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1950-10-13 第8回国会 衆議院 厚生委員会 第11号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十月十三日(金曜日)     午前十時四十五分開議  出席委員    委員長 寺島隆太郎君    理事 青柳 一郎君 理事 大石 武一君    理事 松永 佛骨君 理事 金子與重郎君    理事 岡  良一君       高橋  等君    中川 俊思君       堀川 恭平君    松井 豊吉君       丸山 直友君    亘  四郎君       堤 ツルヨ君  委員外出席者         参  考  人         (健康保險組合         連合会常務理         事)      上山  顯君         参  考  人         (健康保險組合         連合会理事)  山本 徳治君         参  考  人         (全国国民健康         保險団体中央会         專務理事)   江口 清彦君         参  考  人         (東京都国民健         康保險団体理         事)      寺島  眞君         参  考  人         (日本オリンピ         ツク協会常務理         事)      坂入虎四郎君         参  考  人         (北海道大学教         授)      中谷宇吉郎君         参  考  人         (弁護士)   中本 光夫君         参  考  人         (弁護士)   山崎  佐君         参  考  人         (神奈川県中郡         金目村村長)  柳川  力君         專  門  員 川井 章知君         專  門  員 引地亮太郎君         專  門  員 山本 正世君     ————————————— 本日の会議に付した事件  参考人選定に関する件  医薬制度に関する件     —————————————
  2. 寺島隆太郎

    寺島委員長 これより会議を開きます。  まずお諮りいたします。本日出席の予定でありました健康保險組合連合会組合長宮尾武男君が、都合により御出席を願えなくなりましたので、同君を取消し、かわりに同会常務理事上山顯君を参考人として決定いたしたいと存じますが、これに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 寺島隆太郎

    寺島委員長 御異議なければさよう決定いたします。     —————————————
  4. 寺島隆太郎

    寺島委員長 本日は前会に引続き医薬制度に関する件を議題といたし、本件に関連いたして出席を願いました参考人の各位から医薬分業問題についての御意見を聽取することにいたします。  この際委員会を代表いたしまして、委員長から、参考人に一言ごあいさつ申し上げます。御多用中わざわざ御出席くださいましたことに対して、厚く御礼申し上げます。何とぞ隔意なき御意見を端的に御披露願いたいと存じます。  それではまず健康保險組合連合会常務理事上山顯君の御意見をお述べ願いたいと存じます。
  5. 上山顯

    上山参考人 私たち健康保險組合連合会におきましても、社会保障全般の問題につきましては、特に委員会を設けまして、いろいろ研究をいたしております。この委員会におきましては、医薬制度の問題は、私たち健康保險組合としましても非常に関心の深い重要な問題であると考えまして、特にその問題を取上げて、いろいろ研究もいたして参つておるのでございます。その結論を端的に申し上げますと、すでに各方面から言われておりますように、医者という仕事と薬の調剤という仕事とは、それぞれ別の專門でありますので、それぞれ專門の方がその仕事に專心するということが、建前としましてはやはり適当ではないか、かような考えを持つております。従いまして、日本におきましても、できる限り早い機会に、そういう大きな建前の趣旨に改めらるべきが当然ではないかという考え方でございます。そうしてただいまの制度におきましても、任意分業ということがあるわけでありますが、実際上は、ただいまの制度においては、分業というものはほとんど行われないことにかんがみまして、やはりこれは法律をもちまして医薬分業をやつて参ることが適当ではないか、かように考えるのでございます。しかしながらいよいよこれを実際に行いますについては、薬局の分布の状況でありますとか、薬局内容でありますとか、いろいろ整備をしなければならぬ点が多々あると思うのでありまして、全国一齊に即時にこれを強制するということは、おそらくむずかしかろうと考えまするので、実施可能な場所から順次これを行つて参るということが適当ではないか、かように考えております。それではどこの場所に、いつからというようなことにつきましては、專門的ないろいろの検討が必要だと思いますので、そこまで十分な具体的な意見はまとめてないのでありますが、大筋といたしましては、今申したように、実施可能な地域から順次これを法律をもつて医薬分業をして参ることが適当ではないか、かように考えております。  それから次にはその場合の診療の料金、国民医療費というものがどうなるかという問題でありますが、これは私たちの団体としましては、保險者立場として、保險経済に非常に大きな問題でありますので、特に大切な問題として考えているわけであります。その点については、非常に安くなるだろうという見解の者もありまするし、あるいはそれほど安くなることは望まれないだろうという見解の者もありますが、大体といたしましては、少くとも現情よりも高くなることはなかろう、またないはずだ、こういう考え方であります。但し、その点につきましては、具体的にお医者診察のいわば技術料と申しますか、そういうものと、薬剤師の方の調剤料と具体的にどういうふうにきめるかということによつて決定することでありますので、それの決定にあたりましては、国民医療費全体としまして、高くならないようにきめられなければならない、かような考え方をいたしております。  それからその医療費が高くなるかならぬかということについては、次のような点がもう一つ注意さるべきではないかと考えておるのであります。それはただいまお医者さんが、いわば專門外の薬の調剤ということに、相当の時間をさいておられるわけであります。従つて調剤という仕事が全然お医者さんの手を離れまして、專門薬剤師の手に移りますと、お医者さんからいえば、それだけ專門医療方面に当られる時間がふえるわけであります。従つて一応それだけの点を考えますと、それだけお医者さんの数というものが、あるいは少くても済むかもしれないという問題が起ると思います。もちろん地方農村等におきまして、そこに一人だけのお医者さんがいる場合に、かりに調剤仕事薬剤師の手に移りましても、一人のお医者さんが減るということはできないわけでありますが、お医者さんが相当たくさんいらつしやるところでは、今まで調剤に充てておつた時間を、それだけ診察方面医療の本来の仕事にかかれるということになれば、一応たくさんの患者を受持たれることになりまして、従つて何百人というようなたくさんのお医者がいる地方におきましては、若干名のお医者の数が減つてもいいというような問題も起ると思います。従いまして、終戰後において、非常に増設されました医者養成機関がある程度整備されたと申しますか、お医者養成数が再検討の結果、ただいま減つてつておるわけでありまするが、将来におきましては、医薬分業の点を考えますと、少くともその点についての再検討が必要ではないか、かように考えております。  以上かいつまみまして意見を申し上げた次第であります。
  6. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次に同じく健康保險協会連合会理事山本徳治君の御発言を求めます。
  7. 山本徳治

    山本参考人 私は健康保險組合運営の任に当つておる一人でありまして、最近保險経済方面に相当苦労しておるものであります。従つて医薬分業の可否につきましては、経済方面からその意見を述べさせていただきたいと思います。  大体全国健康保險組合の総体から見ましても、あるいは單位の健康保險組合から見ましても、全部の保險給付の大体七割程度医療費が占めておる。個々に見れば、多いところは八割以上を医療費が占めておる。従つて医療費保險経済に大きな影響を及ぼすものであります。今後行われんとするところの医薬分業が適正に行われれば、双手をあげて賛成するものであります。  最近の実情を少し述べてみますと、診療報酬請求の総額のうち、大体四割程度注射あとの三割程度投薬あと残りの三割程度技術料と申しますか、大体大ざつぱに申しますと、こういう状況であるわけであります。従つてこの医薬分業が行われました際に、これは技術上の問題、あるいは法規上の問題、いろいろの点でわれわれは詳しくは存じませんが、注射が相当ふえる、あるいはまた医学が進歩して手術が相当ふえる。注射手術がふえて、投薬方面がだんだん少くなるということになりますれば、勢い保險経済の方がたいへんな影響を受けるという心配もあるわけであります。また投薬方面についても、大体現在の薬価の事情から申しますと、一剤購入価格が五円ないし三円以下のものが五割以上を占めておるという状況であります。現在健康保險支拂つておる薬価は一剤二十円あるいは二十二円というようなわけで、現在の情勢から見ますと失礼な話でありますが、医者はいわゆる治療に專念するより、むしろ薬を売る方に專念せられるというようなことも心配されるわけであります。こういう弊害を除いていただいて、ここに完全な医薬分業が実施せられまして、医者治療方面に專念し、また調剤專門的知識のある薬剤師に專念してやつていただく。これが一般大衆、ひいては健康保險組合などの経済方面が現在より合理的に幾分でも安くなるということなれば、われわれはこの制度に対して双手をあげて賛成するものであります。ただ経済方面から考えますと、その点がはつきりいたしませんので、実はそういう点を心配しておるわけであります。結局これは簡單に申しますれば、やり方いかんによると思うのでありまして、やり方さえうまく行けば、われわれはたいへんに賛成したい、こういうわけであります。今申しましたような点は十二分に今後の運用の面、その他の点についてお考えいただいて、りつぱな制度が実現すれば、双手をあげて賛成したい。  はなはだ簡單でありますが、経済方面影響をおそれるあまり、意見を申し述べさせていただきました。
  8. 寺島隆太郎

  9. 江口清彦

    江口参考人 国民健康保險施行地域は、大部分町村でございまして、都市方面などではまだきわめて少いのでございまして、医薬分業施行ただちに可能というような六大都市などは、その芽ばえさえも見えておりません。従つて地方に参りましても、まだ医薬分業に対しての意見もあまり聞かないのでありますので、代表意見というわけに参りませんが、寄り寄り研究いたしておりますので、若干意見を述べさせていただきたいと思います。  前両君もお話通り、これもやはり医療費の問題に非常に関連があるのでございます。御承知のごとく国民医療費は、国民の所得に比べまして、最近非常に負担が重くなりまして、支拂いに困つておるという状況でございます。国民健康保險施行しておりません町村においては、最近患者が著しく減少しておる。また国民健康保險施行しておる地域においては、従来自費患者がおつたのが、最近ほとんどなくなつて受診証を盛んに使つておる。従来の受診率は九〇%ないし八〇%でありましたが、最近は一〇〇%以上、はなはだしいのは一五〇、二〇〇%に近いというような非常な趨勢で受診率が上昇しております。従つてこれから勘案いたしますと、医療費国民支拂いに非常に過重であるということが言い得るのであります。それでこの地方においては、国民保險をぜひやらなければならぬという声は聞きますけれども、さてこれがなかなか出発ができない。と申しまするのは、大体国民健康保險の今の状況を見まするに、保險料平均いたしまして一戸当り千五百円程度ではないかと思います。ところが最近利用者がだんだんと増加して参りますので、一戸当り二千円ないし二千五百円出さねば、とうていこれの経営ができない。また利用する人々は、ほとんど五割程度自己負担をいたしております。ところが最近の税金攻勢によりまして、保險料がだんだんとあとまわしにされまして、なかなか保險料あるいは一部負担というものが集まらない、こういうような現状でございます。ところが患者はそれを遠慮なく使うということでありますので、実は国民保險は非常に行き詰まつておる。それで社会保障制度審議会におきましては、先般試案を出して国民一般の輿論を問うたのでありますが、その試案によりますと、医療費は少くとも三割程度は国の方で持たねばとうていやつて行けないのではないか、こういう御意見であります。これはまさにその通りであります。ところが、これは余談になりますが、昭和二十六年度の政府の予算を拜見いたしますると、厚生省におかれましては医療費の二割だけはぜひほしいということを提案されたそうでありますが、遺憾ながら閣議においてはこれは不承認になつた。社会保障制度、ことに社会保險、しかも国民の大部分を占める国民健康保險医療費に少しも国が金を出さないということは、結局社会保障制度をやらせないというのと少しもかわらないのではないか、こういうふうにわれわれ考えまするので、この機会委員の方々にも十分御検討をいただきたい。こういう現況でございますので、医薬分業におきましても、ほとんど火の車のような国民保險経済におきまして、医療費が若干なりとも上る、そのために高くなるということであつたならば絶対にこれは反対いたしたい。今日でもとうていやりおおせぬというような経済状態において、医薬分業のために、これが事のいかんを問わず、いかに理由がありましても、医療費が今日よりも上昇するということがあつたならば、これは断じて賛成できないのであります。  さらに具体的に二、三の例について申し上げますと、たとえばビタミン剤皮下注射、これは社会保險では三点になつております。一点單価十円といたしますれば三十円、これが現行になつております。ところが厚生省調査によりますと、技術料平均十五円、一点半。そうして薬品代が三円ないし七円、かりに五円と仮定いたしますれば、医薬分業なつた場合においては三十円のが二十円で済むではないか、こういう計算も成り立つのであります。しかしながら技術料といたしましては、厚生省調査をやつた現行の一点半程度のものでは、とうてい医師会承知されない、どうしても五点くらいはほしいのではないか。こうなりますると、一点單価十円でありますと五十円、それに薬代五円を加えますと五十五円、そうなりますと現行の三十円のほとんど倍近くなるわけであります。要するに医者技術料をどの程度にきめるかということにおちつくのではないかと思うのであります。また一面には薬品が今日のごとく名前こそ違いますが、同種類の薬品が無統制につくられまして、各メーカーは多額の宣伝費を使つて競争しておる。その宣伝費が結局薬価の中に織り込まれておる。これを是正しなければ、とうてい安くていい薬をお互いが使うということはできないのであります。従つて医者の使われる薬品の製造か統制する、あるいはもつと進んで薬品国家管理ということまでこの際同時に考えていただきたいと思うのであります。また一面医薬分業になりますれば内服薬は大体一剤に行くのではないか。外国の例もそうなつておるそうであります。もしそうなりますれば、従来の二剤主義が一剤になりまするので、半分とまでは行きませんけれども、ずいぶん安くなるではないか。社会保險では、御承知のごとく適正治療というので、一剤を主張しておつたのであります。ところが国民健康保險患者に一剤をやろうとしても、国民保險だからというので、二剤やらなければ患者承知をしないというので、いやいやながらこれが今二剤になつている。こういうふうでありますので、その点から申しますると、医薬分業の方が安く上るのでいいのではないか、こう考えるわけであります。  またこれは私個人の計算でありますが、医薬分業なつた場合に、経済状態はどうなるか。社会保險における一箇月一軒当り医療費平均いたしまして七百円、受診日数平均十日。従つて一日当り医療費というものは七十円になつております。これが分業なつた場合、医者收入はどうなるか。いわゆる技術料と称する初診療あるいは再診料、それをどうきめるかは問題でありますが、かりに初診料を三百円と仮定いたします。再診料三十円、一日に患者が二十人といたしまして、そのうちに初診が一人半、再診が十八人半、こうして計算いたしたのであります。従つて初診料の三百円、それが一人半でありますので四百五十円、それから再診の三十円が十八人半でありますので五百五十五円、両方合計いたしますと一日の收入が千五円ということになります。それで医師稼働日数を二十五日と仮定いたしますれば、二万五千百二十五円、こうなりまして、これを受診者一人について二十五と二十で割つてみますと五十円二十五銭ということになりますから、今日の社会保險の一日平均七十円から見ますると、約一割二分五厘だけ安くなるという勘定になります。国民保險はどうなるかと申しますれば、国民保險は一箇月一軒当り医療費が五百六十円で済んでおります。これは昨年の四月から今年の一月までの平均なんであります。そうしてこの受診日数が、社会保險は十日であつたのが、国民保險は七日になつております。従つてこれを割りますと、一日当り医療費が八十円ということになります。そうなりますると、先ほどの五十円二十五銭に比較いたしますると、これは二割四分ぐらい安くなる、こういうような計算になります。それから薬剤師の方の手当はどうかと申しますると、調剤料現行は四円ということになつておりますが、これをかりに五円とする。薬品が六円、これは三円五十銭の処方により——三円五十銭のものが約半数を占めておるそうであります。また六円三十銭以下のものが約九〇%でありますので、大体これを六円と仮定いたしまして双方を加えますと、薬剤師の方に支拂うものが出る、こういうことになるわけであります。大体以上のように計算いたしますれば、これは安くなつていいじやないかということになりますが、今のように初診料の三百円で承知されるか、あるいは再診料が三十円でよいか、そういう点がこれから專門的研究を要するところではないかと存じます。  いずれにいたしましても、私たち医療費が再三申し上げた通りに安くなるということでなかつたならば、とうていこれは賛成できないということだけははつきり申し上げ、そうしなければ国民保險経済が成り立たない。医薬分業の問題がずいぶんやかましいのでありますが、これは要するに医師会医師会立場だけを主張され、あるいは薬剤師薬剤師だけの立場を主張されないで、国民つて医療だという大きな観点からひとつ大いに検討していただきたい。それがわれわれの意見でございます。
  10. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次に国民健康保險団体寺島理事において何か補足的な御発言はありませんか。
  11. 寺島眞

