運営者 Bitlet 姉妹サービス
使い方 FAQ このサイトについて | login

1950-10-20 第8回国会 参議院 建設委員会 閉会後第5号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十月二十日(金曜日)    午前十時三十六分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○建設省その他の建設事業に関する調  査の件  (治水技術に関して証人証言あ  り)   —————————————
  2. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) それではこれから委員会を開きます。法案審議或いは請願陳情の審査、又その外この委員会にかけられまするすべての問題を処理するにおきまして、長年内務省において治水その他の土木関係されておられました我が国における最もその方面学識経験に豊かな前川君、眞田君、青山君並びに建設技監といたしましてアメリカに行つて向う土木事業を研究調査して最近帰朝されました稻浦君。各四君からしていろいろとお話を承わることは、法案その他の審議上に最も有効なことと存ずるのであります。つきまして、その機会を考えておりましたが、本日証人という名前におきまして、この四君に来て頂いた次第でございます。或いは証人という名前が当らないかも知れませんが、この委員会として腹蔵なく皆さんの御意見を聞きたい、こう思つております。  そこで委員のお方にお諮りいたします。この「議院における証人宣誓及び証言等に関する法律の」第三條によりますると、宣誓を行う場合には、証人宣誓書を朗読させまして、且つこれに署名捺印させることになつておりますが、すでに私の手許に署名捺印宣誓書が参つておりますので、宣誓書の朗読を省略いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 御異議ないと認めます。尚各証人証言が済んだ後に御質問を一括してお願いいたしたいと思います。これも御異議ないでしようか。    〔「異議なしと」呼ぶ者あり〕
  4. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) それではさように取計らいます。つきましては、先ず第一に前川君からお願いいたします。
  5. 前川貫一

