○
公述人(櫻田武君)
昭和二十五
年度総
予算について
公聽会の
公述人の御依頼を受けましたので、私産業に従事する一人として見解を申述べます。
第一の問題といたしましては、この
予算をよく拜見いたしまして、
予算編成の根本にな
つておりまするところの
政府の観測と申しますか、
経済界の動きに対する
政府の観測というものについて、少し私異つた見解を持つものでございます。
政府の観測に従いますると、通貨が第一に安定しておる、これが第一、それから物価、
賃金が安定しておる、これが第二、第三に、
生産が上昇を見ておるというふうな、この三点を主として御指摘にな
つて、これで以てデフレーションではない、インフレーションを收束さしてデイス・インフレの線に乘つか
つておるんだというふうにお考えにな
つておるようなんでありまするが、先ず第一に、通貨の面におきましては、これは現在におきましても、三千億円の通貨の、日銀券の発行
程度というものを維持するのがむしろ困難なくらいでございます。恐らく
年度末には、私の考えでは必ず三千億を割るであろうというふうに考えるのであります。昨年の三千五百とかいうふうな通貨の発行は、とても
昭和二十五
年度においては困難ではあるまいかというふうに考えられるのであります。尚又全国の銀行の預金の総額、これが大体現在におきましては六千七百億
程度のものでございますが、これを通貨との
関係を考えて見ますると、通貨が三千億で全国銀行の預金の合計がその倍にしかならないというような国は、まあ
国家としては
日本でございまして、フランスが確か四倍と私は記憶しておるのでございます。それから
アメリカは六倍
程度あるのでございます。丁度私、紡績会社を
経営いたしておるのでございますが、昔
日本が、発行通貨の五倍
程度の銀行預金があ
つて当時の工場
経営について申しますれば、一ヶ月のうちに現金を自動車に乘
つて銀行に取りに行かなければならぬという日は一日だけでございます。それは給料支拂日一日でございます。その他は、工場の中の、会社の中の金庫は、十円か二十円も現金を持
つておればそれでよろしい。現金を持
つて事業をやるなんていうようなぶざまな
経営は会社はしない。又世間も日清紡績へ行けば十円か二十円しか紙幣はないけれども、三千万でも五千万でも融通を願える。要するに基は信用でございます。通貨と銀行預金との
比率、それから通貨の発行高の伸びないというのはなぜかといいますと、
経済に上において、
企業の
経営に対する信用がないということに帰着するのでございます。従
つて私は通貨が安定しているようなところで、安心してこれがデフレでないというふうなことは、聊かどうかと思うのであります。それから次に物価、
賃金の安定ということにつきましては、物価は成る程横這いいたしておりますのですが、
国民生活の、我々の衣食住に使います品物の中で、最近は統制が外れておりまするが、現在におきましても六割
程度はどうしてもマル公以外の物資に依存しております。このマル公以外の物資が
国民生活の六割を占めておる、而もこれが激落しつつある、暴落しつつある。町へ出て御覽になりますれば、特に絹製品、それから羊毛製品等のごときは、酷
いものは、これは極端でありまするが九割下げ、普通のものでも三割乃至五割下げで、尚且これが売れておりません。昨年の九月頃からあとの動きを見ますると、白木屋、三越というふうな百貨店が、この暮によく品物が売れておるのであります。この三越、白木屋等の百貨店が非常に、昨年以上に物が売れたということが、即ち言い換えれば
国民一般の購買力がなくな
つて、そうして不景気が酷く
なつたということの象徴であります。思い出しますと、
昭和四年の頃は小売店がばたばた倒れた、そのときデパートのみひとり栄えてお
つたのであります。こういうふうに
一つの必然的な現象として、そうなるのであります。ところが最近におきましては、デパートにおいてすら品物が売れない。そうして一般の小売商は恐るべき値下をして尚且売れないという
状態でありますので、
昭和二十五年が物価が横這いというふうなことは到底考えられない。我我の日々接しておる現実なんであります。次に
賃金はどうかと申しますると、大体組織労働者の
賃金は下
つておりません。これはむしろ多少上り気味にな
つておるのでありまするが、これは労働省でお調べになりました
数字の、大きい工場のみでありまして、中小
企業についての
数字ではございませんし、それから尚相当多くの人数を占めますところの自由労働者、特に日傭労働者、これらの
賃金は昨年の九月に、大体一日当り三百円乃至三百五十円、それが最近は百五十円でもいいから雇
つて呉れろというような
傾向に下
つております。大工の
賃金も、大体千円以上でありましたものが、最近では五百円以上というような大工はおりませんような
状態でありまして、
賃金は下
つておる。特に初給
賃金が下
つておる。以て物価、
賃金が安定しておるとは言えないのであります。
それから雇傭でありますが、
国民所得という点から言いますると、
賃金を貰う人間の数と、その
