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1950-11-13 第8回国会 参議院 建設委員会 閉会後第7号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十一月十三日(月曜日)    午前十時三十三分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○建設省その他の建設事業に関する調  査の件  (治水及び利水技術に関して証人の  証言あり)   —————————————
  2. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) これから本日の委員会を開きます。  委員の方にお諮りいたしますが、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律の第三條によりますと、宣誓を行う場合には、証人宣誓書を朗読させまして、且つこれに署名捺印させることになつておりますが、すでに私の手許に署名捺印宣誓書が参つておりますので、宣誓書の朗話を省略いたしたいと思いますが、御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 次にお諮りいたします。  本日秋葉、野間、石原、萩原、平井の諸君を証人にいたしましたが、この中で平井彌之助君は止むを得ない用事がありまして、その代りに吉田榮延君の答弁を許すことに差支えありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  4. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 次に、石原藤次郎君もこれも止むを得ない用事がありまして出席できませんが、この点御了承願います。ではこれから運びます。  本日は主として水を利用する観点から各証人の御意見を承りたいと思います。先ず第一に秋葉満壽次君の御発言を願います。どうか着席のまま願います。
  5. 秋葉滿壽次

    証人秋葉滿壽次君) では坐つたままお答え申上げることにいたします。今日ここに出頭いたしました目的がどういうところにあるかということが私ははつきり分かりませんので、御通知を受けました水利治水技術的、殊に私の專門とする農業水利立場から存じのよりを概括的に申上げたいと存じております。尚具体的な点はいろいろありましようが、時間の都合とか或いは又私一身上の関係からいたしまして、具体的な点は成るべく省きまして概括的、抽象的なことを申上げたいと思つております。  日本水利事業が現在十分な効果を挙げ得ないというような批評を耳にするのでありますが、これはいろいろの方面から理由があるものだろうと私は考えております。その一つには、気象的な大きな変換期に来ておるのではないか、即ち雨量が非常に多くなつて来ておる。これは統計上そういうことも言えるのであります。又一方、観測所の数が殖えて山の上まで観測所が設けられた結果、多いところが記録に上つて来るので、絶対的な雨量は殖えてはおらないだろうという意見各所に出ておるようでありまするが、併し気温とかその他の変換度合を見ますると、どうしてもやはり気候的な変化がきておるのだろう。こういうところに治水的技術を困難ならしめる一つ原因があるのだろうと考えております。  それからその他の一つ方面といたしましては治水技術と経済的な予算面との関係、これは治水技術を遂行するに当りまして大きな制約を與えるものだろうと考えております。それから第三といたしまして、治水技術あり方という点に一考を要すべき点があるのではないかこういうふうに考えております。私は今申上げまし左三つのうち経済的な面にちよつと触れまして、技術あり方につきまして、ここで申上げたいと思つております。現下の日本におきましては特に治水関係のみでなく、予算の点におきまして非常に困難な立場にあるのでありまするから、特にこの治水関係にだけ十分な予算を出すということは不可能なことであります。従つてこの予算の不十分な事情の下に技術を万遍なく理想的に動かさなくてはならない、こういうことになるのであります。見まするというと、現在災害復旧に手一杯のようでありまして、その根本的な治水的な対策を十分立てるということは現在のところ殆んど行つておらないのでありまして、このように根本的な治水対策、即ち原因を十分追及してこれを治めないで被害を受けた、その結果の現象にのみこだわらなくてはならないような現状であります。従つてその結果災害復旧というようなことだけに何度巨費を投じても、やはり同じような雨を繰返えすとなりますると、同じことを繰返えさなくてはならないのであります。で、昨年度までは聞くところによりまするというと、災害復旧はどこまでも復旧であつて改良を絶対許さなかつたようなことが行われていたのであるのでありますが、併し本年度からは一部改良を許すことになつたというようなことを聞いております。確かにこれは一歩前進いたしまして、復旧だけでなく、更にその根本を改めようとするところに入つた進歩であるだろうと考えておりますが、併しこれももつと私は改良の点を大幅に考える必要があるだろうと思うのであります。併しこの今年度の復旧改良を許すというその補助規程農地復旧改良にはまだ決つておらないようなことを聞いております。従つてこれなども速やかにその可否を検討いたしまして、災害復旧ばかりでなく、その原因の一部をも究め治めるような改良方面を考慮しなくてはならないだろうと考えておるのであります。と同時に河川とか山林とか農地を問わず、災害復旧補助費節約図つて漸次根本的改良改修の線に沿つて行くように向けなくてはならないだろうと考えておるのであります。この場合も先程申上げましたように十分な予算が望まれない、そういうところに根本的改良改修に入つて行くということは非常に困難なことでありますからして、全国的に見て災害地域性を明らかにいたしまして、そのうち重大なものから重点的に地域総合計画を樹立して、おいおいこれを実行に移し、そうして解決して行かなくては、例の予算総花式の分配では百年続けても解決はつかないものではないだろうかと考えておるのであります。災害復旧補助費の一半は次に技術の点で申上げるように、地元の力を借りまして、或る程度私は節約ができるのではないか、こういうように考えておるのであります。今申上げましたように治水技術遂行には非常に現在経済的な制約を受けて困難な立場にあるということが、現在の災害を治め得ない一つ原因であるだろうと考えております。従つて繰返すようでありまするが、成るべく根本的な改修改良に早く向つて行かなくてはなりませんからしてそれには災害復旧に伴なうところの改良工事も相当認めて災害復旧補助費節約を図り、然る後重点的な地域総合計画実行によつて歩一歩目的に進むのがいいのではないか、こういうふうに考えております。  以上は経済的に絡んだところの技術でありまするけれども、更に技術そのものあり方から私は尚一言申上げたいと考えております。言い換えまするというと、治水利水技術に再考を要すべきいろいろな点があるのでありまして、これを全部具体的に申上げることはできませんから、概括的に抽象的に申し上げることにいたしたいと思つております。  先ず治水利水技術セクト主義を脱却いたしまして、治水一本に総合的にまとまらなくてはならないだろうと考えております。この治水一本ということは、この治水中心に各專門技術者が省か庁に一つにまとまるというように形式的なことではないのでありまして、セクト主義技術者の根性を根本的から叩き直すということが私は一番大切だろうと考えております。各專門自分セクトに閉じ籠つておりますれば、一省に集つて、省とか何とかその他の係官の間に必ず一つセクトを形成するものであります。これが治水一本に根本的にまとまるということは非常に困難なことでありまして、この事実は現在各省の内部を御覽下さいましても或る程度了解できるのではないかと考えております。このような技術者の精神的な面を解決いたしまして、治水一本にまとまるということが現下非常に必要なことだろうと考えております。尚、次に治水場所的に見ても時間的に見ても総合技術であることを認めなくてはならないのでありまして、先ず場所的に見まするというと、治水河川のみでなく、又河川中心となるべきものでもなく、流域全体の水の処置に中心を置きまして、いわゆる従来の河川治水から流域治水に移るべき現状にあるかと考えておるのであります。これは治水というものを歴史的に見ますれば、文化の進展と共にその推移がはつきり分つて来るのであります。昔まだ河川技術が余り発達しておらないときには洪水を直すには水の神様を祀る、即ちそれより外にはなかつたのであります。そうして人身御供とかいろいろな方法によりまして水の神様の御機嫌を伺つた、こういう時代があつたのでありまするけれども、洪水神様仕業でない、水の仕業である、而してその起きる河川というものが一番大切だ、こういうような考え方からいたしまして、河川中心主義治水対策が生れたのであります。けれども水の抽つて来るところを見まするというと、皆これは流域の各場所から、山林とか農地とか、都市とか道路とか、工場とか或いは橋梁とか、いろいろなそういうものから水は集つて、そこで十分な用途を達して初めて河川に出て来るのでああります。で、そういう流域で以て十分な用途を達しないで河川に出て来るということになりますると、流域はその時期を除いた他の時期において非常に困るようなときが出て来るものであります。従つて降つたところの水は各場所におきまして、先程申しましたように流域の隅々までの場所におきましてこれをセーブして、成るべく河川負担をかけないような処理をやつて、止むを得ないもののみを河川に流すようにしたらば、今よりも河川は非常に負担が楽になるのであります。そればかりでなく、水は全り集らない、小分割されたときには非常に制御し易いのであります。沢山の水が大きな河川に集合をして来た場合にこれを制御するということは大きな困難を伴うもので、あります。でありまするから、流域の小部分に集つたとき、その小部分の水を処理するということは非常に容易なことであるのでありまして、こういう点からも河川中心にして、河川のみで以て治水工作を施すということはもう少しく時代的に遅れておるのではないかと考えるのであります。このことは土砂の流出などについても同様なことが言われると思います。農地などにおきまして、今申上げましたことを裏付けて見ますると、大体耕地などは日雨量八〇ミリから二〇〇ミリセーブいたしまして、これを貯溜又は滲透することが十分できるのであります。水田などにおきましては畦畔六寸といたしますると、一八〇ミリの雨を中に溜めて置くことができます。これは稻の成育期によりまして幾分按配しなくてはなりませんけれども、一番大切なときは出穂の時期でありまするが、このときは大体穂は六寸以上上に出ておりまするから、余り心配はないのであります。従つて水田では一〇〇ミリから一八〇ミリ、即ち二〇〇ミリ近くの貯溜を更にすることができまするので、尚水田畦畔ばかりでなく区画が相当数集りますというと、大きな道路で囲まれておるのであります。その道路が一尺といたしますれば、大体三〇〇ミリの一時的貯溜をすることができるのであります。水稲は今申しました出穂時期とかいうような一、二の大切な時期を除きましては、冠水いたしましても二日乃至三日は被害を受けることはない、十分にそれに堪え得る、こういうことが研究上言われておるのであります。これもそのときの温度とか或いは水の濁りということが影響いたしまして、その時間は幾分補正しなくてはならん場合もありまするが、大体そういうことが言われておるのであります。水田はそうでありまするが、畑地の方は然らばどうかということになりますると、畑地空隙があります。その畑地土壌空隙の中に水を入れることができるのであります。この空隙耕作の行き届いたところの耕地におきましてはますます大きくなりまして、大体一日に一〇〇ミリ以上の雨を貯溜することができるのであります。深さ六寸なり一尺くらいに耕やしますというと、ますますその機能を増大することができるのであります。これは貯溜の意味から言つたのでありまするが、尚畑地には雨を滲透させる能力がありまして、私が従来研究したところによりますると、一日一寸五分乃至二寸の滲透能力を持つておるものが大部分であります。又それ以上のものが相当多いのであります。これは二寸といたしましても六〇ミリの雨の滲透能力を持つておるということができるのであります。先程の空隙貯溜ということ加えますると、水田に劣らず雨をセーブすることができる、こういうことが言われまして、畑地でも水田でも一日一〇〇ミリ乃至二〇〇ミリの吸收可能能力があるというふうに考えられます。従つて先程申上げましたように耕地もその技術治水の観念の下に施行いたしますると、十分にその一段を買うことができまして、河川負担を軽くすることができる、私は專門家ではございませんから森林の方は存じませんが、やはり森林の方でも多分そうだろうと考えております。現在の進んだ技術を以て成るべく河川負担をかけないようなことが十分やり得ると考えております。都市などにおきましてもやはりこの考え方で行きますればできるのではないかと思う、若しできないとすれば更にこれに進んで研究調査ということをやつて行く必要があるだろうと考えております。そういうようなセクトを離れた総合技術治水に打ち込んで行かなくてはならないだろう、これが技術面から大いに考えられるのであります。  次に治水は主として洪水を対象に考えて行くような考え方が世の中に行き渡つておるのでありまして、この考えを改めなくてはならないだろうと思つております。多いから海に流す、排除するという考えを変えまして、少いときの備えを入れて、即ち水の時間的な分布という考え方をその中に入れて行かなくては本当治水を遂行することができないのであります。多くて害を與えないように、そうして又少いときでも困らないようにすることが本当治水でありまして、この両面に徹しましたときに初めて治水利水イコールとなるだろうと考えております。又イコールにおいて工事を施行し、計画を立てて行かなくては治水効果というものは全面的に望まれないだろうと思つておるのであります。そうなるときにはやはり或る程度費用の節減ということも考えられる。今まで治水利水の二本建で行つたときが一つで以て両面をカバ—することができるというような計画も成り立つのであります。我々の專門とする方面から申しまするというと、平素耕地に水を成るべく多く貯わえて置くということは旱魃時の対策になるものであります。陸稲などによく見受けますが、陸稻は非常に浅いところに根を張つております。従つて百姓は割合に浅く耕す傾向があるのであります。これを根を深く張らせるようにいたしまして、先程申上げましたような降つたところの雨を深いところに溜めて置くということになりまするというと、陸稲旱魃に対する抵抗が非常に長くなる、私自身が相模原で実験いたしましたところによりますれば、大体相模原附近で七日前後天候が続きまするというと陸稲は水をやつた方がいい、即ち旱魃を受けそうになつて来るのであります。これがもつと深く六寸乃至七寸くらい耕作をして平素の雨をその中に入れておきまするというと、十日乃至十二三日の連続無雨日数にも十分に堪え得るのであります。こういうように先程申しましたような利水という面を考え治水一体化を図るようなやり方をする、或いは又現在各所に少しずつ行われておりまする洪水対策防水貯水池などもその一つだろうと思つております。併しこれを利用の面から申しますというと、殊に農業的な利用の面から申しまするというと、一ケ所に厖大な貯水池を作るよりも、地域的に各所にこれを分散させまして、農業的利用をさせて貰うようにした方が利用は非常に高まつて来るのであります。それから尚降つたところの雨を地下水に変ずるようなやり方日本の現任におきましてはなかなか困難なことがありまするけれども、外国でやつた例などを見まするというと、そのために地下水が上昇いたしまして、水の利用時に非常に役立つておるというようなことが言われております。場所によりまして、やはり一時に河に流さないで、海に流さないで、これを地下水として利用時にこれを使用するということになりますれば、治水利水一体化図つて費用の面におきましても十分な効果を挙げることができるだろうと考えております。現在日本河川農業的水利用の面から申しますと、殆んど極点に達しまして、これ以上は多くは望まれないような状態にあるのであります。こういうときに今申上げましたような地下水を高め、渇水量を増加させるというようなことはますます利用を高めることになりまして、洪水にも利益があるばかりでなく、進んで生産方面に大きな利益をもたらすものだろうと思つております。今申しましたところの河川利用が大体極点に達しておるというようなことは、流域一方里当り渇水量が十箇といたしまして、そうして一町歩用水量が〇・一町秒立方尺、こういうように考えて、そうして河川を水源といたしまする水田が大体六五%から七、八%の水田がある。こういうように考え行つたのでありまして、そういたしますと、殆んど現在の田圃で以て水は利用し盡されておる。こういうようになりまして、これ以上川に頼るということは非常に困難である。川の利用率を高める上におきましても今申しましたように渇水量を殖やす方法とか、貯水、或いは土壌水の増加を図るというようなことは治水利水一体化図つて、その効果を十分に発揮することができる方法ではないかと思つております。  それから尚治水技術あり方につきまして、この技術は自然と社公変化に伴う変化をして行くものでなくてはならない、こう考えるもつのであります。言い換えますと、この治水技術は、今申上げました流域変化に順応する性質を持つて行かなくてはならないだろうと思つておるのであります。よく洪水被害のときなどに耳にすることでありまするけれども、河川自体技術を批判しないで、流域内の変化を責める人があるのであります。例えば山林を伐採したとか、或いは又開拓をしたとか、都市が膨脹したからだとか、鉄道ができたからだとか、鉄橋かできたとかいうようなことだけに一つ責任を負わせようとするような考え方のある人を見受けるのであります。今申上げましたような流域変化が我々社会生活上必須のものであつて、もうそれ以外にとる途がないというような問題であるとしたならば、これは私責めるべきをものでなくて、河川技術そのもの一つ反省を要求しなくてはならないだろうと思うのであります。言い換えますと、時々刻々この流域は自然的にも社会的にも変化して来る。同時にその流域の中にある河川自体変化を伴つて行くものであります。河川自体変化に気付かば、流域自体の適正なる変化を認めないで、河川は従来のままの河川形態をとろうとするところに大きな進歩に対する矛盾があるんだろうと私は考えております。従つて河川も共に流域変化する、こういう考え方で以て新たなる技術の投入を継続的に河川にやつて行かなくてはならないと。こう考えております、これは單に河川技術ばかりでなく、その他山林農地都市技術に対しても同様なことが言われるだろうと考えております。甚しい例を申しますると、河川日体変化を余り考えないで、洪水量とか計画洪水位とかいうようなことにこだわつて、そうして堤防の高さを決めて行く。豈図んや土砂が流出いたしまして断面がどんどん変つて行く。底面が下つて行くときにはともかくも、底面が上るようなときには前の計画洪水というのは何にも役に立たないというようなことがよくあると私は見聞しております。こういうように断面変化、即ち変化そのもの河川ばかりでなくこれに影響あるあらゆるものの変化をその技術の中に認めて行きまして、その中に織り込んで技術者が常にその変化に応ずる技術計画の中に盛り込んで行かなくてはならないだろうと思つております。治水利水、こういうものは一度やつたらばまあ当分それでいいというような考え方は間違いでありまして、維持管理改良等を常に加えて行く、これに注意を與えで行かなくてはならないのでありまして、維持管理改良が戰時中及び戰後のいろいろな関係からいたしまして疎かになつたところに、現在の洪水を大きくする原因があるように見受けられるのであります。  それから治水技術民衆滲透化が私は必要ではないかと考えております。現在の治水技術は殆んど官公吏技術であつて流域に住む人々と相隔たることが非常に遠いように考えられるのであります。耕地の面から見まするというと、これは大体におきまして地方維持、それから水の利用という点からいたしまして、幾分農民間にこの利水技術が滲透いたしまして、治水に或る程度の貢献するところがありまするけれども、尚々まだこれを進めて、先程も申しましたように流域全体の住民治水一本化にその技術の線に沿つて進んで行くということが必要だろうと思うのでありまして、私は河川專門ではありませんから、或いは違つておるかも知れませんけれども、河川におきましては、河川法によつて一切民衆の手から離れておる、官公吏の手にこの治水技術が入つておるように考えております。防災組合などがありまして、水が出たときだけ騒ぐところの、まあ騒ぐということは非常に語弊がありますが、活動するところの組合もありまするけれども、根本的に治水というものの線に沿つて活動するものとは考えられないのであります。住民の生命とか財産、勿論田畑、山林、宅地、家屋、こういうものも含めた財産などの安危が治水にかかつている、或いは又河川堤防にかかつているというようなときに、その河川堤防を人任せにして、万一その危險が予想せらるるようなときでも、ただ陳情をするということだけで、予算都合を付けて貰うまで呆然と待つているような有様が非常に多いのであります。積極的に自分達の手で、自分達の力でその欠陥を補うというようなアクティブな態勢になつておらないのであります。私は各所を見て廻りまするというと、非常に治水技術住民というものが離れている、ただ洪水が出て来たときに一緒になるような感じを受けるのであります。これも先程申上げましたように、河川專門ではありませんから、或いは的外れのことがあるかも知れませんが、御参考までに申上げたわけであります。今よりも尚この治水技術というものを民衆の手に握らせる、そうして住民責任において治水技術をやるということが私は必要ではないかと思うのであります。勿論これをやりますというと、同じ河川でも対岸とか或いは上流、下流におきまして利害が相反するようなことがあるのでありまするから、これは国家の法と相当な関連を持たして、そこに監督或いはその他の規定を設ける必要があるだろうとは思うのでありまするが、少くとも官吏万能治水技術から脱却して、民衆一人々々の力を結集してこれに当るような態勢をとることが必要と思つております。農閑期の労力利用いたしまして、材料だけを官給せられまして相当立派な護岸をしたようなところも私は見ているのであります。昨日までちよつと旅行しておりまして、群馬県の利根郡東村でそれを見ております。労力は全部地元が提供してやつております。自分土地自分達が守るということは或る程度尤もなことでありまして、これを公共性の各において自分達傍観者立場にあるということは非常に不合理だろうと思つているのであります。こういうように実例を見まするというと、災害にもその種類によつて全額補助をするということも、或る程度考えを直さなくてはならないだろうと思つております。先ず流域に住む人達が自分達の町とか村とか土地自分達の力で守ろうとするような精神的な面を私は発揮させるように、そうして流域自主性を強化いたしまして、治水責任を或る程度住民に持たせるということも必要ではないかと考えておるのであります。  以上申上げましたことが概括的な農業技術者の一人が見ましたところの治水利水に対する考え方でありまするが、尚この治水利水技術計画、設計などには多々反省を要するものがあるだろうと考えております。その大きな原因といたしましては、技術そのものが非常に劣つて来ておるということでありまして、これは戰時中に技術者が応召いたしましたり、或いは又糊塗的な、間に合せ的な技術をやつておつたというそういう戰時中の影響もありましようけれども、又戰後の生活、思想などの空白的なものが教育なり、或いは又技術者に影響しておる、こういうことに一つ原因を見出すことができるのでありましようが、地方を廻りまして幾多技術反省を要すべき点を認めるのであります。こういう細かいことはここで申上げるというと際限がありませんから、従つて非常に大雑把なお話を申上げましたが、このぐらいで失礼させて頂きます。
  6. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) では、秋葉さんに対する御質問がありましたらどうぞ。
  7. 江田三郎

