○
辻参考人 まことにか
つてなんでございますが、昨日まで旅行しておりまして、
十分準備ができませんでしたので、最近の新しい
行政改革案の詳細について私承知していないわけでございます。本年の四月に
行政制度審議会が提出されました
答申案は刷りものとしていただいておりますので、それにつきましてはある程度御
意見を申し述べられる点があるかと存じております。今年の九月にこの
答申に基きまして、
行政管理庁で
行政機構の
改革案ができ
上つたということを
新聞紙上で知つたわけでございますが、どこまでそれが正確なものであるかどうかという点が不明でございますので、そういう点から、四月に
行政制度審議会が
答申しております
原理ないしその具体的な
改革案について、私の
意見を
簡單にお話し申し上げたい、かように考えているわけであります。
あらかじめお断りしておきますことは、具体的な
行政の
機構を、
局課にわたりましてどのように変革した方がいいかということであります。この点につきましては、それぞれ
関係の
官庁の方、もしくはこの
官庁と密接な
関係をお持ちの
民間の
業者の
方々の方がむしろ詳しいのではないかと思います。従いまして
局課の地位、人員につきまして、ここでどれをとるべきか、どれを捨てるべきかというようなことまで詳しく立ち入
つてお話できないのではないかと思います。
平生行政に関する勉強をしております私といたしましては、
行政機構の
設置改廃についていろいろ
審議の
責任をお持ちになり、かつまた非常な関心を持
つていらつしやるこの
委員会の
委員の
方々に対しまして現在の
国家において、
行政機構の改廃はどういう
原理に基いてしたらいいのか、あるいはまたどのようにしてなされておるのであるかというような点からお話し申し上げまして、それにつけ加えましてただいま申しましたような
行政制度審議会の
答申案についての私の
意見を若干披瀝さしていただきたいと考えております。昔から学者間抜けづらと言いますが、
行政機構につきまして——あるいはいささか
抽象論になるかと思いますが、そういう点について御不審がございましたならば、あとでいろいろお教えいただきたいと思うわけであります。
行政機構の
改革につきましての根本的な態度としましては、まず第一には、いつまでも
日本における明治以来の
官僚制度の温存に汲々としてはいけないということであります。さらにその反面
行政官庁に対しまして、何と言いますか、まま子いじめのようにこまかい点まで一々無用の
批判を加えて、そのことによ
つてたださえ
手続その他につきまして、いろいろ複雑な
欠陥を呈しております
行政面に、一層無用の
摩擦を生ぜしめるということのないように、この
両方の極嫌な
行政機構というものはできるだけ避けねばならないということであります。一体何のためにこの
行政機構というものは改廃すべきものかという根本をまず反省をしなければならぬ。これが一番大事なことではないかと思うのであります。その点を逸しますと、往々にして非常に形式的な、あるいは官僚的な
批判に終始するという結果を導くものではないか、その点を特に注意しなければならない。根本的にまずそういうように考えるわけであります。つまり当面
日本の国民の
一般の
社会生活にと
つて何が最も重要であるか、その最も重要な面に最も、適応する
行政機構を考えて行く。そういう
原理に基いて、増加するものは増加し、あるいは減少するものは勇敢にこれを減少して行く。よけいな
機構いじりをやりまして、不用の
摩擦を起さないように、同時に最も適切な
改革は勇断をも
つてこれを断行する。こういうことがまず
根本論として望ましいことではないかと思うのであります。
今日
行政権が拡大し、
行政機構が
厖大化しているということは、ひとり
日本だけではなくしていわゆる
民主国家と言われておりますイギリス、
アメリカその他の国々におきましても、同様の
現象が現われているわけでございます。この二十年間に、たとえば
アメリカのごときも約四倍に
行政官庁が増加して、
局課の数は千八百を越えるという
状態であります。
アメリカが
独立した当初の
ワシントン大統領のときには、
大統領はわずかに九つの
行政機関だけを監督するので十分であつた。ところが今日では、
トルーマン大統領は百に近い
官庁をば
大統領の
権限で統轄しているという
状態でありまして
行政機構が
厖大化しているということは、何も
日本だけに限
つていないのであります。
一般に
日本特有の事情と、それから
一般に世界的な
現象といたしまして
両方の面からこの問題にいろいろな点から
批判を加えて行かなければならない。これが根本的な
原理とも申せると思います。
少し
最初に学問的な話になるのでございますが、
一般に今日
行政機構といわれるものには、どういう形のものがあるかということを
簡單に触れてみたいと思うのであります。今日大まかに申しますと、
行政機構というのは最も典型的な
部署制度と通常言われるデパートメント・システム、今日の
各省の
組織でございますが、
部署組織、それから第二が
行政委員会制度、それから第三に、これはこの
答申案であまり問題にされておりませんが、最近の
日本でも若干その例が出始めました
公社制度と申しますか、ガバメント・コーポレーシヨン、企業を半官半民の経営で行
つて行くという
形態であります。この
三つが
中央行政官庁としては最も典型的なものでございます。それと、さらに第四に、
地方自治と
中央官庁との
関係、それをいかに定めて行くか。この四つが
行政機構を論じます場合に取上げらるべき最も典型的な
形態であろうと思うのであります。
最初の
官庁組織でありますが、これがどこの国におきましても
行政機構の中核をなすものであります。この
部署組織をば、どのような
基準に基いて編成して
行つたらいいのかということが、一番
最初に問題になると思います。この点におきましては、通常いろいろの
原理が出て来るわけなのですが、その中で
二つの
原理が通常考えられておる。それはすべての
局課において、その
局課の持
つている
行政機能というものが十分与えられた
権限に応ずるだけの範囲において遂行され、そういう面を保証する、それが
一つの
基準になるわけであります。第二にはそれぞれの
局部課の間におきまして健全な綜合的な
摩擦のない
関係を樹立すること、この
二つが
部署組織を確立して行きます上において最小限の
根本的条件ということがいわれている。さらにそういう
抽象原理に基きましてでは
部署を何によ
つてわけるべきかという点が問題にな
つて来ると思いますが、この点にも若干の
基準が出て来るわけであります。
一つは
目的によ
つてわけて行くという点であります。たとえば
国家であるとか
社会組織、農林、商工、こういうような
行政目的によ
つてそれぞれ
各省の
分類を行
つて行く。これが第一の
基準でございます。この
基準をとりますと、世の中が変化して行くにつれまして
行政目的に重点の異動が生じてくるわけでありますが、それに応じて絶えず変化させて行かなければならない。こういう必要が起るわけであります。その変化に基く
改革を行いませんと、とかく
官庁が増加してしま
つて、当面さほど必要でない
官庁にたくさんの定員が置かれ、そういうところに重大なる
権限が置かれたままになり、新しく必要にな
つて来たいろいろの社会の要求に応ずる面が非常に手薄に扱われる。こういう
欠陥が生じて来る。
さらに第二にわけます
方法は、今度は
行政の行われる過程というか、そういう