    寺島参考人 私は国民健康保險運営に関係しておる者でございますが、ただいま江口專務理事からの話もありましたので、簡單結論だけを申し上げさせていただきたいと思うのであります。  医薬分業を実施するためには、少くとも三つの條件が必要ではないか。これは先ほどからも御意見がありました通りに今非常に国民健康保險——これは社会保險もそうでありますが、保險経済が非常に逼迫しておりますので、現在よりも医療費が高くならない、少くとも国民プラスになるように、安くなるということでなければならない。それからもう一つは、分業によつて医療内容の低下を来さざるようにする、こういうことであります。それから第三点は、医薬分業によつて国民利便を與える、少くとも不便を感じさせるようなことのないこと、この三点でございます。  第一の、医療費を高くならないようにする、こういうことには、若干の不安があるのでございまして、この医薬分業によつて、われわれは注射薬の偏重、注射薬に片寄る傾向があるのではないか。従いましてこれは国民患者負担の増大する傾向が出て来はしないか。それからまた短期の処方箋といいますか、短期治療をする、こういう傾向でございます。すなわち診察料が非常にふえて来はしないか。それから技術料の問題でございます。こういう点からして、どうも安くなるというふうには考えられないのではないか。それから医療内容についても、これは現在のところ現状よりもよくなるというふうには考えられないのではないか。それから第三点の、少くとも患者利便である、不便を感じさせないという点につきましては、薬局とお医者さんとの距離が遠方であるという場合には、これは非常に不便であります。それからお医者さんは大体夜中でも往診に応じてくれますが、夜中にはたして薬局が起きてくれるかどうかということも心配であります。問題は結局今ただちには、非常にそういう点でむりがあるのではないか。このむりを除去するような手段を講じていただきまして、少くとも国民プラスになるような條件整つたときにこれを実施していただく、とりあえずはできる地域からこれを実施していただく、どこかの大都市においてこのモデルを一つつくつていただいて、医薬分業ができるかどうか、どういうところにむりがあるかというふうに持つて行つて、試験的にやつていただいたらいかがかと、かように考えるものでございます。
  12. 寺島隆太郎

  13. 坂入虎四郎

    坂入参考人 私は医薬分業というような大きい問題には、全然スポーツの関係でしろうとでありまして、多少埒外な意見になるかとも思うのであります。  まず第一に考えますことは、現在の方法でいいのか、あるいは医薬分業させなければならないのかというような、これはことに国民立場からこれを考えてみることで、医者とか薬剤師とかいう立場よりも、国民がこれによつて得るところがあるかどうかということが一番の根本問題だということは、前の参考人の方から申し上げたと同様であると思います。現在の状況を見ますと、明治維新といいますか、かなり明治時代からの方法が継承されて診療が行われているという点が、一般的な行き方だと思うのであります。そしてその内容を考えてみますと、これはもつと文化的に経営されているドクターもありますけれども、その大きい層というものは、かなり祕密主義といいますか、今までの昔のままに、診療を受ける者を知識のない者と考えまして、その診察にいたしましても、また調剤にいたしましても、いろいろな点において患者には何もタッチさせないで、ただ気安めに薬を飲ませているというような点が多く、そしてまた患者としても、医者というものはたいへん偉い者だというような一つの従来の思想から、医者の意のままにこれを受けて来たというような点が私はあると思うのであります。そしてそろばんをはじいて医者の請求するものを見ますと、何が何だかわからないというのが、現在行われている状況ではないかと思うのであります。そしてこれは今問題になつております医薬分業——私は現在行われておりまするこういう面から考えまして、また薬剤師というような一つの資格を與えて、国家がまた各学校に補助をいたしまして、そういう者を養成している点から考えましても、ここで私は医薬分業されなければならない時だと思います。医薬分業されて、先ほど来いろいろ参考人からお話がありまして、高くなるようならば、国民経済負担という立場から賛成することができないというお話でございますけれども、これはごもつともなお話であります。ただそれは、方法論で私は解決がつくと思うのであります。私、競技の立場から申し上げますと、競技というものは、だんだん進んで来ますごとに、おのおのの持つている種目がはつきりと受持ちがきまつて来るのであります。たとえば、今の岡崎勝男君と私たちは駈けたのであります。岡崎君もさきに八百メートルを駈け、八百メートルから千五百メートルを駈けていたのでありますが、だんだんそれが世界的になつて来ますときに、おのおのの持つているものは、おれは八百メートルとか、おれは千五百メートルというふうに、自分々々の專門の種目がはつきりして、そうしてそこに精進されて来るのでありまして、私は医薬というものも、医者医者立場から、また薬剤師薬剤師立場から国民に貢献して行くべきだと思うのであります。ただわれわれしろうと考えに考えますときに、無医村というようなところが、まだ国内にはありますので、全体的に医薬分業を確立するということは、ちよつとむりではないかと思うのでありまして、そういう点が研究問題でありますけれども、この際にやらなければ、医薬というものは分業できぬ。それからまた世界の距離がだんだん狹まつて参りますので、日本だけが独自のシステムをとつて行くということは、文化国においてはあり得ない思います。世界の距離がだんだん縮少されるごとに、一つの理想的なシステムに全部が統一されて来ると思うのであります。私はこの機会医薬分業されてしかるべきであつて、ただそれをどういうふうに確立して行くかということが問題であると思うのであります。  たいへんしろうと考えでありますが、ちよつと御参考までに申し上げます。
  14. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次に委員より発言の通告がありますので、これを許します。丸山直友君。
  15. 丸山直友

    ○丸山委員 健康保險組合連合会の方のお二人のお方にお伺いしたいと思います。同じ団体に御所属のわけでございますが、しかし医療費分業によつて高騰するかあるいは下落するか、あるいはそのままであるかという点については、お二人の間で多少お考えが違うように私は今拜聽したのであります。上山さんは、医療費に対しては現状よりも高くはならないであろうというお見通しのようであります。山本さんは、注射であるとかあるいは手術等が増すために、あるいは増すかもしれない危惧があるという御考えのようでありますが、これは同じ組合に御属しになつておりながら、このお考えが違つておるようであります。これはお二人ともおのおの個人々々のお考えでお話くださつたのでございましようか、あるいはその連合会というもののまとまつた意見としてお述べになつたのでございましようか。
  16. 上山顯

    上山参考人 私たち連合会では、先刻申したように、委員会等でいろいろ研究いたしておりますが、個人々々の意見といたしましては、非常に安くなろうという意見もありますし、大して安くはならぬだろうという意見もあります。はつきりした決議とか結論とかいうわけではありませんが、大体の意向といたしましては、少くとも高くはならぬだろうというような見解が大多数でございます。但し、それは結局ほかの参考人からもお話になつておりますように、今後のお医者さんに対する技術料なり、また調剤手数料なりをどのようにきめるかによつて、今後きまる問題でありまして、ただいま坂入参考人からお話になつておりましたように、やり方の問題だと思うのであります。それで私たちとしましては、それは少くとも高くならぬようにきめるべきだと思いますが、その点については私としましては、お医者さん方に非常にむりをかけなくともその程度にはきまるのじやないか、かように考えておるわけであります。
  17. 山本徳治

    山本参考人 私の説明があるいはまずかつたかも存じませんが、要するに、医薬分業の結果お医者さんが技術方面に專念せられて、従つてその結果についてはけつこうなわけでありますが、いわゆる注射なんかがふえるおそれがある。あるいはまた手術にかこつけて、いわゆる点数かせぎということを現在よく言いますが、そういうことがふえる心配があります。そういうことになりますと、この保險経済の方はたいへん憂慮すべき状態——現在でも困つているのが、そういうことがこの上ふえるということは困る。これは要するに今後の方法論と申しますか、そういう方面で解決をつけていただきたい。要するに現在よりか上るということは、私は絶対に反対でありますが、その点が説明が不十分じやなかつたかと考えております。
  18. 丸山直友

    ○丸山委員 それから、これは分業とは違うかもしれませんが、上山さんは、その調剤をやめると、一人の医者がよけいの患者を扱うことができるから、医者を減らしてもいい、こういうお考えのようであります。これから教育する人間を減らすということはわかつたのでありますが、医者を減らすということは、具体的に申しますとどういう方法で減らすのでございましようか、その御説明を願いたいと思います。
  19. 上山顯

    上山参考人 その点は、すぐに現在の医者を減らす必要があるかどうかということは、申し上げてないのでありまして、この医薬分業だけの一点から考えて、その点の再検討が必要ではないか、こういうことを申し上げたのであります。でありますから、かりにこの点だけから考えまして、医者が少くてもいいという結論になりましても、ほかの予防方面に大いにお働き願うことはいいことで、必ずしも減らさなくてもよいという、総括しての結論になるかもしれませんが、そういう点をひとつ考慮すべき事項として、検討する必要があるということを申し上げただけであります。  なお、そういうことを申し上げますについては、こういうような事実をいろいろ私どもは議論したわけであります。現在具体的な例で申し上げますと、たとえば舞鶴市という市があります。昔は軍港として非常にたくさんの人口を擁しておりましたが、終戰後人口が激減しているわけであります。ところがその割合にはお医者さんが減つていない。従つて人口当りのお医者さんというものが非常に多いのであります。そういうようなところにおきまして、お医者さんがやはり生活して行きますために——ためにと想像されるのでありますが、一件当りの点数が非常に高まりまして、そこにありますところの健康保險組合では保險経済が非常に苦しい。保險料率としましては、大体千分の三十から千分の八十まであるのでありますが、最高の千分の八十の保險料率であるにかかわらず、非常に医療費がかさまりまして、保險経済が苦しいという実例等もあるのであります。そういうようなことが、ほかに何らかの対策を講じない場合には、高められはしないかというおそれもありますので、そういうことをひとつの考慮すべき事項として検討する必要がある、かような意味で申し上げたのであります。
  20. 丸山直友