    ○江田三郎君 ちよつとお尋ねしますが、畑地貯溜、或いは水の滲透の能力というものをさつきおつしやつたのですが、今まで開墾をやります場合に、治水面から見て非常にマイナスだということで問題になつたわけですが、今おつしやつたような数字で行きますというと、崩壊の何か施設さえ造れば、貯溜とか、滲透能力ということについては森林もそう大して変らんということが、言えるわけですか。
  8. 秋葉滿壽次

    証人秋葉滿壽次君) その点につきましては申上げたいと思つておりまするが、私は開墾をする場合でも平地開墾はともかくも傾斜地開墾は相当な注意を要するものである。これはなるべく降つたところの雨を吸收させるように考えるのでは勿論でありまするが、これによりまして却て多量に達することになりますると、地層その他の関係から地辷り、又は崩壊を招くようなことに陥り易いのでありまして、こういうような点はやはり指導者の指図によりましてどの程度の水を吸收さしたらいいか、その他どういうところにこれを貯溜すべきかというような場所を選んでやりますれば、開拓といえどもその水を貯溜する能力は十分にできる。そして危険な所には、私はどこまでも農地一本槍ではありませんでして、これを防禦する施策には森林のように立木を植えることもありましようし、それから人為的な工作、施工をやつて行くようないろいろな方法もありましようが、必要に応じたそういう施策をやつて行きますれば、御心配になるような土砂の流失、及び流路の面につきまして殆んど心配はないだろう。これは戰後ずつと各地を廻りまして、現在私が関係しておりまする経済安定本部の資源委員会の水害処理委員会及び公共事業の監査委員会が公用で各地を廻り、自分研究上調査しておりますが、技術がその処を得られますれば、開拓といえども殆んどが心配はない、こういうことが言えます。結局開拓が本当に惡いところがあるとすれば、技術の適用がやられなかつたのじやないか、こう思つております。
  9. 江田三郎

    ○江田三郎君 今もう一つ附加えてお聞きしたいのですが、そういうような今までに開拓のために崩壊を起したとか、土砂の非常に流失をしたとかいうことがあつたんじやないですか、そういうことを防ぐためには特に技術的にどういう施設が欠けておるというようなことはないですか。もう一つは開拓をやる場合に、治水面からの総合的な見地からどういう作物をやつたらよいか。それからもう一つは草生地、これは治水の面から一体どういう役割になるかというようなことをお聞きいたします。
  10. 秋葉滿壽次

    証人秋葉滿壽次君) 私は開拓の点におきまして、洪水原因をしたというようなことば絶対にないと考えております。洪水原因でありますが、これは開拓面積及び開拓地の水の流路の量という二つの点から確信を以てお答えすることができます。できますが、川の負担を成るべく少くしてやらなくてはならんという立場から、今御質問の面に浩つてお答えしたいと思つております。先ずそれならば、河川負担を軽くするには開拓をするにはどういうようなことをやつていいか、どういう技術があるか、この点でありまするけれども、これは十分ございます。作物の植方とか、耕作の仕方とか、或いは排水路の完備とか、或いは耕地とその周囲との関連、山林とか或いは又道路、こういう周囲との配置を十分に考えて行きますれば、具体的なことは例えば耕作の仕方におきましては成るべく輪作を選んで行くとか、又は金肥よりも堆肥を選んで行くとか、或いは帯状裁培をやつて行くとか、或いは灌木帯の中へ挿んでやつて行くとかいうようなやり方、或いは畝の高さをその地方の雨によつて変えて行くとか、或いは排水路における芝付をやるとか、又は土台による保護をやるとか、こういうようなこと、或いは又粗朶、石殻等を積んで排水路を保護する、こういうような技術が非常にあるのであります。それから作物をどういうようなのを選んだらいいかという御質問がありましたが、この作物は勿論表面を十分にカバーをするカバー・プロツクスが一番いいと思いますが、これも小さいときからカバーをするというのは殆どないのでありますから、雨の非常に降るときは成るべくこれをカバーできるような成長期というものと雨量期というものを考えて栽培いたしますると私はいいだろうと思うのです。で、現在私は数ヶ所でこの調査をやつておりますが、例えば静岡の大井川の上流の開拓地で井川村という所がありますが、そこで稗とそれから馬鈴薯はどちらが水を余計吸收して呉れるか、土砂が雨に打たれにくいかというような調査を二年ばかり続けております。そうすると稗の方は初めから相当効果があるのでありまして馬鈴薯の方は初期六月の末から七月の初めまでは割合に滲透能力が少いとか、或いは又土砂が雨に非常に打たれやすい、こういうのでありますが、それが七月の末から八月にかけましてはがらつと変りまして、馬鈴薯の方がぐつとよくなつて来るのでありまして、こういうように同じ作物でも時期によつて雨に対する効果というものが違つて来るわけでありますから、その地方々々によつて雨量分布というものが大凡決つて来ます。それに件つて作付計画をする。若しそれができないときは或る一ケ所で雨に打たれてもその直ぐ下の階段で以てこれを防止するというようなことができるような栽培法をとるようにして行きますというと、その解決はできるだろう、こういうふうに考えております。それから牧野の点でありまするが、これは私殆んど調査しておりませんが、むしろここにおられる委員長の赤木先生がそういう点は十分に御調査しておられるだろうと考えておりますが……。
  11. 江田三郎

    ○江田三郎君 だから結論としてはですね、まあ将来森林の蓄積の問題もあ るわけですけれども、治水面から見ると、相当の注意を持つて行けばまだ開墾の余力はあるということになるわけですね。
  12. 秋葉滿壽次

    証人秋葉滿壽君) それは農林省で適地調査をやつておりましたが、危險性のある所は除いた適地を中心にいたしまして、私が申上げるような治水技術を伴うところの開発をやつて行きますれば、全然御心配は要らないと考えております。
  13. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 外に御質問ありませんか。なければ野間さんにお願いいたします。
  14. 野間海造

