運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1951-02-16 第10回国会 衆議院 海外同胞引揚に関する特別委員会 第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十六年二月十六日(金曜日)     午後二時二十四分開議  出席委員    委員長 若林 義孝君    理事 池見 茂隆君 理事 受田 新吉君    理事 高田 富之君       青柳 一郎君    小川 平二君       門脇勝太郎君    北川 定務君       佐々木秀世君    庄司 一郎君       玉置  實君    中山 マサ君       細田 榮藏君    小林 信一君       今野 武雄君  委員外出席者         法務府事務官         (特別審査局次         長)      吉橋 敏雄君         外務事務官         (管理局引揚課         長)      武野 義治君         参  考  人         (日本帰還者同         盟委員長)   小澤常次郎君         参  考  人         (日ソ親善協会         会長)     菅   道君         参  考  人         (民主主義擁護         同盟事務局長) 和田 敏明君     ————————————— 本日の会議に付した事件  海外胞引揚に関する日ソ親善協会外団体の  国際連合総会に対する要請問題     —————————————
  2. 若林義孝

    若林委員長 これより会議を開きます。  本日は海外胞引揚に関する日ソ親善協会外団体国際連合総会に対する要請問題を議題といたしまして議事を進めることにいたします。  海外帰還同胞の問題は、終戰後五箇年有余にわたる今日、いまだに未解決のままになつており、各界ともこの問題の解決については多大の努力をいたしておるのでありますが、先般この問題が第五回国際連合総会において討議せられるに至り、この解決に一道の光明を見、希望を新たにするに至つたことはわれわれのみではありません。国際連合における未帰還者問題討議に際しては、非公式オブザーヴアーとして、中山マサ君外二名の国民代表わが国より出席してつぶさにその状況を見て参つたのであります。その状況は先日の委員会において詳細に聽取いた上、大体明らかになつております。本委員会といたしましては、このように、この問題が広く国際的に平和的に解決せられる運びに進んだことを喜ぶとともに、この国連総会討議の際に、日本帰還同盟日ソ親善協会及び民主主義擁護同盟の三団体より同総会に提出されました引揚げ問題に関する懇請について多大の関心を持ち、これについて調査するため、三団体責任者参考人として来ていただき、この実情を聽取することにいたした次第であります。本日の参考人方々は、日本帰還者同盟委員長小澤常次郎君、日ソ親善協会会長菅道君、民主正義擁護同盟事務局長和田敏明君の三君であります。  この際委員会の運営についてお諮りいたします。参考人より実情を聽取いたすことについてでありますが、初めに委員長より概括的に質問をし、その後で各委員より尋ねていただくことにいたしたいと思いますが、御異議ありませんか。
  3. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 中山委員が二時から他の用件があるそうでありますが、すでに二時を経過しております。それでせつかく中山さんが向う行つて来られての質問でもありますから、中山委員に先にやつていただいて、それから委員長に行き、その次に各委員に行くという順序にやつていただきたいと思います。
  4. 若林義孝

    若林委員長 佐々木君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  5. 若林義孝

    若林委員長 それでは中山委員より質問を許します。
  6. 中山マサ

    中山委員 前からの約束がありましたので、かつてでありますが、先にやらしていただきます。  民主主義擁護同盟事務局長和田参考人にお尋ねをいたします。この資料の一番下を見ますと「首相抗議」というところに「尚右三団体代表は、十月七日デマ使節非公式オブザーバー云々のことについて反対したということがございますが、あなたのお考えになつております民主主義とはどういうものかということをまず先に聞かしていただきたいと思います。
  7. 和田敏明

    和田参考人 そういうことならいくらでもお答えしますが、しかし私どもはそういうことできよう参考人として呼ばれておるのではないのです。一体われわれが国連総会に向つて日本引揚げの妨害をしたかどうか、この点であなた方はきよう私らを参考人として呼ばれておるのだと思う。小学校の子供ではあるまいし、民主一義の考え方など——私は街頭で大衆諸君に向つてなら、民主主義の講義を一時間でも二時間でも、いくらでもやりますよ。しかしあなたから聞かれて、どう考えておるかというような、そんな侮辱した質問などに答えられるものではない。
  8. 中山マサ

    中山委員 それでは申し上げますが、私の考えております今の日本国内における民主主義というものは、国会というものがありまして、そこで昨年五月二日、この国会決議によりまして、この問題が国連に提訴されたのであります。そこで私の考えます民主主義政治というものがもし正しいものであるとしたならば、いわゆる五月二日に参集両議院において国連へ出すということが決議されて、これが通りまして、その結果として私ども一名が選ばれて向うに行くようになりましたのに、なぜここにデマ使節というようなことを出してあるのでございましようか。そうしたならば国会そのものがすでにデマの根元をなしておるということになる。そこに民主主義についてのあなたのお考え方をまず聞かせていただきたい理由があるのでございます。決して侮辱ではございません。私がそういうことをお尋ねするのは、デマということがありますから、これは国会決議によつて派遣されたる私どもにつけられるところの形容詞であつてはならないというところから、私はまずその御認識がいただきたいということを申し上げるのですが、あなたのお考えになる民主主義とはどういうものか聞いて大たいのであります。
  9. 和田敏明

    和田参考人 この「首相抗議」というところは、何も国際連合へ要請した文書の中ではないのですから、実はわれわれはこんなものにお答えする必要はないのです。これは実は「ソヴイエト・ニユース」というニユースに書いてあることであつて、何もこんなことに私が責任を持つてあなたにお答えする必要はないのだ。しかしせつかく言われたから言つておきますが、もちろん国会決議通つたことですから、あなた方が行つておつしやるのはよろしい。しかし日本大衆の中にはあなた方と違つた考え方を持つておる人もいるということをわれわれが国連に通知することは、これまたわれわれの自由であります。許された自由であります。そのことをあなたは考えなければいけない。一体民主主義々々々々というけれども民主主義というものはあらゆる立場を尊重するのが民主主義である。ところが共産主義に対する民主主義というのが、あの外交白書に現われた自由党の考え方であるが、共産主義社会主義自由主義も、すベての主義を認めて、お互いの立場を尊重し合うのがほんとう民主主義である。あなた方が言うように、上に形容詞をつけた西欧的民主主義というものは私は知らない。ほんとう民主主義というものは、あらゆる立場を謙譲な気持で大いに尊重してやつて行くものだ。私はそう思つておる。少し私はしやべり過ぎたようだが、ほんとうはこんなことに答える必要はないと思う。その点委員長はつきりと、きようわれわれを何ゆえ呼んだかということを検討していただきたい。
  10. 中山マサ

    中山委員 デマ使節でありましたならば重大問題であると私は考えるのであります。そうでありましたならば、私ども行つてして来たことも一つデマの結果になろうかと思うのであります。今おつしやいました共産党もなるほどおります。それからまた国会の中にも共産党がいらつしやるのであります。しかし、民主主義政治というものはいわゆる多数政治でありますがゆえに、三十五名の共産党の方がいらつしやいましたけれども、ここにおいてその決議案通つたのでありますから、その多数によつて決定されたことを遵奉して行くというのが真の民主主義政治のいい点であろうと思います。にもかかわりませず、国家国民からもらつたなけなしの今の中から送つた使節に対して、反対行動をとるということは、これは民主主義の結論に対するところの一つの反抗ではないか、こういうことを考えているがゆえに申し上げるのであります。もし共産党国会の大多数になつて、私ども少数党になり、そして共産党の方のお考え通つた場合には、私どもも当然それに従うのが民主主義の行くべき道であろうと考えておりますがゆえに、私はこういうことをお尋ねしたのであります。  次にタス通信がこの問題を発表したということをよく言われておるのでありますが、連合国のシーボルト氏に言わせますと、タス通信というものを自分たちはとらない。なぜならば、もしこれがいわゆるソ連政府発表であるならば、連合国マツカーサー元帥のところにこの報告が来て、外交部に伝わつたときに初めてそれをソ連の正当な発表だと自分たち考えている。こういうことでございますので、タス通信ということを国連でもいつも申されましたけれども、私どもはこれを信用しかねている次第であります。しかも私が委員長になりました初めてのときにも、タス通信の五月何日でございましたか、その中には死人の数が一人も出てないのでありまして、そこに、私がたとい公の代表でなくても、これを信用することができない理由があるのだということを決議案の中に織り込んだことを記憶いたしておりますが、はたしていかがでございますか。この三団体の方は無條件タス通信を御信用になつておるかどうか、もし御信用になつておるといたしまするならば、その死人の件についてはどう考えていらつしやいますか。これは何も私はこれを御三人の方々に聞いてみて、侮辱をしようとか、あるいは恥をかかせようという意図があるのではございません。開会前にも共産党の方とお話ししたように、何とかしてこの問題を早く解決して、そうして留守家族に対して、あきらめるべきものはあきらめさせ、もし帰つて来る者があるならば帰つて来させ、そういうことによつて国内の不安をしずめてやりたい、こういう女としてのいわゆる母親の気持を持つて私はこの問題について行動しておるのでありますから、その点はどうぞ御安心の上でお話を願いたいと思います。
  11. 小澤常次郎

    小澤参考人 まず第一に、タス通信信用できないというふうに言われましたが、タス通信の中には、「ソヴイエト領土から日本人捕虜送還を完了する期日に関し、さきに対日理事会ソヴイエト代表あてに問合せがあつたので、ソヴイエト同盟内閣会議管轄下にある捕虜引揚げ事務局はこの際次の通り発表する必要があると認める。」というふうに書いてあります。従つて、これがソヴイエト政府発表でないというようなことはどこから出て来るのか私には解せない。この意味で私はこれを信じます。それから死者の問題についてでありますが、タス通信をずつとよく読んでみて計算されると、大体その輪郭が出て来るのではないかと思うのであります。事実上これは死者として発表しておりません。従つてわれわれには不明の数字として出て来るのでありますが、今まで発表されたタス通信を分析してみますと、まず第一に捕虜総数、元日本軍将兵五十九万四千人、現地釈放七万八百八十人、差引入ソ人員五十二万三千百二十人、そうして一九四六年十二月から一九四九年五月までの送還数は四十一万八千百六十六人、一九四九年五月一日現在の残留者九万五千人。このうち戰犯及び調査を要する者を除き送還することを発表したのであります。これは一昨年の五月一日であります。この入ソ人員より送還済みの数と残留者の数を減じますと、不明者が九千九百五十四名、その後一九四九年五月一日から一九五〇年四月二十日までの最後引揚げの期間の送還者数は九万二千二百四十三人であります。タス通信の一九五〇年四月二十日の発表によりますと、送還者五十一万四百九人、残留者一万二千七百十一人、この内訳が発表されております。受刑並びに調査中の者が一千四百八十七名、病気治療九名、中国引渡し九百七十一人、計二千四百六十七人、残留者より二千四百六十七人を減ずると一万二百四十四人の不明者が残るのであります。この不明者に対してソヴイエト側の説明がなされていないので、これが何であるかということは断言できないのでありますが、もしも死亡者云々ということを考えるならば、あるいはこれを死亡者と推定することができるのではないかと思うのです。その数は総数の一・九%に相当しております。そしていろいろソ同盟において虐待されたというように言われておりますが、職後の日本死亡率は一・七%であります。ソヴイエトにいる約五箇年近い間に一・九%の死亡者があつた、これは平均です。しかし昨年度の九万五千人に対してわずか二百九十人であります。これは〇・三%という非常な低率を示しております。こういつた数がタス通信発表の中からだけでも出ますから、あるいはこの数字死亡者数字ではないかと私たち考えております。
  12. 若林義孝

    若林委員長 中山君に申し上げますが、今日は証人の考えておられることを聞く程度にとどめておいていただいて、討論めいたことは後日にまたおいでを願つてする場合があると思いますから……。
  13. 中山マサ

    中山委員 そこで病人についてもタスは九名と発表していたにもかかわらず、最後の船で帰つて来た者から聞きますと、百八十名の病人ホール病院にいるということでありますが、この点の食い違いはどういうふうに御説明していただけますか。
  14. 小澤常次郎

    小澤参考人 ホール病院というのは、ハバロフスクの近郊にある病院であります。この病院最後には引き拂つたということを病院から帰つて来た人から聞いております。従つて全部帰つて来ているものと私は思います。
  15. 中山マサ

    中山委員 もう一つお尋ねしたいのでございますが、すべて発表になつた者以外の人は帰つて来ているということがここに出ておりますが、ほかの引揚げて来た者はまだ多数日本人を確かに見て来たと言つております。そして五人の家族を連れて必ず最後の船で帰つて来るであろうと、その前の船で帰つて来た人が言つておりましたその人たちが、戰犯でもなし、別にいろいろな事情もないにもかかわらず帰つて来てない。その人の家族の人に私どもは舞鶴で会つたのであります。そういうことから私どもタスに対する信頼感が薄れているのでございますが、絶対にあとにそれ以外は残つていないということになつておりますか。
  16. 小澤常次郎

    小澤参考人 私は一昨年の暮れに帰つて来たのであります。いわゆる戰犯、あるいは戰犯調査のための参考人以外の者が帰つて来る最後の船であります。従つて私の帰つて来るときには、私たちのいた地区その他は全部帰りましたし、そのあとが残つているとは思われないのであります。そういう証言をなされた方があつたとしても、実際どこに日本人がいるのか、そういうものはずつと汽車の中から見てわかるものではないと思うのであります。何を根拠としてそういうように言われるのか、私たち向う生活した者から見るとちよつとわからないのです。ただ地区全体として引揚げが完了することはわかるのであります。従つてそれぞれの地区のことに明るい人たちに聞けば大体そういつた状況がわかるのであります。たいがいのあれでは、そういうソ同盟の中に、あそこに何名、ここに何名残つているということがわかるような状況の中にありません。
  17. 中山マサ

