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参考人(
古田博之君) 私は
日本赤十字の
古田博之でございます。つい先日モナコのモンテカルロに開かれました第二十一回赤十字社連盟の理事会に出席して参りましたので、その御
報告を三つに分けまして、
会議へ出発する前に、アメリカ国務省及び
国連側から
要望されたこと、
会議の
状況、それから、
会議が終りましてから、ジユネーブの赤十字国際
委員会の本部へ参りまして、協議しました事項の三つに分けて、御
報告申上げたいと思います。
赤十字社連盟理事会は、一年置きに開催されておりますので、
日本赤十字はすでに一昨年、赤十字国際
会議の際これに出席しておりますので、今年は実は経費の都合上出席が困難であ
つたのでありまするが、第一に初めて国際
会議に
日本が正式の出席
委員として、投票権を持
つて出席することになりましたので、従来の国際
会議に対するオブザーバーとは違
つておりまするから、こういう点で折角與えられた特別の特権を行使するという意義もあると
考えまして、又それにも増しまして、すでに
国民運動とな
つて八千万全体の大きな関心とな
つております
引揚問題が或いはこの機会に打開されはしないかという大きな
希望を持つことになりましたので、経済上の困難を押しまして出席することになりました。私は丁度五月以来アメリカに参
つておりまして、セント・ルイスを
中心として田舍の
方面における赤十字の実情を
調査しておりましたので、
日本から来る日赤社長と共に二人
会議に出席するようにという命令を受けましたから、七月末に中西部
方面のアメリカの視察を打切りまして、ワシントンへ帰
つて参りまして、
関係方面に挨拶をいたして置きましたところが、国務省のミスター・オーバートンという人から電話で呼びつけられました。このミスター・オーバートンという人は、御自分の御
説明によりますと、スキヤツプのガバメント・セクシヨンにずつとお
つて、その以前、立教大学で教えてお
つて、非常に
日本通であるそうであります。この人は、君がモナコへ行
つて引揚問題について仕事をするという
お話を聞いたので、アメリカからの注意を申上げて置きたい。オーバートンの御
説明を取次ぎますと、
只今の
お話とやや違
つて来る点があるかと思いますが、これはミスター・オーバートンから私に伝えられた意見であるから、そのまま申上げます。ミスター・オーバートンは
只今国務省の中で
国連との
連絡を專門にや
つておりまして、
国連の、殊に、
日本側に関する問題を專門に行な
つておる係官でありまするが、オーバートン氏の御
説明によりますれば、今回の
国連においては、
引揚問題に絶対に目鼻をつけたい、あらゆる困難を賭してもこの問題を絶対に解決したいという固い決意を持
つておるが、一番問題となるのは、ソヴイエトが途中で退場するとか、或いは拒絶するとか、その他の反抗的の態度に出て来たときには、幾ら決議しても何ら効果がない。
従つて、今度の
国連においては、ソヴイエトを怒らせないで、彼らの面子を立てるところは十分立て、少しも怒らせないようにして、そうしてこの問題を円満に解決して行きたい、できれば一番
希望することは、その状態を確かめるために中立
団体、例えば、国際赤十字のような
団体を作
つて、
調査団として中へ入れたいのが目的であるけれ
ども、
調査団の派遣を大多数で決議したところで、肝腎の
ソ連が入れて呉れなければ何にもならないから、
ソ連を怒らせてこういう決議をしてもしようがないから、
ソ連を怒らせないように
方法を講じておる。ついては若し
日本側が余りこの問題について
国連に向
つて騒ぎ過ぎると、こういう困難な問題が出て来る。
国連憲章の百七條であ
つたと思いまするが、
国連は旧敵国側からの提訴によるものを受入れて
審議しない、こういう
意味を含んだ條項が記載されておる。
従つて日本は技術的にはまだ敵国であるから
日本側が余り騒いだときに
国連がこれを取上げると、
日本側の提訴によ
つてこの問題を提出したという事実上の解釈に
従つて、
ソ連がこれを却下する力を持
