運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1950-07-29 第8回国会 参議院 農林委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年七月二十九日(土曜日)    午前十時四十八分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○自作農創設特別措置法等の一部を改  正する法律案内閣提出)  (右法案に関し証人の証言あり)   —————————————
  2. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) これより委員会を開会いたします。本朝理事会を開きまして、本日午後行うことになつておりました農業金融関係についての農林中金並び農林省当局の方々との懇談は、議事の進行上の都合もありまして延期いたすことに決定いたしました。尚他の点につきましては、午後更に理事会を聞きまして決定いたしましてお諮りいなすことにいたします。  次いで本日は小作料等の問題につきまして証人をお喚びしておるのであります。で証人からこの問題につきまして御見解を伺うことにしておりまして、証人としては、東大教授近藤康男氏と、日本農民組合事務局長大森眞一郎氏とをお喚びしたのであります。  先ず近藤教授より小作料等の問題につきまして御見解をお伺いいたすことにいたします。最初宣誓書捺印をお願いいたします。    〔証人宣誓書捺印
  3. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) どうぞ御発言を願います。
  4. 近藤康男

    証人近藤康男君) 委員長、時間はどのくらい予定してよろしいでしようか。
  5. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) 時間は午前中に証言を上げたいと思いますので、二時間予定しておりましたが、これは質疑を含めてでございますので、三十分乃至四十分でお願いしたいと思います。    〔委員長退席理事西山龜七君委員長席に着く〕
  6. 近藤康男

