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1950-10-07 第8回国会 参議院 文部委員会 閉会後第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十月七日(土曜日)    午前十時二十三分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○教育文化施設及び文化財保護に関す  る一般調査の件  (教育職員免許法及び同法施行法実  施に関する件)   —————————————
  2. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) これより文部委員会開会いたします。開会に先立ちまして一言御挨拶を申上げたいと存じますが、参議院の文部委員会といたしましては前国会におきまして、教職員免許法なりその施行法というものについて、発足以来二年になるのでありますが、二十四年の九月一日施行されて以来その施行の面について種々検討すべきものがあるように考えられまするので、この際に全面的に検討いたしまして、改正すべき点があるならばその点に向つて努力いたしたいと思いまして、休会中もしばしば開会いたしまして継続審査を行なつて来ているのであります。それにつきまして我々としては各地に実際に視察をし各方面の意見も聞いて参つておりまするが、皆様方の御経験のある又それぞれの御見解をお持ちになる方の御意見を承わつてそれを参考資料として何らかの結論を得たい。そうして更に検討を進めてこの法の円満完全に遂行できるようにという念願の下に今日まで進んで参つたのであります。皆様方公私非常に御多端の際にもかかわらず、我々の希望を容れて御出席頂いて御意見をお述べ頂くことを得ましたことを我々としては大変喜ばしい次第でございます。それぞれの御見解に基き又皆様方のこれまでの御経験に基いて忌憚のない御意見をお聞かせ頂き、又それに対し我々委員としてもお伺いする点を遠慮なく申上げてお聞きもしたい、こういう考えでおりまするので、御遠慮なくお考えのところをお述べ願いたいと存じます。又我々からも無遠慮にお聞きする点もあろうかと思いますが、そういう点もお気に障るようなことがあつてもお答えを頂ければ結構と思います。要はこの法律がもつとよくなることを念願しておりまするので、我々の努力に対して皆様方が御協力下さるというお考えで願いたいと思うのであります。我々特にお聞きいたしたいのはこの教職員免許法及び施行法について改善すべき点があるかどうか、改善すべき点があるならばどういう点でありどういう理由であるかということ、又これを実際に運営して参られた御経験の上からその運営に改善すべき点があるならば、そういう点も仰せ頂きたいと思うのであります。時間を制限申上げて甚だ失礼なのでありまするが日時の都合もございまするので大体お一人二十分見当にお願いいたしまして、そうして全部御意見をお述べ頂いた後にまとめてこちらから皆様方に更に又お伺いいたして行きたいと思うのであります。本日お見え頂くごとになつておりました東京教育大学教授宗像先生は急に御病気のために御出席を頂けなかつたのは甚だ遺憾でございますが、現在日教組法制部長の愼枝さん、神奈川県の教育委員会教育長中村さん、千葉県の教育委員会の主事の坂倉さんにお見え頂いておりますので順次御発言を願おうと思つております。後で東京学芸大学学長の木下さんに御参加頂きますのでお越し次第御発言を願おうと思つております。先程お願い申上げましたようにお互いに隔意のなき意見を開陳してこの法をもつとよりよいものにしたいという我我念願をお汲み頂いて御協力を願いたいと思うのであります。重ねて御多忙中まげで御出席頂きました段厚く御礼を申上げる次第であります。  それでは最初神奈川教育委員会教育長中村新一君にお願いいたします。
  3. 中村新一

    参考人中村新一君) 私は免許法改正についての意見を述べろということでございますが、甚だ残念ながら免許法に関しましての研究は殆んどいたしておりませんし、殊に現行法に関する知識さえも極めて不十分でございまして実はこういう会に出るのは甚だ不適格だと思うのでございまするが、いわゆる現職教員認定講習には先般解説者側として関係をいたしましたので、それにつきましての私の感じましたところを申上げたいと思います。勿論この私が申上げますことは教育長代表というような意味ではなくて全く私一人の感じに過ぎないということを先ずお断りを申上げて置きます。  言うまでもないことですが日本の復興と憲法が示します平和的民主的な文化国家建設というものが、その根本において教育の力に俟たなければならんということははつきりしておると思いますが、その教育がよく行われますためにはよき教師を得ることが必要である、その教師の地位というものは社会的経済的にも高い待遇を與えられるものでなければならん、そのためには教員資格水準というものは高いところに持つて行くべきであるということばはつきり言えると思うのであります。第二次教育使節団報告書の中にも免許基準というものは下げられてはならないというような言葉があつたようでございますが誠に当然なことだと思うものであります。ただ問題は現在すでに教員として数年或いは数十年の経験を有するものに対する措置、これが問題だと思うのであります。最初に私は教員資格水準というものは高く持つて行かなければならんと申しましたが、それではどういうふうに具体的に持つてつたらいいかというようなことにつきましては、最初にお断りいたしましたように免許法研究も十分いたしておりませんので、この方は私の意見は一応省略さして頂きまして、現在の教員に対する措置の問題について簡單に申上げてみたいと思います。  私は率直に申上げまして現代の教員の多くの者が本当の意味における新教育、革命的な変革の逐げられました新教育をよく実施して行きまする上に、十分な教養と能力とを備えておるとは言い得ないと思われます以上、絶えざる研修努力教員にとつて必要であるということについてはどなたも御異議がなかろうと思うのであります。私共もごの現職教員というものが教育委員会の仕事の中で最も重安なものであるという考えの下に、可なり現職教員というものについては力を入れて参つたのであります。ところが先般行われました認定講習やり方には多少疑問なきを得ないのでございます。先般の認定講習に関しましてはいろいろな批判や意見が私共の耳にも入つたわけでございますが、その多くの者は非常にこの認定講習やり方を非難する意見が多かつたのであります。即ち教員認定講習をやるということによりましてただ單に單位修得ということに頭が傾き過ぎてしまいまして、最も大切な児童生徒教育する、そういう面が実際問題としては軽んぜられる結果になる、良心的な教員ほど学校勤務認定講習との両方に多大の精力を傾注します結果負担過重になりまして、肉体的精神的な損耗を非常に来す。今日教育予算が十分ありませんとき教員の数も相当不足しております現状を思い合せまするならば問題は一層深刻であると言わざるを得んと思うのであります。  更に率直に申上げますと、その認定講習講義内容ワークシヨツプ式のものは少くて、いわゆる各教壇講義レクチャー中心の少し極端に言いますならば、現場教育から可なり遊離をいたしました内容のものが多かつたと記憶しております。要するに認定講習というものが、その講習を受ける先生にとつて意味だというわけではありません、無論講習を受けることによりまして得るところはあると思いますけれども、その認定講習を受けるための犠牲、そういうマイナスの面と考え合わしてみまするときに、果してどれだけのプラスがそこにあるか、これはよほど考えなければならんといいますか私共の認定講習について聞きました意見の多くであつたと思います。私共教育委員会におります者といたしましても予算の面でも非常に今困つたわけでございます。だから極端に申しますならば、認定講習というふうな制度はむしろやめて、先生方ばかりでなくて教育委員会がやります現職教員研修の必安であるということは私は前にも申上げた通りでありまして、研修は飽くまでやらなければなりませんが、單位修得のための認定講習、そういうやり方は極端に申しますならばよほど変革する必要があるのではないか、こう思うのであります。  ただ現在我々が最も困つておりますのは助教員資格のない助教員というのが非常に多いのであります。これに対する講習というものは私共の感じでは最も緊要である、こう思つております。併し現在私共がやつておりますところは助教員講習は、講習を受けます一年間の期間というものは全然学校勤務から解放をいたしまして徹底的な講習をやるわけであります。こういうふうに勤務から解放をいたしまして本当に大学の中に入れて勉強さす、これは助教員とつでは特に必要である、こう考えまして現在やつておるのでありますが、私共としてはこの助教員或いば無資格先生、或いは又先生なつた際の講習、それには最も力を入れなければならないと考えております。併しすでに十年十数年の経験を有する先生に対する単位修得のための認定講習というものはよほど考えなければならぬ、こう思うのであります。併し単位修得認定講習というものがやめることができないといたしますならば、よほど講習内容の改善ということについて中央側におかれましても又地方においてもよほど研究考えなければならん、こう思います。  それから生徒教育に支障のないように最大の配慮がなされなければならん。それがためには先般免許法期間が三年間延長になりましたが、場合によつては更に延長する必要もあるのではなかろうか。又認定講習をやります時期につきましても夏期休暇を利用するとかというようなことで、とにかく児童生徒に與える影響を最小限にするという配慮が是非なされなければならぬ、こう思います。  それから上級免許状を授典いたしますのは、免許法期間が終了いたしました際にこれを與えまするように免許法改正して頂く。そうでないと先に受けました者がいれば得をするという結果になりますので、みんな先んじて認定講習を受けたがる、こういうことが自然にその学校の経営なり兒童生徒の学業に影響を與えるわけですから、上級免許状期間というものは期間満了後にするようにして頂きたい、こう思います。  それから又單位算定につきましては、経験年数をもう少し重んじて頂くとか或いは各地方でやりました研修をまあ追認すると申しますか、そういうことをお願いいたしたいと思うのであります。  それから最後予算の面でありますが、中央政府におかれましても、予算の面についてまあいろいろ御配慮與かつておりますけれども、更に一段の御高配をお願いしたい。でちよつと横遂にそれるのでありますけれども、私共先般来標準義務教育費法案の成立につきまして非常に熱心にお願いをいたしておつたわけでありますが、まあ今日にもまだ確定していない、然も先般内定を見ました平衡交付金交付やり方を見ましても、私共としては柳かだまし打ちを打たれたと、こういう席で大変不穏当な言葉でありますが、かような感じを受けたのであります。と申しまするのは先般地方自治庁の方で内定をされたと聞いております平衡交付金算定というものは、成程義務教育費につきましてはかなり基準財政需要額も多く認めて頂いたようでありますけれども、高等学校費その他の経費につきましては非常なるまあ削減の結果になつておるようであります。私の方の神奈川県の例を見ましても、本年度は大体二十一億円ぐらいの予算を使つておりますが来年度はそれがまあ十八億くらいに削られてしまう、二十一億の中から三億も削減しなければならんというふうなことになりそうであります。若しこういうことが決定的に相成りまするならば、神奈川県の教育というものは非常なる危機にまあ逢着するというふうに思われるのであります。国民を代表せられまする国会が御策定になりました教育基本法にも、新日本建設はその根本において教育の力に俟たなければならんと言つておるわけでありますけれども、現実には予算がなければ十分なる教育はやりにくいのであります。少くとも現在よりも予算が削減されるというような結果になりまするならば大きな問題だ。でまあ私が今申上げておりますることは、必ずしも国会には直接関係がなくてそれは地方の問題ではないかというふうにお考えになるかも知れないのでありますが、成程地方の問題の面もありまするけれども、何と申しましても国会において十分御援助を頂かなければ、地方教育というものは来年度以降重大なる危機に逢着するという点を一つ御推察頂きまして、よろしくお願い申上げたいと思います。  以上私が申上げましたことは、最初にお断り申しましたように何ら免許法につきましての研究もいたしておりませんので、意見らしい意見というのは一つもなくて恐縮でございますが、以上。
  4. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは次に日教組法制部長槇枝君。
  5. 槇枝元文