    ○丸山委員 次に、国民保健組合団体の方のお二人のお方の御意見を承りたいと思いますが、江口さんのお話によりますと、医療費は高くなるかならないかということに対しては、方法によるのであつて、まだ決定的に——高くなるとも考えられるが、しかし安くなるという点もありはせぬかというように、いろいろな條件を並べられて、まだ高くなるかならぬかということについては、確かな見通しはつけておらぬようにも考えられたのでありますが、そう解釈してよろしゆうございましようか。  寺島さんの方は、どうも三つの條件の中に、医療費の高くならないようにする要があるが、高くなるかもしれないという御意見が強かつたように承つたのでありますが、それで間違いございませんでしようか。
  21. 江口清彦

    江口参考人 御説の通り、まだ見通しがついていないのであります。
  22. 寺島眞

    寺島参考人 私の意見としましては、どうも高くなりはしないかという不安が持たれるのであります。それも今後の技術料その他のきめ方なんでございますが、結局その方法であろうと思います。そういう考え方であります。
  23. 丸山直友

    ○丸山委員 国民健康保險組合といたしましては、江口さんは、医療費が高くなるということであるならば、その理由はいかなる理由であつても、分業には絶対反対するというお話があつたのでありますが、その団体に属していらつしやる寺島さんは、高くなる可能性がかなり多いであろう、可能性もあるであろう。方法である。しかし高くなる危險があるというふうにお考えであります。そうしますと、国民保險組合としては、分業に御賛成なのか御反対なのか、まだはつきり私にはわからぬのでございますが、そのわからない状態のままで、大都市においてモデルをつくつて実験してみたいとおつしやるその根拠をひとつ承りたい。
  24. 寺島眞

    寺島参考人 モデルのこしらえ方は、それは試みに、やるならばやつてみたらどうかと、こういうお話じやなかつたかと思うのでございますが……。
  25. 丸山直友

    ○丸山委員 まだ私の申したことがよくおわかりにならなかつた江口さんは、国民健康保險組合に属しておいでになつて医療費が高くなる、いかなる理由があつても反対すると、こうおつしやつた寺島さんは同じ団体に属していらつしやつて、高くなる可能性もある、危險もあるということを心配していらつしやる。心配している状態であるならば、国民健康保險組合が絶対に反対なさるのはあたりまえである。ところがそれを大都市かどこかでモデルでやつてみようとおつしやるのは、高くならないであろうというお考えでそういうことをおつしやるのか、どういう意味でモデルでやつてみようとおつしやるのか、その理由をはつきり御説明願いたいと思います。
  26. 寺島眞

    寺島参考人 私の申し上げましたのは、医薬分業そのものには、決して反対ではないのでございますが、現在の段階では、医薬分業をただちに実施するのはむりなり、不安がありはしないか、これはその方法いかんにあると思いますが、そういうむりを除去する手段を講じて、そういう見通しがついたならば、モデルをどこかの都市にとりまして、試験的にやつてみたらどうかという意見であります。
  27. 丸山直友

    ○丸山委員 それではよろしゆうございます。
  28. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次は岡良一君。
  29. 岡良一

    ○岡(良)委員 健康保險組合の最初に発言をされたお方にお尋ねをいたしたいと思いますが、医薬分業に御賛成の理由の第一点として、それぞれ專門的な技能と申しますか、学識を持つている者がやつた方が、結果において総体的によいのだということでありましたが、具体的に薬剤師医師とを対立させてみて、專門的技術というものをどういうふうに御理解なさいますか。と申しますのは、強制分業ということになると、医者は処方箋を書いて患者に渡す、この書いて渡した処方箋を患者かあるいはその家族が持つて薬局の窓口を訪れる。そこで薬剤師は自己の薬室あるいは薬だなからその書かれてある薬を取上げ、グラム天秤かメスチリングで正確にはかつたものを包装して患者に渡すわけでありますが、そうしますと、われわれの考えるところでは薬を持つているということと、処方箋を読み得るということと、グラム天秤やメスチリングで正確にはかり得るということが技術なんだということになります。ところがそれと医師が診断し処方を書くということとは、独立した対等の立場にある治療行為の一環としてはわれわれ考えられないと思いますが、それでもなおやはり薬剤師医師というものが、それぞれ專門的な技能を持つているというふうにあなたはお考えかどうか、その点をはつきりとお尋ねしたいと思います。
  30. 上山顯

    上山参考人 私も特に医学なり薬剤学の詳しいことを勉強した者ではありませんから、非常なしろうと意見になるかもしれませんが、とにかく薬剤師というものにつきましては一つの資格が要求されるのでありまして、相当長い間專門教育を受けた者が薬剤師になるのでありますが、そういう者が薬剤の調合をやるということがやはり必要ではないかと思います。ただ簡單な処方箋を読んで簡單調剤をするだけならば、だれがやつてもよいのだというような建前で現在考えられておるといたしますれば別でございますが、そういうものではないじやないかと思います。やはり相当の專門的知識があつて、一定の資格を持つた人だけに認められているような專門的仕事なのでありますから、本来はそういう人がやるのが筋ではないか、かように私としては考えるわけであります。
  31. 岡良一

    ○岡(良)委員 この際私の意見を申し上げるのは恐縮ですが、一言申し上げます。薬学の專門の技能を修得するためには、あるいは調剤学とか分析学とかいうような非常に広汎な学問を身に備えることが、現在の薬剤師の資格の條件になつておるわけです。一体その薬の極量がどれだけであるとか、この薬とこの薬を合せた場合には、化学変化を起して人体に害があるとか、この薬とこの薬は保存上どういう注意が必要だということは、すでに大学の課程を経、あるいは医学專門学校の課程を経しおる者は、ちやんと二箇年間調剤学という課程を修了することによつて、みな得ておるわけであります。しかしそれらの技能を持つておれば、もはやあとは薬を持つておるということと、グラム天秤の操作を正確にやるということだけが專門的技術ということになる。オリンピツクの選手の方もここに来て言つておられましたが、病気をなおすという大きな生きた流れ作業の中において、この調剤の過程と診断の過程というものが独立に対等し、平等の立場において何か権限を持つたものであるというようなお考えを單純にお持ちになりますと、そういう結論になるのでございますが、その点は、実際に医者が処方箋を渡し、これを持つて家族なり患者なりが薬局の窓口を訪れた場合、薬剤師が何をやらなければならぬか、そのためにはどんな條件がなければならぬかということをよくお考え願つたならば、そういう機械的な結論は出ないと思いますので、これは私見でありますが申し上げておきたい。  それから坂入さんにお尋ねしたいのでございますが、あなたはスポーツの例をおあげになりまして、やはりそれぞれ專門の分野があるということをおつしやいましたが、私どもの考えでは、医療行為というものは、やはりチーム・ワークが必要だと思います。チーム・ワークが必要であれば、やはりチーム・ワークをとるための最高の責任者というものが必要であろう思います。たとえば、野球のチームの場合においても、またその他の場合においても、キヤプテンというものがスポーツの場合にはあると思います。従いまして、医療——人間の病気をなおすということは、診断をして、そうして適当な処置を加える。その処置もきき目がどの程度つたかということを観察しながら、必要があつたならばその処置をかえて、結局病から病人を解放してやるという生きた流れ作業である。それで、その生きた流れ作業を担当する場合には、やはりそれぞれの部門におけるチーム・ワークが必要だが、その最高の責任をとるキヤプテンがやはり必要だと思うのであります。そういう場合に、この医療という面におけるキヤプテンは、一体だれかという点について、坂入さんのスポーツの側から見たお考えを承れればけつこうだと思います。
  32. 坂入虎四郎

    坂入参考人 今のお話ごもつともだと思います。私の考えからいたしますれば、たとえば、私がある大学にコーチに行つたときに、きようはどういう練習をするということを、ただコーチヤーの頭だけで選手をひつぱりまわしていたならば、コーチヤーが帰つてしまつたあとの練習ができなくなる。そういう意味で、月曜日には百メートルのスタートを何回やり、その次にはどういう距離を走るという一つのスケジユールといいますか、診断書を選手に渡して練習させる、そうしてわれわれが帰つたあとで、その選手がその診断書によつて自分の練習方法をだんだん考えて行くというわけであります。今のお話のヘツド・コーチヤーはだれになるかといえば、もちろん診断をなすつたそのドクターがなると思うのであります。しかし今のプロ野球にいたしましても、ヘツド・コーチヤーが全部を見るのではございません。たとえば、冬のシーズンにおいては、体操のコーチヤーを呼んで全体の体操の指導をするというように、ヘツド・コーチヤーの考えで、それが分業になつて一人の選手ができ上ると思うのであります。さらに申し上げますと、今われわれの知つておる東龍太郎氏とか、あるいは浅野均一氏というような医者は、私などが診断してもらいましても、処方箋を書いて私に渡して、私がとりに行くのであります。そういうのがわれわれの知つている一般の医者行つている方法であります。それで、今ここで大きく問題になつている医薬分業というのは、現在の要するに町医者といいますか、そういうことが中心になつて議論されているのではないか。患者に処方箋を渡すということは、ただ患者に默つてそこで医者調剤をして渡すということよりも、その処方箋によつて患者がこういう薬が自分のからだに必要なんだという、医学の常識の講座にもなつて行くのじやないか。それからまたこの薬をのんでだんだんよくなつた、きようは医者に行かなくても、この薬さえあればいいんだということで、医者に行かないで、その薬で済むことがあるのに、わざわざ医者の所に行つて、診断してもらつて薬をもらつて来なければならないのか、そういうことを私は考えるのです。
  33. 岡良一

    ○岡(良)委員 実は御意見でございますが、要するにヘツド・コーチヤー、キヤプテンが、全チームのメンバーに対して一つの統制力、指導力と申しますか、やはりそのチームが——何しろ医者が一人の病気をなおそうということは、一つの闘い、マツチです。マツチにはやはりヘツド・コーチヤーあるいはキヤプテンというものが全責任を負つて統べて行かなければならないことは、御異論ないと思います。ところが今坂入さんのお話でございますと、現在は医者は処方箋を出してもいい、患者から求められれば出していいのです。任意分業という形で、出すことは一向さしつかえないし、患者が要求すれば出さなければならない、出さなければ罰せられるということになつて来ておるわけです。ところが、今問題になつておることは、そうでなく、強制分業にせよというのです。だがら、医者は処方箋を出すだけで、薬の調剤薬局がやらなければならないということになるわけです。そうなると、要するに診断をし、処置をし、病気を観察しながら目的を達するという一連のマツチの中で、重要な処置の面で最高の責任の立場におる者が立入り禁止を食つておる、そういう姿において、医療行為という病気に対するマツチに勝ち得るでしようか。これはスポーツがまさしくいい例だと思いますが、ヘツド・コーチヤーやキヤプテンの言うことを聞かないで、サインも聞かないで、やみくもなことをやるというような統制力であり得るような可能性を残しておいて、はたしてそのマツチに勝てるかという点です。そういう点が、先ほど皆さんが御指摘のように、医療内容を向上させる、医療行為という一つの大きな闘いにおいては、やはり最高の責任者が全責任を持つということ、それは技術的な責任のみならず、道義的な責任を持つてつて行く。もちろんこう申しますのは、何も日本全国の八万の医者が、全部道義心を持つておると申すのではありませんが、持つていないなら持つていないで、その手は別途にあると思う。しかし医療そのものの内容を向上させる、あるいは医療費負担をさせるという医療そのものの本質をつかんで、そこからいかにすべきかということに持つて行かなければいかぬと思う。そういう意味で、われわれがマツチするというならば、それに勝つめには、やはり最高の責任者がおつて、その指揮下にすべての者が服しなければいかぬ。従つてある重要な処置の部面において、その最高の責任者の発言が認められないというような立入り禁止部面を設けるというような空白状態をつくることは、医療行為という生きた流れ作業において、大きなチエツクになるのじやないかと思いますが、どうでしようか。
  34. 坂入虎四郎