    証人近藤康男君) 小作料を上げることの可否、若し上げるとすればどの程度まではいいだろうかというような御質問でありますが、小作料の問題につきましては農地価格の問題と切離し得ないのでありまして、両方含めてお答えいたしたいと思うのでありますが、答を一日で最初に申上げますならば、小作料は今日の農村事情では、米価、租税その他の事情前提といたしますならば上げない方がいいと思う、どうしても上げなきやならんという場合におきましても、先ず精々二百円までじやなかろうかというのが私のお答であります。この米価が非常に、米価に限らず、物価が大変騰りまして、二十一年に決まりましたあの小作料、それを基準としたあの地価、非常に低過ぎる、憲法では国民の財産を国が公共のために買收する場合には、正当な賠償をするということがあるけれども、その正当な賠償というものに値しない本当の名目的な値段になつておるというような非難があるかと思うのでありますが、この小作料地価というものにつきましては、第一に、一般物価小作料地価というものは別に考えなきやいけない、こういう点を申上げたいと思うのであります。これは抽象的には一般の理論としては承認をされておるところだと思うのでありまして、つまり一般商品は、その商品価格というものがいろいろな事情で高くなり低くなりますけれども、究極にはその品物を製造するのに要した費用というものが、究極水準点を決めるのであります。そしてその価格によつて得られな收益の中から資本家費用を差引いて、そうして自分が投下した資本に対しては平均的な利潤を得る、そうしてその利潤を差引いた残りが、剰余が更にある場合に地代を拂うことができる。つまり一般商品価格というものはそのもの生産に要した費用で以て決まるのでありますけれども、農地価格、それから従つてその基礎になるところの小作料というものは別に農地を作るに要した費用というものじやなくて、農業をすることによつて残すことのできる剰余、それが基礎になるという点であります。言い換えれば経済学でよく言う擬制資本でありまして、丁度株式値段と同じでありまして、株式配当がこれこれある、それが本になつて株値段が決定される、無論配当はよくてもその業態が実際はよくないという場合には株の値段は低いのでありますし、それから一般社会的、経済的情勢がよければ株の値段一般にいい影響を及ぼすというようなことはありますけれども、併しその株式が何らかの事情によつて配当見込がない、配当のよくなる見込がないというような場合には、外の株式全般はよくても、その特定株式は下る場合があることは誰しも知つておるところでありますが、そういう性質とも似た性質地価というものは持つ。つまり剰余というものが小作料、それから地価というものの基礎になる、こういう点であります。この区別を、一般商品小作料地価との区別、これをしなくちやならんと私は思うのであります。農地価格は一段の農地価格が鮭三匹の値段にも及ばないようになるのは誠に不届なことである、こういうような考え方基礎には、つまり物価一般というものと、それから農地価格小作料というものとの間に区別をなさずしてただ価格、ただ貨幣を支拂農地の取引が行われるというので、価格支拂うという点だけを見ますとそういうことになるのでありますが、地価の本質を考えますと、そういうような現象も起り得る、立派な工場があるのに拘らず株の値段が非常に下るという場合があり得るという場合と同じであります。日本小作料という場合には、併しながらそういうような一般收益の中から利潤を引き去りそれから更に剰余地代になる、こういう地代基礎になつて地価になるという、そういう原則の場合よりは、日本農業経済というものが支配しております小作料違つて来ることは申すまでもないのであります。つまり農民経済の場合には、小作料もそうでありますが、地価につきましても、つまり收益価格という、先程お話しましたような経済原則による拂つてもいい価格を無視して高い値段を拂う場合があることは、これは事実であります。これはこの土地先祖代自分の家で耕していた十他であるからといつて、言わばアフエクシヨネイト・ヴアリユーとでも言うべきものを特定土地について農家が認めるという場合があることは沢山例があるわけであります。そうでなくても資本家的な立場から見る場合よりは遥かに高い評価をするということは事実でありますが、それはいわば主観的な個人的な事情が沢山入つておる、そう見なければならんと思うのであります。勧銀か前に不動産金融をやつておりました頃に農地利廻り調べを相当詳細にやつておられたのでありますが、あの利廻り調べを見ますと農地によりましてあの利廻りが可なり開きがあるのであります。上田、中田、下田というようなものに分けて見ますと、殆んど例外なしに上田利廻りが低くて下田割合に高い。全体として無論低いのでありますが、その低い中にも上田は殊に著しくて下田はそれ程でもない。殆んど例外なしに一つの法則的にそういうことが見られるようであります。そして恐らく二割くらいの違いがあつたように私記憶いたしておるのでありますが、それはどういうことかと申しますと農家土地を買います場合に日本では、株式相場が決まるような工合に土地相場というものが決まるのではなくて、非常に主観的な特定土地自分の家に便利な土地であるとか、あすこは地味がいいからという場合には、收益を無視した、本来ならば收益価格で以て合理的に換算をして、相場に合うものを買うべきものが、それを無視した値段買つておる。農地価格が非常に高くなつておるからして、而も小作料は別に変りはないということでありますために、利廻り計算いたして見ますと、利廻りが非常に低くなつておる。三分にも廻らないような地価、それから小作料という関係が出て来ておるのであります。つまり非常に主観的な要素農家土地評価する場合に大きな要素になつておるということであります。これをそのまま認めましたのでは、つまり古い日本農村事情が再現をすることになるわけであります。決して合法的な関係農村に採り入れられるということにはならない。憲法で正当な賠償をするという場合に、そういう主観的な要素で以て農地評価され、そして売買されておるという場合はあつたのでありますけれども、その主観的なものによつて決まつたものを国が賠償をするということをあの憲法は決して約束しているのではない。むしろ憲法言つていることは、国が強制的に買收する、買上げをするような場合にも所有権は尊重する、賠償をする。併しそれは正当なる範囲である。無闇に低くも買わないかも知れんけれども、無闇に高いこともしないということ、こういうことを私は理解しなければならんと思うのであります。今私は、農民土地を買うという場合に非常に主観的であるということを申したのでありますが、地主土地を買います場合の評価、これは必ずしも主観的ではないのであります。一つの客観的な基準と申しましようか、そういうものがあると言つてもいいと思うのであります。今の勧銀田畑收益調査などによりましても、小作料というものと、それから地価というものとの間に非常に高い相関性が出ておるということはやはり地主收益対象として買うような場合には、決して農民が買うような場合とは違つて、やはり算盤を起すということを示しておるのであります。そういう意味では、決して主観的ではなくて客観的な基準がある。大抵の場合には、多くの地主達は、この辺では土地反歩値段というものは米何俵の値段で買うのが大体普通であるとか、それからそういう類いの、小作料価格の何倍で買うのが普通であるという基準がおのずから出来ておつたと思うので、それは言い換えますれば、地主農地に対する評価というものは、一つの客観的なものを持つております。どの地主買つても同じ値段で買うという、そういうものを何か持つておるということであります。併し地主評価による地主收益価格、それで賠償するということも私は必ずしも必要とは考えないのであります。それは客観的なものかも知れませんけれども、これが社会的に見て妥当なものかどうかという点になると決して過去において妥当であつたとは言えない。しばじば收獲の五割に及んでおりましたし、後に農林者が非常に長い間骨を折られまして適正な小作料が実現するように指導されました場合におきましても、確か收獲総收益の三九%程度になつてつたと思うのであります。そういう率というものが決して、日本農村を長い間の封建的な要素によつて蝕まれているそういうことを改めよう、そういう場合にその関係を昔からずつとでき上つてつた関係をそのまま認めるということが妥当であるか、国が賠償するというような場合に妥当な価格であるとは、私は言うことは無理だろうと思うのであります。やはり私は妥当な賠償基準というものは、自作農がこれを自分で耕して收益を上げる。その收益価格、その場合に自作農自分が投下した資本に対しては、一般資本家が得ると同じ程度利潤を得、自分が働き、自分の家族が働き、或いは雇い入れた人が働く、その労働に対しては普通の労賃支拂われる、普通の労賃が確保される、そういうことを前提とした小作料、そうして地価、それがやはり国がこれを賠償するというような場合の社会的に見て妥当な価格であると見なければならんと私は思うのであります。つまり憲法で正当な賠償をするといつたその正当ということは、経済的にこれを言いますならば、つまり地代日本小作料というものを、昔のような小作料じやなくて、つまり昔は、封建時代においては農民のどうやら生活するだけは残して後全部が小作料なつたわけでありますが、そうじやなくて農民資本家としては平均利潤を得、それから労働に対しては普通の労賃を得て、つまり地代というものは剰余剰余になる。剰余の全部じやなくて剰余の中の一部分である。つまり剰余の主なものは、第一に剰余の中から取上げられるのは利潤であつて、その利潤を引いて、更に剰余があつたその場合にそれが地代になる。その限度において地代か認められるという、こういうものが資本制社会においての正当なる地代というものの基礎になるのであります。あれは二十一年自作農創設特別措置法が設けられますときも、農林省計算されました農地価格で、四十倍、四十八倍というあの倍率を決められましたあの基礎になつてつた計算がまさにそれであつたと思うのでありまして、ああいう計算の原理で認められる範囲小作料地価というものが恐らく憲法が認めておるところの正当なる賠償というものに私は当るだろうと思うのであります。以上が第一の問題といたしまして、一体小作料とか、地価というものをどういうふうに考えたらいいか、国が賠償するという場合にどういうふうに考えたらいいかという点の原則についての考え方であります。つまり農民の無茶な競争の結果現れるような価格でもなし、それから地主の客観的ではあるけれども、社会的の意味で妥当ということのできない基礎に基く計算でもなし、自作農家自分自身の持つている資本については資本家並に、労働については労働者並の報酬を得るという、そういう基準で得られる、即ち剰余剰余として出て来るようなそういう地代、これの基礎になつているものが正当な賠償に当る、こういうことを申したのであります。  それから次に、自作收益価格につきまして幾多の非難がありまして、あれじや安過ぎるというような意味非難がありまして、いろいろな点で論点があり、その一、二の点について申しますと、第一にあの農林省が二十一年に計算されましたときに、反收を二石ということになつて、それを基準にいたしまして、それからその年の肥料とか、その他の労賃とか、そういうものを引いておるけれども、あの二石というのが低過ぎるじやないか。或いは日本には一毛作田だけじやなくて二毛作田があるのに、あの標準値計算一毛作田計算で、つまり稲の收益だけから計算をしているのだけれども、あれを若し二毛作田計算すればもつ收益が多くなる。従つて小作料となるべきものが多くなる。地価という、客体としての地価は高くなるじやないか。こういうふうな批判かあるのであります。この問題に対しましての解答というものは、米価を決める、或いは小作料を決める、農地価格を決める、こういうような場合に一体どういう農家対象として労えるべきか。平均二石というのに過去五ヶ年間の日本全国平均反收であるということであるのでありますが、その二石がいいかどうかということを決定しますのには、米価小作料地価を決めます場合に、一体どういう農家に当嵌まるような米価なり、地価なり、小作料なりを、求めるか、こういうことからしなければならんと思うのであります。これは食糧国内で供給するというようなことになつておるわけでありまするからして、平均の、つまり真中頃の農家算盤がそれで取れるという、そういう評価では足らないのであります。つまり理論的に一般に認められておりますように限界生産性を持つた、つまり比較的惡い條件農家に対しても間に合うような値段を以て国は買上げをしなければならない。米を買上げる場合……。従つて小作料地価というものがそれによつて導かれなければならん、こういうことであります。そういうような観点から見ますと、一体日本農地では平均小作料は成る程二石でありますけれども、一体どうかということになりますと、県の平均個々農家でありますと、これは統計学分散というのでありますが、同じ数字が個々農家なり、村なり、県なりで大きい小さいがある。平均は二石だけれども、上下に非常に分散している。統計学では分散というのでありますが、その分散を見ますと、平均は二石でありましても二石に達しない県が、これは私の計算昭和十八年から二十二年までの府県統計の反当收量分散でありますが、二石に達しない県が二十七ある。これは二十年と言えば非常に低いあれを含んでおりまするからしてこういうことになつたのでありますが、昭和二十二年だけをとつて見ましても二石に達しない府県の数が十六ある。北海道の如きは一石五斗にしかならない。宮崎、鹿兒島もその通りである。こういうことなんです。それを見ますと二石という基準がこれは平均であつても、この二石という平均基準にして計算を出発いたしますと、約半分の県はいいけれども、半分の県では足りない。むしろ私は、こういう計算はこういう場合の、つまり限界生産性農家に対してもカバーするようなそういう米価、そういう小作料地価を決定いたします場合には、二石じやなくて一石五斗が基準になるべきじやないかとさえ思うのであります。二石を以て農林省計算されましたのは決して低過ぎるとは言えない、むしろ高きに失しておる。こう言わなければならんと思うのであります。大体こういうような限界生産性と申しましても、極端なものまでカバーしようとは言わないのでありますが、全国農家の恐らく九割くらいはカバーしなくちやいけないじやないか。そういう性質措置法でありますから……。それで二石という基準になつて起る数量は、決して低過ぎるとは言えない。さつき高過ぎると申しましたかも知れませんけれども、低過ぎるとは言えないと言わなければならんと思うのであります。その点が一つ。それからもう一つの点は、二毛作があるのではないかということでありますが、これは成る程二毛作田におきましては、一毛作田よりは收益は二倍近くになるのであります。併し費用もかかるということを考えなければならない。殊に今申しました理論的に申しますと、限界生産性農家に対して、限界生産性農地に対してもカヴァーできるという、そういう計算であるということを考えますと、これは二毛作田は、一毛作田よりも上位の、優れた、より優位の土地である、農地であると、こう考えまするならば、これは二毛作田で間に合うということで以て、もつ收益が多いと考える。従つて農地価格などを高く評価するということにはならないのであります。最も惡い一毛作田において間に合うように、米価小作料農地というものを考えなければならんと思うのであります。殊にこの一毛作田標準地について農林省計算されましたのは、これは例の倍率、四十倍、四十八倍という倍率を決められたのであります。この倍率を、一毛田だけでなくして、二毛作田にも適用するということでありまして、二毛作田賃貸価格そのものが、一毛作田より高くなつておるわけでありますから、個々農地評価するという場合におきましては、一毛作田標準地にして計算された倍率、匹十倍、四十八倍という倍率二毛作出に適用されても、あながち誤りを惹き起すことにはならないだろうと思うのであります。それが二石という場合であります。それから米価が、あのときには低い百五十円で計算されたのでありますが、京都の前の橋本教授のごときは、百五十円じやない、三百円で評価しなければいかんというような意見を言われておるのでありますが、この百五十円米価というものは、私はあのときは高過ぎても低過ぎるということはなかつた收益計算する場合に、昭和二十年の生産基礎とした米価計算するなめに、高過ぎても低過ぎはしなかつた、こう思うのであります。それは一般のあの頃の物価の上り方、公定価格の上げ方を御覧になれば直ぐ分るのであります。あの頃は申すまでもない程、非常な食糧の不足で、国内は何とか自給しなければならないという情勢で、米を初め農産物価格が、相対的に非常に早く急激に上げられたという時代であつたことはもう明かであります。二十年の終りから、二十一年、二十二年という頃は、農産物が外の商品よりも、割合に割高に急になつたこと、絶対額が決して高かつたとは言えませんけれども、少くとも相対的には割合に高くなつた時代であります。而も引き算をする費用の方は、昭和二十年に実際に費した費用をそのまま使つておるのでありますから、その差額はどうしても大きくなるわけでありまして、農林省は、実はあの計算、百五十円米価基礎とした賃貸価格計算におきまして、実は将来相当上るということを予想されて、それを織り込まれておると私などは理解をいたしておるのであります。そういう意味で、百五十円米価を使つたことは、あの基礎になる計算において低過ぎるということは妥当しないだろうと思うのであります。若し仮に三百円、あれは確か翌年の三月でありましたが、三百円に改正されたのでありますが、三百円に変えられますならば、三百円に米の値段を変えて計算をするならば、それは例えば労賃の、自家労働評価においても労賃が百五十円米価基礎としたときの労賃で以て評価しておるのを三百円米価なつた場合の賃銀ベースで以て評価しなければならないことになるのでありまして、そういうやり方をすれば、決して百五十円米価をやつた場合と大した違いが出て来ないだろうと、こう我々は思うのであります。これは米価の問題。それからその外の費用……労力であるとか、肥料であるとか計算の中に入つて来るのでありますが、この費用計算に起きまして二つのことを注意する必要がある。一つは、先程これは二石という数量について申しましたのと同じ問題でありまして、同じ米を作つてはおるけれども、その費用において非常に分散が大きい。つまり同じ一石を生産いたしますのに、少い費用で済む農家は、これは昭和二十三年の計算でありますが、二千円で済む農家もありますし、多いものは六千円かかる。六千円以上もかかつておる、こういう大きい分散があるのであります。そういう点。それが一つ。つまりそれを挙げます意味は、先程二石という問題を挙げましたと同じように、高い費用をかける農家をカバアーするような米価小作料農地価格でなければならん、そういう意味であります。それが一つ。それから第二は、インフレが非常に急速に進んでおつた時代であつたということを考えなければならん。であの場合でしたら春になつて決まるその値段と、それからその年の夏つまり田植から收穫までのまだインフレがそれ程までに進んでいないその時代に支出したその費用、その差額でありますから、これは大きなものである。收穫が最後で更にそのあとに米価が決まる。こういう米価。実際に拂つた労賃なり、肥料代があり、まだそれ程インフレが進まないから低い、その差額計算すれば純收益は如何にも大きいように見えますけれども、次の第二年目の生産のことを考えなければならん。つまり再生産ということを考えると間に合わない、大分沢山その儲けがあつたように見えるけれども、次の年度の再生産のことを考えると間に合わない、こういうことがあるのであります。そういう意味收益がああいう計算をして見ると大きく見えるけれども、実はそうでないということを注意しなければならんと思うのであります。  以上が細かい点についての二、三の論点についての考え方を申上げたのでありますが、で第三に、私は、主に小作料地価についての問題になります点は、なる程二十一年に基準価格を決めたのだけれども、それから後に経済事情が非常に変つておるのじやないか。非常なるインフレーシヨンじやないか。田一反歩の対価が鮭三匹の値段にも及ばないようになつてしまつたではないか。こういうような考え方はこれは專らインフレーシヨン影響小作料やそれから地価の中に採り入れるということが必要ではないか、常識ではないかということだと思うのであります。その問題につきまして、私二つの事実、二つの点を指摘をいたしたいと思うのであります。それはそういうようなインフレが昂進したのだからして、小作料地価も上げているのじやないか、これは全く商人の一つの観念に過ぎないと思うのでありまして、そう申します理由として二つの点を指摘いたしたい。一つ小作料というものの実態を、現在どういう状態であるか。その実態を見まして、若し農地価格なり、或いはその基礎になるところの小作料なりが、公定価格よりももつと高くなるべき当然の必然性がある、経済的な必然性があるということならば、これは当然闇にも現れて、闇の小作料、闇の地価にも強く現れておるのでありましようし、それから国会その他に対する政治的な要求というものにいたしましても、もつと強くそれは表現される筈だと思うのであります。昭和二十四年の末に初めの頃から、政府では小作料地価は大体七倍くらい値上げをするというような閣議決定においてされたことが新聞に書かれておつたのでありまして、それが農村に対してかなり小作料を闇でもつと引上げる力を作用したと思うのであります。それにも拘らず、一体現実にどの程度つたかということを見てみますと、そういう目的で私先般から農家小作料関係調査をいたしまして、その実態を調べて、皆さんのお手許へお廻し頂いたようでありますが、その小作料の調査によりますと……ついでにこの仕方を簡單に御説明いたしますと、約一万二千ばかりの、これは葉書に刷りました小作料実態を質問した質問表を、小作地を少くとも一反歩以上持つておるような農家に、これはランダムですが、ランダムというのに前に農地委員調査のときに使いました農家の一覧表があります。その一覧表の中から一定の方法で選ぶというようなことを指示しまして、これは作報の出張所に頼んだのでありますが、農家を五ヶ町村から二ヶ町村を選んで、そのニヶ町村におのおの三枚づつの調査表を合計一万二千の調査表を小作地を耕しておる人に配つてつたのであります。回收できましたのは何らの催促せずに回收いたしたのでありますが、約三千七百ばかりありましたが、その結果によりまして見たのでありますが、それによりますと、反当小作料は現在日本ではどの程度であるかと申しますと、先ず百円と見なければならぬのであります。百円以下のものが三千七百の中で五〇%、中には戰前例えば関東あたりで畑地等は二十円程度の金納小作料があつたのであります。その二十円の金納小作料がそのまま習慣的に今日まで続いておるのがあるのには実は我我もびつくりいたしたのでありますが、そういう例さえある。五百円というのが政府が去年の、大体どのくらいになるだろうという基準として考えられたもののようでありますが、その五百円以上の小作料は全体の中で八・五しかないのであります。大体百円から精々百五十円まで、これはまあ小作料というようなものがそう急に、法令か仮に変つても急には変らないのだ。一種の何と申しましようか、慣性の法則が現れておると言つてもよいと思います。併し根本的にはこれはそうでなくて四千二百五十円というような米価、低い米価、これはこういうものを前提としておりまするならば、これは一反歩に対して五百円の小作料を拂うということが経済的にできないということの結果であります。殊に昭和二十一年あたりの事情とは違いまして、税金の重さというものが非常に加つておる。経済的に百円を五百円にするということが決して農家の負担からいいまして、その力の中にあるとは私は考えられないのであります。税金が高くなるのだから小作料を上げてもよいではないか、こういう考がありますけれども、それは正に逆だと思うのであります。私の調査いたしましたあの調査表の中にも、大部分のものは小作料を上げられませんと言つておる。上げた場合は地主が如何にも気の毒だから私は自発的に百五十円にしましたとか、二百円にしました、こういう上げ方をしておる。併し中には、数が非常に少ないのでありますが、税金が高いから小作料はこれ以上げられないと思う。こういう感想を述べておるのがある。これは資本主義的に言えば、正にその考え方が当然の考え方だと思う。税金が安くなつたならば、小作料は上げるかも知れない、併し税金が高いのだから上げられない。税金が高いから上げるべきだというのではなくで、上げられない。これが農民として、農民がつまり資本家としての立場から計算をする限りは、そういうのが正しいのでありまして、数は少いのでありますけれども、あの三千七百枚の中にはそういうことを感想として書いておる農家があつたということを申上げたいと思うのであります。併し大体はまあそういうような状態でありますが、高いものもある。千円、二千円、というものもある。併しその千円、二千円というのはどういう場合にあるかということを考えますと、最初に一番初めの地図に、ドツト・マツプを御覧頂きますと分りますが、そのドツト・マツプを見ますと非常によく分ると思います。大きなドツトが比較的高い、千円というような小作料でありますが、そういう闇小作料といつてよいものがどういう地帶にあるかと申しますと、これは先ず農業地帶としては、例えば蜜柑とか、煙草であるとかいうものを作つている地帶、例えば広島の南の方のあれは大長蜜柑のできる辺だと思いますが、そういう地帶、それからそれ以外は海岸、山村、これは海岸にしろ、山村にしろ、農地が非常に足らないということもありましようし、或いは漁業からの收益が高いということが小作料を高くしているということかも知れないのでありますが、そういう特殊な地帶に千円とか、それ以上の高い小作料が見られるのでありまして、つまり基本的なあの農業地帶、米麦を作つてくれて日本食糧の供給をしている地帶、北の方から申しますならば、秋田であるとか、山形であるとか、新潟であるとか、関東では茨城の南の方であるとか、埼玉であるとか、それから山梨であるとか、或いは岐阜の美濃の部分であるとか、それから香川であるとか、愛媛の東の方であるとかというような、つまり基本的な農業、本当の米麦をやつてくれる、国としては最も尊重しなければならない農業地帶、そういう地帶では、これは御覧のように、大体において一番小さな〇でありまして、百円以下であります。ということは、これは一つには、こういう地方は農民組織ができているということもあると思いますが、一つは先程申しました四千二百五十円米価というものが、経済的に高い小作料が実現することを不可能にしている。私のこの調査は、何も横の連絡をとつたのではなくてこの調査表を配りますときには、これは作報の出張所として各農家に配つて頂いたのでありますが、その農家は秘密のこともとらなければならないので、作報に返事を出すのではなくて、葉書を直接自分でポストに入れる。こういう仕方で秘密を途中で見られるということのない、そういう用意をいたした調査でありまして、一つの村に三枚の調査表を配りましたけれども、三人の人が話し合いをして答えたわけではないのに拘らず、今申しましたような地帶では、殆んど一つの傾向として、一つの地方的な現象として、どこも大体そんなに高くない、こういうことになつているということは、つまり抑えないのだ、こういうことだと思うのであります。ですから闇は成る程ありますけれども、それは一般の米麦を基準にしたような、米麦を作つているような、そういう基準的な農業地帶ではなくて、特殊な地帶、特殊な事情の下には置かれているかも知れないということを我々は考えなければならんのであります。現にこういうことを調査表の中に書いて来たのがある。例えば、私のところは二百円、地主さんが気の毒だから、二百円にいたしましたと、そういうことを書きながら、併し私の地主は、何ら要求がましいことをされなかつたけれども、気毒だから二百円にいたしましたと、こういうことを書いている。併しこの辺には千五百円も要求する惡地主もないことはありませんとこういうことを書いているのがある。つまり三百円というのはその農家から見ますと先ず妥当な値なのです。ところか千五百円になると惡地主ということは、そういうような感情を持つておるということは、言い換えますならば四千二百五十円米価の下において、日本農家が貨幣に対してどの程度の高い限界効用を認めておるかということ、つまり金がないのだということです。これを私は皆さんにお考え頂きたいと思うのであります。  それからもう一つ第二の資料といたしましては、昭和二十一年に收益計算を本にいたしまして、四十倍、四十八倍という倍率をお決めになつたわけでありますが、その後非常に米価が高くなつた。従つて收益は高くなつただろう、こういうことが考えられるようでありますけれども、では同じ計算をその後やつて見たらどうなるか、これを私試みたのであります。昭和二十一年の三月に、あの三百円米価になりますときに、米価は三百円になるけれども農地価格を上げる必要はない、こういうことを農林省は証明されるのに、百五十円米価最初計算をされたときと同じ計算にして、米価は成る程上つた、併し外の肥料労賃その他も上つたからして、差引きすると結局純收益は、前の場合には利潤を差引いた地代になるべきものが二十七円残つたけれども、三百円米価では却つて八円に減るのであつて、決してこれは四十倍、四十八倍というものを訂正する必要がない、こういう意味で国会に対して説明をされたのでありますが、それと同じ計算をやつて見まして、資料といたしましては、この所得の方の、收入の方の計算は二石というあの数字をそのまま使い、価格は二十一年、二十二年、二十三年、二十四年とそれぞれの年に決められました価格を使い、そうして生産費の方は食管の米の生産費調査でやられたあの資料を使いまして、つまりこの前と、二十年より前の計算と同じことをやりまして、私の計算によりますと二十一年の産米の場合の純收益は、つまり收入から生産費を引いた純牧益はマイナス両八十五円、若し利潤を認めますなら地代にすべきものはマイナス二百四十七円になる、二十二年におきましては純牧益は百三十五円、若し利潤を百七十五円と見ますと地代に廻すべきものはマイナス三十五円、それから二十三年の産米に対しましては純收益が七百九十八円、その場合には利潤を三百六十三円引きましても地代にすべきものは四百三十五円、で二十四年の場合におきましては純收益がマイナス四百八十五円、利潤とすべきものを四百七十三円に計算をいたしますと地代はマイナス九百五十七円、この二十一年から二十四年に至る四年間におきまして、二十三年一ヶ年だけがプラスの利潤として、利潤を引いた後は地代とすべきものを残しておるのでありまして、あとの三年悉くはマイナス。これは申すまでもなく皆さんが直ぐ御理解頂けますように、二十年、二十一年という頃は農産物割合に有利であつた、それが相対的には段段外のものが高くなつて不利になつた、こういうことだと思うのであります。その結果が今申しましたような計算になつておるのでありまして、あの農林省が前に計算されたと同じような計算をいたしますならば、マイナスになる。殊にこれはシヤウプ勧告以後の税金の問題が私の今の計算には入つておらんのでありますが、あれを計算に入れますならば、もつと負担は多くなるのであります、このことを考慮に入れますならば、とても小作料を上げるとか、それに基いた地価を上げるとか、こういうことはできないのであります。つまり昭和二十年の場合には黒字が残つたけれども、今日はもう残らない、こういうことを容認せざるを得ないのであります。  こういう意味におきまして、現在の日本農民に対しまして、農民が持つておる資本を、資本家並利潤を認め、農民が働き、農民の家族が働くその労働を普通の労働者並労賃評価する、こういうことが容認されます限り、地代地価というものを高くする余地は、私は全くないと、こう言わなければならんのじやないかと思うのであります。ただ併し、農民が現実に拂えばいいだろうと、こういう考え方もあるかと思うのです。併し拂えばいいからといつて、私は国がこれを認めるということは、農民の地位を昔の地位に、つまり農民経済的に非常に圧迫された地位にあつた、その地位に還すことを国が指導することになるのでございまして、遺憾この上もないことでありますが、若し現在現実に拂つておる程度は我慢してもいいじやないかと、こう言われるならば、必ずしもそれに私百パーセントの満足をするのではありませんけれども、現在拂つている程度でありますところの、大体百円でありますけれども、百円より以上のものも若干ある。で、先程申しましたように、その統計表を御覧頂きますとすぐ分りますが、先ず二百円以上というのは極めて例外的な場合に現実に行われておるのであつて、それはむしろ今日において特殊な場合にそれが実現しておる。だから今日実現しているものを認めるというならば、精々先ず二百円、百五十円とむしろ言いたいところでありますが、二百円までという程度は可なりそういう事例かあるという意味で認められるんじやないかと思うのでありますが、この收益計算から言えば、四年の中で一年だけはプラスだけれども、あとはマイナスだということを、皆さんにお考え願わなければならんのであります。  甚だ長過ぎたかと思いますけれども、私の考えておりますこと、若干の調査いたしましたことを申述べまして、私の証言といたしたいと思います。
  7. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) どうも大変有難うございました。近藤教授の証言が終りました。これにつきまして委員各位からの御質問があると思いますので、御質問をして頂きます。
  8. 江田三郎

