○
岩間正男君
簡單に御
報告申上げます。
一行は
木村委員、
高田委員、
岩間でございます。八月七日に
新潟を振出しにしまして、八日、九日は
佐渡、それから十日は
富山まで汽車の中でも過しまして、十一日が
富山、それから十二日、十三日が
石川、こういうようなわけで、中身七日の
行程で、主として見ましたのは、
講習を
中心としましてその他六・三制、尚
文化財、こういうものを見て来たのであります。そうしていろいろ私の
報告で足りない
ところがあると思いますが、これは
あとの
諸君に補充して頂くことにしまして、私の
報告を
簡單に申上げたいと思います。その前に今度の
視察で我々のと
つた態度でありますが、これはできるだけ
実態を把握したい、こういう
ところからしまして
講習の
現場を見たい、その
現場に行きましたならば、
講習の
支障のない限り時間を貰いまして、
受講者諸君と
懇談会を開いた。これが
富山県二ヶ所、
石川で三ヶ所、こういうものがされております。それから六・三制の問題なんかでも、成る
たけ現地の
実情を見たいということを考えまして、例えば
佐渡でございますが、
佐渡二日というのは、これは決して遊覧に費したのではございません。前の日は国中の、いわゆる
佐渡の
中心部を見たのでありますけれども、その次の日はむしろ
佐渡で殆んど
視察の足の延びていない外の海のほう、
つまり外海府と言いますか、そこに非常に大きな村があるのでありますが、その村のほうに行
つて見ますと、これは我々としましてできるだけ
県庁が組んだ
プランで、
県庁が引廻すという方向に対しては殆んど賛成することができない、我々の
方法で以て見たい
ところにずばりと入
つて行く。
現地のじかの問題に触れて見たい、こういうふうな
コースをと
つたのであります。
従つて今の
佐渡の場合なんかは
外海府に参りまして、バスで山道を三時間も揺られて、そこから又船で二時間ぐらい乗せられまして、それから一番
佐渡の外れの願という
ところに参りまして、この願という
ところは
佐渡の一番突端でありまして、例えば一週間ばかり前の記事を見ますというと、何か
浮遊機雷が流れて来まして、その
機雷に触れましてその浜の中が爆破された。私
たちの恐らく休んだと思われる宿のようなものが倒壊しておる、そういうようなことであります。そういう
ところへ行
つて見ますというと、如何に荒涼たるものであるかということを、夏の海を行きながら我々は非常にそういうふうに
想像を持
つたものであります。あの
西北風の吹く
荒海佐渡というものは全く
想像に絶つするものがあるというふうに考えられたのですが、その中に
学校があり、分教場があるのであります。そこの
先生たちにもいろいろな話を聞いた。中にはまだその
半島部の道、
道路がない、
道路がない所が多いのですが、
道路のない所も
受講者の
先生たちは猿のように遠い道を通
つておる。或いは海上を船で来なければならない、こういうふうな
実態に触れたのでありまして、これは非常に今度の
行程の中でも大きな收穫になるのではないかというふうに考えられるわけであります。
ここで検察の前にこういうふうなことを申上げるのもどうかと思いますけれども、この
視察に対してこれは是非今後当
文部委員会でも考えて頂きたいと思うのでありますけれども、こちらで十分にやはり
視察の盲点というものを練
つて頂きたい。それからできるだけ今申しましたように常に足を踏み込まない
ところに踏込んで行きたい。
我我は去年北海道でもそういう
方法をと
つたのでありますけれども、
県庁の立てた
プランというものの中には、どうもしばし
ばば引廻わし主義がある。そうして
向うの自動車を借りて
向うのきめた
コースを廻
つて参りますが、我々が見たい
ところを十分見られないという不便がありますから、それは一面止むを得ないという面はありますけれども、そういう中にも我々が本当に
現地の姿に触れるということを加味して行きたいことと、又
石川県で感じたのでありますけれども、
石川県の村には六・三制の
建築を進めておる。進めておるのでありますけれども、これは
認証外の工事をや
つておるわけであります。
石川県は非常にそういう点で六・三
制建築を皆熱心にや
つてお
つた。併し
予算の内容を聞いて見ますと、これは何年
計画でありますか、それを
村民の
寄附に仰いで、そうして一戸二万円、三万円というようなこれは
寄附を仰いでおる。而も現在においてはその三分の一しか集ま
つていない。残りの二分の二はどのようにして納めるかという問題がある。非常に大きな問題になるわけでありますが、その三分の二の問題につきましては、現在の町村の
財政の中においてどういうことになるか。
農村恐慌が非常に色濃くな
つて来ておる今日の