    参考人槇枝元文君) それでは私日教組法制部長をしておりますが、過般来行われました免許法に関する認定講習につきまして、全国の各教員からいろいろな要望も参りますし、日教組としてどのような方針で今後この改革をやつて行かなければならないかということについて、未熟ではありますがその検討をいろいろして参つたものでありますので、今までに経験しましたことを、そうして又この認定講習においてどのような欠陥が生じたのか、それから引出して将来の免許法というものを如何に改正すべきであるかという点について意見を申さして頂きたいと思うのです。  この教育職員免許法は第一條にもありますように、教員資質の保持と向上ということを狙つておるということについては十分その法案内容から推察できるのであります。併しながらただその立派な精神で作られておる免許法でありながら、これが形式的と申しますか機械的な組立て方になつておるという点から、この免許法精神というものが実際やつて見て活かされていないという点を私は指摘したいと思うのであります。と申しますのは、昨年の五月国会をこの免許法が通過成立いたしまして今年四月から全国的に認定講習なるものが実施されたのでありますが、これを反省して見まして、教員個人に対する経済的な負担或いは学校教育に及ぼすところの弊害、こうしたいろいろ犠牲対しまして余りにもその目的であるところの資質向上ということが期待に反しておる、余りに僅少であつたということを申上げなければならんと思います。と申しますのは、先ず認定講習を行なつておる実体は、今度の免許法が成立してそれに対して将来の教員養成というものを規定しておるのと、更にもう一つ現職教員に対して免許法を一挙に切替を行なつて現職教員にまでこれを当嵌めておる、この点についてこうした弊害が出ておるのであります。それは新しい免許法によりまして一級、二級、仮、臨時の四段階に分れまして、それが今まで古い教員が、即ち旧国民学校令或いは旧免許令等によつて得ておつたところの免許状というものが一応全然御破算になりまして、そして一級、二級、仮、臨時のそれぞれの枠の中に入るのであります。その結果を見ましても、一級該当者というものが五十万教員の中の約一・五%の七千五百名になつておるのであります。二級該当者が五一・八%の二十五万九千名、仮免許状該当者が二八%の十四万名、臨時免許状該当者が一八・一%の九万名、このような結果になつておるのであります。従つてそれぞれの教員上級免許状であるところの一級免許状をやはり修得しなければならん。勿論これは法的にはしなければならないというわけでもないけれども、実質的にこれを要求されておるというのが現状なのであります。従つて二級以下の教員、つまり五十万の教職員の中の四十八万なにがしの教員のすべてが、この認定講習というものに参加しなければならないという結果を見ておるのであります。  そこでこの認定講習内容でありますが、これを一応量の面と質の面とに分けて考えました場合に、先ずこの認定講習の量というものが、今申しました四十八万幾ら教員に対しまして平均いたしまして一人に二十三単位單位修得を要請しておるのであります。一単位の時間数は四十五時間でありましてこれを換算して行きますと一ヶ月間に四単位修得ができる、そうするならば二十三單位を取るためには半年間を必要とするのであります。そうしますと例えば一年のうちの夏休一ヶ月間を利用いたしましても、一人の教員が六年間毎年夏休をこの認定講習に注ぎ込んで行かなければならないと、いう結果を生んでおるのであります。そしてこれを日数に換算しましたならば六ヶ月間が一人に対して要るということになりますので、それに対して現在の講習会場或いは講師という面からこれを当嵌めて行きますと、従つて一年に一ヶ月間の休暇に対して全部の教員を収容するということは不可能なのであります。従つて夏休に受講できる教員もあるけれども、それ以外の授業期間中にも当然この認定講習というものをやらなければならんということに自然追込まれて来るのであります。そこに学校の直接生徒児童を扱つておる教員としては、生徒兒童に対する教育を放任するという結果が生れて来たのが本年四月以降の講習なのであります。又授業期間中にやる講習、或いは夏休期間中にやる講習にいたしましても、教員はそれぞれ教育のための教材研究そうしたものに可なり忙殺されておる現状でありまして、これがこの認定講習を受けることによつてその認定講習予習復習もやらなければならないということになりますと、到底明日の授業のための教材研究というものどころか体を休めるひまもないというような状況が全国的に現われて来たのが本年度認定講習なのであります。これが現在行なつた認定講習の量的な面から観察した場合の学校運営に及ぼす影響、並びに教員個人過重労働負担という面で現われておる結果であります。  次にこれを質的に見ますと、この認定講習というものが果してどの程度の質を持ち得たかと申しますと、先程言いましたように一人が二十三單位を取るということになりますと可なり厖大講習になつて来る。そうするならば現在大学そのものも昨年発足いたしまして十分なる充実もできていない。又講習講師大学教員となつております関係から講師を得るということが非常に困難な現状なのであります。従つてとにかく大学教員というものでありさえすればすべてを総動員してこの講習に当らさすということが今年行なつた講習なのであります。従つてその講習内容というものが果して教育のために真に役立つ講習であつたかと申しますと、全面的にそうでないとは申上げられませんけれども、多数の教員を収容するということと講師が不足するという点から、当然一つ講習会場に対して数百名の教員を入れて講義をやらなければならない。そのことは数百名というものがそのおのおのの能力差に応じた講習でなくして或いは助教の人、或いは校長の人、そうしたそれぞれ相当に開きのある能力差のあるものを一丸にして画一的に講習をやつて行くということが、結局この講習というものを或るものに言わすならば馬鹿らしい、又或るものに言わすならば分らないというような結果を生んだわけであります。これが講習の質をどうしても改善することが現状でできないという点について、今申しましたような量的な面からこれをやつて行かなければならないという現状において、講師が得られない、或いは会場が得られないというような点からそうしたことに自然追込まれておるのであります。  次にこうした認定講習そのもの量質以外にこの講習に対する経済的な面でありますが、基本的に考えますならば国家方針としては社会改革、或いは今度のような教育改革を行う場合には、当然それに要する経費というものはその分野に従事するところの個人負担するべきものでなくして、当然国家方針で行われるべき改革であるならば国家がこれに対して経済的な保証をなさなければならない、これが私は原則的に考えて妥当ではないかと思います。これに対しまして果して先程から申しましたようなこの厖大認定講習現職教員に一挙に課するだけの、果して国家が経済的な負担に堪え得るかどうかという点であります。今の四十九万幾ら教員を一応各単位別に累計しましてそれに要する会場費、或いは講師に対する手当、或いは個人の旅費、資料、こうしたものを全部総合計して見まして約六十二億円という額が必要になるということは算出できておるのであります。これをこの前の免許法によりますならば三ヶ年計画で行うようになつてつたのでありますが、第八国会におきましていろいろ国会或いは文部省当局の御努力によりまして一応三年間の延期を見たのであります。その結果六ヶ年間にこれをやるといたしましても一年に約十億円というものはどうしてもこのために計上しなければならない。これが果してこの終戰後貧困な国民経済の中にあつて計上し得るかということになりますと、現在事実現われておりますようにそれに対する今年度予算としては僅かに四千万が取れておる、今度の補正予算に対しまして当局も非常に御努力を拂われたのでありますが、併しながら努力に対しまして約一億九千万円、十億円に対して大体二割という程度国家経済がこれを裏付けしておる。そこで従つてこの講習を行うためには当然その経済的負担というものは地方財政へ及ぼして行くのであります。ところが先程神奈川県の教育長さんも御説明になりましたように現在地方財政というものは非常に窮迫しておる、そうして平衡交付金は非常に僅少である、その中にあつてこの認定講習に要する予算を計上するということは到底不可能に近い問題でありまして、本年度全国がそれぞればらばらでありますけれども各教育委員会が計上しておる予算を累計して見ますと約二億円となるのであります。従つて国家予算地方予算を合計いたしまして約四億、残る六億というものはこれが必然的に教員個人負担というところに追込まれておるのであります。これが現在の六・三ベースにおける困窮した教員生活実態から見まして到底その負担に堪えないものであろうということは、この点から推察して十分お分り頂けると考えるのであります。従つて当然先程申上げましたようにこうした改革をやるのであるならばそれに対する裏付けを国家がやらなければならない。それが若しもどうしてもできないという場合であるならば、これに対してはやはり法に対する一つ改正を加えなければならないという結果になるのではないかと思うのであります。  以上述べましたのがこの認定講習に附随いたしますところの内容、或いはそれに対する経済的な面でありまして、最後に特に申上げたいのは、終戦後脚育界の非常な混乱を来しまして、教員はすべて研究研修という面について何か藁でも掴みたいというような状態に置かれたのであります。昭和二十年、二十一年頃現場に私おりまして何かいい講習を受けたい、或いは研究をして行きたい、併しながらそのときには何らとれに対する措置はなかつたのであります。従つてここに芽生えて来たものは教員個人の自発的な研修意欲というものが出て来ております。それが現在各県で行われておりますように教員個人研究サークルを自発的に作つて研究して行くとか、或いは県が実験学校を指定してその学校における教育研究なり、或いはその学校中心として郡内の教員が集つて研究して行く、そこに自分の好むところの講師を招聘して話を伺い又指導を願うという講習が二十年以降行われておるのであります。ところが今度の認定講習によりましてそういうふうな、講習というものは何らこの免許法とは関係がないわけであります。一例を申上げますと、私は岡山県の出身でありまして半商半農の町である早島町の新制中学に勤めておつたのであります。丁度私の学校が県の実験学校に指定されまして而も郡の中心校となつて研究をしておつたのであります。この研究というものは当然学校生徒児童教育というものに対しては悪影響でなくしていい影響を及ぼすための研究をやつてつたのであります。従つて毎週授業時間割というものは学校内で編成いたしまして、何曜日の午後は教員研修に当るということを作つております関係からその日の授業というものは当然午後を休みにする、その代り他の日に廻しているというふうに時間割の編成というものが、校内において自主的に研修ができるような編成になつてつたのであります。そうしてよりよき生徒教育するために研究教員が続けておつたのでありますが、今年度四月以降に行われました認定講習によりまして、こうした自発的な研究心というものがすべて抹殺されまして、或いは実験学校中心にして教員が集まり校内で研究共助をやつて互いに討議し合つて、どのように教育するかということをやつてもこれは無意味で、むしろその認定講習に行かなければ一級免許状は得られない、又校長にもなれないのだという点から、そうした自発的研究というものはすべて今年以降は行われていない、そ6してすべてが教育を放棄してまで認定講習に参加しているという現状を私体験から申上げるのであります。これを見た場合に如何にこの認定講習というものが現在の学校教育に及ぼしている影響というものが重大であるかということを痛切に感ずるのであります。  以上申上げましたように、現存免許法によつて行われている認定講習というものが現職教員を対象としてやつた場合にこのような弊害を及ぼしている。そこで一体これを克服するためには今後この免許法をどのように改正したらいいのであるか、又現場教員がどのような改正を望んでいるかという点に触れたいと思うのであります。  先ずこの改革に当りまして教員の養成ということについて、私共幼稚園から高等学校に至るまで当然その教員資質を上げる教員養成制度というものを拡充して行つて、そうして立派な教員を養成するということについては賛意を表すると共に、そうならなくてはならないと思うのであります。併しながらその改革というものが、現右勤めているところの過去の免許令によつて得た旧資格を持つている教師にまで、一挙に及ぼして行くということが、認定講習というものを全国的に一挙に厖大に課さなければならないという結果を生むのである。こういう点から考えまして飽くまでも将来の黄員養成ということと現在の教員というものとの間には一線を引かなければならないのではないか。と申しますのは、ただ現職教員といいましても資格のある者、ない者いろいろ混同しておりますが、勿論先ほど神奈川県の教育長も申されましたように現職教員中助教の者、無資格の者、こういう者に対する講習というものは当然やつて行かなければならない。而もそのやるやり方というものはたまの日曜日をぼつぼつやるというような講習でなくして六ヶ月或いは一ヶ年というものを学校から解放して学芸大学或いは教育学部に入れてそこでみつちりと教育しなければならないと考えるのであります。そうしてその他の教員につきましては一応切離して考える。これは一例を申しますならば現在の医者或いは弁護士こういうものを見ましても、将来弁護士になるためにはどれどれの学歴を必要としそうしてどのような国家試験に合格しなければならないとなつたのであるけれども、今までのやつてつた者がすべてそれに当嵌めて行くかというとそうではないのでありまして、医者は医者として昔からやつている人はそのまま医者を続けて行ける。この行き方こそが日本の国情に合つた行き方ではないかと思うのであります。従つて免許状か取得して教員をやつておる者は、やはり従前の例によつて今後も教員を続けて行く。いわゆる今までに得ておつた既得権益というものを侵害しない、そのままその権益を認めてやるということこそが、こうした認定講習弊害を除去する唯一の途であると考えるのであります。但しこのことは旧資格を持うておるものはもう研修の必要はないというのではないのでありまして、当然医者をやつて行く上には新知識を入れなければならない、又教師を続けて行くためには新教育研究しなければならない、それは現在教育公務員特例法によつて教員研修の義務を負わされている、又教育委員会はこれをやらなければならないと規定されておるのであります。従つてこの教育公務員特例法の趣旨をもつと拡充しこれを計画的に現職教員に対してやつて行く。それには当然ただ形式的なものでなくして教員の望む自発的な研修心というものを助長して行くような方途で以てこれを大いに活かして貰いたい、このように考えるのであります。以上申しましたのが旧資格取得者と新免許法という間に一線を引かなければならないという点であります。  次に今後の教員養成というものについて考えて見ますと、現存の免許法によりますと先程申しましたように一級、二級、仮、臨時というような段階がついている。而もその間に高等学校、中学校というように学校に差を設けまして、その学校に行く場合その学校教師になるのに対しては一つの段階が設けられている。例えて言えば新制大学を二年終了じた者が高等学校であれば仮免許状であり中学校であれば二級免許状である。このような段階をつけるということは私は適当でないと思うのであります。即ち幼稚園から高等学校に至るまで教師はひとしく教養を得なければならない。その教養は少くとも大学卒業というところを以て充でなければならない。小学校教師が高等学校教師よりも少い教養でいいという考え方は何ら理論的に成立たない。これは質的に内容的に見た場合に高等学校先生と小学校先生というものの間には内容の差は当然なければならない。即ち小学校先生であるならば一般的な各学課に亘つての広い教養を得なければならない。それに対して上級学校に進むにつれて専門的な教養という面に重点を注いで行かなければならない。従つてその質の差という内容の差というものは当然認められますけれどもこれは量の差とは何ら関係がない。飽くまでも広い教養を広く量をとつて行くのと、狭く深く量をとつて行くのとここに差が見出せるのであつて、決して全般的の学歴的に片方は二年でよろしい、片方は四年でよろしいというような行き方は適当でない。従つて幼稚園から高等学校に至るまで大学の卒業生を以て教員に任用し得るところの免許状を與えるということにするのが、将来の日本教育の水準を高める上においても最も適当である。又現在のように一年で退学した者、二年で退学した者に対してもそれぞれ仮とか二級とか免許状を與えるということはこれ又適当でない。と申しますのは、飽くまでも教師は完成教育を受けた者であつて初めて教師資格がある。中途退学した者に一つ免許状を與えることは適当な措置でないと思うのであります。そうして又需要供給の面から考えますとこれは一挙にそこまでしてもどうかという論も出て来るのでありますが、併しながら実際に教員の養成に対して飽くまで資質向上したい、立派な教員を得るというためには大学卒業というところを一つの線を引く、それによつてこそそこへ行く、教員になるためには大学を出なければならないのだという印象を深める。それこそが将来の教員養成というものを真に大学卒で賄うといろ結果になつて来る。二年でも先生になれる、一年であつて先生になれるのだということになると、大学を卒業しても小学校教師になれるけれども大学を卒業した者で小学校へ行くものは殆んどない、殆んど大部分が師範学校だけの者が教師におさまつているという結果を生むのであります。これが将来の教員養成に当つて幼、小、中、高を一本にし、同一基準にし、而も大学卒業を以て充てて貰いたいということであります。  次に今度は校長、教育長、指導主事の免許状であります。これにつきまして現在校長、教育長、指導主事も、それぞれ一級、二級、仮という三段階に分れている。私はやはり校長免許状というものが必要でないというのではありません、勿論校長免許状はあつてよろしい。併しながら校長になつたもの或いは教育長なつたものが、更に二級の教育長に上り一級の教育長に上るための講習を受けなければならない、こういうことになりますならば、その校長なり教育長というものが学校経営、或いは県下の教育の経営をするに当つて、その経営に対する熱意というものが或る程度殺がれて今の現職教員現状教育を放棄してまでも認定の講習を受けると同じように、校長或いは教育長がそうした講習を受けなければならないという結果に終つて、結局学校経営なり県下全般の教育というものが疎かにされる結果が生ずるのではないか。従つて校長免許状という一つ免許状々得たならばそれでその校長というものは将来そのままの杉でやつて行く、二級、一級というものはなくしてよいのではないか、こんなように考えるのであります。  以上現在行われておりまする認定講習弊害から導き出しまして、現在の教育職員免許法というものを先ず現職教員から切り離すという点と、基準というものを大学卒に求めるという点と校長、教育長、指導主事の免許状一つ免許状でよい、段階は必要ないという三点の改正の要望としましてここに提出して私の意見を終りたいと思います。
  6. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは次には千葉県の教育委員会主事の坂倉君。
  7. 板倉孝