    ○江田三郎君 この昭和二十一年のときの四十倍の価格、或いは石七十五円の小作料計算でありますが、これは普通の物価のストップ令と同じような精神に基いて行われたのである。こういう説があるのでありますが、今近藤先生のお話を聴いていると、そうではなしに、やはりその当時の計算された正当な価格であるというようにお聴きしたのですが、それでお間違いないのかどうかということが第一です。  それから第二に、農家の收支計算をする場合に、反当收量を二石と計算しても、これに決して低過ぎる数字ではないということを証言されたわけでありますが、これを三石五斗一升として二十四年度の收益計算しようという試みがあるのでありますが、そういう試みに対してはどういうようにお考えか、この二つの点を先ずお聽きしたいと思うのであります。
  9. 近藤康男

    証人近藤康男君) 最初の問題は、ストップ令は確かあれは十六年の九・一八であつたと思いますが、十七年の、日は忘れましたが三月頃に農地価格統制令でしたか、あの場合は私も若干の関係があつたので今記憶いたしておりますが、あの場合の考え方は、丁度私そういうこともあるかと思つて、実は農林省にその頃関係しておりまして、農地売買事例調査というのをやつておりまして、その個票があつた。その個票に賃貸価格と、それから現実の売買の価段とありましたので、その個票を確か郡ぐらいの範囲で集計をして見まして、そうして各郡別に、賃貸価格に対して現実の売買が行われておる農地の位段は何倍になつておるかということを決めまして、その倍率を決めたのであります。その十七年の場合の農地等統制令は、正にストップ令だつたと思うのです。九・一八のあの考え方と歩調を合せたものであります。ただ時期がやや遅れたというのに過ぎないと私は理解いたしております。併し、それと二十年の暮に自作農創設特別措置法をする場合の農地の標準倍率を決めます場合の考え方とは、全然別でありまして、自作收益という一つ考え方一つの理論を以て計算された理想的な計算でありまして、別のものだと私は思います。  それから第二の二石五斗一升でありますが、こういうものを今日小作料なり或いは地価なりの計算をいたします場合の收益基礎にするということはどう思うかという御質問だと思いますが、それはとんでもないと、先程申しましたように、二石というものですら、私は実は農民の九割をカバーしなければならんようなそういう米価を決め、それから小作料を決め、地価を決めると、こういう目的で以て收益価格を決めます場合には、二石五斗というようなこの計算は無理だろうと思うのです、ただ苦しこの二石五斗というのが、二毛作田標準地にいたしまして、これは麦を含めて二石五斗であると、こういうことであるなら、これは又話は変りまして、費用の方にも麦の肥料や麦の労働を差引くということになりましようからして、これは又もう少し計算をして見なければならんのでありますが、若し一毛作田標準地として米二石五斗くらいは穫れるからということでありますならば、これは、そういう二石五斗穫れる土地がないとは決して申しませんけれども、つまり限界の生産性しか持つておらない農家をも対象にしなければならんと、こういうことを考えますために、これはとんでもない数字ではないかと私は思います。
  10. 池田宇右衞門

    ○池田宇右衞門君 近藤教授にお伺いいたしますことは、私は決して地主制度を存置しろというような見解小作料を値上げしろというような見解から申すのではない。小作については、十分に研究しておられることを拝聴いたしましたが、地主制度が存置する今日において、現在の小作料で果して地主が公租公課を負担して行かれるかどうか、若し公租公課を負担して行かれないといたしましたならば、現在の税務署の土地所有者に対するところの課税は、甚だ不当に相成るのであります。先ず以て地主方面のことを申しますならば、水田を持つております関係上、国税は勿論府県税及び市町村税、いわゆる市町村には住民税が含まれておる。殊に用水費というものが最近相当高くなつて、一人の手間代といたしましても或いは百円、二百円というふうに見積られて用水費を賦課されております。こういう見解に立つて十分御調査なしたかどうかという点を先ず一つお尋ねいたします。  次に日本農業の反收量は二石以下が未だ十六県あるというふうに、北海道においては殆んど二石以下だというふうに御説明下さいましたが、私は、そこに岡村先生もおいでですが、北海道総体では或いはそうでない、私は一昨年視察をいたしまして、昨年もよく状況を聴いておりますが、そういう土地もあるが、全体においては二石取れるところもあるし、又非常な山間僻地に行けば、お説のようなところもあるだろうと思うが、若し近藤教授の申すごとく、日本全体が二石以下の收穫でありとしたならば、同じ役所において、食糧庁は何故二石五斗の收入をありとして、農家のお互いの供出割当を行い、又作報の報告は、どうして全体において收穫のないものに、收穫ありと報告しておるかと、私はこれを疑わざるを得ないのであります。この点を先ず明かにして欲しい。  次に、御承知のごとく理論の見地におきましては、全く今日の農家米価石当りの四千二百五十円は、生産費を基準といたしましたならば、甚だ均衡が取れないのであります。これに対しまして小作人が利益を基準として地主に納入をいたすということに相成りましたならば、お説のごとき小作料に対するところの値上げは甚だ当を得ないという結果に相成ります。併しながら日本農家のよさは、土地を愛して、その土地からよりよき收穫を挙げるところに日本農業の、日本農民の安定と、経営の安定があるのでありまして、こういう見解に立ちますとまにおきまして、ただ我々が仮に貸家に住み、借地人が店舗を張つても利益がないから家賃を拂わんでもいいというようなことは、私は当つていないと思う。そこで農家も耕作をいたしまして、よりよき收入を挙げると同時に、政府当路者にあるものにおいても、地主制度が存置する以上、又この地主に対してあらゆる納税義務を負わせる見解上、納税に不足を告げておる今日……、地主制度をなくすというようなことに相成りますならばこれは当然でありますけれども、地主制度が、さもなくも今日、櫛の歯の折れる、ごとく、次第々々に少くなつてつてしまうというような見解に立ち、又自作農創設を政府並びにあらゆる農民の要望する際に、自作農の創設の強力なる見地に立つての考は、小作料の問題においては、非常なそこに一つの大きな悩みがある。自作農制度に対して、今日地主制度のある見地に対して、どういうお考を持つておるかということについてお尋ねを申したいと思います。
  11. 近藤康男

    証人近藤康男君) 第一の公租公課と地主が現在負担し得る状態であるかどうかという点につきましては、今日の公定小作料を以てしては、この地主にかかつておる公租公課、殊に水利費を含めました公租公課がとても拂えない、これはもうお説の通りだと思います。我々の調査にもそういうことは明かに出て来ておるのであります。地主においてそういう苦境にあります。併し一方先程申しましたように、小作料計算をいたしましても、これは昭和二十一年の頃はよかつたけれども、今日から見ますと、マイナスになつておる。そういう今日は矛盾の時代なんであります。で、私の先程申しましたことは、これをそういうような観点から引括めて申しますならば、先程の説明の中にも米価、税金、小作料地価と、こういうものを一緒に申しましたのでありますが、肥料値段は言及いたしませんが、そういうものを含めて、これは一緒に考えなければならない。根本は、いわば米価が相対的に安過ぎる、米価の相対的な関係において二十一年の状態に今はこれが持つて行かれますならば、大分話が違うと思うんです。それはつまり米価というものが相対的に抑えられているというところに、私は根本の問題があり、そうして一方に税金という問題があるというわけで、地主、小作という関係から見ますならば、地主も困る、小作人もこれを拂う力がないと、こういう矛盾を示しておるのでありまして、だから解決の途をどこに求めるかといえば、これは決して小作料そのものについてだけに決して解決の途はないのであつて米価、税金、肥料値段、そうして小作料地価と、こういう全体として、これは皆さんでお考え頂かなければならんと私は思うのであります。その点が一つ。  それからもう一つは、二石以下があるというけれども、北海道だつて山間僻地はどうか知らんけれども、もつといいところがあるということは、その通りだと思うんです。併し私の申しましたのは、九割をカヴアーしなければならない問題なんですね。米価を幾らにするかということは、九割の農家がこれで以てどうやら辻褄が合つて、再生産を続けて行ける、食糧の増産に努めることができるという、そういう解決をしなければならない問題でありますからして、そこはつまり限界生産性ということを経済学で言う。そういう問題でありますからして、平均は、成程統計は、二石かも知れない。併しもつと低くしなければならんのであつて、つまり山間僻地の農家に対しても間に合うようなそういう米価小作料を考えなければならん。そういう意味で私は先程申したのであります。
  12. 池田宇右衞門

