運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1950-11-18 第8回国会 参議院 文部委員会 閉会後第13号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十一月十八日(土曜日)    午前十時三十八分開会   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○教育文化施設及び文化財保護に関す  る一般調査の件  (次期国会提出予定法律案に関する  件)  (国旗掲揚国家斉唱修身教育課  程設置に関する諸問題の件)  (教育関係予算に関する件)  (報告書に関する件)   ―――――――――――――
  2. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは昨日に引続き文部委員会を開催いたします。  先ず臨時国会及び通常国会提出される予定文部省関係法律案の御説明を伺うことにいたします。
  3. 相良惟一

    説明員相良惟一君) 来るべき臨時国会、及びそれに引続いて召集されます通常国会文部省から国会提出することを予定しておりますところの法律案について簡單に申上げます。  臨時国会には、文部省といたしましては、目下のところただ一つ法律案提出する考えでおります。それは御承知通り臨時国会地方公務員法案提出が予想されておりますので、それに伴いまして教育公務員特例法の一部改正法律案を出したいと考えております。御承知通り教育公務員特例法は、国家公務員たる教育公務員につきましては国家公務員法と、それから地方公務員たる教育公務員につきましては地方公務員法特例として制定されたものでございますが、地方公務員法につきましてはまだ制定がございません。即ち子法の方が先にできまして母法たる地方公務員法というものが制定されておりませんでしたので、従来政令で以て暫定的規定を置いておつたのでございます。今般地方公務員法制定されますと、地方公務員法特例であることを明らかにすると共に、地方公務員法施行に伴いまして必要と考えられます特例を確立いたしまして、その他所要事項につきましても規定いたしたい、こういう考えでおります。  以上は臨時国会提出予定法律案でございますが、通常国会におきましては大体十三、四の法律案提出したい考えでおります。十三、四というようなことを申しましたのは、まだ関係方面了解その他も未だのものもございますので、はつきり確定した数は申上げられないのでございます。大体どういうものを考えておりますかと申しますと、先ず件名を申上げますと、最初に宗教法人法案制定でございます。これは御承知通り現行宗教法人令と申しますのは、いわゆるポツダム勅令というのでございまして、終戰の年に公布実施されたものであります。この宗教法人令趣旨は、信教の自由の基盤の上に宗教法人財産保存というものを確保することにあつたのであります。然るにその後五年を経過いたしました今日、我が国実情から見まして、この宗教法人令の不備も非常に明らかになりましたので、正常な宗教活動の支障も生じて参りました。宗教界からもこの法人令を至急改正されたいという要望も非常にあるのでございます。以上の実情から、宗教法人令存在理由実情に即応させるために、それと共に、憲法規定いたしておりますところの、国民基本的人権でありますところの信教の自由、或いは政教分離というものの原則を確立いたしまして、宗教法人社会性を尊重したい、こういうようなことで法案を目下考えているわけでございます。  それから第二は、義務教育において使用すべき教科用図書給與に関する法律案でございます。これは二十六年度におきましても、御承知でもありましようけれども、若干の予算が取れましたので、これに伴いまして、憲法に保障されておりますところの義務教育無償理想を実現するために、二十六年度から差当り小学校盲学校聾学校の一年から教科用図書給與して行くような、そういうような制度を法的に確立して、経費負担、或いは補助金について必要な規定を設けたいというわけでございます。  次に学校教科課程教育課程カリキユラムでございます。学校教育課程及び編成基準に関する法律案、これも新らしい法律案、こういう制定考えております。学校教育課程即ちカリキユラムについては、例えば教科整備社会科であるとか、或いはその他の教科でございます。教科整備であるとか、或いは授業時間数の基本的な事項、及び学級編成、それから教員組織学級編成と申しますのは、一学級の兒童数、生徒数、そういうものでございますが、それから教員組織、或いは定数等に関する最小限度全国的基準法律を以て明かにしたい、こういうわけでございます。それで、この狙いといたしますところは、学校教育の水準の維持、向上、同時にこの法律に定められた必要且つ最小限度基準法律的に規定いたしますと、それに伴つて予算というものも確保される、こういうわけでございますので、さような狙いを持つております。現在即ち教育課程及び編成等に関しましては学校教育法施行規則に極く概略が謳つてございますが、学校教育法施行規則文部省の省令に過ぎないのであります。これを法律を以て明かにしたい、こういうわけでございます。  それから第四は、市町村立学校職員給與負担法の一部改正法律案でございます。市町村立学校職員給與負担法の一部改正法律案概略を申しますと、この法案市町村立小学校、中学校盲学校聾学校等のこれらの義務教育施設及び市町村立高等学校定時制課程授業を担当する教職員給與都道府県負担することになつているのでございます。もともと市町村立学校職員給與負担法というのはさような法律でございますが、この法律施行後に生じましたところの給與体系変更による給與名称変更、例えば現在死亡賜金というような文句は普通は使わないのでありますけれども、尚この法律の中では謳つております。そういうような給與体系変更による給與名称変更、又は公務災害によるところの補償都道府県負担とする必要がある。現在はこれは市町村負担なつておる。公務によるところの災害補償、こういうようなことを都道府県負担とする必要がある。教員を保護するために、市町村の乏しい財源に待たないで、都道府県負担させる。こういうような必要が生じておりますので、これらについての所要改正をしたいとこういうわけでございます。  それから第五は、国立学校設置法の一部改正でございます。この内容国立大学の学部の整理、国立大学に包括されました旧制の專門学校、それから大学附属專門部、それから師範学校青年師範学校等の廃止、これらはいずれも現行国立学校設置法の中で規定がございます。これらが順次廃止されます。  それから昭和二十六年度予算確定に伴いますところの各国立学校に置かれる職員定数増減等に対応するために所要改正を施す必要があるわけでございます。  それから第六番目は、学校教育法の一部改正でございます。この内容は現在学校教育法の中では学位に関する詳しい規定を書いております。そういうような大学学位或いは短期大学に関する規定が多少不備でございますので、これらをすべて実情に即した規定を設けまして補いたいというわけでございます。  それからその次には、国立大学管理法、これは新らしい法律案制定でございます。いわゆる大学管理法、これは長らく委員会等を設けまして、起草委員会を設けまして文部省で審議中のものでございましたが、大体成案に達しましたので、次期通常国会には提出したいと考えております。  で、この内容は、国立大学の自治を尊重し、国立大学の学生に民意を反映せしめて、国立大学の適正な運営を図ろうというためでございます。只今申しました通り、この国立大学管理法案に対しましては、文部省で東大の我妻法学部長委員長とするところの二十名からなる起草協議会というものを設けまして、この法律の原案について検討中でございましたが、先般東京外二ケ所で公聽会も実施いたしまして、それで輿論の声も聞いたわけでございます。  それからその次第八番目でございますが、学徒援護会法という新らしい法律案制定考えております。これは現在の財団法人学徒援護会には法的根拠がないわけでございますので、新たに法的根拠を附與して学徒援護事業を強化拡充したいという狙いを持つております。  それから第九番目は、社会教育法の一部改正法でございます。これは現在都道府県等におきましては、教育委員会社会教育に関する事務に従事する社会教育主事というものが置かれておるのでありますが、この社会教育主事職責というものを明確にし、及びその研修制度というものを確立したい、指導主事につきましては、御承知通り教育委員会法、或いは教職員免許法におきまして、その資格要件、或いは職責について明確な法的根拠があるのでございますが、ほぼ同様な即ち社会教育に関して重要な職務に携わつておりますところの社会教育主事につきましては、教育委員会法施行令で以てこういうものを置き得ることが單に謳われておるだけでございます。それで社会教育主事というものの地位を向上するため、ここに有為な人材を集めるためには、法律的にもこの職責を明かにしたいと、こういう考えを持つております。  それからその次がこれも新たな法律案制定でございますが、博物館法案制定でございます。博物館法と申しますのは、御承知通りすでに社会教育施設につきましては、公民館につきましては、社会教育法で、それから先般図書館法制定も見たのでございますが、博物館につきましては、未だに明確な法的根拠がございませんので、社会教育法の精神に基きまして、博物館の健全な発達を図るため、博物館設置運営に関して必要な法的の規定を設けたいというわけでございます。  それからその次がこれも新たな法律案考えております。私学教育金庫法という私学教育金庫法案制定でございます。これにつきましては先般予算措置も多少ございますので、我が国教育の一半を担当しております私立学校の振興のために、かような新しい法律案を設けまして、特別の金融機関を設立し、私学の充実に努めたいというわけでございます。  それからその次に私立学校教職員共済組合法案制定考えております。国立及び公立学校先生方につきましては、それぞれ共済組合規定があるのでございますけれども、私立学校につきましては、御承知通り健康保險組合私立学校先生には適用がないという、全然放置された実情にあつたのでございますが、かような今まで惠まれなかつた私立学校先生方について共済組合を設ける、そういうような法的措置考えたいと思つております。  それから最後教育委員会法の一部を改正する法律案でございますが、これにつきましては今のところは地方公務員法制定に伴いまして、所要改正を施したい、例えば教育委員会の権限となつておりますところの教職員労働組合に関する事項というようなものを、この度地方公務員法案におきましては、労働組合でなく職員団体となる。こういうような点もございますので、今のところ字句の修正を考えております。  尚その他著作権法の一部改正等考えておりますが、これらについては今のところはつきりいたしておりません。  大体以上が今文部省考えておりますところの法律案でございます。
  4. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは説明だけ承わりまして、いずれ提出の際に詳しく法案趣旨を承わることにいたしまして、次に補正予算の問題についてお聞きいたして置きたいと思います。補正予算の問題は大体以前に一度説明を承わつたことがありまするが、更に重ねて承わりますか、或いは皆様の御質疑に応じて説明して頂きますか、御意見のある方はお述べ願いたいと思います。……では簡單説明を頂いてそれに対して御質疑を頂きます。
  5. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 補正予算事項別調皆様のお手許にお配りしたと思います。まだ関係方面了解を得ておりません單なる国内的の閣議を経たという段階でございますので、まだ細かい点で多少はつきりしないような点もございますが、事項が並びに決定しました金額はお配りいたしました資料の通りでございます。即ち国家公務員共済組合交付金、これは職員掛金率が少し上ります関係で二千九百三十九万円、それから適格審査に必要な経費が千二百六十八万円、それから昨年、即ち昭和二十四年度の年末の臨時手当、それに対する手当が昨年の約束で、補正予算を作る際に見るという約束なつておりましたので、それを今度の機会に見て貰うということで七億二千七百四十三万円を見ておる次第であります。次が教職員免許法施行に伴う教員研修費補助でございまして、これは前にもいろいろ御質疑を頂いたと思いますが、大体そこにありますように、現職講座の分は十九万四千四百單位認定講習の分が百四十一万六千五百八十四單位基準で一人一日八十円、一單位獲得に対して五日、一人が大体八單位取るとして大体三千円くらいの金になるわけでございますが、それの旅費見込みまして、その三分の一を補助するという形で一億九千四百二十万円を補正予算に計上するつもりでございます。それから次に教職指導者講習会、いわゆるIFELと称しておりますが、アメリカの講師が来朝いたしまして、教職員のいろいろな科目について、二十六科目に亘る科目について三ケ月間の講習を二回やる予定にいたしております。これは現に実施中であります。九、十、十一と第一回、来年の一、二、三と第二回をやる予定で、その経費を三千二百二十五万円見込んである次第でございます。その次が私立学校災害復旧費貸付金でありまして、これはジエーン台風のために被害を受けた各学校復旧費に対する貸付金、そこに載せましたような坪数で以て七千七百十四万円を貸付ける予定でございます。  以上が本省関係補正予算でありまして、その外に文化財保護委員会関係でいわゆる運営費といいますか、事務的な経費で七百八十九万八千円、これは主として国宝その他の文化財の再調査を行う経費でございます。それから同じく災害復旧関係で四千百八十三万円を見込んでおります。  それから国立学校関係では、大学人件費が足らないという見込が出ましたので、それの補足をする必要が生じまして、九千二百十六万九千円を見込んでおります。大学附属病院経常費、これは実は毎年足らなくなるのが例になつておるような関係でありまして、余程十分に見ておきましても、薬代の値上りであるとか、或いは診療所病棟等が段々整備して行く関係で、どうしても運営費が相当嵩んで来るのであります。收入と見合う経費でありますから、できるだけ実際に即して一億五千九百七十七万円を補正予算で取るということにいたしておる次第であります。  それによりまして補正予算総額文部省関係十三億七千四百七十九万円になります。その外に小さい項目で、金額の極く細かいものでは、いわゆる流用費関係で、本年度経費のうち五%を節約し、これを財源といたしまして約一億五千万円の補正をいたすことになつておりますので、合せて十五億二千五百十一万円が補正金額でございます。  尚、文部省関係経費で、文部省所管事項には挙げられておりませんが、平衡交付金関係地方教職員の一月以降のベース・アツプの金が約九億円見込まれておる次第であります。文部省関係は大体補正予算として以上のような状況なつております。
  6. 若木勝藏

