○
大内説明員 お許しを得まして、
社会保障制度研究試案の
要綱を御
説明いたしたいと存じますが、非常に大きな案でございまして、多岐にわた
つております
関係上、
案そのものをあまり詳しく
説明することは適当でないと存じますので、案はどういう由来でできたか、今日どういう
位置にあるか、将来
厚生関係の
立法としては、どういうふうにお取扱いをお願いしたいか、そういう点を二、三述べてみる
考えであります。
社会保障制度を
改革しなければならないことは、
終戰後から既定の事実とされておりました。と申しますのは、
憲法第二十五條に、すでにそのことがはつきりと書かれておりまして、
日本国民は健康にして文化的なる
最低の
生活を保障せられるという
條文が入
つたときに、すでにその必要は生じてお
つたわけであります。しかし問題が広汎でありますのと、ほかの諸
制度の
改革とにらみ
合つて、しかもそのあとからいろいろな
関係上うまく行かないということもありまして、だんだんと遅れておるものと
考えます。しかしいろいろの
改革がすでに
一段落に達しようとするときにおきましては、すなわち
入権に関する諸
改革、
教育に関する諸
改革に農業の
土地関係に関する諸
改革が
終つた今日におきましては、残るところの最大の
制度上の
改革は、どうしても
社会において
生存競争に脱落した
人たちを、
国家はいかにして救済し、かつそれらの
人たちの
人間としての
生活を保障するかという問題になると思います。そういう
意味においてだんだんと延び延びにな
つておりましたが、昨年の五月に
社会保障制度審議会なるものが設置されまして、昨年一ぱいこの
社会保障制度に関する現在の諸
制度を彌縫することに多忙でありました。と申しますのは、非常にこれらの
制度が混乱に陷
つておりまして、特に
財政上ほとんど
研綻に瀕する部面も多いわけでありましたから、これらを何か彌縫しないと、その次の問題には入れないという
状態でありました。本年に入りまして、本格的に
社会保障制度の実態に関する調査を始めまして、本年の七月において、
社会保障制度審議は大体の案をつく
つたわけであります。あるいはお手元に参
つておると思いますが、
社会保障制度研究試案なるものがこれであります。これは名称の
通り試案中の
試案でありまして、このことでただちに
法律的な効果を持つとか、あるいは必ずこの
通りに
立法されるというものではありませんが、
社会保障制度審議会としては、大体こういう
趣旨ではいかがなものであるかということで、目下各
方面の
意見を聞いておるわけであります。この案をもちまして、
日本の各地の
主要都市において
関係諸団体の
代表者諸君の
意見を目下徴しておりまして、大体その過程が終り、残るところの次の段階は、八月の初旬におきまして、すべてこれらの
意見を総合して、再び
研究会を開き、そうして大体の案を得たならば来月の十三日に大体の
決議を得たいと
考えております。もし幸いにしてその
決議が得られますならば、それを
政府に対する
勧告書として提出するつもりであります。
社会保障制度審議会の
会議法によりますと、これが提出されますと、大体その
趣旨に
従つて議会は
立法をする
段取りに入らなければならない、あるいは
政府がその
段取りに入らなければならない、そういうことになりますので、その
政府と
議会との
関係それ
自身は、
法律には何ら
規定してありませんが、
会議法の方から申しますと、
勧告が終れば当然に
政府もしくは
議会が、その
趣旨に
従つて立法してくれるものと期待しているというふうにつくられておる
考えでありまして、一応
社会保障制度審議会そのものの
任務は
一段落に達すると心得ております ところがこの
社会保障制度なるものは、非常に広汎な
範囲を持
つておりますので、それから
財政的にも相当大きな
負担を
国庫にかけるということでもあります。かたがたおそらくは
日本の
厚生行政あ
つて以来の大
改革を
意味することであろうと思いますから、あらかじめこの案の性質の御
説明をお聞きいただくということは、私
どもにと
つては非常に光栄であるのみならず、
諸君におかれましても、それぞれの
心用意のために御必要のことかと存じます。
大体そういう地位に私
どもの
会議がありますのですが
——もつともその間にまだ多少の問題がありますが、かりにそういうふうに進行いたしますとすると、それは大体どういう
内容のものであるかということに話がなると思います。この