    証人(野間海造君) 私は今日の証人としての御案内を頂いた治水利水技術という面からの御註文ですと、私は技術者でございません。私の專門は農学をやつて、法律をやりまして、まあ專門としては水利権の問題、水利法問題、こういつた問題を大正十四年頃から自分の終生の專門と心得てやつて来ました。従つて実態調査等も随分やつておりました。それから又いろいろ專門的な夢も考えておりました。それがそういう夢だと思つたことがアメリカに行つて見ると、夢でなしに現実にやつておるというような嬉しいことにぶつかりまして、こういう方面のことは技術的に可能であるという安心も得られて非常に心強く思つておるのでございますが、日本の政策的な実施面におきましては、いろいろな困難があるかも知れませんが、要するにやればやれる大きな最大な問題であるという意味で、一層專門的な熱情を高めながら研究をしたいと念願しておるのでございます。今までずつとやつて来て、それで結局私の一つの主張として挙げたのは、昭和七年頃から私が総合開発の主張をしたのですから、もう十三、四年になりますが、そういう声の反響でできたのが僅かに河水統制であつた。私が夢だと思つたことは、これは誰でもの考えるかも知れんが、洪水の水がいろいろな被害をもたらしながら海に流れて行くのが勿体ないと思つた、あれを何とかせきとめて使つたらなあと思つた。これをアメリカでやつておることは、私がアメリカに行つたのは昭和五、六年にかけてですが、例のフロツド・コントロール、アメリカのフーヴアーダムとかグランドクーリー・シヤスタとかいうああいう大きなダムがありますが、フロツド・コントロール、イリゲーシヨン、パーワアサプライ、フイツシエリー、下流のナヴイゲーシヨン、或るいはダム・サイトのリクリエーシヨン・センターとしての利用とか、そういつたいろいろなことをやつております。そういうことを考えて、できることが私にも大分自信がついたのでありますが、要するに総合開発の問題はやればやれる。上手にやればこんな素晴しい仕事はない。日本は持たざる国というけれども、実は持たざる国でありながら持てる素晴しい資源があるということには、年雨量が非常に大きい。千五、六百ミリもあるというように年雨量が多い。雨量が多く山が豊富で、従つて溪谷があつて、ダムサイトが適当なところに沢山あるという、この雨がうんとあるためにむしろその有難さを忘れて濫費し、或いは洪水旱魃被害さえも受けておる。そういうような実情にだらしなくさらけ出されておる。併し考えて見ると、この雨というものは非常に不便である。満洲や北支などは僅かな雨量で、それからアフリカなんかに行きますと二、三百ミリの地帯がある。併しそういうところに比べると日本は千五、六百ミリの雨量がある。もう一つ持てる大きな資源としては人口であります。而も人口が終戰後八千三百万人にもなつてしまつて、どうしてこれから食糧なり生産なりを興して食つて行くかという非常に重大問題になつておるが、併し考えて見ると、これは下手をすれば非常に社会不安を起すけれども、総合開発と結びついて上手に持つて行けば食糧増産もできるし、それから電力開発によつて工業源料としての電力が豊富になれば、工業化が進むわけです。電力がどんどんできてどんどん安くなる。或いは火力補給が必要ないくらいに水力発電が多くできるというところまで行くと、恐らく電力單価も安くなるだろう、そうすると工業化のために非常にいい條件が備わる。或いはこういうことだけでこの過大人口が消化されるとは思わないけれども、併しとかく一つの方式が国内で得られるということも十分考えられるのであります。そういう意味で総合開発の主張が段々盛んになつて来まして、私も非常に嬉しいのでありますが、これはつまり上手に持つて行くか下手に持つて行くかということで日本に発展的、積極的な永久な資源が新たにプラスされる、洪水被害が打消されるのみならず、積極的な発展をするのに永久な資源がプラスされるということ、これは上手に持つて行けば必ずこうなる。これは総合開発のために損を受ける者は余りないのです。総合開発のために損を受けそうに一応思えるのは漁業、これも稚魚を放したり、人口孵化をやつたりすると、これは又総合開発もむしろフイツシエリーが盛んにし得ると思う。それから流材が難しくなる。流材はこれは陸輸送を大体考えるならばこれもいい。それからもう一つは自然の風致を目標とする国立公園の面で以てマイナスという面が出るかも知れん。これも考えようでありまして、人工の変化によりまして、そこに又大きなむしろ観光地帯ができる。これはアメリカあたり十分に例証しておる。ただ世界の宝でどこにもほかに代りが得られないような天然の風致その他の保護物があるならば、これは保存しなければならんかも知れないけれども、そうでない限りはその方もそう困難はない。そういうことを考えて行くと、実は総合開発を上手に持つて行けば一石一ダース烏ぐらいになる、私は実はそう思つておる。これは上手に持つて行けばという條件つきの話、下手に持つて行くと非常に困る、非常に困つて禍根を残す。それは今度での水利用の実態をずつと我々は調べて来ておりますから分るのでありますが、水の利用には非常に原始的な形態と、極めて近代的、進歩的な形態と二つあるわけです。原始的な形態というのは、流材だの灌漑だの、或いは河川漁業だのというようなものですが、それと近代的なものというと、水力発電が王様で、それから上水道、こういうようなもの、この二つがいつでも利害衝突するのです。今まで私がずつと調べた中でも、水力発電が随分灌漑にいじめられたりもする、逆に農業灌漑からすると、電気のために随分いためられたりもする。私が最も古く調べたのは木曾川の大井、ダムの水の使い方です。つまり電力の需用に応じてロードを変えて行く。ピータ・ロードにはうんと水を落してうんと発電する。要らない夜中などには減して溜めて行く。こういう調節をすると、木曾川の本流の犬山から末の本流で以て相当広い所ですが、あれで平時一尺二三寸水位が上つたり下つたりする。それからお盆なんかに急にストップされたりすると三尺ぐらい下る。そのために宮田用水と当時の大同電力とが非常な紛争をしまして、私の水の最初の論文はあの事件であつたのですが、あの事件に対しまして、私はどうしても逆調整をして、河川の流量に対する人為的な操作は、逆調整をして防がんといかんということを議論し、法律論を建前にして立派なこれは権利侵害であるということ、併しこれを権利侵害で法律で勝つた負けたと言つても納まらないから、技術的に逆調整をして安定した流量を流す、コンスタント・フローを流すようにということを議論として申したのが結局実現いたしまして、下流部に今渡の逆調整用のダムができました。勿論発電にも利用しておりますが、ああいうふうなあの問題は実はどこにでもあるのです。鬼怒川でもあれば庄川でもあつた。庄川は流材問題の方が大きく騒がれたのでありますが、どこの河川にも例外なくある。ただ一般の農業用水は、灌漑期間中は農業用水を侵害しないようにという許可條件がつけられるのが普通であり、或いは農民が騒いで何か補償をとるというような政治的解決で進む。そういう非常な無駄な負担が水力発電にかかつて来るのでありますが、要するに電力が電力の採算だけを考えて、そうして外のことを無視なさるという気持が若し強いと、いわゆる総合開発は電力開発に終つて、時には流域変更もあろうし、或いは巨大なダムが沢山できて盛んな発電ができるけれども、この灌漑期間中の水量調節を電気本意にするというと、農業は今度は被害が非常に大きくなる、禍根が大きく残る。その他のことは陸上正輸送に流材を変えるとか、河川漁業の切換えとかいうことが考えられますすが、農場の題につきましては、その問題が私は相当大きいと思うのでありまして、禍根が残らんようにどうしても持つて行かなければならん。禍根が残らんように持つて行くためには、どうしても一つの理想を考えて、その理想に近い方式で行くしかない。理想に近い方式ということは、結局大小のダムを数多く造つて、最大雨量、最大雨量というのは一つ洪水でもたらされる雨量は大体五、六百ミリでありますが、五、六百ミリを支流なり合流点なりで掴まえる。これはアメリカのダムを見ましても、大抵アメリカの雨の分布は日本よりもつと極端でありますから、乾燥期には旱魃しちやつて草も枯れるくらい、それから降るときには一週間か、三、四日ぐらいでニ、三百ミリ、四、五百ミリと降り、非常に雨量分布が片寄つている。日本雨量分布も片寄つていると言えば片寄つているが、まだまだアメリカなんかに比べると比較的ならしがきいている。併し本年のジェーン台風にしましても、一遍に五六百ミリが何十時間のうちに降つてしまう。この水をどうしても巨大ダムで止める。これが治水の役に勿論立ちます。洪水を防ぐことになる。これを今度は小出しに成るべく平均的に使つて水力発電をする。その水力発電も全部ダムにする必要はないかもしれんが、とにかく段々火力補給の必要がなくなるくらいに、石炭というものは何十年かすればなくなるらしい。少くとも経済的になくなる時が来るのじやないかと思う。だから火力補給に頼らないで、水力を過剰なくらいにとつて、それのプーリングによつて調節ができて火力補給の必要がないくらいに私は水力電気が起きていいと思う。そうすると恐らく電力單価が安くなつて、工業原料として安い電力が得られるということになると思う。つまり巨大なダムに限らず、勿論砂防のために堰堤、勿論砂防のことも考えます。巨大ダムがすぐ砂で埋まります。大井のダムなんかひどく埋まつています。十年くらい経つてつてみると、びつくりするくらい埋まつておる。あの大きなダムが土砂が埋まるということは非常な問題で、適当なときに適当な排砂をするということは恐らくあの方面の最大問題だろうと思います。河川の維持のためにも大問題でありますが、ダムのためにも、或いは貯水のためにも、洪水防禦のためにも必要なことであります。従つて砂防はどうしてもしなきやならん。この砂防とそれから巨大ダム、そうしてその巨大ダムによつて水力発電、これを盛んにし、而も恐らくそういつたダムが一つの大きな河川ならば幾つかできる筈です。或いは自然に幾段階かできる。その場合に細末流のダム逆調整をする。つまり電力負荷によつて放水量をコンスタントに安定した平均フローを流す。こういう方式にする。そうすると、それから下の水は水位が高くなつて、水量が豊富になつて灌漑のためにも聊かも迷惑はない、むしろ旱魃の心配もなし洪水の心配もない。それから水位が高くなるからナビゲーシヨンが利くようになる、安い運賃でそれから下は運べるようになるというようなことがありますので、こういう問題を考えて、つまりダムのダムサイトの細末流は逆調整のダムにする。現在逆調整のダムは恐らく木曾川の今渡だけじやないかと思うし、又世界的にもあれは珍らしい例じやないかと思うのです。私世界的に実は知らない。アメリカなんかの逆調整のダムというものは私見ませんが、すべての権利関係を包容してそれに適当な分類をしておるのでいいのでありますが、併し日本のように水田作が非常に普及している所で而もその使用流量が非常に大きい所では、どうしても最末流でコンスタント・プールをする方式の工事がいいのじやないか、そうすると洪水が防げるのみならず旱魃も防げる。そうして発電その他に使つた永を今度は平均流量が殖えますから恐らく倍以上になりましようね。でありますから利用対象の水量が倍以上になりますから現在三、四〇%しか使つていないのが倍以上になりますから、畑地灌漑それから水田に改田するとかそういうことも勿論農業方面からいつても可能になりますし、それから非常な増産が期待できるのは、末流地帯に濕地帯が非常に多くある、排水事業を大きくしなければならんけれども、排水事業を大きくするには必ず用水を伴わなければならない。排水をじやんじやんやると今度は必ず水をかけなければ二毛作としてできない。こういう事態が私は利根の末流にしましても、信濃川にしましても、木曾川にしましても、大小の川に拘わらずあちこちに相当あると思うが、この排水事業が大きくなされてその又用水補給がなされるといようなことができると、私は非常な増産がもたらされると思う。でそうしてそれは二毛作ができる。一毛作も收量が安定するのみならず二毛作ができる。畑地の灌漑というような、主として陸稻畑地の灌漑、そういう問題が相当解決できる。こういう問題を考えると農業増産にも大丈夫役立つ。農業の方も旱魃被害の心配もなし安定した豊富な水量が十分に得られて、而も開発の余力を十分に発揮するということができるのであります。それから上水道ももとより水量が殖えますからして潤沢な用水が利用できる。それから家庭用に限らず工業用水としても勿論利用し得るわけです。それから又そういうふうに河川の水位が高まつて平均流量が安定して来ますと地下水も高まる。こういうような又影響がありまして、地下水利用につきましてもいろいろな利便があるわけなんです。従つて上手に持つて行けば一つ治水利水の理想目標に向つて総合的な技術を結集して、そうして法律関係なんかもその間において調整して行く。一つの電力のダムを作るために農業にいろいろな手を打たなければならんというような非科学的な手段でなしに、科学的手段でこれだけの総合開発をすると、末流にどういう影響が行くか、その末流に対する影響も考慮したいろいろな工事をやつて行く。これをやつて行くとむしろ紛争もなくなつてしまう。勿論この水という問題に限つて変動が絶えないのですからして、いつでも何か一ケ所でやれば必ず利害関係が両岸において起る。この調整をすれば紛争の禍根は残らない。又若し紛争が起つてもそういう視野からまとめて行けば法律関係も円滑に処理できる。或いは又そういう法律問題の処理のための特殊な審判制度を作つて、按術的処理、総合目的処理というような特殊な審判制度を作るということは立法として考えなければならん。それから又総合開発の基上立法としましても総合的な権限を與えて、そうして総合的に調整しつつ開発に仕向けるような技術中心に法律が追随して行くというよような立法の形態は我々考えなければならんと思うのですが、そういうふうに行くというと立法としても私は非常にいいものができて行くのじやないか。でそういつた面は今の河川法でいいのじやないかとおつしやる人もあるかも知れませんが、河川法は大体許可の権限を地方長官に與えておりますので、そういう意味でよく弊害があるのです。例えば庄川の流材問題にしましても、富山県の方は許可したが岐阜県では知らなかつた。そういうふうな問題があつたりして、そういつたことも少い例かも知れないが、調整の方法が或いはあると言えばあるかも知れないが、要するに水というものは流れて利害関係が非常に拡がつて行くので、土地のようにあぐらをかいていない、一所にじつとしていない、こういう公共的利害関係を持つという意味におきまして、どうしても水の行政対象というものは水中心で別途に考えなければならんということを私は考えるのであります。つまり水系別行政ということで考えなければならん。こういふうに考えて来ると、今の行政区画では非常にまずいので道州制の問題もありますが、封建的因襲によつたような行政区画でなしに、少くとも水に関する限り別の行政区画を作つたらどうかということも考えなければならん。実は私自分でこんな行政区画を切つて見たものがあります。非常に変つた行政区画ができております、御参考に。こんなことも法律問題として考えなければならん。それは恐らく又技術面との関り合いにおいて考えられる。そういう考え方をして行くと電力の方も非常に質のいい電力が豊富にできる。石炭がこれからどんどん年ごとに欠乏して行くことに対する補給策も水力として考えなければならんだろうと思うのであります。農業の方も従来の水田に安定して水量が行くのみならず、畑地灌漑によつて陸稲も十分なものができて旱魃被害がなくなる、それから二毛作ができると、こういうような農業増産が大きく考えられる。その他の関係は先程申した通りでありますが、要するに、そういつた問題を睨みながら私は総合開発の基本立法を、どうしても作つて円滑に持つて行きたいと思うのであります。この問題は一つ参議院としても十分考えて頂きたいのでありまして、私実はこの春の参議院の選挙にはこの問題をひつさげて立候補したのでありますが御承知のように落選しましたが、結局これはもう参議院として或いは議員立法としても考えて頂きたい。  それからもう一つ予算的措置の問題でありますが、これが又直ぐ行き詰る。例えば今年の災害はジエーン、キジアその又以前といつたものを建設省の防災課の調査で見ますと、土木災害復旧費だけで五千億くらいになるのです。実に素晴しい損害を受けております。こいつの復旧がなかなか御承知のようにできなくてまだ二十三年、二十四年の復旧ができなくて本年に繰越されておる災害復旧費が四百八十九億というようなことが出ております。本年の災害だけでもすでに五千億ということになつておる。こういう厖大な損害を水のために受けておる。これに旱魃被害とか土木の災害復旧費以外の損害なんかを加えたら素晴しい被害、実に馬鹿々々しい損害を受けているのでありますから、予算方面で余程思い切つた措置を取られたらいいと思うのでありますが、それも今は関係筋があつたり或いは均衡財政いろいろな問題でむつかしいかも知れないが、要するに私の一つ考え治水に関しては公共的災害なんだから国庫負担これはもう動かすことができない。治水災害地域で負担してはとてもたまらない、これは上塗りになるからたまらないからこれはどうしても全額国庫負担、せめて労力賦役という奉仕的な方画を地方で考えて行かなければいけないと思います。賦役の方は政府は労力的に考えていいが資材その他の費用については全額国庫負担ということをどうしても考えなければいかんが、これも従来の治水工事みたいにただ河川堤防を上げるというのでなくて、砂防等の大小のダムでこういう水を変じて経済化する、財源化する、資源化するという意味に今度転換するのだから、それに一部災害画を負担してぶつける、ぶち込む。それからもう一つ考えは、水はそういうふうにして行くと、今度は財源になる、経済対象になる、資本になる、生産手段になるのだと、こう考えたらこれはつまりそれによつて儲ける、利益を受ける、だからしてそういう面が全部費用負担をする、それを公債の形式で、そういうところに公債の形式で国が持つて、それに立替える。その償還をそういう受益者が水力発電なり、農業の土地改良区なり或いは上水道なりその他受益者が適当な割合で負担する、その経済力に応じ受益の内容に応じて負担する。そうしてその公債償還に充てるというようなことも一つの方式だし、或いは特殊金融機関ができてもいいと私は思う。非常に長い二十年三十年というような長期の社債発行、或いはこれは外債を募つてもいい、そうしてできた水力施設を担保にしても構わないから外債を募つても資金を調達して、そうしてそういう特殊金融機関でお金を立替えてぶち込む。農業についていうと農林中央金庫があるのでありますが、あの資金は非常に季節的に変動が激しいのでありまするが、それにしましても最低のときでも或る程度、何百億か持つております。あれを上手に調節して行つたら或いはその金と機能を結びつけるような方式で行つたら、農業の方でも何百億かの年々出資の力ができるのじやないか、そういうことも考える。その償還としましては土地改良区あたりで水利自身にぶち込むというようなことにして行けば財源の点も、国としても或いは公共公益的な企業としましても負担できるのじやないか。要するに失業救済の大きな意味もあることでありますからして、もつとこの治水を、堤防を高くするというようなことに終らないで源を矯めるという意味の大きな観点から治水を大規模に、ただ勿論これは重点的に段々にやつていかなければならないでしようが、そういうような方式で治水を大規模にやつて半面旱魃被害も防げる、水力発電も不断に起きる、もう日本では石炭なんか焚かんでもよろしい、自動車も蓄電池で走るし、機関庫は煙をはかない、工場は全部電力、家庭の熱源も全部電力と、そういう電化国家に十分になり得る素質を持つてつて、而もそれに恵まれるためには先ず治水洪水を防がなければならん、その洪水の水をキヤツチしなつければならん、それを立法的な措置、予算的な財政的な措置というような面から裏付けて、技術的には総合的に集結して、そうして先程秋葉教授が言われたようにセクシヨナリズムを排して行つたならば、ここに立派な資源ができて世界の霊化、世界の交化、それで大きな人口を擁することができる、勿論人口問題としてはこれにだけ限らないが、海外の資源開発ということをどうしても我々としては強調しなければならんが、国内問題としてとにかく十分になし得るという程度にあるのだから、十分にやつて行きたいというような点もいろいろ思いを凝らして十分にぶち込みたいと考えておるのであります。私の報告はこれくらいで簡單に済まさせて頂きます。
  15. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 御質問があればこの際お願いいたします。
  16. 江田三郎

