運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1950-11-24 第9回国会 衆議院 文部委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十一月二十四日(金曜日)     午前十一時十一分開議  出席委員    委員長代理理事 岡延右エ門君    理事 小西 英雄君 理事 圓谷 光衞君    理事 小林 信一君 理事 松本 七郎君       柏原 義則君    坂田 道太君       佐藤 重遠君    東井三代次君       平島 良一君    若林 義孝君       渡部 義通君    浦口 鉄男君  出席国務大臣         法 務 総 裁 大橋 武夫君         文 部 大 臣 天野 貞祐君  出席政府委員         警察予備隊本部         次長      江口登留君  委員外出席者         文部事務官         (大臣官房総務         課長)     相良 惟一君         文部事務官         (大臣官房宗務         課長)     篠原 義雄君        専  門  員 横田重左衞門君         専  門  員 石井つとむ君     ————————————— 本日の会議に付した事件  宗教教育に関する件     —————————————
  2. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 これより会議を開きます。  委員長ちよつと遅れますので、私が委員長職務を行います。  第九臨時国会は、御承知通り、その会期はきわめて短期間でありますが、当委員会といたしましても、いろいろと御審議を願わなければならぬ案件もあり、委員会運営は、各位の絶大なる御支援にまたなければなりません。前国会同様、何とぞよろしく御協力をお願いいたします。  次に、日程に掲げておきました宗教教育に関して説明を聴取いたします。御承知通り第七国会以来問題になつておりました宗教団体宗教法人等に関する法律案の起草に関して、文部当局より説明を求めます。  ちよつと御了解を願つておきますが、法務総裁が、ただいまこちらにお見えになつておりますので、時間等の関係もあるそうでありますから、法務総裁に対する質疑から開始いたしたいと思います。若林義孝君。
  3. 若林義孝

    若林委員 今日法務総裁の御出席を願いまして、私から質疑を申し上げたいと思うのは、警察予備隊に対して、アメリカ軍隊にとつておりますチヤプレイン制に関することであります。ままず最初に宗教というものが、われわれの生活とどういう関係があるかということについて私から申し上げるよりも、法務総裁宗教と社会、あるいは生活というようなことについて、どういうようなお考えを持つておられますか、まずお尋ねいたしたいと思います。
  4. 大橋武夫

    大橋国務大臣 ただいま若林君から、宗教についての御質問があつたのでございますが、私ども今日の国民生活におきまして宗教の占めておる地位は、きわめて重大なるものがあると存ずるのでございます。今日国のいろいろな機構等におきましては、この重大なる性質に深く留意してそれを運営することが、きわめて大切であると思うのであります。警察予備隊につきましても、このことは、ひとしく同様でありまして、警察予備隊の将来の運営におきましても、隊員の各個人宗教心というものを尊重いたして参ることが、最も必要であるわけでございます。それだけ重大でありまするがゆえに、もとより予備隊におきまして、特定宗教隊員に強制するとか、あるいはある種の宗教を否定するというようなことは、これはなすべきものではないのでございますが、しかしながら隊員自由意思によりまして、宗教的ないろいろな儀式等を要求されるような場合におきましては、でき得る限りその意思を尊重するように、運営上留意しなければならない、かように考えておる次第でございます。
  5. 若林義孝

    若林委員 前の軍隊教育といいますか、これについては、五箇条から成つておりますあの軍人勅諭だとか、あるいは教育勅語だとかいう、一つ指導精神があつたと思うのでありますが、今日予備隊にも、それにとつてかわるところのものが私必要ではないかと考えるのであります。それは目下のところきまつていないと仰せになるかもしれませんが、どういう指導精神予備隊教育をしておられるか、また私は一種天皇中心の、国家至上主義とでも申しまするか、天皇中心主義から来ておりますあの軍隊生活、これのよしあしを今日ここで申し上げるのではありませんが、あれと同じように、一種感激を持つた精神予備隊の中に貫かれておらなければならないのじやないかと考えるのであります。はがき一枚で召集されたという昔の軍隊そのままのものでは、断じてないのでありますけれども一種感激を持つて日々の訓練に従つて行く、また事があつた場合は一種感激を持つて行くというのでなければ、治安保持ということについて、その使命を全うすることができないのじやないか、こう考えるのであります。もし一つ指導精神というものを、かりに設けたといたしますならば、その指導精神はどういう指導精神訓練をしておられるのかということが一つ、そしてその指導精神がもしきまつたといたしますならば、その指導精神は必ず宗教的信仰に根ざすものでなければならぬと私は思うのであります。アメリカのごときは一種のいわゆる自由のためにという——この自由はただ単なる民主主義という意味の自由にあらずして、深く各個人々々の人格を認め、しかも神格化された神とつながつた人という気持に根ざした民主主義自由主義であろうと考えるのでありますが、この警察予備隊に打ち鳴らすところの一つ精神があるとするならば、それに宗教的信仰的の裏づけをしなければならないと私は考えるのであります。先ほど総裁の御答弁の中にもありましたように、決してこれを押えつける必要はないのでありますが、自然に沸き上つて来る、信仰が盛り上つて来るような態勢を整えるべきだという気持ちを持つのでありますが、これについて今警察予備隊指導して行かれますのは、いかなる指導精神に基いておられますか、おさしつかえないところを伺いたいのでありますが、ちよつと速記をやめていただいて…。
  6. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 速記をやめてください。     〔速記中止
  7. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 速記を始めて……。
  8. 若林義孝

