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1950-10-12 第8回国会 衆議院 厚生委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年十月十二日(木曜日)     午前十時四十三分開議     —————————————  出席委員    委員長 寺島隆太郎君    理事 青柳 一郎君 理事 大石 武一君    理事 松永 佛骨君 理事 金子與重郎君    理事 岡  良一君       高橋  等君    中川 俊思君       堀川 恭平君    丸山 直友君       亘  四郎君    堤 ツルヨ君       松本六太郎君  委員外出席者         参  考  人         (日本医師会副         会長)     鹽澤 總一君         参  考  人         (日本医師会調         査会副委員長) 萩原 松治君         参  考  人         (日本医師会事         務局長)    南崎 雄七君         参  考  人         (日本歯科医師         会理事)    沖野 節三君         参  考  人         (日本薬剤師協         会理事長)   高野 一夫君         参  考  人         (日本薬剤師協         会理事)    谷岡 忠二君         專  門  員 川井 章知君         專  門  員 引地亮太郎君         專  門  員 山本 正世君 九月二十三日  委員渡邊良夫君は、退職となつた。     ————————————— 本日の会議に付した事件  委員派遣承認申請に関する件  参考人選定に関する件  医薬制度に関する件     —————————————
  2. 寺島隆太郎

    寺島委員長 これより会議を開きます。  お諮りいたします。本委員会に閉会中の審査事件として付託せられております案件中、医薬制度に関する件の調査の必要上、日本医師会から鹽澤總一君、萩原松治君、南崎雄七君、日本歯科医師会から沖野節三君、日本薬剤師協会から高野一夫君、谷岡忠二君、健康保險組合連合会から宮尾武男君、山本徳治君、国民健康保險団体から江口清彦君、寺島眞君、その他一般中から坂入虎四郎君、高木健夫君、中谷宇吉郎君、中本光夫君、山崎佐君、柳川力君の諸君を、それぞれ参考人として御出席を願いまして、御意見を聽取したいと思いますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 寺島隆太郎

    寺島委員長 御異議なければさよう決定いたします。  なお時間の都合上日本医師協会の三名の方々は本日の午前、日本歯科医師会及び日本薬剤師協会の三名の方々は本日の午後、健康保險組合連合会及び国民健康保險団体の四名の方々は明日の午前、その他一般六名の方々は明日午後に御出席願うことにいたしますから、さよう御了承願います。  この際委員長より参考人の各位にごあいさつ申し上げます。本日は医薬制度に関する件の調査にあたりまして、御多忙中にもかかわらず、特に本委員会に御出席を願いました参考人皆さんに対しまして、厚くお礼を申し上げます。何とぞ隔意なき御意見をお述べ願いたいと存じます。  それでは医薬制度に関する件を議題といたし、本件に関連いたす医薬分業の問題についてまず参考人方々から御意見を求めることにいたします。日本医師会会長鹽澤總一君に御説明をお願いいたします。
  4. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 医薬分業の問題に関しまして、日本医師会立場からこの問題を説明しろというお話でございますから、これから御説明を申し上げたいと思います。しかしこの問題につきましては、皆さんがもう十分御承知のことでございまして、私がいろいろ申し上げることもないかもしれませんが、医師会立場といたしまして少時御説明申し上げますからお聞きを願いたいと思います。  医薬分業の問題とはどういうことか、こういうことから申し上げては、はなはだ失礼とは存じますが、これから申し上げてみたいと思います。今日申します医薬分業の問題といいますのは、現在の任意医薬分業制度を、法律をもつて強制分業にしろという点にあると思います。しからば、現在の医薬任意分業ということは、どういうことかと申しますと、医者自分診察しました患者限つて自分処法通りに処決して、患者に薬を與えることができる。また患者が欲します場合には、医者は必ず処方箋患者に與えまして、患者はその処方箋によりまして、どこの薬局からも自由に調剤してもらえる。言いかえますと、患者の欲するままに医者からでも、薬剤師からでも、すきなところから薬をもらえるというのが現在の任意分業であります。この制度法律医師法第二十二條及び薬事法第二十二條に定められたところによつて出ておるのでありまして、もしこの場合、医者が特殊の場合以外に処方箋交付を拒みますと、法第三十三條によりまして五千円以下の罰金をとられるということになつておるのであります。この法律昭和二十三年の十月二十七日から実施されまして、まだ満二年と行かない、今月の終りをもつて満二年になるという、わずか前から定められた法律であります。こういうふうな任意分業でありますが、医者がみずから診察した患者にも、調剤して薬をやることを一切禁止してしまう。医者患者診察したら処方箋を必ず出す、その処法箋薬局に持つて行つて薬剤師から調剤してもらう、こういうことを法律できめる。その法律できめるということが強制医薬分業のはかつておるところであります。それでこれを端的に申しますと、医者疾病治療に必要な調剤能力医者の手からとつてしまうということが、今の強制分業の目的であるということができると思うのであります。  しからばこの強制分業を主張しています従来の薬剤師側の主張を大体総合してみますと、世界どこの国でも強制分業をやつているから、日本でもこれはやるべきものである。また第二は、薬剤師医者より薬学知識が多い。また第三に、分業すると医療費が安くなる。第四番目に、どうも医者秘密治療をしておる、これはよろしく公開すべきである、こういうようないろいろな理由を述べておるのであります。これにつきまして私どもの考えておるところを少し申し上げたいと思います。  では、世界各国におきまして、ただいま主張されたような強制分業が実施されておるかということであります。この点につきましては、われわれ二つにわけて見る必要があると思う。一つは、その国々における医療伝統という点であります。いま一つは、欧米における現状はどうであるかという点であります。欧米におきます医業のことにつきましてはしばらくおきまして、日本医業のことについてごく簡單に申しますと、日本におきましては、医業伝統西洋とまつたく異なつておりまして、昔から医者をくすしというくらいに、医者は往診するときには、必ず薬籠を持つて出かけて行つた。そうして、みずから診察して、みずから薬を調合するというようなことをしまして、いい薬というのが一般民衆の頭にしみ込んでおつたのであります。でありますから、医者に対する謝礼はお薬代というような習慣が今でも残つておる。この点がいろいろと問題を起すのでありますが、そういうような習慣でありまして、この薬代ということは、決して薬に対する代価を支拂つているという意味ではない、医師に対する診察という事実に対するお礼が含まれておるのであります。  次に、欧米におきます医薬分業現状はどうかということを申しますと、戰争後の欧米におきます現状は、米国以外には、われわれのところに調査書類がありませんので、はつきりしたことは申し上げかねますが、戰前の状態から申しますと、ドイツは非常に嚴重な強制分業行つておりました。そのほかにドイツの流をくむ諸国だけは、強制分業行つてつたようでありますが、英国は純なる任意分業であります、決して強制分業はやつておりません。また米国はどうかと申しますと、これは各州によつて多少制度が違つておるようでありますが、大部分の州におきましては任意分業でありまして、決して一般に言われておるような強制分業はとつておりません。この点はよく御記憶願いたいと思います。その証拠といたしましても、今年の六月、薬局という雑誌薬剤師方面に非常な有力な雑誌として出ておるのでありますが、それに米国におきます医師投薬の状況を記載されておる。それを拔萃してちよつと申し上げますと、これは一九四七年の米国調査であります。開業医の四千八百七十六人から回答をもらつておるのでありますが、その回答によりますと、投薬する医者は四五%ある。投薬しない医者が五五%、わずか投薬しない方が多くて、投薬する方が相当にある。なお人口五千以下の都会では、医者の七七%が患者に用います薬の六五%を投薬しておる。また人口百万以上の大きな都市では、医者の二九%が患者に用います薬剤の二八%を投薬しておる、こういう数字が掲げられておる。決して強制的に医者投薬などを禁じておるのではありません。  次に、医者調剤知識に関することを申し上げます。医者は、薬品に対する知識薬剤師に劣つておるから、医者調剤を禁止せよというようなことを言われておるのでありますが、薬学あるいは薬品に対する知識は、医者はその修学課程からいつても、多少劣つておるのであります。しかし薬学製薬分析というふうなのがおもなものでありまして、決して調剤だけではないのであります。この製薬とか分析ということに対しましては、相当高い專門知識が必要でありますが、調剤の方にかけては、そう高い知識は必要でないのであります。また医者も、その学習の課程におきまして、薬理学あるいは調剤学を修得しておるのでありまして、ことに薬理学に関しましては、薬剤師よりさらに進んだ知識を持つておるのであります。すなわち薬理に関する化学、またそれを実地にした経験を十分積んでおるのであります。これがなければ、われわれ医者薬物治療もできませんし、また処方箋を記載することができないのであります。調剤そのものは先ほど申しましたが、使用量を誤らず、また配合禁忌を注意する、あと多少習熟すれば大体できるのであります。配合禁忌も、特に注意するものはわずかでありまして、聞くところによりますれば、米国では学校の教授の中に、配合禁忌ということをやめておるところもあるということであります。でありますから、調剤学を修めました医者調剤は、決して危險ではないのであります。これは西洋医学が伝来しまして、相当長い間このことを事実が証明しておるのであります。薬学において一般の高い知識を要する製薬に関しては、医師はちつとも手を出していないのであります。ただ最近皆さん承知生物学製薬、ペニシリンあるいはストレプトマイシン、テラマイシンとかクロロマイセチン、こういうふうな製薬に関しては、これはほとんど医者が発明ならびに製造に従事しておるのであります。決して調剤には高度の薬学知識を要するということは、申し上げられないのであります。また中には、医者がつくる薬は悪い、薬剤師がつくつたらよい薬ができたということを言つた人があるようでありますが、これは少し非難が間違つておる。われわれの薬剤は、みな薬剤師あるいはその関係者から購入しておるのであります。これがもし悪いということがあれば、これは販売者の方に責任があるのじやないかと思うのであります。もちろんその保存その他に悪いところがあれば、これは別でありますが、一般に悪い薬を使うというような非難をする人が、ときにあつたのでありますが、これはわれわれとしては、販売者の方にその責任があるのじやないかと思います。  次に、医薬強制分業なつたら医療費が安くなる、こういうことを言われておる。これは分業すれば安くなるという宣伝相当されておるのであります。これがはたして可能でありましようか。この点につきまして考えてみますと、安くなるという宣伝はどういうところにあるかと言うと、薬品原価に比しまして医者のとる薬餌料が高い、すなわち医者は暴利をむさぼつておる、こういうような誤つた前提から来ておるものと私ども思うのであります。現在われわれがとる薬代あるいは薬餌料というものは、薬の原価に比しまして、これをただの売買行為といたしますれば利潤が高いように思う。しかし私どもがとります薬価薬餌料というものは、これについてはいろいろ非難もありますが、名前が悪い、それがために、ただ薬を売るようにとられたが、これは決して薬を売買するというだけでありませんで、その中にはわれわれの診察料診断料というような技術料が含まれておる。しかもその技術料がはなはだ圧縮されておりまして、この点われわれは不満でありますが、この圧縮された技術料によつてわれわれ医師は生活しておるのでありまして、これ以上この中にはほとんど圧縮の余地がないのであります。この点につきましては、目下厚生省に臨時診療報酬調査会というものができまして、科学的にこの技術料あるいは調剤料、そういうような方面を熱心に検討されておりますから、近くこれも決定されることと思うのであります。  それでありますから、この強制分業によりまして、われわれの医療過程の中に相当学修し、相当熟練したる薬劑師が入つて来るということになりますと、その生活をささえる費用というものは、一般医療費に加算されて行かなければならぬのであります。サムス准将は、分業になれば医療費が一、二パーセントは増加される、こういうようなことを演説されておりまして、また厚生当局もほぼ同様な見方をしておるように思います。私どもが考えますと、大体三ないし五パーセントぐらいの増加を見ねばならぬと考えるのであります。いずれにしても医療分業なつた場合に医療費が安くなるということは考えられぬことであります。  次に、医者治療秘密だ、秘密であるからはなはだ不安である、これはよろしく処方を公開しろということを叫んでおる者もあります。われわれは処分の公開は決して否定しておるものでありません。先ほども申しました通り医師法の第二十二條によりますと「医師は、患者から薬剤交付に代えて処方せんの求があつた場合には、これを交付しなければならない。但し、その診療上特に支障があるときは、この限りでない」というように規定してあるのであります。すなわち求めがある際には必ず処方箋交付しなければならない、決して秘密にしておるのではない。但しその交付患者治療上さしつかえのある場合、患者に悪影響のある場合に限り、われわれとしては交付したくないのであります。その他の場合においては、決してこれを拒むものでないのであります。  次に、この強制分業なつた場合に、一般民衆にどういう影響があるか。医療というものは、やはり民衆ために立つておるものであります。もし強制的に分業なつた場合は、患者に時間と労力の負担相当累加されるのであります。すなわち患者は、医者診察を受けるため医者のところへ行かなければならない。またそこで処方を持つてなつた場所の薬局に走らなければならない。これは本人の意思によらずに、強制されるのであります。患者は、御承知通り体力が弱い、病気にかかつてつておる、そういうものにこういう負担をしいるということは、現時日本におけるように、交通機関が発達していない、あるいは通話機関が非常に故障を起しやすいという場合におきましては、それが高度に発達した国では、たとい問題ないことでありましても、日本現状のもとにおいては、これがため民衆に不便をかけることは明らかであるのであります。  次にいろいろの医療上の責務ということを分業に関連して申し上げたいと思います。医者患者から診察を求められました場合は、御承知通り既往症現症をよく診察しまして、それに種々方法、たとえば科学的に大小便を調べるとか、あるいはたんを調べるとか、胃液を調べるとか、腦脊髓液を調べるとか、血液を物理学的に調べるとか、いろいろな方法をとり、なお正確な診断をつけまして、その病気の症状に応じまして診療方針を定めます。これに従つて手術をする者は手術し、処置する者は処置し、あるいは投薬する者は投薬しまして、その経過観察しつつ適当ないろいろな方法を講じまして、一刻も早く患者の苦痛をやわらげ、一刻も早く病気外傷等の治癒をはかるのであります。もちろん診察しましても診断のつかぬ場合も相当あります。しかし、つかぬ場合はつかぬなりに、いろいろの方法を講じまして、その反応あるいは経過等を見まして診断の確立をしようと努めつつ治療を行うのであります。いずれにしましても、この種々治療方法を講ずる際にその反応なり、あるいはそれによる病の経過観察は、その後の治療を講ずる上に最も重要なる要素でありまして、その反応の変化が、ときによつて非常に長い時間を経て現われる、あるいはきわめて短時間に刻一刻とかわるようなこともあります。こういうふうに医者はその診療する上においては、絶えず綿密な観察と注意のもとに、一貫した方針手段医者責任のもとに行われまして、初めて医者生命を託された患者に対して、十分責務を果し得るのであります。その必要な必ず行う過程の中に、医者の介在を許さぬ部分、すなわち法律で立入りを禁止されるような部分がありましたならば、医者はその重要な責務を完全に果すことができましようか。もちろん医者責任のもとに、かつ適当なる補助行為を他に求めることは当然でありますが、しかしこれはすべて医者責任のもとに行われてこそ、初めて医者に付託されました貴重な生命に関する責務を完全に果し得るのであります。この点は分業について十分考えねばならぬ点と思います。  次に、医薬に関する問題は、すべて医療向上民衆厚生福祉の上にありまして、これを離れては医薬はないのであります。医薬分業は、英米先進国においても、まだ行われていないので、こういうようなことを法律で強制しようということは、私どもとしては絶対に反対するのであります。しかし先ほど申しました現時法律に定められる任意分業に関しては、われわれは協力する用意は十分あるのであります。すでに本年三月三十一日、日本医師会代議員会を開きまして、その決議の中にもそのことが明らかにうたつてあるのであります。  しからば現に任意分業制度法律の上に定められておるにかかわらず、どうしてこれが十分に行われていないか、そうして強制分業というようなことが企てられているかというと、その原因の一つは、医師会側の協力が足らぬという点もありますが、大半の責任薬剤師側にあるのではないかと思われます。現今の医療状態を見ますと、皆様も御承知通り都会においてはほとんど各科專門にわかれております。これに決して法律をもつて專門にわけたわけではないのであります。民衆がおのおの專門に分科したものを利用しておるのであります。私は内科の医者でありますが、一般にいわゆる盲腸炎といわれる虫垂炎も見ます、あるいはつわり患者も見ることがあります。しかしそれが虫垂炎である、手術しなければならぬ、これはつわりだと言うと、患者は決して私のところへ来ない、必ず外科や産婦人科のところへ行くのであります。私はへたでしようが、簡單なものは外科手術もできます。ただ民衆が普通の医者よりは、非常に努力して專門なつ医者の方がいいということを認めまして、患者自身が選択してやつて来るのであります。医者調剤ということも、これと全然同じではないか。関連して考えてみると、この際医者から調剤能力法律で禁ずることは、してはならないのであります。薬局が十分整備され、また調剤されたものが十分信頼され、あるいは期限の切れた後の処方によつて投薬するというような、一般非難されている行為が十分是正され、また医師の方においても診察料というような無形の技術に関しまして報酬が確立され、かつ医者薬剤師もこのことに協力すれば自然に民衆がこの問題を解決するのであります。これは当然消え去る問題と思うのであります。医療を担当しておる医者薬剤師が、こんな問題で争うべきではないと私は信ずるのであります。医薬に関しまするすべての問題は、先ほど申し上げました医療向上民衆厚生福祉の上に立つて、これを無視しては医薬の本旨にもとるのであります。医薬分業は、私どもの考えとしては、決して法律で強制すべきものではないということを申し上げておきます。
  5. 寺島隆太郎

    寺島委員長 他の参考人諸君から補足的な御意見はございませんか。
  6. 南崎雄七

    南崎参考人 大体盡しておると思います。
  7. 寺島隆太郎

    寺島委員長 委員諸君の御質問がございましたら……。
  8. 中川俊思

    中川委員 今日は医薬分業の問題に対して、まず医師会の方だけが出席されておるのであります。そうなつたことだからやむを得ませんが、できれば私は医師会薬剤師の方と、両方出席つておれば、非常に好都合だと思つたのであります。これはやむを得ませんが、今問題になつております医薬分業の問題であります。ただいまいろいろ医師会側の方からお話伺つたのでございますが、これに対して医師会の方から、厚生当局なりその他関係方面に対して、反対陳情をなさつたことがあるのでございますか。
  9. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 今度は別にありません。前はありました。今度といいますか、今度あらためてこの問題が取上げられてからは、別に反対陳情をしたことはありません。
  10. 中川俊思

    中川委員 そういたしますと、前に反対陳情なさつた理由は、ただいまお述べになつたよう理由でございますか。
  11. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 これは非常に長い、いわゆる七十年の歴史がありますものですから、この間に非常な変遷があるのでございます。前にもいろいろの理由で互いに争つて来た問題でありますけれども、しかし大体今申し上げたような理由が、反対理由なつて、そのときどきに多少はかわつて攻防戰といいますか、実行しようとすると、それを民衆ために防ごうとする両方意見でありますから、そのときどきに多少はかわつておりますが、大体はこのような意見だろうと思います。
  12. 中川俊思

    中川委員 私は医者でもありませず薬剤師でもないのですから、きわめて公平な立場でひとつ伺いたいと思うのでありますが、どうもこの問題につきまして、医師会の方の意見を聞きますと、それぞれただいまお述べになりましたようないろいろな理由がありますし、また薬剤師会方面意見を聞きましても、同様なもつともらしい理由があるのであります。問題は私は両者とも相当反省をしてもらわなければならぬ点が、非常に多いと思うのです。医者にしましても、今お述べになりましたようなごりつぱな方ばかりおられれば、問題はないのでありますけれども、必ずしもそうではない場合がある。それから薬剤師の方に至りましても、同様な場合があるのです。たとえて申しますと、現在医薬の問題が任意分業なつておりまして、法律で、医者の許可を得なければ売つては悪いというような薬でも、平気売つておる薬剤師もございます。また医師会の側にいたしましても、すこぶるいかがわしい診察をして、相当薬価なり診察料をとつておる医者もある。現に私の知つておる医者でも、小づかいがないからひとつ手術してやろう、こういうようなことを平気で私に言つている医者がおる。こういうような点は、私は両者とも相当反省してもらわなければならぬと思うのであります。  そこで、私は医師会のお方にお尋ねをするのですが、なるほどこの医薬分業の問題は、今もおつしやるように、日本の現在におきましては、そう簡單には私は行わるべきじやないと思う。かりに行うにいたしましても、この問題については十分意が盡されておりますが都会といなかで、医者薬剤師の間が一里も二里も離れておるようなところ、ないしは薬局のないというようなところにおきましては、都会と同じようには行われないでしようが、そういうような点についてとか、あるいは医師類似行為をやつておる者の取扱い方法とか、むろんそういうものに対する法律はあるだろうと思うのですが、その法律が実際問題として今実施されていない。それから、ただいま申し上げましたようないろいろな点につきまして、もし医薬分業を行う、強制分業を行うということになりますと、ここに公共企業体労働関係調整法みたいな、医薬分業に対する関係調整令というような、はつきりしたものをつくらなければいかぬと思う。といいますのは、今取締法がありましても、これはただいま申し上げますように実施されておりません。ただいまダイアジンとかチアゾールのようなものは、医者の許可を得なければ売られないと言つても、これを平気売つておる。薬剤師の方にいたしましましても、対症売薬についても取締つてもらわなければならぬと思う。取締りの規則があるかもしれません。しかし頭痛にノーシンなんというのはこれは明らかに医師診察権を無視しておることであります。そういうようないろいろな問題につきます関係調整令といいますか、どういいますか、そういうことに対する意見書でも医師会の方でつくられ、関係方面に御提出になつたことが、今日までにおありでございますか。
  13. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 ただいまの薬のこととか、あるいは医療類似行為というようなことにつきましては、再三当局と折衝しておるのでありますが、しかしこれが取締りは、今お話のように実際なかなか困難な問題だろうと思うのであります。
  14. 中川俊思