    参考人(板倉孝君) 只今二人の方々からそれぞれの立場から御意見がございましたが、私は免許法施行以来一年間余り千葉県の教育委員会事務局の免許に関する会長といたしまして実際に事務を担当いたしました立場からの意見を申し上げます。  私がこの法律を施行いたされまして先ず感じましたことはこの法律が非常に複雑であるということでございます。私はこの法律が完全に実施されるためには、先ず第一に教員の一人々々がこの法律を十分理解してそうして自分の資格向上に盡さなければならないと考えまして、係の者を動員いたしまして各地区に二回乃至三回多いところは五回以上も参りまして指導いたし、又質問に応じたのでございます。ところが端的に申上げますると、現在一般教員は殆んど免許法が分つておらない状態でございます。これは無論私達の指導が悪いといえばそれまででございますが、やはり免許法の複雑という点にもその原因があるのではないかと思います。殊にこの認定講習が実施されまして以来この弊がますます現れまして、例えば自分が認定講習に出ていながら自分がこの講習に出たらば今後どうなつてどう進むかということさえも分らない場合がままあるのでございます。即ち現在におきましても殆んど各教員が自分の資格の相談に私のところへ沢山参るのでございますが、そのようにもうすこし免許法が分り易くできておればもつと効果が挙るのではないかということを痛切に感ずるのでございます。  次に免許法内容でございますが、この本法に関しましては新しい学制改革に伴う免許制度といたしまして私はここに意見を述べることは差控えますが、先ずただ現在私が感じます不便なこと或いは今後相当支障が起るであろうということを二、三申上げます。  それは第三條の規定でございます。これはいわゆる中学校、高等学校教員の教科担任制を規定した條交でございます。これによりますと中学校の社会科の教師は今後は社会科の免許状を持たなければその教科を担任できないのでございまして、千葉県のように教員需給の下円滑な土地におきましては完全な教員の配置は到底困難でございまして、現在におきましても大体一人の教員が三科目乃至四科目多い人は五科目まで兼任しておるのでございます。そうした場合に来年の四月以降先ずこの教科の兼任が禁止されましたならば、非常にそこにまあ教員配置の関係上困る事態が起るのではないかと憂慮しております。結局それを進めるならば臨時免許状を発行してその場を糊塗するわけでございますが、そうしますと臨時免許状の濫発という好ましくない事態が起るのではないかと思います。  次に授與権者が委員会と知事と二人に分れておることでございますが、これはただ単に形式だけでそれ以外のものは何もないのではないかと思います。即ち効力が同じであつて同じ県内におきましてその検定基準がそれぞれ違うというのは、どうも非常にますます免許状身複雑にするのでございまして、何とかこの辺は一本にまとめて頂きたいと希望する次第でございます。  次に施行法でございますが、これは検定事務を実際に行なつておりましてしみじみと感ずるのでございますが、免許状の種類が四段階に分れておりますけれども、これはその四段階の免許状がそれぞれの実力を証明するものではなくして、單なる資格の証明であるというような感があるのであります。即ちこういうようなことはこういう制度には避けられないことかも知れませんが、施行法におきましてはこういつた現象が非常に強く現れておるようでございます。尤も免許状は採用の一つの條件でございまして全部ではないのでありますが、やはり免許状に段階がある以上その裏付として実力がなければならないと思うのでございます。又旧来の学校差というものが全然県には分りませんので必然的にこの免許状が形式に流れるというきらいがなきにしもあらずでございます。  次に認定講習について申上げますが、認定講習という立場から免許法のよい点を申上げますと、教員の再教育ということを制度化したことが見逃せない利点だと存じますけれども、みずから進んで講習に参加しそうして研修したい者だけが認定講習を受けるならば単位も決して過重ではないと思います。又法律の趣旨もそこにあると思うのでございますが、併し実際の教員の心理状態というものを考えて見ますと、誰でも早く上級免許状を受けたいのは人情でございますし、又同僚が講習に出れば自分も出なければならないような気になり、又各教員もこの講習は出たい者だけは出るということは万万分つておるのでございますけれども、やはり単位に引かれて出て行くというようなのが実状でございます。どうしても事務局といたしましては各教員に中等に講習の機会を與えなければならないという立場に追込まれるのでございます。従つてそこに無理が生じて法の趣旨とはかなりかけ離れた講習が実際に行われざるを得ないのでございます。更にこの点を申上げますとなるべく多くの教員を参加させ、又できるだけ教員負担を少くするためにはどうしても会場を多くしなければならないのでございます。その結果起りますことは千葉県のような場合には大学が非常に少いのでございまして、先ず講師の不足に悩まされるのでございます。例えば数学の講座を県下十二会場に開くといたしますとやはり十二人の数学の講師を必要とするのでございまして、こういつたことがちよつと本県におきましては困難な状態でございます。又たとえよい講師が得られましても山の中まで実際に出向いてくれるというような講師は非常に少いのでございまして、折角会場を設けましても講習内容がまあ機会均等にならないというようなことが起るのでございます。又どうしても講座を余計とる関係上できるだけの多くの講師をお願いする次第でありますが、更に大学教授乃至助教授というふうに肩書のついておる方々にこちらから本当にお願いしてやつて貰うわけで、県から講師を撰択して自由に実のある講習を行うということについてはちよつと現在の段階といたしましては不可能なのでございます。又県の予算或いは講師の数等から申しまして教員資格、即ち臨免や仮免、二級、一級とそれから小学校、中学校、高等学校というような免許状の種別に講習を開くことは到底できないのでございまして、どうしても中学校と高等学校先生を一緒に入れたり又仮免の者と二級の者と一緒に講習したりいたしますので、その教員の素質の幅が非常に広くてそして講師の方もどこを掴んでいいか分らないというような現象も起りますし、又教員の中にも或る一部の者がその講習にあきたらないというような者も必然に起つて来るのでございます。殊に高等学校教員につきましては十八教課に分れておりましてその又数も非常に少いのでございますので、そういつた教員の全部の者に講習をするということは到底不可能なのでございます。又従つて講習が必然的に形式的に流れるという弊も避けられない現状なのでございます。又講習のために教員が過労に陷るというような声も聞くのでありますが、私達といたしましてもできるだけこういつたような弊を除くために定時制で実施し、極力学校授業に差支のないように実施しておるのでございますけれども、併しやはり教員が多忙なために、レポートを欠くために授業をおろそかにするということもなきにしもあらすとこう思うのであります。  次に認定講習経費の点でございますがこれも非常に莫大なものでございまして、本年度千葉県におきまして認定講習の費用は四百十一万というほんの僅かな金額なのでございます。これは大体その現在千葉県にはいわゆる臨時免許状という人達即ち助教が三千名近くおるのでございます。それでこの三千名の者に対して一日も早く仮免に引上げなければならないのでございまして、この会場を県下十二ヶ所を以て大体その旅費が一日六十五円、これは十二ヶ所を持つた場合でございまして、もつと会場数を減らせば更にその一日の旅費額は殖えるわけでございますが、その十二ヶ所といたしましては六十五円、四日で二百六十円、そうしますと二十五単位即ち臨免から仮免に参りますには六千七百円という旅費が要るのであります。この旅費は現在教員負担になつておりまして県では旅費まで出すというところまで予算がないのでございます。即ち旅費だけでも臨免から仮免までに全部の教員が到達するには二千十万ばかりかかります。その他に講習の費用が百万ばかりかかるのでありまして現在四百十万という予算はその五分の一にも足らない現状でございます。まして他の者達を上級免に引上げるという上においてはますますその度合が激しくなるのでございます。尚そのように認定講習を実施いたしました委員会側といたしましては全力を挙げてやつておるのでございますが、やはり費用が足らないとかその他の点で十分実施できないというのが現状でございます。私達といたしましては予算が沢山あるならば全力を挙げてこの法律を実施するために努力を惜しまないものでございますが、とにかく昭和三十一年の施行法七條が廃止になるまでは何とか現在のものを上げて行く自信はあるのでございますが、併し別表四に返つて行きます場合には到底これに上級免許状を上げる自信はないのであります。  大体事務担当者といたしまして免許法実施に際して感じたことを申上げて終りとします。
  8. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは皆様にお諮りいたします。学芸大学の木下先生がまだお見えになりませんので、今までお述べ頂いた御三人の方に対する質疑を始めることにいたしたいと思いますが、如何でございましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  9. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは木下先生がお見えになるまで御三人から陳述頂いたことに対して委員の方から質問をして頂きます。御発言の方ありますか。
  10. 木村守江