    中山委員 これで私の質問は打切ります。
  18. 若林義孝

    若林委員長 ただいま中山委員の発言が終つたのでありますが、概括的に団体性格、あるいはその活動状況などについて簡單に委員にわかるようにお話を願うことにいたしたいと思います。まず小澤さんから日本帰還者同盟性格活動状況、その他についてお話を願います。
  19. 小澤常次郎

    小澤参考人 日本帰還者同盟は、その前にソ連帰還者生活擁護同盟として発足しまして、九四九年の十月に日本帰還者同盟と名前がかわつたのであります。その当時の会の規約について言いますと、 一、この同盟ソ連帰還者生活擁護同盟といい、事務所は東京都内におく 二、この同盟ソ連地区残留同胞帰還促進帰還者留守遺家族生活擁護のために力を合せて活動日本の真の民主化と永久の平和を確保することを目的とする 三、この同盟はこの目的のため次の仕事をする  イ、残留同胞を速かに帰還させるよう努力する  ロ、留守家族国民残留者の消息を紹介通信等の相談に応ずる  ハ、帰還者の職業や住宅の斡旋を行いその他の生活擁護にあたる  二、帰還者国内事情紹介するために講演会座談会研究会等を開く  ホ、抑留生活の肉情を紹介するために報告会座談会その他の催しをやる  ヘ、留守家族遺家族生活を擁護するため活動する  ト、この為に政府関係当局と交渉する  チ、この運動を全人民運動とするために各民主団体との連絡提携をはかる  リ、このほか目的を遂行するために必要な仕事を行う  これがソ連帰還者生活擁護同盟の発足したところの趣旨であります。日本帰還者同盟も現在このような趣旨をもつてつております。但しこのうちソヴイエトからの帰還は一応完了したものと思つておりますが、全般的に未帰還者がある実情でありますから、われわれはそれに対しても促進するために努力をしております。
  20. 若林義孝

    若林委員長 構成人員はどのくらいありますか。
  21. 小澤常次郎

    小澤参考人 帰還者同盟は今の目的から行きましても生活擁護団体でありますから、会の性格からいつて、明確に会員のために何をするというふうなことではなくて、帰還者自身並びにその家族あるいは遺家族というようなものに対して、その全般的な利益をはかるためにやつておりますから、明確なそういつた会員数は私のところではわかりませんが、大体今までに入会した者は約八万くらいおります。
  22. 若林義孝

    若林委員長 資金関係関係はどうですか。
  23. 小澤常次郎

    小澤参考人 資金は大体会費でもつてつております。
  24. 若林義孝

    若林委員長 その会費を納めている人は今幾らくらいおりますか。
  25. 小澤常次郎

    小澤参考人 その状態は今私どもにはよくわかりません。
  26. 若林義孝

    若林委員長 会費はどのくらい入つておりますか、大体の概要を聞いているわけです。
  27. 小澤常次郎

    小澤参考人 私がきよう参りましたのは、大体国連に出した問題についてであります。
  28. 若林義孝

    若林委員長 しかしあなたは団体のお世話をしておられるので、われわれとしてはどれほど有力な活動をしているかということを知りたいために、会員が八万で、その会員資金を出していると言われるのですから、大要は大体おわかりだろうと思うので聞いてみたのです。
  29. 小澤常次郎

    小澤参考人 そういうことはわかりません。  それから活動状況や何かについては、私たちはむしろ援護庁あるいは外務省その他に引揚げ問題については再三お伺いをして、引揚者の要求その他を提出しておりますし、それからこの会則に書いてあるような仕事についてもやつているわけであります。
  30. 若林義孝

    若林委員長 それでは次に日ソ親善協会菅道君から日ソ親善協会のことについて伺いたいと思います。
  31. 菅道

    菅参考人 日ソ親善協会概要について申し上げたいと思います。  ここに協会規約がございますので、その目的を読み上げますと、「本会の目的日ソ両国相互理解親善を計り、日本民主化を進め、あわせて世界平和を守りぬくことにある。」こういうふうにうたつてございます。  まずわれわれの発足した経緯を申し上げますと、敗戰日本ほんとうに自主的な平和な国として新しく立て直すためにはどうしなければならないかということは、だれもが考える問題だと思うのであります。それにはまず第一に世界のあらゆる国々の民主的な人々と手をつないで、親密に提携して行くことが望ましいことと考えるのでございます。わが国の地勢の上から見ても、地図を頭の上に思い浮べるならば、大きなシベリヤ大陸朝鮮中国というふところの中にわずか四つの島が囲まれているような状態にございます。まずわれわれはさき目的を達成するためには、これらのソヴイエト朝鮮中国と最も緊密な連繋をはかつて行かなければならないのであります。しかしこれは、日露戰役後日本国民の感情というふうなものには、ややもするとソヴイエトに対しての理解が薄いのであります。われわれはイデオロギーの問題を別にして、ただ生き抜く日本ほんとう平和国家として伸びて行くためには、ソヴイエトとの連繋なくしてはとうていあり得ないというふうに考えるのであります。そういう意味から、ほんとうソヴイエト人たちとかたく手を握り、文化の面におきまして、あるいは産業の面におきまして交流をし、そして日本を立て面さなければならないと考えまして、そう考え人たちが集まりまして、一九四九年の四月にこの結成大会を開いたわけであります。その後どういう活動をしているかと申しますと、組織といたしまして、普通の民主団体と同じように、大会理事会常任理事会事務局というものがございまして、この中におのおの担当を設けてやつているわけでございます。活動の目標とするところは、綱領にはつきりと申し述べてございます。  一、ソ同盟の真実を広く伝え、反ソデマを粉砕しよう。  一、広く日ソ文化交流をはかろう。  一、日ソ両国通商貿易を促進しよう。  一、ソヴイエト人民と提携して世界平和と民族の独立を守ろう。  こういう綱領従つてわれわれは活動をしております。日ソ両国文化交流の問題につきましては、図書資料の交換、劇団、楽団の招聘及び派遣、これは実現しておりません。対ソ視察団、留学生の派遣等ソヴイエト同盟研究紹介研究会、講座、講演会座談会懇談会映画会音楽会写真展、レコード・コンサート、幻燈会というふうなものをやつております。あるいは映画音楽、演劇、写真展美術展、それから巡回講師団派遣というふうなこともやつております。それから生活文化の面につきましては、生活文化紹介、普及とその事業化、それからソヴイエト関係文化施設の設立と経営、ソヴイエト研究所ロシヤ語学校講習会、図書館、読書室ソヴイエト文化展覧室、こういうものをやつております。それから貿易の面に関しましては、日ソ貿易促進協議会というふうなものをつくりまして、特にその方の関係のございます業者の方々をお招きしていろいろ相談し、なお代表部貿易の方の関係連絡をいたしまして、再三にわたり、たとえば日本からみかんの輸出の問題、あるいはするめの問題、あるいはそのほか船、漁船の問題、こういうふうなものを取上げ、向うからは石炭、木材、パルプなどをバーター的にやるような、貿易に関する努力もしております。そのほか機関紙などいろいろ出しておりますが、ソヴイエト二ユース、あるいは月刊ソヴイエト月刊ロシヤ語ソヴイエト映画というふうなものを刊行いたし、これらを通じてほんとうソヴイエト実情日本人々理解せしめ、その理解の中からソヴイエト人々とかたく手を握つて日本の新しい立て直し、平和な自主的な国に立て直すということにわれわれは努力して参りました。
  32. 若林義孝

    若林委員長 構成人員はどのくらいですか。
  33. 菅道

    菅参考人 われわれの組織は各都府県支部がございます。この支部規約の上から、五人以上をもつて支部とすることになつておりますので、最低限五名の所もございます。二、三十人、あるいは二、三百人という支部もございます。また大きな支部がたくさんございます所は、都府県連合会があつて連合会がその支部をとりまとめる。連絡あるいは事業をやる構成人員につきましては、特にわれわれは団体等規正令によつて届出をしなければならぬ団体でもないので、お答えしなくてもよいのじやないかと思いますが、別に隠す必要もございませんから申し上げておきますけれども、大体一万四千程度であります。これは帰還者同盟と同じように、全体の把握がきわめてむずかしいのでございます。従つてこの数字は決して正確なものではございませんが、一万四千程度というふうに考えております。
  34. 若林義孝

    若林委員長 次に民主主義擁護同盟事務局長和田敏明君から、同盟の構成その他について概括的な説明でけつこうでありますから、お願いいたしまする。
  35. 和田敏明

    和田参考人 民主主義擁護同盟は大体六つの綱領を持つております。すなわち一、基本的人権と民主主義を擁護する。二、人民大衆生活の向上と安定をはかる。三、平和産業と民主文化、教育を発展させる。四、講和條約を早め、日本の完全独立をはかる。五、フアシズムに反対し、あくまでも平和を守る。六、すべての世界の民主的勢力と提携する。こういう六つの綱領のもとに、日本におけるすべての民主的な労働組合や農民団体民主団体の共同職線の戰線体であるのが民主主義擁護同盟であります。一九四九年の七月二日に発足いたしまして、当時は千百十三名を結集したとわれわれは見ていたのであります。そこでこれが結成以来、いろいろと民主主義を擁護するための共同的な闘いを展開して参りました。日本の憲法やポツダム宣言において、日本人民の基本的な人権と民主主義の原則が確立されておるにかかわらず、この原則を蹂躙しようとする勢力が国内にあるのであります。従つてそういう反民主的な、基本的人権を無視しよりとするような勢力に対して、反対のあらゆる勢力を広範囲に結成しようとするのがわれわれ同盟目的であります。今の六つの綱領でもおわかりのように、この綱領のもとにお集まりになる方々は、たといその方が自由党や民主党の方であつても喜んで参加してもらうという広汎な、日本民族の独立と自由を守るための民主民族戰線の共同戰線体がこの民主主義擁護同盟であります。
  36. 若林義孝

    若林委員長 大体委員長から三団体の外郭についての御説明を承つたのでありますが、より微細な点に関して必要がありましたならば、御質問願います。佐々木委員
  37. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 ただいま三人の方からいろいろ団体の御性格を承つたのでありますが、その御性格あるいは団体の構成において、まだ私の納得の行かない点がありますので、お答えを願いたいと思います。こういうことは、先ほどから参考人方々から、必要ないじやないかというお話でありますが、私たちといたしましては、この妨害した、しないというようなことばかりじやなく、いわゆる国連に対して、三団体方々からそれぞれの引揚げ問題に対しての考え方において要請をされたということでありますので、これが妨害であつたか協力であつたかということか全国民の話題になつておることは、当然であります。それに対してわれわれ引揚委員といたしましては、どこまでも皆さん方参考人の意見を聞きまして、これを明らかにするということが使命であります。同時にこの三団体がどういう団体であるか、どういう構成であるか、こういう大きい団体からこういう要請があつたのだ、この団体はこういう性格であつたからこういうことがあつたのだということを知らせるためにも、あるいは国連に出した文案以外のことをお聞きすることも決して不必要なことじやない、それを国民の前に明らかにすることが必要だと思います。ですから、できるだけ私も議論めいたことは申し上げません。ただ皆さんの考え方を率直に承りたいのであります。  まず小澤君にお尋ねいたしますが、あなたの方の日本帰還者同盟会員は、先ほどのお話では約八万名ということでありました。八万名の意見を代表するということになれば、これはよほど大きな団体でありますので、その声を私たちは決して軽視することはできないのであります。先ほど委員長から、その会が八万名をもつてどういう活動をしておるかということのお尋ねがあつたのでありますが、たまたま会費のことについてお尋ねがあつたときに、はつきりしたお答えがなかつた。われわれはこういう八万名の団体がどういう経費によつて動いておるかということも、やはり一応国民に知らせる必要があるのじやないかと考えます。そこでたとえば一箇月十円ずつ会費をとつたところで、一年間には一千万円になります。こういう費用と会員を持つておるものならば、なるほど大きな意見を代表する団体だということを国民は納得するだろうと思いますので、この八万名の方々がはたしてどのくらいの会費によつてその会を維持されておるか、それを承りたいと思います。
  38. 小澤常次郎

    小澤参考人 私は帰還者同盟性格についてちよつと説明をしたのでありますが、ソ連から帰つて来た帰還者がどのような生活状態にあるかというのです。これは帰つて来て、生活は保障されていません。舞鶴で旅費をもらつて……。
  39. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 待つてください。
  40. 小澤常次郎

    小澤参考人 四年も五年も向うにおつたのです。そのときの帰還の金としてわずか三千円かそこいらしかもらつていないわけです……。
  41. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 私はそういうことを聞いているのではない……。
  42. 小澤常次郎

    小澤参考人 いや、それから説明しなければわからない……。
  43. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 必要以外のことを私も聞きませんけれども、必要以外のことをお答え願わなくてもいい。
  44. 小澤常次郎

    小澤参考人 これから説明しなければわかりません。
  45. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 われわれ委員が聞くためにあなた方を呼んでいただいたのであつて委員が聞こうとする以外のことをあなた方から発言してもらうためにここへお呼びしたのではない。
  46. 小澤常次郎

    小澤参考人 それを説明しなければわからない。
  47. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 私はわかる。
  48. 小澤常次郎

    小澤参考人 あんたはわかるかもしれないけれども、ほかの者がわからない。
  49. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 私が聞いているんだ、それに答えてもらいたい。
  50. 小澤常次郎

