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説明員(
鈴木九萬君) 大した秘密とか、差障りの点はないと存じまするが、比較的
忌輝なく申上げたいと存じますので、
新聞関係の方にお願いしたいのでありますが、ほんの
皆さんの御
参考までに聞いて頂いて、
新聞等へ出ないように……それ程の話でもないかも知れませんがお願いしたいと思います。
五月の末から六月の半ばまでイタリアの
フローレンスで
ユネスコの第五回
総会というものが行われまして、それに出席したのでありまするが、その後ローマ、パリー、ロンドン、
米国等を非常な
飛脚旅行ではありましたが、
大急ぎで訪ねまして帰
つて来ましたので、その間の感じたことを御
参考に申上げて見たいと思います。
この
ユネスコについては国会の中にも
ユネスコ運動を大いに従進するというような
団体ができて、非常な関心を示されておるのでありまするが、今度
ユネスコの
総会に
日本側として出ましたのは
最初でありまして、
行つて見ますると
参加国が五十九ヶ国ございます。
国際団体が約六十ぐらいこれに参加しておりまして非常な大掛りな
会議でありました。私共としましては、
終戰後いろいろな
機会が従来ございましたが、
相当大きな窓が何と申しますか、
世界に対して
日本のために與えられた
機会、その窓から
世界の様子と申しますか、その
会議に現われた
世界の縮図を見て帰
つて来たわけであります。第一にこの
最初の
機会に
日本に直接
関係の深い
国々がどういう
態度で私共を迎えて契れたかという点について一言触れて見たいと思います。第一に隣の
中国でありまするが、この
代表の方々は非常な好意的な
態度を持
つて迎えて呉れたのであります。これは公の席上でも
はつきりと言うておりましたが、
日本は何というても偉大な国であるという
言葉を使
つておりましたが、
物心両面で
世界のために貢献のできる国である、過去において
日本から
中国はいろいろ迷惑を受けたが、これは誤
つた指導者に誤まられた
日本の
人々がや
つたことであ
つて、
自分達としてはそれを忘れたい、そして今後も協力をしたい。
日本が自由に民主的に且つ偉大となることならば我々は協力する、
賛成するという
趣旨を言うておりました。フイリツピンに参りますと、これはまだ釈然としない点がありまして、いろいろ話を聞くと、
日本においては
終戰後いろいろな改革が行われ、
民主化が進んでおるそうであるが、果してそれが純真なものであるかどうかということについては、コレヒドールの苦い経験を持つ我々としては多少疑念を持つ。併しそれが若し本当に純真なものであるならば、これは
一つに
アメリカの
指導、
援助というものによるものであろう。それが本当に純真なものであるならば、
自分達としてはできるだけこれを
援助し、助長するにやぶさかでないということを表明した次第であります。
更に少し下りまして
濠洲になりますと、これは
皆さんも
新聞等において御
承知のように原則の問題にたると思いまするが、やはり
平和條約のできない限りは
日本というものは
国際会議に出るべきではないだろうと思うというような
趣旨を述べておりました。併しながら決して反対の投票をしませんで、いわゆる棄権をしまして、いろいろ
日本に対しても
決議がなされたのでありまするが、それを邪魔しないという
態度をと
つておりました。更に
インドに参りますると、これは先程の
中国の言うたようなことを非常に支持しまして、
日本は確かに
国際文化にも貢献し、
世界のためにもいろいろ貢献し得る国である。そういう
立場になることを希望するというような
趣旨を述べておりました。この
総会におきまして
米国の
代表というものが非常に私共に好意を寄せて呉れまして、私共の
仕事を非常に助けて呉れました。その結果
日本に対する
ユネスコの事業というものも段々に強化されるということにな
つたのであります。
この
機会に少くこの冷たい
戰争と
ユネスコというものについて申上げて見たいと思うのでありまするが、御
承知のように
国際連合品には
ソヴイエトというものが入
つておるのであります。併しながら
ユネスコには
ソヴイエトは入
つておらない。併しいわゆる
衛星国であるますところのハンガリー、チエツコ、
ポーランド等はこれに入
つておるのであります。
ユーゴーという国も入
つておりまして、これは前の三つの国とは
相当懸け離れた
態度をと
つておりまして、非常に協力的、建設的な
態度をと
つております。今度の
総会で問題になりましたのは、一体この冷たい
戰争というのは結局
イデオロギーの
戰いである。
争いである。そのときに
国連の
一つの
文化機関であるところの
