○松村眞一郎君 私は農林大臣にお尋ねしたいのでありますが、農業経営の方面においてどういうような
方向に改善をして行くようにお
考えにな
つておるのか、それを承わりたい。私の言わんとするのは、農業のうちで最も重点を置くベきものは、
日本の農業が昔ながらの鎌と鍬の手農業である。それから脱却いたしませんと、どうしても根本的な改善ができないということを
考えておるんです。結局人間としての学力の価値を十分に発揮しなければならない。先ず役畜に委せていいことを人間が担当しているというところに、非常に
日本の農業の欠点があると思うのです。人間でなければ働くことのできないという方面を人間が担当するのが適当であ
つて、役畜に委せてよいという部面を人間が担当しているということの結果、
一般において農家は労働に余りに体を使い過ぎておる。どうしても農業経営の上から農民の重労働からの解放というところに要点を置かなければいけない。結局人としての尊嚴を傷付けておるということを私は
考える。体が頑丈でなければ農業に従事できないという
考え方で農業を見るならば、頭の働く人は農村から離村して行くということになる。やはり農業というものを心持よく行な
つて行くというような
方向に導いて行かなければならんと私は
考えるのであります。労働を成るべく軽減をしまして家畜に委すべきものを委すということになれば、そこに時間の余裕が出るのは当然であ
つて、そこで自分の修養もして行く、文化の向上もできる。馬は十人力というのでありますから十人前の仕事をするのであるから、一日で済むことを人間がみずからやれば十日間かかる。こういうことに農繁期というようなものも或る意味において役畜を使用すれば相当そこに省略ができると私は思うのであります。そんなことから
考えましてこの度の予算を見ると、そういう方面の考慮が非常に不十分であると私は
考える。例えば畜産局の予算を見ますというと、有畜営農促進費が前年度は六百七十万、今年度は三百三十万円しか取
つていない。半減しておる。そういうような
考え方が予算の中に現われておるところを見ますと、恐らくは畜
産業の改善を大臣は平生よく言われるが、食物のことばかり
考えておるんではないか。
日本が余りに蛋白質の給源を水産物に求めておるに止ま
つて畜産を重要視していない。牛乳にしましても、卵にしましても、肉にしても
日本人は外の国に比べては殆んど比較にならん程僅かなものしか消費していない。もう少し澱粉に偏したところの胃拡張の弊害を除却するためには、蛋白給源を畜産に求めなければならんということに重点を置いておられるように私は思う。これは非常に結構であります。併しながら人間としての価値は体位を向上するという外に人間らしい生活を向上させるということが要点でなければならん。これはどうしても先程申上げたごとく農家が人間らしい生活をする、私は人間らしいと
言つてもいいと思う。従来は余りに体力を使い過ぎておる。こういう点について大臣はどういう御考慮をされておるか。結局畜力、機械化ということに重点を置かなければ
日本の農業の改善はできないと思う。土地の改革ができました。そうして非常に農家が細分しておる。零細の農家にな
つておる。土地の交換分合ということが必要になる。何を目的として交換分合をするか。農業の適正経営ということを
考えなければならん。家畜を使
つた程度のものをそれを適正と
考える
方法で指導されることが必要であり、農家と共にそういう
方向に相談して進められることがいいと私は思う。例えば早場米地方におきましては、どうしても適期適作ということが必要であるが故に、現に岐阜や長野の馬が石川、富山に行
つて働いておる。そうして早く耕作をして、耕起をし、代掻ということをして、今度は又岐阜に帰り、長野に帰
つてもう一度働く。馬というものは早く耕作できることによ
つてそういう効果が現われておる。例えば山形県においていえば、労力を馬に仰ぐ、牛に仰ぐということのできない零細農家は、牛馬を持
つておる人から馬に農具を附けたものを借りて、そうして重労働は牛馬を使役してや
つておる。それに対しての返礼として、人が馬の場合には二人分労力の提供をする、或いは田植のときに手助けをして行く。牛の場合は一人八分で労力を返却するというようにそういう
方法を取
つて役畜が相当使われておる。そういうようないい事例はできるだけ
一般農家に知らせて行
つて有効に農業経営ができるようにお
考え頂きたいと思いますが、大臣のお
考えはどうですか。