    中川委員 そこで、もしどうしても強制分業をしなければならぬということになりますれば、私どもとして考えますことは——私は先ほど申し上げますように医者でも薬剤師でもありませんから、きわめて公平な立場で申し上げるのですが、一番の問題は、患者負担の増加ということであります。これは大きな社会問題だと私は考えておるのであります。ちよつとけがをして医者にかかつたというような場合は、診察料ども一回か二回で済むでしようが、非常に長い結核だとか何とかいうような病気にかかつております者が、行くたびに診察料をとられるということになりますと、ここにも患者の大きな負担というものがついて来るわけです。そこでそういうようなことについても、私どもとしてはいろいろ考えなければならぬので、ただいま申し上げるように、どこで強制分業をやつておるかしりませんが、アメリカでやつていることが必ずしも日本に受入れていいということは言えないのであります。いい場合があるかしれませんが、悪い場合もある。だから役人が机の上でただアメリカのまねをして、すぐ日本に持つて来るというようなことが、最近しばしばあるけれども、私は大いに考えなければならぬ問題だと思うのでありますが、そういうような点、ただいま申し上げました関係調整令のような強力なものをつくつていただいて、そうしてこれを両者ともほんとうに反省をして、医者薬剤師が画然と信義を守るということにならなければ、その問題は根本的に解決しないと思う。ですから、そういうようなことにつきまして、医師会の側にどの程度の御決意があるのか、今日まで御準備があるのかということを伺いたいと思つて、私はちよつと発言したのでありますが、先ほど申し上げますように、薬剤師協会の方でも見えておれば、またただいま申し上げたようなことについてもいろいろお伺いをしたいのでありますけれども、これは午後に見えるということでありますから、その際に讓るといたしまして、そういうようなことにつきまする御決意並びに御準備等について、ひとつ詳細承りたいと思います。
  15. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 ただいまのお話につきまして、日本医師会としましては、これはいろいろな問題がありますので、たとえば、今社会保障の問題、こういう問題がある、あるいは診療報酬その他のいろいろ類似医療行為に関する問題、あるいはもう少し取締りの方というようなことについては、あらゆる面から検討はしております。そしてこれを強力にして、要するに民衆ためによい治療ができるように、また民衆が便利になるように、こういうふうな考えをもつてわれわれはすべてのことを進めておるのであります。分業ということも先ほど申しましたが、われわれとしましては、強制分業はどこまでも反対しております。分業ということは、現在の段階におきましては、医療費相当高くする。これを安くするというのは、薬剤師側だけの宣伝でありまして、ほかの一般の見方は高くする、また常識的に見て高くなると思うのであります。しかし高くなつても、ある程度医療向上すればいいかとも思いますけれども、しかしその向上とそれに比例せざる医療費の高騰があるというようなことは、どうしても現実の日本状態としては忍ぶことができないのであります。
  16. 中川俊思

    中川委員 この問題はそう簡單に片づく問題ではないと思いますが、先ほどお話のように、医師会側お話を承りますと、まことにごりつぱなことばかりで、医薬分業なんということは、とうていできないもののようなお話でございます。今日は医師会の方だけでありますから、医師会の方に特に私はお願いをしておくのでありますが、薬剤師側の方としましても、相当理由があるだろうと思うのであります、そこで一番の問題は、私が先ほど申し上げましたように、お互いに徳義を守るというか、信義を守つて、要するに十分に反省をしていただく。ただいいことばかり述べるのでなく、われわれにも過去においてこういう悪い点があつた、こういう点はこの問題が惹起されたことについて大いに反省をしよう、こういうような点もあわせてひとつ研究をしてもらわなければ困ると思うのであります。ただこの医薬強制分業されるということになれば、患者負担が増すとか、あるいはいろいろな支障が生ずるとかいうことだけでなくて、ただいま申し上げまするような点につきましても、十分に御考慮を願いたいと思います。これは單に医師会ばかりでなく、薬剤師協会の方に対しても、大いにお願いをしておかなければならぬ問題だと考えておるのでありまするから、さよう御了承願いたいと思います。
  17. 金子與重郎

    ○金子委員 鹽澤さんにひとつお伺いします。ただいまお述べになりました医薬分業の問題につきまして、現在の制度任意分業なつていること、医薬分業日本の場合における伝統というものがそうなつておつて、今の医薬料というものは診断料と兼ねた昔からの薬礼的な習慣が残されていること、それから欧米において必ずしも強制分業が行われておらない、アメリカにおいても、約半分は医師投薬しておる。その次に調剤知識の問題につきまして、調剤学というものと製薬学というものの区別からいつて調剤学においては医師は決して劣つているものではない。その次の問題として、医療費が安くなるか高くなるかという見解については、おそらく正当な診察料をもらうならば、結局高くなるのではないかというような御意見。それから一般患者への影響がどうなるか、このことをお聞きしたのでありますが、大体において私もその御意見に対しては納得できるのであります。ただ結論といたしまして、この医薬任意分業にいたしましても、あるいは強制分業にするということも、要は国民大衆の医療に対する親切と、それと同時に、その親切は、医療的にも経済的にも親切な結果が生れなければならない、それだけを医師会は目標にして、今意見を主張しているのだ、こういうことの結論だつたと思います。そうしますとこの結論というものは、いろいろの御意見が出ておりますけれども、藥剤師会方面の御意見医師会の御意見も、結論として、われわれは自己の一方的な職業意識に立つて意見を言うものではない、まつたく国民全般の医療の面、同時にそれに付随する経済的な面をいかにかして向上させたいと念願するために、自分たちはこういう主張をするのだという点においては、幸いにして一致しておるのであります。一致しておるにかかわらず、どうしてこの問題がこういうように、犬とさるの争いのような、犬猿の状態なつているかということに、むしろ私どもは疑問を感ずるのであります。目的が違つておるならば、百年争つても一致点が見出せないということは当然でありますけれども医師会薬剤師会のいろいろの意見は、内容においては相違がありますけれども、結論は先ほど申し上げたように一致している。そういうことになりますと、これは両方とも謙虚な立場から、国民の医療厚生ということだけを目標にいたして行くならば、必ず一致するところが、私どものような第三者の立場にある者も、ひとしく一致するところが見出せるのではないかと思う。  そこで私はひとつお願いしたいことは、こういう目的が一緒であるにもかかわらず、どうして争わなくてはならないのか、單なる見解の相違であるか、あるいは一応りくつは立つけれども、実際の面が両方とも大きな欠陷を持つているのではないか、そうしてお互いに自分の方では欠陥を言わずに、長所だけを述べるということになりますと、当然そこに解決の道がない。そこで主として今後の問題として、今お願いする問題もそうであり、今後もそうでありますが、医師会任意分業なつておる、そうして任意分業がほんとうに国民のため任意分業であるならば、先ほどあなたのお話のように医師外科と小兒科、あるいは婦人科というものを、法制的には区別はしておらないけれども任意的に患者自体が選択しているわけですが、それと同じ姿になることは私もけつこうだと思いますが、そうならないで、今任意分業であるにもかかわらず、強制分業というものがりつぱな一つのりくつも立つし、あるいはそれに対して單なる薬剤師だけでなく、第三者からも賛成の意見が出ているということは、一般的なりくつを拔きにいたしまして、現在の日本医師のやつておる現状からいたしまして、医師会はこれに対してどういうような改善をして、強制分業でなくて、現在の任意分業制度がほんとうの任意分業制度として、国民のために生きるようにするためには、もう一歩前進して、どういうことをおやりになれば一番現実に即した解決方法になるかという点について、御研究がありましたならば、それを具体的に何箇條かあげてお答え願いたいと思います。
  18. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 ただいまお尋ねのありましたこと、私どもの申し上げましたところをよく御理解くださいましていろいろお話くださいましたことは、われわれとして感謝する次第であります。ただいま申されました、目的は同じであるが、何ゆえに犬とさるのようなことをしておるか、ほんとうに私ははずかしい次第であると思うのでありますが、これはわれわれとしましては、先ほどから何度も述べております任意分業が最もいいと信じ、また薬剤師側では強制分業が最もいいと信じて、そこに信念の差があるのでございます。われわれとしましては、任意分業で、これを一歩前進するために、先ほどもちよつと触れましたが、昭和二十五年の三月三十一日、日本医師会の第六回定時代議員会において決議をしておる。そこに医師薬剤師は協力してこの民主的な任意分業の法の精神を生かすべきである。こういうことを決議の中に入れてあるわけです。われわれとしましては、今まで任意分業なつておつたと言つても、協力が足りないということは、十分認めます。これはわれわれ大いに反省しなければならぬ点だと思つております。今後はいろいろな点においても、処方患者の欲するままに出ればよい。それをふさいでおる、あるいはそれをがんこに拒んでおるというようないろいろなことが、強制分業を主張する一つの根拠になつておりはしないか。そういうような点から言いまして、われわれはできるだけ協力しまして、患者の求めに応じて、この法の示してある通り処方箋を出して、それは患者が欲すれば薬剤師のところに行くのをちつとも拒みはしない。患者処方箋を見たければ見せてやる、御承知と思いますが、患者によりますと、処方箋の内容を見まして、どうもおれの病気が悪くなつた、これはこの病気はとんでもない病気だというようなことがある。そういうことになつては困るから、今の法律では禁じてある。またわれわれもそういうときは出したくない。あるいは睡眠薬なんかも、長く続くとひどい中毒を起す。ねむれるねむれるといつて、そのうちには睡眠薬をとつてしまうことがある。ほかの薬を入れる。しかしその患者は睡眠薬をやつておるからよくねむれると言う、ところが睡眠薬は二週間も前からやめてしまつておる。のんでおるのは重曹だと言つたら、そうかといつてなおつてしまうことがある。患者治療上、特に必要な場合は出さぬけれども医師会としては、出すことを努めてやろうとしておる。これはすでに実行しておる病院などもありますし、また今後一般患者さんの求めに応じてどんどん処方箋をだして、そうして今まで医者治療秘密にするとか、あるいは処方箋を出し惜しんでおるというような感じのないようにして、この問題を民衆ためにはかつて行きたい、こういうことを考えて、今医師会としては努力しております。
  19. 金子與重郎

    ○金子委員 ただいまの大きな問題を解決しようとするのに、二十五年の三月に決議されました、その任意分業制度というものに、医師会として協力しようというふうなお考え、これも一応けつこうだと思いますが、この大きな問題を解決するのに対しては、医師会の今の協力しようという程度のことでは、私どもはどうもこの問題の解決点には、あまり角度が小さ過ぎるというふうな感がするのであります。このことについて、今の薬事法なり、あるいはその他法的に現在の任意分業方法に対して、こういうふうな補足なり、こういうふうな改正なりによつて、もつと率直に、今の医師の人たちの、ややもすれば行われておるいろいろな欠陥というものを、防ぐことができるというふうなことに対して、もつと強い考え方、それからもう少し深い掘り下げ方をしたことはないのでありますか。
  20. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 ただいまのお話につきましては、われわれよほどいろいろの方面から考えたのでありますが、しかし現在行われておる制度が、現時日本医療には最も適しておると思つております。ただそれが十分行われないために、こういうようなものができて来る。これを強力に行う。われわれは積極的にこれに強力する意思を持つております。積極的に協力して行つたならば、この問題は漸次解決する。これはこういう問題でありますから、早急に解決はされぬかもしれぬが、漸次解決されて行く問題である。この法律はできましてまだ二年にならない。この法律があるかないかということを、知らぬ医者もありますし、また薬剤師方面でも、どうも議論を聞きますと、本式にそれがわかつておいでにならぬような議論がある。せつかく国会でおきめになつたこの法律を、一般に周知されていない。薬剤師も周知されていない、患者はもちろんであります。これを周知して、この法律をどこまでも生かして行きましたならば、これはかなり理想的な法律ではないか。欠陥はあるかもしれませんが、かなりいい法律ではないか。ただこれについて全然法律を知らせる努力もしない、あるいはそれを実行しようともしないのは、医師会側にも欠点がありますし、薬剤師側にも欠点があります。この点はわれわれは深く反省して行きたいと思つております。
  21. 金子與重郎

    ○金子委員 それならば最後にお伺いいたしますが、これを医師会の協力に待つ。たとえば処方箋の発行、さいぜんあなたのおつしやつておられる問題は、結論的に処方箋というものをもつと気やすく公開するというところにあると思うのでありますが、それならば、その処方箋というものを、かりにいろいろの診察をいたしまして、投薬の必要を認めたという場合に、その投薬が、こういうものを投薬することが一番正しい、また一番りつぱな療法だと信ずる、こういう意思によつて発行するのでありますから、それを患者の請求によりということをやめて、そして自分病気を決定したのと同じように、あるいは自分の意思を患者に告げる一つの文書、それを処方箋として必ず提示する。それは例外の問題はもちろんありましようが、必ず提示するということは、医者責任においては一体どういうふうになりますか。
  22. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 ただいまの医者責任においてやれという議論も、相当つたのでありますが、しかしいろいろの点、今処方を書くというようなことは、患者によればそれを見たくない人も相当あるのであります。実を申しますと、おれは見たくないという患者もある。しかしこれはまた今の民衆の教育が進んで行けば、全部が今お話のように、決定したから見たいということになつて来るが、現在においては見たくない人も相当ある。私ども処方箋をやると、処方箋なんかいらぬという人も相当ある。こういうような現状から言うと、何でも必ず全部出せというところまで、われわれが指導しなくても、現在のように、希望する場合において出せ、という程度を極力やつて行つたらいいのじやないかと、私はこう考えておるのであります。
  23. 金子與重郎

    ○金子委員 それでは私はこれで質問を打切りますが、実は今までの私個人の感じますところを言いますと、私はもちろん先ほど申し上げたように、医師立場でも薬剤師立場でもありません、ただ病院経営や何かを幾つかやつております関係上、幾分関心は持つておりますので、その点から言いまして、今の薬剤師会方々の御意見はよくわかりますが、それをどうすべきかという方策に関して、遺憾ながらその程度では、この問題の解決に対して熱意が足らぬ、私はこういうことを考えるのであります。お互いに国民のためにということを結論として言うならば、もうちよつと現実の法規ということよりも、現実にやられておるたくさんのお医者さんたちの中にどういう欠陷があるか、その欠陥を、自己陣営の欠陷をあれするためには、法にたよつてそこに少しはむりがあつても、よりいい方に行くためのむりであるならば、医師会は断然行うべきだ、その方面に対し、今後もうちよつと法的な具体的な問題を取上げるまでの間、熱意を持つて解決の方法を考えていただきたいということをお願いして、私の質問をやめます。
  24. 丸山直友

    ○丸山委員 二点ばかりお伺いしたいと考えます。先ほどのお話で、医薬分業という定義が、一番最初にお話があつたわけであります。現在法律で行われておる任意分業を改めて、法律をもつて強制的に分業をすることが分業である、こういう定義のお話があつたのであります。この点、私ども近ごろこの分業ということを論ずる人たちの間でも分業ということの定義が、まだはつきりきまつておらないのではないかと、私には感ぜられる節があります。たとえて申しますると、この問題のきつかけになりましたサムス准将の言葉の中にも、法律の改正が必要であると言われた場合もありましたし、また、しいて法律の改正は必要ではないと言われた場合もあつたのであります。この厚生委員会ではなく、他の機会において、この前薬剤師協会側の意見を承つたときには、強制的に法律をもつて分業をすることが分業であるというふうに承つたのであります。それに対して医師会側もそれと同様に、医薬分業とは、法律をもつて医者調剤権を絶対に禁止することであるというお話がありましたが、そのお考えは今でも確固としてかわらないものでありますか。それが質問の第一点であります。
  25. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 ただいまお尋ねの件は、現時行われている分業問題というふうに限定して考えますと、そういうふうになるのであります。これは過去の分業問題や将来起る分業問題というのではなく、現時行われている分業問題というものを、われわれは今丸山先生のお話のように解釈しております。
  26. 丸山直友

    ○丸山委員 そういたしますと、医薬分業ということになつて、法律的に医者調剤権を絶対にないようにするということになりますと、いろいろな治療上の支障を生ずる面があると考えるのであります。その点に関しては、先ほど一般民衆ためとか、あるいは経済的方面お話でございましたけれども医者から調剤権を絶対になくするという法律をつくつた場合において、どういう故障が起り、どんな障害が起るかということについてのお話はなかつたようでありますが、それに対しては、障害が起らぬとお考えになりますか、起るとお考えになりますか。
  27. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 この問題につきましては、先ほど医者治療上の責務という点において、支障が起るというふうに申し上げたように思つております。医者治療というのは、一定の方針に基いて、一定の連関を持つて来ておるのであります。その中に投薬ということは当然入つておりますから、一貫した治療行為——患者生命を託された医者として、一貫した治療をなして行くという場合に、その途中におきまして医者としての責任を持てない部分が出て来たら、それを他人にやつてもらうということはちつともかまいませんが、医者責任のもとにやるという場合においては責任を持つのであります。それが法律をもつて禁止されて、他の責任のもとに行われるという場合には、治療において非常な危險もありましようし、また責任を持てない非常な障害が出て来るのであります。これは先ほど私が治療に対する医者責務という点で少し触れておきましたが、一貫した治療が途中で中絶されて、責任を他に移してしまうということは、われわれとしては忍ぶごとができないのであります。
  28. 丸山直友

    ○丸山委員 法律をもつて強制的に分業を行う、すなわち医師から調剤権を全然奪つてしまうということは、医者が自己の任務を遂行する上において支障を生ずると考えます。そうなれば国民の利益のためにこの問題を争うということよりは、医者というものが自分の任務を遂行する必要上、自分責務を果す上において、そういう法律ができては困るという結論が起るわけだと考えられるのでございますか、そうはお考えになりませんか。
  29. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 もちろんそういう点は考えられます。
  30. 丸山直友

    ○丸山委員 次に経済的な問題でございますが、先ほど来の質疑応答にもございましたが、現在任意分業法律ができておつて、しかも医者処方箋を発行することがあまり行われていない。それは医者処方箋を発行することを好まないからであるというふうなことでありました。私も医者でありまするから、多少内容を知つておりますが、医者処方箋を発行することをいやがるのは、その処方箋を発行した場合に、診察料、再診料というようなものをとらない習慣がある。日本人には、技術料に対する正当な報酬を支拂わない習慣がある。それで、処方箋を発行した場合には、その医者は経済的に自分が生活することかできなくなるという現象が起るががゆえに、いやがるのであろうと考えるのであります。しからばこの任意分業というものを発達させて、今の結論にありましたようなことをするには、処方箋を発行しても、医者が経済的に困らない、つまり技術料を完全に患者から拂つてもらうような組織にすることが好ましいと思うのであります。そういうふうになりますれば、当然診療費の増加を来すと考えられるのであります。その増加の割合は、先ほどのお話であると大体三%から五%の増加ではないかというお話があつたのであります。そのくらいのことではたして医者の生活が立ち得るかどうかということについて、私は多少疑問を持つておりますが、三%ないし五%の増加にとどまるであろうということに関しては、何か資料がございますか。
  31. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 治療費の増加は、少くとも三%ないし五%と申し上げましたが、これにつきましては、はつきりした数字は申し上げかねるのであります。いろいろの方面から推測いたしますと、少くもそのくらいの増加はあるのではないかと思いますが、これは現在厚生省の臨時診療報酬調査会でその決定を急いでおりますから、これが決定されれば、もう少し正確に近い数字が出るのであります。ただ、今のところわれわれは医者の生活あるいは薬剤師の生活というようなことから推測し、そのほかの資料から推測しまして、ここで資料をもつてそれを御説明申し上げるほどの根拠を得ておりません。
  32. 丸山直友

    ○丸山委員 ただいまの御答弁によりますと、さきのお話の三%ないし五%という数字は、一応の推測であつて、確実なものでないと了承してよろしゆうございますか。
  33. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 さようでございます。
  34. 丸山直友

    ○丸山委員 私の質問はこれで終ります。
  35. 堤ツルヨ

    ○堤委員 ちよつと鹽澤先生にお伺いいたします。今大体御説明を承りましたが、皆さん方からいただいたこの山と積まれた調査の資料を、あらためて勉強する間も実はないのでございます。今までに相当お知惠をつけてくださいまして、私たちも賢くなつたわけであります。金子委員から御発言がありましたように、薬剤師側においても、医師側においても、相当ごやつかいになるところの一般大衆に重きを置いてこの問題を論じておいでになるというふうに、近ごろかわつて来たように私は思うのであります。これは皮肉のように聞えるかもしれませんけれども、私たちの立場から見ておりますれば、大衆を無視して、むしろお医者さんと薬剤師さんが、治療費のわけ前の取合いをしていなさるような感じの議論がございましたように、過去においては見受けたのでありますが、ごく最近に至りましては、それが影をひそめて、大衆中心になつて参つた。今丸山委員が御指摘になりましたような、医者としての重大な任務を遂行する上からも、強制分業に対しては、もつとはつきりとしたお医者さんの根本的な意見が出されなければならないにもかかわらず、私は本日の御説明並びにまだこの資料を拜見いたしておりませんが、医師会においても、まだ確たる御意見が、データの上において、あるいはまたいろいろな面においてもないというふうに、私は拜見するのでございます。私はこの前の国会におきましても、参考人はお見えになつておりませんけれども、厚生省がサムス准将のお言葉をその通りお受けになつて、何ら実情にそぐはないような方向に結論を持つて行こうとするきらいがあるといつたような、厚生省に対していやみを申したのでございますが、今後われわれ衆参両院の厚生委員会が中心になつて、立法をいたすかと思つておりますので、今後もいろいろと御調査なつたところの資料をいただくことと思いますけれども、本日御説明になつたよう医師会の態度では、私は何だか食い足りないものがたくさんございます。何だか近ごろの輿論に迎合いたして、お医者さんが腰碎けになられたようなところがあると同時に、また当然もつと医師としての御意見を発表になつていいところを、御遠慮になつている向きもあるやに思います。また各府県に私たちは調査に参りましても、必ずしも日本医師会の御意見と地方の御意見とが、私たちのところにそのままに一緒になつて来るような御意見でないようなところもございます。私はその点において、中央における医師会の幹部の方々が、各都道府県におけるところの医師会方々の御意見をもつと早く中央で收集されまして、私たちが信頼し得るような、しかも今後十分御威力を発揮なさることができるような資料を集めていただきたいと思います。たとえば今丸山さんがおつしやいました調剤権の問題でございますが、調剤権がほんとうに医師責任を遂行する上において、そのお医者さんの力によつてこれを曲げずに百パーセントうまく利用されておる場合もあれば、先ほど中川さんがおつしやいましたように、これが悪用されておる場合もあるというような面において、お医者さんが薬でもうけておるというような結論が生れて来たようになつて、相当良心的な医者が、これで迷惑をこうむつていらつしやるというようなこともあつたのであります。こういうことを考えましたときに、医師会におきましても、薬剤師会におきましても、私たちの目から見ますれば、失礼過ぎるかもしれませんが、良心的な方、りつぱな方をまじえて、ほんとうの玉石混淆のような場面がなきにしもあらずでございまして、この良心的な人たちの今後の医師会の御処置に対する考え方をもう少し聞かせていただく必要があるのではないかと思つているものでございます。私は、まだこれもはつきり拜見しておりませんので、いかがかと思いますが、今鹽澤先生が御発言になつたのでは、まだ少し食い足りないような、今まで承つた以外に一歩も出ない、しかも相当水準の上つて来た輿論に迎合したような結果になるとしか、今日受取れないような感じがするのであります。その点について、もう少し聞いておきたいと思います。
  36. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 ただいまいろいろお話がありまして、医師会が輿論に迎合しておるというようなお話もございましたが、決してわれわれは輿論に迎合しているのではなく、世の中の思想と同様に、われわれの考えも時とともにかわつて行くのであります。かわつて行きますけれども、われわれの調剤権が医療上必要だという主張においては、少しもかわりはないのでありまして、それを具体的にどうかと言いますと、先ほどもちよつと申しましたが、われわれの診療する責任、われわれに生命を託された患者診療に一貫した方針を貫く、一貫した手段をやる上において、われわれの責任外の者をここに入れて、お前この患者生命責任を持てと言われても、できないことです。われわれは全部に一貫した中においては、われわれの責任のもとに薬剤師調剤を依託するのを拒むものではありません。われわれの責任のもとにおいてやるのは拒みません。それを法律的に介在してはならないというような部面をつくられては、どうもわれわれはできないというような意味でございまして私の申し上げましたことが、輿論に迎合というふうにとられては、たいへん遺憾でございます。決して迎合しておりません。医薬というものは、初めから民衆ため、公共のためにできておるので、医者がマネーをもうけるため薬剤師の経営をよくするためというのではなくして、——それは経営の結果そういうことになるかもしれませんけれども、われわれの祈願しておるところは、すなわち民衆ためということでございますから、これは決して迎合したとおとりにならぬように、お願いいたしたいと思います。
  37. 堤ツルヨ