    ○證人(前川貫一君) 甚だ僭越でありまするが、私共三人出席を御要請に相成りまして、揃つてつておる次第でございます。つきましては、我々三人おのおの存じよります点につきまして、昔からのいろいろの仕来りだとか、かたがた現在の状況にも少し触れて見たいと思うのであります。何分私共は治水界におきましても、最長老というような格になつておりまして、我我に継いだいろいろ経験のある方も大勢おられますし、数も多いことでありますが、まあ私の昔からの話なり、仕来りを一つ聞くのもいいであろうという趣旨において、多少御参考になる点もあるかと思います。尚、三人がお話申上げる事柄につきまして、つまり分野につきましては、まだ十分相談する暇もなかつたのですが、大体において私は新潟におりましたし、それから利根川改修にも携わりましたし、それから木曾川の改修にも携わつたわけであります。且つ又土木局にまる五年おりまして、日本全体の土木工事監督という方面にも携わつた関係もあります。要するに薄つぺらな観察でありますけれども、まあ多方面亘つて多少の経験もあるわけでありますから、先ずこのお示しなつた事項につきまして、大体のアウト・ラインと申しますか、極く大雑把でありますけれども、いろいろ私の知つております範囲内でお話申上げたい。尚その仕上げにつきましては、眞田君なり、青山君にいろいろ実地の御経験なり、活躍された長老でありますから、そういう方面お話願つて、私の申上げた事柄に対しての仕上工作と申しますか、そのお話願つて参考に供するのが最もいいんじやないかというような考えで、この眞田君なり、青山君に御相談申上げ、先ず私がこのお示しになつた数項目につきまして、一応の輪郭だけを申上げて見たいと思うのであります。どうかそのおつもり皆さんお聞取りを願います。何分我々技術者出身でありまして、弁舌も極めて訥弁でもあり、その知識経験至つて貧弱でありますから、余り御期待に副うわけに参りませんけれども、どうか暫くの間御清聽を煩わして、多少なりとも御参考に供することができれば誠に仕合せだと思つております。ではこれから私共の申上げたいことを極く大雑把に述べて見たいと思います。この赤木君からお示しになりましたる今日申上げる話、直轄工事請負工事の優劣ということ、それからして私共が関係しておりました時代工事施工法、それから又その監督状況、それからして直轄工事状況、これは各国に亘つて状況をお聞きになりたいという御意向と存じます。尚最初におきまして利根川水源総合開発法を作れば、これはどういうふうにしたらいいかという考えのようでありますが、これらは別々にお話申上げろのが或いは分りいいかも知れませんが、いろいろ関連しておりますから、又そうすると時間がかかりますから、私お話申上げまして、これらの諸問題に触れて見たい。こういうまあ大体の私は考えで以てお話して見たいと思います。どうかそのおつもりで御清聽を煩わしたいと思います。  この治水工事ということにつきましては、御承知通り、私から申上げるまでもなく、米が日本の主食で、殆んど米に依存しておつたというような関係もあります。封建制度でも皆石高で以てすべてを表現したというような関係になつております。それですからして封建時代でもいわゆる農業ということに対しては特別の関心を拂つておりましたのは当然でありますが、昔から士農工商と言いまして、士の次にはすぐ農を重んずるというようなまあ国になつておるのであります。それでありますからして、私も詳しいことは存じませんし、又あまり工史にも載つておりません。書類には載つておりませんが、いろいろ工事について見るところによりますると、治水事業というものは、余程重きを置いて各地とも始終研究努力して方策を講じておられた形跡は十分見受けることができるのであります。徳川幕府におきましても、そういう点は余程重きを置いたものであります。現在の米倉と称する新潟県なんか、信濃川治水に対しては随分いろいろ努力された形跡はあるのであります。現に今信濃川流工事から分割して寺泊の方に放流しておりますが、これも小さい谷川を利用してやるのですが、菅から信濃川水量を少しでも低減しようという考えの下に、今からいうと、私の推量ですが、一万立方尺の水を海へ落す。そうして本川の水量を多少なりとも軽減しようという計画の下に、これは相当の大事業であつたのですが、随分全力を盡してやつた。又工費も費やして相当努力をされた話もあるのであります。それが御承知通り、あの辺は土炭質でありまして、折角掘つてもすぐ又塞げられるというので随分困つたりしたというようなこともあるのであります。こういう点を以て見ましても、何しろ信濃川水害の軽減ということについては、皆が頭を悩ましておられたものと想像できるのであります。  それから利根川とてもそうであります。これは徳川幕府においてはお膝元を冒す、脅威を受けるという関係もありますので、我が国唯一の肥沃なる関東平野、この肥沃なる関東平野を守るという両方意味からてし、いろいろ努力された形跡がある話があります。現に今の中川になつておりますが、それを古利根川と称しておりますが、往古には利根川あすこへ流しておつたのであります。それは幕府としましては江戸水害を防禦するためのものを廃して、そうして利根川の水を遠ざけるため、終りに銚子口に全部向けるに至つたのであります。いろいろ江戸川につきましても、利根川の水なり、渡良瀬川の水が氾濫して、そうして江戸脅威を與えたというようなことで、あすこは非常に狭まり易い。いろいろ或る場合には口元をうんと開げて水の量を制限するというようなことをやつた形跡があるのであります。その外いろいろありましようが、そういう点は更に眞田君が詳しく又お話しになるかも知れません。  利根川はそれだけにしまして木曾川であります。木曾川も濃尾の平野を流れておりまして、これが木曾川と揖斐川長良川と三川集中しているのでありまして、それがいずれも水源に近いものですから、その水量相当に多く、流勢もそれぞれ早くなつております。ですからして非常な濃尾平野脅威を與えておつたのであります。こういうような関係で、丁度名古屋徳川親藩になつておりまして、それを保護するという意味で、木曾川の尾張領の側はお囲い堤防と称して大きな山のような堤防を築いて、そうして親藩領分を犯さないというようなわけでうんと大きな仕事をして水を防いだ。その結果どうしても岐阜県の方に向つて洪水が余計押込むというようなことになつておるのであります。殊に徳川政府の、幕府の勢力が成るたけ藩の力を弱くするというような意味で、岐阜県の方は非常に小さい藩が沢山あるのです。そのようなわけで、どうしても岐阜県の方の側は足並が揃わないのです。てんでに自分領分を保護しようというので足並が揃わない、そういうことになつているのであります。それで外の川には例はないのですけれども、輪中という自分領分だけを保護するためそれぞれ囲う。この川の輪中ということは他河川に見られない特殊の方法でありまして、至るところに輪中沢山あります。そんなようなわけで、なかなか名古屋領の方では安全ですけれども、岐阜県側の方は非勝に圧迫を受けて、まあ水害で以て非常に脅威を感じておつた。自然の数でも当然だろうと思います。  少し話が長くなりますけれども、これは歴史的で面白いから申上げて見たい。或いは御存じの方もいるかも知れませんが、あらまし申上げます。丁度その徳川時代の末期でありましよう、徳川が大分疲弊してしまつたときであります。その際薩摩の方は名君が相次いで起りまして、ますますその国富は増進し、産業は発展するというわけで、薩摩は隆々たる勢いで発展して行つたのであります。それですからして徳川幕府としては取りたくて仕方がない。どうしても謀叛しやしないかということがどうも心配になつてならないのです。それにつきまして徳川姫君薩摩の方に降嫁する。つまりお嫁にやる。降嫁をして懐柔しよう、こういうような政略をとつたものと見えます。ところが不幸にも姫君が亡くなつたか、実は私ちよつと記憶しておりませんが、どちらかが亡くなつた。ですからそれで折角懐柔しようとした縁故が立切れたわけです。今度は手の裏を返すような按配で、薩摩をいじめよう、どこまでも薩摩を睥睨しようという政略の下にやつたのです。例の岐阜県の方は大分困つておりまして、三川相乱れて囲うというようなことで、長良川揖斐川乱流交錯、それを分けて縁を切ろう、勿論全部じやありませんが、一番困難であつた油島という所の締切ですね、両方の川の水をここで断ち切ろうという仕事なんです。その外まだ沢山あると思いますが、どうもあいにく記録がないのです。記録は大垣にあるという話も仄かに聞いておりましたけれども、なかなか県で取ろうとしても、それをなかなか容易にでさない、大変商い代金を請求してなかなか出せるわけに行かぬというようなことも聞いておりますが、或いは材料は随分あるかも知れませんが、今ある材料というのは至つて貧弱である。要するに今お話申上げるような油島以外のことは私申上げる資料もありませんし、あまり存じません。一番昔の仕事でめぼしいものと言えば、油島と言うくらいにめぼしい仕事になつておる。こういう仕事幕府から薩摩にやらして、そうして薩摩財政を大いに貧弱にしようという企らみだと想像されますが、薩摩に対しまする命令は、勿論昔のことですから、幕府命令というものは背くわけにはならない世の中でありますから、仕方がなく唯々諾々として命令に応じたわけであります、つきましては、一の家老平田という人でありますが、この平田を総大将としまして、数はやはり忠臣蔵の四十七名になんなんとするのじやないかと思うのですが、四十七名に近いものを率いて……今眞田さんがおつしやるには数百名ということですが、めぼしいものは四十七名しかいなかつたのです、それを率いてその仕事に当つた。金はよく覚えておりませんが、十河万両というふうに記憶しておりますが、そのくらいの軍資金を大阪で調達して出かけたのです。ところが幕府薩摩を苦しめてやろうというのが本旨ですから、農民にわらじ一足でも安く売つてはいかぬ、できるだけ要領よくしろ、その他の資材の徴発に対しても決して安売をしてはいけない。まあ成るたけ高く売れというくらいの難事であつたように聞いております。尚その上にどうせ労力が大分要るのですから、その労賃も遠慮しないで貰えというようなことであります。それから薩摩のことですから、それ程治水事業経験のある人も少いし、況んや経験もないし、技術の方も非常に幼稚ですから、結局その辺の農民に勝手にしてやられたというような姿になつたのです。けれども、とにかく藩命もだし難くして一生懸命努力しまして、とにかく成功はしたのですが、そういうような関係で金がうんとかかつたり、予定の価格の三倍かかるとかというようなことでありましたが、そんなようなわけで、金がうんとかかつて、それで竣工しましてから責任上平田初めすべての入が自殺した。今でも桑名に墓が残つておりますが、そういうようなとても悲惨な歴史がある。それで岐阜県でも非常にそのときの恩義を感じまして、治水事業というものでは小さいのですけれども、桑名にその墓を建てて、そうして今でも祭をここでやつておるわけです。鹿兒島でも師範学校の生徒は卒業真際に記念に一回は必ず旅行して参りまして、必ずその墓に参り、油島を訪ねるというようなことになつております。そういうようなわけで、とにかく徳川時代にも治水にはとても力を盡したことと想像できるのであります。今でこそ台風も頻んにありますし、水量は増す一方で、今まででき上つたものに対しても再検討をして、又莫大な工費を要するというようなことが結論になつておりますが、とにかく昔からあつたものだということを御参考までに申上げて見ただけであります。  尚淀川なんか大阪を控えておりますが、いろいろありましよう。これは眞田君から詳しく或いはお話があるかも知れませんが、そんなようなわけで、私の知つておる範囲内で申上げたに過ぎないのでありますが、とにかく徳川幕府時代でも、水利事業に対しては決して今に劣らぬ苦心をして、いろいろ努力をされたということだけは言えるのじやないかと思います。そういうような次第で、治水は昔からの癌になつてつたのでありますが、明治政府に至りましても、いわゆるこの治水にはやはり重きを置いて、早速オランダあたりからも錚々たる技術者を呼んで来て、いろいろ意見を聞いて治水工作をやつておられたようであります。  それで我が国御存じ通り平野至つて少く、大抵山の押出しの甲野ですから、大きな中野には必ず大きな川が近くにあるというように思います。やはり川に接近しなくてはどうしても米を作れないということになつて、とにかく耕作は川に接近しなければできない。けれども、丁度川の押出しでできたところが多いのですから、やはり水を最も必要に感じておりますけれども、又水の脅威というものを夥しく被むつておるというような自然の状態になつております。それで明治政府におきましても、今お話し申上げました通り外国人を招聘していろいろ計画を立てられたことと思います。それで日本に適しないかも知れませんが、適する所も無論ありますけれども、全体として適するか、適しないかは問題ですけれども、ともかく大きな川の低水工事をやる、つまり低水を乱流させないで安定さす。そうしてナヴィゲーション、交通を助けるというのが目的でありませうか、又一つは川を安定さして、洪水のときにも無暗に川が乱流しないように、一定の川の道を與えるという面にも無論努力しておるのであります。そういうようなわけで、随分外国人意見をも容れて低水工事というものは紀当盛んにやる。低水工事は国でやり、それから洪水工事はその地方地方でやらせる。低水工事だけは国の費用でやるということが大体の建前になつてつたのであります。殊に幕府時代相当やかましく低水工事をやられたでしようけれども、やはり維新政府の成立ちまする前後は、どうしても綱紀が薫れて濫伐も相当行われたようであります。そんなようなわけですから、山は明治初期でも非常に荒れておつたのであります。外国の技師なんかは砂防ということに対して相当重きを置いてやつております。それによりましていろいろ工事も起したでしようが、私はそこまでは詳しく存じませんが、淀川について見ますと、その支川たる木津川から吐出す土砂沢山でありまして、淀川にてはこの土砂を減するのが焦眉の急に追られておりました。それから琵琶湖からの宇治川の土砂を防ぐために滋賀県の方では石山方面ですけれども、山がとても坊主になつておる。これはどうしてもどうかしなければならんというようなことで、いの一番に滋賀県の砂防相当にやられたようであります。まだ各地にも無論外国人の勧告に従つて随分砂防工事を起しておられたのでありますが、今では思いがけない所に昔の砂防工事の堰堤が残つており、それが随分壊れたものも沢山ありましようけれども、相当形跡も残つておるようなわけであります。明治初期から砂防に対しては相当に力を入れておられたように見えるのであります。  それから次に洪水工率ですか、私の知つている範囲内だけを申上げるのですが、例の信濃川我が国でも唯一の大河でありますので、どうしても信濃川改修を早くやらなければならぬというようなことで、信濃川を先ず第一着手工事にかかられたものと思います。それの初めはあなた方は御存じは無論ないでしようが、あの古市さんは治水方面の最元老なんですが、フランスから帰朝され早々新潟出張所長として勤務されております。それでその古市さんは御存じない方が多いでしようけれども、そういうようなわけでありまして、そういう関係古市さんか新潟所長なつた。本当の川の先生で、ちやきちきの土木先進者でありますけれども、早速その新潟所長として信濃川治水に没頭された。その後におきましても、一、二の地方で現在の直轄工事の元祖といわれる沖野忠雄という方もおられた。その方もその新潟所長として信濃川改修に当られた。そういうことからしますと、その時代でも信濃川治水ということに対しては明治政府においても余程力を難しておられたのであります。そんなですから、私共は明治三十年に大学を出まして、それから大阪に一年おりまして、それから直ぐ新潟参つたのであります。明治三十二年頃になりますと、その時分はあなた方は未だ生まれておりませんでしようけれども、その時分新潟大阪から転任して参つたのであります。その時もうすでに大河津から二里くらいの工事は確定されまして、もう仕事もでき上つておりました。明治三十二、三年にでき上つておりますから、余程古いです。とにかくあれだけの仕事を以てでき上つておりました。何しろ古市さん随分研究されたものと見えまして、研究の結果これだけの川幅にして、こういうふうに川を整理しようという方針を立てられた。仕事は例のお話申上げた通り河川工事は県でやるというやはり建前を堅持されていたものと見えまして、その後随分長い間ですけれども、その仕事は県で施行して計画古市さんが專らやる。仕事の方はやはり県でやられるという仕組みでやられたかは、私そこまでは知りませんか、とにかく県が主宰としてその仕事を施行されたのであります。で私共学生でよく河川講義を聞きますと、やはり古市さんがその講義資料を、先生はおりましたが、古市さんの弟子の方から我々は教わつたけれども、その講義にはよく信濃川が載つておるのであります。御覧の通り信濃川、阿賀野川から大河が入りますし、なかなか水路上むずかしい所でありますから、随分苦心されたものと見えますが、とにかく両先輩が心血を重ねて計画された結晶だと思いますが、それによつてでき上つております。ですからして明治政府になつて最も早く着手されたというのは、信濃川重きを置いて、日本の精鋭をすぐつて仕事を進められたというふうに想像できると思います。  それから次に利根川ですが、これは佐原以下の川面の例の浚渫をやる。川を俊つて水の流れをよくする。浚渫という面を随分外国から沢山の人を迎えられて仕事着手されたのであります。木曾川の方は今申上げた通りに、ただ下流だけですから、これをもつと本当に仕上げなければならんという必要もあつたのでありますけれども、これも国としては重要な仕事であるという意味合から、木曾川下流の三用分流工事という第一着手にかかられたのであります。これも大事業でありまするが、とにかくあのときの方は随分努力されてでき上つたものと見えまして、その従事しておるものがやはり木曾川の工事に慣されたものが我々の方に引継いで来られた。工夫の方もありましたけれども、その時分は今と違いまして星を頂いて月を踏んで帰るというようなふうに、本当の献身の努力をして協力して仕事をやつて仕遂げられたというようなわけであつたと思います。そういう人達が来るとやはり仕事が熱心であります。外のものと際立つてよくやる。それが今立派に残つておるということは事集と思います。そんなようなわけで、木曾川の下流工事或いは三川分流仕事ができ上つたのであります。私共学校を卒業するときはすでにでき上つておりました。そのときの竣工式のときなんか、総理大臣内務大臣か知りませんが、とにかく三大臣が見えられまして、例の今申上げました油島で竣工の祝賀会を開くというようなことで、とても盛会であつたことも聞いております。その他淀川のことは知りませんが、あとで眞田先生からいろいろお話があるかと思いますから、ただ私の知つておるだけをほんの概略を申上げて御参考に供します。明治維新政府におきましても、すでに成立早々重要な治水策に対しての実施に対しては、随分貧弱な財政であるけれども、万難を排してこれだけの仕事に黄手されたのであります。その次の信濃川におきましては、お話申上げるように、どうしても洪水を令のままでは安心できない、どうしても洪水を他に考慮する途がないかというようなことが多少念頭に浮んでいたのであります。御存じ通り信濃川の越後の平野というものは、とても地盤が低いからして、冬に行きますと、海のように感ずるくらい水が溜つております。ですから川の水位を低めることは絶対な要件でありまして、その水位さへ低めることができれば、できるというような状態にあるのであのます。どうしても開通はできましたけれどもまだ不十分である。できるならばもつと水を低いところに落すというような建前から、今お話申上げた大河津から二里ぐらいで海に達するのであります。僅か二里でこういうのでありますからして、できるだけ信濃川の水をあすこへ放流して、下流に二万町歩あります耕地を潤して増産をするということがやはり問題になつて来まして、初めは信濃川の水を全然あそこに向けるというようなことはちよつと思もよらぬというような考えで、或いは四分の一ぐらいを放流するというようなことでいろいろ計画を立てて見たのです。それは私が関係しておりましたから、申上げる資料があるのですが、そんなわけでいろいろやつて見たのですけれども、どうせやるものならば、もうそれは信濃川の水全体を放流した方が、下流の二万町歩の死活問題であるからして、犠牲を拂つてつてもいいじやないかというような論が起つて参りました。御存じの遜りあそこに山がありますから、二十万からの水を放流する場合に山の掘繋が大変である。どうも良本の技術じやまだ不安たというような考え方が相当つたのであります。ところが、眞田君なんかは詳しいのですが、淀川経験から割出せばどこも恐るるに足らず、一千万というとになりますが、そのくらいのところなら恐るるに足らぬ。そんなむずかしい問題じやないというようなことを、沖野さんなんかもしきりに強調されまして、遂に信濃川全体の洪水を非泊に放流する、丁度距離は二甲ぽかりでありますが、そういう結末が着きまして、それからぼつぼつ仕事にかかる段取りになつたのであります。