    小澤参考人 あんたは日本国民みなに明らかにしたいと言つたではないか。
  51. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 私の聞こうとする以外のことを明らかにする必要はない。
  52. 若林義孝

    若林委員長 要点のみを今三君から聞いているのですから、その要点のみを言つてください。私が先ほど委員長として聞いたのは、大体一年の予算がどのくらいか。活動するためには金がかかる。その会費はどこから来ているかということについて聞いているわけです。
  53. 小澤常次郎

    小澤参考人 それは説明をします。今申し上げたように、ソ連で四年も五年も暮して帰つて来た者が二千円か三千円の金で、就職も住居も世話しません。被服だつて舞鶴でもつて軍服の余りを少し二、三着くれたくらいのものです。こういつたものが日本に帰つて生活のどん底においてどうして生活を守つて行くか。ポツダム宣言を維持するために……。(「それだけでもいいじやないか」と呼ぶ者あり)
  54. 若林義孝

    若林委員長 そういうことを聞いているのではない。
  55. 小澤常次郎

    小澤参考人 待ちなさい。とにかくそういう人たちが集まつてできている会でありますから……。(「発言中止」と呼び、その他発言する者多し)だからこの会の性格から言つている。八万という人は生活に困つている人たちが多いので、事実この人たち会費を納めているとは言いません。だから会員人たちが各府県、各市町村においてみな集まつて自分たち生活を守るためにやつているわけです。
  56. 若林義孝

    若林委員長 そこで佐々木君の聞こうとするのは、一年間にどれだけの会費が集まつているか、どれだけ使つているか、この要点を言えばいい。あなたの言うようなことは知つているのだ。
  57. 小澤常次郎

    小澤参考人 従つて月に二十円の会費をとつてやることになつておりますが、そういつた生活のどん底に——政府の無能によつて生活の困つている人たちがやつている以上、この金はなかなか集まりません。従つてみんなほんとうに自分の余暇をもつてつております。
  58. 若林義孝

    若林委員長 余暇をもつてつておる人数はどのくらいですか、あなた一人がおやりになるのですか。
  59. 小澤常次郎

    小澤参考人 それは全国的に何十万かの人がそうやつております。
  60. 若林義孝

    若林委員長 それはおかしい。
  61. 小澤常次郎

    小澤参考人 だから言つているじやないか。会員というものははつきりしていない。これは団体性格を説明しないとわからないから、説明しているのです。それ以上答える必要はない。
  62. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 国会は神聖な場所で、決して宣伝場所ではない。まじめにお互いが聞こうとするのです。それを君が大きな声を出すから、つい私もつり込まれるというかつこうになる。そんなことをしたくない。お互いに率直に言つて、率直に見たい。しかし今一言言つただけでも矛盾を感じる。さつきは八万だと言つて、今度は全国に何十万だと言う。私は質問以外のことを聞いているのではない。あなたの会の範囲内のことを聞いているのだ。その範囲内のことを答えればいい。八万の会員が何十万もでやつているということは会を逸脱したものと考えられる。ぼくはあなたの日本帰還者同盟の会の中のことを聞いているのですから、どうかそのおつもりでお答えを願いたい。また同時に議論めいたことは言いたくない。あなたはこの前考査委員会へ証人としておいでになつたこともあるのですが、あのときのように議論めいたことは言いたくないので、あなたは参考人としてお聞かせ願いたいのです。それ以外のあなたの御意見を承りたいときには、またそれを聞きますから、その範囲でお答えを願いたい。  そうすると、もう一ぺんお尋ねいたしますが、会費は一人二十円ときめてあるのかどうかお答え願いたい。
  63. 小澤常次郎

    小澤参考人 これは会費は二十円ということになつております。
  64. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 今それを納めている人はどれくらいか、大体わかりませんか。苦しい事情は聞きましたが……。
  65. 小澤常次郎

    小澤参考人 そういう詳しいことについては、私は知りません。どうぞそういうことについてならば、そういう実務を担当している人に聞いていただきたい。
  66. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 会計の方もおいででしようから、詳しいことは存じませんでしようけれど、いわゆる綱領を読みますと、職業のあつせんもしなければならぬ、活動もしなければならぬだろうと思いますが、相当経費もかかるだろうと思います。大体会費はいくら納めてあるかはつきりわからないにしても、総合的な一年間の予算というものがあるだろうと思います。金がなければ動けないことは当然であります。あなたの御説明のように、四九年にできたとすれば、一年以上経つておりますから、大体一年間の経費がどのくらいであつたかということを、お聞かせ願いたいと思います。
  67. 小澤常次郎

    小澤参考人 そういうことは、私今ここに数字資料を持つておりません。
  68. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 これもはつきりしていただいた方が、国民の疑惑を一掃すると思いますが、小澤君は向うにいらしたときに、アクチーヴと言われた方ですが、向うのいわゆる共産党員ということにはつきりなつたのですか、それとも單なる思想的な指導者だつたのですか。(「答弁の必要なし」「それは必要があるさ」と呼び、その他発言する者多し)
  69. 小澤常次郎

    小澤参考人 非常に驚くべきことを聞かれたのでありますが、そのようなことに関しては答える必要はないと思います。
  70. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 どんな考えを持つた人が、どういうことをやつたかということが明らかにされなければならないと思う。それと日時に、団体であるならばなおさら団体の、しかも小澤君は委員長である、委員長立場にある人がそういう方面の問題に対して答える必要がないということになれば、一層そこに疑惑が深まるだろうと思う。あなたは考査委員会においてははつきりと向う共産党のいわゆるアクチーヴであつたということを答えている。議会内において答えたことを、今ここで明らかにできないという理由はないと思いますから、ひとつお答えを願いたいと思います。
  71. 小澤常次郎

    小澤参考人 私は向う共産党のアクチーヴであつたというような表現を一回もしたことはありません。よく眼を皿のようにして見てください。それから向う共産党員であつたかどうか、そんなことはばかげたことであります。なぜならば、捕虜はそういつた政治活動は許されておりませんし、向う共産党員になれるはずもないのであります。そういうことを知らない人に対して私は唖然としているのであります。そういう意味において応答する必要はない。
  72. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 えらいことを私は今日はお聞きするのです。あんたは向うの指導者であつたということは、はつきりしている。あなたは答えられている。あとで速記録をごらんになればわかる。そこで向う共産党員でなかつたならば、なかつたでいい。ただ引揚者のあなたはアクチーヴであつたということを言つている。あとでごらんください、お上げしますから……。しかしこれは議論になりますから言いません。これをごらんに入れますから、よく見ていただけばわかります。日本共産党員ですか、それともそうじやないのですか。(「必要ないよ」と呼ぶ者あり)
  73. 小澤常次郎

    小澤参考人 そういうことは、今の佐々木議員の頭の混乱の状態では、ますます誤解を招くことです。なぜならば、私は向うで反フアシスト運動はやつたけれども共産党に入党し、共産党運動をやつたというようなことはありません。そういう反フアシスト運動と、共産党との区別がわからないような人に、何を説明しても、これはだめなんです。
  74. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 これは議論しようと思いませんが、あなた方の反フアシスト運動というものが、最後になつていわゆるアクチーヴのグループとなつてそうしてソヴイエト共産主義思想に協力したということは、最初は反フアシスト運動から始まつた、それは私もよく知つている。あなたも証言しているし、またほかの人も証言している。そこから始まつたことは知つているが、今あなたがどういう立場に置かれているかということを国民の前に明らかにすることは、当然だと思う。私が頭が混乱しているなどと、失礼なことを国会議員に言うが、私は頭は混乱しておらない。あなたが共産党員であるか、共産党員でないか、そうである、そうでないと答えればいいでしよう。それがわからなければあなたの頭が混乱しているのだ……。
  75. 若林義孝

    若林委員長 大体概括的のことについての質問は一応この程度にして、次に本論に入ろうと思いますが……。
  76. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 性格上まだちよつと疑義がある。小澤君が答えないというなら、それでよろしい。そこで次に日ソ親善協会の方にお伺いしたいのですが、あなたの高大な理想に基いて日ソ親善協会というものができた。そうしてソヴイエトと提携して行かなくちやならぬということについては、私ら思想的に違う者がお互いにそこでどうだこうだということはできません。ここで議論するわけではございませんから……。ただ一つお伺いいたしたいことは、ソヴイエトは御承知の通り共産主義国家であります。共産主義国家ソヴイエト親善をやつて行こうというのでありますから、あなたは……。     〔「中山、帰つちやだめだ、聞くことがあるんだ」「参考人のくせに何ということを言うんだ」「いや、これを聞くために来たんだ」「私はちやんと委員長の了解を得てあります。」「中山さんは用があるので、わざわざ許可を得て先に発言したのです」と呼び、その他発言する者多し」〕
  77. 若林義孝

    若林委員長 発言中止。  君は帰つてよろしい。  発言は委員長の許可を得てやつてください。(「そんなことは知つているよ、常識じやないか」と呼ぶ者あり)
  78. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 そこで思想的にはどうでもいい。ただ要するにソヴイエトと仲よくしなければならないのだということをあなたがおつしやつておりましたが、私の考えは間違つているかどうか知りませんが、思想の違う者はいろいろな点で、仲よくできないということはありませんが、やはり思想の同じ者から仲よくなつて行くというのが順序だと私は思うのです。これは私の乏しき考え方から言えば……。そこでことに日ソ親善という言葉が出ます以上は、われわれはやはり共産主義思想を受入れるか、それに対して協力するかということも、一応ともに考えなくてはならぬと思いますが、あなたはソヴイエトのことだけを申しましたが、ゾヴイエトのいわゆる共産主義政治体制ということに対してのお考えをひとつ述べていただきたい。
  79. 菅道

    菅参考人 私が先ほど日ソ親善協会性格や何かを申し上げましたときに言いましたのは、イデオロギーを除外してもと申し上げたのです。ということは、ただ日本が生きて行くということだけでも、すぐ隣の、しかもここに書かれている大きな国とは親密にやらなければならぬ、こう申し上げたのであります。だからイデオロギーを受入れるとか受入れないとかいうことには言及しておりません。これでその問題でございますが、これは共産主義を信奉しなければならぬとか何とかいうことはないはずで、日本ほんとうに——われわれの考えでいうならば、日本の多くの人々考えているような民主主義的な国家なつたときに、初めて密接な連繋がとれるということは事実でありますが、日本共産主義国家にならなければそれができないのだというふうなことも考えておりませんし、またわれわれはソヴイエト共産主義国家の今邁進しておりますその過程を全部礼讃し、あるいは日本にそれを移し植えようというふうな考えも毛頭持つておりません。
  80. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 それでわかりました。そうすると、やはりソヴイエトもそうであるが、まあ今の中共とも、あるいは朝鮮とも同じに提携して行くという意味合いから、まずソヴイエトと日ソ親善を結ぶというような考えに受取つて、いいのでありましようね。
  81. 菅道

    菅参考人 それはまずということではないのでございます。これはわれわれ手かまわれば朝鮮との——これは日朝親善協会というのがございますが、この方にもどんどん積極的に出て行きたいと思います。あるいは中日親善協会の方にも出て行きたいと思います。あるいは日米親善協会というふうな方向、あるいはフイリピンとの親善の問題にも進んで行きたいと思います。ただおのおの能力、分野がございますので、われわれとしてはこの日ソ親善を目標としてやつて行きたいということで結成したのであります。
  82. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 それでわかりました。次に和田敏明君にお伺いしたいのですが、先ほど民主主義擁護同盟は大体会員が千百十三万名ぐらいこれに加盟しておるものであるというようなことでありましたが、それは事実でしようか。それとも私の聞き違いでしようか。千百十三万名ということになれば、日本の人口の約一割近くもあなた方の民主主義同盟に入つているということになつて、これ以上の大きい団体日本にはないと考えますから、その点をはつきりしていただきたい。
  83. 和田敏明

    和田参考人 千百十三万を結集して出発したと言つたのであつて、今それだけの会員があるとは必ずしも考えておりません。
  84. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 結集して発足したということならばはつきりいたします。ただ現在ほんとう同盟となつておりますから、これはおそらく団体や何かを個人的に対象としているのではないとも考えますが、個人的の対象ですか、それとも団体をずつと同盟のように集めた同盟ですか、それをひとつ御説明願いたい。
  85. 和田敏明

    和田参考人 これは先ほど申し上げた通り、民主的な労働組合やあるいは農民組合あるいは政党、また民主主義擁護に賛成する個人の共同戰線体である、こういうことです。個人も人つております。
  86. 若林義孝

    若林委員長 大体三団体性格活動その他についてはお聞き及びの通りでありまして、なお微細な点にわたつては、御質疑その他があればそのときにひとつまわしていただきまして、本論になつております国際連合へこの三団体から提出されました引揚げ問題に関する懇請の本論に入りたいと思うのであります。  委員長からお伺いいたしますが、三団体より本委員会にこの「ソヴイエトニユース」を御提出になつたのでありますが、これに載つておりますこの要請がそれと心得ていいわけなのですか。この中には省略したところなりあるいは訂正した箇所その他ありますか。
  87. 小澤常次郎

    小澤参考人 この中には要旨だけ載つておりまして、本文をここに持つておりますから、本文をちよつと簡單に読み上げたいと思いますが、よろしゆうございますか。
  88. 若林義孝