プロセスのことですが、その面に注目した
基準は、たとえば
許可を行う
場所であるとか、たとえば主として謄写版をやるところだとか、タイプをやるところだとか、そういうような
行政の行われる
プロセスに注目しまして、その点から
局課を編成して行く、こういうわけ方があるわけであります。
さらに第三には、これは最近の
各国において新しく起
つて来た
現象でありますが、
行政の中で、非常に全体の
行政官庁に重大な影響を与え、しかも各
行政官庁のすべてに共通して存在している。そういう
行政機能をば特に取出しまして、それを集めて
別個の
行政官庁をつく
つて、統一した
行政をはか
つて行くという
基準であります。これが
通常行政管理で、この
現象は、最近急速に
各国に発達上て
参つた現象でありますが、たとえば財政、
予算、人事、統計、
行政調査、
企画というような
行政につきましては、
各省別々に設置しないで、これを一箇所に集中して、そうして各
官庁の間の業務についての
連絡、調整に当らしめ、あるいはそれによ
つて各省で非常な不公平の生じないように、公平を期して行く。こういう
やり方が最近台頭して参つたわけであります。この点は一例を申し上げますと、
一つの家の中で、
隠居部屋、子供の
部屋とか、御主人の書斎であるとか、そういうようないろいろの
部屋をわけまして、その場合にみなの
部屋にそれぞれ食事をするところ、
便所であるとか、あるいは出入口、玄関というものをつけるのが、従来の
目的による
分類の仕方であつたのに反しまして、むしろ子供が遊ぶ
場所、あるいは御隠居さんがそこでひまにまかせていろいろな本を読んだり、
自分の道楽をやる、あるいは主人がそこで勉強する、奥さんが縫い物をやるというような
機能につきましては、それぞれ
別個の
場所が与えられてお
つても、
食堂であるとか、
便所であるとか、玄関というものはみんな共通に用いる、そういう方が便利である。それぞれ
一つ一つにつけていては費用もかかるし、いろいろな点で問題が起きる。これをまとめて入れて一家のうちにつく
つておく、こういう非常に卑俗な例でありますが、そういう点の配慮がなされて、こういう
機能を集中して行こう、こういう
基準が生まれて来たわけであります。
基準にはそのほかいろいろございます。たとえば特殊な人を対象とする
——退職軍人を
官庁で扱うというような非常に特殊な場合、あるいは
場所によりまして、この地方の管轄については別の
官庁を設けるというような、いろいろな
基準がございますが、主として重要なのは先ほど申しましたような
三つの
基準によ
つてなされるものであります。なかんずく特に
目的による区別、それから最後に申しました
行政管理による区別という点が、最近
行政学者の間で重視されているわけでありますが、いずれにすればよいかという点については、いろいろ異論が多いわけであります。この
原理を非常に厳格に適用しますと、第一には
行政の
目的を遂行する上に必要な構成の仕方をしている
官庁で、
行政活動がてんでんばらばらに分離される危險が
一つ出て来る。それから第二には、かりにその間に非常に有機的な
連絡方法ができるといたしましても、あるいはまた
行政活動相互の間に適当な妥協が可能になりましても、
行政組織のそれぞれの
部局課におきまして、同様の
活動が重複して存在するということになるわけであります。今申しました第二の場合におきましては、さつき申しました家の例で申しますと、
一つの
局課なら
局課におきまして、
お互いがみんな
便所をつけるなり
食堂をつける、つまり農林省も、それから通産省も大蔵省も、みんなが
お互いの間の
活動の協調はできても、それぞれがみな
便所なり
食堂なりというような、人事について、あるいは
予算について、
調査について、
企画についての
組織を備えて行く、そういう点で非常に重複して来る、重複しているけれども
お互いの協調は非常に便利であるという
やり方。もう
一つ前の
方法でありますと、なるほど統一的な
機能は集中されて行きましても、しかしその結果非常に不便にな
つて来る。今まで
自分の省で
企画を立て、そしてそれに必要な
予算を立てそしてそれを遂行して行く、それで十分であつたのに、そういう
機能が一方的に集中されますと、今度は、なされる仕事が相互に切り離されてしま
つて、
各省どうしてよいかわからない、手足をもぎとられるというような感じになる。こういう
二つの
欠陥が出て来るわけであります。その上にこういう技術的な
理由以外に、さらに政治的な
理由が
行政機構の
改革には出て来まして、
行政機構の
改革という声が上りますと、たいていの場合に、
一つには
当該官庁に
利害関係を有します
業者の団体でありますとか、いろいろな
民間の
利益団体がこれに強く働きかけ、あるいはまた
各省の部内におきまして
お互いに
自分の従来の
権限を擁護して行こう、こういう政治的な要素が生れて来るわけであります。これらの技術的並びに政治的な諸
理由によりまして、新しく
行政組織をどのように改廃して
行つたらしいかという点が、非常に困難にな
つて来るわけでありまして、この点ではそれぞれの
国家なり、その時代のいろいろな条件によりまして、必ずしもこれが一番いいのだという
基準は出て来ないわけであります。そのときの
実情に応じまして、これらの
基準を適当にあんばいして、
行政官庁の再
組織をや
つて行くのが従来までの例でありますし、今日
各国においてなされておるわけであります。その点で一九三七年に亡くなりました
フランクリン・
ルーズベルト大統領が非常に極端な
行政機構の
合理化を
議会に対して勧告したわけであります。その案によりますと、先ほど申しました統一的な
官庁行政というものをすべて
大統領の
権限に集中して行く、こういう
改革案が出たのでありますが、これなどは当時の
議会から、これは本来の
議会の
機能を無視して、
ひとり行政権を拡大するものだという非難をあびて、遂に実行を見るに至らなかつたのであります。しかしながらこの
改革案自身、技術的に見まして、非常に整いました合理的なものだつたわけであります。しかし時代がまだそれを実施するまでに要求しなかつたという点で、一応合理的であるということは認めながらも、今日の
政治的実情に合わないというので否決されてしまつたわけであります。そういう点を配慮しましてか、戰後に出ました、皆さんも内容も名前もあるいは御存じかと思いますが、
フーヴアー委員会、
行政機構改革に関する
厖大な
報告書のごときは、その点も非常に考慮しまして、一方におきましては
行政学原理に基いた非常に合理的な
行政機構の
改革案を出しながら、同時に今申しましたような
政治的反対なり
民間の
反対を予想しまして、その点のいろいろの声もそこへ加えてできるだけ
摩擦の起らないように、しかも当初の
改革ができるだけ
目的に沿うようにというやや妥協的ではありますが、現実的な
改革案というものをつく
つております。従いましてその
改革案は今日多くの点で次第々々に採択されて実現化されております。この
改革案の大綱につきましては、今日国会図書館から翻訳が出るということでもございますし、その大綱につきましては本年の六月に私が
法律時報という雑誌に
フーヴアー委員会の
行政機構改革案ということで御紹介しておきましたから、興味をお持ちの方はこれについて見ていただきたいと思うのでございます。おそらくあの
委員会は今後の
アメリカの
行政機構をある程度決定的に支配して行くと言われるほどの性質を持