    若林委員 警察予備隊には、いかなることにおきましても、宗教的信念がなければならない。たとえて言いますと、昨日は勤労感謝の日でありますが、農民に対して感謝をささげるために、期せずして明治神宮に寄られまして、神前行事を行うてその感謝の行いをしておるのであります。いかなる形にあつても、行事というものは何らかの信仰的なものに基かなければ精神が入らない。天皇制云々憲法審議のときに言うた人がありますけれども国会開会式にいたしましても、人々これは信仰によつて違いましようけれども、おそらく私は神格的のいわゆる象徴という陛下の御存在を認めておる心持がみなにある。だからあの開会式も、陛下お出ましにならないで、議長だけの式辞だけならば、共産党の党員と同じようにだれでも出て来ないと思う。やはり陛下お出ましくださればこそ、みなが威儀を正してあの開会式というものが荘厳に行われるのだろうと思うのでありまして、何らかの形において宗教的の事柄を加味した行き方を、とられなければならぬと考えておるのであります。だから警察予備隊一つ指導精神という目標をお掲げになつておるとするならば、ぜひともこの宗教信念に基くという、強く心の底に根ざした信条と申しますか、そういうものとして御訓練を願いたいと考えるのでありますが、これに対する指導原理と、またこれに対して宗教的の裏づけをするのがよいか悪いかということについて、お伺いをいたしたいと思います。
  9. 大橋武夫

    大橋国務大臣 ただいま警察予備隊指導にあたりましては、警察予備隊の根本的な性格が、文化国家平和国家民主国家としての日本を守る、これがために国内治要を確保する、こういう使命を持つておる次第でございましてこの使命を達成するに必要と認められる指導をいたしておるわけでございます。現在の段階におきましては、創立早々の際でありまするので、主として技術的な訓練に忙殺されまして、いまだ幹部の陣容もそろつておらないような関係もございまして、精神的な面の指導が、比較的閑却せられておるのでございますが、しかしこれは今日指導の過程におきまするやむを得ざる事態でございます。今後の指導にあたりましては、でき得る限り精神的なものを加えてその使命を全うせしむるように努力いたしたいと考えておる次第でございます。  しからば、その指導精神というものは、いかなるものでなければならないかという点でございますが、これは今日予備隊の根本的な性格に即応いたしたものであり、かつそれは私は外部から与えられるべきものでなくて、予備隊みずからが今後の努力と創意によりまして生み出して行くべきものではないか、かように考えておる次第でございます。  それから宣誓のことにつきまして、若林君から御質問があつた次第でございますが、警察予備隊員採用にあたりまして、宣誓を要求いたしたことは事実でございますが、しかしその内容憲法法律を擁護遵守すべきこと、また信義誠実を重んじ、勇気をもつて職務を遂行する、上司の命令に対しては服従をする、また職務上の義務に矛盾するような団体には加入しないというような内容を持つておるのでございまして、その儀式は特に特定宗教儀式によつたものではございません。しかしながら、私どもはかような宣誓とか、あるいは精神的な指導という点につきましても、人の宗教心の力というものはきわめて大きな影響を与えるものであるし、またそれを取入れることがきわめて効果あらしめるゆえんであると考えますがゆえに、今後におきましては、できるだけかような面における精神的な要素を高めて行くことに努力をいたしまして、できるだけこの指導精神というものを、予備隊員宗教的な信念にまで高めるということが必要であろうと存ずるのであります。しかしながら今日国民は、信教の自由を憲法によつて保障せられておりますので、これをいわゆる宗教的な信念に高めるということは言い得るのでありますが、特に特別の宗教儀式によるとか、あるいは特定宗教の教理に基いてやるというようなことは適当ではなかろう。しかしながら、宗教的な信念にまで、でき得るだけ高めるように努力をするということは、これはきわめて適切なことであろう、かように考えておる次第であります。
  10. 若林義孝

    若林委員 まことに妥当な御答弁でありまして、またこれを先ほど私が申しましたように、外部から押しつける信仰であつてはならぬのでありまして、今総裁が御答弁の中に言われましたように、予備隊員の中から自然に沸き上つて来るような、一つ信仰的指導原理でなければならぬと考えるのでありますが、そうするためには、一つ雰囲気外部からつくる必要があるのじやないか。一つ特定宗教信仰が起るような行き方であつてはならぬのでありますが、いわゆる信教の自由を憲法で保障せられております範囲内において、その正しい宗教が、信仰心が、その胸の中から沸き上つて来るような雰囲気をつくることに、お努めを願わなければならぬと思うのであります。そのためには、アメリカでとつております軍隊におけるチヤプレイン、あくまでもその自由を守るという意味において憲法違反にならざる制度がとられておるのでありますが、その方式をわが日本警察予備隊にも御採用になり、御研究の対象とでもして行こうとする御意思が現在あるかないか。私はどうしてもこの雰囲気が起り、これは警察予備隊人たちの中に、信仰的に、與えられたいわゆる天與使命であるというような強い気持を持たせてあげなければ、御本人各自にとつては気の毒だと思うのであります。前の軍隊は、それは誤つておるかおらぬかは別問題といたしまして、今日論議はいたしませんが、兵隊を見るときにおいては、感謝気持をもつて見ておつた。今の警察予備隊方たちの姿を見たときには、服はまことにスマートで、ここに御列席の代議士諸公服装より、りつぱな服装をしておられるのでありますが、これを世間の人たちがながめて、何の感激を持つかということを考えたときに、ただ給料に引かれて、生活のために行つておるのだというような感じをもつて、冷やかな目をもつて見るような人の方が多いのでありまして、私は、これはわれわれの治安を守つてくれるために、あらゆるものを犠牲にして、ほかよりも危険にさらされることに従事していただいておるのだというような感激外部人たち一つも持たずにながめておるということは、警察予備隊員に対してはなはだ申訳ないような気がするのでありまして、国民一般警察予備隊を見るときの目も、一種感謝をもつてながめ得られるような雰囲気をつくつてあげなければならぬ。しかも一朝事あるときには、いつも命を的にしなければならぬ危険にさらされておるが、持つておられます武器なり、あるいは日々の訓練状態を見ると、そういうふうになつておるのでありますから、これを特にお願いをいたしておきます。そして当面の治安に当られる目標というものは、狂信的な一種信仰——信仰でないと言われるかもしれませんけれども、私たちの目から見れば一種信仰であります、その信仰をもつて立ち上る連中なのであります。どんなことがあろうと、こんなことがあろうと、狂信的に、りくつを考えずに、目的のために猪突的に行こうという、しかも暴力をもつてもなし遂げるのだという燃ゆるがごときものに対抗して行く予備隊のことでありますから、ここにそういう根強いものを持つてつていただかなければならぬのであります。こういう意味において、その雰囲気をつくるのに、いわゆるアメリカのとつております軍隊におけるチヤプレイン制度のごときものをただちに採用するということを、総裁からは御言明は、これはかなりむりでありましようが、将来研究してみるべきだという御意思があるかないかを、ひとつ伺いたいのであります。
  11. 大橋武夫