    ○江田三郎君 さつきの逆調整のダム問題でありますが、あれは一体経費を誰が負担するのか。
  17. 野間海造

    証人(野間海造君) 逆調整のダムは農業方面で協力してもいいですね、発電もできますから。
  18. 江田三郎

    ○江田三郎君 どこがこれは持つたのですか。
  19. 野間海造

    証人(野間海造君) それは今の発電は小さい発電所ができまして、あれは今は日発に入つておりますが当時愛岐電力と言いまして電力会社が造つたのです、逆調整のダムの工費負担というのはそれは農業方面で持つてもいいと思うのです。つまり受益者負担で担当してもいいと思うのです。
  20. 江田三郎

    ○江田三郎君 ところがイリゲーシヨンとかナヴイゲーシヨンとかいうような利益があるということになりますけれども、実際的にこの農業関係がそういう負担を持つことができるでしようかね。実際今までそれは渇水があつたとか、或いは排水が非常に惡かつたとかいうようなことがあつても、とにかく農業経営というものを一応やつておる。そういうときに非常に封建的といいますか余り近代的でない考え方の農民に、そういうダムを造る経費を負担さすことが実際問題としてできるでしようか。
  21. 野間海造

    証人(野間海造君) それは危険がなくなるのですから、その收益が安定するのだから、それだけの余力が計算上出て来ると思います。反当りにしたらそう大きなものではないと思います。
  22. 江田三郎

    ○江田三郎君 計算としては出ても実際にはそういうようなことば農民に負担しろと言つたところで、とてもできるものではないと思うのですがね。
  23. 野間海造

    証人(野間海造君) それは科学的、経済的根拠があつて納得させなければなりませんけれどもね。納得させれば收益が安定し、或いは増産になり旱魃洪水被害がなくなるということになつて来るのだから、それは私は経済的にも算盤が立つと思います。つまり災害保險の費用負担の力があるかないかと言えばやはりやつてみればある。或る程度強制しなければならんが、又納得も勿論させなければならんが私はあると思いますね、併し今の農民運動なんかの政治的な動きが強過ぎて要求ばかりがあつて自力で起ち上るという気持が少な過ぎますね。自力救済の途のある限りはこれはやらなければならんと思いますね。
  24. 江田三郎

    ○江田三郎君 農村の事情はそんなものではないでしようね。
  25. 野間海造

    証人(野間海造君) それは政治家の一つの仕事ですな。
  26. 島津忠彦

    ○島津忠彦君 只今の野間先生のお話は非常に私は興味を持つて伺いました。私もあなたの主張に全面的に同感しております。いずれ教えを乞いたいと思います。  只今逆調整の問題が出ましたが私共素人でありますからよく分らないのです。逆調整をするというそのダムの造り方、性能というようなものを一つ御御説明願いたいと思います。  それからもう一つは只今御指摘もありましたのですが、予算的な措置についての御高説も大変結構であります。これに対しましてもいろいろ又私その御高税を伺いたいのですが、それは農民に負担をさせるということは相当大きな問題でありますので研究をいたしますが、農民層が蓄積しつつあるところのその金を総合開発の大きな費用に財源の形で投入させる。これに対しまして国家が相当の金利に対して元金に対して保証をするということで、農民が蓄積しつつありますその金をそのままその地区の水系の総合開発の費用に充当させる。これに対する途は政府がやるというようなことによつて何百億の金は大きな水系ならばこれは出し得ると思うのです。こういう点は私共の方でいろいろ研究したいと思うのですが、この逆調整をいたしますダム、これはどういうことなのか、どうもぴんと来ない、素人なものですからもう一度細かに御説明願います。
  27. 野間海造

    証人(野間海造君) つまり電力は一日のうちにしよつちゆう需要が違つておりますでしよう。ラツシユ・アワーの朝と夕方の燈用と動力が重なるときが一番多い、このときはピーク・ロードと言つて一番水を落す。朝は多くて晝間は減らすとか夜はうんと落す。そういうふうにやつて或る程度の電力用のダムといいますか、その水位の上下があるわけです。水に放水量の差があるわけです。恐らく逆調整というのは、つまり最末流のダムはそれを調整されておるやつを多く落したときは少く落し、それから少く落したときは多く落す程度のダムで、洪水調節ほどのダムの必要はない。洪水調節だと一ぺんに五、六百ミリの降るものをとめなければならない。この逆調節のダムですと今言つたその目的でできたのです。而もコンスタントの電気をあそこに出すのですから電力を食つている。
  28. 石川榮一

    ○石川榮一君 逆調節ダムでは発電はできませんか。
  29. 野間海造

    証人(野間海造君) できます。コンスタントな電力が出る。それがあれば外の上流の方はもつと調節ができます。
  30. 岩崎正三郎

    ○岩崎正三郎君 総合四発の基本立法ですが、行政区域の問題とか或いは金融の問題とか、河川法の改廃とか言われましたけれども、そういうことをもう少し突込んで簡單に御説明願いたいと思います。
  31. 野間海造

    証人(野間海造君) 水の立法問題としましては治水利水を一本にした一元的な立法がよいかどうかという問題も直ぐ出ますし、それから河川法はまあ一元的な立法になつておりますが、あれは御承知の通り路水面は余り考慮に入れていないところの古い立法でむしろ治水法というべきでありましよう。  それから行政区域が今の封建的な地方制度に則つた行政区域である。こういつた意味で水の行政に合わない。それから勿論内務省の河川行政だけは、あれは土木出張所の行政区域になつておるが、それをもつと総合的な仕組にしなけれぱならんということと、それから水の利用の実体がいつでも分るように、水利図と水利台帳を作ることが利水法の大切な一つの大きな問題だと思うのですが、これは未完成ですが、関東水城の利根水域の地図でありますが、これは一々農業水の取入口などを入れなければならんのですが根負けしてそこまで行つておりません。そういう水利台帳も格官庁で付くつております。各管庁では專門的な立場から非常に詳しいものを作つておりますが、どこか統一官庁で一つの総合開発の水の統一的な仕事をなさるところで、こういう水利図に利用地点に番号を入れまして、番号と水利台帳の合つたところを一覧的に直ぐ分るような簡單な水利台帳を作ることも立法内容の一つになつておりますし、そうして総合開発をやる場合の開発の担当者をどういつた方式で行くか、これは一つの問題です。又担当者に対して総合的に強力な権限を與えなければならん重大な問題がありますし、それから水利権の紛争がどうしても起るのです。鉱工業用水との関係とか或いは農業用水同士とか、水力農業灌漑とか、こういつた問題の特別な審判制度を作らなければならん。これは法律家が慣習法を引つ張り出したり或いは勝つた、負けたと判決しても結局禍根の残つた判決で勝負にならない。結局無駄金を使つて対立した利害関係で終る。そういうような意味で技術的に、総合的に解決するような特殊な審判制度が必要である。それでアメリカの水利審判制度、アジユジケーシヨンといいますかそういう水利問題を解決する審判制度が必要になつて来ます。その機関が中心となつて上下流を調べて工事施設をどんなにしたら支障なく解決ができるかということを見ておるのであります。  それからこの図は足尾の鉱害、煙害の問題です。大体図画について見ますと面白くよく分るのですが、待矢場用水とか阿明差、相生池を作つて鉱害を除いたり川水補給をしたりしてるということは私の論文が利用されたからです。このことは土地の故老もその事情を知つていて感謝しております。  これは木曾川の水利図です。これは自分で作つたものですが、古くて今渡発電所の位置は載つてないので分りませんが、これでは発電所地点の上流の大井ダムなどは入つております。それから宮田用水の幹線等は入れてあります。水利管理のためにこういう幹線や分水地点がはつきりしておることは大切なことです。水利立法としては水の利用の管理ということがやはり大事なことだと思うのであります。これは水利立法でどつかの監督官庁で決めてそこで一覧的に分るように一つ問題が起つたらそれをずつと睨み合せて利用内容を検討して行つて、更に必要なのは主管管庁で更に詳細な台帳によつて調べ上げるというようにすれば紛争の解決も楽になると思います。  これは私の古い仕事で到頭あれ(関東の水路図)なんかも中途半端で放棄しましたが、河川改修のこともありますし、水路図だけは取入口や幹線、水路組合区域というものを入れると非常によく分ると思います。更に五万分ができておると非常に見易くなります。  それから水系別行政区域でありますが、これはこういうできたものは簡單ですが、これを作るためには五万分の地図まで見た。阿賀野川、信濃川の分水はなかなか分りません。上流も分らないところがある。尾瀬沼、尾瀬原の分水も分らなかつたが五万分と睨みながら書いてこれはこういうふうに簡單な結課になつておりますが、こういうふうにして行くと別な行政区画ができる。裏表(太平洋岸と日本海岸)を一括した一つのいわゆる水利行政にしてもいいですね。そんなふうな行政区画の問題、それから総合開発の権限の問題、それから維持管理に関する方式、それから水利審判に対する特殊な審判制度、そういつた問題を私立法としては一応考えております。  それから予算的措置というのは私実は経済的なことは自信はないがほんの私の意見だけを申上げたので、ただ国の予算にばかり喰い込まう喰い込まうとしておると削られる一方で着手できないのです。考えて見ると水は経済化してそれに利益が生れるのだから、それならばその利益によつて生ずる利潤の一部とか、それを危険に対する備えとして蓄積する、或いは受益の一部を担当する、或いはそのための金融機関を作るとか、或いは水力施設を担保に供して外債を募るとか、こういうことをすれば資本は相当できて年に一千億や一千五六百億の総合開発の費用はできるのじやないかと思う。治水を含めまして現在治水予算がどのくらいあるか知れませんが、少くとも千億から千五百億円こういう目的に使つておりますが、何十年か継続されないと総合開発の目的は達成できないと思います。
  32. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 外に御質問ございませんか。
  33. 武井篤

    專門員(武井篤君) 先生は大体階段式のダムを考えておるようですが、一度ダムで出しまして発電してそうして次の所に行つてつて段々にやつて行くというような方式を大体予想しておりますか。
  34. 野間海造

    証人(野間海造君) 巨大な一つのダムを済むということはないと思います。
  35. 武井篤

    專門員(武井篤君) ダム・サイトがアメリカのような割合に勾配のゆるい而もポケツトが大きくなるというような地点が得られるとよいですが、現在この水路式の発電が日本に発達して来たということは、その地形に応じてできた歴史的な意味があるのじやないか、こういうようなふうに思うのですが。
  36. 野間海造

    証人(野間海造君) あれはむしろ農業灌漑用が電力関係に非常に押されて、それからつまり電力の採算上、火力補給も勿論念頭において採算上一番安い方式が水路式じやなかつたですかね。併し尤も大資本がぼかつとできたら私は結局巨大ダムの方が安いのじやないかと思うのですが。
  37. 武井篤

    專門員(武井篤君) 巨大ダムの地点が日本では私共見ておるところでは只見川と熊野川水系などが一番大きいものであつて、外にそういう地点が見付け出せるかどうか、割合に経済的な巨大ダムですね、採算のとれる場所が見付け出せるかどうかということもちよつと疑問に思うのですが、その点について先生の御意見をお伺いします。
  38. 野間海造

