○眞野参考人
訴訟促進をアメリカがどうや
つているかということについて話をしろということでありますが、私どもがアメリカへ参りましたときには、公にスケジユールができておりまして、そのスケジユールによ
つて行動をするということでありますが、少くとも私の眼から見ますと、このスケジユールは完全なものでない、われわれの使命を達する上からいうと、
相当の欠陥があるというので、われわれの使命、すなわちアメリカにおける司法制度の実際の動きを研究して、日本の司法制度改革に資するという唯一の目的から見ますると、もう少し
裁判所に頻繁に行き、もう少し裁判の経験のあるジャツジ、ローヤーという人々から経験を聞く、質問をするという機会があればよろしか
つたのでありますが、はなはだ、そういうことが、極端に申せば上すべりをしているような点が
相当あるのでありまして、たとえて申しますれば、ワシントンにおきまして、カソリツクの大学に行く、そこで一時間半なら一時間半いろいろ講義を聞く。講義を聞くのでありますが、その講義をしてくれることがわれわれのま
つたく知らぬことで、非常な経験に基く講義であるならば、これは有益であるかもしれませんが、單なる理論的のことならば、われわれが日本におるうちにアメリカ研究を
相当いたしておりますから、もう十分知り拔いたことを、そのあらましを講義するというようなことでは、何ら得るところがない点があるわけであります。われわれが四十七日の間、きわめて短
期間の間に、なる時を稼いでいろいろ調査をするという方面から見れば、非常に不完全なる点がありまして、十分なる成果を上げることは非常に困難な
方法でありましたが、われわれも努めて公のスケジユールに
従つて行動をするとともに、その以外においてわれわれが調査し、研究したり質問したりするチヤンスを求めました。そちらの方が非常に役に立つ、ただ表通りを素通りしたのじや何にもならない、かば焼き屋の前を走
つたつてお腹は張らないというのと同じように、われわれが
裁判所のいろいろな種類の人にいろいろな方面から質問をする、一たび質問をすると、甲の人はこう答える。翌日また同じ質問を試みると、また次の人が別のことを答える。そういうこともありますから、よほど愼重にやらぬと、軽率にやると非常な間違いを日本に伝える、間違
つたことからいろいろな判断を下すということに相なるわけでありまして、私個人の考えから申しますれば、もつと裁判の実地について見学し、研究し、質問し、経験のある人々と談話をかわす機会の多いことが必要であると考えております。これはここで私が申し上げるばかりでなく、われわれが最後の視察を終えてシヤトルから日本に帰る前にアメリカ滯在四十七日の間のことについて忌憚なく批判をし、将来のためにサゼスチヨンを與えてもらいたいということでありましたから、私はそのことをはつきり書いて参りました。そういうようなあわただしい中に、不完全なスケジユールのもとに行動いたしたいのでありますから、いろいろな問題について徹底しないうらみはありますが、日本の裁判が非常に遅れておるということを一部の人が言いますか、裁判が遅れるということは、單に裁判官がなまけておるとかいうことではなく、戰争後非常に
事件がふえた、そしていろいろむずかしい
事件がある。
法律もかわ
つた、憲法もかわ
つた、そういうかわ
つた法律を適用する裁判官は非常に従来より苦しい。従来の裁判官は四十年も五十年も伝統のある判例に
従つて行動すればよか
つたのでありますが、
法律がかわ
つた、判例はない、判例を探すのに骨が折れるというような状態のもとに
事件を処理するのでありますから、非常に裁判官が苦しんでおる。一つの
事件のためにどのくらい裁判官が苦しんでおるかわからぬような
事件もあるくらいでありまして、日本の裁判官が決して怠慢であるために裁判が遅れるのではなく、
事件がふえたということと、憲法その他の
法律制度がかわ
つたということ、それから戰後の生活状態が不十分であるというような、いろいろの要素からこうな