ユネスコが、この
イデオロギーの
争いに何か役立つような
仕事ができないものであろうかという点だ
つたのでありまして、その点については、なかなか
激論が交されまして、
東欧諸国若しくはそれと
西欧諸国との間に位する国のごときは何とかそういうことをすべきであるという
立場をと
つています。これに反しまして
西欧諸国は、この問題は
国際連合としても又
関係主要国としても、従来
終戰後五ケ年に
亘つてあらゆる苦心を重ねてや
つて来た問題であ
つて、
ユネスコがそういう問題に入るべきではない。又入
つたところができない、
ユネスコの任務というのはもつと落着いた文化的な長い目で見る
仕事をすべきであ
つて、そういう
方面に出るべきではないというような
立場をと
つて、
相当の
激論が交されたのであります。
皆さんも或いは
ちよつと
新聞等で見られたかと思うのでありますが、
ユネスコの
事務総長の
ボデーという人が
会議の
最後の頃になりまして
辞表を出したのであります。その理由は、
ボデー氏としては
国連の例のトウルグヴエ・リーという
事務総長のように、何とか
国連なり
ユネスコがこの冷たい
戰争の中で一役をしたい、買いたいという
立場を強く主張しまして、今のような
ユネスコの
会議の体制に満足しないで
辞表を出したのでありますが、この問題は結局先ず
ボデー事務総長の
辞表を撤回して貰いまして、まあ
ユネスコとしても或る
程度まで
ユネスコの範囲でできるだけやはり
国際情勢の
緩和に努めようというような
趣旨の
決議等を行いまして、まあ
一種の妥協に達したというような形だと私は解釈しております。尤もこれは
朝鮮問題が出ました直前のことでありまして、これが出ました後の状態と申しますか、
ユネスコの
気分というものの間にもおのずから変更があり得たのだろうと思うのであります。
次に
イタリーの問題でありますが、
イタリーには丁度一ヶ月近くおりましたので、まあ比較的忙がしい一ヶ月ではありましたが、いろいろ観察することがあ
つたのでありますが、行きまして非常に目立つ点は、
予想外に
イタリーが復興が早いという点であります。それに現在は御
承知のように
カトリツクの方の
聖年と申しまして、二十五年に一回お祭がありまして
世界各国の
巡礼者が沢山集まります。去年の
クリスマスから今年の
クリスマスに来る人が四百人と言われておりまして、非常な賑わいを呈して、又その方からも非常な景気が出ておるように見受けられるのであります。私共としましてイ夕リーのことを考えますときに、頭に来るのは
ドイツの問題もそうでありまするが、
終戰後の
日本の
外交というものに比べ合せて
イタリーの
外交というものを見てみたいという
気持があるのであります。
イタリーは御
承知のように三年半前に
平和條約を
作つてしまつたのであります。そこで
イタリーの
外交というものは
日本とか
ドイツとかに比べたならば、早くでき過ぎたところの、でき過ぎたと言うと語弊があるかも知れませんが、とにかく早くできたところの
平和條約の中の
條件をできるだけ
緩和するということに向
つて費やされておるのであります。一番問題にな
つたのは
賠償の問題、それから旧
イタリーの
植民地の問題であ
つたのでありますが、
賠償の問題は個別的の
交渉によりまして大体目鼻が付き、
イタリー側の
相当満足の行くような工合に
解決しつつあるようであります。
植民地の問題になりますると、これは非常に輻湊しておる問題でありまして、そう
簡單には行かんのでありまするが、
イタリーの
外交というものはこういう困難な問題は與えるに時を以てすれば好転するであろうというような
趣旨から、急がない方針で以てこれに当
つておるようであります。現在までにいろいろな決ま
つた点がありまするが、非常に目立つのは、
イタリーの旧領であ
つたところの
ソマリーランドというのが
インド洋の方に面してアフリカにありまするが、それが昨年から十年以内に独立するという決定に
国際連合で達しまして、それまで
イタリーがいわゆる
信託統治を依頼されるということに決定したことであります。この点は
イタリーにと
つては非常に経済的その他
相当な犠牲だと思いまするが、
イタリーの
外交の上から行けば非常な
一つの
プラスとも考えられるのじやないかと思うのであります。御
承知のように
イタリーは三年半前に
平和條約を
作つたのでありまするが、
国連にはまだ入
つていないのであります。いわゆる
拒否権のためにまだ入
つておらないのであります。それにも拘わらずこの
ソマリーランドに対する
信託統治の何といいますか、
統治者に擬せられたということはとにかく
イタリーが
国際社会に復帰を認められたという
一つの印しにな
つておるのであります。それと同時に