    証人(野間海造君) それはできるのじやないかと思うのです。木曾川にしましても奥の方へ発電を伴わないで貯水池だけできましたが、あれで計算は出たらしいのですね、ああいうふうにして。黒部にしましても最初は下の方にできましたが段々奥の方にかなければならんというので、結局日本の山の構造からいうとダム・サイトはむしろ豊富なのじやないですか。私は実はそう思うのですがね。
  39. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 午後一時半まで休憩いたします。    午後零時二十三分休憩    —————・—————    午後一時三十七分閉会
  40. 赤木正雄

    委員長(赤木正雄君) これから引続き開会いたします。吉田君。
  41. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 日発の吉田でございます。この我が国の河川利用さして頂きまして発電をいたしておりまする日発といたしまして、いろいろの面でこの運営上支障を来たしているというようなことをつねずね私共は考えております。そういう状況を御報告申上げまして結局皆々様の御批判を仰ぎたい、こいうふうに考えている次第であります。  御承知のように我が国の河川は大体非常に急勾配になつております。而も水源の流域附近の山の有様を見ますと最近非常に惡化して来ております。そのために砂礫の流れ出ることが非常に甚しいのでございます。そういう流れ出ました砂礫は川に一部分溜りますからして河床の上昇を来すわけでございます。而も一朝にして洪水になりますと昔の洪水はただ水が出ただけでありますが、最近の洪水はむしろ土砂礫としての洪水が出るわけでございます。その被害というものは年々激化の一途を辿つております。一方そのために我々が貯水池として築造いたしましたものがこれらの堆積土砂のために段々容量が減つて来ております。甚しいところは恰も砂防堰堤を丁度築いたと同じような感を與えておるような状態でございます。ちよつと例を挙げて申しますと、鬼怒川筋に下滝発電所というのがありますが、これの取水の堰堤は殆んど八七%程度土砂のために埋まつております。又泰阜発電所、これは天龍川筋にありますが、泰阜発電所はこの堰堤が七〇%程度つております。それから黒部川の方に行きますと黒部川の小屋平堰堤というものがございますが、この小屋平堰堤は七六%土砂のために埋まつておるような状況でございまして、実際我々発電事業者としまして、元来調整或いは貯水すべき堰堤がこのように殆んど全部土砂のために埋められているということは非常に致命的な損害になつておるわけでございます。で、その害はそれのみに止まらずこの河床が上昇いたしますために、その背水と申しますかバツク・ウオーダーのために浸水問題を起しておりまして、いわゆる水利補償という方面にも関連いたしまして、電力事業者といたしましてはこういう問題を看過できないようなことにならておるわけであります。で、その河床の上昇の一つの例として申上げますが、これはただ堰堤を作つたために河床が上昇したというのでありませんで、土砂の流下のために河床が上昇したという一つの例なんでありますが、曾てのキヤスリーン或いはアイオン或いは昨年のキティこういうような各台風のときにおいて、利根川に佐久発電所というのがございますがその附近において洪水量及び洪水位というものを調べてみましたところが、どういうふうになつておるかと申しますとキヤスリーン台風のときは洪水量が六千乃至七千立方メーター・パー・セカンドと測定されておりまして、そのときの標高が百五十六メートル八十というのでございまして、次に昨年のアイオン台風のときにこれを調べてみましたところが、洪水量が四千八百乃至五千というのに対しまして、このときの洪水位が百五十八メートル二十、それから昨年のキテイ台風のときには洪水量が四千三百乃至四千五百と算定されるのに、洪水位が百五十八メートル六十五とこういうふうに算定されるのであります。でどうしてその洪水量が年々といいますか、つまり減つて数えられておるのにエレベーシヨンが上つておるかということは、要するに今言つたことを言い換えますと、洪水量の減少においても洪水位が依然上昇を示しているということは、こういうことは勿論その河の河流が変更しておるということは考えられますが、河床が上昇しておるということが大きな原因をなしておるのではないかと、こういうふうに考えておるのであります。  又この砂の問題と離れましてやはり洪水関係するのでありますが、御承知の通り私共の水力発電所は河の水を取りましてその水で発電しまして、又元の河川に流しておるというのが発電所のあり方なんでありますが、そのためには当然その河川被害からして直接工作物に被害を被つておるということは当然なんでありますが、これを年々いわゆる災害として我々が見たときにどういうふうになつておるかというふうに考えますと、この差違が非常に大きいのであります。今例えばキヤンスリーン、アイオン、キテイの三つの台風についていろいろ調べてみますと、被害発電所の地点数と最大出力の比較というようなことを今調べてみますと、キヤスリーン台風のときは被害発電所が八十ございまして、被害を受けました発電所の出力を合計してみますと約百十万九千キロワツトだけ発電所の被害を受けております。  それからアイオン台風のときには七十二の地点がやられまして八十七万六千キロという被害を受けております。又昨年のキテイのときには発電所が百七十四やられまして二百五十九万五千キロという大きな数字になるわけであります。今八十、七十二、百七十四と申上げましたが、私共の方で今持つておる発電所の数が三百九十ございます。ですから三百九十ございまして約出力にいたしまして四百六十万キロございますから、その大半がこの水害のためにやられておるということが言えると思うのであります。これらの水害復旧工事費というものを今申述べてみますと、昭和二十一年度には百九十九万四千円、これが我々の発電所の水害復旧費として計上されております。翌二十二年度には一億四千九百七十万円こういうふうに厖大になつております。又二十三年度には三億三千七百八十万円。それから二十四年度になりまして大きくなりまして六億四千百五十万円、こういうふうに年年水害の復旧費というものが大きくなつておるわけであります。勿論この中には物価の変動ということが入つておりますけれどもとにかく規模としては相当増加しておる、大きくなつておるということは考えられると思うのであります。こういうことは、我々の保守運営の方から申しまして重大な関心を持たなければならないのであります。  この金の方はこうでありますが、又これらの復旧に要する使用資材の方で比べてみましても、我々は今大体標準としてこのくらいの資材を使えば毎年の保守運営はできるという数字を掴んでおりますが、その資材の使用に比較いたして非常に大きな数量を必要としておるということを申上げたいと思います。それを次に今鉄鋼とセメントについて申上げてみますと、大体基準量としまして我々が持つておる発電所を無事に運営して行きますのに、大体鉄鋼が千八百八十トン、セメントが二万三千四百九十三トン、これだけあれば大体現在の水路をうまく保守運営して行けるのでありますが、これに対して今度の水害のときにどのくらいの資材が入つたかと申しますと、二十二年度には鉄鋼が二三%に当つております、それからセメントは三五%、二十三年度には鉄鋼が一—%のセメントが二九%、それから二十四年度には鉄鋼が四〇%それからセメントが五六%というふうに、大体基準の資材量というものにつきまして殆んど半分に近い数量が不足になつておるということなのであります。  只今申したこれらの被害或いは復旧というもののために発電所は御承知の通り停電を起します。その停電は二十一年度には全体で約三億四千万キロワツトアワーの損失があつたのでありますが、この洪水だけの損失はどうかと申上げますと、一億一千万キロワツトアワーがその損失として失われております。そのから二十二年度には全体としての総損失電力量が六億五百万キロワツトアワーのというのでありますが、そのうちの約半分の三億七百万キロワツトアワーは洪水被害として失われております。それから二十三年度になりますとこれが非常に殖えまして、十三億八千二百万キロワツトアワーの損失に対しまして洪水は五億七千六百万キロワツトアワーという損失を示しておるわけであります。ですからこの今の表のように事故とそれから作業による年間の損失の電力量の約半分というものが風水害関係で占められておるということは、外の金額或いは資材という面と同じであります。  こういうような状況なのでありますが、又一方この堆砂の面で考えて見ますと、私の会社には発電力用の貯水池調整池といたしまして全体で二百十五であります。このうち天然の湖沼が十六、人工の貯水池が百九十九、全体で二百十五でございますが、この天然湖沼は別といたしましてこの貯水池において総容量が九億二千万立方メートルと、こういう全体の容量でありますが、このうち約一億一千万立方メートルというものは土砂堆積のために容量を減じております。又実際に発電として使ういわゆる有効容量におきましては、約二千六百万立方メートルの減少を見ておるわけであります。でありまするから直接これは我々発電の方に影響して来ておるわけでありまして、このために発電量の損失並びにこの調整能力の減退と、こういう面で現われて来ております。その損失が約五億六千万キロワツトアワーこううふうに推定されております。で昨年度の水力発電所の総発電量が二百六十億キロワツトアワーでございますから、これに比較しましてそのウエイトが非常に大きいように思われると思うのであります。まあ尤も貯水池調整池の場合の損失はキロワツトアワーの面だけでなく、いわゆるキロワツトとしても非常な損失を受けるわけであります。つまり調整池で申しますと、まあ朝晩のいわゆるラツシユアワー時には非常に電力が入るのでございます。それから夜中とか日中は余り電力が入りませんからそういうときの水を貯えておきましてラツシアワー時に電力を沢山起します。そのために調整池というものがありますがこの調整の容量が減るということは、結局そのラツシユアワー時に出す出力がそれだけ減るわけであります。いわゆるキロワツト的にそれだけ減るのでありますから、今のようなことが言えるわけであります。以上は貯水池、調整池の例として申上げたんであります。  次に今度は普通の流し込み式の発電、つまりこれは我々の方では水路式発電、堰堤を造らないいわゆる流し込み水路式の発電所、これによつて見ますと取水堰堤に殆んど一杯砂が溜つております。こういう砂はその取入口から取つた水と一緒に発電所の方に段々流れて来ます。その流れて途中の水路に砂が溜りますと、結局それが水路の断面を縮小いたしましてそれだけ水の流れ方が少くなります。水路をどんどん流れまして発電所の方に来ますと、御承知の通り発電所には水車がありますからその水車にその砂或いは石が一緒になつてつて行きますから、水車のいわゆるランナー或いはガイドベーンというようなものはすつかりそのために傷められてしまいまして、ひどいところでは一年に二、三回はこのランナー、ガイドベーンを取替えなければならん。こういうような情勢になつております。  それから今度は水を河川に又元に戻してやりますいわゆる放水路、この出口ではこの堆積した土砂のために、この放水位が段々上昇して参ります。そういたしますといわゆる有効落差が小さくなつて参りますから、そのために出口としてキロワツトが低下して参ります。このひどいところでは先程申上げました天龍川の泰阜発電所或いは広島の太田川筋にあります打梨発電所、こういうものの放水路におきまして二メートル以上も水位が上昇して来ておりまして、これによる発電出力の減退は非常なものであります。又東北の阿武隈川の支流に白石川という川がありますが、ここでは非常に土砂の流れが甚しいのでございます。発電所には沈砂池と申しまして水路の中に入りました砂を排除する設備がございますが、その沈砂池に付いております排砂路の出口が年々歳々砂が堆積してしまいまして、折角砂を除くために作つた排砂路の尻がつまつてしまつてはならいなというような状況になつておりまして、最近莫大な工費でこの排砂路を延長したりなんかいたしまして改造いたしております。而もその取水堰堤というものは上下流とも水のためにすつかり詰つて堰堤があるのかないのか、これが分らないという程、土砂が出て来ておる実例も見受けられております。貯水池、調整池の堆砂はそういうふうに非常に水量の減少を来すのでありますが、これが又上流方面にも一部バツク・ウオーターの区域内に河床の上昇するという例もあり得るわけでございます。そういう問題が最近補償問題としてやかましくなつて来ておりますが、これも土砂流失という問題から大きく取上げて考えて見なければならんのじやないか、こう思つておる次第でございます。  で私共といたしましてはこういう段階に来まして、とにかく手を拱いてこれをただそのままにして置くという状況ではありませんので、極力我々の設備というものをこれに対抗的にやつておるのでありますか、その一方堆砂そのもの、土砂の流失そのもの葬研究というものもやつております。でこれにつままして従来各官庁或いは関係の団体の方々で熱心に御研究下さつておるようでありますが、なかなかその結論というものは得られないようでございまして今日に至つておるような状態でございます。まあ観念的に言いますと雨量或いは流域、或いは地質、地形、森林状態、或いは土砂の生成運搬というような問題に関係があるということはよく分るのでございますが、いざこれを数字的に或いは計量的にこれを見出すということはなかなか困難なようでございます。で私共としましてもこの中の一つの因子だけでも取上げて堆砂地との関係研究しようとしておるのでありますが、なかなかこの一つのものだけでは十分に結論が出ませんもので、いろいろな問題を取上げて最後にこれを如何に集約して総合的に結論を出そうかという問題で盛んにやつておるような次第でございます。例えば流域の伐採と流出計数との変化、或いは堰堤の上流の堆砂状況の推移とそれから堆砂に及ぼす取水区域内の岩石分布、或いは堆砂と取水区域内の地形の問題等いろいろ問題がございまして、一つ一つ取上げて実は研究しておるのでありますが、なかなか日暮れて道遠しというような感で結論に至つておりません。でこういう問題は広く大きな面から研究をやはりして行かなければならない、一日発だけでやつてもこれはなかなかできない相談じやないか、こう今考えておる次第でございます。 でこの堆積土砂の処理問題をなんでありますが、ちよつと考えますとこういう堰堤溜つた土砂をどんどん排除したらいいじやないかということをよく言われるのでありますが、この排除することがこれはなかなか大きな問題  なんであります。先ず第一に費用の問題、それからもう一つはさてその処理をした土砂は一体どこへ捨てたらいいのか、この問題がもう一つ来るわけでございます。ですから採算という面からいいますとこの土砂を掘鑿するということはなかなかそうたやすくできるわけじやないのです。今までのところで見ますと、一立方メーターあたり大体三百円程度はかかるようでございます。ですから今の電力料金程度では結局土砂を掘鑿してそれだけのキロワツト或いはキロワツトアワーを回復して見たところで採算的に結局うまく行かんわけであります。でそういう現状なものですから貯水池堰堤のようなところにおきましては、ただ土砂が溜るに任せておるような次第でございますし、又普通の水路式いおける堰堤におきましては、現在のところ排砂門或いは可動堰というようなものを極度に活用して、洪水時の土砂を下流にただ流してしまうということだけに期待をかけておるような状況でございます。  今後のあり方といたしましてはそういう面から行きますと、取水堰堤あたりではその可動堰というものは昔のように、何といいますか申訳的に取入口の近くに小さな排砂門と称する門を置くというようなことでは事済まんのでありまして、堰堤全体が可動堰でああるというようなところに持つて行かなければいかんじやないか、こう考えております。ですから最近でも天龍川の小澁川に生田の発電所というのがございますが、そこでも土砂で非常に悩まされておるようでありますから、現在作つてありまする堰堤の頭を全部取つ拂いましてその代り大きな可動堰を付けまして、洪水時にはもう可動堰を開けてすつかり土砂を下流に流してしまうというようなことを最近改造方法としてやつてような次第でございます。これは飽くまで我々だけでやつたことでございまして、今度は下流にその土砂が行くわけでありますから、根本的な解決にはこれは勿論ならんと思つております。  こういうふうにいろいろ実情を申述べて来たのでありますが、要するに我我といたしましてはこの対策を一日発あたりがやつても何にもなりませんわけでありまして、やはり大きな国家的な見地或いは国土改良的な見地からこの問題を解決して貰わなければならん、こういうふうに考えておるわけであります。でありますから我々といたしましては総合的な見地から治山水の計画を立てて頂きまして、例えば勿論その上流ダムの建設も必要でありましようし、砂防或いは山留工事それから山肌の保護、植林その他の改良、河床の整理というようなことは、大きな面から是非これは計画を立てて実施して頂きたい、こういうふうに念願しておる次第でございます。勿論我々といたしましてはその河川に面しておる構造物の改良については、これは勿論吝かであつてはいけない次第であつて、これも著々老朽化のものは更新いたしまして、一番斬新な計画として著々やつておりますし、保守の作業能率化ということにつきましても、最近は実際堰堤或いは取入品の勤務者についての質の向上ということに努めまして、最近は再教育というものをやりまして、実際の河川に対しての工作物の運転方法というものを実地に再教育をやつております。河川の特質というものをよく認識せしめて、それに合つた操作をさせるというような方向に今進んでおる次第でございます。  結論的に見ましては、結局我々に川を使わせて頂いておる一日発の念願といたしましては、やはり先程申上げました治山治水の総合計画並びに実施ということをお願いして、一つこの御報告といいますかお話の結論と、こうしたいと思つております。簡單でありますが、この辺で終りたいと思います。
  42. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 何か御質問はございませんか。
  43. 田中一