    若林委員長 どうぞ。
  89. 小澤常次郎

    小澤参考人 引揚げ問題に関する懇請平和と自由と独立を熱愛し国際連合憲章とポツダム宣言を無條件的に支持する日本勤労人民代表し表記三団体は貴総会が日独両国在ソ抑留者問題を議題として採択せるに際して次の如く訴うる事無上の光栄とするものである。   一、日本人抑留出者の問題は問題の性質からして国際連合総会に提出さるべき筋合のものではなく、一九四六年十二月十九日の「ソ連地区引揚に関する米ソ協定」(仮称)に基き実施せらるべきものであると考える。   二、日本政府資料の示す在ソ抑留日本人三十七万余の数字はある政治的企図のために、あいまいな虚構の事実によつて作為されたものであり真理を愛する日本勘所人民が誰一人として信ずる事の出来ないものである。この点に於て吾々は終戰以来前後矛盾なく数次にわたつて発表せられた唯一のものとしてソ同盟政府発表を正確なものとして確信せざるを得ない   第一〇二回対日理事会に於て引揚問題が論ぜられたる際われわれは右資料が連合諸国を或は欺瞞し或は誹謗するものであり且つ本問題が国際紛争の原因となることを憂慮せるが故に一九五〇年一月十六日質問状を以て日本政府にその数字的根拠を追求したが、政府門川者は返答に窮し「手  の内は見せられぬ」(「敵に対して味方の陣地は教えられぬ」の意)と方言し、数字の虚構とその政治的企図を明白にした   1 右政治的企図とは次の如きものである第一に終戰当時の出先軍官当局の無脂無賃の責任連合国に転嫁し排外主義を煽動する  第二にポツダム出宣言に基き日本民主化努力する日本勤労人民の関心を国外にそらし民主主義を圧殺する  第三にかつてのヒツトラー、ムツソリニー、東條にならい反ソ反共の旗印の下に日本帝国主義を復活する遺憾乍らわれわれは右企図がポツダム宣言、日本国憲法を蹂躙して着々現実化しつつあることを認めざるを得ない民主的諸団体(第三国人団体をも含む)の解散彈圧、言論集会自由等の初歩的民主主義諸権利の蹂躙、警察を仮裝する軍隊の再編成等に現われた現政府の行動こそはそれを裏書きするものであり全面講和を拒否して日本を特定国の軍事的植民地に釘付けせんとするものである   2 数字の虚構は左の諸事実によつて証明せられる   A 終戰時在外邦人数の不詳     (イ)一九四五年九月二十五日現在に於ける在外邦人数については海軍省と厚生省調査の二種類があり、それによると    海軍省 七、〇七六、一七四人厚生省六、三七四、九八一人であつて政府部内で当時七〇万人余の差が生じていた     (ロ)政府は現在引揚対象基本数として六、六一五、〇八三人を用いているが     一九四八年九月二十四日       六、六一一、〇〇八人     一九四九年四月八日       六、六一三、六〇九人     一九四九年九月一日       六、六一五、〇八三人    と変更しており、これは引揚 完了の地域(中国、台湾、香港、北鮮、蘭印、比島、琉球、東南アジア)から引揚げて来たから基本数を増加したものである   B 終戰前後の戰死者並びに在外部隊配備変更に関する資料の不祥   一 九四九年四月五日衆議院在外同胞引揚問題特別委員会で復員局高山復員課長は敗戰当時の満洲の混乱状態と関東軍の無秩序、無能によつて正確な数字は把握出来なかつた旨、答弁しており一九五〇年二月六日の衆議院予算委員会では吉田総理大臣自ら「いわゆる正確な数というものは、多分これだけの人が捕らえられてソ連に送りこまれているだろう、という想像上の基礎数字をもつており、其の後帰還者報告、総司令部の報告などによつて今日は多分この位の人が残つているであろう、これも想像に過ぎない不完全な調査だけである……」と言明している事によつても「想像上の基礎数字」から算出される「三十七万」の米復員者こそ推定であり明らかに虚構であることが理解出来る   なおわれわれは数多の事実により在満部隊の多くが終戰前南方戰線に移動したことは明白であると確信している   G 在ソ残留邦人三十七万人死亡説の虚構   日本政府資料に基くシーボルト対日理事会議長の発表によると「一九四五年より四八年迄の四ケ年間の死亡者は三七四、〇四三人で一九四五年の死亡率は一〇%で二七二、三四九人となつている   これを逆算すれば一九四五年に日本人二、七二三、四九〇人入ソした事になりこれはシベリヤの引揚対象基本数を七〇万としている政府発表より二〇〇万以上も多く大連、北鮮、千島、樺太、シベリヤを含むソ連地区引揚対象基本数一、六一七、六五五より更に一、一〇五、〇〇〇人以上も多くなつている。   この死亡説はソ同盟地区(大連、北鮮、千島、樺太、シベリヤ)の基本数に満洲の基本数一、一〇五、八三七人を加えた数二、七二三、四九二人の一〇%二七三、三四九人なのである。すなわち満洲にいた人々を全部入ソさせて計算した数字なのである。   D 最終引揚者の証言 一九五〇年四月末取終船の引揚者が「シべリヤ二十八地区日本人浮虜はいない」との各地区帰還者の署名をとつて上陸したことによつてタス通行によるソ同盟政府の「引揚完了」の声明の正しさが確証される。「三十七万残留者問題」はソ同盟からの全引揚者がひとしく否定するところである。   E ソ同盟地区外における資料の不祥政府発表によると引揚予定数零の南方諸地域よりも若干名づつ引揚げて来ており生死不明者が最近に至つて戰死公報を受けたり、ジヤワ、スマトラ等の南方諸地域に三千名余が生存していることが南方よりの引揚者によつて証言されている事によつても、ソ同盟地区以外に相当数生存者がいることは推察出来る。   更にソ同盟政府発表した引揚数字の如き、明確な引揚者数は他の国よりは何等発表されておらず日本心労人民に疑惑を抱かせている。  三、「引揚促進」についてかくも狂的騒ぎを示している、日本政府の復員音引揚者の生活援護政策の貧困は次の諸事実によつて証明せられる。   1、職業 一九四九年度引揚者の就職率は、官庁統計によるも日傭をふくめ二二%にすぎない労働省職業安定局労働市場調査課調、舞鶴相談七月から十月が一八、三一九人、十一月が四、三八四人、十二月には四、三五八人、求職申込み、七月から十月が一〇、〇六五人、十一月三、七〇一人、十二月三、七四三人、常傭紹介七月から十月が五、三三九人、十一月一、三三〇人、十二月が一、〇七〇人、日傭紹介一、八四三人、十一月六八九人、十二月六七〇人常傭就職が七月から十月が二、〇八五人、十一月が五一五人、十二月が四六六人、日傭就職が七月から十月が一、五二六人、十」月が六二八人、十二月が五九一人、補導所申込七月から十月が二一九人、十一月が五三人、十二月が四六人、補導所入所七月から十月が八九人、十一月が四六人、十二月が一八人。  なお興味ある数字として次の例をあげ得る。この調査は、区役所が区内引揚者の生活実態を把握していないため、引揚者が区役所職業安定所に要求して実費を把握ししめ、みずから戸別訪問して調査せるものである。  東京都品川区大井町、一九四九年度引揚者生活実態調、一九四九年十二、調査対象数一八四名、内転出者一八名、不明一四名、失業し寄食、貧困二三名、失業臨時人夫日雇労働者七名、失業(手伝い、使い走り)二八名、就職 しているけれども生活貧困三四名 どうやら生活している者四五名、普通一五名。  2、住宅終戰後政府が引揚者用として買收または建築した住宅並びに收容人員は、左表のごとく引揚者約六五〇万のうち、わずか二、三パーセントが收容されたにすぎない。  引揚援護庁指導課調査、一九四六年度、棟数二、五五〇棟、收容人員一八六、〇九五人、一九四七年度、二二七棟、二九、〇〇〇人、一九四八年度六、〇〇二棟、三〇、〇一一人、一九四九年度、一二、六六七棟、六三、二九五人。これら引揚者寮の施設は劣惡で、多くは四畳半また六畳に一家数名が雑居し、正常なる人間生活が営めないものである。  3、資金資材 引揚者用更生資金、一世帶わずか一万五千円、応急家財たとえば越冬用寝具、一府県あて約五十組は、慈恵的、名目的なものにすぎない。  四、以上の諸事実に基きわれわれは国際連合総会が、その絶大なる権威をもつて左記に関して適確なる措置をとられんことを懇請するものである。  第一に、日本政府資料の虚構を徹底的にバクロし国際連合憲章並びにポツダム宣言に敵対する不当なる政治的野望を粉砕すること  第二、在外邦人消息不明者の大部を占める太平洋諸地域に就て、徹底的調査を開始すること  第三、ポツダム宣言第九條に反し、平和的且つ生産的生活を保障せられざる引揚者の生活状態改善の為日本政府を督励すること、右は平和と自由と独立を熱愛し全世界の平和愛好諸国民の期待に副うべく日本民主的再建に努力しつつある日本人民の心からの懇請である。  以上が懇請文であります。
  90. 若林義孝

    若林委員長 次にお聞きしたいと思いますのは、この要請をなすに至つた経緯、どこでこれか作成されたか——各団体民主的にこういう文書を出そうと思えば大きな問題だと思うのですが、どういうような経緯をとつて会議決議としてなされたか。あるいはあなた方一人で牛耳つておるのか、どういう会議でこれを何したか。良書的にこれが決定された径路をひとつ伺いたいと思います。八万の会員があれば、八万の承認を得ているかどうかということです。皆が納得の行くように、人民の声だとして伝えられたと思うのですが、そこをひとつ特に引揚げの問題を中心にしておりますから、小澤さんから話してください。
  91. 小澤常次郎

    小澤参考人 国際連合代表派遣されるということが発表されたのが、たしか十月の初旬だと思います。この問題が同盟の中央委員会で問題になりまして、中央委員会討議の結果、要請文を出すことに決定いたしまして、ただちにこの問題について、文案作成その他について皆でいろいろ協議しまして、三団体協議の上文案をつくつてこれを出したのであります。出した所は国連総会議長、事務総長、ソビエト、アメリカ、英国、フランスの四大国であります。それからこの写しを対日理事会に提出しました。なおこれはすでに皆さんの手元にありますように、ソヴエトニユースにも載せましたし、それからこの全文を連合通信あるいはその他の各労働組合、その他の民主団体、これらに全部配付いたしました。
  92. 若林義孝

    若林委員長 これが作成されるまでにどういう径路をたどつたか。この帰還者同盟としていろいろ行動を起す場合、いろいろな中央委員会といいますか、委員会があると思います。そういうのはどういう段階になつているか知りませんが、地方にも大勢いるだろうと思うのですが、そういう人たちの意見は、どういうふうに結集されてこれに行つたか。
  93. 小澤常次郎

    小澤参考人 それにつきましては、何しろ期日がありませんものですから、中央常任委員会の……。
  94. 若林義孝

    若林委員長 それは何名ですか。
  95. 小澤常次郎

    小澤参考人 中央常任委員会は在京者だけでもつてつておりますが、十何名だつたと思います。中央常任委員会でもつてこの問題を取上げまして、各府県に各支部がありますから、それに全部その写しを送つております。これは期間がないからその多くのものを全国から集めてやるようなことはできませんから、そういう場合に対しては中央常任委員会がそれを委嘱されておりますから、そういうふうにいたしました。
  96. 若林義孝

    若林委員長 日ソ親書協会民主主義擁護同盟の方には、帰還者同盟の方から呼びかけたわけですか。
  97. 小澤常次郎

    小澤参考人 帰還同盟から呼びかけたのではなくて、それぞれの団体でもつて期せずしてそういう問題がそれぞれの役員会にかけられたのではないかと思つております。それぞれの機関の方に聞いていただけばわかると思います。
  98. 若林義孝

    若林委員長 それではその間の消息を菅君に承りたいと思います。
  99. 菅道

    菅参考人 日にちははつきり覚えておりませんが、日ソ親善協会常任理事会を毎週金曜日に行つております。多分この日にちから考えますと、六日が金曜日だつたと思いますが、この六日の理事会にかけられました。もちろんこの理事会の中には小澤氏も理事としておりますし、それから組織部長をやつております清水君は帰還者でありまして、帰還者同盟の方にも入つておりますので、そういう人と——もちろんそれだけの問題ではなしに、そのほかの副会長あるいはほかの理事からも同じような問題が出ましたので、協議されたと覚えております。この協議に基きまして他の二団体ともよく連絡をとつて草案をつくり、翻訳をして発送したというふうに覚えております。
  100. 若林義孝

    若林委員長 擁護同盟和田さんに伺います。
  101. 和田敏明

    和田参考人 日ソ親善協会の方から相談を受けまして、われわれとしては、この擁護同盟の機関である議長団に諮り、議長川の決定を経て、三団体が相談してこの要請文を決定しております。その後要請文の全文を加盟各団体に通達し、その承認を得たことはもちろんであります。合法的な民主主義擁護同盟の機関を通じてはつきりと決定をされたものであるということを申し上げます。
  102. 若林義孝

    若林委員長 小澤君にお聞きをいたします。この文案自身は帰還者同盟で、案文をいろいろ直したりするのは三団体でしたかもしれませんが、中心はやはり帰還者同盟の方でやられたのですか。
  103. 小澤常次郎

    小澤参考人 そういつた文案をだれがつくつたかということは明確に覚えておりませんが、引揚げ問題ですから、日ソ親善協会の方の組織部長の清水君と、私の方の書記長の青木君とで、この文案を起草したのではないかと思つております。
  104. 若林義孝