    坂入参考人 今のお話を伺つておりますと、私と意見の相違があるようでありまして、何か医者の書いた処方箋を薬剤師がかえているというようなお話だと思うのですが、医者はあくまでもヘツド・コーチでありまして、それから送られたサインの処方箋というものは、薬剤師によつてかえられないで、忠実に守られて行くものだと思うのです。だからヘツド・コーチはどこまでもヘツド・コーチだと思う。これがもしそのサインを受取つた薬剤師が別な薬を調剤するということなら、私は今のお話通りだと思うのでありますけれども、その処方箋を忠実に守る薬剤師であるならば、結局それでチーム・ワークはとれて行くのではないかと思うのであります。
  35. 岡良一

    ○岡(良)委員 それはごもつともなので、私は別に薬剤師が故意に医者の処方箋と違つたものを患者に交付するとかいううなことは考えておらないのです。しかし、病気をなおすということは、やはり一つの大きな道義的な責任の問題だと思うのです。そうすれば、薬を売るという、売買行為の意識の上には、この仕事は成立しない。薬剤師は、患者なり、その家族に対して、薬の売買の関係にあるわけです。それから、ヘツド・コーチあるいはキヤプテンになぞらえられる医師立場は、直接にその病人を見、あるいは病人の家族と接触して、その歎きを聞いておる、きわめて切実な立場に置かれておる。そうしてみれば、私の申し上げたいことは、やはり患者の希望によつては薬剤を投與し得るということも、医師の当然な仕事として認められていいんじやないか。だから、何もむりに切り離して、立入り禁止の部面をこしらえないで、ほんとうに生きた流れ作業として医療行為がスムースに進む現在の制度のままでいいのじやないか、そういうふうに考えてお尋ねしておるわけで、何も薬剤師が常に故意に処方箋の内容を歪曲するというようなことを申し上げておるのでないことを御理解願いたいと思います。  それから国民健康保險組合のお方の御意見でございますが、実際お説の通り、現在強制分業になりましても、こんな医薬品の無統制な値上りを放任しておきましては、ほかの材料はこのままとしても、その面でも成り立たないと思うのです。私はこの四月のたしか十三日だつたかと思いますが、偶然パスの広告が出ておつたので、一体その日の新聞の薬剤の広告料がどれだけであるかということを調べてみましたところが、その日の朝日、毎日、読売三紙の一日の全国紙の広告料が三百六十五万円だというのです。その他の新聞もあれば、地方紙もある。さらに雑誌もあり、アドバルーンもあるという宣伝の世の中では、法律ではいろいろ禁止されておりますけれども、しかしながらきわめて放逸な宣伝がなされておる。おそらく医者が薬を買うことも、あるいは患者が買うことも、半ば広告料を拂つておるのではないかとさえわれわれは言いたくなる。こういう無統制な状況において医薬分業をやつてみようが、現在は、端的に申せば製薬メーカーの搾取の対象になつておるというわけです。医者が搾取の対象になつておるということは、患者が搾取の対象になつておることであり、ひいては国民が搾取の対象になつておることである。こういう片手落ちなところで、一方医療行為そのものは、制度の上においては、健康保險とか国民健康保險という姿においてどんどん社会化されておる。一方病を退治する器は、きわめて無統制な形において放任されておる。このような姿をこのままにして医薬強制分業をやつてみたところで、実際ふたをあけて出て来た結果は、医者も、あるいは組合の財政当事者も、ひいては国民全体が製薬会社の搾取の対象になる、少くとも利潤追求の対象になるほかはないというかつこうになることを、われわれ非常におそれておるのであつて、今日国民健康保險の代表者の方から、その点を端的に御指摘いただいたことは、われわれもほんとうに同感の意を表したいと思います。
  36. 寺島隆太郎

  37. 金子與重郎

    ○金子委員 これは数字の問題でありますが、先ほど御説明が早かつたので聞き漏らしました点を山本さんにお伺いいたします。  今あなたの方の健保で支拂つております保險支出の一般支出に対する医療費の割合と、医療費内容について御説明があつたようですが、はなはだ恐縮ですが、その内容をもう一言御説明願いたいと思います。
  38. 山本徳治

    山本参考人 健康保險組合管掌の総体の経理から申しますと、大体総保險給付費の七〇%内外を医療費が占めておる。しかしこれを個々に見れば、組合によつては、現にわれわれのような組合は、保險給付費の八〇%まで医療費が占めているという状況であります。それから今度は診療報酬の内容からみまして、これも現存では御承知の基金制度ができまして、基金の方から費用が来るのでありますが、その内容をごく大ざつぱにとつてみますと、大体四割程度注射料が占めておる。それで投薬が大体三割程度あと残りのものが技術料というような状態でありまして、ことに最近ペニシリンあるいはパスなどを認められた関係もあるのですが、そういう状況であります。  なお参考までに申し上げますと、昔は大体医療費保險給付費の五割程度であつたのが、現在はそういう状態にかわつて参りました。
  39. 金子與重郎

    ○金子委員 健保の上山さんにお尋ねいたします。前もつてお断りしますが、私は医者でもありませんし、薬剤師でもありませんから、率直にこだわらずにお話つてけつこうだと思います。問題は、保險というものが、今経済的に行き詰まらんとしており、国家の助成も思うように出て来ない。その場合に医療費が上るということは、国保経営にいたしましても、健保経営にいたしましても、経営上の支障のために保險の致命傷にもなるから、上ることに対しては絶対に反対だということは、一応わかるのであります。私もそう思つております。ただそこで、上りはせぬか、あるいは下りはせぬかということは、極端に言いますならば医師会薬剤師会の意見の対立もそこへ来ておるのでありまして、それがあなたの組織の中の個々の研究意見も、やはり両方の意見がある。しかし大体今のあなたの御説明では、現在よりも上らないのじやないだろうか、こういうふうなお話承知したのでありまするが、そこであなたの組織の病院が一つのサンプルになるものだと思つております。というのは、国保病院なり健保病院というものが、施設の面では補助を受けておるけれども、経営の面では別に補助を受けておらぬ。そうすると営利病院でもなし、といつて官立のような非営利の純然たる補助対象の病院でもない。要するに償却費はよし出なくても、そのバランスだけはとつて行かなければならぬという立場におる病院ですが、その病院をお持ちでございますか。もちろん持つておると思いますが、医療費の問題を考えるのに、それを対象にしてお考えになつたことがありますか。
  40. 上山顯

    上山参考人 私の方の団体自体といたしましては、ただいま病院の経営はいたしておりませんが、私の方の団体の会員であります組合といたしましては、多数の病院なり診療所を持つております。ただ病院の内容は非常に個々でございまして、一方から申しますと、事業主が相当援助をしているという、経営としましては楽な面がありますし、一方から申しますといろいろな專門分科を持つておりまして、專門分科によつては割合ひまなようなところがあるというように、経営上はマイナスの働きをする面もありましたり、またそれが組合ごとに非常に事情が違いますので、ちよつと概括して申し上げるだけの資料は用意いたしておらないのでありますが、平素そういう組合の病院の経理ということについても頭を悩ましておりますし、なお私たちの先刻申し上げました委員会委員になつている人たちの中には、そういう病院を持つている人がたくさんありまして、そういう人の意見等を参酌いたしました結果、私たち医薬分業の結果、上つては困りますが、また上らないということでやつて行けるのじやないかという大体の見当を持つております。
  41. 金子與重郎

    ○金子委員 その問題について深く関心を持たれたことがないということであればこれは別でありますが、もし健保の方にそういう組合の方がなかつたとすれば、これは国保の関係の方からお答え願つてもけつこうなんですが、かりに今高いとか安いとかいろ問題が起つておるが、それはどういうことかというと、これは大体今の開業医を対象にしての問題なのでありまして、病院を対象にしての問題ではない。御承知のように、病院の方は分業になつておりますから、薬局も持つております。ただ私が例を申し上げてひとつお伺いしますと、こういうことなんであります。一つの補助を受けていない病院である。といつて一つの営利的な特定の意思を持たない公的病院がかりにあつた。機能は大体百ベツドくらいで総合病院である。その病院を検討いたしましたときに、私の察するところでは、かりにバランスがとれている病院としても、大体においてお医者の給料が、はたして医者としての体面と研究を満足させ得るだけの支給がしてあるかどうか。それはされていない場合が多くはないかということが一つ考えられる。それならば薬局はもうかつておるかというと、これも大体薬剤師を置いて補助員を置いていると、百ベツド程度の病院では大してもうからぬ。そうするとひまかというと、おそらく薬局も医局もほとんど普通の労働程度をやつておる。こういう病院を一つのサンプルに取上げたときに、そこに割り切れない疑問が出て来るのではないか。こういう点に対して一例をとつて御質問申し上げますが、これは国保の病院経営の経験がないとわからないのであります。ないしは関心を持たないとわからない問題でありまして、御両者はどちらか知りませんが、私はこの点について非常に疑問を持つておりますので、時間がありましたらお伺いしたい。
  42. 上山顯

    上山参考人 今申したように、たくさんの病院で、個々の業態が違うとは思いますが、概括して申し上げますと、一応病院としては、経営をやつておりまして、特にお医者さんを得るのに非常に困難を来しているということは、私たちあまり耳にしないのであります。でありますから、お医者さんは医薬分業が私の方の病院関係では普通であります。あるいは国保の診療所が今まで無医村だつたというような非常に僻陬の地に設けられましたような場合に、お医者さんを求めるのが困難なことはあるかもしれません。それは国保の方から御説明があると存じますが、私どもの方としては、今お医者さんを得るのが困難だというような話はほとんど耳にいたしません。但し一般の開業医よりそういう病院に勤めているお医者さんの方が給與が多いかどうか、それは存じませんが、一応病院としましては、お医者には事欠いておりません。
  43. 金子與重郎

    ○金子委員 国保病院はどうですか。
  44. 江口清彦

    江口参考人 大体健保と同様でございます。
  45. 金子與重郎

    ○金子委員 それは皆様方の見る目が違つている。私がこの質問を申し上げるのは、最近も四国へ行つて国保の病院を数箇所見て、実際にデーターをとつて来ておるのであります。健保の方は国保と違いまして特殊な一つのあれがありますから、私は健保が專門でありませんからわかりませんが、事国保に関しては、私は最近数病院の実態を見て来ております。それから私も現に国民健康保險の五つの病院を直接経営する立場に立つておりますが、実際を申しますならば、今の国保の病院があなた方の連合会の立場において別に悩みはないというようなお考え方であつたならば、失礼でありますけれども、私はもう少し掘り下げて考えていただきたいと思います。今の国保の病院が、いかに医者が犠牲的な特殊な気持でなかつたらやり得ないか、あるいはそれを援護する人たちの精神的な協力がなければ維持できないかということには、相当苦しんでいるはずであります。これは私は数十箇所の病院を見て言うのであります。でありますから、はなはだ話がそれますけれども、特にこの点は、あなた方が最高の連合会の立場におつて、末端の病院が苦労なく大過なくやつておるというような見解であるならば、一言私は国民立場からもう少しつつ込んで御調査願いたいということをお願いしておきます。  それから最後にもう一つ、国保、健保両方の方に、はなはだ意見がましいことでありますけれども、私がひとつお聞きしたいことは、医療費が上つては困るというその医療費の問題、医療内容の問題、それから国民利便の問題、この三つがこのかぎを握るのだ。従つて医療費が上るか上らないかということは、今はつきりはわからないが、国保の方ではあるいは上るかもしれないと言い、健保の方ではこれよりは上らないだろうということを結論としてここに出されております。にもかかわらず、ここで今全国一律にやるならば、農山村というふうなところは不便が来るだろう、だから法律でやるにしても特定な地域から、あるいは特定の除外地域を設けて実施したらどうかというような御意見に承つたのであります。そういたしますと、こういうことに対してはどういうふうにお考えになりますか。かりに医薬分業の方がよろしいということになるならば、その地帯におる人の方が恵まれているという結論になりますね。そうしますと、現在の補償制度さえも、ここに健保、国保の両代表者がおりますけれども、同じ国民でありながら、国家医療に対する補償の恩典というものは、雲泥の差を持つているわけであります。なお詳しく申しますならば、大体今のうしろ方の国保に属している人たちはその対象は農山漁村、中小企業の人たちで、前の健保に属している人たちは、要するにサラリーをもらう人、あるいは労働報酬として特定な契約によつてもらう人である。しかしながら今の日本の国情からいつて、はたしてそれならば、一般の国民層と称する国の半分を占める百姓たちは、自己の利益のために企業として成り立つ仕事をやつているのかと言うと、やつておらぬ。まつたく生産費が幾らかかろうと、政府がきめた代金はくぎづけせられている。そういうふうな公的な立場においても、その保險制度の出発点が違つておるがゆえに、こういうふうな雲泥の差があつても、この国会においてもなお解決つかないでいる今の国情なのです。分業化されたときに、その地帯の人はその上にまた恵まれなくてもいいんだという結論が出るわけであります。その差別ができるということは、私は健保の人たちは、都市あるいは特殊な労働者を中心にするから、そういう意見が出てもまだ許せるのでありますが、国保の人たちからまでそういうふうな意見が出るということは、私個人としては実に遺憾に感ずるのであります。私の率直な気持を申し上げれば、これに対して差別がよりひどくなるのだという見解になると私は思うのでありますが、その点はどうお考えになりますか。
  46. 上山顯