つておる。これに引つかかりたくない。だから
国連としては今度のは終戰後五年に及んでもまだ故国に帰れないという人道的の
立場々らが
一つ、更にポツダム宣言の違反という点が
一つ、この二つによ
つて国連独自の
立場からこれを進めて行くのであ
つて、この二つによ
つて進んで行きたいから、君
たちがモナコに行
つた場合もそうであるが、すべての場合に無暗に宣伝的に騒ぐような態度は一切避けて貰いたい。
国連の総会では、
日本の
外務省或いはその他から来て貰
つて、数字その他の
説明は受けるけれ
ども、恐らくこれは総会で
説明するというようなことは一切避けて、
委員会その他で事実を確かめるという
意味の
説明を聞くだけで、
日本側というものはできるだけ表面に立てたくない、これが今の
国連の方針である。なおこの提出時期は、
朝鮮が大体片付いてしま
つてから提出したいと思
つておるから、恐らく君がモナコの
会議を終
つて帰
つて来てもまだ提出していないだろうと思うから、こういう方針に
従つてモナコで活動されて、帰
つて来たら一応結果を
報告して貰いたい。以上がミスター・オーバートンの注意でございました。
従つて私は
日本出発以来、長くな
つておりましたので、インドを経由してヨーロツパから
日本へ直接帰りたいと思
つておりましたが、予定を変更して、再び引返して、その
状況を
報告して参
つたのであります。こういう注意の下に、私
どもは、勿論宣伝的に騒ぐ気持も何も持
つておりませんでしたが、途中島津社長と一緒になりまして、二人でモナコへ参りました。モンテカルロにおける
会議は、十月九日から二週間行われましたが、最初の一週間は
委員会でございまして、赤十字のいろいろな分野を
委員会で検討いたしまして、それを十六日からの総会にかけたのでありますが、
委員会に出席する間中、どういうふうに手を打つべきかということを相談しておりました。
ソ連及び
中共赤十字が出て参
つたならば、その様子によ
つていろいろ手を打ちたいと
考えておりましたが、残念なことに、
委員会の一週間の間は、
ソ連も
中共も出席して参りませんでした。
中共赤十字代表はチエツコスロバキアまで来ておるという電報は入
つてお
つたのでありますが、査証その他の問題でモンテカルロに進むのが困難であるから援助願いたいという電報が来て、早速ジユネーブからその手配を講じたままで、返事がないまま、
ソ連赤十字は出席するとも出席しないとも
言つて来ていなか
つたのであります。
従つて、最初の一週間は、我々が
連絡できる限りの英国、フランス、ベルギー、トルコ、スイス、スエーデンというような国に対しまして、この問題をどういうふうに取上げるかわからないけれ
ども、若し正式の総会で論ずる場合があ
つたら、どうか支持して貰いたいという
意味でいろいろ事前工作をいたしました。そうして十分なる了解を得て参
つてお
つたのであります。十六日の総会の初日に出席して見ましたら、
会議に
ソ連代表が六名、
中国赤十字代表五名が着席いたしておりました。昨晩遅く到着したというような挨拶でありました。その初日に、
中共代表から一言挨拶をしたいからと
言つて立上りました。首席の代表が御婦人のかたで李徳昌というかたでございます。この人は
中共政府の保健大臣であります。そうして赤十字社の社長を兼ねておりました。この人が立上りまして、劈頭に、今まで
日本の帝国土義に苦しめられてお
つた中国の
国民は、更にそれに引續いて蒋介石の封建的軍閥に苦しめられてお
つたけれ
ども、漸く解放されて、今幸福の境地に達することができた。すでに食糧も自給自足ができ、綿も云々、こういうような非常なる宣伝演説を行いました。そうして五名とも非常に固くな
つて敵地に乗り込んで来たかのような固い感じを以て坐
つておりますので、取り付く島もなく思われました。
續いて
議事に入りましてから、
ソ連の赤十字代表が立上りました。赤十字社連盟の目的のところに一句挿入したい。それは赤十字社連盟は、各国の
政府が戰争に際して、原子爆弾を使用しないようにせしめるということを赤十字社連盟の目的にしたいという提案をいたしました。更に、その目の
審議ではありませんでしたけれ
ども、後に
審議すべき要目の