そういうような関係もありまして、今の信濃川の放水というものは成立したのであります。けれども、何分その時分はまだ国家の財政も貧弱でもあつたものですから、その後落手されましたのはそう数多くはないのであります。ただ淀川改修工事というのは千万円の予算だつたと記憶しておりますが、そのときの千万円はとてもやかましいもので、話は遡りますが、信濃川の寺泊放流に千万円以上になつてはとても成立の見込がないということで、千五百万円は少くともかかるという予想でありましたけれども、まあ千万円で切りつめるというようなことでありました。予算がないので、千万円で成立させたのはとても破天荒の飛躍であつたものと思います。それで淀川改修工事が成立いたしまして、私も学校を出て、丁度同期生が三人いましたが、一時に大阪監督所に採用になつたの淀川改修工事に千万円が成立したお陰です。それで我々を雇つて貰う財政経済も成立つて赴任したわけであります。そんなようなわけで淀川の千万円の改修工事というのは、とてもその時分じや破天荒の飛躍であつたのであります。そういう関係もありますので、そのときの所長は沖野さんという方でしたが、どうも日本技術をいうものはまだ発達していない。日本仕事は土工が多い。どうしても土工というものに対して余程考慮しなければならないというような考えで、とにかく日本の土工技術はまだ発達していないし、河川工事のことですからして、営利事業じやないものですから、どうしても区域は広いし金がかかる。とにかく安く上げなくちやならない、それが先決問題であるというふうに考えられましたためでしよう、とにかくそれやこれやで直轄工事で進めて行く。それにはどうしても今までのような人力にばかり頼つていてはとても見込かない。どうしても機械力で援護しなければならないということで、そのときわざわざ外国の機械を大分購入されたのです。それで沖野所長考えでは一つ模範的な仕事をしたいというような考えで、余程の意気込みでかかられたのでしよう。そのようなわけで、どうせ金は余計かけられませんから、成るだけお役所の暇なときを利用しまして、沿岸の労力を利用することが一番安上りです。それから機械は自分の方で購入して、そうして将来日本の土工の雛型、標本を作ろうというような意気込みでかかられたと思います。私も大阪で一年やつて、どうも予算がないから、新潟の方へ転任して行つたのですが、ここにおられる眞田君は丁度引継いでおられまして、そうして淀川の土工はまだそのときは先輩か児えて、先輩が大将になつて眞田君が新進気鏡で入つてつた所長がそういう意気込みですから、皆の意気込みも盛んであつたのです。ですから本当のわらじ履きで、土にまみれてやるというくらいの意気込みで、いわばあの直轄工事に従事されたのであります。それが一つのお手本になりまして、その後こういう直轄工事仕事の基礎を作られたといつても過言ではないと思います。その点につきましては、直接かかられました眞田君が或いは多分申上げられるだろうと思います。そういうようなわけで、淀川改修直轄工事の一つのお手本を桁えるという意味でかかられたのであります。ところが淀川の方は大分仕事も進みまして、竣工に近付いて来たときでもあろうか一思います。丁度私が十何年経つておりますから、淀川は殆んど完成した時分であつたのであります。そのとき幸か不幸か、明治四十三年の大分大きな洪水で困つてつたのですが、丁度四十三年の大洪水になつて、主に関東、東北地方を荒したのでありますが、殆んど日本の半分を浸したのであります。それでやかましい世論を起しましたし、どうもこのままにして置けないということで、今までは余り洪水に関しては一般の関心もなかつたのでありますけれども、ここまで来ると、そこで初めて非常な関心が喚び起されたわけであります。そのときに内務大臣平田内務大臣でありましたが、大臣みずから被害地を視察されまして、尤も沖野さんもそれについていろいろと御説明もされたのでしようが、そのようなわけで世論が非常に沸騰して参りましたし、どうしても飛躍しなければならんというような機運が起つたのであります。つまり四十三年の大洪水が起きまして、治水事業を盛んにしなければいかんというので、予算も思い切つて取ることができた結果になつたのであります。それで、先ず第一に利根川ですが、利根川は、延長が七、八十里もありますし、江戸川も十五里ある。又渡良瀬もありますし、とにかく関東平野に跨つておるのですから、とても延長は長いのです。これはどうしても帝都の重大な関門でもありますし、最も我が国で肥沃な関東の大平野に大変重大な影響を及ぼすものですから、利根川治水はどうしても早くやらなければならない、早急にやつて、被害を免れなければならないということで、利根川に特に主力を注いでやることになつたのであります。尚そのとき、東北地方が非常に荒れまして、例の青森県では津軽平野というのがとても大きいのです。余り世間の人は知りませんが、津軽平野はとても大きい。ここに岩木川という川がありまして、これがとても脅威を與えておるというので、岩木川を改修しなければいけない。それから秋田県では雄物川であります。これも秋田の大きな平野を控えておりますが、秋田県ではこの雄物川を改修しました。それから山影県では最上川、これは大きな川ですが、これも改修しなければいけないということで、これも着手することになつたのであります。信濃川は、すでに治水工事ができておりましたから、余り問題は起らなかつた。その外北上川、これもなかなか大きな平野を控えておりまして、非常に大きな川でありますが、これも改修が必要であるということで、北上なんか第一に取上げられたというようなことになつて、引続いていろいろな川が皆取上げられて着手になつたのであります。それはめぼしいところを申上げれば、信濃川の直ぐ隣りの川の阿賀野川、これの改修、それから冨山県では神通川、それから庄川はもうすでに成立つておりましたから、庄川は問題にならなかつたのでありますが、神淀川をやつた、それから石川県では手取川、それから静岡県では安部川とか、天龍川とか、富士川とか、こういつた川が第二次として皆上つて來たのです。その外木曾川の下流は、その辺の工事ができましたけれども、上流はそのままに打つちやつてありますから、木曾川の上流の改修工事をやるというので、それで着手するということになつております。それから中国は余り大きな川はないのですけれども、高梁川のことも着手になりましたし、その外九州は余りありませんが、まあそんなわけです。これはめぼしいところを申上げたのであります。  そういうようなことで、第二次に大分めぼしい川は取上げられた。各県に亘つて、めぼしい川は皆手を構けたということになつたのであります。それらの仕事がおいおい結了するに従いまして、第二流、第三流ということになりますが、そういう川まで引続いて仕事をやつておるのであります。私も近頃現職から大分遠去かつておりますから、詳しいことは存じませんが、随分全国に亘つて相当な川らしい川は皆改修工事着手して竣工したということになつております。これが私共考えております範囲内での直轄工事の概略と申しますが、そのようなわけになつております。  それから施工状況ということになつておりますが、この施工状況はこれは今お話申上げたように、淀川で以て一生懸命に育成された人もおりますし、経験もあるのですから、そういうものをやはり利用して、そうして利根川改修工事とか大きな仕事はやらなければならんということで、これが一つの典型となつて河川とも、つまりやはり同じやり方で進んでおるものと思います。今申上げた通り成るべく安く上げて、そうして直轄工事をやるという建前で来ておりますから、現在進行しておる直轄工事というものはそういう伝統的な仕事なんです。それですから、その仕事の施工状況なんかは真田君が一番詳しいのですから、後刻申述べられることと思います。これが本当のあらましですけれども、私共おりましたときの施工状況……施工状況のことは余り深く立入りませんでしたが、これは真田君に譲りましよう。それから私おりました時代直轄工事状況も朧気ながらちよつと申上げて置いたのであります。ですから、余り長くなりますから、私共はここに書いてあります施工状況直轄工事状況というものはこの辺で打ち切りまして、まだ二方お見えですから、その方々に詳しく又お話願つてもよいのじやないかと思いますので、私はこれだけで終りたいと思います。  次に直轄工事と請負との優劣に対しての意見ということが書いておりますが、どうもこの直轄工事請負工事というものは、おのおの一長一短があるだろうと思います。抽象的に申しますれば、土木技術というものはごく僅かな金を以て、ごく僅かな犠牲を拂つて最大の効果を挙げるということが土木技術の真髄でおります。それでありますから、その点を主として考えなければならないと思いますが、この優劣ということは抽象的に申しますれば、至つて抽象的ですけれども、請負は自分の営業である以上は相当の利益も上げなければならんということにもなりますし、まあどうしても直轄工事よりも、極く大掴みにいえばどうしても請負工事の方が高くなるということは先ずいえるだろうと思いますが、ただそういう抽象論だけでは実際においては役に立たぬで、いわゆる実現方法がどうか、現実はどうかというところまで入らなければ優劣問題の解決にはちつともならぬと思う。それでここに優劣という意見を記帳されておるわけでありますが、今現在やりつつある直轄工事請負工事に組替えた方がいい、組替た方がいいか、悪いかというようなふうに今考えるのが、現在においてはこの問題に対する回答として最も肝要じやないか、こう思うのであります。それで直轄工事は今まで申上げました通り、とにかく最も安く、最も着実に手堅い仕事をしよう、そうして相当の工程を上げるというモットーの下に行われておるのでありますから、相当な機械も購入して、そうして機械力もできるだけ利用しよう、お役所の暇なときを利用するというだけじや、お役所じや忙がしいときもありますから、それだけじやどうも足りない。その間の繋ぎ、いわゆる空白ですか、その空白を補うにはやはり機械力も並用しなければならんということで、機械力も相当に利用しようということになつておるのであります。それですからして、今の直轄工事は極くまじめに手堅く、極くじみに施行するというのが伝統的の何になつておるのでありまして、現在でもやはりその趣旨の下に従務員の諸君などはかかつておられることと思います。何しろ直轄工事はそういう趣旨でできておりますから、とても手堅い仕事なんです。川の仕事ですからして、目に見えぬところになかなか金がかかつて。そうして又それが最も重要な意味を持つておりますからして、直轄工事になりますと、従務員、いわゆる設計者でもあり、施行者でもあるというような形になつておりますから、いわゆる設計の精神というものに対しての感覚がどうしても強いと思います。それから大切な仕事に対しては、それだけに又注意を拂うということに自然なつて参りますから、自然手堅い仕事ができるということは、これは皆さんにも御納得が付くことと思いますが、そういうことは確かだと思いますけれども、欠点から申しますと、やはり工費を節約したその利益が個人経済に直結していないと言いますか、とにかく公務員で俸給を貰つてつておるのですからして、そのまま技術者の本分として一文でも安くしようというのは、これは当然の義務でして、やはり請負程にはどうも直結していないという嫌いはやはり多少あるのではないかと思われるのです。その点はやはり直轄工事が請負なんかに比べて幾分か熱意と言いますか、情熱と申しますか、そういうものがやはりどうも請負側と比べると或いは少しは劣りはしないかというふうな考えも起らぬではないのです。それから一つは材料の購入ですが、良い材料沢山買わなければなりませんが、その材料の購入なんかにつきまして、やはり請負の方が市場の何も精通しておりまして、我々技術者考えておるよりも、そこはどうも多少利巧じやないかと思うのですから、幾分か安く買えるということが想像できます。その点は直轄工事請負工事に或いは僅か劣りはしないかと、私共ちよつと想像できるのです。それからして請負工事はやはり金利を争う。とにかく大きな金を動かすのですから、その金利がいわゆるインテレストですから、これがなかなか大きいと思います。私もちよつと会社に関係したことがあります。仕事を企画を立てる期間寝ますから、その金利を考えるとなかなか馬鹿にならぬ。何しろ大金ですから……。それからしてどうしてもそういうことがお役所では構わないでおりますから、いわゆる期間というものも無論大切でありますけれども、請負が感ずる程この期間ということに対しては、幾分か比較したら落ちはしないかということも考えられます。それからして向うは民間の仕事ですから、熱心のあまり創意であるとか、融通性というようなことは、お役所だと会計法とかいろいろ制肘を受けますから、機敏にやることはできない。やる側にしろなかなかそう簡單に行かない、請負はやる気さえあれば、與えられる便宜が無論あります。そのようなわけで請負工事直轄工事も、請負工事と比べて或いは多少劣るようなことかないとも限らぬと思います。それ以外は手堅い仕事が安くできるということは保証できます。ですからしていわゆる直轄工事の短所をなるたけ矯めて、つまり請負と同じような気持でかかるというような気持で、自分達が一生懸命努力するということになつて来ますれば、やはりこれも欠点をおいおい補うことができるわけであります。アメリカでもいろいろ機械があれだけ発達しておりますので、やはり要するに人の問題、運営するには人の問題だということは近頃高唱されておるようですが、やはり何と言つても人の問題で、直轄工事でも従事する人が同じ人聞かやるのですから、心構え次第で請負工事と劣らないような仕事ができない筈がないのだと、私は感じております。そんなようなわけで欠点が多少あるわけであります。是正できますが、請負工事と比べて欠点として挙げれば、まあそのようなことも挙げられるのではないかと思われます。  次に請負工事直轄工事と違つてどうもべら棒に高い。私共僅か会社に勤めておつたのですけれども、ちよつと直轄工事で手なずけて、それに当嵌めて向うの入札価格を見るとべら棒に高い。どうしてこんなに高いかと不思議に思つたのですが、むしろこれは我々知識が足らなかつたので、請負にはいろいろな費用がかかりますから、それらを入れればそうなくちやできないという相場が出て来るというようなわけで、やはり我々がぴんと頭に来たようなふうに、それ程高いものではないと想像できますので、とにかく或る程度高いことはこれは事実だと思います。これは請負工事に対しても今ちよつと触れて見ますが、やはり請負は高いというような、そんなふうなわけで自然に高くなるというような考えが大いにあると思う。そんなふうなわけで、直轄工事はとにかく大体において安い。請負の仕事というものはちつとも見てないのですか……。それから一生懸命努力して、それこそ献身的に星を頂いて月を仰いで帰るというくらいな熱心さを以て、主任、技手が一生懸命に努力しておりますから、どうしても安くできるのは当然と思いますが、まあ欠点もありますけれども、とにかく大体において安くできるということは、これはまあそういうふうになると思います。何しろ今までは民意が向上したと申しますか、以前はまだ文化が進んでおらなかつたものですから、いわゆる牛馬同然の仕事をしても堪え忍ぶというような気風が相当にあつたんです。それも併し大いに衰えて来ましたけれども、とにかくそういう傾向は成る程度あつたんです。ところがそれがおいおいすたれて来ました。その時分は朝鮮人を使つたのですが、朝鮮人が案外忍耐力があつて力もありますし、どうも日本人よりも遥かに能率が上るんであります。それを多数利用することができたんです。請負が使う人間というものは、日本人は殆んど極く僅かで、目ぼしい仕事しかつきませんので、大抵の仕事は朝鮮人を使うというようなことになつてつたんです。何しろ泥まみれになつて牛馬同様な仕事をするのは、金が入れば幾らでもいいというような気風が大いにあつたのです。仕事も大きくなつて参りましたから、どうしても昔のように人力を利用して大きな仕事を完成するということは、まあ殆んど不可能な状態になつてしまつたんです。現在労力が一人前三百円も四百円もやらなくちやならんというような情勢になつてしまつたのですから、とても人力では金ばかりかかつて仕事はできないんであります。又進行状態お話にならぬということで、これからはやはり直轄工事でも請負工事でも同様でありますけれども、やはりアメリカ風に機械化しなければ仕事はできないということに今ではなつてしまつたんです。現在いろいろ仕事はありますから、請負はいわゆる土建業者というものが雨後の筍のように続出しましたが、要するにそれだけの資力を持ち、又設備を持ち、又それを使用するスタッフも持つておるというようなことで、そういうような関係で、大きな仕事を引受けて責任を持つてやれるという請負は極く僅かでありまして、それとても少し目ぼしい仕事になりますと、特別の機械は註文主の方から供給するということでやつておるようなわけでありますから、本当にその大きな仕事を引受けて責任を持つてやれるという請負は極めて少いのであります。そういうようなわけですから、一般の競争入札ということは、そういう有象無象か妨害ばかりする、結局信用のある、まあとにかく大会社を指定しまして、いわゆる指定業者入札ということで今お茶をにごしているわけです。小さい仕事はそうじやありません。大きな仕事になりますと、やはり請負を指定して入札をさせるということにまあ自然になりて来るわけであります。現在そういう方法でやつておるものと思います。それでまあ皆さん承知通り、やはり請負となりますと、いわゆる談合と申しますか、皆が利益を貪つて、それから利益を得ようというしみつたれた根性がまだ残つておりますから、今では指定入札もやはりこの談合に致したような、いわゆる入札するときになると仲間を決めて、今度はお前がとれ、今度は誰がやれということに陥り易いんです。而もそのとき出席した請負がまあ相当收入を得る、そういう方面相当に請負の方は費用がかかると思います。それから又一つにはお役所と違いまして、請負業者がいろいろ仕事をするに当りましては、いろいろ厄介な、土地を借りるとか、いろいろな訴訟事件で仕事の施行上必要なことか沢山あります。やはりそういう方面の交渉でも請負業者となると、直営でやるのと違いまして、やはりどうせ請負だからというわけで気前がいいと言いますか、まあ役所と違つて相当な金も取ろうというような考えから、随分無用な費用というものを使用する、それらもやはり請負となれば皆勘定に入れなければならん。それから機械を使いまするにしろ、これは役所でも同じですけれども、その減価償却というようなものをやはり相当に見込んで、余計に見込むというようなことで、それもなかなか大きな金になる。それからどうも日本の請負の契約というものは、註文主が絶対の権利を持つて、今では変りましたか知らんけれども、大体においてそれはあると思いますか、註文主が絶対の権力を持ちまして、少し意地悪くやられると、とても請負が潰れてしまうというようなことも心配すると思いますが、そういう点も考慮に入れて、請負はその金も用意しなければならんと思います。その外申上げかねますけれども、いろいろそういう弊害が起つておると思いますので申上げて置きますか、やはり現場監督、請負の状況というものは、土木仕事は大雑把な大きな仕事ですから、少しやかましく言われると仕事にならんから、まあ監督の御機嫌をとるということが必要になつて参ります。そういうような費用も見込むのじやないかと思います。それから自然を相手に戰つてやる仕事ですから、どうしてもいろいろなリスクか伴う、いろいろなリスクが伴いますから、その用意もしなければならん、それから莫大な金になりますから、その間寝せて置く資本のインテレスト、それもなかなか大きなものと思いますか、やはり営利事業である以上は相当なものになると思います。そういうリスクに対する用意ということも相当に請負としてはしなければならんであろう。その外期限が何しろやかましいのですから、期限ということについても、無論労働者も部屋を拵えて、そうして何時でも仕事に故障のないようにさせるということになりますと、これも請負の仕事相当仕事ですから、雨が降ると仕事ができなかつたり、いろいろな故障があつて遊ばせておるということでは、その間に相当な金銭を拂うということにもなつて参りますから、そういう費用も直轄工事においては余計かかるのではないかと思います。まだ外にいろいろありましようが、そんなようなわけで、請負工事相当多額、高価になるということは、もう直轄工事の欠点もありますけれども、大体においてそれは確かに言つても差支ないことと私共は想像されるのであります。  それから直轄工事の優劣ということは非常にむずかしいのですが、今申上げたのは、今現在持つている仕事を直ぐ請負工事に切換えた方がいいか悪いかということのお話になれば、今の通り折角これだけの設備も持つておりますし、そのスタッフも従業員も相当経験なもあり誠実人も沢山おりますからして、結局直轄工事について申上げた欠点を是正して、そうして努力してやれば、安くて決して請負工事に長けない仕事が或いはできると私共は考えております。
  6. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 前川証人にお伺いしますが、まだお話の時間はかかりますか。
  7. 前川貫一

