を越えて、あなたの責任を追究して行こうというような、多少行き過ぎもあるように思います。あなたの追究されるようなことを、本行政監察委員会の使命として追究するかせぬかということは、今後問題になつて来ると思いますから、この際はそれ以上のことに対してお答えすることができないようならば、そのままでいいのではないかと思います。
  90. 中富精一

    中富証人 釈明いたします。今委員のおしかりのようなことは、証人としてはなはだ遺憾ですから釈明いたしますが、私の先ほど申し上げた趣旨は、御承知のように検事仕事は旧刑事訴訟法時代と異なりまして、結局認知事件というものは法律上は認められておりますが、第一線の捜査は、あげて警察職員ということになつております。それで送致事件以外に特に……(山口(武)委員「わかつている。」と呼ぶ)そういう機構になつておりますから、従つて検事としては、送致を受けた事件のみを中心として、その事実について起訴すべきや、すべからざるやという態度をきめるだけの捜査範囲上か事実上困難であります。そのような関係でありますから、ただいまお尋ねのようなところまでも掘り下げるべきであつたかもしれないのでありますし、それは当然検察官としての職務の範囲であろうと思うのでありますが、ただいま申し上げますように、送致事実を処理することにまことに急でありまして、そのために、本件の阿佐ケ谷の住居までも取調べることが困難であつた次第であります。
  91. 島田末信

    島田委員長代理 山口君、これと別ですか。
  92. 山口武秀

    山口(武)委員 いや。
  93. 島田末信

    島田委員長代理 この問題なら打切つてどうですか。
  94. 山口武秀

    山口(武)委員 委員長の態度はきわめて不満です。なぜかというと、私の質問に行き過ぎがあると言うが、行き過ぎがあるとするならば、これはまず証人の方から問題にしなければならない。証人は、私が一番重大な問題に対して尋問しているにかかわらず、それに対して答弁もしないで、検察の機構の間類しついて国会の方で考えてくれというようなことを言つている。これほど行き過ぎの問題はないだろう。しかもこの問題は私がたまたま持ち出した問題ではないので、これは当委員会の尋問事項の七番目に書いてある問題です。本人の暮し向きが不当であるという問題、従つて本件以外に問題がありはしないかということがある。しかも先ほど委員長がそれを尋ねている。ところが証人はこれに対して何らの答弁もしない。暮し向きの問題というのは一切避けてしまつている。しかも問題の発展があるかもしれないという重大なことに対して、これは捜査できないからやらないのだと、きわめて投げやりな、責任回避の態度をとつている。これをもう少し明瞭にしなくてどうするのです。あなた自身の質問に対して答えがなくてどうするのです。
  95. 島田末信

    島田委員長代理 高田進君の事件については、これ以外になかつたという証人証言でありましたので、私はすなおにそれを受入れているのでありますが、事件がなかつたということは、知らずに事件がないというふうに証言したのか、調べた結果そういうふうに証人証言したのか、それは私はその当時わからなかつたが、証人は調べるところまで行かなかつたというわけですね。
  96. 中富精一

    中富証人 私は劈頭において偽証の罰を付されて宣誓しております。従つて私は証人として述べる場合は、自己の体験を委員長その他尋問せられる方に発表するだけであります。従つていろいろな御批判を受けたり、捜査しなかつたことのおしかりを受ける筋合いではない。
  97. 山口武秀

    山口(武)委員 私もおしかりしているつもりはありません。事実を聞いているだけであります。そうしますと、この本人の暮し向きですが、その以前においても——どういうわけでそういう暮し向きができたかということになりますと、やはり本事件と同様なことが以前にあつたのではないかということに対しては、検事の方では取調べをしていない、この問題については依然疑問符を付されたまま問題を伏せられてあるのだ、こう考えてさしつかえありませんか。
  98. 中富精一

    中富証人 そういうふうには申しておりません。お尋ねの趣旨の、暮し向きがどうであるかということについては、私の方では調査しておりません。ぜいたくであつたとかなかつたとかいう事柄は、結局私の方ではわかつておりません。それから暮し向きや家庭の事情について取調べをしたかせぬかということについては、しなかつたと申し上げました。そのしなかつた事情として、これはお答えしない方がよかつたかもしれませんが、つい考えておりましたために、その事情を申し上げただけでありまして、捜査にいたしておりません。
  99. 山口武秀

    山口(武)委員 捜査しなかつた事情はどうであろうと、ともかく捜査をしないんですから、ここに一つの疑問があるんですが、この問題はあなた方としては依然わからないのだ。わからないまま問題を進められているのです。こう認定するほかないのですが、どうですか。
  100. 中富精一

    中富証人 わからないままと言いますが、私の起訴しておるのはわかつた事実を起訴しております。
  101. 島田末信

    島田委員長代理 山口君にちよつと申し上げますが、それ以上追究すれば、今の家庭の暮し向きのことや何かがいいとか悪いとかということまで追究することになりますが、どうでしよう、本件はこの辺で打切りたいと思いますが……。
  102. 山口武秀

    山口(武)委員 最後に一つ。本人はわかつたことを起訴しているといつていますが、ほかの事実は調べてないんです。暮し向きの問題について、さらにこの以前に問題があつたかどうかというような問題については、何らの捜査もないのです。この点だけ明瞭になればそれでよろしいのです。
  103. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 ちよつと証人に簡単に一、二点お聞きいたしますが、高田進取調べるにあたりまして、いずれかの方面から圧迫がましいようなことを受けたことはございませんか。
  104. 中富精一

    中富証人 全然そういう事実はありません。
  105. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 それからもう一つ。この高田がGHQと申しまするか、日本政府証明書の交付につきまして金健と共謀してやつたような事実がありますか。
  106. 中富精一

    中富証人 証明書を受けたり、あるいはGHQ云々という事柄は、高田金源龍から聞いたという自供のみでありまして、そういうことがあつたということは全然事実はありません。そういう交付を受けたことに対して……。
  107. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 ありませんか。
  108. 中富精一

    中富証人 はあ。
  109. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 それから調書を読みますと、大阪税関の調べによると、昭和二十三年の十一月五日でありますか、高田進海上保安庁の高橋某を同道の上、大阪に行つて、当時朝鮮向けの密輸出事件の差押え解除方を税関に申し出たということが載つておるのでありますが、本件の場合も海上保安庁関係者が幇助的にこれに関与した事実はございませんか。
  110. 中富精一

    中富証人 その点に関連を持つか持たないかわかりませんが、第四管区海上保安本部に、昭和二十六年の六月二十一日に高田進が立ち寄りまして、第四管区海上保安本部で講演をやつておる事実があります。その講演は、庁員を集めて、現下の密輸出あるいは密出入国関係等についての海上保安庁としての最近の情勢等について、一般的な講演を庁員にしておる事実があります。  それから、これは関連すると思いますが、本件で最も高田進密輸出を企てたものでありとした証拠として重要であると考えられまするものに、第四管区海上保安本部作成にかかる、昭和二十五年六月二十二日の海上警備艇の所在位置を表示した地図を手に入れている事実があります。この入手経路は、ただいまお尋ねのような保安庁関係の者が幇助等しておるのではないかということに関連してお答えするわけでありますが、その入手経路を洗つてみましたところが、高田進が講演に行つた日に—ガリ版刷りの地図があるのでありますが、宿直室にそれと同様の大きな拡大された地図があつて、その地図にやまどりはどこにおる、ひよどりはどこにおるというように、警備艇の所在を一時間おきにピンでとめるようになつております。それであしたの六月二十二日には警備艇はどこにおるという所在位置が詳細に図面に現われておる。それをガリ版刷りの同様の縮図である地図に、高田進は詳しく書いておる。そうしてそれを船長に渡すつもりで持つてつた事実があるのであります。これは同人が講演の資料として必要なために、そこにあつたものをとつたんだ、こういう自供であります。従つてこの地図は何者が高田に交付したものであるかという事柄は、証拠上明確でないので、結局は同人が講演したときに、その宿直室に行つて見て書いたものであるとの認定をしておるわけであります。以上が第四管区の関係のあらましであります。そのほかには関係はありません。
  111. 福田喜東

