○天野国務
大臣 私は初めから、全面講和か、単独講和かという問題の提出が間違
つておるという考えを持
つております。実は朝日新聞社から、初めに全面講和か、單独講和かという問いを受けたことがあります。そのときに私は答えられないからと答えま
せんでした。そうしたら、電話で朝日新聞社から問合せがありましたから、私は理想としては全面講和であるが現実の問題として全面講和がどうしてもできないというときにも、単独講和はどうしてもいけないという考えはないから、これには御返事できないということを言
つております。ですから、朝日新聞の多くの人の回答の中に、私の名前が出ておらないのは、そのためであります。その後平和問題懇談会というのかできました。平和問題懇談会は、平和について懇談する会であ
つて、決して単独講和を否定するという会では少しもございま
せん。みんなで平和に関する意見を述べたわけであります。しかし最後に宣言を出すというときに、私は、この宣言をこの
通りやるのだということでは、自分はとうてい署名できないと言つたところ、そうではなくて、これは願望であるということなので自分らは願望を述べるならばこういうことだということから、当時新聞に発表されたのも、願望としてはこうだということが出ております。私はそういう意味で、願望ならば全面講和にきま
つておるというような考えでございます。もし諸君が私の「世界」四月号に書きました、「永久平和への熱願」という論文を、ただ題目だけでなくして、これをしさいにお読みくださつたら、よくわかると思います。私はその論文において、われわれはまず自分から歴史的現実を知らなければならぬ、自分らが置かれている現実と遊離した論をするのは、とうてい空想にすぎないということを論じて、自分らはこの講和の問題に対しても、やはり歴史的現実に立
つてこの問題を考えなければならない。しかしながら、私をして率直に私の願望を語らしめるならば
——私はそういうことを論文にわざと書いておりますから、皆さんもし興味ある方は、お読みにな
つていただきたい。願望を率直に私をして語らしめるならば、私は当然全面講和でなければならないという考えである。けれども、同時に私は、そういうような当然の願望など語る必要は何もないではないかという世間の論に答えてこれは自明の論だ、だれでも全面講和を欲しない人はない、願望としては全面講和という自明なことを、なぜわざわざ宣言などをする必要があるかということに答えて、私は自明な
——ゼルブスト・エヴイデントな願望と言
つておりますが、その願望をなぜそれならば語るかというと、世界ではまだ日本をも
つて好戦国だと思
つている人も少くないのではないか、だからわれわれはほんとうに心の底から平和を願
つているのだ、できることなら世界全体との全面講和をしたいということの願望を述べることは、日本人に対して
一つの疑惑を取去る意味があるのではないかということを、私はそこで論じております。そういう意味で、全面講和がどうしてもできないという場合には、単独にいずれかの国家と平和を結んではいかんというのも
一つの考えだと思います。しかし私はそういうことは主張しておりま
せん。また平和問題懇談会の諸君の中でも、そういう徹底した論をしている人は、私は非常に少数ではないかと思います。平和問題懇談会は御
承知かもしれま
せんが、安倍能成さんから羽仁五郎君までおられる
一つの団体であ
つて、そこにはさまざまな意見を持つた人があるのであります。私はそういう意味で、吉田総理の平和論というものも、総理は全面講和はどうしてもできない、実際にあた
つてできないからこういうことをするのだというならば、私とそこに幾らかのずれがあるかもしれま
せんが、私は吉田総理の考えに賛成して行けるという考えを抱いております。ことに吉田総理の、表現はおかしいけれども、エデンの園という考え方です。日本では何にも防備はなくとも、大丈夫という自信です。またこの日本は再防備はしないのだという考え方です。また義勇兵は出さないのだという考え方です。そういう考え方は、私は吉田総理とまつたく考えを一にしているものでございます。けれども吉田総理の考えに自分が同意できないときには、いつでも総理に
異議を申し立てようと考えております。私の考えはそれだけでございます。