    ○證人(前川貫一君) 大分時間がかかります。
  8. 赤木正雄

    委員長(赤木正雄君) まだ他の証人もおりますから、成るべく簡單に……、
  9. 前川貫一

    ○證人(前川貫一君) それでは水系に対する特別法を作るということを拔きにしまして、その前の條項だけを片付けて……。
  10. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) では若しも時間がかかるようでしたら、一応休憩したいと思いますから……。
  11. 前川貫一

    ○證人(前川貫一君) これで大体私が言いたいと思うことはあらかた言つたのですが、そういうわけでありまして、そういう優劣論をいろいろ言い出しますと際限はないのですが、ともかく要するに現在やつているやつを請負工事に切換えた方がいいか悪いかということに対して、ちよつと意見を申上げて見たのですが、大変長くなりましたが、これだけ申上げて置きます。
  12. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) では午後一時まで休憩いたします。    午後零時三分休憩    —————・—————    午後二時十二分開会
  13. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) これから午前に引続きまして委員会を開催いたします。前川証人から向お話があるそうですが、時間の都合もありますので、これは外の証人お話の済んだ後に、皆さんの御質問のときにいたします。次に眞田証人にお願いいたします。
  14. 眞田秀吉

    ○證人(眞田秀吉君) 大体のことは先刻前川さんからお話がありましたので、繰返さないように、外のことを私は申して見たいと思います。順序はいろいろになりますが、宝暦の木曾川の治水工事におけることをお話になりましたが、あれを重復せぬところをちよつと申しますが、あれは幕府のお手伝普請と称するものであります。あれは徳川の八代将軍の吉宗の時にあつたのであります。享保年中でありますが、お手伝普請というものはどんなものであるかということをちよつと申し上げます。お手伝普請というものは、外国から日本に使節がやつて来ます、それの接待の工事徳川家が日光に年々或いは年改めごとに日光に将軍が行くときに、道路その他の工事、それから川の修築工事、皆その時では一番金のかかる工事であります。それを諸侯に申付けて始めたのがそもそもの初めであります。で、一番その終いまでよく金のかかるのが、なかんずく川の工事でありますが、これはそれならどこで一番先に始めたかと申しますと、日光の鬼怒川の上流の方にある小さな川、竹鼻川と称する川でありますが、そこで初めてやつたのであります。その当時は先ず徳川でやつて置きまして、できたらその工事の十分の九割をその諸侯に拂わした。徳川は設計と監督はいたしますが、一割を出した。それから暫くして又外の川でもやりましたが、関東の主に利根川でありますが、その時には五分の一を徳川のいわゆる政府がやはり出して、後の五分の四を諸侯に課したのであります。それはたつた一年間でありまして、その次の年にすぐ改めてやはり十分の九を諸侯から徴したのであります。それで木曾川の工事は一番著名な工事でありますが、これは大分後で宝暦であります。宝暦治水美談というので有名になつておるのでありますが、これは島津に命じたのであります。島津はなかなか財政が豊かであるので、先ず島津にやらした。政略で先ず皆仕事財政関係でそういう金持にやらせなければ疲弊するからというのが腹の底にあつたに違いない。それがやはり設計と監督幕府から出張して、それがなかなか厳しい監瞥をするのでありまして、島津は命令通りにやらなければならんから、金が沢山かかるといつて到頭平田靱負はそこで死んだのでありまして、そこで死んだ人が、最後に切腹した人が十人以内でありますか、四十何人という人かそこで犠牲になつた。その当時で百何万両でありますから、莫大な金であります。まあ、お手伝普請というのは、そういうような工合で、方々でやつて、その前の寛保二年の利根川の大洪水のときに、そのときには、伊勢の津の藤堂、福山の水野、熊本の細川、その他二、三の人に命じて利根川の上から、今我々か改築しました上流からずつと終りまで全部、渡良瀬も江戸川も全部に亘つて堤防或いは川の中の仕事をやらせたのであります。その当時、今の埼玉県の鷲ノ宮というところに毛利が宮に寄付した石灯籠があるが、その石灯籠へ書いてある、彫り付けてあるが、それが唯一記録でありまして、なかなかそうきつちりしたことは書けないのでありますが、宮へ寄付という形で、それにしてあつた。そのときに毛利は二百何十人の役人を連れ大変な金を使つたのでありますが、その額は詳しく書いてありますが、それがやはり十分の九割を皆諸侯が持つたのであります。お手伝普請というのは、先ずそれだけ言つて置きます。  それから請負工事のことでまあ前川さんから縷々お話がありましたが、それにちよいと附加えると言いますか、補足いたしたいと思います。そもそも明治の初年から治水工事は国土の改修でありますから、政府が重要に取扱つたのでありますが、そのときからフランスに留学された古市公威さんが土木技監になられて、フランスは直営でやつておる、それを做つたのでありますか、趣意は、まだ請負人というのも、ほんの小さな地元のものもありませんから、そういう大土工を何年もやるという力を持つている者はないのであります。やれば地元請負でやるより外に仕方がない。それで地元請負はそういう專門家がないのでありますから、なかなかできないので、先ず直営にしたのであります。それからだんだん方々できましたが、淀川でありますが、河川法が明治二十九年に議会を通過いたしまして、その第一着に河川法の適用の下にやつたの淀川であります。淀川は一貫計画の、信濃川もそうでありますか、先ず河川法に準じた大工事の初めと言うてもいいのであります。そのときに九百余万円の予算で十年計画着手し、結局千四万円程かかつたのであります。そのときに今の請負工事をなせ直営にしたかという前川君の話の外に、それだけの十年間で大変な大土工であります。堤防も大きな堤防でありますから、所々から肩で担いだりしたんでは結局できないのであります。やらせましても、できないのであります。それで堤防を作るのに泥をとるところがないというようなときに、どうしても機械力でやらなければならん。だからトロッコを先ず輸入してやつた。それから汽車で半里、一里くらいも運搬するのであります。これは結局民間でやらずにもできないのであります。而も分量が多いのであります。最もその主要の目的は、安くするよりも何よりも、民間ではできないのであります。それで大いに機械力を使うた。それがそもそも初めでありまして、その目的で先ずまあまあできたのであります。それからあすこで大分稽古ができましたので、信濃川明治三十九年からできたのであります。それは信濃川大河津から寺泊間の山を切り割けて海に出す工事であります。これは昔から着目して、百年も二百年も前から何遍も着手したのでありますが、山を掘つても少々泥を人間が担いだのでは、すぐ上からずつて来て、化物丁場と称して、結局できなかつたのであります。これは金でも何でもありません。できないのであります。それで今度は淀川で機械力を使いまして、掘鑿機を使い、機関車を使うてできたからして、その勢いを以て信濃川の山の切開きに当つたのであります、これは山崩れもたびたびあつたが、遂に成功いたしました。これが今の分水工事であります。それから暫くすると、四十三年に関東或いは東北に明治初年以来の大洪水があつたのであります。それで利根川、荒川、渡良瀬川、江戸川、この関東の川は同時に予算がとれまして、川の改修が始まつて、そのときにはもう淀川で稽古をしておつたからして、淀川通りの機械、一分一厘も違わない、まあ一分三厘はどうですか、多少我々が変えたのでありますか、先ず同じようなものを持つて来て、ここで外国べ註文をいたしまして、東京で買つたのであります。そのときに丁度ここへ、皆方々のいわる内務技師というのはみんな東京へ、関東か大騒動でありますから、全国の内務技師は、先ず手頃の人は皆ここへ集めたのです。随分の沢山の人でありましたが、それで機械は、北上用その他やりましたが、皆東京で一緒に買つて分けたのであります。結局土木局がやつたのでありますが、東京の今の建設局、土木出張所かやつた。それを分けて全部やつてつたわけであります。それが大体機械化の初めであります。  それから築港工事としての機械化も、これ又淀川が二十九年から何して、三十年から仕事にかかつて淀川大阪築港が又破天荒な仕事であります。これは市がやつたのですが、政府は少しは補助したのでありますが、やはり淀川のそのときの所長沖野博士が、これは初代の技監でありますが、大阪築港の技師長、それから大阪土木監督所の所長両方をやつておられたのでありますが、そのときに又大々的に機械化して、機械が少し流が違つておりますが、今より変りません。そのくらいな大々的な機械を輸入して、大阪築港をやつたのであります。それで水の中の仕事、陸上の仕事を機械化したのは不思議に大阪であります。  それから利根川でありますが、利根川は四年遅れて明治三十三年から着手しまして、佐原という所から下の、今で見ると海のような水郷であります。佐原の辺の広漠たる平野であります。大変な大きな平野、そこへ又大阪築港以上のくらいな浚渫船を沢山つて来まして、あの川は、川の工事ではありますが、築港工事以上の大機械工事であります。その当時は皆大阪築港にしろ、淀川開発にしろ、機械工場というものは自分で持つてつて、民間にも鉄工所はありますけれども、自分の思うようにできませんから、自分の機械工場を持つて自分で直し直し製造もしたりしてやつたのであります。それがそもそもの機械化の初まりであります。それまでにそれならどうしておつたかというと、上の古いところもありますが、一切拔きましよう。先ず目ぼしいのは、長崎に一艘浚渫船がありました。長崎の築港で……。それから木曾川の改修木曾川丸というのが川口を掘るのが一艘ポンプ船があつた。その二つが日本で機械化の初めであります。それらは内務省の方の工事ばかりなのだが、全国的に言えば大きな工事は鉄道という大きなものがあります。鉄道はどうかというと、鉄道は初めから請負工事であります。請負なるものは、その当時は要するに皆機械というものは一つも持つていない。トロツコを持つて、いるだけで、皆人力でありますから、而もそう有力なのがありませんので、内務省でやつたような機械化のことはやらしても到底できないのであります。何ぼ命じたつてもできつこない。それで結局内務省に直営をやつたのであります。  それからもう一つ請負工事というのは、いろいろ話が混りますが、請負工事との何があるのは、そういう大きな長い何年計画の大変な大工事をやるには請負人が小さくもあるし、請負人に大きな機械を買つてやるといつても技師もいないし、そのときは技師なんか請負人にはいないのでありますが、土方上りの人ばかりでありますから、それで機械を買わなければならん。ところが一つの請負で、そうすると機械の原価が高いのであります。政府ならばそこで済んだら直ぐ又外へ持つて行くことができるから、機械というものは長い間使うのでありますから、いわゆる償却費というものもそう余計になくてもよい。ところが請負人はそう大きな工事は始終ないからして、その一つの工事のために買うのでありますから、大変高いものに付く、だから買おうとしないのであります。結局誇負ではできつこない。ところがトロッコで、山を切つたりするのはトロッコでやつたのでありますが、そう一ヶ所に非常な固まつた仕事が、土工としては距離を長くやるのですから、ないのでありますから、そういうことであります。  それからもう一つ、この直営工事を内務省でやつたので、請負であつた鉄道と一つの対立が、一つのコントラストがあつたのでありますが、つらつら思うのに、日本技術は鉄道の工事のことは余り言いませんか、今日まで発達して来たのは全く直営のお蔭であります。今の土方が少々やつたのでは何ら設計というものはないのでありますから、泥を動かすだけでありますから、内務省でやる分は皆その現場でよく研究をした結果を設計して、それを自分がやるのでありますから、誠実にやる。そうして始終研究をしております。まあ古市博士や沖野博士などの先輩は皆技師であり、学者でありますから、始終研究ということを言われたのであカます。外国に劣らぬように、劣らぬように始終研究をしたものであります。そういうようなことで、その精神かまあ今まで未だ残つておると思いますが、それが唯一のまあ日本での土木技術をこれまで発達させたのは、私は鉄道のことは知りませんが、これは府県には技師がおります。よく転任などは多いし、それから大きな工事がありませんから、研究する間というものはありません。これは全く内務省の直営であつたがために、この技術が今日に及んだのであります。又大きいことを申しますか、内務省がなかつたならば、今の土木というものはまだまだ指一本ぐらいしか進歩しておらぬでしよう。外国人は今でもどう思うか知れませんが、土木技術をこれまで維持し、発達したのは、全くこれは内務省があつたがためであります。これが初めから請負で工事をしておつたならば、機械化も二十年来遅れておるのであります。これは私かあとで過去を顧みるというと断言できることであります。私は現代に私が申すようなことは想像ができないのでありますが、これはもう殆んどバイブルに近いことを私が言うと思うております。これからは変りますから、分りませんが、これまでは正に後を顧みてこれは間違いのないことだと、私は思うております。それで今後のことはいざ知らず、過去はそうである。それからちよつと請負との関係が横道になりますが、午後ちよつと数人に聞いて来たり、始終考えるのでありますが、地方でやはり指名入札はあるようでありますが、成るたけ広く入札をさせ、いわゆる一般の入札をさせるということに原則はなつておるのであります。建設の何もそうなつておるのでしようが、ところかこれでは三分の二に足らず、丁度九十万円のことであつたなら、六十万一銭というやつならば、それが落ちるのであります。五十九万九千九百九十九円は落るのであります。だから請負人は予定單価を知りたがつて、いろいろに工作してよく知つておるのであります。皆漏れる、だから六十万一銭で入れる、そうすると落ちる、六十万二銭のやつは落ちる、ところで設計は九十万でなければできぬことになつております。六十万ではできない。だからその間に手を拔くことができるから、莫大な金を当にして土木費に費しておるけれども、年々粗悪の工事ができておりますから、これを粗悪な工事をさせぬようにするには三分の二を四分の三、五分の四にするか、もう少し上のところに上げてやらぬというと、安い安いでは結局仕事ができないのでありますから、そういうことを政府にさすような仕事の規則になつておる。これは一つ議会で大いに改めて貰つて、その法律をもう少し改良して貰つて、一般入札がいいことは分つております。指名入札よりもこれはよいと思います。結局三分の二ではできません。できぬことを強いるのは規則が悪い。これは明らかに素人でも分るのであります。これは是非お考えになつて、これはこれこそ議会の仕事でありましよう。これは大部聞いて見たのでありますが、できぬことをするのはいけません。  それから工事状況ということもデーターにありましたが、工事状況ちよつと言うて見ましよう。御参考になるようなことを申さなければならんから、工事状況は申上げても大して御参考にならぬかと思いますが、砂防のことをちよつと言いましよう。これはちよつと、砂防は昔から山が禿げたら木を植えるということは間違いないことでありますが、淀川流域がいわゆる淀川か京都に都があり、奈良に都があつたものだから、先ず山が荒れた初めか江州、木津川の沿岸、奈良の近所から江州であります。これは奈良の大きな寺を、東大寺や、いわゆる飛鳥朝から奈良朝へかけての初めに大伽藍なとを作るために、どうしても淀川の奥に沢山木がある。江州あたりからあの辺には相当つたのでありますから、それを川に流して行かなければならんから、それから引続いて京都に宮殿を作るので木材があの辺で皆生産されたのでありますから、今木津という所がありますが、そこで木を伐つた、御承知のように木の都であります。それで木津ができたのであります。大津も京都、あれは大きな都でありますが、そういう関係からできたような工合で、先ず第一番に、淀川がああいうふうに分でも荒れておりますが、荒れたからして、昔から山に木を植えて、無暗に木を伐つたり、薪にしたりしないようにということを徳川が始終規則を出しておつたのでありますが、明治の初年からもやつているのであります。それで昔はそこらの松の生えているのを伐つてつた。根を掘つて山に植えるというようなことをやつたり、芝を植えて振り付けたりして、山をなるたけ育くさせるように、させるようにしたのでありますが、なかなかうまく行かない。年々ときどきお奉行が巡回すると、なかなか村のやつが、いつ出張するかということが分るから、やはりそり山に俄かに木を伐つたやつをちよつと立てて置いて青いて青く見せる、お奉行はその場所には、なるべく実地に行かぬように、途中で御馳走するのであります。そうして山には行かぬようにして馬と駕籠で巡回させるのであります。なるたけ現場には連れて行かないように、途中で御馳走攻めで、帰りにはうんとお土産を持たして、なるたけ行かないようにしておつた。それから実際の技術もそういう工合でなかなかいい仕事ができなかつた。それが明治になつてそういうことは止んだのでありますが、現在のように砂防工事で段切りにして、苗を植えたりするようになりましたが、これまではなかなか淀川というのは、山に山骨が現われるくらい荒れておりますから、なかなか少々のことでは付きませんので、暫くすると又す一つと立枯れになつたり、又盆裁のような松になつてしまう。こういうことでなかなかできなかつたのでありますが、明治の初年から、無論淀川の流域は全部国費であります。地方では負担しないのであります。県でもやつてはおりますが、淀川は重大で京都、大阪を控えている、今で言えば東海直線に当る一番交通の幹線でありますから、淀川が荒れるということは非常に困る。それでだんだんいろいろの方法でやつたのでありますが、山「しばり」というような木がいいというので、それがだんだん発達したのでありますが、この頃の山は、この頃の砂防というものは、御承知の方があるでしようが、先ず禿げているところはそのまま植えないで、一応山を切り崩して、耕作するように山を崩してしまつて、或る一定の勾配にして山を作り直すのであります。そうしてそれを段切りにしまして、それに苗木を植えて、肥料になるような藁を入れたりして、松や山「しばり」とか、アカシアなどを植えるのであります。それが凡そ明治三十年頃に淀川の井上滝太郎という技師がいてやり出したのであります。それがずつと今では全国に拡がつたのでありますが、ただ植えたのではなかなか山が荒れますから、絶壁になつておりますから、それを歪部ならしてしまつて、一定の勾配にして、それを段切りにしまして植えるのが、その頃の砂防工事で、それが明治三十年頃の改良でございまして、それから今は大して変化はありません。まあ方法としてはそういう砂防になつておるのであります。  それから名古屋の近辺の瀬戸あたりが、やはり陶器をやるものだからして、薪を山かち伐つて来るから、先ずあの辺が荒れたのであります。それで愛知県は今でも砂防はなかなかよくやつておるのであります。一番初めが淀川流域、何しろ京都、大阪でありますから、一番日本の生命であります。それなら関東はどうかと申しますと、関東は利根川の奥の榛名山の山腹あたりは大分荒れたのでありますから、これに何か泥の出ないように石積みをしたのであります。石積堰堤、これはセメントが余り使えないので、大きな石を並べて積み上げた空積堰堤でありますから、今は大部分流れましたが、多少は形は残つておりますが、この頃のセメントのコンクリート堰堤というものが、日光の奥の大谷川に支流の稻荷川というのがありますが、その稻荷川に大正四、五年から始めたのが、これが近世の堰堤を使う砂防のそもそもの初めであります。それでまだ木曾川にもやはりなかなか養老山脈に山林の荒れたところが多いのでありまして、養老山脈の盤若谷というのが明治十三年頃に始めておる。これは淀川に次いで古い。関東榛名山は明治十五年からやつたのでありますから、ちよつと遅れておりますが、そういうのが日本での近世砂防の初めでありまして、これは皆オランダから雇うて来たいろいろの人の指導でやつたのが先であります。それで以前に赤木さんあたりがやはり吉野川の組谷谷というような大変に崩れている谷がありますが、滝か川が分らぬような砂を出す小さな川がありますが、そちらで先ず初め新学士のときにこつこつやられたので、今のものが立派に残つている。これなどはやはり近世砂防の元である。  それから機械化のことを初めに大掴みに申上げましたが、淀川が初めて、大阪築港が初めで、信濃川に使い、それから関東へやり、北上川にやり、方方へやりましたが、その後はこの頃のように、昭和の初め頃になつてジーゼル・エンジンというものが、ガソリン・エンジンもありますがジーゼル・エンジンというものを輸入いたしましてやる。大きな機関車の中間の仕事はできるようになつた。初め淀川利根川のときは、何しろ大土工でありますから、機関車も大きいのでありますが、それでやつてつたが、ぼつぼつとそういう川はだんだんなくなりまして、少し小さくなりましたから、いわゆる五トンから七トンくらいのジーゼル・エンジンを使つて、それでやるようになつた。一方人足が昔のよりにだんだん働かなくなつて、朝鮮人を使うとか、何とかいうので、日本人はあまり土工はえらいのでありますから、身体がくたびれるから、成るたけ人足を使うようにしてやつ、ジーゼル・エンジンの七、八トンの機関車を沢山作りまして、それが今大分残つて、現在使つておられるのが、今そのとき造つたり、輸入したものが残つております。それから昭和二十年以後、敗戰後にアメリカの機械が、ブルトーザーなどというような機械が入つて来たのであります。私らのときもそれらはあつたが、まだそれまで使うことが機運に達しなかつた。一方又昭和の初め、五、六年頃は失業救済で私らの方でやつたが、農林省の方で成るたけ人足を使つて呉れるように、手でやつて呉れるように、人足を沢山使つて呉れというようなお示しであつたから、それで七、八年、十年は遅ました。そういうこともありましたが、要するに昭和の初め頃にそういうジーゼル・エンジン、ガソリン・エンジンを盛んに全国的に使うようになつて、それが今残つて今も又盛んに活動いたしております。それから戦争になりましてから、この十年間というものは、私なんぞのいわゆる引退しました頃以来、多少進歩しておりますが、土木に関する限り、機械がこの敗戰後少し変つて来たのだけれども、少しも進歩しておりません。私なんぞのいた時と今のものと、内務省のも全部集めても少しも進歩していない。プルトーザーなんか入つていたが、ブルートーザーは二百人分くらい一入でやつてしまう。それをやりたかつたが、それができなかつた。それで要するにいろいろな関係でですが、ちよつと十四、五年は土木の進歩は日本に関する限り……、これから又大いに第二の維新で進歩するでしようが、そういうような時代で、施工の方はそういう状況でした。  それから請負と何との比較になりますが、繰返して言えば、これは今は日本土木技術が遺憾ながら今のようになつたのは、これは直営のお蔭。これは間違いは一点もない。バイブルと同じことだ、この言葉は……だからこれは前川君の言われたように多少の欠点があれば、それを直して、直営工事というものを日本技術のために、どうしても残して置かなければ、如何なることがあつても、これを変化させたら進歩しません。請負工事にしても、この頃大分請負業者にもいい人が入つて、品位も向上し、又は機械も持つようになりましたから、これから変つて来ましよう。アメリカ式によつて来るでしよう。それには今のように請負の入札の制度をこれはいろいろ研究なさつて考えにならんというと、これは又粗悪な仕事を繰返すばかりで、年々災害は絶えはしません。  それから利根川の総合計画というのがありましたが、これはこの頃は皆がよく御承知になつておるように、アメリカでテネシィ川という大きな川を総合計画でやつて治水にもためになり、水力電気にもためになり、灌漑にも役立ち、水道にも役立ち、いろいろの利益を上げておられます。これはさすがのアメリカでも、まあ稻浦さんから言われるでしようが、これは政府事業であります。さすがの入民国でありながら、これは政府でやつている事業になつて、そうして統一した大事業でこれが成功したから、それで日本でもこの頃は方々で総合計画をしろというので、関東なら関東で総合計画日本で言えば日本全国のバランスをとるための総合計画利根川で言えば利根川だけで総合計画が皆あるようになつております。それから紀州の方の神宮川あたりも大きな何でありますが、これも又やつておるし、そから利根川あたり、それから群馬県の奥の総合計画、まあいろいろあるのでありますが、直営が私なんぞの在官中にもしばしば叫ばれたので、東京都に今度は第三計画として、まだ水道の水が今の小河内堰堤ができても足りないのであります。今又小河内堰堤を始めておるが、あれができても将来東京には水が足りません。人口が殖えるのみならず、一人当りの水の使用量が殖えるのであります。水道の講釈ではありませんが、アメリカあたり一日に十立方尺以上、十四、五も使つておる。日本でも一日六だとか、五だとかいうのでやつたのが多いのでありますから、東京のもそういう計画でできたのであります。だんだん一人当りの水の使用量というのが殖えて来ておる。而も人口が殖えるから小河内ができても足りない。それで利根川の奥から取らして呉れというので随分調査を東京でもし、我々もして、案がちよつとできたのでありますが、戰争で止まつたのであります。それも今度は総合計画の中に入ります。それからダムを作れば多少でも洪水を抑えるからして、洪水の軽減にもなります。そこで洪水の軽減はこういう大きな川になると、少々、ダムを一つか二つ作つても、民家を潰して非常に大きな池を作らん以上は効果が少し薄いのであります。けれども役には立つ。これから何でしよう。そういう工合にTVAなどがやられたのが、それだけの一つの法律か何かでアメリカがやつたのですが、そういうことをやつた事業をしようとすれば、先ず第一番に日本では利根川でしよう。それでそこの役所を一つ拵えて、そこで事業をしようとすると、農林省、商工省、鉄道省、すべての役人が皆それに関係するから、皆それに了解を得なければできないのでありますが、そういうことをしておると結局角のないまるいものになつて、小さいものになつて、結局目的が達しないのが主でありまして、それでドイツあたりで、あの大きな国道をヒットラーがやつたのは、何かトツドという大技師長、これが大きな役所を作つて、その役所で大抵の方々のことを作り拔けて行く。走るときには赤い自動車なら外の自動車はよけて、それだけが走るというような機構を作つた。それであるからあの大事業ができたのであります。少し大きな仕事をしようと思うならば、土木ばかりではありませんが、すべてそういうものを少し配慮するように規則を拵えないと、これはやつぱり骨拔きになつてできませんから、皆TVAにしても、トツドのドイツのステート・バーンなんか道路とは言わない。国家の大道というか、大鉄道というか大交通という意味で、大変な勢いでやらしたのでありますが、それであの大工事ができた。こういうことをやらないと大事業はまあ何もできないものでしよう。これはやはり立法府の方で、篤ともう御存じの筈でありますが、私らも痛切に感じております。あとは又御質問のときにします。
  15. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 次に青山証人にお願いいたします。
  16. 青山士