    若林委員長 これから一番の核心に触れて行くのですが、これをお出しになつ目的は、端的に要約をしてひとつ小澤君から言つてみてください。
  105. 小澤常次郎

    小澤参考人 簡單に申しますと、もうすでにこの要請文の中にその趣旨は明確に出ていると思うのです。それでおわかりだと思いますが、私たち引揚げの問題について、次のような見解を持つております。すでに政府でも発表している通り、日本引揚げて来た数は六百万以上あるのであります。この人の大部分が非常な困窮と失業苦の中にあるのです。これに対するいろいろな対策が講ぜられておりません。これが講ぜられておつたとしても非常にわずかなものであります。これがために、今の險しい社会の中で、いろいろなハンデイキヤツプを、もつて生活のために闘つて行くということが、非常に困難なのであります。ポツダム宣言の第九條にもありますように、これは軍事捕虜の問題についてでありますが、軍事捕虜は武裝解除して平和的、生産的な業務につかしむるということが規定されているわけであります。引揚げ問題の根本は、ただ引揚げて来るということだけではなくて、六百万に上るこの多数の日本人をどのように生活の安定をさせるかというところに、政府の対策の根本的な点が置かれなければならないというふうに私は考えております。引揚げ問題の重要な点は、引揚者の生活を安定させる、これを私たちは第一の問題だと思つております。  第二に未帰還者の問題であります。未帰還者の問題につきましては、今までソ連のは、タス通信によつてたちはその正しいことを確信しているのでありますが、いまだに不明なのは、太平洋諸地域における未帰還者であります。この問題について、私たちはこの未帰還者家族のことを考えますと、胸の張り裂けるような情ない気持を持つのであります。われわれが知つている範囲におきましても、満洲であの敗戰の直前に暗号の部隊移動によりまして、南方諸地域に行つて海のもくずとなつ人たちが相当あることを知つております。そういつたような者が、ああいつた混乱の中で軍、官当局の無為無策と結びついて、つかまれていないのが相当あるのではないかと思います。その具体的な例といたしまして、最近の女性改造にこういう記事が載つておりますから、簡單でございますので、読ませていただきたいと思います。
  106. 若林義孝

    若林委員長 あまり長くないのですか。
  107. 小澤常次郎

    小澤参考人 これは懇請文であります。非常に重要な引揚げ問題の……。
  108. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 議事進行についてちよつと……。今の委員長質問の範囲の程度にお答え願わないと、議事運営上よくないのではないか。さつき一々全部これを読まれましたが、ぼくらはこれを受取つておるのであるから、ほんとうは読まなくてもよかつたのです。親切にせつかくお読みになるというので、全部読んでいただいたのでありますが、そのとき委員長が聞いたのは、この中に訂正するものはないかということだつたが、それを全部お読みになつた。これは親切なことでけつこうです。しかしまた雑誌や何かをいろいろ読むということは、国会では速記をとつてこれは官報に上るのですから、私たちはこういう発言は重大に考えるので、なるべくならばその範囲においてお答え願うことが議事運営の上にもよいし、また疑問になるところさえ承ればよいのですから、そういうことは一々やらないで、簡明率直にやられるよう、委員長において適当におとりはからい願いたいと思います。
  109. 若林義孝

    若林委員長 それはだれの要請ですか。
  110. 小澤常次郎

    小澤参考人 今われわれがこれを出した動機について、われわれに質問されているわけですから、われわれはそういう動機を明らかにするために、この問題について……。
  111. 若林義孝

    若林委員長 それは団体のものですか。
  112. 小澤常次郎

    小澤参考人 これは団体ではありません。有名な笠置シズ子さんと服部良一という方が、この間アメリカに行つてウエーキ島に着いたときに……。
  113. 若林義孝

    若林委員長 この中に書いてあるのではないですか。
  114. 小澤常次郎

    小澤参考人 書いてありません。一種の公開状みたいに懇願書を出している。その中に、南方諸地域において行方不明になつている日本人状況が非常に明らかに出ておりますので、それを簡單に読ませていただきます。
  115. 若林義孝

    若林委員長 委員の諸君は、そのくらいのことはよく承知いたしておりますから、省略してください。
  116. 小澤常次郎

    小澤参考人 私たちは、太平洋諸地域におるところの未帰還者に重点を置かなければならないと考えております。その根拠はどこにあるかという一つの具体的な例として、私たちはこれを読みたいと思います。そういう意味なんでありまして、これがここでもつて取上げられるとかなんとかいう問題ではなくて……。
  117. 若林義孝

    若林委員長 本委員会としてそのことは認めているわけだし、ソ連ばかりに残つているのではなく、ほかにもあるということはわかつておるわけでありますから……。
  118. 小澤常次郎

    小澤参考人 それではこれは機会がありましたら、あとから申し上げますが、これによりますと、ウエーキ島に笠置さんと服部さんが着かれたときに、累々たるしやりこうべがあつた。これは日本軍人の死骸である。それに対して何らの処置も講ぜられていない。このことに対してこの二人の方は、何とかこれを日本政府が処置していただけないかという懇願をしておるのであります。もちろんこの二人の方は、これに書いてありますように、別にアメリカに対して云々というような気持ではなくて、ほんとうにこういう問題が正しく解決されることによつて、日米人民親善関係もさらに一層濃厚になるものと信じて書いておるので、その点誤解のないようにしてもらいたいというふうに付記されております。そういう状況がこの中に出ておるのであります。そのように太平洋諸地域にまだ帰らざる不明者がたくさんあるということがわかると思います。こういう問題を取上げずに、すでに発表されているソ同盟だけの問題を取上げて、三十七万云々といつて国連にこれを出したということ、またその数字自身がはなはだわれわれとしては納得できず、この数字についてしばしば政府にその説明を要求しておるにもかかわらず、それをやられていないのでありまして、これらの数字をもつてソ連からの未帰還者云々の問題で国連に提訴されるということは、非常に遺憾だと思つておる。こういうようなことが現在の世界の危機にさらに拍車をかけるようなことになつておる。こういう日本政府すら自信を持つていないような数字をもつて、国際的な権威ある機関にこれを持つて行き、そこでもつて討議し、その決定の材料にするということは、日本人民としてもはなはだふまじめきわまるものであり、国連の権威を傷つけるものであり、また日本国民の矜恃をも傷つけるものであると私たち考えておるのであります。こういつた意味で私たちはあの要請文を出した。しかしこの問題について、これは国連総会でもつて取上げられる性質のものではないというふうには考えましたが、もちろん国連総会でこれを取上げて明らかにしていただくというのであるならば、われわれは賛成である、そういう意味において、われわれは最後に書いた三点について、明らかにしていただきたいということを総会に懇請したのであります。
  119. 若林義孝

    若林委員長 この要請文を受取つたところの国連総会の——ソ連並びにソ連側の国々は別問題として、他の諸地域の五十何箇国がどういう感じを受けたと思うか。それからわれわれは、こういう要請が出ておつたということは承知しなかつた。国際連合総会のオブザーヴアーとして帰つて来た中山君その他から聞いて驚いたような次第でありますが、これを聞いた留守宅を守つている留守家族が、どういう感じを持つてこの文書を読んだと思うか。この二点について、率直な気持をここでひとつ表明していただきたいと思います。
  120. 小澤常次郎

    小澤参考人 これによりまして、国連はやはり正しくわれわれの要請を解釈していただいたのではないかと思います。それでこういつた非常に不正確な数字をもつて連合国の一国である大国、しかも現在の対立の激化しているときの一方の一大国に対して、それを誹謗するようなものを出すということをわれわれは憂えたのでありますが、こういうことが正しく理解されたのではないかと私は考えます。それから留守家族の方も、私たちの出したこの要請文をほんとうによく読んで、この事情ほんとう理解してくださるならば、引揚げ問題が正しく解決されるように努力されるようになるであろうと考えております。
  121. 若林義孝

    若林委員長 なおこれが過般の本特別委員会発表されまして、おそらく留守家族人たちが驚いただろうと思うのですが、相当留守家族団体人たちが、団体を通じ、あるいは個々別々に三団体に対していろいろな気持を訴えただろうと思うのですが、その様子をひとつ伺つてみたいと思います。
  122. 小澤常次郎

    小澤参考人 まず第一に、これが留守家族の耳にも入つていないということであります。それからもう一つは新聞に発表された、いわゆるわれわれを誹謗した記事が問題になつておるが、われわれはこの要請文によつて引揚げ妨害は何もやつていないわけです。むしろその促進を要求しておるわけでする国連の権威にかけてこういうことを調査してもらいたいというということを国連にお願いしておるのです。こういう事実にもかかわらず、これを三人の代表の方は新聞紙上で、三団体引揚げ妨害をやつた、こういうふうなことを新聞記者団に発表したりなんかしております。そういうことが未引揚げ家族を悲しませている。われわれの問題ではなく、そういううそを言つておる人たちが未帰還家族を悲しませているのです。こういうことに対して私たちは心から遺憾に思います。またこの要請文は少しも引揚げ妨害にはなつておりません。一般から私のところには何の訴えも来ておりません。いわゆる引揚げ妨害だといつてわれわれに抗議をよこすようなことは、帰還者同盟には何も入つて来ておりません。
  123. 若林義孝

    若林委員長 今皆さんのお気持を伺うその土台として申し上げておきますが、今あなたがいろいろ新聞その他の報道があるということを言われますが、それを明確にするために今日おいでを願つて、本委員会を通じて留守家族の方に安心もさせたい。また一般の者がこれを読んだときには、どういう気持なつたかということは多分委員諸氏が批判を下すだろうと思うのでありますが、皆様方の気持、これを明確にするためにおいでを願つたわけです。  前の質問に対して和田敏明君お答えを願います。
  124. 和田敏明

    和田参考人 今この要請文が出てからの影響ということについて、三団体とおつしやいましたから、私ども団体についてどういう反響があつたかということを申し上げます。引揚者の団体その他からは、私どものところに何ら通達はない、お前は間違つた行動をしておるというような通達はない。またくそを投げかけるような引揚げ団体もないようである。しかし一方民主的な団体の中からは、こういう連合国を誹謗し、また欺瞞するような三十七万という数字、その欺瞞性については徹底的にこの委員会を通じて暴露すべしという要請が来ております。私どもは今日この委員会において事態をきわめて明瞭にしなければならない。しかもこの問題をこの委員会で取上げた当事者中山マサ君が退場してしまつて、そのあとに残つておるのは、たつた今見たのであるが、調査要求書という、われわれ三団体に対して、非人道的、非国民的行動であるとか、あるいはこの種の唾棄すべき処置といつたような、一体われわれ紳士の仲間ではこういう言葉は使わないのであるが、淑女諸君はあるいはこういう忌まわしき言葉を使うのかどうか知らないが、ともかく非常に侮辱きわまる公の文書がある。これに対して御本人は逃げてしまう。この会合はかねてから予定されていたものであるから、他の一切の会合に先だつて彼女はここにおるべきである。一方的に質問だけして、しかも惡宣伝をやつて、われわれ団体に対して重大なる侮辱をしておきながら、御本人は退席してしまつていないということはきわめて遺憾である。私どもはこの点については、多少御質問の範囲を逸脱するおそれがあるから、今はこの程度で打切るが、後刻必ずや問題として委員長との間にいろいろと御相談申し上げたいと思つておりますから、そのことだけ御承知願います。
  125. 菅道

    菅参考人 この要請文が決して引揚げ活動を妨害したのではないということは、すでに小澤氏から御説明がありましたので省きますが、日ソ親善協会引揚げ問題についてどういうふうな考えをもつて活動しておるかということについて、先ほどの活動の中で申し述べませんでしたから、これを国民ほんとうに明らかにし、安心させるという委員長の先ほどのお言葉に従いまして申し述べたいと思います。  われわれは結成大会のスローガン七つを掲げました。その中の一つに日ソ親善の力で、明るい引揚げを促進しようということを掲げております。そしてわれわれは発足後まだ力はございませんでしたけれども、その当時におきまして引揚げ問題が相当混乱しておりましたので、このときにあたつてわれわれは再三理事会にかけまして、そうしてなおかつ、その当時むしろ反ソ宣伝をするのだといわれるような引揚者の団体方々とも一緒に、労働団体代表も交えまして、ソヴイエト代表部に参つて、そうして向う責任者といろいろ懇談をいたしました。そうしてあるいはハバロフスク地区におけるところのいろいろな労働問題、あるいは食糧の問題、ナホトカにおけるところの施設の問題、こういうふうなものを——これはわれわれがそうだと断定しておるのではありませんけれども日本の一般の人たちがそう思つておることを率直に言いまして、これをこうしてくれ、ああしてくれというようなことを申し述べました。もちろんそれだけでなしに、その後にわたりましても再三にわたつてそういうふうなことをしております。あるいは留守家族方々が通信ができないという問題を取上げまして、各支部を通じまして、留守家族の方から通信をもらい、そうして向うにお届けするという努力もいたしました。しかしこれはきわめて微妙であり、そういうふうな方策も立てられておりませんのであまりたくさんはやつておりません。しかし努力したことは事実であります。今でもわれわれは、この日ソ親善の基幹をなすものは、ほんとう日本の多くの人たちにソヴエイトの実情理解させることである。そのためには、この帰還者の問題につきましても、ほんとうによく理解させなければいかぬという観点に立ちまして、あらゆる角度からこの帰還者の促進という問題を考えておるのであります。われわれは引揚げに対して妨害をするというような考えは全然ありません。むしろこれをどんどんと進展させなければならないということを考えております。そこでこの要請文の問題でありますが、われわれは、この引揚げの問題を阻害しておるのは、むしろ不明確な三十七万人というこの数字であり、まだ明瞭になつておらない南方諸地域におけるところの残留者の問題であるというふうに考えます。であるからこれを明確にし、ほんとうにはつきりした数字が示されるならば、そうしてこの国会の中でほんとうによくその点が究明され、国民も納得する数字が出るならば、われわれはその数字に従いましてあらゆる活動をして行きたい。もしも真実に三十七万の未帰還者ソヴイエトに残つておるのだということが、この国会においてはつきりわかり、またわれわれが納得するように示されるならば、われわれは日ソ親善立場から、ソヴイエトの当局者に対して、あるいはその他の手を通じて、これの帰還努力をいたします。そういうふうな観点に立つてわれわれはこの要請文をつくつたのであります。
  126. 若林義孝