つて来ております。アメリカに参りますと、そういう点は非常にうらやましい。物資豊富、設備は非常にゆたかである。法廷も広いし、判事の部屋も十分広くと
つてある。各判事の部屋にはみなりつぱな書だながあ
つて、立
つて行けばすぐとれる。大体
地方裁判所の判事でこの
委員室くらいの部屋におります。そしてまわりに書だながたくさんあ
つて、ぎつしり書物が詰ま
つておる。一
地方裁判所の判事でもそうであります。
最高裁判所の判事は別としまして、
地方裁判所の判事の物的の設備がいいというばかりでなく、人的の、助ける手足が完全に整
つておる。たとえばワシントンの
地方裁判所の判事一人にロー・クラークという、日本で申しますと、
最高裁判所の調査官に該当するようなもの、いろいろな
法律の点について取調べを裁判官から命ぜられるとやる、ロー・クラークというものが一人ついております。それからタイプライターを打つ人間が一人ついておる。それから女の秘書が一人ついておる。そのほかにメツセンジヤーとして使い走りをするボーイのようなものがかついております。
それからマーシヤルという、日本で申しますと、廷丁という
言葉では十分表現することはできないが、マーシヤルの権限は
相当広く、
弁護士の資格を持
つておるようなものがマーシヤルをや
つていることもあります。そういうように一人の
地方裁判所の判事にもそれだけの部屋の設備と、書物、人間のロー・クラーク、タイプライターを打つ人、秘書の女、メツセンジヤー、マーシヤル、これが
地方裁判所の各判事にみ
なついている。判事が
仕事をやる上において非常に能率的にやり得る物的、人的の設備が完備している。先ほどもどなたかからお話がありましたが、ステノグラフアーといいますか、録音機——録音機でも向うには高いのも安いのもありまして、私が見ましたのはハーヴアード大学の法科の副部長の家へ招待を受けて行
つたときに、おもしろいものがあるからとい
つて見せてもらいましたが、それは向うではステノグラフアーと言わぬで、エレクトリツク・ヴオイス・ライター、電気で声を書くものであります。それはこのくらいの黒い色をした円筒でありまして、しやべるとこれがまわる。スイツチを
ちよつとひねりかえると発音をする。それで教授あたりが講義の原稿をつくりたいようなときは、それにしやべ
つて書いて、学校へ行
つたときに秘書の女に渡すと、タイプライターで打
つて原稿として目で見えるものになる。そういうものがあります。参考のために、いやしい話かもしれませんが、値段を聞きましたら百七十五ドルと申しました。それからシヤトルのボーグル、ボーグル・エンド・ゲーツという
弁護士事務所、三十四人ばかり
弁護士がお
つて、タイプライターだけでも十二名使
つている
相当の事務所であります。そこにはそれと
ちよつと形式のかわ
つた、やはり吹き込むものでありますが、これは幾らするのだと聞いたら、三百ドルと申しておりましたしとにかくそのくらい出すとそういうものがあ
つて、すぐに
自分の言
つたことが聞える。日本でも近ごろそういうものを研究して、何か細い写真のフイルムのようなものに打つもので、GHQでやるからひ
とつ吹き込めということで、われわれアメリカへ行く前に吹き込んだが、うまく行かないのでこれは失敗でしたが、とにかく向うのはそれと違
つて、こういう筒のようなもので、それへ言
つたことが記載されるということで、非常に便利な機械であります。
そういうわけでありまして、かりに
事件が起きますとすぐ相手方に通知をします。そうして相子方に、たとえばワシントンでや
つているような例で申しますと、
被告の側の方に二十日以内に答弁書を出させる。答弁書が出て来ますと、
原告側の書面、
被告側の答弁書というようなものが、ある一定の
職責を持
つた機関のところに来る、これはワシントンではアサインメント・コミツシヨナー、つまり
事件を割当てる
委員といういうな