皆さんも御記憶と思いまするが、去年の四月の例の
北大西洋條約というものが調印されたときに
イタリーがその
調印国に
なつた。これは決して
北大西洋に臨んでおる国ではないのでありまするが、例のアルプスの
参路を
フランスと
イタリーが共同していざという場合には護るというような
意味で、
イタリーがこの
北大西洋條約に加えられたという事実がありまして、外にもあるでしようが、この
二つの点は
国際連合にもまだ入
つてはおらないけれども、
イタリーが立派に
国際社会に復帰した証拠であるとして、
イタリー外交の
相当な
プラスに考えられておるようであります。
次に、
大急ぎて
フランスに参りまして、
フランスを中心にしたところを少しく話して見たいと思います。
皆さんもよく
新聞等で御案内のように、欧州における共産党の危機と申しますか、そういうものが二、三年前に非常に叫ばれたのでありますが、
行つていろいろ見ますると、その当時に比べましたならば一応の
落着きを見せておるように思うのであります。何と申しましても四七年の末、それから四八年の春、丁度
イタリーの例の総
選挙のときが山でありまして、あの当時にはいわゆる鉄のカーテンが果して地中海にまで出て来るかというような問題があ
つたのでありまするが、御
承知のように現在
イタリーの総理をしております
デ・ガスペリという人が率いるところの
キリスト民主党というのが、勝利を得まして、
上院並びに下院に大体絶対多数を得まして一応
落着きを見せたのであります。それと同時に
マーシヤル・プラン等もありまして、
フランスの
方等も
相当落着いておるようであります。併しその頃から非常に
ヨーロツパで目立つ問題が出て来たのであります。それは何かと申しますと、今申しました
キリスト社会党というものが主なる国に非常な勢力を得て来たという事実であります。大体におきまして
キリスト民主党というのが
カトリツク民主党の
意味になるのでありまするが、今申したガスペリという人がすでにもう四年くらい
政権をと
つておりまして、現在は第六次の内閣だと
言つておりまするが、これが非常なカトリックの熱心な
信仰者であります。それから御
承知のように
フランスで最近しばしば
政権をと
つておりますところの
ビドー、
シユーマンという人がMRPと申しまして、
人民共和党と訳しておりまするが、この
ビドー、
シユーマンの二人は又
カトリツクでありまして、翻訳すれば
キリスト乃至
カトリツク民主党と
言つてよろしいと私は思います。更に北に参りまして、
西ドイツの例の
コンラツド・アデナウアー宰相は
レーナニー地方から出ておりますところの
カトリツクでありまして、あの人の率いる党は
キリスト民主党である。このように
西ドイツ、
フランス、
イタリー三国の
首脳者が偶然にも
カトリツクであり、
キリスト民主党の領袖であるという点が非常な
意味を持
つておるのであります。と申しますのは、この三国の間に非常な
親和の
態度が見えておるということが
終戰後、特に最近の
西ヨーロツパ政界の非常な特徴じやないかと思われます。去年の三月に
イタリーと
フランスとの間には非常な理想的な
関税同盟が作られ、その内容は
簡單に申しますと、人と資源と、それからまあ資金まで自由に交流しよう、こういう画期的な
関税同盟と申しますか、
通商條約であ
つて、将来のヨーロッパの行き方をするところの
一つの新しい
試みと言われております。そういうことができたのは今の
デ・ガスペリと
ビドー等の
カトリツク同士の
親和政策から出て来たと言われておるのであります。それから又
西ドイツと
フランスとの間も
新聞等でも御
承知の通りザール問題その他をめぐ
つて非常に画期的な
試みとか
提案が出たりしておるのもやはりその
一つの現われであると言われておるようであります。
又
オランダとか
ベルギーの方へ行きましても、この
方面におきましても二年くらい前に総
選挙がありまして、その結果は
オランダにおいては
カトリツク社会党というのが第一党にな
つておりまして、
ベルギーにおきましては
キリスト社会党というのが第一党であります。偶然この辺の
政界というものがいわゆる
キリスト民主党が
指導者に近いところにおるという
一つの事実であります。
それから
アメリカへ移りまして、丁度
アメリカにおりましたのは
朝鮮問題が
始つてその
最初の二週間でありました。まあ
いろいろ人にも会い、又いろいろ観察もしたのでありまするが、非常に私の感じたことは、この
朝鮮問題、が何と申しますか、契機とな
つてアメリカの輿論が非常なる急速度で一体となり、あらゆる処置を進めておるという点であります。それからもう
一つはそれと同時に
国際連合というものか非常な早さで