地方財政において、一戸二万円をどのようにして納めるかということにつきましては、できたら
文部委員がそこに一週間滯在することによ
つてその
状態を本当によく掴む、そういうことをすることによ
つて地方の
実情というものを、單に眼や耳だけでなくして、もつともつと立体的に掘下げて掴むということが可能でないか。こういうことを考えますときに、これは
参議院全体の
政策の、国会の
国政調査の問題にもなると思うのでありますけれども、今後やはりそういうような点において当
委員会は努力すべき点があるのではないかというふうに考えられたわけであります。最初にこういうことを申上げますのは、我々の
視察をできるだけ現状に即した
ところのものにしたい。そうして我々のそれに対する
ところの今後の文政の乗せ方をはつきり現実の上に役立つものにしたい、こういう念願から申上げておるのであります。
講習の問題に入りますが、先ず
講習の問題としまして、先程申上げましたように私
たちはできるだけ
現場に触れるということを一番建前として
参つたのであります。
ところが
新潟県では現在
講習は行われていないのである。七月十日に一応や
つて見たけれども、それまでのやり方が非常にまあ激しい。それからとてもいろいろな点で、これは
経済面、それから
受講者の体力の面から考えて無理だというので、七月以後からまあ中止しておる。そこでこの問題を打開するために
三者協議会というものが持たれてお
つたのであります。
三者協議会というのは、
教員組合側とそれから
教育委員会側、更に又
大学側、この三者が寄り合いまして、そこに最も妥当な線をはつきりしてや
つて行きたい、こういうわけでありましたが、丁度私
たちが参りましたときに、この
三者協議会がなかなか成立しない、どういう点で成立しなか
つたといいますと、これは
大学側が強硬に
自分の案というものを維持してなかなか譲らない。取りきめた
ところのものに、
つまり日教組で問題が起りまして
文部省との間に折衝を持ち、当
委員会もこの問題を重大問題として取上げて、
法案を
改正したのでありますが、その
法案改正前の
状況が固持されて、それで
改正後の新しい
状態に適応するという態勢がなかなか
大学の方から出て来ないという形が出ております。そのために
新潟では具体的なそういう
講習の姿には接しなか
つたのであります。
これに反しまして
富山、
石川は非常に
講習が行われておりまして、
富山のごときは大体三分の二くらいは
人員が動員されている。
石川は殆んど全面的に動員されるという形でこれが行われてお
つたのであります。そういう
講習会の
会場の
様子を一々申上げるわけには行かないのでありますが、
都合一週間こういう
ところを廻
つて来まして、大体まあ問題になりそうな
ところを拾
つて見ますと、
石川のような全面的にや
つている
ところ、例えば
石川の金沢市における
ところの
講習会場を見たのでありますが、ここなんかは非常に
一つの
会場に
受講者が溢れている。約五百人の会員が
雨天体操場のような
ところで
講習を受けているのでありますが、
講師の声が無論聞こえないから、そこへスピーカーを設けてや
つている。後の方で我々が聞いていたのでありますが、なかなかその声が割れて聞えない。天井もなか
つたように思うのでありますが、そういう関係もありましよう。そうして
会場の
様子を見ますというと、我々が
行つたときには物凄い暑さでありまして、恐らく九十度を突破している。で
受講者はどういう
態度をと
つているかということを我々は観察したのでありますが、これは非常にやはり疲れがあるのではないか、中には
うしろの方で居眠りをしている人もある、きよとんとしている人もあ
つたように見受けます。ここで
講習が継続されるのでありますけれども、こういうような
会場の姿を
富山でも見ましたし、
石川でも見たのであります。こういうように
講習をやる組織が十分に準備されてなされたというふうには考えられない面が起
つていると思います。その点をもつともつと合理化することが必要じやないか、やはり人間の限界を突破しているのじやないか、九十度の暑さの中で五百人くらいの人が入れられ、そこでスピーカーで一方で
講師が話しているわけであります。そういう形の中に非常に何か
講習会そのものの姿が暗示されているような感じを持
つたのであります。
それから
講師の問題でありますが、これは
講師は先ほど申しましたように、必ずしも今の
受講者の立場というものを本当に掴んでいるかどうか、或いは日本の
教育の現状を本当に掴んでいるかどうか、
従つて講習する
講習内容が果して日本の現実の
教育が最も求めているものにぴ
つたりしているかどうか、こういう点について質問を向けますというと、非常に離れている、或いは程度が高過ぎる、或いは我々の要求というものを入れて貰うことができない。どうもその