    ○木村守江君 先ず第一に中村教育長さんに、まじめな教育ほど、認定講習を受けなければいけないということと児童の教育をしなければならんという両面にまたがつて非常に困つておるというような人達が、果して認定講習を受けてプラスになるかマイナスになるかを考えた場合に非常に困るというお話があつたのですが、私も一応それには納得できる点もあるのですが、教員組合の言つておるようにすべての教育を放棄して認定講習に向つておるということが現在の状態であるというお話ですが、中村さんもやはりそういうふうな傾向だとおつしやるのですか。
  11. 中村新一

    参考人中村新一君) すべての教育を放棄するというほど極端なものは少いと思いますが、併しこの間行いました認定講習学校勤務と両方やるわけでありますから、まじめな先生は勿論兒童生徒教育というものもおろそかにしません、これも一人前にやると同時に認定講習も相当な負担でございますが両方をやる、そのために精神的、肉体的の損耗が甚しい、こう申上げたのです。完全に授業を放棄してしまうというような先生は余りないと思います。
  12. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは学芸大学長の木下先生がお見えになりましたから質問を後にいたしまして木下先生に直ぐお願いいたします。先程皆様にも御挨拶申上げたのですが、教育職員免許施行法が昨年実施されて以来、いろいろの支障があるようにも各方面から聞きます。というてこの法律というものは大切なものでよりよい教員をより多く求めたいというのが我々の念願であります。如何にしたらこれを完全に実施できるか、又支障を除けるかというような点について万一改正を必要とする点があるならば、忌憚のない御意見を承りたい。又現行法において運営の面について改善すべき点があるかどうかというような点につい御意見を承わつて、我々は審議の参考にしたいと思います。こういうつもりで忌憚のない御意見を承わりたい。又これについて委員からもぶしつけではありましようがいろいろ教えて頂きたいと思います。御三人の方が済みましたので早速お願いいたしたいと思います。
  13. 木下一雄

    参考人(木下一雄君) 大変に遅れまして申訳けございませんでした。免許法施行されましてまだ日が浅いのでありますが、いろいろのこれを実施するに当りまして或いはそれに伴いまして認定講習等が行われておりまして、主としてそういう方面からいろいろ御議論があるようでありますが、私はこの法律の建前からいたしまして、日本教職員の素質というものはこれは日一日向上すべきものでありまして、法律の実施に当りまして或いは認定講習等におきまして、その方法の上からいろいろ教職員現職教育の立場からむずかしい改善すべき点も起つて来るかとも思いますが、それらの方法の点につきましては私共やはり現職教育に従事しております者の立場からできるだけそういう点は改めて行き得ることと思うのであります。が併しながらこれによりまして折角できました教員の素質というものを、新しい教育の制度の下に立つて行きますのに少しでも資格を低くするような取扱いはこれは私共の考え得られないことでありまして、むしろこの基準は今後ともますます向上して行かなければならないものと信じております。極端なことかも分りませんけれども、現在の免許法で示しておりますような基準は日一日ともつともつと高くなつてつていいんじやないかと私は考えておるくらいであります。と申しますのはかようなことによりまして本当に形ばかりでなく、教員というものの質が高まつて参りますればそれだけ教育の実が上るのでありますから、私共はそういうことを考えております。  行つて来たばかりで向うのことをいうのは甚だどうかと思うのでありますが、私はこの四月からアメリカに行きまして教員養成の状況を相当詳しく見て来たつもりであります。その中で一つ感じましたことは、教員養成のための基準ということについてのナシヨナル・コンフアレンスがブルミントンという所にありますインデアナ大学で開催されました。これに出席いたしましたのは全米の教員養成関係のある教育者達でありまして、このナシヨナル・コンフアレンスの精神大学の一般の基準というものはあるが、併しながら教員養成のためには又それ以上の基準があつて然るべきものであるということであります。日本でも大学基準協会におきまして一応新制大学における基準はできております。併しながら私共教員養成関係ある者として考えますることは、更に一般の新制大学の基準によりまして教員養成というものが果してそれでいいか、適切であるかどうかということを考えますと、一般の大学基準はありましても更に教員養成ということのためには特別の資質としてもつと高い基準があつていいのではないかと思うのであります。たまたま私はそのナシヨナル・コンフアレンスに数日出席しておりまして、これに対する全米の教員養成大学関係者が六百人以上がこの会議に熱心に討議をされた状況を見ておりますと、結論は無論大きなむずかしい問題であるから出なかつたのでありますが、併しながら小学校教員にしましても、中学校教員にいたしましても、高等学校教員にいたしましても、自分らの仲間において我々の教育者としての資質を高めるためには普通の大学の基準でなく、又外の人の手を借りないで我々の仲間においてもつともつと高い基準を刻々に作つて行こうというのがこの会の趣旨であります。私は日本に帰りましていろいろこの一月ばかり日本教育の状況を見ておりました。そういうようなアメリカの行き方に比して私は帰りまして一月日本教育の状況を見ておりまして非常に残念に思うことがあります。  それは直接免許法の問題に多少関連はありますけれども、例えば日本に新制大学といたしまして短期大学が大分二百校か昨年以来できているのであります。ところがこの短期大学の多くは教員養成というものも含めて考えられておると思うのであります。そういう場合におきまして新しい短期大学におきまして教職課程をやはり免許法の基準に従つて作らなければならない。ところが免許法の基準によつて短期大学におきまして教職課程を設けるということになりますと、相当数の教授、助教授、教員組織をしなければならないのであります。これが短期大学におきまして必要な基準に相当するような教職課程を設けるためにそれに必要な教員組織にいたしますと、それは短期大学としては経済的に非常に困難なことがあるかどうかそれはいろいろなことが起つて来ると思うのであります。そういうことのためか帰りましてそういう方面の状況を見ますと、非常に大学の審査基準を一応決めましたところよりも非常に軽く軽減された何か特殊な申合せができたようであります。  又教育刷新審議会に私は出ましたときにやはりこの免許法の実施に伴いまして起りました認定講習等につきまして相当の批判がありまして、これが総会等においても取上げられておつたようであります。そういうような短期大学の場合或いはこれは認定講習の方法上から起つた問題だと思うのでありますが、併しながらそのことがややともすれば免許法というものの現在の基準よりも低きにつこうというような、もつと安易な方法で現職者にも資格が與えられるような方法はないものであろうかというような動機の下に考えられることがあつたといたしましたならば、これは免許法を低きに持つて行こうとするものでありまして、法の精神の上からいいましても又私は非常によくないことじやないかと思うのであります。我々はもつともつと教員養成の基準を高めることに努力すべきでありまして、法の精神というものは私はそういうふうに立てて行くものじやないか、そうしてその実施につきましてどこまでも方法を考えるということが主体ではないかと思うのであります。勿論私は免許法があれで完全だとは言いません。いろいろ実際上の問題にぶつかりまして考えることがありましたならば改善して行くということ、もつといい免許法にするということにつきましては努力すべきであろうと思うのでありますけれども、今ある基準よりも低い基準に持つて行こうとするような形での改善ということは、私はないとは思うのでありますがそういうことには反対いたしたいと思うのであります。重ねて申上げますが例えば現職教育の方法の問題でありますならば、その方法等につきましては私共におきましても十分研究の余地はあろうかと思います。大変抽象的でありますけれども。
  14. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) それでは本日お見え頂いた四人の方の御意見を全部拝聴いたしましたのでまとめて委員の方からの質問を始めることにいたします。
  15. 木村守江