    若林委員長 なお大体核心に触れた点について、三団体代表者がお話なつた以外に御質疑その他があればこれを許します。
  127. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 引揚げの問題で、三十七万という数字がでたらめだ、根拠がないというようなお話を承つたのでありますが、また一方において、われわれは考査委員会において二十数名の証人を喚問いたしました。御承知の通り考査委員会における証人は、本日のあなた方のようにただの参考人としてではなくて、法律の定めるところによつて宣誓されて証言する証人であります。そこでその証人の方々の証言というものは、一応いかなる発言がなされようとも、宣誓されたものでありますから、われわれがそれを信用し、それが真実だと断定するということは当然だろうと思います。そのとき小澤君はやはり証人として呼ばれたが、タス通信が確実であつてあとに残つている者は、少数の戰犯以外にいないと考えられるということを言つております。また他の人は、現にいた、私が帰るときにそこに二百三十名もいたとかいろいろ言つている。それはあとお読みになればわかります。二十数名もの人ですから、今すぐに読むわけに行きませんが、現にいたと言つておる人がおります。これもやはり宣誓をして証言しておるのであります。いるという証言をした人が約十数名おり、いないという証言をした人が数名あつたでしようか。いないという証言をした証人の立場は、われわれから見ると、大体共産党員とか、あるいはそうでなかつたら、向う民主主義グループの指導者というような人で、こういう人はいないと言つております。私たちはどちらを信用してよいかわかりませんが、やはりいるという証言がある以上、たとい三十七万六千名が的確ではないとしても、ある程度いるのではないかということを考えるのであります。私も確実なる資料を個人としては持つておりませんから、数のことは、三十七万名が必ずいるということは申しません。そしてまだ南方諸地域にもおるでしよう。あるいは中共地区にもおりましよう。しかし国内において、現在何十万という留守家族が現にいるということは小澤君といえども否定できないと思うのであります。そういう数の問題について争うのではありませんが、たといソヴイエト地区に何万人が、あるいは何千人がおるといたしましても、われわれが同胞の最後の一人まで引揚げてもらうということに努力することは、当然であろうと思うのであります。またたといいかなる人、いかなる団体であろうとも、そのことに協力してくれる人、そのことに熱心に働いてくれる団体に対してこれをお願いするということは、当然だろうと思います。そういう点から考え一つ私が疑問に考えますことは、この「抑留者の問題は問題の性質からして国際連合総会に提出さるべき筋合のものではなく、」と書いてあることである。筋合いのものではないということになると、先ほどいろいろ御説明があつたような、あの程度のことでは私は納得できません。あるいはソ連地区引揚げに関する協定で米ソ間できめることもけつこうでありましよう。あるいは極東委員会でこの問題を究明することもけつこうでありましよう。しかし同時にまた国際連合において、これがほんとうであるかどうかということを調査することも当然だろうと思うのですが、何ゆえに国際連合に提訴すべき筋合いのものではないというお言葉をお使いになつたか、それがはつきりすれば、これが妨害であるか妨害でないかということもわかると思うのであります。今までのお話では、その点がわれわれには了解できません。どこの団体でも、どんな国際機関でも、どんな国家機関でもが、こぞつてこの引揚げ問題に対して努力するというときにおいては、いかなる場所でも、いかなる団体にも、いかなる国にも私どもは当然お願いすべきであろうと思いますが、あなたのお考えを承つておきたいと思います。
  128. 小澤常次郎

    小澤参考人 私の方は、国際連合で取上げるべきものではないと考えるという一つの見解を述べているわけでありまして、そういう問題を取上げてはいかぬとは申しておりません。その点ははつきり断つておきます。むしろわれわれは、この問題が取上げられることに対して無上の光栄とするというふうに言つております。最後に三つの條件をあげまして、そうしてこの問題について国際連今で取上げてやつていただくことを懇請しておるのであります。そういう意味で、決して取上げるべきものではないというふうに言つておるのではなく、また取上げてはいけないと言つておるのでもありません。ただ、取上げるべき筋合いのものではないと考えるという一つの見解であります。ではその見解はいかなる見解であるかというならば、捕虜の引揚げに関しては米ソ間に協定ができております。また各国ともこの捕虜問題は、その当事国同士において解決しておるのであります。そういう点から行きまして、そういうふうに考えているということを私は言つたのであります。なお国連憲章その他のことについては私は知りませんから、私はそういう考えでこういう意見を申し上げているのであります。
  129. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 その点がわれわれと非常に違うのであります。取上げるべき筋合いのものではないとはつきり断定しておりますが、私は、国連において取上げてもこれは少しもさしつかえないと思うのです。ここであなたと私が議論すべきではないが、われわれの考え方で行けば、少くとも全世界の国家を結集しておりまする国際連合がこれを取上げるのは当然だと考えるのであります。その点においてあなたの言い分は、上手には言つておりますが、いわゆる筋合いのものではないと言つておる点から見ると、やはり別な考え方を持つているのだということに私は解釈するのであります。同時に、もしほんとうにいないということであるならば、こういう問題については、ソヴイエトの現地にどんどん調査団でも派遣するようにお互いが努力しなくちやならぬと思うのですが、調査派遣などということに対しては、ソヴイエト自体も応じてくれないというようにわれわれは聞いておる。あなた方はどう聞いておるか知りませんが、われわれの方ではそう聞いております。そうすると、なおさらこれに対しては疑いをさしはさむのでありますが、調査団の派遣等に対しては、この中の精神からいつてあなた方はどういうお考えを持つておられるか、お答えを願いたいと思います。
  130. 若林義孝

    若林委員長 なおもう一点委員長からもつけ加えておきたいと思います。日本政府資料の示す在ソ三十七万人という数字は、日本政府といえどもこの三十七万人が現存しているというようなことにこだわつてはおらぬのでありますが、その三十七万人をどういう意味にあなた方はとられておるか。また「日本勤労人民が誰一人として信ずることの出来ないものである。」ということについて、われわれの観念から言えば、三十七万人に一人欠けても三十七万人ではないのだが、相当多くの者が残つているという感じを皆持つているのです。そこで、一人も残つておらぬということがほんとうで、少しでも多数の者が残つていることを日本勤労人民がだれ一人として信ずるものではないという意味にとつてよいのか。相当はまだ残つているが、しかし三十七万人ではないという意味か。ここを明確に、佐々木委員の御答弁につけ加えて話してみてくださいませんか。
  131. 小澤常次郎

    小澤参考人 まず三十七万人の問題については、三十七万もソヴイエトにいるという、そういう政府発表に対しては勤労人民は信じていないということです。
  132. 若林義孝

    若林委員長 相当多数はどうですか。
  133. 小澤常次郎

    小澤参考人 もちろん、そういうことについてみながどういうふうに思つているかということは別ですが、そういう漠然たる答弁をしてもしようがないと思います。しかし三十七万云々をもつて、しかも不確実な数字をもつて国連まで出して行くということについては納得できません。そう思つております。  それから佐々木委員質問は、団を派遣することに関してどういうふうに考えるかということでありますが、私はこれについては、引揚げ問題がほんとうに正しく解決されるのには、ソヴイエトとの講和の問題が片ずかなければならないと思います。ほんとうソヴイエトとの講和ができるなら、この問題はすつかり明らかになることだと思うのでございます。そういうふうに私は考えておる。そのときこそ調査団でも刊でも派遣することができるということをわれわれは確信しておる。それ以前においてこういう問題を取上げてソヴイエトばかり誹謗するということは、かえつて現在の世界の危機を激化するために役立つだけのものであるというふりに私は考えておる。そういうことは日本人民にとつて非常な不幸を招くであろう。われわれは引揚げ問題の正しい解決のためにも、ソヴイエトとの講和を主張しなければならないと思つています。
  134. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 小澤君の思想と私の思想とが違つておるので、大いに見解が違うのです。それで議論すれば、参考人と私の議論になるからやめます。  もう一つは、われわれはいる、あなた方はいない、ここの共産党の代議士も一人もいないと言つておる。われわれはいると考えるのでございます。そこであなたに伺いたいのは、相当数向うでなくなつておるのです。この一速記録を見ても、一箇所で二百六十三名という人が死んだという事実を証一しておりますし、ある火災で百数名がまたたく間にこの火災におおわれて——一旦出たのを被服や何かをみな持つて来いというので、また中に入つてそのまま死んでしまつた。これも証言されております。そうすると相当数の人が向うの地でなくなつておるのではないかと思います。そのなくなつ人たち留守家族にすれば、やはり死亡者の氏名等が発表されれば、もういないのだ、死んでおるのだということで、あきらめもつくだろうと思うのです。あなたが先ほど言つた通り、一九%かの方が死亡しておるということでありましたが、そういう人たち発表をすれば、われわれもいないならいないということがわかるだろうと思うのですが、そういう発表がないのです。それでなおさら疑問を感ずるのですが、この死者発表がないのにあなたははつきりいないというふうに断言できみかどうか、その考え方を承りたいのであります。
  135. 小澤常次郎

    小澤参考人 私が先ほど申し上げた、タス通信を分析した結果出て来る数字は、一九%ではなくて一・九%です。これだけの不明数があるということだけはこのタス通信によつても明らかでありますが、しかしこれが死者であるかどうかについては発表されていないのです。  なお死者に対してどういうふうなあれがなされておるかということについてちよつと述べますと、これはもちろん私のおつた山の中の地区状況であります。私たちは一番自然的環境の惡いところにおりましたから、他はそれ以上の処置がとられておると思うのでありますが、参考に申し上げてみます。まず病人に対しては非常に手厚い看護がなされておりました。これはわれわれには驚くべきもので、日本の国立病院よりもはるかに手厚い看護をしております。そこでいよいよなくなつたときにどういうふうにしますかというと、死体を解剖いたします。そうして死体解剖の調書というか、そういうものをつくります。なおそれに、病気の経過の病床日誌を全部つけます。これをロシヤ語と日本語とラテン語に訳します。それについて——私は病院へはときどき行つたぐらいのものでよく知りませんが、病院は軍の病院でありますから、司令部があります。その病院の司令部に勤務しておりました者の話を聞いたのでありますが、これらの資料はモスクワと国際赤十字社、それから日本に送られる。このことだけは確実だと思います。なおそのときに向うのドクトルの言うた——これは責任がないと言えるかもしれませんが、その言葉では、講和が結ばれれば、そのときには家族の方にこれが全部届くようになるのだというふうに言つておられたということを聞いております。そういうふうに死者が出ますと、丁重に墓地に葬ります。墓地には各行政区ごとに墓地の管理所があります。これはロシヤ人でも何でもみな一緒であります。その中に日本人の捕虜のための管理所があり、その管理所の区分がありまして、ここに丁重に葬ります。私たちが帰つて来るときも、お前たち最後引揚げるのだから、日本人は全部いなくなる。だから日本人の墓を全部清掃して行つてくれと言われまして、みんなで清掃に参りました。土まんじゆうでありますが、これをきれいに清掃しまして砂をかけました。そこにそれぞれくいが立ててあり、そのくいに燒印で番号を入れてあります。そうしてこの番号によつてだれそれの墓だということがわかる。講和後には遺家族の人がいつでも来てお参りすることもできるし、遺骨を持つて帰ることもできると言われましたが、そのように丁重な処置をしております。それの管理も墓地全体の管理部がありまして、そこでもつて管理をしております。なお私たちが帰るときに、それぞれの行政区の中にいる——女の事務員でしたが、その人がきれいななりをしてわれわれと一緒に自動車に乘つて、南向きの斜面の丘の上に行きまして、自分からこの墓はこういうふうにきれいにするのだと言つて、どろだらけになつて砂をまき、自分から卒先してその墓を清掃した、そういう状況であります。これは帰還者ほとんどがひとしく認める点だろうと思います。そういう処置がされております。こういうことはやがて全部明らかになることと私は信じております。
  136. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 私の聞いたのと大分違つた方向に行つたのですが、あんたはいつも議会では、丁重に扱われた、ごちそうをたくさん食べた、待遇された、ソヴイエトに三年も四年も置かれて感謝しなければいかぬということを言つておるのです。私はあの当時も言つたのです。たとえばポツダム宣言には、戰争が終つた日本の軍人はただちに帰さなければならぬという規定がある。それをソヴイエトが三年も四年も帰さぬ。あなた方は三年ぐらい行つて来たのでしようが、四年も五年もソ連に置かれておる者がある。これはポツダム宣言違反ではないか。しかしそんなことはどうでもよい。ソヴイエトに礼を言わなければならぬ、待遇がよかつたと言つておるが、あなたは民主グループの指導者であつて相当な地位にあつたから、あなたは待遇がよかつたのでしよう。しかしある反面には一收容所では二千名の收容者がいたそうですが、その中の四分の一の二百五十名が一箇年になくなつた。その死んだ者を裸にし、ふんどし一つにして、あの零下四十度というシベリアの野に山積みにしていた。残虐非道だと言つておる人がある。あなたは、シベリアの捕虜になつた人はみなそういういい待遇を受けた、非常に仕合せだつたと言つておるが、そういうのはあなたの受けた待遇であつて、それを全般的に述べるということはいささか独断に過ぎると思うのです。私はそういうことをここで議論するのではない。あなたの待遇のよかつたことは、あなたは向うの指導者として、アクチーヴとして、民主グループの指導者として、反フアシストの連盟の幹部としての扱いだと私は考えるのです。そういうことは抜きにして、ただここで申し上げたいのは、あなたはソ同盟政府発表のものは正確なものとして確信せざるを得ない、こう断言しておりますので、ソ同盟発表によるものが確信的なものだ、あとのものは信用できない、こういうことになるのですが、そのソ同盟発表——タス通信発表が的確なものだと御解釈になるのかどうか、それを承りたい。
  137. 小澤常次郎

