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1950-03-07 第7回国会 参議院 文部委員会 第9号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年三月七日(火曜日)    午前十時二十一分開会   ―――――――――――――   本日の会議に付した事件 ○「元号」に関する調査の件 ○国立学校設置法の一部を改正する法  律案内閣送付) ○教職員等の給與問題に関する件 ○学校教育法の一部を改正する法律案  (内閣提出) ○図書館法案内閣提出)   ―――――――――――――
  2. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 只今から文部委員会を開きます。前回に引続きまして、元号」に関する調査を進めることにいたしたいと存じます。議事に入ります前に、御出席を頂きました各方面の有識者方々ちよつと御挨拶を申上げます。皆さん公私共に非常にお忙しいところにも拘わらず、殊に今日は雨天で足場も悪いところを御出席頂きまして非常に有難うございます。委員会といたしまして厚く感謝を申上げます。この元号の問題は、歴史の上からも教育の上からも或いは国際性の上からも或いは又国民日常生活の上からも、例えばちよつと日記をつける、或いは手紙を出すというような細かいことの上にも大きな関係を持つておりますものなので、愼重に審議をいたしたいというところからこの調査を始めたわけでございますが、これは前委員長のときに決まつておりましたので、御承知のような事情で私が急にその後を襲うことになりましたのですから、大体前の計画に従いましてやつて参るつもりでございます。ただ一つ私申上げて置きたいことは、こういう年号の問題につきまして調査を始める動機でございますが、新聞等によりますと、勿論中には正確に伝えておるものがあるのでございますけれども、或るものによりますと、来年から年号を廃止して、そうして直ぐに一九五一年というようなのを使うし、そういう考えの下にやつておるのというようなふうに受取れるかのごとき記事がございますのですが、これは調査でございまして、どこまでも調査の建前で進めておるのでありまして、始めから一つの目的を持つてつておるのではございませんから、どこまでも公平無私に考えて、そうして皆様御意見やら或いは国民意見をよく調べました上で、然るべき方法に進めて行くつもりでございますから、どうかその点を一つ御了承願つて置きたと思います。ただなぜこういう調査をいたすようになつたかと申しますると、新らしい憲法が出来まして以来、年号に関しまする規定が欠けている、或いは不備であるというように我々に思われますので、その点から実はこの調査が始まつたのであります。新憲法におきましてはこの年号に関する規定ございませんし、又皇室典範にも見ておらないのであります。古い皇室典範には第十二條に一世一元というこが謳つてございますが、新らしい今度の皇室典範にもそこは全然削除されております。そういうふうなわけで年号に関する規定がどうもはつきりしておらないように思いますので始めたわけでございます。ただ年号の方をいろいろ調べて見ますと、明治元年の九月に詔りが出ておりまして、それと同時に行政官布告というものが発布されましてそこに一世一元のことがあるのありますけれども、これは新しい憲法の精神に照しまして、その明治元年のものが今日でも尚効力を持つておるか、或いは持つていないかということに大きな疑問がございますので、これらの点は非常に大事なことだと思いますので、皆さんの方へ差上げました書類の中には、今のようなことに疑点があるが、併しお問い申上げました問題は、確か二点になつてつたと存じますが、確か第一は、一世一元制度についての御意見、第二は、一世一元制度を廃止するとしたら、その後の処置についての御意見と、こういうふうになつておりますが、只今私が申上げました問題は非常に大事な問題でございますから、それらについての御意見がございましたら、この点も御自由に一つお話を願いたいと存じます。それから御発言を願う順序でございますが、どなたを先にということは非常に困難でございますから、今日ここにお見えになりました順に従いまして私か御指名申上げまするから、この点一つ御了承を願つて置きたいと思います。最後に時間の点でございますが、多勢のお方でございますし、それから又晝というような一つ制限がございまするから、大変申上げにくいのでございますが、皆さんのような方々にお集まり願いました以上は、できるだけ十分にお話を願いたいのは山々でございますが、今のような制限等もございますから、最初には先ず十分か十五分くらいお話を願いまして、委員お方から質問等もあると存じまするから、若し足らんところがありましたらその際補足を願うというふうなように進めさせて頂きたいと思います。御了承願つて置く次第であります。  それでは最初に東京都の天文台長萩原さんにお願いいたします。
  3. 荻原雄祐

    参考人荻原雄祐君) 私萩原でございます。第一番に、元号に対してこれを廃止するかという御質問でございますが、元号は昔から天皇の代られる度に元号の変換が起つたこと、それから例えは天災地変などがありました場合、或いは疫病が流行した場合にも改元をされております。殊に静星などが出ました場合には、恐らくこれは迷信だろうと思いますが、改元されたことがございます。一世一代の改元になりましても、特に年号名前が途中で一年の間に入れ替わる、例えば慶応四年の九月八日に明治元年変つたというような例がございまして甚だ面倒なことが起りました。いろいろ変えられた改元原因理由といたしましても、箒星が見えたというようなこと、或いは天災地変があつたり、或いは疫病の流行なんかということは、これは恐らく今日から見れば別に根拠はないものと考えますし又殊に革齢と申しまして、「革」は革命の「革」、「齢」は年齢の「齢」でございますが、丙午という年において年号を変えられるというようなことも菅はあつたようでございます。つまり十干十二支の六十年の周期で以て変えるということがございますが、これらは恐らく年号を変えることによりまして、民心を新たにして、新らしい気分で新らしい年代を送ろうというまあ政治的の意図があつただろうと考えられるのでありますが、今日私天文学者の立場から見まして、一応片寄つた考えかも知れませんが、この元号ということはどうかと思うのでございます。殊にごの頃のように国際的の関係が酷くなつて、激しくなつて来ました以上、交通が激しく頻繁になりました以上ほ、やはり世界共通でやつた方がよろしいと思いますので、元号はこの際廃止しては如何かと考えております。  次の御質問條項でありますところの元号を廃止すればどうなるかということにつきましては、すでに明治の初年におきまして日本太陽暦を採用されることになりましたが、太陽暦と申しますのは、西洋で使つておりましたグレゴリー暦といいまして、このグレゴリー暦の中には厳密に申しますれば、いわゆる西暦年号、今年で申しますれば一九五〇年の意味が入つておると考えのでありますが、日本ではすでにその前に一世一元の、今委員長の申されました法律ですか、ございましたので、ともかく一世一元のことで、てのままその点のみはグレゴリー暦かり拔き去つて施行されたものだろうと想像されます。でありますから、これも国際的の問題ということも考えまして、成るべくいわゆる西暦というものを御採用になつた如何かと思います。私の見地は甚だ偏頗では、ございましようが、殊に国の問題となりますれば、政治的並びに社会的のいろいろなことを考慮しなくちやならないのじやないかと思いますが、それは私の方の見地から申上げまして、以上申述べましたような次第でございます。
  4. 山本勇造

    委員長山本勇造君) ちよつとお諮りをいたしますが、御意見を願いました方に一人一人御質問申上げますか、それとも一括して皆さんお話が済みましたあと質問をいたしますか、如何お計らいしましようか。
  5. 三島通陽

    三島通陽君 一括して御質問申上げたた方がよくはないかと思いますが、若しお急ぎな方でお帰りにならなければならんようなお方があれば、その方には別々に御質問をさせて頂きたいと思います。
  6. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 皆さん御時間がございましてあれして頂ければ、質問からしますと、皆さんの済みましたあとで一括して御質問申上げる方が便利かと存じます。およろしかつたら……、じやそういうふうにさせて頂きます。それでは次に明治大学教授藤澤さんにお願いいたします。
  7. 藤澤衞彦