賃金を拂います
賃金の総額がこれのトータルでなければならないのであります。雇傭はどういうふうな状況かと申しますと、昨年の一月を一〇〇といたしまして、労働省の
統計を見ましても、七月以降はずつと下
つておるのでありまして、五月が一〇〇・九、六月が一〇〇・二、七月が九〇台に入りまして九七・二、八月が九六・二、九月が九五・二というように、中小
企業を除外しました労働省の調査によりましても雇傭量が低下しておりまするし、それから人員
整理はどうかと申しますと、
昭和二十四年の一月から四月までの間、我々の記憶で大体月一万であります。これが五月が二万四千、六月が三万二千、七月が四万、九月が六万四千というふうに九月が急激に増加しております。これは
行政整理の都合もあ
つたのでございますが、十月が五万、十一、二十月が約二万
程度に減
つておるのでありますが、この人員
整理がこの外の中小
企業では非常に多い。特に私が
関係いたしております機屋さんあたりの人員
整理というものは、これはこの
数字に現われない多くの
整理を受けておる
実情にあるのであります。この
賃金それ自体に水準が上
つていない。むしろ初任給は非常に下
つておる上に、その
賃金を貰います人の数が、雇傭が下り、而も
整理が外のように行われておるということで、物価、
賃金安定せりとはお義理にも言えない。
その次に
生産でありますが、これは成る程、昨年の十一月は終戰以来のピークを示しております。これは鉱工業
生産にいたしましても、電力の
生産、これを総合いたしました総合
指数としては、
生産は確かに終戰以来の記録的な
数字を示しておるのでありますが、それとても昨年の三月に比べて一割高
程度の、余り大したのものでない。のみならず季節的な
影響が相当あるのでございまして、これを以て
生産を今後絶えず上昇
傾向に置くことができるということは私は言えないのではないか。かように心配いたしておるのであります。それはなぜかと申しますと、皆どうしてこう向にな
つて生産を増したかと申しますと、これは
企業の
合理化といいますか、
生産コストを引下げる
ために單位当りの
生産費を下げよう。その
ためには
生産高を殖やすより外に手がない。だから
生産をしたという止むに止まれん
増産であ
つたのであります。それともう
一つ私が心配しでおりますのは、滯貨が非常に殖えている。滯貨金融が今日のようにやかましく叫ばれておりまするのは、
生産した品物が
有効需要の面に廻
つて参りませんで、滯貨にな
つておる。特に輸出物等につきましても非常な滯貨であります。幸いに綿製品だけはどんどん海外に捌けてはおりますが、綿製品以外の纖維製品は殆んどストックにな
つておりますし、それ以外の雑貨、機械類等は殆んど皆滯貨にな
つてしま
つておる。
生産は幾らか増したけれども、今日のような滯貨の増ということは未だ曾てなかつたという点も指摘されるのであります。
かように考えて参りますと、
予算編成の基本にな
つておりますところの、この
昭和二十五
年度に対するところの
政府の観測というものが、ディス・インフレの線であるという観測は、私は正にデフレの線に転落する危險が非常に大きいというふうに考えざるを得ないのであります。この
実情の認識を根本に置きまして、而も尚且つ
日本経済が自立しなければならない。そうしての自分の力で立
つて行かなければならないという、ドック・ラインを生かそうということの
ために、どうしてもここに大きく財政
政策の転換を必要とするのではあるまいか。かように考えます。
日本経済の自立と申しますれば、私は
アメリカのエイド
資金の、対日援出
資金の金額の推移からもはつきりこれが出ておるのでありまして、
昭和二十二年が確か五億四千万ドル
程度であります。
昭和二十三年がこれが四億八千万ドルくらいに減りました。今度は三億二千万ドルといい、或いは二億三千万ドルも、
アメリカの議会の模樣で尚且つこれは
決定いたしませんでございますが、このように朝鮮を含むところの対日援助
資金は段々減
つております。この減るのは、私は非常に歓迎すべきことでありまして、例えて申しますれば、
アメリカからガソリンをただ持
つて来て我々が乞食のようにこれを頂戴しておつたということを変えましてペルシヤ湾の方へ原油を積み取りに行くペルシヤ湾の方から原油を積り取
つて来ますれば、向うからもそれだけ物を買うから、向うも
日本から物を買わなければならん。それからバーターの輸出入が起
つて来る。原油を持
つて来ますればグリスから最後はガソリンまでのいろいろな
生産が
日本で起
つて来るというふうに、エイド・ファンドが減りますれば、それだけ
日本の産業がそれの倍程に活溌になります。ただ
アメリカから
小麦を貰うのではない。シヤムなんかから米を買えば、シヤムは
日本から綿製品を買う。そうすれば
日本の綿業が振う。
小麦も
アメリカからだけでなく、オーストラリア、カナダからも入る、そうすれば
小麦の加工業も動き、反対に輸出もでき、これにより
経営の
合理化もできるというようなことで通商協定が結ばれる。この通商協定の下に、