社会保障制度試案というものは、率直に結論を申し上げますと、この
社会保障制度に関して、
世界的の
標準に比べますと、やらなければならぬことが非常に多いのにかかわらず、
日本の
財政の
状態が、そういうことを許さないような
状態にある、その
両者のはさみうちにあいまして、その
両者の
利害をまず妥協させるということに非常に苦心を
拂つたのでありまして、私
ども社会保障の問題に
関心を持つ者、それの完成を期待し、希望する者から申しますと、
案自体は非常に貧弱であります。しかし一歩
財政の
負担の方から
考えますと、この案でも、そうやすやすとできるというふうには
考えないのであります。それで、
社会保障制度、
審議会が、初め問題を立てたときには、
二つの問題に当面いたしました。
一つは
日本の
社会保障制度なるものは、戰争前からありましたし、特に戰争中に発達した
関係から、そしてそれらの
時代は、
日本の
経済が非常に著しく変動した
時代でありました
関係から、すなわち
社会保障制度を取上げる
精神そのものが、非常に局部的であ
つたということと、しかもその局部的な、
つまり割合に大きな志を持たない
社会保障制度なるものが、非常な
経済の激浪にさらされるということのために、
社会保障制度なるものは、
戰後において数々の
制度としては存在いたしておりましたが、非常に大きな
破綻状態にありました。それはどうしても彌縫しなければならぬ
状態で、彌縫してもなかなか
社会に役立つように、
社会のからだの現われておるところ、痛いところを包むに足りるようなものではないということが
一つの
現実でありました。それに対してもう
一つの皮肉なことは、
世界の
情勢が
社会保障制度なるものを、この数十年間に非常に進歩させたということであります。このことをお話すればむろん長いのでありますが、ともかくも
イギリスは一九一一年以来の諸
制度が
十分目的を達しないということでありまして、一九四二年すなわち
戰時中に、すでに非常に大きな包括的な
社会保障制度の
改革ということに着手いたしまして、それが一九四一年の八月に
労働党政府によ
つて完全に実行されるということになりました。その
趣旨は、
つまり彼の言葉で申しますと、搖籃から墓場までの
人間の
生活それ
自身を、全部
国家がめんどうを見るという
精神においてできております。と申しますのは、
つまり社会の
劣者、
廃者、
不具者、あるいは
困窮者、それらすべての者の
責任を
国家がとるという、非常な大きな
思想においてできております。これに対しまして
アメリカも非常な進歩をしまして、ルーズヴエルトの一九三五年の
社会保障法なるもの以来、それが非常な発達を遂げました。
アメリカの
精神は、この
イギリスのように
社会主義的ではなく、
資本家と
労働者とが
相互に
責任をわか
つて、あらゆる問題を解決するということに主力が注がれておるのでありまして、その点においては
イギリスのとは
違つて、まだ個人主義的ではありますが、しかしその
内容それ
自身は非常なぜいたくなものでありまして、
つまり人間は六十まで働きますと、何にもせずにりつぱに食える
社会をつくろうということがありありと出ておる、そういう
状態であります。そういう
世界の
情勢が
日本に反映いたします。この反映は具体的には
日本憲法を通じて反映したように思います。そうしてまた同じ
思想がマツカーサーの
日本政府に対する
勧告とな
つて現われ、そしてまた
社会保障制度を大いにつく
つたらどうかという話に
なつたと思うのでありますが、このことは非常にむずかしい問題をわれわれに提供いたします。すなわち一方では国内の破綻した諸
制度をどうするかという問題、他方においては
世界のこういう大きな流れに
従つて、
日本国民もまた自覚し、かつそういうことを希求するのは当然であるということを承認しなければならない。そういう
二つの
交叉点にわれわれの
任務を見出したわけであります。
そこでまずここに
試案として出て来たのは、第一には、ともかくも現在ある
社会保障に関する諸
制度は維持して行く、破壊するというふうにはしないで、悪いことは全部直してとにかく
会計が立つようにする。これは
相当金を要しますし、また
行政上の
改革を要するのでありますが、とにかくそういう目標を達する
方法を
考えるということで、
一つは出発いたしました。それから第二には、少くとも
社会保障制度なるものは、局部の
人々の
関心の事柄ではなくて、全
国民の
