○青山
公述人 ただいま御指名いただきました
東京大学教授の青山でございます。
鉱業関係といたしますれば、昨年公布されました
鉱山保安法、ただいま問題に
なつております
鉱業法並びに
採石法、これが私ども考えましても、基本の二大法典であると思うのであります。前者はすでに、いまだ公布せられないところでありますが、
相当長く御
協議いただいておるようであります。この際できるだけ早く公布の日を見るように、私どもも非常に期待いたしておるのであります。
鉱業法はその対象を鉱物としてあり、
採石法の方は
岩石としてあるのでありますが、これはなかなかむずかしい問題であります。私どもはこの
法案にあげられておりますさような解釈を自分でもこれからするようにつとめたいと思
つておるのであります。ところがその鉱物のうち、また
岩石の中に何を入れるかということはなかなか單純な問題ではないと思うのであります。今回新
鉱業法案におきましては、従来の鉱物のほかに七種の新鉱物を加えられております。大体
鉱業法は従来とも金属性の鉱物に重きを置いておつたのでありまして、非金属性のものは多少入
つておりましたが、縁が薄かつたのであります。ところが今回ここに拾われました七種の鉱物は、私どもその利用の立場を見ましてもきわめて重要なものでありまして、従来の鉱物と並んでこれらが
鉱業法上の鉱物として認められますことは、その
産業の上にも至大な影響を與えるものと思うのであります。ただその種類のものがまだ
関連して幾つかあろうと思うますのに、そこで線を引くのがいいかどうかということは、これは議論の余地があり得ると思うのであります。現在の
産業の地位あるいはその経営の状態また技術の水準等から考えられまして、私はきわめて重要なものをお拾いに
なつたものと考察するのであります。
そこで
採石法の
岩石の方でありますが、これはどうも鉱物と異なりまして大体日本の島は
岩石じやないか、それでは
採石法に全部日本の島が入るのじやないかということも言われるかと思うのでありますが、ここに上げられております
岩石は、ほとんど日本を構成しているおもな
岩石が羅列してあるのであります。ただここで
採石法の対象となります場合には、そういうあらゆる
岩石を含むのではない、それからと
つて産業上役に立つものを対象の
岩石として考えるのだと限定されておるのでありまして、その意味では当然しかあるべきものと思うのであります。この非金属鉱物あるいは
岩石につきましては、今申し上げましたように、割合に
わが国では新しく日の目を見るように
なつたのでありますが、ことに最近化学工業の進歩発展非常に見るべきものがありまして、その意味から申しますと、この非金属鉱物なり
岩石中の利用されるものは、われわれの人生にも非常に深い
関係を持
つておる、たとえば建築を見ましても、コンクリートは重いものだと思
つておりましたが、最近アメリカあたりでもできるだけ軽い丈夫な建築をしたいということを言い伝えておるのであります。その意味から今度の
岩石の中、
採石法の中にある鉱物が拾い出されておりますが、たとえばひる石のごときは、それらに
関連の深い鉱物であります。
採石法においてこれを
岩石として取扱
つておるので、その意味で私は欲を申せばまだまだ新鉱物、新
岩石をこれらの
法案に入れていただきたいという希望も持つものでありますが、現在の段階においてはそうことごとくあげる必要もないし、またただいま拾われましたものは適当なものであると私は判断しておるのであります。
それからなおこれは皆様深い御
関係もあり、われわれも考えておるものでありますが、たとえばアルミニウムのごときものであります。これは
鉱業法にも
採石法にも掲げてないのであります。われわれ人生においてこのアルミニウムがどんなものであるかということは思い半ばにすぎるものでありますが、掲げられない。そこにはいろいろの
理由があると思います。日本には上等のアルミニウム鉱石がないじやないか、しかしアルミニウムはどこにでもある、われわれの踏む土壤の中にも含まれておる。こういうものを拾うわけに行かないじやないかということもあろうかと思いますが、これはまだ日の目を見ない鉱物であります。こういうことを考えますと、新
鉱業法あるいは新
採石法として、今申しましたように、掲げたいものは幾らでもあるのでありますが、特に重要だというものをお拾いに
なつたということで私は一応本案に賛成したいと思います。
それから
鉱区の問題であります。先ほどからも伺
つておることでありますが、これはその大きさと形が問題になると思うのであります。形もおよそ現在の
鉱区の図面をごらんになりますと、まことにふしぎな多角形をいたしております。でこぼこきわまりないものであります。
鉱物資源がそんな妙なかつこうをして地下に入
つておるのかと誤解されるほど妙な形の多角形であります。これももう少し
簡單な、正方形とまで行かなくても、もう少し
簡單な形にしたいということは常々思うものであります。これも一旦できたものはやむを得ないので、今度の
鉱業法の勧告あるいは
協議というところでその面に触れてありますので、こういうところを強化して、できるだけいわゆる
合理的な
開発をするために適当な形にして行きたいということを希望するものであります。また大きさの問題でありますが、
鉱区は今度の新
法案におきまして、大体従来の面積の二倍程度に広げられておるのであります。これはともに最低の限界も必要であり、また最大の限界も必要なものと思います。その小に過ぎる場合は、もちろん
鉱業の
開発が十分適当に行われないということから、下の制限を設けられておるものと思うのでありますが、上の方の制限はあまり実行されておらないようでありますが、これはやはり
鉱業独占をある程度制肘するという意味であつたと思うのであります。むしろ問題は私はその下の限界にあると思うのであります。今日