    ○堤委員 少し私の言葉がきつ過ぎたかもしれませんが、その辺は失礼いたします。これは医師会方々も御存じかと思いますが、各政党におきましても、この医薬分業の問題を法律でもつて即時強制分業にするかということに対しては、賛成している政党はございません。また厚生委員会におきましても、両調査会の発足にあたつて大臣並びに本省においては、強制分業に持つて行くんだというところの結論を持つてこの調査会が発足することはやめてもらいたいというところの警告をしているくらいでございまして、ことほどさように愼重な問題でございます。今まででの問答にございましたように、医師法薬事法、あらゆる現行の医療制度に対するところの法律に検討を加えられて、そうしてもつと大衆にぴつたりするところに改めて、しかる後に現在の任意分業をもつと理想的なものに持つて行く。さらに高い理想といたしましては、何年か後になりましようが、強制分業の形をとつてもさしつかえないというところまで実態が参りましたらその理想に向つて行く。技術的にある期間を利用して移行して行くというふうに考えるのが、私個人の考えとしては妥当ではないかと思つているわけであります。でありますから、現在の法律が、お認めの通り、協力の足らない点であるとか、また大衆もこれに協力を必要とするのでございますが、法律相当よくできておるのにかかわらず、これが百パーセント運用されておらないということは、どういう原因によるかということの研究なども、私たちしろうとよりも、むしろ患者をお扱いになつておるところのお医者さん方のまじめな御意見が大切なのでございますから、十分尊重させていただきたいと思いますので、どうかくれぐれも、私が今までに承つた以上の参考資料を今後もつといただけるようにお願いしたいと思います。
  38. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 よくわかりました。ただいまも日本医師会としましては、いろいろな調査はすでにやつておりますから、できましたら、皆さんのお手元に差上げたいと思います。
  39. 堤ツルヨ

    ○堤委員 議事進行について……。私ちよつと出席が遅れましたので、初めにお打合せがあつたのかもしれませんが、大体どういうふうに時間を——二日ということになつておりますが、大切な問題でございますから、お医者さんばかりに時間を長くとつて薬剤師さんをちよつとやるということでもいけませんし、その辺の時間の割振りを委員長に考えていただきたい。二日しかないのでございますから、有意義にやつていただきたい。大体わかつておりましたらお聞かせ願いたい。
  40. 寺島隆太郎

    寺島委員長 了承いたしました。
  41. 高橋等

    ○高橋(等)委員 私ちよつと遅参をいたしましたので、私が参りますまでに御説明があつたかどうか、もし御説明があつたとしますれば後ほど速記録を読ませていただきますが、先ほど丸山さんからの御質問にお答えになりました際に、医薬の完全な分業法律できめた場合、医師治療に対する責任が分断するということをおつしやつておられる、これはこの問題につきまして、最も重要な点だろうと私考えます。もう少し詳しく具体的に承らわしていただきたいと思います。
  42. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 現在におきましては、すべて治療が一貫して医者責任のもとにある、そうして患者薬剤師のところに任意に行つたというときでも、調剤そのもの患者医師の承諾のもとに行くわけでありますから、法律で別にそれを分離しているわけではないのであります。しかるにそれを法律で分離すれば、すべてのものがそつちに行つて医者には必要があつて調剤することができない。そうすると、そこに責任をとれないということが生じて来る。現在におきましては、一貫して医者責任を持つて調剤できるのですが、それが強制になつてしまうと、一貫した中に持つて行つて法律医者の介在できないものができて来る、そうすると医療の上において、最もといいますか、相当重要度のある投薬部分に、医者責任の持てないものができて来る、これを非常に私どもはおそれるのであります。
  43. 高橋等

    ○高橋(等)委員 もう一度お伺いいたしますが、それは患者が御医者さん方がお書きになつ処方箋薬剤師の方に持つて行かないというようなことを意味するのですか。それともあなた方か処方なさつたところを、薬剤師の方で忠実にこれを調剤するなら、同じことじやないかというような議論もあるわけですが、一応その点をもう少しわかるようにお話願いたい。
  44. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 いろいろそういうふうなことは申し上げにくいですけれども、今までわれわれが出しました処方が、そのまま調剤されているかいないか、疑わしい場合が相当あるのであります。実を申しますと——そういうようなことを申しますれば、何かどろ試合のようになりますから、私どもは愼みますけれども、そういうようなことがありまして、たとえばここにジギダリスならジギタリスという薬を盛りますと、この薬は大体何時間後に利尿が起きて来る、小便が出て来る、あるいは脈が減つて来るというようなことを予測して、われわれは責任を持つてやる。ところがそれがはたして入つているか入つていないかということを疑われる場合も、今まで相当つたのであります。しかしこれは人間の身体でありますから、はたしてどうかということは言えません。またその調剤された薬を分析してみたというようなことも、それはあるかもしれませんが、われわれはそうしたことはない、どうもわれわれとしては、そういう点におきまして信頼できぬことも相当あつた。また何でもかんでも処方を出すというと、あるいはそれがほかの方に持つて行かれてしまうというようなこともあるのであります。あるいはわれわれの処方を持つて行つて、何でもないときにのむ、あるいは三日という処方を出してあつたのに、十日も二十日もたつてまだそれをのんでおつたというような事実もある。そういうようなことになつて来ると、われわれは責任をとれないということができて来る。これが普通のかぜぐらいならばさしつかえないが、相当重症であると、たいへんなことになつてしまう。またもう一つは、たとえば扁桃腺が悪いような場合、これは單純な扁桃腺ならば、じきなおるのでありますが、しかし扁桃腺と見た場合に、それがジフテリーだつた、あるいは猩紅熱だつたというような場合に、これをたえず観察ということをしないとできかねる。ですから、先ほど申し上げましたように、薬局が整備されて信頼でき、またそういうふうな点が是正されて来れば任意分業はどんどん進行して来るのだ、決してそれを拒むところではないと考えております。
  45. 寺島隆太郎

    寺島委員長 それでは委員長から、ただいまの鹽澤参考人の御意見に対して、補足してちよつと伺いたいと思いますが、医師会側医薬分業に対する所論中に、薬理学薬剤師よりも医師の方がより多く知悉いたしておるという客観的事実についてお伺いいたしたい。
  46. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 薬理学、たとえば、今ジギタリスということを申しましたが、強心剤でありまして、強心剤ということにつきましては、薬剤士も御承知であり、たとえば一日の量を幾らにするということは、薬剤士もみな知つている。しかしわれわれは薬理ばかりでなしに、実地上にそれを絶えず応用している。薬剤士の方も実地に応用しているが、はたして小使が出たのか、心臓の脈が百もあつたのが八十に減つたというようなことは、本では御存じかもしれませんが、実際にはおわかりになつていない。われわれ医者は、習うばかりでなしに、実際に使つて経験している。これがなくては、われわれは処方を書くことも、治療をすることもできない、そういう意味を申し上げたのであります。
  47. 寺島隆太郎

    寺島委員長 広義の薬学中において占められる製薬学、調剤学薬理学等において、ただいま問題になつておりまする医薬分業の場合に、主として議論の焦点となるものは、調剤学並びに薬理学であろうと思うのでありますが、調剤学並びに薬理学の分散の度合いが、医師及び薬剤士のそれぞれについて、差異がどれくらいあるかというようなことについてお伺いいたします
  48. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 調剤学ということも、薬剤士のほうは相当余分に習つていることは習つております。しかし、医者もこれは講義を聞いてやつているのであります。しかしまた調剤学というものは、そう高度な手技を要するものではないと思います。そういうような点から、医者にやらせれば非常な危險が——絶対ないとは言えませんけれども——調剤学ができまして、七、八十年になると思いますが、その間に医者がつくつたためにひどいあれがたくさんあるかというと、決してそうたくさんないのであります。ですから、これをどうしても医者がやつたら危險だ、困るというほどのことはない。薬剤士がやつて非常にいいと思われる点は、医者の見た処方薬剤士がもう一回見る点に利点を認めている。それも二人の手で見るという利点がありますけれども医者が注意をして書いた処方ですから、それを必ずしも医者がつくつて非常に危險だというまでには行かない。現在までこうやつて来ている。患者方がそれに不安を持つていないということを見ましても、そういうことが言えると思います。
  49. 寺島隆太郎

    寺島委員長 ただいま鹽澤参考人の所論中に、任意分業がスムーズに行われるならば、強制分業等のことはなくとも、絶えず大衆の要望する、また法的に考えられている命題は解決せられるという御意見のようであります。私どもの実態調査によりますと、相当なる有名な薬局において、処方箋の数がわれわれの常識をはるかに下まわつて、あまりに少いという理由は、啓蒙宣伝が足りないという一事で済むべきものなりや、もしくは医者薬剤士の主観的なことによるものなりやという点を、やや解明的にお話願いたい。
  50. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 今のお話、実地に調査になりまして、薬局調剤数が意外に少いという点は、われわれ医者の方にも、そういう啓蒙の点が少いということが言えますが、実は薬局等に行きまして薬をとつても、決して経済にはなつていない。われわれが時たま患者処方箋を差上げても、行つて薬をどのくらいもらつて来たかというと、むしろ医者がとるよりも高いのであります。患者はそういうような点がありまして、医者からもらつた方がむしろ経済的でもあり、また医者調剤を現実においては信用しておる。こういう点におきましての啓蒙の足りぬ点は相当あります。この点につきましては、先ほどいろいろ御注意がありまして、われわれといたしましても、できるだけやつて行きますが、現時の経済状態からいつて薬剤師のところに行つても、決して薬は安くない、こういうことは私申し上げられると思う。こういうような事情が、薬剤師のところに処方箋のまわりの少いある程度の原因になつている、こういうことも申し上げたいと思います。
  51. 寺島隆太郎

    寺島委員長 ほかに御発言はありませんか。
  52. 金子與重郎

    ○金子委員 もう一つお伺いいたしますが、医師処方箋を出すということについて、処方箋を出すことによつて、かえつてその患者に必要以上に精神的打撃を與える場合もある、治療上逆な結果が来る場合がある、そういうことを先ほど御説明になつたように思いますが、この問題は私も一応了承しておるのであります。確かに病院なんかを経営しておりますと、入つて来た新しい医者は、正直に診断の結果を患者に告げ、その他の処置をとりますが、どうも診断病気そのものだけの診断でなく、精神状態診断も一緒にやらなければならぬ。その点開業医は達者であるが、自分たちはなれないために失敗したということを、医者からもよく聞くのであります。そういうことから、否定はしておりませんが、また逆な見方からするならば、私は少々その弊害があつても、国民全般の医療知識を増して行つて、そして自分がテーベであろうが、あるいはもつといやがる病気であろうが、はつきり認識して、その上で治療に当つて行くという方向に、やがては向けて行かなければならぬものだ、私自身はそう考えております。特におがんで護符をのませて行くようなことを禁じているだけに、私はそういう点は認めますけれども、そういう点が処方箋をだれにも交付すると欠陷があるという点だとするならば、それは私は弊害をある程度まで忍んでもよろしいのじやないか、こういうふうに考えております。それからもう一つは、処方箋を必ず出すことによつて、あるいは便利な地帯においては、それだけ医者の收入か減るということであるならば、これは別の問題として考えなくちやならない。この二つだと思いますが、前の治療上精神的な打撃を云々という点からいつて処方箋を出すことに躊躇するということがあるとするならば、私はその点は全部を賛成しかねるような気がするのでありますが、それに対する御意見はいかがでございますか。
  53. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 ただいまお話がありましたが、これも御意見でございまして、だんだん世の中が進んで行きまして、昔は結核などと言われると、すつかりまつ青になつたのでありますが、今は結核だと言われても、決してそうこわがらない。むしろ進んで外科手術をやつてくれというような世の中ですから、御説の通り精神的の打撃というものは、だんだん減つて来るものと考えられるのであります。そこでこの点はわれわれといたしましても、できるだけ出すように努力したいと思います。
  54. 堤ツルヨ

    ○堤委員 ただいま委員長が御質問になりました薬局における調剤率が割に少いということ、これは私どもも見せてもらつておるところですが、今鹽澤さんが御答弁になつたように、医者がやるよりも、むしろ薬局に行つた方が高いということが原因だということも、もちろんあるように思います。しかし私などしろうとで拜見いたしておりますと、非常に注射を多くなされて、注射で片をおつけになるような場合が非常に多くなつた。むしろ処方箋を出して薬局患者をやるよりも——もちろん先ほどの丸山先生との問答のように、責任を御遂行なさる上において、注射の方が完全に近いというのでなさる場合と、もう一つ悪く考えれば、調剤で薬屋に行かせるよりも、多少色をつけて少しもうけてやろうというお医者さんもあつて、いろいろな注射薬が出て来たので、注射を相当多くお使いになることが影響しておるのではないか、必ずしも薬局の窓口に行つた方が薬代が高いからということにはならないと、公平な立場から見ておるのですが、私のそういう考えはどうでしようか、お医者さんに都合悪いかもしれませんが……。
  55. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 都合悪くはありません。注射をしてもうけるからいけないというお話ですが、先ほど丸山さんのお話にあつた通り医者としては、どこまでもいい治療をしたい、また完全な治療をしたいということで、現実にいろいろな注射薬ができて来たし、そういう関係で多少ふえて来ておりますが、そうかといつて注射ばかりがふえて、のみ薬が極端に減つたというところまでは行つておりません。やはり多数の医者の中ですから、御批判のような者がおるかもしれませんが、われわれ医師会としては、極力これを矯正し、裁定委員会もありまして自粛方面に十分努力しております。多少はそういう方があるかもしれませんが、一般からすれば、何とかいい治療をやりたい、いい治療をするには、注射薬が発達しておりますから、注射が比較的多く使われる。それがために現在薬局に行く処方の数が減るというほどの原因にはならないと思う。薬局が高いというのは、全部高いという意味じやない、高いのが相当あるという意味におとり願いたいと思います。経済的にいつて薬局というものは安くない、こういうふうにおとり願いたいのであります。
  56. 堤ツルヨ

    ○堤委員 私、何もお医者さんを悪く言うたのではありません。私どもがお医者さんにかかる上において、たとえば私が蛔虫なんかおろしてほしいということになりますと、じかにお医者さんに薬をいただいて蛔虫薬をのみます。そうするとよくきくのはからだが黄色になつて、一日食べずにおらなければならない。子供なんかに蛔虫薬をのませようと思うと、これは三日がかりで計画を立てなければならぬ。学童であると、遠足があるとかなんとかで日曜にやるということになりまして、結局なかなかうまく行かない。そういう場合に注射でやつてもらえるということになれば、患者として楽です。これは注射の方がけつこうで、必ずしもお医者さんが注射でもうけるという見方をいたしておるのではありません。そういう面からして、私は薬局の窓口の調剤率ということも、公平に検討してみて、時々刻々にお医者さんの治療方法もかわつて行くのですから、その辺ただいま鹽澤先生がおつしやいましたように、治療術のかわつて行くにつれて、薬局の窓口に影響しておるというふうに考えるのですが、どうでしようか。
  57. 鹽澤總一

    鹽澤参考人 多少影響しておるのですが、ひどくはないと思います。お話のように治療法がかわつて来ておりますし、今後は御説のように注射の方がだんだんふえて行くだろうと思いますが、現実にそれほど影響して、おるかどうかということは、考えものであります。
  58. 寺島隆太郎

    寺島委員長 午前中はこれにて打切り、午後は一時より再会いたします。     午後零時十九分休憩      ————◇—————    午後一時二十一分開議
  59. 寺島隆太郎

    寺島委員長 これより休憩前に引続き委員会を再開いたします。  医薬制度に関する件を議題とする前に、お諮りいたしたいことがあります。現下の情勢にかんがみまして、医薬制度及び社会事業団体統合に関する緊急なる実態調査ため、委員派遣を行いたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  60. 寺島隆太郎

    寺島委員長 御異議なければさよう決定いたします。なお派遣委員、派遣の期間及び派遣地名等の決定及び申請の手続につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  61. 寺島隆太郎

    寺島委員長 異議なしと認め、さよう決定いたします。     —————————————
  62. 寺島隆太郎

    寺島委員長 医薬制度に関する件を引続き議題といたし、日本薬剤師協会理事長の高野一夫君の発言を許しますが、その前にわざわざ御多忙中にもかかわらず、本委員会に御出席くださいましたことに対しまして、委員一同を代表いたし、厚く御礼を申し上げます。何とぞ隔意なき御意見の御開陳を願いたいと存じます。  それでは高野参考人
  63. 高野一夫