    参考人藤澤衞彦君) 藤澤でございます。私は元号というのは国の政治象徴だと思うんです。それで私は元号を廃止することには反対いたしたいと思います。その理由は、先ず最初大化改新年号が改まりましたのは、要するに荀子が陰陽大化、風雨博く施すという意味から来たのではないかと思う。これは日本が和を以て尊しとするという思想の一連の下に出ておる。それを受けてここに発しておる。政治はすべて和であり、平でなければならないということに根本を置いてこの改元というものが行われておるということがすべての改元の上にも見られるのであります。従つて大化改新の途中で改元になつております。漢書には民巳大化後天下常に一人の獄無しということがあります。大化が行われて、政治的に大化改新の功績が見えた。従つて白雉或い和銅養老などというようなものは、一つの動物が出たから改元したのではないと申せます。迷信とかそういつたもので改元は決して行われるものではない。例えば白雉の時には、易林によると白雉群雄、徳を慕つて朝に貢ぐという意味において白雉という年号ができております。和銅という年号は、これは武蔵の国から銅が出たので改つたということであります。むしろこれは銅が出たということは、国の経済の上にどんなに有難いことであつたかも知れません。従つて勤操無相その他の人が位を貰つております。そうして又この和同開珎というような銭貨ができて、そうして国は初めて銭貨を持つということになりました。併し年号は、その和銅というただ銅が出たということで改まつたものではないのであります。それは陰を含み陽を吐き、而して万物和同は徳なり。これで同じように和するということは徳であるという意味から改元が行われたろうと思います。従つてその後の養老といつたようなものも、天下善あり老を養う、即ち仁人を以て己れに帰すというような意味からやろうというので年号が出たわけであります。こういうふうに元号は国の政治象徴であつたのであります。従つてその歴代の年号を見ますというと、先ず天平延暦といつたような時代に、天平は無論天下の和を謂い、政の平なるを教うるなりとありますが、これは政治の理想を年号の上に表わしておるのであります。皇太子として桓武天皇がお立ちになることにさえ歴史上においては異議がありましたけれども、聰明な方であつて治めて皇太子となり、それから又平安京をあのように仕立て上げた立派な人となつたのであります。あの頃の政治の上にも見られる和氣清麻呂政治というものは実に立派な政治であります。長岡の京が廃止されまして、そうして平安の京に遷つた歴史皆さんよく御承知通りであります。その時の造号大使は、最初藤原小黒麿でありました。次いで和氣清麻呂造号大使となつております。その造号の書記となりましたものは菅野眞道であります。菅野眞道日本後記編纂者であります。これは百済人であります。又その時の木工頭をいたしたのは坂上田村麿であります。これは漢人の子孫、後に征夷大将軍、その時の内閣参議大和家麿がおります。大和家麿というのは日本に帰化して和史という姓を改めたのであります。この方は百済の王族であります。百済の王族であり、又桓武天皇の外祖父でありました。参議に列して、そうして内閣政治に携わるという帰化人としましては珍しい政治を行た方だつと考えます。そのような時代に京都に都された。延暦という元号であります。これは初めて続日本紀に見えておりまするただ外国年号によつたことでない元号でありまして、そのうちには年穀豊か、それから思いを万国に與え嘉んで休祚というようなことがありまして、この延暦という年号も、無論政治象徴というような意味であります。その後天皇文明、寛政というような江戸時代に亘る年号の上にも、又年号改元ということに対して携つた人達、例えば大江、藤原、菅原といつたような学者が集まつてこの年号を改めますときの考慮ということにつきましても、多分に政治というものが考えられているのであります。  第一問についての間に時間が来ましたようで、後程何かのときに申したいと思いますが、取敢えず私は元号は、国の政治象徴であるという意味におきまして、これを何らかの形において保存いたしたい。又西暦におきましては便宜上使用されても差支ない。これは取扱によつて如何ようにもできるのではないかと考えます。一国にやつぱり政治象徴としうことがあるということを私は望みたいのであります。それでは一応これで私のお話を終ります。
  8. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは次に早稲田大学教授士品村正さん。
  9. 吉村正

    参考人吉村正君) 私は結論から申しますと、年号を廃止するということに反対をしたいと思います。その理由といたしまして、私の考えておりますことは、先ず第一に、年号を廃止しますると、日本紀元であるか、西暦であるか、何らかそれに代るものを用いなければならんのでありますが、年号のであります。二六一〇年とか、一九五〇年とか一々言いますよりは、年号によりまして、或る一つ時代を区切りまして、昭和何年とこういう工合言う方が便利がいいと思うのでありす。若しそういうものがなければ、それに代るものを自然に用いるようになると私は思うのであります。例えばイギリスなどにおきましても、やはりヘンリー八世の何年であるとか、ジョージ何世の何年であるとか、こういうことを使いまするし、又アメリカにおきましても、リンカーンの第何年であるとか、ルーズヴェルトの第何年であるとか、こういうことをやはり使うのであります。これは一々千九百何年と言うよりは、その方が便利がいいからやはり使うのであると思うのでありまして、その点から言いましても、積極的にこれは置いておつた方がいいと私は思うのであります。  それから第二には、今日我が国国民の大部分というものの生活を見てみますと、やはり年号というものに非常な親しみを持つておりまして、日常生活にこれが食い入つていると思うのであります。殊更にこれを廃止する理由はないと思うのであります。ただ我々多少西洋の学問などを研究しておる者にとりましては、時によりまして西暦を用いる方が便利な場合がありますが、これは国民全体の数から申しますとほんの小部分でありまして、そういうような小部分のものは二つの年号を使いましても敢てそれ程不便を感じないのであります。少数の一部の研究者が便利なために、農民であるとか、漁夫であるとか、労働者であるとかいうような大多数の国民生活が不便になるというようなことは、政治上から考えましてとるべき策でない、こういう工合に私は考えるのでありまして、これが私の反対の第二の理由であります。  第三の理由といたしましては、今その時期でないと私は思うのであります。今は国民民族再建ということを自覚して立たなければならんときでありまして、世界の平和も民族の確乎たる独立がなければ達成されるものではないと思うのであります。民族が独立しておらないでふらふらしておるというようなところから世界禍乱が起つたことは、歴史上御承知通りでありまして、そういう意味から言いまして、民族が復興し、独立するためには、民族が先ず自信を持たなければならんと私は思うのであります。然るにまでやつて参りましたところの、これは大化改新以来、今のお話にありました通り行われて来たのでありまするが、勿論その間には断続がありまして、やらなかつたこともありますが、最近におきましては、ずつと一世一元歴史が継続しております。こういうものをやめてしまうということは、如何にも何か日本の過去の歴史というものが皆間違つてつたかのごとき感じを與えないでもないのでありまして、民族が復興しなければならんこの時期におきまして、却つて民族の自尊心を傷ける憂いがあると私は思うのであります。そういう意味におきまして、講和会議後、独立して然る後ならばまだしも、講和会議を目前に控えまして、民族再建をやらなければならんこの時期におきまして年号を廃止するということは、どうも国民に対して自信を持たせるという意味から言いましてとるべき策ではない、こう考えまして、私は反対をしたいと思うのであります。以上が第一問に対する私の考えでございます。  第二問に対しましては、おのずから廃止しないのでありますから、結論は決まつて出るのでありまするが、併し国民多数のお方がやはり廃止した方がいいというお考えになられまして、そうして万一廃止するようなことがあつたらどうするかということにつきまして私の考えを申上げますならば、私はやはりこれは日本紀元を使うべきであると思うのであります。成る程世界と密接なる関係を保つようになりまして、西暦を用いる場合が便利な場合もありますが、併しこれは飽くまでキリスト教文明の下に立脚しておるものでありまして、我が国は言うまでもなくそれとは異なる文化の系統を経て発達して来ておるのであります。今成る程キリスト教文明というものが世界において支配的勢力を持つておりまするが、併しながらこのことは将来の歴史においては必ずしもどうなるか想像できないものであると私は思うのであります。アメリカが建国当時におきまして、アメリカ人が今日のような世界的に支配的勢力を持つというようなことを想像はできなかつただろうと思うのでありまして、これから三百年後、五百年後乃至千年後におきまして、どういう工合世界の情勢が変つて来るかということは、これは今更想像することはできないと私は思います。でありますから、今その支配的であるという理由によりまして、それに歩調を合せなくちやならんという私は理由はないと思うのであります。殊にこの西暦日本暦よりも新らしいのでありまして、私共使つておりましても、紀元前、ビフォア、クライストというのは、反対に数えるのは非常に不便であります。国家の紀元というものは、その国民生活にとりまして非常に重要な意味を持つておりまするから、これは飽くまで日本暦を用うべきである。こういう工合に私は考えておるのであります。以上簡單に私の考えを申上げた次第であります。
  10. 山本勇造

