○吉川末次郎君 前に来られた教育使節団の中からセレクトされた人が少数見えておるという
お話で、更に前の使節団と同様なまあ顔触れ、構成というようなものも承わりたいのですが、もう少し長くなりますから省略いたしますが、大体今の
お話から類推して考えられると思うのです。それでこれは私の單なる、特に相馬さんのようにその問題を深く具体的に研究したわけじやありませんが、極く大まかに素人考えですが、要するに職業的教育家が見えておるのですね。それでいずれの行政の面においてもそれぞれその
方面の專門家が見えると、結局專門家というものはやはり專門だけを考えている。だからして自己のスペツシヤリテイーの面だけを、外との関連性においてものを考えないで、そしてその点を絶対的な第一義的なものとして考えてですね、そして
意見を言うのはこれはまあ人間の通有性だろうと思うのです。
従つてそういう職業的教育家によ
つて構成されたる使節団のレポート或いはレコンメンデーシヨンというものは、恐らく私はそうした專門家の一面的な見解に偏した点が非常にあ
つて、そうして
地方行政或いは国家行政の全部、まあ全面的な考察から離れてその外のブランチとの相関性というものを多少無規したようなレポーター或はレコンメンデーシヨンを出し勝ちになる傾向は私はあるだろうと思うのです。そういうことがらしてこの
報告書或いはレコンメンデーシヨン或いはその前の六・三制実施の動機をなした米国教育使節団の勧告書というようなものも、そうした今私が指摘したような欠陷を内包しているのじやないかというまあ杞憂持つんですがね。單なる杞憂であることを望むわけですが、勿論この今の
報告書の中に出ているような教育を非常に重視する、それから教育費を全くパブリツク・エキスペンスで支弁するということは僕は大賛成です。又私の所属しておる政党の立場からしても、全く我々が主張したいことを
言つてくれておるから大賛成なんですが、そこにさつき言
つたようなやはり一面的な專門家の偏見、と言うことは非常に語弊がありますが、全面的でない見方というものが非常に支配的でなかつたか。アメリカのパブリツク・スクールは、勿論これに書いてあるように小学校及びハイ・スクール、並びに法律の大学までも大体授業料はただであ
つて、例えばニユーヨークであればニユーヨークシテイ・カレツジというものがありますが、それも授業料はただであります。それから女学生の
ためにはシテイ・ハンタース・カレツジというものがあります。私もハンタース・カレツジに夏休にドイツ語を習いに行つたことがありますが、教科書は皆ただであります。それは非常に結構なことで、そういうように我々社会
一般の者が是非しなくちやならんと
思つておりますが、それは併し非常にそういうことに金をふんだんに使うことができるところの、非常にリツチであるアメリカとこの戰後の疲弊困憊している乞食のような日本とは、経済
状態が非常に違うのだと僕は思うのです。ところが教育第一主義ということは非常に必要なんだ。ところが恐らくは土木建築の従事者から言えば、都市の復興が大切であるとか、或いは治水をやることが第一だとか何とか言うでしよう。農業專門家が来れば、農業
方面のことが第一だと言うでしようし、それは日本の置かれておる経済力や政治
関係と非常に違
つて考えての
意見が提出され、それが
実行されなければ非常に工合が惡いのじやないかと思います。六・三制の実施にも無論賛成であるし、教育制度の改革も決して反対ではありませんが、この国力全部が経済的に疲弊し、殊に
地方自治体の
財政力が困窮していると思うのです。非常にドラステイツクな教育制度の改正を強制したというところに非常な困惑というものを感じていはしないかという極く表見的な、私は素人考えであるかと思われますが、そういうことを非常に感ずるのですがそういうことについてどういうようにお考えにな
つているか。それからそれと同じように、何か
現実とアメリカのそういう職業的教育家の
意見等の間に、何と言いますか、
現実と
意見との間の実際上の乖離
状態がいろいろなことに
相当あるのじやないか。これは小さな問題かも知れないのですが、この学校の名称の問題のごときは日本では大学と中学と小学という。ところが英語ではそれを何と言うかといえば、日本の大学というのはユニバーシテイ・カレツジという言葉だと思うのですが、ところがそのユニバーシテイというのは間違
つているかも知れませんが、無学だから……大体ユニバースという組合というような言葉から来たように記憶している。カレツジというのもやはり仲間というような言葉から来たのじやないか、コーリギユーというような言葉から……。ところが日本の大学という言葉は大きな学校、大なる学校というのだが、これを逐語的に飜訳するならばビツク・スクールとかグレート・スクールとかいうふうに訳さなければならない。それからそれに準じてこれは漢語をそのまま使