    上山参考人 仮定の事実といたしまして、たとえば六大都市は即時医薬分業をやる方がいい、それ以外の土地についてはまだ時期尚早だからもう少し様子を見てやろう。かりにこうきまつたといたしました場合に、六大都市はただいままでよりもよくなるわけでありますし、六大都市以外については今まで通り。そういう場合に、六大都市以外の人については、なるほど六大都市は非常に便利になつた、自分たちは今まで通りだ、ということであろうと思いますが、しかし自分たちの方としては、今は医薬分業をやらない方がいい、いわばそちらの方はけつこうだというのでありますから、六大都市で今までよりよくなつたということについて、けしからぬという議論は出ないのじやないかと私は思うのであります。これが何か国民全体から税金として取りましたものを、一部の人たちだけ恩惠にあずかるような施設をするというようなことでありますならば、これは御覧のようないろいろな苦情が出るかとも思いますが、別にそうじやないのですから……。これは私の感想でございます。
  47. 江口清彦

    江口参考人 国保の方では、実を申し上げたところでは、これにつきまして進んだ研究をしておりません。研究中でございまして、ただ概括的に見まして、医療費が同じ上るなら、もうしばらく見合せてもらいたい。そうしなければ今非常に経済的に行き詰まつたところに、むりしてまでこれをやる必要はないのじやないか、こういうような考えであります。
  48. 金子與重郎

    ○金子委員 ただいま御答弁がありましたが、私の申し上げたことがよく健保の方におわかりにならないと思いますので、誤解されるといけませんから申し上げます。今度の医薬分業の問題は、すでに個人的な立場における任意分業であることは御承知通り。その任意分業が何ゆえにその実をあげて行かないかということは別といたしまして、任意分業であることは事実なんであります。そして六大都市はやりたいからやるんだ、ほかのやつは反対だからやりたくない、こういうふうな地域的な任意の制度をつくろうというのではありませんで、法律としてどことどこをやる、どことどこは除外をするということで、好むと好まざるとにかかわらず、法律として制定されるのであるということでありますから、すきだからやつた、お前の方はすきでやらないのだから損じやない、だから国民として不公平じやないのだというお考え方は、これは当らないと思います。事、法としてなりますときには、制度でありますから、好むからやるとか、好まないからやらぬ、そういうことはないのであります。従いまして、そのやらない地帯にはやらないような機会均等の制度が行われなければならぬのであります。その点は誤解のないようにひとつお願いしたいと思います。
  49. 上山顯

    上山参考人 ただいまの点は、私の言葉の表現がまずかつたかもしれませんが、誤解はいたしておりません。もちろん法律で六大都市のみにやるのが適当であるとして、六大都市のみに分業をやらせる、こういう趣旨でもちろん私了解しておりますから、私の言葉の表現がまずければ訂正いたしますが、その点誤解いたしておりません。
  50. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次は堤委員
  51. 堤ツルヨ

    ○堤委員 私オリンピツクの方にお伺いいたします。たとえば世界の地図は文明の進度に伴つて縮尺されるのでございますし、一つの独特のシステムであり得ないから、先進国に追いついて行くべきであるというような御意見、これはわかるのですが、これは経済的な国国の状態というものをどの程度お考えになつているかということを聞かせていただきたいと思います。その国の経済事情というものが非常に影響するのですよ。それに單なる地図が縮尺されることによつて、單独の一つの国だけが單独のシステムであり得ない。もちろん單独のシステムであり得ないということはわかるのですが、おのおの国情を異にし、経済状態を異にしているのですよ。その点をあなたはお考えになつておらないように思うのですが、どうでしよう。
  52. 坂入虎四郎

    坂入参考人 私は今の御質問に対して、もちろんいろいろな点で国が生れて来る歴史というものが、そこにいろいろ関係して来ると思う。しかし今度の医薬分業によつて、その制度をつくるために特別に国庫の補助なり、国民負担なりがかかつて来るものではありません。そういう点から行きまして、経済というものはそこに一つ影響して来ないというふうに私は考えます。たとえば医薬分業により、こういう一つの設備をしなければいかぬ。そういうことならば、そこに経済的に負担がかかつて来るかもしれませんけれども、現在動いておるものを、ただそういう一つのわくをきめたというだけでありますから、私は一つもそこに経済的な特別な負担はかかつて来ないと思います。
  53. 堤ツルヨ

    ○堤委員 それから国保の方にお伺いしたいのですが、モデル的にやつて見るのも一つ方法であるという御意見がございました。これはやはり詳しく承つてなかつたのですが、たとえば六大都市であるとか中間的な小さな町であるとか、また徹底的な寒村僻地であるとかいうものを対象にして、それぞれのその立場におけるモデル的なものを持つたらいいのだろうというような御意見でしようか、どうでしようか。
  54. 寺島眞

    寺島参考人 これはもちろん強制分業でありますからやるとすれば全国的にやる。ただこれに国家財政その他の問題が相当からんで来る問題だと思います。そこで全国的に郵便局を置くように薬局を置かなければこれはできませんので、そういう経費もかかります。またその他の先ほど申し上げましたように、むり、不安を伴つて来ますから、やるとすれば、最も可能な地域——これは町村とか都市とかを問わず——そういう條件整つたところは、やはり相当の都市であろうと思いますが、そのやり得るようなところを選んで、その條件にかなつたところをむり不安を除去する手段を講じて、その上でひとつやつてみる。実際それを実施した場合に、相当また思わぬ障害が出て来るかもしれませんが、そういうところに処置を講じて、そこで次々に国家財政とにらみ合せて、全国的の対象にして行く、こういう考え方であります。
  55. 堤ツルヨ

    ○堤委員 この国民生活の今窮迫しましたときに、どなたもおつしやいますように、一番この医療費がかさむということが問題になつておるわけであります。でありますから、これは私たち真剣に早急に解決しなければならない問題でございまして、たとえば日ごろ健康保險の方々、国民健康保險の方々よりも、いろいろ参考資料などももらつておるのでありますが、この医薬分業の問題にいたしましても要するに私は医者代のかさむということが、第三者の立場からいえば一番問題になつておるように、朝から皆さんの御意見を承つておると思うのであります。でありますから、これは要するに、私たちから言わせますれば、医療費というものが国民全般に対して国庫補助の線に行かなければならないのでございますが、今そういうふうには参りません。それでどうかひとつこういう点につきましても、お医者さん、薬剤師立場を離れて、ごやつかいになる健康保險または国民健康保險の組合の方々が、今やかましい医薬分業論を前にいたしまして、どうか確とした最低線を出して、もう少し迫力をもつてつていただいた方がいいのじやないか。一番大切なのはやはり国民で、どこの医薬分業論を見ましても、近ごろはお医者さんや薬剤師も、いつも大衆中心でなければならないということをおつしやつてくださるようになりました。前はおつしやらなかつたのです。でありますから、この点ひとつ私はきようおいでになつたような方々の御意見が、やはりごやつかいになる医療費がかさんで困つておる国民の声を、しろうとではあるけれども語つてもらうのではないかと思いますので、きよう承つたのは、時間もございませんが、ひとつデーターでもつて、もう少し迫力のある御意見を承りたいと思います。
  56. 寺島隆太郎

    寺島委員長 他に御発言ございませんか。——なければ委員長から江口参考人にお伺いしたいのでありますが、御所論中、薬品国家管理に及ぶべしという具体意見が、結論的には把握せられたのでありますが、これは国保といわず健保といわず、両者において検討願いたい当面の問題でございまして、医薬分業が是なりや非なりやという一つの当面の問題に関する結論を出す前に、健保の患者もしくは国保の患者に與えられる楽の、私どもの実態調査によると少くて三割、多くて七割五分程度が、広告費と包装費に費消せられておるというような事実を、健保といい国保という社会政策の一環をなす医療体制においては、今後とも御検討なさる御意思があるのか。観念上の問題を、一個の実行に移すお気持があつての御発言なりやいなや、意見が入りますが江口さんに伺つておきます。
  57. 江口清彦

    江口参考人 医薬分業をかりそめにも進行せしめるには、少くともこの薬品の統制、進んでは国家管理まで行かなくては片手落ちではないか、こういうことを考えまして申し上げたわけであります。
  58. 寺島隆太郎

    寺島委員長 了承いたしました。  午前中はこの程度にとどめ、午後一時より再開いたします。     午後零時二十五分休憩      ————◇—————     午後一時二十四分開議
  59. 寺島隆太郎

    寺島委員長 休憩前に引続き厚生委員会を再開いたします。  午前中に引続き医薬制度に関する件を議題とし、本件に関連して御出席願いました参考人各位から医薬分業問題についての御発言を聽取することといたします。  この際委員会を代表いたしまして、委員長から参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。御多忙中にもかかわらず、わざわざ御出席くださいましたことを、あつく御礼申し上げます。何とぞ隔意なき御意見をお述べ願いたいと存じます。  まず北大教授中谷宇吉郎博士の御意見をお述べ願います。
  60. 中谷宇吉郎

    ○中谷参考人 私は本来物理学者でございまして、こういうところへお呼出しを受けることは、專門が違いますが、先般医薬分業に対してちよつと随筆みたいなものを書きましたのがたたつたのだろうと思います。私といたしましては、今日は評論家としての立場と、物理学者としての立場と、それから大学の教授をしておりますので、教育者としての三つの立場からだけに話を限つて申し上げます。  まず評論家としての立場から言いますと、こういう問題には、やはり感情というものを無視してはいけないのじやないかと思います。よく友人から、お前は医薬分業に反対したものを書いたそうだが、それが通つたらどうすると言われますと、私はそんなことのないどこかの国に職を求めて行きたいと思つていると言います。なぜそんなにそういう問題にむきになるのかと言われるのでありますが、私はせめて死ぬときくらいは、自分の信用する人から薬をもらつて飲みたい。薬局を信用する人は薬局の薬をのむ。それから診断を受けている医者を信用する人は医者からもらう。それはどちらでもいいのでありますが、そういうことを法律でもつて、しかも自分で銭を出して買うのに、どこからは買つちやいけないなんというのは、まつぴらだと言うのであります。要するに、これは感情問題でありますけれども、こういう感情を無視いたしましてこういう問題を論じてはいけないという、それが一つの評論家としての立場でございます。  それから物理あるいは科学者としての立場から申しますと、薬品というようなものは、非常にむずかしいものでありますし、それから日本の現在の生産工業の水準というものは、アメリカやドイツから見ると、非常に劣つているのでありまして、私たちいろいろな機械を使つたり薬を使つたりいたします際に、始終それを痛感しているのは、日本の現在のいろいろな科学技術的な方面は、あるところは以前のドイツ及び現在のアメリカなどと、そう劣らないように行つておりますが、一つ非常に困ります問題は、製品の均一性が足りないことであります。日本で現在いろいろなものをつくつて、カメラのごときものは、ドイツのライカにも劣らないものができておりますが、しかし当り外れがある。この製品の均一性というものと、あるものはできるということと、それが実際に市場に出ているものの均一性が保たれるということとは、その差が非常に少いように見えましても、実は非常に大きな差なんであります。たとえば薬品というようなものは、現在は日本であらゆるものができておりますし、——私それの專門ではありませんから、その均一性というようなことに対して批評することはできませんけれども、同僚の人たちが始終そういうものを分析いたしましたり、調査をいたした結果を聞いておりますし、またこれは私らのほんとうの專門の方の問題でございますが、たとえばある化学製品というようなものは、ある程度純粹ならば、あるいはまた極端にいえば、百パーセント純粹ならば、それの性質は一定だとは限らないのであります。たとえば油絵に使う絵の具のようなものでありますが、同じカドミユームの硫化物でありましても、ルブルンの絵の具の色と、日本でつくつております絵の具の色とは非常に違う。非常に違いますが、しかしこれを分析してみたならば、同じ結果が出る。化学的に分析してみれば同じ結果が出ても、たとえば、色というような問題になりますと、まるで違つたものができる。ですから、おそらく人間のからだの中に入りましての生理現象に対する作用も、化学成分が一定ならば同じ作用をするとは限らないと思います。そうあつてしかるべきものでありまして、結局どこの会社の、たとえばドイツの何とかの会社の薬がいいとか、スイスのどこのものがいいとかいうようなことを言いますのは、こういう化学分析にかからないところの微妙な、すなわちこれはほんとうは物理的性質なんでありますが、その物体の物理的性質によつてきまると言つてもちつともさしつかえない、またそうあるべきだと思います。それを簡單に化学成分がこうならばこうだというのは、一見科学的に見えて、決して科学的ではないものの考え方ではないかと思います。それで結局この薬というようなものを、実際病気をしまして自分がのみます場合には、信用で行くよりしようがない問題でありますから、やはりこれは各人が自分の信用する方を選ぶべきだ。法律でもつてそういうことに干渉すべきものじやないのではないか。非常に理想論でありますけれども、そういうふうに考えております。  それから最後に、大学に勤めておりますので、教育者としての立場から申しますと、こういう問題は、現在のアメリカのように、自然と医薬分業になるように、社会教育を、国全体の水準を上げて、文化の水準を上げて、社会状態をよくして、自然とああいうふうになるようにやることが、社会教育者の努めである、そういうふうに考えておる次第であります。ですから、私は医薬分業自体に反対するのじやないのでございます。こういう問題は社会教育の力でもつて、国の文化の水準をだんだんに上げて行つて、自然にそういうふうになるようにやつて行くべきものであつて、一挙に法律などできめるべき筋合いのものではないのじやないか、そういうふうに考えております。かような意見を持つております。
  61. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次に弁護士中本光夫君に御意見をお述べ願います。
  62. 中本光夫