    大橋国務大臣 ただいま若林君のお述べになりました点は、きわめて重大な問題でございます。予備隊の今後の運営にあたりましても、非常に関係の深いことであると存じますので、今後予備隊におきまして十分研究をいたすように進めたいと存じます。
  12. 若林義孝

    若林委員 なお私は、今日はゆつくりこの点をもう少し具体的に法務総裁質疑を試みたいと思つてつたのでありますが、渡部委員からも通告があるようでありますから、この辺で私の法務総裁に対する質問打切りますけれども予備隊人たち——警察に対しても私はこれを要求するのでありますが、警察方たちが町へお出ましになつても、ちようどわれわれが婦人警官に対して感ずるようななごやかな気持を、警察官方たちのだれからも受けるようにしていただきたいと思う。見るものは、すべてのものを犯人として見るような目でなしに、徹底的に宗教的情操警察予備隊、あるいは警察官方たちから受入れられるように——これは何宗であるとか、特定宗教を指さすのではありませんが、特に御関係になつております御職務職務でありますから、ひとつ格段の御配慮を願いたいと思います。なお宗教家というものは、よいもの、悪いもの合せまして四十万近くもあるわけであります。ぜひこういう人たちの力をも、警察予備隊あるいは警察人たちに一日も早く行き届くように御研究をお願いいたしまして、法務総裁に対しての質疑打切ろうと思います。
  13. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 渡部君、——法務総裁はあらかじめ十二時二十分前に終るうにという話だつたのですが、時間も過ぎましたので、ごく簡単にお願いします。
  14. 渡部義通

    渡部委員 警察予備隊教育関連しての質問ですが、警察予備隊教育は、警察予備隊根本的性格に応じて立てられるということをおつしやつたので、その根本的な性格の認識が問題になるわけでありますが、これについては内外に、警察予備隊というものは、これは事実上の軍隊なんだ、ことに戦争等に動員することにも関連しているのだというような見解が、非常に多いのであります。御承知のように、日本人外国戦争に動員させる、させたいというような意見は、アメリカ帝国主義者の間や軍部の一部にはあるということは、新聞でも報じておるところでありますが、最近の新聞で、自由党星島二郎氏だつたと思いますが、これは名前が違えば取消しますが、警察予備隊国連の直接指揮下に置くべきであるかのような談話を新聞で取上げられております。そうだとしますと、警察予備隊性質というものが非常に問題になるのでありまして、われわれは警察予備隊そのものに反対であるが、いわんや日本人外国帝国主義者たち戦争のために動員するということには、絶対に日本人としては反対しなければならぬことであり…。
  15. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 ちよつと発言中ですが、渡部君に申し上げます。きよう法務総裁にここに来てもらつたゆえんは、宗教法案に関して、その面に関連した意味において、おいでを願つたのであります。ですから、宗教関連のある問題をやつていただきたい。
  16. 渡部義通

    渡部委員 これは宗教関連があります。
  17. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 それからもう一つ四十分までに御退席をしなければならぬというようなことは、前もつて申し上げておつたのですから、なるべく箇条書きに、議論をしないで、意見を加えないように、簡単にイエスかノーかを答えられるような質問をしてください。
  18. 渡部義通

    渡部委員 それでこういうふうな考え方星島二郎氏が新聞で出されたような、またアメリカ帝国主義者軍国主義者の一部の連中が言つているような考え方が、政府の中にあるのかどうか。これは予備隊教育問題に非常に重要であります。
  19. 大橋武夫

    大橋国務大臣 ただいまの渡辺君の御質問は、警察予備隊国外戦争にひつぱり出されるようなものであるかどうかという点が、眼目であると存じます。警察予備隊は、先ほど申しましたる通り民主国家文化国家平和国家としての日本を復興いたしまするために、国内の秩序の確保を唯一の使命として創設せられたものでございます。従いまして、これがいかなる意味におきましても、またいかなる場合におきましても、国外外国間の戦争に動員されるということは、断じて政府は予想いたしておりません。
  20. 渡部義通

    渡部委員 第二の問題があつたのですが、それは星島二郎君のような見解、つまり警察予備隊国連軍あるいは占領軍——具体的になりますればアメリカ軍でありますが、こういうものの直接指揮下に置いたらいいというふうな考え方が、政府のうちにあるのかどうか。
  21. 大橋武夫

    大橋国務大臣 それはただいま申し上げたお答えによつて、おのずからお答えをいたしたことになると思つたのでございますが、はつきり申し上げまするならば、さような考えは、政府としてはただいま持つておりません。
  22. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 渡部さん、警察予備隊に関する問題は、警察本部次長江口さんがこつちに見えておりますから、その方にお願いいたします。この問題はなるたけ限つてもらいたいと思います。宗教関連のあるような問題に…。日程に上げたものが優先するのです。今日は大橋法務総裁の時間の都合上、こういうような順序でやつているわけですから、その点もひとつどうぞ…。
  23. 渡部義通

    渡部委員 それでは警察予備隊性格等については、私たちとしては今法務総裁答弁によつては少しも納得できませんので、これについての御質問は保留しまして、次に…。
  24. 若林義孝

    若林委員 私は質問通告を一番にしているのです。法務総裁に関しての分だけは打切つたわけでありまして、打切つてからの、文部大臣その他江口氏に対しての質問は、私に先にさせていただきます。
  25. 渡部義通

