○荒木
説明員 運輸省の機構改革につきまして、今日の段階におきまして具体的な案、たとえばどの局をなくするとか、どの地方の機構のどれをなくするとかいうような、具体的な案が提示されておるという段階には来ておりません。そうかとい
つて運輸省、その他行政官庁の機構の改正問題が消えてしま
つてなくな
つているかといえば、そういう
関係ではないのでございまして、御存じのように内閣に行政制度審議会が設けられまして、今年の春その審議会が、政府に対して答申をいたしておるのでございます。政府としてはこの答申を
参考として、目下行政管理庁において、機構の改正ということが研究されておるようでございます。行政制度審議会で答申されました案は、大まかに申しますと、本省につきましては船員局を改組する。それから港湾の
関係の
仕事はこれを建設省に移管する。それから観光部と厚生省にあります国立公園部とを統合して、内閣に観光庁というものをつくる。それから気象台を建設省に移すというような案が、政府に答申されておるわけでございます。それにつきましては、われわれはこの案は賛成することができないということにつきまして、根拠を示してわれわれの意見を開陳しておる次第でございますし、前々国会のときでございましたか、それに関する運輸省の意見を申し述べておいた次第でございます。その後におきましては、具体的に進んでおるということはないのでございますが、ただ御存じのように行政制度
調査委員会議におきまして、国でやるべき事務と地方公共団体でやるべき事務との、いわゆる行政事務の再配分ということがその
委員会議におきまして、目下研究検討されておる状態でございます。シヤウプ博士がやがて明日でございますか帰られるということで、急がれまして、中間段階の意見として、行政制度
調査委員会議からシヤウプ博士に提示された案があるということを承
つております。その内容は、仄聞するところによりますと、いわゆる道路運送に関しましては、二府県にまたがらないもの、一府県内に限定されておるものについては、これは国政事務ではなくて、地方の事務にしてしかるべきではなかろうか。あるいはまた地方鉄道、軌道に関しましては、御
承知のように現在法律上、地方鉄道と軌道とわかれておりますが、地方鉄道であるべき
性質のものが、できたときの事情その他から軌道ということに相な
つておるものがたくさんあるわけでございますが、そういうものを本来の姿に直して、いわゆる軌道であ
つて地方鉄道的なものは地方鉄道に返還して、その
残りの軌道、いわゆる市電のようなものは、地方にまかせたらよろしいのではないか、こうい
つたような意見がシヤウプ博士のところに提出されておるやに聞き及んでおるわけでございます。以上が大体現在までの経過でございまして、この行政制度
調査委員会議の案は最後的なものではございませんで、行政制度
調査委員会議の最後的なものがきまりますと、その案を内閣と国会に提示して勧告する、こういうことになる段取りと拜聽いたしております。そこでわれわれといたしましては、今具体的に案が提示されておるという段階でございませんので、積極的にどこに働きかけまして、われわれの意見を具体的に開陳するという相手がないというような
実情でございますけれども、将来行政管理庁その他において目下研究されておりますから、あるいは行政機構改革の案が具体的なものとして提示される場合があり得るのではなかろうか、かように考えておるわけでございます。
しからば運輸省の意見はどういうふうであるかと申しますと、道監事務所の問題等のときにも、すでにつくりました部分も多々あるわけでございますがー応総論的にまとめて申しますと、大体この交通運輸事業に対する監督行政というものが必要であるということを、ます強調したいと思うのでございまして、これはあまりにもりくつめくようでございますけれども、いろいろの統制事務は、御存じのように戰時中に起りまして、戰争中の必要がなく
なつたならば、これはなくな
つてしかるべきものであり、逐次なくな
つて来ておる状態でございますが、この運輸事業につきましては、これを自由放任にして、濫立を許す、あるいは運賃も自由にするというようなことでありますと、あるいは共倒れになる、あるいは公衆に非常に圧迫を加える。特に交通事業がいわゆる競争線で、幾つもあるというような場合にはよろしいのでありますが、地方鉄道というようなことになりますと、独占的企業になりますことは当然でありまして、従
つてこれに対する運賃等の規制を行わないと、民衆に対して非常に不便を與えるという場合が起り得るわけであります。アメリカにおきましても、最初は自由企業としての鉄道が入
つて来ることを歓迎してお
つたのでありますが、できてから、独占事業になりましてから、独占の威力を発揮するということで、運賃を上げる、か
つてな不平等取扱いをするというようなことから、反対の声が広まりまして、この鉄道に対する規制を始める。こういうような
実情でありまして、この運輸行政に対する監督行政、いわゆる運輸行政を規制するとともに、その保護育成をはかるということは、運輸行政の、いかなる時代においても儼然として存在すべき線であるということを、まず考えておるわけでございます。
次に運輸事業の活動範囲は、御存じのようにますます広くな
つて来ておるわけでございまして、自動車の行動半径、地方鉄道、軌道におきましても、その行動半径というものが、非常に伸びて来ておるわけでございます。経済活動の範囲がだんだん広まるに従
つて、運輸事業の活動範囲が広ま
つて来ておる。こういう事情でございまして、県の行政区画、県の境でも
つて自動車の運行がとまる、あるいは鉄道線路をぶ