    ○福田(喜)委員 海上保安庁そのものが、相当綱紀の粛正を要するという事実は認められませんか。
  112. 中富精一

    中富証人 むろん同人海上保安庁の相当な地位の官吏であるという事柄を通じては、お尋ねのような趣旨に考えられます。
  113. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 二、三お聞きしたいのですが、高田事件捜査の端緒は、税関からの告発によるわけですか。
  114. 中富精一

    中富証人 起訴は、御承知のように税関告発がなければ本件の起訴はできないのでありますが、捜査の端緒は、司法警察官の捜査の結果であります。
  115. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 そこでお聞きしたいのですが、その司法警察官が捜査をしまして、検察庁にまわして来た際の被疑者の数は、先ほどおつしやつた名前を含めた十二名であつたこと、それからその際の被疑の内容は、起訴状に記載されておるような容疑だけであつたかどうか、その点をまずお聞きしたい。
  116. 中富精一

    中富証人 被疑事実の容疑は、起訴状に記載されてある通りであります。被疑者の多いのは、その事実をこれらの者が共謀の上でやつたという事実からであります。従つて起訴しておらないもののうちで、高和洋行に関する先ほどの説明以外の関係者は、たとえば本田松男なる者がここに現われておりますが、これは久原房之から頼まれて、船積みの人夫、あるいは倉庫から積み出す人夫のさしずをした人間であつて、純然たる労務関係だけあります。それから中西慶次郎、これは第十二正吉丸、これは本件密輸出に使用した船舶でありますが、これの所有者である宇和島市の船主から命ぜられて、朝鮮に行くことの約束で二十五万円で用船契約のできたこの船の船長として、これを宇和島から博多港にまわした。博多からさらに起訴状に表われておるような妙見の港にまわしたという船長でありますが、これは明らかに朝鮮に行く約束で船主から命ぜられたのでありますが、それは正規の手続を経て行く、それでなければ、首がちぎれても帰つて来いと言われ、また自分もそのつもりで出かけたのである。従つてあらゆる機会に証明書を見せてくれということを言つておるのであります。従つてこれは朝鮮に行く意図ではあつたけれども、密輸出をする考えは全然なかつたことが明確であります。それから山下倶一、これは船員でありますが、その他起訴しておらない関係者は、いずれも密輸出の謀議に関与しておらないという関係で、捜査は受けたけれども、起訴しておらない事情にあります。
  117. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 そこでお聞きしたいのは、十二名送致を受けたときは、全部身柄を拘束していたかどうか、そうして釈放されたのはどういう関係によるか、その点あまり詳しくなくていいです、簡単に。
  118. 中富精一

    中富証人 身柄で送致を受けましたのは、高田進金健、李鐘潤、中岡万亀夫久原房之、伊藤衛一、本田松男、これはちよつと説明がまずかつたです、かえて勾留を受けておらないのを申し上げた方が早い……。
  119. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 いや、勾留を受けたのだけでいい、由比はどうです。
  120. 中富精一

    中富証人 由比は受けておりません。
  121. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 伊藤は。
  122. 中富精一

    中富証人 伊藤は受けております。
  123. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 久原は。
  124. 中富精一

    中富証人 受けています。
  125. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 中岡は。
  126. 中富精一

    中富証人 中岡も受けております。
  127. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 牟田は。
  128. 中富精一

    中富証人 牟田は受けておらない、それから松本というのがありますが、これも受けておりません。
  129. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 船長は受けておりますね。
  130. 中富精一

    中富証人 船長は受けております。
  131. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 そのくらいでいいです。釈放した理由は。
  132. 中富精一

    中富証人 不起訴になつたから。
  133. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 よろしゆうございます。そこで起訴したのは、高田一名ですか。高田は現在も留置してあるのですか。あるいは保釈で出ているのですか。
  134. 中富精一

    中富証人 高田は保釈で出ております。
  135. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 起訴状によりますと、小数を正上丸に船積みしたところで検挙したわけですね。
  136. 中富精一

    中富証人 そうです。
  137. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 この物件の処置はどうなつていますか。
  138. 中富精一

    中富証人 物件の処置は、若松税関に保管しておりましたが、品物によりまして、変質または破損のおそれありという品物がありましたので、これが換価処分を命じまして、すでに換価せられて、換価代金が保管されております。
  139. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 これは税関からの差押えにはなつていないのですね。
  140. 中富精一

    中富証人 税関の差押えで、これを差押えのまま引継ぎまして、それを検察庁から換価処分を命じて、現在換価代金が保管されている形です。
  141. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 そこでお聞きしたいのは、この高田は、金源龍あるいは金健から幾らぐらいの金をもらつておりますか。
  142. 中富精一

    中富証人 三万円を一回と、四万円を一回、合計七万円を金健から受取つております。その他は福岡市の国際観光ホテルにおける宿泊料等が支払われておりますが、そのうちどれだけの部分が他人の負担において支払われ、どれだけが自分で支払つておるかということは詳細でありません。現金としては七万円受取つております。
  143. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 それから先ほどちよつと他の委員の質問で、七万円をただいま高田が……。
  144. 中富精一

    中富証人 それがただいま申し上げる七万円であります。
  145. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 そうすると、それ以外の、高田が相当豪遊しているだろうと思うのだが、そういう費用なんかはどこから出ていますか、その点はわかりませんか。
  146. 中富精一

    中富証人 宿泊料関係で、宿の支配人等を取調べましたが、直接高田から支払いを受けたと称するのと、何日から何日分は同宿者から—金健ですが、金健から受けたというものとあります。事実上手渡しを受けた金が高田から出ておつても、それは多分金健等から出たものではあるまいかと考えておりますが、そこの点については関係者において金銭の授受を否定しますので、これをくつがえす種がありません。
  147. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 それではこの物件ですね、この物件の代価は、あなたの調べによると全然支払いはしていないわけですか。
  148. 中富精一

    中富証人 ありません。
  149. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 一つも……。
  150. 中富精一

    中富証人 はい。
  151. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 これだけの百五十万六千二十六円相当お品物についてはですね。
  152. 中富精一

    中富証人 ないと申しますのは、金源龍がほとんど仕入れにまわつておりますので—結局私がないと申し上げたのは、現在荷を出した、自転車の部分品を出したのが、神戸のセントラル何とかという会社であります。それから征露丸等を出したのが仙台の方の商人でありまして、これらの者がだまされて品物を出しておるから、それで昔であれば私訴を起すけれども、それが現在できないからというので、しきりに品物の返還を自分の方へ申し出た事実から、かように考えます。
  153. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 それでもう一つ聞きたいのは、このいわゆる金地、高田金源龍の間において、利益の分担なんかの契約はなかつたですか。
  154. 中富精一

    中富証人 今申し上げるようなわけで、高田という人は密輸ということは全然否定しておりまするし、金健金健で、今述べたように百四十万円の代償として品物をとるのだというようなことを主張しているので、従つて利益の分配等については、全然そうした協議の事実を知ることができない。
  155. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 それで今度は裁判の関係になるのですが、起訴されて高田は事実を全部否定しておりますか、どうですか。
  156. 中富精一

    中富証人 外形的た事実起訴状に書いてありますように、金源瀧から頼まれたとか、自分がそういう倉庫世話をしたとか、積出しを手配したとかいうような外形的な起訴状の事実関係は、全部これを認めておりますが、密輸出をしようというような計画のもとに、そのような行動をしたということは否認しております。
  157. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 そうしますと、裁判の進行について証拠関係はどうなつておりますか。
  158. 中富精一