    渡部委員 発言中です。——それでこういう警察予備隊教育方針について何かGHQとか占領軍当局の方から方針についての指示はございますか。
  26. 江口見登留

    江口政府委員 警察予備隊隊員に関する教育問題、これはもちろん日本政府部内のことでありますから、いろいろの装備の点などにつきましては、関係方面援助は受けておりますが、隊員に対する教育という面につきまして、しかもそれが精神的な方面に触れたものにつきましては、われわれ日本政府側として独自に何らかの方針をきめたいと考えておりますし、今まで他の方面からこういう方針をもつて予備隊は進むべきであるというような指示は受けたことはございません。
  27. 渡部義通

    渡部委員 現在はたこえば何らかの科目を講習するとか、教育するとかいうよな形で、外国人教育上に関係しておるような事実はございませんか。
  28. 江口見登留

    江口政府委員 装備の点が主としてアメリカ援助によつております関係上、その操作につきましては、米軍の将校から外部的な顧問的な意味において、いろいろ援助を受けておることは事実でございますが、直接隊員に対する指導の場合におきましては、それをそのかりの隊長——まだほんとう幹部がきまつていないキャンプがたくさんございますので、そのかりの隊長がその指導と相談の上、日本人隊長が直接指導をやつておるような次第でございます。
  29. 渡部義通

    渡部委員 先程若林君からも御質問があつたようですが、誓いの方式——これは若林君とはまつたく別な方面でもこの方式キリスト教式に行われておるというようなことをうわさに聞いておるのであります。自由党共産党の方には、まつたく別な方から伝えられた事柄であつて、しかも結論的には同じようなことを聞かされておるわけです。ところが法務総裁はそういう事実はなかつたとおつしやいますが、非常に疑問に思いますが、実際どうなんですか。
  30. 江口見登留

    江口政府委員 特定宗教儀式にのつとつたような宣誓はさせておりません。
  31. 渡部義通

    渡部委員 保留しておきます。
  32. 若林義孝

    若林委員 警察予備隊の方で、軍隊におけるアメリカチヤプレイン制度を御研究になつたことがございますか。
  33. 江口見登留

    江口政府委員 私ども一向に不なれでございまして、その方面の常識をわきまえておりませんので、ただいま若林委員からお話がございましたお言葉によつて十分研究いたしてみたいと思います。
  34. 若林義孝

    若林委員 私の持つております貧しき知識でありますが、太平洋戦争中に、日本は神国であるという意味で、兵隊一つ国家宗教の線に沿つた行き方一種感激をもつて戦つた、と言うておりますが、宗教家の端くれである私たちから見ますれば、それは言うだけのことであつて、決してその実際は行われておらぬのであります。宗教の立場から行けば、アメリカ軍隊内におけるチヤプレイン制度のごときは、ほんとう信仰に基いた戦いをしておる。すべてのものに優先して、宗教行事に必要なものを動かして行く。それから原子爆弾名前がついておりますが、「始めか終わりか」あの映画を見ましても、広島を爆撃するのに、出発にあたりまして、あの隊は厳粛なる宗教行事を行うて、ろうそくをみな机の上に立てて、そうして神の使命に基いて自分たちは飛び立つて行くのだという気持で飛び立つてつた。あの荘厳な宗教行事というものは、あの原子爆弾という映画をごらんになつた方は、ひとしくこれに打たれるのでありまして、ただ単なる天皇陛下万歳だけで飛び出した日本と、あの宗教的に結集した行事を行うて出たところの差が、進駐せられましたアメリカ軍も、われわれが懸念しておつたようなことなくして、五年後の今日、この有史始まつて以来の大戦争のあと、日本としてはなごやかに復興の一途をたどることがじきたと考えるのであります。そこで予想せられまする警察予備隊使命に基いて、どうしてもこの制度というものを採用せられまして——私は一宗一派に偏することを言うのではございませんが、ぜひとも一種感激を持つた日々だという気持をもつて警察予備隊訓練を願うということに、あらゆる国力を結集して、一日も早くおやりにならなければならぬ。これはいろいろな思想が入り込んで来るときでありますから、早く、一日も猶予せずに、服装をどんなにするか、あるいはどんな帽子を着せるかというような論議新聞で聞いたのでありますけれども、むしろこの魂をどういうようにしてやつて行くかというようなことが一つも懸念されておらないのをきわめて残念に思う。おそらくこれは私一人ではない、宗教に無関係の者といえども、この感じを持つて見ておると思うのであります。しかも文部省における宗務課が、去年辛うじて残つたのでありますけれども、私は警察予備隊のことをきつかけとするようなことはどうかと思いますけれども——文部大臣にもあとからお考えを聞こうと思つておりますけれども、道義の高揚ということが経済の復興より以上大切なときに、一宗務課というような、もはやほうつて置けばつぶされるところだと思つておるわけでありますが、私たち微力を尽させていただきまして辛うじて残つておるというのにすぎないのであります。ぜひともアメリカにおける軍隊チヤプレイン制をひとつ研究願いましてその長はすみやかにとつて行くべきではないかと考えます。先ほど法務総裁のお考えでは、大いに取入れてその雰囲気が、宗教的、信仰的の雰囲気が起るようにというお気持でお力をお出しになるお考えを幸いに聞いたものでありますから、ひとつこの点御留意を願いたいと、私の方からお願いをいたす次第であります。
  35. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 文部大臣に対する質疑を許します。若林義孝君。
  36. 若林義孝