    若木勝藏君 本省関係の分について一つ伺いたいと思います。ここに昭和二十四年度臨時年末手当補助金が今度の補正予算で以て出るということについては、私達はどうも納得の行かないところがあるのです。恐らくこれは二十四年の十二月に支給したところの金であると思うのですが、これは二十五年度予算を年末に当つて補正予算で以て支給するということになりますと、この間実際において支給されたものは、この財源が恐らく都道府県から立替えたもので以て支給されておるというのですが、本当ですか。
  7. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 大体御指摘のような状況なつております。
  8. 若木勝藏

    若木勝藏君 そういうことが実際においてこれは法的にできるものかどうかということについての根拠は、私はよく分りませんが、こういうふうにして今度の補正予算を出すということになれば、或いは法的な根拠があるのでないかと思うのでありますけれども、併し法的にできたとしても、現実においてはこれは非常に地方財政の圧迫になる。そういうことが地方財政に非常な困難な事態を発生させるということは、とりも直さずいわゆる地方公務員、或いは教職員に対しても非常な不安を與え、或いは又支給が遅滯してしまうとか、或いは或る場合においては財源関係で渡らんとかということになるのです。これは私は極めて金融方面から見て重大なことだと思うのです。こういう点について文部省といたしましては、こういう事態の起らないように、今後尚十分なる一つの注意を願いたい、こう思うのであります。  次には教職員免許法施行に伴う教員研修費補助に必要な経費、並びに教職員指導者講習会に必要な経費、この項目について伺いたいと思うのであります。この一日八十円の而も三分の一を補助するということについては、当然これは三分の二は地方都道府県、或いは個人負担、こういうふうなことが予想されるのでありますが、これにつきましては、先般の御説明のあつた場合にも十分我々の納得の行かない点を追究したのでありますので、重ねてこの点はやりませんが、こういうところに、非常に文部省予算の取り方については遺憾な点が私はあるのでありまして、もつと強力に大蔵方面に対しても強力に当りまして、殊に個人負担を加重させるというふうなことを極力排除するようにして行かなければならない、こういうふうに考えるのでありますが、この点についても今後一つ十分御努力を願いたい、こう思うのであります。  そこで次の方の項目について伺いたいのは、今の免許法施行に伴うところの研修費と関連があるのでありまするが、これはやはりあとの方の講習も、今の研修費方面と同じような建前から予算が組まれておるのか。或いは非常に一日分などに変りがあるのでありますか、その点について伺いたい。
  9. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 昭和二十四年度臨時年末手当につきましては、私共も非常に責任を感じておるのでありますが、昨年全国家公務員に対しまして年末手当を支給する、こういう問題が年末近くになつて起りまして、いろいろないきさつがございましたが、経営経費の中から節約をいたしまして経費財源の捻出をいたしまして支出したようなことでございます。ところが地方職員は何と申しましても数が非常に多く、又金額が非常に嵩みますので、普通の経常費節約ということでは財源が出て来ない。而も時期的には補正予算の、昨年の補正予算の時期を過ぎておりますので、大蔵省といろいろ折衝をいたしまして、半額国庫負担の金を要求したのでありますが、技術的に又財政の枠的にどうにもならないが、併しこれは義務教育費国庫負担法建前から、半額負担すべきであるということについては、大蔵省も十分納得しておるところでございますので、これは出すのは出そう。併し技術的に今出すわけにいかないから、次の補正予算編成の際には必ず考慮するという約束をいたしまして、そのことを府県に通知いたしまして、府県といたしましては、他日その補足がされるものという見込の下に、府県において年末手当を支給したという状況なつておるわけであります。でありますから、府県によりましては、それだけの決算において不足のまま年度を越したという形になつておりまして、約束なつておりましたので当然来るという見込の下に、府県では非常にそれの早急の支出を要求して参つておつたような次第でございます。そこで今回補正予算編成の際にこれが計上されることになつた次第でありまして、私共としましては、そのとき直ちに手当ができなかつたことは非常に残念でございますけれども、とにかく約束を履行し得た、履行し得ることになつておるということにつきましては、一応の責任を果したような心持でおる次第でございます。手続的に非常に変なことになりましたけれども、ともかくも年末手当については、教員費半額負担建前を実施したということになるわけであります。  それから教育研修費の問題について三分の一補助ということについてはいろいろ御議論があると思いますし、私共もそれで満足をしておるわけではありませんが、ただこの教職員免許法建前からいいまして、勿論教員である以上は正式の免許状を持つて貰うのが建前でありますが、仮に正式の免許状がなくても、教員たることから排斥するという性質のものではありません。一面には義務的な面と同時に、一面には教員自身向上のためになるというものでありますので、公費でもつて大部分を負担し、一部分は教員の方でも多少出して頂くということでいいのではないかというふうに考えた次第であります。勿論三分の一の残りである三分の二を府県において持つて貰うということになりますれば、尚結構なんでありまするが、ただこの研修旅費というようなものは真の理想からいいますれば、そのために特に国から補助するということでなくして、教員が常に研修をするということは、いわば教員の努めでもありまして、月々に貰う俸給の中でそれだけのものが支拂えるだけの教員待遇を支出するということが本当は理想であると思うのであります。それができないために、臨時的な補助を出すという形になつておるのでありまして、決してこれが理想の事情だというふうには考えておりません。  それから教職員指導者講習会の問題で、旅費等関係はどうなつておるかというような御趣旨であつたと思いますが、これにつきましては普通の免許法施行に伴う研修費建前とは別にいたしまして一応必要な旅費並びに滯在費を国費で以て支弁するだけの金がこの中に見込まれておるのでございます。これは教員指導者として、例えば免許法施行に伴う講習会指導者になるような人を養成するための講習会でありまして、最も程度の高い指導者を養成するのが目的でございますので、その意味で国の責任として全部いわば国の負担講習を実施するという建前でありまして、その点においては講習員の方に迷惑をかけることがない建前予算編成しておる次第であります。
  10. 若木勝藏

    若木勝藏君 今の最後の問題ですね、指導者であるがためにこれを非常に優遇するような形の予算国家で以て組み、それから実際の壇上において、誠実な、いわゆる子供の教育というものに対して区別をつけるということに対しては、私は異議があるのですが、本日はこの程度で……。   ―――――――――――――
  11. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 文部大臣がお見えになりましたのでこの際に文部大臣に対する質疑を行いたいと思うのでありますが、それは最近文部大臣がとられた施策及び抱負の一端を各所で披瀝されました事柄について、我々一応大臣としての率直な意見も承わりたいと思うのであります。その一、二の例を申上げますると、国家の祝日に国旗を掲揚するよう、又各学校一斉に国歌を斉唱するようにというような御通牒を出されたようでありますが、これに対しで報道機関のとりました輿論調査などにも種々国民としての意見もあるようでありまするし、又最近道義の頽廃を憂えて、学校修身教育を設けよという御意見もあるようであります。又教育勅語に代る何らかの教育の大方針を示すものを設定したらという御意見も承わるのであります。この教育勅語の効力を失うことについての決議案を当国会としては、曾ての開会中に行なつたのでありますが、その際、当委員会としては、教育勅語の失効を宣言すると同時に、それに代るべきものが必要ではないかという意見も随分出たのでありますが、いずれ愼重審議をした上で、これは重要な問題であるから、機を見て案を練ろうということで、その儘になつているのでありますが、これは余程愼重にしなければならない問題でありますので、この際、当委員会に対しても、文部大臣としては率直に御意見の程を説明される必要があろうと思います。又各委員からこの問題に対して相当御意見があるようでありまするから、文部大臣の意向を承わり、これに対して各委員の質問を承わることにいたします。
  12. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 只今委員長が仰せられましたことについて、先ず国旗と国歌のことから私の考えを申述べます。私は專ら小学校の子供などについて感じたことなのですが、今のように打ち捨てておくというと、子供が全く故郷のない人間、いわゆる無籍者になつてしまう慮れがありはしないか。国旗のない国というものもなく、国歌のない国もないのに、それがいわば停止されてしまつているような形であるということは、非常に国民教育上遺憾なことではないか。我々は国旗を掲げるのに何も躊躇することはない。国歌を歌うのも何も憚るところはない。だからしてこの際我々は、文化の日というような祝日には、小学校或いは中学校でも式をやつて、そうして国歌を歌い、国旗を掲げるということが望ましいという通牒を出して貰つたわけであります。それに対して、国旗についてもいろいろのお考えがあるようでございますが、私はこの国旗がすべてよいことのみを象徴しておるとは思いません。けれども如何なる個人といえども、如何なる民族、国家といえども、すべてよいことばかりということはあり得ないことなんであつて、よいこともあり、悪いこともあり、その悪いことに対しては深く反省をして行くということによつて個人であつても、国家、民族であつても、成長発達ということが、私はあると思つております。だからこの国旗は、我々の文化創造の象徴でもあると同時に、又我々の非常な過失に対して、我々が深く顧み、深く後悔し、そうして新しく生れ代るという意味もこの国旗が持つておるものだと自分は思つております。そういう意味で、この国旗を掲げるということは少しも差支ないどころではない、掲げなければいけないといつた考えでございます。  それから国歌については、君が代ということにいろいろ異論があるようでございますが、併し君というのはすでに象徴であつて、君が代というのは、その象徴を象徴としている国ということです。我が国ということです。日本国存立の象徴なんです。そういう意味で、文字からいえば、何も差支えない。で、これを歌つて、小国民に、自分達は日本の国民の一人であり、この国を将来背負つて立つんだということをだんだんに自覚さして行きたいという考えでございます。附加えて申しますと、私が教科書の無償配付ということを考えたのも、これは單に義務教育の無償の権利ということによるだけではなくして、国家或いは公共から子供に教科書が渡されるということは、子供自身をも国民の一人だということをだんだんに知らせるばかりでなく、親に対してもその子供は自分の一個の私有物ではなくして、これは国家の一員なんだ、国家のためにもこれを育成して行かなければならないという、そういう自覚を持たせたいという考えも含んでおるわけであります。要するに私がこの小さい子供らを無籍者にしてしまわない、日本人だかどこの国の者だか分らないというのではなくして、本当に日本国の国民だという自覚をだんだんに養つて行きたいという、そういう考えに出ずるものでございます。  次に修身科ということでございますが、修身という科目はすでに禁止せられておつた、修身科というのは、仮に道徳教育という意味で言うわけでございます。従来の修身科というものに対しては、私は非常な疑問を持つて来た人間なんで、そういうことは私の著書にも書いておりますが、従来のようなやり方だというと、修身科というものは本当の意味の道徳教育にならない。そのわけは、何か教訓的なことばかりを書いた教科書を使つて、そうして先生が教訓的なことばかり述べるというと、生徒は又お説教かというような気持があつて、本当の道徳教育にならないばかりでなく、むしろモラル・センスの新鮮さというものを阻害する心配さえもあると私は考えております。それから又修身という科目については、道徳教育ということは修身の担当者だけの受持ちであつて、他の先生方はただ單純に知識を教えさえすればよいのだ、こういう考えを持ち易いのでありますけれども、実際は決してそうではないのであつて、本当の道徳教育はむしろ学科の先生によつて行われる場合が非常に多いし、又学科の先生も一個の教育者としては、ただ知識の伝達ということではなくして、それを媒介として生徒を育成するというのでなければならない。例えば英語なら英語の先生が本当に正確に教える。又何か自分に間違つたことがあれば、淡白に取消して、生徒の言うことがよい、こういうことを言うとか、或いは小学校などの場合であるならば、どんな貧乏人の子供でも、どんな金持の子供でも先生一つも差別もしない。或いはどんなできない子供でもその学科ができないから人間として値打がないのだというような、生徒をして卑下の考えを起させずに、どういう子供であつても、一個の人間としてプライドを持つて生きて行かなければならない。そういう取扱いをするとか、そういう先生の実践を通じて国民の徳育というものは行なわれるのであるから、修身の先生だけが徳育の担当者だという考えは非常にいけない。そういう考えを起させ易い修身科というものに対しては非常に警戒をせねばならんということは、私はすでに大戰前からしばしば繰返して述べて来た考えでございます。  併しながら私はそういう考えを抱いておりますけれども、最近になつて実際生徒を教える人達が、今のままではどうも道徳教育ということは十分にやりにくい。だからここに何んかの考えをめぐらす必要はないかということを私にしばしば言つて呉れる人達があります。私はそれは確かに一理ある、今のように社会科というものが道徳教育ということを引受けておる形に又なつて来ておるが、又そうして社会科というのは誠に結構であつて、従来の日本の道徳教育の欠点は專ら個人道徳にのみ偏して、いわゆる社会教育というものを忘れる点があるが、社会科というものであるならば社会的道徳というものを主として考えて行くと、社会道徳というものは常に個人道徳に媒介されない限り、社会道徳というものはあり得ませんから、これは個人道徳と同時に社会道徳を教えることになつて、その形からいうと大変よいのであるが、併し現在の社会科というものは、その意図するところを十分に発揮しているとは私には考えられないから、ここに何らかの一つ改革を加える必要があるのではないかということが、そういう趣意が、私があたかも古い修身でも復活するように述べたかのような誤解を世間に起しておりますが、私は決して元の修身に還そうなどという考えは全然持つておりません。修身というものは社会科というものによつて一旦否定され、その否定を媒介として修身科と社会科というものをいわば揚棄してここに新らしい一つ道徳教育というものを工夫する必要がありはしないか、そういう考えなのでございます。  次に教育勅語に代るものということでございますが、教育勅語についても私はやはり道徳教育としては非常に考うべきものを持つておる、と申しますのは、日本人の一つの形式主義と申しましようか、何かそういう道徳的な基準を読み上げて、それを暗誦さえすれば、それが何か道徳教育ができるような考えが従来あつたけれども、それでは決して道徳教育というものはできるものでなくして、道徳教育基準の暗誦によるものでなくして、常に実践に媒介されない限り道徳教育は行われ得ない。だからして教育勅語のような類のものを作つて、これをただ暗誦すればよいというような考えは、全然間違つた考えだと私は思つておるものなのであります。けれどもこの点についても、教育勅語とか、そういうものに還すのではなくして、もつと進んだ何か一般の先生方が教えて行くのに都合のいいような道徳的基準というものを作るということは、先生方の非常な要望があるので、私はそれを考慮することも必要ではないかというように、自分の従来の考えを実際の活動の方々のお考えによつて反省をして来ておるということであります。私が何か教育勅語のような類のものをここに出そう、まして、そういう保守的な無定見的な何か考えを私が抱くということは、徹頭徹尾間違つたことであつて、私は常に古いものを揚棄して、それを契機として新らしく進もう、そういう考えでございます。大略を申せばそういうことでございますから、何か御質問があれば詳しく御返事いたします。
  13. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 只今の文部大臣の御意見に対して御質疑のある方は……。
  14. 高良とみ