    ○證人(青山士君) 赤木建設委員会アクテイング。チェアーが、こういうみんな古来稀なる年に達した黴の生えた人達を証人として呼び出された。これは思うに万能の薬ペニシリンをその黴から取るというような構想ではないかと思つたのですが、ペニシリンなるものが万能でないということを私は申したい。治水技術というものが万能ではない。成る程国を治むるの要締は川を治むるにあるということを昔から言つておりますけれども、それは必ずしも万能の国家の疲弊をいやす薬ではない。これから述べる新進の稻浦技監が新らしいストレプトマイシンとかという新薬を持つて来られたと思いますから、それに聞くことにしまして、私はこのペニシリン製造の方に少しお話を向けようと思います。  寒山詩に「天百尺の樹を生ず、剪つてもらつて長條の木と作す、惜しむ可し棟梁の材、これを抛つて幽谷に在く、年多く心尚勁し、日久しうして皮漸く禿ぐ、識る者取り将ち来たれば猶馬屋をうるに堪う。」という詩がある。我々長條の材とは言いませんが、とにかく年久しく幽谷に捨て置かれて、それを今知る人があつて、これを将つて来れば尚馬屋を挂うるに堪う。その材木にこれからなろうというのであります。それで治水技術について証言をするのですが、治水技術についてお話するには、それに連関したことを少しお話ししなければならんと思う。それを簡單に私はちよつとメモを書いて来ましたから、それについてお話します。  先ず治水技術についてお話するには治水学ということについてお話したいと思います。この治水学、今私がここに治水学と申しますのは、治水技術治水学とを分たんがためで、現在の科学の分野においてそういう呼称はないかも知れませんが、私が治水学と呼ぶものは科学の分野の多数のものを総合したものでありまして、即ち治水学、治水を科学として取扱うには次のごとき学問を総合研究しなければならんと思うのであります。第一に水理学、これは流動体科学の一部でありまして、水の物理的性質を研究し、河川の流速、流量、侵蝕、土砂の流送等を研究する学問で、治水には一番に必要なるものであります。その次は気象学、これは天気、降雨、降雪等、私共はこれを降水と呼びます。蒸発、風向、風速、風力、気圧、雷雨、台風等を研究する学問で、治水計画作業、予報計画等に必要なるものであります。第三に、地質学、これは地球地殻の成生、変貌等を研究する学問で、従つて山岳、原野、河川、湖沼の自然の姿、自然の傾向を知るに必要なるものでありまして、従つて治水学には必要なる学問であります。第四に、土壌学、これは御存じの地殻、表土に関する学問でありまして、河川の侵蝕、土地造成、河川関係、築造物並びに造林等に大なる関係を有する学問であります。第五に、生物学、この中の草木や動物に関する知識は水源涵養、水防林造成、堤防、堤外地保護等に関し必要なる学問であります。その次に、材料構造強弱学、これは治水に関する施設、施工等に関し研究する必要があるのであります。その次に機械工学、その次に電気工学、その他間接にはまだ多くの学問が治水学に連関して、又これを科学化するに必要でありますが、先ず差当り最も緊密なる関係にあるものを挙げたのであります。  次に治水技術というものについてお話ししたいと思います。学問、科学、これは真理の探究でありまして、それ自体貴重で、そうして人類社会の存在発展に必要なるものでありますが、それは象牙の塔の中の宝物みたいなものであります。それがその塔より出され、社会の光、社会の風に当り、社会の光に反映して、社会の風にその香を送り、社会と密接なる関係が付かない限りは、勿論人間社会とは遊離して直接何の関係のあるものではないのであります。丁度医学の医術における、法律学、政治学の国政術における、経済学の実社会経済運営術における、電気学の電気技術におけるがごとく治水技術治水学に立脚して、これを人間社会に結付け、我々の叡智によつて我々の最もよき、最も強き勘、この勘によつて人間社会の福祉増進のために発達して来ました土木技術の中の最も重要なる部分の一つであります。でありますから技術治水学の応用実施でありまして、それに時の経済観念を入れて、その外に人心協力の心理を把握せねばならないのであります。そうしてその実施に当つては慎重に周到に河川の性質、勢状を調査研究の後、実験と理論との基礎の上に治水技術計画を立てて、既往の降水量、出水状況等を考慮斟酌して計画水量を決定し、流域の地質、林相、勾配等の状態、河床の状況従つて築堤、掘鑿、浚渫によつて河道を整定し、護岸、水制、床固により堤防、河道、河床の保護維持に当り、砂防植林により山野、溪流を治め、以て水源を涵養し土砂礫の流出を防ぎ、一旦水及び地辷り、山崩れ、崩壊を防ぎ、水門、洪水調節、貯水池によつて洪水を調節し、放水路、捷水路によつて洪水の疏通を図り洪水予報によつて洪水の調節、及び万一の場合の水防に備うるのでありますが、尚その上に最も大事のことは、すべてこれらの実施に当つて設定計画の精神に則り親切を以て施行することであります。見かけはよくとも魂の入つていない仕事は早晩崩壊するに決まつておるのであります。机上の空論は幾ら名論卓説でもいざ大洪水となつてこれに與えるとき手足も震えて何も施す策なきがごとき場合が多いのであります。雪汁の出る川、高水の出る川に赴任して雪汁高水を見ず、一度の出水も見ずして転任せしめたりするようなことでは、その川を治むることは大いに難いことと憂慮に堪えないのであります。治水技術は大体今述べたようなものでありまして、それをよく運営し得るようにせなければ治水の業績は挙らないのであります。  そこで今度は治水行政についてちよつと私の考えておることを申さして頂きたいと思います。これも寒山詩にありますが、「食を説くも遂に飽かず、衣を説くも寒を免かれず、食らうには須らくこれ飯なるべく衣を着てまさに寒を免る」ということがある。「樹あり林に先立つて生ず」こういう句も又寒山詩にあるのであります。樹あり林に先立つて生ず、林ができた以上、まあ樹ができてから林ができるに決つておる、樹がなければ林ができない、林ができた以上はその初めにできた樹が俺は先に生えたのだからと言つて勝手に枝を拡げ枝を張り、他の林の樹の成長を妨害したりしては林としては繁栄しないのであります。そこで枝を切つたり間伐したり、そのようなことをしてその林を育てて行く。人間社会もそれに以ておつて、人は一人にて生きておられるものではなく、又人間社会ができた以上は己れの外の他の人のことをも考えなければならないと存じます。そこで人間の行為を拘束する種々の法律、規則を作り、人間社会の福祉増進を図るために行政の技術が生じたものと存じます。土木技術は先にある、行政の技術はそれに附随して来る、こういうことであります。治水においても治水行政が必要である。これがために人間の権利を相当に強く拘束し、義務を負わしむる河川法、砂防法等があり、河川、渓流及びその沿岸地流水等に関して人間の権利義務を定めてありますが、それらをうまく運営しないと、林を間伐しなかつたり又はし過ぎたりして林の繁栄を傷付けるようなことがあるから、治水技術の発達を阻害することになることがあるから、治水技術に十分の深き認識を持つてその技術を尊重し、それに信頼してそれらの法の運営に当らなければ、ここに幾ら優秀なる治水技術があつたとしても治水の業績は挙らないのであります。飛行機及び精鋭なる武器に対し竹槍、手榴弾、肉弾ではかなわないように、河水の攻勢行動に対しても、人間の叡智と努力とにより水の性質、勢状を知り、それに対しそれを導き、それを利用し、それを制禦する方法を講究しなければ、河水の攻勢に勝つことはできないのであります。孫子にこういうことがあります。「彼を知り己を知る百戰危うからず、彼を知らずして而して己を知る一勝一敗、彼を知らず己を知らず戦う毎に必らず危うし」、これは太平洋戰争中日本軍の勝利を宣伝せんがために日本軍部によつて引用せられた言葉でありまして、皆様も御存じのことと存じます。この言葉は真理を伝うるものと私は信じます。勿論争いの事、争鬪に関するすべての場合に当嵌る真理だと存ずるのであります。人と人との争い、国と国との争い、勿論天然力、自然力と人間との争い、即ち治水技術にも最もよく当嵌まる真理であります。即ち治水問題におきましては、その水災の因つて起る原因を治水学により観則、測定、調査、研究検討し、治水技術によつてその対策を立て、これを親切に実行に移すことであります。そうして又孫子の言葉を引きます。「凡そ師を興す十万、出征千里なければ百姓の費、公家の奉、日に千金を費し、内外騒動して道路に怠たり事を操り得ざる者七十万家、相守る数年を以て一日の勝を争う、而して爵禄百金を愛し敵の情を知らざるものは不仁の至り入の将に非ざるなり、主の佐に非ざるなり、勝の主に非ざるなり」ということが用間の章に書いてあります。これは即ち敵をよく知らねば勝てないということで、敵情を知るに金を惜んではいけないということであります。尚「戰費には一日に千金を要するに、敵情を知るにその一割百金を憎むは」云云ということ、治水学を打立て、これを研究発達せしめ、水災の因つて来る原因を突き止め、その防止方策を研究するために、即ち治水技術発達のために、水害復旧費の千分の一ぐらいの費用を憎むということは、数十億金の水災を最少限度に防止せしむる機会を逸することであつて治水為政者の最も留意せなければならんところで、それらに要する費用の支出を容易ならしむるように図ることは民衆によつて選出せられたる民衆を代表する人達、及び公僕なる人達の負うべき大切な義務の一つであると存じます。そうしてそれらに増して必要なることは、国民が治水に対し尚十分なる深き認識を持つように、選挙のときに民論を起し、治水事業を起し、これに協力することであると存じます。我が国のごとき特に水災国にありまして、敗戰の苦難の下に連年の水災に追われ、災害者の苦難、延ては我が国の食糧事情、経済再建に思いを馳せて、浅学菲才を顧みず以上のお話を申上げた次第であります。
  17. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 次いで稻浦証人にお願いいたします。
  18. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) 大先輩の前で私のような若輩が治水技術に対していろいろ申上げることは誠に恐縮に存ずる次第でありますが、アメリカへ参りました報告ということで暫く話す次第であります。過般、例の人事交流計画従つてアメリカに出張せよという命令を受けまして、滞在期間三ヶ月、そうして出張に対する命令はランド・アランニングを申しまするか、何といいますか、土地契約を直訳しますが、土地の適正なる利用、及び土地の保全という意味だと思います。それからリソース・ユーテリゼーションという文字がありましたが、これは全部の天然資源ではなしに我々に関しては、特に水資源というものに対する検討、特に建設省の機関はフラット・コントロール、治水というものを重点に置いてこのランド・フランニングとリソース・ユーテリゼーシヨンとを検討して来いというようなオーダーを受取つた次第であります。その精神を考えてみますと、敗戰によりまして、戰争によりまして国土が非常に頽廃し、更に年々襲われる災害によりまして国土が荒廃の極に達しておる、新しい平和再建の目的を達成するには、先ず国土の整備をしなければならんじやないか、それについては建設省としましては災害を最少限度に食い止めることを科学的或いは枝術的に研究する必要がある、科学的に災害を減少しまして民生の安定を図ると同時に、積極的に資源の開発を最高度にやつて経済力の増強に貢献するということで、アメリカに行つていろいろそうした施設をやつておるからよく検討して、日本へ帰つて計画し、又これを予算化し得る責任のある者が行け、かようなことでございまして、私建設省を代表しまして、天然資源委員会の事務局長をやつております安芸皎一君と二人で参つた次第であります。  そこで災害についてアメリカは大体そうした日本のような災害があるのだろうかということを先ず考えたのですが、向うへ行つて段々調べておるうちに、一般的な考えですが、段々人口が殖えて参ります。文化か発達して来るとしますと、生活に必要な食糧がどうしても段々殖えて来る。それから先程真田先輩から申しましたように、いろいろな施策が行われて、それに要する木材を使用しなければならないというので、その外に或いは生活資材として必要なものを求めるために、折角水源の環元作用をやつてつた森林を伐採して、或いは耕地にし、或いは牧場にしてこれを民人の生活に使用する、而も無意識のうちに、又は無計画のうちにこれが行われておる。目のあたり日本におきましては戰争前後の濫伐によりまして、洪水を助長しておるということはもう皆様もよく御承知のことでございますが、中国におきましても四千年のあの古い歴史を持つておりますが、無計画の開拓によりまして非常に土地のエロージヨンによつて黄河のような濁流となりて、土地が段々流れて行く、長い間に知らず識らずにそうしたことで土地が壞わされて行く。アメリカは非常に文化国でありますからどうだろうかという考で以て参りましたところが、御承知通りアメリカ人というものは非常に何といいますか企業熱の旺盛な国民で、盛んに森林を伐採して、それを各種に利用して行く、或いは開拓をして土地を耕して行くというようなことが、建国の歴史が新しいが非常な速力で行われて、それも先程言いました通り治水計画というようなことを考えに置かないで、無意識に無計画に行われておつたものだから、盛んにそうしたときにはエロージヨンが起つて、土地が段々侵蝕されて行く、それがために河川に沈澱を起して、河床を上げ、あるいは航路として使つてつた川が船が通れなくなるといつたような状態に相成つて日本のような急速な災害じやないのですが、そういつたことが盛んに行われておる。今現在こうした状態に置いておけば、将来取返しのつかない状態になるのじやないかというので、関係各省が非常に心配して、これに対して施策を盛んにやつておる次第であります。それからもう一つは、積極的な方策として申上げました水資源の利用ということですが、これも御承知通り、アメリカという国は食糧は勿論あらゆる資源が非常にあり余つておる。ところが降雨量が非常に日本と比べて少ないものですから、水資源に対しては相当つておる。東部の方は雨が降りますが、中部から西部に至りましては雨の降らない所がありまして、それがために広漠たる沙漠が横わつておる、そうした状態にありまして、水さえあればそうした広い土地を開拓して有効に使えるというようなことが段々と騒がれまして、ここに水に対する利水計画というようなものが持上つておる次第であります。この消極的な災害防除と積極的な両方面において、関係各省が相当力強く推進しております。ここで向うへ行つて見て参りましたことを、もう少し具体的に申上げますと、五月の二十五日に横浜を出まして、シアトルに到着しました。それから直ちにシカゴを通つて首府のワシントンへ着きました。私達を世話して呉れる役所は、日本で申しますれば農務省、デパートメント・オブ・アグリカルチュア1そこで私達の世話役になつておりまして、ワシントンに着くと直ぐそこえ二人で参りましたところが、そこには例のマーシャル計画で欧州から、ドイツ、あるいはイタリヤあたりからも大分沢山来ておりまして、昔のことを思い出して懐しい話もいたしました。殊にドイツ人なんかに会いまして、お互いにいろいろな話をして来たのでありますが、各国から沢山つておりました。農務省におきまして、このわれわれに與えられた問題についてスケジユールをちやんと組んでおつて、大体一ヶ月間ワシントンにおりまして、関係の官庁を訪ねて、そこで現准アメリカでやつておる仕事及びそれに関連した理論あるいは技術、そうしたものの説明を聞いたり又こちらから尋ねたりいたしまして、丁度一ケ月間暮したのであります。ワシントンにおきましては、プレシデント・ウオーター・リソーセス・ポリシー・コミッシヨン、先ずそこへ参りました。そこは大統領の河川に関する多魚的な計画、先程いろいろお話がありましたマルチプル・パーパス・プロジェクシヨンと申しますか、電力あるいは水道、灌漑用水、そうした多角的な計画を今チェックと申しますか、再検討をやつております。そうして今年の一月から十二月一杯でレポートを作つて大統領に出すと、そうした目的で極めて臨時的な本のでありますが、大学のこれに関係のある教授、それから全国的にこの水に関する技術者が担当集まりまして、そうして河の利用計画をやつております。それは各大きな河川につきまして、河川の流域を一つに考える。例えばミズーリ・リヴアーの流域一円を取りまして、現在そこにいろいろ施設がありますが、それにプラス将来計画考えて、土地のプロテクトコントロール、それから水力、灌漑、或いは水道、リクリエーシヨンと申しますか、いろいろな多種目的ないわゆる国土計画といいますか、そうしたようなものを各河について検討しております。