    若林委員 先ほど来、法務総裁を中心に、私警察予備隊宗教教育について質疑を試みたのであります。大臣途中からでございましたが、その半ばをお開きを願つたものと思いますので、それはもう重複を避けたいと思うのでありますが、過般参議院の文部委員会におきまして道義高揚ということについて、日の丸、君が代のことを中心として大臣の御答弁を伺いまして、国家を中心とする観念を、子どもたちに一日も早く植えつけなければならぬという大臣の御決意を伺いまして、われわれ意を強くしたのであります。今日、私は、大臣が過般参議院の委員会においてお述べになりましたお気持ちに対し、どうしても宗教的の裏づけがなければならぬ、単なる道義だとか何とかいうのであつてはいけない、それにどうしても信仰的な裏づけがなければならぬ。先ほどもちよつと言うたのでありますが、われわれの生活から宗教的の雰囲気を除いたら、ほとんどゼロになつてしまうのであります。われわれが生れて三十日たつたならば、お宮参りということをやります。あるいは学校が始まるときには、勧学祭というものが昔は行われておつたのでありまするし、あるいは七五三というようなものでも、ことごとく、誤つておるか、誤つておらぬかはこれは別問題として、いわゆる宗教行事で、この気持ちで裏づけられておつたということ、あるいはただ単なる遊びとして行われておりますかもしれませんが、五月のしようぶ、あるいはおひなにいたしましても、あるいはたなばたにいたしましても、ひな祭、た川なばた祭というように、祭というような言葉が使われておるのでありまして、ことごとく宗教的な行事に結びつけられて、われわれの生活のほとんど大半が行われておるのであります。そういう意味において、この宗教に関していま少しつつ込んだ——宗教法人法を今国会にお出しになることになつておると承つておりますので、そのときに譲るといたしまして、今日は警察予備隊の問題を法務総裁に伺つたわけでありますが、大臣のお考えといたしまして自分は所管が違うとおつしやればそれまででありますけれども警察予備隊アメリカのチャプレイン制を取入れることは、どういうようにお考えになつておりますか、ひとつ文部大臣としてのお考えを承つてみたいと思います。
  37. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 始めに若林委員が、人間の生活にとつて宗教心が非常に必要だということを述べられましたが、私もその点はまつたく同感でございます。成立宗教のどれに帰依するかということではなくして、何らかの意味において、われわれが絶対者の支配とか、歴史に現れているところの真理性の勝利とか、そういうことに対する確信を強く持つているということは、これは生きて行く者にとつてすべて必要だと思います。けれども、私は、それはただちにいずれかの成立宗教に帰依せねばならぬということまで言おうとは思いませんが、そういう意味での確信を持つていることが、何人にとつても必要だという論には全然賛成でございます。それから警察予備隊に関しましては、私は平生からこういう考えを抱いております。ただいま若林委員もおつしやつたように、私の所管外でございまして、私はただ教育者という立場から、あるいは教育行政の首脳者という立場から、私のいわば平生考えておる私見を述べさせていただきたいと思います。私は警察予備隊というものは、先ほど法務総裁もお述べになりましたように、文化国家とか平和国家の秩序を擁護することがその任務であるということを、十分はつきりと考えておらなければならないと思つております。従つて、こういう文化国家の秩序を守ることがその任務である人たちを、普通われわれ一般の人とかけ離れた存在のように考えることは、私は非常に危険ではないかと思つております。この警察予備隊は、まずくすると一種のゲー・ぺー・ウーのようなものになるおそれがある。警察予備隊は、決してそういうものではなくして、文化国家の秩序を守ろうというのでありますから、これはあくまでも文化人でなければならぬ。それで私は先ごろも総理に向つて警察予備隊にはできるだけ普通人のやる学科を教えなくてはいけない、文化人にこれを育てることが必要だということを申しましたら、総理は非常に賛成だといつて、岡崎官房長官に私のおる席でそういうことを配慮するように言われたのであります。そういう意味で、警察予備隊の諸君をば、以前の軍隊人のような片寄つた、視野の狭い、いわば人間として通用上ないようなものに、してしまつてはいけない、社会人としてりつぱに通用するような人間に育てることがぜひとも必要である。現下の日本において一つの欠陥が社会にあると思つておるのは、それは一つでございましてすべてでは、ございません。それは軍隊というものがなくなつたことはよいことですけれどもそれに伴つて国民一般教育するという点に欠けるものがあると思うのです。軍隊のあつたときには、軍隊にはいろいろな弊害もありましたけれども、何といつてもいなかの若い者などにとつては、軍隊というものは一つ教育機関であつたと思うのです。その教育機関は、間違つている点が多いから、いけないのですけれども、そにかく教育機関であつたが、今の若い人たちはそういう点で、ある意味では一般的な教育機関を持たない。だから警察予備隊というものは、国民教育機関だという精神でもつてつて行かなければいけないのではないか、私は教育の立場からは、そういう考えを強く抱いているものでございます。そういう意味において、一個の社会人、一個の人間として宗教的信念が必要だという立場から、宗教をこれに授けようというのならば、私はまことにけつこうだと思いますが、何かこれは世間人とは違つた特別のものなんだという立場から、これ特に宗教というものを授けるということには、幾分考慮すべきものがあるように私は思います。しかし今おつしやるアメリカ軍隊制度については、私は知るところがございませんから、よく研究いたしてみたいと思つております。ただ私と若林委員と幾分考えが違うかと思いますが、こういうところでは、みんな率直に自分の考えを述べて、お互いに反省し合うということがよいと思いますから、私の考えを率直に述べることを許されるならば、社会において恐るべきものは、いわゆる狂信的であつて理性のないものだと私は思うのです。二・二六でも五・一五でも、あの人たちは、いわゆる狂熱的であるけれども、理性がない。だから国民を知性的なものにする、理性的にするということが国家百年の計であつて、理性を奪つてただ狂信的にさせるということは、——若林委員のお考えは決してそうではないと思いますが、非常にあぶない。現在日本の社会において、青年たちが少しも理性的でなくして、一種狂信的に一党一派に偏した行動などしている場合が非常に多いと思うのです。こういう点について、宗教は賛成でございますけれども、狂信的にすることはいかがかという意見を私は抱いているものでございます。しかしただいま申しましたように、一向にアメリカ制度研究しておりませんから、文部省でもこれから十分研究させて行きたいと考えております。
  38. 若林義孝