    ○木村守江君 中村さんにもう一つ認定講習をやめて教育委員会の主催する講習をやつたらどうかというようなお話がさつきありました。認定講習というような強制的なものでなくて、教育委員会として主催して講習会をやつたらどういうような恰好でおやりになりますか。
  16. 中村新一

    参考人中村新一君) 私が申上げますのは、単位の習得というようなことが目前にありますために、その単位習得という方に心と頭を奪われ過ぎて、本当の盛り上る身につくような講習というものができないというところに私の言わんとするところがあるわけでございます。今まで行われました認定講習というのは正にそれでありまして、少し極端な言葉を使いますれば講習を受ける先生方一つ單位亡者、これは少し言い方が極端過ぎますが分り易く言うために申しますと単位亡者と申しますか、單位習得ということに気を奪われてしまつて本当に身につく受講ができないと思うのでありまして、でありますから単位習得というようなことに余り捉われない、本当に先生資質向上せしめるような講習、それはまあ教育委員会なり、或いは先生方の間に教科研究会というようなものが組織されておりますから、そういうものが主催者となりまして盛り上る講習をやる。その内容は教壇から大学先生が一方的に喋るようなレクチユア、講義中心のものじやなくて、現場先生方として毎日起つて参りますところのいろいろな具体的な問題等を捉えての研究討議会、ワーク・シヨツプといつたようなものにむしろ重点を置いてやつてつたならば、却つてその先生の素質を向上せしめるいい講習ができるのじやないか、こういう意味でございます。
  17. 木村守江

    ○木村守江君 もう一つ中村さんに。単位亡者なんですがね、単位亡者という観念は、これは單位を取らなくてもいいのだ、免許状を貰わなくてもいいのだ、現在の資格のある者は現在のままでいいのだという観念から起つて来るのじやないでしようか。
  18. 中村新一

    参考人中村新一君) だからその現在のままでいいというのが、私が先程申上げましたように、この革命的な変革が行われました新教育を行いますのにはいい先生がなければならない、そのいい先生というのはもう毎日々々研修研究努力しておるような先生でなければならんわけです。これは必ずしも先生だけでなくてあらゆる人がこの新しい時代に生きますためには常に研究と工夫を継続しなければならんわけですが、特に先生はそういう研修が必要である。こういう意味で私は言つたのでありまして、それじや先生方がもう單位を取るのは面倒臭いからというような気持で行つておるかどうかというようなことはよく分りませんけれども、まあこれじやいけませんか。
  19. 木村守江

    ○木村守江君 もう一つ。それで私はやはり中村先生が言つておる通り、これはすべての日本人が日に日に新しい工夫と新しい研纂を積んで行かなければいけないと思うのです。特に教育者においてはそうあつて貰わなければ意味ないという考えを持つております。そういう時代にそれは認定講習の実際の面においては或いは相当実際に即しない点があるかも知れませんが、こういう目論見を作つてくれた、こういう動機を與えてくれたということには、私は満腔の敬意を拂つてそれは力を合してこれを最もいいような効果を収めるようにやつて行くべきじやないかと思うのですが、如何ですか。
  20. 中村新一

    参考人中村新一君) 無論認定講習というこの機会を與えて頂いたことは大いに有意義だと思いますが、まあ少し言い過ぎかも知れませんけれども、恐らく神奈川県だけでなくてどこの県で渇こういう認定講習というようなことがなくても、いわゆる現職教育というものは最も教育委員会のなすべき仕事のうちで重要なものであるということにおいては意見が一致しておるわけだと思うのであります。だからこれがなくてもこれはやらなければならんと思いますし又なくてもやつたと思うのです。併し認定講習一つの我々のそういう気持を一層促進せしめるような効果がなかつたとは言えんと思いますけれども、併しそういう制度が今度行われなくても現職教育というものは重要ですし我々はますます力を入れるであろうということは言えると思います。
  21. 木村守江

    ○木村守江君 先生のおつしやることよく分りましたが、私は教育委員会現職教育の必要なことを感じてやつておりますが、こういうような免許法を作つて認定講習をやるような相当広汎に亘つた教育はなし得ないのじやないか、こういうような機会を作つてつて初めてなし得る点があるのじやないかと思われておるのですが、如何なものでしようか。
  22. 中村新一

    参考人中村新一君) なかなか追及をされるわけですが……。
  23. 木村守江

    ○木村守江君 いや別に追及じやないですけれども……。
  24. 中村新一

    参考人中村新一君) そう私ははつきりした意見を持つておるわけじやございませんのでその点は一つ御了承を願いたいと思いますが、今木下先生からも認定講習内容を十分に改善すればいいではないかというお話があつたのですが、要は、もう一度繰返して恐縮でございますけれども、形式的に流れないで單位亡者にならんような方法で行われるならば無論結構だと思うのですが……。
  25. 木村守江

    ○木村守江君 ちよつとそれではもう一つ繰返しますが、別に追及するわけじやないのですがその認定講習内容を改善するということですが、私はこれは非常にむづかしいと思うのです。少くともこれは大学の権威において大学講師に頼んでやつて貰うのでありまして、これは内容、私も認定講習の実際を相当数見たのですが、人によつて同じ講習でも何にもならないというものもありますし、これによつて大学講義というものはすべてが明日の教育に直ぐに役立つものではない。大学講義によつて或る一つの進む方向を示されて、それから自分で勉強する緒を見つけるということが大学のいわゆる講義だという観点から考えてこれではまだ足らんと思うのですが、私国文学とか理科を見ましたが人々によつてその見方が非常に違うと思うのです。私は決して認定講習は明日の学校教育のために必要になるというような教育でなくてもよろしい。無論そんなものではいけないと思うのですが、本当に教養を高める教育でなければならないのだと考える点から内容を掴む、その内容の充実ということは人によつて違うと思うのですが、我々が大学で十課目、二十課目やる場合、その全部の先生講義が全部いいというのではなくて、やはり一人や二人はおんな先生講義は聴いても分らない、あんな講義は要らないという先生も私はあると思うのです。そういうことを一々言つてつたらこれがいつになつて認定講習というものは実施できないのじやないかと思います。分らない先生でもよく聴いて行くうちに役に立つ何ものかを発見することができると思うのです。実際教育というものはそういうものじやないかと思うのですが、私は教育は素人で分らないのですが……。
  26. 中村新一

    参考人中村新一君) どういうふうにお答えしたらいいのですか。(笑声)私が申上げることは何度も繰返すようですけれども要するに単位盲者にならない、講習である以上はそれじや具体的にまあ君はどういうふうな講習をやつたらいいのかということは先税申上げた以上の意見はないと思うのです。
  27. 木村守江

    ○木村守江君 ちよつと外れますが、さつき先生は高等学校経費平衡交付金の中から非常に削減されて因つたというのですが、それはどういう原因ですか。ちよつと簡単に……。
  28. 中村新一

    参考人中村新一君) 例の基準財政需要額というものがございます。あれの算定が自治庁は非常に低く算定されているわけであります。高等学校等その他の経費は義務教育の面では必ずそういうひどい削減はないようでありますけれども、高等学校費及びその他の経費は……。
  29. 木村守江

    ○木村守江君 それで七百五十名の適正規模の高等学校の県だつたら大体において間に合うのですが、神奈川県においては七百五十名以下の少数の同等学校が多いのですね。
  30. 中村新一

    参考人中村新一君) 半分ぐらいあると思います。
  31. 木村守江

    ○木村守江君 分りました。それでは中村先生どうも失礼いたしました。  次にちよつと槇枝君にお願いいたします。我々参議院の文部委員一同は大体において免許法に相当無理な点があるのじやないか、認定講習をやるのに相当大きな犠牲を拂わせるのじやないか、まあ国庫の裏付けを余り考えなさ過ぎるのじやないかというような点から、どうにかしてこれをもつとよくしたいという考え方は、いわゆるこれをもつともつと検討してよりよきものにしようという考えを持つて免許法並びに施行法検討し、おるのですが、そういう観点から考えますと、結論においては大体教員組合の諸君と同じような考えを持つておりますが、どうも教員組合の方々というものは私は少し言い方が極端に過ぎるのじやないかと思う。例えば教職員組合の諸君は自分のすべての教育を放棄して認定講習に向わねばならないということを申しますが、本当はすべての先生が自分の職場の教育を放棄してそうして認定講習に向うということになると思うのですが、私はそれまででは実際はないと思うのです。これは本当に一つの例で申しますと、私もこの問題につきましては曾て教育委員長として責任ある立場にあつた関係から各方面において調査したのですが、一人こういう先生があつたのです。これは認定講習というものは絶対反対だ、これは教組から言つて来ない前から反対だつたが、教組から言つて来たので双手を挙げて賛成した。併しどうしてもやらなければならんようになつたらそのときはやるが、やるにしても学校教育の方もしつかりやつてつてそうして子供を忘れてはならない、子供の教育をやつてつて認定講習を受けて新しい知識を持つて来て子供の教育に当る、だが教育が二つになると、しみじみとそういうことを実感で申しておつた先生がありました。私はこういうことは相当多いと思うのです。それから実際認定講習のためにそれは全然犠牲がないとは申されません。併し学校教育を殆んど犠牲にするというようなことは少し私は言い過ぎだと思うのですが、この点やはり愼んで貰わなければこれは本当に全国教職員諸君を非常に迷わせる点が多いと思うのです。こういう点どうぞ第一に注意して貰いたいと私は考えるのであります。それから……。
  32. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 参考人に対して失礼になりますよ。(私語する者多し)
  33. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) ちよつと木村君……委員の方に申上げますが、時間の関係もあることでありまするから四人の方々がお述べ頂いたことに対する質疑だけにして頂いて、御議論に亘ることは成るべく避けて頂きたいと思います。
  34. 木村守江

    ○木村守江君 承知しました。それから免許法改正では、幼稚園から高等学校までを大学の卒業生で以て一律に免許状を與えて貰いたい。こういう考え方は誠に結構でありますが、こういうことを一方で言つておりながらこれは私恐らく大学の低学級、即ち大学の四年のうちの一年、二年においては教養科、三年、四年というのは学科的に見て専攻的に入るというような考え方、これはいわゆる二年を卒業した者と、それから全部を卒業した者とは区別をつけたのだと思う。ただそういうことを否定しておきなから、現職教員のいわゆる免許法現職教員認定講習を否定しておるというのはちよつと矛盾があるのじやないかと思うのであります。
  35. 槇枝元文