私帰るときに挨拶に参りましたドクター・アツカーマンという人、これは日本に来ておつた人ですが、その人の説明をコロンビア河につきまして聞きましたのですが、大体この計画が三十年計画で、これが完成するのは三十年ということを目標にしてやつております。そうして、十幾つかの河川について再検討をやつて、それにはいろいろこの委員会の中に又小委員会がありまして、経済方面を担当する人、或いは材料的なことを考える人、人口、或いは技術というように、七つ八つの小委員会がありまして、そこで検討しておつたわけであります。アメリカのような裕福な囲でそこまでやらなくともいいじやないかということを申しますと、近頃非常に人口がどんどんと急速に殖えて来て、ここもう十五年もすれば失業者を出すような心配がある、だから将来の大計画をどうしても立てる必要があるのだ、殊に水が不足しておるアメリカであるから、こうしたことは是非とも必要であるというので、さような計画を立てておりました。振り返つて日本考えて見ますと、食糧は勿論でありますが、すべての資源が不足しておる。ただ水だけが相当沢山あり余つておりまして、却つてそれがために大きな災害を起して、人命は勿論財産までも失つてしまうというような状態になつておるということを考えますと、何とかして災害を防除し、更に有効にこれを利用しなければならないということを痛切に感じた次第でございまして、それにはどうしても科学と技術の力によつてこれを征服しなければならないことを感じて参つた次第であります。  それから我々のスポンサーになつておりますアグルカルチュアーに参りますと、特に関係のあるのは、ランド・コン・サーヴエーシヨンサーヴイス、これは訳しますと何と申しますか、土地保全局とでも申しますか、それからフォーレスト・サーヴィス、林野局と申しますか、それが主な局でありまして、それからビユーロー・オプ・アグリカルチュアー・エコノミクス、経済を取扱つておる局でございますが、それから地図を專門に作つておるトポグラフィツク・デイヴイジヨン、さようなところに時間をかけて訪ねまして、いろいろ話を聞き、又その施設を見て参りましたが、要するにこの農務省でやつておる仕事は、土地の適正なり利用と同時に水源の涵養という二つを目標にいろいろ技術的な検討をやり、又実際に実行に移しております。全国を七つの地区に分けまして、そうしてこれはコンサーヴェーシヨン・ディヴィジヨンという名前をつけておりましたが、七つの地区に分けまして、やる仕事と申しますと、現在の利用図を作つております。ランド・ユースマップという名前をつけておりました。これは現在の利用されておる現状を、飛行機で写しまして、先程申しました地図を作るデイヴイジヨンの、非常に大きい施設でございますが、この地図に作り変えてしまうのです。これはいろいろな機械を使つて相当うまくやつております。機械で地図を作つてしまう。現在の土地をどういうふうに利用しておるかということを詳細に調査しております。更に今度は第二にランド・ケーパビリテイー・オブ・マップ、つまり土地の適正な利用をするための調査、物理的な性質、或いは化学的な性質、地質、気温いろいろなそうした各方面の條件から見て、その土地が何に使えば最も適当であるかということを詳細に調査しております。それをランド計画と申しますが、そうして七つの地区に分けまして、そこに中央にヘッド・クオーターを置いて、各ステートにはその下の役所がありまして、更にそのステートを細かく分けて、出先きの役人が行つて細かい調査をやつております。そうしてその土地を大体九つのクラスに分けて、これは耕作にいい、或いはこれは耕作の中でも棉がいいとか穀物がいいとか、或はこれは牧場がいいとか、或いは森林地帶にしておかなければ水源の酒壷の機会をなくする、いうようなことで、河川と土地の連関を見まして、土地の性質を調査して仰ります。一方土地を利用すると同時に河川水源涵要というようなものを全国的に調査して実行に移つております。  それからその次に参りましたとこるはコア・オブ・エンジニア、いわゆる工兵隊、ここは兵隊でございますが、実際行つて見ると、兵隊の服は着ておりますが、本当技術者が集まつて、これも非常に科学的な勉強をして、丘陵さんが盛んに発表したりしておりますが、そこで又いろいろ新らしい研究を聞いて参りましたが、大体コア・オブ・エンジニアは日本から考えるとおかしいのですが河川工事をやつておる。兵隊が河川工事をやるというのは日本の習慣から言つて妙な気かするので聞いて見ましたところが、ミシシッピ河の航路に使つて船が盛んに動いておりますが、建国当時ワシントンがミシシッピ河の工事はコア・オプ・エンジニアでやれと言つたことから、それ以来の伝統で、このネヴイゲーシヨンをやつておるんだ。そのうちにミシシッピ河の工事ということか問題になつて来たので、ここで治水工事として堤防を造つたり或はシヨート・カットをやつたり、いろいろ洪水防禦の仕事は、コア・オブ・エンジニアが担当してやつております。一九二七年ですか、大洪水がありまして、この下流堤防じや洪水防禦には非常にむづかしいというので、今度はずつと上流の方の、オハイオ河の更に上流の山の土に向けて洪水防除のダムを造るというようなことまで、コア・オブ・エンジニアが担当しております。いずれ後で申上げますが……。で、コア・オブ・エンジニアは、ネヴイゲーシヨンとフラットコント・ロールをやつております。  更にその次に参りましたのは、デパートメント・オブ・インテリアの中で、ビューロー・オブ・レクラメーシヨンといいますが、これは何といいますか、開拓局とでもいいますか、そこに参りまして、いろいろ話を聞きましたが、ここは掻摘んで申しますと、灌漑つまりイリゲーシヨンを担当しておる。主なる仕事はイリゲーシヨンを相当しておる。大きなダムを造つて、そこに水を溜めて、それを砂漠地帯に引張つて来て、その砂漠地帶の開拓をやつておる。大きな運河までビューロー・オプ・レクラメーシヨンがやりまして、更にその先のところは農務省がやつて、開墾と同時に小さい水路をやつております。そうして非常に仕事の分野がはつきりと分れております。それからそういう仕事をするためにテクペカル・サーヴェーというのがこのインテリアの中にありまして、この土地の、先程申したような農務省でやつておるようなことは、テクニカル・サーヴエーの方でも大きな制度で以て土地のいろんな性質、地質調査は勿論ですが、化学的、物理的、各種の調査が相当大きな組織で以て行われております。勿論そこでは流量測量とか、或は水量の測定というものをやつております。一つの大きなビルで、人事院ぐらいのビルにいろいろなセクシヨンがありまして、そうした調査を專門にあらゆる種類の学者が集まつてそこでやつております。そこを基礎にして、開拓をやつておるというようなことで、非常な大掛りなものです。それからワシントンでは更にウエザー・ビューロー、気象台といいますか、これは商務省といいますか、デパートメント・オブ・コンマースというものに附属しておるのですが、そこに参りまして、いろいろ話を聞きましたが、これにもりヴアー・セクシヨンとか、パブリック・セクシヨンなんというものがありまして、気象台で川のことを盛んに研究しております。洪水予防については気象台が非常にこれに力を入れてやつております。まあそういうようなことがありましたので、向うにおいていろいろ話を聞いております。かようにしまして、ワシントンに一ケ月余りおりましたのですが、結論としまして、この河川に対しては、洪水部局とネヴイゲーシヨン、コーア・オブ・エンジニアが担当しておる、イリゲーシヨンはビューロー・オブ・レクラメーシヨン、それから全体の上流における砂防工事というものは農務省が担当しており、その間にオーヴアーラップしたところがあるそうでありますが、日本でもよくありますが、仕事の縄張りが相当ありましていろいろ議論が出るそうですが、その調整はちやんとできておりまして、実際の仕事はお互いにうまく調和をとつてつております。それから電力局というのがありますが、フエデラル・パワー・コミツシヨシ、電力委員会と言いますか、これは水力電気に対する許可、認可をやつております。こうしたところを見て参りましたが、結局フラット・コントロールというものに対して重点を置いて、電力その他のものは第二義的なものだということを聞かされて来ましたのですが、この点はT・V・Aで例をとつて申しますと、T・V・Aはテネシー・リヴアーに対して二十六のダムを作つて洪水調節をやつており、その中の四つのダムだけは電気、パワー專門に造つたダムでありますが、あとのダムは洪水調節が主であつて、電力はその調節の範囲内において電力を起しているんだと、こういうことを言つておりましたが、その方式が各所に行われておる次第でございます。そこで振り返つて日本考えてみますと、先程申上げましたように水が余り返つておりますし、これがために洪水を起しておる。そこで昔から非常に我々の先輩が水利に努力して頂いており、それを我々が引継いでやつておる次第でございますが、いろいろな社会状態の変化と共に水源が荒さ丸て御承知のような災害が再々起つておる次第でございます。この原因を深く突込んでいろいろ考えなければならんことがありましようが、水源が荒廃したということはこれは一つの大きなフアクターであると思うのであります。その外にも気象関係もありましようが、現実に水源が荒廃してそれがために土砂を流がして洪水を助長しておるということはこれはどなたが御覧になつてもよく分ることでございます。それがためにはどうしても水源の管理に対して我々は相当力を入れなければならない。幸いにして今年は砂防の斐川も或る程度殖えるようになつたそうでございますが、二十六年度はまだ決定しておりません。殖えた程度ではとてもこの日本の災害を軽減するだけの効果がまだとても上らないじやないか、更に更にこれを殖やして行つて先す水源をぴつたりと止めるということが先決問題だ、それから地形によつてアメリカのようにうまくは行きませんが、洪水調節の堰堤を造つて洪水の少くともピークだけでも区切つて下の構造物の力で負担を軽くするということも一つの考えじやないか、アメリカのような地形が平坦な土地で大きなリザーヴができるところでございましたら一メートルの水の差でも相当な貯水ができますが、先程お話ありましたように非常な急勾配のところでございますから、相当高いダムを造つても貯水量が極めて少い。アメリカのようなうまい洪水調節はできませんのですが、併し相当考えれば或る程度の効果があるのではないかということで、建設省におきましても今まで相当検討しておるのであります。できれ洪予算の許す範囲内において洪水調節をやつて行きたい。そうしますと、そこに水がありますので電力を起したくなるのです。電力を起すとなりますと、電力事業の採算というようなものを考えると、洪水調節が相当効果がなくなつて来る。ここに非常に矛盾が起つて来るのですが、我が国の電力関係の現状を見ますと、御承知通り非常な不足しておる。日本の再建のためにはどうしても水のエナージーによつて産業の開発をやらなければならないということはこれはもうどうしても考えなければならん問題でありますので、電力を起すということと、フラット・コントロールということを両方一つのダムでやるということは非常に困難な仕事でございます。ここに我々の非常な悩みがあるのでありまして、電力でフラット・コントロールに関係がないようないいところかありましたらば、これはどうしても電力に重点を置いて行く。それからどうしてもここにフラット・コントロールをやらなければならんところは電力を第二義的に考えて頂いて、フラットコント・ロールに專門に一つ使つて頂きたい。かような考えを起しておるのです。よろしく御批判を願いたい、かように思う次第であります。アメリカにおきましてはフラツト・コントロールのダムには、ふだんは全然水を溜めていない、そういうところを相当方々に作つております。そうしていざ洪水となつて下流が危ぶなくなつて来ると、そこに一時貯水する。こういう方式を取つておりますが、こうすれば洪水調節が一番危險なときもそこで抑えられますから、効果的に働くだろうと思うのでありますが、ここに水を溜めておいて、それによつてふだん電力を起して行くということになると、そう大したことはできませんから、洪水調節の効果が少くなつて来ると、かように存ずるのでございます。  かようにしまして、ワシントンで一ケ月送りまして、今度はワシントンで習つたことを現地で一つ見ろということで参つた次第でございます。ここがワシントンでございますが、最初参りましたのはこのピツツバーグと申しまして、これは御承知の鉄工所の盛んなところでございます。で、石炭など相当出まして、こつちは非常に荒廃されております。それからオハイオ河がありまして、ここに一九二六年ですか、大変洪水のためにこの辺一帶に相当な被害を受けて、その結果コー・オブ・エンジニアがここまで上つて来て、そうしてここでダムを作つて、このダムによつて洪水の一時調節をやろうということで、現在私が見て来たのはコンクリートの相当なダムでございますが、六十メートルくらいのダムを工事中のやつを見ました。コンクリートの大きなものを作りまして、非常に機械化したものであつて、でき上つたコンクリートも非常に立派なコンクリートでやつております。勿論アメリカのことでありますから、監督は兵隊さんがやつておりましたが、仕事はコンストラクターでやりまして、非常に立派なコンクリートでありました。又コンクリート・プラントの一番土には製氷機械をつけまして、いわゆるここの水に氷を入れて水を冷やかしてダムの調節をやろうというようなことまで考えてやつております。御承知通りセメントが固まるときに非常な熱を出しますから、それによつてこのダムが大きいから前にやつたコンクリートと後でやつたコンクリートとが大きな熱で膨脹の度が変つて来る、そういうような科学的なことまでやつております。古いダムは沢山できております。ここはニユー・フィラデルフィアでございます。ここから兵隊に自動車で送つて貫いましてこつちへ来たのですが、ここはマスキンガムという川で、これもやはり洪水が起つて洪水調即のダムを造つております。これがマスキンガム・ウオーターセツド・コンザーバンシー・ヂストリクトという一つの区域があります。マスキンガム・リヴアーの流域を一つやつて行きまして、この区域内のいわゆる多角的計画をやつております。テネシー・リヴアーのT・V・Aの小規模なものをやつておるので、ワシントンでT・V・Aみたいに大きな大工事、大事業をやつて日本にはとても行つたつて適用できない、マスキンガムでも見て来い、あれは丁度利根川ぐらいのものだから丁度手頃だからあれに行つて来いと言う。ここには八つの堰堤がすでにできておりまして、水を溜めないでいざ洪水となるとそこを閉めてそうした仕事をやつております。それはどういう組織でやつておるかといいますと、ここにマスキンガム・ウオーターセツド・コンサーバンシー、デイヴィジヨンといいますか、ここに委員会がありまして、委員会計画を立てて、それからそれに対する予算の措置をここでやりまして、その仕事を各関係地へ流して、仕事はコアー・オヴエンジニア、或いは農地関係は農務省とかいうので満してやつておる、一つの委員会制度で計画とプラントをやりまして、その費用は大部分国の費用でやつておるのであります。土地の提供とか何とかいうことで一部分はその地方が受持つておりますけれども、約一〇%くらいの地方負担という形のものはありますが、全部国のものでございます。T・V・Aのやや小規模のものでございます。それから今度はノックスビルに行つたのですが、スパッテシフンクというところに行きまして、これは先程申上げましたように農務省が全国土を七つに分けまして土地の保全改良をやつておる。その東南地区というのですが、その地区のここにヘッド・クオーターがありまして、ここに一つの組織の中心地があつて、各ステートにはやはりその下の役所がありまして、ここが中心となつて予算措置をやる、そうして計画をやつておる。そうしてこのステートに流し、このステートがこの土地の保全を使つて行くという組織でやつております。ここでは砂防工事を見ろというので山へ見に行きましたが、谷間を堰止めて土堰堤を造つて、去年造つたやつが埋つちやつたのだというようなことで盛んに土地の流出が起つております。そうした土砂の流出を溜池を造つて止めておるのですが、日本で今やつておりますコンクリートのダムを造つてつておるのと同じことをやつております。それから盛んに木を植えております。松の木を植えておりましたが、これは機械で植える。非常にそれを造つた技師に自慢されたのですが、ジープのようなもう少し長いものでずつと走ひらすのですが先にずつと掘つて行く、そこへ一人人が乗つておる台がありまして、そこにこれつぱかりの松の苗がある。それをぴよつぴよつと放り込んで行くと、うしろで土をずつとかけて直ぐに埋つて行く、実に簡單に三十度くらいの勾配までやれるとこう言つておりました。