アメリカのエイド・フアンドの減つただけは
日本の産業が動いて行くという方法で以て、我々は自立をして参らなければならない。これがドツジ・ラインの
方向であろうと、私はこう考えておるのでありますが、併しながらこれで自立と申しますれば、どうしも竹の子
経営ではいけない。個人の赤字、
企業の赤字、財政の赤字という三つの赤字があつた。これが財政の赤字が一遍になくなるということは、これは結構なことでありまするが、本当を言いますると、これが逆になるのが建前ではあるまいか。個人の赤字、
企業の赤字がなくな
つて、然る後に
国家の赤字がなくなるというのが本当ではあるまいかと、かように私は考えるのでありますが、産業としては只今申上げたようにドツジ・ラインが我々のどうしても実施しなければならない
方向として示されておりまするし、それから又
昭和二十四
年度の財政
予算の組み方から考えましても、どうしても
合理化をいたさなければならない。これは個人にしても、
企業にしましても、
国家の財政にしましても同じことなんでありまして、この
合理化の
方向へ昨年以来産業挙
つて突進して参
つたのであります。ところが
合理化にもいろいろ種類がある。と申しまするとおかしいようでありまするが、私はそう考えておるのでありまして、先ず第一に、
昭和二十四
年度の
合理化は何であるかといいますると、人員の
整理であります。過剩の人員を抱えて、そうしてその生活を保持する
ための
賃金ばかり拂
つておる。
賃金と物価は悪循環をする。これを先ず断ち切らなければならない。
生産に応じた
賃金にする。
生産にマッチしただけの人員に節減するというふうに
合理化、第一に行われました
合理化というものは、人員の
整理、不合理な
賃金の切替えというような
合理化が行われて参
つたのであります。併しながらこの
合理化がこれ以上進めばどうなるかということは、すでに先程私の申上げましたように、雇用の面において昨年の九月以降は非常に失業が殖えておる。のみならず人員
整理も相当行われ、このままで人員
整理の
合理化を進め、
賃金の切下げをや
つて行き、或いは
賃金の遅拂い等がひどくなるということになりますれば、
国民の購買力というものは殆んど零にな
つてしまう。
国民が購買力をなくしたところに何の産業が立ち得るか。物を作つたが誰も買わんじやないか。この状況が、もう現在ありありと目の前に現われるというような
状態に
なつた場合には、この際思い切
つて合理化の
方向を転換して、違つた意味での
合理化に切替えをすべき絶好の時期、絶好と申すのは甚だ言葉が悪いのですが、もう必至の時期にな
つておると私はかように考えるのであります。それではどういう
合理化に進んで行けばいいかと申しますと、一言にして申しますれば、産業の
資本蓄積による
合理化なんでありまして、金を使いましてそうして機械を精鋭にする、機械を合理的な機械にする、新らしい機械に入れ換え、設備をよくするというふうな面に、産業の
合理化というものをこの際切替えなかつたならば、産業の基本は崩れてしまう。今の時期を失したら、我々のような輸出の面において相当
世界中と競争いたしまして、今まで負けたということを私共は考えておらなかつたような紡績業ですら、この際にうんと機械、建物に金をかけなければ、もうインドの紡績に負ける、
アメリカの紡績には到底追いつけない。イギリスの紡績すら、曾て
昭和十二年の頃は、イギリス何するものぞと思
つて、我々はインド市場で堂々角逐したのでありますが、イギリスの紡績にすら追つつかなくなる。この際に余程
企業の
合理化を、人員の面から機械設備、その面に切替えまして
合理化をや
つて行かなければ、第一
世界のマーケットから締め出されるということに相成
つておるのでありまして、この意味での
企業の
合理化をどうしてもやらなければならん。そうすればここに初めて雇用が安定し、且つ徐々に雇用が増加して行き、人間もたんと雇うことができる。対外的競争力もここでついて来る。今まで竹の子
経営で食い潰しながら
経営してお
つたのを、これで止めることができるというふうなことになるのでありまして、こういう
合理化をどうしても今後はや
つて行かなければならん。ところがこの
合理化をする
ためには何が一番必要かと申しますと、お金であります。
資金であります。
資金がなければ、到底私の言う転換したる
合理化はできない。然らば
資金は、産業界としてどういう面から入るかと言いますと、三つしかございません。
一つは御承知の株を発行する、或いは社債を発行するかいたしまして、ここで金を集める。これが
一つのルートであります。もう
一つのルートは銀行屋さんに行
つて、金融機関から長期の金融を受ける。これが第二のルートであります。第三のルートは見返
資金から金を貸りる。この三つのルートが我々産業に與えられております。このルートから
資金を集めて、初めてこの
合理化ができるのであります。ところがこの三つのものについてちよつと御説明申上げたいのでありますが、見返