    ○池田宇右衞門君 二石五斗ありとしての政府の供出の割当はどうお考えですか、当か不当であるか。
  13. 近藤康男

    証人近藤康男君) それは私はお答えいたしかねるのでありまして、どうぞ農林省にお尋ね願いたい。  それから最後に農地を愛せよと、それから地主制度というものをどう考えるかと、こういう御質問があつたと思うのでありますが、私今第二段の調査として考えておりますことは、一体現在農地が若干の闇で、或は表向き農地委員会のあれを経て移動をしておりますが、一体どういう方向へ移動は進んでおるだろうかと、こういうことを見ておるんです。そうしますと、いろいろな細かいことはありますけれども、非常に憂慮すべき状態がある。それはつまり零細農業者、むしろ農業者と言えないような非農家、その方へむしろ土地が行つておるんですね。その逆の方向の強い地方もありますけれども、全体として申しますとそういうことなんです。それはどういうことかと申しますと、つまり地価が高い、闇の地価が高い。で闇の地価が高いためにその高い闇の地価を拂うことのできるような人という者は決してこれは普通の農家ではなくして、何かつまり闇の收入があるような、そういう人達のところへ。で池田さんが御心配されておりますような、つまり健全な農家の方へ行くのじやなくして、その逆の方向を採つておる、そういう意味で私はその問題を一つの、これは恐らく農地委員会などの農地の管理という点を徹底的にやるというより外に途はないのじやないかと思うのでありますが、そういう点、つまり普通の農業をやるに相応しい農家が成長するという方向を採るように国が干渉をする、引張つて行く、こういう考え方が必要じやないかと思うのであります。そういうような観点からいたしますと、その地主制度というものを、私昔と同じような意味で理解してはならないのじやないかと思うのです。でむしろ地主制度というものは、あの一町歩という保有限度を認められましたときの趣旨がそうだつたと思うのでありますが、農家というものは家族が殖えたり減つたり、いろいろ事情が変る。だから全部自作農ということになると故障があるからして、一時傾けるというような場合もあるからして、そこで一つの何と申しますか、アローワンスを求めなければならないという意味で、つまり自作制度というものの附随的な制度として貸付保有地というものを認める、あの趣旨を考えて、そういう意味で現在の地主地主という言葉は私当らないと思うのでありますが、土地保有という、貸付という制度を考えるべきじやないかと、こう私は思うのです。
  14. 片柳眞吉

    ○片柳眞吉君 時間もありませんから簡單に二点だけお伺いいたします。生産費を見る場合に利潤を見ることは私は賛成でありますが、どの程度利潤にお考えになつておりますか。  それから御意見をお聴きしますると、生産費の議論で、一般の経費は勿論でありまするが、正当な労賃を見る、或いは資本の利子を見る、それから今お尋ねをいたしました相当な利潤を見た上で、それ以上の余力がありますればそれを地代として拂つてもよろしいのですか、こういうふうにお聞きしたわけでありますが、そうしますると、今問題の小作料を七倍なら七倍に上げますと、それと関連をいたしまして当然米価が上つて来ますれば、御意見はそれでよろしいということになるかどうか、この二点だけお伺いいたします。
  15. 近藤康男

    証人近藤康男君) 最初利潤につきましては計算は四%であります。これは前に百五十円米価であの四十倍、四十八億を計算されたときと同じ率であります。それから米価が上りまして純收益が多くなり、そして仮に四%なら四%という利潤を差引きまして、その剰余が出て来る。丁度昭和二十年の百五十円米価に対して出て来た場合のようにプラスで出て来る。そういうことになれば小作料を上げてもよろしいか、こういう御質問だと思うのでありますが、そういう場合には私はよろしいと思うのです。  つまり米価だけじやなくて、勿論純收益でありますからして費用の方が勿論ある。費用の方と、米価の上り方の相対的な問題だと私は思うのでありますが、米価の上り方の方か外のものの上り方よりは早くて、そして純收益から残りの利潤を引いても地代になるべき分が相当ある。こういうことならばそれに応じてその限度において上げるのは結構だと思います。
  16. 片柳眞吉

    ○片柳眞吉君 もう一つ関連いたしまして、四%は最後に、地代米価との関係で最後のアローワンスが地代になるわけですか。そうしますとその四%は、地代を引きました他の生産費及び利潤を加えました四%と見てよろしゆうございますか。米価との関係米価生産費なり利潤を見て参りまして、最後の余力を地代として認めてよろしい、こういうことになりますかどうか。この四%を掛けますと、ベースはアルフアーである地代を除きました他の生産費を基礎にして四%、こういうふうに見ておりますか。
  17. 近藤康男

    証人近藤康男君) そうです。
  18. 江田三郎

    ○江田三郎君 今の問題はどうなのですか。片柳さんの御質問は、利潤というものは資本利子というものと別に考えておられるように見られますが、近藤教授はそうでなしに、資本利潤とし見られるのじや、資本利潤だと言われるのじやないですか。資本利子とは別に見られるのですか。
  19. 近藤康男

    証人近藤康男君) 別に考えております、これはあれに、この前の農林委員会のときにお配りしました二、三枚のあれに計算が書いてありましたが、ちよつと今日は持つて参りませんので、……別に考えております。
  20. 三好始

    ○三好始君 農民経済が成立つように米価小作料、租税等を総合的に考えなければいけない、こういう考え方に対しては私も同感なのであります。ところで実際問題として米価がすでに與えられたものとして決定している、税金も同様に決定している、そういう場合には小作料のみを農民経済の立場から据置くということになりますというと、小作料地主支拂う固定資産税にも足りない、こういう結果も起ると思うのです。近藤教授はそういう結果が起つても仕方がないから、小作料は耕作者の経済が成立つように据置くべきである、こういう考でありますかどうか、その点をお伺いいたしたいのであります。
  21. 近藤康男

    証人近藤康男君) 仰せの通りであります。むしろ税金の方を直すべきであると、こう私は考えます。
  22. 白波瀬米吉

    ○白波瀬米吉君 ちよつと簡單にお伺  いいたしますが、最前から承つておりますと、收入の方にも非常に、平均は二石であつて分散性があつてもつと低いものがある、それから経費の方にも平均はあつても非常に分散性がある、それで收益の方は大体九割のものと言いますか、低い方から一割を残した程度を標準にしなければならない。これは或る程度農家の立場から行くとそれは御尤もと思うのですが、費用の方も今度は高い方へ持つてつて、一割を除いた程度を以て行かなければいかんというお話であつたように思うのですが、そういうことになると余りにもどうかというような感じがするのですが、これはどういう基準によつてそういう数字になるのですか。
  23. 近藤康男

    証人近藤康男君) ちよつと私その点の説明が行届かなかつたかと思いますが、生産費の分散というものと、それから收益分散というものは非常に密接に結び付いているのです。つまり生産費というのは一石当りの生産費でありますから、收益の多い所は低くなる、こういうことになります。そこでそれを全然二つの別のことというふうに理解してはいけないのじやないかと思うのであります。これはああいうような計算をする仕方というのは非常にいろいろあるわけでありまして、一つ一つの、一個々々のあれを計算しましてその平均を出すということもありましようし、それから全体の農家の收入、全体の農家費用、これを一つのグロースとして比べるという仕方もあるかと思います。分散があるということを申しましたのは、つまり全体としては九割くらいをカバーしなければならんということの説明として申しましたのでありまして、その両者の間の……両者というものは、收穫の方の分散生産費の方の分散の方の間の結び付き方がどうかということを申し添えなければならなかつたわけであります。
  24. 白波瀬米吉

    ○白波瀬米吉君 そうするとなんですか。生産費の方は必ずしも九割をカバーしなければいかんという意味じやないのですか。
  25. 近藤康男

    証人近藤康男君) 生産費だけを取つていえば、やはり九割をカバーしなければいけないと思う。生産費は九割カバーするということは、收益の方でも九割をカバーするということになる。
  26. 白波瀬米吉

    ○白波瀬米吉君 ちよつと分りにくいのですが、收益の方は一番低いところから採つて、一割上つたところを採つて基準にしなければいかんとこうおつしやるのでしよう。今度は生産費の方は高い方から採つて、一割下つたところから探つて基準にしなければならんということになるわけでしよう。どうもそこのところが、その通りになるのですか。
  27. 近藤康男

    証人近藤康男君) そうです。おつしやる通りなんです。これは個々生産費、個々農家收益生産費を突き合して見ますと、つまり頭から一割採つた場合にカバーする收益について、一群下から少いものから一割捨ててあとの九割のこの線と、それと今度は生産費について非常に高いものは別として、上から一割捨てて上から九割のところ、この線とは大体同じ農家が相当する筈だと思う。外に事情が全然同じとすれば收穫が二倍になれば生産費は半分になるのですから、全部経費が同額であるとするならば、收穫が二倍になれば生産費は半分になる。ですから收穫の方の下から一割というところは、生産費の上の方から一割というものとほぼ該当するとこう私は考えていいのではないかと思います。
  28. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 近藤先生のお考は大体承知いたしておるつもりだつたのですが、今日お話をお伺いしてみますると、今我々が困つていろいろお智恵を拝借しようと思つております問題は、どうしても近藤先生の御意見を伺わなければ解決がつかんのです。そこで今やろうといたしておりまする法案は、地価も年々変つて来るような行き方なんです。そこで今、例えば固定資産税を取ろうといたしておりますが、その計算を見ますると、とても近藤先生のおつしやる二百円以上は絶対に、今の状態では、今の予定は取るべきでないし、拂うべきでもない。こういう考を持つております。全然税金が足らん、固定資産税だけでは、その他の税金負担がかかつておりますが、これは近藤先生の御意見から聽くと、地主制度そのもの考え方が今の我々のやつておりますこととは、非常に違つたものであるから、こんな結果を生むのではないかと思うのですが、どうなんですか。
  29. 近藤康男

    証人近藤康男君) 恐らくこうだろうと思います。現実に、今先程もちよつと申しました農地がどういう方向を取つて動いておるか、移動しておるかということを見ますと、今までの地主つまり保有面積を現在残して持つておるような地主、そういうようなものにほぼ例外なしに行つておらん、決して買つておらんということは、つまり今おつしやいましたような料金というような問題で、こういう保有面積一町歩というものは認めて貰つたけれども、これは事実上税金その他の制度では保有すべからざる実勢になつておるということを理解して、それでいわゆる金詰りという言い現し方をしておりますけれども、私の心配することはそういう地主制度というものが維持できなくなつて土地を売るということは、私は止むを得ないと思うのです。むしろその方がいいと思うのでありますが、私の心配いたしますのは、先程池田さんの御質問にお答えしたと思いますが、その場合に誰が持つかということです。その場合につまり農業生産にその土地が一〇〇%、一二〇%も効率を挙げてくれるようなそういう方面に流れるならばいいのであります。ところがそうならなくて、むしろ例えば片方で何か收入かあつて小作料も抑える、或いは闇の高い何万円という地価を抑えるというところの人に流れていつておる。あれは調査表を見ましても、そういう点を非常に困るということを、農民の立場から訴えておる声があるのであります。私は土地の所有というものは、所有によつてそれで生活をするというそういう意味の、つまり既成地主というものの所有ではなくて、やはりそれを生産的に使い、農業生産を挙げるということによつて生活をして行くそういう人が利用し、そういう人のものになるべきだというようなそういう制度を希いて頂きたい。税制その他が既成地主を許さないというそういう限りでは、そういう意味では税制を心配しなくてもいい、むしろそう思うのです。
  30. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 実はこの間小作料を現在の七倍上げるというあれなんですが、それは非常に困りはしないか。そこで小作料を拂う立場にある農家の負担に耐えられるか耐えられないか、何か表があるだろうとこう言つたところが、こういうものが出て来た。これは作り方が非常に勝手なんです、私に言わせると。自作を九反八畝やつておる、そのうちの小作賃が八畝ですから、これを引出して小作料を抑えるとか拂えないとかということにならない。一町に近い百姓が八畝、三・八、二百四十坪の小作では余り卑怯な例なんです。若しそれが事実で、全国的にそれだけの一町近くの耕作をやつておる百姓が、七畝や八畝しか小作をしておらんとするならば、小作料は高いとか安いを論ずる必要がない。それは両方が我慢しなければならんので、政府が出しましたもので九反八畝持つておる百姓が、八畝やつておる。現在上げた七倍の小作料でも、收支の計算から余りに小作者には惡影響がない。こういう意味ですが、併しそれは残念なことには全般のことは分りませんが、日本の状態がそういうふうなら、実は今地主も税金に足らなくても我慢しなければならん、拂うにしてもお互いに我慢し合つて、できる程度で納めたらどうなんですか。
  31. 近藤康男