    ○高良とみ君 只今文部大臣の御説明を伺いまして、御趣旨のあるところは分つたと思うのであります。ただ私共文部の委員といたしまして深く憂えておりますることは、大臣が心配しておられる教育のサークルにおいて、道義の高揚が足らないということは勿論でありまするけれども、それよりももう少し掘り下げて考えまするならば、私共明治大正以来の日本の文明の方向の間違つていたことを、今修正する時期にあるのでありまして、その点で国民各層の反省が不十分でありまするために、今日のような敗戰後五年を過ぎますれば、ますます沒落状態になつておるのであります。その点から大臣が深く思いをされまして、この講和を前にいたしまして、日本が世界に甦えるか、或いは非常な模倣的な七等国ぐらいの文化に、道義的に精神的に沒落して行くかという境にあるのでありまするから、その点を哲学者的な見地から日本の文化、各層へ呼びかけるようなものをお考えなつておられないかどうかということを、私共は期待し、又それに御協力したいと思つておるのであります。言い換えますならば教育者が一種の職業人になつてしまつて、又一種の労働意識が強いために、一つの文化を指導し、或いは国民精神を導いて行く哲学を持たないというふうに私共には考えられるのであります。それは私ども共に敗戰後の社会現象から来ておることなんでありまして、憂いを同じくするものでありまするが、御心配の通り、この際、何とか根本から日本の文化、文教、宗教及び産業、財政等をもひつくるめた国民精神が高揚されて行かなければ、到底教育の面だけを突ついておいたのでは、その行くところが極めて小範囲であろうと、こう考えられるのであります。殊に首相は、愛国心を養成せよとか、或いは独立心を兒童の間に養成して貰いたいという御要請が義務教育の代表者等にあつたように伺いまするが、その教育者の立場に立つてみますれば、そう言われても、一体日本の文化、文教的な、哲学的、或いは民族の理想方面はどう行くのか分らないというような実情を感じておられるのではないかと、僅かに察するところであります。その点から申しますると、教育勅語に似たものとか、或いはその他の道義、作法礼儀、もつと言いますならばモラル・コードというようなものをお考えなつておられるかと思うのでありますが、それも一つの方法でありますけれども、もう一つ国民の性格を築いて行く社会生活全般について、哲学者としての文部大臣に御期待申すことが大きいのであります。その点から、いずれ只今調査立案中の宗教法人法、その他も考慮に入れまして私共何とかもう少し文教意識が高まつた国家を見たいという切願を持つておるのであります。その実際の方向といたしましては、日本はこれから純粹な物質文明の、産業の一路へ邁進して行き、今までのような市場獲得のために南方地区及び世界へ向つて船をやり、人をやり、技術者をやり、そういう方向にのみ行く傾向も見られるのでありますが、又一面ひそかなる深いところには、精神文明に対する自覚もあり、又徐々にこれが芽生えつつあると思うのであります。そういうところが、教育との連関におきましていささか深い文明の理想と実際の教育に当つておる者との間に線が切れておるのではないかということを常に考えるのであります。そうしてみますと、その結果現われましたものが、最近の教育環境の保持確保というような問題などに対しましても、いつも教育が押され勝ちでありまして、社会の方は利益追及のために、どんどん儲かることならば、教育の環境であろうが、学校の周囲であろうが、或いはこれがどういういたいけない兒童の周りであろうと、どんどんと進出して来るのでありますが、まだ国民が文教に対する一つの確信と尊敬とを持たないところからもこれが来ておると私共は憂えております。従つてそういう道義の高揚ということにつきましては、進んで大臣及び文部省としましても、財界人、産業人、或いは司法方面の人たちとも御協力頂きまして、單なるこの文教審議会というものが小さいサークルの中を空廻わりすることのないような策を樹てて、お考えがおありになるかどうかという点をお伺いしたいのであります。  大雑把に申上げまして恐縮でありまするが、これにはいくつかの解答が出ると思うのであります。即ち小学校から大学に至るまでの教育体系の中へ注ぎ込んで行く世界観、或いは教育哲学、或いは民族としての理想というものについて、文部省或いは教育研究所がやつておられるが、末端のメソッド等に捉われ過ぎておるのではないか。それから道義の高揚についても、道徳教育についても、末端のエチケツトとか、モラル・コードの基であります社会道義について何らか案を立てておられるかどうか。更には教育環境の保持に対しましても一定の見識を持つて、これを確立して行く御意思があり、又立法化する御意思があるか。これらの三つの方向についてお答えを願えれば仕合せであります。
  15. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 高良議員の、日本の将来を憂えられて、この道義というものを本当に確立することによつて、日本というものを本当の意味での文化国家にしようという御熱情に対しては、私も全く同感で、深く敬意を表するものでございます。一体私は学校教育のことについてのみ今は述べましたけれども、決してただ教場にのみとどまるというのではなくして、それがやはり国家を建設して行く、廻り遠いようであるけれども根抵ではないかという考えで、今暫く学校教育のことを述べたのでありまして、私もこの学校というようなものが、やはり社会の中にあるものであつて、社会自体が改善されない限り、学校自体がよくなるというわけに行かないということは、つねづね強く考えておるものでございます。でありますから、差当つて私はこの社会に向つても、もつと社会が本当に正しく働いて、正しく活きるというような原理が成り立つようにならなければいけないという考えから最近でも競輪というようなものに対して深く憂え、これに強く反対をいたしておるわけでございます。併し事柄はただ決して競輪だけではなくして、私は一般に非常に投機的なことが盛んになつて来て、立派な銀行の前を通つても札が積み上げた絵が書いてあるとか、どこを見ても宝くじだとかいうような世相では、本当に毎日々々し正く働いて僅かな俸給を取るということが馬鹿々々しくなるというような気風を社会に養う虞れが非常にある。そういうような点もこれは是非改めて行きたい。或いは又その他の文芸とか、或いはラジオとかいうようなものでも、できるだけこの社会的道義とか、或いは青年の教育とかいうようなことにもつと配慮をして貰いたいということは私も常々考えて来ておるものでございます。そういう意味ですから、先程おつしやつたこの文教地区というようなことは是非これを確立しなければならないと思つております。又世界観的に申しますならば、この日本が西洋と違いまして、近世文明というものを持つていない、そういうものを経過して来ない。たまたま少しく個人主義的な思想が発達して来たときに戰争が勃発して、全体主義というようなものが社会を風靡してしまつて、そうして個人というものは單なる人的資源に過ぎないというようなことを述べてしまつたために、日本では少しも本当の意味の個人的自覚というものが養われて来ておらない。戰後になると今度はその逆であつて、全然国家とか社会とかいうものを考えないで、ただ個人の利益とか、個人の生活の便宜とか、そういうことだけが主張されて、本当の意味での個人的自覚というものは少しも高まつて来ない。だから人々がただ雷同しておつて、本当に自分で考え、自分で反省するという、そういう健全な道徳的情熱というようなものが非常に乏しいというのが現状なんであるから、私共は一方においては、個人の自覚を促すと同時に、他方においては国家とか、公共とかいう、そういうものがただの決して個人の方便ではなくして、個人と同じような実在性を持つておるものだということをよく理解させよう。そういうことがなければ、自由とか平等とか言つて見ても、それが少しも本当に身について来ない。そういう世界観的な、或いは人生観的な教育ということにも我々は努めて行かなければ、到底この社会をよくして行くことはできないということを考えるわけおございます。併し勿論そういうこの思想的なことというものは、同時に経済的のものを無視してできるわけのものではございませんから、経済的な面においてもできるだけ社会をよくして行く。併し私はこの日本はどこまでも改革で行くべきものである、改革によつて漸進的に日本をよくして行くことができる。そういう立場に立つてこの日本の社会をできるだけよくして行こうというのであつて、決してただ学校の教室内のこととか、ただのエチケツトとか、そういうものを以て私が満足するわけではございません。従つてここに教育財政の審議会とか、或いはこの道徳教育に関する、或いは思想一般に関する審議会とか、そういうものを設けて、今後研究を続けて行きたいという考えでございます。私の答弁は足りませんかも知れませんが、大体そういうような考えを持つております。
  16. 高良とみ