    高野参考人 厚生委員会の皆様が、日本医療制度の改善について、かねて御研究なさつておることに対して、深く敬意を表する次第であります。本日はまた医薬分業問題につきまして、かねて賛成論を出しておりますわれわれの意見をお聞き願う機会をお與えくださいまして、衷心より感謝申し上げる次第であります。  私どもは、結論としまして、医薬分業に賛成すると同時に、その医薬分業法律をもつて規定していただかなければならないということを、申し上げるものでありまして、その理論を一つ医療費の問題、一つは学問の問題、一つは業務その他そういう制度の問題から、多少概略的に私は意見を申し上げてみたいと思います。現在私どもが、厚生省で設けられました診療報難調査会におきまして、日本医師会並びに厚生省、われわれの方から、あらゆる資料を提供して、出し合いまして、いろいろ医療の合理化、適正化について吟味をいたしておるのであります。そこに現われましたところの各種の資料は、多少誤差もあり、適正を欠く点もあるかもしれませんが、一応参考になるべき数字がございますので、それを基礎といたしまして、私どもが一応頭の中で、医療費はかくあるべきである、かようになるものではなかろうかということについての意見を申し上げてみたいと思います。  厚生省の調査によりますと、日本の国民は一人一年について、去年の九月は十四日余り病気をする勘定になる。今年の二月は、大体十三日弱病気をする勘定になつておるのでありますが、しからば国民一人当りといたしましては、どれくらいの医療費負担しなければならぬであろうかという総論にまず入つてみたいと思います。ここに厚生省から出されました国民一人当りの医薬費の負担額は、自分が支拂つた分でありまして、第三者が負担してくれた分はこの中に入つておりません。従つて第三者が負担してくれた医療費を加算いたしますれば、これより相当上まわるつもりでありますが、それを拔きまして、自分のふところから出した医療費、これが二十三年十一月は、一人当り八百三十八円九十銭になつております。昨年九月が八百二十二円、今年の二月が六百三十七円二十銭になつております。そこでこれを人口にかけますと、一昨年の十一月の調査におきましては、人口八千二百一万七十人といたしますれば、大体六百八十七億というのが、国民が自分で支拂つた総医療費に該当するかと思われます。昨年の九月は、人口八千二百万といたしますれば、一人当り八百二十二円でありますから六百七十四億、今年の二月はやはり人口を八千二百万といたしまして、五百二十三億弱、この三つを平均いたしますれば、六百二十八億弱というものが国民の総医療費自分のふところを痛めた、第三者が支拂つた分を除外いたしました医療費に該当する。そのうちで、一体医者のふところにどれだけ入つているかということになりますと、一昨年の十一月が七百三円六十銭入つている。昨年の九月は八百二十二円のうち六百四十三円九十銭、医者のふところに入つている。今年の二月は六百三十七円三十銭のうち四百九十四円九十銭が医者のふところに入る勘定になります。これを人口数にかけますと、一昨年の先ほど申し上げました総額のうちで、五百六十四億円余りが医師の收入になる。昨年の九月が、先ほど申し上げました数字のうちで五百二十八億弱が医師のふところに入る。本年の二月は四百五億強、平均四百九十九億九千三百万余り、ざつと五百億というものが、自分のふところから出した金のうちで、六万三千の診療に従事する医者に対して報酬として支拂われる額と見たいのであります。そこでこの五百億の内訳をいろいろ見ますと、大体これも厚生省の調査によりますれば、医者の收入の中の三割が薬代なつており、四割が注射料でありまして、実に医者の收入の七割が薬に依存しておるというデータが出ておるのであります。そこで総額といたしまして三割が薬代であるといたしますれば、百五十億が薬代になり、四割の注射料が二百億、合計三百億というものが、五百億の中の薬に依存した総收入と、一応見たいのであります。  そこでこの薬品原価と、いわゆる利益というのはおかしいのですが、そのあきを計算いたしておりますが、その前にこの医者の五百億の收入が、自費診療によるものと保險によるものと、どういう区分になつておるかと申しますと、保險による收入が大体三割、あと七割が自費診療によるものであります。従つて五百億の中の三割、百五十億が保險による收入、七割の三百五十億が自費診療による收入、こういうことになろうかと思うのであります。  そこで自費診療の中の三百五十億を例にとりますと、その中の三割の百五億が薬代である。この薬代は平均いたしまして、原価は三割になつておりますので、三割といたしますれば三十一億が薬品原価になりまして、そのあきが七十三億、こういうことになる。自費診療の中の薬代が百五億、その中の七十三億というものが、いわゆる商売の方でいえば利益になりますが、ここでは診察料を含み、あるいは医師技術料を含み、その他生計費を含まれたものと解せられる、いわゆるあきになる。保險の方で行きますれば、三割の百五十億の保險料の総收入でありますから、その中の三割の四十五億が薬代に該当する。その二八%が薬品原価でありますから、大体十三億弱、その余りが三十二億、こういうあきが出て参るのであります。  そこでもう一つこれを逆算いたしますために厚生省の調査資料を借りますれば、一体保險、または自費診療において、薬の單価がどういうふうになつておるかということを調べますと、これは一昨年の三月から八月にわたりまして、社会保險病院の十箇所について厚生省が調べられた薬でありますが、内服薬——これは患者に対する全投薬の八割を内服薬か占めている。そこで大体内服薬について調べますれば大よその見当がつくので、内服薬をお調べになつたものだろうと思いますが、社会保險において投與される内服薬の九三%、つまり九割三分という薬の数は、薬品原価が四円三十銭以下であるというデーターが出て参つておるのであります。これは四円三十銭は平均でありませんで、四円三十銭以下であります。一円のもあれば、一円二十銭のもあれば、一円八十銭のもある。四円三十銭を最高といたしまして、それ以下の薬品原価のものが実に内服薬の九割三分を占めておる、こういう数字が出て参るのであります。ところでこの内服薬一日分は幾らであるかといいますれば二点でありますから、乙地をとりますれば二十円になる。二十円の薬品原価が四円三十銭、そこで現在の保險としては、薬剤師調剤手数料を四円とつておりますので、薬剤師の手数料をかりに一日分四円といたしますれば、八円三十銭になりまして、差引十一円七十銭というものがあきが出て、これが再診料とか技術料とかいうものが含まれておると称せられる金額に概当するわけであります。そこで全保険の投薬の一剤当りの平均をとりますれば、大体価格が二十三円三十九銭になつておる。そうして薬品原価の平均が六円五十一銭になつておる。そこで四円の調剤手数料を加算いたしまして、差引十二円八十八銭というものが、平均いたしまして差額になるわけである。これが医師のふところに入るわけであります。  そこで先ほど申し上げましたこの保險の薬代、保險の方から医者のふところに入りますところの收入の中の薬代が四十五億です。この四十五億が、一体幾つの薬の数に該当する金であろうかということを逆算する必要があるのであります。私ちよつと計算して参つたのですが、先ほど誤りのあることを発見しましたので、数半を申し上げませんが、この保險の薬代四十五億を保險の薬代平均二十三円三十九銭で割りますれば、平均ここに剤数が出て参ります。大体二億何千万かの剤数になるかと思います。それからまた一方の自費診療におきましても、自費診療分の薬代が一日三十円以上あるいは五十円以上、各地によつていろいろ医師会の申合せが違うようでありますが、平均四十円といたしまして、それを四十円で割りますれば、自費診療による総薬代に該当する剤数が出て参ります。こういうようにいろいろ逆算して参りますと、分業になりまして——われわれは分業にすれば調剤原価計算で行くべきであるということを主張いたしておるのでありますが、もしも四円三十銭が平均原価である、あるいは六円三十銭が平均の薬代であるということになりますれば、これに調剤手数料を加えたものが薬代になるべきものであるということを考えるのであります。そういたしますれば、現在ここでわれわれが医師に支拂つておりますところの薬餌料なるものと、分業なつた場合の——あるいは分業にならなくとも、原価計算をした場合の薬代の差額というものは、ここに非常なる差額が出て参る勘定になるかと思うのであります。  そこで問題は、これは当然出て参りますこの差額をどうするか、これだけの差額が百億出るとすれば、この百億の金を国民負担から軽減さした方がよいか、それともそれだけ医師のふところがマイナスになるわけであつて医師の生活が成り立たない、それを再診料、技術料の名月において医師の收入の單価をふやすことにすべきであろうかということが問題になつて来るように考えます。そこで現在開業医の一箇月收入が幾らになつておるかということにつきまして、日本医師会から調査会に出された資料によりますと、これは昨年十一月から一箇月にわたつてお調べになつた数がわずかでありまして、はたして適正かどうかわかりませんが、月收九万四千七十一円という平均数字が出ております。この九万四千円余りの開業医師一人——ベツトのない開業医一人の收入の中で経費は幾らになつておるかというと、六〇%余りの五万七千四百七十九円、あとは生計費その他に使うものが三方二千九百八十一円で、三五%余りというものが経費以外に残る勘定になる。ところでこの経費の中には税金が含まれておる。われわれの常識からしますれば、税金というものは残つた金の中から拂うというような勘定をするわけでありますが、税金を入れた経費を差引いた残り、生計費その他に充当すべき金が三割五分というようなことが、これが現在のあり方でありまして、はたして今後、将来社会のいろいろな各分野との均衡をとる上から行きまして、こういうことが妥当であるかどうかということについても研究問題があろうかと考えております。アメリカにおきましては、サムスさんからもたびたび聞かされるのでありますが、アメリカにおける医師の收入は平均労働賃金の五倍であるというようなことを言つておる。調査会に日本医師会から出された資料によりますと、大体月平均收入か五千ドルになつております。ところかアメリカにおいて聞くところによりますと、最低労働賃金は一日二百ドルである。そうすると一箇月二十五日働くといたしますれば五千ドルになる。医師会から出ました資料では最低労働賃金の月收と医師の月收があまりかわりない数字でありまして、これはどうも違うのではないかという疑問を持つておりますが、かりに平均労働賃金の五倍といたしまして、日本の労働資金を月七千円といたして五倍の三万五千円になる。三万五千円というのはどうかとも考えられるが、かりに全国都市の生計費の平均をとつてみますれば、全国都市の平均、日本では一万二千円の生計費になつております。これの五倍ということになれば六万円になる、一万円ということになれば五万円ということになるということになるのでありまして、アメリカ流に一般の平均の五倍ということを考えるとすれば、日本においては平均労働賃金を基準にするか、都市その他あるいは全国の生計費の平均を基準にして何倍ということにするかということも勘案さるべきであろうかと考えます。そうして開業医一人当りの月收が幾らあつたら妥当であるか、医師だけが従来ともすれば全国民が強く印象を受けておるごとく、相当高級の生活をしなければならないということが、今後も正しいあり方であるかどうかということについても、詳細に研究調査の必要かあろうかと考えるのであります。なお全国の六万三千名の診療に従事しておる医者の中で、非開業の医師が大体二方くらいだと思つております。数字ははつきりわかりませんが、開業医が四万余り、ほとんどその中の大部分を占めておりますところの開業医の收入をどの程度に置くかという適正なる数字をはじき出しまして、先ほど申しました医療費の総額の中からいろいろ正しく計算し、逆算したりして参りますれば、私は医療費の合理化ということによりまして、ただこれだけでも現在と同様な注射をし、現在と両様な投薬をするものといたしましても、絶対に国民負担は上るわけがないという感じを持つておるのであります。なおあとで申し上げますが、分業になりますれば、私は不必要なる処方を書くということはあるまいと考える。現在日本における慣習は水薬と散薬の二剤を與えるというのが、ほとんど九割までの慣習になつておる。われわれがその処方調査すると、二剤の必要がないような場合が多々あるのであります。そういうこともいろいろ医師の方で適正に合理化されまして、一剤で済むものは二剤をやめて一剤を投與されるならば、ここに患者負担する費用は半減されるということも、医療費の方で頭に入れて計算すべきデータではないかと考えるのであります。医療費のことでいろいろ申し上げたいこともあるのでありますが、時間もございませんので次に移りまして、私はここで、医療担当者といたしまして、医学と薬学を修めた、または歯科医学を修めたという種類の人たちがいる、この学問上の相違について少し申し上げてみたいと思います。  日本においては明治六年に大学東校に薬学科を置かれましてから——当時は製薬学と称しましたが、置かれましてから今日まで、医学が独立独歩の進歩発達を遂げておると同様に、薬学も独立、自主性を持つた学問として、大学その他專門学校におきまして、りつぱな独立の学問であることは、いまさら私が申し上げるまでもないと思つております。ところでよくこういう話を聞くのであります。調剤というものは、いかにも薬学が独立した学問であろうけれども調剤はその一部分にすぎないじやないか、それくらいの学問は医者でもやれるということを聞くのであります。私はこの講論を非常にふしぎな議論として拜聽いたしておる一人であります。というのは、たとえば眼科医師が眼科の治療をするというような場合に、眼科の病気に関する学問だけをやつて眼科医が勤まるものでありましようか。医学の各部門の生理、解剖、内科、外科、あらゆる学問を一通りおやりになつて、しかる後耳鼻科は耳鼻科、眼科は眼科の局部的の治療に従事されるはずであろうと考えます。われわれの調剤おいても、なるほど調剤薬学の一部門にすぎません。しかしながら、その一部門にすぎない調剤の学問を活用いたしまして、その技能を発揮するためには、たとえば、眼科医があらゆる医学の知識を応用して学問、技能を生かすと同様に、薬学の他の部門の学科を生かしまして、そうして初めて調剤の学問、技能というものが活用されるのであります、従つて薬学の基本的の学問をやらない者は、調剤学をやつたからといつて、それで調剤がやれるというものならば、それでは医学の基本的部門をやらないものが眼科だけ勉強して、あるいは胃腸の学問だけ勉強して、おれは胃腸をやれる、眼科の病気はなおせると言うのと、あまりかわらない議論になるのではなかろうか。そういうような例を引きますれば、それは機械のことにいたしましても、法律のことにいたしましても、多々あろうかと思います。なおまた医者処方箋を書く。処方箋を書く以上は、薬のことをやつておるのだから、薬のことを書けるのだ、こういう話もよく伺うのであります。この点につきましては、なるほどどういう薬がどういう病気にきくという、いわゆる薬理学なるものは医学でやつておられる。これはわれわれどもでも多少やりますが、常識としてやるにすぎないので、どういう病気にどういう薬がどういう作用を呈するかということは、医学をやつた者でなければ、ほんとうのことはわからぬので、医師薬理学をやるのは当然であります。また従つて処方学をやるのも当然である。しかしながら、これは医学の立場から見た薬の使い方でありまして、この一枚の処方箋の中に幾つかの薬を処方なさるというような場合に、医学をやられた人たちは、医学的見地からこういう薬がよいということをここに盛られるわけです。ところがわれわれの方から見ますれば、その処方されているものは、薬の配合、あるいは量その他のことが、薬学的、いわゆる化学的立場から見て妥当であるかどうかを、研究する必要があろうと思います。私は分業の精髄はそこにあるのではないかと思う。医学の知識を応用して薬を使うというのと、薬学知識を応用して、そこに誤りがないかということ——たとえば、いろいろ実例がありますが、薬の量が非常に違う、あるいはここに二つの薬が処方してあるといたします。この薬はわれわれの方から見れば、化学的合成品といたしまして同じ化学成分の薬である。ところがそれがわからないために、名前が違つているために、この催眠剤を盛り、この催眠剤を盛るというような処方例は、頻々としてあるのであります。そういうような場合に、もしもここで薬学者がおりますれば、これとこれとは同じ化学成分であるから、これを一つ使えばよいのであつて、これを二つ使つたらたいへんなことになるということが発見されるのであります。この機能をよく生かしているのは、病院ですでにやつているわけであります。病院におきましては、医局から処方箋薬局にまわりまして、そこで薬剤師の手にかかつて、あるいは数量の誤り、あるいは薬の名前が違い、あるいはまぜてならないものをまぜてあつたり、溶けないものを水薬にしてみたり、いろいろするようなことがあつたような場合に、医局に問い合せて、その処方箋を書いた医師といろいろ相談をして、これは違うじやないか、どういうふうにしたらよいかということを相談されて、そうして完全な処方箋なつて病院の薬局では現在調剤が行われている。従つて病院の投薬というものに、外部に現われる限りは、ほとんど誤りがないということが実情であろうかと思います。現在、すでに軍はありませんが、以前陸軍、海軍がありましたときは、やはり医科と薬剤科とわかれましておのおのその学問、技能を生かし合つて来たのであります。そういうふうに、病院ではすでにそういうことをお互いに生かしておるにもかかわらず、医師の大部分のパーセンテージを占めるところの開業医においては、それが行われていない。従つて開業医が薬をかりに間違うことがありましても、それが表面に出ないわけであります。薬局に参りまして、薬剤師が薬を間違えれば、よく新聞に出るように、明るみに出るのであります。私はこれでよいのだろうと思う。人間でありますから、医者といえども誤診はあります。薬剤師にもいろいろありましよう。しかしながら、これが明るみに出ますれば、責任の所在がはつきりする、お互いに間違いを未然に防ぐことができると、かように考えましたので、私は処方箋の義務発行とか、あるいは治療内容の公開とかいうようなことをやると同時に、この処方箋両方で見合つて、そうして両方の学問が協力して、患者に適正な医療投薬を施すということに、学問を生かすべきではなかろうかと、私はかように考えておるのであります。  それから日本医師会においては、最近いろいろ説がかわつて来まして、つい半年前までは、医薬分業絶対反対であられたのでありますが、その後春ごろから、別に分業には反対しない、ただ法律できめるところの強制分業反対するのであつて任意分業には賛成をする、こういう説をお出しになつておるのであります。ところで、日本医師会任意分業論なるものを詳しく伺いますと、これは現状維持である。ところが、現状はどうなつているかと申しますれば、われわれは診察をしたならば、その治療方法医師患者に教えるのが義務であると思う。たとえば、胃潰瘍になつた場合に、刺激物を食べてはいけない、あるいは安靜にしなくてはいかぬということを教えると同時に、こういう薬をのまなければならぬということを医者患者に教える義務がある。その義務を果すのは処方箋の公開である。診察して投薬の必要があると医者が認めた場合には、必ず処方箋を渡さなければならないということにならなければならない。ところが現在は医師法二十二條におきまして患者が要求した場合は処方箋を渡す、しかしながら、医師治療上さしつかえあると思えば渡さなくてもいい、これを拒み得る、こういう仕組みになつている。ところで人情として自分のかかつている医者のところへ行つて処方箋をくれということは、なかなか言えません。言つてもいやな顔をされる。これはどうしても処方箋を出すということを規定づけていただきたいと思うのでありますが、ここにいう任意分業というものは、かりに任意分業という言葉が成り立つといたしますれば、診察をしたならば、その患者から要求されるといなとにかかわらず、必ず処方箋を渡す。その処方箋をもらつた患者が、その医院の薬室で薬をもらおうと、あるいは一旦外へ出て薬局で薬をもらおうと、自由に選択し得る状態にあるということが任意分業だと考えている。ところが処方箋の義務発行をやらずして、そうして任意分業ということは、われわれはとうてい考えられない。さらにまたその処方箋の義務発行をやりまして、そうして処方箋をもらつた患者任意投薬を受ける場所を、医師なり薬剤師なりを選択するということに、私は非常なる誤りがあろうかと思う。たとえばここにお菓子があるとします。厚生行政に関して虎屋のようかんを引合いに出すのは、少しおかしいかもわかりませんが、ここに岡埜のようかんがあるといたします。どつちも一流のようかんで、どつちでもとりなさいといえば、これは任意分業です。ところが虎屋のようかんと場末のサツカリンにズルチンをまぜて甘くしたようなようかんとを並べて、どつちでも同じことだからとりなさいと選択させることは、私は誤りをしいるものじやなかろうかと思う。この場合に、ここでサツカリン、ズルチンを入れたものが医師であり、虎屋のようかんが薬剤師であるとはあえて申しませんが、調剤に関する薬学專門の技能を持つている者と、しからざる者とを並べて、それに対する自由選択を患者にゆだねることは非常に危險である。私は議論としても間違つていると思う。これが両方とも同じように医学を修めている者と薬学を修めている者とを並べて、両方を選ばせるというなら、私は任意分業でもけつこうであろうと思いますが、常に学問技能が違つているものを並べて、それを選ばせるということは、私はその根本において誤りがあると思います。  なおまた外国においては多く任意分業である、法律でもつて強制しているところはないという説を、やはりしばしば聞かされる。ところがわれわれが調べたところによりますと、ほとんど外国の大部分は、全部法律でもつて分業を規定いたしております。まず第一に、この問題によく引合いに出される英国におきましては、なるほど英国はいわゆる任意分業あるいは医薬分業、そういう制度でやつて参りましたけれども、一九一二年に保險を施行するようになりましてから、調剤は藥剤師に限る。一九四六年に社会保障制度による社会医療を施すようになりましてから、完全に医薬分業が決定された。そのほか昔のドイツ、イタリアはもちろんのこと、スエーデン、オランダ、ベルルギー、デンマーク、それから欧州の小国に至りますまで、ほとんどたいてい法律で規定をいたしております。アメリカにおいては、ほとんど大部分任意分業であるということを言われますが、これも、われわれの調べは多少古いのでありますけれども、ほとんど大部分の州が、州法をもつて調剤薬剤師に限定するということをきめている。ただ医師投薬を例外的に許す場合がある。たとえばコロラド州におきましては、人口五百以下の村落であつて薬局のないところ、そういうところは医者調剤する。あるいはフロリダ州におきましては、人口二百以下で、その二百以下の村から二マイル隔たつたところでは、しかたがないから医師調剤を許す。あるいは三マイルまたは五マイル以内に薬局のないところ——向うは自動車がありまして、われわれの距離観念と向うの距離感覚とは違うのでありましようが、三マイルまたは五マイル以内に薬局がない場合は医師調剤する、あるいは人口六百以下で薬局かないところは調剤をさせる。ニユーヨーク州におきましては、やはりニユーヨーク州法をもつて分業を規定しておりまして、ただ人口一千以下で三マイル以内に薬局がない土地では医師調剤を許す、こういうようなことが規矩されております。なおアメリカにおきましては、われわれの方の刈米会長が、大体一両日のうちに、アメリカの三箇月の視察を終えて帰えられますので、そうしますれば、アメリカ四十八州の薬に関する州法の記録がすべてわかるわけであります。これをさつそく翻訳いたしまして、御参考に提供いたすことができますれば仕合せだと考えます。さように外国におきましては、すべてが法律で規定していないという説が、いかに誤りであるかということも、一応——あるいはわれわれの調べが足りないかもしれませんが、なお十分皆様の手で御研究を願いたいと考えております。  なお私が最後に申し上げたいことは、われわれは医薬分業と申しまして、医と薬とを離してしまう、何だかけんかわかれになるというような印象を。医師会の方もわれわれの方も、皆さんそのほか一般公衆に與えておるのじやないかということを、常に反省をいたしまして、もしもそういう印象を強く與えておるならば、われわれは大いに議論の仕方その他において、自重しなければならないということを反省いたす次第でありますが、われわれの考えまする分業論というのは、医師医師薬剤師薬剤師、おのおの学問技能を生かして、協力して適正なる医療を施し、そうして医療費の合理化適正化をはかつて患者が安心して高からざる医療費負担において、治療が受けられるような仕組み、外国のような制度日本もしていただきたい、こういうことを考えまするので、私はもしも皆さんの御研究の結果、そのお力によつて、ここに日本においても分業が実現するということになりますれば、医師薬剤師の協力体制というものは意外に早く、そして意外に緊密に実現されるのではなかろうか、かように考えておるのであります。たとえば一軒の家をつくるにいたしましても、設計するのは設計家であります。家を建てるのは、大工が建てる、家具は家具屋がやる、左官は左官屋がおります、また土を掘るのは人夫がやつておる。そういうおのおの持場々々があつて、その專門立場專門の技能を活かして、初めてりつぱな一軒の家ができるのであります。ところが田舎においては、そういうふうに持場々々の人がおりませんで、大工一人しかいない。しかたがないから大工一人に設計させて、大工と建具もつくらせ、壁も塗らせ、かわらを置かせるというふうにしてつくるよりほかない。こういうようなことでありまして、こういうことは、この分業を実施する上においても、われわれは参考として考えるべきではなかろうかと、実は考えておるわけであります。なおまた法律におきましては、御承知通りに、原則としては薬剤師でなければ、販売授與の目的をもつてする調剤はできないとはつきりときまつておるわけであります。これは明治八年の医制以来今日まできまつておる。ただ現在の薬事法はこの本則の但書により、その前は附則において、言葉はいろいろ違いますが、医者自分患者に対してだけは投薬ができるという除外規定がありまするために、せつかく本財において、原則として医薬分業を認めながら、事実はその本則をまつたくくつがえした結果に実情はなつておる。そこで大正十四年に薬剤師法を制定いたしますときの所管の内相であります若槻内相は、本則にいろいろなことをきめて、附則でこうして置いているというのは、これは例外法であり、便法であるから、これはいつの日にか本則にもどらなければならないということを、議会においても言明されておるのでありますが、われわれもやはりそうあるべき筋合のものではなかろかと実は考えておるわけであります。現在の状態は、たとえば機関士に機関士の免状を與え、運転士に運転士の免状を與えて、お前は運転させない、お前はひとつ雑役をやれ。弁護士に弁護士の免状を與えて、お前は裁判所の出入りはできないというようなこととひとしい実情に薬剤師は置かれているということを、ひとつ御考慮を願いたいと思うのであります。  なおまたもうひとつつけ加えて申し上げますれば、分業になれば非常に便利が悪くなる。従来一軒の家で診察してもらつて、そこで薬をもらう、それが今度は処方箋をもらつて別の家に行かなければならないということになつて、非常に便利が悪くなる、こういうふうな説が一部において出ておるのであります。いかにもそのことだけを聞きますれば、一軒で済んだところが二軒に行くのでありますから、便利が悪くなるように考えられますけれども、私はさようには思わないのであります。もしもこれを便利が悪いと称するならば、それでは医薬分業をやり、薬学と医学の分業をやつている外国においては、どういうふうに説明したらいいだろうということを、反問いたさざるを得ないのであります。なおまた、これは習慣から来てそういう感じがいたすにすぎないのでありまして、もしも最初から日本において薬剤師が多数おりまして、薬剤師が全国に普及しておつて、原則的に分業が行われておりまして、薬をもらうことは專門薬局行つてもらわなければならぬというふうなことになつておりますれば、また不便を感ずるという気持は起らないであろうと私は思う。たとえば、これもひとつつまらない例をあげて、まことに專門家の皆さんに恐縮でありますが、従来田舎に一軒の店があつて、その店で魚と八百屋を兼帶でやつておつた。そこに買いに行けば、魚も買えれば野菜も買える、非常に便利である。ところがこれが二軒にわかれて、八百屋專門と魚屋專門なつた。そうすると両方買う場合は、二軒に行かなければならないので、非常に便利が悪いようでありますけれども、しかしながら二軒になつておのおの魚屋專門、八百屋專門でやるために、それぞれ材料は新しく豊富になり、値段も安くなるというようなことになりますれば、私はどつちが市民にとつて便宜がよいと解釈すべきであろうかといつも考えるわけであります。  いろいろこまかい点もございますけれども日本医薬制度分業であるべきであるということを考え、その点について皆さんの御理解を願い、公正なる御批判を願うために、以上つまらない、かつてな議論を申し上げまして、まことに恐縮でありましたが、御清聽を感謝いたします。
  64. 寺島隆太郎