    中富証人 証人はほとんどが、一部を除きまして……。
  159. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 あなたの出した調書は全部否定しているのですね。
  160. 中富精一

    中富証人 否定します。そうしてほとんど大部分証人を喚問しました。金健のみは、どうしても病気のゆえをもつて召喚に応じませんので、最後に金健供述調書証拠とすることに同意をしましたので——これは重要な証人でありますから、呼出しを希望したのでありますが、病気で出て来られないので、結局被告人側の方で従来の供述調書証拠とすることに同意したから、それを証拠に出して、喚問しておりません。
  161. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 そこで最後の結論をお聞きしたいのですが、先ほど委員長から聞かれた海上保安庁の警備救難部長の松野という人は、無罪であるということを確信しているというようなことを言つておりますが、あなたの見解は有罪だということを確信しておる。そのあなたの有罪だと確信しておられる根拠は、証人の喚問によつて有利な—いわゆる有罪を確定するようた証言になつておるかどうか、その点をお聞きいたしておきます。
  162. 中富精一

    中富証人 おおむねそのようになつております。
  163. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 おおむねですか。
  164. 中富精一

    中富証人 はあ、もつとも微細な点までそのようにたりておるとは申しませんが、少くとも裁判所の心証を得る程度に、起訴状記載の事実が裏づけられておるということは、原告官として確信を抱いております。
  165. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 次にもう一つ聞きたいのですが、差押え物件ですね。これを検察当局は被害者に対して仮渡しするというような考えはないかどうか。
  166. 中富精一

    中富証人 お尋ねの被害者という場合は、だれをおさしになつておりますか。
  167. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 売渡し人です。
  168. 中富精一

    中富証人 売渡し人から、こういうわけで金を一厘ももらつておらないからということで、品物の仮下げをしまりに迫つたのであります。これはその点が相当問題になると思うのでありますが、一般の没収の場合は、御案内のように所有関係が基本になるのでありますが、関税法の違反の場合は、占有までも没収の対象となつておると考えております。そのような関係で、結局いろいろな事実を総合しますと、被告人の高田が占有しておつた、それが民法でいうどの占有に当るかは別としまして、占有しておつたということが立証し得たと考えておりますが、そうであるとするならば、没収の対象となると考えて、還付の要求に応じておりません。
  169. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 もう一つ疑問だから最後に開きたいのですが、高田金健から受取つた現金は、二回にわたつて七万円で、その七万円を内縁の妻に送つておる。どうもこれだけでは納得行かないのですが——数日間やつておるし、もちろんほかのいろいろなものを使つたの金健から出ておるというような、さつきの答弁でしたが、高田について、金の出場所についてもう少し捜査あるいは尋問されなかつたですか。高田が相当豪遊もしておるし、小づかいも相当使つておるだろうと思うのだが、そういう点について、もう少し検察当局で疑問を持つて捜査されなかつたかどうか。
  170. 中富精一

    中富証人 被告人が任意に述べればむろんはつきりなりますが、事がそういう問題になれば、全然口を織して語らないのであります。従つて半面捜査のできる限りはいたしたのでありますが、金がどこから出ておるかという事柄は、結局は銀行関係の動きであるとか、あるいは小切手の動きがあるというような関係でないために、関係者の自供がない限り、その点については明確にすることができておりません。
  171. 坂本泰良

    坂本(泰)委員 それからもう一点。金健高田に対して少くとも七万円と宿泊料は出しておる事実があるのですが、どうして共犯として金健を起訴しなかつたか。
  172. 中富精一

    中富証人 金健がこの事件に関与したのは、劈頭から申し上げましたように、金源龍がほかから買いつけて、九州の方に送つて、そこで正規ルートを経て朝鮮品物を送ると、こういう関係を信じ込んで金健金源龍に金を出した。しかるに証明書も見せなければ、金もくれないから、結局最後の手段として品物を押えるというような形で、金健高田と乗り込んで行つて品物を押えて、地元で売つておるのであります。そういう関係でありますから、金健関税法違反として共犯と見るのには、現在の段階ではどうしても証拠がないのであります。もし将来金源龍でも現われて来て、そして金健金源龍がたくらんで、そのような品物の買付あるいは用船等をしたというようなことが真事実として現われるような場合がありますれば、これは別途の事実が加わつて参るのでありますが、現在の段階では、この程度しか捜査上事実を固めることができなかつたわけであります。
  173. 島田末信

    島田委員長代理 他に質問がなければ、中富証人に対する質問はこれをもつて終ることにいたします。証人には御遠方のところ御苦労さまでした。  なおちよつとお諮りいたしますが、三橋証人がもう見えておりますし、なお皆様の中にも午後いろいろおさしつかえがあるような向きもございまして、すぐ引続き証人を喚問したらいいじやないかというような御意見もあるようですが、これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  174. 島田末信

    島田委員長代理 それでは続行いたします、     〔島田委員長代理退席、内藤(隆)委員長代理着席〕
  175. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 三橋珍雄君ですか。
  176. 三橋珍雄

    ○三橋証人 はい。
  177. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 ただいまより不正入出国に関する件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二年法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族もしくは三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務知つた事実であつて、黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書朗読を願います。     〔証人三橋珍雄朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  178. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  179. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 これより証言を求めることになりますが、証言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また発言の際は、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。なお、これから証言を求める場合はおかけになつていてけつこうですが、お答えの際は御起立を願います。  それでは紀栄丸事件のあなたの御承知の概要をひとつ述べてください。
  180. 三橋珍雄

    ○三橋証人 委員長にお願いがございます。私できるだけ正確な点を申し上げたいと思いまして、もしお認めいただきましたならば、記録を利用させていただきたいと思います。
  181. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 記録というと……。
  182. 三橋珍雄

    ○三橋証人 私のメモ、役所で参考に使つた書類であります。
  183. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 メモ程度ならよろしゆうございます。—証人に申しますが、なるべく要点を簡潔にひとつ……。
  184. 三橋珍雄

    ○三橋証人 わかりました。申し上げます。紀栄丸の事件は昨年の十二月の十三日、標津の羅臼港でありますが、そこからもとは漁船に使いました小さい船で、その当時は生魚なんかの運搬に利用しておりました紀栄丸というのがあります。それに羅臼港から便乗者が二人ありまして、その便乗者を乗せまして根室に向う途中において、船員がその便乗者から拳銃をもつて脅迫されまして、国後の方向に船を向けて、そこの国後の方に上陸させられまして、三、四日向うにとめ置きをされて、根室港に帰つて来た事件であります。その事件につきまして、私の方は根室町警の方から報告を受けまして、さつそく関係者がどういう身分の者であるか、はたしてまた真に脅迫を受けてマ・ラインを越えたものであるかどうかということについて、慎重な調査を根室町警の方にもお願いいたし、さらにまた私の方でも管轄区域の関係上いろいろ取調べた事案でございますが、現在のところでは、向うに渡つた人間の身元も一人はわかりますが、そのうちの一人は全然わからぬというような状況で、なお捜査段階にあるのでございます。
  185. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 その紀栄丸の機関士の田島信男というものの父は、かつてソ連の密偵であつたといううわさがあるのですが、この者がこの事件の背後にある疑いはなかつたですか。
  186. 三橋珍雄

    ○三橋証人 申し上げます。一時、ごく捜査の初めての段階におきましては、そのようなうわさが飛びまして、これはてつきりそのような手引きによつて事が行われたのではないかというような疑念を持つたのでありますが、その後調査を進めてみましたところが、それはソ連側の方の船団の何かの役をやつてつたことが、昭和二十年の秋ころあつたということだけでございますが、はたしてそれが事実であつたかどうかという点は、それを裏づける何ものもないのでありまして、今のところそれはうわさであつたのではないかという程度に私たちは了解しております。
  187. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 その田島の父を調べられたことはありますか。
  188. 三橋珍雄