講習の内容が天降り的な面があり、こういう点が
受講者から一斉に話されるのであります。こういう点は非常に問題になると思うのでありますが、殊に先程申上げましたように、
大学の権威ということが非常に大きく謳われている。
大学の権威という言葉を私
たち北陸に参りましてこれは初めて聞いたのであります。これは何ものだというので、しばしば我々は胸に問返して見なければならないということが起
つたのであります。成るほど一応
法案を見ますと、
大学はこれに参加して
講習をやれ、こういう方針によ
つてこの
講習がなされておるのでありますが、併し果して
教育の
実情から離れ、又現在の
教育を担当している
ところの
現場の
教員大衆の要求から離れた
ところの
講習というものが、どういう意義を持つかという点については深く考えて見なければならない。又もう
一つ大きな問題になるのは、
教育の
つまり天降り体制、上から何か権威というようなもので押付けて来るというようなことになれば、この
講習そのものは意味をなさないものになる。折角やりながら内容はない。聞き放しになるし、或いは居眠り
講習というような昔の形を繰返すという結果に陥るのであります。殊にそういう要求がありまして、第八国会におきましてあの
法案が
改正されたのでありますから、この
法案が
改正された後の情勢に十分に即応して、そうして二者の間に十分な話合いができるということが必要だと思うのでありますが、なかなか
大学側はそれを譲らないという形が出ております。この点で我々は一体
講習をされるものは
大学のものであるのか、或いは
受講者のものであるのか、この点やはりはつきり検討して、この性格を規定しなければならないということを痛切に感じて来たわけであります。何か聞きますというと、北陸では
大学連盟というものができてお
つて、そうして三県か四県、それで協議会を開いて、そこで強力な一応線が決定されて、その線を譲らないという形を押進められておるということを聞いた、こういうことはやはり極端な
教育に陥る
一つの前提なのでありましてこういう点については、
大学はむしろ逆に
教員大衆の
要望をよく聞き、日本の現状と教持界の要求しておるものを十分に把握して、その上に
講習の内容を乗せ換えるというような、かような
方法が絶対に必要である。
大学教育とそれから中学や小
学校の
教育を切り離して考えたのは過去の
教育である。これは統一された面からしましても、又一面同じ職業に携わ
つておる点から申しまして、又同じ
教員組合員であるというような面から見ましても、そういうような
一つの階級から仮に発生するというような点については、これは問題につなるのじやないかというふうに考えられるのであります。それから
受講者の問題であるますけれども、至る所で
受講者の座談会をや
つて行
つたのであります。我々が参りましてこもごも挨拶をいたしまて、又いろいろな点で
向うの
意見を聞き、こちらからも聞き、
向うの
意見も述べて貰
つた、
受講者は非常に熱心でありました。何か旱天の慈雨のような感じを以て我々を迎えてくれたのじやないか、何か渇えておるものがあ
つて、われ々を欲してお
つたのじやないかというような気がしたのであります。或る所では時間がないというので、我々には挨拶だけして、五分間くらいで引退ろうとした
ところが、代表が
あとから追つ駈けて参りまして、どうしてここまで来て我々の
意見を聞いてくれないのか、そういう
視察ではな
つてないじやないかというので、逆に我々が
とつちめられて、そこへ戻りまして、それからしばしの時間をお互いに座談会を開くという
ところに向けた。そういうような
意見を総合して考えますというと、何と言いましても一番やはり大きな問題にな
つておるのは
経費の問題であります。これはいろいろな数が出て来ておると思います。ここで一々挙げることを控えますけれども、例えば
新潟県全体から見ますと、県の
負担が、一軍位四百円の
足代がかかるということを言
つております。これは県
平均、これから見まして仮に二十三
單位だと九千二百円というものが一人での
平均です。
新潟は一万八千人の
教員がおりますから、一万八千人と考えて見ますというと、果してどれだけの一体二十三
單位をとるための費用が要るか。これを今後二十六年度に決定された
文部省の
予算と睨み合して見るときに、果して一体どういうことが起るか、
新潟県一県だけを例にと
つてもこういうことが言えるのじやないかと思うのであります。それが
経費の問題で、その次にはやはり
教員の体力の問題、健康の問題、これはしばしば口にされておるのでありますが、例えば
石川の河内中学というのが相当僻陬の地にあるのでありますが、そういう