    ○田中一君 新しく今日発でやつておるうちの砂防施設ですね、そういうものを持ちながら新設……
  44. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 新設で砂防堰堤をやつているということはなさそうですね。私直接担当はいたしておりませんがただ最近あそこの大井川の大間の堰堤でございますか、そこの貯水池がやはり年々歳々土砂のために埋つておるものでございますから、まあこれはその上流に砂防堰堤的なものは多少日発で作つてはおりますが。
  45. 田中一

    ○田中一君 そう上ますとその砂防堰堤を上流に何ケ所か作るということをやつた事実はないとすれば、やつた方がいいということはもう理論的に分つておるのですか。
  46. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) それはやはり堰堤が土砂で埋つてしまいますから、埋るのを防ぐという意味で砂防堰堤がそれだけという意味じやありませんけれども、砂防堰堤を含めて治山治水計画はやつて頂いた方が私はいいと思つております。
  47. 田中一

    ○田中一君 そういう分野は自発のやるべきものじやなく、自発がその上流に何ケ所か、今天龍の泰阜の問題にしてもその上流に砂防堰堤を作ろう、そうすればこの土砂の堆積がそれよりも殖えないというような考え方から、砂防堰堤を作るという意思はないわけですね。
  48. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 別に…
  49. 田中一

    ○田中一君 それは自分の方の役目じやない。
  50. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) それは国家としてやりやつて演かなければならんと思います。
  51. 田中一

    ○田中一君 そうすると、総合的に土砂が堆積するということは初めから分つてつてつておつたわけですな。
  52. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 昔はそれ程土砂の問題というのはなかつたのじやないかと思うのです。土砂の問題が叫ばれて来たのは最近のカスリン台風以後に世上一般に問題にされまして、恐らく今私がこう申上げますのは何でございますが昔はそれ程考えておらんのだつたのじやないかと考えております。
  53. 田中一

    ○田中一君 これは委員長の見解をもう一ぺん伺いたいと思いますが。
  54. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) これは昭和九年に手取川に大水害があつたのです。そのときに手取川の各箇所にあつた発電所が全部破壊しちやつた、それ程水害を蒙つたのです。これは私いずれこの委員会に又お話申したいと思つておりますが昭和、十年にも全国的の水害がありまして、その際に各省の次官の会議の席上災害をどういうふうにしたら最小限になし得るか、これについて技術管の検討をお願いしたい、そういう観点からして内務省が主体になりまして、今日の建設省の前身が内務省、逓信省、逓信省はつまり今申す水力関係ですが、農林省、鉄道省、宮内省、そういう各官庁の技術者が皆寄りましてそれぞれ專門立場からしてどういうふうにしたら水害をなくし得るかということを検討したのです。これがために一ケ年いろいろと協議しました。その結果は出たのです。その席上で今のこのあなたの御質問の水力電気と砂防の関係が非常にやかましく逓信省の方から持ち上つたのです。あの昭和九年の手取川の水害を見ても上流に土砂が出ないように砂防工事を完成しない限り水力の全き利用は得難い。先程吉田さんは最近の水害とおつしやいますが実はその昭和九年のときにやかましく問題になりました。併し遺憾ながらその後余り内務省としても関心を持つていないので、最近の本署に殊に上流地帯が荒廃するというこういう問題がえらく出て参りました。  先程又お話のあの大井川の大間の堰堤の上流に日発が砂防堰堤を造るというので、私案はその後行つて見ました。これは簡單な堰堤ですけれども、その堰堤の施設個所に対しては私は多少疑問を持つております。もう少し砂防の観点から言うならば、上流の山が崩壊しかけていますその麓に堰堤をお造りになつたならば、その山の崩壊も防げて砂防の効果がより多く上るのじやないか、そういうふうな感じを実は持つております。実際日発としてそういう施行をされているのは私は大間の堰堤以外には余り見ません。  先程問題になりました長野県の泰阜の、これは実はあの堰堤を造る場合に私は内務省におりました、あすこには上流に小澁川、三峰川と非常に惡い川があります。その外に左岸に惡い大田切、與大切、中大切、犬田切、こういう川がありますが、とにかくそういう支流を十分しない以上はあの泰阜堰堤を造つても直ぐ埋りはせんかと随分強硬に私は反対したんですが、結果は御承知の通りになりました。  それで発電の観点からは上流から土砂を出さないように砂防をやるということはこれは最も重要でありますが、一面その治水そのものの観点から又單に発電のみならず、日本の農業用水の観点からもやはりこの問題は国として考えて行くべき問題だ、こういうふうな考えを持つておりますが、今後共この委員会としても特にお考え願いたい、こういうことなんです。
  55. 田中一

    ○田中一君 もう一つ伺いますが、現在建築中の発電所の方もそういう砂防施設をする考え方がなくて実施していないわけですか。現在この砂防の必要を認めるけれどもそれは俺の方は電気さえ出せばいいんだ、その上の砂防は俺の方の管轄ではないという考え方でやつているのか、そういう考え方が正しいものかどうか。
  56. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) そこまで参りますと実は現在既設発電所の保守ということで私は担当してやつておりますものですから、建設の方になりますとちよつとはつきりでき得ないのですが。
  57. 田中一

    ○田中一君 ああそうですか。
  58. 江田三郎

    ○江田三郎君 今七〇%も八〇%も埋没つしたら最後になつたらどうするんですか。何か爆破でもするんですか。
  59. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 結局これはやはり一つの何というんでしようか、当然これはどの堰堤でも将来はこういうふうになるんでございまして、ただそれが早く来るか或いは遅く来るかの問題なんです。
  60. 江田三郎

    ○江田三郎君 それでは例えば普通の三十年とか二十年とかいう償還の期限を見ておられるんでしようが、そういうときに埋つちまつたというのは技術的にどうしたらいいんですか。
  61. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 処理しようがないんですが、採算のとれる限度内でやるとすれば採算の合うところを掘鑿してもいいでしようし、或いは別の方法改良してもいいと思いますし、やはり採算のとれないところはそのままにして別の地点を選ばなければならん、こういうことで行くんじやないかと思つております。
  62. 江田三郎

    ○江田三郎君 八十メートルも九十メートルもあるところをこれは一体どうして造るんですか。
  63. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) これは実は堰堤を造りましても排砂門といいますか、その門を開くならば土砂が出てしまう、こういう簡單な考えを持つていたわけなんです。実際我々の経験から見ましてその門を開きましても堆砂した土砂が出るのはその開いた部分だけなんで、決して堆砂した多くの土砂が出るもんでもない。そこで最近GHQの方で非常に関心を持つているところなんです。日本の今までの水力発電というのは一体何ケ年というものを考えてやつているのか、どうも十五ケ年そこそこを考えて採算がとれるような考えを以てやつてはせんか、最近の各水力発電の埋つている状況を見て、日本の水力発電はこんな考えでは根本的に間違つておりはせんか。そういう観点から実はあの見返資金の分について、問題の起つているのはそこなんです。こういうふうにすれば直ぐ埋つてしまいはせんか、丁度あなたの今の御質問のようです。だからそれでは効果がないから、根本的から砂防をやり直せ、そういう考えを向うは持つているのでありますからして、埋つたものに対して現にその埋つた土砂を排出しているのもあります。これは殆んど効果はありません。今のところでは又掘鑿もしております。これも殆んど採算がとれないのです。掘鑿しているその量よりも埋る量の方が多い。そういうふうな情勢なんです。併しこの事実は国民は知らないのです。一度水力発電の大きなダムを作れば、これは何十年、何百年それで発電し得るように思つているのです。これを我々は一般国民に訴えて、これでいいか惡いかということを再認識させる必要はありはせんか。
  64. 江田三郎

    ○江田三郎君 だからその将来の問題は、そういうような問題が出て来るわけですけれども、現実にそういう埋つてしまつているものは、これはやはり天然記念物か何かにするわけですか。(笑声)
  65. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 要するに砂防堰堤になります。
  66. 田中一

    ○田中一君 そのままにして、そこに移築するわけです。
  67. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) ですから初めに発電甲に作つたやつを、まあ砂防堰堤に廻すというようなことになるのじやないかと思うのですが……。
  68. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) この間も私は利根川のある箇所を見たんです。これは赤城の裏の方ですが、これは立派に埋つて完全に砂防堰堤になつているつのであります。
  69. 江田三郎

    ○江田三郎君 それからもう一つ。そういう耐用年限のまあ早いやつになつたら、十五年間持たぬというまあ非常に早いわけですが、そういうような損失と、それから上流の砂防施設をする経費ですね。これとの比較計算というようなものは箇所的にはできているのですか。
  70. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) それはまだやつておらぬそうですがね。ただ砂防堰堤を一事業者にのみそれをやらせるべきかどうかという問題は、これは今後の問題だと思うのですが、まあ恐らく私個人といたしましては、将来ですね。これは一事業者としてじやなく、その河川のいわゆる利用者といたしまして、沢山いろいろに水道に利用しているのもありますし、灌漑に利用しているのもあると思いますし、その河川利用者の一人として、そういう工作物にまあ一応御協力するという面は当然これはあつていいのじやないかと思うのです。ただ電気を起しているのだから、全部一事業者がやれという思想は、これはまあちよつと考える必要があるのじやないかと思うのりです。
  71. 江田三郎

    ○江田三郎君 それからもう一つ。午前中の証言の中に、秋葉さんの言われたのは、治水本位に考えるという話でしたけれども、そうすると今までのダムの作り方というものがどうしても多目的ダムになつて来るのですが、そうしたときの経費のアロケーシヨンというものについては、日発あたりでは何かこう一定の方針を考えておられるのですか。
  72. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 治水の問題に対してですか。
  73. 江田三郎

    ○江田三郎君 ええ、まあ灌漑とか、工業用水とか、まあいろいろな面があるのでしよう。洪水防禦もありましようし……。
  74. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 当然まあそういう地点を計画しますときには、そういうことも考慮に入れて計画しております。
  75. 江田三郎

    ○江田三郎君 だからそのときに工業用水もあるし、洪水防禦もあるし、農業用水もあるというときに、経費のアロケーシヨンする場合、電気としてアロケーシヨンする建前ですね、例えばいろいろな説がありますね、ああいうことについては大体日発あたりで考えておるのはどういう理論的根拠でアロケーシヨンしたらいいと考えておりますか。
  76. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) それはやはり一企業でありますから、霊気中心になることは、これは止むを得ないと思いますが、当然それに関連していろいろ派生すべき問題を一番有利にと言いますか、外の問題にも有利であるような方向で我々の問題も生かして行くということには、当然考えて行かなければならんと思います。
  77. 江田三郎

    ○江田三郎君 だから一定の理論的根拠というものはないわけですか。
  78. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 理論的根拠というものは特別ありません。
  79. 江田三郎

    ○江田三郎君 今のあなたのお話から言うと、仮に多目的ダムを造つてアロケーシヨンやりますね、そうすると、上流の砂防施設についても、その負担部分は上流の方を持てばいいということになるのですか。ダムを建設したときの経費のアロケーシヨンの割合ですね、上流のものも負担して行くということになるのですか。
  80. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) その負担の問題につきましてはちよつと分りませんですけれども、それはやはり経済情勢もあるでしようし、いろいろな情勢もありますから、そのときどきでそれは解決する問題だと思うのです。
  81. 江田三郎

    ○江田三郎君 まあこれが国営とか或いは公営とかで発電をやる場合には、これが簡單でしよう。それが電気だけが一つの営利事業である場合、上流施設の費用に対するアロケーシヨンというようなものが非常に困難になつて来るわけですね。
  82. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) そうですね。併しそれは全然考えないということじやありませんで、どのくらい考えるかという問題がありますから、それはそのときどきの問題としていいのじやないでしようか。どういうことになりますか。今どのくらいの比率でそれをやるかと言われましても、ちよつとそれは私として答えにくいと思います。
  83. 田中一

    ○田中一君 もう一つ、泰阜で今砂をとつている、そういう工事をやつておりますね。
  84. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 何ですか、地元の方々がやつておられるようです。
  85. 田中一

    ○田中一君 日発かやつているのじやないですか。
  86. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 日発はやつておりません。ただあれは補償問題の一環として関係しておりますが、ただあの事業そのものはあの附近の地元の方々がやつておるのです。
  87. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) その問題、私この間行きまして知つておりますが、やはり地元の人が採取した砂利を売る、そういうのでやつております。
  88. 江田三郎