    ○中本参考人 ただいまの方から、かなり專門的お話がありましたが、私はきようは、ある御質問に対して、イエスかノーかというふうに事が運ぶのだという考えで参りましたもので、まとまつた意見というものをるると述べにくいのであります。全然ずぶのしろうととして、この医薬分業に対しての私の意見を述べさせていただきたいと思うのであります。  元来医師薬剤師も、お互いに国家試験を受けてその資格を得ているのでありまして、それぞれ自分の職務について責任を持つておる。従つて医師薬剤師も、おのおのプライドを持つていただきたい。卑俗な表現をいたしますれば、医師診察料に重きを置かないで薬を売つているという感じを受けること、なお薬剤師といたしましたら、薬を売るのか化粧品を売るのかわからないというふうな状態でなくして、おのおの自分の責任ある仕事をやつていただきたい。ことにそういう立場から見ますと、医師診察治療に專心努めていただきたい。薬剤師医師の処方箋に従つて、忠実にこれを実行していただきたい。ときにいなかのお医者さんのところでは、奥さんが主人の医者の処方箋に基いて調剤されるということも多々あることであります。これもやむを得ないことではありましようが、しかしいやしくも薬学においては、薬学という学校もあり、国家試験で薬剤師という地位を與えられておるのでありますから、われわれが生命を託するといたしましたならば、最も診察治療技術を修養された医師に、正確なる診断を仰ぎ、その処方箋に基いて責任ある薬剤師が忠実に調剤するということにおいて、われわれの衞生が、そうして生命が完全に維持できるのではないかと思うのであります。従つてこの際、医薬分業ということは、法律をもつて画然とされるべきものだと思うのであります。ただこれはある程度飛躍的になりますので、先ほどお話のありましたように、社会教育上いうものから、みなの、一般民衆の科学心をもつと高揚して、しかるのちに各人の判断においてやり得れば理想的ではありますが、この際法律をもつてこれにかえるよりほかに、方法はないのではないかと考えられる次第であります。  簡單ですが、医薬分業については、立法できめていただきたいと申し上げ終ります。
  63. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次に弁護士、山崎佐君の御意見をお述べ願います。
  64. 山崎佐

    ○山崎参考人 私もただいま中本さんが冒頭に申しましたように、こういうことに不なれなために、実は皆さんからいろいろな御質問があつてお答えするという意味でなく、まず最初に私の意見を申し述べたいと思いますが、約四十年間医師制度についての講義ばかりをやつておりましたので、いささか講義めいてきますけれども、お許しを願いたい。  医薬分業の問題については、大きく問題になつたのは今回が三回目でありまして、この前の昭和十年の大問題のときにも、私はぶつかつたのでありますが、医薬分業に賛成である、あるいは反対であるという人の御意見を、できるだけ広くあさつてみたり聞いたりいたしました。ところがそのいわれるところの医薬分業は何かということを、おきめになつていないように思うのです。かつて田代義徳という医学博士の方が、医薬分業賛成者でありました。入沢さんやその他われわれの周囲におきまして、医薬分業は賛成だというので、私は田代先生の医薬分業というのはどういう形ですかと言いましたら、二二が四、それが医薬分業だ、あたかも四のようなものだ、こう言うのです。それで私は、いやそれは違います、五マイナス一が四ですし、三プラス一が四であつて、單に医薬分業ということをひつくるめて言つて賛否を問うということは非常に危險だ、こう申したことがあります。最近この問題がはげしくなつてから、いろいろな医師団あるいは薬剤師団の方の御意見、あるいは第三者の御意見を聞いたりすると、それをきめないで言われているようであります。最も多いのは、医者患者に薬をやる場合には、必ず処方箋を書いて薬剤師のところで調剤してもらえというのが医薬分業だ、どうだ山崎、お前はこれに反対か賛成かと聞かれるのですが、私はもしそういう大ざつぱな意見ならば、それは反対だと言うことに躊躇しないのでありまして、おそらく医者患者に薬をやる場合には、必ず処方箋を書いて渡せというような制度は、世界中にないと思うのであります。たいへん講義めいて恐縮ですが、私は納弁でありますし、頭が悪いために図表を持つて参りました。  まずこれをごらん願いますと、医師診察をいたしまして治療の計画を立てます。ここが治療という方面であります。そこでその医師治療がどういう形で現われるかというと、医師患者に直接にやる直接治療と、それから間接治療にわけます。それで直接の治療を二つにわけまして、薬で治療の目的を達するものとその他の方法、あるいは手術をしたり、あるいはマツサージをしたり、あるいは拔糸をしたり、いろいろ薬によらない。これは非常にたくさんなものが、その他の治療に入ると思います。さて薬による治療のうちに、医師がその薬を使用して治療の目的を達するものがあります。その治療をする場合に薬を説剤して使用する場合と、それから調剤せずして使用する場合とが現われて来るのであります。それから次に医師が使用しないで、薬を患者または第三者に與えて、それを患者または第三者に用いさせて治療の目的を達しようという投與、交付、授與があります。ここに第三者というのは、小兒科のごときは、患者に與える場合は絶対にないのでありまして、必ず第三者に與える。あるいは精神病院なんかでは多くは患者に與えない場合が多いというので、患者または第三者に——法律では投與とか交付とか授與とかいう文字を使つておりますが、みんな同じで、患者または第三者に渡して、それを使用させて治療の目的を達する。この場合に調剤して與える場合もあり、調剤せずして與える場合もある、こう考えるのであります。  そこで今度は間接治療の方に移りますが、間接治療医師が直接治療をしない。その他の者が入つて間接に治療の目的を達しようといろ方法であります。その一は指示であります、つまり教える。これは産婆や看護婦、今は助産婦になりましたが、その規定によりまして、薬品を指示してはいけないという規定の通り教えるのであります。これはあなたは硼酸水で含嗽しなさい、あなたはアスピリンをおのみなさいというように教えるのであります。この中でやはり患者医者から教わつた通りにやる場合に、薬による場合と薬によらない場合があります。そうしてその薬も調剤となるものとならないものがあります。この場合は全然しろうとが多いのでありまして、ごく簡單な例を申しますと、どうもむかついていかぬ、そんなら重曹に酒石酸をまぜてラムネをこしらえてお飲みなさいと言つて、その患者が自分でそういうものをつくり、調剤として用いる。それから全然調剤でない、食後アスピリン錠を一つずつお飲みなさいというようなものは調剤とならないものであります。それから次には治療方法を書面にしたためまして、そうしてその書面通りにその方法を実行して行つて治療の目的を達する療方箋というのがあります。これは法律では処方箋というふうな文字を使つておりますが、これは説明には明らかに区別すべきものだと思うのであります。なぜかというと医師法の施行規則にも、医師は処方箋には必ず薬名、分量、用法、用量を記載すべしとありまして、処方箋といえば必ず薬を書けということになつておる。もし薬も書かなければ罰しておるのであります。ところが従来の明治以前の医者治療は薬ばかりでありましたから、処方と療方箋とが合致しておりましたけれども、現代の治療は薬によらない場合がかなり多いのでありまして、その一番いい例は眼科医の眼鏡検定であります。眼科医が見て、あなたはこういう眼鏡をかけなさいというときには薬も何も書いてない。だけれども、あれは処方箋と言つておりますが、医師法の薬名、分量、用法、用量を書かないということになるのでありまして、あるいは特殊病院の食餌箋、あるい温泉療法の散歩箋、いろいろなものが出て来る。そこでひつくるめて治療方法を書く書面というので療方箋、これを二つにわけて、薬を書く場合を処方箋、薬を書かない場合を狹義の療方箋とわけまして、そこで薬を書く場合に、その処方箋に基くものが調剤となるものと調剤とならないものとがあります。処方箋に基いて薬をやつても、すべてそれが処方箋とは限らないのでありまして、たとえて言えば、アスピリン錠を食後一個ずつのめということを書いて、薬名、分量、用法、用量を書いて渡しまして、その処方箋をもつて薬を処方箋通りやりましても、これは調剤しないで目的を達する。そこでこの処方箋に基いたからといつて、必ずしも調剤とは限らない、調剤するものと調剤しないものとがある。大体大ざつぱにわけますると、治療というものがこういうことになるのではないかと思います。  なおこれにつけ加えまして、治療ではありませんが、医師診察方法として薬を用いる場合があります。まず診察の手段に、ある薬を用いて様子を見るというふうな方法があります。その中にも調剤してやる場合と調剤してやらない場合がある。  しかしてこういう治療内容を分析しまして、医薬分業というものは何を言うのかということになりますと、ここに赤いしるしをつけてあります直接治療のうちの薬によるのが目的のもの、しかもそれを患者または第三者に與えてそれが調剤となる場合に、初めて処方箋のうちの調剤に行く、これが医薬分業制度であります。医者から薬をきつてしまうというような医薬分業制度は、世界中ありませんし、またやれないのであります。またたとえて申しますと、ここにある手術をして、薬剤師を持つて来て薬をもらうということはどこにもないことで、また考えられないことであります。ただ先ほど言つた患者に薬をやる場合に、それが調剤である場合は処方箋を書き、そうしてその処方箋を薬剤師のところへ持つて行つて調剤してもらうかどうかが医薬分業になる。従つて調剤せずして與える場合には、医薬分業の問題にはならぬのであります。すなわち聞くところによりますと、米国におきまして盛んに錠剤を使う。これは調剤でないから、処方箋をやらないで医者がぽんぽん錠剤をやるというのは、この投與のうちの調剤せずしてということになる。極端な例を言うと脱脂綿をやる。これは調剤でないから、処方箋を書かなくても医者がやれるということになります。  さてこれはいいか悪いか、これに賛成するかしないかという問題でありますが、この制度がよいかどうかを論ずるには、ここに掲げてありますが、医療制度批判基準三原則というのであります。一体世界中の制度を批判するには、これを標準として批評しているのであります。まず米国の制度日本制度を比較し、それからドイツの制度と英国の制度を比較するというような、あるいは沿革的に日本でいえば、平安朝の医療制度と鎌倉時代の医療制度はいいか、江戸時代の医療制度と今のがいいかということは、言うまでもなく主観とか利益の問題でもなければ、ただ漠然とこうすれば世人が喜ぶとか、こうすれば世人が困るだろうというだけでは割り切れないのでありまして、おのずから一つの標準がある。その標準が大体三つに帰納されておるのであります。  また簡易、普遍、完全であります。かりにさつき言つた医薬分業制度医者が薬をやる場合には——調剤してやるときには、まず処方箋を書いて向うで薬剤師にもらうという制度を考えております。それをやめて、それが簡易であるか普遍であるか完全であるかという、この三原則によつて批判すべきものであると思うのであります。簡易とは何かといいますと、手続が簡單でなければならぬのでありまして、聞くところによりますとある報告ではソビエト・ロシヤが医療を管理した。歯を一本拔くにもたくさんな歯をもらつて、約一箇月かからなければ歯の一本拔けないという複雑では、これも簡易とはいえないのであります。日本でも明治初年、各府県に病院ができましたときに、医師の往診を願うのは往診願書というものを書きまして、往診御願い申し上げ候というと、院長は右許可すということで往診がやつて来る。その原本は私数通持つておりますが、そういうふうにのこのこ院長に来られたのではこれは簡易でない。ところが今日の状態を見ますと、医師のところへ痛い腹を押えて飛び込めば、默つていても治療してくれる。手続も何もいらぬ、手続はしごく簡易であります。  さてこの簡易に、もう一つは料金が適当であるかどうか、医療報酬が妥当であるかということが、この簡易の中に考えられるのであります。往来でけがをした、金の持合せがない。すぐ医者のところに行つても、医者治療してくれぬ。多くの場合には現金拂いもありますが、現金持たずに、けがでなくても医者のところに行けば、医者は先に患者の顔を見て、お前きよう金を持つて来たかという、ふところの診察からは始めないのでありまして、まず診察治療する。それであした来いといえばあした治療に行く。さてなおりましたのでお金を拂う。お医者さんの方は現金を持たずに飛び込めるが、さて処方箋をもらつてから薬剤師のところに行きますと、現金を持つて行かなければ薬がもらえないということになる。さればなぜといいますと、それは現金を持たなくても調剤をすぐしてくれる薬局があるかもしれませんが、今までのところでは、われわれの経験では、お医者さんからはその診察料も拂わずに診察を受けて処方箋をもらつて来る。さてそれから現金をふところに入れて薬局に持つて行かなければ薬がもらえないというところになりますと、この手続というものがそこに最も簡易なものから段階ができて来るのであります。  次には普遍であります。病気は四六時中起るものでありますので、時間的に普遍でなければならぬのであります。土曜日の午後はいかぬとか、日曜日は病気が起つてはいかぬとかいうようなことはあり得ないのであります。四六時中いつでも診療を受けられる、しかも地域的普遍でなければならぬので、都会ばかりに集中しておるとか、無医町村が三千町村もあるというようなことではこれは普遍ではないのであります。もう一つは階級的普遍で、金持だけは診療を受けられるが、貧乏人は受けられないというようなことでは、今地位というものはないにしても、実際には社会的に世の中にはある階級があるのでありまして、階級的に普遍でなければならぬ。こういうように簡易普遍であつても、その医療というものがインチキであつてはならぬし、粗診、粗療であつてはならぬので、医療の完全性、すなわち今日の現代医学のさし示すできるだけ最高なものでなければ医療制度としては完全しない、こういうことになると考えるのであります。  そこで話がもどりまして、先ほどの医薬分業、私の考えている医薬分業というものをこれに当てはめますと、これを法律で強制して、医師患者に薬をやる場合には、それが調剤でなければよろしい、調剤であれば必ず処方箋をやらなければならぬということに強制的にきめてしまうと、この簡易、普遍ということについて、現地のわが国については、よほどの隔たりがあるのではないかと思うのであります。一つの例を申しましても、病院では御承知通りに皆薬剤師を必ず置かなければならぬ、現に昭和八年から一つ医薬分業の形をとつております。ところが診療所には薬剤師を置かない、そこに入院する。今度は四十八時間しか入れない。入つてそこで一室に收容してもらう。薬をやろうというと、これは当分のところに入院はしておる、收容されているけれども、その処方箋を持つて医者さんから薬剤師のところへもらいに行つて来なければならぬというようなことになるのであります。これは非常に簡易でなく、非簡易ということになるのであります。こういう建前からして、私は現に医薬分業というものにお前は賛成であるか、不賛成であるかといえば、私は賛成であります。その賛成だというのは、今日の状態、すなわち病院あるいは三人以上の医師が常時勤務するところにおいては、現に医薬分業が行われておる。薬剤師を置いてやらなければならなぬということになつておる。それからいわゆる世間にいう任意分業医者からもらいたければ医者からもらう、薬剤師からもらいたければ薬剤師からもらえる処方箋をくれということもできるし、また医者によつては、家庭によつて処方箋を置いて行こうというのもあるのであります。それでけつこう。もしこれを法律で強制しますると、薬はどこえ流れて行くかというと、処方箋を書かずして、調剤せずして投與という、おそらく錠剤の方へ行つて、結局錠剤を投與する。いわゆる米国でしきりに昨今やられておる方法行つてしまうのだろうと思うのであります。それで、もう時間も大分たちましたし、他の方におじやまになりましようからやめますが、従来も日本では明治七年に医制で医薬分業を採用したじやないか。それが今まで遅れて来たという沿革でありますが、この沿革については、もし時間をたまわれば、いちずにはそうは言えない、それから明治七年にはなぜあれを採用したかということについて申し上げたいと思うのであります。これはもし皆さんから何か述べろと言われたときに述べることにいたしまして、この程度で私の意見を終ります。
  65. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次に神奈川県中郡金目村村長の柳川力君から御意見をお述べ願います。
  66. 柳川力