  11. 鈴木文史朗

    参考人鈴木文史朗君) 私は第一問の、一世一元制度についてどう考えるかということでありますが、これは先程も委員長からお話があつたように、元の皇室典範にははつきり書いてあつた。ところが今度の皇室典範にはない。又新憲法にもこれについて何ら規定を置いていないということは、恐らく新らしい皇室典範、或いは新憲法の制定に当りまして、余程考えられたことだろうと私は思うのであります。一般的に見まして、一世一元というのが、天皇の代る度に天皇の御代ということを示すものであるということは、これは一般的の元号に対する概念でありまするが、恐らく新憲法におきましては、新らしい天皇地位から云つて、これは元号を置くべきものでもないというふうに考えるのが当然ではないかと推測いたします。で、そういう見地から見ましても、天皇の代る度に元号を置くということは、旧来の天皇制をどこかまだ置くという感じ日本国民及び諸外国に対しても與えることは、これは明らかな事実で、これはお恐らく新憲法を作るときの趣旨から云つても、凡そこれからは元号は、もう一世一元はないものという考えつたろうと思う。で私はそれはそうあるべき、もう元号というものはない方がいいと思うのであります。まだ日本の新らしい天皇地位について諸外国においても可成り疑いを持たれる。そうして最近などにおきましても、それに関連したことが論議されているようでありますが、そういう疑いを一掃するという点から見ても、私は天皇の代る度に元号を置くということは、もう断然よすべきものと思います。  第二問の、それならその後をどうするかという点でありますが、私はこれは西暦を採用すべきものと思います。西暦をなぜ採用するかと言えば、要するに年の暦というものは、一つ尺度でありまして、年代を測る尺度であつて、その尺度は成るたけ世界共通のものであるのがいいと思う。つまり尺貫法を廃してメートル法を使う、その意味だろうと思うのです。それでこれから日本講和会議後は文字通り世界家族になる。又ならなくちやならない。一体今までの日本の弊は、やはりいわゆる日本式というものばかりに閉籠つて、そうして世界家族仲間入りに本当の意味で入つてなかつたという点が、私は今日の悲劇を招いた大きな原因と思つております。国際家族仲間入りをするといつたところで、仲間入りをするからには、その仲間のルールに従うのが当り前のことなので、そういう意味から行きましても、私は年代を数えるのに、日本日本だけの数え方をやりますというようなことは、これは非常に不便なことになる。今日本で以て普通に日本人だけで新らしい、或いは古い年号によつてやることは便利なように見えますけれども、これを更に考えてみますると、さつきからもお話が出ましたが、和銅元年というのは、一体今から何年前のことなのかちよつと誰でも計算できない。寛永六年、一体今から何年前のことなのか……これは将来我々の子孫日本歴史をずつとやつて行く上におきましても、ただその時その時の天皇名前、或いは元号を覚えても、一番大事な時間的、年代的の概念というものがいつも混同してしまう。これが一番大きな不便なんであります。只今意見が出ましたが、それならば日本紀元を使つたらどうか、これも一つ考えでありますけれども、そうするというと、日本日本だけの年代概念がはつきりするけれども、外国年代と比べての例えば日本和銅元年というのは、外国ではどういう事件が起きたかということに対する比較になつて来るというと、まるきり混乱してしまう。私なんかいつでもその混乱をしてしまつて、一々いろいろ書物を引出してやるという経験が沢山あります。ですから何と言いますか、要するに年暦というものは年代を測る尺度ですから、これはもう世界的に誰でもが便利とするものを採用すべきである、こう思います。こういう点から行きましても、私は西暦でちつとも差支ない。恐らくそれに対する国民的の感情という点から言えば、これがキリスト教を土台としたものだからという点が、これは可なり大きな注意を要すべき確かに考え方でありますけれども、併し実際はもうすでに赤十字であるとか、月曜日から日曜日までの七曜であるとか、或いは誰でも使つている今は二十世紀であるからとかいうことは、別に宗教的なことは考えないで、一編便利だから、或いは又世界的に言い慣わされたことであるから使つているのであつて、恐らく西洋暦を使い出しても、別に宗教的ということよりも、むしろ一番大事な便利という点から見れば、問題がないことだと思います。  それから一つ附加えて置きたいと思いますのは、新聞によりますと、いわゆる知識階級有識者階級は、新聞世論調査によれば、西洋暦を採用することに圧倒的に多いが、そうでないいわゆる大衆の間では、やはり元号使つた方がいいという意見が多いということでありますが、ここも私は非常に注意を要する点と思います。この間伊東深水さんにお目にかかりましたところが、この方は青襟会という大きな画会を開いております。そして展覧会を開く、いわゆるこれは民主的な方法によつて一般の観衆から一番いいものを選はさせる、そしてこれにも賞を與えるというので、或る一室に箱を置いてそして投票用紙を置いた。そして伊東画仙は、そのときにこの中で必ず大衆が一等として推薦するのはこの絵であろうと言つて、その絵を委員に示した、そしてその師匠も呼んで、君は大衆からはきつとこれを一番芸術的なものとして推薦されると思うが、この絵は、この中では一番悪い方の絵だ。少しも芸術的でない、それで予め言つて置く。ところが結果を見るとその通りであつた大衆の好みというものは非常な通俗的なものであつて、決して芸術的に見ていいものが選ばれなかつた。ですから私は折角こういう委員会ができてこれを決めるときには、ただ現在このままの態勢でいいということばかりで行くと間違いが起るのではないか。これがこの委員会にも相当関係がありはせんかと思う。  数日前に尾崎咢堂先生にお目にかかる機会を得ましたので、先生に、あなたは一世一元制度を廃するか廃しないか、或いは西暦を採用するかどうかということについての御意見はどうかと開きましたら、それはもう自分は初めから西暦の方にすべきだという意見であつて明治天皇崩御の後に、議会で以てもうこれからは新らしい元号を作るべからず、むしろ明治をこのまま延ばして行つてもいいと思うという議論がされたんだが、それは議会で論ずべき問題でなく、天皇の大権を表わす意味で止められた。で終戰以後は自分は今も元号を使つておらない。できれば是非西暦にすべきものであるとこう言つておりましたが、これは御参考に申上げて置きます。以上であります。
  12. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは次に文部省初等中等教育局長の稻田清助君にお願いいたします。
  13. 稻田清助

    参考人(稻田清助君) 私にこの問題に関しまする陳述をお求めになりました御趣意は、恐らく我が国現在の学校教育において、この問題に関してどういう実情であるかというようなことを聽き取りたいというお考えであると拜察いたしまして、その点につきまして先ず申述べたいと存じます。  今日小学校、中学校、高等学校における学校教育におきましては、社会科、歴史或いは算数、芸能その他の諸教科におきましても、歴史的の事実或いは社会的の事象を我が国のそれと諸外国のそれと比較いたしまして、そして文化発展の跡を辿り、年代を把握いたしまするためには、西暦年数を用うることが便利である。それを学習する必要があるというような状況からいたしまして、我が国歴史に関連いたしまして元号を学習いたしまする場合にも、それと併せて西暦年数を学習することを常といたしておるのであります。これは教科書について見ましても、国定教科書、検定教科書を通じまして元号を用うる場合には、西暦年数を併記するを常といたします。或いは西暦のみを附いておる教科書もあるような状況でございます。そして我が国歴史的な主な事実を学習いたしまする場合には、学年の段階、学習の程度で異年はいたしますけれども、主なる事象に関連いたしましては元号を学習させております。さような点が我が国教育におけるこの問題に関する学習の実情でございます。これに関連いたしまして、私に対して意見をお求めでございますが、考えまするに、この教育というものは、その教育について計画を立て、或いは教育課程を考えます場合には、社会の必要と生活を充実向上して行こうという兒童、生徒自身からの必要と両方から考えてその内容が考えられるべきここと考えるのでございます。従いまして国の制度が変り、或いは社会慣習が変つて参りますにつれまして、教育内容が変つて行くというような順序になるべきものであると考えられます。教育という立場だけが独立して、外に先立つてこうした問題をその立場から考えるということは適当でないというのが私共の考えでございます。従いましてこの元号の存続或いは廃止の問題にいたしましても、広く一般の学識経験者において御研究になり、国会において御討議になられて御決定になつたところに、こうした教育の面が追随し即応して行くというのが自然であるように考える次第でございます。これを以て私の陳述といたします。
  14. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは次に作家として有名な、同時に日本ペンクラブの幹事をしておられます豊島與志雄君にお願いいたします。
  15. 豊島與志雄

    参考人(豊島與志雄君) 先程からいろいろ御意見がありましたが、私は結論から先に序します。私の結論といたしましては、結論といいますよりも私の意見といたしましては、一世一代の元号は廃止すべきだと思つております。その後でどうするかといいますと、西暦を用いるべきだ、これが私の意見結論なんであります。  日本はこれからつまり世界的に起ち上らなければならないというのが日本再建の原則でございまして、殊に世界が、現在のように交通旭信が発達しまして、非常に狭くなつて参りますど、地球の或る一つ所に石が投ぜられますと、その波紋が直ちに世界中に拡がる、そういう状態でありますから、将来はますます日本世界的な観点を以て、世界的感覚を以て起たなければならないと考えるのであります。そこで実際の理論の方面は先程からいろいろ申されましたけれども、一世一代の元号と申しますものは、私共の実感といたしましては、元号そのものとその事件とだけがくつつきまして、歴史の上でいつどういうことがあつたかという時期的感覚は殆んど感じられないのであります。先程話の出ました和銅元年に銅が出たといいましても、歴史上いつのことかぴんと来ないのであります。一番近いところで申しますと、明治維新でも、つまり何年前であつたか、明治元年は何年前であつたかということさえ直接に実感としては分らないわけです。これを直ちに分らせるようにするのが将来の一般日本歴史考える上で木切でありますし、これから将来も日本でどういうことが起つたかということが直ぐ分ろような、一つ元号の唱え方というものが必要だと考えるのであります。それですから、元号というものと事件とくつつくだけの感覚をやめてしまいたい、つまり世界歴史の上において何年いつ頃どういうことがあつたか、何年前にどういうことがあつたか、そういうことを直ちに実感として来るような方法にしたいというのが私の考えなんであります。それ故に一世一代の元号は廃止するのが当然だと考えるのであります。  それから西暦を用いますことは、これはもう世界が非常にこんなに狭くなりました現在、それから世界文明が今まで来ております現在におきましては、西暦が一番妥当なことでありまして、この点を世界一つ仲間入りをしたということにおいて西暦を唱えたいというのであります。実際の問題といたしまして、この元号を廃止して西暦にするということに、私はそんなに大変なことじやないと思います。大衆生活にとつてもそう不便なことではないと思います。曽て太陽暦を採用されましたとき、あれはこの日本の大多数の農民を、主としましてそれから又その他におきましても、元号の唱え方よりも、もつと民衆の実際の生活に重大な関係があつたのだろうと思うのでありますが、あれでさえそう大変な摩擦はなくして現在に至つている次第なのであります。実際の問題としましても非常に簡單なことで、大衆生活にそう大きな影響はないと思うのであります。ただ一部の大衆の中に一種の、元号を廃止し、西暦を採用するということになりますと、或るセンチメンタル、感傷的なものが起りまして、何だか惜しいものを失つたという気がするかも知れませんけれども、これは日本が島国的感情から世界的感情へ成長するうまり少年が大人になるというときに、少年から成年へ達するその場合の一つの淡いセンチメンタリズムに過ぎないと思うのであります。これはスムースに通り抜けられると私は信ずるのであります。私のただ感想としましてそれだけ申上げます。
  16. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 有難うございました。次に東京大学教授宮澤俊義君にお願いいたします。
  17. 宮澤俊義