一つとして、北
朝鮮におけるアメリカ空軍の非人道的爆撃を直ちに停止するよう、この理事会から勧告したい。こういう提案を書面で配りました。非常に当初から空気が甚だ赤十字らしからぬ政治色を帶びたものにな
つて参りました。これ
はついででありますから申上げますが、米国赤十字代表が、こういうことを論ずることは赤十字本来の使命を害するものであり、政治と宗教、或いは国境を超越して、そうして人類のために盡さなければならない赤十字にひびが入る虞れがあるから提案を撤回してはどうかという意見に、
ソ連の代表が直ちに同意しまして、私が間違
つてお
つたかも知れないを
言つて引下げましたので、それは問題にならなか
つたのであります。初日からそういう空気でありますから、初日、二日、三日と私
どもはまだこの問題は
日本赤十字の提案として理事会の決定にすべきか、或いは
個々に折衝して助力を得ようかという点に迷
つてお
つたのでありますけれ
ども、その間に、いろいろ提議が出て参りまして、ヨーロッパで一番問題にな
つております三つの大きい
引揚事件、ギリシヤの三万人の子供が鉄のカーテンの向い側に散らば
つてお
つて帰
つて来ないという事実、パレスタインの避難民事件、ドイツの俘虜
抑留者の問題、この三つの問題がこもごも論議されまして、いずれも提案者の提案する通りに可決はされましたが、投票の工合を見ておりますと、いつでも、例えばソヴイエト、
中共、ルーマニア、チエツコスロバキア、ユーゴースラビア、ポーランド、ハンガリー、こういうような国々は反対の投票をいたしております。反対の投票のままに大多数で押し切
つておりますから、そういう場合の決議を
日本側が出しても、同じくそれが国と国との問題として論議されましたら、この六ヶ国が反対することは眼に見えておりますので、この六ヶ国が反対しても大多数で押し切
つて決めて見たところで、何ら実際の効果が挙りませんから、私共は危險を冒しまして、これは我々の総会の問題としないで、
個々に折衝しようということに決心したのであります。危険を冒しまして……と申しましたのは、理事会に正式にかけて、決議さえ通りますれば、私
どもはそれを持
つて何らかの
日本へのおみやげになるのでありますけれ
ども、
個々に折衝して撥ねられてしま
つては、家へ持
つて帰るみやげが何にもないのであります。けれ
ども、オーバートンの注意もありますし、なまじそういうことに拘泥してお
つては、折角の効果がない。
名前だけ持
つて帰
つてもしようがないから、玉碎する決心でもいい、
個々に話してみようということに島津社長と一決いたしました。その間に事前工作といたしまして毒にも薬にもならないようなものがいろいろ論議されました場合には、成るべく
ソ連側の提案にも賛成するし、大体の表決は手を挙げることによ
つて行われておりましたが、見ておりますと、会の工合が私の直ぐ前に背中を向けて
中国代表が坐
つておりました。私の背中を睨んでソヴイエト代表が坐
つておるのであります。それで、見ておりますと、チエツコスロバキアとかポーランド、ハンガリーというような国は手を挙げるべきか挙げざるべきかという決定を、先ずソヴイエトの方を見まして、ソヴイエトが手を挙げれば挙げる、挙げなければ挙げないという、その理論に構わない一心同体の態度をと
つておりますので、その意を迎えるのは甚だ残念ではありまするけれ
ども、
日本側として毒にも薬にもならないような場合には或いは英米側が賛成しておることでもソヴイエト側が反対だと思
つたときには、私
どもも反対するような態度をと
つて、そうして極力親しみを増そうといたしました。国際
会議でありますから、晩は殆んど毎晩、例えばモナコの国王の招待とか、大臣の招待その他で、殆んど毎晩ダンスとかカクテルのパーテイ、夕飯会などがございまして、そういう場合でも成るべくそういう連中に近づくようにいたしておりますが、
中共代表は初めの三日間はどんな席上でも自分
たちだけでかたま
つておりまして、誰が行
つてもずつと逃げておりました。私
どもが近づいて、今日は暖かいですね、と
言つても、暖かいですねと言い終らないうちに
向うへ行
つてしまうという状態でありました。甚だ空気がまずいと思