行動を
とつたという点であります。これは御
承知のように、
国際連合ができましてから、いわゆる
国際警察軍を作ろうという考えは
切めからありましていろいろ努力したのでありますが、できなか
つた。前の
国際連盟においても同じような
試みがあ
つたが、失敗に
終つたのであります。今度それが成功した。偶然にも
朝鮮問題というものをきつかけに非常な早さでこれが自然にでき上
つてしまつたのであります。これは非常に大きなことであ
つて、
日本等の将来にも非常に貴重なデモンストレーシヨンをしてくれたと思うのでありますが、何故こういうふうに早く
国際連合の
動きというものが固ま
つたかということには非常な心理的な原因があ
つたのではないかと思うのであります。丁度その
事件が始まる前に
ヨーロツパにおりました私といたしまして、いろいろな
人々と
会つて話を聞いた際に、皆から聞いたことは、どこかに何といますか、
東ヨーロツパ側が出て来るのではないか、果してどこだろうか、
ユーゴーだろうか、ギリシヤだろうか、或いは
トルコだろうか、イランだろうか、それともアジアかということは、皆が非常に気にしてお
つた点であります。たまたま
朝鮮にそれが出て来たということは、この次はどこに出て来るであろうかという心配と結び付きまして、この
機会にやはり
自分達としてもできるだけ共同の動作に参加しようという
気持からこのように早く
行動がとられたものだと私は考えております。例えば
トルコのごときも、ノルウエーのごときも、やはり極東の
朝鮮で起
つたこの
事件に進んで協力しようというようなことを申出ておりまするが、これらの点は、そういう観点から見ないと
ちよつと分らない点ではないかと思うのであります。それから今毎日のように
新聞で、
米国がこういう時局のためにこれだけのことをしよう、あれだけのことをしようということが盛んに出ておりますが、これは私をして言わしめますれば、
朝鮮問題だけを
解決するならば、そこまで行かんでもいいと思うくらいの
程度を
言つておるのじやないかと、ひそかに考えるわけでございます。
新聞等によりますれば、英国、
フランス等がいろいろな財政的の困難かあるにも拘わらず、やはりこの際軍備というような点を非常に急速に固めて行こうという決心をしてやりかけておるようでありまするし、
米国もそれに対して
援助を増加するというような形勢にな
つて来ましたが、これら一連のことというものは、恐らく
朝鮮問題だけを目安にしての
動きではないだろうと思います。これは要するに
朝鮮問題が
解決した後、
西欧側としては何と申しますか、対決の日が参る、決して
戰争という
意味ではないでありましようが、果していつまでも冷い
戰争で行くか、それともこの
機会に
話合をしてできるだけの
解決をして見ようかというような、つまりこちらの
立場を強くして
交渉のできる気構えに持
つて行くところの態勢ではないかと、私はひそかに思う次第であります。
米国等におきまして、まだ時期は早か
つたかも知れませんが、一体どういうふうに
朝鮮問題を
解決するだろうかということをいろいろな
友人等にも聞いたのでありまするが、これは少し時期が早か
つた点もありまするが、余り具体的な
意見も聞けなか
つたのでありますが、まあとにかくいろいろな人が言いましたことは、
国連というものが動いて呉れたということが非常に心強いことであ
つた、どこまでも
国連の枠内で
朝鮮の問題を
解決して行きたいということを、頻りに
言つてお
つたのでありますが、その後現われて来る面を見ますと
国連々々ということがすベて謳われておるのでありまして、例の三十八度線を越えて向うに行くのか行かんのかという問題についても
国連次第であるというようなことを
言つておりまするが、この
朝鮮問題の
国連による
解決ラインというものは、
一つには
終戰後朝鮮をどういうふうに処理して行こうかということが
モスコーの
外相会議等で一応
決つたのが動かなかつのたのでありますが、恐らくそれに近いような
ラインで
解決の方向に持
つて行こうというように考えておる人も少くないようであります。最近
信託統治というようなことも出ておりまするが、これは一応
モスコー会議で考えられた案でありまするが、実行されなか
つたのでありまして、恐らくそういう形ではないのではないだろうかと言う人もあるようでありまして、まあ何と申しますか、
国連が
信託統治ではなく、むしろ協力して
民主政権をだんだんに建てて行こうという考え方、それから三十八度線というものはどうしてもこれは余りに人工的であ
つて非常識であるから、これは撤廃しようというような
趣旨を基礎にした
意見が
相当拡ま
つておるように感ずるのであります、一応このくらいにしておきたいと思います。