○
公述人(
大橋光雄君)
只今御紹介頂きました
大橋でございます。
商法改正案が世論に上りまして以来、我々職業的な
立場からしまして主として
理論と実際、殊に実際面から見まして、どういうような
不都合を来たすであらうか、どんな
影響を来たすであらうかということをいろいろと検討しておりましたのでございますが、本日
弁護士会の
代表としまして
意見を述べさして頂く
機会を得ましたことを感謝いたします。私が申上げようとすることは、大体
弁護士会理事会の了解を得ましたのでございますが、必ずしも全部
弁護士会の一致した
意見というわけでもありませんので、私の私見も相当入
つておる次第でございます。
大体におきまして先ず
総論と
各論とそれから
結論、こう分けたいと思いますが、
総論におきましては、どんな
思想で貫かれておるか、それがどんなふうに現れておるか、その現れ方をもう少しくこんなふうに修正したらいいのじやないか、こういうふうな
大掴みなことを申しまして、その次に
各論におきましては各
條文順にこれはちよつと困るという点だけを約九点ばかり指摘させて頂きたいと思います。それから
結論の
部分におきましては、
大掴みに
言つて、今後
改正案が施行されたとしまして、それを施行するに当
つてどんなふうの対策が必要であるか、こういうことを申上げてみたいと思います。
先ず
総論におきまして、本
改正案を貫く
ところの
思想がどんなふうであるかと言いますと、私は率直に申しまして
思想の
混乱があるということを申上げたいのであります。大変その
表現がどぎついような
表現でありますが、
思想の
混乱がある。先ずその極めて小
規模の
利益団体に適するような
規定があるかと思いますと、他方には非常に大
規模な
企業のみに適するような
規定もある。そしてそれをバツクする
ところの
思想を考えて見ると、小
規模の
利益組合に発生したような
理論もありますし、それから又二十世紀の大
企業においてのみ見得るような、大
企業があ
つてのみ生れて来るような
思想も現れておる。そんなふうに
思想の
混乱がある。例えば、どんなようなものが小
規模の
利益組合の
思想を現しておるか。現在
我が国の
商事立法におきまして極めて小
規模の
利益組合としましては、その
代表的なものは、恐らくは私の考えでは、
船舶共有制度というのがあるんでございますが、これには
株式の絶対
讓渡制或いは
船舶共有持分の絶対
讓渡制とか、
持分の
買取請求権とか、こんなような
制度があるわけでございますが、丁度それがこの
改正案に出ておる。折角今まで
企業が順次大
規模になるにつれて
発展して来た
ところのいろいろな
制度が、極めて初期に発生した
利益組合の
船舶共有のような
制度に逆行しておる。つまりレトログレツシヴと申しますか、極端に言いますと時代逆行的である。こういう感があるのであります。それでは
改正案に現れましたいろいろな
制度がすべてそういう小
規模の
利益組合に適するような
思想を以て貫かれておるかと言いますと、豈図らんや、又大
規模企業のみに見得るような
制度が考えられて来ておる。例えば、最近よく言われております
ところの
所有と
経営の
分離というようなものを根拠付けるようなことから出て来るような、例えば、
株主総会の
権限を縮少して、
取締役や
経営者の
権限を大ならしめて、そうして
取締役の
資格と
株主の
資格とを
分離する。それから
財政状態をガラス張りにして公表する。こういうような
制度は大
企業においてのみ
発展を見得る
ところの現象でありまして、こういうものが又
改正案にも現れておる。一口に言いますならば、結局これは
思想の
混乱である。そういうような
混乱した
制度が、率直に言いますと、これは
アメリカ会社法に見られる。
アメリカ会社法は世界のいろいろな国の
会社法と比較研究しましても必ずしも
模範とは言い難い。こういうことは、第一次
大戰後の
ドイツが、
アメリカ資本を導入する必要に迫られまして
アメリカ会社法を大いに研究したのでありますが、丁度
我が国が今それと同じ
状態に陥
つておるのでございますけれども、その当時の
ドイツの
法学者の研究の
結論としましては、
米国会社法は必ずしも