    若林委員 ちよつと大臣、お聞き違いがあつたのではないかと思います。一方やつて来るものが狂信的にやつて来るので、それに対抗するものですから、それをもしりぞけ得るような確固たる信念——これは知性も必要であり、同時に、その知性の上に信仰的の裏づけをさせて行きたい。その宗教的にというのは、共産党連中がやつておるような気持予備隊で教えるのでは決してないのでありまして、あくまでも民主的な行き方でなければならぬ。そしてその起る信仰的のものも、上から押えつけるものではいけない。これははつきり大橋法務総裁の方からも言明がありました。私もそれは押えつけてはいけないと思う。そういう雰囲気が起るように、できるだけの人と、できるだけの制度を整えてやらなければいけない。今のままでほうつておけば興りません。  それからもう一つは、大臣が言われたのと同感なのでありますが、決して予備隊だからという気持ではないのでありますから、特別にという気持はないのであります。これは全体がそうなればいいのでありますが、全体がそうなるのを待つてつたらたいへんなんです。ほんとうに命を的にしてやられる方たちは、今のところわれわれでなくして警察予備隊なんです。だから全体がそうなるまで待つことはお気の毒だ。しかも国民警察予備隊方たちを見る目は、今のところ、ただ単なる俸給につられて行つているのだ、世の中の失業者だ、それがつられて行つておるから、俸給が安かつたらすぐまたストライキが起るのではないだろうかというような気持でもつて、冷やかな目で見ておるということはお気の毒でたまらぬのであります。だから、ほんとうにわれわれのために命をささげるような仕事に従事せられておるというような、感謝的な気持でもつて警察予備隊方たちを見るようにして行かなければ、御苦労様という感じをもつて見る人が出ない。しかも服装自身は、われわれ社会人よりりつぱな服装をしておられるのであつて、おそらくここに御列席の代議士諸公よりは、くつといい、何といい、りつぱな装備をしておられるのでありますから、(笑声)よほどこの点は考えられなければ、この気持、非常に大切な、重要な役割を特つていただいておるのだというような念が国民から興らない。それから大臣の申しましたように、特別のものとしての取扱い方は、これは断じてすべきではないのでありますが、一つの社会人として教育する、いわゆる社会公民教育をするということは、文部省のお仕事であります。ところが散らばつておるものを教育するのは、なかなかむずかしいのであります。そこで、住居も、食べるものも同じものを食べさせて、一つ所に集めておるのであります。全体をよくするために、まずこういう警察予備隊人たち——警察の方なら毎日のお仕事がある、ところが一朝事ある時に備えられるのが警察予備隊でありますから、日ごろ訓練に中心を置かれるということになるとするならば、その人たちをひとつさきに、いわゆる宗教教育と言うたらいかぬかもしれませんが、社会の範となり得るような人として十分御教育をなさるように、文部省として御配慮を願うことが必要じやないか、こう考えるのでありまして、その点誤解を解いていただいて、社会教育面に携わられます大臣として、警察予備隊への社会教育——私が今日重点を置いておりますのは、宗教に重点を置く社会教育という意味になるかもしれませんが、この点について、もう一度お考えを伺いたいと思います。
  39. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 若林委員のおつしやられることも、結局私と大差ないかと思います。要するに、人間としてりつぱであるために、何らかの意味においてわれわれが真理を信ずるとか、道を信ずるとか、要するに、正しいことでなければ社会には通用せぬのだ、そういう信念を持つた人間をつくろうという御趣旨のようでありまして、それでしたら、まことにけつこうなことである、私たちもどうかそういうように甘を折りたいと思います。ただいまも申しましたように、アメリカ軍隊のことについては、知るところがございませんから、よく研究をいたしたいと存じます。
  40. 圓谷光衞

    圓谷委員 文部大臣にお伺いいたします。現在の世相を見ますと、道義は地に落ち、犯罪はちまたに満ちておりまして、刑務所の増築を行いつつあることは、まことに国家のために深憂にたえません。かつて日本は、道徳教育の基盤を教育勅語に置いたのでありまするが、この教育勅語は、社会党の内閣時代、委員長が松本淳造氏の時に、これが廃止されたのであります。その後小学校、大学においても、道徳の基をなす修身書がない、また道義の高揚といつても、小学校等においては道徳の教育というものは全然やつていない、こういう状態でありますが、天野文部大臣は、この道徳教育を何によつてなされるかという方法がありますれば、これを御質問したいと思います。あなたの私見でよろしゆうございます。
  41. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私はまず、道謹の頽廃というようなことが言われて今の時代はまるでだめのような正論が社会に満ちておりますが、私は必ずしもそうは考えておらない、社会はやはり進歩すると思うのです。この戦争を契機としてやはりわれわれの社会も進歩したと私は思つております。だから、今の時代がまるで前よりも悪くなつた時代だというようには、私は考えないのですけれども、しかし一面においては、やはり戦争の影響として、戦後の頽廃というようなものも、これを認めなければならないということから、一体どうしたら、今の国民ほんとうに道徳的な方に導き得るかということを、私も圓谷委員と同じように深く憂えておるものでございます。そういう立場から、さしあたり問題になることは、私がしばしば申したことでありますから、ここで繰返しませんが、まず子供に、自分は日本人である、しかしその日本人たることが、よき日本人であることがよき世界人であることの前提であるという立場から、よき日本人という自覚を持たせたいということが一つ、それから第二番目に、今お話になりました教育要領と申しましようか、道徳要領というようなもの、また道徳教育科というようなもの、そういう二つのものも、私は問題として考えております。それは教育勅語というものは、そこに掲げられている徳目は、依然として今も妥当性を持つておるものでありますけれども全体としてあれが現在に不適当だということは、私は当然だと思つております。だからして、ここに新しく道徳要領というようなものを考えても、決してそれは勅語のようなものとか、そういう意味ではなくして、それを否定して、新しく生れた意味の道徳要領というようなものを考えることも問題ではないかと思つております。ただしかし私はそういう道徳要領というような、いわば道徳の基準を立てさえすれば、それでこの社会の道徳がたちまちにしてよくなるなどとは少しも考えておりません。一体日本人がものを暗誦さえすれば、それですぐ道徳的になれるというような、形式的な考えを持つていることは、よろしくないと平生思つております。ところが恐れ多いことだけれども、具体的にいえば「夫婦相和シ」と教育勅語にあるからといつて、必ずしも和合した夫婦もないだろうと思います。あるいは「博愛衆二及ホシ」ということを骨の髄まで知つている人たちが、外地に行つてちよつとも博愛衆に及ぼさない。そういう点を見ても、道徳基準を覚えるということだけでは、道徳というものは生きた力にならない。道徳は常に実践を媒介にしてのみ力を持つておるものであると自分は信じます。  それから第二のいわゆる修身科に対しては、これは従来の修身科に非常に弊害があつた。その一つは、ただこの修身教科書というような教訓的なものばかり集めたものを持つて来て、先生が時間々々に教訓的なことを言うと、生徒はまたお説教かということで、少しも力を持つて来ない。たとえば、これが国語の教科書というようなものに出て来れば、非常に生徒に感銘を与える文章であつても、修身教科書で修身の先生が教えると、さつぱり感銘を与えない。極端に言うならば、場合によつては生徒の道徳感覚の新鮮さを阻害するというおそれさえもある。だから私は従来のような修身科というものではなくしてほんとうを言うならば、すべての先生が修身の先生でなければいけない。修身というような言葉で言わなくとも、先生の実践というものが、生徒に道徳的な影響を及ぼして来るのであつて、たとえば、先生はどんなにできない子でもそまつにしない、ほんとうに人間としてこれを尊重して行く。どんな貧乏人の子でも、金持の子でも、差別を立てず、あるいは先生が自分の間違いは淡白に認めるとか、そういうような実践が、すでに道徳的意味を持つている。ただ教科書をつくつて、先生が教えさえすれば、それで修身の成績が上るとは私は考えておりません。ですから、決して従来の修身にもどそうというのではなくして、ここで詳しく論ずることは時をとりますからやめまして簡単に申しますならば、社会科というものによつて、一度従来の修身は否定された。そういう社会科というもの、従来の修身というものを一つの契機として、ここに新しい道徳教育の方法をくふうすることが必要ではないか。大体においてそういう考えでございます。
  42. 圓谷光衞