資金につきましては、今年は一千四百億というふうに、
予算を拜見するとな
つておるのでありますが、その中で公
企業に四百億、私
企業に四百億、残りの中から五百億を
債務償還にする予定にな
つておるのでありますが、私
企業に僅か四百億
程度の見返
資金では、而もその見返
資金が造船とか、発電とか、車輛工業とかというふうないわばヘヴィ・インダストリーの方面だけに與えられておるというふうな
状態では、到底産業界を潤おすわけには行かないのでありまして、又このヘヴィ・インダストリーは非常に廻転が遅うございますから、金額も僅かなものであると同時に、これが一般に廻
つて来る速度が非常に遅い。
然らば株式はどうかといいますと、株は皆さんも御承知のように、非常に昨年から低落しておるのであります。低落するのは無理はないのでありまして、終戰以来、私共の目安の勘定では約千六百億程の増資の株式募集をして、それだけの金を株式市場から我我の産業界が吸い上げたのであります。これは明治御一新以来の金額を遥かに上廻るのでありまして、昨年一ヶ年だけの増
資金額でも八百億に達しておる。戰争で以て打ちこわれてしまつた証券市場なり、それから食うに追われておるような
国民の懐ろに向
つてこれ程大きな重荷を背負いかけさせて、そうして株式市場がどうにか立
つて行くというふうなことは、これは考えられないのであります。従
つて株式の面からする
資金のルートというものは、ここに当分望み得ないであろうというふうに考えておるのであります。株式保有会社の案が、今日の新聞等によりますと、なかなか難航を極めておるようでありますが、僅か十億や二十億のものを以て支えることのできるような株ではありません。先程申上げたように、昨年一ヶ年でも八百億の増資がなされておるのでありますから、少くとも二百億や三百億のものを以て株を支えまして、そうしてこれが五年くらいの間に順当に消化されるというまで待たなければ、到底株式市場は健全にならない。従
つて我々は株から金を集めて
企業の
合理化資金に充てようということは、極く限られた惠まれた産業の一部のもの以外には不可能であるというふうな
状態なのであります。
次に金融の面から言いますと、先程申しました六千七百億
程度の銀行預金の殆んど八八%を貸金に出しておるというような
状態でありまして、到底銀行の融資の余力はないというふうな
状態にな
つております。こういうふうな
資金のルートでありますと、見返
資金がもう殆んど枠で決められた産業にしか向かないということになりますれば、我々は金融機関なり、或いは株式、証券市場なりから
資金を集める以外に、
資金を集める手はどこにもない。その
ためにはどういうふうにすればいいかというと、ただ
一つここに手がある。それは
企業がペイするようにするということであります。ペイしない
企業には、どんな銀行屋さんだ
つて貸して呉れません。ペイしない
企業には、どんな株主だ
つて株を持
つて呉れません。従
つて企業がペイするようにして行くということが一番大事なのでありまして、ペイしなければ到底金融機関を、本
予算にありますような千二百七十六億でしたかの
債務償還、昨年は千五百七十一億でありましたが、これで以て銀行屋さんの持
つております債券をすつかりお
買上げにな
つて、そうして銀行の内容の資産構成というものを非常に健全にされましても、健全に
なつた銀行屋さんと雖も、必ず損をするという事業に金を貸すような、そんな銀行屋はありません。従
つて私は
債務償還というようなことは、この際一切お止めになることが必要であるという結論になるのであります。そうして
債務償還をすつかり止めて、これをどういう方面に振り向けるかということが一番の問題になると思うのでありますが、或る論者は、これを以て直接投資に充てろというふうなことを申すのでありますが、これは私はドツジ氏の示されました
日本経済の自立の案の、
一つの私の推測する限りにおけるプリンシプルとしまして、財政の
経済への関與を成るべく少くしようという思想が織込まれておる。又これは我々産業界としても、そうあるべきだと思うのでありまするが、その面からしましても、これは望ましくない
方向でありまして、この
債務償還を止めましたものは、引続いてこれを
減税の面に振向けるべきではあるまいか、かように考えておるのであります。なぜ私がこういうふうなことを申すかと言いますると、次に申上げたいと思いまするが、一体
税金がこの
予算に書いてある程とれるかという問題であります。私は結論を先に申上げますと、到底とれないという結論なんであります。だから税が
予算程とりにくい、無理をしてとればぶつこわしになる。ですから
減税の方面にすべての力を向けて、そうして先程申しましたように、個人の赤字と
企業の赤字をなくするとうことが一番大事なことではあるまいか。一体今の産業界で何が一番我々の頭を悩ます問題かと申しますると、先程の
公述人のお話にもありましたが、
税金が第一であります。その次に我々紡績屋としては、海外への売行きがどうであろうかということであります。又
経営者の
立場でもう