    ○高良とみ君 重ねて大臣にお伺いしたいのでありますが、国家主義へ全体主義が入り込んで行つたための個人の未発達については、今御説の通りであると思うのであります。併しこの新しい意味の国家というものの内容が一般の教育界などではまだよく滲透しておらないと思いまするので、それを大臣は民族精神的なものにお置きになるのか、或いはこれは一つの社会現象としての、先程御言葉のありました社会実体としての国家という面にお置きになるのか、或いは更にそれに同胞愛的な感情を加えたものにお置きになるのか、その点を一つお伺いしたいのです。  それから第二に伺いたいことは、日本の文化の本質でありまするが、これからできまする宗教法人法等を考えまして、文化と、文教と、宗教とをお互いにどういう関係において結び付けて行かれる文政上の御方針でありますか。即ちこの非常に生命を失つて来ておりまするところの日本の古い宗教等もございますが、この白骨化した宗教の中にも尚一脈のよきものがあり、又宗教は今教育の温床として依然として人類の文化に大きな寄與をしております。これを政教分離において徒らに教育から離間しておしまいになりまする方針でありますならば、フアウンデイシヨンを国家主義に持つて来るか、或いは民族としての生きるという生物的な、生きる根本にお置きになるかということになるのでありまするから、その点を相関連いたしまして御説明願えると仕合せであります。
  17. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 私は国家を重視するからといつて、従来の国家主義に戻ろうという考えではございません。従来の国家主義というものは、いわゆる世界主義と矛盾したものだと思うのです。けれど私の唱える国家を重要に考えるというのは、それが即ち世界史的な考え方なのであります。併し国家をただの私は社会として考えて行くというのじやなくして、高良委員のお言葉によれば、恐らく民族的な国家という考えだろうと思います。けれども、そうなるというと非常に従来の国家主義に近いようでございますが、そうではないということを申したいのであります。自分の国だけが何か優れた国で、他の国はすべて詰らない国だというような考えではなく、一体私は国家の理念としては、結局は世界国家というものが国家の理念だというふうに考えております。けれどもそれを考える場合に非常に重要なことは、世界国家というと、すべての国家が自分を解消してしまつて、そうして一つの国になるのだという、そういう考え方がありますが、私はそういうコスモポリタン的な考えではなくして、すべて国家がそれぞれの歴史と伝統とを持つて、それぞれに存立していて、而も国家連合というような形で以て連合をして、戰争というようなものを防止してしまうというような形の世界国家でなければ、本当の意味の具体的な国家とはなれない。一言に盡せば、私の考えは、コスモポリタン的でなくして、インターナシヨナルの考えでなければならないというのであります。そういう考えでございますから、日本の文化を盛んにするということは決して世界文化に背反することじやなくして、それが即ち世界文化に寄與するということだと思うのです。一体国家とか、世界とかいうものは何のために存立するかといえば、私は広い意味において文化の創造ということになければならないと思うのです。ところが文化の創造ということは、すべての国を解消した、空虚な一つのものにしたのでは不十分であつて、それぞれの国家が独特の文化創造の営みをすることによつて、本当の意味の世界文化というものが成立して来るのだという考えであります。で最近非常に間違つていると思うことは、日本が本当に世界的になるためには、日本的なものを取去らないと世界的になれないという考えがあります。けれどもこれは物質の論理で以て精神の世界を考えることであつて、物質の論理としては確かに一つ場所を二つのものが占めることはできませんけれども、精神の世界においては、むしろ逆さなんであつて、本当によき日本人でなければ本当によき世界人とはなれないと私は思うのでございます。卑近な例を挙げることが許されるならば、本当によき世界文化の理解者であつた福澤諭吉は、最もよき日本の理解者であり最もよき日本人であつたと思うのです。その外、内村鑑三、新渡戸稻造、或いは牧野伸顯、近くは夏目漱石でも、そういう人達は、実は武士の魂を持つた日本人であり、又よく世界文化を理解した人であつた。世界文化を理解するためには、日本的なものは全部捨ててしまわなければならないという考え方は、私は極めて浅薄な抽象論だと思います。そういうような意味で私は国家というものを考えておるのであつて国家というものはただの個人の方便というようなことでは、到底国家というものは理解できないと思うのであります。  若しも国家というものがただ個人の方便、ただ個人というものの生活の安寧とか、生活の便宜とかということが、若し我々の精神の意味であるならば、我々は何を苦しんで石に噛りついてでもこの日本国を育てようということを考えるのであるか。それならば大国の属国になつて、銘々が安逸な生活を送つたらいいだろう。併し我々はどんなに苦しいときでも、どんなに苦労しても、この国を守り立てて行くというのは、国家というものがただの方便的なものではなくして、そこに一つの独立の実在性を持つているということ、そういう考え方によるものであります。けれでもそれがいわゆる世界主義に背反した従来の国家主義のような考え方でないということは、今まで述べたところで御了解頂いたかと思うのです。  第二の問題として、文教と宗教ということが專ら問題になるかと私には考えられますが、宗教というものについては、日本には西洋のように行届いた宗教というものがないのであります。現に学校教育においても、歴史、宗教を教えてはならないということになつておるのでありますが、併し結局は私は文化とか文教とかということそれの根抵において宗教的なものを持たなければならない。歴史宗教にそのままよるというのではなくても、何かの意味において宗教的なものを持たたなければならないという考えであります。私はそういう点はおいて成立宗教或いは歴史宗教というものは常に一つの一人の歴史的な存在に媒介されている。キリストとか釈迦とかという、併しそういうような一つの歴史的な人物によつて媒介された宗教というものが、学校においてすべて教えられなければならないことは私は考えておりません。けれども、そうではなくして、歴史の根抵に何と申しましようか、一つのロゴス的なものとか、或いは道理とか、道とか、或いは神の意思とか、そういうものが歴史の根抵を支配しているのだ、要すに真理が最後の勝利を持つているのだ、歴史の上においては不道理は到底その審判に耐え得ないのだ、いわば歴史に対する信頼といいましようか、実在の根抵におけるそういう一つの道とか、神の意思とかといわれるような絶対者とか、そういう言葉でいわれるようなものを自覚するとか、或はそれに対する予感を抱くとか、それに対する崇敬の念を持つとか、そういうようなものが教育の根抵にもなければならないと思うのであります。けれども、だからといつて直ちに歴史的な宗教を日本の学校がすべて教育の根抵にしなければならないという考えではございません。教育基本法にある宗教的情操を重んずるという趣意は、即ち私の述べたような趣意ではないかと理解いたしております。
  18. 高良とみ

    ○高良とみ君 重ねてもう一つ……、よくわかりました。私は必ずしも民族国家主義を以て考えておるものではありませんが、日本の青少年の精神的空虚状態につきましては、近来海外から参ります多くの教育家、哲学者等が非常に心配しておりますことでありまして、私も今回の旅行において、そういう点において深く警告されるところがあつたのであります。それにつきましても憲法のことでありますが、今の青少年等におきましては、憲法を読んだりこれをよく理解する機会が非常に少いと思うのであります。その点で教育勅語というようなことをお考えになりまするときに、本当に私共が憲法を中心にして、やつて行くという趣旨でありますならば、もう少しこれを学校教育と結び付けて行く方法をお考えであるかどうか。それの二、三の方向といたしまして、最近のユネスコ運動につきまして文部省の御意向を伺つたことがあるのでありますが、ユネスコにおきましては、これは勿論国際連合に日本は入つていないのでありますから、これに私達はフリーに参加する資格もないわけでありますけれども、ユネスコ運動におきましては、平和を唱えてはならない、ただこれは国際連合のユネスコに参加するための一つの啓蒙運動であるというような解釈があることを伺つたのであります。そうして見ますると、私共の解釈するところでは、日本の憲法下にある文部省であり、日本の憲法下にある文教でありますから、やはり憲法精神における平和を唱えることに対して、ユネスコも又これを勿論そういう内容を持つた日本におけるユネスコ運動であるといつていいはずだと私共考えるのであります。その点において聊かこの憲法を忘却したような輿論がしばしば聞かれますことについて、私共は文教の当局におきましても御注意頂いたならば非常に仕合せであると思うのであります。これが一つであります。  他の点につきましては、宗教教育の、いわゆる神に対する敬意を持つというような情操を教育に入れて行きますことについて、未だそういう教科書もなし、そういう内容の盛られたものも教科書の中に見ることが非常に少いのでありまして、非常に現代の教育は科学教育、或いは社会科教育、そうして宗教情操を養う要素を欠いておるのではないかということを率直に世界の教育者等からも注意も受けたのであります。そうして実際に産業方面にも唯物史観的にどんどん伸びつつありますることでありまするから、この点を御説明願いたい。この二つの点をお伺いしたいのであります。
  19. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 平和運動が何も悪いわけではありませんけれども、平和運動がややもすると名前のよいために利用される、悪用されるというような危險があるといつて、今御指摘のようなことが起つておるのではないかと思いますが、そういう点については、私共の方でもよく考えて、みだりに純真な平和運動を圧迫するとかいうようなことはしていないつもりでありますが、そういうことがないように気をつけたいと思います。けれども又それをなさるかたのほうにおいても、名目は立派であつても、否、名目が立派であるためにそれがいろいろな方面に利用されて、弊害が伴うということもありますから、その点には御注意を頂きたいと思います。  第二の宗教の点についてはおつしやる通りであつて、私はその点においては不十分である。だからその点を尚研究して、何か教材等にもそういうものを盛り込むとか、或いは宗教の歴史を教えるとか工夫をいたしたいと思つております。
  20. 岩間正男

    ○岩間正男君 私が二三点お伺いいたします。  今度の文相のとられた措置につきましては、実はびつくりしておるところなんであります。先ず第一にお伺いいたしたいのは、文部省設置法というものが昨二十四年の五月にこれは国会の通過を見たのでありますが、その設置法の精神とするところは、従来の文部省が戰争中に犯して来たところの精神総動員的な、つまり国民の精神を指導する。そうして何かそこでやつて行つた、ああいうような性格を拂拭する。飽くまでもやはり文部省の行政面、まあ経済的に教育行政の問題を確保して行くとか、それからいろいろ教授面に亘るいろいろな調査をするとかそういうようなところに文部省の性格が切換えられておるということは、あのときの法案提出説明の中にもはつきり謳われておると思うのであります。ここには提案理由の説明もございませんので、その点、例を上げて申すことができないのは残念に思うのでありますが、確かにそういうことが謳われているはずであります。然るに今回とられておるそういう措置を見ますというと、まあいわば戰争中非常に問題になりました精神総動員の一つの象徴的な問題である国歌、国旗というようなものを掲げることが望ましい。こういう形で指導を出されておる。これと一連の連関した問題としまして、修身科を設ける問題、或いは教育勅語の問題、こういうものが出ておるのであります。先ずこの点につきまして、文部省設置法の精神から考えて、今度文部省のとられた措置は果して妥当であるというふうにお考えなつておるか。つまり設置法との関連において、こういう問題を事前に十分に検討されたかどうか。この点が非常に我々に立法の府にいる者としては重要な問題なのでありまして、この点について先ず文相の意見を質したいと思います。
  21. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 文部省はいろいろな教育行政のことをやるからといつても、そういう教育行政をやつて行くのには、教育の理念というものを主眼とする。私は教育の理念というものを何も文部省で持たないで、ただ事務的なことをやるというふうには考えません。それでは日本の教育はよく行われないという考えでございます。
  22. 岩間正男

    ○岩間正男君 理念を持つているとか……、当然そうだと思うのであります。併しその理念というものは、殊に民主国家におきましては、それは大衆の意見の反映であり、そうして大衆が求めている方向、そういうものでなければならないと思うのであります。文部省の理念、そういうものが確立して、まあ何かあつたら、やはり天下り的な形で以て、これが掲げて来る。こういうことになると、そこに大きな問題があると思う。そういう点から次の質問に移りたいと思うのでありますが、そうすると文部省はいろいろなこういうような措置、今回の措置をされる前に当つて、どのような準備、それから調査をなされたか。そうしてどのような判定に基いてこういう措置に出られたか、これが非常に重要であります。今の民主政治の立場から考えましたならば、これは根本的に重要に問題なのでありまして、若し日本のこういう段階におきまして、殊に朝鮮事変で戰争への危機が非常に叫ばれており、そうして国連協力というような態勢がとられておる。そのまん中におきまして、このような非常に戰争とも関連なしとしないところの問題が急遽取上げられたところに問題があるのでありまするから、この点についてどのような調査、どのような準備をとられたか、その点はつきり承りたいと思うのであります。
  23. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) この国旗を掲げず、国歌を歌わないということは、自明のことで、全部どこでもやつていないので、例外を除けば別に調査しなくても、どこでも歌つてないけれども、これは歌わなければいけないということではない、そういう考えなんです。だからそういうことが望ましいといつたようなことも、国旗をどこでどれだけ立てるか、国歌をどれだけ歌つておるかということは調べなくても分つていることだと思います。
  24. 岩間正男

    ○岩間正男君 それは望ましいというようなことは、これは過去のつまり国旗、国歌ということを通じて、抽象的な問題とすれば成立つと思います。併し現状におきましては、日本はまだ実は講和会議も締結していない、こういう段階にある多くの制約の中にあるわけですね。そういう中において、過去の、今言つた抽象論から、具体的な過去に使つた国歌、国旗というものをここに掲げなければならないという、それ程の一体必要性があるのかどうか。これは文部省の主観的な意図とは別にして、一体日本がそういう立場に置かれているかどうか、こういうことについて、これは御検討になつたかどうか。  それからもう一つ私のお伺いしたいのは、どのような調査、準備をなされたかという問題でありまして、この点が非常に重要なんでありまして、この点は是非お伺いしなければならないことが起りましたのは、実はその後の社会の輿輪を聞きますというと、これは文相も御覽になつたと思いますけれども、まあ賛否相半ばというよりも、むしろ反対の意見の方が強くてごうごうとしておる。こういう事態の中には、それは朝日新聞か何かあたりで為された調査を見れば、そういう輿論の反映があるので、そういうような態勢から考えて、輿論調査、準備こういうものが非常に重要であつたと私は断言せざるを得ないので、その点について……。
  25. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 只今述べたことで盡きておると思います。あとは見解の違いということに帰着すると思います。
  26. 岩間正男

