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田中証人 一応
収容所内の全般の空気をまず御説明いたしたいのでありますが、
送還船が出ることが間近に迫
つて参りますると、たいていの強制
送還者は帰りたくない者が多いのであります。特に朝鮮の動乱以後、朝鮮に
送還されました際に、向うで徴兵されるとか、あるいは悪質な、ことに徴兵忌避のために
日本に行
つた、すなわち
韓国を密出国したという者については、かなり向うでも取調べなり、処罰があるといううわさでありまするが、そういうことも手伝いまして、
送還船が出る前には、収容者は
送還をいやがりまして、非常に
収容所内の空気が険悪になるのであります。これはいつもそうでありまして、昨年の十二月の十日過ぎに出しました際も、私は現地に行
つたのでありますが、私自身も代表者等から、たびたびつるし上げに近い
陳情攻めにあ
つたのであります。そういう空気がいつも起るのであります。ちようど二月の終りにも、二月二十八日に
送還船が出るということになりまして、それが
収容所内に伝わりますと、いろいろと強制
送還を忌避するために逃亡を企てる者とか、あるいはいろんないやがらせをやるというふうな
事件が続出してお
つたのであります。ちようどそのとき、二十四日であ
つたと思いますが、面会人が参
つたようであります。その面会人に対しましては、
送還船の出る前で非常に
業務が混雑してお
つたために、時間を三十分に制限をして、面会を許した。さらに面会の場合は、
日本語を
使用することをいつも希望しておるのでありますが、この際は三十分の時間を超過しても面会を終らない。さらに途中で朝鮮語で話をするというふうなことがあ
つたために、
警備官が再三注意をした模様でありますが、かなり時間が超過したために、面会の時間の打切りを申し渡しまして、収容者を
収容所内に追い返したわけなんです。この際に収容者が非常に憤慨をいたしまして、ばかやろうとか、いろいろ罵詈雑言を用い、さらに
収容所内に入る際に、
警備官をけり上げたというようなことがあ
つたようであります。これに対しまして
警備官も、若い
警備官であ
つたために、
警備官の権威を傷つけられたというか、どうもこういうことでは
収容所内の秩序が保てないというので、当日の午後にな
つて、その
収容所でそういう罵詈雑言をしたり、暴行を働いた者に対して説明を求めたらしいのでありますが、この際けんかになりまして、そこで
警備官と収容者との間に乱闘騒ぎが起
つたのであります。この乱闘騒ぎが
収容所内に伝わりまして
——収容者は当時約五百名お
つたのでありますが、若い収容者約二百数十名が、これに対して
警備官の謝罪あるいは
収容所長の辞職その他を要求した騒ぎが起
つたのであります。当時
収容所長は公務のために
福岡の方に主張してお
つたので、次長がこの中に立ちまして、数時間にわた
つて努力いたしました結果、ようやく円満に解決いたしました。私その
事件を耳にいたしましてすぐ現場に急行いたしたのでありますが、私が参りました二十八日の朝には、もう全部平静に返
つてお
つたのです。
送還船は二十八日の予定でありましたのが、
司令部の
韓国側との
連絡の
関係上二日遅れまして、三月の二日に出て行
つたのであります。この際私も
送還者の帰るのを見たのでありますが、全部きげんよく、何らの事故もなしに
送還を終了いたしたようなわけであります。大体以上のような経過であります。