言葉に当るわけでありますが、そこには四、五名の人がおりましたが、それはみんな女ばかりであります、その女が、
地方裁判所の所長であろうと普通の判事であろうと、みな同じに割振
つているようであります。それで日本でカレンダー・システムとか日程表とかいうようなことが言われておりますが、向うではそれに判事がちつとも関係しないで、アサインメント・コミツシヨナーが、しかもそれが女だけですが、そこで大体見当をつけて
期日をきめろ。そして
事件は進んで行くようにする、こういう仕組みにな
つております。刑事のことは岸さんがよく調べておりますから、刑事のことは岸さんにあとでしやべ
つていただいてもいいと思いますが、民事の方でわれわれが初めからしまいまで見た
事件があります。つまり
期日がきめられて、それから法廷の審理が始まる。それは都会ではなくワイオミングという州のシヤイアンという小さな首府ではありますが、そこの
裁判所を見たときには、初めからしまいまで見ました。その
事件はどういう
事件かと申しますと、民事の
事件で損害賠償です。女が自動車で、男がや
つて来る四つつじのところへや
つて来て、そうして左へ曲
つた、男はこつちの方から自動車を運転して来た、そしてこの曲
つたやつと衝突して自動車がこわれ、それから女もけがした。
原告は男でありましたが、男から損害賠償の請求が出た、そうすると女の側からはまた反訴した、まあこういう
事件であります。その
事件では
証人として
原告である男の自動車を運転した人も
証人に出ましたし、それから
被告の側としてはその女の自動車を運転した人も出ました。それからまたその衝突した場所でその当時ほかの自動車を運転していた人も
証人に出る。それからその当時調べた、日本でい
つたら巡査ですか、そういうものも
証人に出ました。そうして日本の
裁判所の法廷ではあんなのろくさくやらぬと思いますが、やはり
原告、
被告の
弁護士が同じようなことを質問をして、四時間か五時聞くらいかか
つたのですが、われわれの見るところでは
簡單だと思うのですが、結局これは女の方が悪いんだという印象が少くとも私には感じられました。また私と同じような感じを持
つた人がほかにもありましたが、結局反訴のつまり
被告の方が勝
つて、反訴の請求がある
程度認められ、そこで
裁判所ではすぐにそういうことを審理が
終つたときに言いました。そしてアメリカの人に聞きますと、判決文は書かなくてもあのままで終ることもあるんだ、それではどう始末して行きますかというと、ただ日本のように判決を書いて、判決の
理由を書いてというんじやなく、向うは記録だけは詳しくとります。たとえば先ほども申しましたように、
証人がしやべる、それから
証人として
証人台に立
つたときには記録が速記されます、あるいはタイプライターのようなもので速記される。そしてそれが印刷されて記録になるわけですから、その記録は完全に行くけれども、
裁判所の構成がどうだとか何だということはあまりやかましくなく、判決文にそう一一
理由を書かぬで終りになる。これは各州によ
つて違うわけでありますから一概には申せませんかもしれませんけれども、私どもの見たシヤイアンの州の
地方裁判所ではそのときに言い渡しのようなことを言
つておりましたしそれですぐにきまりがついておる。それからそれよりもつと手つ取り早いのは、これはもちろんスケジユールにないところでありますが、皆さんも御存じのナイト・コート、夜の
裁判所というものがどういうふうにや
つているかということをかねがね疑問にいたしておりましたから、きわめて
簡單にやるということを聞きましたから——始まるのは八時か八時半くらいですが、晩飯を近いところで食べてそこへ参りました。そうすると、もう片つぱしから判事が
ちよつと聞いてすぐに始末をつけて行く。そのナイト・コートは四時か四時半過ぎに起きた
事件を、つまり警察へ四時半過ぎに来たような
事件を始末をする。その日のことをその日に片づけるというくらいに手つ取り早い。たとえば罰金二ドルとか二ドル半とか三ドルとかいうようなことを言