模範的に非ずと、こういう
結論を出しておるのであります。そうして
ドイツは必ずしもその
アメリカの
制度は採らなか
つた。必要止むを得ず
外資導入……その当時の
ドイツは
アメリカの
外資を導入する、全く必要止む得ざる
程度の
改正しかやらなか
つたのでございまして、今回のごとくに、殆んど向うの
制度を鵜呑みにするというようなやり方はやらなか
つたのでございます。若し
英米の
制度に持
つて行かなければならんというのが現在の態勢でありますならば、私はすべからく
英国会社法を
模範として、非常にまとま
つて、よくコデイフイケーションのできておる
英国会社法に範を採るべきであ
つたと、こう思うのであります。
今まで申しました
ところから一口に申しまして、少
規模の
利益組合を表すような
思想と、大
規模の
企業に現れるような
思想とが混
つているということを指摘したのでございます。
次に
総論のうちの第二段でございまますが、そういう、いわば
組合思想と大
規模会社の
思想とが混在しているという結果としまして、どんな
不都合が出て来るか、それは一口に申しますならば、
会社経営が余りに煩雑になり過ぎている。例えば、今後の
株主総会の
運営並に
株主に対する
対応策、こうい
つたものがもう非常に
現行法に較べまして煩わしい。いわば
経営上非常なる
トラブルも起きて来るでありましようし、非常な
費用がかかる。その
費用や手続の煩雑に堪え得るものは大
企業だけでありまして、恐らく小
規模の
中小企業は、この
会社法によ
つては運営できない。
費用倒れにな
つてしまう。そうして
中小企業はむしろ
有限会社法に移行せざるを得ないのじやないか。
ところが
有限会社法は、必ずしもまだ。もう少しくこの今の
改正案が
通つたとしまして、この
改正案から逃げ出すであろうというような
企業には必ずしも適していない。
有限会社の方ももう一つ
改正しなければならん。こんなふうな実際的結果を来たすのではないかと思うのであります。そこで概括的に、そういうふうな
思想の
混乱した
規定が非常に煩雑にな
つているということからしまして、私が
国会に要望する
ところとしましては、
総論の第三段としまして、どんなことを要望したいかと申しますと、概括的に申しまして、
会社法におきましては先ず大
規模会社に適応する
ところの法規を
規定して貰いたい。大
規模の
会社を予想して、それに適する
ところの
思想を以て一貫して
規定して頂きたいと思います。そうしまして、又、
有限会社法に行くまでに至らん
ところの、いわば中
規模の
程度に適合するような
会社には、
定款を以て別段の
定めをなすことを得と、こういうようなふうに整理して貰いたい。先に
思想の
混乱があると申しまして、
組合思想と大
規模会社の
思想とが混在しているということを申しましたが、大体の方向としましては、
法律面におきましては、大
規模会社の
思想で以て一貫する。そうして
定款の
規定を以て
組合思想を入れて来る、そんなふうのアウト・ラインで以てデイダクションして頂きたいというのが概括的な私の供述であります。
その次には
各論としまして、この條文だけはどうもまずいから一つ御勘考願えないかという点だけを
條文順に拾いまして、若干指摘さして頂きたいのであります。先ず
改正案百六十六條の一項五号という
ところでございますが、ここに新株引受権を
定款に
定めるようにということが書いてあります。新株引受権を認めるか否かということは、この
改正案の
審議の当初から甚だ問題となりまして、私共はどちらかといいますと、新株引受権を認めた方がいいとこんなふうにも考えておるのでありますけれども、最後の
ところに行きまして、新株引受権は必ずしも認める必要なしということになりまして、そうしてそれの又妥協案としまして、
定款で新株引受権を認めるかどうかということを
規定せよと、こういうことにな
つたというふうに洩れ承
つておるのでありますが、この新株引受権を
定款に
定めるということは実際的に無
意味であるということを私は指摘したいのであります。無
意味でありまして、結局これは新株引受権を
取締役会に一任するということと同じことである。