    ○江田三郎君 これは委員長にお聞きした方がいいかも知れませんが、荻原さんの証言の中に、ダムに土砂か溜つて従つて堰堤から下流の河床が下つて来る。そのために灌漑用水が非常に取りにくくなつたという例か諸方にあるということを言われたが、それは実例としてはどういう所にあるのですか。
  89. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 例えて申しますと、愛媛県の重信川、これは砂防堰堤を上流にやつたんです。それで土砂が埋りましたかね。その下流に用水の取入口が沢山あります。ところが川底が下りましてから用水が取りにくくなつた。こういう問題が起りました。併しそれに対して私はこう言つたんです、確かにその問題もある。併し今まで取つておる川水そのものはすでに川底の高いところから取つているのだ。本当の川の状態じやないのだ。いつまでも永続すべき川本来の形じやない。川が深くなりまして、これよりも川は下らない。いわゆる本来の形の川になつたときに、そこに初めてこの用水の取入口を設けるのが何百年不変の立派な用水なんです。そういうふうに考えなければならん。もう一つは砂防堰堤を作る場合、その堰堤を利用して、言換えるならば、現在の用水の取入口、上流ですね、そこから收り得る、そういうことも考え得るのであるから、その用水の取入れが下がるということは事実だが、それは決して憂うることはない。私はむしろこれによつて本当河川の形になり得るのだと思う。但しその場合用水の取入れを改造するだけの費用は、これは十分国としても考えなければならん、こう思うのであります。
  90. 江田三郎

    ○江田三郎君 先程の鬼怒川とか、天龍川、黒部川ですね、あのダムで以てやはり河床が下つたというようなことになつていますか。
  91. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) これはまだ土砂か多いものですから底まで達しない。むしろそれまでになつて来ることを私は待つているのです。
  92. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) とにかく流れ出す方が非常に多いのですから、その過渡期に丁度あるわけですが、そこに非常に問題が今あると思うのです。
  93. 江田三郎

    ○江田三郎君 それからもう一つ萩原さんの証言の中にあつたのですが、犠牲ダムの問題ですね。犠牲ダムという考え方は今の鬼怒川とか、天龍川、黒部川、こういうのはやはり犠牲ダムという考え方に立てば、それでもいいのですか。
  94. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) そういう考えを以て初めから作ればよいのですが、併しそれは始めるときはそういう考えを持つておりません。やはり立派な水力発電という、こういう考えを以て作つたのです。それがその結果において犠牲ダムになつてしまつた。土砂が溜つて……。
  95. 江田三郎

    ○江田三郎君 図らずも犠牲ダムになつたために、それが今後の治水に非常に惡影響を及ぼすということはありませんか。
  96. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 治水上には惡影響を及ぼしません。むしろ現在としては下流のためには好影響でしよう。併しやはり今まで犠牲ダムがよし一つありましても、それだけでは十分の効果をいたしませんから、又上流に第二犠牲ダムと申しますか、そういうものを作らない限りは治水上には効果がないのです。
  97. 江田三郎

    ○江田三郎君 委員長を証人にしてしまわなければならないのですが、将来やはり普通の治山政策をやるとか、それから普通の意味の砂防だけでは、こういう土砂の流出というものは防ぎ切れぬというわけですか。
  98. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 私はこういう意見を持つております。一体土砂の流出はこれは絶対防ぎ得るものではない。但し少しずつ土砂が出ても何ら差支えない。多量に出るからこれは害をなす。これは今日の技術でも十分防ぎ得ることでありますから、やはり砂防工事をもう少しよくやれば被害は全然ない。現にそういうよい結果を砂防工事をやつたところは着々示しておりますから、これを方々に実現すればいいと思います。
  99. 江田三郎

    ○江田三郎君 敢て犠牲ダムという考えを持たなくてもやれる……。
  100. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) そうそう。砂防でできる。特に治水の点から、利水の観点でなくても治水事業の発達によつて十分できる。今日砂防予算をやかましく言つているのは、その点です。
  101. 田中一

    ○田中一君 もう一つ伺いますが、先程の電気の出力の問題ですが、これは土砂というものを差引いた出力を言つているのですか。例えば泰阜なら泰阜が五万キロというのは、五万キロの出力なのですか、それともそういう堆積が七〇何%といつていたと思いますが、その差だけが出力なのですか。出力と水の体積量、水の量ですね。これとの……。
  102. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 出力といたしましては別に減りはいたしません。堰堤の上流の土砂堆積によつて発電所の出力には関係ないわけです。ただ何と言いますか、キロワツト・アワー、水の量的な考え、キロワット・アワーの意味から減るわけです。ですから、いわゆる設備的なキロワツトには出力は変化ないわけです。その代りさつき申上げましたように放水路ですね。水を出します放水路の河床が上りますと、それだけ落差が減ることになりますから、その点ではキロワツトが減る……。
  103. 田中一

    ○田中一君 先程の御説明の泰阜の例は、どういう場合にどう減るのですか。
  104. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 泰阜の場合ですと、結局五メートルぐらい放水が上つておりますから、ちよつとあそこの落差は今忘れましたけれども……。
  105. 田中一

    ○田中一君 大きな影響がありますか。
  106. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 長年にしますと非常に大きくなります。期間的に見ますと……。それからこれは別の話になりますけれども、堰堤の上に、上流にも土砂が溜つたら全然使いものにならんじやないかという話がありますけれども、一応これは便法的な対策と申しますか、私共の方ではいわゆるコンクリートの堰堤の上に可動堰というものを考えております。昔はいわゆる洪水だけ、これだけでいいのだという考えで、洪水をはく最小限度のスパン或いは大きさだけのものを付けたのでありますが、最近ではいわゆる容量としても或る程度確保しなければならんという意味で、成るべくその貯水池、調整池の堰堤の門扉も大きな門扉にしている。ですから少くともその門扉分だけの調整は一応確保できる。こういう観点で、実は今やつております。
  107. 江田三郎

    ○江田三郎君 それからもう一つ伺いたいのは、電気の立場から言えば、成るべく貯水量を持つていた方がいいのですが、ところか治水の面からいうと、むしろ逆に空になつていた方がいいわけですね、洪水時なんか……。そういうような二つの役割の調整というものは、日発のダムの場合には日発か独自の見解で今までやつて来ているのですか、何かそういうことに対して指示を受けるのですか。
  108. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) それは或る程度ですね。
  109. 江田三郎

    ○江田三郎君 或いはそれがために治水面からマイナス的な効果を来したというような事例があつたでしようか、どうでしようか。
  110. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) そういう例は今まで聞いておりませんけれども、まあやはり洪水のときには、使う面でもとにかく天から降る水は成るべく貯水した方がよいものですから、極力使いまして、貯水池を成るべく水位を下げて置くということをやつております。下げて置いて洪水が出たときには水を或る程度貯溜するということはやつております。
  111. 江田三郎

    ○江田三郎君 それは発電所の維持管理という立場から独自にやつているのですね。
  112. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 大体独自にやつております。
  113. 江田三郎

    ○江田三郎君 それについて今までどこからか命令とか、干渉とかいうようなことは受けたことはないのですか。
  114. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 或る発電所についても一応水利使用のときに條件として付けられる場合もあるようです。ただ併し昔はそういうことはなかつた。
  115. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) ただ一つお伺いしたいのですが、以前は水力発電をやる場合に、治水の観点からこれを行政している建設省と、それから利水の観点から逓信省、今の商工省、この二つの省から命令が出るので、事業をなさる場合に非常に時期が遅れて御迷惑をなさるということが、最近はどうですか。
  116. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 最近は余程よくなつておりますけれども、やはり或る程度はこれは一元化して頂いた方がよいと思います。
  117. 武井篤

    專門員(武井篤君) 二点ばかりちよつとお伺いしたい。先程維持修繕のことで、維持修繕の資材の復旧工事に要する費材との比率はお示しになつておるのですが、金の面で維持修繕費と、それから復旧工事費のパーセントとが若しお分りになりましたら……。
  118. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 失礼いたしました。それではちよつと申上げます。二十一年度には水害復旧費として百九十九万四千円計上しておりまして、そのときの大体我々の方の修繕費としては、約二千九百万円貰つております。ですから大体七%程度が水害復旧費として計上されるわけです。それから二十二年度に参りますと、逆に普通の維持修繕費として九千一百万円に対しまして、水害復旧関係としましては、一億四千九百七十万ありますから、一一五%と、こういうふうになります。それから二十三年度になりますと、普通の維持修繕費としましては二億一千三百九十万、これに対しまして水害復旧関係が三億三千七百九十万ですか、この程度になりますから、一一六%、こういうことになつております。それから二十四年度は普通の一般修繕としましては二億五千四百四十万、これに対しまして水害復旧関係が六億四千百五十万ですか、この程度ですから、これがどのくらいになりますか、比例にしますと……。やはり百何パーセントになりますか、ちよつとやつて見ましよう。
  119. 武井篤

    專門員(武井篤君) あとで計算して下さい。それからもう一点ですが、災害は非常に受けられておるのですが、土木工作物が多いのですが、これが土木工作物はどういうようなポイントが多いか。
  120. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) やはり土木工作物は堰堤取入口、これが圧倒的に多いようでございます。
  121. 武井篤