    参考人槇枝元文君) 先程から再三お言葉に出ておりますすべての教育を放棄したという点でありますが、これはちよつとお考え違いではないかと思うのです。と申しますのは私はこういう意味で申上げたと記憶しておるのです。これは私の体験から押出しまして、私が勤めておつた学校においていろいろな学校教育における研究制度を持つてつた。或いは研究サークルを作り又実験学校中心としての自発的研修をやつてつた。それが今度の認定講習によつてそうしたすべての教育を犠牲にし放棄しなければならないという、いわゆる自発的な教育というものがすべてここで放棄されて、單位取り講習に忙殺されるという意味において私申上げたと思つておりますので、その点御了解願いたいと思います。  次に将来の教員養成につきましては、大学四年という点を基準に出して置きながら、現職教員についてはそのままという点についてこれは矛盾があるのではないかという御質問でありますが、私がここで申上げますのは将来の教員養成につきましてあくまでも教育改革というものについては当然高い理想というものが必要である、一定の理想を掲げてこの理想に向つて直進するという点は、これは教育の水準を高めるという意味において必要である。併しながらその理想というものと現実というものとの間にやはり考えなければならないことがある。それは高い理想を掲げておるそれに対して現実困難である、不可能に近い問題までもその理想へ一挙に合致せしめようとすることに無理があるのである。従つて将来の教員養成についてはあくまでも大学卒業生を以て充てるという一つの基本線を以てこの免許法が進んで行くということについて、私はそのように改正して行かなければならないと思う。併しながらそれをそつくりと現職教員に一挙に当嵌めて五十万の教職員を一時にここ三年或いは五年の間に全部その線まで揃えようというのは、これは改革というよりもむしろ余りにも無謀なことではないか。そういう点から矛盾というよりもむしろ理想と現実という両者を見た場合に、あくまでも将来の理想はこのように進み、そうして現実はその理想に無理のない範囲において徐々にその方向に進んで行かなければならない。そのためには現職教員については、教育公務員として今後大いに現職において自発的研究を進め、而むそれに対しては教育委員会というものが責任を以てこの講習なり或いは研修をやらして頂く。これは申すまでもないと思いますが第十九條に、教育公務員は、その職責を遂行するために、絶えず研究と修養に努めなければならない。而も、当該教育委員会はそれに要する施設、研修を奨励するための方途その他研修に関する計画を樹立し、その実施に努めなければならない。こういうことが載つておるのであります。従つてこの教育委員会の行う計画というものを営々当時やつて頂いておつたのでありますが、更に一層その面を拡充して頂くということ、そうして二十條にあります、教員授業に支障のない限り、本属長の承認を受けて、勤務場所を離れて研修を行うことができる。この項を以てあくまでも現在扱つておる児童生徒というものを離れないように、その教育に支障のない範囲における級密な計画の下に自発的研修を進め、教育委員会が計画的に講習なり研究というものを実施して行く。それはただ單に現地の免許法にありますような形式的な單位取り講習に終らないようにして頂きたい、このように申上げるのであります。
  36. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 木下さんに二三の点をお伺いしたいと思うのであります。木下さんはちよつと遅くおいでになりましたので、非常に時間的に御遠慮なすつたようでありますがそれで私二三の点についてお伺いしたいのであります。米国におけるいわゆる教員養成に関するところの会議にお臨みになつておるようでありますがその時のお話で、仲間の手で高い基準を刻々に高めるべきだという議論が多かつた。これにつきましては私はよく米国の先生方のいわゆる資格方面については分らないのでありますが、そういうことが或る一定の資格を持つておるのでその上に更に高い基準を望んで、いわゆる仲間の手においてこれをやつて行こうというところの考え方であるのかどうか、その点についてのお話を願いたいと思います。  それからもう一つは、非常にこれは複雑な問題で遂に結論が出なかつたということでありますが、どういうことによつて結論を見出すまでに至らなかつたか、その点若しそこまでお分りであつたならば伺いたいのです。  それからもう一つはどこまでもこれは高い基準において教員資格というものは得られなければならないという、こういうことに関しては私も同感でありますが、そういうふうな立場から今度の示されてある日本における免許法全般に亘りまして御所見がありましたらこれについて伺いたいと思います。  それからもう一つ認定講習内容改善ということは、これはあるべきことであろうが、併しそういうふうなことに絡んで安易な資格においてまあ安住しておるという傾向が若しあつたとすれば、それは賛成しかねるところである、これは私も同感であります。そういう点から見ましてこの施行法全般を考えまして、この資格向上のために一つの御所見がありましたからお伺いしたいと、こう考えます。
  37. 木下一雄

    参考人(木下一雄君) アメリカにおきまするナシヨナル・コンフアレンスにつきましてのお話をいたしましたが、日本におきましては大学基準協会におきまして一応の大学の一般基準を作りましたものを、大学設置審議会におきましてそれを大学の基準といたしまして、設置審議会の基準としてこれを審査したのであります。アメリカの場合におきましてはやはり大学基準協会のようなものが。あるわけであります。それは例えばN・E・Aにおきまして基準を作りまして、それによつてするものもありましよう。或いはアメリカン・アツソシェーシヨン・オヴ・コンフアレンス・オヴ・テイーチヤーズ・エデュケーシヨンA・A・C・T・Eと申しておりますが、これが一つの基準を以ちましてこのアツソシエーシヨンによりまして大学大学としての審査を受けて大学としての開設を認められる、こういうことになつております。幾つかのそういう協議会なり或いは協会のようなものによつて大学が開設されておるようでありますが、従いまして例えばA・A・C・T・Eにおきましてもつと高い程度の基準を一応作りまして、それによりましてその協会に参加しております大学に連絡を取りましてそうしてそこに持つて行こうじやないかということで、協会に参加しております大学が基準を高めて行くということになつております。その点少し日本と違つておるようであります。日本には大学設置審議会という文部省で作りましたものが、これに当つておりますが、これは日本におきましても最近にできました日本教育大学協会におきまして基準につきましてのコミテイを仮に作るとすれば、それを協会の基準としまして、そうして教員養成教育学部なり或いは学芸学部をこの基準まで高めて行こうじやないかという意味におきまして、協会が教員養成の素質の向上ということに自発的に盡して行くことができるという時期が来ると日本の場合におきましてもなつております。現在のところでは日本では大学設置審議会の基準によつてつておりますが、将来におきましては大学の基準というものは、いわゆる大学の組織しております協会によりまして基準が向上して行くものとこう考えておりますから、自発的になつて行くもあと思います。  結論の出ませんでしたということは、すぐさま今年の会議で結論を出してすぐさま結論通りに連盟に参加しておる協会の基準を高めて行こうというところまではあせつておりません。本当にいい案がみんなの力でできましたならばそれによつて一つ一つ高めて行こうというので、年次々々において催されます会において直ちに結論を得ようというのではないのでありまして、この会議はワシントンにありますユナイテツド・ステーツ・オフイス・オヴ・エデユケーシヨン、これが日本の文部省にやや似たる構造になつております。向うの政府の教育機関でありますが、それと今度教育使節団のチエアマンで来られましたギブン博士のあの書記長をされておりますあのN・E・A・ナシヨナル・エデユケーシヨン・アソシエーシヨン、それと只今お話申上げましたA・A・C・T・Eこの三のものが一体になりまして、このナシヨナル・コンフアレンスを催したと考えられるのであります。今年は結論を得られませんでしたけれども、この三つのものは絶えず一緒になりまして一日々々教員養成のためのクライテリヤを作るということに努力しておるのであります。そういうのに比較しまして日本に帰つて参りますと、何ですか教育にブレーキがかかるような事柄ばかり私は一月の間に見ておるような気がいたしますので、ちよつとそういうようなことを申上げます。  それから認定講習の問題につきましては、これは認定講習というようなものがあつてそれを受ける者の心持によりまして私は非常に考え方が違つて来るのだろうと思います。どんなにいいものでありましても、受ける者の態度が初めからいやであつたり初めから食い付かないものにやろうということは、非常にこれは無理も行くのじやないかと思うのであります。それならばそういう食い付かないものをどうしたらいいだろうということも起るかも知れませんけれども、これは私は受ける者の態度におきまして大いに反省を要すべきものがあると思うのであります。私は曾てのアメリカの地図を見ましたときに、大きな鉄道線路が地図に引かれておつたことを記憶しております。ユニオン・パシフイツクとかサンタブエーとかそういう大きな鉄道の線というものがアメリカの地図にはつきり記されておる。ところが今度行つてアメリカの地図を見ますとその鉄道というものが地図の上から殆んど姿を消しまして、そうして代つで出て来たところのものはロード・マップである、つまり道路の地図である。同じシカゴから、ワシントンに行きまするのに鉄道で行くものを一つの道として、昔は鉄道であつたでしようと思います。今でもそうかも分りませんが、併し今日アメリカの地図で立派なものは主としてロード・マップである。というのは新しい乗物ができた、自動車というものがアメリカの全土を縦横に新しい交通機関として走つているからである。鉄道は貨物が主体になり人間の乗るのが主体でなくなれば地図から段段消える。併しながら今度は自動車というものが人間の交通の主要なる役目をするというような時代になれば、今度はシカゴからニューヨーク、ワシントンに行きますのにはどういう道路で行つたらいいかということであろうと思うのであります。そういう意味におきましてこれは鉄道と自動車というようなものでありますけれども、すべて一国の文化というものはいろいろの面におきましてそうなつておる。もうすでに新しい教育というものが新しい制度の下にできましたらばこれは新しいロード・マップによつて行くことを考えませんければ、或る者は昔の鉄道の道を通り或る者はロード・マップで行くというようなことでなく、日本の文化というものは或る程度までこういう今度は形で進まなければならんというときには、新しい乗物を使うという場合には全部の者がそれを使いまして、新しいロード・マップによつて新しい乗物で以て行くということは、これは一部分の人が行くとか一部分の人はやらないでいいとかいう問題でなくして、みんなで以て全員が進んで新しい地図によつて新しい道路で以て新しい機関で以て進んで行くということが、これが日本教育のために大切な條件ではないかと思うのであります。たまたま認定講習ということが今度免許法の実施に伴いましてできておるのでありまして、これはすべてのものがやつて行くべきものであるという立場におきまして、その方向におきましていろいろ支障を来すことがあるならば、それは改善しなければなりませんけれども、私は認定講習というものを差支があるからという意味におきましてこれをやらないでいいのだというようなこういうのは、非常な教育上におきまして損失だと思つておるのであります。殊にこれがために相当の国家予算もあることでありますから、できるならばもつともつといい施設にして、もつと完全な杉にしてやつていくのがいいと思つております。これでよろしうございましようか。御質問がございましたならば重ねて。
  38. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 今の御説明で御趣旨はよく分りましたが、そういうふうな御趣旨の上から具体的にこの免許法の全般につきまして何か外にありましたら、その御趣旨に副うようにこれが果してできておるかどうかというような批判的の立場から伺いたい。  それからもう一つ、今の認定講習の方から考えまして、私は御趣旨はよく分りましたが、そういうような方面から新しい道を布いておるのが、恐らく布くためにできておるのが施行法であろうと思うのであります。そこにこの施行法が新しい道を進むために、いわゆる何らかの欠陷なくできておるかどうか、そういうふうな点についての具体的な御批判がありましたならば伺いたい。こう考えております。
  39. 木下一雄