つた切るというようなことができないということは、もう私から申し上げるまでもなく、きわめて明瞭なことであるわけでございます。従
つてこの運輸事業に対する行政というものは、その経済実態に応じて、広い地域を單位として、それをまとめて眺めてみなければならないということは、申すまでもないのでございまして、特に御留意を願いたいと思いますのは、現在シヤウプ博士その他によ
つて考えられております地方制度というものは、アメリカの考えを取入れるということが非常に強いのでございますが、御
承知のようにアメリカは、合衆国が、国が先にできて、それから自治体的な州ができたという
関係ではございませんで、州がまず独立国としてできまして、それが合さ
つて合衆国に
なつた。だから州の方が先に独立国としてできて、それが集ま
つて一つの国ができたという事情でございまして、しかもそのアメリカの地域は実に広大なものであります。わが
日本の国は、アメリカの一州であるカリフオルニア州よりやや小さいというようなわけでございます。そうい
つた歴史的な沿革があるからこそ、アメリカでは依然としてその交通行政に関しましても、州というものが強い力を持
つておるのでありますが、その歴史的な事情を無視して、アメリカ式のものをわが国に入れるということ自体が間
違いであると同時に、また交通行政というものが、常に地域と関連して行かなければならないにもかかわらず、カリフオルニア州よりも小さいような
日本の国を、四十六の府県にぶ
つた切
つて、小さくわけて、それによ
つて個々別々な行政を行うということは、まことに
実情に即さない。むしろアメリカの制度を、わが国の
実情を認識しないで移し植えるということであ
つて、さようなことになりますることはまことに遺憾にたえない、かように考えておる次第であります。今申し上げましたのは、運輸事業というものは広い地域にわた
つて行動しておるからして、それに対する行政は、一つの県というような境によ
つて、ぶ
つた切
つて行
つてはいけないということを申し上げたのであります。さらにこの運輸事業は、御存じのように鉄道、自動車、船、やがて出現するでありましようところの飛行機というようなものが、相互に競争しておりますと同時に、相互に依存
関係に立
つておるわけでございまして、これを一体的にながめて、一つの場所から総合的に調和的に育成し、規整して行かなければならないと考えるのでございます。たとえば運賃について、二府県にまたがるものはこれは国が運賃を見る。一府県内だけのものは、県が運賃を免許するということになりますと、まことに下自然なことが起るのでありまして、県内だけに限
つておるというものは非常に少いのでございますが、かりにそういうものに関しまして、運賃をきめるということになりますと、地方が独立して運賃をきめる、そうすると運賃がキロについてごくわずかの
金額の
違いでありましても、その旅客の移動に不自然なものが起りまして混乱を起す。こういうことが多分にあり得るわけでございます。アメリカにおきましてもそういう事例があ
つて、非常に困
つておるという事例がございますが、その事例はあげることを省略いたしますが、この点をぜひ御考慮に入れていただきたいと、かように考えるわけであります。
なおもう一つ、この問題についてお考え願わなければなりませんのは、運輸交通に関しましては、
人命に関する場合が非常に多いのでございまして、その運輸交通
機関の検査、取締りということを
嚴重にしなければならないわけでありますが、その検査、取締りをするにつきましては、あるいは電気とか、車両、保安、信号装置というような專門的な技術者を必要とするわけでございます。一人の技術者が何でもやれるわけのものではございませんで、
相当数の各分化された專門の技術者を持
つておらなければならないわけでございますが、それを府県單位にぶ
つた切るということになりますと、自然——府県においてさように各種專門家を
相当数收容しておるということは、事実上できないことで、この技術的監督面の陣容が低下するということは、きわめてゆゆしき問題であると考えるのでございます。以上のような考え方からいたしまして、どうしても運輸行政は国の事務として、地方にわけて個々別々にやり、府県の行政に移すべきものではない、こういうことを主張いたしたい、かように考えておるわけでございます。
なお運輸省の本省の機構に関しまして、船員局を廃止し、陸運局と自動車局と
鉄道監督局を一緒にするというような議論も一部にあるようでございますが、そうい
つたことも
実情に即さないものであるということは、すでにしばしば申し上げておるところでございます。この点につきましてもわれわれは強くそういうことを主張したいと、かように考えておる次第であります。
なおこの行政のあり方ということに関しましては、どうしても能率を上げるということになりますと、責任の範囲を明確にして、責任を持たせるという態勢をとらなければいけない。かように考えるわけでございますが、とにかく局を減らせばよろしい、こういう
程度でありますが、局を減らしても
人間の数の減ることはきわめて少いのでありまして、
人間は逐次全体的にふやして行くことは当然でありますが、その手段として、責任の限界を不明確にして、能率の低下を来すような行政機構のつくり方は、これは戰争前の考え方であればとにかく、現在のように能率と責任を強調する時代におきましては、まことにそうい
つた局の数をめちやくちやに減らすというような考え方は、能率と責任という点から考えまして、まことに時代逆行的な残念な考え方であると考えております。この点についても十分御認識をいただきたいと考えておる次第であります。
大体現在までの経過と私たちが考えておりますことを申し上げた次第でございます。