    ○三橋証人 それは根室の町警の方で取調べをいたしました。
  189. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 あなたの方ではないのですか。
  190. 三橋珍雄

    ○三橋証人 私の方では管内でございませんから、調べませんでした。
  191. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 それからただいまの証言中に、二人乗船をしておつたが、一人はわかつてつて、一人はわからぬと言われたが、そのわかつている一人はたれですか。
  192. 三橋珍雄

    ○三橋証人 わかつておりましたのは、宿帳その他によりましてだんだん突き詰めてみましたところが、当時の住所は札幌市南八條西九丁目北海道大学農学部の農業経済室天学院特別研究生の今川英雄という人であります。
  193. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 今川英雄か、これはわかつてつたが、しかしもう一人の者はわからないというのですか。
  194. 三橋珍雄

    ○三橋証人 もう一人の者は、身元を調べましたけれども、自称村尾啓一郎ということでありまして、本人の自称する兵庫県武庫郡本山村岡本にはそういう者はいないという回答がありました。
  195. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 それは文書か何かで照会したのですか。
  196. 三橋珍雄

    ○三橋証人 それは私のところは管区本部を通じまして照会しましたので、管区本部は文書でありましたか、あるいはおそらくは無電か何かだと思います。
  197. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 先日来の証人のお答えのうちには、その者がたれか似たような者があるような話も聞いて証言をしておるのですが、あなたの方ではそこまでは進んでおりませんか。
  198. 三橋珍雄

    ○三橋証人 申し上げます。私の方でもあそこは非常に密航のおそれの多い地点でありますので、あるいは共産党関係の者でもなかろうかというような懸念もありまして、宿屋の女中その他につきましては、いろいろ人相から着衣、それと当時乗せました富樫、田島につきまして、さらにその陳述を突き詰めてみましたが、どこの者であるかというような確証はとんと得られないような状況でございました。
  199. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 ただいま御発言中にもあつたが、その共産労の何か幹部のうちに、それに似たようた者がおつたようなこともなかつたですか。
  200. 三橋珍雄

    ○三橋証人 私の方の調査の結果では、似寄りの者はないというふうな結論に今のところはなつております。
  201. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうすると、二人のうち一人は確かにわかつたけれども、一人の方は杳としてわからないということですか。
  202. 三橋珍雄

    ○三橋証人 さようであります。
  203. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 それから徐祐相の身柄を根室から釧路へ護送の途中、連行の根室町刑事二人が行方不明となつたという情報によつて、全道に捜査手配をしたと聞いておりますが、その間のことを御承知なら簡単にどうぞ。
  204. 三橋珍雄

    ○三橋証人 申し上げます。徐祐相が根室町警の者につき添われまして、釧路の刑務所の方へ参る途中において所在不明になつたというようなことにつきまして、当方面隊の本部としましては、何か途中において事故があつたのではないかというような非常な心配をしまして、とりあえず釧路市警並びに沿道の各警察署に手配をしました。ところが、途中において事故のあつたような模様もさらにないし、またそれらしい人を見かけた人もないというようなことで、さらに捜査を続行の結果、それは当時一緒についておつた警察官とともに、おそらくは本州の方へ出かけたんではなかろうかというようなことが想像されたのであります。当時徐祐相は、私の方で知つてつた限りにおきましては、窃盗罪によりまして懲役の刑を受けて、控訴申立てをしておつたというようなことまでわかつたのであります。そうしてもしもそういうことであれば、それはまだ確定判決でない。未決の自由人でありますから、それに警察官が一緒についておつたのでは、これはたいへんなことであるというので、さつそく検察庁の方へその間の事情を聞きに行つたのであります。検察庁の方でもたいへんに心配いたしまして、聞きましたところが、それは二月の九日に保釈になつた者であつたというようなことがわかりまして、しからば手配は解除しようということで、解除したというような事実があつたのであります。
  205. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 保釈になつたということがわかつたので、その手配を解除した、こういうわけですね。
  206. 三橋珍雄

    ○三橋証人 さようです。
  207. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 それから知床半島沿岸及び納沙布地方における昭和二十五年以降の密出国事件の数及びその概要を御記憶のあるだけ述べてください。
  208. 三橋珍雄

    ○三橋証人 密出国を企てました者が、昭和二十五年の、これは三月の二十五日に初めてありまして、それから本年の四月の八日までの間におきまして十八名ございます。そのうち目的を達した者は二名、二名といいますのは、これは例の村尾と今田でございます。あとは未遂というような状況でございます。
  209. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうするに、十六名は未遂ですが、その十六名の人はどういうような立場の人ですか。
  210. 三橋珍雄

    ○三橋証人 十六名の人にいろいろありますが、大体土地の人は一人もございませんと申し上げてもいいくらいでありまして、ちよつと申し上げましても、大阪市に住む朝鮮人、それからもう一人大阪市の朝鮮人、それからあとは千葉県の松戸に住む職工さん、それから東京の葛飾の農業家、いろいろな職業がございます。
  211. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 その目的は一体何です。
  212. 三橋珍雄

    ○三橋証人 目的は大体ソ連の共産主義にかぶれたようた傾向でありまして、案外あの辺から簡単に行かれるというようなことで、あそこを密航の基地に選んでおるというようなことでございます。
  213. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 共産主義にかぶれたとか、そ連をあこがれておるとかという程度ですか。
  214. 三橋珍雄

    ○三橋証人 そうでございます。
  215. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 何か日本共産党に関係したようなものはなかつたですか。
  216. 三橋珍雄

    ○三橋証人 日本共産党員であるかどうかもわかりませんし、また特別の指令を受けたというような点も、現在の段階ではわかつてはおりません。
  217. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうして単にからだのみで越境しようとしたのか、何か物でも持つてつたですか。
  218. 三橋珍雄

    ○三橋証人 ほとんどからだのみでございまする。
  219. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 密出入国取締りに関する他の治安関係との連絡、協同の状況等はどうです。
  220. 三橋珍雄

    ○三橋証人 申し上げます。これにつきましては、海上保安庁関係と、警察検察庁関係がございます。それから出入国管理庁というものもございますが、北海道にはその出先機関がないというように聞いておりますので、具体的な連絡はいたしませんが、この密出入国の取締りはなかなか困難でありまして、現在の方法におきましては、ただ警察関係の沿岸の警備を厳重にするということが第一でありまして、そのほかに海上保安庁の方でその沿岸の哨戒をするというようなことは、現在では行われていないようでございます。
  221. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうすると、関係の機関との連絡とか、あるいは協同というようなことは、あまり密接に行われていないのですね。
  222. 三橋珍雄

    ○三橋証人 拿捕船のことにつきましては、再々関係官庁が打合せをしまして、拿捕されるような危険な仕事に従事する者に対しまして警告指示あたりをいたしておりますが、密入国の取締りにつきましては、それと関連的な意味合いにおいて話をしますが、特に密入国取締りをどうするかというようなことにつきましては、現在の段階におきましては、ただ海上保安庁と私の方だけで意見の交換をする程度にとどまつております。
  223. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 特に密出国に関して現地の警備上の欠陥とか、あるいはその欠陷に対して改善を要するというような点を、お気づきならば述べてください。
  224. 三橋珍雄