ところになりますと、そこで語られた話では、朝四時に起きて来なければならん、それで
講習を終えて帰ると結局八時にな
つてしまう。こういうような所から、
講習会場の
都合によ
つてそういう所を往復しておる、こういうふうになりますと、もう
学校のいろいろな留守にしたために起る問題は処理できないばかりでなくて、人間の肉体的な條件から申しましても、これではまあ
あと全部眠
つたとしまして八時間の睡眠時間しかないということになります。こんなことではこれは当然この
状態が長く続かない、こういう所ではもつと
会場を殖やして貰いたいというような要求が非常に起
つてお
つたわけであります。その外、これはいろいろありますけれども、殊に一番ここに大きく問題にしなければならんものは
受講者の中の女
教師の例であります。この点は是非ここで我々は大きく
報告しなければならないと思うのであります。先ず第一にどういうことが起るかというと、休みですから、一体女の
先生の
負担というものは、申すまでもなく二重、三重に現在な
つておるのであります。それで休みはどういうことに
使つておるかというと、常に勤務のためにすることのできない家庭向の仕事をやるというのが大概の休み期間にやる仕事にな
つておるのです。その中には姑に対する
ところの
一つのいろいろな心遣い、務め、こういうことさえも含まれておる、いろいろな家事のことは勿論であります。
ところがこういうふうなことがなかなか今度の
講習で以て休み時間をすつかり奪われて
しまつたために殆んどこれができない。或いは子供があるために姑に預けなければならない。そうすると姑との間にやはりいろいろな問題が起
つて来る。その子供に対しては今度人工哺乳をしなければならないということが起
つて来る。その人工哺乳の代だけでも大変なものになる。それから又子守りをわざわざこのために雇わなければならないということになる。或いは又
経費の関係から、山から出て参りまして町に下宿する、下宿をするのでありまづけれども、そうすると新しい世帶を持たなくちやならん。鍋、釜の類まで心配しなければならない。そこで二重
負担ということが起
つて来る。それだけでなくて更に
学校会場の脇なんかでも託児所なんかを作
つて置いて子供を預けるという仕組でや
つておる
ところもあります。これはまあついでに附加えますと、
富山からその
あとで便りがありまして、実は我々が
富山市で見たのであります。そこで我々見ただけで、ここでは座談会を持つ日がなか
つたのでありますが、我々が帰りました後の
地方新聞にこういう投書が載
つてお
つたというのが
報告されたのであります。それは何かというと、
参議院の
視察団がや
つて来たけれども、どうも
参議院の
視察団は、上つらだけ見て行く。あの
講習会場は成るほど人が溢れ熱心に、これは何か律文学、いわゆる韻文、短歌なんか日本
文化の根源になる問題について高校の
先生が話してお
つたのでありますが、そこを見て我々帰
つて来た。女の
先生は沢山いた。実は
会場の脇の方に託児所が作られてお
つた、何故そこを見てくれなか
つた、これを見てくれないのでは実際
視察団員は画龍点睛を欠くのではないか。なぜ一体案内して来た
ところの
教育委員会も、或いは
教育庁の関係の
人たちも、そういう所をわざわざ見せなか
つたのか。こういうことが投書に出たそうであります、新聞に……。実は私
たちはそういう所を見たいと
思つて随分気を配
つたわけでありますけれども、ともすればそういう所は見せられないで引廻されるという点があるのであります。これは先程申しました一例ですからついでに附加えるのでありますけれども、こういう形で非常に女
教師の
受講者の問題というものは、二重、三重の意味におきまして今度の
講習会の中で大きく私は取上げられなくちやならん問題ではないかと考えるのであります。中には懐妊しておるのだけれども、どうも
講習を受けないというと免許状が貰えない、そうなると前途の職業の不安のためにもう臨月近いのであるけれども、無理をしてその
会場にや
つて来た、そのために健康を害した、こういうことが切実に訴えられて、それを同行の
木村委員は、そういうような感覚のない女の
先生では困るじやないかということを言
つておられたこともあるのでありますが、併しそれはそういう
ところに追込まれておる、
講習そのものがそういう
ところに追込まれておる、そういう機構であるという
ところに又
一つの問題がある。女の
先生の
つまり自分の胎児に対する
一つの思遣りそのもの、そういう感覚の問題でもありますが、同時に全体としまして
講習をするものがそういう
ところまで追込まれておるということを見逃すことができない問題ではないか、こういうふうに考えるのであります。その他まあいろいろな