    証人近藤康男君) 只今の例にお挙げになりましたように、例えば小作料を上げた場合にはその影響はどうかと考えます資料として、私前に農林省の調査に関係しておりました事情から考えましても、直ぐそういうことがきつとあり得ると思いますことは、つまり調査の仕方というものは余程、殊にサムプリングと言われておりますものは余程考慮しないと、とんだ誤解を招いて、間違つた政策をすることになるのであります。つまり全体を代表する、或いはこの層を代表するということを明白にしなければいけない。その点が今まで日本の調査では弱かつたと私は思うのでありまして、そういうような数字をお使いになるときには、つまり事例的な調査で、その事例が一体どういう層を現すか、或いは食糧庁でずつと前から例えば米の生産費などを調べられました場合にも、いつも、これはそういう場合に限らないのでありますが、農家経済調査などでもそうでありますが、どうしてもいい階層、上の階層、とにかく帳面をつけてもらわなければならないのでありますからして、どうしてもいい階層の農家が選ばれるという傾向は免れない。調査としてはそれは止むを得ないのでありまして、その調査と違います場合にそういうことを考慮した修正をして、全体を、日本中の農家なら農家対象にした場合にはこの数字はこういうふうに読まなければならんという点を修正をする必要がある。そういう点はおつしやる通りだと思います。
  32. 三好始

    ○三好始君 今までのお話に関連しまして一言お伺いしたいのであります。それは農地の全面解放を重点にした第三次農地改革を断行する必要があるとお考えになつておりますかどうか。若しそういうふうにお考えになつておるとすればその根拠を簡單に御説明頂きたいのであります。
  33. 近藤康男

    証人近藤康男君) これはちよつと問題が少し広汎になり過ぎますが、私は全面解放という意味が、つまり一町歩の保有地を残したあれも止めて、全部自作農にするという意味だろうと思いますがそういうような意味の第三次農地改革というものが單なる現在のつまり穴の空いた分を埋める意味で言われますならば、そういうことは大した意味はないと思う。むしろ第三次農地改革ということが若し行われますならば、そういうことではなく、むしろいわば農業改革ができるような制度、むしろそれは單なる所有権というものだけではなくて、もつと広い広汎な場面、農業生産そのことまで立ち入つたような、そういう制度の改変、それが考えられなければならんのじやないかと思うのでありまして、單なる穴を埋めるという意味の、全部解放して自作地にするというだけでありましたら大して意味はないと思います。
  34. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) 御質問はございませんか……。なければ十二時三十五分になりましたので、これは大森さんには非常に恐縮でございますが、ここいらで休憩いたしまして、午後再開いたしました劈頭に大森さんの御証言を願いたいと思いますが、如何でございましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  35. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) それではさようにいたしまして、午後は一時半に再開いたすことにいたします。その直前に理事会をいたしますので御承知置きを願いたいと思います。どうも有難うございました。    午後零時三十五分休憩    —————・—————    午後三時二十二分開会
  36. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) それではこれより委員会を再開いたします。午前に引続き証人の証言を求めることにしておりますが、大変恐縮でございますが、証人の御了解を得まして、大蔵大臣に対する質疑を先きに行いたいと思います。大蔵大臣に対する質疑につきましては、岡村さんから通告がありましたので、先ず岡村さんに発言を許します。
  37. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 大蔵大臣も御承知のことと存じますが、自作農創設特別措置法の一部改正法律案が、第七国会に提出されまして、審議未了になつてつたのでありますが、それが今回の議会に提出されておりますが、日本農地改革は世界的に見て劃期的な成果を收めたことになつておりまして、御承知のようにマツカーサー司令官からも非常にその成果についてお褒めを頂いたような成果を收めております。そこで全部終つたとは申上げませんが、大体目的の九〇%以上の成果を收めておりますが、そこで今法律にいろいろと事務的なこと、又性格のこと、いろいろ書いてはありますが、私共考えますのには、今まで農地の開放について努力して貰つて、その成果を挙げました、その後のことについて、御承知のように日本農業は、誠に遺憾なことには、日を逐うて非常に深刻な不況を呈しておるのであります。そこで搗てて加えて、今度の税法の改正でも、全面的に農業者が非常に安くなつているという考をいたしておられる向きもあるようでありますが、所得税の面では確かに専従者の控除がありまして、それが安くなつていると言えると思いますが、固定資産税になつて調べて見ますると、中以下の百姓は決して安くなつておらんし、安くなられんのであります。そこで一番困りますことは今度長い間の小作からやつと自作になつて、非常に善び勇んで農業をやつてくれておりまする百姓が、殆んど中以下と見なければならん立場にあると思つております。そこで今、でもありません。前にもそういうことがあつたのでありますが、今我々が大いに考えなければなりませんことは、今後この自作になつてつた農家を如何にして永遠に育てて行くかが吾等の責任であり、大いに国の問題であると考えておりますが、幸いに今度の法律の五條の二十三に維持資金のことが書いてありますので、若しこれが書いてなければ、やがて私共は別にこの方面の法律を出して貰つて、今の自作農の維持について全力を挙げたいと思つておりましなのが、丁度幸いに出ておりますが、この資金の出途でありますが、農林省当局にお聴きをいたしましても、どうもさつぱり分りませんし、この閥農林大臣にお聴きをいたしたら、池田君とよく相談をする、これだけのお話であつたのでありますが、大蔵大臣は常に御心配になり、なかなか今の状態が日本の政府、即ち大蔵大臣自体がお考えになつておられても、連合国の方の指示かなければ仕事が行えないような状態で、ときどきお話になつたことが実行できない部面もあるので、我々はこの際この法他律案を決議いたしまする前に、これをしつかり確めて、絶対にこれの間違のない方法によつてこの法案を通したい。そうすることが日本自作農の維持について最も適当であり、よい機会であるから、この際何とかしてこの法律を通すと併行して、要は、前には大蔵省預金部の金を出して貰つたのでありますが、今回も臨時的の措置でありません関係から、どうしても預金部の金をこれに振向けて貰うようなことにならんかと考えております。そのために何とかその辺の、自信の抱ける、はつきりと安心のできるような方法によつてこの案を通したい、かように考えておりますために、非常にお忙がしいのに、大蔵大臣の御出席を願つてこの際御質問するわけであります。
  38. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 日本におきまする農地改革は、お話の通り全く劃期的な仕事であり、又その結果も非常に立派な結果を齋らして来ておるのであります。これが完遂、又維持につきましては、仕事の性質から見まして万全を盡さなければなりません。従いまして、自作農の法律の一部改正につきまして規定してあることは、私は誠に結構なことであると考えておるのであります。而してその農地の維持に対します資金の問題、又今までの農地改革で政府が全部買上げてこれを売渡すこの制度を廃めた結果、農地の所有者から他の所有者に直接に行くための金融につきましても措置しなけりやならんと思うのであります。どういう方法でやるかという問題であるのでありますが、これはお話の通りに、ずつと昔からの沿革を見ましても、預余部資金でやるのが過当ではないかと、こう考えております。然るところ、預金部資金の運用につきましては、他の機会で申上げましたように、只今では連合国最高司令官の覚書によりまして、国とか地方団体、或いけ食糧関係の公団に貸付ける以外に、使用を停止せられておるのであります。ただ例外といたしましては、昨年の暮、百万円を一般金融機関に預託した例外一つあるだけでございます。今後におきましては、この窮屈な預金部資金の使用についてできるだけ幅を広める方法で行くか、又それがどうしてもできないという場合におきましては、この枠内で版金部から出せるようにするより外に手がないと思います。幸いに今我々の考えております案では、地方公共団体を通じてその買入れ資金とか、或いは維持資金を出すという案があるのでありますが、これは今の運用計画から申しましてもその範囲内になるわけでありますから、私はできるのではないかと考えておるのであります。お話にもありましたように、いろいろな金融財政政策について一々承認を求めるような状態になつておりまして、思うに任せん場合がありますが、大体申上げたことは今までやつておるつもりであるのであります。ただ時間的に遅れる場合がございまするが、徐々には私は申上げたことは実行に移しておると思うのであります。今回の措置にいたしましても、預金部資金の運用でやつて行きたい、又他にいい方法があればその方も考えて行きたいと思いまするが、農林中金なんかの融資資金によりいわゆる長期資金を廻してもいいと思うのでありますが、府県公共団体がやるとすれば預金部資金が適当ではないかという考を持つております。
  39. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 大蔵大臣も非常に御心配をされておるようでありますし、丁度沿革から考えても大蔵省の預金部の金を出しで買うことが非常にいいと思つております。それには今の制約があつて地方公共団体でなければ出せないことになつてつて枠内ではそれがいいというお話でありますが、我々はこれで結構でありまして、地方公共団体を通じて借入れすることも何ら不都合もないのでありまして、それも結構でありますが、非常にこれも止むを得ないことでありまして、こういう時期でありますから必ず言つた期日にはつきりなるとは事えられませんが、余りに長くなりますと、それも非常に困るのでありまして、若し預金部資金の金が今お話のような工合にうまくならないで他の方法を講ぜられるというより、この際是非沿革からお話を申上げ、それから農地開放により連合国から非常に褒めて費つておることから考えて、大臣の方で強い交渉をされれば、それもまんざら駄目ではないというふうにも考えられますから、この点大蔵大臣が責任を持つてつて頂きますことを強く要望いたして置くわけであります。
  40. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) 外に通告は江田さんと片柳さんと通告されておりますが……。
  41. 岡村文四郎

    ○岡村文四郎君 通告した人間が一人しかいなくて誠に相済みませんが、少し変つたことでありますが、なかなか大蔵大臣にお出でを願つて御意見を承る機会が非常に面倒でありますからこの際承つて置きたいと思いますが、実はあらゆる面に非常に支障があります問題は、農産物価格の問題でありまして、地方税法の改正にしろ、又農地の特別措置法の一部の改正にせよ、あらゆる面に農産物価格基準になつて出て来るわけで、非常にその点に関心を持つておるわけでありますが、一昨昨日でありましたか、新聞紙上で大蔵大臣が衆議院の予算委員会でありましたかどこかで、この際米の価格を大幅に引上げたいという御意向を洩らしておられましたようでありますが、物価庁の方にもいろいろお聴きをいたしてみたが、まだ大蔵大臣の意のあるところを十分聴いておらん、物価庁としてはまだこういうわけだというお話で十分なことが分らなかつたわけでありますが、大蔵大臣がお考えになられております米価の引上げについてどうお考えになつておりますか。農林大臣からもたびたび、大蔵大臣はパリティ計算というものは余り関心を持つておらん、生産価格によつて行くべきだという強い意見を持つておられるということはお聽きしておりますが、大蔵大臣御自身からはお聽きすることがないのでありまして、この際お聞かせ願いたいと思います。
  42. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 先程の農地改革に伴いまする金融措置につきましては、十分の努力をいたしたいと考えております。  次に米価の問題につきまして私は以前から日本物価というものは、国際物価に鞘寄せしなければならん、我が街が鉄国経済と申しましようか、温室経済をやつて統制でやつておる場合におきましては曲げられた価格でやつて行けるでしようけれども、日本が国際貿易市場に乗り出したときは、当然の帰結として、好むと好まざるとに拘らず国際物価に鞘寄せして行かなければならん問題だと考えておるのであります。私は昨年来米価の問題について意見を言つたことがあるのでありますが、我が国の経済が大体安定の度を高めている今日におきましては、更に私は前の信念を強く持つのであります。今日本経済問題の中心をなすのは何かと言つたら、私は財政的に見ても軽済的に見ても米価の問題であると考えます。最近麦の価格は大体FOBの価格なり国際価格に鞘寄せできると思つているのでありますが、米価は如何にも低い。これによつて日本の人口の相当部分をためている農家の人は喜んでおる。米価が低いために輸入の補給金も相当要る。そのために税金も高くかかる。だから我が国の経済に本当に立直つた、いわゆる終止符を打つ、いわゆる仏造つて眼を入れる、その眼はやはり米価にある、米価によつてアジャストして、ここに初めて日本の無済が本当の姿に立帰るのだ、こういう私は考を特つているのであります。従いまして只今の問題といたしましたならば、国際物価に鞘寄せすると言つても、例えば朝鮮米を入れますと、今CIF価格で百四十二ドルでありますが、直に内地米を百四十二ドル、即ち九千数百億円に持つて行くということは、これはいろいろな点から言つても困難であろうと思います。併し私はパリティ計算のみによつて米価を決めて行くということは実際に副わん。机の上で決めるとしてはいいかも知れませんが、実際に副わないのみならず米と麦との比較、即ち国民の嗜好の点から言いましても、相当考え直す時期ではないか。米価が相当な所に行けば経済の立直りがそれだけ早くなる、よくなつて来る、こういう考を持つておるのであります。私は財政経済から見た米の値段、これをどういうような方法で上げるかということは、これは所管の農林大臣にお聴き願いたいと思います。これは生産費の問題もありましよう。パリテイ問題もありましよう。或いは国際価格を何割くらいという問題もありましよう。或いは麦と米の比較もありましよう。いろいろな方法でとにかく米の値段を高くして行けば、それだけ正常な姿になる。而してその正常な姿になる場合においてやはり賃金その他をマッチさせる。こういうことによつて日本経済が安定の終止符を打つのではないか、こういう考え方であります。
  43. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) それでは御通告順によりまして江田さん。
  44. 江田三郎