関心事であり、全
国民の
利害を
国家が持つものであるということと、少くとも非常にたくさんな量においてはできなくても、
少い量においても全
国民に実質的に知らしめ得るような
制度をつくらなければならぬ。これらの点からはなはだ貧弱でありますけれ
ども、全
国民に対して
養老年金あるいは寡婦、あるいは援助のない
子供、
不具者廃疾者、そういう者に対しましても、
国家がごくわずかな金でありますけれ
ども、ある程度の金を
現実にやるという
制度をつくらなければならぬと
考えました。
それから先ほど申し上げましたように、いろいろ
戰時中につく
つた諸
制度は、まじめなものもありますけれ
ども、
社会的、歴史的に申しますと多少のまじめを欠いておるものもありました。と申しますのは、たとえば
年金制度のごとき、
戰時中、
労働者その他
年金をかける人から金をとるという
方面に
国家が目をくらませて、それらのと
つた金を他日
国民に返すというふうには力を注いでいない。それは非常に不都合な結果を生じたわけでありまして、インフレーシヨンがとま
つて、
つまりせつかく労働者がかけた
年金は、
現実に今日ただにな
つているという
状態を、何とかして合理的な
基礎の上に立つように試みた次第であります。それから
市町村が今日
国民保險という
制度を持
つております。これは
全国の
市町村のうちで約六〇%、六千の
市町村が持
つているのでありますが、このうちの大半は哀れな
財政状態にありまして、
制度それ
自体が危機の
状態にある。これは農村の
人々が、都会の
人々に比較して
健康状態があまりよくない、少くとも健康に関する
知識及び健康を維持する
方法を使うという点においては、非常に遅れているということを相照応いたしまして、はなはだ残念に思うところでありますから、
社会保障制度審議会は、これを何とかして健全なものに、
会計の立つようにしてやりたい、それには
国庫がある程度の
負担を、従来よりはよけいするという
制度にしたい、そういうふうに
考えて案をつくりました。そういうような諸
制度をあわせまして、いずれにいたしましても全体として
国民保險、
健康保險、
失業保險、
労働者の
災害保險、船員の
保險、
共済組合、そういうような従来ある諸
制度を通じて
一つの一貫した
制度の中にそれを織り込んで、
相互の間の不都合と重複とを避けるということを試みた次第であります。そういうふうにいたしますと、従来の
保險制度そのものを改善するという
趣旨が徹底すると同時に、その改善を全
国民に及ぼすというふうにや
つて行きたい
考えであります。いずれもはなはだ微少でありまして、
イギリスや
アメリカの
制度と比べますと、徹底せざることおびただしいのでありますが、しかし乏しきをわかつというような、言い訳のようでありますけれ
ども、
精神としてはそれしかないのでありまして、だんだんとそういうふうに進んで行きたい
考えであります。
もう
一つ、それらの諸
制度を
改革するとともに、
公衆衞生とか、あるいは
福利施設、あるいは
国家の貧乏人に対する特殊の
給與、この三つの大きな
制度をこの
一つのシステムの中において
考える。
つまり衞生に関しましても、
福利施設に関しましてもあるいは従来の
民生委員の
扱つてお
つたような昔からある
貧困者の問題、
窮迫者の問題につきましても、それぞれ従来の
制度を一応ずつと見渡して、そして新しい
保險制度とどういう
関係にあるかというふうに、それを調整する
考えを持
つております。それが全体として、いわゆる
社会保障制度なるもの、すなわち
国民の
最低生活を保障するというふうなその
中心思想とにらみ
合つて、全体としての統一をはかりたいと
考えております。それらのうちでさらに重要に
考えておるのは、健康につきましては、
一般に公的な
病院を拡大いたしまして、そうしてそれを特に府県の
中心地にそういう
病院を設け、それを
ヘルス・
センターというようなものといたしまして、
一般社会の
医療組織の新しい
施設を広く
国民の間に及ぼさせる
中心機関としたい、というふうに
考えております。
公衆衞生としてはそういうふうに行くと同時に、
国民に対しましては、先ほど申し上げた
社会保險制度を通じ、またそういう
ヘルス・
センターの出張所のようなものを通じまして、
予防衞生ということに力を注ぐつもりであります。
つまり早くいろいろな病気を診断し、それからまた簡單に治療できるものについては、なるべく早くやるという
方法を講ずる