経済上の問題、肉体上の問題、こういうものについて至る所で我々はそういう
受講者の切実な声を聞いたのであります。成るほど
講習の
ところだけをちよつと見て来るというと熱心のように見えます。併しながらその後に設けられたその座談会の席上で、あの
人たちが如何にこの
講習に対していろいろな観点からこの不合理を責め、或いは止むを得ない
ところに引込まれておる態勢に対していろいろな方面から抗議した、むろんこの中には、この
講習が
自分たちの能力を高めるということについては何ら異存はないけれども、併しながらこれをもつと合理的に、もつと準備されたそういう態勢の中でやれないものであろうか。そうしてそのか中ら起
つておるこのいろいろな
教育條件の破壊、
教育上の風紀というようなことについて問題が提起されておるのであります。
要望点を大体取りまとめて申上げて見ますと、まあ
経費については、是非これは
国家で持
つて貰いたい、こういうことであります。それから第二としましては、既得権であります。
教員として今まで既得権があるはずで、これがまあ全然今度の免許法によるというと認められないということになると、そこから非常に不合理が起るのじやないか。これはまあ非常に今後の我々の研究で明らかにな
つて来ると思うのでありますが、これは医者の場合なんかは、医者には今までの免許状というものは一応認められるという建前にな
つておるのであります。新しい人だけに新しい今度は免許状を発して、そうして二段構の
方法でこれは進んで行くということが
要望されておると思うのでありますけれども、それに対して尚教職員だけがここで今までの既得権というものを全然考慮に入れないで、全部新しい態勢に切替られておるのであるが、この点は是非とも免許法を今後
我我は検討して行く上においては一番やはり根本的な問題の
一つになろうと思うのであります。第三としましては、先きほど申しました内容を、もつと実際に即応して役に立つ
ところの
講習の内容にして貰いたいという
教員の要求であります。第四の問題としましては、女
教師の
人たち、これが非常に免許法の施行によりまして、一番まあ端的にこの
人たちは影響を受けるのでありますから、こういう
人たちがむしろ恐怖に近い考えで以てこの
講習の問題を考えておるのでありますが、この女
教師の要求というものを十分取上げる必要があると思うのであります。その他まあ我々の触れました範囲内では、
参考書がなければ折角の
講習を聞き放しにしてしま
つて、これは何にも役に立たない、もつと
参考書を何とか與えて十分活きた
講習を咀嚼する
方法を考えるべきじやないかという問題と、それから盲聾唖の
人たちの
講習の設備というものは非常に少い。東京に二ヶ所ぐらいある。そういう形で進められておるので、そこに出掛けて行
つて資格を取るということは全く現在の給與
状態においては全然不可能であります。こういうような問題、その他まあいろいろ細々した問題もございますけれども、大体以上の点が大きな皆の
要望点じやないかというふうに考えられます。これはまあ細々したものは先きほどの
木内さんと同じように、これは外の文書に譲りたいと、こういうふうに考えるのであります。
これで
講習の方は一応終りまして、六・三制の問題でございますが、時間も余りございませんので、この点は
簡單にしたいと思います。一概に言いまして、北陸
地方の新制中学の
校舎建築に対する熱情は非常に盛んなものだというふうに見て参りました。どういう形で行われておるかという
ところに問題がある。誰れでもこれは
自分の子供の
教育に対しましては親があらゆる努力をしてそうして外の村よりも、外の町よりもよい
学校を建ててそうしてやりたいというふうに熱情を持つのであります。ただ私が先きほど申しましたように、大きな
経済負担にな
つて来る、父兄の
経済負担のみではなくしていろいろな
負担にな
つて来る。精神上の
負担、こういうものにな
つて来る、或いはそのために
教育のいろいろな圧迫にな
つて来る、こういう点が問題になるのであります。それでこの
富山も
石川もそういう点で今苦しい條件の中でそういうものを埋め合わせようというので
認証外の工事を相当や
つておるのであります。特にこういう問題を解消するために、各町村が寄りまして
組合を作
つて学校組合を作
つて組合立の
学校を建てるという方向でこの
富山、
石川あたりは動いております。そこで今まで
認証外の工事をや
つたのであるけれども尚まあいろいろな点で十分できていない。殊に町村別に見た
ところの一番最低の〇・七坪については、満されるような條件が出て来ておるけれども、併し
学校別に考えると〇・七坪というものはまだまだ到達していない。そこでそういうものに対する今後の補助というものが非常に
要望されたわけであります。この点については、