    ○柳川参考人 私は小さい村の村長であります。そうして村民の国民健康保險を実施しております。農村で貧乏になりますのは女道楽とばくちでなければ、働き手の病気でございます。私はこの働き手の病気から来る貧乏を、農地開放のあとの新しい農村から、ぜひ自分たちの力でできるだけ取去りたい、そう考えまして、戰争中ほとんど休止の状態でありました国民健康保險を復活させまして、そうしてその結果から申し上げますと、ただいまの制度で参りますと、非常にまじめな先生もありますけれども、中には薬を売るというような傾向がなくはないと考えられるのであります。そういうような点から申しますと、今の制度では少くともあきたらないということが申し上げられます。これは処方箋をもらつて薬局からもらうのも自由なはずでございますけれども、そこはやはりかかりますと、人情でございまして、そのまま先生の手になる薬をもらつて来る、そういうような傾向がございます。原則といたしまして、そういうふうな実際の仕事の上から通してみまして、一応分業制度のしかれることがけつこうだと考えております。しかし分業いたしましたことによつて、ことさらに不便をこうむるようなことは、何とか制度の上からいつて避けていただきたいと考えております。薬局のございません農村から、わざわざ町まで出ていただくというようなことは、できないことでありますので、こういうような場合には、やむを得ず現在の制度をそのままその地方では続けるよりしかたがないかと思いますけれども、原則といたしまして、医薬はぜひ分業行つていただきたい、こういうふうに考えております。  非常に見解の狹い者でありますけれども、自分の職責を通して、感じたままを申し上げた次第でございます。
  67. 寺島隆太郎

    寺島委員長 委員諸君に御質疑はございませんか。
  68. 丸山直友

    ○丸山委員 柳川さんにちよつとお伺いしてみたいのであります。柳川さんの御意見は、非常に簡單でありまして、いろいろの他の條件お話がございませんでしたので、どうお考えになるかということをお伺いしたいと思います。薬を売る医者があるという現状で御不満足であるということは、私どもにもよく理解ができるわけであります。しかし国民保險を実施して、その経営の主体となつておられる村長さんといたされまして、分業になつて医療費が高騰するか、あるいは下るか。それによつて村でやつておいでになる国民保險経済がどういうふうな影響を受けるであろうかということに対するお見通しはございませんでしようか。
  69. 柳川力

    ○柳川参考人 その点につきまして、ただいま国民健康保險では、調剤の場合は薬品実費にたしか調剤料が四円であつたかと考えております。その程度から申し上げますと、全般的なものから考えまして、投薬部分はあまり大きくないと見ておりますので、大した大きな狂いは出て来ないではなかろうかと考えております。
  70. 丸山直友

    ○丸山委員 さらにお伺いいたしますが、さよういたしますと、医薬分業になりましても、現在の医療報酬組織はそのままにしておいて、点数もかえず、單価もかえず、調剤料というものの設定もせず、ただ現在のままを分離して、薬品を與える面だけを考えて行く、そしてそれによつて医者の生活ができるとお考えになつていらつしやつて、そういうお考えが出るでしようか。
  71. 柳川力

    ○柳川参考人 ただいまのお話で、点数から何からそのままにすえておくのか、こういうふうなお考えでございますけれども、点数というものは順次かわつておりますので、漸次かわるものと考えております。そうしまして、医療というものは、やはり私たちは広い世間を見ておりませんけれども、結局私の見ておりますのは、村民のふところが立体でございますので、その点につきましては非常に見解が狹いのでございます。私たちの村民は、やはり喜んで医療費の拂えるような方法でなければならぬと考えます。現在の薬餌料の中には、私たちかけ出しでよくは存じませんが、点数の設定当時から、先生方の技術料に相当するものが入つておるのだというふうに説明を聞いております。ここに何か具体的な方法が加えられましたら、何とかなるのではないかと考えております。
  72. 丸山直友

    ○丸山委員 その点につきまして、少しまだお考えが足らないということを感ずるのであります。午前中に国民健康保險組合の団体連合会の方たちお話も承つたのでございますが、この方たちお話によりますと、医薬分業が行われた場合には、医療費が上るか上らないか確定しない、わからぬ、結論が出ておらぬというのが江口さんという方の御意見でございます。同じ団体で、寺島さんの御意見は、医療費は高くなる懸念があるというようなお考えであります。私どもから考えますと、今の薬餌料というものの中には、処方箋料あるいは再診料その他の人件費というものを包含したものを薬餌料という名義で実はいただいておるわけであります。これをただ分離いたしまして、薬品の原価に調剤手数料というものが新しくこれに加わる。いわゆる医者調剤手数料というものを見ておらぬのであります。現在は診察料、再診料、処方箋料というようなものを見ておつて薬餌料というものが出ておるわけであります。調剤手数料というようなものは見ておらぬ。それが新しく加わるということは、その総和ということから見ると、医療費がそれだけでも高くならなければならぬ。それからもう一つ考え方から申しますると、薬剤師の方へ参りますると、医療費計算の中には入りませんけれども、都市等において行われまする場合には、その人が一たび診察を受けて処方箋をもらつたときに、再び薬剤師のところへ参らなければならない。参る交通費というものがそれに必ず加わる。すぐ隣にでも薬局のある場合はよろしゆうございましようが、東京都の場合には、これは医療費計算の中に入らぬ。交通費になる。しかし本人の負担になるということは間違いない。そういうようにいろいろ各通り考えますと、分業にした場合に必ず医療費の高騰になるということが考えられる。そこをお考えになつて、なお分業に御賛成になつているのがどうかということをひとつ伺いたい。
  73. 柳川力

    ○柳川参考人 ただいま医師立場からというお話がございましたが、私はここでは衆議院の厚生委員会にお呼び出しになつたものと考えておりまして、おいでになります中には、医師もしくは薬剤師の方があるということは、全然頭に考えておりませんで申し上げておりますので、その点はお許しを願いたいと思います。ただいまのようなこまかな問題は、一つ一つにはいろいろな問題があると考えておりますので、確かにそうおつしやいますような、交通費があるいは余分にかかる場合もあるかと思います。またかからない場合もございましようし、そこはこまかい問題で、私たちにはよくわからない問題でございます。
  74. 丸山直友

    ○丸山委員 まだよくおわかりになりませんければ、その程度でけつこうです。  中本さんにひとつお伺いいたしますが、先ほどのお話でございますと、調剤とそれから診察でございますか、このものは医師薬剤師がそれぞれ專門分野でやつた方がよろしい、こういうようなお話があつたと考えます。私どもの考えておりますところでは、調剤をするということは、もちろん薬剤師仕事一つでございます。しかし調剤ということは、薬剤師專門的にやらなければならないというふうなお考えなのでございましようか。また医者は、調剤というものはまつた專門外であるけれども、便宜上やつておる、こういうふうな御見解で先ほどのお話があつたのでございましようか。
  75. 中本光夫

    ○中本参考人 ただいまの私の知つている範囲では、医師というものは処方箋と薬理学を学校でやつておるように考えておる、そういたしまして薬剤師の万は薬自体については相当鑑定もし、分析もしておる。そういう立場から見たら、やはりおのおの最も專門的な分野にわかれた方がいいのではないか。医師が決して調剤ができないというわけではない、ただ專門々々によつてはつきりした方がいいのじやないかと思います。
  76. 丸山直友

    ○丸山委員 どうも私よくのみ込めないのですが、薬剤師は薬剤を專門とするものである、こういうふうにお考えなのでございますか。
  77. 中本光夫

    ○中本参考人 今盛んに調剤々々とおつしやいますけれども、調剤一つの部門で、專門的に薬そのものを知つているのだから、薬剤師調剤する方が理想的だと思つております。
  78. 岡良一

    ○岡(良)委員 柳川さんに、あるいは中谷さんにもお伺いしたいと思うのですが、実はこういう問題について、いろいろ皆さんに御足労を願つて、そうして論議をかわしておるわけでございますが、二日間にわたつてわれわれも非常に得るところが多かつたのであります。しかしきようの午前の国保連合会の代表の方の御意見また柳川さんの御意見を聞きましても、国保の財政を維持するという観点から、この問題を非常に強く論じておられるようであります。  ところで、柳川さんが御指摘のように、農民といえば、からだが元手であつて、これが病気に冒されることによつて、ただちにその個々の生活が大きな打撃を受ける。ひいては村の経済そのものも非常に大きな重圧を受けることは、当然のことでありまして、その大きな防波堤としての国民健康保險組合の意義は、今後ますます深いものがあろうと思いますが、それが現存においては非常な危機が迫つておる、崩壊に瀕せんとしておるような事態さえもが、全国的に見られるようであります。そこでそういう国民健康保險組合の財政の危機というものを直視いたしましたときに、医療費負担医薬強制分業によつて多小とも財政が緩和されるかということは、瑣末な技術的な小手先の芸でもつて、はたしてこういう問題が解決できるかどうかということが、われわれの大きな疑問です。あるいは社会保障制度審議会が、すでに給費の三割国庫負担をうたつておる。また厚生省も給費二割負担をやつておる。小くとも憲法が、健康で文化的な国民の生活を保障することをうたつておるならば、国が、單に事務費でなく、健康そのものの実態についても保障するところの手を差し延べるこういう点を強く国が国の責任においてやることなしには、——少くとも医薬強制分業というような問題が、保險財政の赤字になるか黒字になるかというわくの中で論ぜられるとするならば、問題はむしろ強制分業とか任意分業とかいうようなこまかい制度上の問題でなく、いわば国が給費において二割なり三割なり大幅に補助を負担するというところまで、憲法の精神を予算の上において実際にやつてくれるということが、根本的な解決なのじやないかというふうな感を深くするのであります。これは問題とはいささかはずれますけれども、柳川さんの立論に関連して、特に村の財政と国民健康保險組合の財政についての責任の衝に当つておられる柳川さん、また中谷さんの御意見もこの機会に承つておきたいと思います。
  79. 柳川力