一つ申しますれば、労働者の
状態がどういうふうにな
つて行くであろうかという、この三点であります。ところが労働者諸君の問題は、これは最近労働組合も非常に自覚して、協力しておりまするので、これで事業が潰れるということは、私は絶対にないと思います。これは
国内のあらゆる産業について見ましても、問題は起
つておりまするが、労働問題で
企業が潰れるということはあり得ない、かように思います。
それから次の営業の面でありまするが、この営業の面も、これは勉強さえすればできることなんであります。幾ら勉強してもできな
いものは税であります。法人税のとり方にしましても、それからその他
地方税のとり方にしましても、現在のシャウプ勧告に示されておりますような税をとられたんでは、
企業は到底立
つて行けない。それから個人の生活も到底立
つて行けません。個人の生活ということになりますと、私の記憶によりますれば、
昭和の初年は、私、約三千人程使
つておりました名古屋の工場に勤めておりましたが、三千人の従業員の中で職員が確か二十名程でありましようか、私は当時職工から始めたのでありますが、職工、今で言いますと工員階級で一体所得税を納めた人は一人もありません。職員のうちでも我々は何とか所得税が納められるようになりたいと思
つても、なかなかそれ程月給が上げて貰えなか
つたのでありますが、二十名おります職員のうちで、工場長以下幹部の十名程が所得税を納めて、後の人間は全然所得税などということは考えずに行けたのであります。然るに今や十六歳で初めて紡績工場へ入つたような、いたいけない女の子まで、すべてその日から所得税を
負担しなければならんというふうな
状態で、従
つて個人の生活がいつまでも竹の子である。それから又法人税その他
事業税、これは今度は附加価値税とか、或いは
固定資産税に変るのでありますが、これらの
税金をまともに
負担できる事業が、一体今幾らあるだろうかということを率直に考えますれば、纖維の中でも紡績業はどうにかこれが
負担できると思います。配当を余り多くいたさない限りにおいては……。その他は食品工業、それ以外には余りこの
税金の
負担に堪えられる工業というものはそう多くございません。これは
実情なんでありまして、この税
負担を軽減するというこにいたしませんことには、
企業は到底ペイし得ない。ペイしない
企業は
資金が手に入らない。
資金が手に入らなければ今申しました
資本蓄積によるところの
企業合理化は到底行われないで、結局それが……、これは
経営者の良心にもよりましようが、勢の赴くところは人員
整理の
合理化に堕して行
つてしまう。そうすれば
企業経営者は自分で自分の身を食
つて産業を潰してしまうということになるかと思うのでありまして、どうしても
減税以外には手がない。従いまして昨年の千五百七十一億円の
債務償還というものは、これは私は非常に意味があつたと思うのであります。何しろ
昭和二十四年は確かにあのドツジ・ラインの実施の最初の年でありましたし、当時は又
消費インフレの
影響が残
つておりましたので、その残
つておつた上に財政が
経済へ関與する
程度が、殆んど
経済即財政と言
つてもよろしい程に、財政の
経済に対する関與の分野が多か
つたのであります。だからこの際は財政を本当に引締めて、そうして
債務償還もできるだけやる。そうしてインフレを一気に收束してしまうということがよろしかつたと思うのであります。又文字通り收束してしま
つたのであります。ところが、今や産業の
合理化が
方向転換しなければならんというのと同じ意味合におきまして、この
債務償還等もこの際に大きく
方向転換がなされて然るべきである。
アメリカの
政府予算も、最近の……、まだはつきりこれは議会で決まりませんからどうなるか分りませんが、あれだけ見ますると、五十一億ドルの赤字財政であります。
アメリカの
予算の歴史の上から見ましても、積り積
つて確か二千三百億ドルぐらいの赤字になるようでありまするが、
昭和二十五年、要するに一九五〇
年度のバゼットを見ますると、やはり五十一億ドル程の赤字にな
つております。あれ程の
経済力もなく、資源もなく、そうして戰敗れた
日本といたしまして、インフレが止
つてデフレに落ち込むのを防ぐというのであれば、
債務償還ぐらいはこの転換期にはつきりこれも転換して、零として、そうして
減税に振向けて徐ろに気力を養うという点が一番大事ではないかと、かように考えまして、本
予算を拜見して第一に私その点に思いをいたしたのであります。
第二の問題といたしましては、この
予算の基礎にな
つております
経済條件が、この頂載しました
予算書の中に書いてあるのでありますが、物価水準、これは先程私申上げました。給與水準についてもちよつと申上げて置いたのでありますが、
経済統制の
整理、これは第三に謳
つておりまするが、
経済統制の
整理というものも、今や
実情は
整理恐慌というふうな
状態にな