盛んに自慢しておりました。これで植えた木だと言つて又別の個所へ行つて見せられましたが、やはうまく生えておりました。それで先程お話のありましたように段切をやつて、テルレースと申しますか、盛んにそれを説明して呉れましたですが日本にはもつとそれよりも立派なものがあるのだから説明聞いておかしかつたのですが、俺のところにもあつて、これより立派だということも言えませんからよく聞いて来ましたですが、結局非常に松を植えて水を呼んで、今度は外の木が生えて来るのだというようなことを言つておりました。それからその連中に山の奥へ引張つて行かれて見ました。水源の涵要を盛んにやつております。それから草を植えておる。草を植えて肥料をやつております。日本じやとても肥料をやるところまで行きませんが、化学肥料を盛んにやつております。そうしたところへ行つて参りまして、その次に有名なノツクスヒルヘ行つて、T・V・A、テネシー・ヴアレー・オーソリティーといいますか、そこの役所へ行きまして、委員長には会えなかつたのですが、なかなか会議で忙しいので会えんでしたので、総支配人のガントという男に最初に会りたのですが、こういうようなことを言つておりました。T・V・Aの大事業が十年足らずにでき上つたのはワンマン・コントロールだと言つてつたです。こういう仕事沢山のものが寄つてつたつてできない。一人の頭に上つてこの組織がうまく働いて行つて初めてこれができる。而もこの委員長に対して大統領のルーズウェルトが絶対権限を與えておる。これは法律で決めておりますが、絶対権限を與えてその委員長は全責任を持つてワンマンコントロールをやつたためにこういう大事業が成立つたのだ。こう言うて大分大きくほらを吹かれまして、成程と言つてつて来ましたですが、それからその仕事の内容というのは先程申上げましたようにフラットコントロールが主体だ、電気を起すためにやつたのは従だと、こういうことを言つてつたです。それからネヴィゲィシヨン、つまり段にこういうふうにダムを造つて行きますから、水がずつと高くなつて行きますから段々にロックを造つて、そうして船を上げて、そうして水深の深いところを船が走つて行くのです。さようなことにしまして、ネヴイゲイシヨンとフラット・コントロールか主体であつて、電力はサブ・プロタクシヨン、第二次的だと、四つのダムだけは電気を主体にして造つた。大体百五十万キロぐらいの電気ができるのです。現在では電気料でT・V・Aのすべての費用を拂つて本当の純益か一五%あると言つておりました。その電力で以て盛んに今度は生産工場が働いておる。それについては余りまあ軍需工場があるものですから説明して呉れなかつたです。それだけのことを申して置きます。それから現地へ廻つて行きましたが、ダムなんか見に行きまして、百姓にT・V・Aはどうだと言つたら、あれは電気を非常に安く売つて呉れるので非常に結構なところだと言つておりましたが、まあこの地区に対しては相当安く売つているらしい。現在はすでに河川工事は終りまして、今度はテネシー・リヴアーの流城の土地保全に乗り出しております。先程申上げましたような土地の適正な利用と、それから折角ダムを造つたのだから、これを流出土砂のために埋つちや生命がなくなりますから、この水源の涵養ということをその費用で以てこれをやる。こういうことが現在これをやつております。それから今度はテネシー・リヴアーの左岸のメンフィスに参りまして、これはコア・オブ・エンジニアの地方事務所がありまして、丁度建設省の地方建設局と同じようなものです。水深の維持と堤防の維持、或いは工作をやつております。ここには相当いろいろな千四百馬力くらいの大きさ浚渫船を四台も動かして浚渫しておりますが、そこへ行つて作業を見まして、晝飯を御馳走になりましたが、非常な御馳走を食つてつている。船員は自分の家に帰れないでそこに寝泊りしてやつております。ここに働いておる人は非常に優遇されております。食糧付きで賃金も相当つているらしい。私達も一緒に飯を食えというので高級船員と一緒に御馳走になつたのですが、我々がホテルで食つているものよりうまい物を食つています。これは別の話ですが右岸のアーカンサスと言いますが、その州の一部分を見ました。これは五十年別は非常な濕地帶で密林であつた。これを五十年前に開拓者が入つて、コア・オブ・エンジニアと申しましたが、そこで排水工事を起してその濕地帶を開墾して現在ではアメリカでも一流の大農場となつて、ここは見渡す限り棉とコーンの大平原です。こういうふうに五十年もかかつて開拓者の家でございましようが、日本でも見るような百姓が働いている家が相当つておりました。そうしたことをここでやつております。それからニユーアルバニー、ここに参りました。これはミシシツピのデルタかとうありますが、それから少し離れますと丘陵地帯になつておりまして、丁度起伏の多い土地で高台になつておりますが、これは相当前から密林を伐つてしまつて、そうして牧場にしたり或いは開墾して相当の当時は收益を上げておつたのですが、段々と土地が痩せてしまつて、現在倉なんかにも殆んど入つていない。農業倉庫がありますが、殆んど半分くらいになつてしまつたと言つておりました。非常に土地が荒れている、その土地は真赤な黄土でありまして、水に侵蝕され易い黄土でどんどん浸蝕されてヤーズ・リヴアと言いますがそこに流れ込んでしまう。川底が上つて日本の天井川みたいなものを所々見ました。これはどうもならんというのでここもコア・オブ・エンジニアが乗り出して大きなダムを作つて洪水調節をやる。水を溜めていないダムもありましたが、水を溜めたやつは相当大きなダムでありまして、これが電力を起しておりますが、洪水調節が主体になつております。そしてここで盛んに土地改良といいますか、砂防をやつております。砂防と言いましても日本のような急な所ではありませんから、丘陵地帯に木を植えます。葛といいますか、日本で言う葛ですが、土地の余り肥えていない所に植えてもどんどんと茂つて行く。あれを盛んに今植えていました。去年植えたのがこんなに大きくなりましたと説明して呉れました。日本にこれはなんぼでもあると言つたのですが、どこからか持つて来て盛んに植えております。中国から持つて来たと言つていました。葛という本なんかも書いておりました。それからビツクバーグ、これはコア・オブ・エンジニヤが河の仕事をやるについて科学的な基礎付けをしなければならぬというので、ここで試験場を作つたわけです。一九三〇年頃ですか、ミシシツピ・リヴアーに対する試験場を作つて堤防を一つ作るにしたところがいろいろな試験をやらなければならない。そういうことで試験場を作つて、段々とこれは大きくなりまして、現在では五百エーカーの敷地に水利試験、それからコンクリートの試験、或いは土壤の試験というものもここで盛んにやつております。大規模なものです。そうしそその試験をした結果は、例えばどこかにダムを作るとすればダムの形はどういうふうにするかということをここで実験をやつて、それをいろいろな理論的な計算をやつて設計の基礎を作つております。私共の建設省にもあります赤羽の試験場、あれの非常に大きなものです。更にジヤックソンという所に八百エーカーの土地の試験場を作つて、ミシシツピ・リヴアー全体の模型を作つて、河底の動きとかそういうものを盛んに今実験をやつております。これについて考えましたのですが、こんなに金を掛けて実験ばかりしておつてどうするのか。こうしたことをやつて、確実な、堅実な、基礎をここでとつて、それを幕準にして本当の設計をやる。最小限度の工費で、この実験を基礎にしてやるから安心していて契れ、そうすると結局において工費が安くなるから得じやないか。実験で金かけたつて、大きな工事の方で節約すればそれの方が余程得だというので、相当思い切つた施設でやつております。又どういう堤防一つ作るにしたところが、或いは水勢を一つ出すにしたところが全部実験をやつて、その結果を現地に移しております。私が見たのは水勢の試験をやつておりました。それからニユーオーリーンズに参りました。これは御承知通り外国汽船の一万トン級の船がどんどん入る大きな河港でありまして、これは洪水から防禦するためにいろいろな作業をやつておりました。こつちに湖があります。これに洪水のときはこつちへ流してこれを止める。更に今考えているのは、これをこちらへ下ろす。そうしてこのオーリーンズを洪水から防ごうじやないかというような計画相当大規模にやつております。  それからデンヴアーへ参りました。デンヴアーというのは内務省の例のビユーロー・オブ・レクラメーシヨン、灌漑関係を主にやつておりますところの水利試験場がある。ダムを作るにしたところがいろいろな科学的な技術的なことで実験をやるとか、或いはコンクリートの実験をやるとか、土壤の実験とか、工事に必要な実験と理論をここでやつております。これよりは規模が小さいのですが、ここにも相当そうした技術者乃至学者がおりまして、ここですべての研究をやつております。まあ惜しげもなく金を使つている。私が見ましたのは何か鉄筋コンクリートの柱の破壊実験をやつておりました。とてつもない大きな柱を作つて上から押えて破壞試験をやつておりました。それからここで、フォードコリンと申しますが、これはここにユニヴアーシティ・オブ・コロラドの大学がありまして、農務省の出張所がありますが、た学の中に役人が来ておりまして、大学の教授と、それから農務省の役人とが一緒になつて、そしてこれの森林といいますか砂防ですね、それのいろいろな積極的な科学的な研究をやつております。それを実地に移すために大学の先生とそれから役人と一緒になつて基礎を作つておる。ここで一つ申上げたいのは、これはコロラド河ですが、コロラド河がここにありまして、ここに山脈があります。それから山脈を越えてこの辺、こういつた所には今まで現在使い物にならない荒地でございまして、水を送つてやれば立派な耕地になる。一部工事もやつておりますが、この一番上にグランドレークといいますが、自然の湖がありまして、それからこの山脈を越えてトンネルを造りましてこちらに水を送る、それから親指のようなのがここに三つある。これに水を貯えてそれからこの水を受けて荒地に水を流しております。この水はこれだけじや足りないから更にここにダムを作つてここで貯水したやつをポンプ・アップしてこちらに廻している。これはビユロー・オプ・レクラメーシヨンがやつております。これは銅山川流域変更と同じことをやつておりまして、流域をこつちへ持つて来るのだからこれに対してはコロラド河の下流に対して相当これに対する問題があつたんじやないかといつたら、やつぱりあつたそうであります。相当こちらに水を流すことに対して反対があつた。それを抑えるのに相当苦労をして水量を決めてこちらへ流すということで話がついた、と同時にここからここに流すのに非常に落差がありますが、ここに赤く塗りましたのは発電所ですが、同時に発電をやつておる。これも灌漑と発電の両目的でやつております。それからここを済ませまして、オクデンという所に参りましたが、これは農務省でイリゲーシヨンをやつておりまして、いろんな施設をやつておりまして、私は建設省でございまして農地関係ではなかつたのですが、折角行けと言つたのでいろいろな耕地を見せて頂いて灌漑をやつておる状態を見ました。ここに日本人がおりまして、日本人が相当大きな農場を持つておりました。「いちご」を沢山に作つておりまして、そこに行つて「いちご」を御馳走になりました。ここにソルトレーク、これはもう塩水の湖で、ここは昔はボンネビルという大きな湖であつたが、段々水がなくなつて現在ではこれだけのものになつた。殆んど飽和に近いような鹹水湖であります。ここに一つの山脈がありまして、それが一九三〇年から三回程、丁度阪神の六甲が壊れたような大きな山崩れを起しまして、二十三谷間から活動して、そうして大きな土砂を流して、山の谷から出たところのその土砂が多く溜つておりました。それを日本つたら大変なことでございますが、土地が広いからそのままにして置いた。そこにも成る程度草が生えていました。河はそれだけ水道を作つてつております。これに対する対策を何か考えておるのかと言つたら、それはやつておる。これから一つ行こということで自動車でどんどんと山に登りましたら、例の段句の砂防工事を盛んにやつてつた。これはやはり機械でプルトーザーのようなものを用いて相当の急勾配をやつておりましたが、大仕掛な砂防工事をやつております。それからコロラド河のここにフーヴアー・ダムというダムがありまして、これはイリゲーシヨンの目的で作つたダムであります。現在はここから水を引かないで、四つ程ダムがありまして、一番下流のダムからこつちへ水を引いております。これはインペリアル・ヴアレーと申しまして砂漠地帶でありまして、こつちへ引きましてこれの開拓をやつております。これは大きなダムでやはり電力を相当起しております。それからロスアンゼルスに参りまして、ロスアンゼルスの近郊におきましてもロスアンゼルス河の上流においてコア・オプ・エンジニヤがダムを作つております。相当大きな土堰堤を作つて水を溜めて、このロスアンゼルス近郊で思い切つたダムを作つております。このロスアンゼルスからインピリアル、ここへバスで七時間程かかつたのですが、参りまして、エルセントラルという田舎の町ですが、ここへ一晩泊つた。ここはちよつと見ますと、殆んど本当の沙漠地帯で、砂原で、機械で掘り返すと、下を六尺ぐらい掘ると土が出ます。どんどん掘つて最初申しましたように水を送つて行くといい耕地になる。一年すれば直くに收穫があり、戰争前は日本人が入つて開拓したそうですが、現在は殆んどおりません。アメリカ人に代つておる。第一次、第二次、第三次というような計画で現在盛んに開墾をやつております。いずれも全部機械で、掘つくり返すのも機械ですし、低い土地でありまして、海面より湖が二百五十尺ぐらい低いところにある。排水が非常に悪いものだから深さ六七尺もありますが、深く掘つて土管をずつと埋めておる。これを機械で掘つて行くと土が上へ上つて行く。そこへ溝ができますので、後ろから砂を埋めて行きます。その次に土へ土管を下してぐつと押すと繋がつて行く。それから一番最後の人が埋めて行く、一遍で土管の排水管ができ上つてしまう。相当広い土地ですから日本人のようにスコップで掘つてつてはとても間に合いません。どんどんそうした機械で開墾設備をやつております。ここで話は別ですが、ここに大きなダムを四つ程作つて、そうしてここへ水を送つて灌漑をする。我々の泊つた宿屋は非常に暑いところで、丁度著いたのがお晝の三時頃でしたが、温度が百十四度というような温度だつたのですが、室を冷やすために水を使つておる。その水が一日四ドルと言いますか、相当な永代を拂つておる。このダムを作つて経費を水代で賄つている。土地を開墾して、その土地に送る水も売つている。相当な灌漑用水を売つているわけです。それで今まで沙漠であつて、ちつとも收益の上らなかつたところが、そうした開墾をやつて、一年経つと相当な牧益が上る。そうして零からプラスAというものかすぐ出て来るわけです。そうすると二十年、三十年するとこれがキャンセルできる、こう言つておりました。日本でもよく進駐軍が利益計算をして出せといいますけれども、こちらはどうもそれをやつてもなかなか儲けにならない。こちらはプラスから利益が上る。日本の土地というのはすでに相当の收穫を挙げているから、これには或る程度のものを増してももう採算のとれるようなことはできないですが、こういう所は盛んに零から生み出しているのですから採算がとれるわけです。よく言われるのはこういうのが基礎になつて言われるのであります。それからバークレーという所にやはりユニヴアシテイー・オフ・カリフォルニアという大学があります。それからサクラメントへ参りまして、ここで灌漑関係などを視察し、デヴィスの農科大学に参りまして、いろいろ学問のことを聞いて見ました。  さようにいたしましてずつと一巡して参りまして、丁度九十日間おりました。結局河川に対しては相当関心を持てアメリカが洪水防禦をやつており、同時に横島的な利用面に対して各関係省が協力してやつておる。いわゆる総合計画を立ててすでに実行に移つておるという状態を見て参りました。それで日本でその通り実行し得るかどうかということがこれからの問題ですが、これは非常にむずかしいことでございまして、地形も違つておりますし、又現在の財政では恐らくあの通りには持つて行くことはできないと思います。科学的にもできないと思います。それで、できるだけ有効に利用して私達の責任である洪水防禦というものに対して採入れたいと、かように考えておる次第であります。よろしく御協力を願いたいと思います。
  19. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 各証人に対しまして御質問があればお願いいたします。
  20. 青山士