    ○三橋証人 この密出入国者の取締りにつきましては、第一番に弱体と思われる点は、警察官の配置がいかにも沿岸に少いということが第一点であります。といいますのは、一例を申し上げますと、羅臼の港におりますところの警察官は、現在一人でありまして、その沿岸の受持区域は二十四キロでございます。その他十五キロ、二十キロというようなものがかなりございます。そのような関係で、その沿岸の受持の警察官といたしましても、ただ浩岸監視だけではありませんで、一般の受持区域を持つておるわけであります。従いまして沿岸の監視につきましては、かなりの労力を払つておるのでありますが、もしもそういう計画をして渡ろうとするような者がありました場合は、知床半島から根室花咲港のあの沿岸におきましては、ほとんど沿岸どこでも自由に船を着け得る、どのような小さい船でも着け得るというような場所柄でございます。従つてかなりの取締りをしておりましても、そういうようなことを企てるような者がありました場合は、万全にそれを食いとめ得るというような自信は、隊長としては現在持ち得ないような状況でありまして、この点につきましては一番私が悩みに思つている点でございます。なお沿岸の警備と関連しまして、この出入国を企てた者に対するところの強制権の問題でありますが、これは単に船を借りるという約束をした、あるいは何月何日向うに出かけたいというようなその程度の意思を持つてつたものでは、これは現在の法令ではどうすることもできません。実際に船を借り上げ、あるいは他人の船を盗んでそれをまさに利用せんとしたというような段階にまで行きませんことには、それは取締りができないというふうになつておるのであります。従いまして、警察には沿岸を哨戒する船もありませんし、一方海上保安庁の方では、あのマ・ラインの近辺を哨戒することもできないというような状況になつておりますので、一旦船を乗り出しまして既遂になつた以上は、これは私どもではどうにもなりませんし、未遂というような段階も、きわめて微妙な段階まで行きませんと、未遂としてそれを処罰する、送検するということができませんので、こういう法令の点につきましても、また海上保安庁関係の哨戒の規模の上におきましても、あるいは許されている権限の上におきましても、どの方面から行きましても、かなりの不備欠陷があるように私は考えております。
  225. 塚原俊郎

    塚原委員 二十五年の三月二十五日から四月八日までに、十八名の密出国を計画した方があつたということを聞いておりましたが、その以前からでもけつこうでありますが、密入国というものは一つもございませんでしたか。
  226. 三橋珍雄

    ○三橋証人 密入国と言いますのが適当か、あるいは不適当かわかりませんが、昭和二十一年中に十八名の者が根室、歯舞、別海村、羅臼方面に来ておるのであります。これは大体千島万両から正式の帰還者として来ておるわけではなく、小さい船というようなものを利用して、いわゆるひそかに帰つて来たという者であるというふうに伺つておりますので、私どもの目にとまつた昭和二十二年以降の密入国者という者はございませんことになつています。
  227. 塚原俊郎

    塚原委員 この昭和二十一年の十八名という者の目的は何ですか、本国に帰りたいという希望からですか、それとも何かほかに用件を帯びているわけですか。
  228. 三橋珍雄

    ○三橋証人 申し上げます。記録が古いのでわかりませんが、日本人が七名、朝鮮人が十一名ということでありまして、これは想像でありますが、おそらくはただ日本の領土の方に帰りたい、こういうような気持から来たものではないかというふうに思います。これは想像でありまして私実は昨年の十二月の初めに向うに着任しましたので、当時の古い事件については詳細知る由もなかつたのであります。
  229. 塚原俊郎

    塚原委員 国警の方を通して、村尾何がしという者については兵庫県にその該当者を見出すことができなかつた、今川英男については札幌の何とかいうところで調べがついたということを言われましたが、今川英男という人の思想傾向とか今までの行動について、わかつている点がありましたらおつしやつてください。
  230. 三橋珍雄

    ○三橋証人 今川の経歴は、昭和十八年十二月に北海道大学の農学部を仮卒業の上応召しまして、樺太、静岡、千葉等の各地を経まして航空隊員として軍務についておつた由であります。さらに昭和十九年に北支那に出征しまして、二十一年六月に帰つたのです。帰つて参りましてから、札幌の新北海新聞、現在の北海タイムスの記者として採用されましたが、昭和二十二年の四月、北海道大学の農学部に入るためにそこをやめまして、その後学部の特別研究生として、農学部経済室において牛乳生産費の研究につきまして主任の矢島教授、石狩地方の泥炭地の調査につきまして主任の渡辺教授の指導のもとに、それらの事項を専攻しておつたというのが大体の経歴でございます。
  231. 塚原俊郎

    塚原委員 家庭の状況と思想傾向について……。
  232. 三橋珍雄

    ○三橋証人 思想傾向につきましては、表面に現われたものは私の方には何も認めなかつたのであります。特に赤いとかどうとかいう点はございませんでした。その兄さんは札幌の人事院の方に勤めておるということでございました。お父さんは鉄道関係の方に奉職されておつたというようなことを伺つております。これも私ちよつとメモを持合せございませんので、はつきり……。
  233. 塚原俊郎

    塚原委員 この間の富樫船長の証言にありましたが、羅臼に来ておつて、十五日の会合か会議かに出席しなければならなかつたので、当時の交通状況がきわめて悪くて、まことに気の毒であるという同情的な気持から乗せてやつたということであります。一体本人が調べていることと、羅臼に行つてつたということと関係がつきにくいと思うのですが、羅臼に来た本人の目的はどういうところにあつたと隊長は考えているのですか。
  234. 三橋珍雄

    ○三橋証人 この点につきましては、本人がどのような行動をとつたかというような点につきまして、私の方でも相当調査したのであります。私はこの石狩地方の泥炭地調査というようなことがどのようなことであるか存じませんし、また牛乳生産費の研究というのがどのような内容を持つているのかわかりませんが、当時の調査の目的は、大体あの辺の農業関係、農業生産関係、それから漁業関係について、大体いろいろなことを聞いておつたようであります。それらの調査した結果が、今回、村尾との間においてどのように利用されたか。何分にも宿屋の状況を見ますと、あるいは今川の部屋で密談したとか、あるいは村尾の部屋で密談したとかいうようなことは、宿屋の者たちが申しておるのでありますが、本人たちについて調べることができませんので、ただ私の方では一応不審のままに目下なお捜査を継続中の状況でございます。
  235. 塚原俊郎

    塚原委員 これは方面隊長としての状況判断になると思うのですが、今回と村尾との間には以前関連があつたか、あるいは全然関連のないままに宿屋でもつて頼まれて通れて行つたのか。そういうあなたの情勢判断というようなものをお聞かせ願いたいと思います。
  236. 三橋珍雄

    ○三橋証人 今川と村尾が出先で偶然に知り合つたか、あるいは何らかその前において関連を持つてつたものであるかという点につきましては、私の方でも非常な関心を持つてつたのであります。これにつきまして、今回は羅臼の宿屋で、秋田屋という宿屋たつたと思いますが、そこの主人に、村尾とはバスの中で知り合つたということを申しておつたのであります。ところが今川が十二月九日、中標津に中村屋という旅館がありますが、そこにとまりに行つた際に、玄関で村尾のくつを見まして、村尾さんがいますねということを女中に言つたという事実があるのであります。なお両名があるいは今川の部屋、あるいは村尾の部屋で密談をしたというようなところから想像しまして、バスの中で偶然知り合つた人間とも考えられない点があるのであります。また国後の方に渡航につきまして、ただ一点疑問に思われる点があるのでありますが、村尾が田島機関士に拳銃を突きつけまして、方向をかえろと言つた。羅臼から約四時間出ましたころ、方向がかわつたように思いまして、船長が驚いて田島のところに行きましたら、拳銃を突きつけられておるものですから、さらに今川のところに参りまして、その由を伝えましたら、今川も驚いておつたそうでありますが、ただ引込んでおれということであつた。その一点がいかにも疑点であります。それ以外におきましては——これは私の想像でございますが、そのほかの点につきましては、やはり向うに渡ることについて何かしら連絡があつたのではないかというようなことが想像されるのであります。十五日の会議のことにつきましても、当時の状況からして、やはり十四日中には札幌に知り得る状況であつたというようなことを私は何つておるのであります。
  237. 塚原俊郎