    ○江田三郎君 ちよつと席を外しておりましたので、大蔵大臣が岡村さんにどういう御答弁をされたのかはつきり分らんのでありますが、大体農地資金の融通に対しては大蔵省としても考慮しておられるという御答弁だろうと思うのでありますが、従来法律によつて農林関係の予算措置なり資金措置をしなければならぬようになつても、なかなかそれができなかつた例が非常に多いのでありまして、我々はただ大蔵大臣の言明だけではなかなか安心がいたしかねるのでありますが、そういう問題について関係方面との話合はどういうふうになつておるのでありますか。例えばESSの承認はできておられるわけですか、どうですか。
  45. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 問題によつて違いますから、具体的な問題をお話し願いたいと思います。
  46. 江田三郎

    ○江田三郎君 農地資金の融通についての農林及び牧野の所有権を取得し大ための資金が二億五千万円、所有権維持に必通な資金が十二億五千万円、以上を大蔵省預金部資金から都道府県債の引受けを行い、資金を造成するということと、いま一つは、その資金の融通及び配分事業に対する利子の補給及び事業費の補助という問題に関してお伺いいたします。
  47. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) この問題は、私は昨日聞いたような状況でございまして、まだ法律が施行になつておりませんから、どの程度の折衝を事務当局間でしておるか存じません。少くとも私のあれではこの問題につきましては折衝を私はしておりません。ただ農林関係でも以西底曳網、こういう問題は先般法律になつて参りまして、そして予算に関係がありますので只今折衝中でございます。この分は今の金の融通ということになりますると金融の問題でございまして、予算に別に関係は一応ないと思つております。多分事務当局のうちでも折衝していないのじやないかと思います。  又預金部資金の運用につきましては、地方公共団体が中に入るということであれば割合に楽に行くんじやないかという見通しを持つております。
  48. 江田三郎

    ○江田三郎君 併し、こういう問題についてもやはり司令部関係の了解が必要になつて来るわけですか。
  49. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 私はこの何を地方の公共団体に貸付けて、公共団体が又農家の方に貸付けるということになれば要らんのじやないかというふうな気持を持つております。それは即ち公共団体に貸す場合につきましては大体広い範囲において貸されておりません。併し個々の問題で異例の場合には相談しておることもあるかと思います。
  50. 江田三郎

    ○江田三郎君 今の大蔵大臣の御見解では、これは司令部関係のその承認は必要としないでやれる、そして大蔵大臣としては預金部資金をそういう方面へ廻すことについては異議はないということになるわけですか。
  51. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 私の考では異議はないのであります。ただ司令部との交渉が要るか要らんかという問題になりますと、異例の場合には相談しておるんじやないかと思います。たとえ相談しても公共団体に貸すということになれば話が早いんじやないかと思つております。
  52. 片柳眞吉

    ○片柳眞吉君 私は大蔵大臣に米価関係で御質問いたしますが、二十六日の衆議院の予算委員会で大蔵大臣が米価を大幅に引上げたいというような御意見の発表があつたようでありますが、ただ米価を上げまする考え方が、或いは生産費を基礎といたしまして現在の米価ではやつて行けないので米価を上げまするというような御意見でありまするが、或いは従来新聞等で大蔵大臣の御意見を仄聞をしておりますると、或いは国際価格と均衡を取るというような立場から米価を上げて行きたいと、こういうような両様の意見があるように私は承知をしておりますが、前段の生産費を基礎といたしまして米価を上げる、この問題は何ら異議はございませんけれども、国際価格との均衡という問題になりますると、或る程度の私は意見があるのであります。現在では国際価格の方が御承知のように国内価格よりも高くなりまするから、差当りは輸入価格に鞘寄せをしました方が有利になる計算は出て来ると思いますが、ただ外国農業等の生産費を見て参りますと、本来の生産費は相当安いものと私は見ておるのでありまして、而も船賃なり保険料等も或る程度今後下るというようなことも予想されるわけであります。そうしますると、或いは近い将来に国際価格の方が国内価格よりも安くなるということも我々は予想しなければならんのであります。高いときにはパリティ計算同様に或いは有利かも知れませんが、本質的には安くなる性格を持つておると存ずるのであります。その意味で国際価格に鞘寄せをするという点からは私相当の意見があると存じます。又等しく米と申しましても外米と国内の米とは非常に品質も違つておりまして、單に米という一字に集中して外米と国内産米とを同じ価格に見ることは品質の点からも議論があると存じまするし、外麦等私は明瞭に将来は下ると思いますので、この点につきましての御所見を承りたいと存じます。  それからもう一つ、これは農林大臣に私は意見を申上げて置きましたが、従来食糧事情の非常に窮迫をしておりましたときには、超過供出は多々ますます弁ずるというような恰好でございましたが、最近の食管会計のやり繰りの算段から、或る一定の予算が限度に達しますると、超過供出をそこで抑えるというような空気が出ておるようでございますが、御承知のように超過供出が沢山出て参りますれば、それだけ外国食糧を入れる必要がなくなるわけであります。又その金額だけ現在の価格で行きますれば相当額の補給金が減る勘定になるわけでございまして、單に外貨を失うという以外に国内の円の問題から見て参りましても、少くとも米に関しましては無制限に買うということの方が全体の立場からも私はよろしいと存じまするが、この辺につきましても一つ御意見をお聞かせ願いたいと存じます。
  53. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) この問題につきましては、片柳君がこの席においでになります前に私の考え方を一応申上げたのであります。財政経済的に見まして私は、日本経済が国際貿易社会に繋がつて来た今日におきましては、原則としては国際物価に鞘寄せをするのが経済理論であると思います。そのことによつて日本経済がより早く立ち直り、より本然な姿になるとすれば何人も異論のないところで、ただ私はあなたのようなお孝の方が農林省或いは安本の方にあるということは聴いております。聴いておりますが、これは取越苦労であります。今の状態を本当によくすることが焦眉の急なんで、将来国際価格が下つたときに日本米価をどうするかという問題につきましてはこれは日本経済のそのときの状況によつて考えなければなりません。而してアメリカなんかにおきまして数十億ドルの農業価格の維持に使つておるあのやり方も、我が国におきましてはやらなければなりますまいが、農家の方々が国民の相当の部分を占めておりました場合におきましては、経済政策の根本はそこに置かなければならん。将来下るからと言つて今不当に安くするということは、私に日本経済が本当の姿になることを大変遅らせることになると思うのです。芳し世界の主食が下つて作つて農家のお困りの場合におきましては、運賃はかかつて来ると思いますが、関税政策その他でやつて行きまして、将来の見込で下つて来るからと言つて今特に低い米価でやるということはよくない。とにかく低くやることによつてに税金も高くなり、経済の発達を阻害する、こういう私は考を持つておるのであります。  次に超過供出の問題でありますが、私は超過供出とか早場米は、これはやはり普通の米価に相当影響がある。今のような超過供出をやつて、それで二倍とか三倍の超過供出でやる方がいい。そういうことよりも日本経済を本当の姿にして行くのが、高い米価で本当に喜んで供出するような恰好で足らざるところを或る程度入れるということであると思います。私は先程申上げました速記録をお読み下されば、日本の今の経済の本当の安定の中心は米価と賃金にあるということで、こういうことで前から言つておるのであります。ただなかなか思いました通りに行かないという状態であるのであります。然らば米価をどれだけにするか、どういう方法にやるということにつきましては、私は專門外でございます。一つ農林大臣に篤と御相談願いたいと思います。
  54. 片柳眞吉

    ○片柳眞吉君 私は将来の食糧の輸入価格が下るから、その意味で現在の米価を上げなくともよろしいというわけでは全然ないのでございます。むしろ上げて欲しいということを申しげておるのでありますが、ただ国際価格に常に準拠するという原則でありますると、将来下つた場合を心配いたしまして御質問をいたしたわけであります。又大蔵大臣の言われましたように、原則として国際経済日本が参加いたしました場合に、国際価格に準拠しまして価格を決めることの一般原則には私は大体異存はありませんけれども、ただ日本農業が現在でも相当もう限界点に来ておりまして、相当集約度の高い農業でありまして彈力性がございませんから、その特殊事情を無視しますると、單に国際価格と均衡をとるということでは将来非常な問題が起るという点で申しげたわけでありまして、現在米価を正当に上げますることについては、むしろ非常な希望を持つておりまするから、この辺は誤解のないように一つ尚、今後共もう一度特段の御配慮を願います。
  55. 三好始

    ○三好始君 先程来、大蔵大臣の米価に対するお考を承つて、現在の米価は不当に安いものであつて、これを引上げなければいけない。こういうお考のようでありまして、我々は非常に意を強うするわけでありまして、是非その線で進めて頂きたいのであります。ところで問題が一つありますのは、生産価格はそれで極めて結構なんでありますが、消費者価格の問題なんであります。今日の米価生産者の立場から考えれば不当に安いと言われております。消費者の立場からは高過ぎるという意見もあるのであります。これは決して矛盾した意見ではなくして、生産価格と消費者価格との開きは余りに大き過ぎるという点から言えば、どちらも一理ある考え方だというふうにも言えるのであります。ところでこの開きはどういうところに基いておるかということをいろいろ調べて見ますというと、公団のマージンその他一応今日の状況においては当然に起つて来ておる中間経費もありますけれども、私達は何としましても不当であると考えておりますのは、食糧庁の事務費、人件費が加算されて今日の消費者価格が構成されておる。こういう不合理な状態はどうしても是正しなければいけない。こういう気持を持つのであります。この点につきましては、先般農林当局に意見を伺いますと、私は、今申したような考え方で大蔵当局とも折衝を進めておるような御答弁であつたと記憶いたしておるのでありますが、この点についての大蔵大臣のお考を承りたいのであります。
  56. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 生産価格を上げて消費者価格の上がるのをできるげけ抑えるようにすることが、この根本方針であるのであります。而して四千二百五十円の生産価格に対しまして、六千何ぼというこの差が多いのはどこにあるかということは、私は先程問題になりました超過供出のあれとか、早場米の奨励金、こういうものが一応ありますと同時に、これは倉敷料その他の必要経費もございましよう。又今までの食管会計で、インベントリー・ファイナンスと申しますか、運転資金の増加を或る程度消費者価格に入れておる。これもあるのであります。而して又御質問のありました経費の点もあると点と思います。で、大蔵省は従来からこの経費の節約につきましては、どこよりも強い孝でやつておりますから、今後におきましても、その消費者価格を少くする、成るべく低くすることにつきましては努力いたします。そして又今触れましたインベントリー・ファイナンスも日本経済が安定しましたならば、これも止めたい。できるだけ生産価格と消費者価格との差を少くする。これには倉敷料の節約とか、いろいろな手が打てると思うのであります。で、私は米価の問題について、もう一つ自分の考として申上げたいのは、米と麦との価格の差をうんとつけるべきだ、我々子供のときに、子供でなくとも若いときの米価に対しまして、差が五割から君側五分ぐらい、こういう状態であつたと思うのであります。外米と内地米を同じように売るとかいうことはこれはどうかと思います。そこで米価を上げることによつて消費者が非常にお困りになるという場合におきましては、私は友の値をある程度下げるべきだ。米は国際価格に対して相当下げてもまだ米は差の六十九ドルの国際価格に鞘寄せになりましよう。だから私は米は上げてその差をそれとして、消費者のことを考えたら、これは私の單なる私見ですが、麦について何とか手を打つべきだ、そうして生計費の上がることを防止する。今国民が同じように米と麦を食べるような立場になつておるのですが、この点私は日本の従来の生活様式から言つて考えなければならない点ではないが、米価或いは麦の値段についての一つの考えるべき点ではないかと今研究いなしております。
  57. 三好始

    ○三好始君 麦の対米市価の引下げの問題については、私は必ずしも大蔵大臣と同じ見解を持つておらないのでありますが、この点については本日触れることはやめておきますが、先程私が申しました食糧庁の事務費、人件費を米価の消費者価格の中に織り込んでおるのを外ずすべきであるという見解についての率直なお答を頂きたいのであります。
  58. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 簡約はしなければなりませんが、その費用を外ずしてそうしてどこから出すからという問題なんです。多分あなたは国庫の補助金でやれとこうおしやいましようが、私はそれはよくないことで、やはり特別会計というものは独立採算制で行くべきだ。でその金を補助する何かがあれば別でございますけれども、これは増税とか何んとかいつてやるということになりますれば、私は別の問題だと思います。で節約はしなければなりませんが、やめてしまうということはどうかと思います。
  59. 江田三郎