    参考人(木下一雄君) この点につきましては過日文部省に教職員免許法等に関する審議会が設けられたようでありまして、それによりましてその審議会におきまして一つ一つ細かい点にまで具体的な研究が進められるであろうと存じております。認定講習その他具体的なことにつきましては、大学現職教育そのものの方法がまだ開店いたしましたばかりでありますので、その点につきましてはいろいろこの定時制の問題、或いは全日制の問題、全日制ならばどうやつた方がいいであろうとか、或いは現職を持つておるものが定時制の場合において非常な過重な負相になるというような点等につきましてもいろいろある思うのであります。只今御質問になりましたところは、そういうような点とは少し違うのであるかも知れませんが、具体的に私は免許法そのものにつきましてどの條、どの條においてどう改正すべきかというようなことにつきましてはまだここで意見を述べるところまで至つておりません。
  40. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 四人の方からそれぞれの立場から貴重な意見を聞かして頂いたわけですが、いずれもその立場々々で誠に御尤もな参考になる意見を拝聴さして頂いたわけであります。その点も厚くお礼を申上げるわけですが、今の日本は確かに教育の貧困ということは考えられると思います。父兄は決して家族を安心して学校にやつていない。何か知らん不安な気持でおるということも私は事実だと思います。それを敗戦日本の社会情勢というような言葉で一切を片付けることは私はできんと思うのです。やはりその教育界内における力のなさ、貧困さというものを我々は一応考えなければならん、こういうふうに私は思つている者であります。当面私は如何にしたならばこの教育の振興にプラスできるか。又国の再建にプラスできるかという点を私はその重点的に何か法はないか、そこの一点を私は考えているわけなんです。皆様方の御意見で一貫してのものはやはりこの教員資質を上げ素質を向上させなければならない。従つて免許基準というものはできるだけ高いがいいという点においては四人の方々皆一致されておると思うのです。で第一線において臨時免許の職員が全国を通じて五〇%近くある、非常に不安な教育状況を続けているわけなんです。そういう人をどういうふうに先ず取扱つたらプラスになるか、ここに例を挙げますと入場料を沢山取りたいという場合に、入場料金を非常に上げるというと入つて来る人が少くなる、入場料か非常に少くすると入場者は多いでしようがトータルにおいては少くなる。従つて適正な入場料金を決め、それで多数の入場者を得て、最も多額の入場料を得るにはどうしたらいいかという、これは数学上の最大の問題だと思うのですが、そういうことを私は教育の問題にも考えるのであります。報酬を沢山受けるというと確かに資質は上る。これはどの程度にその報酬を受けさせたらいいかというと最も現状にも支障を来さずに、今日の前に日本教育にプラスできるかという点を私は皆さん方解決点を持つておられるのじやないかと思う。具体的にはつきりとざつくばらんにこんな点をやつたらいいと、特に中村教育長あたり御見解を持つておられるのじやないかと思う。教師が今さ迷いながら何かつかみたい気持が熾烈荘と思います。  私は熊本で講習会を主催したことがあるのでありますが、なかなか熊本では講師が足りなくて東京あたりから海野先生、梅根先生、石山先生という方をおよびしますと、一つの大きな講堂に入り切らずに雨天体操場更に教室を使うということになり、講師の顏が見えずにずつとマイクを各教室にやつてそれでも一杯入る。何か教師は掴まえたいという気持でいるのにさてこの認定講習になるとどうもその成果が挙らないというところにやはり何かここに解決の方法があるのではないか。先程中村教育長の方から単位亡者と言われましたがこれは問題だと思います。確かに問題だと思います。曾て中等教員の免許検定試験があつたときに勿論自分の勉強も一生懸命やつて教員免許、文検に合格した人がありますけれども、あの当時生徒を自習さしておいて教室の中に「ふすま」を立てて、その中で文検の準備をしたということがあるということを我々は記憶しておるのです。我々がお伺いしたいのは、要するところ今の教育の穴をふさぐために、そして日本の再建に寄與するために最も効率的に成果を挙げるためにはどういうところに欠陥があつてどうすればいいかというところを、率直に中村先生、第一線に携つておられる坂倉先生あたりにお聽きいたしたいと思います。
  41. 中村新一

    参考人中村新一君) 誠に私には到底お答えのできないような大きな御質問でございまして、その講習は私共の考えでは、やはり自発的に盛り上がる講習というものに一番効果が挙がるだろうと思うのです。一体教育委員会とか或いは先生方で作つております教科研究会或いは校長会とか或いは組合とかそういつたようなものが自発的に集まりまして、どういう講習をしたら最も身に付くものになるかというふうに、もう自主的な精神研究して計画を立てまするならば、必ずや先生にとつても魅力もありそして効果の挙がる講習ができるであろう、こういうふうに考えます。やはり上から押付けられるようなものはどうしても今おつしやいましたように最も魅力というものが欠き勝ちである、確かに皆んなが盛り上がる力でやるのならば蕨力というものはそこに出て参りますし効果も挙がるであろう、御質問に対するお答えには全然なつていないと思いますけれども。
  42. 板倉孝

    参考人(板倉孝君) 私の立場から申上げますと、やはり只今の講習がどうしても受けたい者だけが受けるという講習ではないのでございまして、それは先程申上げましたが同僚が受ければ自分もどうしても受けなければならないような気がして出て行く、こういうようなことが今度の講習の成果が挙がらない第一の原因だと思います。従つて本当に受けたい者だけ、そしてあと臨免が仮免に行く場合でありますが、これは受けたくない者はやめて頂く以外に方法がないのではないかと心うことを感ずるのであります。それでどうしても教員として行きたい者だけを本当にみつちりと講習をやつて、そうして引上げて行くという以外に臨免の方方を仮免に持つて行く途はないと思います。又それは更に希望を申上げますならば、むしろ認定講習よりかもやはり大学の一年課程に入れて行つたほうが遥かに効果があるということを考えます。
  43. 岩間正男

    ○岩間正男君 簡単に木下さんにお伺いしたいと思いますが、先程アメリカの状態と日本の状態は非常に違つておる。日本に帰つて来ると何か易きに就こうとする傾向がある、そこに非常に掲げた目標に対してブレーキがかけられておるような気がするとおつしやつたのですが、そのブレーキになつておる原因ですがそこが問題だと思うのです。その原因はどういうもの々お考えになつていらつしやるか、その点お伺いします。
  44. 木下一雄

    参考人(木下一雄君) 私は主として精神的な問題だと思います。これは教育者といたしましてはビジネスマンとしてではならないと思うのであります。只今やりたくない者はどうにもならないというようなお話がありましたが、併しながら少くとも自分が教育者として立つておるものが新しい制度の下に、新しい修業を積まうというときにはやるべきことはやるというのがこれは当り前の通念じやないかと思います。
  45. 岩間正男

    ○岩間正男君 主としてやはり教育者のその道徳的なものだというふうにお考えなんですね。それでこういう点はどうでございましようか。例えば組織の面で五十万教員のうち四十八万が全部受けなければならない、一人で二十三単位平均を受けなければならない、而も一単位受けるのには四十五時間かかる、そうすると一ケ月に四単位ずつしか受けられない、六ヶ月、どうしても一年かからなければ平均の二十三単位取れない。そうしますとやはり私は教員がそう情熱がないということだけでは考えられないと思います。これは外の三人の方から教員にはそういう情熱はあるんだというお話も聞いていますが、又我々も非常にそういうような人達に接しているのですね。そうすると情熱はあるけれどんどうも組織の上で今言つたように量的にいつて先ず一つ大きな問題がある。こういう点と、それからもう一つは質的な面からいいまして、今の大学というものは大学と看板が塗替えられただけで内容がない。従つて講師の質も非常に低い、それで魅力がない。どうも喰べたいのはやまやまだけれども喰べたものは粗末なものだ、その点から食傷する、こういう面。それから経済的な面からいいますと十分に予算を取つているというお話でありますが、日教組の愼枝君のお話では、どうしても一年から六年かけて全部完了するにしましても六十億は要る、従つて一年十億は要る。然ろに今年度なんかは非常にこれは一億足らずのものです。漸く今度の補正予算を入れても一億ぐらい、こういうことになつて地方財政を併せて二億でどうしても六億ぐらい不足だ。それではどうしても教員の過重負担になつて来る。そういう過重負担のために例えば受けたくても受けられない、受ける場合には借金をする。私共これは実際にあるところで見たのでありますが、夏休の場合に女の先生が子供を人工哺乳でやつている、或いは又町の方に下宿して、下宿先でやらなければならない。或いはお産が間近で苦んでいるのをどうしてもやはり講習を受けなければならんというようなことを言つている。その経済的負担に堪えられないというような話が非常に出ているのですけれども、そういう点についてのブレーキの原因ということはお考えにならないわけですか、その点について伺います。
  46. 木下一雄

    参考人(木下一雄君) 大学の魅力のないということにつきましてはこれはいろいろの解釈がありますけれども、魅力がないのでなくして、私はぶつかつて行かないのじやないかと思つております。ただ講義だけ聴いておりましてその先生の値打というものは私はそう大して分るものじやないと思う。新しい教育ということは十分どなたも御承知のことでありますから、どんどん先生にぶつかつてつて大いにデイスカツシヨンでもして乗気になつて行きましたら初めて私はそこに魅力というものが出て来るのじやないかと思います。ただ行つて講義だけ聴いてその講義が非常な名講義であればいざ知らず、併しながら口の下手な人もありますし、自分の研究の一部分しか出さない人もありましよう。魅力という問題は要するに受ける人の研究の熱心、研究態度にこれはよるものであつて講義をどんなことを言うかと思つて批判してかかつていたのではどんなえらい方といえども魅力というものはありはしない。日本の悪い習慣といたしまして今まで相当名前の知れたような人にはこれはえらいのだぞというので頭から講堂が一杯になる。又その人もそれだけの力もお持ちでしよう。併し日本の学者にはまだまだ未完成な者で優秀な者が沢山いる。その未完成な者にも魅力を感じて行くというにはお互いにぶつかつて行かねば分らない。新しい大学の若い先生方或いは講習を受ける人も立派かも知れませんが、併しながら名前の知れない若い優秀な先生には余程こちらからぶつかつて行かなければその人の魅力というものは若い先生の中からは見出し得ないと思うのであります。従つて私は魅力の解釈につきましては、一方的なただ魅力がないということだけでは片付け得ないのじやないかと思つております。  それからもう一つ経済的な問題でありますが、私はその一年に十単位だの何単位だのということは非常に過重だと思います。そんなに急ぐ必要はないのでありまして、ゆつくり実のあるように、指導者に魅力を感ずるように、一つ一つ単位を十分に時間をとりまして、そうしてそんなに慌てないで五年でも十年でもいいからかかつてつたらいいのじやないかと思います。そうすれば無理もなくなつて来るのであります。
  47. 岩間正男