つているから大の次は中だから中学校、これは英語にもミドル・スクールというがこれはアメリカ語ではなく英語だと思います。それから小学校という言葉を訳しますと、スモール・スクールとかリツトル・スクールということを言わなければならんと思う。ところが日本人は大学というとグレート・スクールのように
思つている。なんか非常にハイエスト・スクールのように
思つているのが日本人の言葉から来る印象だと思う。それは同様のことが官職の名称についても言えると思う。そしてアメリカ人が観念しているのと日本人が観念していることが、言葉の上から非常に違つたコンセプシヨヨンをお互いに抱いているのにアメリカ人に一向それが分
つていない。例えば憲法上における大臣という言葉は、これは明らかに左大臣、右大臣というような、大きな家来ということなんです。デモクラシーということから言えば大きな家来、中くらいな家来、小さな家来だのそんな馬鹿なことはない。これは支那人の專制政治から来る言葉なんです。ところが日本の民主的な憲法がやはり大臣という言葉を使
つている。日本人は皆そういう專制政治の思想で以て昔の右大臣、左大臣というと、大きな家来だと思うものだから、俺は小さな家来でなくて大きな家来になろうと、こういうようなことを考えるものだから、何でもかんでも政治家に
なつたら大臣にならなければならない。デスポテイズムの思想ですから、これはこういう観念が変らなければデモクラシーは生まれて来ない。ところが民主主義的な憲法であると
言つている日本の憲法は、大臣、総理大臣というようなことを
言つて雛人形のような右大臣、左大臣と同じような言葉を使
つている。ところが恐らくはこれは英語で書くときにはミニスターというような言葉を
言つて行くに決
つている。ミニスターという言葉にも家来という
意味はありますが、坊さんをミニスターという。普通ミニスターと言えば、何も日本人が考えているような右大臣、左大臣的な大臣だろうとは僕は
思つていない。だからしてそれは英語で飜訳の言葉だけで見るものだから、新憲法はデモクラシーであると
思つているけれども、その言葉自身から変
つて来なければ駄目なんです。ところが今言
つたような
意味においての、グレート・スクールのような
意味においての大学というような言葉が遺存されているものだから、今の新しい教育制度におけるところの大学というものに対する観念と、向うが考えているところのユニバーシテイ・カレツジというものと違つたコンセプシヨンのものにな
つて、そうしてそういう違つた考えで以てこういう
意見書が作られているところに非常に観念上の相違があると思う。カレツジという日本人の右大臣、左大臣的な
意味と共通するところの大学という問題、これは大学というものはともかく偉いように
思つている。だからあんな変なような角帽みたいなものを被
つて、而もその大学というものは、初めは帝国大学だけであ
つて、帝国大学というものは役人の養成所として作られたものです。そうして又非常に偉いものだというようにとられて、日本の教育界及び学界のいろいろな力というものを独占していたものだから、それに対抗してできた私学というものが実に権力がありません。教育上においても権力がないし、日本の学閥に支配せられてしま
つて非常にミゼラブルな
関係に置かれている。例えて言えば最近まで帝国大学以外には学位の授與権は認められていなかつた。だからして博士にでもなろうと思う奴は帝国大学へ論文出すか、帝国大学の先生の鼻息窺わなければ博士にもなれやしないからして、そんなことで帝国大学の学風に如何にして近接するかということばかり考えて、本当に私学というものが持つべき、
一つの学風に対する独自性という、早稻田の校歌で言えば学問の独立というもの、私学の明治大学というような神田にある私立大学は、帝国大学の先生が学問の切り売りの出張で講習会みたいなものをや
つているものから発達している。そんなようなわけで、ともかく大学というのだから実に日本の大学という言葉は、これに代る言葉がないからそれを使うよりしようがないんだが、ミニスターという言葉を向うが何とも思わずに大臣と新憲法に入れるのを許しているように、大学という変な言葉をカレツジとかユニバーシテイとかいうように英語に訳して向うに持
つて行かれることによ
つて、そういうような観念上の乖離を来している。その結果が、大臣というものが民主主義を標傍しているところの憲法の中に、依然として挿入されているように、この向うのレコンメンデーシヨンの中にも日本人が考えてみると、違う
意味で、向うがカレツジやユニバーシテイの教育の構成どいうことを
言つているにも拘わらず、非常な観念上の乖離と、それから結果するところの高等教育制度に対する非常な誤りが成立してやしないかということを考えるのだが、そういうことについて
一つどうでございましよう、文部省当局の考えは。政治的責任は負うてないかも知れんが、あなたも文部省の課長としてエクスパートなんだから……。