    寺島委員長 高野参考人の御意見は聽取いたしましたが、右御意見に関する質疑に入る前に、日本歯科医師会沖野節三君の御意見を伺いたいと思います。沖野君。
  65. 沖野節三

    沖野参考人 日本歯科医師会医薬分業に関する参考意見を今日述べろというお話がございまして、実は会長自身が出てお話するわけでございましたが、地方に出なければならぬ事情がございまして、私にかわつて出ろということと、同時にまた日本歯科医師会としても、資料の点については相当集めておりますけれども、本日はそういう資料のこまかいことではなくて、日本歯科医師会として考えていることを一言申して来いということで私がかわつて出て参りましたが、概論的なことを申し上げたいと思つております。  日本歯科医師会としては、医薬分業は、原則としては賛成であります。しかしながら、その原則が実施されるということに関して、非常に考慮すべき点が多々あると思うのであります。現在実際任意分業という形で分業が行われておるわけであります。先ほど医師会からも御意見があつたようでありますが、私はそれは承りませんでしたけれども、ただいま高野さんのお話を承つておりますと、任意分業であるけれども、ちつともそれが分業の実をなしておらぬというふうな御意見のように承りました。なるほど診察をしてもらつて処方箋をもらつて薬局に行こうがそこの医者でもらおうが任意なんだけれども、その任意が行われていないという高野さんの御意見でありましたが、私たちから言わせますと、これは両方責任があると思います。なるほど歯科医の方も、御希望のお方には薬を差上げますといつて待合室には書いてありません。ところが薬剤師会も、非常に努力をして医者に薬をもらうよりも、私たちの方に来た方が確かによいのだという民衆に対する信頼感を與えるべく努力をしていないということも事実であります。外国におきまして、薬は医者にもらうよりも、薬局行つてもらう方がよいということは、やはり薬剤師が非常に努力をして、医者のところでもらうよりも薬剤師の方がよいということで、自然にわき上つた民意が結集して、結局その結果を生んだのでありまして、その実があがつていないということは、どちらがよいとか悪いとかということではなくて、両方がそれ相当責任を分担すべきものであると私たちは思つております。それで日本におきまして原則的に医薬分業をやることになりましても、日本歯科医師会としては、何も医薬分業医者ためにやるものでないし、薬剤師ためにやるものでもなく、一に国民のためにやるものだという考えを持つています。ですから、国民がやつた方がよいという考えがあれば、やればよいという考えであります。  医薬分業は、外国ではできております。それは医薬分業をやるその時期に、社会的の諸條件が非常に調子がよかつたから、すべり出したとも解釈されますが、日本でも、過去においていろいろな時期がありましたけれども、現在のような諸條件の悪いときにこれを断行しようというところに、非常なむずかしさがあると思います。もちろん諸條件が悪いからこれをやろうといつてやるのも、一つ方法でありましようけれども、その実施においては、非常に愼重に考慮すべきものがあると思います。これは決して医師の考え、薬剤師の考えから考えるべきものではなくて、ほんとうに民意によるべきものであろうと思うのであります。外国におきましては、なるほど法的に医薬分業ができているというふうに申されますけれども、決してこれは法律医薬分業をしたのではありません。アメリカにおきましても、英国におきましても、これは医者にもらうよりも薬剤師にもらつた方が安くて、きれいで、そうして消毒もよくできておるし、たいへんいいという民意が結集して、結局法律をこしらえさせたのであります。民主主義国家においては、初めから法律によつてつくつたのではなしに、民意の結集するところ、法律を結成したものでありまするから、そのでき上つた結果におきましても、国民の不公平がないのであります。今医薬分業をやるのに諸條件が悪いと申し上げるわけではないのでありますが、実際におきまして、日本現状が複雑であるから愼重を要するというのであります。外国において医薬分業をやりましたときには、何も社会保險とか、国民保險とか、そういうふうな特殊な制約を受けた医薬状態において、医薬分業を行つたのではないのであります。大体自由診療状態における経済的安定、あるいは医療体制の安定の状態におきまして、医薬分業が発足したのでございますが、現在におけるような経済的不安定のときに、しかも医療体制におきまして——社会保險医療とか、国民保險医療とか、そういうふうな一般医療体制において医者が自由医療報酬なり医療態勢をとれない時期に追い込まれているときに医薬分業を持ち込もうというところに、なかなかの悩みがあると思うのであります。われわれは中にはさまつて、常に苦労をするのでありますけれども現状を見ましても——これは医師会にも、薬剤師協会にも申し上げないことでありますけれども、あえて申し上げますならば、調剤医師あるいは薬剤師がみずからなさるのが、法的の解釈であろうと、われわれは考えております。しかしながら、現在におきまして、薬剤師協会側では医師側のことを悪いことを申しますが、医師側にも、みずからしないという手落ちがあるかもしれませんけれども薬剤師側も決して薬剤師みずから調剤しておらぬのであります。そうして両方がみずからしていないということになり、他人まかせの調剤に、一体だれが最も監督の手が届くかということになりますと、国民は期せずしてどちらかにつくだろうと思います。そういう点におきまして、みずからしない以上は、監督の行き届いた方が信頼感を得られるというのが現状であります。ですから、やはり国民の信頼感を得るような態勢に持つて行くことが、目下の急務ではなかろうかという考えを持つております。  なおまた、医師は往診を求められた場合にそれを断りますと処罰されますが、薬剤師は薬を求められた場合に、薬がなくても、何らの処罰をも受けませんし、断るのも平気で断われるというふうな実情であります。こういう点を見ますと、薬剤師側におきましても、薬を要求された場合に、なかつたら自転車で飛んで行くとか何とかするという誠意を、もう少し表わしておつたら、今日までに相当国民の信頼感を得たのではなかろうか。特殊な処方がたまに来るのだから、そんなものはいらぬというような形が、やはり何とはなしに一つ現状を生み出した要素になつているのではないかと思います。そういう点から見ますと、医師が往診を求められて断われないと同時に、薬剤師自身においても、調剤を求められたときに断われないということになりますれば、結局薬剤師自身は、しよつちゆうその薬局にいなければならぬということになります。もちろん薬も整つていなくてはなりませんが、いなくてはならぬ。そうすると結局二十四時間、そこに薬剤師が勤務するという事情になりますならば、これまた経済的にも相当の変化が来るものと思います。今日のように、かつてな事情でなくて、しよつちゆう責任者がおるということになれば、やはり経済的な負担にもなり、これがまた国民の負担にもなるだろうということを考えております。  なおまた、私たちがしよつちゆう申し上げることは、厚生省にもお願いしておるのでありますが、現在の国民の経済負担力ということが、非常な問題になつておる。結局医薬分業をしても、国民の経済負担力との折合いがどこにつくかというふうなところに、疑念があるのであります。厚生省の調査によりますならば、医者に拂うべき医療費は約六〇%であつて、売薬によるものが三〇%であるというふうな調査の報告が出ております。そうしてみますと、約半分が売薬によつて医療行つておるというのが国民の現状であると、まず見られます。そうしてみますと、国民の医療に対する経費負担力は、三〇%が売薬によるというふうに考えられますと、医療に対する経済的負担ということは相当低いものであるというふうに見なくてはならぬ。しかもその売薬に関しましては、この前に新聞を見ましても、非常に多数のものがあつて、しかも不良であるとか何とかということが出ておりましたけれども、厚生省がほんとうに医薬分業というようなことをまじめに考えるならば、こういう売薬問題なんかも、もつと早くから考慮して整理し、同時に、こういう医薬分業調査会などに適切なる材料を提供すべきものであると思います。たとえば、その売薬かきくのだか、きかないのだか、そういうことに関してはいろいろ国民も疑念もありましようし、あるいはその売薬がどれだけ売れておるのだかということに関しても、ちつとも調査がない。ことに私たちが最もふしぎに思いますことは、いわゆる国民処方であります。すなわち数種かの処方がありまして——これは厚生省の解釈では製剤であつて調剤ではないということでありますけれども、たとえば何の薬が何グラム何の薬は何グラムというふうに、いろいろな量、あるいは薬名を列挙しておりまして、しかもたとえば胃が痛いという場合に、これに提供するのに、消化剤、健胃剤として数種のものがあります。そういうものを患者にそのときにまぜて売るにもかかわらず、これをあえて製剤というふうになつておるところに、医薬分業なんかをやる場合、根本的に考え直さなければならぬ要素がひそんでおると、私たちは見ておるのであります。たとえば、国民処方薬局に張り出してありますというのが、厚生省当局の返事であります。現在東京の薬局を見まして、どこにも国民処方の何種類かのものを、大きく民衆にわかるように張つてあるところはございません、そうして民衆は、腹が痛いと言つて行けば、どういうふうに痛いのですか、こういうふうに痛いたのですか、しぶるのですか、下るのですかといつて聞いて、初めてその国民処方の中のどれか適当なものを調剤しまして、投薬されるわけです。こういうことは確かに医療部分に入つておると、実は私たちは考えておるのです。こういうふうな根本的なことさえ解決しないでおいて、そうして医薬分業に入ろうという日本現状が、むしろ私たちはふしぎなのであります。  なおまたつつ込んで申し上げますならば、たとえば虫下しを出すのに、薬局の整備したところにおいては、虫の卵を顯微鏡でのぞいて、そのあつたものにサントニンを投薬するということになりまするならば、一体顯微鏡で虫卵を検査するということは、はたして医業でないのですか、診断ではないのですか、そういうところさえ、われわれは疑念を持つている。そういうところも根本的に現状において解決しないで、もつと飛躍的なことをやろうというところに、なかなかのむりがある。  これに関連しまして、私たちが考えますことは、医薬分業になりますと、医師の收入は、たとえば薬代が減るのだと、あつさり考えられますけれども、一体医薬分業なつた結果、薬剤師の收入がふえるのか減るのかということを勘案してもらいたいということを、常に申し上げております。たとえば、簡單に、医薬分業になれば、薬の分が調剤として薬局にまわるのだから、薬剤師の方では、ある意味において、今までよりも收入がふえるように考えれるかもしれませんけれども、もし医薬分業を断行したあかつきにおきましては、諸外国の例を見ましても、たとえば注射器一本すら個人には売らないのであります。みな医師、歯科医師、獣医師売つておる。そういうことから見まするならば、現在売られております売薬なんかの整理は、当然断行される、ことに国民処方のごときは徹底的に検討されるだろう。そうなつて来ますと、薬剤師が現在何をもつて生計を立ておるかということの数字を、厚生省あたりから出してもらいたい。医者の方はあつさりしております。薬を拔くのですから、拔くだけ拔けばいいのです。たとえば現在の国民処方のうちで、どういうものが最もよく売れて、どういうものがその收入の主体をなしておるのか。單なる売薬が主体をなしておるのか、あるいは化粧品がその收入の主体をなしておるのか、そういうところも勘案いたしませんと、両者の経済的なつり合いに変動を来すという点で、歯科医師会両者の中間に立つて、はつきりと両方の收入の点にも考慮すべきことを促しておるのであります。  なおいろいろなこともございますけれども、私たちから見まして——これは医薬分業と離れるかもしれませんが、私は現在学校の教師の一人をしておるのでありますが、現在社会保險の医療というものが、実際におきまして医学教育なり、あるいは薬学教育なり、歯学教育そのものとマツチしておるかどうかというところに、むずかしいところがございます。たとえば医学は非常に高度な教育をし、実際研究室においても高度なものをやつておるにもかかわらず、一たび外に出ました場合に、社会保險医療というわくに縛られまして、まつたく自分の習つた学問は宙に浮いてしまうというのが見られるのであります。そういうことになりますと、いわゆる社会保險医療自体に対しても検討を加える必要がある今日、さらに医薬分業をここに持ち込んで行くという場合におきましては、よほどの考慮をしてもらいたいという考えを持つております。そこで調査会におきましては、簡單医薬分業の基礎結果を出すというのみならず、適正なる料金をきめる、しかもその中に織り込まれております言葉には、医学、医療向上、しかも適正なる技術料を加算するということになつておりますけれども、実際今までにおきましては、医者がやつており、あるいは歯科歯師がやつており、あるいは薬剤師がやつておることに関しましても、その技術そのものに関して一体どういうふうにこれを見るかということは、日本の在来の習慣的には、はつきりした観念がないというふうにわれわれには思われる。まつたく無形の技術者に対して、いかにその技術を評価するかというふうなことに関しては、確かにまだ科学的な根拠ができていないというふうな感じがする。そこでわれわれとしましては、ほんとうに健康をなげうちましても、その資料を集め、單に医薬分業の基礎資料をなすのみならず、この際医学、歯学、あるいは薬学の科学的な技術の評価をしようというところに、非常な苦心をしておるのでありまして、そういうことをだんだん検討し、学校教育も考え、しかも国民の医療向上を考えますときに、これは速急にその結果を見るということは、なかなかむずかしいという感じがします。  なお私たちは、ここであえて申し上げますが、日本歯科医師会立場として申し上げますと、過日医師会、歯科医師会薬剤師協会の放送討論会がありましたけれども、あれは国民大衆から見れば、まつたく笑いものであります。あのラジオをこわすような喧噪のごときは、決して国民の声ではなかつたのであります。もしあれがほんとうの国民の声であつたならば、日本歯科医師会は、そのときただちにうちわをあげたのでありますが、あれは必ずしも国民の声とは聞いておりません。それで日本歯科医師会としては、医薬分業に対する基礎的検討を十分いたしますと同時に、これは決して医師会、歯科医師会薬剤師会ためではなくて、ほんとうに国家再建の、国民のためにきめるべきものだということを考えておりますので、もし一たび成案ができました以上は、その成案実施に関しては、いかなる力にもよらず、ほんとうに国民の力を、国民の意思を納得させるように、十分の準備期間を置きたいということを考えております。そういう意味から、その実施に関しましては、国民投票といいますか、あるいは地区投票といいますか、たとえば東京におきましても、單に東京だけの場合では、やはり事情が違いますから、空なら空で、こういうふうにした方が実際便利なのだから、一体諸君はどうするのかということを十分納得させるか、あるいは国民自身が医薬分業なつた方がいいのだ、早く法律を改正してそういうふうにしろというふうに持つて行こう、われわれは、一に民衆の意思の結集するところによつて実施をいたしたいという考えを持つております。詳しいデータに関しましてはまた差上げるとして、日本歯科医師会としてはこういう意見を持つております。
  66. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次に、日本薬剤師協会谷岡理事において、高野理事長の御発言に、さらに補足する事項がございますれば、お聞きしたいと思います。
  67. 谷岡忠二

    谷岡参考人 医薬分業の総括的の意見といたしましては、高野理事長から先ほど申し述べましたのでこれを繰返すことをいたしません。ただ先ほどのお話の中に、国民処方集の問題、あるいは顯微鏡による虫卵検出の問題、こういう問題がいろいろ出ましたので、これは決して討論ではなくして、薬剤師会意見として、この問題について一応御説明を申し上げておく義務を感ずるものであります。  国民処方集の問題と申しますると、これはそもそもこれの制定の由来からお話をしなければ、御了解を願えないかとも思いますので、簡單にこれが制定せられました由来について説明申し上げたいと思います。  戰時中におきまして、いろいろな営業がその企業を整備するにあたりまして、当時の売薬におきましても、同じく整備の対象となつたものであります。すなわち厚生省から総動員法に基くところの一つの省令によりまして、売薬企業体の整備が行われたのであります。大体売薬は、大略いたしまして三種類あつたのであります。その一つは本舗売薬と称するものであります。最も普遍的な、国民に広く使われておりました売薬でありまして、たとえば仁丹とか大学目薬等は、この本舗売薬に属するものであります。第二のものは配置売薬と称しまして、これは各戸に配置する売薬であります。第三のものは薬局売薬と称しまして、藥局を経営しておる藥剤師が自家において製造する売薬であつたのであります。今申し上げました三つの中で、本舗売藥、配置売藥は、おのおのその生産企業体を統合し、あるいは転廃業をいたしまして、それに対する補償を得ております。ただ藥局で製造いたしておりました藥局売薬のみは、何らの補償をも與えずして、政府が全国の薬局に対して一斉にこれの廃止をいたしたのであります。薬局で売薬をこしらえておつたということは、これは業者の側から見まするよりも、むしろ民衆の側から見まして、さような要求が多いということによつて薬局が売薬を製造しておつたのであります。しかるに何らの補償も與えずしてこの薬局売薬を廃止せしめた。これにかわるべきものとして、厚生省は一定の処方を明示しまして、この処方によるものを薬局において製造することを許したのであります。これがすなわちただいまお話に出ました国民処方の問題であるのであります。ここに処分という言葉がございますので、この処方調剤という言葉の観念から、いろいろ誤解を受けるようなことがあるのでありますが、これは正式に申しますれば、国民医薬類聚の第二部に收載されている医薬品でありまして、そのものを買うことが、すなわち硼酸何グラムを買い、重曹何グラムを買う、單体の医薬品を一般民衆が買うのとかわりがないのであります。何ゆえに国民処方という言葉を使つたか、これは外国にかようなものが多数あります。たとえばアメリカのナシヨナル・フオルメラリー等の言葉を直訳した結果、かような処方という言葉が使われたのでありまして、これは無診察調剤というものとは、全然別個のものであることを、御承知おき願いたいと思うのであります。なお薬局で顯微鏡を備えて虫卵云々の話が出たのでありますが、これは私は薬局として当然たことであると思うのであります。われわれ薬剤師が国民の保健をその業務の保命といたしまする以上、国民の保健に寄與するために、あらゆる奉仕をするということは、当然でありまして、国民の保健思想を向上せしめるためには、むしろ国民の家庭に一個ずつの顯微鏡が置かれることをわれわれは望むのであります。かようなことが望めない、そこで薬局としては顯微鏡を置いて、その依頼に応じて虫卵を検出してやる、これは薬局として当然のことであると思うのであります。  それからまた薬剤師がみずからの薬局において調剤をみずからやつていないというようなお話もよく聞くのでありますが、今日、日本薬局に、はたして何枚の処方箋がまわつて来ておるのでありましよう、わずかに一枚か二枚の処方箋がまわつて来る。その処方箋をみずから調剤するのは当然でありまして、薬剤師がみずから調剤していないということの根拠は、はたしてどころあるのか、われわれは疑うものであります。私ども薬剤師がみずから調剤しないということについては、薬事法の第二十二條にも、みずから調剤すべしとあるにもかかわらず、みずから調剤していない業態者もあるのでありまして、さような例も多数に見受けるのでありますが、かようなことはその制度を遵法せしめる努力によつて、何らの支障もなく解決するものでありまして、制度そのものの根本論とは、おのずから違つて来るということを申し上げたいのであります。  なお薬局の国民から見た信頼ということについても、いろいろお話があつたように思うのでありますが、現在薬局は、本年の十二月末日を期限といたしまして、法規の定めるところによつて薬局の設備を改造すべく命ぜられておるのであります。これは薬局登録基準に明記されておるのでありまして、この改造を万一行わなかつた場合には、薬局の登録ができないということになるのでありまして、現在このことは着々として進んでおるようであります。全国で申しますならば、おそらく三十億くらいの金を各薬局が出して、改造を行つておるということが推測できるのであります。  なお薬剤師が、分業になりた場合に、晝夜営業等を行うので、経済がかさむというようなお話があつたのでありますが、これらは、分業国の実際についてごらんになればおのずから御了解を願えることと思うのでありまして、薬局が小さい窓だけをあけまして、大戸をおろして晝夜の客の調剤依頼に応ずるというくらいのことは、さほど経済的負担にならなくして、われわれはこれを行い得るということを考えておるのであります。  なおいろいろ申し上げたいことがございますが、対論みたいにわたると、申訳ないと思いますので、私の話はこれだけで終ります。
  68. 寺島隆太郎

    寺島委員長 質問の通告がございます。これを許します。高橋等君。
  69. 高橋等

    ○高橋(等)委員 高野さんちよつとお尋ねいたします。現在医師処方をいたしまして処方箋を出したものを、薬剤師の方へ持ち込みました場合に、その医師処方と違つた方が適当である、医師の処分が誤つておるという認定をした場合に、現在の薬剤師は、自己の判断によつて処方箋と違う調剤をやつておりますかどうか、ちよつとお伺いいたします。
  70. 高野一夫

    高野参考人 たとえば配合禁忌とか、並を間違つたとかいうような処方箋の誤りを、薬学的に発見しました場合には、法律の定めるところに従いまして、医師に一応通告をいたしまして、そうして医師の承認を得て修正をしてもらうというようなことで、それによらなければ調剤はできないということになつております。もし万一今の御懸念のごときことがあるとすれば、それは違反行為であると考えております。
  71. 高橋等

    ○高橋(等)委員 現在医師にそういう相談をして訂正をしておるような例が、相当町の一般薬剤師に——病院を除きまして、多いものでしようかどうでしようか。
  72. 高野一夫

    高野参考人 ただいまも谷岡理事から御説明申し上げました通りに、実は町の薬局にあまり処方が参りませんので、現在比較的処方が来るような薬局を選びまして、いろいろ調査いたしておりますけれども、やはり町の薬局においても、相当そういうことがあるということを、われわれは聞いております。なお病院におきましては、相当にそういう例があるということも、われわれは例をもつて承知いたしております。
  73. 高橋等

    ○高橋(等)委員 そういう件数はわかりませんでしようか、どれくらいの件数があるかということは。相当と言われますが、御調査なさつたことがございますか。
  74. 高野一夫

    高野参考人 件数でございますか。件数は別に、何パーセントということは、われわれ調べておりませんが、意外に多いのであります。たとえばビグシンという薬を書くべきところをビオゲニンと書いてみたり、プロガロールと書くべきところをミチガールと書いてみたり、はなはだしきは一万分の一グラムしか処方の使えないような薬が、十分の一グラムと処方に書いてあつたりするようた例か多々あります。ただ全体の処方のうちで、そういうような非常な誤りのある処方が何パーセントぐらいを占めるかというようなことにつきましては、まだここで申し上げるだけの確定的なパーセンテージは出しておりません。
  75. 高橋等