    ○岩間正男君 更に教育勅語なんかにつきましても、私はなぜそういうことを特にしつこく言わなければならないかというと、これはこの前の教育勅語を廃止するという問題につきましては、この参議院の文部委員会なんかは随分この問題が討議された。そうしてこれについて問題が保留されて、これは古い教育勅語につきましては廃止になつたわけでありますけれども、新しい問題については今すべきじやない、或いは委員長の御意見では、学校教育法ですか、基本法ですか、こういうものにちやんと精神が謳われておるのであつて、そこから一歩もそういうものは必要でない、こういう意見さえはつきりあつたと思うのです。こういう段階の中で、こういうようなものが必要だといつて、こういうことをなさるということは、随分輿論面の調査というものを十分になされて、その上に立つてこれが進められれば非常に重要だと思うのでありますが、私は文相がそれについて語られないのを不思議に思うのです。こういう事情は当然語られなくてはならないと思います。なぜかというと、我々はこの問題を検討しなければならない。そのとき文部省がどういう準備、どういう一体調査によつてこういうことをしたかということは、非常に我々が問題を今後研究して行く上において重要な問題でございますから、その点お答え願いたいと思います。  それからもう一つ更に今の問題と、もう一つ政府にお伺いしたいのは、この具体的に、国旗、国歌、こういうものの、これにまつわるところの印象というものは、非常にこれは国民が、いろいろ人によつても違いましようけれども、いろいろな感想を持つておると思うのです。成る程一面におきまして、これは明治から昭和にかけましての帝国主義が発展して行く過程における印象がこれにまわつておる。こういう点もあるかも知れません。併し戰争中この国旗がどのような役割を果し、そうして現在において、その拭い去ることのできないところのいろいろなこのうしろにあるところの犠牲の問題、こういうような例えば国旗を使つて出征をする場合のあの風景とか、それから教室にまで国旗が非常に使われた。こういうような点から考えまして、全くあの帝国主義侵略戰争をやつて行く上に重要な一つの象徴、或いは道具としてこういう国旗、国歌というものは使われた。こういう印象がまざまざとまだ消すことのできない段階にあると思うのです。そうしますというと、これを新しくここで又持つて来る。さつきの文相のお話では、国歌でもいいものだけあるわけじやない。それで無論悪い面もつきまとつておるかも知れない。併しながらどうしても国歌、国旗をここで用いることは重要だ言われましたけれども、我々は新しい敗戰によつてもう過去のそういう姿というものは拂拭しなければならない、そういうものは絶滅しなければならん、こういう段階に立つておるのです。過去のそういう忌わしい印象が拂拭されておる場合において、なぜここで作る必要があるのかと……。(木村守江君「見解の相違だ」と述ぶ)この点は非常に重要な問題なのでありまして、こういう点につきましては、果してこの国旗、国歌を作つて、そうして過去の再びあの軍国主義的な教師、殊に現段階におきまして非常に第三次戰争の危險、そういうものが考えられておる。これは国内外の情勢から判断してもこのことは、はつきりしておるのでありますが、こういう段階において再び過去の超国家主義、又は軍国主義においてこれが利用されないという保障がどこにあるか、果して保障があるということを文相は断言することができるかどうか。こういう点については、はつきりした文相のこれは御答弁を頂いて置かなければ、我々としては納得するわけには行かない。この点、御説明願います。
  27. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 私はこの点について岩間さんも誤解されておりはしないかと思う。一つは、私は国旗を立て、国歌を歌うということは望ましいと言いましたけれども、この修身科に代るものとか、或いは道徳基準とか道徳要綱とかいうものは、これを文部省で、こういうものを作るといつて発表したことは一度もないのであつて、自分は教育委員会の席でそういうような考えが向いて来ているということを述べて、皆さんの意見を聞いておるのであります。現に意見を聞いておる途中であつて、これを必ず出すのだと言つたことは一度もないのであります。だから今それは調べ中だと言つてもいいのであります。  それから国旗、国歌については、これは岩間さんと私と考えが非常に違う。岩間さん個人はそういう、いわゆる何といいますか、精神的な体験というものを、私はあなたも持つておられるのじやないかと思いますが、私などは長年生きて来て、自分の生涯を顧みても、本当にこういうことはよくない、深く反省してそうして行くというところに、私は宗教的とは言えませんけれども、一種の新しく生れるということを味いつつ日々生きておるものです。だから自分は自分の生涯を顧みれば非常に不快なこともあるわけです。或いは自分が足らないということは日々思うのです。それなら私の名前を取り変えてみたつてしようがない。これがよくも悪くも、自分は自分なんだ。この自分を深く反省して新しく生きようということを私は日々考えておるものでございます。そういう意味で、日本人も本当に悪い戰争をしたのだから、一部の人は負けたから悪いと言う人もありますが、私などはそういう考えじや全然ないのであつて、全く間違つた戰争である。そういうことを深く反直してここに新しく生きて行く、日の丸を新しく生かすのだという精神も私は考えられる。私などはそういう生き方をして、そういう点において岩間さんとは、私は世界観と言いましようか、人世観というものを異にしておるのであろうと思いますから、これ以上その論をしても見解の違いということに帰着すると思います。或いは世界観、人世観の方向が違うということであろうと思います。
  28. 岩間正男

    ○岩間正男君 これを反省の立場から、それから過去のそういう一つの懺悔の気持という御念で文相は話されたのでありますけれども、そういう形からこういうものを使うということが、私には納得できないのであります。これはまあ、あの戰争中どのように一体国旗が使われ、国歌が使われたかということを……。(木村守江君「見解の相違だ。」と述ぶ)、併しこれは見れば明らかである。見解の相違ということで片付けられるところの問題じやない。個人的なそういうような主観の問題でこの重大な、将来のこういう問題を断定することはできないので……。木村君、少し辛抱して呉れ。君の意見は、君自身で言えばいいことであつて、そういう抑圧の中でものを言うことはできませんから、これは默つて下さい。
  29. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 聞いたらいいじやないか。嫌な人は出て行つたらいいじやないか。聞くのが民主的だ。
  30. 岩間正男

    ○岩間正男君 そこで、この問題は、非常に重要な問題になりますから、私は例を挙げれば、私の弟が四人子供を残して、そうして南方のどこか分らない所で死んでしまつた。そうして葉書一本だけ来ている。そういうあとで実に妹がどんなふうに苦労してその遺族を育てておるかという問題は、私個人の問題だけじやなくして、日本の八千万の人が大なり小なり、どんな意味かでこういう体験を持つておるわけです。そういうときに、やはりあの日の丸で送られ、そうしてその中に全く閉じ込められたような形で行く、そういうようなことさえまざまざと思い起すのでありますけれども、こういう感じを持つておる人が、一体この日本の中でどれだけ多いか。こういうことについても文相は十分考えて頂くと、現在あの国旗に対して、本当に文相が持つておられるような考えだけでおる人が果して何人あるか。こういう点は、これは文相のお考えだけでこういう問題を決定されることは、私は非常に危險だと思うのであります。更に、併しこのことは議論になりますから、この点は保留にしまして、先に進みたいと思いますのは、高良議員のさつきの御意見の中にも連関するのでありますけれども、むしろ私は文部省としてなすべき仕事は、今、国旗や国歌、或いはこの修身科、教育勅語、こういうような、いわば過去の精神総動員的なものがここで全部復活するような形で出るのじやなくて、もう少し文相としてやつて頂きたいことは、むしろ現在の社会矛盾、こういうものについてもつと文部省自身が戰うべき問題があるのじやないかと思います。例えばさつきの特飲街の問題でありますが、これは参議院でも三、四日前この問題については大きな輿論が起りまして、この問題について我々は力を挙げて戰つたのでございますけれども、併しこの問題につきましても根本的なこれは解決はできていないと思います。現在の政治を見て行きますというと、一方で例えば東京都のこれは副知事に聞いた話でありますけれども、遊興飲食税が二十三億円も占めております。これは東京都の財政の実に一四%を占めております。そういうものに財源を求めておつて、而もそれを大きな手掛りとして、実際財政経済の、東京都の台所を賄つておりながら、一方ではこれを大きく取締ることを技術的にやつて行く。そこに大きな矛盾がある。これは單に東京だけでなくて、実は吉田内閣の現在の政策の中にある。例えば文相が曾て問題にされた競輪の問題、この競輪の問題が道義の廃頽とは深い関係があるが、この点について文相が戰われたことを我我は非常に賛意を表するのでありますが、それだけではない、富くじの問題にしても然り、富くじの問題を一方では賭博心、射倖心というようなものを政府が煽る。そうしてそういうものを財源として実際政治は進められておる。然るに一方におきましては、国民の道義心の高揚を説き、或いは愛国心、民族独立ということを口先では言つておる。こういう相矛盾したこういう問題……、結局そういう我々は、高良議員のさつきのお話にもありましたけれども、今日文政のゆがんだこの問題を、表面的な問題としてだけ取り上げることはできない。その根底としては国家財政経済、或いは社会政策、こういうものの基本的な問題の解決なしに今日文教の問題を解決することは、これはまるで木によつて魚を求むるようなやり方であります。こういう点においてむしろ文相は、挺身してこういう問題の解決のために、徹底的に戰われることが最も望ましいし、又それによつてこそ、今言つたような国旗や国歌の問題を解決するよりも、もつともつと大きな徹底したところの施策というものが行われるべきじやないか。こういうふうに思うのでありますが、文相はそういう点を一体大きく戰われる意思があるかどうか。これはこの前にも富くじの廃止について、文相はなお善処したいというお話があつたのであります。こういうようないわゆる文相のお説であるような道義国家から見るときに、甚だ根本的に矛盾しておるところの政治の様相についてもつと深く根を下ろして、そうして戰い、その中において文教問題を解決するという御意思ありやいなやということを私はお伺いしたいのであります。
  31. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 私は国旗に対して悪いほうばかりあると言つたのじやないのですから、どうかその点をお考え頂きたい。国旗に対して日本の文化創造というような喜びの面もある。併し悪い面もあるという両面があるということを申したので、悪い面ばかり言つたのではございません。  それから又、次の岩間さんの言われたようなことは、先ほど岩間さんの言われた、文部省は行政事務さえやつておればいいというのとは、私は何か相容れないものがあるように思つておる。私は岩間さんの言われたようなことについてはどこまでもやりたいと思つておりますが、それはただ行政事務をやつておればよいというようなことでは盡きないものを持つてつて教育に対する理想を抱き教育に対する理想を述べ、国民に訴えるというようなことも、文部大臣として当然していいのではないかと思うのであります。
  32. 岩間正男