    ○證人(青山士君) 証人から証人に質問してよろしうございますか。
  21. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 正式には証人証人に質問するということは法規上いけないことになつておりますから、速記を中止してやつた頂けば差支えありません。それは又我々の参考にもなりますから。……それでは速記を止めて下さい。    〔速記中止〕
  22. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 速記を始めて下さい。
  23. 田中一

    ○田中一君 稻浦さんにちよつとお聞きしたいのですが、アメリカにもこの高潮の事実が今まであつたのですか。
  24. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) それはタイフーンに似た低気圧があるのです。ハリケーンというのがあるのです。併し高潮のあるというのは聞きませんでしたね。ハリケーンで非常に災害を受けたことがあります。それからこれはここの話ですが、大阪の地盤沈下ですね。あれもやはり向うにあります。やはり水をどんどん吸上げるので地盤が沈下してしまうという現象を起す。
  25. 田中一

    ○田中一君 私伺いたいのはその場合防潮堤といいますか、防潮壁といいますか、それも今までの何といいますか統計上の高さがどれくらいの高さがあるか、例えば日本の場合どの程度というような技術的な点から言つてアメリカにそういうような事実があつたかどうか、ちよつと伺いたいと思うのですか。
  26. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) 私の行つた所にはそれはありませんでしたが、今青山さんの言われるところによると、ガルベストンにあつたということです。これは外の話ですか、防潮堤の高さについて建設省としての、これはアメリカの話ぢやないか申上げたいのですが、私は前の風水害のときに丁度大阪と神戸におりましたが、結局は一番大きな高潮を起す現象というものは大阪湾で申しますと、大阪湾の上を通つたときが一番大きなものが起る。それを分解してみますと、低気圧で気圧が非常に低くなる。従つて水面が上つて来る、これは計算上出て来る、それから低気圧がこうどんどん進むに従つて風が相当の長い時間同じ方向に吹いて来る。大阪でいいますと南から吹いて来る風が相当長く続くと、海水がどんどん吹き寄せられて来る。それが堆積して相当高い潮が上つて来る。これを学者が或る程度の科学的な計算を以てどのくらいの高さになるという基礎が計算されております、海洋気象台あたりで。それからもう一つのフアクターとしては台風の中心が非常に気圧が薄いですから、吸上げたものを持つて来るわけですね。それが海岸に近付いて来ると波の中心が浅くなつて来るのです。渡の中心が浅くなつて来ると、だんだんと膨れ上つて来る。それで以てだんだんと上るものだから、それを我々は例えばロング・ウェーブと言つておりますが、それの移動したものが上つて来る。これも或る程度計算が出ておる。簡單な地形だとそうした計算が出て来る。大阪湾のようにああした楕円形をなしておつて中心が淡路から大阪にかけてこういう傾きになつておる。中心がだんだん浅くなつておる。その浅くなつておる影響も考えなければならん。それからこういうふうに楕円形で狭くなつておるから、その影響も入つて来る。そうすると現在の数字では解けない、結局その当時の測定を基礎にして考えなければならん。大体の計算をやつて実際のものと合わして見ますとびちつと合いません。そうすると大阪の検潮は神戸、堺、岸和田、あの方面に検潮器かあるから、大体その当時の海面がどういうような形で傾いておつたかということを推定しまして、大体低気圧がどの方面を通れば幾らの高さになるというようなことを結局推定で考えて行くわけです。この前の九年の関西のものは大体五・一〇メートル、それに上波が立ちますから、それに一メートル加えれば六・一〇メートルというようなことです。併しながらあの当時は低気圧は丁度洲本から深江の上を通つたのですが、あれがもう少し大阪寄りに来れば、もう少し大きなものが出て来る。で、結局今度のものは気象台とか測候所と相談しまして、大阪に近い所は六・五〇メートルにしようじやないかというので標準を決めております。そうした計算しかできないのです。今度のは大阪で四・七三メートルでございましたが、今度のは九年のときより低いのです。それに地盤が沈下しておるので浸水面積が相当多かつた。そういうことで台風の影響のある所を全国的に調査しまして高さを決めて行きたい。かように思つております。  それから先程申し落しましたが、河川工事ですね、これは江田さんの言われるように、日本の方が余程上等です。提防を作るのは日本堤防の方が余程立派で芝植えなどは日本の方が勿論余程上です。護岸建設は両うはできないのですね。石塔なんかできないので石を放り込んだだけです。日本の方がずつと上です。これは申し遅れましたが、江田さんが言われたので思いついたのですが、はつきりとこういうことは日本の方がよいのじやないかと思つております。先程ちよつと申上げましたように、砂防工事にしたところが、いろいろ説明を聞かして貫いましたが、テール・レースというような名前が付いておりますが、やはり日本の方が大分優れております。大掛りで機械化して、そして大きく仕事をやつておりますから非常に派手に見えますが、実際堅実な内容に至つて日本は負けない、かように思つています。或いは又向うは日本のようにきつちりしたことをしたら金が掛かるから或いはあの程度で済ましてしまうのじやないかと思います。
  27. 江田三郎

    ○江田三郎君 稻浦さんにお尋ねするのですが、T・V・Aというような行き方はやはり従来の自由主義経済の行き方からすると違つた行き方になるわけですが、今後もこういうような公社方式というような行き万はアメリカとしてはどしどしとつて行くような傾向があるのかどうかということ、それからそういう公社方式というものに対して民主党なり共和党なり政党によつて考え方が違うのか。個人々々いろいろな行きな方がありましようけれども、大きな筋として違うのかどうか。それからもう一つはT・V・Aの場合は分つているのですが、先程小型T・V・Aと申されましたが名前は忘れましてが、そういうようなところで発電したときには電気の売電の方法というものは、どういう工合にして行くのですか、そのことをちよつと伺いたい。
  28. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) T・V・Aの公社方式をやつておるということについていいか悪いかということを方々で聞いたのですが、あれは非常にいい方法だと言うものはいない。T・V・Aに行きますと、非常にこれはこの方法でやつて初めてこの大事業を成し遂げたのたと言つておりますが、他の所に行くとあれは憲法違反だ、大統領が一委員長に国の絶対権限を與えたというようなことは、これは憲法違反であつて、将来ああいうことはすべきではないというような意見を持つているのがありました。恐らくあれは何か一つの非常手段としてやつたのだと思うのであのまして、あるいはルーズヴェルトその人が委員長を見込んでやつたでしようが、まあ将来ああいうことはそう沢山越らないのじやないかと思います。  それから各河川について総合計画をやつておりますが、結局まあ国が中心になつてやる、かように想像をして帰つて来たのですが、実現のしたところはありません。マスキン・ダムという小さいところですが、あれは一つの……。
  29. 江田三郎

    ○江田三郎君 そこに限らず、公社でなしに国家が工事をした場合に電気というのはどういう工合なんですか。
  30. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) それは電気設備まで全部国が作つている、電気会社にそれを貸付けてやる。それから経費を国へ年々幾らといつて納めています。それから民間がやはり自分自身で電力を起す場合、これがあるのです。これはやはりフェデラル・パワー・コミッシヨンというのがあつて、それが適正だということの許可を得て事業の経営もやつております。それと先程おつしやつた国でやるのと両方あります。一つの経営はやはり電力はコア・オブ・エンジニアでやつたものもありますし、それからフーバー・ダムはビューロー・オブ・レクラメーシヨンで作らてこれはやはり民間会社に貸してやつております。T・V・Aだけが自分自身でやつております。後は民間会社が大体経営をやつております。
  31. 江田三郎

    ○江田三郎君 そうすると、T・V・Aのようなものに対する非難というのは主としてこれは憲法違反であるという見地からであつて、開発の方式として能率的であるか非能率的であるかということじやないのですね。
  32. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) そうです。それは意見がなかつつたのです。併しT・V・Aではこれはもうワンマン・コントロールだと盛んに言つておりました。
  33. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 私一つ伺いたいのですが、砂防工事をやつておるとおつしやいましたが、その土地はどこでしたかね。名前だけでよろしいのですが……。
  34. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) ニユーアルバニーです。
  35. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) その仕事はいつ頃着手したのですか。今から十四、五年前ですか。
  36. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) 十二、三年前ですね。
  37. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) 私が在職中にロスアンゼルスの近所で山火事があつて非常に困つてつた。それで私らの所に来て、どうしたらよいかという質問を受けたのです。アメリカ人から……。そのときに日本砂防工事の方法を教えてやつたら、非常に喜んで、これを持つてつて直ぐやると言つたのが多分それじやなかつたかと思います。  それからもう一つお伺いしたいのですが、葛の植栽、これは最近日本からアメリカに打つた植物の中で葛ほどよい植物はないと言つて、これをアメリカが非常に推賞しておる。このことを向うの雑誌に載せております。最近私らの方に向うから、葛ほどよいものはない、何故葛を砂防工事に植えないかと頻りに向うから言つて来ておる。これは葛は植えても駄目だと言つたが、土地の関係上、今あなたのお話で或いは急勾配ではないし、はつきり分りました。多分その点だろうと思つております。
  38. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) 葛に関する本、プリントを沢山出しております。そうして盛んに植えておる。何故植えるのかと言つたら、地質が悪いからだと言つておりました。
  39. 武井篤

    ○專門員(武井篤君) プレシデント・ウオーター・ソーセス・ポリシーに学者や何かが集まつてつておりますが、あれは常勤なんですか、日本審議会のような常勤にしなくてもよろしいというような制度ではないらしいですが、事務局を持つてつて、大学の教授あたりそのまま持つて来て常勤させておるのか、それとも……。
  40. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) 大学を休んでそこにやつて来て、一年間常勤でやつております。アツカーマンという、こつちに来ておつた人、あの人の所に行きましたが、家内を連れて来ておりました。ワシントンに家を持つて、そうしてそこに常勤のような形でやつておりました。
  41. 武井篤

    ○專門員(武井篤君) 日本審議会のような形じやないのですね。
  42. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) そうじやありません。一年間それにかかりつ切りです。
  43. 武井篤

    ○專門員(武井篤君) ジャクソンという所の試験場ですね。あれはミシシッピの何分の一ぐらい……。
  44. 稻浦鹿藏

    ○證人(稻浦鹿藏君) はつきり分らなかつたですが、ジャクソンは途中にございまして、八百エーカーの試験場を作つて、ミシシッピー全体の模型を作つておるということ聞いて来ました。
  45. 江田三郎

    ○江田三郎君 外の問題ですが、この前の委員会のときに例のダム建設の見返資金の問題について四十何ケ條かの質問をしたのですが、あれの飜訳を出して頂くように要求しておいたのですが、まだ頂いていないので来ていなかつたら催促して頂きたい。
  46. 石川榮一

    ○石川榮一君 大変諸先生からいろいろ立法なお話を伺いまして非常に我々も……稻浦先生生が今度渡米せられまして、歸つていろいろ示唆されつ点もあると思いますが、日本河川技術はアメリカよりも非常に高いということは私共平素から伺つておりまして、非常に結構だと思うのですが、今日本が置かれております現在の河川状況は御覧のように非常に荒れ果てております。そういうような事態で、どうしても食糧の増産を至上命令として、国是として確立しなければならないときにそういう状況になつておりますので、なけなしの予算を各省が分捕りいたしまして、一本の河にいたしましても農林省の砂防があり、建設省の砂防があり、又伐採の方におきましては、農林省の農地改革の行過ぎによつての伐採を行い、現在も行なつておる。一方は河川の損害とあれば飽くまでもそれを防止し、植林しなければならんというようなことも今盛んに心配しておるというようなことで、今現在河川を中心とするその水渓にあるあらゆる平野に対するところの土木並びに用排水事業というものがいわば支離滅裂になつておる、而も国は非常に予算がないので困つてありますが、各省はこれを分捕りまして、おのおの自分の思うことをやりつつあるというような状況でありまして、全く一貫性がない。そういうことであつては幾ら経ちましても十分河川改修もできないし、又徹底した用排水事業も行われない、又見通しのある砂防、或いは植林も行われないということが現往の実情であると思うのです。こういう見地から考えまして、この際各河川ごとに、同時に各水渓ごとにしつかりした総合開発計画を立てまして、その開発計画が最も重点的に国費を投入して行くというような施策を講じさせるいわゆる開発計画なるものを樹立する必要があるのじやないかと思うのですが、河川技術等についてもアメリカの方におきでましては、今申上げたようなことで各省が各省ごとに、又部局が部局ごとに仕事を見つけて予算を奪い合う、僅かのものをお互いに僅かずつむしり取つて投入しておるというようなことでやつておりますが、こういうものに対する一つ先生方の考えはどんなものであるか、伺つておきたいと思います。  それからもう一つは、請負工事と直営工事についていろいろ伺いましたのですが、ややもしますと直営工事にいたしましても或いは請負工事にいたしましても、本年やりました工事が本年の後の次の水害で又壊れてしまうということがあり得るわけです。こういうものに対してはどうして防いだらいいか、私共にいたしますと、まあ監督を嚴重にするということが大事でありますが、責任者がある以上はそれに賞罰を與える、災害がありましても二年も三年もそれが無事であつた場合には若干の賞與を賞として與える、その現場の監督を表彰する、若し本年やつたものが翌年の水で又同じように破壊されたというような場合には、その監督であつた現場の人に対しては若干の譴責というような方法も考えてみたらどうかと思うのですが、これは実際にあるのですから、壊れれば壊れ放し、これは天災だと言うておいてしまえば何ですが、監督者の監督意欲をそそるよやに、責任感を高めるというためのそういうような賞罰というようなものを考えてみたらどうだろうか、こういうようなふうに考えておるのですか、一つ御意見を伺いたいと思うのです。前川先生の開発計画に関する一つ御意見を伺いたいのですが。
  47. 前川貫一

    ○證人(前川貫一君) 私は土木局におりまして、地方工事監督ということにも相当長い間携わつてつたのですが、尚災害国庫補助に対しては査定に参りましたし、それの成績検査もするとかいうようなことで大分そういう方面には携わつてつたのです。私のおりましたときの状況から申しますと、年々歳々各県に災害が起るということで、私共も秋になりますと、各県の水害の県から提出して来た補助を認定しまして、それの査定のために各県へ皆手分けをして廻るわけでありますが、随分忙しい思いをしたのであります。そのとき我々実際についていろいろ見たのですが、尚又私の関係しておりましたときは、まだ地方土木工事が極めて幼稚であつたものですから、内務省から万事干渉して完璧を期するということにとにかく努力はしておつた。そのときの感想から申しますと、やはりその地方財政が苦しいのですから、とにかくあれだけの河川工事願つておる場合にそれの維持費、維持にとても金がかかる、その維持費がとても少い県が多いのです。維持費は殆んど見込みがないというくらいのわけでありますから、要するに平素破損しておつたところの修繕を十分にして置きますれば、そうちよつと水が出て直ぐひつくり返るというようなことはないわけです。とにかく今申しましたように地方財政も苦しいし、維持というものに対しては誠に申訳的に割振つてつてつたという状態であつたのです。それですから維持を怠つておりましたから、水さえ出れば直ぐ壊れるというようなことで災害が多かつた。それで査定に参りますと、私共まだ監督しておつた時代でありましたから、地方にブロックが分れておりまして、監督の実際に事務員もおれば、私も初め携つてつたのですか、とにかく始終巡視して悪いところは注意し、又破損の多いところは警告を與えるというような仕組になつておりましたけれども、なかなか範囲が広いですから思うように行かなかつたのです。まあ要するに災害になつて初めて実況を見て、それからして県から出した設計に対して査定をする。それで不都合な査定は修正するというようにいろいろ我々手を盡したのですが、要するにその時令は財政が非常に苦しかつたから補助の金もできるだけの節約をしなければならんというような状態であつたのですから、もつぱらその趣旨を守つて行つたのですけれども、何分改良したい研は山程あるのですから、その壊れた傍の整理ですね、復旧ですね、復旧に対して非常な改良を施すということはたかなか財政か許さんのです。それですから先ず同じような復旧というような程度に対して重きを置いたのですが、我々は平素から始終見守つてつたのですが、こうしたい、ああしたいというところも相当あるのです。そういえ所はできるだけ幸い国庫の補助があるからして、この際どうせ復旧するなら直ぐそれだけ改良しようという意味相当の改良も施しておつたのです。さてその実行に当りまして、我々もときどきどうぜ隠れてしまつた方が大切な仕事なのですから、そういう仕事も十分見守る必要はあつたのですが、なかなかそこまで手が廻らないのですけれども、とにかく工事中には事情の許す限りその仕事の様子を見るということにしまして、尚完了しました曉には出来上りの出来方も検査して、そうしてその責任を帯びて本省に上申する。それによつて補助が確定するというような仕組になつておりましたけれども、何分箇所が非常に多いのです。とにかく何百何千という箇所ですから、やはり県の方でも監督しかねるですね。どうしても素人で経験のない人とか、又そういうほうの知識の乏しい人とかというようなふうのものをかき集めてそうして現場に配置する、多少心得のある人がときどきそれを見廻るというふうに自然なるのです。そういうわけごすからしてなかなか思うように復旧工事も今おつしやるように又翌年懐われるということも相当あり得ると思うのです。そういうようなわけで監督がどうも行き届かなかつたのですね。つい費用もないし人もおりません。いろいろな人を集めて監督するというわけですから、どうせ不十分です。出来上のの検査をしましても、肝腎かなめの人の方を一々掘り起してみるわけにも行きませんので、十分監督ができなかつたということになるのです。村なら村、町村なら町村の工事になりますと、地元の人が引受ける。そこに弊害が相当伴う。それやこれやで今お話のように折角復旧しても又壊れるじやないか、監督が不十分じやないかということはそういうことが相当原因になつておると思います。要するに府県の災害を減じますには、未然に防ぐ、崩れてからやつては損害も大きいから未前に防ぐ、早い目に修繕工事をできるだけ完成してやれば大した損害も起らんで済むと思います。尚又監督も実際においては非常に困難でありますけれども、できるだけ練達の士を集めて、そうして責任をもつて直させるというふうなことになりますれば、大部分の災害が軽減するのではないかと私も感じます。
  48. 赤木正雄

    理事赤木正雄君) では委員会はこれを以て閉じます。    午後四時十四分散会  出席者は左の通り。    理事            赤木 正雄君            小川 久義君    委員            石坂 豊一君            石川 榮一君            島津 忠彦君            田中  一君            江田 三郎君            久松 定武君            東   隆君            尾山 三郎君   事務局側    常任委員会專門    員       武井  篤君   証人    元内務省第一技    術課長     前川 貫一君    元内務省東京土    木出張所長   眞田 秀吉君    元内務技監   青山  士君    建設技監    稻浦 鹿藏君