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徳永説明員 新法をつくります際に、
鉱業権者の資格は
制限したらどうかという議論は、ただいま御指摘がございましたように、審議の過程にあ
つたわけであります。ただしかし、
制限するといたしますと、私どもが一番懸念いたしましたことは、結局その人の信用、財産の能力とかいうようなものが、ことにただいまの賠償のことも
考えますれば、当然問題にな
つて参るかと思います。さような点から一応その面でよさそうにも
見えるわけであります。しかし根本的に
考えまして、そういたしますと、その認定というものを抽象的に、信用が幾ら、財産が幾らというようなことを、この
根拠法である
法律に入れ得るものでもありませんし、また
経済界の変動ということも
考えました場合に、かりに入れてみましても、無意義なものになることが
考えられますので、この点からも不適当であると
考えられます。さらに根本的に私どもが疑問としましたのは、そういう制度にいたしますと、一種の自由裁量の認定にかかるというようなことに相なるわけであります。ところが
鉱業法は、これができました当初からもさようでありますし、今日もさようでありますのみならず、外国でもほとんど同じような体系をと
つておりますが、その基本の扱いの中に、いわゆる先願主義というのが大きな線として貫かれているわけであります。最初に発見した人が最初にそれを
出願しますれば、その人に権利が與えられるという建前をと
つているわけであります。この建前は目に
見えない形でございますが、
鉱物の
ほんとうの発見ということに非常に大きな原動力にな
つておるものだと
考えるのでありますが、現在非常に大きな仕事をしております山も、か
つては小山であ
つたのでありますが、その小山でなく
なつたゆえんのものは、目に
見えない
地下資源というものを、足と目と能力をおしまずに山野を跋渉して発見した人の力に負うところが大きいわけでありまして、その基本の先願主義によ
つて鉱業全体が恩恵を受けておるということは莫大なものがございまするので、この先願主義というものはどうしても貫くことが適当ではないか。もしかりに資格の
制限ということにいたしますれば、自由裁量ということになりまして、先願者必ずしも権利を與えられるということには相ならないようにもなりまするし、その点から非常な問題があるのではないか。またその自由裁量ということになりますれば、その自由裁量の運用自身に公正、適切な
措置が期し得るかどうかということに、はなはだ疑問も出て参るわけなのでありまして、各国の法制及び
日本の過去におきましてと
つておりましたこの先願主義の原則というものが傷つかないということにいたしますためには、この資格の要件を入れるということは適当ではないのではないかということに相
なつたわけであります。ただ今
今澄委員から御指摘がありましたように、さようなことにいたしました場合に、鉱害の賠償能力のない者が仕事をすることにな
つて、危險ではないかというような御心配だ
つたわけでございますが、これは
鉱業法の体系としまして先願主義をと
つておりますが、しかし現実問題としまして、
鉱業が経営されるという
段階において初めて鉱害が起るわけでありまして、
鉱業の経営には
相当の資力、信用がなければ、開発そのものが行い得ないわけであります。その開発するだけの資力、信用をも
つて行われておる場合におきまして、鉱害賠償というものはそのきわめて一部のものにとどまるわけでございますので、現実問題といたしました場合には、
法律の要件として鉱害賠償の支拂い能力のある者というようなことは、
法律で書く、書かぬにかかわらず、現実に経営が行われておる場合、一般的に見ました場合には、賠償の額が拂えるくらいの仕事はしておるのだというふうに理解する方が常識ではないかというふうに
考えまして、かれこれ勘案の結果、審議の過程におきましては問題になりましたが、資格要件を特に定めるということはとらないということに、みんなの意見も一致したわけであります。