    ○岩間正男君 文相の今のお話の中で、これはやはり念を押して置かなければならん問題は、現在のいろいろな文政の不完全な問題、それから道義の廃頽とか、そういう問題は、すべてやはり何と言つても根本的にはこれは経済、財政的な問題が解決されなければならないと思うのでありますが、この点をお考え頂きたい。ということは、例えば文部省において予算が十分に取つてあれば、いろいろないわゆる廃頽をよほど今日より防ぐことができると思うのであります。六・三制の不完全実施のために如何に青少年が不良化しているかという問題、又教員の道義の高揚という問題の背後には、教員が現実におきまして現在の給料じや食えないという問題があるのであります。こういう問題の解決ということは、実は政治的な立場、殊に文部省が現在最も新しく性格を変えるところの、文部省設置法案趣旨に基くところの文部省のやるべき仕事である、そういう面のほうは割に疎かになつておつて、そうして理念とか理想とか、そういう面が観念的に打ち建てられるということになれば、やはりこれは実に由々しい問題である。再びあの精神動員時代が再現されないということは、これは保し難い、こう思うのであります。この点について文相は今の私の申したことに対して、何か曲解されている点があると思うのでありますが、この点是非本末はどこにあるか、何が根拠であるか、政治家という者は何をすべきであるか、我々は精神教育というような形でもつて過去に陷つたものを再び繰返すのが、今日の文部行政の仕事でないということをはつきり申上げたい。この点の文相の御意見をもう一つお伺いしたい。
  33. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 私は決してこの教育予算というものを軽視しておるものではございません。自分は実に力が足りなくして、不十分でありますけれども、自分としては教育財政というものには全力を注ぎ、又教員諸君の待遇をよくするということにも、自分は全力を注ごうと考えておるもので、決していわゆる空疎な観念的な思想を抱いておるものではないと考えております。
  34. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 先ほど大臣は、国旗を掲げ、国歌を斉唱することに何の憚かりがあるか、こういう御意見でありましたのですが、私どもも国旗を掲げ、国歌を斉唱するということは望んでおるところであつて、ここには別に問題はないと思うのですが、ただ、今の時期において従来のものをそのまま用いるという点に問題があるのではないかというふうにまあ考えておるわけであります。国旗の問題については、これは別に差支えがあるというふうには考えたことはないわけなんですが、国歌のことになりますと、これが主権在民の新しい憲法趣旨に反しておるかどうかということについて、十分な検討がなされなければならないということは感じておるわけなんです。大臣は、憲法にも天皇は国家の象徴である。従つて君が代を唱うことに何の矛盾もないというようなお考えのようにとつたのでございますが、天皇という言葉と君という言葉とを同一に考えるということについては、私は多少の疑問を持つておるわけであります。成るほど新憲法においては天皇は国家の象徴でありますが、併し君というふうな言葉に置き換えて何ら差支えがないかということについては疑問を持つているのであります。君という言葉を、本来の君というのは私はよく知りませんが、少くとも従来私どもは君臣の関係において君という言葉を多くの場合に使つて来たわけであります。その君という言葉をそのまま使つた君が代という言葉、これが主権在民の新憲法に反しやしないか、こういうふうな疑念を持つておりますので、こういう点について私は十分な大臣の見解を承わりたいと、かように思つているわけでございます。成るほど道義の高揚も必要でありますし、又われわれ日本に住んでいる者が、日本国民としての自覚を持たなければならない、併し最近はそういう自覚が非常に薄らいで来ている。こういう心配の下に立つていろいろお考えなつている点については、私も十分了解できるのでございまするけれども、久しい間超国家主義的な雰囲気の中に、或いはそういう考えの下に教育をされて参りまして、そうして敗戰の結果、私どもは民主主義というものを取り入れて、民主主義という新しい立場に立つて日本の国家を再建して行こう、こういう考えに立つて漸く五年を経過したところなんであります。ところがその民主主義というものも未だ十分に理解されておらないし、又生活の中にも入つて来ておらない、非常に今日あやふやな状態の中にまだ置かれていると思うのであります。従つて道義、或いは道徳というような問題もなお混沌とし、確立されておらないというところも、そこから来ている面が少なからずあると思うのでありますが、少なくも私は道義の高揚、或いは道徳の再建と言つても、やはりその根本は民主主義の徹底にあると思うのであります。この民主主義というのは、やはり久しい時期の訓練を経なければならない。そう申しても、何も道義の高揚をうつちやつとけ、或いは道徳の振興を考えないでいいという意見ではございませんけれども、こういう道義の高揚についても、道徳の再建についても、やはり長い目で見て行かなければならないのじやないか、こういうふうに考えているわけであります。そこで、そういう民主主義の新しい国家の再建の出発に当つて国旗、国歌の斉唱の問題にいたしましても十分なる検討を加えないで、すぐにこれをやつて行く、或いは修身教育にしましても、道徳教育にいたしましても、これを急にやつて行くということになると、再び超国家主義的なものに還る慮れが多分に起つて来るのじやないかということを私は心配しているわけであります。そういう点から、先ほど修身科及び道徳教育についての、修身科の問題は別にいたしましても、道徳教育につきましても考えなければならんという大臣の見解には賛成でございまするけれども、これが誤まつた方向に行かないというためには、愼重な態度が必要であるのではないかというふうに感じているわけでございます。  以上申上げまして、国歌の斉唱ということについてはもう少し愼重にあつて欲しい、こういうふうに思うと同時に、多少の疑義があるのではないかという点を先ずお伺いしたいと思います。
  35. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 荒木さんのおつしやることは、如何にも御尤もで、そういう疑念がおありになるということも私はよく分ることでございます。ただ併し私などから言うと、なぜ天皇を、君と天皇は別だとか、強いてそんなに荒木さんが詮索をなさらなくてもいいんじやないでしようか。もつと我我は素直に、君と言えば天皇なんです。天皇と君とは違うとか、私はそこに非常に御詮索に過ぎるようなものがある。我々がもつと素直な平たい気持でいいんじやないかということでございます。  後の点については、御注意は私もよく考えて行こうと思つております。私もこういう点については一つよく御了解頂きたい。自分は何も元に返そうというのじやない、元のものを一つ揚棄して、それを契機として含んだ新らしいものを創造して行こうというのであつて、少しも元に返そうと……元のものは私ども率先して反対して来たものがある。それに私が返すわけがない。それを一つ揚棄して、含んだ一つの新しいものを創造して行こうというのであります。  それから荒木さんのことを承つていると、民主主義と道義の高揚というものが違うように私には聞えるのでありますが、道義の高揚というものが民主主義なんです。民主主義が成立つために個人の自由とか人格の尊重とか、そういうことが民主主義の一番の根本なんです。そういうものをはつきりと自覚させる。そうしてみんなが、自分も一個の人格として自覚すると同時に、他人をも一個の人格として尊重することが民主主義の根抵なんです。私が道義なんということは、即ち民主主義を成立たせるために言つておることで、荒木さんのことを承わつていると、両者が表裏しておることは、私のよく了解できないことであります。併し御趣旨は大体御尤もだと思います。
  36. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 私は常識的に考えておるわけでありまして、君という言葉は、常識的に従来は君臣の関係において使われて来たわけなんです。むずかしい言葉の解釈上に立つては私はよく存じませんけれども、少くとも戰争前の「君が代」の君ということは、常識的なもの、君臣という関係において使われて来たと思うのです。その言葉をそのまま使つておる「君が代」を今使うということは、やはり封建的な方向に引き戻す心配が非常に多いのじやないかと、こういうふうに私は考えて先ほど言つたわけであります。ですからそういう点について、私はそのまま国歌を使う、歌うということについては非常に疑義があるということは、大臣説明を聞いてもまだ十分承服することができないのです。
  37. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) それは荒木さんの御意見ですから私は承つて置きますが、併し君臣といえば天皇と臣下ということと同じなんです。だから天皇は象徴だが、君は象徴じやないというような御説明は、私はどうも承服できない。けれどもこれを歌うことがまだ自分たちの気持としてどうかという御疑念を持たれるということは、私によく分るのです。ただ天皇と君は別だという論は、自分には了解できない。
  38. 若木勝藏

    若木勝藏君 大臣に伺いたいと思うのであります。先ほど国旗、国歌、或いは修身科、教育勅語に代るもの、こういうふうなことについての大臣の御趣旨説明を聞いておつたのでございまするけれども、その際に修身科については従来のものに非常に疑問がある、この点は私も同感なのであります。私としては三十年も前からこの修身科の不必要を唱えておつたものであります。ああいうふうな抽象的な形において道徳を説いても問題は解決できない。学習、仕事そのものの中にそれが含まれて、それが啓発されて行くところに本当の道徳の向上があるものだということがむしろ本当なら、人生科というような恰好にしたならばどういうものだろうか、こういうことを主張したのであります。その点について文相のいわゆる社会科を媒介として新しい道徳を創造して行く、こういうところはそういう意味を言つておられるのじやないかと思うのであります。ところがそういう立場にありながら、勅語に代るものをやはり先生がたの要望もあるから、こういうふうなものが望ましいというお考えであるなら、そこに私は矛盾があるのではないかと考えるのであります。併し文相は規準の暗誦ではいけないということを指摘されておるのは、従来の情勢から、勅語の扱いからそういうふうにお考えなつておるだろうと思うのであります。その点は警戒しておりまするけれども、併し如何に規準の暗誦ではいけないとしても、そういうふうなものをここに作り上げましたならば、どうしてもこれは抽象的なものになりまして、勢い元の勅語に代るようなああいう取扱いになつてしまうのであろうと思うのであります。この点について前の修身科についての文相の考えかたと勅語に代るものを置きたいというところの考えかたとの私は非常な矛盾があると思いますので、その点一つ……。
  39. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 私はですね、幾度も繰返すようでございますが、修身科を何も復活しようという意味でも何でもないのであつて、そういうものはなくてもよいという考えも一応持ちますけれども、併しやはり新しくそういうものがあるということも非常に要望されるから、あつてもよいのではないか、あるならばそれは修身科か社会科によつて否定された、そういう両方を含んだものを考えて行こうというのであつて、今若木さんの言われた人生科というようなものと非常に似ておるものであろうと思うのです。例えば高等学校ぐらいになれば思想的のことも或る程度まで知つておらないといけない。その思想的なものを説明する学科というものもないのですから、そういうものを社会科というものの中に含まして行くというような考え方であります。  それから二番目のものと矛盾すると言われすまが、私にはさつぱりその矛盾する訳が分らないのであります。規範をただ暗誦するということはよくないと、だからそういうものは一遍否定してしまつたのだけれども、何かやはり要望があるから道徳要領というようなものがあつてもよくはないか、必ずこれをやると言つたことはない、そういうこともよくはないかと言つて世間のお考えも聞き、又この間は教育長諸君の考えも聞いたわけなんで、規範の暗誦ではいけないけれども、何かそういう道徳要領というようなものがあつても、別に害には少しもならないというような考えと、前の道徳教育を盛んにしようという考えとは、私は矛盾しておるというようには考えておりません。
  40. 若木勝藏

    若木勝藏君 勅語に代るものということになりますと、一般の感じがいわゆる前の勅語のような形を考えるのであります。ところが今文相のお話では、そういうものではなしに道徳要領というふうなものであるとすれば、この点は私の前に矛盾があるのではないかということについては、文相の答弁は、はつきりしたことになるのです。そこで文相の趣旨説明は、修身科或いは勅語に代るものということについての御趣旨説明は、これはいわゆるこの教育の方法的ないわゆる教科課程としてのことについてのお考えであつたように思いまするので、これが今度先ほど説明のありました二十六年度におけるところの、いわゆる通常国会において提出するところの予定教育課程基準に関する法律、こういうふうな場合に、この修身科というふうなものがどういう形で出されるようになつておるか、若し案がありましたならばそれを伺いたいと思うのであります。
  41. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 私は実を言うと、修身科という言葉は使いたくない。これはもうそういうものは禁ぜられておるのですから使いたくないのです。ただ道徳教育、これを受持つ科目、こういう意味で私は使つておるということを改めてお断りいたしたいと思つております。今差当つてこれをどうするかということは、私は審議会などに問うたりいろいろいたしておりまして、まだ成案を持つておりませんということを御了承頂きたいと思います。
  42. 若木勝藏