    ○高橋(等)委員 医師処方いたしました処方について、薬剤師の方で、薬がないのでそれに適格のほかのものを調剤する危險があるということが、いろいろ言われております。また戰後薬のなかつたときには、そういうような例もあつたろうと思うのでございますが、そういう場合に、薬剤師の方では、一応、医師と連絡をとつてほかの薬にかえてもらうか、あるいはまた調剤を断るかどちらかだと思うのでありますが、その調剤を断つておるような例はどういう調子でしようか。
  76. 高野一夫

    高野参考人 処方箋にあります薬はないけれども、それと同じような、別に代用すべき薬があるというようなことがありましても、薬剤師がその処方箋に現われたところの名前と違う薬をかつてに代用するということは、法律違反でありまして、処罰を受けております。なお薬局におきましては——それは医者の中にも、弁護士の中にも、いろいろな悪い者がある。薬剤師の中にも、むろん攻撃さるべき者もおると思います。いろいろ間違つたことをするかもしれませんが、正当な薬剤師は、たとい他に代用すべき薬がありましても、一応は医師に確かめて、しかる後に代用するというようなことになろうと思います。  ただ私が、ちようどただいまの高橋先生の御質問を機会にいたしまして申し上げたいことは、この処方箋が外に出される場合に、こういう実例があるわけであります。医者の所にあります薬は——よく藥局にそれだけの薬がないのではないと言われておりますけれども、開業医の所にある薬は、わずかの限定された数であります。その中で処方をし、自分調剤をする。ところが外部に処方箋を出す場合は、あるかないかわからないような——外国の文献にはあるが、日本にはまだ輸入、発売を許されていないような処方の薬がある。あるいは輸入制限を受けて輸入されていない、品が欠乏しておるということがわかつておるような薬も、明瞭に処方されるというような実例がありまして、実は薬局の方でも困るわけでありますが、しかしながら、もし分業になりますれば、これは医師の方と薬剤師の方と協力することによつて、こういう薬はあるとか、こういう薬はないとかいう相談が十分にでき、円滑に行くであろということを私は考えまして、あまりその点については心配いたしておりません。
  77. 高橋等

    ○高橋(等)委員 お伺いいたしました意味は、高野さんは先ほど、医薬分業をやる場合に、薬剤師が専門的な知識によつて医師処方箋を修正するところの利益が非常にあるのだというような御証言があつたように承りましたので、お伺いしたのでございますが、そういう点につきまして、午前中医師会方面から伺いましたことと、実はうらはらのようなのであります。そこで医師立場といたしましては、おそらく自分処方したものをそのままでは非常な誤りがある、たとえばその数量において非常な誤りがあるというようなものを例外としてやつてもらいたいというのは、これは治療責任を持つた医師の痛切な要望だと私は思うのでございます。薬剤師会の方では、医薬分業を完全にやりました場合に、医師処方箋の変更について、相当な発言権をこの機会に與えてやりたいというようなお考えがおありになるかどうか、その点をちよつと伺つておきたい。
  78. 高野一夫

    高野参考人 処方箋について、別に発言権を要求するとか、そういうむずかしい気持でありませんで、患者に対する投薬を適正にするために、処方箋薬学的見地から見て誤りがあればそれを直してもらう、そうして適正な処方箋にかえていただくということで、そういう意味でございます。たとえば、そういう話で例を申し上げますと、ひんぴんとして——ひんぴんとしてという言葉は、ちよつと語弊があるかもしれませんが、非常な誤りで、われわれが始終使われる薬で、アスコルチンというビタミン剤がありますが、これは重曹のまじつた処方が非常に多いのであります。たとえば催眠剤のごときものがございますと、その同じ成分の催眠剤が、会社から出ておるところの商標名が違うために、並べてあるが、そこの間に相違が相当にある。またこれは商標問題になつて参りますが、たとえば鎭靜剤と下剤というものが、非常に名前が似ておるので間違うということがございます。そういうようなことは、やはり薬剤師の方か一番よく知つておりますから、こういう間違いじやないでしようかと相談しまして、完全な、間違いのない処方箋にすることができるじやないかと考えております。
  79. 高橋等

    ○高橋(等)委員 次にこれはほかの問題ですが、医薬分業の完全な実施をいたすといたしますと、大体において現在の薬局の設備その他については、相当の整備を要するのではないかと思います。その点は薬剤師協会でもそうお考えだろうと思いますが、どうですか。
  80. 高野一夫

    高野参考人 ごもつとものことでございまして、先ほども谷岡理事から申し上げました通り、ともかく厚生省から最低基準の告示が出ておりまして、この基準通り薬局の整備は、本年末には完了いたさなければなりません。そこで、この最低基準以上の薬局に、どの程度改造ができておるかということも、先般東京の千二百軒の薬局について調べましたところが、ほとんど大部分できまして、まだできないのは、本年中に全部完了する見込みが十分立つております。ただ問題は、御承知通り日本の都市が非常に戰災を受けておる。何も好んで自分の家を焼いたわけではないが、国家の犠牲になつて家を焼いて、そうして急いでバラツク建ての家を建てて、それを大いに改造しなければならぬというところに、経済的負担をかけさせて気の毒な点もないではないのでありますが、しかしながら薬剤師の持つ使命、薬局の持つ使命から考えまして、そういうことは言つておられないので、金がなければ借りてやるということまで、いろいろいたしまして、現在日本薬剤師協会といたしましても、地方の薬剤師協会といたしましても、薬局の整備を急いでやつております。ただ現在のは最低基準でありまして、なおできるだけ完全なものにしなければならぬということを、お互いに注意し合つてはおるつもりであります。
  81. 高橋等

    ○高橋(等)委員 全国的に見ますと、田舎へ行きますれば行くほど、十分整備されていない粗末なところか多いように見受けるのであります。これを全部整備してやつて行くということになりますと、現在の薬剤師方々の資力をもつては、はなはだむずかしい問題が含まれておるのではないかと思える。そこで分業を実施いたします場合に、参考までに承つておきたいのですが、そうした整備に関して国費の助成といいますか、あるいは金融のあつせんというような相当程度のものも、必要になるのではないかと考えますが、薬剤師協会はどんなふうにお考えになつておりますか。
  82. 高野一夫

    高野参考人 実は整備については、非常に金がかかるのでありまして、みんな関係者は困つておるのでありますが。個人の責任において銀行から金を借りるということをいたしますと同時に、一万におきまして、たとえば東京では商工協同組合を組織しておりまして、この組合でこの役員の責任をもちまして、五千数百万円の金を国民金融公庫から借りまして補助し合つております。また地方においては、地方薬剤師協会が共同の責任におきまして、あちらこちらの銀行から金を借りまして、年賦で返させるということで整備を急がせております。
  83. 寺島隆太郎

  84. 金子與重郎

    ○金子委員 最初に高野さんに二、三点御質問申し上げます。先ほど医療費の問題について、いろいろとお述べになつたのでありますが、そのトータルを拝見しておりますと、こまかい数字でありましたので、こまかく私はここで記憶しておりませんが、大体全国の国民一入当りの医療費が幾らであつて、そして全国の医者の收入がどれだけになり、しかもその收入の中の何パーセントが薬代であり、その薬代の何パーセントが調剤費だ、こういう点からいつて医者の所得はかくなるからして、決して医薬分業なつた場合に、医療費全体の国民負担の過重にはならない、こういう結論が出ているように拝聽しておるのであります。これは一律にこの統計を出しましても、非常に合点の行かない問題があるのみではないか。と申しますのは、たとえば医療費のうち、病院経営によるものは、これは御承知のごとく完全な医薬分業の数字の中へ入れなければならぬ問題であり、またそのほかの医師と申しましても、外科医のようなもの、あるいはその他比較的医者技術によつて治療する部面の非常に多いものと、内科のような投薬によるところの分量の多いものと、ここに非常な相違がありますので、あながちこれは平均した数字だけにより得ない問題があるのではないか、こういう点が考えられるわけであります。それが一つと、もう一つは全国的な統計ではこうなるということも、一応それは考えなければなりませんが、この医薬分業の難点は、薬剤師会自体も認めてあるように、これを強制分業にしたときに、やはり一番支障の来るのは、地方村落におきます地帯の不便が取上げられるのであります。こういう地帯におきます医者の收入というものは、先ほどあなたがおつしやつたように、專門店とあるいはよろず屋というものの違いで、田舎の商店はよろず屋であり、町の商店は分業であると同じように、田舎の医者になればなるほど、薬代に頼らなければ生活できないという條件が強くなつておると思うのであります。従つてこれらの調査をされるときに、地域をわけての調査、それから業態をわけての調査、こういうふうな点から、私ども一つの数字というものをつかみたいのでそういうふうな地域的な立場、あるいは業態的な立場というものを分類した場合のトータルがありましたら、それをお示し願えれば一つの参考になると思うのであります。その点をまず最初に一点お伺いいたします。
  85. 高野一夫

    高野参考人 ごもつともな御疑問であろうと思いますが、先ほど私申し上げましたのは、おつしやる通りに、まつたく全国的の概況であります。これを都市と農村とにわけた場合にどうなるかということは、都市と農村における医師の收入、その他いろいろなことから勘案して出さなければなりませんが、これについての基本的な資料が、まだ調査会においてもつかめませんので、いずれ厚生省かちも提供されることと期待しておりますが、もう一、二回しますれば、診療報酬調査会においても、そういうデーターも出て来はしないかと考えております。なお地方の村落におきます医者は、われわれの、案といたしましては、分業を実施するというような場合には、薬局のないところで分業をやれといつても、できない相談ですから、これはやはり便法として、投薬医師に許す。しかしながら、その医師に許されたる投薬も、分業によつて薬局調剤される場合と同様に、やはり原価計算によるべきである。  なお注射料のことを申し上げませんでしたが、大体平均しますと、收入の四割を占める注射料の三割五分が薬品原価なのです。そこでこの三割五分に該当する薬品原価に、たとえば皮下注射は幾ら、静脈注射は幾らというようなものを加えて、適正な注射料をとつてもらう。そういたしますれば、たとえばビタミンBを注射するにしても、三ミリを注射したのか、十ミリを注射したのかわからぬというようなことでなくて、三ミリ注射した場合には、三ミリのビタミンの原価に、五十円なら五十円を加える。十ミリの注射をした場合には、十ミリのビタミンの原価に、五十円なら五十円を加えるというような、合理的な注射料の算定をしていただく。こういうようなことを考えますると、注射料のところでも、相当合理化ができると考えます。地方におきましては、やはりそういうやり方で、医師の收入がはかれる、かように考えております。
  86. 金子與重郎

    ○金子委員 地方におきますところの薬局がないとか、あるいはあつても、それは患者立場からいつて、非常に不便だということは——まだ具体的な問題が出ておりませんから、抽象的な問題で御質問申し上げるのですが、薬剤師協会から、強制分業を主張しておられるのでありますが、具体的な実施の場合として、医薬分業の除外例として、特例を設けなくちやならない地帯が、全国の村の数でも、あるいはその地域に住居しておる国民にいたしましても、その率が一体どのくらいあるというお見込みでありますか。
  87. 高野一夫

    高野参考人 この実施についての私の意見を、一応御了解願つておいた方が、今の御質問に対してはよいじやないかと思います。全国に一万三千余りの薬局がございますが、ほとんど大部分は都合に集中しております。そこで都会には、むしろ薬局があり余るぐらいで、東京は薬局一軒当り、人口三千二百人ぐらいにしかなつていないようなわけでありまして、全国都市の平均は、薬局一軒について五万以下であります。それでは全国都市は、全部分業ができるかどうか問題になります。まずその前に、六大都市だけ分業したらいいじやないかという説もございますが、これは六大都市とほかの都市との薬局一軒当りの人口というものから見まして、何ら六大都市に限定する必要がないということは、薬局の普及の率から考えるのでありますが、しかしながら都会におきましても、皆様がよく御承知通りに、日本都会はむりに市制をしいてもらうために、近接の町村を合併いたしまして、人口を何万とかにふやして、陳情運動等をやつて、市制をしいておる。従つて六大都市の中ですらも、同じその市に、何区何町という中には、山もあれば、たんぼもあれば、畑もある。人家があるかないかわからぬ、医者もいるかいないかわからぬというようなところがございますので、行政区域を單位としまして、分業を実施するということは、六大都市をやる、全国の都市をやるということにいたしましても、やはり一般民衆に與える一つの不便さが出て参るのではないか。たとえば、近いところでいえば、東京でも、練馬の奥、板橋の奥、世田谷の奥、そういうようなところで、たんぼや畑が何町歩にわたつてあるというところでは、分業をやるといつてもむりであろうと考えます。そこで行政区域と距離制限とを勘案した、何かいい案がないものであろうかということを、実はわれわれも研究中でありますが皆さんも御研究を願いたいと思つておるのであります。たとえば薬局から一キロ以内、二キロ以内、そのキロ数はどの程度が妥当であるかは別といたしまして、一キロ以内、二キロ以内にある医者分業をする。まず医師の方から言いますれば、一キロ以内あるいは二キロ以内に薬局がある場合は分業をやる。それでない場合は、暫定的として、その都市の中においても医師調剤を許すというような、行政区域と距離制限との問題がよいぐあいに勘案された、民衆に不便を感じさせないような方法はできないものであろうかということを、かねがね考えておるわけであります。農村におきましても、薬局のあるところは距離制限で行きますれば、何キロ以内のところはどうするということで、ごうもさしつかえないのではなかろうかということを考えるわけであります。しかしながら、一応全般的に考えますれば、地方農山漁村は、きわめて薬局の普及がわるいのであります。私ども社会保障審議会におきましても、従来非常に不合理に考えておりましたのは、薬局を厚生省が医療機関と認めておらなかつた。医療機関というのは、病院、診療所、歯科診療所に限定しておつた。ところが大事な医療担当の業務を行うべき薬局を、厚生省自体が医療機関と認めないということは、私はきわめて不合理であるということをこの一年来説きまして、今度社会保障審議会におきましても、薬局医療機関であるということにいたしまして、医療機関の整備については、薬局もその範疇に入るということで、われわれ一応の話合いをいたしておるのであります。従つてわれわれ自発的には都市に集中しておる薬局が地方に分散をし、さらに現在四万六千の薬剤師がおりまして、あり余つておるわけでありますから、これがどしどし地方に進出して、国民に薬局業務の奉仕ができるように自発的に進めると同時に、国家は国家として医療機関の整備という観点から、公的薬局の問題も考えていただかなければならないのじやないかということを、実は考えております。
  88. 中川俊思

    中川委員 ちよつと関連して……。今高野さんの同僚金子君に対する御答弁の中に、強制分業をやるにしても、地理的観点から必ずしも画一的には行かぬ、こういうお話があつたよう伺つたのですが、日本薬剤師協会というのは、全国の薬剤師協会ですか。
  89. 高野一夫

    高野参考人 さようでございます。
  90. 中川俊思

    中川委員 今あなたのおつしやつたようなことは、全国の薬剤師協会に徹底しておりますか。
  91. 高野一夫

    高野参考人 全国の薬剤師協会は、現在は組織を改めまして、日本薬剤師協会の地方支部になつております。従つてわれわれはこの問題については、全部関係者一同会合いたしまして、いろいろ問題の討議打合せをやつております。
  92. 中川俊思

    中川委員 それではただいまおつしやつたようなことに対する何か具体的の案でもおつくりになつて、これを医師会と連絡をなさるとか、あるいは厚生省に御提出なさつておるのでしようか、もしその具体案があればお示しを願いたい。
  93. 高野一夫

    高野参考人 まだそこまでは手をつけてありませんが、ただいま私が申し上げましたような行政区域と距離制限とを勘案した実施案をつくりたいということは、この一月われわれは日本医師会日本歯科医師会によるところの三志会を数回開きました節も、端的に率直にその意見を申し上げてあります。そうして研究を願いたいということを言つてあるわけであります。厚生省に対しましても、われわれの意見を披瀝いたしまして、これをもしやるとすれば、行政地域と距離制限とをどういうふうに勘案して考えるかということについて、十分の研究を願いたいということを申し入れてありまして、一応の案を提出してあります。なお、もしもそういうことをしまする場合は、厚生省としまして全国的に一つの基準を立てまして、その基準に基いて都道府県知事が、地方の実情に応じて実施して行くように決定したらいいのではなかろうか、一応総括的にはかように考えておるわけでございます。
  94. 金子與重郎

    ○金子委員 こまかい点で伺いたいことがたくさんあるのでありますが、きようはほかに質問者もたくさんありまするから、そう長くならないようにいたします。  先ほど農村は距離制限が特例を設ければいいのではないかというようなお話がありました。もちろんあなたも、單なる距離制限というふうな、單純なお考えではないと思いますけれども、農村の実情から行きまして、單なる距離制限ということは、適用できるものではないのです。同じ一キロであつても、山を越えなければならぬ一キロと、自転車で行ける四キロでは、山を越す一キロの方がはるかに不便だという地点が、日本の農村にはある。おそらく日本農村の三割が、この地帯で占めておると思う。従つて農村たりといえども、距離制限で行けるものではないということについて、もう少し御研究願いたいということをお願い申し上げます。  それから薬局の分散であります。これも御承知のように、医者が都市に集中して行くのと同じようなもので、僻地の農村に行つたのでは、開業医として営業的に成り立たないという点から、無医村がある。その無医村解決のために、貧乏な農村に、その上に上塗りして、市町村の診療機関を設けなければならない。しかもその診療機関には、りつぱな医者は行かない、余つたよう医者がそこへかかえられて行く。——これは極端でありますが、そういう傾向を持つておる。このことをお考えくださるならば、そこによほど大きな営業の保障なり、裏ずけがない限り、薬局分散ということも、おそらく今の段階では、できないことではないだろうかと考えております。この点、もう少し御研究願いたいと思います。
  95. 高野一夫

    高野参考人 ただいまの村の状態は、私もいなかを持つておりますので、よく承知いたしておりますが、お話通りでございます。ただ村におきまして、村境のようなところで、隣の村に医者がなくても、こつちの村に医者薬局があれば十分間に合うというような所があります。現在千七百筒村の無医村があるようでございますが、必ずしも千七百箇村医者が普及しなけばならないものではなかろうとも、実は考えておるわけでございます。それができればけつこうでありますが、隣村で十分間に合うという配置になつておる部落が、相当あることを考えて、私の言う距離制限ということは距離制限も行政地域も考え合せて、距離制限でも行けず、行政地域でも行けず、この二つをうまく組み合せた名案はできないものだろうかという考え方でございます。  それから分散にいたしましても、なるほどいろいろ村医を雇いましても、わずかな月給ではいい医者は行かない。また村医を雇いましても、雇い人扱いをされるのではいやだと言つて行かないという実例を、たくさん聞いております。これは医師の場合でありますが、薬局の場合も、村に相当ございました。分散して薬局の開業が成り立たないということになりますと、それを押して、そこに落ちついているということも、やはり言えなかろうと考えます。しかしながら、どうしてもそこに薬局が必要であるという場合には、先ほど私が申し上げました社会保障制度による公的医療機関として、公的病院、公的診療所を普及すると同時に、成り立たぬけれども、どうしても必要であるという地域がございましたならば、そういう所には公的の薬局を、設置していただきたい、こういうようなことを考えております。
  96. 金子與重郎

    ○金子委員 最後に高野さんに、私の注文やら御意見を申し上げて伺いたいのですが、率直に申し上げますと、薬剤師会ばかりでなく、医師会に対しても、同様なことが言えるのでありますが、いつも国民大衆のためにわれわれはそう主張せねばならないということを言われておるのであります。その御意見をいろいろ承つておる間に、その言葉にたまたま雲がかかつて来ているような面も見えるのと、それから今度の医療の問題は、昔から取上げられておつたにもかかわらず、医薬分業の問題になつて来ますと、医師会薬剤師会もしのぎを削つて、国民だれ一人知らぬ者はないくらいである。ところが国民全体の健康保障という問題になつて参りますと、かつて昭和の初年当時、全国的の農村不況に非常にわれわれ悩みまして、保險制度なり、あるいはいかにしたならば最低の生活をしておる人たちの医療費を下げることができるかということに対して、われわれ医者でもなく、薬剤師でもないしろうとが、なけなしの財布をたたいて、金を出し合つて病院をつくる以外に解決の方法がない、あるいは当時起りました国民健康保險を一生懸命に農民を納得させてやるよりほかないと努力していた当時は、はなはだ失礼な話でありますけれども薬剤師協会も何らこれに対して協力もしてくれなかつた。はなはだしきは今日においてすら、全国の医師会がそうだとは言わぬけれども、地方によりますと、現在の保障制度に対しても、やれ治療費の支給がおそいとか言つて、現在の制度の欠陥だけを指摘されて、これをどう改良て行くかという熱意に欠けている。むしろ医者は單なる患者をなおす職人になり、薬剤師は薬を売る商人になつてしまうというように、極論すればそういうことさえも言い得る状態であります。薬剤師が薬を調剤するのは、国民の健康を保障しているエキスパートであり、医者は人の病気をなおし、同時に国定全体の医療をどうすればいいかという專門に対しても、エキスパートでなければならぬと考えておるのでありますけれども、ややもすれば、私どものような門外漢がこういう運動を推進して来ている。そうして專門家であられるところの医師会薬剤師会は協力してくれなかつた。一部にはあつたでしようが、全体的には私どもしろうとが病院を組織しなければならぬような過程をたどつて来ております。それが事医薬分業の問題になると、猛烈な御意見が起きて、大きな問題を起しておる、こういう苦言を申し上げざるを得ないのであります。  それからもう一つお伺いいたしたいことは、薬剤師協会としてでも、あるいは薬剤師協会の理事長である高野さんとしてでもけつこうでありますが、この強制分業がかりにできなかつた場合に、せめてこの程度の法的な改正は、やつて行くことが国民のためになるというような次善の策について、法律的に、どう考えたらいいかということがありましたら、御意見を伺いたいと思います。
  97. 高野一夫