定款に記載するということはこれはナンセンスであるということを申上げたいのであります。何となれば、ここにありますのは新株引受権の有無又は
制限に関する事項とありますので、ナツシングという
ところまで
定め得るのでありますからして、例えば
取締役会に一任する、新株の引受権のあるかないかということは、あるというふうに決めてしまえばいいかも知れませんが、ないと決めてもいい。それだけなら
はつきりしますが、
制限に関する事項といいますならば、例えば
取締役会に一任することを得とこうありますが、そうしますというと、そういうこともこの解釈で言うならばいいことになる。そうすると、恐らくすべての
会社は、
定款を以て
取締役会に一任することを得というふうに書くであろう。そんなふうならば、それは
定款に
定めるということは無
意味じやないかというように私は考えます。でこの問題は、この
授権資本、無
額面株の問題とも絡んで来まして、相当大きな問題なんでありますが、そうしてその
授権資本の
規定、それから無
額面株の
規定は、なかなかうまくデイダクションができたと実は私は感服しておるのでございますが、最後にここに至りまして画龍点睛どころじやなくて、その逆に行
つた。今まで非常に敬服の感に堪えなか
つたところの
授権資本、無
額面株の
制度をうまく取り入れられたという敬服の感が、ここに至
つてもうすつかり興醒めしたというような気持になるのでございます。
それからもう一つ、解釈上の問題としまして、そういうのは実際的にはこれは無
意味だということと、それからもう一つ解釈上の問題としまして、一つ非常な矛盾があるということを指摘したいと思うのであります。それと申しますのは、今度のその新株
発行というのは
定款変更じやないのです。
増資でないんだからして
定款変更じやないというような
立場から、
現行法におきまして
定款変更の中にあ
つたところの
増資の
規定を引張り出しまして、別の節を設けまして、新株の
発行という節を設けたのであります。そうしてその新株の
発行は決して
増資じやないんだという頭でずつとや
つて来てお
つたわけであります。
ところがここで、
定款の中に新株引受権の有無を記載すべしということを書きましたために、今度はいわゆる
増資の場合、今までのオーソライズド・セアーズをもう一つ殖やそうとい
つた場合、新らしい言葉で言えば
増資ではないのでありますが、いわば
増資の場合にその
増資分につきましてやはり新株の引受か否かということを書かなければならん、そうなりますとこれは
定款変更にな
つてしまう。そもそも初めに新株の
発行というものは
定款変更じやないんだからと言うておいて、
定款変更の節から引張り出して新株の
発行という節を設けた。そうしておいて、この新株引受権を
定款に記載するということを一つ書いたために、豈はからんや、それが
定款変更にな
つてしまう。そんならば何も新株の
発行というものは
定款変更じやないから出したんだということは無
意味にな
つてしま
つて、又元に引込めていいじやないかということにな
つてしまう。だからそういう点からしましても、これは画龍点睛でなくて墨を塗
つたんだということになると私は思うのでございます。それでございますから、新株引受権を認めないなら認めないでよろしいが、併し
定款に記載するということはこれは引込めて貰いたいと私は考える次第でございます。
各論の第二点としまして、二百六條の第三項という
規定を見て頂きたいのでございますが、ここには「
会社ハ
株券ヲ登録スル為
定款ヲ以テ登録機関ヲ置ク旨ヲ定ムルコトヲ得」という
規定があるのでございますが、この問題は私は、率直に申しまして削除すべきであるということを提唱したいのでございます。その凡そ法文に現れました
ところは、これは一般国民はその法文だけを見て分るようにデイダクションして置かなければならんのでありまして、一部の立法者は、これはこういう
意味であるからお前等はこういうふうに解釈せよと言われましても、それは甚だ困る。立法、司法、行政は、これは分立しておるのでありますからして、立法者はそういう意思でありましたとしましても、併しこれを法の運用に至りましては必ずしもそれに拘束されないのであります。そうなればこの表面に現れたことだけでこれを見なければならんのでありますけれども、そうした場合に、