    小澤参考人 タス通信発表ソ同盟の権威ある機関の発表である。日本政府発表に信を置けないとすれば、われわれはソ同盟発表を信ぜざるを得ない。だからわれわれが要求したいことは、日本政府ほんとうに現在わかつている未帰還者の姓名、あるいは以前の住所その他を全国民に公報かなんかで発表して、これを全国民の前に明らかにすることである。そうしたならば、これは一齊に明かになることだと思います。われわれの団体もこれに協力するにやぶさかでない、全力をあげて協力したいと思う。そういう処置をとつて何万かはつきりしたら、そのときに初めて国連へでも何へでも問題を持ち出してこの問題が処理されても、われわれはこの権威を傷つけるものでもなし、日本人民がこんなものを出して来たからといつて日本の襟度を害するようなことはないと思う。こういう点に立つてわれわれはタス通信を正しいものと信ずる。
  138. 佐々木秀世

    佐々木(秀)委員 これは国際連合に訴える文書としてははなはだ不謹愼のように思われるのでありますが、日本を復興させるのに、要するに世界の連合国、もちろんソヴイエトも全部含んだ連合国からいろいろな意味において——物質的ばかりでなく、精神的にも日本は援助を受けなければならぬ。そういう立場にある日本の人として、現在の日本は、第三として「第三だかつてのヒツトラー、ムツソリ二一、東條にならい、反ソ反共の旗印の下に日本帝国主義を復活」せしめようとしている、こう書いております。いわゆる全体主義とか、そうだと考え方々は——これは個人的に考えることはけつこうです。しかし今憲法で議会政治を行い、選挙職によつてこの政治行つている日本がヒトラーやムソリーニのような全体主義的な方向に行くと断定できるのは、あなたの個人的は、いわば独善の考えですか、それともどういう企図からそういうことを言われておるのか、それをはつきりしてもらいたい。
  139. 小澤常次郎

    小澤参考人 われわれの言つているその言葉が不穏当だというのか、事実と相違しているというのか。(「事実と相違しているじやないか」と呼ぶ者あり)相違していますか、どういうわけで……。(「全体主義的な行き方がどこにあるか」と呼ぶ者あり)これはわれわれ帰還者だけの状態を申しましても、われわれがソヴイエトから帰つたということだけで就職が拒否される、あるいは就職しても首になつている。たとえば履歴書にソヴイエトから帰つたということを書けば就職を拒否されている。(「おれは就職させているぞ」と呼ぶ者あり)もしそういうことを書かなければ、履歴詐称ということで首切られている。ソヴイエト帰還者に対するこういうような圧迫は何ですか。これが民主主義ですか。日本の軍閥のために満洲で身命を賭して職つてソヴイエトに捕虜になつてつて来た者の就職を拒否する、そういつたことが民主主義か。(「それは一部の特定政党の扇動をやつた者だ、帰還者全部じやない」と呼ぶ者あり)これは統計にも明らかな通り、帰還者の就職率はわずかに二二%にすぎない。帰還者がどういう状態にあるか。はたしてこれが民主主義か。われわれはそういう点を反問したい。
  140. 池見茂隆

    ○池見委員 私は一昨年の五月、タス通信発表があつたときに緊急質問をした一人でありますが、これについては小澤君がきようは矢面に立たれていろいろ釈明があるように聞くが、第一、小澤君の言われることは、いわゆる日本政府発表というものが不十分である限り、ダス通信の発表は絶対的なものであると了承していいのかどうか、この点を聞きたい。
  141. 小澤常次郎

    小澤参考人 すでに私が回答した通りであります。それで十分だと思います。
  142. 池見茂隆

    ○池見委員 すでに引揚委員会が設置されてから何回も国会を経過したが、その都度問題になるのはこの数の問題である。これについて、この要請書の中に示されているところの数が、もしこれが事実としたならば、われわれはこれに対するところの明確なる一つの証拠というか、納得のできる材料を示してもらいたいと考える。さらに三十七万という数字が今日取立てられて、この数字に対して非常なる論議がなされておるけれども国際連合においてこの問題が取上げられて、少くとも四月一ぱいにはその当事国より連合国に対して報告書を提出することになつている。しからばこれに対して日本政府としても、明確なるこの報告書類が提示された後に、さらにその報告書によつてあらゆる調査が進められるのであるが、この要請書の中の数字は、小津君等の、一体として間違いのないものであるかどうかということを承つておきたい。
  143. 小澤常次郎

    小澤参考人 今の数の問題ですが、この要請書の中に掲げてある数字は全部政府数字であります。従つてそういう御質問は外務省あるいは復員局政府当局に御質問なさつていただきたいと思います。
  144. 池見茂隆

    ○池見委員 そうしたならば、いわゆるこの要請書に出されてあるこの三団体、特に日ソ親善協会ソ連に向つて特別の文書あるいは特別の要請等が、——これはおそらく不可能であると思うけれども、今日諸君の団体においてできるものであるかどうかということをお聞きしたい。
  145. 菅道

    菅参考人 ちよつと今の御質問がわからないんですが……。
  146. 池見茂隆

    ○池見委員 さつき、明確なる抑留者がこれだけいるという場合においては、われわれとしては、ソ連の首脳部その他に向つて一日も早く帰還せしめるよりに要請するであろうということの発言が小澤君からあつたから、特にこの三団体がこういつた文通機関というか、特別の処置をもつてソ連政府連絡ができるものであるかどうか、これはおそらくぼくの考えとしては不可能であろうと思うけれども、その発言の中にそういつたことがあつたがゆえにお尋ねする。
  147. 菅道

    菅参考人 われわれはそういうふうな特別な連絡機関というようなものは持つておりません。従つて一般団体と同じように、われわれの意思を表明するにとどまるだろうと思います。必ずこうやれば向う政府首脳部に届くのだというふうな径路も存じませんし、今までも使つたこともありません。従つてもしも先ほどの小澤氏の発言あるいは私が先ほど述べた問題について言われるならば、これはわれわれ団体として、ソヴイエト代表部に対して意見を申し述べる、懇請するということでございます。
  148. 池見茂隆

    ○池見委員 それであれはわれわれも今までソ連大使館ないしはそういつた関係方面に要請したことと同様の言動であると了承してよいのですね。
  149. 菅道

    菅参考人 さようでございます。
  150. 池見茂隆

    ○池見委員 そういうことはまず普通のあり方としてやつておる問題だが、今日国際法その他によつて制定されておるところの捕虜通信というものが交換されておるが、この捕虜通信ということについて、あなた方は何かお知りになつておるか、またこういつた捕虜通信等の記事を読まれたことがあるかどうか。
  151. 小澤常次郎

    小澤参考人 捕虜通信は、私たちのおつたときには一箇月に一回許されておりました。これは万国赤十字社を通じて出すようになつておる通信用紙に、赤十字のマークと、それからソヴイエトの半月の赤十字マークと二つがついております。そしてこれは赤十字社を通じて扱われるものであるというふうに存じております。そういうふうな仕組みで、今でも戰犯でもつて向うにとどまつておる人たち家族に通信をよごしております。それは私の近所に戰犯でもつて通信を許されておる人の家族がおります。そのうちの子供が私の子供と学校も同じなんですが、向うでお父さんどうして暮しておるのというようなことを子供が聞くと、いや元気でおると言つて、帰つて来るということを話しておりました。ですから通信はなされておるようであります。
  152. 池見茂隆

    ○池見委員 今の小澤君の捕虜通信の問題は、そういつた程度において了承しておきます。さらに戰犯家族等の人々はいろいろ通信がなされおるということですが、ぼくの知つておる範囲においては、戰犯以外に相当数の捕虜がソ連に在留しておるということを了承しておりますから、こういつた問題については、單に小澤君は捕虜中の問題だけの程度においての了承ですね。
  153. 小澤常次郎

    小澤参考人 私は捕虜でありましたし、捕虜たちたけで生活しておりましたから、それ以外のことは知りません。但しジユネーヴ協定のもとに、一般在留邦人は自由意思によつてとどまることができるというふうになつております。そういう意味で残つた人もおるのじやないかと思いますが、それは樺太などにおられた方ですね。そういう方はおられるだろうと思います。しかし私たちのおりましたところには、軍事捕虜だけしかおりませんでした。
  154. 池見茂隆

    ○池見委員 いわゆる自由意思によつてソ連にとどまることができるということは一応わかるけれども、今日なお抑留されておる俘虜の生死等の事実に関して証明されない限り、相当数の者がおるということだけはわれわれとして考えておるがゆえに、小澤君のお話の最初の見解はここに相違しておるということを申し上げておきます。
  155. 小澤常次郎

    小澤参考人 ソ同盟総数五十九万四千人を軍事捕虜としております。そして送還者は五十一万四百九人、残留者一万二千七百十一人、そういうふうにタス通信発表しております。五十一万四百九人というのは、日本政府は受入れておるわけであります。だから五十九万から五十一万を引いたら八万しか残つておらないわけであります。このタス通信をよくごらんになれば、軍事捕虜が三十七万残つておるかどうかということは明確になるだろうと思います。
  156. 池見茂隆

    ○池見委員 その数字の説明は一応一方的なものとして、その当時も申し上げたように、内容の明確な発表でない限りわれわれの納得し得ないところであるということを重ねて申し上げておきます。さらに巨細な点もありますが、大局問題についてまだほかに発言があるようでありますから、きようはこの辺で打切ります。
  157. 受田新吉

    ○受田委員 先ほどの御説明で、タス通信が信ずべき報道であることを指摘しておられるし、また要請書の中にも、終戰後前後矛盾なく数次にわたつて発表されたソ同盟の正確なものを確信してもらいたいということがあるのですが、私が特にお尋ねしたいのは、第一回のタス通信の報道と、第二回のタス通信の報道で、先ほどお尋ねの点もあつたのですが、それを除いて、この軍事捕虜の中に一般邦人を含んでおるように小澤さんは解釈しておられるかどうか、この点についてお聞きしたいと思います。
  158. 小澤常次郎

    小澤参考人 原則的に一般邦人は軍事捕虜の中に含んでおりません。ただこういう場合があるわけであります。私名前を忘れましたが、ある大佐の人ですが、奥さんから子供まで家族そつくり捕虜になつた場合があります。あるいはまたあの終戰末期のときに、十六歳以上の開拓団の義勇兵までみな日本の軍隊がかり出しまして、ほんとうはこれらの人たちは一般邦人に入るべき人たちでありますが、そういう人たちが軍事捕虜として入つておるわけであります。それから私たちソ連へ入るときに、日本にすぐ帰れるのだというふうなうわさが飛びました。私もそういうことを信じておつたのです。そこで一般邦人の中で、軍隊の中にもぐり込めば帰れるのだというところからもぐり込んだ人たちもあるように思つております。そしてこれがやはり軍事捕虜として取扱われておると思います。それからまた私たちが入るときにこういうふりに言つております。これは私たちが、ロシヤ人というのはずいぶん数学にうといのだということを育つたくらいでありますが、いつも十人ずつ整列をしまして、一人ずつ何回も何回も繰返して勘定をして数を点検して、日本の軍隊みたいに番号でもつて勘定をするということはやらない。そうして千名單位で一箇大隊を編成して、千名ずつソヴイエトに送られたのです。ところがこの中から逃亡者が出た。大隊の責任者は人体日本人の将校なんですが、逃亡者が出ると日本人の将校は処罰されるというふうに思いまして——実際は処罰された者はなかつたのでありますが、処罰されると思つて、満洲におる当時は、その付近にいる日本人をうまいことを言つてその埋合せに連れ込んで来たというような実例もあります。そういうような点で一般邦人が入つたことはあると思います。そうしてこれらはみな軍事捕虜として取扱われておると思います。しかし満洲の收容所で軍事捕虜と一般邦人とわけまして、一般邦人ははずされております。その中で特に満鉄関係人たちで、タス通信でも発表されておりますが、現地釈放された者もあると思います。これは軍人でも同様であります。
  159. 受田新吉

    ○受田委員 そうすると一九四六年に結ばれた米ソ協定の中の第一節に掲げられておる引揚げ該当者、A 日本人捕虜、B 一般日本人とありますが、タス通信発表日本人将兵の捕虜総数という中には、米ソ協定に掲げられたB項はないのですか。
  160. 小澤常次郎

    小澤参考人 私はそういうふりに解釈しております。要するに千名ずつの單位で、向うが数を数えて受入れた数は五十九万幾ら、これが軍事捕虜であります。そして三十七万云々はこの前の対日理事会で問題になつ数字でありますが、この数字は軍事捕虜として行つた者が三十七万死んだということになつておるわけですから、そういう点でわれわれはこの数字を信頼しないわけであります。
  161. 受田新吉