    若木勝藏君 最後に伺いたいのは、結局修身科並びに勅語に代るものについての御趣旨説明は、いわゆる教育の方法としての意味が多分におありであつたように思うのですが、こういうふうないわゆる学校におけるところのそういう道徳教育の方法そのものにおいては、現在の場合においても道徳の向上ということは私は相当至難であるということを考える一人であります。その点については先ほども委員からもお話があつたようでありますが、何といつても今の行政と言いますか、そういうふうな方面を根本的に考え直さなければならんのじやないか、こう考えるのであります。先般来特飲街の問題で証人を喚問していろいろ伺つたところの様子から考えますと、都の行政の一般方面を見て、いわゆる行政の仕方としても教育委員会と何ら関係がない建築は建築で進み、営業許可は営業許可で進む。何らその間に関連がない。全く自分の立場ばかり守つて行くというような形においてやつておる。それから一方においては、この政治全体から見まして給與ベースが非常に低い。そういうふうなことが関連して結婚期に入つてもなかなか結婚ができない。そういうふうなこともあろうし、或いは又中小企業者は非常に困難な状態に陷つておる。勤労者は勿論のことであります。或いは又農民は非常に採算がとれないような状態に追込まれておる。そういう全体の行政が根本からここに考え直されて行かなければ、いわゆる特飲街というものが学校の近所まで進出して来るという状態が当然起つて来るのではないか。私はそう考えるのであります。そういうところにあつて教育というふうな面までその行政を進めて行くためには、相当これは決意してかからなければならない。このことについては先ほどからもお話がありましたが、文相は現在の政府の一員として、この問題について政策を進める上においてどう考えておられるかどうか、これについて伺いたいと思います。
  43. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 私が道徳教育とか、或いは道徳要領とかいうふうなことを申すのは、お説の通り專ら教育の方法とか教科課程とかいうことに関連したことでございます。だからそれをもつて足れりとはしませんけれども、そういう途もなければ本当に社会がよくならないというふうに思つて、そういう途からも行かなければならないけれども、同時に又現在の社会にあるいろいろの弊害、そういうものもできるだけこれを取り除くようにしなければならない。その弊害については今若木さんの挙げられたことは一々御尤もだと私も思つております。私の力の及ぶ限りにおいてはそういうこともできるだけ取り除くように努力をいたしたいと平常考えており、又今後もそういたしたいと思つております。
  44. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 文部大臣の專門にされるところで、先ほどから種々御意見を承わつたのでありますが、私としては文部大臣の御意見を聞いて随分と安心をしたり、又細部に亘つて敬服いたしたものであります。従いまして私は極く簡單に二、三お尋ねいたしたい思うのであります。  先ず第一に一昨日行われました文教審議会の性格並びに構成について簡單に伺いたいと思います。それから次に私は先ほどから大臣意見をずつと承わつたわけでありますが、私は大臣の思考しているような教育というものを我が国に打ち立てて行くには教職員の再教育、大きく言つて教育環境の整備というような形で、現在の教育基本法の前文並びに各條、それから学校教育法で事足りるではないか、こういう見解を持つものであります。大臣がこの時期に、私はこの時期にという言葉に重点を置きますが、この時期に、或いは修身とか、或いは国歌とか、或いは国旗とか、道徳要領というようなものを矢つぎ早やにあちこちで発表されるに至つた大きな直接の動機というものはどこにあるかということを承わりたいのであります。と申しますのは大臣が先ほどから昔の日本に返すという気は毛頭ないのだ、一つの契機としてそうして新しいものを創造して行こうとするのだと言う。私は大臣意見に非常に安心をし敬服もしたものでありますけれども、併し一つの内閣の閣僚、政治家の発言、行動というものは非常に大きな国民への指導性と影響性を持つているものでありまして、それが如何に国民に影響するかということは最も重大だと思うのであります。又現在の問題でありますが、公職追放解除があつた。そこで公職追放解除というものを、平和的な民主主義文化国家を建設するという大きな筋金に沿つて、その線を強力に推進し、指示する意味においてのみこれは是認もされ、国民的祝福を浴びる価値のあるものであつて、いやしくも時代逆行的なことをなす意味においては絶対に是認もされなければ祝福もされるべきものでないことは、これは私ははつきりしていると思うのであります。ところがその公職追放解除がある半面に、いわゆるレツド・パージがある。そうなりますというと、学生は理論鬪争をしているよりは桃色遊戯をしていたほうが学校からは追われないというような無意識な観念が動いて、新宿御苑に行つて見れば分りますが、相当学生の軟派という者がはびこつている状況であります。公務員にしても理窟を言つておれば追われるけれども、軟かいことをやつておれば心配はないというような動きが現われて来ております。それから教職員は、これはもう再教育が徹底していない、信念のないところから来るのでありますが、大臣がああいうことを言われますというと、大臣の今日承わりましたような真意というものは、教職員なり国民なりには滲透しておりません。それで、昔のままの修身をやつたらいい、或いは国歌を大いに歌つたらいいのだということを言えば、我が身は安全であるというような自身の庇護、擁護というような立場から、意識的に教職員はそういう方向に動いて行きつつある。こういうもののもたらすところのものは、私は大臣の御意見とは反対にですね、国家主義的な、軍国主義的な風潮というものが我が国の末端において抬頭しつつあるということを、私は否定できないと思うのです。そういう意味において、大臣が矢継早にああいうことを発表された時期と方法というものについては、私は相当にまあ遺憾な考えを持つておるものであります。結局先ほどから大臣の意向を、私は繰返して申上げますが、いろいろ承つて安心もし、敬服もした点が沢山あるのであります。けれども、その大臣意見というものは、決してそのように末端に通じていない。むしろ逆の方向に行きつつあるという点を、私は政治家としてはやはり考えなければならないのじやないか。丁度公職追放解除、赤色追放、それから朝鮮事変、これらのものと関連したこの時期に、今まで天野文部大臣としてあまり申されなかつたところの教育綱領めいたものを発表されるというに至つた大きな動機というものを承わりたいわけなんです。もう一言申上げますが、まあ現内閣におかれましても、私は新日本の建設という立場においては、天野文部大臣個人的に、最も感覚的に私は期待申上げておるのであります。果して現内閣の閣僚の各位が、先ほどから種種開陳されたような天野文部大臣のような観念というものを持つて政治をされておるかという点については、私はかなりの疑点を政策の現われから持つておるものでありまして、天野文部大臣に特に期待するが故に、私はそういうことを天野文部大臣に要望もし、お尋ねするわけです。最後に一言、君が代の斉唱については、私は国民に対する影響性の立場から、私の考えは荒木氏の考えと大体同様であるということを附加えて、以上天野文部大臣の御意見を伺いたいと思います。
  45. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 文教審議会の性格については、又事務当局からお答えいたします。  それからこの教育基本法の前文とか、或いは憲法の前文でも足るではないかというお考えは、誠に御尤もなお考えで、そういう考えを私も今まで持つておりましたが、なぜ私が急にこういうことを言い出したかというのは、私がたまたま旅行をしたりして、直接にこの教育に当つている人たちに会つたり、又私が文部大臣なつたというので、諸方から私に手紙をよこしたりする人たちがあるので、私は自分が子供を直接教えでいないから、そういう人たちのこの考えも尤もではないかと、従来自分の抱いていたような考えばかりを理論的に言つていたんではいけない。実際の人たちの考えを聞いて、それにも耳を傾け、何とかここで工夫をすることが必要であろうかということを述べて、又世間の反響をも聞こうというのが、私が道徳教育というようなことを言つたり、或いは又この道徳要領というようなことを言つたりした動機であつて、私はどこからも、誰からも私に強いられたわけでも何でもないのであります。又その影響については矢嶋さんのような見方もあるでしようけれども、私はこれによつて日本中にこの道徳性ということの重要だということに対する関心を喚び起しておると自分は思つておるのです。それであるから悪いほうもあるかも知れません。どういうことでもよいことばかりというわけには行きませんが、私は日本中に向つて道徳性というものが国家の一番の根抵をなすものだということに対する関心を幾らか喚び起していると自分は思つております。動機については何も変つたことはないということを申上げます。  それから国旗、国歌論を言い出した動機は、先ほど述べた通りでございます。小学生が本当に籍のない人間になつてしまうというようなことは如何にもかわいそうだ、そういうことから考えたことであります。それから三番目におつしやつたことは、私のようなことを言うと、非常に社会に軟派ができて来るとかどうとかというお話がございましたが、それは矢嶋さんがそう見られるだけで、私が文部大臣をやつておるから、それで世の中に軟派が殖えて来るとは私は考えておりません。自分はそう思つております。
  46. 相良惟一

    説明員相良惟一君) 文教審議会の性格についてお答えいたします。この審議会は何ら法的根拠を持たない。文教振興に特別の関心を持つておられる吉田総理大臣のいわばプライヴエートの教育に関する諮問機関であると御了解頂きたいと思います。
  47. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 長いこと質問をいたしまして……、天野文部大臣は少し誤解なさつておると思いますが、天野さん個人文部大臣であるが故に軟派ができるというようなことを、私は申上げたつもりではないのであります。ただ天野文部大臣のこういう発言というものは非常に影響性が大きいという意味において申上げた次第であります。それから大臣がいろいろ現場についておられる先生がたから、手紙或いは口頭によつて意向を聞くというようなお言葉でございますが、先ほども私ちよつと申上げましたように、悲しいことですが、現代の教育者はやはり我が身を護る、我が身かわいさのために、信念の欠如から、今大臣が修身とか、或いは道徳要領というようなことを申されるというと、ちようど赤色追放、切るぞ切るぞというような声がはびこつておりますというと、それほど自分では考えていない教員までが、修身を大いにやつたらよろしい、国歌を大いに歌つたらよろしい。もうむやみやたらに国歌でも歌つておつたら自分は決して睨まれる心配はない。むしろ拔擢されるかも知れない。非常におかしいと思うかも知れませんが、そういう教職員が相当数おるということも私はお考えなつた上で手紙も読まれるし、又意見も聞かれる。そうして文部大臣一つの参考とされるということが私は大事ではないか。こういうことを先ほど申上げたわけでありまして、大臣から少し違つた意味にとられておるようでありますので、それだけ申上げて置きます。  それから相良総務課長にお尋ねするのですが、文教審議会と教育刷新審議会というのは全く関係はないわけですか。
  48. 相良惟一

    説明員相良惟一君) 教育刷新審議会は教育刷新審議会令という政令に根拠を持ちました公の諮問機関でございますし、文教審議会は先ほど申上げました通りプライヴエートなものであると考えて頂きたいと思います。両者は関係ございません。
  49. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 その点についてはこれ以上お聞きしませんが、文教審議会のメンバーは何人で、どういうかたがおやりになつておりますか。
  50. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 先ほど相良君から言いましたように、これはいわば吉田総理の、何と言つたらよいか、一つのブレーンのようなものです。で、人数は元は十人であつたが、今ここにありますが、十一各になつておると思います。読んで見ますと、安倍能成、高橋誠一郎、小泉信三、長谷川萬次郎、和辻哲郎、仁科芳雄、板倉卓造、鈴木文四郎、馬場垣吾、鈴木大拙、この外に高瀬前文部大臣でございます。
  51. 高良とみ

    ○高良とみ君 文部大臣にお伺いしたいのですが、今までいろいろなお話を伺い、私も深く考えるところがあるのでありますが、この国旗制定について、法的な国旗制定法についてどういうふうに文部省でお考えなつているかどうかということを伺いたいのです。悪いこともありましたけれども、又海外へも日本の船が行くようになりましたし、旗のない、或いはこれが制定されない国旗を掲げて行くということもおかしなことでありますし、又いろいろ犯罪的なことがありましたけれども、又世界は、悔い改めた日本が平和の象徴として日の丸を掲げて来ることを期待している面も非常に多いので、要は一つの心になつて、古い伝統を生かし、新らしい世界に新らしい世界観を持つて出て来る民主日本を期待しているわけでありまして、その点で御考慮になつているかどうか。或いは私どもそれに協力して、参議院の文部委員会国旗制定法について研究すべきかどうかをお伺いしたいと思います。
  52. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) これは事務当局からお答えいたします。
  53. 相良惟一

    説明員相良惟一君) 只今国旗の御質問であつたと思いますけれども、文部省といたしましては、新らしい国旗制定については、今のところ特に取上げて研究しておりません。
  54. 高良とみ

    ○高良とみ君 それにつきましては、憲法が新らしくなつたのでありまして、憲法、民法、刑法その他どこを見ましても、国旗に関する法律がないかと、私は思うのであります。即ち旧憲法とともに過去のものになつたと思うのです。その点にも多少国民の心理に疑問があるのでありまして、これを掲揚してもよろしいという最高司令官の許可はありましたけれども、これについての法的根拠はどうなつていますか、そのことについて伺います。
  55. 天野貞祐

    ○国務大臣(天野貞祐君) 今高良委員からのお尋ね、又御意見は非常に御尤もで、これを平和日本の一つの象徴として今後やつて行きたい。その法的根拠ということについて私は知識を持つておりませんので、今後研究してお答えしたいと思います。
  56. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは文部大臣に対する質疑はこれで終了いたします。   ―――――――――――――
  57. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 続いて補正予算質疑を続行いたします。
  58. 木村守江

    ○木村守江君 教職員免許法施行による研修費ですが、これはいつのものですか。一億九千四百万円……。
  59. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) この補正予算は今年度の最初、即ち四月からずつと本年度中において行われる認定講習並びに大学の現職教育、これらの旅費を見ているわけであります。でありますから、普通認定講習は大体夏、七、八月に主として行われましたし、その他土、日曜の講習なんかも行われておりますが、それを全部集計いたしまして、本年度中のものについて全部補助されるということになつております。
  60. 木村守江