    圓谷委員 勅語が廃止されました際に、これにかわるべき道徳律、つまり道徳基準をほかにつくつたらどうかという問題になります。この問題については、ただいまの文部大臣意見と私は同感でありまして、文章に書いて道徳律をきめても、国民は守らない。結局「天皇ハ神聖ニシテ侵スヘカラス」という憲法の条章にある言葉として勅語は遵法したが、これはできないということであつたのであります。その後わが吉田総裁は、何人かの委員をつくつてこの道徳の基本をつくるということで、過去一年以上になつておると、思いますが、いまだにこの問題は浮び上つて来ないのであります。ここに国会は、宗教信仰決議案というものを満場で決議いたしたのであります。国民意思を代表する国会が、宗教信仰を決議したのでありますが、宗教信仰はさつぱり高揚されておりませんで、宗教——インチキとでも申しますか、いろいろな宗教が出ましたが、これらはまだ国民指導する宗教でもないというような状態に今なつておるのであります。ただいま文部大臣のおつしやるのは、社会科の中に修身を織り込んで、国民めいめいがほんとうに理性を持ち、そうして実践によつて道徳律が高まつて行くのだ、道徳が高まつて行くのだということをおつしやつたのであります。それならば、そういう先生がたくさんできればいいのでありますが、これだけでこの先生というものがはたしてそういうものになつておるかどうかということには、私疑問を持つておる。ここにおいて、道義の高揚を片山内閣も主張しまして、わが吉田総裁も施政演説で述べております。国会もまた宗教信仰の決議案をもつて、ゆたかなる情操をもつて、キリスト教の愛とか仏教の慈悲の心をもつて国民の魂を練成したいという気持であるが、これまた先ほど申し上げましたように、犯罪はちまたに満ちておるという状態であります。文部大臣のおつしやるようなことだけでは、百年河清を待つというべきか、なかなか行かぬと思う。ここにひとつ文部省は、道義の高揚と申しますか、何かの一つの施策をもつて教育の、道徳の振興をはかるというような、もつと具体的なお考えをお聞きしたい。たとえば、この前の日の丸を立てようといつた、あの一つの言葉が、いかに国民日本人であるという自覚を与えたかわからないということを、私は喜んでおります。私は敗戦後といえども、日の丸を立てることは欠かしません。文部大臣がひとつそうおつしやると、国民は、どうも実に文部大臣は偉いというので、日の丸が立たる。そこで具体的にもう少し何か私どもはお聞きいたしたい。
  43. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 何か道徳綱領というようなことを私が述べますと、そうするとすぐに、それは勅語類のものだ——類には違いありませんが、しかし教育勅語というような道徳の基準を並べておくものに対する十分な否定的な反省を経て、そうして私はここに一つ教育要領、道徳要領というものを考えようと思うので、直接にそのまねをしようとか、そういうものではない。しかし何かの意味で、みんながひとつ自分からそれによつて励んで行こうというようなものを、何かくふうすることはよいのではないか。そしてそれを一つの問題としておるわけであります。  それから修身科についても、ただいま申しましたように、従来の修身を、そのまま復活しようと考えておるわけではなくて、修身教授というものの弊害をどこまでも深く反省して、そうしてそういう否定を経て、ここに新しい何か道徳教育ということを考えて行こうというわけであります。その成案を得るために、方向は見えておりますが、どういうふうにすることがよいであろうかと思つて私は識者の御意見を伺つておるわけであつてただいまの圓谷委員のお考えども、よく承つて参考にして、自分の考えを練つて行きたいと思つております。
  44. 圓谷光衞