つておる、その内容におきましても過激に走らず、さりとて保守固陣ではないという非常に配慮が加えられております。この点につきましても、
日本におきましても、
行政制度の
改革案をつくります場合には、ああいうような大規模の
委員会、それから国内各分野すべての最も有力な人人がこれに参加して手伝
つて行くという
方法をと
つて行くべきではないか、そのためには
厖大な費用も出しますし、いろいろな便宜もはかる、徹底的な
調査を
行つた上で
一つの
改革案をつくるという
方法でありますが、
日本の場合などもこれは今日なすべきことではなく、あるいは講和以後の問題であるかもしれないのでありますが、今後
行政機構の
改革といいますと、そのときどきの思いつきであるとか、あるいはそのときどきの一
党一派の
意見に基くというようなことなく、むしろ全
国民的衆智を集めた
調査に基いた
改革案というものを樹立されることが特に望ましいと思うのであります。これは少し
行政関係法とは離れましたが、
官庁組織というものは非常に
簡單に申しましたが、大体以上のような
基準によ
つてつくられるのが、今日の
実情であるということが言えると思います。
それから第二には
行政委員会制度というものでありますが、これは
日本に新憲法が制定以後取入れられました新しい
形態の
行政機構であります。この
行政委員会につきましては、今日毀誉褒貶さまざまでありまして、ある人はこういう
合議制の
行政官庁というものは非常に能率を低下する。
従つてできるだけこういうものは廃止した方がよいという考え方の方も少からずあるように見受けられます。また一方従来の
日本の
官僚制度を打破して民主化して行くためには、こういう
合議制の
委員会、ことに專門の知識の持主である
委員によ
つて構成される
行政官庁は、非常に必要であるという
意見もあるようであります。もともとこの
行政委員会というものは特に
アメリカにおいて発達した
制度であります。なぜこういう
行政委員会制度というものが発達したかと申しますと、
一つには
アメリカは
日本と違いまして、
各州がそれぞれ古くからやや主権に近い、つまり
国家に近いような
一つの
行政権を持
つていたわけでありまして、
州自治の原則というものは
アメリカの
独立以来の確固たる原則でございまして、現に下院に対抗する上院は
各州の二人ずつの代表から構成されております。この上院に下院と対抗するだけの
権限が與えられておるということは
州主権を示すものであります。ところが今から約百年近く前ごろから州の間の交通が非常に発達して来た。鉄道が敷設されて
お互いの間の通商が頻繁になり、あるいは道路が拡充されて、
自動車交通が発達し、飛行機が発達するということから、
各州を統轄した
一つの
行政官庁というものが必要にな
つて来た。あるいは州によ
つていろいろ
商取引が違う、それから運賃も違うので、これは不便であるから統制して行こうという必要が生じて参つたわけであります。しかし御承知のように州の
権限が非常に強い、それから
議会の
権限も非常に強い。そこでこういう
権限を
大統領のもとに集中させると
行政権の
独善強化を来すのではないかという心配が
一つ出て来たことであります。それからもう
一つの
理由はこの
委員会は普通の
行政作用だけではなくして、
許可を與える
基準をつくる。それから
業者の間で争いが起つたときにこれを裁判する。こういう州の
行政権の概念から離れました純立法もしくは純司法の
機能を
委員会が行わなければならない。そこに普通の
行政官庁と違つた
裁判所的、あるいは
議会的要素を入れる必要が生じまして、
複数制の
合議制の
官庁にするということ。それから第三にはこういう専門の
行政を扱うわけでありますから、できるだけそれらの通商なり、運輸なり、あるいは航空なりの専門の知識を持つた人々を
委員に吸入すべきである。そのことによ
つて最も
実情に即した
行政が行われる、こういう
三つの
理由から
行政委員会という
制度が
別個にできたわけであります。ただいま申しましたようにこの
行政委員会は
複数制であるのと同時に、できるだけ
大統領のもとにそれを集中させない、そういう
厖大な
各州にわたるような
機能を
大統領のもとに置きますと、
議会に対抗するだけの強い
行政権というものが生れて来る。これでは
アメリカの
民主主義に反するというわけで、できるだけ
大統領からこれを
独立させるという点に特殊の意義を持つわけであります。
行政委員会の
制度は
ひとり合議制だけではなくして、
行政権からも
独立にして行くということが要求されたわけでございます。従いましてこの
行政委員会の
最高委員というものは、
議会が任命して行く。
大統領が任命するのであるけれども、
議会が承認して行く。その任期も
大統領の任期よりも長くして置く、あるいは
大統領はか
つてにこの
委員を罷免できない。それからここで決定された
行政事項は、たとえば
行政各省なり
大統領が異議をはさむことができない。
大統領はまたこれに対して正規の
連絡の
方法を持
つていないというように、いろいろな
方法によりまして、この
行政委員会というものの
独立を確保して
行つたわけであります。今日この
行政委員会制度というものにつきましては、いろいろの
批判が
アメリカでも起
つておるわけであります。と言いますのは、当初に申しましたように、次第に
行政機能が拡大されて、それを
責任を持
つて大統領が遂行して行くというためには、こういう
行政権から
独立した
組織形態を置いていては困る。できれば
行政委員会をすべて
大統領のもとに直属させた方が理想的であるという方向に最近向いつつあるわけであります。先ほど申した三七年の
報告書はほとんどこの
行政委員会を解体しまして、これをそれぞれの商務省であるとか、労働省であるとか、
国土省であるとか、そういうところへ帰属させようということまで言つたわけであります。これが否決されたことは先刻お話した通りであります。四九年の
フーヴアー委員会の報告では、
行政委員会を
二つに区別しまして、その中の純粋に
行政事務を行うべきものは
行政官庁へやる。ところがさつき申しました、いわゆる
規制事務と申しておりますが、これはレギユレイトという翻訳で、たとえば不正な
商取引をしたものに対して
規制する。そういうような意味でありまして、統制よりは少し弱い、そういう
規制事務と区別しまして、
行政事務はすべて
行政官庁に委任した方がいい、ところが
規制事務は
行政委員会に残しておこう。この
規制事務に属する
行政事務については、たとえば
規制を行うための
調査をやりますとか、裁判をやります場合の
手続、そういう問題については
行政委員会の
委員長をかりに
行政長官のようにしてそこへ帰属させる。それから
委員長の任命について
大統領がもう少し強く
統制力を発揮できるように どういう者が任命されましても、
大統領とては何とも
反対ができないというようでは困るということなんです。
この点につきましては有名な
事件がございまして、
連邦通商委員会という
委員会がございますが、これは
各州の
不正取引等に対する
規制を行う
委員会でございますが、この
委員会に一九二五年に
ハンフレーという人が任命に
なつた。この
ハンフレーという人は
自由放任の
経済政策の
信奉者でありまして、当時はそれでよかつたのでありますが、大不況が起りまして
ルーズヴェルト大統領が
ニユーデイールの政策をしようとした。この
ニユーデイール政策は言うまでもなく、政府の