    参考人(宮澤俊義君) 私の結論只今豊島さんのおつしやつたここと全然同じでありますから、只今豊島さんのおつしやいましたことは全部そのまま私の意見でもあるというふうに御了承願いたいと思います。  元号制度日本で長らく慣習として行われておりまして、明治元年に先程のお話のように一世一元という原則が確立いたしました。それまでは必ずしも一世一元ということは確立していなかつたのでありますが、あれ以来一世一元になりました。そして新憲法成立と共に、皇室典範規定もなくなつてしまつたわけで、私の考えでは明治憲法及び皇室典範がなくなつたときにやはり一世一元の原則というものは消滅したんじやないかと考えております。それ以後元号は行われておりますが、これは前からの慣習でありまして、従つてその元号はいつ変えなければならないか、或いは変えてもいいか、或いはそのときに誰が変えるかというようなことについてほ、皇室典範は、一世1元で、それは天皇がかくかくの手続でお定めになるということはちやんと決まつておりましたが、あれがなくなつたんだから、結局その点は全然規定がないわけで、私の考えではやはりこれは一般の標準となるべき度量衡とか、その外の問題と同じように、今日では元号は、今使つておる制度を若し改めるとすれば、国会が法律を以て決めるのが当然であると思うし、従つて現在の状態は、法律的に言いますれば、国会が新憲法成立によつて今まで慣習として行われておるこの元号を変えるなりどうするなり自由になし得るわけであります。従つて今仮に天皇崩御というようなことがありましたとしても、少くともそこで変えなければならんというわけではないわけで、万事が国会で自由にお決めになることができる、こういう状態だろうと思います。これは現状の説明なんであります。  それで現状をどう改めたらいいかということは、先程豊島さんがおつしやつた通り、私は一世一元という制度は無論今認められておりませんし、それを離れて元号を認めるということは、その前に帰えるわけですが、これはどう考えても理由はないと思いまして、元号制度は須らく廃止すべきもの宅はないか、こう考えております。  それを変えてどうするかというと、変えますと結局西暦を使う以外に方法はなかろうと思います。年号の問題は、先程鈴木さんもおつしやいました通り、結局年の呼び方でして、やはり便宜の問題なんです。年を西暦紀元、或いは日本紀元のような数え方をします場合に、どこから起算しなければならんかという理窟は、極端に言えばないわけであります。どこからか勘定しなければ番号は付かんから、便宜付けるというだけに帰着するわけでありますから、若しも世界諸国がこの際全部共同して、今年を元年としてこれから数える、以前は全部紀元前として数えようということに若し意見が一致するとすれば、それはそれでも少しも差支ないと思います。併しそれよりもたまたま西暦が今日広く行われ、ソ連などでも行われておるというような現状に鑑みて、それに合流するというのが一番合理的であり、且つ実際的じやないか、こういうふうに考えておるのでありますが、そうしてそういうふうに国会で改正せられることを私としては希望するのでありますが、ただその点につきまして、法律なり国家なりが元号制度を廃止するということの意味をやはり国民に十分周知させる必要があるんじやないかと思います。その元号は度量衡のようなものでありまして、一定の公の標準を決めるというところに意味があるのでありまして、それと違うことを個人が使うことは少しも差支ない。従来元号制度がありましても、多くの人は西暦を使つておりましたし、又私の知つておる明治時代の研究家で、明治に非常に愛好を持つておる或る入は、年賀状に明治八十年元旦というような年賀状を寄越しますが、それでも少しも罰せられるわけでもなく、又そう書いたからといつてこの年号法律的な効力を持つたわけでも何でもないのでありますから、従つ工私は冗談に、或る俳句を作る人達は芭蕉何年というようなことでお互いの集まりの通知をし合つたりしたら面白いなどと申しておりますが、そういうわけでありまして、仮に年号制度が廃止され、西暦を採用するということになりましても、結局これは公の標準ですから、公の関係においてはそれが標準になるというだけの話でありまして、そうでない私の年号、昔から私の年号が大分あつたようであります。今例えは熊澤天皇年号というようなものがありましても、別に違法でも何でもないということをやはり国民によく分らせる必要があるんじやないか。そうしませんと今後昭和何年といつたら直ぐに違法になるんじやないかといつたような感じを與えることは適当でないように思います。それと同時に、若しもそういう標準が公に決まりましたならば、国会あたりは率先してそれを十分に徹底して使用して頂きたいと思います。例えばこの間公職選挙法案というものが衆議院に出まして、こちらへ参つておるかどうか知りませんが、ちよつと拜見しましたところが、或る規定には、ポスターは、タブロイド型(長さ何センチメートル、巾何センチメートル)というようにメートル法で説明してございましたが、外の條文を見ますと、選挙当日は、投票所の入口から三町以内には事務所を設けることにできないなどというように、ちやんと「町」なんという字を使つであるのです。これも別に法律的効果には何も変りはありません。それで役に立ちますが、若しも公の法律として国会でお定めになる法律には公の標準をお使い下さることは、これは蛇足でありますが、ちよつとお願いして置きます。
  18. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 有難うございました。今日お招きしまして御出席を頂きました方の御意見はこれで全部終了いたしました。尚お招きいたしました方で今日お差支のために出席できないが意見書をお差出しの方がございます。学習院長安部能成君から意見書が出ておりますから、專門員にちよつと読んで貰うことにいたします。
  19. 岩村忍

    ○專門員(岩村忍君) 学習院長安部能成氏からの意見書であります。宛名は参議院文部委員長宛、   今の西洋の年紀はキリスト教的であつて、その紀元歴史的に正確とは言えないが、これは欧米的に用いられており、欧米的ということが大体国際的になりておる今それに従うのが便利だと思えます。西洋紀年の採用に賛成します。
  20. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それからもう一人、前回にお呼びをいたしたのですが、お出席がなかつた東京大学教授の和田清さんから同じく意見書が出ておりますから、これも事冊員に読んで貰うことにいたします。
  21. 岩村忍

    ○專門員(岩村忍君) 東京大学教授和田清氏からの意見書、   元号などどうでもいいことですから、若し国民挙げての希望なら廃止しても構いません。併し動機が他にあるようでは感心しません。天皇国民象徴元号はその天皇象徴ですから、国民の輿望に従つて存置しも少しも差支えないと思います。元号は不便だなどいう人もあるようですが、私共西暦と併用して少しも不便を感じません。それよりは月日に合わない七曜日の方が余程不便です。不便なものをやめるのならこれらこそ改正すべきと存じます。
  22. 山本勇造

    委員長山本勇造君) これで全部今までの計画のものは終つたのであります。それじや委員の方から御質問ございましたらどうぞ。
  23. 藤田芳雄

    ○藤田芳雄君 貴重な御意見をお聞かせ願つて大変喜んでおりますが、天文台長さんにちよつとお伺いしたいと思うのでありますが、世界暦というようなことがよく言われろのですが、ああいうものができる可能性があるかどうか、若しできるとすればむしろこういうものを採用した方がいいのじやないかどうかということをお聞きしたいと思います。  いま一つ閏年のことについて……、やはり今迄は太政官令か何かで決まつてつたのであります。そいつが又新憲法になりましたために効力を失いまして閏年ということの根拠も法律的にはなくなつたわけであります。それでそういうものについてやはり放つて置いていいかどうか。或いは何かそこに沈めて置かねばならんものかどうか、そういう点につい三つお伺いしたい。
  24. 荻原雄祐