つてお
つたのでありますが、三日目頃からだんだん赤十字の空気になじんで参りましてやわらかにな
つて参りましたので、三日目の晩に丁度招待がありまして、カクテル・パーテイヘ行
つておりましたときに、近づいて
中共側に晝飯を一緒にして、どうせ隣り合
つている国で将来いろいろ力にならなきやならないから、晝飯を食べながら
お話をしようじやないかという提案をしたのであります。
向うでもそれに乗
つて参りましたが、いろいろ晝飯を約束しておりまして、うまく参りませんので、その話は成立しなか
つたのでありますけれ
ども、それは成立しなくてもいいが、
日本人が多勢まだ
中共側に残
つておるのは
日本人としては非常に大きな問題であり、殊にその中には赤十字の看護婦さえも三百三十二名も入
つておるので、こういう者が帰
つて来ないと、将来赤十字の事業の発展にも非常に差支えるし、御
承知の通り赤十字の看護婦はこういう場合には一番先に帰る資格を持
つておるのだから、世界的赤十字の権威にも関するし、尚、その外に一般
日本人が帰らないということは、その
家族ばかりでなく、
日本全体の問題にな
つておりまして、是非暴力して貰いたいという要旨を率直に申入れました。
中共側の代表はその日は確答いたしません。いずれ
考えておく。こういうような生ぬるい返事でありましたから、悲観してお
つたのでございます。續いて
ソ連の赤十字代表に対しましては、私のフランス語では甚だあやしい。
ソ連の赤十字代表はパシコフというモスクワ大学の教授で古い赤十字
委員でありますが、これは英語が話せませんので、止むを得ずポーランドの赤十字代表が英仏とも非常に達者でありましたから、これを通訳に依頼いたしまして、ポーランド代表に私の英語をフランス語に直して貰いまして、そうしてパシコフと向い合
つて、三国の赤十字代表で以てお語いたしました。
ソ連に対しましては、すでに
残留同胞の数の問題で
相当深刻な問題ができておりますから、我々がすでに
ソ連の
政府が打消しておる問題を数の点から取上げては、パシコフ博士の
立場が甚だ困ることになるだろうと存じまして、そういう問題に触れずに赤十字本来の
立場から赤十字通信を許して貰いたい。まだ
相当数の
日本人が残
つておるから、これに対して私のほうから用紙は届けるから、その用紙によ
つて赤十字通信を許して貰いたいという提案をしたのであります。赤十字通信は御
承知の通り戰時の俘虜に許されておる特権でございまして、これによ
つて郵税等も拂わずにその用紙を使
つて一定の通信ができることにな
つておして、終戰直後にはこれが行われておりま
つたのでありますが、その後、来なくな
つたのであります。
従つてこれを復活さして頂きたいとお願いしました。同じく、
中共代表も一応
考えさして貰いたいという意見で、その日は確答がございませんでしたが、それから二日ほど過ぎまして、もう
中共側と
ソ連側との相談も済んだ頃だと思いましたので、再び近付いて参りまして、
中共側にお願いした返事か聞きましたところが、李徳昌夫人の次の首席を勤めておりました、漢字は知りませんがデインチヤオという非常に英語の上手な男の代表が、あれは相談をして見たが、勿論我々のやらなければならない仕事であるから全力を挙げてこの仕事をすることに決定した。ついては御
承知願いたいのは、
中共の赤十字、あすこは紅の十字と
言つておりますが、紅十字ではそういうことは今まで全然知らなか
つたので放置しておいたのであるが、今、幸いこのことを知
つたから、幸い私の方の社長は
政府の大臣でもあるから、今度帰
つたら強硬に
政府にこの要求を出して、そうして
日本人が直ぐ帰れるように全力を盡して計らうつもりであるから、御安心願いたい。こういう
お話がございました。續いて、これに勢いを得まして、
ソ連のバシコフ代表に会いましたところが、非常に初めから機嫌がよくて、
従つてこれは
中共と打合せた結果と思いまするが、葉書の件は勿論
承知したから直ぐ葉書をよこして貰いたい。
日本人がいると思われる所には全部これを配付する。尚、この外に私
どものできることかあ
つたら、何でも御相談に応ずるから