つておる。その場合に、
相当りつばな服裝をした紳士が法廷をうろついている。
ちようどここが裁判長の位置としますと、その辺のところをうろついている。何をや
つているのかと思
つて、あれは法廷のどういう役をやるのかということを聞きましたら、つまり金を貸す人、罰金が足りないとか保釈金が足りないとかいうときに貸す。そういう何か目ぼしい取引をしている。証文か何かと
つて、その場で貸してしまう。そうするとその場で罰金を納め、保釈金のようなものを納めて保釈をされるというようにきわめて
簡單で、われわれから見ろと
ちよつとこつけいに近いような感がいたします。それでは法廷の威信も何もないように思われるのですが、とにかく
事件を片づけるということから言うと、
相当そういう手続によ
つて片づいて
行つております。二ドルや三ドルの金はたいてい持
つていて拂いますが、ある
事件で常習賭博のような者が二、三人ひつぱられておりましたが、そのときに二百九十ドル近い罰金をかけられて、その人から
ちよこ
ちよこと金を借りて拂
つて行く、そういうことできわめて即座に片づいて行くのであります。
それから
訴訟でも大体
弁護士が民事なら
原告と
被告の
弁護士がお互いにやり合うだけで判事はあまりやらない、ただ
弁護士同士の中から、判事に対して片方の言うことがいけないと
異議を出す、そうすると判事はその
異議は
理由ありとか、
理由なしとかいうことで、はつきりとてきぱきと片づける。そういうことは即座に判断して行くのです。まあそういうことによ
つて非常に審理が早く行く。われわれが接触しました多くの判事は頭の毛がはげているか、あるいは向い毛の
相当の年齢の人であ
つて、これは若いと思うような判事はきわめてまれでありましたが、ただシヤイアンのボリース・コートには三十一、二と思うような若い判事がおりましたが、他ではみな年と
つた五十五、六から六十歳くらいの人ばかりでありました。連邦の
裁判所は停年制がありませんから、連邦の
裁判所では非常に長く勤めている。私どもが会いました判事の中で、一番年と
つた人は八十のラーネツド・ハンドという判事で、この判事はわれわれがニユーヨークに着いた翌日のカクテル・パーテイで、アメリカの人が、あの判事は今八十だけれども、あれが今のアメリカにおける一番えらい判事だと言
つて、
弁護士会の人だとかその他の人で特に注意をしてくれた人が五、六人ありました、それで特にスケジユールにはありませんでしたが、法廷を見学するばかりでなく、個人的にも会
つていろいろ話をしてみましたが、やはりわれわれの印象に残
つているうちでは、やはりこの判事はえらそうな判事だなということが今でも残
つております。それで晝休みに
ちよつとその判事さんをスケツチして来ましたが、こういう顔をしております。この中にたくさんいろいろの顔を描いて来ましたが、この人はえらいから描いてやれというので五、六分で描いたから十分でありませんが、そのうちに色紙にりつぱなものを描いて向うへ送
つてやろうと思
つておりますが、もう少しひまがあればやりたいと思
つております。それから色を塗るのを失敗しましたが、アメリカで今非常に有名な判事でメヂーナという共産党の十一人を裁判した判事——
上村君や梨木君はこれを知
つているだろうが、この顔は少し赤過ぎるけれども非常に赤い顔をしている人です。この人は
ちようど私と同じように三十四、五年間
弁護士をや
つている。それから連邦の
地方裁判所の判事にな
つてから
ちようど三年あまり、私とはほとんど経歴が似ておりますが、年は私より二つ若い六十だと言
つておりましたが、非常に元気がよく赤ら顏をしている人です。この人と三時間ばかりいろいろ話をしました。
まだいろいろ申し上げたいことはいくらもありますが、別にまとま
つたことをお話しようと思
つて参つておりませんから、一応
委員会をお閉じ願
つて、懇談会の形式でお願いできたらけつこうだと思います。