    参考人荻原雄祐君) 世界暦というのは大分方々で喧伝されているようでありますが、これはまだ一方向きのもので、私は噂に聞いただけでございますが、数年前にアメリり合衆国の国会に採択されたのでございますが、議案として採択されたそうでございますが、これがそのままになつておりまして、昨年でしたか、ユネスコで又問題になつたのでありますが、ともかく今年、一九五〇年一月一日が日曜日でございまして、そこから始めるならばよろしいというのですが、一九五〇年からは始めないということになつたという噂を聞いております。まあこういう問題になつているのですから、いつかは採用されることになるかも知れませんが、まあ日本といたしましては、週でございますね、ウイークデーなんかを余り日本としては重視されていないようでございますが、ヨーロツパ、アメリカなんかでは、このウイークデーが重要でありますから、恐らくそうなるだろうと思います。又一方においてキリストのりソリツクあたりになると、又問題が来るんじやないか、いろいろ問題がありましようから、これは実現はどうかと思います。若し実現するということになりますれば、一九五六年だと思いますが、それまでには始めないらしゆうございます。まあこれが私達甚だ自然科学者として、越権かもしれませんが、便利なことじやないかと思います。殊に御承知のように、今日の現行の暦で、西性暦は一、二、三月の日数が不順でございますから、よくはないかと思いますが、細い点に対しましては、日本の科学者の間では今日言われておる西洋暦に対して、多少のモディフィケーシヨンを工夫しておるんですが、これは世界中でやるんですから、やはり同じように多数決で決めるより仕様がないぢやないかと思つております。  それから第二におつしやつた閏年のことでございますが、これは大変な問題になりますので、若し法律に落ちておるようならば何とかお考え下さらなければ困るだろう、というのは、これはグレゴリー暦の本質でございまして、四年目ごとに一回ですが、閏年を置くと、それから西暦で申しまして、四で割り切れる年で零が……ちよつとはつきり覚えていないので失礼いたしました……は、閏年でなくするという規則がございまして、これは地球が太陽を廻わる周期が三百天十五何々と端数になつておりますので、それがいつも端数でなくしであるのが積り積つて一日二日と狂つて来るのを防ぐために、そういう閏年を置くようになつております。これはグリゴリー暦のなんでございますが、太陽暦を採用するという観念の中には、それが含まれておるだろうと思いますが、一九五二年は、閏年にならなくちやいけないと思いますから、或る適当な機会にそのようにお運び願いたいと思います。
  25. 三島通陽

    三島通陽君 宮澤先生に一つ伺いたいんですけれども、この前の公聽会の時でございましたが、御欠席の有識者の方の御意見に、元号問題を取上げるのは馬鹿なことだというお話がありましたが、私はそれを別に言葉尻を捉える気は少しもないのでありまして、丁度宮澤先生が初めの方におつしやつた意味におきまして、私共立法府の者としてそれをこのまま放つておくわけに行かない、研究しようというようなつもりで今度始めているわけでございますが、そこでまあそういう意味のことを極く簡單に申しまして、次の質問をいたしたいわけでございますが、その私の言つたことに対しまして、どなたかから、どうも三島は今の元号というものは法律的根拠がないというようなことを言つたと、甚だ怪しからんというので、お叱りの投書なんですけれどもを、後で頂きまして、そのお手紙の中に、お前に法律的根拠はないと言つたけれども……必ずしもそうも言わなかつたんですけれども、そうとられた、美濃部先生と佐々木先生が立派に法律的根拠があると言つておられると、にも拘わらずお前の言うようにそんなことを言うのは怪しからんと書いでありました。そこで美濃部先生と佐々先生の憲法論をちよつと読み直して見ましたんですけれども、必ずしも私のその時申したここと違つていなように思いますけれども、まあそういうようにも解釈しておられる、相当な方でございますが……。そこでそういうふうに解釈されろ方もあると思いますので、宮澤先生に、美濃部先生、佐々木先生の日本憲法論の中にございますの一世一元制につきましての御意見を伺いたいと思います。
  26. 宮澤俊義

    参考人(宮澤俊義君) その元号法律的根拠云々という言葉はちよつと語弊がありますが、終戰後も元号が行われておるので、法律的根拠というのは、理屈から言えばない筈はない、あるわけです。問題は成文法という意味のことだろうと思うけれども、何か法律的根拠がないというと、違法のことをやつておるように思う。そういうことではない。私共としては慣習法的根拠は無論あるのです。ただそこが、一世一元という原則が現行法で認められているということが問題だと思うのですが、美濃部、佐々木両先生のその辺お考は私よく存じませんが、或いはそれも又一世一元の原則が引続き慣習法的に認められているというお考えかも知れません。成文法にはないからそう考えるより仕方ないと思いますけれども、その点私はやはり先程申しましたように、一世一先の原則というものは天皇統治というこことやはり離るべからざる関係にあるのでありまして、ですから明治改元の時に、一世一元にしましてからは先程萩原さんも申上げましたように、明治大畠の明治四十五年七月三十日お隠れになつたその瞬間から大正元年になるというふうに、飽くまでも年号の存続期間、即ち天皇統治期間というように、はつきり決めてある。そういう制度になつたわけですから、その意味一世一元制というものは、やはり私は皇室典範明治憲法の消滅すると同時に、消滅と解釈すべきではないかというのが私の意見です。ですから元号は無論慣習法的根拠はある。決して違法のものでも何でもない。これを政府なり国家機関が公の標準として使つているのは当然の話でありまして、これは現行法であります。併し一世一元ということと、元号制度は必ずしも同じでないのですから、一世一元という原則は今は認められていないのじやないかというのが私の考えです。それからただ一世一元でなく、元号制度がそのまま引締き行われている。従つてこれは一世一元なのか、又いつ改めたらいいかといことは全然規定はない、その点がすべて……。従つて国会がやはりお定めになるところじやないかというのがまあ私の考えです。
  27. 堀越儀郎

    ○堀越儀郎君 藤澤先生にお聽きしたいのですが、元号政治象徴だとおつしやいましたけれども、過去においてはそうであつたかも知れないが、現在の情勢から言うてむしろ反対の方向になつておるじやないか、又そうさせなければいけないのじやないかと思うのですけれども、現在でも又日本の将来から言うとそうあるべきだとお考えになつておられますか。
  28. 藤澤衞彦

    参考人藤澤衞彦君) 私は先程申しました通り、国の政治象徴元号だと申しましたので、一世一元についての問題として先程申上げたのではないのでありまして政治によつて元号が改まる場合がある。又そういういつた意味から考えなければならない。例えば明治と言つたような問題も、すでに後土御門天皇文明年号が改められるときに明治が取上げられた。それから光格天皇のときに寛政というような年号、そのときにもこれは政治は緩かでなければいけない、それから猛々しいものを救い、猛々しいものは緩かなものを救う。そして政は和を以てするという意味政治象徴となつておる。すれば一世一元というものはこれは法律によつて決められるけれども、併し年号はそれを離れて考えられる。例えば昭和年号は敗戰と同時に、憲法変つたときに改元さるべきがよろしいのではないか。そしてそれにふさわしい元号を用いるということの元の思想をそれに取入れた方がいい。何もこの元号は、法律になつてから天皇と非常な大きなからみ合いをする、もともとこれは政治象徴である元号天皇と御一緒にするということは考えなくてもよろしいのではないか。それですから私は先程の第二の問題で、西暦を一般に使用するということは賛成である。併し元号は国の政治象徴として保存をするようにしたい。又この西暦ということも非常に怪しいのでありまして、第一キリストの誕生にしましても十二月二十五日、これは紀元四世紀のローマの冬至祭、冬至のお祭りの思想が加つて十二月二十五日になつた。神様というものは大概十二月二十五日に誕生されている。例えば印度のクリシユナも十二月二十五日、ペルシヤやのミトラも十二月二十五日、それからエジプトのホーラスもギリシヤのクロマスも又スエーデンのルシヤも十二月二十五日誕生。日本の天照大神も十二月二十五日が誕生日であつたのであります。それは岩戸開が説明しているように、あれは神格としての太陽が死滅するという意味が、それが当時は日が段々短くなつている。それで太陽が死滅するのではないかというので、その再生を願うのが、これは古代民族の仕来りではないか、この冬至頃太陽は薄くなる。それを火を焚いて太陽を呼び戻して、太陽に光を添えて、そうして太陽を再生させるという意味から神様の誕生というものが出て来た。再生ということから紀元四世紀頃のキリストの誕生も冬至祭と一緒になつて十二月二十五日になつたというように考えられる。紀元というものは別に科学的な、或いは又数学的な意味を持つてできてきたのではない。宗教的な意味から言つても、日本は決してこの西暦を用いてもそれがキリスト教じみるということを考える必要はないと思う。それで西暦を用いることについては、あらゆる宗教の、又神格としての偉大なる神の誕生が十二月二十五日。それが又キリストの誕生である。日本の太陽神の神格としての誕生日も十二月二十五日ではないか、これは西暦を使つても、宗教的な意味キリスト教じみるというようなことを言われる必要はない。私は西洋暦を便宜上使うということについては大賛成であります。併し別の意味元号は国の政治象徴として残すべきではないか。或いは学者又は政治家の委員会の席上で、国の終戰によつてこれから平和を願い、又憲法で戰争放棄というような理想を表現して、元号の上に表わして行く。国の政治象徴とするというような意味からこれを保存すればいい。国民の上に及ぼす影響といい、又西暦使用の上においても非常な意味をなすのだ、こういうふうに思うのです。
  29. 梅原眞隆