言つて貰いたいという話でありましたので、それにつけ込みまして、それでは漠然とした安否
調査では困るだろうから、少くとも、私達が確実な証拠によ
つて、例えば戰友がそこで見て来たとか、一度通信があ
つたとかいうような手がかりによ
つて、終戰後
ソ連領内にお
つたということが
はつきりしておる者だけはリストを作
つて送るから、全部の安否
調査を行な
つて貰いたい。非常に大きな仕事であるけれ
ども是非頼む、というふうに申出でをしましたところが、それも引受けた、一切や
つてやるから急いで
言つてよこすように、こういう話でありまして、この二ヵ国の代表は、快く私
どもの申出を承諾してくれたのであります。
續いて私
どもはこの
会議の一番大事な使命を果しまして、ジユネーブに参りまして、赤十字国際
委員会の本部を訪問したのであります。赤十字国際
委員会は御
承知の通り、戰時に敵味方の区別なく、勿論絶対中立で、敵味方というものではなしに俘虜の
引揚その他の仕事を行なう義務を持
つております。ここのリユーガーという会長は、
日本赤十字を昔から非常によく知
つておる人でありまして、私
どもの到着した際にも、私はともかく島津日赤社長は
一つの国家の赤十字の社長でありますから、赤十字の社長に対する礼儀を以て屋根の上に旗を掲げ、玄関に整列して出迎えて、貴賓室に通して、立上
つて正式の歓迎の辞を述べるという歓迎の仕方でありました。私
どもの目的は外には何もなくて、要するに
ソ連の
引揚を援助願いたいのであるといういろいろな詳しい書類を提出いたしまして、それに関する
説明を細かに行いました。数時間かか
つてこれを終
つたのであります。その前に赤十字本社のほうからもすでに一応の書画は行
つてお
つたので、
事情は大体
承知しておりましたけれ
ども、この
説明を聞いて更に、これは私
どもが一生懸念で今後やるから信頼して貰いたいという話があ
つたのであります。
ジユネーヴを辞して私
どもが帰
つて参ります途中、私は少しくたびれましたのでアメリカを経由して船で帰
つて参りました。船の中で電報を見ますと、リユーゲルが謎のような用務を帶びてモスコーへ飛んでおるのであります。このモスコーへ飛ぶ前、私
どもがお目にかか
つたときにも、或いは
国連側から
調査団の依頼があるかも知れないが、
国連から依頼されてもソヴイエトが容れてくれなければしようがないが、容れてくれるなら勿論喜んで行くということを
言つておりましたが、不意にモスコーへ飛びましたので、どの
新聞を見てもどういう用務を帶びて行
つたかということは
言つておりませんけれ
ども、リユーゲル会長は少くとも私
どもの話したことだけはよく
承知しており、それが頭に残
つておりまするから、モスコーに到着して機会がありましたならばこの問題は必ず論議されたものであると信じまして、
只今、
日本の赤十字社長から私信を以てこの会長に宛てまして、この件が若し発表できなか
つたら内密の話として自分の肚だけに留めて置くから様子を聞かしてもらいたいと
言つて私信で照会しておる次第であります。
中共赤十字及び
ソ連赤十字がこの
引揚を引受けたということは、すぐ
引揚を実行するという
意味ではございません。これは
政府機関ではございません。
国民の
機関でございますから、
政府にどれだけの力を持
つておるかということが一番の問題でありますが、少くともないよりはよか
つたものと思いますし、殊に昭和二十二年
日本赤十字が
ソ連赤十字に対して盛んに
引揚を懇請しておりましたときに、二十二年の二月二十一日附を以て、
ソ連赤十字から
手紙が参りました。いろいろ
言つて来た件は当方において
努力してお
つたが、近々
引揚を始めることに
なつたから安心して貰いたい、
家族のかたにも伝えて貰いたいという
手紙が参りまして、その後、間もなく、実際に
引揚が開始されました事実に鑑みまして、
ソ連赤十字の力も決して軽視すべきでない、或る種の力を持
つておると信じますので、これがいいほうに向
つてくることを
希望しておる次第であります。
ながながと申上げましたが、以
上島津日赤社長と私とがモンテカルロの
会議におきまして
中共と
ソ連の赤十字に交渉いたしました一切でございます。