    ○江田三郎君 この米価をうんと上げてやろうという大蔵大臣としては誠によいお答でありまして、その辺どうも細かい問題があるわけでありまして、余り米価の問題について細かいことは大蔵大臣と議論しても仕方がないから、とにかく大いにしげるということは感謝いたしますが、この先程の土地所有権の取得及び維持に対する預金部資金を廻すことについては、従来こういうことは都道府県を通じてやる場合には関係方面の承認が要らない。若し異例の場合として要るとしたところで、大蔵大臣としては、これは了解され得ることだ、そうして大蔵大臣としては、これは速かにやりたい、こういうことだと解釈して差支ないわけですか。  それからその次にもう一つお伺いしたいことは、折角農村のためにいろいろ御理解のある御答弁を頂いたのでありますが、更にこの土地改良法に伴いまして相当の予算的措置をして行かなければならない筈であるのでありますが、そういう問題についてはどうお考えになつておるかということが一つ、それから農林中金の増資をやつたわけでありますが、あの増資につきましては、引受ける側の信連等といたしましては、増資と同時に農林中金法のいわゆる民主化、農林中金法の改正が條件となつておるのでありますが、この農林中金法の改正についてはどういう御用意があるか、この二つのことも序でにお聞かせ願いたいと思います。
  60. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 第一点は大体お話の通りでございます。只今あなたがお出でにならんときに預金部資金の運用につきましての問題が出ております。それは国と公共団体と食糧関係五公団にしか貸されておらない、こういうことになつております。昨年暮に一般金融機関に百億円の預託をしたのが唯一の例外であるのであります。国と地方公共団体公団、こういうことになりますと、この今農林省の方で考えておられる案は、公共団体、府県に貸すようになつておるからその枠内に入つて来る、こういうことなんであります。これは特別のことだから相談しなければならん、こういうことなのでありますから、あなたと私とは大体同じ意見だと御了解願いたいと思います。  次に土地改良その他につきましての経費は、私は財政の許す限り出しておる考えでありますし、今後も出す考えでおります。  次に農林中金の増資、先般四億円の増資をいたしました。然る場合におきまして、農林中金の民主化という声があつたと聞いておりまするが、具体的のことにつきましては私はまだ存じておりません。民主化は結構でございます。大いにやるべきだと考えております。
  61. 江田三郎

    ○江田三郎君 尚もう一つ、昨日、この報奨物資の損失の補填についての予算的な措置をする法案を出してありまして、これは参議院でも通過したわけでありますが、そのときにこの委員会におきましてこれと同時に農業協同組合が旧農業会から引継いだ資産の中に相当売行の困難なるもの、或いは不良資産等がありまして、そのために約五十億円の資金が寝ておる、そのために今後不良資金その他農協として貸金の必要なときに資金の円滑な運営ができなくなつておるわけでありまして、この農業会の引継資産という問題は、これは例えばその中の鎌だとか鍬だとかいうようなものは、当時食糧増産ということが非常にやかましくなりまして、地方自治体等で無理に農業会に持たしたような問題があつたわけでありまして、丁度報奨物資の問題と性質を同じくしておるものがあるわけなのであります。又これにつきましては農林省としても引継の承認をしたわけでありまして、その引継の承認をした農林省が、政府の方が引継の承認をしておいて、それが非常に不良部分であつて、そのために多額の資金が焦げついておるというようなことについては、やはりこれについて長期低利資金の融通をやつて頂きないということを希望條件にしたわけでありますが、こういうことについても何かお考えがございませんですか。
  62. 池田勇人

    ○国務大臣(池田勇人君) 昨年度の報奨物資の値下りによりまする損失につきましては、御審議願いました法律案によりまして、最近の機会に補正予算を組む考であります。これは大体五億六千五百万円の範囲内でやる、こういうことに相成ておるのであります。正確な金額はやはり今後検討して行きたいと考えております。  それから農業会が農業協同組合に引継いだところの不良資産の問題につきましては、これは前から聞いております。先の国会では七十億円くらいのものが要るだろう、いろいろな話を聞きまして、面接その交渉に当つておられます農林省に相当調査をして下さい、こう言つて依頼して、その点審議を重ねておるわけでございます。どれだけのものになりますか、どういう内容のもので、どれだけの金額になりますか、それを検討してからやろうと思つております。
  63. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) 大体大蔵大臣の御出席予定の時間になりましたので、大蔵大臣に対する質疑はこれを以ちまして終了することにして御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  64. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) それではどうもありがとうございました。   —————————————
  65. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) それでは引続きまして証人の証言を得たいと思いますが、大変時間も遅くなりましたので、一つ恐縮でございますが、成るたけ簡單にお願いしたいと存じます。それでは大森さん。
  66. 大森眞一郎