    ○梅原眞隆君 私宮澤先生にちよつとお教えを願いたいと思います。この問題については、先だつて宮内府の方なり厚生省の方にもちよつと御意見を聽いたのですが、今私は先生に対して、私が提出する問題に対しての先生の御意見をお教え願います。  第一は、今度の新らしい皇室典範一世一元條項がなくつた、こういう事実です。これに対するその解釈。第一お尋ねしたいのは、天皇地位が主権者という地位から象徴という地位に変換されておる、これは明瞭です、それであるから一世一元ということをあれに規定していないのは、天皇に対する観念が違つたから、それであれを取つたのである。こういう一つ考え方も成立ち得るのある。それから一方にはそうでない。何も一世一元と主権と結び付くものでない、象徴として今もある。先生の御意見にも出ましたが、象徴としての天皇一世一元が成立ち得るという考えも成立つ、これが一つ天皇主権という制度を変えたということは、先程先生のお言葉の中に伺つたのですが、在来の天皇制変つたから、在来の天皇制というお話があつたからお尋ねする、そういうようにどちらに解するか。一世一元は主権と結び付いておる、だから当然主権をやめたから、その一世一元ということは当然なくなるのだという御論拠で御立論になつておるのかどうか。  第二には、これをやめたということを私は問うたのです。私は法制局なり、宮内省の方に、これは事非常に早急な間であつたために、あの憲法をやる間に、すべての問題を整理する余裕がなくて、この問題はこの程度で一応止めて置いて、当然これに対する法律的な措置を講ずるという考えを持つてつたのか。それから又根拠がないからこれを放つて置いたのかどうかということも尋ねた。私は実は先生のお考えでは、当然私はその変つたということに関して、何かの善後措置がなくてはならないと考えます。その善後措置をするということについて、いろいろ立場があると思う、だからあれがなくなつたということは、それは否定したのだ、言葉を換えて言うと、皇室典範という性質のものに記録しなかつたのであつて、実際は、つまり成文法ではないけれども、国民の上にそういう法律はないだろうけれども、そういうものを一つ認めてそうしであるので、あれで廃止したのだ、否定したのだ、法律的の意味にということ、つまり皇室典範に抜けたということか法的に否定したということになるかどうか、これは極く細かな質問でありますお教え願いたい。
  30. 宮澤俊義

    ○参考(宮澤俊義君) 皇室典範ができましたときに、元号規定がなかつたということは、勿論関係者は明瞭に意識していたところだと思うのであります。それは知らずに拔かしたというのではない。その理由は、恐らく、私も実は皇室典範の、この貴族院の委員会に出まして、その点を実は聞こうと思つたのでありますが、何かあの頃いろいろな事情で非常に急ぎましたために、遂にその点はつきり私自身聞きませんでしたが、私だけの想像で、何分その頃は早急の間であつたから、取敢えず元号の問題には手を付けないということで、あそこに規定しなかつたのだろうと思う。つまりあの当時の立法者の意思は、今までの一世一元、或いは元号制度を根本的に変えるという積極的な意思があつたのではなくて、少くとも今のような皇室典範規定をそのまま存続することは適当でない。従つてまあこの際それは皇室典範には規定しないで置けということに止めて、あとは慣習に任す、恐らく適当の機会に何か善後措置を講ずることが望ましいのじやないかと考えたのだろうと思う。併しその際にどういう結論考えていたか分りませんが、恐らくそれは確定的なものはなかつたのだろうと、つまり今直ぐそれを変えてどうするかというところまで行つていないから、併し今までのものをそのまま使用することも適当でない。だからこれを載せないで、これは今後のあれに俟つという意味であつたろうと了解しております。そこであとはその規定の解釈になるわけであります。私先程申しましたのは、元号という制度をそこで否定したわけではない。元号という制度は、今まで通り暫く認めるということになつたと見ていいが、一世一元という制度は、恐らくそこで否定したと見るべきではないかというのが私の解釈です。併しその点は今の御説明のように、新憲法天皇が国の象徴であられるという原則に相成つたために、その象徴たる天皇ということによつて天皇がつまり象徴たる天皇になられた噂に元号を改めるという意味において、一世一元という原則が考えられないということはないと思います。ですから先程藤澤さんがおつしやつた、美濃部先生、佐々木先生の御本を、私よくその箇所は覚えておりませんが、若し一世一元を現行法が認めているという御解釈であるとするならば、その趣旨は、天皇が現在主権者であられるからという意味でなく、天皇が国の象徴としておられる以上、その象徴が変わられた時に元号が変わるという意味において、一世一元が認められているのではないかという意味であると思います。そういう解釈も恐らく成立つと思いますが、私としましては、やはり明治改元の時の気持、それから皇室典範ができた時のそれによるということを定めたあの精神、それからその後の元号の運用といいますか、そういうことから考えて、やはり天皇日本を統治せられるという原則が消滅した以上は、それと共に一世一元の原則も廃止されたと見る方がいいんじやないか。こういうふうに私は解釈して、先程のようなことを申したのでありますが、その点はお言葉の通り、違つた解釈も十分成立ち得ると思います。つまり象徴という点に重きを置くか、つまり今まで明治以来の元号が、一世一元の趣旨が、天皇象徴であられるというところに重きを置くか、そうでなく、天皇日本を統治せられる、統治権を総攬せられるというところに重きを置くか、それによつて違うて来ると思いますが、私としてはどうもあの一世一元の精神は、天皇日本を統治せられた統治権の総攬者として日本の国に君臨せられたということにあるのであつて、大正十年というのは、大正天皇日本を統治せられた大正天皇の御代の十年と了解しておりますから、そういうような意味におきまして、私はその一世一元は、皇室典範の廃止によつて廃止されたと見るべきではないかと、こういうように解釈したわけであります。
  31. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 私藤澤先生にちよつとお伺いいたします。一世一元関係なしに、元号は国政の象徴であるとして残したいというようなことを伺つたのでありますが、それに間違いないと思いますが、一応私も御説にいては、確かに考えられるところがあると思うのでございますが、さてそれでは、天皇に主権があつた場合でなしに、現在のような場合においては、どういうふうな時にこれは改元というようなものが行われて行つたらよいものであろうかという一応のめどがなければならないと思います。天皇に主権があつた場合には、一世一元というようなやり方で改元ということも考えられますけれども、そうでなくなつた場合に、どういう機会を捉えて改元していいのかというようなことについてのお考えがありましたら。
  32. 藤澤衞彦

    参考人藤澤衞彦君) 今のお尋ねでございます。私は国の政治の運営の如何によつて元号考える。若し政治象徴であるということを取上げるならば、例えばこの敗戰の時に直ぐに改まるというような一つの時期もあります。又国の政治の大木に何らかの一つの基準なり、それからものが変わり或いは改められるというようなときに、政治象徴をそこにお求めになるというようなことから、国の政治が改められて行く。それは過去を尋ねますと、私内務省の社会局から「歴代救護施設状況」という本を出しておりますが、これは震災当時の書物であります。そのときに変災があつた場合に年号改まつたという先程のお話がございましたけれども、そのときの政治の主権としての天皇は、この天災について何らの御処置をなされなかつたというわけではないので、例えば検察使を出し、そして地方の政治がどういうふうに行われているか、この変災の処置をどういうふうにしたらいいということについて非常に処置をとられた。それがつまり政治の上に現われた元号象徴の表現であるように考えるのであります。つまり国の元号改元ということに対しましては、政治の上に立つ人達のお考え、それから国の何らかの改まりによつて変えて行くということは、その当局の局に当られた人達のお考えによつて決められて行くといいのじやないかというふうに考えるのであります。一応不備ではございますが、お答えに代ます。
  33. 堀越儀郎

    ○堀越儀郎君 藤澤先生にお聞きしたいと思いますが、そういうふうに年号元号というものが政治象徴ということになると、そうすると政治の大本がいろいろ変つてくる場合、そのたびごとに変えた方がいいというお考えですか。
  34. 藤澤衞彦

    参考人藤澤衞彦君) それはそのときのつまり国会、それから又そのときの国の政治を行なつておる内閣が国会にかけて、然るべきときに変えて行けばよろしいのじやないか。その事件歴史を通じて必ず起つて行くということは考えられるのであります。これは必ず将来においてもそういう国の政治象徴を決めた年号の変わるべきものが、歴史の上に必ず来るということは考えられることであります。
  35. 堀越儀郎