    ○受田委員 今の小澤さんの御意見では、ソ同盟政府は米ソ協定による日本人捕虜送還はやつたが、B項の一般日本人送還は現在まだ実行していないということになりませんか。
  162. 小澤常次郎

    小澤参考人 その点については政府当局にお聞きになればよくおわかりになるだろうと思いますが、たしか二百何万帰つて来ておるはずです。それで軍事捕虜は五十九万がもともとの数でありますから、そういう点から見ても一般邦人も帰つて来ておるということは確実であります。
  163. 受田新吉

    ○受田委員 終戰以来日本送還されたソヴイエトよりの帰還者は、総計百三十万八千五百八十五名となつておるのであります。それで今一般邦人の解釈がどうこういうことをお尋ねしたのでありますが、日本人捕虜送還された数字は、将兵の場合が五十二万七千九百四十となつておるのであります。そこで特に第一回のタス通信と第二回のタス通信にちよつと私疑義があるので、小澤さんの解釈をお尋ねしたいのでありますが、第一回のタス通信発表当時の残留者総数は、十万四千九百五十四名、それ以後の将兵引揚者総数は九万五百一名、差引き一万四千四百五十三名が残るわけであります。これは戰犯その他が二千四百六十七名といたしましても、非常な食い違いになるのでありますが、この問題は一般将兵と一般邦人とを合計した数字として、第一回タス通信発表と、第二回タス通信発表との差異と解釈すべきでしようか。
  164. 小澤常次郎

    小澤参考人 数字の点についてここに食料を持つておりますが、私の方でタス通信数字を分析したのは、先ほど私が読んだ通りでございます。さつき私がちよつと言いました五十九万四千というのは捕虜の総数であつて現地釈放が七万八百八十人、差引入ソ人員は五十二万三千百二十人であります。そして一九四六年から一九四九年にかけての送還数が四十一万八千百六十六人であります。一九四九年五月一日現在の残留軒数は九万五千人、その後一九四九年から五〇年にかけての送還者数は九万二千二百四十三人であります。タス通信の一九五〇年四月二十日の発表では、それまでの全送還者数は五十一万四百九人、残留者一万二千七百十一人、この内訳は出ております。私の方は、そこから二千四百六十七人といういわゆる受刑者、病気治療中国引渡しの人間を引くと、一万二百四十四人という数字が出て来るわけであります。これが不明な数字として残つておるわけであります。
  165. 受田新吉

    ○受田委員 どうもここに疑義があるのでありますが、第一回のタス通信発表残留者は、今申された通り、戰犯その他を含めても十万四千九百五十四名ですね。それから百二回のタス通信発表では、残留者の合計が二千四百六十七名で、第二回発表までの一年間に日本に完全に受入れた数字が、日本側の数字では一般邦人を含めると十万二千百三十名、軍人だけであると九万五百一名となつております。そこで今おつしやつた九万二千何がしという数字であつても、一般邦人を含めないとするならばそこに大きな差が出るし、日本が受入れた将兵捕虜であつたならば、九万五百一名しかないのでありますから、一万四千四百五十三名という食い違いができるのです。これは一般邦人も含めたと解釈してもまだ少し食い違いがある。今の九万二千という数字では、十万四千九百五十四名から一年間に九万三千帰つたとすると、第一回のときに十万四千九百五十四名あり、それから九万二千名帰つた、そうして一万二千幾らの中で戰犯その他が二千四百六十七名あるとすると、その差だけが第一回と第三回の発表で食い違いが起るのでありますが、この点はどうですか。
  166. 小澤常次郎

    小澤参考人 そこで第一回の発表と第二回の発表との間に不明な数字があるわけであります。そういう不明なものを総合すると一万二百四十四人というものが出て来るわけであります。これは向う発表していないからわかりませんが、その点でわれわれはこれが死亡者の数ではないかと考えております。  それからもう一つは、日本政府当局の受入れの数と違うという問題でありますが、この点については先ほど私が申しましたような事情によつて、軍事捕虜として取扱われておりましたものを、舞鶴に着きまして、あそこで一般邦人か軍人かと聞きます。そうすれば、私は軍人じやなかつたと言う。その数を差引いているか何かしているのじやないかと思います。だから、全体としてナホトカから軍人捕虜は帰つていますから、ナホトカからの受入れ数を総計すれば、タス通信とぴつたり合うと私はいうのです。
  167. 受田新吉

    ○受田委員 今九万二千という捕虜の場合だつたら、一万いくらというものが一年間に食い違いを生ずるというのがどうも……。その前の第一回のタス通信のときには明らかにされなかつた死亡者が、第二回のときに明らかにされたので、これがそれだけ差引きされたということであれば、一年間の調査が非常に徹底して、過去の死亡者までも捜査してこれを引いたのならば、死亡者が幾らということを書いて発表してくれなければならない。それを全然発表しないとなると、第一回と第二回との、たつた一箇年の間に、一万二千何がしという食い違いが出る。これはソ連が非常にあいまいな発表をしておるという結論に達するのです。過去たつた一年間におけるこういうような大きな食い違いをタス通信はどういうふうに説明するか。私たちはこれに対して非常に疑義を持つている。この点が国民ソ連発表を信じない大きな原因になつていると思う。この点特に小澤さんの御意見を聞かせていただきたいのです。一般邦人を含めて考えても、大よそ近いところに行くのですが、一般邦人を含めないで軍人俘虜として考えて、今小澤さんが九万二千とおつしやつたのですが、そうするとここに一万幾らというものが違つて来るのです。それで、小澤さんの九万一千へ一般邦人を一万人ばかりプラスして考えたらというこの解釈が、ある程度近寄つて来るのですが、ちよつとそこを私はお尋ねするのです。
  168. 小澤常次郎

    小澤参考人 その一般邦人という問題が私にはわからないのです。今ここでは軍事捕虜として取扱つているから、その範囲内でなければタス通信は解釈できないと思います。一般邦人については、向うではこれを軍事捕虜として取扱つておるが、日本政府は一般邦人として取扱つておるという点で、狂いが来るのじやないかと私は考えたのです。
  169. 受田新吉

    ○受田委員 十万四千九百五十四名が第一回のタス通信、それから今小澤さんのお説では最近第一回タス通信から、第二回タス通信までに九万二千の捕虜送還をやつたとおつしやつたのですが、そうすると一万二千いくらという数字の食い違いが出る。それで二千は、今ここに戰犯その他が二千四百六十七名おるのですから、結局約一万という数字が第一回のタス通信と第二回のタス通信とでは食い違つておる。そこを、今それは死んだのだろうというような解釈ですが、この一年間にソ連では非常に精密な調査をやつて、過去の死亡者までも含めて一年間に差引いて、残留者なしとやつたか。あるいはこの一年間にそれだけ一万が死亡したのか、そういう問題をお聞きしたいのです。
  170. 小澤常次郎

    小澤参考人 私はその点について説明はできませんが、大体総体として一万幾らというものが不詳になるということと、最後の一年に二百九十人というものが不明になつているわけです。だから最後の一年間は、もしこれを死亡者とみても約二百九十人しか死んでいないことになる。それ以前の三箇年間に死んだ者が約一万人近くあるのじやないか——これは死んだかどうかわかりませんが、そういうふうにわれわれは解釈しているわけです。  なお私はタス通信の第一回から第二回と発表した数字をここに現在持つておりませんが、しかしそれを分析した数字をここに載せてあるのですから、ここでもつて議論しても始まりませんから、私が先ほど言つたことは速記に載つておりますから、その数字を今一応検討なさつて結論を出していただきたい。
  171. 受田新吉

    ○受田委員 私個人の考えとしても、この第一回の発表と第二回の発表との間にこれだけ矛盾があるのは非常にふしぎなんです。一般邦人を含めれば十万四千幾らという数字に大体近づいて来る。これを除くと九万幾らで一一万二千幾らが行方不明になつておる。それが、一年間の発表で、全部死亡者と大体推定されるということになるならば、これは非常に大きな死亡者であつて、十万しかないのに一年に一万も死んでは、これはたいへんなことなんですから、過去の発表をそこで全部累計したら、第一回の発表のときにはよう発表しなかつたが、間違いが約一万幾らわかつたから、差引いて発表したというのなら、差引いて発表した死亡者幾らということをここに断らなければならぬと思うのですが、第一回と第二回のタス通信発表で非常な食い違いがある、それを死亡したものとして、一年間に一万幾ら死ぬということは、十人に一人死ぬわけですから、とうてい考えられない。それから引揚げ総数が百三十万幾らあるというのは、一般邦人を含んでおるということになるのであるから、米ソ協定のA項の、日本人捕虜と一般日本人というものを、ソ連当局は当時一般日本人捕虜と同等に考えていた。ところがそれ以後引揚げたものはその発表の中へ入れないで、日本人捕虜だけを発表したということになるわけですが、しかしせつかく米ソ協定に二つ並べてある以上は、一般邦人は幾ら帰した、日本人捕虜は幾ら帰したということまでやつてもらわなくちやならぬ。こういうところをソ連当局に対しても要請されて、数字の食い違いを正されるように御努力なさつて、そしてこの要請書を日本人にも納得させてお出しになるという、そういう手続を踏む必要はなかつたか。そういうことを究明されないままで数次にわたつて発表されているというのは矛盾がないというのか。結果を見ると非常に大きな矛盾が出て来る。つまり一般邦人というものをあいまいに取扱つておるということ、それから第一回と第二回の通信では非常に大きな食い違いがあるということ。事実日本送還した受入れ人数というものは、ソ連で言つておる以上に、五十一万いくらというのが、事実は将兵だけでも正十二万七千九百四十名帰つておるわけです。そういうところがいろいろ疑義がある。これがタス通信を私たちをして疑わせる大きな理由でありますから、この点をここで確信をもつて要請された立場から明らかにせられることを私は希望します。
  172. 高田富之

    ○高田委員 ちよつと参考までに承つておきますが、この要請文の中に、一九五〇年一月十六日、質問書をもつて日本政府数字的根拠を云々とありますが、この数字の問題を私はしよつちゆう委員会で聞いておりまして、何とかはつきりさせたいと思つておりますが、このときのこれは文書で返答があつたのですか。それともどなたか会いに行つてつたのですか。ここに出ておる言葉も重大なものがありますので、もう少しここのところを詳しく御説明願いたい。
  173. 小澤常次郎

    小澤参考人 この問題は一九五〇年一月十六日に内閣総理大臣あてに、引揚げ問題に関する質問状を出しておるのであります。この質問状の内容を申し上げてもいいのですが、その中にはこういうことを書いております。   一九四九年十二月二十一日声明、政府提出資料について。  一、ソ連地区消息不明者三十七万六千九百二十九名は、満洲を含めていないか。  一、もししかりとすれば、終戰時、出先軍官当局の無能、無責任の一切をソ連に転稼するものではないか。  一、一九四九年死亡率推定二七%と伝えられるアムール地区收容所は、一九四八年前半に閉鎖されていないか。  一、推定死亡率は、一時的局所的現象(それも吉村像事件に明らかなように、旧軍隊幹部の暴虐に基因する)を故意に普遍化したものではないか。  一、死亡者推定表から逆算した当初在ソ人員は、二百七十二万三千四百九十となり、これはソ連地区(大連、千島、樺太、シベリヤ)引   揚対象基本数百六十万七千六古五十五と満洲、(中国地区)の引揚対象基本数百十万五千八百、一十十の合計に一致するが、終戰時在滿者を全員入ソしたものと仮定していないか。   一、もししかりとすれば、政府統一によるも満洲からは六万一三百十二を除く、百四万五千五百二十五が引揚完了しているから、かかる仮定は不正確というより不合理ではないか。   統計資料一般について。   一、右のごとき死亡矛推定を過大に算定しなくてはならないのは、引揚対象基本数の杜撰に基くものであるが、政府は基本数を再検討する意思はないか。   一、昨年実施した留守家族調査をなぜ発表しないか。   これらの点について質問したのであります。これに対していわゆる「手の内は見せられぬ」というようなことを言いまして、——これは一週間後に回答するということに相なりまして、一週間後に行つたところ、そういう「手の内は見せられぬ」という言葉を吐いて、そしてこれは微妙な問題だから発表できないと言つて発表しなかつたのです。だから皆さんからいろいろ私に御質問なさるような疑問について、われわれ自身も持つているわけで、この点を日本政府ほんとうに早く全国民の前に明らかにして、問題を明るく正しく解決していただきたいということを切望します。
  174. 高田富之

    ○高田委員 そのとき会つた相手の人の名前を覚えておりますか。
  175. 小澤常次郎

    小澤参考人 私、実は行つたのではないのでちよつと知りません。
  176. 若林義孝

    若林委員長 参考人よりの事情聽取は本日はこの程度で終りたいと思います。なおこれについて委員の方より質問がまだあると思いますので、なお……。(発言する者あり)発言を禁じます。なお検討を要する点もありますので、次回の委員会において再びこの問題を取上げまして、従つて参考人の方にあるいは必要に応じて出頭を願うことになるかもしれませんので、さようとりはからうことに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  177. 若林義孝

    若林委員長 それではさよう決定いたします。参考人の出頭日時その他については、委員長に御一任願いたいと思います。なお参考人の発言中、不穏当ではないかと思われる節がありましたので、速記録を取調べの上で、もしも不穏当の箇所があれば、委員長において適当に処置いたしたいと思います。  なお参考人各位は、長時間にわたりまして熱意をもつて委員各位の質疑に答えられましたことは、本委員会の今日の目的を遂行する上に非常に御協力せられたことになつておりますので、厚く御礼を申しておきます。  ではこれをもつて散会いたします。     午後五時十七分散会