つているのでありまして、一番はつきりいたしました例は、生糸の統制が止まるということで以て、銘仙上物の二千七百円あたりが、もう直ぐに一千円を割るというふうなところまで落ち込んでおります。それから綿布なんかにいたしましても、ひと頃の闇の値段と最近の闇の値段とは、もう半分或いは三分の一
程度に下
つているのであります。羊毛においても、スフ、人絹においても又然りであります。こういうふうに統制が段々と
整理されるということは、一種の
整理恐慌を惹起している。従
つてこの
国民所得の面から考えると、統制
経済の
整理ということは、我々是非や
つて頂きたい。これは強行しなければならんと思いまするが、
国民所得の上から言うと、これは
国民所得を殖す、プラスの働きには決してな
つていない。マイナスの働きにな
つていると言わざるを得ないのであります。
四に貿易が書いありまするが、この貿易につきましてやはり
政府の見込は、やや楽観に過ぎるのではあるまいか、かように考えておるのであります。
世界各国が非常なドル不足の今日、昨年の三月十七日ポンドの切下が行われまして以来、めぼしい輸出商品と言えば綿製品の限られております。その外の商品は殆んで輸出されておりません。今年に入りまして我々貿易業者も極力輸出に
努力はしておりますが、各国共にインポート・ライセンスと申しますか、輸入許可証、輸入許可証で以て非常に制限をいたしておりまして、輸入許可証が下りない限り如何に引合いができても、これは契約にならないというふうな
状態、それから尚イギリスのポンドの引下げ後英貨の一ポンドが
アメリカのドルにして二ドル八十セントという
程度であ
つたのでありますが、もう最近におきましては二ドル八十セントで通るポンドは余りございません。ポンドは現実のインド、パキスタン等において非常に低良に置かれておる。従
つて我々はそこで競争できないのであります。のみならずこの通商協定を結びまして現在外国とそれぞれ
日本が通商協定の枠のうちで商売をしなければならんのでありますが、本当に向うさんのお気にいる値段で出して行かれるのは綿布だけでありまして、その外の物は余り向うさんがお好みになりません。ところが
日本は向うから原綿を買いましたり、或いは米を買つたり、いろいろの物を買わなければならん。ローガン方式は御承知のように先ず輸入しろ、輸入しておいてそれから輸出をしなければならんというのでありまするが、たとえ綿花を輸入いたしまして、インド、パキスタンから綿花を随分輸入いたしておりまするが、その代りに機関車を売る、電気機械を売る、紡績織機を売る、機械を売るということにいたしましても一ドル三百六十円、或いは一ポンド千八円、このレーションでは機械車や機械は到底向うへ出て行かれないというふうな
状態でありまして、片貿易になれば通商協定は実行されない、従
つて貿易は細らざるを得ないという
状態に追込まれておるのであります。ただ
一つ私の望みといたしますのは、現在
アメリカの議会でいろいろ論議されております
アメリカの極東
政策というものが、どのような形でできるか。そしてアジアにおける後進地域開発
計画、その他がはつきり決まりますれば、
日本の工業力というものを或る
程度……この
計画が、丁度ヨーロッパ・マーシャル・プランに似たような
計画が、若し実施されるといたしまれば、アジアにおけるこの
計画の実施において
日本の工業力を大いに活用されるかも知れないという点であります。これはどうせ実施されるにしましても、今年の七月以降、
予算年度以降になるのではあるまいかというように考えます。
日本の
昭和二十五
年度の貿易というものについて、これ程勇敢に楽観する気に私はなれないのであります。かように考えて見ますると、
国民所得の見積りというものが、この
予算でありますと、確か六%
程度殖えるようなことにな
つておると考えておりますが、到底これは不可能だろう。これはざつくばらんに申しまして現在の
日本の景気と、去年の景気と比べて見て、
国民の所得がどちらが多いか、これでやや腰溜めはつく。それから去年の会社の
状態と今年の会社の
状態と比べて見て、私自身の紡績会社の面から見て去年程はとても無理だ。これは明瞭であります。成る程
国民所得の中でも法人の所得は多少減るように書いてありまするが、前年よりも相当大きく減ずる、減つた
国民所得から果してこれだけの
税金を取ることができるであろうか。これだけの歳入を予定し得るであろうかということは、これは言わずして明らかなんでありまして、この
予算を見まして私は歳入の見積り過大であるということを心配せざるを得ない。従
つてそれに応じたところの歳出の面の検討を必要とするのではあるまいかとかように考えるのであります。
それから次に、この税制でありまするが、税制については
予算委員の方で御審議になるのか、或いは税法の方で別に御審議になるのか存じませんが、税の中で我々が一番
関心を持
つておりますのは、産業界といたしましては、
一つが資産の再評価の問題につきまして、この再評価の差益に対して課税される。これは六%の課税にな
つておりますが、この再評価の差益について課税するということは、資産再評価というものは何であるかというと、
資本の
蓄積を増進させる