    ○堀越儀郎君 過去の歴史ではそうであつたでしようが、明治になつて非常にそれは煩しいというので、一世一元の制を立てられたわけでありますが、あなたのお考えからすると、又それに逆戻りするようなことになりません。
  36. 藤澤衞彦

    参考人藤澤衞彦君) これは年号が非常に私は長く続くということを予想するのであります。明治四十五年というような年は、相当長いのであります。それ以上の長い年代を以てその一元号時代が来るというふうに考えるのであります。
  37. 堀越儀郎

    ○堀越儀郎君 そういうふうにしますと、例えば現実の問題といたしまして、保守勢力の自由党が内閣を組織した。これは選挙などで急進派の社会党なりが内閣を組織すると、又政治の根本理念が違つて参ります。そうすると、そのたびに又変るというようなお考えですか。
  38. 藤澤衞彦

    参考人藤澤衞彦君) これは今の年号を変えるというようなことについて、つまり過去の改元のときについて相当な学識、有識者を以て元号委員にいたしております。その中に選ばれておるのは清原家、或いは大江家、菅原家若しくは藤原家の中でも相当の学識ある者がそれに選ばれるので、そうして元号改元に携つておるのでありますから、今後も又組織によつてその元号が変えられるという一つ制度がそこになされれば、その憂いはないのじやないかと考えます。
  39. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 外にどなたか御質問ございませんか。特に今日天文台長に来て頂いたのは、左藤君の御要求があつたからでありますが、さつきどなたでしたか御質問がありましたね、藤田さん、大体あの程度でよろしうございますか。
  40. 藤田芳雄

    ○藤田芳雄君 閏年の話が問題なんですが……。
  41. 荻原雄祐

    参考人荻原雄祐君) 閏年の話でありますが、ここに書き写して参りました明治五年十一月九日の太政官布告第三百三十七号の太陽暦を使うというところの第二項に「一ヶ年三百六十五日十二ケ月分チ〔四年毎ニ〕一日ノ閏ヲ置候事」とありますが、これが今では廃止されたことになつておるのでございましようか。
  42. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 法制局の杉山さんにお願いします。
  43. 杉山專一郎

    ○法制局参事(杉山專一郎君) 廃止されていないという考え方でおります。
  44. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 外に御質問ございませんか。……それでは今日は大体この程度で止めておくことに御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  45. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 御異議ないと認めます。今日は年号の問題につきまして、各方面の権成ある方々の御出席を得まして、非常に有益な御意見を承りまして、誠に有難う存じます。調査のしに非常に参考になると存じます。御出席頂きましたことを、委員一同に代りまして、叩く御礼を申上げます。  それでは今日の午前の文部委員会はこれで休憩にいたします。    午前十一時五十八分休憩    ―――――・―――――    午後一時四十七分開会
  46. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 休憩前に引続きまして委員会を再開いたします。各位にお諮りをいたします。日程を変更いたしまして、新たに本委員会に付融されました国立学校設置法の一部を改正する法律案学校教育法の一部を改正する法律案及び図書館法案について、政府の提案理由を右の順序によつて聽くことにいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  47. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それではそのように取計らいたいとし存じます。  それで国立学校設置法の一部を改正する法律案の提案理由の説明を高瀬文部大臣にお願いいたします。
  48. 高瀬荘太郎