    高野参考人 ただいまわれわれが斯界のため、国史のためと称しながら、多少そういうような議論がしばしばあるというようなお話でございましたが、そういう印象を與えるようなところがありましたとすれば、われわれ大いに反省をいたしたいと考えます。なお、この分業問題には一生懸命になるが、ほかの問題では一向協力しないというようなお話もございましたが、私は過去の事実は別といたしまして、医薬制度の根本の問題は、医と薬の分離による、そして医と薬との協力による体制をつくることが、まず根本の問題である。この根本の問題を解決しないでおいて、社会情勢上やむを得ぬ、どうしてもやると言つたところで、私はただそれは空中の楼閣にすぎないのじやないかと考えておりますので、まず何をおいても、医と薬との分離によるところの医と薬との協力態勢をつくるように、制度をどうか皆さんでおつくり願いたいと考えております。なおまた強制分業がいよいよできないというような場合に、次善の案を考えておるかというお話でございますが、私どもは、ただいま申し上げたようなふうで、この分業をどうしても実施できるところから実施して行くということ、それがこの医療制度の改革の根本案であると考えております。ぜひともそういうようなふうに、しかもそれは他の制度、他の仕事と同様に、やはり法律規則をもつておきめを願わなければ円滑に行えない、そういうことが日本の実情に近いものであると考えますので、ただ一にそのことを考えまして、その点について皆さんの御理解ある御批判、御協力を願いたいだけでありまして、次善の策というふうなものは何ら考えておりません。
  98. 岡良一

    ○岡(良)委員 先ほど来三団体の代表の方々のそれぞれの参考意見を聞かせていただきまして、私も医師会の一人ではありますが、できるだけ公正な国民の代表という場合において判断をしたいと努力いたしておるのであります。ところが三団体の方のおつしやることは、前提としては、国民の医療費を合理化し、低減しなければならない、あるいは医療費の内容の控除をはからねばならないということを前提として、しかも実際問題としては、強制医薬分業を一方では医療費が高くなると言われ、一方では安くなると言われるというようなことで、実際問題になると、まつたく黒と白の結果が出ておるようであります。こういうことでは、皆さんの揚げられる結論が、いかに国民の納得せざるを得ないようなものであつても、その、取扱いの筋道において、われわれとしてはどうも納得いたしかねるものを感じております。そこで特に医師会側の御意見と、高野参考人との御意見の問において、まつたく二つの対立する立場を、ただ一点私は見出したのであります。それに関連をしてお尋ねをいたしたいのでありますが、今ほど高野参考人は、厚生省が薬局診療機関と認めないということについて、非常な不満を持つておると申されましたが、一体診療機関というのは、どういうものとあなたは考えておられるかという点をまず承りたい。
  99. 高野一夫

    高野参考人 ただいま私は診療機関と申し上げたかもしれませんが、医療行政事務上、医療機関という言葉を使いますので、薬の投薬調剤行為すべて診療と同時に医療行為であると解しておりますので、もし私が診療機関と申し上げたならば、それは訂正いたしまして、医療機関の誤りであつて医療機関の範疇に入る、かように考えております。
  100. 岡良一

    ○岡(良)委員 それでは私の聞き違いかと思います。それでは一体医療行為というものは、社会的にどういうことを具体的にさすのでありますか、その点について御見解を承りたい。
  101. 高野一夫

    高野参考人 大分話がむずかしくなるようでありますが、われわれは常識的に考えまして、医療行為というものは、人間が病気なつて、それがどういうように悪くなつたかという一つ診断を下し、それをなおすにはどうしたらよいかということの、それが健全な健康体に回復するまでの間のいろいろな治療処置をする、その過程行為であると考えますか、いかがでありますか。
  102. 岡良一

    ○岡(良)委員 高野さんの御意見に私も賛同いたします。医療行為とは、一人の医師が一人の患者診断いたしまして、その診断の結果に基いて、いかなる処置を施すべきかの判断をなし、しかしてその処置を下す、しかもその経過観察しつつ、それに適応するまた、処置の更改を営みながら治療目的を達する、これが私は医療行為であると思いますが、高野氏は私のこの考えに御同意できますか。
  103. 高野一夫

    高野参考人 ただいまのあなたの御説の通りに解釈いたしております。
  104. 岡良一

    ○岡(良)委員 そこで私はさらにお尋ねしたいのであります。先ほど来高野参考人の御意見を聞いておりますと、あるいは国民医療費の拠出の配分が、数字の上において医者に非常に重いという点、あるいはまた医療行為というものを、たとえば家を建てるになぞらえて医者が大工の役割であり、薬局が壁屋の役割をするものであるかのような、そういう例を引かれた。あるいは最後には八百屋と魚屋の例を引いておられますが、私どもから考えますと、医療行為というものは、なるほど先ほど来あなたもおつしやり、私も申し上げましたような一連の過程ではありますけれども、御存じのように、たとえば医者は夜夜中往診、診察を請われても、それを断ることのできない社会的責任を負わされておる。従つて医療行為というものはそういう單純な経済行為、あるいは経済行為を積み上げたものではない。おそらくやはり生きた人間の生命を脅かし、あるいは人間の再生産の能力に対して、大きな拘束を與えんとするところの疾病から、彼らを解放しようとするのが医療行為の本旨であると思います。それを、そういう道義的な職分、責任を無視して、あたかも一種の経済行為のような考え方で取扱われるということは、もちろんあなた方のように、薬剤師として直接病人やその家族の苦痛を耳にし、また嘆きを目にしない方々として、そうとられるのはもつともかもしれませんが、われわれの解する医療行為というものは、その根底において、そういう高い道義的なものがなければならぬということを、われわれは考えておる。そういうわけでありますから、先ほどあなたが例に引かれました、総合病院においては薬局がある。なるほど総合病院においては薬局があります。しかし総合病院におけるところの院長というものは、診療責任者であり経営の責任者である。だから薬局というものは、治療ための手段である処置の一部分を受持つものであつて、しかもその責任というものは、やはり院長であるところの医師が負つておられる。そういう一連の診断なり、処置なり、経過観察なり、処方の更改なり、いろいろの形における生きた治療目的を達するために、生きた流れ作業、この中心はやはり唯一のその企画者であり、その実践者として最高道義的責任をとるのが、これが医療行為というものの本旨であろうと思いますが、そういう点において高野氏の御所論は、個々のばらばらの経済的行為として、物質的な行為として分解しておられる。この点は私の納得できない点でありますが、そういう点においていま一点つつ込んであなたの御所見を承りたい。
  105. 高野一夫

    高野参考人 よくおつしやることはわかりましたが、夜中に往診しなければならないというようなこと、そのほか人命をあずかつた医師の道義的責任の重いということについては、これは当然の話でありまして、これはあえて医師だけではなく、医療を担当する者はことごとくさような道義を感ずべきであろうと思います。医師薬剤師、看護婦、歯科医師、すべて医療に従事しておる人は、人命を扱い、早くなおすということを考える。そういうような仕事をする者は、医師に劣らず、すべてそういうものは道義心を持つべきであろう、私はそういう意味においてもちろん同意いたします。ところで経済問題と申しますのは、現在日本の国民の收入状態、その国民の生計費の中で医療費の占める率というものは、非常に高いというデータが出ておりますので、もしも医療の、あるいは国営であるとか何だとか、医者が無料でやつてくれるとかいうことで、国民が何ら金を拂わない、経済的負担の必要がないというなら、この経済問題は論ずる必要はないと思います。しかしながら、社会の実情においては、長い病人をかかえておれば、一家が破産するというようなことが、都鄙を通じてひんぴんとして見られる実情である。そういうような経済と切り離せない現在の医療行為、それには国民の負担がどうであるかということを、まず考えなければならぬということは、これは私は道義心の問題のほかに、非常に重要なフアクターではないかと考えておる。病院におきます薬局の業務が院長の指揮下にあるというようなことは、これは薬局の設備あるいは人事問題、月給、事務、そういうことは、なるほどその首脳者は院長でありますから、院長の責任においてやりますが、事一たび薬剤師薬事法によつて定められたところの調剤行為をなす、その調剤行為に関する限りは、はまつたく薬剤師責任である。従つてその行為に対する責任は、院長にありません。院長にある責任は、薬局管理に関係する人事その他管理に関係する責任であつて薬品のこと調剤行為に関する限りは、薬事法に基いて、当然薬剤師責任を負うべき性質のものと、かように私は考えております。しかしながら、その責任はどこにありましようとも、かりに院長に全体の責任があるといたしましても、しからばその院長だけが全部責任を持つかということになれば、最近は病院も、院長は必ずしも医者とは限らない、しろうとでも院長になれるというような今日の制度でありますが、そうするとその問題がどうなるかということになりますので、われわれも医療担当者の責任ということは、そんなことではなくして、医局で診察をし、診療をし、処置をする、なおるまでの指示をするということについての責任医師が持つ。そうしてその間の、部分的な仕事とおつしやいましたが、これは確かに部分的な仕事になりますが、調剤行為に関しては薬剤師責任を持つて、互いに責を持つ、そうして初めてその一人の患者をなおす全体の責任が果せるのではないか、かように考えまして、決して責任の分担とか何とかいうような意味には、われわれは考えておりません。むしろ責任を分担し合つてこそ、全体の完全な患者に対する診療責任医療行為責任が全うされるものではなかろうか、かように考えております。  なお医師の道義、医師が非常な拘束を受けて、一般の勤務者、一般の労務者と違つた立場にあるということについては、実は私は自分のプライベートなことを申し上げて失礼ですが、私は自分の友だちが薬剤師より医者の方が多いのであります。これは学校関係からいたしまして、ほとんど私の親しい公私の友だちは、医者が大部分であります。その私の友人は、みな善良な医師でありますが、その善良な医師がいかに苦労しておるかということについては、よく私は承知しているつもりであります。そこで先ほど申し上げた通り、また経済問題にもどりますが、かりにアメリカのように、労働賃金の五倍が適当であるかどうかということについても、十分研究すべきである。必ずしも私は五倍が高いとか安いとかということは、いまだかつて申し上げておらないのでありまして、そういう点も大いに考慮すべきで、何も全国の都市平均、あるいは全国平均の生計費内の收入で十分であるとか、平均労働賃金で十分であるとかいうようなことは、私も毛頭考えておりません。ただ現在の收入のとり方、そういうものが適正に合理化される必要がある。合理化されれば、国民の医療費負担相当軽減されるのではないか。そしてこの経済問題は日本の国民の医療に関する限り道義心とともにこの経済問題を没却しては、医療制度は絶対に考えられないものではないかということを考えますので、特に経済問題、医療費の問題をあげたわけであります。なお医療費の問題につきましては、実はここにも一応資料を持つて来たのですが、とてもこういうような資料を一々御説明申し上げるわけにも参りません。なおまた厚生省の調査会等におきましても、現在なお研究途中であり、いろいろ各方面からの資料を持ち寄りまして、いろいろな意見をかわし合いまして、妥当適正なる医療費のあり方に対する結論を出そうと思つて、せつかく医師会薬剤師協会、歯科医師会、またそのほかの保險協会、一般学識経験者相寄りまして、せつかく研究努力している次第であります。この結論が出ましたならば、また他日適当な機会を得まして、その結論についてわれわれ御説明を申し上げ、御批制を願う機会も得られるならば、まことに仕合せだとは思つておりますが、現在そういう状態にありますことを御了解願つておきたいと思います。
  106. 岡良一

    ○岡(良)委員 高野君と何か討論会のようになつて恐縮ですが、実は私が申し上げたいことは、やはり医療行為というものは、診断から最終の治療目的を達するまで、不可分な一つ行為だと思うのです。しかも、これがきわめて重要なる社会的職分に立ち、道義的責任を負つておるとするならば、それをこまかくわければ、薬剤師の部署もあり、いろいろな部署もあるかもしれませんが、やはり最高の責任者というものがあつて、ただ一人の責任者のもとに立つという完全なる流れ作業の姿で行かなければ、治療の目的は達せられない。そういう意味におきまして、やはり最高の責任というものが、医療行為の中にはどうしても必要だ、そうなくては真に道義的な責任における治療行為というものは果せないということは、われわれの狭い開業医の体験からにじみ出ている結論なんです。そういうような行為をこまかく分析をして、調剤薬局のものである、ここはだれそれの受持ち部分だというように生きた流れ作業を小さい死んだ個々の部分にわけてしまうということでは、真に高い社会的な職分としての医療行為というものは果し得ないということを、私はあえて主張したいのです。そういう点については、これは何と申しましても、やはり医師である以上は、何十年の間、目に見、耳に聞いた患者の苦痛なり、あるいは家族の嘆きというものを知つておるのだから、そういうわれわれの体験からにじみ出たわれわれの要求、また主張として、薬剤師側の方でも十分にそういう点をひとつ御理解願いたい。  これをもつて私は打切ります。
  107. 高野一夫

    高野参考人 医療行為について、最初から最終まで医師責任を負うているということは、これは当然のことでありまして、患者医師診断を受けて、そうしてその治療を受けるということについて、その患者診断を受けてからなおるまでのその患者に対する責任は、これは当然医師が負うべきであろうと思います。ただ医療行為の中に、もしも投薬を必要とする部分があるならば、その点については医師とともに薬剤師が主になつ責任を分担しなければならぬ、かように考えるわけであります。
  108. 寺島隆太郎

    寺島委員長 次は丸山直友君。
  109. 丸山直友

    ○丸山委員 高野さんに少しお伺いしてみたいと思います。医薬分業をやることがいいか悪いかということに関しては、国民の利益ということが、医師会側からも、薬剤師協会側からも申されたことは、先ほど来明瞭であります。しかし、それは主として経済問題に関係していることであります。経済問題については、ただいま岡委員から御指摘になりましたように、全然反対の結論が出ております。これはもちろん、どちらが正しいということは、この場で解決をつけるわけには参りませんことでございますし、数字の検討、あるいはいろいろなファクターがかわつて参りますから、それに関する検討は臨時調査会等において進められると考えますので、私は本日はそれには触れないことにしたいと考えます。ただ私が一言申し上げたいことは、総医療費が幾らであつて、これの医者薬剤師のわけ分がどうであるというような、分析的なお話でありましたが、分析した結果、医者の取り方が多過ぎるというような結論が出ておつたようであります。薬剤師医者がわけ合えば安くなるということは、それをまとめてもらつているところの医者の今の医療費が現在のものが不当に高いという結論がそこに自然生じて来るわけでございます。この医療費は、自由診療におきます医療費は不定でございますから、もちろん対象にするわけに参りませんが、健康保險あるいは国民健康保險等における一点單価というものは、一点單価を算定する協議会があつて決定しておりまするが、地方の医療というもの一切は、ほとんど全部が、この社会保險医療でございます。大都市においてもほんの大家が一部分自由診療をやつておられるくらいのものであろうと考えております。さようにいたしますると、高野さんは現在の健康保險その他の一点單価は、不当に高いということの御信念がおありなのかどうか、それをひとつお聞きしたい。
  110. 高野一夫

    高野参考人 ただいまの点につきましては、先ほど申し上げた通りに、現在の薬餌料の点数のきめ方が、私は合理的でない、こういうことを申し上げておるわけであります。たとえば現在の薬餌料というものは、とにかく薬代である。それならばそれは薬の原価あるいは調剤の手数料というようなふうにはつきりこれをきめて計算をすべきではないか。もしもこの中に診察料が含まれているとか何とかというならばそれは別の規定でお考えになるべきではなかろうか、かように私は考えて、そういうような意味において合理的でないということを申し上げているわけであります。
  111. 丸山直友

    ○丸山委員 合理的でないということは、ただいまの單価が不当に高いという結論になりますか、いかがでございますか。
  112. 高野一夫

    高野参考人 私は現在の再診料と技術料を、どういうように含めてあるかは知りませんが、もしもそれをのければ、現在の薬代というものは高いと考える。三割が薬品原価であつて、そうしてあと七割のあきがあるのは高いと思います。今の薬餌料説明としましては、再診料が含まれておる、技術料が含まつておる、一応こういう説明なつているわけでありますが、しからばどういうふうにこの再診料なり技術料が含まれていると解釈していいか、こういう問題が出て参ります。そこで、たとえば先ほど申し上げました二十円のうちの十一円何がしがあいて来る。これが不当であるかどうかということは、再診料をとらないとしてこの中に再診料が含まれているとすれば、その再診料をとるとすれば、どのくらいこの中に見込むべきであるか、見込まれておるのかどうか、そういう分析がはつきりすれば合理化ができるのではないか、かように考えております。
  113. 丸山直友

    ○丸山委員 私どもの理解するところでは、ただいまの薬餌料というものは、再診料を含んだものが薬餌料という名義でとられておると考えております。それを分解した場合には、現在よりも医療費が安くなるということは、言いかえますれば、治療に関する技術の、再診料というものが、不当に高いという結論になるのであります。あなたのおつしやることを認めれば、そういうことになります。ですから、今の一点單価が高いとお考えになるかと端的に聞いておるわけであります。考えるとか考えないとかいうお返事さえいただけば、よいのであります。
  114. 高野一夫

    高野参考人 率直に申し上げまして私は高いと申し上げたいと思います。それはもう一つ例をとりますと……。
  115. 丸山直友

    ○丸山委員 わかりました。次に先ほどお話のありました中で、調剤をやりまするのに、いろいろなそのほかの製薬であるとか、種々なる多数の知識を要して、それが総合して調剤技術が出て来る。それはあたかも一般に医学を学んで、しかる後に眼科というようなものをやるのを同一である、かようにおつしやつたわけであります。さようにいたしますと、眼科をやつております医者は、内科等の治療はやらないのが普通でございます。それと同様だとおつしやいますると調剤をなさる調剤師というようなものを、特別な專門家をおつくりになつて、調剤以外のことはやらないというふうなことを前提としての引例でございますか、いかがでございますか。
  116. 高野一夫

    高野参考人 そういうふうには考えておりません。かりに小兒科をおやりになつても、内科をおやりになる場合もありましようし、調剤に従事している薬剤師が、ほかのものをやつても、ごうもさしつかえない。しかしながら、調剤專門にやります場合は、ほかのものをやることができない。また薬局を管理するというような立場にありまする薬剤師は、その薬局專門に管理しなければなりませんので、そのほかのことはやろうと思つても、事実においてできない、こういう仕組みになつております。
  117. 丸山直友

    ○丸山委員 経済問題やその他の問題は、医薬分業をやらなければならないという理由にはならないと、考えますることは、実は一点單価が高すぎるとお考えだと存じますが、しからば医薬分業をしなくても、一点單価を下げれば、医療費の軽減をする道は別にあるのでございますから、経済問題だけでは、医薬分業の必然性の説明にはならないと考えておるのであります。ただ先ほど来のお話を承つておりますと、医薬分業をしたために非常な利益を受ける必然性ということを考えますると、常に処方箋には非常に誤りが多いということであります。これはたいへんな事実であります。先ほど引例なさいました十万分の一グラムしかつけないものを、十分の一グラムの処方を出すというようなことが多々ある、かようにおつしやつた。これは医者技術に対するかなりの侮辱であると考えます。こういう言を公の席でお用いになる以上は、いかなる病院において、いかなる例があるということを立証していただく必要があると考えますが、どういう根拠でそうい事実が多々あるという御説明をお用いになりましたか、それを御説明願いたい。
  118. 高野一夫

    高野参考人 私は、分業論は経済問題だけで解決するとは申しておりません。その点は先ほど理由をいろいろ申し上げましたから、御了承願いたいと思います。先ほど私は一万分の一が十分の一になつているというようなことが、多々あると申し上げたつもりはありません。あとで速記録を何しますが、ときにその一万分の五のものを十分の五にしたということが、そういう処方例が多々あろということを申し上げたかどうか。もしも多々という言葉を使つたとしますれば、率直にその多々というのは失言として、取消します。ただそういう例もあるというふうに、私は申し上げたいのであります。
  119. 丸山直友

    ○丸山委員 私ははなはだこつけいな引例と存じますが、ようかんのお話をさつきなさつたわけであります。ズルチン入りのようかんと虎屋のようかんと、どちらをとるかということを選べということは、任意ではないとおつしやつたのでありますが、これが任意であるかないかは別といたしまして、いなかの店が二つのものを取扱つておるよりは、一つの方がよろしいという引例、これは反対の引例も出せば出るわけであります。都会においても、分業なつたわけですが、しかしその結果デパートというものが発達いたしました。デパートに参りますと何でも買えるということが非常に便利であるために、デパートが発達して参つたのでありますから、これは内容がいいか悪いかということに関係することでありまして、必ずしもわけるることがいいか悪いかということの引例にはならぬと存じまするが、それは意見でありますから、やめておきます。  ただここでひとつ高野さんにお伺いしたいことは、今度のこの分業という問題に関しては、一番最初に法律をもつて規定しなければならないというふうにお話があつたわけでございますが、薬事法をいかように改正なさろうという御意向でありますか、その点をひとつ……。
  120. 高野一夫

    高野参考人 この分業を実施しまするについて、先ほど私が申し上げました、たとえば私どもが考えておりまするような行政地域というものと距離制限というものとを勘案したいい案ができるかどうか、あるいは距離制限一点ばりでやるか、行政地域一点ばりでやるかということについて、なお医薬制度調査会におきましても今後研究されると考えまするが、この問題はこの実施の面がいずれかに結論が出ましたならば、それを厚生大臣が規正する基準をそこに設けることによりまして、都道府県知事がいろいろ規正をして行くというようなことを薬事法の中に——たとえば、現在二十二條の中に、販売または授與の目的をもつてする調剤行為の規定がございますので、二十二條をさように改正をし、さらにまた分業実施について、たとえば半年とか一年とか猶予期間を置く必要があるとするならば、それを附則に持つて行くというようなこと、あるいはまた現在は分業をやらなくてもいいけれども分業をやらなければならなくなる、分業に移行しなければなくなる場合が将来において発生いたして参ります。その場合の規定も、附則なら附則に置く。私は法律專門家でございませんのでわかりませんが、そういうふうな仕組みにでもお考え願えれば、いいのじやなかろうかと考えております。なおこの問題につきましては、現在の診療報酬調査会におきまして、医療費算定の結論が出ますれば、それを参考にいたしまして、医薬制度調査会におきまして、その分業の可否を討議するということになつております。そこで分業をやらぬ方がいいということになりますか、あるいは分業をやらなければならぬということになりますかは、その討議の結論を待たなければなりませんが、そこでもしも分業をやる方がいいということになれば、もちろんどういう方法でやらなければならぬか。それを現わすためには、薬剤師法をどうすればいいか、あるいは医師法まで及ぶか、及ぶならば医師法をどういうようにすればいいかというような、一応の案もできるのじやなかろうかと考えております。なおその調査会がまだ始まりませんので、その結論につきましては、ただいま私から申し上げることはできません。
  121. 丸山直友