株券の登録ということは一体どういうことか、それから登録機関というものは一体どういうことか、登録ということは元来……。そこでそういう疑問が出まして、それで外にはこの疑問を解決する條文はどこにもない。僅かにこの一
項目だけでありまして、登録機関というものはどういう作用をするのであるか、登録したならばどういう効果を生ずるのであろうかということが、全然他には
規定がない。そういう訳の分らぬ
規定を置いて、そうして国民に分らしめるということは困る。これは立案当局に窃かに洩れ承る
ところによりますと、こういうことだというのでありまして、例えば
株券を
発行した、それがオーソライズド・セアーズの枠の中であるということを証明して貰うというと、それがその信用を増す。だからそういうことは必要だとこういうお考えのようであると聞いておりますが、まあそういうお考えでありますとしましても、もう少しくそのデイダクシヨンを考えて貰わなければいけないと思うのでありますが、例えば、
株券を登録するということはどういうことであるか、
株券の登録と言いますと、如何にも
自分らで以て一々の
株券を登録して貰う、丁度無記名社債を泥棒に取られる心配からこれを登録して貰うというふうに受取れる。その登録の枠内で
発行した、こういうようなことをレヂスターとして貰うのでなくて、
自分の持
つている
株券が泥棒に取られては困るからというので、用心のためにどつかに登録して貰うというふうに取れる。
株券を登録すると申しますと、そういうふうに取れる。それから登録機関という言葉も一つおかしい。元来
我が国の
法制におきましてはいわゆるレヂスターを登記と登録とに分けておりまして、行政官庁のレヂスターするものを登録と称し、司法機関のレヂスターするものを登記としておるということは言うまでもないことでありまするが、立案当局の予想しておる
ところの登録機関なるものは、どうも他の
会社であるらしい。例えば信託
会社であるとか、銀行とか、又はそういう新しい商売ができたものとか、そういうどうも私立
会社を考えておるらしい。そうしまするというと、従来の
我が国の
法制で一貫して用いられてお
つたところの登録という文字と大分違
つて来る。こんな点からしまして、この一
項目は削除すべしとこう申上げたいのであります。但しその
制度自体をそう反対したいとは思わないのでありまして、こういう
制度が必要ならば必要で結構でありますからして、これはもう少し研究をされまして単行の
法律を以てや
つて頂きたい。僅かに一
項目で以て分らしめるということはそれは甚だ困ると思うからして、単行の
法律でや
つて頂きたい。つまり実体は反対しないのでありますが、法のデイダクシヨンにおいて適当でないとこういうふうに申上げたいのであります。
第三点としまして、
株式の質入れのことをちよつと指摘させて頂きたいのでございます。二百七條でありますが、元来譲渡と質入れということは大体同じことと考えなければいけいない。普通に質に入れて、それを返金を怠
つている場合には質物を取られますが、取る場合には、やはり譲渡の方式を備えおる。或いは質権の処分の形式、処分の名義を與えているとか、何か処分と類似の、譲渡と類似の
方法がなければならんのでありますが、
ところが
我が国の
株式におきましては、
現行法もそうでありますが、譲渡と質入れとは甚だ
規定がマツチしていないのであります。記名
株式を単純に引渡すことによ
つて質権を対抗要件としているかのごとくでありますが、一体単純に渡しまして、それが単純に渡した場合には、一体それでは拾
つて来た場合と同じやないか。外見的に見まして拾
つて来た場合と同じことではないか。これに、質入れしましたら処分して頂きましても文句はありませんという一札が入
つてお
つてこそ、質入れの方式が整
つているということが言える。
ところが
現行法は単純に渡すということにな
つている。何も書かないで渡せばいいと、こういうことにな
つておりまして、ただ実際界におきましてはその
法律通り守
つておらない。守らないからいいようなものでありますが、
現行法通り守
つたならば、実におかしなことにな