    專門員(武井篤君) 外に電気工作物の方と比べますと……。
  122. 吉田榮延

    証人吉田榮延君) 殆んど電気工作物の方は無視していいくらいです。
  123. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 次に、萩原さんに腹蔵ない御意見を承わりたいと思います。どうぞお願いいたします。
  124. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) 河川対策に対する意見を求められましたので、簡單に私の考えを申上げたいと思います。  先ず第一に、従来我が国では河川対策としまして、治水を第一にするということを考えておりました。その治水という意味は広い意味におきましては洪水の防禦、それから利水、つまり河川利用というようなことも含めた意味だと思つておるのですが、ここで私が申上げます治水というのは、消極面の方の洪水対策という意味だといふことを御承知おき願つて治水という言葉を使わして頂きたいと思います。従来の河川対策治水第一であります。これは明治初年から明治末期に至ります間は、人口と食糧とのバランスがとにかく釣合いがとれておつた。従つて農業水利も余り大規模のものがありません。それから水力発電も大して大きいものは起つていなかつたのです。でありますからして、河川改修にいたしましても、洪水防御を主としてやるというのでよかつたのであります。併し大正の初めから人口の増加につれまして、米の増産ということが叫ばれ、従つて灌漑用水を河川より受入れて行く大きな灌漑工事各所に起つて来る。又工業の発達に伴いましてエネルギー源としまして水力発電が勃興した。このためにいわゆる消極的な治水第一という考え方では、これら利水の要求に副うように立て直して行かれねばならなかつたと思うのでありますが、現実は果してどうであつたろうかと言いますと、ただ河川洪水防禦という面が非常に強くなつて来ておりまして、積極的に利水方面考えるに余り心を入れてないという嫌いがあつたように思われます。近来のように利水面の要求がますます増大して来ますと、いよいよこの河川対策も單なる洪水防禦というだけでは済まなくなつてきたように思われます。最近はそういう意味合におきまして、いわゆる総合開発というような面から、治水利水を含めた河川改修方式というのが漸く取上げられて来たように思うのでありますが、これは今後我が国としてはその線によつて河川対策考えるということが必要であるのじやないかと、こう思うのであります。  第二に申上げたいのは、治水利水の行政がばらばらになつておる。これを是非是正して頂きたいということであります。治水は建設省、灌漑排水は農林省、水力発電は建設省、通産省、河川砂防は建設省、山林砂防は農林省というように、水源から河口まで一有機体であるべき河川に、このように各方面の力が働いたのでは、適切な河川対策が立てられよう筈がないのであります。でありますから、国家のためにどうしても総合的に河川に対して施策を立て、これを実施し得るような機関の実現が望ましいと思つております。  第三には、河川改修工事予算の適正を図つて頂きたい。河川改修工事予算はいろいろの事情からしまして全国的に振撒かれ、いわゆる総花主義の嫌いがあると思うのであります。従つて河川改修工事費は実に個々については僅かなものでありますから、その川全体を改修するのには相当の年月が要るというのが現状であります。従つて或る下流の改修の済んだ部分が一応工事が終りましても、上流がまだ済まないとか或いは上流に荒廃地があるような場合には、その土砂はどんどん下流へ出て来るのでありますからして、折角改修が済んだと思つておりましても、河床が上つて来るということは、結局作つた提防の高さか相対的に低くなるというようなことでありますからして、又大きな水が出ればその堤防を蒿上げする必要があるというような事態が現実に方々に見られておるのであります。でありますからして、今後河川改修は上流から一貫してやり、而もそれをスピード・アツプしてやるということが必要なのじやないか。特に上流の水源地方の荒廃しておりますところでは是非砂防工事をやらなければならない。而も砂防工事はその効果が上るまでに相当の年月を必要としますから、むしろ砂防工事を先行させて、そうしてそれに追かけて下流の河川改修工事を行うという必要があるのだと思います。でありますからして、河川改修工事費の予算は総花的にこま切りにせずに、大体公共の利害に重大の関係ある河川から、即ち重点主義に漸次起工して行く、そうして水源から河口に至るまで急速に一貫して工事を施行し得るように予算措置をとらなければならんことを望む次第であります。  第四に、河川の維持費を増額して頂きたい。河川の流路は一極の消耗品であります。と申しますのは、河川は日夜水が流れております。時に大雨か降れば、その激甚なる流水は雨岸を掘るとか、或いは河床を侵すというような働きをするのでありますから、一種の消耗品である。従つて改修工事が完了したからと申しましても、それを放置しておきますれば、直ちに荒廃することは、これは実例が示しております。ところが従来とかく改修ができてしまつた河川というものに対しての熱が薄いというのですか、維持費が出し澁られるというのが実情でありまして、そのために河川はだんだん荒廃に近付く、従つて水災を繰返して行くというのが現状のようであります。でありますからして、河川の維持費の支出を十分にして頂きたいということを望む次第であります。  次に、河川の管理区を設定して頂きたい。現在河川は地方行政庁でその管内にある部分を管理するということが原則になつております。これは現行河川法の第六條に謳つてあります。併し流域二府県以上に跨がる河川又は対岸、他府県に属する河川では佐々治水上、利水上いろいろのトラブルが起り勝ちでありますが、河川というものは水源から河口に至るまで一つの有機体であるということを考えれば、こういう管理の方法は甚だまずいと思うのであります。この故に公共の利害に重大の関係ある河川につきましては、その全流域を基盤とした河川管理区、これは仮にこう申したのでありますが、河川管理区というようなものを設けまして、河川に関する一切のことはここで処理するということにすれば、前に申上げましたような欠点が除かれるのではないかと思うのであります。  次には、以上述べましたことは河川に対する行政のあり方が大部分でありますが、これにつきまして現行の河川法というものは、明治二十九年の制定にかかつておりまして、今日から考えますと、あまりに時代離れがしておるように思うのであります。従いましてこの河川法を早急に改正するなり、或いは新しい構想の下に一つの新河川法を作つて頂きたいということを希望して置きます。  次に、砂防法についてもこの河川法と同様でありまして、これ又明治二十九年かにやはり制定されたもので大分古いものでありますが、これにつきましても、河川法と同様にして頂きたいと思います。私の話はこれで終ります。
  125. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) ちよつと萩原さんにお伺いいたしますが、今お話の通りに、従来は治水利水という観念で治水事業は同時に利水事業に関連していないところが多かつたのです。これを利水の、殊に発電関係から申しまして、萩原さんは長年発電関係方面から治水を取扱つておられた関係から、どういうふうに持つて行けばいいか、今お話の通りに治水利水に関する行政部門を一つに纏める、こういう話もありますが、又実際治水利水と行政部面が分れているためにどういうふうの不利益があつたかと、そういうことを従来の御体験に鑑みてお話願いたいと思います。
  126. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) 私が従来考えておりますことは河川口を利用します発電についてでありますが、外国はいざ知らず、我が国においてはこの利水というものは治水に協調して行く。治水を第一に立てまして、これに利水が附いて行くという姿でなければいけないと思つております。これは申すまでもなく治水を犠牲にして利水をやりましても、それでは国家として甚だ因ることなんでありまして、先ず第一に治水考えて行く、そうしてそれに利水が協調して行くという姿で行きたいと思つております。今まで実例としましては、発電の利水面ばかり考えますれば、一番採算のいい方式で好きな所にダムを作つて行く、そして好きな所へ水を放流するというのが一番いいやり方であります。併しそういうようなことをやりますと、或る場合においては自然の洪水以上に洪水を起すというような実際の例も起つたこともありますし、又洪水の或る点に来ます到達時間を人為的に早める作用をなさせたという事例もあるくらいでありまして、そういうことは国家としては許すべからざることであろうと、私は考えております。でありますから、どうしても発電方面から見ました利水というものは治水を先に立てて、そのあとに附いて行くという形でなければいかんと、こう考えております。
  127. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) もう一つお伺いしますが、例の水力発電の堰堤を作りまして貯水池を作る。この場合に貯水池に溜つた土砂土砂吐門を開放して流してしまい得る、こういうふうな極く簡易な観念が一般国民の中にあるのであります。ところが私共が方々見た結果によりますと、なかなか溜つた土砂土砂吐門を開放しても、ただその局部だけの土砂は出ますが、全体の土砂は放流され難い、こういう実情が沢山あります。これに対するあなたのお考えは如何でしようか。
  128. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) 只今のお話の通りでありまして、堰堤に土砂吐門を設けましても、土砂吐門の附近の土砂は成る程度流れまして、発電水路の水を取入れることを容易にするということは、これは実際であります。併し堰堤のずつと上流に溜りました土砂は決して吐けないのであります。況んや高い堰堤になりまして、大きな貯水池を作ります場合に、土砂吐門を昔はよく作つたことがありますが、その効果がないということから、最近では殆んど土砂吐門は作つておりません。従つて或る年数が経ちますと、その貯水池のバツク・ウオーターの終り辺からだんだん土砂貯水池の中に入込みまして、そして結局はその土砂は堰堤の頂まで押寄せて来る。現にそういう事例は日本中方方に見られるのであります。それでそういうことは発電をただ営利の対象としてやつております場合は、大体この貯水池は凡そ十五年とか、二十年経てば埋つてしまうということを見越しまして、そしてその間に償却を済ましてしまう。従いまして貯水池土砂で一杯に埋められましても、企業者の算盤の方から見ますれば償却が済んでいるのだから、どうでもいいという考えのようでありますけれども、これは河川としましては、今度はその一杯になりました土砂が又下の方へ押寄せて来るということになるわけでありますからして、甚だ面白くないのであります。でありますからして、営利を企業とする者がそういう観念で貯水池を作るということは、或いはやむを得ないかも分りませんが、国家的に見ますれば、そういうことに対しては或る制約をせねばいかんのじやないかと思つております。と申しますのは、水は国家のものでありますから、それを利用するというからには、その国家の資源たる水を有効に使わせるということが必要なことは論を俟たないのであります。従いまして貯水池のライフを長く持たせるということは無論考えなければならん。そういう意味におきまして、貯水池に流入する支流なり、或いは上流の山地に十分な砂防施設をしまして、そうしてその貯水池に入つて来る土砂を防ぐ。そうしてその国家資源たる水を有効に使うというふうにさせなければいかんのじやないかと、こう思つております。
  129. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) もう一つ、今のお話で、貯水池の生命が大体十五年前後といたしまして、併しこれは多くの国民はそんなことは知らない。一度大きな堰堤を作つた場合には、これによつて永久に変らない発電ができ得るものと、こういう考えを持つているのであります。営利会社の観点から、十五年ぐらいで償却し得るという観点で、そういうダムを作りました場合、又日本中の高堰堤はそういう場合が多いでありましようが、そうすると、今まで作つた堰堤、又これから作る高堰堤、それが今後そう長い年を経ないうちに土砂が埋つてしまつて、発電能力が著るしく減少するという結果になりますから、今後、又今まで発電したものが永続して発電し得るという一般国民の考えと非常に大きな相違が出て来る。この点は国民も十分考えて行かなければならんことと思いますが、私はこれは調節堰堤で木曾の三浦のダム、これは以前の御料林の中にあることでもあるし、先ず一番土砂が埋れないものという観点を持つておつたのです。ところが最近あの三浦のダムさえ多少土砂が埋りかけて来ているということをちよつと耳にしたのであります。そういう事実を考えますと、あなたは国内の方々の発電箇所を実地に踏査されたのでありますが、果して現在の日本の状況で、この貯水池の生命を十分に持たせ得るような好い場所があるか、ないか、そういう所がどこかあるでしようか。
  130. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) この貯水池を高堰堤によつて作りました場合に、それがある年月の間にだんだん土砂のために埋つて来ることは事実でありますが、果して何年に埋るかということにつきましては、この高いダムができてから、我が国としてはまだあまり年数を経ておりませんので、はつきりしたことが申上げられないのでありますが、私の考えでは、或る大きな河川の本流に堰堤を作りまして、貯水池を設けるという場合に、ただその堰堤の、單一の堰堤だけではなく、そのバツク・ウオーターの限界から上流に、いわゆる捨石的に比較的低い堰堤を作つて、そこでまず上流から流出して来る土砂を食止める。従いましてその下流にある本来の貯水池のライフを長引かせるということが望ましいと常々考えております。今申上げましたのは、ダムが二つの場合でありますけれども、これを一つ河川に連続して幾つかの高堰堤を設けまして貯水池を作る場合、その中の幾つかは犠牲にする。つまり犠牲のダムというような考え方が必要じやないかと、こう考えております。そういうことでもしなければ、我が国の地勢上、アメリカ大陸若しくはヨーロツパのような、ああいう穏やかな流れの緩い河川でないのですから、そういう考えで行かなければ、貯水池のライフというものは望み得ぬ。こう考えております。
  131. 武井篤

    專門員(武井篤君) 今後の総合開発という見地に立つて河川を見なければいけないという状態になつておると思います。総合開発というものの中に勿論農業もあり、発電もあるだろう。農業の方はさて置きまして、発電の方に関しまして、この発電が水路式によつて得られるか。ダムによつて得られるかということによつて日本の川の持つて行き方が変つて来るのじやないかと思います。日本の現在の状況においては、今後の総合開発によつて得られるエネルギー源というようなものが、どつちの方向に大体向うのでございましようか。ダムの方向に向うか。水路の方向に向うか。
  132. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) 発電の様式としましては、これは一般論でありますけれども、堰堤を築くのに好い場所があつて、而もその上流が懐ろが相当広くつて、川の勾配が緩いという所は堰堤式の発電をした方が利益である。それからそういうような適地がない。併し水を收入れますから発電所を作るところ辺まで河川勾配が急である。従つて発電所まで持つて行く水路が短くて済むというような場合には水路式の方が得であるというような、いわゆるこれは一般論であります。従来日本の電気事業者としましては、そういうような原則の下に立ちまして、日本の水力電源開発をやつて来たのでありますが、もうすでにそういう原則的に行きましても非常に採算上割に安くできるという場所はだんだんなくなつて来たのであります。でありますから今まで電気事業者としましては、営利を対象としてやる仕事でありますからして、つまり河川のうまみのあるところだけを拾い食いして開発した、こういう状態でありました。従つて今後やりますところは余りうまみがない。でそのために電力原価がコストが高くなるというのが実状であります。それで今後はそれならばどうしたらいいのだろうということになりましたが、ここでいわゆる丁度その河川洪水調節にもよろしいとか、或いはそこから灌漑用水も十分取得る、発電もできる、いわゆる総合的に見まして有利な場所という所に目を付けまして、それを開発するという方向に進んでおります。又それが今日からの電気事業者としても考えて行くべき方向じやないかと思つております。
  133. 武井篤

    專門員(武井篤君) それからもう一点ですが、そうなりますと、大体まあダムの方式というのが考えられて来るのだろうと思いますが、この場合のアロケーシヨンの問題です。費用分担の問題、いろいろな費用分担の方式が考えられておるか、それについて先生の御意見如何でしようか。
  134. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) アロケーシヨンの問題につきましては、いろいろ日本じやまだ見ませんで、アメリカでTVあたりでやつたのを聞いておりますが、あれとても理論的にはつきり決まつたものでもないように聞いておりますが、これはどの面を、つまり例えばここに治水と灌漑と発電という三方面一に利用できるというふうにしましたならば、どこに重点を置くかというところで、各事業が成り立つて行くようなふうに割当てるということになるのじやないでしようか。
  135. 武井篤

    專門員(武井篤君) そういたしますと、採算がとれぬということになりますと、どれもこれもそう負担がかけられないのじやないか、特にイリゲーシヨンの問題については、これはそう沢山の金は出せないのじやないかと思う。発電にしましても、コストで抑えられますと相当大きくなる、そうしますと、どうしても洪水調節という立場に立つた国家的な営利を持たないというような場合に相当大きな負担が行くのじやないかと思いますか、そんな点について或いは私の考えが間違つておるかも知れませんが……。
  136. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) 御尤もなお話でございますが、治水面でその高堰堤によつて調節し得る洪水のために、それから下流におきます堤防なり、護岸なり、或いは河道の整理というような工事費が非常に助かるということでありますれば、これははつきりしませんけれども、相当国家として治水費用に対して負担していいというふうに考えております。これはなかなかむずかしい問題で、数字的にはつきり出すということはできないだろうと思うのです。
  137. 武井篤

    專門員(武井篤君) それからもう一点でございますが、日本には随分水路式の発電所が多いのでありますが、この命脈と申しますか、この方のライフというのはどんなものでございましようか。
  138. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) これはまあ大体水路は石だとか、コンクリート、主としてコンクリートで作つてありますので、まだ日本では一番古くできた発電所と言いましても、明治の二十四年くらいでございますか、でありますから、約六十年、未だに水路としては何ともない。ただ水車発電につきましては、擦り減るというようなことで三十年、長いのは三十年くらい、その間に更新しておるというような状態でございます。でありますから、水路としては殆んど半永久的なものということになるのじやないかと思います。
  139. 武井篤

    專門員(武井篤君) その場合河床の変動でございますね、相当に現在荒れて来ておりますか、その河床の変動、そういつたような河相或いは河床は水路に非常に大きく影響するということの懸念はございませんか。
  140. 萩原俊一

    証人(萩原俊一君) これはときどきそういう実例を今まで私も見聞したことがあります。関東の大震災のときでしたか、あれは酒匂川の支流にありましたが、上流の山地の崩壊によつて土砂が取入品の前に堆積して水が入らなくなつた。又その上流に別の会社の発電所がありまして、発電所の放水路を埋めてしまつた。そうして発電が不能になつたというような事例があります。それはまあ関東の大震災という一つの地震のために起つた現象でありますが、或る水路式の発電所がありまして、その上流に高堰堤による大きな堰堤式の発電所ができ、その堰堤のために上流から来る土砂が押えられたために、水路式の発電所の方の放水路の河床がだんだん下つて来て、そうして放水が、昔は川に自然に流れておつたのが、今度は河床が下つて来たために滝のように落ちて来るようになつたというような実例もあります。それのみならず、これはちよつと話が戻りますが、或る堰堤を上流に作られたがために土砂がそこに溜つて来て、下流へは来ない。従つて堰堤から下流の河床が下つて来る。そのために灌漑用水が非常に取りにくくなつたという事例は現在でも方々にあります。これなどは当然その堰堤を作るときに適当な措置をすべきであると思うのでありますが、何分その河床の下るような現象が早急に現われて来ないものでありますから、これが五年なり、十年後に来るものでありますから、当時気が付かずにおつたのでありましようが、併し必らず起ることなんでありますから、これらは予め考えに入れて置くべきであるというふうに考えております。それから尚砂防工事が非常に成功して済んだために今までのように土砂の流出が減つた。これは大変に結構なことである。併し下流の方の用水が、そのために河底が下つてきて水が入り難くなつたというような事例もあります。尤もこれらは灌漑用水路のことでありますから、本格的の取入設備でありませんから止むを得ないと思うのでありまするが、そういう灌漑用水の方にして見ると、川全体として見ては非常喜ばしいことであるが、自分達だけには甚だ迷惑だというような事例がよくあります。
  141. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 証人に対する聽取はこれで終ります。  一言申上げます。本日は各証人は誠に御多用のところわざわざこの委員会に出られまして、誠に有益な各種の証言をされ、有難うございます。この委員会はこれらの証言を今後なるべく有益に利用するようにいたします。謹しんでお礼を申上げます。有難うございました。  今日の委員会はこれを以て散会いたします。    午後五時三十二分散会  出席者は左の通り。    理事            赤木 正雄君            岩崎正三郎君    委員            石坂 豊一君            石川 榮一君            島津 忠彦君            江田 三郎君            田中  一君   事務局側    常任委員会專門    員       武井  篤君    東京大学教授  秋葉滿壽次君    元東京大学教授 野間 海造君    日本発送電株式    会社社員    吉田 榮延君    元内務技師   萩原 俊一君