    ○岩間正男君 そうしますと、今のお話を伺いますと例えば免許法については根本的に改正しなければならないということが出るわけですね。それは三年であつたからああいうように急いでやらなければならないという現実的な量的な問題が起きたのでありますが、ゆつくり魅力のあるもので消化して、そうして納得の行くところまでやつて五年でも十年でもかかつてもいいということになりますと非常に私は賛成でありまして、そういつたことには法の改正ということが非常に重要な点になつて来るのではないかと思います。  もう一つ只今のお話の中で我々新しい教育の方向のためにちよつとこれはお聞きして置きたいのでありますが、例えば一旦決められた、決められたけれども飽くまで天降り的に呑み込むということではなく、講師はいろいろな教育精神からいいましても、或いは又教育改革のいろいろな極東委員会の指令とか、GHQの指令とか、勧告案とか勿論そういうものを批判する、そういう内容については飽くまで教師は批判的に受入れる。そのことが最も今度の教育改革内容的に非常に大きな観点だと思うのでありまして、そういう点から見まして何でも與えられたものに対してはぶつかつて行かなければならん、そしてそれに努力する、それは当然であります。それはやらなければならないのでありますが、例えば或るところで私見ましたが、五百人が体操場に入れられてそこでやつておるようなときに一人々々がそこにぶつかつで行く余裕があるか。或いはその講義内容がまるで受講者の程度の問題と余りに切り離されて、私たちは例えば或る会場で律文学という講義を見たのですが、成る程これは日本の文学の根源でありますから律文学が重要かも知れませんが、万葉以来の韻律文堂の問題を與えて行くというようなことになりますと、これに一体専門的にぶつかつて行ける人が実際何人いるか、こういうことを私は内容について考えざるを得ないのであります。そういうような問題を果して教育の原理から行きまして、身近な自分の問題になつておるものを人にぶつかつてつたりすることはできると思いますが、ぶつかるにも余りに見当が外れておる。それからぶつかるような時間的な余裕、いろいろな組織、そういうような面にもおいてもなかなかうまく行かない。だからこれを教員の情熱の問題だけに、そういうものもありましよう、全然ないとは申しません、併しその面からこれを考えるという点については、私はどうかと思うのですが批判の面は如何でございますか。これはやはり批判的に受入れる、無論ぶつかつてつて内容を把握し十分に咀嚼して批判的に受入れる、このことは私は間違いない方法ではないかと思います。無論そう努めなければならんと思うのでありますが、只今の先生のお考えとしては御十分でなかつたように思うんですが、その点をお伺いしたいと思います。
  48. 木下一雄

    参考人(木下一雄君) 私は與えられたものとして認定講習を必ずしも取るのはどうかと思つております。これは機会を與えられたものであつてその機会を作つてつたのでありますが、これは與えられたものではなくして機会があつたからその機会に対してこちらから出掛けて行くというように解釈した方がいいのじやないかと思つております。万葉の問題でありますが、これは私はその場で見ませんのでちよつとそれたけのお言葉でどうこうということは言いにくいのでございますけれども、それが歴史の問題であり若しくは国文学の問題であり、或いはそれが総合されたものであるかも知れませんが、これは講義したものがどういう対象であつたか知りませんが、併し万葉にしても或いは源氏物語にしても、これを国語といたしましても、歴史といたしましても、とにかく古典として今日に生命を持つておるものでありますので、或いはこの講義をする場合には相当のそこに根拠があるといつているのかも知れません。従つてそれはチヤンスとして與えられた講義内容でありますので、與えられたその万葉というものが一つのチャンスなんでありますから、そのチャンスをそのまま引下つて来ないでそのチャンスを掴まえて、これは一体どういう意図においてそのチャンスが生じたものであるかということについて、講義を耳にした者が更にそれに対して疑いを持てば私は尚結構であつたかと思うのであります。教育はそれから起つて来るのじやないかと私は思つております。その交渉なくして物別れになつておる間におきましては、それは指導もなければ、ただ機会を與えられただけでちよつとも効果を生じない。何故講義を聽かれた人がそのチャンスをとらえて自分でその疑いを持つて行かなかつたかということ、只今お話のように五百人とか何とか一堂に会しましてそういう万葉の問題を取扱うという問題に対しましては、そこに非常な不備があるかも知れませんけれども、併しながらそれを一つの導火線として万葉の講義というものが何のために與えられておるのか、現在の教育とどういう交渉があるのか、こういう機会をとらえて頂けばよいと思います。
  49. 岩間正男

    ○岩間正男君 只今のお話によりますと、教員は飽くまでこれは自主的な立場でこれを消化すべきであるという御意見でございますけれども、これは無論教育の原理でありますからそうかとも考えるのでありますが、そうしますと更に與えられるものとして受取らないで、これはいろいろ講習やり方とかそれから内容とか組織とかそういうものに対しては、当然そういう自主的な要求が出て来るわけですね。そうしますと、例えばさつき中村教育長さんからお話があつたように、やはり教員の自発的な自分から出発した立場で、やり方で、そういう体制で本当に自分の欲しておるものを入れて、そうしてそういう講習体制をとるという御意見とやはり近い、そういう面では近いのではないかと、こういうふうに解釈してもよいと思います。  それからもう一つ、これは木下さんではありませんがお伺いしたいのですけれども簡単でございます。坂倉さんでもそれから中村さんでもよいのでございますが、私はやはりいろいろ問題が講習についてあると思いますが講習内容の問題ですね。これはやはり重要な問題かと思うのです。こういう問題について受講者からその内容についての例えば祕密投票でも何でもいいのですが、それから要求を聞くとか、そういう世論調査のようなことをなさつたことがございますか、ございませんか。或いは又ございませんとするならば今後そういうようなことななさる計画がございますか。これは非常に重要じやないかと思うのであります。何故かというとやはり受ける者が私共は主体と考えているのです。受ける者が主体でなくて受けさせる者が主体であるという講習考えることができない。これは今までの戦争前の天降り式講習についてはそういうようなことがあつたかも知れません。戦争中の国家主義を叩き込むやり方にあつては受けさせる者が主体であつたけれども、現在では受ける者の世論というのは非常に重要でこの面を尊重しなければいかん。講習の基本的なものである。そう考えざるを得ない。その点非常に重要と思うのでありますが、こういうようなことについて今後の運営のためにそういう計画をなさつたことがございますかどうか、その点を。
  50. 板倉孝

    参考人(板倉孝君) 千葉県におきましては現在やつておりません。併し今後事務にもう少し余裕ができましたならば是非やりたいと思つております。
  51. 中村新一

    参考人中村新一君) 私共はやりました。あまり詳しいことはやりませんが一応やりました。
  52. 岩間正男

    ○岩間正男君 そういう結果ができましたならば、そういう何か資料ができましたら、是非こちらにも一部頂きたいとこういうふうに考えるのですがお願いいたします。
  53. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 木下先生にお伺いいたしたいのですが先生の御意見では、教員資格はできるだけ高い方がいい、できれば今の免許法よりも高いものに段々して行きたい、こういう御意見であつた。そういう考えから、今の免許法には御承知のように二ヶ年の短期大学を修了した者には小学校教員免許状をや行ということがあるわけなんです。それから一年だけ修了しても仮免許状ですけれどもとにかく免許状を授與するということがあるわけです。先程から御意見では今の免許法にそういうものがあるわけですが、そういうことに対して一つどんなふうにお考えになつているか、お伺いいたしたいのですが。
  54. 木下一雄

    参考人(木下一雄君) これは現状におきましてはやむを得ない措置であろうと思いますけれども、できるだけ早い機会に四年の大学を経た者について教職員資格を與えるということがいいと思います。
  55. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 それからその次に坂倉先生にお願いいたしたいと思うのですが、先程の御意見の中に免許法は複雑であるというお話がございました。これは裏を返せば、もつと簡単なものにしたらいいじやないか、こういうことになるわけですが、どういうふうにどういう点を簡単にすればいいかという具体的な御意見があればお聽かせ願いたいと思います。
  56. 板倉孝

    参考人(板倉孝君) 先ず施行法の七條でございますが、七條が非常に一般の教員には分りにくいのでありまして、もう少しあの施行法七條を分り易く、例えばその在職年数の計算でございますがそれが一般教員が分らないために、みんな自分がいつになつたら上級免許状が受けられるかということが分らない状態でございます。それで県といたしましてもパンフレツトその他でもつて詳細に各個人別のことを書きまして、各教員一人々々に渡してあるのでございますが、やはりどうもあの辺がいろいろ細かい條文が混つておりまして、一般の教員には分らないのが実際でございます。あの辺をもう少し簡明にして頂けば遥かに分り易くなるのではないかと思います。  施行法の第二條は、一般の教員には少しくらい分らなくても委員当局が分つておれば何とかやつて行けると、こう思います。
  57. 荒木正三郎

    ○荒木正三郎君 それでは重ねてお伺いいたしますが、免許法の中に、資格の種類が三十何種類かあるわけですが、その点について複雑であるかどうか、そういうことについては御意見はありませんか。
  58. 板倉孝

    参考人(板倉孝君) これは決められたものですから止むを得ないと思います。併し若しもできなければ、例えば高等学校の二級ならばそれが中学校の二級にも使えるというように簡単になれば結構かと思いますが。
  59. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 別に御発言もございませんければ……。
  60. 矢嶋三義

    ○矢嶋三義君 委員長一つ重要なことがあります。速記を止めて話したいと思います。
  61. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 速記を止めて下さい。    〔速記中止〕
  62. 堀越儀郎

    委員長堀越儀郎君) 速記を始めて下さい。  終りに臨みましてお礼の御挨拶を申上げたいと思います。本日は大変御多用のところ、我々の企図いたしましたことに御協力頂きまして、各方面の実地に深い御経験のおありの方又実際問題についてお考えをお持ちの方の率直な御意見を承りまして、我々今後審議を進める上におきまして大変裨益するところが多いと思うのでございます。その点厚く皆様方にお札を申上げたいと存じます。尚私達委員の者が熱心に皆様方の御意見を承りまして、甚だぶしつけな質問をいたしましたにも拘わらず快く御応答頂きましたことを、皆様方にこの点併せて御礼申上げたいと存ずるのであります。若し失礼に亘る点がございましたならば御容赦頂きまして、今後共この法律をよりよくするという我々の努力に対して御協力下さるようお願い申上げまして御挨拶に代えます。ありがとうございました。  それでは本日の文部委員会はこれで散会いたしまして明後九日午前十時より続開することにいたします。これで散会いたします。    午後零時五十三分散会  出席者は左の通り。    委員長     堀越 儀郎君    理事            加納 金助君            若木 勝藏君            木内キヤウ君    委員            木村 守江君            荒木正三郎君            高良 とみ君            谷口弥三郎君            矢嶋 三義君            岩間 正男君   参考人    神奈川教育委    員会教育長   中村 新一君    日教組法制部長 槇枝 元文君    千葉県教育委員    会主事     板倉  孝君    東京学芸大学学    長       木下 一雄君