統制力は強くなる。ところが
ハンフレーという
委員はことごとく
反対した。そうすると、
ニユーデイール政策はどうしても支障を来す。そこでやめてもらいたいということを
大統領が
ハンフレーに手紙をやつたのでありますが、
ハンフレー先生やめようとしない。とうとう
裁判所に提訴した。その結果
裁判所は従来の慣習によると、
独立委員会の
委員に対して
大統領が罷免するということはあり得ないことにな
つているからというので、
大統領の方が最高
裁判所の判決については負けてしまつた。そうなりますと、ひとり通商
委員会のみならず、諸種の分野においてそういう
事件が生じて来ますと、せつかく行う
ニユーデイール政策もいろいろな点で妨害を受ける。そこでそういう極端な場合のないように、
委員の任命、あるいは罷免についてはいま少し
大統領の
権限を強化した方がいいのではないか。こういうことを
フーヴアー委員会は勧告しているわけであります。つまり
行政委員会はそういつたような
理由で
独立した
官庁として生れたわけでありますが、最近におきましては次第にそれが
行政権の方に帰属しておる。こういう現況にあるわけであります。
第三の
形態といたしまして、先ほど申しましたいわゆる
公社制度であります。この
公社制度と申しますものは、当初はそういうものはなかつたわけであります。ほとんど
アメリカに存在しなかつた。つまり私的企業が独自の判断と自主性をも
つて企業を営んで行く、それこそが最も望ましい社会の
状態であるというのが十九世紀を通じての
アメリカの信念たつたわけてありますが、次第に企業の行
つております
目的において、かりに私的企業にまかせておいても、その結果それが
一般の国民なり民衆に対して非常に重大な生活上の影響を与える。いわゆる公益事業系統に属する企業については何とかこれを政府の手である程度
規制して行かなければ諸種の弊害が起る。たとえば国民にと
つてどうしても必要なガスとか水道というような事業について、これを私的企業にまかせておく場合には、値段その他事業の運営について迷惑をかけるようなことが少からず出て来た。つまり利潤を追求することにあまり夢中になると、サービスという点についてとかく怠りがちになるという
現象がたくさん出て来た。そこで私的企業の創意は十分尊重するが、これに何らかの監督を加えて行くのが妥当ではないか。そういう妥協的な
形態として
公社制度というものが
アメリカで採用されて来たわけであります。これは当初は非常に少くて、おそらく二十世紀の初めごろには
一つか
二つというような寥々たるものであつたのでありますが、今日一九四五年、終戰のときには合せて百十という非常に
厖大な
公社制度にまで発展したわけでありまして、今後といえども必ずしも減少するという傾向にはないわけであります。この
公社制度が
一般の
行政官庁と異なる特色と申しますのは、企業の内部構成が大体において私的企業の
形態を採用しておるわけであります。特に事業の遂行、それから人事、会計検査、
予算の編成という点についてはできるだけ
行政官庁がこれに干渉しないという点でありますが、ただこれに対しましてその構成者、たとば
理事、
理事会、そういうものには
官庁の代表者を加えて行く。そして私的企業の
形態によ
つて公益
目的が害されないように、そういう点に濫用されないようにという
規制を加えることにしたのがこの公社の
制度であります。従いまして
官庁との間の
関係については公社の
独立性をできるだけ尊重して行く、ガバメント・コーポレーションの
独立性を尊重して行くという
制度で生れて来たものであります。こういう形で進んで来たのでありますが、この点につきましても最近は次第に
行政官庁の方からの
統制力が加わ
つて来たのでありまして、一九三五年になりますと公社の
予算はすべて
予算局に提出してその検査を受けなければならない。それから一九四○年のラムスペツク法によると、テネシー・バァリー・オーソリテイ、TVAというものを除きまして、すべて公社には公務員法を適用するという傾向に進んでおります。次に四五年にはガバメント・コーポレーション・アクトというものができまして、今まで持
つておりました公社の財政的な自主性をも廃止してしまう。今までは、先ほど申しましたように、人事については公務員法の適用を受けない。それぞれの公社で独自の人事
行政をや
つており、会計検査につきましては独自の会計監査官というものを持
つておりまして、その監査官の監査を受けるのにとどま
つて、会計検査院の検査を受けるということがなかつたのでありますが、そういう点について最近次第に統制が加わ
つて来た。このままにしておけば百有余に上る公社がすべて
官庁の一翼にな
つてしまうではないか。そういう面から最近
反対論も相当あるわけでありますが、大体において時代の趨勢は次第に
行政統制というものが強くな
つて来ているわけであります。御承知のように、イギリスにおいては労働党が政権をとりまして現在国有化
制度を行
つておりますが、これらはすべてガバメント・コーポレーションの
形態をと
つてその国有化を遂行しているわけであります。一九四五年以後イギリスではパブリツク・コーポレーションと申しておりますが、同様な意味でありましてこの
行政形態が非常に強くかつ広範に実施されている次第であります。こういう
三つの
形態が
中央行政官庁としての特殊な典型と申すことができると思います。
それからさらに加えまして
地方自治との
関係におきましては、これは言うまでもなく、もともとイギリス、
アメリカのような
民主国家におきましては、
地方自治から発達して今日の民主的
行政機構というものをつくり上げたために、いわば
地方自治というのは
民主主義の小学校のような培養基である。非常にそれが尊重されておりますことは最近のシヤウプ勧告の精神を見てもわかるのであります。しかしこの
地方自治についても、最近は中央連邦政府の
統制力というものが非常に強くな
つて来ている。ただしかしながら、古い伝統的な
地方自治の精神を尊重するという点で、できるだけこの面についても地方の自治権力というものは存置している。但しいろいろの知識的な勧告もしくは財政的援助という面では、今日大幅の
統制力というものが地方団体ないしは州に対して加えられているというのが
実情でございます。こういうように、
一般的に見ましても
行政権の拡大ということにはある程度の存在
理由があるわけであります。従いまして、その点を無視していたずらに何でもかでも今日
行政機構を縮小させれば、それで一番よい
形態ができるのだというような考え方は、いわば時代錯誤ということができると思うのであります。ただ
日本の場合におきましては、
アメリカの場合と違いまして、
アメリカでは従来
行政官庁はすべて
議会がこれをつくつたわけであります。その結果
議会がこの
官庁はそのときどきにはたして必要であるかどうか、あるいはこういうものをつくつたら金がかかり過ぎて困るのではないかという点の配慮を絶えずして来たのでありますが、
日本の場合におきましては、大体において
行政機構というものは、いわゆる大権事項であつたために、この点が自由にお手盛りでつくられる危險が非常に多かつた。そのためにいたずらに不要な
行政官庁がつくられていたのであります。こういう点の
欠陥があるわけでございますから、
従つて全般的に
行政機構を必ずしも形式的には縮減するというのではなくして、時代の要請に応じて必要な
行政官庁はその存在
理由に基いてそのまま置いておく、あるいはむしろこれを増加していい。しかしながら、不要な