ための再評価であります。ところがまだ再評価をして償却をします前に、差があるから、差益が出たからその差益を拂えというふうな税は、これは悪税中の悪税と言わなければならんと思うのであります。これなんかは資産再評価ということのプリンシプルに全く逆行いたしまするので、私は、併しながら社会公平の観念から全然これを止めろと申すのではないのでありまして、担税能力が出たときにお取りに
なつたらいいんじやないか。資産の再評価をや
つて見て、そうして利益
状態を見て、利益が出れば担税力があるんだ。それを見て初めて取れ、先ず裸にさして置いてから、それから走らすというのでなくして、走らせて置いて汗が出るから先ず上衣を取り給え、このやり方でなければ税制のこのプリンシプルに逆行するのじやあるまいかというふうな感じであります。
それからこの
固定資産税につきまして、これは我々がいろいろ寄
つて研究いたしておるのでありまするが、この東京都内の約二百ヶ所について実施調査を行いましたところが、繁華街の表地を別にして、通常宅地のみの平均が賃貸
価格の六百倍見当であります。これは全国的に見て大体中庸を得た
数字と思うのでありまするが、標準としてお決めになるところの、
固定資産税の標準になるところの賃貸
価格の何ぼというふうな決め方、これに余程の御
考慮が望ましいと思うのであります。こういう
実情でありまするから、第一
年度における
固定資産税の課税標準として
土地及び家屋は賃貸
価格の七百倍以下に止めるべきであるというふうに私共は考えておるのであります。勿論中には銀座とか、ああいうふうな所は千倍、二千倍にな
つておるところもあります。それから又地価が賃貸
価格の二百倍に達していないというところも実はあるのでありまするが、事業用の建物について再評価の最高基準
価格を算出すると、大体今の賃貸
価格の五百倍見当になるという
数字もはつきりいたしておるのでありまするので、税收の予定額もありましようが、賃貸
価格の七百倍を起すというようなことは、到底堪えられないという点を御
考慮置き願いたいと思うのであります。
それから第一
年度における減価償却資産の評価、これは再評価の最高基準から陳腐化によるところの減価を差引いたものによることを原則としまして、実際にはできるだけ簡單にして不公平の少い基準を使うという意味で、
企業が現実に行うところの再評価額を、そのまま課税標準とする
方針でや
つて行くのが正しいのではあるまいかと、かように考えるのであります。勿論これには弊害も多少伴うことは覚悟しなければなりません。若し課税標準を今申上げた、これよりも高くする場合には、標準税率が今確か一・七五のシャウプ案でありますが、これを引下げて、
負担の過重を来たさないようにされたいと思うのであります。電気事業とか、鉄道、軌道等に電柱税とか、軌道税もありますが、これはどれか
一つぐらいは止めませんと、とても電鉄は立
つて行けない、かように考えるのであります。
それから税制につきまして、附加価値税の問題がありますが、これは全く論文だけありまして、
世界には未だ曾て前例のない
税金でありますので、これができますれば……、結論を申上げますと、実施を少くとも一年は持
つて頂きたい。そうしてもう少し十分に検討をすることにして頂きたいと思うのであります。附加価値税を取られまして、どうにか附加価値税が納められる事業は何かと言いますと、これは率直に申上げまして、紡績会社の中で相当いい利益を出しておる所は、何とか
負担して行けます。それからビール会社とかいうふうな事業、製粉会社の優秀なものというふうな所は行けるでしよう。それから製油会社のいい会社は行けるでしようが、余りそれ程思わしく利益の上らない会社は、この附加価値税を取られますると、全くこの
企業の食いつぶしが一層大きくなるということになるのであります。かような
国民所得並びに税制の面から見まして、
減税の方に振り向ける金額……又歳入見込に対して引当てるべき金額が相当多くなるのでありまするので、
債務償還は全然止めるという
程度の御配慮が望ましいのであります。
尚第四に私の希望としまして、これは附帶決議でも何でも結構でありまするので、
一つお考え願いたいと思いまするのは、現在行われておりますこの見返
資金は、一体どういうふうになるのか、見返
資金の運用について、その確たる
方針を、国として決めて置かなければならないという点であります。御承知のように見返
資金と申しますのは、
アメリカから
日本に援助の物資が入ります。その物資を
日本の民間に拂下げて作つた金であります。そうして昨年の秋に
日本窒素へ数億出されたのを皮切りにしまして、指定された産業に出されておるのでありますが、貸し放しではないので、これは必ず返します。返つた金を今度はどういうふうに使うのかということが……、年々相当大きな金額が公
企業行びに私
企業に出るのであります。而もその出る金は、はつきり言いますと、
国民の租税
負担において出ておるとさえ言える。租税とはつきり違うことは違いますけれども、
アメリカは
日本に対する援助の物資を持