    ○柳川参考人 私の話に、非常に狹い部面から申し上げまして、もつと広い面から考えておいでになります皆さん方の前に、あるいは問題のとらえ方が間違つてつたかも存じません。確かに国民健康保險の会計は、保險料の滯りよりも、一部負担金の治療費の滯りが非常に多いわけでございまして、もしこれがございませんでしたならば、医者にかかりたい者もずいぶんかかれないで、何とかむりなことをしてなおすとか、そのまま老い朽ちるとかしたことと考えます。その点につきましては、厚生委員の皆さん方の特別なお骨折りがございますということは、よく私たちいろいろな機会から聞かされておるのでございます。そこで治療費の問題でございますが、これは私こまかに計算も何もしてございませんが、何とかなるんじやなからうかという程度でございまして、その辺は答弁にならないかもしれませんが、こまかい計算を持つておりませんので、ひとつお許しを願いたいと思います。
  80. 中谷宇吉郎

    ○中谷参考人 私、第三者といたしまして、先ほどから柳川参考人と各委員とのお話を聞いておりますと、柳川参考人は、医薬分業によつて安くなるという仮定のもとにお話が進行していたし、またそれに対していろいろ御質問があつたのだろうと思います。その点が非常に大切な問題でありますから、経済問題を論議されるんだつたら、まず医薬分業を実施することによつて安くなるか、高くなるかということをよほど嚴密に御検討つた方がいいだろうと存じます。
  81. 寺島隆太郎

    寺島委員長 山崎参考人により発言を求められておりますので、これを許します。山崎参考人
  82. 山崎佐

    ○山崎参考人 これはほんとの御参考でございますが、医薬分業が実施された場合の一般社会人の医療費として、その負担が多くなるかどうかということは、日本ではこれからこういう制度を実施するかどうかさえ問題でありますから、ただ御参考までに申したいと思います。  御承知通りに初めて世界で健康保險を実施しましたドイツで、ビスマルクの医療制度の二大政策としまして疾病金庫、クランケン・カツセをつくつた。それからそれに前後しまして医薬分業を実施しました。そのために医師の方では医療費の嚴密な調査を始めました。従来は日本のように初診料幾ら、再診料幾らというだけであつたのを、これをだんだん科学的に、合理的に計算したために、相談料までもとらなければならない。たとえてみますと、初診料を今の相場で言えば、百円なら百円拂う。そうするとあくる日、きようそばを食いたいがどうかという電話をかけると、きようはそばを食つちやいかぬ、きようはふろへ入つていいかと聞くと、まだふろへ入るのは早い、これはそういう病気の症状、いろいろな容態を聞いてやるのだから、これは一つのりつぱな診断であります。それまでだんだん考えなければならぬように綿密に計算しました。それから疾病金庫の方はだんだん窮迫しまして千何百年——年号は今忘れましたが、ビスマルクが従来一億円のものを三倍増加して三億円の健康保險の費用を議会に請求しましてかなり猛烈な反対意見がありましたが結局強引にビスマルクが三億円に増加せなければ、当時の疾病金庫が実施できなかつたという実際が、ドイツの何年の議会でありましたか、覚えておりませんが、そういう事実があつたということを、御参考になるかと思いますので申し上げておきます。
  83. 柳川力

    ○柳川参考人 私の答弁の仕方がまずかつたためか、経済問題だけから——たしか話の始まりが経済問題とおつしやればそうでございましたが、請求される内容から言いまして、私はやはり医薬分業の形をとられることが好ましい、そういうふうな申し上げ方をしたつもりでございましたが、途中から御質問に対しての答弁が、自然にそちらに順次重点が参りましたために、経済問題から入つたような感じを與えたといたしましたらば、その辺を補足でお許しを願いたいと思います。
  84. 岡良一

    ○岡(良)委員 私がお尋ね申し上げましたのは、そういうふうに経済的な面から見て高くなるか安くなるかというふうなことについては、まだはつきりしたデーターがない。今山崎先生の御指摘によれば、むしろ非常に法外な高いものになりそうだということさえもある国にはあるわけで、従つてかりにまた安くなつたといたしましても、現在国保が全国的に負つておる厖大な赤字に対して、どれだけ補給するかということも、そう大して補給しないでもいいのじやないかというふうなことから考えるとき、差迫つては財政の赤字から国保が非常に大きな危機に逢着しておるとするならば、強制分業というふうな問題は、少くとも国保の財政面から見て、この問題によつて切り拔けようというような考え方ではなく、やはり給付費の一部の国庫負担というような方向に、国保の当事者として声を大にされるということが、少くとも現在の国保の財政の赤字のためにも、最も有効適切な行き方ではなかろうかということを、国保の当事者の柳川さんにお尋ねを申し上げます。  かつまた第三者としての立場から、評論家として、教育者としての立場から、中谷さんがどうお考えになつておるかということを、実はこの機会にお尋ねしたかつたのであります。
  85. 柳川力

    ○柳川参考人 その点におきまして、医療費の国庫負担の増額に対する補助金は、ぜひともお願いしたいものでございます。
  86. 中谷宇吉郎

    ○中谷参考人 実は先ほど岡委員の御質問にお答えしなかつた形になりまして、まことに恐縮ですが、一つ医薬分業というものが、病人にとつて経済的な負担がはたして軽くなるかどうかという問題は、私は非常にむずかしい問題だと思いまして、今実はわからない、ひよつとすると高くなるかもしれないというのが、案外ほんとうじやないかと思いまして、その点を確かめるために一応申し上げたのであります。  それから岡委員の御意見の本質、一番大事なところ、すなわち日本医療制度というものは、医薬分業をするかしないかということではきまらないので、もつと大きな立場から見て、社会保障制度の確立というものからでなければ、経済問題の方は解決がつかないだろうとおつしやるのは、私は全面的に賛成であります。
  87. 丸山直友

    ○丸山委員 議事進行について。——先ほど山崎は、いろいろたくさんのものを持つておるが、質問があればということでございます。どういう材料を持つておいでになるか私わかりませんので、どういう点を質問すればいいかということもわかりません。時間はまだ二時半でございますから、おおむね十分とか十五分というような時間を区切つて、お持ちの材料を説明していただくことがいいか悪いか、お諮りを願います。
  88. 寺島隆太郎

    寺島委員長 ただいまの丸山委員の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  89. 寺島隆太郎

    寺島委員長 御異議ないものと認めます。よつて山崎参考人の参考意見を十分ないし十五分程度にお願いいたすことにいたします。山崎参考人
  90. 山崎佐

    ○山崎参考人 従来医薬分業制度は、明治七年の医制で、医師は薬をひさぐべからず、必ず処方書を書いて薬舗のもとでもらえ、すなわち薬剤師のもとでもらえという規定を置いた。それが今日までずつと延びておるのだという意見が一般に行われておる。明治七年の医制には、まさにその通り書いてあります。これはどこから起つたかと申しますと、従来一般は、今日までこれは当時の衞生局長の長與專齋先生が、岩倉大使の随行として米欧で視察して来た結果だ、こう思い込んでおるのでありますが、これはまつたく違うのでございまして、長與專齋先生が米欧をまわつて来ました例の米欧回覽実施という太政官から出ている詳細な日記にも、長與先生がそういうことを視察し、そういうことを考えたということは書いてありません。長與先生の帰る前に相良知安先生が明治二年から四年の間、医薬制度研究しました原稿があります。これは医制略則というものであります。そこの中に、今の「医師タル者ハ自ラ薬ヲ鬻グコトヲ禁ズ医師ハ処方箋ヲ製シテ病家ニ付與シ相当ノ診察料ヲ受クベシ」とあります。これは相良先生の失脚から長與先生に引継がれて、ここに医制の原本がありますが、医制に引継がれて来た。それでは相良先生は何に基いてそういうことを考えついたかと申しますと、これは相良先生自身も言つております通り、これの前書きがありまして、外国人に聞いて、外国ではこういう制度になつておるから、これを採用するのだということの前書きがあります。すなわち今般医学校お雇い、教師に西洋諸国の薬品制度を問い合せたところ云々と書いてある。その外国人というのは、言うまでもなくオランダ人でありまして、オランダ人が当時オランダの医療制度を書いたものを、伊東己代治さんが飜訳したのでありますが、それにそういうことが書いてある。それに端を発してずつと来ました。明治八年にもそうなつてつたのであります。ところがこの方針は、しばらく明治政府は取継ぎましたが、しかしこの明治七年の医制、明治八年にこれを改正して、全国三府、東京、大阪、京都に公布したのでありますが、これを実施しようということは考えておらなかつたのであります。明治七年の京都の医務條例、八年二月の大阪の取締規則、九年二月の兵庫県の取締規則には、他のことは書いてありますが、この医薬分業のことは拔けてしまつた。しかし明治十年六月になつてから、東京では、医術開業の者薬舗の業を兼ねまたは薬舗にして医業を兼ね候儀、爾今相ならず、という布達を書きまして、医師薬剤師のようなことをやつてはならぬと書いてあります。ところがこれはまた一転しまして、明治十六年五月に福井県から内務省に問い合せたときに、十七年の四月に内務省からは、従来医師薬舗兼業の儀は相ならざる旨指令及び置き候ところ、爾今兼業いたし苦しからざる儀と心得べく、この旨訓示候也ということで、その後十七年四月の内務省の訓令で、明治七年以来の制度はここで御破算になつた。それから二十二年の薬品営業並びに薬品取扱規則で、御承知通り薬剤師でなければ薬局を開設することはできない。そこで附則で、医師は自分で診療する患者の処方に限つて調剤することを得という規則がまたできた。それが大正十四年にまた薬剤師法になるときに、薬剤師にあらざれば販売授與の目的をもつて調剤することを得ずということになつて、順次その後薬事法のもとに、続いて二十三年の七月の薬事法にもこれが引継がれて来た。  制度の結果はこうでありますが、この国家的効果は非常に違うのでありまして、明治十七年で打切られるまでは、純粹の取締り規則なんです。何ら社会政策的の意味はないのでありまして、明治十八、九年までの日本医療制度は全部取締り規則であります。ところが最近は御承知通りに、社会政策的立法の意味をたいへん含んで来ましたので、そこで従来の沿革をたどつておるようではあるけれども、法律的の意味合いは大分違いまして、今回諸先生が医薬分業のことについて御心配されておることは、医師薬剤師の取締法の案でなくて、いわゆる社会政策的にどうしたらよかろうかということが、この文字は同じように流れておるようであるが、重大になつて来たとこう思うのであります。  そこで、では取締法と社会政策的の医療制度とはどう違うかと申しますると、これは釈迦に説法でありまするが、いわゆる社会政策のおもなものは、この医療制度について大きな本を書いておりますオツペンハイマーが言つておるように、従来は政治的の人と人との問題を制度として扱う、社会政策として考えるときには、経済的手段としての人と人との問題をこれから考えなければならぬということを示唆しておるように、医薬分業を、医師薬剤師の取締り立法から離れて、社会政策的の立法としてお考え願うときには、むろん世の中の多くの病気にかかる危險を持つておるところの社会人、それから医師薬剤師すべての経済問題ということが中心になつて来るのではないかと思うのであります。明治二年の調査から始まつて、今日形は流れておりますけれども、意味合いがたいへん違うのではないかということをつけ加えさせていただきます。
  91. 寺島隆太郎

    寺島委員長 委員諸君に、何か御発言はございませんか。——なければこれにて委員会を終るのでございますが、終るにあたりまして、委員長より一言ごあいさつ申し上げます。  現下の厚生行政中、重要な問題となつております医薬制度について、二日間にわたる委員会調査検討を行うにあたりまして、委員諸君の終始真摯なる御態度に加えまして、参考人位各が御多忙中にもかかわらず、多数参加せられまして、熱誠なる御協力をいただき、非常に有効なる成果をあげたことにつきまして、委員長といたしまして、厚く御礼を申し上げます。  本日はこれをもつて散会いたします。     午後二時三十九分散会