    ○木村守江君 一億九千四百万円で四月から全部遡つてですか。
  61. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) そうであります。ただこれは單位の計算におきまして、全体の六ケ年計画を作つて、そうして今年度中に行われる講習單位を計算した上で、その八割の單位を見たわけであります。その八割という意味は、夏行われました講習の出席者が必ずしも予定通りに行つていないのではないかという一応の見込を以ちまして、大体計画の八割で足るものという認定の下に作られた單位数に従つて計算したのであります。
  62. 木村守江

    ○木村守江君 今年の夏前はですね、少くとも全教職員の五分の一乃至六分の一が認定講習を受けております。そういう関係が夏前の予算で、大体この前の認定講習予算二億円だと思います。その後の予算が一億九千四百万円だと記憶しておりますが、間違いはありませんか……。一億九千万円に対しては夏から後の分を予算に組んで、後の追加の分は後から組むというようにこの前も御答弁があつたと思うのですが。
  63. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) その点は間違いないつもりでおります。今年度中の全体の講習計画の中の八割の單位に対する基礎によりまして……。
  64. 木村守江

    ○木村守江君 私も記憶が余りはつきりしておりませんので、なお調査して頂きたいと思います。私のほうでも調べます。それから教職員適格審査のこの一千二百六十八万円がありますが、今度のレツド・パージに使うのですか。
  65. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) レッド・パージということは、新聞あたりに今使われておる言葉であります。要するにポツダム宣言に基く覚書の規定に違反する虞れのある者が相当あるという意味におきまして、適格の審査を新らしくやり直すというための経費でございます。
  66. 木村守江

    ○木村守江君 そうすると、この額はレツド・パージに使うと申しても差支えないわけですね。今までのものは、一応教職員適格審査というものは終了したのですからね。新らしく組まれた予算で……、そう考えていいのですね。
  67. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) レツド・パージということはどういう意味か知りませんが、事務的には今申上げたようなことであります。
  68. 木村守江

    ○木村守江君 それから先刻の二十四年度の年末の賞與に対する七億二千万円の問題ですが、こういう問題は去年の暮にやつたものを、今年の暮にならなければ予算に計上できないというところに非常に大きな矛盾があると思う。一体これは出さなければならないものを、何故文部省予算だからといつて、去年のを今頃まで待つていなければならないのか、幾度か臨時国会が開かれておつたとき、その際出すべきだと思う。こういうものを今頃計上するので、結局本年度地方公務員である教職員に対する年末賞與もここに計上できなくなつて来るのじやないですか。七億二千万円、これを今ここに計上しなかつたならば、今度の予算十八億の一ケ月の半額予算を計上できるのじやないかと思う。ここにやはり今度の教職員の年末の賞與も、こういう調子で大蔵省約束でもして、そうして来年の暮に出されるような見通しでもおありになるのですか。
  69. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) この措置が遅れたことは誠に申訳ないと思いますが、只今のお言葉に、何回も臨時国会が行われたということでありますが、実は昨年の補正予算に間に合わなかつたということは申上げたのであります。それ以来この次の臨時国会補正予算を組む議会として最初のものであつて、大体の方針といたしましては、補正予算は年に一回しか機会がないという形になつております。それで止むを得ず今度の議会に上程するという予定なつておるわけであります。今年度の年末手当の問題につきましては、約束というようなことは別にございませんが、補正予算を組むとかというような約束は別にしませんが、あらゆる方法を研究をいたしまして、何らかの財政的な措置がとれるように考え大蔵省と十分の交渉をするということにいたしておりまして、大臣も非常に努力をしておられるところであります。
  70. 木村守江

    ○木村守江君 それでは本年度の年末手当については、目下努力中だと了承しておつていいですね。見通しは十分期待できると考えておつても差支えありませんか。それからその次に、この国立学校の問題ですが、国立新制大学給與をここに九千二百万円ありますが、これは学芸大学の問題ですか。
  71. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 最初の問題の、今年度については見込があるかということでありまして、財政の枠の関係をどうしても予算的に措置ができなかつたという現状に現在あるわけですが、予算を取るという、国家予算として組むということだけでなくして、財政的措置にはいろいろな方法があるわけですから、いろいろな方法を研究をした上で、例えば金融措置をするとかいうようなことも考えられまするし、或いは府県財政に対して措置がとれるような方途を講ずるとか、あらゆる方法を含めて地元ができるようにするということにしておるわけであります。  それから国立学校予算給與費の不足でありますが、これは学芸大学ということに限りませんで、全体の俸給費が、專門学校教官が新制大学教官に振替つたとか、或いは旧制專門学校の統合によつて上位の勤務地手当を要するものが多くなつたとかという関係でございます。
  72. 木村守江

    ○木村守江君 そうすると何ですな、本年度の年末手当は、結局これは府県財政というようなものは非常に逼迫して困つているということは事実でありまして、従つてこのことについては政府が如何なる方法かによつて必らず手を打つというように了承して差支えありませんね。
  73. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) その方向に向つて努力中であります。
  74. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 復旧校舎の改築という問題がありますし、それから〇・七坪確保のために六十三億必要である。そういう問題があつて、先般六十三億の中の十八億を本年度補正予算で努力する方向にあつたわけですが、丁度ジエーン、キジアの問題が起つたので、天野文部大臣としては十八億の方を投げ打つて、そして災害復旧のほうでうんと取りたい。こういう決意を示されて、三十六億九千万円というものを文部省としては事務折衝を続けたわけで、昨日田中施設部長から伺いますというと、ジエーンのほうで僅かに二億四千万円決まつただけで、キジアその他についてはなお未決定だと、こういうようなお話があつたのでありますが、現在どの程度事務折衝されているか、又どのくらいの金額をとれる見込か、その点について説明して貰いたいと思います。
  75. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 災害復旧費の関係でございますが、この全体の規模について申上げますと、昭和二十五年度災害復旧の公共事業費が百億あるわけです。それは通常予算として組まれておりますが、そのうち約半額はすでに使われておりまして、四十五億が残つておる。その上に今度の補正予算で約四十一億が組まれるという予定なつているわけでございます。それで現在、今お話がありますように、文部省関係で約二億四千万円ぐらいの金をジエーン台風関係でまあ確保するということになつておるのでありますので、それは今年度通常予算にあります四十五億の中の二十四億をジエーン台風に使うということになつておりまして、只今二十四億の中の約二億四千万円、約十分の一に当るのでありますが、それが文部省に来ることになつているわけであります。でありまするので、あとの四十一億に当る、補正予算として組まれる四十一億に当る関係からも、なお文部省関係に配付される枠が予定されるのでありまして、その四十一億の中にジエーン台風に割当てられたものが約十二億でありまして、二十四億から二億四千万円が振当てられるということになりますれば、十二億の中から約一億二千万円ぐらいは割当てられる見込はあるということは言えると思うのでありまして、そういう意味で見込を入れますれば約三億六千万円ぐらいになつて、これによつてジエーン台風手当をするということにいたしておるわけであります。
  76. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 今あなたの申されたのはジエーンだけで、キジアの二十一億のほうの見通しは答弁されなかつたのですが。
  77. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) キジア台風につきましては、まだ内訳その他についてはつきりした計画ができていないようです。
  78. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 交渉もしていないわけですか。
  79. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 交渉はいたしております。
  80. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 それでは災害復旧費はそれでよろしうございます。  次に先ほど平衡交付金中に一月以降のベース上げとして九億が見積られていると、こういうふうに御報告下さつたわけですが、これは義務教育、それから盲聾学校教職員の一月から三月までの約一千円ベース・アツプに特に要する費用の二分の一と、こういうふうに了承してよろしうございますか。
  81. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 義務教育、それから盲聾教員並びに定時制高等学校、これは大体義務教育と同じに見ております。そういうものを含めました教員の一月以降の、お話のように約千円あたりに当るベース・アツプのための金でございます。
  82. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 半額ですね。
  83. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) そうです。
  84. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 ちよつと速記中止して下さい。
  85. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 速記を止めて下さい。    〔速記中止〕
  86. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 速記を始めて。
  87. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 災害復旧費について私立学校の分は今計上されておるのを知りました。公立学校の分については文部省関係では要求しないのですか、どういう場合に要求するのですか。
  88. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 公立学校は公共事業費に入つております。今申上げました二億四千万円のうち、約一億八千万円が公立関係でありまして、六千万円に当るものが国立関係であります。
  89. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 そうすると文部省以外から要求するわけですか。追加予算に出ておらないですね。
  90. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 補正予算に入つておりますが、それは現在経済安定本部の所管になつております。
  91. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 それから先ほど矢嶋君の質問で明らかになつたのですが、ベース・アツプに対して平衡交付金半額見積るという問題ですね、それは義務教育に対して見積る。併しそれ以外の公立学校、例えば高等学校、或いは国立大学というものについては全然見積らないのですか。
  92. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 義務教育職員につきましては、例の義務教育負担法がありまして、その関係で従来から半額を国費で負担して来たわけでありますが、その延長といたしまして現在平衡交付金制度に変りましても、それを見て行こうということでございます。それ以外の高等学校、或いは幼稚園、その他の学校というふうなものにつきましては、これは従来から国費で以てその職員の一部を見るということはございませんし、国のほうで国家公務員についてベース・アツプの措置をいたしますのは、一般予算の五%節減の財源を活用したわけでありますから、府県においていろいろ府県職員のベース・アツプ関係については、府県予算をできる限り節約して、それの財源によつてつて貰うという建前にしておるわけであります。
  93. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 そうでありますと、義務教育半額国庫負担法に基いて、義務教育の分については半額見ると、こういうことなんですね。
  94. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 義務教育半額国庫負担法は現在まだ廃止されておりませんけれども、実際は動いていないわけであります。でありますからその法律施行によつてそうなるというのではなくして、その精神によりまして、現に平衡交付金の中にはその半額見込んだという計算をしておる。それとその趣旨によつてこのたびべース・アツプするについては、平衡交付金として半額を見ようという意味でございます。
  95. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 非常に曖昧なんですがね、趣旨に基いてやると、こういうわけなんですね。そうすると半額負担法は死んでおるけれども、その趣旨に基いてやる。法的に根拠は薄弱なんですね。
  96. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) その通りであります。
  97. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 私の考えでは平衡交付金の中において、義務教育並びにその他の公立学校の分も半額見るべきであると、こういう見解なんです。義務教育だけに限つてつては、それ以外の公立学校教職員に対して財源措置が非常に不公平になると考えて質問をしているわけです。そういう点十分の配慮があるのですか、見通しがあるわけですか。義務教育職員以外の教職員についてのべース・アツプの実施に関しては、十分具体的措置が地方においてできるか、こういう見通しがあるわけですか。
  98. 寺中作雄

    説明員寺中作雄君) 国でその実施をするということについては見通しはございませんが、国の公務員についてやつたと同様の方法でやれば府県においてもできるはずだという見込でございます。
  99. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 私は結構でございます。
  100. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 他に御発言もなければ、休会中の継続審査を行うために開きました文部委員会は本日をもつて終了いたしました。審議未了の分は近く開かれまする臨時国会に引続き行いたいと思いますが、如何でございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  101. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは委員会が承認された事件について調査を終えたときは、委員長報告書を作り多数意見者の署名を附して議院に提出しなければならないことになつております。が、調査を終了しない場合にも調査報告書提出することに議院運営委員会で決定しておりますので、本委員会におきましても調査報告書提出することにいたします。ついては審議未了報告書案文作成については委員長に御一任願いたいと思いますが、如何でございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  102. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) では本院規則第七十二條によりまして未了報告書にも多数意見者の署名を附することになつておりますので、順次御署名を願います。    多数意見者署名     成瀬 幡治  若木 勝藏     木内キヤウ  工藤 鐵男     加納 金助  木村 守江     荒木正三郎  高良 とみ     山本 勇造  谷口弥三郎     矢嶋 三義  岩間 正男
  103. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) これをもつて文部委員会は散会することにいたします。    午後一時二十七分散会  出席者は左の通り。    委員長     堀越 儀郎君    理事            加納 金助君            成瀬 幡治君            若木 勝藏君            木内キヤウ君    委員            木村 守江君            工藤 鐵男君            荒木正三郎君            高良 とみ君            山本 勇造君            谷口弥三郎君            矢嶋 三義君            岩間 正男君   国務大臣    文 部 大 臣 天野 貞祐君   説明員    文部省大臣官房    総務課長    相良 惟一君    文部省大臣官房    会計課長    寺中 作雄君