    証人(大森眞一郎君) それでは小作料、その他の問題につきまして、大体小作料或いは地価の問題を中心といたしまして、農民の立場から申上げてみたいと存ずるのであます。  政府の今回の改正案に対しまする提案の理由その他について詳細を知ることができなかつたのでありますが、大体説明資料を中心といたしまして、先ず我々農民側といたしまして、疑義を持つ点を指摘いたしまして、最後に若干私見を申述べたいというふうに考えておる次第であります。  先ず小作料の取扱の原則について、政府の説明資料で申されておりますることは、小作料の統制基準は、定められた米価と、米の生産費とを対比して、小作農が再生産を阻害せず支拂い得る額を限度として合理的に決定する、こう申しておるのでありますが、この言葉自体から申しまするというと誠に結構でございます。ただ併しながら私共は率直にこの言葉をそのまま受取り難い点があるのでありまして、我我は次の諸点に疑点を持つ者であります。先ず疑義の第一点といたしましては、説明資料は、小作農が再生産を阻害せずに支拂い得る額を限度として小作料を決定すると申しておるのでありまして、その前提になるのは、米価と、米の生産費とを睨み合せて、これが再生産を阻害しないという前提に立つておると思うのであります。そういたしますると、この考の前提になるのは、やはり現在の米価というものが適正な額で支拂われておるということが前提になつておると思うのであります。その点について、私共は疑義を持つておるのであります。これは米価決定の経過を見ましても、こういう現在我々か再生産費を賄つておる、償つておるというようなことは考えられないのでありまして、昨年度の米価決定の経緯を簡明に申上げますると、我々が当初米価審議会において要求いたしましたところは、我々の計算におきましては、原單位計算基礎として主張いたしましたのでありますが、この石当りの額は五千九百九十三円九十四銭であります。又農林省食糧庁が、これは企画課の試案として提示されました原單位計算におきましても、四千七百十四円四十九銭という数字を出しておるのであります。併しながら私共はいろいろと経済の面、消費者価格の面、それらを考慮いたしまして、最後に妥結いたしました審議会案といたしましては、超過供出代金三倍を二倍に切下げ、一倍分を基本米価に織込んで、而も尚これも四千七百円の線で抑えたのでありますが、この審議会の答申案に対しまして、政府が最終決定を下しましたのは、申すまでもなく四千二百五十円であります。即ちこれまでの政府の計算でも四千七百十四円四十九銭という数字を出して置いて、更にこれが四千二百五十円と決定して、再生産が償い得るとは私共考えられないのであります。その点が我々として疑義を持つ点であります。又現在の米価が真実に生産費を償い、更に再生産費を償わないということが、これは單に私共の一方的見解でないのであります。これは先般開かれました麦価決定におきまする米価審議会の席上において、暗示的に述べられました安本側の主張におきましても、すでに現在ではこの価格パリテイ方式では十分に生産費を償い得ないという結論になつておるやに感じられるのであります。現在におきましては価格算定方式に対しての疑義がありまする観点から、現在所得パリテイ方式の研究を進めておるというのが実情てあろうと思うのであります。又もう一つ。これは安本次長も申されておつたのでありまするが、今の農民の実情を見ますると、農家経済が行き詰つておるばかりでなく、農業経営自体が縮小傾向にある。こういう事態から農家所得は急激に激減する傾向にあるということを重点といたしまして、これを論拠といたしまして、パリティ指数で算出された価格に更にアルファーを加えても米価を一定線で維持しようという動きがあるのであります。こういう考え方が出て来ておるのであります。従つてこの見解、私共が今日の米価というものが真実に我々の生産費を償い得ないものであるということは私共の一方的な見解でないということを申上げらるると思うのであります。以上が大体疑義の第一点であります。  疑義の第二点といたしましては、政府は米価決定に当つては、我々の要求を蹴つて、原單位計算を指定いたして、パリティ方式のみを採つておるのであります。勿論パリティ方式と原單位計算方式によりましては、いろいろ情勢の変化によりまして、いわゆるインフレの昂進期であるか、後退期であるかによりまして、必ずしも一つにのみより得ないと思うのでありまするが、少くも価格パリティ方式のみによつて決定するという方式を固執することは私共としては不満であるのでありまするけれども、いずれにいたしましても米価決定ではパリテイ方式を採る。而して小作料の決定については原單位計算を探る。こういう方式を採られておるのであります。そしてこの説明資料では合理的に決定するというておるのでありまするから、この合理性の基礎を原單位計算に置いておるということは私が申上げるまでもないと思うのであります。こういうふうに二つの計管方式が採られておる。更に原單位計算に対しましての非難の点はいろいろありますが、大体において検査が多いということを挙げております。又調査戸数が少いということも挙げておる。又労賃計算に私営的な要素が多いということ、この三点、更にいろいろありますが、主だつた点はそういう点を挙げまして、これを基礎といたしまして原單位計算の非科学性を指摘いたしておるのでありますが、これはやはり原單位計算を以て小作料を決定する。このような問題によりまして、その計算基礎が変るという点に私は多少の疑義を持つものであります。更に地方税の関係を見ましても、やはりこの決定は我々といたしましてはこの決定に……自作農創設特別措置法の第六條に規定する対価を基礎としてこれを二二・五倍するという考え方でありますが、やはり土地に対しても、私共は收益価格を採るべきであるという考えを持つのであります。こういう点におきまして、全体といたしまして、ばらばらな形の計算方式が基礎になつて、総合目的に思索されるべきものがばらばらになつておるのでなかろうかと、こういう点が私共の疑義の第二点であります。  次に説明資料によりますると、基礎となりました原單位計算につきまして、二、三私共の疑点とするところを申上げてみたいと思うのであります。原單位計算におきましては、現在までに私共の手に入りましたのは、昨年の米価審議会において、食糧庁の企画課試案として提示されたもの、今回の農地課の資料、こういうふうに見られるのでありますが、両者を比較いたしますると、種子費、肥料費、薬剤費は同額であります。諸材料費が若干異なりまして、百二十五円と五十八銭というのが食糧庁の案であります。小農具、大農具、建物費、労力費が同額であり、畜力費も同額であります。そして公課の面では小作料の決定がありまするので、租税を拔いたと思うのでありますが、これが差額が一千三百三十玉円五十銭という差額があります。この差額は恐らく租税部分として拔いてあると思うのであります。更に資本利子におきまして、二十六円三十五銭の開きを示しております。小作費におきましては、これは新しく七倍の小作料が出ております。原案では十三円という数字でありまするから、ここにやはり開きがあるのであります。総体としては同一資料に基いておると思うのであります。ただ私共の考えておる原單位計算におきましては、これと非常に開きがあるのであります。時間の関係もございましようから、細かい数字は省略いたしますが、量も大きく開いておるのは労力費であります。これは食糧庁の計算では五千三百六十九円四十六銭でありまするか、私共の計算では六千三百八十七円と九十二銭、その開きの出た原因は、労力費の計算方式が我我と官庁側との喰い違いでありまして、これは私共の計算では労力の投下時間における作業別労力を計算しまして出しておるのであります。農林省側では、この点につきましては平均労賃基礎にして換算しておりますので、これだけの差があるのであります。従つて資本利子の面に相違がありまして、その額が六百七十二円と六十二銭という開きがあるのでありますが、これは当然労力費、その他の数字の相違から来る問題であります。  私はここでこの点で申上げたいのは、この資料におきまして、我々の考え方違つておるから信憑性がないという主張ではないのでありまして、尚その計算基礎になる原單位計算にも、細部に亘つて検討の余地があるということを申上げたいのであります。殊にこの基礎になりました資料は、どの農家層を採つたかという問題が残るのでありますが、政府側の案によりますれば、いずれも三石五斗一升の收量を挙げておるのであります。我々の計算では二石四斗六升五合であります。而も我々の取つた調査資料も、要するに平均耕作面積は一町三反を上廻る上唐農家を採つておるのであります。そうして同じく石数收量におきましても、昭和二十三年度の全国平均というものは反当收量二石一斗五升であります。従つて非常に收量も上廻つておるし、恐らく平均耕作反別はここに掲げてありませんが、上層農家基礎として採つておると考えれらるのであります。こういう点から考えますると、やはりこれで計算されて出た数字を、生のまま直ぐ小作料の、政府の決定する小作料基礎にするということに、私共は疑点を持たざるを得ないのであります。午前中の近藤先生のお話のにもあつたように、やはり小作料の決定というものは、單に上層農家基礎とした数字、而もその收量も非常に多い收量でありまするから、一般の耕作農家を中心として考えますれば、この生産費はもつと高い生産費が出なければならんと思うのでありまして、こういう面から見まして更に限界生産費の考え方を加えて考えますれば、もつとこの数年に加減しなければならぬというふうに考えられるのであります。殊に我我農民の側から見ますれば、理論上の問題ではいろいろ議論のあるところであろうと思うのでありますけれども、現在の実情から申しまして、農家の租税の負担部分というものが非常に高騰いたしております。ここで先程申しましたようは千二百三十五円五十銭という大きな租税負担部分かあるのでありまするから、これらを何ら勘案することなしに小作料を決定するということには、私共十分疑念を持つのであります。これに農林省統計によりましても、昭和九年——十一年の平均に対しまして、二十三年では農家所得が百十六倍、租税負担が三百十三倍、公課が三百七十七倍というような大きな数字の開きを示しているのでありまするから、この点から考えましても、農家負担の部分を考慮なしに小作料を決定するということは、私共に單なる收益計算だけから見るのでなく、一つの政策からして考える場合は十分考慮の余地がある、こういうことを申上げたいのであります。  次に農地価格についてでありまするが、この点は小作料とやはり同じでありまして、これを單に形式的措置として七倍に引上げるという政府原案のようでありまするが、私共は原則としては、農地改革につきましても收益価格基礎として決定すべきであるという孝でいるのであります。すでは我々として今申上げましたような点でいろいろ疑義のありまする小作料基礎にいたしまして、單に機械的に七倍に引上げるという原案でございまするが、この点には同様に疑義を持たざるを得ないと思うのであります。  尚政府の説明資料の前段では、改正法律施行後は新しい改訂価格によつて農地の強制譲渡を行うべきである、こういうふうな規定をしているのでありまして、何故改訂価格で譲渡しなければならないのか、その点を私共は先ず問題にすべきでなかろうかと思うのでありますが、これは七倍値上げの前提條件ではないと思うのでありまするが、説明資料ではそういうふうなお考があるのでなかろうかと解決されるのであります。これは農地改革に当りまして、勿論政府としては有償買收の方針は採つたのでありますが、買收価格は決して物価の変動につれて変動するところの時価主義を採つているのではないということは、午前中の近藤先生の説明でも明かなところであります。従つて私共は価格の改訂がなければ買收の計画はできないというような前提から、七倍値上げというものを直ちに合理的であるように説明されている説明資料の取扱い方に対しまして、疑念を持つ次第であります。で我々から素直に申しますれば、農民側の率直な素朴な気持としては、現状のままで現行価格で買收しても差支ないのではなかろうかというふうに感ぜられる次第であります。  次に小作料の七倍値上げの農家経済に及ぼす影響の点について、説明資料について若干私共の感想を申述べさせて頂きたいと思うのであります。説明資料によりますると、農地改革後において残存する小作地は、全耕地の一割未満だから、小作料を引上げても影響はないというようなお考のようであります。この点に私共は疑義を持つのでありまするが、農地改革後において残存する小作地が非常に少いから問題がないのでなくて、この小作制度そのものについて、この小作料を値上げすることによつて果してこれが旧来のような地主的な土地所有制度というものが復活する危険があるかないかという点を私共は考えなければならんのじやないかと思うのであります。そういう点についてもう一段と考慮する余地がある。私共の率直な感想から申しますれば、どうも最近の傾向といたしましては、農地改革の基本的な立場というものが、漸次失われているような感じを農民側としては強く受けさせられるのであります。申上げるまでもなく、農地改革についての覚書の基礎は、要するに現在我が国の農業構造が長い間領主的に馴らしめられておりました諸種の原因の根拠を芟除するということが重要な目的である。その重要な原因として認められるのは、零細な経営と不利な小作條件にあるところの小作農が、確かに存在するというところにあつたと思うのであります。こういう点から見まして、今回の改正案は、農地改革によつて達成された成果を恒久的に保持するということを主眼としておるというのでありまするから、若しこれを、その成果を恒久的に保持するというのならば、結局これに前述いたしました農地改革の主要眼目を沒却しない、それを意味しているという点にあろうかと思うのであります。即ち寄生的な地主制度というものは、できるだけこれを排除し、そうして正しい自作農を作り上げ、同時に自作農が現在小作農に転落する傾向にありまするが、この小作農への転落を防止する、その二点が重点になければならんかと存ずるのであります。これは全体に亘つての思想でありませんから、意見を徴されているのでありませんから、改正案のその他の部分については深く申上げませんが、大体において政府が今後農地改革の成果を保持して行くとするならば、現状から申しましても、政府は尚強くこれに干興して行かなければならんと思うのでありまするが、今回の改正案では、政府は肩を脱いで、結局農地委員会は一部参画いたしまするけれども、当事者間の自由売買ということが基礎になつているのでありまするが、この点について我々としては深く疑念を持つ次第であります。要するに政府がもつと積極的に不正売買を排し、闇売買を抑え、そうして農地改革の成果を尚一段と挙げなければならん立場にありながら、却つて政府は強制買收をやらないというような制度の変革を見るというのも、一つは私共から極言するといたしまするならば、農地改革に逆行するという方向へ馴致する危険がありはせんか、こういうふうにも考えられるのであります。これは農民側の一方的な感想かも知れませんが、諸般の事情を考慮して、そういうことも我々としては感じられるということを申上げたいのであります。  いろいろの点はありまするが、省略いたしまして、最後にこの考え方基礎になつておりまする第二点は、現在の小作料の水準を一般物価の水準に比して非常に低い、だから小作料は値上げしてもいいという考え方が背後にあるように思うのでありまするが、やはり現在の農地は勿論統制されておりまして、売買等においても制約を受けるものでありますから、結局これは單なる自由商品でないのであります。殊にこれが投機の対象になるような形にすることは、私共農地改革の意義を根本的に没却するものと感じられまするので、一般物価の水準と土地価格なり或いは小作料というものを必ずマッチさせなければならんという考え方には反対いたさなければならんと存ずる次第であります。  最後に説明資料の中に挙げられておりまする数字でございまするが、私も時間がありませんので、具体的に検討をすることができなかつたのでありまするが、この資料の小では、大体経営耕作地が九反九畝で、うち小作地が八畝に過ぎない。これは全国平均を挙げておると思うのでありまするが、それだからその農家経済に及ぼす影響は軽微であると断定されておるのでありまするが、私はこの数字は平均数字でありまして、これでは農家経済に及ぼす影響実態は掌握できないと思うのであります。少くも経営規模別、階層別、更に地帶別にこの数字を挙げまして、比較検討して初めてどの層に一番重く影響するか、どの属には影響が少いかということが、出て来るのではなかろうかと思うのであります。殊にこの農家経済調査はサムプル調査でありまするし、サムプル調査の採り方も、これは各階層を平均に採つておるのでありまして、その間、下層農民の数字というものは具体的に私は反映せず、上層農家の数字がウエイトとしては重く出て来るように感じられるのでありまするから、そういう点から見ましても、ただこの平均数字だけで、これを根拠にいたしまして影響が少い、極めて軽微であるという考え方から、今回の七倍案を決定されるといたすならば、我々としては甚だ不満であると言わざるを得ないのであります。以上大体疑点を二、三指摘いたしましたが、結論的に私共の考え方を二、三の点について申上げて見たいと思うのであります。今回の小作料値上げの問題は、殊に七倍値上げというのは、私共この前から聞いておる点でありまして、今回現在の税制改革や、その他の農家経済に及ぼす影響、或いは農家経済の今日の趨勢、こういうものを具体的に検討した上で出された案ではなかろうかと存ずるのであります。その点が私共は、もう少し現在の農民の具体的な経済内容や、或いは農家経済の推移状況にもマッチさせた形でこの案が出されて然るべきでなかつたかということを感じられるのでありますが、この率の点におきましても、七倍というのはすでに今日の数字でなく、可なり古い数字を基礎にしておられる点に私共はもう一度御一考を頂きたいと思うところであります。大体におきまして、これは実際的な問題でありまするが、これは小作料が安いので地主が固定資産税も抑えん、それだからというような点も一部にはあつたかと思うのであります。もう一つは、物価水準が上つているのだから、小作料も上げなければならん。こういうような点が、大体本案を提出される動機の一つにはなつておると思うのでありまするが、第一の点につきましては、成程そういう面も十分ありまするが、私共も、農地改革の途上におきましては、地主諸君のいろいろ相談も受けたのでありまするが、試に個々農家に当りましては、そういう地主におきましても、非常に苦痛のある点はあろうかと思うのでありますけれども、全体として農地改革の線から言いまするならば、こういう犠牲については、私は止むを得ない犠牲であると思うのであります。こういう犠牲を地主に負わせるということ、これは一方的には考えられませんが、それならば政府において別途にこれは考慮すべき点ではなかろうかと存ずるのであります。殊に現在では、水利費の負担が地主に重いというのでありまするが、これは聞き及ぶところによりますと、北海道におきましても、水利費の問題は、小作人と地主との間で十分いろいろな現地処理をやつておるのが実情のようでありますので、私は水利費の問題は、これは現地解決で是正できるというふうに考えておるのであります。殊に小作料に引合わないところの固定資産税がかかる、その他の租税がかかるといたしますれば、これは税制の方を是非共改革して頂きたいというのが、我々の希望意見であります。  それから小作地の問題につきましては、やはりこれは投機対象になるような一般の物件と同じような考え方を探るべきでなく、やはり小作地というものは、小作地から收益を挙げるという考え方は、農地改革の基本的な立場からいたしますれば、これは止めなければならない考え方であろうかと存ずるのであります。即ち、土地を持つていても不利であるという点については、これは十分政府も考慮すべきでありまするが、ただ併しながら、小作地から利潤を得るという形が出て参りまするならば、これはやはり将来におきましては、現在の農家経済が段々窮屈になりますれば、或いは一部には、土地の兼併というような問題も起ろうかと思うのであります。現祖では、土地の兼併というものは一般にはなく、北海道或いは九州の一部というような地方に見られる傾向のようでありまするが、併しながら現在では、これは午前中にもお話があつたように、耕作農民の手から非農民の飯米確保のため、或いはその他の非農民的なものに多く流れて行くという傾向は、我々の灰関するところでも多いのでありまするから、そういう点から、本当に耕作できる農民の手から非生産的な人達の手に耕地が渡るという危険を十分蔵しておると思うのであります。こういう点から申しましても、私共は小作地につきましては、小作地から收益を挙げるのでないということを原則的な立場としてお考え頂きたいのであります。  更に私共の考えておるところは、要するに農地改革の成果を確保するというならば、土地の効率的な利用ということが前提になるべきでありまして、従つて、この点から行きますれば、徒らに私は自由売買の制度を開きまして、そうして土地の異動が自由になるということは、むしろ危険であるというふうに感ぜられるのであります。と申しまするのは、いろいろな数字的な基礎は、今直ちに申上げられませんが、要するに土地所有権が移動せなくも、その村なり部落なりにおいて、土地の余つた人、労力の余つた人に対しましては、農地委員会土地管理権が強化されて参りまするならば、耕作能力のある人にこれを一時的に貸付けるという制度も採り得ると考えられるのであります。現在の農地委員会でも、運行上では必ずしもできない線ではないと思うのでありまして、こういう形で土地の移動というものを自由にすれば、金のある者がどんどん買つてしまつて、これは結局におきまして、土地を効率的に利用するという点が可なり出て来ると思うのであります。土地はやはり最も有効に使い得る農民、真の耕作農民の手に確保するという線でこの改革を進めて頂きたいと附帶して申上げたいのであります。  時間の点もあろうかと存じまするので、簡單にそれだけ申上げて私の証言を終ります。
  67. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) どうも有難うございました、只今の大森さんの証言に対して御質問はございませんか。御質問はないものと認めます。それでは大森さんどうも大変ありがとうございました。   —————————————
  68. 片柳眞吉

    ○片柳眞吉君 まだ質問が大分あると思いまするが、農林当局の方でも関係筋ともいろいろお話もしておると思いますが、暫時休憩いたしまして農林当局と懇談をいたすようなことはどうでしようか。お諮り願いたいと思います。
  69. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) 只今片柳さんから農林当局と暫時休憩して懇談したいという御発議があつたのでありますが、これを如何取計いますか。よろしゆうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  70. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) それでは一時休憩いたします。    午後四時四十一分休憩    —————・—————    午後五時十九分開会
  71. 岡田宗司

    委員長岡田宗司君) 只今より再会いたします。本日はこの程度で散会いたします。    午後五時二十分散会  出席者は左の通り。    委員長     岡田 宗司君    理事            西山 龜七君            片柳 眞吉君            岩男 仁藏君            岡村文四郎君    委員           池田宇右衞門君            白波瀬米吉君            瀧井治三郎君            土屋 俊三君            平沼彌太郎君            江田 三郎君            小林 孝平君            三橋八次郎君            三輪 貞治君            赤澤 與仁君            飯島連次郎君            加賀  操君            溝口 三郎君            三好  始君            三浦 辰雄君   国務大臣    大 蔵 大 臣 池田 勇人君   証人    東京大学教授  近藤 康男君    日本農民組合事    務局長     大森眞一郎君