    塚原委員 最後に一点お伺いいたしたいのですが、これはあなたの管轄下における事件としてはきわめて失態と申しますか、大きな事件つたと思うのであります。しかもあなたは先ほど、二十四キロもあるようなところにわずか一名の警官が配置されておるというような状況にすぎず、つまり沿岸配置がきわめて僅少であつたということを痛感しておつたということを言われましたが、こういう事件が持ち上つて関係方面に対して、要望事項なり、今後の対策に対して、何か進言をされたことがありますか。
  238. 三橋珍雄

    ○三橋証人 まずこの点につきまして申し上げますが、釧路の方面隊の管内は全道の二六%を占めておりまして、国警の受持ちの管轄は岩手県とほぼ同じであります。自治体の受持ちの管轄区が千葉県とほぼ同じであります。従いまして釧路万両隊の全体の広さは、千葉県と岩手県を合せただけでございます。そうしてこの一人当りの受持ち面積が、約本州の一三・二倍の面積を受持つておる。人口の点につきましては、全国一人当りの平均の六百六十五名に対しまして、一・六倍強、そういうふうな広大な面積でありますから、相当の負担でございます。このようなことでは、ことに沿岸が長いし、すぐソ連の占領地域を指呼の間にながめるような、そういう状況でありますので、このような陣容では、隊長としては治安の保持もとうてい万全を期することができないということを痛感しておりまして、今町の警察法の改正に伴いますところの増員の計画につきましては、国警本部の方に詳細な資料を差出しまして、そうして特別の増員をお願いはしておるのであります。
  239. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 さつきあなたのお言葉では、ほかに似た者もないとおつしやつたが、この間ここで田島機関士に聞きますと、相当自信を持つて、この人に似ておると言つておるのですが、これはあなたの方はお聞きじやありませんか。
  240. 三橋珍雄

    ○三橋証人 私の方では旅館の女中に聞き、それから田島に聞き、あるいは富樫に聞いたのでありまするが、だれもが、同じ人に似てるとは言わないのであります。ある人は甲に似てると言い、ある人は乙に似てると言うので、結局つかみどころのないような本人の観察といいますか、そういうふうに了解しておつたのであります。
  241. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 いま一つ、徐祐相事件について、あなたは行方不明になつたのを尋ねておることだけ証言せられたが、そのほか関係されたことやら、知つておられることはありませんか。
  242. 三橋珍雄

    ○三橋証人 徐祐相が窃盗事件で根室町警に留置されております際の彼の陳述の内容に、自分は共産党員であつて、そうして武器の運搬をやつたというようなことがあつたのであります。それにつきまして私の方では、本人の陳述の内容が相当具体性を持つておりますが、はたしてそのような内容であるかどうかにつきまして、慎重を期しまして、彼の申しておりました関係者の線をいろいろ調査を依頼したのであります。そうしたらやはり函館方面の回答によりますと、その徐の申し立てた関係者といいますのは、相当尖鋭的な思想を持つた者であるというようなことで、根室町警の方の調査の結果によりまして、私どもの方でもそれについていろいろ裏づけの調査をやつたのであります。函館方面の関係者の捜索をしたのでありますが、その結果は何ものも出て参りませんでした。そういうようにこの事案につきましては私承知しております。
  243. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 これはちよつと無理な質問かもしれませんが、密出国を企てた者が十八名というお話ですが、これはあなたの方でつかまつた者が十六名、さらに二名が向うに行つたから、十八名と言われるのですか。
  244. 三橋珍雄

    ○三橋証人 そういうことです。
  245. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 そこでわれわれは、これ以外にないという確信があるかどうか承りたいのです。つかまつた者はわかるが、つかまらぬで行つた者がありはせぬかというわれわれの方は疑いを持つのですが、これは無理かと思いますが、どう感じておられるか。
  246. 三橋珍雄

    ○三橋証人 これはまさに無理がございますが、私の考えでは、先ほども申し上げました通りに、どこでも船が着け得るし、わずか二時間そこそこでソ連の占領地域に行かれる所なんです。従つて、一方におきましては哨戒もできませんし、また陸上からの監視もとうてい万全とは言いかねますので、そういう事案がこんりんざいないということは申し上げられません。あるいはあるかもしれませんが、ないかもしれません。こういうようなことでございます。
  247. 鍛冶良作

    ○鍛冶委員 船なんかでそれつきり行方不明になつたものはわかりませんか、拿捕されたとわかれば別ですが……。
  248. 三橋珍雄

    ○三橋証人 それはございません。
  249. 島田末信

    島田委員 今の根室とか札幌とかこういう地帯は、共産党勢力の圧力の相当強い地点であることはいうまでもないと思いますが、その点人心が、たとえば共産党勢力にある程度阿諛迎合していなければ自分のからだが危いとか、生活が脅かされるとか、あるいは取締りの上でそういつた一つの弱点を生んでいるような事実があるだろうと思いますので、その実情をちよつとお聞きしたい。
  250. 三橋珍雄

    ○三橋証人 現在の状況におきましては、一般の民衆が共産党に特におびえておるとか、そのためにどうこうというような点はないと私は考えております。
  251. 島田末信

    島田委員 取締りの上でもですか。
  252. 三橋珍雄

    ○三橋証人 私ども警察取締りの一面を通じましても、個々の政令違反というような事案につきましては、私の方ではやはり検挙して事件を送付しておりますし、また警察官が、特に共産党員の脅迫によつて執行が鈍つたというような点はございません。
  253. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 他に御質問がなければ、三橋証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。証人には遠路御苦労さまでございました。  それでは二時半まで休憩いたします。     午後一時三十三分休憩      ————◇—————     午後三時八分開議
  254. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 休憩前に引続き会議を開きます。  証人光田健輔君より証言を求むることといたします。光田健輔さんですね。  ちよつとその前にお諮りいたしますが、証人は健康を害しておいでになるので、応答の際すわつていたしたいという御希望があるのですが、これはいかがでしようか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  255. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 それではさようにいたします。  ただいまより不正入出国に関する件について証言を求めることになりますが、証言を求める前に証人に一言申し上げます。昭和二十二十法律第二百二十五号議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によりまして、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならぬことと相なつております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、証言証人または証人配偶者、四親等内の血族または三親等内の姻族または証人とこれらの親族関係のあつた者及び証人の後見人または証人の後見を受ける者の刑事上の訴追または処罰を招くおそれのある事項に関するとき、またはこれらの者の恥辱に帰すべき事項に関するとき、及び医師歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教または祷祀の職にある者またはこれらの職にあつた者がその職務知つた事実であつて、黙秘すべきものについて尋問を受けたときに限られておりまして、それ以外には証言を拒むことはできないことになつております。しかして証人が正当の理由がなくて宣誓または証言を拒んだときは、一年以下の禁錮または一万円以下の罰金に処せられ、かつ宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは、三月以上十年以下の懲役に処せられることとなつておるのであります。一応このことを御承知になつておいていただきたいと思います。  では法律の定めるところによりまして証人宣誓を求めます。御起立を願います。  宣誓書朗読を願います。     〔証人光田健輔君朗読〕    宣誓書  良心に従つて、真実を述べ、何事もかくさず、又何事もつけ加えないことを誓います。
  256. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  257. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 これより証言を求めることになりますが、証言は、証言を求められた範囲を越えないこと、また発言の際は、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。
  258. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員 実は尋問に入る前に、ちよつと異例ではありますけれども、委員長のお許しを得て一言申し上げたいと存じます。  今証人としてここにおいでになります光田君は、明治三十一年当時の東京帝大を卒業後、癩医学の研究と癩の医療に関係すること実に五十三年、その間第一区府県立全生病院長、国立療養所長国立療養所長島愛生園長と終始癩患者の友となつて日本の無癩運動に盡された功績のきわめて顕著なるもののありますことは、世界周知の事実でございます。過去半世紀にわたりまして、すぐれた癩医学者、偉大なる人道の実践者として、癩予防、救癩事業のためにたゆまぬ努力を傾けられまして、将来のその道の有能な人材の養成にも心を砕いて来られたのであります。わが国が救癩事業の推進において予期以上の成果を上げるに至りましたのも、実に光田君の超人的努力に負うところのもの多大であることを、われわれは存じているのであります。そこで実は衆議院の考査特別委員会がございました時代、私がちようどその方の小委員長といたしまして、光田君の功績を表彰してはどうかというような議が出まして、事務局の方でもいろいろ調査を進めておりましたそのさ中に、同委員会が廃止と相なりました結果、その表彰問題もむなしく消えてしまつた、こういういきさつもあるのでございます。その点、尋問に先だつて一応その事実を申し述べた次第でございます。
  259. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 証人経歴等につきましては、ただいま岡君の発言によりましてほぼ了承いたしましたので、この点はお尋ねを省略したいと思います。  証人は国際癩対策意見書なるものを厚生省に提出したことがございますか。
  260. 光田健輔