官庁、特に
日本の特殊な
状態に照してみて不要である、あるいはいたずらに屋上屋を重ねるような
行政機構組織、そういうものについてはこの際思い切
つて縮減する、こういうことが根本的に考えられてよいというように私は思うわけであります。
大体以上が最近の
国家における
行政組織の典型的な
形態でございますが、そういう諸情勢と
日本の特殊な
状態を考え合せまして、今度は
行政制度審議会の
答申案につきまして逐条と申しますか、
一つ一つの基本
原理、基本方針につきまして、私の
意見を少し述べさしていただきたいと思います。
お持ちでいらつしやいましたら参照していただきたいのでありますが、本年四月二十一日に
答申されました
行政機構の全面的
改革に関する
答申、この第一の
行政機構に関する基本的方針、そこでは第一に
行政機構を縮減する必要があるということが強調されております。この点につきまして、私も
行政機構を縮減するということは大賛成でありますし、またそれによ
つて国民がいろいろの租税その他の負担を減免されるという長所が生れて来るわけでありますが、しかし
一般的にたとえば昭和六、七年当時をかりにとらえまして、それと比較して、現在これと似たようにするというような選び方というものは、非常に恣意的である、こういうように考えるわけであります。ここにも今日いろいろな社会福祉、労働政策等々の分野における
行政の事情ということを考慮しなければならないというように出ておりますが、先ほど申しましたように交通の発達、あるいはか
つては考えられていなかつたような
厖大な失業対策、それに基く労働対策、それから社会保障、中小企業の保護、あるいは国土資源の確保というようないろいろ新しい事態が起
つているわけです。そういう点を考えますと、ただ一定の年度をとらえてそれとの比較において
行政機軸を縮減するというのは、いささか公式論ではないかというように思うのでありまして、この点につきましては、先ほど言いましたように、全体の調整を見て、必要なものは保存どころか増大してもいい、しかし不要なものはこれを減す。それには現在の
行政官庁でそれぞれがどのような作用、仕事をしているかということを詳細に
調査し、それだけの正確な
調査の上に立
つて、初めて合理的にしかも簡素な
行政機構というものが出て来る。その
行政調査については必ずしも十全になされているかどうかという点に疑いを持つわけであります。現に今日では
行政調査の人員といい、
予算というものが必ずしも必要な額だけ、あるいは必要な人員だけあるということは、言えないのでありまして、この点では最近のフーヴァー安員会におきましても、特に
アメリカで
企画ないし
行政調査というものにつきましては、それを拡大して行くべきである、今までは
大統領府のうちの
予算局の中に
行政管理課というのがございまして、そこでこの
行政調査ということをや
つていたわけであります。それに対しまして、
大統領直属に
行政手続局というものを設けて、そこでこの
行政の
手続に関する
調査をさせた方がいい、それは
大統領の任命する一人の長官と三人ない上五人の勧告
委員会をつくる、この三人ないし五人の勧告
委員会というものは、二人は官吏から出し、あとの三人は
民間の專門家から出す。そしてこの
調査に関する局を強化して、そこで時々刻々にかわ
つて行く社会の要求に対して、はたして
行政は満足な適応性を示しているかどうかということを
調査させるという案を
答申しているわけであります。ただ最終的には先ほども申しましたように、
フーヴアー委員会はいろいろな
摩擦ということを考慮しましたために、こういう新しい局をつくるというところまで行かずに、今の
予算局の中の
行政管理課をより拡大して今申した
手続局と同様の
機能を持たせた方がいいのではないかというような
答申にな
つていますが、その
原理は今言つたように
行政調査ということの重要性を特に強調しているわけであります。そういう
行政調査というものをまずつく
つて、そして
行政機構のほんとうに科学的かつ合理的な縮減ということをいたしますれば、そういう根拠に対しましては、いかに感情的にあるいは
自分の利害から
反対しましても、これに対して納得させる、あるいはときには輿論に訴えてでもこれを納得させるということが可能にな
つて来るわけであります。
それから第三の
行政目的の重点の変換、これは先ほどから申しております通り、この
行政目的がいかなる面に重点を移しているかということにたえず注視していなければならないという点でございます。先ほど申しましたように現在の
行政機構の改廃の
原理としては、できるだけ安い政府がいい。チープ・ガバメント、安い政府、低廉なる政府ということは、昔からとなえられて来たあらゆる時代における
一つの共通の
原理である。これは納税者の保護、つまり納税者というのはとりもなおさず主権者としての国民の利益を保護する意味で、できるだけ金のかからない
行政機構を維持して行く。これは何よりの根本
原理なのでありますが、しかしながら同時に
行政機構というものは突き詰めて言いますと、結局
一般国民のいろいろな面における足りないところを補充して行くおせわの役をするわけであります。従いましてもしそのおせわの方が十分にかゆいところに手がとどくようになされましたならば、現実に金を出す面は少しくらいふえましても、その方がより大きい効果とな
つて出て来るという場合には、公式的なチープ・ガバメント、安い政府は考え直してもいいのじやないかということがここで考えられるわけであります。もちろんそれが
厖大な額に
上つたり、あるいはそのことによ
つて厖大な人員を必要とするということであ
つては困るのでありますが、しかしいたずらに形式的にただ安い政府がいい、安い政府がいいと言
つて、かえ
つて不便である、安かろう、悪かろうというようなことにな
つては困る。そういう意味の非常に合理的な
行政の作用から見た安い政府というのが最も望ましい。今度のシヤウプ勧告案におきまして、
地方自治を完遂するためにできるだけ地方に財源を多く與える、そのためには税を相当多額にとらなければならないけれども、同時に地方の住民は、
自分の払つたその金が一体どれくらいの
行政代価にな
つて自分のところにもど
つて来るかという点について、たえず注意していなければ、ほんとうの
地方自治というものの意味は発揮できないのだということをシヤウプ勧告の中に強調しておられますが、そういう点から考えまして、いたずらに安い政府という概念論にとらわれずに、ほんとうに国民の生活にと
つて必須な
機能をはたしてくれる。そのためになら、少しくらいの費用が増加しても、かえ
つてその力が結果から見れば安い政府になる、こういう点もよく考えていただきたいわけであります。
従つて今日
社会生活において最も必要であるといわれる重点的な
行政面につきましては、特にその
行政機構を尊重して、あるいはこれを拡大強化して行く、これは決して国民の自由な
活動を妨害するということにはならない、こういうふうに私は考えるわけであります。もとよりそれを越えまして、
一般の国民の自由な
活動で十分であるところまで
行政が關與するということは、もちろん国民の総意を無視するわけであります。そういうことのない範囲におきましては、いたずらに
自由放任で今日のままでよいということにはならない、こういうように私は考えるわけであります。その意味でこのあとの詳細の案で、今日労働省はもう大した仕事をしていないから、厚生省と合体されればそれで十分だというような案が出ておりますが、そういう点では、私は今申しましたような点から見まして、この合併には