つて来る。そこでこの点は、
現行法においてもすでに御勘考して頂きたか
つたところでありますが、
改正法におきまして
株式譲渡について、
株式をほぼ手形と同様に考えたわけであります。
裏書によ
つて譲渡する。裏書を成立
條件としておる。それから裏書に代るものとして譲渡証書を以て譲渡し得る。大体裏書というものを大筋として、そうしてそれに譲渡証書を以てする
方法も認めておるというふうに、大体手形と同じて考えたわけであります。そうしまするならば、質入れにつきましても手形と同じように考えるべきではないか。手形の質入れにおきましては、いうまでもなく質入れするということを書いて手形を渡すという
方法を取
つておるわけであります。単純に手形を渡してそれが質入れになるということではないわけでありまして、この点が譲渡と、質入れとがマツチしていない。それから、いわゆるトランスフアー・エージエンシイという、名義書換代理人という
制度を譲渡の場合に認めておりながら、質権の場合には認めていない。どうも準用
規定がなか
つたと思うのであります。第二百六條第二項の
規定は、質入れにはなか
つたと思うのでありますが、これもやはりマツチしていない。要するに質入れというものと譲渡ということと全く別に考えておるということがいけない。もう少しく質入れと譲渡をマツチするように考えて頂きたい。
それから第四点としまして、時間をちよつと超過しましたので、第四点としましてはこういうことを申上げたか
つたのであります。
株主の
保護が強過ぎる。これを可及的に
現行法通りとして貰いたいということでございますが、これは他の
公述人からも恐らく出ることであろうし、又もう一人弁護士の方から藤林という方が出られますが、これも同見でありますから、この点は時間の
関係上省略しまして、要するに
取締役に対する訴権とか、
株主の書類閲覧権とか、
買取請求権とか、
行為差止め権というようなごときを認められることはちよと行過ぎであるということを申上げたいのでございます。これは詳しくは時間の
関係上省略します。
それから第五点としまして、
取締役の
資格と
株主との
分離は行過ぎであるということを申上げたいのであります。二百五十四條第二項であります。これはいわゆる
所有と
経営の
分離ということを端的に
表現しておる條文でございますが、この
思想が必ずしも適当でない。従来
所有と
経営の
分離ということは、非常なはやり言葉でありまして、これを了解し得ない者はもう時代遅れであるというふうなことくに考えられておりまするけれども、この
思想は、これは一つの現象として、一つのフエノメノンとしては理解し得る。大
企業における一つの現象としては理解し得ますけれども、これを一つの法
理論にまで高めるということは、もう少し躊躇しなければならんじやないか。
所有権を持
つておる者が経者権がないというようなことは、
資本主義下においては必ずしもこれは了解し得ない
ところでありまして、現象として説明することはともかくとして、これを法
理論にまで高めるということには非常な躊躇がなければならん。それを極めて
はつきりとこういう條文を置くということはちよつとおかしい。
船舶共有の場合におきましても、共有者が
経営権がないというような
思想は決して現れていないのでありまして、これは少くとも
定款を以
つてこういう條文は訂正し得るということにしなければならん、こう思うのでございます。
それから第六点としまして、二百六十五條を指摘したいのでございます、これはいわゆる雙方代理の
規定でありまして、
現行法と
趣旨は同様、ただ
現行法にいわゆる取引という文字が具体的に
表現されたという点でございますが、そのことは少しも反対することはありません。ただここに注目すべきことは、
現行法におきましては「此ノ場合ユ於テハ民法第百八條ノ
規定ヲ適用セズ」とこういう
規定があ
つたのでありますが、
改正案におきましてはこれが削除されておる。その削除の
意味が私は分らない。一体民法百八條の適用しないという
意味なのか、或いは
理論上当然分り切
つたことだから削除したのか、一つ何れかに
はつきりして頂きたい。適用があるならある、ないならばない、どちらにいたしましても、それ程実務に差支えることもないのであるますが、とにかく契約面とか、手形を
