○山本
証人 電源の事故の起らないことを非常に念願いたしました。また世間
一般からも、その事故の起らぬことの要求が非常に強か
つたのでございます。ところが、
終戰後職場の人たちの中には、職場を愛する、大切にするという心持ちがだんだんと薄らいでお
つたとわれわれは考えまして、これらの考え方を是正しなければならぬと考えました。それらのために、またどういうふうにして
整理をするかということの事務手続、あるいは研究、これらの対策をとるために、
支店あるいはその下部の支社、あるいは現場、これらに対しましていろいろと連絡をする、協議をする、対策を立てる、ときには
印刷物をつくる、会合をするというようなために、相当の
費用がいるのでございまして、これらは
本店から直接に支給する方がいいと考えまして、
本店から直接に
支店長へそれらの金を渡しまして、
整理に必要ないろいろの準備のための
費用として
使つたのでございます。
金額は二十四
年度に一千八百万円、二十五
年度に七百七十万円、合計二千五百七十万円ほど使用されております。これは期間が十七箇月間でございまして、非常に長期にわた
つております。一箇月に平均しますと非常に少いのでございまして、全
日発百五十万円ほどの月当りの
金額でございます。
支店がまた九つでございますから、十箇所の店と考えますと、一店あたり一箇月十五万円に
なつておると思います。
支店の下に支社がありますが、支社と申しますと
支店より小さいのでございまして、
支店の下に四支社、あるいは五つ、平均いたしますと四・五ぐらいになりますから、一支社一箇月三万円か四万円の
金額になるのでございますが、これらの
費用は、
先ほど申し上げました
通り、
印刷物あるいは通信、交通費、対策の打合せの
費用、情報の收集のため、あるいは作業場の
費用、その他に
使つたものでございまして、決して従業員の方に金を渡したり組合の方に金を渡しておるものではございません。発送電の現場といたしますと、小石川に
本店がございまして、
支店が九つございます。研究所が一箇所ございます。
支店の直接の機関といたしまして、現業の
工事機関が百十四ございます。
支店の下におります支社が三十九ございまして、支社の管轄いたしております現場が、千九百二十一ございます。これは散宿所とか、あるいは保線の詰所とか、保線区とかい
つたようなもの、もちろん
変電所、
発電所、これらを全部ひつくるめての職場の数でございますが、大なり小なりいろいろたくさんありますが、千九百二十一ございます。これらを合計いたしますと、二千、以上の職場の数になりまして、この二千以上の職場は日本全国にばらまかれております。それらを対象とする
費用でございますので、その職場一單位当りは非常に少い金になるだろうと思
つております。これは
本店から
支店長に渡されまして、そうして
支店長がそれぞれの機関を通じて準備をしたために
使つたお金でございます。
一方労務対策のもう一つの
費用といたしまして、
思想の啓蒙のために
使つた費用がございます。これはそれらの間違
つた考えを持
つておる人たちに、何とかして正しい考えを持
つて、われわれの考えと同様な考えで働いていただきたい、こういう気持でまず啓蒙をやるということを考えましたのでございまして、主としてお願いしましたのは田中清玄氏にお願いしまして、そうして
講演会をや
つていただいたのでございます。
講演会をやりましたところは、福島県の
猪苗代地区が最初に取上げられまして、また東北の仙台、秋田その他においても
講演会をしていたださました。それから関東におきましては、群馬県の利根川の上流にございます
発電所、これを対象として
講演会をしていただいた次第でございます。それから長野県の木曽川、ここにもたくさんの
発電所がございまして、その
発電所を対象として
講演会をしたのであります。なお名古屋の市には二つの大事な火力
発電所がございまして、そこでも
講演会をいたしました。その職場の地域は非常に広うございまして、職場の数も非常にたくさんございます。
発電所の数で八十箇所気力
電力がございますし、
発電所の全出力を考えますと、百六十万キロほどに相なります。職員の数全体を調べますと、四千二百人からに
なつております。そういうわけで、個々の
講演会は、昨年の夏ごろから講演の準備をいたしました。そうして暦年の
昭和二十四年中に田中清玄氏が使用しましたそれらの講演の準備、あるいは昨年中の講演の回数は覚えておりませんが、それらの
費用につきましては田中氏は請求はしませんでした。
昭和二十五年に入りまして、いよいよ
整理も間近くやらなければならぬというふうに考えますし、また
講演会の度数もいよいよ重
つて参りました、それで田中清玄氏が負担することはとうていできないとわれわれも考えまして、どうしても会社から負担すべき金であると考えましたので、その
講演会の
費用を
昭和二十五年から会社で
支出することにいたしました。それでこの
講演会の計画は、私どもの
支店関係、
支店は関東
支店、それから東北
支店、東海
支店でございますが、それらの
支店において
講演会の立案をいたしました。
予算もつくりました。これを
本店に持参いたしまして、協議を
支店から求めて参ります。
本店では
関係の部の者が集まりましてこれを調べまして、田中氏の方及び
支店の方へ、この計画でや
つていただきたいということを通知したわけでございます。
支拂い方法でございますが、請求書つまり精算書でございますが、いろいろの
方面に
使つた金の精算書を持
つて見せに参りました。これは
支店長がよく調べまして、査閲いたしまして、これを
本店に持参いたしまして
本店で、これをさらに
先ほど申し上げました
関係の部で調べまして、それの
支拂の手続をして、その都度
支拂つたわけでございます。
予算を立
つたり計画を立てているうちに、実際の現場の
講演会というものは相当進まなければならぬのでございまして、金の
支拂いはかなり遅れまして、相当遅れたときには二箇月ぐらいあとでお拂いしたと思います。それで田中氏もずいぶん
費用の点で困
つたことだと思いますが、できるだけわれわれも精査し、そうして
支拂いをしたわけであります。この金は、本年の八月で一千九十万円ほど
支出いたしておるわけでございます。それで
講演会の
費用は、多額のように思われるかもしれませんけれども、これは決して不当に
支出したものでございません。
関係の
支店長はもとより、
関係の部でこれを調べ、私も見まして、そうして
支拂つていいと判断したときは、副総裁の櫻井さんの承認を得まして、その都度
支拂いをいたしました。領收書をとりましたが、領收書は田中氏の指名によりまして、その人の会社の常務の伏見二郎さんの名前で領收書をもら
つて支拂つておる次第でございます。長期にわた
つた講演会でございまして、三百回近く
講演会をいたしました。
講演会と申しましても、單なる
講演会でございませんで、ずいぶんいなかの
発電所にもたずねて行
つたわけでございます。それから時間も相当長時間にわた
つて講演をや
つております。また
講演会のあとには懇談会までや
つたというようなわけでございまして相当の
費用がかか
つたことはいたしかたなか
つたと思います。大体そういうことにお拂いしました。