石炭、石油等に対しては三十ヘクタール、今度の七種の鉱物については一ヘクタール、大体従来の
石炭等に対する五万坪の数字から見ますと、ほとんど倍に当るのであります。これは従来
通りでもいいじやないかという考えも浮ばないこともないのでありますが、だんだん規模の拡大あるいは資源の存在の位置等から考えますと、むしろ小に失する。ただいまの新
鉱業法の基準まで高められましても、それでは困るというような例はそう多くないのじやないか、むろんあろうかと思いますが、それほど数多くない、比率から申しますと少いものではないかと思うのであります。この際大乗的に最小限界は倍、原案近く高める方がむしろ
合理的開発という
趣旨に沿うのではないかと思うのであります。大体この
鉱業法は御承知のように、私どもが初めて親しみましたのは
鉱業坑法、明治六年の日本坑法でありますが、その後長く、ただいまの
鉱業法は四十数年の歳月を経ておると私は思うのでありますが、それがただいままで修正はあつたといたしましても、根本的な点についてはなかなか触れられないで今日に至
つておるのであります。新
鉱業法におきましても、私はもう少し事実飛躍的なものが期待されたのであります。たとえば
試掘権、
採掘権の問題等も、一元化できないものだろうかということも考えられたのでありますが、やはり日本の現状よりそこまでは行けない。大体この
鉱業は、どこの国でもその国のいろいろな問題に
関連してきめなければならないのでありまして、たとえばスエーデンのようなところでありますと、鉄が国家の
産業の重大なる要素でありまして、
鉱業法におけるきめ方には非常な特色を持
つております。
わが国もまたそういう現在の事情に即応したところに線を置かなければならないということを常に基準として考えますれば、一元化というようなこともなかなか望めない。そうすれば試掘をどうするかという問題でありますが、従来日本の試掘あるいは
採掘の
範囲は、比率は全日本の面積から見ますと、まだ必ずしも多くないと思うのでありますが、その多くの試掘の
範囲が
採掘に伸びるとか、あるいはこれが試掘からはずれるというところまで、つまり可否が決せられないでとどま
つておる。まあ言葉で申せば、眠
つておるというような感じもいたすのであります。やはり試掘というものはその性格に応じて処置すべきものではないかと思うのであります。従いまして私は従来の
試掘権四年というものはむしろ長きに失するのではないか、今後は技術の進歩もあろうと思いますし、またその成否をきめるには必ずしもそれだけの年限を要しないのではないか。今度の
改正案でも四年までは
延長し得るのでありますから、その期間に試掘の
鉱区がはたして生きるものか、あるいは役に立たないものかという判断に時日が短か過ぎるというのは、少し現状にとらわれたものではないかと私は思うのであります。また
採掘の期間でありますが、この
存続期間も大体今度は三十年という年限があげられておりますが、大体
鉱業の経営あるいは最初の計画におきましては、いろいろな設備に対しましても二十五年あるいは二十年というようなものを一応の対象、
鉱山の生命と考えて仕事を始めるのであります。
鉱山の一生も、大体われわれ考えますれば人間の一生のような経路をたどるものであります。三十年と言えば、まあ人生五十年というものに
相当するわけで、二十年短縮はいたしておりますが、
鉱山は三十年、人生は五十年で、ころあいの数字ではないかと思います。三十年た
つてまだ隆々伸びて行く、あるいはまだ長い生命を持つものであるということであれば、その期間においてまた更新することも可能なのでありますから、一応三十年として
鉱業の経営の限度を置くということは適当であろうと思うのであります。
なおその他二、三賠償の問題、
租鉱権の問題についても申し上げたいこともあるのであります。ことにこの賠償問題ははなはだ重大なことでありまして、
鉱業を経営いたします者でも、できるだけ地表に損害のないように、そういう賠償問題が起らないようにして
採掘すべき責任はあると思うのでありますが、ドイツのルーア炭田なども、その地表はドイツの非常に有名な工業都市であります。その
採掘地表に対する損害、影響については万全の処置を講じておるのでありまして、
わが国も
福岡その他のように美田あるいは市街の下、その他
公共築造物の下で
石炭を
採掘しなければならない運命にあります場合には、できるだけその損害を最小限度にとどめるということは、
採掘の側において私は重々責任があることであると思うのであります。そのためにいろいろ事実の面でも皆考慮いたしてはおるのでありますが、いかんせん、さよう心がけましても、なお損害をこうむるというような場合には、これは当然賠償の
義務が生ずるのであります。その賠償の方法といたしましては、
原状回復、これは理想案として私もまことに適当なことと思うのでありますが、現在の
実情を考え、またその影響するところを見ますれば、ことごとくこれを
原状回復に持
つて行くという必要が国家的にありやいなやという問題であろうと思います。これは理想であります。まことに好ましいことではありますが、もし金銭の賠償において、その影響されたところが適当に利用され、またそれで責任を認め得る
範囲のものであるならば、それを
原状まで回復しなければならないというところに強制するのは、
鉱業そのものの発展から申して、私はどうも賛成しかねるものでありまして、大体において
金銭賠償を主体にして、必要なところにおいて
原状回復、あるいはその損害の
実情に則して処置するように進むべきものであろうと思うのであります。
大体私の申しましたところを要約いたしますれば、このたびの
鉱業法案に対して、こまかい枝葉の問題はこれを除きまして、その根幹となるものに対しては、全面的に賛意を表したいと思うのであります。はなはだ
簡單でありますが、これをも
つて私の
公述を終ります。