    ○丸山委員 そういうこまかいことを実はお伺いしたのではございません。御承知のように薬事法においては、調剤する権利は薬剤師にあつて、ほかの者には許されない。除外規定として、医者に許されているということになつているわけでありますが、この除外規定を除いてしまうということが、強制的な医薬分業であろうと考える。つまり医師には調剤権がないのであるということが、根本の考えであると思うのでありますが、そういうふうにお考えになつておるのではございませんか。
  122. 高野一夫

    高野参考人 販売または授與の目的をもつてする調剤に関する限りは、原則として薬剤師に限定されているというのが、薬事法の精神であると私は思います。
  123. 丸山直友

    ○丸山委員 精神であるということはわかつておりますが、あなたはその法律を改正して、医師調剤権がないようにすることがしかるべきものであるという御意見ではないかということを、お伺いするのであります。
  124. 高野一夫

    高野参考人 従来は附則によつて、ただいまは本條の但書によつて医師に許しておるのでありますから、その医師に許しているところの本則は、当然私は削除されるべきであろうと考えます。
  125. 丸山直友

    ○丸山委員 先ほど医師会側意見といたしましては、医師のところから調剤権をなくする場合においては、医療に支障を生ずるという御説明があつたわけでございますが、あなた方は、それを削除して、医師から調剤権を奪つてしまつて、それをないようにしてしまうということは、治療行為に支障を生ずるとはお考えになりませんか。
  126. 高野一夫

    高野参考人 私は医師調剤権があるということの御議論が、わからないのであります。
  127. 丸山直友

    ○丸山委員 調剤権があるということがわからぬというのではなくて、現在それはあるのであります。そうして、それによつて医療が遂行せられておるのでありますが、これを削除した場合においては、医者治療に支障を生ずると言われるのでありますが、あなた方としては、生ずるとお考えになるかならぬかということを、私はお伺いしておるのであります。
  128. 高野一夫

    高野参考人 医師調剤権は、例外として分業のできないところだけを許すということにして、原則としては調剤権を医師には許さないというのが分業論なのでありますから、医師調剤権を削除するといたしましても、分業のできる地域においては、合理的な医療行為が行われるというように私は考えております。
  129. 丸山直友

    ○丸山委員 そこにたいへんな意見の食い違いがあるわけであります。医師会側では治療に支障を来すと言つているが、私の考えますところによつても、また調剤ということの定義から考えましても、医者はほとんど薬品というものをいじることができないような状態になるわけであります。調剤ということは、單一なる薬剤を少しばかりわけてとることも一つ調剤でありますから、薬剤師の手を経なければ、それさえも医者はできないということになりますと、医者医療行為を遂行することはできないという結論が起つて来るのであります。そういうわけで、たといいかに薬剤師の多い場所で行われましても、これは治療に支障を生ずると考えるのでございますが、さようにはお考えになりませんか。
  130. 高野一夫

    高野参考人 医者治療に必要な処置を施す場合において、薬品を使用することは、治療上当然必要な行為と、われわれは考えておるのでありまして、それを調剤行為とは考えておりません。これは私は外国の例を聞きましたが、外国におきましても、当然それは調剤行為と認めないで、医療上必要なトリードメントであるという解釈であるということを聞いておるのでありまして、われわれは、日本においてもさように考えたいと思つております。
  131. 丸山直友

    ○丸山委員 そういうことは調剤ではないとおつしやいましたが、日本語で申しますと、それはどういうことになりますか。
  132. 高野一夫

    高野参考人 治療上必要な処置というふうに解釈したらよいと思います。
  133. 丸山直友

    ○丸山委員 処置とおつしやいますが、処置ということについての観念が、私どもとしては違つております。薬品をいじるという動作は、処置かもしれませんが、それをわけてとることは、調剤と考えております。
  134. 高野一夫

    高野参考人 それは見解の相違であります。私は丸山さんとは実は一月の三志会におきましても、数回にわたつてこの問題を討議いたしました。そうして結局両者意見が合致いたしませんので、私はこの問題について、外国の例をもとにしていろいろ批判を受けましたところ、それは調剤行為と解すべきでないというような意見も聞いたわけであります。はたしていずれが是か非か、いつまで議論しましても、結局水かけ論みたいなことになりまして——議論ではありませんが、ただいま私がここで参考人として御答弁を申し上げましても、結局丸山さんのお話とは食い違つた結論が出て来るということがわかりますので、その問題は、どうかその辺でごかんべんを願いたいと思います。
  135. 丸山直友

    ○丸山委員 やめろとおつしやいましたが、実は三志会のときにお話を承りましたときには、そういうことは調剤ではなく調製であるという御答弁があつたのであります。きようはその調製という言葉が出ないのでございますが、その当時と御意見がかわつたわけでございましようか。
  136. 高野一夫

    高野参考人 私は調製という言葉を使うに記憶はないのでございます。しかしわれわれ三志会の方から同志が三、四人行つておりますから、そういう言葉を使つたかもしれませんか、治療上必要な処置に属するものであるというふうに、一般的に考えているわけであります。
  137. 寺島隆太郎

    寺島委員長 丸山委員に申し上げます。質疑につきましては、大体高野参考人の陳述いたしました内容に対して、納得の行かない点についての補足的な御質疑を願つて、討論にわたらざるように願います。この委員公の目的といたしましては、その段階ではありませんから、さよう御了承願います。
  138. 丸山直友

    ○丸山委員 高野参考人に対する質疑は一応これで打切ります。  谷岡さんにひとつお伺いしたいのであります。先ほどのお話によりますると、医師法違反を認めるような御答弁があつたわけでございます。国民保健思想を健全に発達せしめるためには、薬剤師薬局において顕微鏡によつて虫卵の検査をして、診断をして治療をすることは当然な責務であるというふうなお話があつたわけでありますが、私は、診断ということは、医師の行うべきことで、医剤師の権限以外のことであると考えます。公の席においてこういうことが当然であると言うことは、かなりの問題であると考えますが、この御意見に間違いはございませんか。  なお念のために伺いますが、谷岡さんは薬剤師でいらつしやいますか、いかがでございますか。
  139. 谷岡忠二

    谷岡参考人 私は虫卵を検出するということを申し上げましたが、診断をするということを申し上げた覚えはないのであります。便中に虫卵があるかないかを検出するという行為に関しましては、厚生省の通牒によりまして、薬剤師がやつてもいいというふうに私は承知いたしております。なお私は薬剤師であります。
  140. 丸山直友

    ○丸山委員 薬剤師でいらつしやるあなたがそういことをおつしやるのでありますから、虫卵を見るお知識はあると思います。試險をするようではなはだ申し訳ございませんが、蛔虫卵には何種類あるか御承知でございますか
  141. 谷岡忠二

    谷岡参考人 さようなことは答弁の必要がないと思います。
  142. 丸山直友

    ○丸山委員 答弁の必要がないと言われるくらいお知識のない方が、虫卵の有無を御検査なさるということがいいか悪いかということは、これは重大なことであると抗議をいたしまして、これをもつて私の質問を打切ります。
  143. 堤ツルヨ

    ○堤委員 議事進行について申し上げます。  これは衆議院の厚生委員会参考人を呼んで参考意見を聽取するのでありますから、医師会薬剤師会の討論会をこの中に持ち込んでもらうということは困ります。でありますから委員長はその点をもう少し会の運営を考えていただきたいと思います。  なお次に、私の意見を申し上げます、実は先ほど金子委員から御発言があつたのでございまして、私も午前中に医師会の方に申し上げましたが、現在の法律がパーセント運営されておらないことについて、どうすればいいか、具体的な案をお持ちかと申し上げたところ、医師会にはなかつた。また金子委員が、それでは強制医薬分業薬剤師会のおつしやる通りにならない場合に、次善の具体的な対策をお持合せかと質問いたしましたところが、これもないとおつしやる。まことに人をばかにした話でございます。こういう切実な御要求は、すでに具体的な問題となつているので、私たちは、まじめな参考として、私たちにわかるようなものをお持ちになつて、本日ここにお出ましいただくようなことまで期待しておりますのに、それができておらないことは、はなはだ遺憾でございます。大衆のためということを、両方の方がおつしやつておるのでありますから、大衆の要望を中心としたという言葉を、両方ともお使いになつた感が深いということを、私は午前中申し上げたのであります。どうか薬剤師会におかれましては、今のところ強制分業が即刻法律なつて許されるかどうかということは、はつきりいたしませんが、薬剤師の方でも、勘で大体どの辺のところになるだろうということは、おわかりだろうと思いますので、ならなかつた場合のまじめな御意見を具体的に、早急につくつておいていただくのが、私は最も大切なことではないかと思いますが、この点高野参考人にお伺いいたします。
  144. 高野一夫

    高野参考人 ただいま非常に有益な御注意をくださいましてありがとうござい参ました。もしも、われわれが切望してやまないところの、この医療法律改正なり制定なりができません場合は、次善の策がないと私が申し上げましたのは、たとえば、それは任意分業が落ちつくのか、あるいは強制分業で落ちつくのか、そういうことは姑息であつて、もはや意味をなさないであろうとは考えましたので、その点について考えはないと申し上げたわけです。しかしながら、いかなる時代におきましても、われわれの方では全会を督励いたしまして、われわれの薬剤師としての本分をあくまでも守るように反省、勉強して行きたい、かように考えております。
  145. 金子與重郎

    ○金子委員 関連してもう一つ伺います。ただいま堤委員が申し上げたように、大分率直な、平たい言葉で言いますと、薬剤師会は鼻つぱしが強く出ておりますが、しかしあなた御自身は、今日までの過程において、国民医療という大きな問題をひつさげて、十分御貢献くださつたかもしれませんが、私どもの見る医師会あるいは薬剤師会の全体的な立場から見たときに、今日ほど国民のため医療問題を熱烈に論ぜられたことは、かつてない、初めてのことであります。率直に申し上げまして、特殊の人はあつたでしよう。しかしながら、今日この医薬分業の問題を取上げたからこそ、最近に至つて、われわれ国民の医療ためにということを、まずまつ先に、冒頭にも最後にもつけております。そうであるならば、かりにそれほど薬剤師会の、あなた方の御意見が正しいものだとするならば、そうしてまた次善の策はない、われわれはこれ一つしかないのだという、それほど正しく、はつきりしているものなら、それを何回も研究して賛成できぬような代議土は、よほどぼんくらだ、それに反対する国民は、言いかえればよほどものがわからぬ国民だということになる。私は、物事というものは、医師会には医師会一つの主張があり、薬剤師会には薬剤師会一つの主張があり、しかもその主張たるや、おのおのの利益のためでなく、国民全体の医療厚生のためによいもの、こういう目的のために、両方意見がはつきりと二つに対立しているとするならば、両方とも、最善はこう信ずる、しかしながらそれが通らないときは、せめてこの段階までは国民のために進むべきだという、謙虚な、しかも実際的な考え方も同時に持ち得るものだ。これは、はなはだ私の意見をさしはさんで失礼でありますが、先ほどの次善の策はないのだという言いつぱなしの答弁に対しては、はなはだ私は不満であります。誠意を疑うというふうな、不快な感情さえ実は持つたのであります。ただいま堤委員から、それにつけ足して話されましたから、私も国民のために申しますが、やはりあなたの御意見がかりに正しいとして、それほど一目瞭然だとするならば、われわれも即座に賛成でき得べきだし、国民の輿論も二つにわかれるべき問題じやないと思う。それが不幸にして相対立した立場なつた。そうしてわれわれも今真剣になつてどうすべきかということを研究しておるということは、必ずや一方的な意見だけでは通せない、何らかの理由があるのではないか。それならば、この際、よし次善であつても、階段を一歩上つたにすぎなくても、国民のためにこういうふうにあるべきだということも、一応御研究願いたいということを、お願いいたしまして、質問を終ります。
  146. 高野一夫

    高野参考人 簡單に申し上げますが、非常に貴重な御注意を受けましてわれわれもそういうような印象をお與えしたというようなことがありますれば、大いに反省いたしたいと思います。なおこの問題につきましては、今後ともわれわれは十分の研究を重ねて行きたい、かように考えておりますので、十分御注意のことも頭に置きまして研究する態度で参りますから、あしからず御了承願います。
  147. 寺島隆太郎

    寺島委員長 有益な参考意見、まことに感謝にたえません。他に御発言の通告もございませんが、委員長から最後に一、二点、三参考人について、お伺いしたいと思います。どなたでもけつこうでございますから御答弁願いたいと思います。  第一点は、任意分業の法的措置が講ぜられて、すでに二年になるにもかかわらず、われわれの実態調査するところによると、常識線をはるかに上まわつて、あまりにも少く薬局処方箋がまわつておる。すなわち薬局に寡少に処方箋が與えられておるという事情の原因がいずくにありや。これは午前中に医師会側から率直な答弁を聞いたことでありますから、端的にお答え願いたい、これか第一点であります。
  148. 高野一夫

    高野参考人 これは私は、患者が要求をしなければ医師処方箋を渡さなという現在の制度なつておりますところに、欠陥かあろうかと思います。これはあとは人情論になりまして、私なんかもそうですが、友人の医者に見てもらいました場合に、君のところの薬はいやだから薬局でもらう、処方箋を書いてくれということは、いかにわれわれ薬剤師で知り合いの薬局がありましても、なかなか面と向つては言いにくいものであります。そこで旅行するとか何とかいう場合はとにかくといたしまして、処方箋を義務的に発行するということになつておりますれば、現在よりは相当処方箋薬局にまわつて行くのじやないかということを考えております。そういう点に一つの欠陷が、法的にあるのじやなかろうかということを考えております。
  149. 寺島隆太郎

    寺島委員長 第二点としまして、おつしやる医療行為中における調剤行為を法的に分割いたして、これを薬剤師に與えるいうことによつて結果せられる事態、すなわち第一点として、医療上の利点と、経済上の利点とを分析して御回答願いたい。
  150. 高野一夫

    高野参考人 医療行為調剤行為薬剤師の方に分離するという御意味でございますか、今のは……。
  151. 寺島隆太郎

    寺島委員長 ただいまもしばしば質疑中に行われた、医療行為中における一つのパートである調剤行為なるものを、法律的に分割をいたして、薬剤師のいう特定の人々にこれを與えることによつて生ずる、国民が受ける医療的な利害。すなわち私がお聞きいたしたい点は、具体的に言いますと、調剤あるいは薬理学なるものが、医者よりかくかくの点において多いのだという点、もしくは経済的な点において、かくかくかような点において大衆を利益するのだというように御解明願いたい。
  152. 高野一夫

    高野参考人 現在の調剤の分野は、少くも原則だけは薬剤師にあるのであります。ただ除外例として、医師に、自己の患者調剤する場合にだけ限つて許しておる。そこで分業を実施できるようなところにおいて、その医師処方によつて調剤薬剤師に限定するということになりますれば、学問的から行きましても、私は医療行為の中の医学をもつてやる、べき一つの流れと、薬学を応用してやるべき一つの流れと、そういうところをおのおの責任を分担して適正なる一つの流れに持つて行くことができる、かように考えまして、国民が安心して医療を受けられる仕組みになる、かように考えております。  経済的にはいろいろなこまかい問題がございますが、私は、国民の負担は絶対に現在以上には増大しないであろうということの確信を持つております。
  153. 寺島隆太郎

    寺島委員長 最後に、一個の所論といたしましての見解としては、きわめて参考になるのでありますが、実際われわれが実態調査するところによりますと、運用の命題である原価計算システムによる薬価の支払いということが行われておるのでありますが、現行開業各薬局を、同一処方箋をもつてまわりたる場合に、そのコストのでこぼこがきわめてはげしい。そのでこの山をいかに削り、ぼこの谷をいかに埋めるかということを、ぺ一パー・プランをもつて原価計算式といい得るか、これを立法措置のあかつきにはいかなる方法でコントロールし、規格を統一すべきや、その方法いかん。
  154. 高野一夫

    高野参考人 現在は御承知通りに、ほとんど処方調剤がございませんので、原価計算でやつているところもあれば、一日一剤幾らというふうにしてやつているところもありまして、薬局においても、地域的にまちまちであります。しかしながらここでいよいよ分業になりまして、調剤薬剤師が担当しなければならないということになつて、原価計算をするということになりますれば、まず私は、この薬価というものは主務官庁が定めるべきであろう、それはたとえば一年のうちの二箇月を標準にしまして、薬価のいろいろの移りかわりを調べるというふうにしまして、いろいろデータを集めて、少くとも一箇年に二回の薬価の時価表を、厚生省が責任を持つて——現在物価庁がありますがもしも将来も物価庁があるとしますれば、そういうところと協同調査した結果の薬価表を、全国に少なくとも二回ぐらいは配布をしていただく。多少の地域的相違はやむを得ないことだろうと思います。たとえば輸送費とかいろいろなものがありましようが、そういうところも多少勘案されるような薬価の基準をもうける、そして一定の調剤手数料というものを、全国の薬局においてすべて共通といたしまして、その原価調剤手数料を加えたものを薬代として患者からいただく、こういうふうに具体的に案をつくつて行けばよろしいのじやなかろうか、かように考えております。
  155. 沖野節三

    沖野参考人 医薬分業したときに、経済的に安くなるか高くなるかということに関して、日本歯科医師会として考えておりますことを申し上げます。私たちは、どの率高くなるかは、今後調査をしなければわかりませんが、現状よりは少くとも高くなるだろうということを考えております。もし表面的に、いわゆるぺ一ハー・プランとして安くなりましても、その患者医者のところから薬剤師のところに行かなければならぬとか何とか、経済的に勘定しにくいかもしれませんが、そういう時間的の負担をもし経済に勘定するならば、それだけでも少くとも高くなるだろう、とにかく幾分かでも、経済的の高さが出るということだけは、私たちは非常に心配しております。その高さが国民負担とどう勘案されるかというところが、研究の余地があろう、こういうふうに思います。
  156. 寺島隆太郎

    寺島委員長 他に御発言はありませんか。
  157. 堤ツルヨ

    ○堤委員 私はいつもくれぐれも申しますように、この医薬分業の問題に関しましては、あくまでも衆議院の厚生委員会としてはうんと勉強いたしまして、今までの厚生省のように三志会に引きずりまわされるようなことがあつてはいけないと思うのであります。先ほどからの空気も、まことに——これはお名前が出ますので恐縮でありますが、政党は同じ私の方の岡先生にいたしましても、また自由党の丸山先生にいたしましても、お医者さんである立場上、参考人をまるで討論の相手のようにとつちめておやりになるという傾向がございましたときに、私は衆議院のこの厚生委員会が、また二の舞を演ずるようなことになるのではないかという懸念を持つわけであります。でありますから、権威あるこの衆議院の厚生委員会ために、医者であらせられるところの厚生委員は、どうかひとつよろしく御自重願いたいのでございます。なぜならば、あなた方と同数の薬剤師がこの中においでになりましたならば、五分々々の勝負も許されるかも知れません。しかし、あくまでも私たちは衆議院でございますから、この点どうか薬剤師会日本医師会は、この衆議院の厚生委員会の性質というものをよくご理解になりまして、皆さん方の正しい御協力をお願いいたしたいと思います。
  158. 寺島隆太郎

    寺島委員長 議事の運営につきましては、不肖ながら委員長責任を持つていたします。
  159. 金子與重郎

    ○金子委員 きようの結論はただいま出ました高くなるか、安くなるかという、そこまで追い込んだようでありますから、その点につきましてりくつぱらずに、一応ここには薬剤師会の人たちしかおりませんが、高野さんと両方の方から見解をお聞きしたいのです。私のかつての経験から、現在の医療問題に対する実態をひとつお話しますが、それを解いていただきたいのです。私はかつて病院を幾つか持つてつたのであります。そうして大学にお願いいたしましてお医者さんに来てもらう、それにも相当りつぱなお医者でないと病院が困りますから……。その病院は医薬分業をやつておりますけれども、開業者に比べて別に大してもうからないということが一つ出ております。これは事実であります。そうかと思うともうからないでも、お医者がそこにいてくれればいいのですが、おらぬのです。これが五年、八年就職すると、これでは一生うだつがあがらぬから大抵開業する。なぜ開業するかというと、開業すればもうかるということにも、見方からすればなるのであります。病院に働いておつて医者はやつて行かれないという二つの矛盾を、私ども医療の問題で経験上ておるのであります。それは両方立場から見た高くなるか安くなるかということと、非常に関係のあることでありますので、それはどういうことからそういう結果が来ているかということを、御説明願いたいと思います。
  160. 高野一夫

    高野参考人 私は金子先生の病院経営の実態を承知しませんので、どういうことになるのか、あるいは組合病院とか私立、国立、官立病院によりまして、報酬の徴收の仕方もいろいろかわつておるようでございます。たとえば農業会の病院とか組合の病院とか、特別に組合でまかなう病院は、非常に診察料薬代を安くしているというような特別なこともあるのではないかと思いますので、そこに勤務している医師に対して、そこに残つてもらえるだけの十分な待遇ができるかできないかということは、ちよつと何とも判定の申し上げようがありません。現在勤務医師報酬問題につきましても、日本医師会からも資料が出まして、診療報酬調査会からも、大体の基準が考えられるだろうと思いますが、たとえばA級における二十四歳、今年学校出たての医師査で独身者というものの月收は一万円、今年二十八歳で妻と二人世帯のB級の者は月收一万五千円、あるいは四十三歳、妻と子供二人で、長子は中学校に入り、次子は小学校に入つているというような場合の俸給が月二万五千円、あるというような実態調査から来た——多少それを補正されたような数字も一応出ておるわけであります。そういう点も今後の調査会の研究において、一応何らかの結論が出るのではなかろうか。後日あらためてそういう資料を差上げることができる機会もあると思うのであります。
  161. 寺島隆太郎

    寺島委員長 谷岡参考人、何かございますか。
  162. 谷岡忠二

    谷岡参考人 特別申し上げることはありません。
  163. 寺島隆太郎

  164. 沖野節三

    沖野参考人 ただいまお尋ねの点は、私たちも実はこの間厚生省の資料を見ましてそう思いました。厚生省からお手元に多分出ているのでしようけれども、病院の資料がたいへんきれいなデータになつております。ところが最後に、こういうふうなことをして病院が経営できるのかと聞いたら赤字だという。赤字であつて立つ病院ならいいですけれども、私立の場合はどうするのかと、実は聞いたのであります。それは政府で埋めているのだ。そうおつしやるものですから、そういうことでこの間も私が議論しましたら、講論はこの際やめてくれ、資料調査であとでやろうというように打切られたわけでして、いずれまたそういうことがはつきり出て来るであろうと思います。
  165. 寺島隆太郎

    寺島委員長 本日はこれにて散散会いたします。次会は明十三日午前十時より開会いたします。     午後四時十一分散会