つて来た。その物資を
日本人が、その多くは
食糧でありますが、買つた。その金を見返
資金として特定の産業、或いは特定の公
企業に出した。その金の始末がどう
なつた。又この金を今後どういうふうに運用して行く、これの利息等につきましても、運用につきましても、これだけ大きくまとまつた金が、今後
日本の
経済の、産業開発の面に有効に使うということでなければ、とんでもないことになるのでありまして、ただ見返
資金を借りる借りるということばかり、又見返
資金をあつちへやれ、こつちへやれという議論ばかりあるのでありますが、我々はむしろ
日本の
経済の上にこの見返
資金が将来どうなるだろうか。いわば見返
資金の
経済学と申しますか、この点について参議院の
一つ御配慮、これは附帶決議でも結構と思うのでありますが、私は国会が大いにこれについての御配慮を望ましいと思うのであります。
それとこれは甚だ私個人的な
関係がありまするので、思いついていつも考えておることでありますが、
政府関係機関のこの表で見まして、
日本專売公社の経理運営に関して私が気がついておることについて、ちよつとお聽取を願いたい。これも附帶決議でも何でも結構でありますが、御注意を願いたいと思いますことは、專売公社が設立されます時、私は專売公社審議会の
委員を仰付かりまして、甚だ不肖とは思いましたけれどもお引受けして、毎月專売公社の総裁室でいろいろ事業運営のお話を承
つて、実はびつくりいたしたのであります。どの点に一番びつくりしたかと申しますと、一体專売公社というものを立てて、わざわざ大蔵省の所管から引離して、そうして民間の実業家を総裁に持
つて来て、名前まで変えまして公社を設立したという
ゆえんは、どこにあるかと言いますと、
政府の官僚
経営ではこの営業は軌道へ乘つた
経営ができない。独立採算ができない。ドツジ・ラインによりますと、
政府のや
つておる事業の中の收支のはつきり立
つて、営業のラインに乘つけて、競争主義でやつたらよろしいというのは、独立採算で行かしたかよろしいという趣旨で、切り離されたのだろうと思うのであります。專売公社の経理の説明を聞くたびに不思議に堪えませんのは、すべてが、
政府の
予算のやり方が余り徹底的に專売公社の中に及んでおることなんであります。我々事業
経営の者の面から言いますれば、仮に
一つの煙草工場の月の
経費が八百万円掛る。そうして仮にそこから一億本の煙草を作る。同じ
経費で以て一億一千万本煙草を作ればこれはどうなるか。動力費、材料費を差引きまして、そうしてここに働いておる従業員への給與、それからそこの工場の資産の償却、機械の改良というようなものは、これは国の
予算と違
つて、そこの專売公社の総裁の配慮で、これが自由に使えるというふうな仕組に直さなければ、到底この工場はよくな
つて行かない。又従業員の勤労意慾も増さない。
予算支出と同じ面で縛
つて置くから、創意工夫がやりたくもできないでおるのではあるまいか。かように考える場合がしばしばなんであります。のみならず、或る工場で自転車の置場を作
つて、完成しないで放つたらかしてあ
つたのであります。何故完成しないかというと、
予算がもうないからと言うのであります。我々民間業者でありましたら、僅か百万や二百万のものならば銀行から借りて、そうして風雨で壞されないように早く修復しまして、そうしてその借金をあとから返せばいいのであります。これが專売公社が独立採算制になりながら、全然今までの大蔵省の
予算経理と同じようなことをや
つておりますから、このような恐るべき無駄が随所に行われておるという事実であります。こういうことは私は
政府関係機関のこの表でいろいろ見る事業につきましてもつと克明に検討し、そうしてできれば請負制度でもよろしいじやないか。この事業から一般会計への繰入なり何なり、あれは千二百億まで今度專売公社は国へ納めることにな
つておりまするが、千二百億を納める。そうすれば後は任すからいいようにやり給えというくらいの請負制度でもいいじやないかと考えるのであります。これがすつかり
予算で縛られておりますので、特に固定資産の運営等については民間の我々が会社の経理につきまして、機械、建物の固定資産をどういうふうに修理して行けば、どういうふうに保全して行けば十五年持つものが、二十五年持つかというようなことも、ついおざなりにな
つて参ります。又固定資産そのものの取扱い方から、それから儲かる年と儲からない年によ
つて固定資産をどういうふうに新設、廃棄するというような配慮が一向になされておらない。まるで事業
経営の軌道に乘
つておらん、乘せようとすると必ず
予算の面でぶつか
つてしまう。総裁以下髀肉の歎に堪えない
状態にな
つておるのでありまして、この点は折角
政府機関とは言いながら独立採算制をとられた、こういうふうなものに転換したのでありまするからして、私はこの際に清新溌剌たる気を持
つて運営できるように配慮して、特に国会として御
考慮が望ましいと思うのであります。思いつきのことをでたらめに申上げて恐縮でありますが、私の
意見は以上でございます。