反対であります。今日
アメリカの今度のフーヴアー案ですら、従来の労働省をますます整備拡充して、同時に新しいソシアル・セキユリテイー、社会保障省というような従来なかつた省の実現すら提案しておる今日におきまして、たまたま現に若干の労働
行政が縮減されているというので、これをもはや厚生省と一緒に合併しておけばいいのだというような考え方は、広い意味におきまして、はなはだ視野が狭いといわざるを得ない、こういうように思うのであります。特に社会保障というような問題につきましては、先ほど社会保障審
議会の
答申もございますし、今後こういう社会保障
制度を拡充して行くことは、これは
各国共通になされていることで、決して減少して行かない。
トルーマン大統領のフエア・デイール政策を見ましても、イギリスの労働党の政策を見ましても、この点はおそらく、かりにイギリスに保守党が政権をとりましても、むやみに減らすわけに行かない。国民の最低生活を保障して行こう、これだけは
自由放任政策がかりに復活してもさして減少しないだろうと思う。そういう点におきまして、特に重点的にこの
行政機構を
目的によ
つてながめて行くということに御配慮を願いたいと思います。
それから第三の地方公共団体への大幅な事務委譲という点でありますが、この点も先ほどちよつと根本
原理で触れましたように、
地方自治団体に自治を與えるということで、中火との有機的な
関係を忘れるというようなことがあ
つてはならないのではないかと思います。なるほど
日本のように中央集権でも
つて今まで
地方自治団体というものが官治団体にひとしいような性格を持
つておりましたところでは、極端に
地方自治という
原理をとなえることもある程度私どもは賛成するところでありますが、か
つて古い時代にとなえられておりました
地方自治をそのままと
つても
つて、今日二十世紀の半ばを過ぎるという時代に、それ以外の点も考えないで、鼓吹するということは、この時代の変遷に対する配慮が足らないのではないかと思うのであります。ことに各府県が昔の藩の時代のように
お互いに非常に閉鎖的で、
自分の県、
自分の府だけがよければよいのだという
一つの割拠主義に陥りやすい
日本で、いまだ住民が自治意識ということを十分考えないときに、この
地方自治を特に強調いたしますと、往年の割拠主義にもどる弊害があるわけであります。このことは供出の問題につきましてもすでに経験済みでありまして、
自分の府県だけよろしければそれでよいのだという方向へともすれば行きがちではないかと思うのであります。かりに一例をとりますと、
一つの町で伝染病が出たが、その町の伝染病の病院は十分な收容施設を持
つていないという場合に、隣の町の病院があいているからそこへ收容してくれと言
つても、お前の方はお前の方でやつた方がよいのだ、おれの方では、おれの方に患者が出たときにやるのだというようなことでは非常に困る。あるいは犯人の捜査ということにおきましても、隣の府県に入
つてしまえば非常にわかりにくくなる。県と県の境界の警察署が、県内の自殺者を夜の明けぬうちに
お互いに隣の県のところに置いて、
お互いに
責任を免れておつたというようなことはよくありましたが、そういうような
現象が
地方自治団体相互の間に生ずるようなことがあ
つてはならぬ。そうしてできるだけそういうことをため直して行くためには、何らかの形で有機的に中央との
関係、あるいは
地方自治団体相互間の調整を配慮する
行政機関が必要になるのではないかと思います。ただこの点で非常にやつかいなことには、
日本でそういう
官庁をつくりますと、また往年の内務省の再現にな
つて、ボタン
一つ押せば、すべての地方団体に一ぺんで命令が下せる。そして地方団体にはすべて中央の官吏が派遣されて、
地方自治団体の地位を低下させるというようなことが生ずるのであります。この点でどういうふうな
行政機関が最も望ましいのかということでありますが、終戰以来地方財政
委員会、
地方自治庁、それから最近の財政
委員会というようにいろいろな案が考慮されおりますが、いづれに対してもいろいろな不平や不満があるようであります。
アメリカの例の
行政委員会制度はちようどこういう場合にできたのであります。中央の統制は必要にな
つて来たが、
地方自治も尊重するというあの妥協
形態としてできたのでありますが、この
行政委員会制度というものをばある程度收縮して
日本に採用して、地方団体の調整機に関する道もあるのではないかと考えているわけであります。ともかくも
地方自治は尊重すべきでありますが、これを公式的に押しつけることによ
つてかえ
つて昔のおらが国さ時代の割拠主義を導くということのないように、ふだんに全体の計画と調整を配慮する必要がある。そういう
行政機関を特に設ける必要があるのではないかというふうに考えるわけであります。
第四に
各省権限の明確と
権限重複の排除という点ですが、この点は、先ほど申しましたように非常にむずかしい問題であります。
権限というものは多かれ少かれ
各省ないし各部局の間に関連を有する問題であります。従いまして明確な線をつくるということはほとんど困難に近いことであります。境界をつくりますと、かえ
つて今度は関連のある事務がどちらかへ割切られてしまうことになりまして、それによる不便も生じて来るわけです。さりとてそれを放置しておけば重複して来るというように、非常に困難な問題であります。ただこの
答申案の中で、
行政対象の種類に
関係なく、
行政の過程の一段階を抽出して所管するいわゆる横割り型の
官庁が存在することは非常に困るということが書いてあります。横割り型の
官庁が存在することは困るというのでありますが、しかし先ほど申しましたように、單に
行政の
目的の種類によ
つて官庁組織を区別するということは、
各省において非常に重複した
機能を置く——つまり
各省別に人事とか、
予算とか、
企画というものを置いて行く、そのことによ
つていたずらに費用が増加する。そのことによ
つて各省ごとに非常な不公平が生ずる。こういう
欠陥弊害が生れて来るわけでありますから、できるだけ不公平のないように、あるいはむだな費用の出ないように、人事であるとか、
予算ないし
企画というものを一本にまとめまして、
一つの
局課に編成した方がいいのだというふうに考えるわけであります。しかしここに
摩擦が生ずる——なるほど今日そういう
予算、人事、
企画というような
官庁を中央に集中的に設けると、
摩擦が惹起することは確かに言うまでもないのであります。しかしそういう
摩擦を一々考慮しておりましたならば、いつまでた
つても
改革ということはできないわけであります。従いましてこの場合には、そういう
摩擦というような政治的配慮のごときは背後に押しや
つて、合理的な再編成という面をできるだけ強く前面に押し出すべきである。それになれましたならば、おそらく
摩擦というものはおのずから減退して行くでしよう。同時に、そういう横割り型の
官庁をつくる場合は、
各省との間にできるだけ協調を保
つて、そうして無用の
摩擦をつくらないようにしておくべきであります。たとえば人事院が職階制をつくりますときでも、各
官庁ともつと
連絡をと
つてやつたならば——職階制というものは
各省にと
つて非常に非難の的ではありますが、ああいう
摩擦は起らなかつたのではないかと思います。あらかじめそういうことのないように配慮しておくと同時に、にもかかわらず起きた
