○金子
委員 この
社会福祉事業法案は、今まで多岐にわた
つておりますところの
各種の
社会事業を実行して行くにあたりまして、これをより整然と完璧を期するような方向に持
つて行くための
法案でありますので、
法案自体のあり方としては問題はないのでありまするが、ただこの
法律を今後
施行して行きます上に、二、三要望を申し上げたいと思います。
まず第一にこの
法律施行にあたりまして
考えなければならぬことは、最初に出発しました
民生委員の時代から、だんだん
制度化されて参りましたので、そこに
一つの特徴も見出されるのでありますが、同時に月並に言いますならば、官僚化して来る、こういうふうなきらいが出て来ると思うのであります。そこで今後
民生委員の問題が、再び取上げられなければならぬような段階に来ると思いますが、そのときに
民生委員の働く領分と、それから今度の
福祉法案によりましてできましたこの
福祉事務所の機関とが、密接な活動ができるような組合せをしてほしい、そうでありませんと、官僚的とは明文にはないけれども、実質上そういうふうな運用になりまして、もちろんか
つての
民生委員の
仕事の過程におきまして、一面必要以上の情実だとか、いろいろの弊害がないではないかということを私は認めますけれども、しかしながらまた役所へ行
つて物を言うことよりも、自分たちの代表に言う方が言いやすい。この人たちの要求があまりいい問題を取上げるのではないので、はずかしいという必要はないけれども、実際上そういうふうな問題を取上げる
事業の性質からいたしまして、か
つての
民生委員のよか
つた点を十分活用して、今度の
事務所と協力して、一体にな
つてこの成果を上げてもらえるように、今後
考えてもらいたい、これが第一点であります。
それからこれは具体的な問題ではありませんけれども、最近社会保障の問題について、特に
全国のこの種の
事業団体の
事業状態を見ましたり、あるいは民主主義というものが非常にやかましく言われて、
憲法第二十
五條による
生活の保障ということを取上げてからの、社会的な傾向として
考えなければならぬことは、食えないことが国民の
一つの権利だ、病気に
なつたことが国民の権利だ、こういうふうな傾向がややもすると出つつあるわけであります。これはたいへん間違
つたことでありまして、たとえば
生活保護法によ
つて保護されているというようなことは、なるほど
憲法からい
つたら権利であるけれども、一面道義的には、自分は不幸にしてこういうふうな状態にな
つて国費を使
つているが、いつかは自分は再びそういう人たちを助ける立場に行かなければいけない、これは大きな社会的な道義的な借金だという
考え方を持てないようであるならば、国費を何ぼ使
つても、この
社会事業というものは満足に行かないのであります。でありますからこれを運用する上に、今の傾向がだんだん進ん参りまして、病気することが
一つの権利であ
つたり、貧乏であることが国民の
一つの権利であるかのような主張をされて行くようになりますと、これは非常に問題が大きくな
つて来る。こういうことを私は常に心配をしておるのであります。でありますからそうしないのにはどうしたらいいかというと、その組織をなるべくお互国民同士がよく監視し合える平たく言うならばあの人は
生活保護法によ
つてや
つているけれども、ある人た
ちよりもおれの方が苦しいないしはこちらの方が苦しいということは、
事務所の調査よりも常識的に近所の人が一番よくわかる。その点からい
つてこの
運営を
民間的にすると、その弊害が少くな
つて来る。これを役人の方に頼みさえすれば、
一つの
制度によ
つて自分が恩典に浴するのだ、それが国費だということになりますと、社会連帯の道義感というものが、非常に低くな
つて来るのであります。その点ほんとうから言いますならば、
地方自治体で、こういうふうなものも比較的多くの角度を持ちたいのでありますが、それは財政的に許されないのであ
つて、これを国費というものに依存する分を経済の面で多くしたい。しかしながら国費の面で大きく依存いたしますと、国の費用を使うということに関しては、そこに社会連帯の
考え方がだんだん低くなる。この二つの矛盾がありますので、これは
当局が今後この
事業の
運営にあた
つて、
民間の監視と
民間の意思ということを、できるだけ多く入れることによ
つて、だんだんその弊害が取除かれるのだ、こういうふうに私は
考えておりますので、この
事業の
運営上、
一般の国民の
考え方から離れて、そうして官僚的な方向へ行くきらいがありますので、それをくれぐれもそう行かないように、
運営上の万全の策を講じていただきたい、こういうことをお願いしまして賛成したいと思います。