    ○光田証人 ございます。
  261. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 あればその内容を簡単に御説明願います。
  262. 光田健輔

    ○光田証人 癩は比較的文化の程度の低いところに蔓延するところの病気でありまして、わが国においては、かつては十万と称せられるところの患者がありまして、その当時政府の調査によりますと、毎年癩による死亡者が二千人と診断書に表われておりました。またその当時政府の統計によりましても、日本の全国に三万はありました。日本のみならず中国、インドにも、おのおの百万をもつて数えるところの癩患者がおりました。これらは日本を除いては、まだ一つの系統的の予防策ができていません。幸いにわが国におきましては、政府において明治四十年に癩予防法をしかれ、また四十二年に公立の療養所ができまして、その当時浮浪徘徊の徒約十二百人をその五箇所の療養所に収容を始めました。これによつてこの浮浪者は減つて来るかと思いましたところが、療養所に入るという目的のために、またその数が決して減つたとは見えないほど、熊本あるいは四国辺、あるいは関東の神社仏閣、畿内の神社仏閣等に集まつて、こじきの数がたくさんふえました。それでとうてい千二百人の収容力では足らないから、その以後年々患者を多数に入れることになりました。それで結局、政府は保健衛生、調査会というものをこしらえまして、癩の対策を練つて、三万からあるものを、千二百人でやるということはできませんから、どうしてもこれを拡張しなければならぬというので、保健衛生調査会としては少くも一万人の収容力を持たなければいけないということを、私建議いたしました。その結果、次第々々に各連合府県もさとるところがあつて、公立療養所は三千人あるいは四千人というふうに拡張されました。しかし一万人に達することはできませんで、五千人くらいにとどまつております。ここに今日崩御になりましたところの皇太后陛下、その当時の皇后陛下が、みなこの療養所に関心を持たないということを非常に嘆かれまして、全国の療養所に非常な御奨励があるようにたりましたので、上は大臣から下は庶民階級に至るまで、皇太后様の御仁慈が広くわかつて参りました。そしていろいろの御奨励があつた結果、政府においても一万床に近くするように努力された。そのうちに次第々々に一万五千人くらいに患者は少くなつたように思います。これが壯丁検査の上にも現われて、四十二年から十年間の努力というものが次第々々に見えて参りました。それでこれから一万人というところにこぎつけねばいけないということになりまして、次第次第に拡張されたわけです。ところが近年はこの目的に次第々々に近づいて参りまして、今九千人の患者が全国の十箇所の国立療養所に入ることになり、今年の六月にもなりますと、約一万人の患者を収容することができるようになりました。外におる者は千人くらいになつております。ところがここに困ることは、内地の癩患者は次第に少くなりましたけれども、朝鮮の……。
  263. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 ちよつと証人、その点あとでまたお伺いしたいと思います。ただいま御発言中に、昨日崩御あそばされた皇太后陛下の慈愛に満ちた御生涯の間に、特に救癩に関して御仁慈があつたというお言葉がありましたが、この際何か具体的に恩寵としてありがたいというような思い出がありましたら、一、二申し述べてください。
  264. 光田健輔

    ○光田証人 大正十二年の震災によつて東京市及び横浜、関東地方に非常に困つている者がたくさんできまして、そのときに皇太后陛下、その当時の皇后陛下及び天皇陛下は、何とかしてこれらの困つた者を救済しなければならぬというので、御供御、または御着物等を節約されまして、年々積み立てられたところの金が次第々々に多くなり、これをその当時の宮内省の有志に話されましたところが、これは御手元にお置きになつて、他日何とか御用に立つことがありましようから、これを国庫にお返しにならぬようにして、お手元にとりてお置きになつたがよろしかろうというような有志の献言をお用いになりまして、それから大正の御代が十四年でかわりましたが、陛下はこれ以後におきまして、次第々々にふえたところの余財を何にお用いになるかということについて、御研究あそばされたのであります。これは日本では最も割の悪いところの癩患者、家族にもきらわれ、路頭に迷つておる。治療の方法もまだ一向できない。そうしてその癩患者は、その当時はまだ外国人の四、五人の有志が、四、五箇所の小さな療養所をこしらえて診察しておつたというようなことをきこしめされて、そうして喪に服されておりましたが、ちようど御忌明けの昭和五年十一月十日に、その蓄積した資材をその当時の五箇所の療養所及び西洋人の経営し、また日本の医家の私立の療養所、この四、玉箇所の経営の資に与えられるようになりまして、年々これは下さるようになり、また各療養所の慰安施設を増強するために、慰安会というようなものが、その資材をいただいてできるようになりました。また昭和七年にはこの癩患者をあわれみてという御歌を、上は大臣から府県知事までお下げにたりまして、この日本人が捨てて顧みないところの癩患者を、何とかしてもう少しよけい収容してやつたらよかろうというようなおぼしめしがございました。そうしてあのつれづれのともとなりてもなぐさめよゆくことかたきわれにかはりてという御歌を下さつたのであります。これ以後有志は非常に癩というものに対する関心を深めて参つたのであります。それで年々拡張されるようになりました。それが近年は戦後一万人の収容力に達しましたところ、何分食糧が足らないというようなことで、療養所の患者たちも非常に苦しみまして、その当時死亡数が増加いたしまして、一旦一万人になつたものが減りまして、これが八千人からまだ減つて、六千人くらいに減つて参り、またたくさん患者がおりますが、欠員を補充するということも怠つて参りました。しかし進駐軍が進駐いたしまして、食糧等もやや楽になりまして、それから死亡数も漸次に減つて参りましたのであります。皇太后陛下におかせられては、毎年この癩の収容のことについて御軫念あそばされて、その当時十箇所の療養所ができまして、そしてその所長などを、会合のときにはお召しになつて、療養所の治療の情景等を毎年お聞きになりました。また御下賜金も外国人の経営で困つておるところに毎年おやりになる。また各療養所にも五年に一度ずつお手元金をいただき、またいろいろの御歌やら、また植物の種を毎年所長の集まつたときに下されました。あるいはまた御苑にできたところの果物や卵を下さるといつたような、毎年そういうような御下賜がありまして、患者も非常に恐懼いたしております。ことに私ども、多摩の、前には全生病院と申しまして、今は余生園と言つておりますが、その療養所におりましたときに、御下賜金を下さつたのであります。これによりまして、乳牛を一頭買うことができまして、そしてその乳を弱つたところの重傷の患者に与えるようなこともいたしまして、恩賜の牛乳と言うて、非常に感激したものであります。それ以後常に療養所のことについて御軫念あそばしたことは、われわれの喜びとするところであります。
  265. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 御仁慈のほどよくわかりました。日本の癩療養所に収容されておる韓国の癩患者について簡単にお述べ願います。
  266. 光田健輔