    圓谷委員 アメリカはキリスト教団家でありまして、修身書はいらないということを、新聞でも、またいろいろな本でも見ておりますが、議会においても牧師が先頭に立つて、天にまします神の名によつて正しい政治を行うということの祈りをあげてやるし、日曜には、みな国民が大体教会堂に礼拝に行く。またアメリカ軍隊を見ておつても、日本に進駐されている方が、日曜その他に礼拝されている姿を私見ております。これは修身教育がキリスト教の教義によつてなされているから、私はこれでいいと思うのですが、日本にも、やはり倫理、修身というような教科書が必要でないかと、私は思つておるのです。社会科の中でけつこうでございますか、そこをはつきりとお伺いしたい。
  45. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 一体この社会科というのは、私は従来の修身といわれたものの内容を持つべきものだと思つております。従来の修身というのは、ややもすると個人道徳にとどまつたのですが、日本の社会で最も欠けているものは、社会道徳だと思うので、そういう個人道徳というものを含んだ社会道徳というものをよく教え込む、子供によく知らせるという、そういう意味で、社会科というものがもつと使命を十分果さなければならないのではないかという考えを抱いております。社会道徳といつても、もちろん個人道徳に媒介されない社会道徳というものはないのですから、社会科といつても、従来の修身科のようなものを含んで行かなければならないのですが、そういうものを含んだ、ここに新しい一つの道徳教育というものを、社会科という名前であつてもよろしいし、あるいはまたほかの名前でもよろしいが、何か考えて学校でもそういう一つの教科目といいましようか、あるいは一つの社会科の中の課程といつてもよいのですが、何かそういうものを考えて行こう。また一方においては、国民が何か心のよりどころになるような一つの申合せといいましようか、道徳的なよりどころというものも、あつた方がよいのではないかという考えを抱いております。
  46. 圓谷光衞

    圓谷委員 そうすると、社会科の中で道徳教育が十分にできる、こういう御意見だと思いますが、さてそれならば、宗教教育、つまり宗教的の行事、先ほど若林さんが言われた、つまり絶対の真理に恐れるという謙虚な人間の姿、これが私はアメリカ日本占領政策においても、有史以来の寛容な政策をとつたと思うのであります。特にこの宗教の高揚ということが——文部大臣は哲学者であられるのですが、哲学も、大体宗教と同じものだと私は考えております。こうなることによつて共産党は唯物史観に立つておりまするために、これは宗教否定でありますから、共産党の災いがなくなるのではないかと私は考えておるのであります。こういう点は、文部大臣としては、宗教教育というような問題は、基本法に規定されている範囲で大体わかつておりますが、この点、学校教育法については、どんな御見解を持つていらつしやるか、ひとつお伺いいたしたいと思います。
  47. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 学校の宗教教育ということにつきましては、教育基本法をつくりましたときに、私もその特別委員の一人であつて、当時普通の公立の学校では成立宗教を教えないのだから、ああいう項目はいらないのではないかという論が非常にあつたのです。そのときに、私は、あれはあつた方がいい、宗教的情操を養つて行くという意味において、そういうものが必要だ。少くとも学校において、お前のところのおやじさんはキリスト教だとか、仏教だとか、その他の宗教だ、迷信だ、こういうようなことを先生が言つたりすることはいけない、消極的に宗教心を養うということが必要であるからといつて教育基本法にああいう条項があるのは、私はけつこうだと思つております。しかし世間の人が、学校で特に何か積極的に宗教的なことを教えよという論は、私はどうかと思参う。そういうのは私立の学校で、キリスト教の学校ならキリスト教を教え、仏教の学校なら仏教を教えればいいので、公立の学校で、何か特に宗教的なものを教えよといつても、私はそれはむりではないか。むしろ消極的ではありますけれども、世界の公道に対して恐れを持つとか、絶対者に対して謙虚な気持を持つとか、そういうような情操を養うということでいいのではないかと思つております。  なお私はこういうことをつけ加えることを許していただきたいのです。世間では何でも学校にばかりたよつて、何もかもみんな学校で教えなければいかぬと思うのはどうかと思うのです。宗教などというものは、これは家庭で宗教心を養い、また社会に出てほんとうに人生というものにぶつかつてみて、初めてほんとう宗教的な自覚というものもできるのではないか。それをみだりに学校で何でもかんでも教えようというのは、これはその主義の学校ならけつこうです、キリスト教の学校がキリスト教を教えるのはよいけれども、普通の公立学校で、何か宗教的なものをむりに教えようといつても、私はそれは不可能でもあるし、場合によれば非常に規定に反するようなおそれも出て来る。けれども宗教心はどこまでも養うべきであるという考えでございます。
  48. 圓谷光衞

    圓谷委員 私も学校の先生をしましたが、従来は賀川豊彦氏なり、また仏教の大家を呼んで、学校で講演を願つたことがあるのですが、現在各学校においては、宗教の大家を呼んでお話を聞こうとしても、そういうことはいかぬというような文部省からの何かがあつて、現在できないのです。やはり宗教のことを聞く場合には、もちはもち屋、やはり宗教の大家を呼んで、中学校、高等学校あたりの大きな生徒に聞かせる方が、私は好ましいことだと思うのです。この点については、特定宗教を宣伝してはいかぬ、信教は自由であるという線からいえば、あの基本法からいうとまずいと思うのですが、この点は文部大臣はどういう考えを持つておりますか。
  49. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 問題は法律関係していますから、事務当局からお話いたさせます。
  50. 篠原義雄

    ○篠原説明員 ただいま圓谷委員のお話ですが、これは御承知のように現在憲法並びに教育基本法、そのほかに神道指令というメモランダムが出ております。そういう関係から、信教の自由の関係から非常に学校の内部で、特に公立学校で、宗教家を招きまして講演その他をやるということは、現在の状態においてはできないという通牒をしております。
  51. 天野貞祐

    ○天野国務大臣 私から補足させていただきますが、そういうように、学校で正課に呼んでお聞きするということはできませんが、学校には学友会とか校友会というものがあつたり、キリスト教研究会というものがあつたりして、正課以外にそこで招いて聞くことは少しもさしつかえありません。私も圓谷君の議論に同感でございます。そういうことは正課ではできませんけれども、ほかの方法でできます。
  52. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 お諮りいたしますが、この問題ははかにも質問をされる方があるようでございます。私自身も、ほんとうを言うと一時間、二時間ぐらい時間を拝借したいのですが、きようは一時定刻から総理大臣の施政方針演説及び大蔵大臣の財政演説があります。ですから、時間もきようはこの程度で散会して、あらためてやりたいと思いますがいかがですか。     〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
  53. 岡延右エ門

    ○岡(延)委員長代理 それでは本日はこれにて散会いたします     午後零時三十二分散会