摩擦については、そういうものはもはや断固として通さないということが必要ではないかと思うのであります。
第五に事務運営の
合理化という点でありますが、命令系統が上下に一貫し、
責任と
権限が確立していなければならぬということはまつたく私も賛成するところであります。そういう意味でここでは外局の問題が取上げられておりますが、外局というものはできるだけ廃止して内局に再編成してしまうことが、省の統制として理想的であるということが言えると思うのであります今度は
組織の各段階の
責任と
権限の問題でありますが、これは言うまでもなく
日本の
行政を最も象徴的に示しております。いわゆる判こ
行政と言われるものでありまして、つまり
一つの課なり係の人々が、
自分の与えられている
権限に、それだけの
責任を伴
つて有していないという点から来ております。かりに小なりといえども、
自分の
権限について完全なる
責任を持
つているという場合は、それについては
自分の判こ
一つで
許可なり認可をすることが可能なわけであります。ところがそれが認められていない。いわば下の方の人の
権限というものは、最高の長官の
権限を分割したほんの一部分である。
従つてそのような
権限に基いて行動する場合、
責任は絶えずその直属の上官に系列をなして上
つて行く、そういう人の承認を得なければ
自分の
権限が
責任として生きて来ない、こういう形にな
つているわけでありますが、その点を特に指摘いたしまして、
責任と
権限を一致させる、
自分の
権限の範囲内では、
自分の
責任で判をついて、一定の
行政作用をして行
つてもいいのだということをはつきりさせる。
従つてその範囲内において
許可なり認可なりを与える以上は、それについては、
自分は十分の
責任を負う。しかしそうしたということによ
つて、上官はその下級官吏に対して、
自分にその承認を得なかつたという点の責を問うことはしない。その点で上官に見せるべき、あるいはそこに申告すべき仕事と、それから
自分独自で行
つてよいという仕事との区別をこの際明確にする必要がある、何でもかでも上官にまわさなければ、
許可や認可ができないということでは困るわけでありますから、この問題について、これとこれの問題については、その職員の
責任において、これを独断でやるという
一つの
組織体系をこの際つくる必要があると思うのであります。しかしながら、そういう体系をつくりましても、ここにも出ておりますように、この問題は単に事務運営の
組織面の問題だけではなくて、それを行う人々の配慮にまつところも少くないわけであります。たとえばこの
行政事務が非常に渋滞するということは、いわゆる官職の私有意識ということと関連を持
つておるのでありまして、たまたまその官職についたということは、その人に官職が与えられたというのではなくして、公の官職に
自分がその
一つの
責任担当者としてついているのだ、こういう考え方にな
つてもらわなければならないのであります。執務の
方法につきましても、たとえば当面の役人の方が出張したり、あるいは病気で休んだならば、もう全然ほかの係の者にはわからない。あるいは
自分の書類は全部机の引出しに入れてかぎをかけて他人には見せないことを得々としているような、官職というものは
自分のものだという古い意識をできるだけ
官庁から排除して行く、そうして
自分が扱
つているこの仕事は、
自分の課の係の共通の
責任である。
自分がいないときでも、ほかの者がかわ
つてこれを遂行することができるというような
一つの
制度をつくる。ここでもフアイリング・システムと出ておりますが、フアイリング・システムのような作用を行
つて、だれでもが書類を見ることができるし、あるいはまたこれにかわ
つて行うことができるというような
制度を採用してもらいたいと同時に、そういう精神にな
つていただきたいということが、単に
行政組織の形式的な改廃以外に問題になるという点をここでちよつ
とつけ加えておきたいわけであります。
それから第六の
行政委員会制度の再検討の問題でありますが、これは先ほど申しましたような意味で、
行政委員会というものはできて来ているわけであります。従いまして、必ずしも
日本の場合にそれをそのまま適用して妥当であるかどうかという点については、いろいろの疑問があるわけであります。特に
アメリカは議院内閣
制度でないわけであります。
アメリカでは
大統領と
議会とは分離されておりますが、議院内閣制ではない。ところが
日本の新しい憲法は議院内閣
制度ということを建前にしております。ただ議院内閣
制度と申しましても、
日本の場合は若干
アメリカ式の
方法とチヤンポンにな
つておりまして、その点で今後いろいろの問題が生ずると思いますが、イギリスほど完全な議院内閣
制度ではない。しかも議院内閣の
原理に立
つている。
従つてこれと
独立した
行政委員会制度との調和をどうしたらいいかということが問題になるのは、当然のことだと思うのであります。しかしながら今日この議院内閣
制度の母国イギリスにおきましても、
議会がすべての国内のいろいろな国民の
意見なり、利益なりの代表の万能ではないという考え方が、非常に強くな
つて来ているわけであります。
議会に代表されている人の数は、ある程度限定されておりますし、それらの人々がすべての利害をそこに全部代表するということは、そもそも技術的にも非常に困難があると思います。ことに非常に
行政が専門化している今日において、そういう専門的知識を本来しろうとである議員が、十分こなすことができないということは当然のことである。そこでできるだけ議院内閣
制度を根本に置きながら、これを補完して行くいろいろな代表的な
方法を考えて行
つてよいのではないかということが、しきりに唱えられておるわけであります。つまりそういう意味の補完の
制度といたしましては、この
行政委員会の専門性を尊重するというようなことも、また必要なのではないかと思うのであります。特に人事院の問題がよくこの
行政委員会の
形態として取上げられるわけであります。つまり
責任内閣制、議院内閣制である以上、人事
行政については内閣総理大臣が
責任を負うべきである。ところが人事院は、これからもある程度
独立している。両者の
摩擦をどうして緩和すればいいのか。一体人事院というのは第四の、
一つの政府機関になるのではないか、三権分立ではなくして四権分立ではないかという非難がある。こういう非難もある程度もつともなのでありますが、具体的な
日本の現在の
行政の事情を考えますときに、若干この点で、人事院についてその存在
理由を認めてよいのではないかという考え方も出て来ると思います。今伸しました議院内閣制を確保するためには、人事について総理大臣が
責任を持たなければならぬ、これは当然でありますが、主としてそういう問題が起るのは、高級公務員の場合であります。従いまして、高級公務員の場合につきましては、できるだけこれを公務員法の適用のわく外に置き、特別職の範囲にすることが望ましい。そういうことをしますときには、今申しましたような内閣総理大臣と人事院の
摩擦ということができるだけ避けられることになる、こういうふうに考えるのであります。その他の
一般の公務員につきましては、人事院の
独立性ということを確保してよいのではないか。その
理由は、
一つには最近の人事
行政において、多くの科学的な管理
方法を採用しているわけでありますが、これがそのときどきの政党の支配力によ
つてゆがめられる。つまりこういう人事院の
独立性を認めずに、人事