    ○光田証人 朝鮮人の何は、日韓併合のころ、そのときも外国人というようなことで入つた者がございますが、大正四年ごろには、ここにも表を差上げてありますが、それは収容力の三%くらいになつております。これは長島愛生園のことであります。そして昭和六年から七年と漸次に三%が三・二〇%になつたり、四・一三%になつたり、昭和九年には四・二七%というような数字になりまして、次第々々にふえて来て、四%から六%、七%というようなぐあいに、終戦のときになりますと、ずつとふえて、漸次にふえて参りました。近年非常によけいに入つて参るようになりまして、今は、昭和二十六年の四月現在では、千五百十五人の患者がおりまして、九%約一割に近いようになつて参りました。年々これはふえて来るのでありまして、これは愛生園の患者でありますが、全国の各療養所も昨年の考査委員会が開けるときに調査いたしましたときには、四百五十人ばかりでありました。今は全国の十箇所の療養所に五百人の韓国人が入つております。年々これは増加の傾向があるのであります。
  267. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 その朝鮮の癩患者は密入国の人が多いのじやないのですか。正式な手続をふんだ入国者でしようか。
  268. 光田健輔

    ○光田証人 どの辺から入るかということをまず申し上げたらば、よく御了解が行くと思いますが、朝鮮で癩のおるところは慶尚南北道、全羅南北道、この四道に約一万三千からの癩患者があるという総督府の調査があります。それから全朝鮮には二万人の癩患者がおるのであります。ところがこのころウィルソンという人が学会で報告したところによれば、朝鮮の癩患者は二万五千あるということを申しておられます。そういうようなことで、内地では一万一千人くらいになりましたが、朝鮮人はさつき申しましたように、年々内地に移動いたしますが、それが癩と言つて来るのではなくて、割合に初期に来ますから、普通の検疫官あるいは役人とかいうようなものにはよくわかりません。それで内地に次第々々にふえて参りまして、いろいろの職業に、病気でありながら従事いたしておるわけであります。
  269. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうすると、初期の関係上、これを患者として発見することができない……。
  270. 光田健輔

    ○光田証人 そうであります。
  271. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうすれば、まだまだそういうような表面に出ない患者が相当潜伏しておると思われますか。
  272. 光田健輔

    ○光田証人 そう考えます。それで現在昭和二十六年の四月の調査によりますと、療養所に五百人ほど入つておりますが、そのほかにまだ私どもは七百人、合せて千二百人ばかりはおるものと思うのです。朝鮮人の移動は一昨年は六十万と申しておりましたが、今は百万くらいは入つておるものと思うのでありますが、そのうちに……。
  273. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そういう入国の状況あるいは経路というようなものを……。
  274. 光田健輔

    ○光田証人 入国は釜山、麗水、それから木浦、その付近が癩の多いところであります。そのところから密入国者は小さな上荷というような船に乗つたりして、萩とか仙崎、下関それから福岡の諾港、そういうようなところに入つて、炭鉱にもぐるとか、あるいは荷揚げ人足になるとかいうことで、次第次第に病勢が早くなつております。その入るところの種類は、一番危険な—病気は軽いけれども、皮膚の直下の紙一重のところにある皮下に、癩病の巣窟ができるわけです。それでいわゆる結節癩というものが多いのであります。
  275. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうすると、そういう密入国して来る癩菌保持者は、もう自分は癩だということを意識しておるのですな。
  276. 光田健輔

    ○光田証人 たいがいは意識しておるのであります。
  277. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうすると、日本の癩療養の設備が相当に進歩し、完備しておるというような気持で、日本に救うてもらうという意味で来るのでしようか。
  278. 光田健輔

    ○光田証人 いやそうじやありませんでしよう。本人は生活に窮しておるのだから、内地に職を求めるつもりで来るのでありましよう。まあ療養所に入るということは、それから数年たつていよいよ困つて療養所に入る。今の五百人という者は、相当な重症の者ばかりであります。それが四、五年から十年は内地の各所に潜伏しておるわけであります。
  279. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうすると、そういう危険な病菌を持つた千人近い数の者が内地に潜伏しておるということは、まことに恐るべき事実だと思いますが、その密航して来る癩患者の取締りにつきまして、療養所側として何か要望するところがございましたら、お述べを願いたいと思います。
  280. 光田健輔

    ○光田証人 それでむろん開港検疫というようなところで、早くその専門家を置きまして、検診するようなことも必要であろうと思うのでありますけれども、これを早く看破するという方法がまだ行き届いていないのであります。もう一つは、これらの結節癩は内地に入りまして、内地の婦人をめとりまして、子供が生れる。朝鮮人の生活というものは、狭いところの室内に多数の者が寝起きをする。そしていつも昆虫—南京虫とかはえとか、のみとか、しらみとか、それから最も媒介するものはかいせんであります。かいせんを持つてつて、それがその子供にうつるわけです。それで自分の、日本人あるいは朝鮮人に生ました子供に、親の病気がうつるわけなんです。そういうような者が続々と発見されて、今の療養所に入つて参るのです。それでこのごろ入る者は、十人患者が来ますれば、そのうちの三人は朝鮮人の癩であります。それで次第々々にふえる一方であります。
  281. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 そうしますと、そういう恐るべき菌を持つて密入国をして来る者に対しまして、検疫及び密航者の密航癩の発見後の処置が現在の状態ではとうてい満足されるはずはないのですが……。
  282. 光田健輔

    ○光田証人 そうでございます。
  283. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 何か具体的なこれに対する対策でもお考えでございましたら、述べていただきたい。
  284. 光田健輔

    ○光田証人 以前朝鮮人の取締りは、かなり厳重にやられたようでございましたが、近年はどうも軽いのが初めに入つて来るからでございましよう、すぐ帰すというようなことも、このごろはゆるんでおるので、初めの、まだ日韓併合にならぬ当時は帰してもいいというようなことになつておりましたが、その後次第々々に日本の工業が盛んになり、従つて日本で発病したようなものとみなされて、療養所—そのときはもう朝鮮日本の属国でありましたから、もし癩患者を発見したときは、各療養所に入れるべしというような内務省の方針にかわりまして、それがずつと続いておるわけであります。それに戸籍等も、内地の療養所でもこれは秘密厳守ということになつておりまして、内地の癩患者でも、名前をほんとうに正当に言う者は少いというくらいになつておりますし、むろん朝鮮の患者も、言葉は日本語をよくしやべつて、また子供のときから入つておる者では、ほとんど日本人とかわるところがないから、三重県とか、あるいは愛知県などというようなところの人と一つも違わないような形になつております。それがおいおいに、これは元朝鮮から来た者であるということが、療養所でもようよう発見されるというようなことで、これを早期に見破ることは、なかなか困難なことく思えるのであります。それでさつき五百人と申し上げたのは、いろいろその身元を探り探つて、そうして出た数字であります。日本で生れて、親が癩病でうつしたような子供は、三重県人とか、あるいは愛知県人とか、あるいは兵庫県人であるというようなことで、次第々々にわからぬようになつて参るのであります。それではたして朝鮮人であるということの実証が上つたときに、これらの内地で生れたような子供も、どういうふうにしたらよかろうかということは、もう今日は疑問の中にある。
  285. 内藤隆

    ○内藤(隆)委員長代理 他に御質問はございませんか。他に御質問がなければ、光田証人に対する尋問はこれにて終了いたしました。証人には遠方どうも御苦労さまでございました。  本日はこれにて散会いたします。     午後三時四十九分散会