考えを
中心にして
立案をしておるのであります。
もう
一つは、
肺病を
——特に
肺病とい
つて悪いかもしれませんが、新たに
結核を征服するということを、この
社会保障制度の諸
方面にその
精神を織り込んで、各
方面から
国民病としての
結核を征服するという
最初の
組織的な試みをしようとしておるつもりであります。これには非常に巨額な金も要する次第でありますが、しかし今日の医学的な
知識と技術とをも
つていたしますならば、
結核患者が今日の
日本のように百五十万も
全国にあるということは、確かに文明の恥辱でありまして、そのことが完全に撲滅できるという
世界の
情勢に照しますと、何ほどかの決心をも
つてその第一歩を踏み出すことが必要であると
考えまして、そういう
趣旨でこの案ができておるのであります。
その他いろいろな問題がありますが、たいへん広汎な
組織にな
つておりますので具体的にこれを
法律にいたすとしますとこれ全体が
一つの
法律になりますか、あるいは区々に
切つて幾つかの
法律としてつく
つた方がいいか、そういう問題は未定でありまして、
諸君の御指摘によ
つて、これから
政府がそれぞれの
方面に進むことと思いますが、これは
日本の
厚生行政を完全に統一し、革新するものでありますから、われわれの案によりますと、もしできますならば、新たに
一つの
主管省をつく
つて、そしてこれらの諸
行政を
一つに統一する。かりにこれを
社会保障省と名づけますならば、
社会保障省なるものが、今日の厚生省の大
部分と、それから労働省その他の諸省の一
部分とを吸收いたしまして、それを新たなる省として、しかも相当大きな省としてこれをやるのが適当であろというような
勧告にな
つておる次第であります。
これらのことをやるのに、しからばどのくらいの金がいるだろうかという問題であります。これがおそらくは皆さんにおきましても、ただちに質問されることでありましようし、この案の
運命自体を決する問題であると思いますが、私
どもの
立案の
趣旨は、何とかして実行できるように、この際どうしても
社会保障制度なるものを
日本にイニシエートさせるということが必要であるので、過大な要求をいたしますと、それは政治上の
理由によりまして、また
財政上の
理由によ
つて不可能であるということを十分によく承知いたしておりまして、
最初に申し上げたように、はなはだわれわれとしては満足しないのでありますが、
がまんに
がまんを重ねて、ぜひともできるような案、
国民も
議会も、どうしてもこの案ならばやらなければならぬというふうに
考えるであろうというような案をつく
つたつもりであります。大体において普通の年でまず七、八百億という年額の
支出、そのぐらいのところを見当としております。現在これは計算が非常にまちまちでありまして、広く
社会保障制度といいますと、非常な広いものになりまして、あるいは
教育とか、あるいは
子供の給食とか、そういうようなものの
費用も入れると、たいへん広いことになりますけれ
ども、そうでなく、この案の
範囲として、
プロパーな固有の
社会保障制度と
考えておるものの現在の
予算では、
国家の
予算としてどのくらいあるかということを計算いたしてみますると、大体三百五、六十億でないかと思われるのであります。それに継ぎ足してこの案では、まずスタートして、二、三年後における平
年度におきましては、四百億円ぐらいがその三百五十億に加わるということになります。
つまりこの案全体としては、七百五十億ぐらいの案であるということが、大体として申し上げることができると思います。しかしながらこの
案自体の中に、場合によ
つては
財政上の都合とか、あるいはほかとの見合いによ
つては、もう少しふやさなければならぬ
部分もありますし、また減らし得るように考案してある
部分もあります。そういうことがありますから、今申し上げた
数字は固定的なものではありませんで、ある程度
増加したり、ある程度減少し得る
可能性のある
数字と御了解願いたいのであります。
私はまだいろいろ御
説明申上げたいところがあるのでありますけれ
ども、むしろ御質問に応じて個々の点は申し上げた方がいいだろうと存じます。大体の
趣旨、どういう
趣旨でわれわれはこの案をつく
つておるか、またこの案なるものは、
立法府にと
つてはどういう
位置のものであるかということを一応御
説明申し上げた次第であります。何の
心用意もいたしませんで、はなはだまずい
説明をいたしまして恐縮に存じます。