行政を政党の支配のもとに置きますと、
行政能力以外の政党的配慮によ
つて余事が充当される、あるいはそれによ
つて任免が行われるという弊害が生じないとも限らない、そういう意味で、
一般公務員についてある程度の人事の中立性を保障しているということは、必ずしも不当のことではない。第二には、この人事
行政を人事院に統一しておくということによりまして、従来の各
行政官庁の割拠主義をできるだけ統一して行くということであります。御承知のように、終戦以前の
日本の内務省におきまして、各府県の知事の任命権をどうしても手放そうとしなかつた。これに対する
統制力を、戦争の末期において、地方
行政協
議会などをつくり、総理大臣の
権限に入れようとしましたときでも、内務省は断固としてこれに
反対した。各
官庁は人事を
自分の省に持つことによ
つて、自己の
独立性を固執して、そのことによ
つて各省の間になわ張り的な対立を来す。それを打破するというような意味におきましても、このような統一的人事
行政機関をつく
つておくということは、必要ではないかと思うのであります。ただ人事院が内閣総理大臣の拘束力から離れるというためには、
別個にあるいは何らかの形で、専門家なり、ないしは議員の方方なりからできた、これに対する監視機関というようなものもつくり、そのことによ
つて人事院の民主化の保障を行うというようなことも、今後考えられることだと思います。特にこの点で、人事院につきましては、
各省に人事
行政のある程度の
権限を持たす、委任させるということも必要ではないかと思うのであります。何でもかんでも人事院に
各省の人事
行政を統一するというのではなく、必要な範囲においては
各省の自主的な
権限をも与えて行く、その大幅な政策については、人事院の手に残しておくというような配慮を加うべきではないかと思うのであります。
大体以上が各点について申し上げた私の
意見でございますが、最後にここに出ております点につきましても、地方団体の調整については中央的な何らかの形の調整機関が必要であること。それから
答申案に出ておりませんが、
公社制度についても、今日
日本の
公社制度がどのくらいの効用を発揮しているか、どのような
欠陥を示しているかという点についても、もつと考慮すべきことがあるのではなかろうか。最後に整理によ
つて人員の淘汰が行われることに対して、失業対策が十分に行われなければならぬという点はまつたく同感でありまして、むしろ
機構の
改革をなすと同時に、その
改革によ
つて、犠牲に
なつた被整理者の人々を就職の機会、つまりできれは雇用の機会を配慮していただく。これは整理されたあとで考えるというのでは間に合いませんから、できるだけ同時にそのこともお考え願うことが必要であろうと思うのであります。
そのあとで
各省の
機構改革が出ておりますが、これにつきまして簡単に申しますと、根本的には現在よけいな
機構いじりということはやめた方がいい。適切な改廃は断行する。よけいな
機構いじりと申しましても、私は具体約にこまかくは知らないわけでありますが、いろいろちよつとここに出ておりますのを見ました中でも、たとえば大蔵省の損害保險に関する事務を商工省に移すというようなこと、こういうのは当面どのくらいの必要があるかというようなこと、それによ
つてかえ
つて当該官庁ないし業界等によけいな
摩擦を起す。これはほんの一例をあげたわけでございますがそのほかにもそういう問題がある。それから第二には、適切な改廃についてはできるだけこれを断行して行く。特に今申しました管理
行政の統一という点ではできるだけこれを統一化して行く。特にイギリスの場合のように、内閣の総理大臣がいわゆるプリムス・インテル・パーレス、同輩中の首席というのと違いまして、
日本の内閣法は今回内閣総理大臣の
権限を非常に強化したわけであります。内閣
関係において内閣総理大臣の持つ
行政力というものを非常に強化したわけでありますが、その強化に応じただけの
機能は内閣に付置する。たとえば
企画、調整、
予算の編成、
行政調査、それから人事の調整、さらに統計といつたようなものはできるだけ内閣へ持
つて行く、これが望ましい
方法ではないかと思うのであります。それから重点的な問題としましては、たとえば人権擁護局を廃止するというような問題につきましても、人権擁護という問題はある意味では直接
行政効果というものが出て来ない問題でありますが、しかし現在の
日本では、か
つてから官僚主義というものは政府
行政機構のみならず、
一般の人民生活の中にも、社会分野の中にも、それから経済界にも、いろいろな
社会生活の中に非常にあつたわけでありまして、そのような官僚主義によ
つてほんとうの人間の基本的人権の擁護が無視されていた傾向が非常に強いわけであります。そういうものを今日再認識させるという意味において、これは
地方自治を発達させるというのとまつたく同等の重要性を持
つておるわけでありまして、そういう意味におきましても、こういうものを廃止して官房に移すというようなことになりますと、その意義が薄れる、なるほど効果は十分に見えない
行政事務の
一つであるかもしれないが、その持
つている意義というものは非常に重大だというような点から考慮して、これは特に存置させる。あるいは
手続の統一という点についても、水産庁というような外局をつくるよりはむしろ農商務省にあつたというようなことにして、内局
制度で
合理化させて行く、こういうようないろいろな問題が具体的には考えられるわけでありますが、こまかい点につきましては、私も特に
実情を知
つていないので、
実情をよく
調査いたしました上で、こういう具体的な諸問題にも改廃も統合ということはなさるべきものであろう、そういう点であります。私の能力不足の点から、細部の点に至
つてははつきりしたことが申せないので、まことに申訳ない次第であります。
根本論と、
行政機構の改廃ということはどういうことが問題になるであろうかというような点について
意見を述べたわけであります。
最後に要約しますと、できるだけ
行政調査ということは恒久的に必要である。つまり
行政というものは、変化する社会の情勢に適応して動態的に動いて行くものである。これに絶えず歩調を合せて行くのが
行政である。そうでなければ硬化してしまう。そこで
行政調査ということは迂遠なようであるが必要である。それから同時に第二には、この
行政調査を生かすだけの政治力を発揮させてみたい。つまりせつかく
行政調査をつく
つても、御
自分の用に供するためにガラス戸だなの中にただ積まれているということだけでは何にもならないのでありましてこれを十分生かすだけの政治力、
従つて今回特に国
会議員の
方々がこの
行政調査に特に関心を持たれ、そうして知識の点において、
調査をつくつた
一般行政職と対等にこれを討論できるというようにしていただきたい。それだけの高い政治力ということをお願いしたいわけであります。それから第三には、国民の代表機関であります国会を初めといたしまして、その他細部の点については監査機関等を設けまして、絶えず
行政権が濫用されないという点を監督して行くこと。第四には、にもかかわらず
行政が今日持
つておりまする存在
理由、意義等は十分認識されて、ただいたずらに細部の点の非難を事としないで、適切な
批判をこれに加えていただきたい。こういう四つばかりのことを最後の締めくくりといたしまして申し上げて、今日の報告を終らしていただきたいと思います。どうも長い間、話が下手なのでありますが、御静聴くださいまして感謝いたします。