発行する場合とか、やはりちよつと注意しなければならん、百八條の適用があるとないとでは、やはり実際的の扱いにちよつと注意が要りますから、何れかに
はつきりして貰いたい。どちらでも結構です。併しなるべくなら
現行法通りの民法百八條を適用せずという
結論の方に
はつきり
規定して頂きたい、こう申上げるのであります。
第七点、大変時間を取りまして申訳ありませんが、あと急ぐことにいたします。二百三十條の二という條文を御覽頂きたいのでございますが、ここにおきましては、
株主総会の
権限は
法律又は
定款に
定めたものに限る、こうあるのでございますが、これも又一つの行過ぎではあるまいか。それでは
株主総会の
権限が縮小された結果としてどこで膨らんで来るかと申しますと、これは言うまでもなく
取締役会の方に膨らんで来るというわけでありましようが、それでは一体
取締役に全権を委任するというその根本は、やはり
株主の
所有権、
株主の
経営権という
ところになければならん。それを結集したものが
株主総会でありますから、それが縮小されるということでは訳が分らん。一応
資本と
経営の
分離というような
思想もここに現れておると思いますが、それはそれでよろしうございますから、もう少しこれ自体を以て、又この
規定を適用しないというようなことを
定款に書き得るように、概略的にいわば
定款にあらゆる事項を書いて置けばそれは結構かも知れませんけれども、そうじやなくて、この
規定自体を
定款で削除し得るというふうにしたい。若しこれを
表現通り受取
つたと仮定しまして、実際上どんな
不都合があるか、これは卑近な例を一つだけ考えますと、二百六十九条におきまして、
取締役の報酬は
株主総会の
定める
ところによるという、これは結構でございますが、それでは
取締役の退職金を
定めるのは誰が決めるのか、これは
法律、
定款に
規定のない場合には
取締役会が決める。そうしますと
取締役の退職金はお手盛りで以て
取締役会が決める、こう言
つたへんてこな解釈問題になるのじやあるまいか。この二百三十條ノ二は、そういう
意味におきまて……それは一つの例でありますが、その他いろいろな例が出て来ますが、これは一つ御勘考願いたい。
その次に
会社の計算に移りまして、第九点としまして、二百八十一條以下ですが、ここにおきましては概略こういうことを申上げたいのであります。外の
改正規定を見ますと非常によく詳しくできておる。殊にそのオーソライズド・キヤピタルとノンパー・ストツクというように
規定を誠によく取入れたと思いまして感心しておるのでございますが、計算の
規定におきますと、余りに
規定が簡略である。外の
規定は時には非常に詳しい。詳説であると世で思われるくらい詳しい
規定ができでおりますのに、計算の
規定になりますというと、殆んど
現行法通りはま
つておられるわけでありまして、これはもう少しくよく研究して、この
規定を十分に研究して、もう少しこれを詳しくして貰いたい。その
改正の一番の眼目は、
資本準備金と
利益準備金とを分けたこと、こういう点でございますが、そうして
資本準備金にはどういうものを記載し得るかというようなことが書いておりますが、これはそれだけのリアクションしかないのであ
つて、準備金を二つに分けたということの
思想的な根拠がもう少しも出ていない、これだけを見ますというと、準備金の百を五十と五十に分けた、そうして損失があ
つた場合には先ず
利益準備金から食
つて行
つて、それが食い足らん場合には
資本準備金を食うんだ。まるでこうい
つた第一準備金、第二準備金を同じ性質のものを、ただ額の上で分けただけだというごとくに受取れるのでございますが、実は二つに分けたということの
思想の背後には大きな変更がなければならん。言わば果実の樹に実が成ることを考えますというと、果実の樹が年々成長して行くという場合のその
利益、これが大体その
資本準備という方の
思想にあるわけです。それから年々果物が成るということの
思想の方の準備金が
利益準備金であります。そうしますとその
資本準備金に繰入れるか入れないかということは、これは幹を枯らしてはいかんという