木村委員が今までの豊富に持
つておられる実際上の経験を基にしてこの問題について触れておられたことを附加えたいと思います。尚足らない
ところはこちらで補充して頂きたいと思います。
それから北陸に参りまして
建築面で最も特徴的な問題は、
雨天体操場であります。この
雨天体操場に対する
要望というものがこれはこちらの太平洋岸の、或いは暖い
地方のかたの考えることのできないようなものがあるのであります。これは北海道、東北、北陸の特徴的な、殊に降雪の非常に量が多くて期間の長いこういう
地方においては
雨天体操場そのものは
教室に劣らない
ところの必要性を持
つておるものである。これがなければ全くもう
教育を完全に遂行することができない。それから又兒童の健康
状態と深く連関して来る問題である。この点をどうしてもこれは早急に取上げて欲しいという
要望がどこからも切実としてありました。
富山の例ではありますけれども、
富山の一年の大体天候
状態を見ますというと、三百六十五日のうちに雨天が約二百十五日、曇天が百十八日、晴天、天日を仰ぐ日が僅か三十日、こういうような統計が出ているそうであります。これが又北陸地帶に非常に多いと言われる
ところの結核問題とも関連があるのでありますが、こういう條件を考えますときに、
雨天体操場というものがどんなに必要であるか、ああいう所で憂欝な冬季に運動を幾分でもやることによ
つてこの健康を維持して行くということは、これは北欧あたりのいろいろな例を見ましても明らかなことだと思いますけれども、どうしても日本の
教育行政の中で、
雨天体操場の問題というものは積雪地帶、寒冷地地帶における
ところの最も特殊的な條件として早急に解決しなければならない
一つの大きな問題であるというふうに考えられるのであります。
それから
文化財保存の問題についても
簡單に触れなくてはならないのでありますが、これは項目的に要項だけ挙げて置きます。
佐渡でありますが、
佐渡の新穂村という
ところに鬼太鼓とか野呂間人形とかいうような非常に土俗的なものが残
つておるのでありますけれども、これが十分に保存されなければ消滅するという形にな
つておるので、これに対する
ところの保存に留意して欲しいという
要望があります。それから
富山県内に参りまして高岡山瑞龍寺というものを見まして、この保存
状態はこの寺の住職さんが非常に熱心な闊達な方で、これは相当よく行われているように見受けて来たのであります。それから金沢市に参りまして、尾山神社というものを見て参りまして、それから同じく尾崎神社、これは現在三年
計画でこれは
修理中であります。これらの
国宝保存の費用は国庫から大部分は出されたもので、現在その
状態が進行しておるようであります。
修理費用を一応申上げますと、一億一千五百万円でありますが、その八割が国庫で、残りの二割がまあ
県費で
負担する。こういうような
割合だそうであります。それから金沢城を見たのでありますが、この金沢城の中で問題になる点は、あそこの城門でありますが、この城門の管理が金沢
大学にな
つておる。
大学がこの
国宝の管理という形にな
つてお
つて、外では手をつけないものですから、このまま行くというと、石垣が落ちて来たり、壁が非常に落ちて来たり、そういうものに
大学の
経費では何とも手がつかない、こういう形が出ておるので、この点に対する
要望が非常にあ
つたのであります。金沢市では成巽閣というものを見ましたが、これは前田家の邸宅にな
つておるので、現在
国宝でありますけれども、非常にこれは厖大な徳川の初期の書院造りの全く代表的な立派な建物であります。この維持に大切な維持費が最小五十万円かかる、毎年五十万円かかる。併し全然国庫補助がないので、これをどのように処置したらいいか、ここに住んでおる方が二十何年来この成巽閣を守り続けて来られたのでありますけれども、もう
方法に窮してしま
つてどうしたらいいかというようなことが非常に深刻に語られたのであります。殊に蝶の間の土台に白蟻がわいて、管理者が僅かにDDTで防いでおる程度だ、これは何としてもこれを早く処理しなければならないのであるけれども、そういう手を何とか伸べて貰えないかということが、この
文化財保存
委員会の方に強く
要望されておるわけであります。それから那谷寺というのを見ました。これは保存の手が伸びておりまして、拝殿とそれから三重塔、鐘樓のようなものが修繕されておるのでありますけれども、
一つ非常に壞れてお
つたのは鐘樓ですが、鐘樓が非常に壞れて、下の方の板の羽目なんか腐
つておるというのが見えておる。大体私
たちの見た
文化財はそれだけであります。
以上まとまりのないことを申上げたのでありますが、足らない所は是非外の
諸君から補足して頂きたいと思います。終ります。