思想に繋が
つて行
つて、そうして法人税法においてそれは税金を掛けちやならんという
思想に繋が
つて来る。こうい
つた資本準備金と
利益準備金とを分けたということは、單に計算的に、数学的に分けたんじやなくて、実に質的に分けておるという重要な問題があるのでございます。そうしてもう一つ別の面から行きますれば、従来
ドイツ系の財産目録を中心とした
ところの、いわば靜的に財産
状態を把握するという方向から、
英米式の動的な方向、動的に財産
状態を把握するという方向に移
つておるという重大な変化を示しておるという問題でございます。その重大なる
利益準備金、
資本準備金の帳簿が要求されていないという欠陥があるわけであります。そこで私はせめてそれを今リアクシヨンしてくれと
言つても、なかなか一朝一夕にはできませんかも知れませんが、その
利益準備金の帳簿を、どういうものを
利益準備金とし、どういうものを
資本準備金とするということの帳簿
関係をもう少しく尊重する
意味において、
会社はこういうものを備え付けなければならんという、
監査役の検讎しなければならんという種類の一つにせめてこれを加えて貰いたいとしまして、私は
改正案二百八十一條第五号に、準備金計算書と申しますか、剰余金計算書と申しますか、そういう帳簿を一つ要求する。そうしてその一、二、三、四、五、のそれを総合した結果として、
改正案の五号を六号としまして、
利益及び利息の配当に関する議案、こういうふうに持
つて行きたい。一、二、三、四、五としてその総合した結果が六に現れておる。少くとも五号として
利益準備金、
資本準備金の帳面につけてくれ、こういうことを一つ要求したいのでございます。
それから第十点としまして……大変時間を取りまして恐縮ですが、もうあと二、三分で終らせて頂きます。
株主総会の
決議要件が嚴格に過ぎる。普通
決議におきましても、特剔抉議におきましても要件が嚴格にな
つておる。これは他の
公述人からも恐らく言われるでありましようからして、それだけを指摘することに止めまして、これも可及的に
現行法に近ずけて貰いたい。大変時間を取りますが、これで
総論と
各論とを終りまして、最後に
結論としてもう一、二分頂戴いたします。
最後の
結論としまして、こういうような若干の欠陥を持
つた改正案を制定したといたしますと、そうしますとどういうふうな対策を考えなければならんか、今言うたようなことが幸いにして御
採用になればこれで結構でございますが、御
採用にならないとして、このまま鵜呑みにされたとしまして
通つたとしますと、本法を施行する上におきましてどういうことを考えなければならんかということでありますが、先ずこの
改正案が
通つた結果としましては、非常に煩雜にな
つて、その煩雜に堪え得るものは大
会社だけである。非常にそれは大
会社にアダプトしておるという
意味ではなくして、大
会社だけがやつとこさでこの
改正案の煩雜さに堪え得という
意味において、これは大
会社にのみ行われ得る。中小
規模の
会社は、本
改正案を以
つてしては到底立ち行かない。その結果としまして本法から逃げ出さなければならん。だからして速かに
中小企業立法を考慮されたい。この
法律を適用するならばそれでよろしうございますからして、
中小企業立法にはもう
中小企業立法に適した立法を速かに考慮されたという問題であります。それから新法の研究期間を相当長く設けた貰いたい。
昭和十三年の
改正におきましても、新法を適用しましたのは
昭和十五年の一月一日からでありまして、それは一年以上、一年半ぐらいあ
つたのでございますが、今度のようないろいろな欠陷を持
つた改正案が
通つたと仮定しますならば、非常に研究を要する。先ずいろいろな
会社はで得る限り実際界に適応するようにその
定款を改めて来なければならんのでありまして、即日、今からでも
定款を研究しなければならんのでありますからして、それからいろいろな問題が出て来るということを予想していなければならんから、是非一つ研究期間をできるだけ長くして貰いたい、こういう二つのことを
結論として申上げたいと思います。
大変長時間に亘りまして時間を取りましたことは誠に申訳なく存じております。有難うございました。