    ○国務大臣(高瀬荘太郎君) 只今議題となりました国立学校設置法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び内容の骨子を御説明申上げます。  昨年、国立学校設置法が公布施行されまして、約七十の国立学校が発足いたしましたが、以来約一年を経過いたしまして、今や第二年目を迎えようとしおります。その間におきまして各国立大学は、いずれも鋭意その組織の整備と内容の充実に努めて参つたのでございますが、この整備充実の結果を法文化するために、国立学校設置法の一部を改正する必要が生じました。これが、この法律案を提出した理由でございます。  以下、その内容の骨子を簡單に御説明申上げます。  先ず、北海道大学外三つの大学については、既設の学部を分割することによつて新たな学部を作りました。これは、作平学部発足後一年間に教員組織その他の内容も充実した上、大学運営上の必要もありまして、分割の計画を立て、大学設置審議会の承認するところとなつたものでございます。第二に、一部の国立大学について、その附置研究所及び学部附属の研究施設の新設合併を行いました。第三に、国立盲教育学校及び国立聾教育学校を東京教育大学の附置学校として昭和二十六年三月三十一日まで設置することといたしました。第四に、旧制の学校で、募集停止の結果本年三月を以て職員生徒の定員がなくなるものを削除いたしました。最後に、国立学校に置かれる職員の定員を学年の進行、旧制の学校の募集停止等に基く増減に応じ、昭和二十五年度予算に対応するように改正いたしました。  以上が、本法案の提案理由及びその内枠の骨子でございます。どうか、十分に御審議頂きまして、速かに御可決下さいますようお願いいたします。
  49. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 議事の進行について……、今文部大臣の提案理由の御説明がありましたが、続いて又他の法案についての御説明もあるようでありますけれども、今人事院総裁がお見えになつておりますので、総裁に対して私は給與問題について緊急の質問をいたしたいと思います。動議を提出します。
  50. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 只今若木君から緊急質問をしたい事という御要求がありましたが、それをお許しすることに御異議ないでしようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  51. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 御異議ないものと認めます。若木君。
  52. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 人事院の総裁に対しまして、給與問題について二、三の点を質問したいと思います。公務員の給與ベース改訂の問題につきましては、先に人事院からの勧告も行われたのであります。それから又国鉄の裁定に対しての東京地裁の判決問題もあります。それに関しまして、政府としてはこれを更に上訴するというふうな意向が新聞等で発表されてあるのであります。とにかく今の六三ベースについては、この三月の三十一日を以て効力を失うように考えるのでありますが、それ等に関しまして人事院としてはどういうふうな御措置をなさろおつもりか。それについて先ず伺います。
  53. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 誠に御尤もなお尋ねと存じます。お示しのようにこの三月三十一日を以て現行の給與法は効力を失うことに相成りますので、このままでおりますれば四月からは俸給その他の給與を支拂う基礎がないことになることは御承知通りでございます、併しながら人事院といたしましては先に七千八百七十七円の勧告をいたしておる次第でございまして、これに対しまして国会側におきまして、この勧告の趣旨に沿うて御立法になることを最も強く希望いたす次第でございます。従いまして若しもここで人事院が四月以降の給與について措置をいたさなければならないといたしますれば、人事院といたしましては、七千八百七十七円を基礎とする措置をいたす外はございません。併しながら、御承知のように人事院は直接この給與改正の法律案を国会へ議案として出す権限を持ちません。御承知のごとく国会へ政府発案の法律案を提出いたしまするのは、内閣総理大臣だけでございます。従いまして若し内閣におきましてこの人事院の勧告を容れないで、現行通りのベースで四月以降の措置をいたすと、こういうことになりますれば、これは内閣においで御立案になる。即ち四月以降に現行給與法の効力を延ばすと、こういうような法律案内閣において作成せられるであろうと思います。若しもその場合に人事院に対しまして、何か四月以降の給與について立案せよとの仰せがございますれば、人事院といたしましては、飽くまで七千八百七十七円を基礎とした法案を作成する外はないと、かように考えております。
  54. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 そうしますと人事院としての措置は、一応七千八有用ベースとして考えられるようになるのでありますが、その際に政事府といたしましては、どうしてもそういう措置をとらん、こういうふうな、対立が行われた場合は、人事院としてはどういう措置をとられますか。
  55. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 若しも政府の方において何の措置もとらないということは、これは考えられないのでございます。何かの措置をとりませんと、四月以降、全く俸給を拂う基礎がなくなるのでございますから、これはまあ常識で考えましても、政府といたしましては必ず何かの措置をなさるであろうと存じておりまするし、又これが恐らく間違いないと考えております。
  56. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 それではそういう点で一旦質問を保留しますが、次に二点ばかり質問したいと思います。第一は文部教官、特に地方の師範の附属小学校の教官の給與と、これがその地方の公立学校の教員の給與に比べまして、大体全国的に調べて見ますというとその半数、七百九十九の中の三百九十五というふうなものが非常に低くなつておる、地方教官よりも文部教官が……、この問題につきましては、いろいろ考えられるのでありますが、まあ給與の主体が違うからしてそういうことが起り得るだろうと思う。片方は文部大臣であり、片方は地方の知事というふうな恰好になりますので、当然そういうふりなことが起り得るだろうと思う。尚この問題は今後、平衡交付金制度で以て、教育費が地方に委讓された場合には、更に起つて来る問題だろうと思うのであります。この場合に私の考える点は、元来付属小学校というふうなことになりますというと、割合に優秀な人方が集つて、そうしてこれは單に子供の教育をするということの外に教育の研究、更に加えまして教生の指導というものが大きな役割になつて来るのであります。そういうふうなところの附属小学校に勤務しておる教官が非常に地方教官よりも低い位置にあるということは、私は問題だと思うのであります。で差当つて、この四月から北海道あたりにおきましては、なかなか附属の教官として採用しようとしても来ないというふうな実情も見えておるのであります。ですからこれは日本教育というような方面から見まして、何らかの手を打たなければならないと、こう思います。先ず第一に私は今のペース改訂というふうなものが根本的に行われる場合には……この附属教官というふうな者の身分は、これは他の大学の教授などと同じような位置に置かれておるのでありますが、これは性質上地方の教官との交流が非常に起り易い。附属に来たり、或いは附属の学校から地方の校長さんなり、或いは教頭になつたりするというような交流が非常に多いのであります。そういうような関係から何らかこれに対する一つの給與の上において特例が作られないものであるか。こういうふうに考えるのであります。若しそれが早急に作られないとしたならば、今差当つてこの四月から文部教官が赴任する、しないの問題があるのでありますから、早急の問題といたしまして何か別の手で以て、例えば教生指導というようなものが、非常に大きな問題になるのでありますから、そういう教生指導に当てるこころの費用というようなことについて、起動の恰好になるかも知れませんが、そういうことによつて両者の調整を図るというようなことは人事院としては考えられないかどうか。この点について御質問いたします。
  57. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 幸いに只今お尋ねがございましたので、教員のこの給與の問題につきまして人事院の立場をちよつと前置きさして頂きたいと思つております。  御承知のごとく現行の給與法は、その中に教員の給與について人事院が適当の研究をいたしまして、その結果特別の扱いをする必要があると認めたるときは、その旨を国会及び内閣へ同時に勧告しなければならないということを十五條に記しておるわけでございます。これは衆議院の修正によつてここに加えられたものでございまして、只今質問のありましたように、人事院といたしましてはこの教員の給與問題につきましては、国会から特別な責任を負わされておる。こういうことに相成るわけでございます。そこで当時この規定を衆議院で御修正になつてお加えになりました趣旨は、大体二点あるように存じております。  第一点は、現行のように学校教員の給與を強いて一般公務員の給與と同じ俸給表に当てはめることは、甚だ学校教員の特殊的な立場から不適当であるというような趣旨が一つ。  第二は、かねがね恵まれない学校教員というものを十分優遇しなければならない。こういう御論議があつたように記憶いたしております。そこで人事院といたしましてはその趣旨に従いまして、従来から準備をいろいろ整えて研究をいたし、試みの案等も作成いたした次第でございまして、只今お示しの点等も一つこの際は根本的に従来の行きがかりを離れまして考えたい。只今の線に沿いまして考えたいと存じておる次第でございます。ところがここで一つ問題になりますのが丁度只今お示しになつた点でございまするが、この人事院といたしまして所管をいたしておりまするのは、国家公務員であるところの学校教員でございまして、地方公務員たる学校教員は、これは別に相成つておるのでございます。ところが御承知のごとく現行の給與制度におきましては、国家公務員の給與の例によつて、やはり地方教員の給與というものが決まつておるのでございます。そういたしますと、人事院が所管しております国家公務員たる学校教員と申せばその大部分は国立大学の教授でございまして、附属小学校等の教員は極めて少数でございます。ところが地方公務員たる学校教員ということになりますると、小学校、中学校の先生は非常に多いのでございます。そこで只今仮に人事院が、国家公務員たる学校教員の給與について何か立案いたしますると、その極めてささやかなる部分である附属小学校の先生の給與に、全部の地方公務員たる学校教員の給與が右へならえをするという、こういう現状になるのでございます。そこで人事院といたしましては、いろいろな点から非常に愼重にこれを考えておるのでございまするが、ただこの間にベース引上げの問題が起つて参りました。そこで先ずこの問題を人事院として取上げているのでありまして、誠に国会の御修正による條文の実施に遅れていることはこれは申訳ないのでございますが、かような事情でこれは遠からず文部当局ともよく連絡をいたしまして、一つ従来の行きがかり等をも考え直しまして、御趣旨に沿うように処置いたしたいと、まあ只今のところ具体的なお答えはできかねるのでございますが、従来の行きがかりに囚われずに、やり直して見たいと、かように考えている次第でございます。
  58. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 更にもう一点伺いたいと思うのでありますが、それは地域給の問題であります。実例を申上げますというと、北海道においても先般行われたのでありますが、釧路市を中心にしてあたりの鳥取町というような町村が合併になつたのであります。ところが従来から釧路市にいる者は地域給を貰つておりますけれども、新らしく合併で以て入り込んで来たところの先生方は地域給を貰えない。ここに非常に不合理な点があるのであります。これはどういうふうな一つの……まあ私調べたところで言うと、二十三年の法律第二百六十五号のあれは第二條、第十七條あたりがこういうふうな元を作つているのではないかと思うのでありますが、考えましても非常に不合理のように考えられる。そのためにいろいろな教育上にも面白くない問題が出て来ると思う。これは單に教員ばかりでないので、外の方の公務員も関係しているだろうと思うのでありますが、この点についてこの不合理を排除するところのお考えがあるかどうか伺いたいと思います。
  59. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) これも又丁度いい按配に地域給に関する御質疑を頂さましたので、ちよつと説明さして頂きたいと思いますが、従来の地域給は非常に非科学的でございまして、殊に漸次地域給を與える地域を追加いたして参りまして、この国家公務員に対する地域給が、只今申しました教員の俸給のように地方公務員に右へならえをして皆それによつてつていると、こういう状態になつているのでございます。ところがこの従来地域給を追加いたしまする場合に、全国的な科学的な調査をやりませんために、或いは運動の強かつた地域が加えられ、運動の弱かつた地域が洩れるというような不合理がございましたので、人事院といたしましては、この地域給というものを根本的にやり直す考えで、この地域に関する物価差というものを昨年の五月に統計局の指定統計といたしまして、全国約三百八十の都市を基礎として完成をいたした次第でございます。これによりまして全国的に科單的な地域給というものを新たに桁えたわけでございます。ところがその結果によりますると、この物価の地方差というものは思つたよりも少いことに相成つております。現行法によりますると最高三割ということに相成つておりまするが、大体最高二割程度でいいじやないか、それから五分刻みでずつと下まで行く、大体この程度でいいのではないかという結論に達しましたのは、つまりもはや地域給では生活費の調整というものができないのであつて、どこもここも物価というものは実は高くなつている。従つて本俸であるところの給與ベースそのものを上げるということが一番いい方法である、こういうふうになりましたので、御承知のごとく人事院の勧告におきましては、給与ベースを引上げ、その代りに地域給を二割まで落す、こういうふうな勧告をいたしておる次第でございまして、私共といたしましては、お示しのいろいろ不都合もございまするが、従来の地域給は全部この際やり直す、こういう考えでございます。今お示しの個別的な場合にはどうなりまするか、調べて見ないと分らないのでございまするが、人事院といたしましては全国的にすべて地域給はやり直したい、こういう考えでおります。
  60. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 御答弁の趣旨分りましたが、それは時期的に考えていつ頃に相成るのでありますか。
  61. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 人事院といたしましては、この地域給の切下げということは、即ちベースの引上げと不可分に結付けて考えておるわけであります。若し、現行ベースをそのままにしまして地域給を引下げますれば、これは減俸に相成るというわけでありまするから、ベースを上げまして、地域給を下げるということに相成る。それでこのペース引上げというものが基礎になつて、それから地域給ができる、こういうわけでございます。そこで若しも内閣の方におきまして人事院のこのぺース引上げの勧告を受諾せられないで、現行ベースのままで行くといたしましたときに、お示しのこの地域給が如何になつて参るか、これは現行の三割の地域給が先ず当分そのまま残つて行くのじやないか、こういうことになる。そういたしますると、従来の不合理というものが、そのままあつちこつちにおいて残つて参る。そういたしますると、これを是正して参ると言いますると、丁度障子の継ぎ貼りをするようになつて参るのでありまして、人事院の立場といたしましては、この際物価の地域差というものは少くなつておるのでありまするから、これは地域給しでカバーしないで本俸そのものを上げてカバーして行きたい、こういう趣旨であります。
  62. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 そうしますというと、今のお話によつてとにかく不合理は何らかの形において是正する、こういうようなお考えであると承知して差支ないのでありますか。
  63. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 地域給につきましては、最も徹底的にその不合理を是正したい、こういうことでございます。
  64. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 この際文部大臣がおいでになつていますからして、今のに関連しまして文部省の御意見を伺いたいと思います。高瀬文部大臣にお伺いしたいのですが、今の文部教官と地方教官の問題につきまして、お聞きの通り人事院の総裁から御答弁があつたのであります。差当つての私の見方では、私の質問の趣旨に沿うて何らかの形をとりたいというようなふうに受取つたのであります。そういうような点から考えまして、この際この新年度に当つて、差当り文部教官というような方面に対して教生指導費というふうな恰好で、何らか支給するというようなお考えがあるのでありますか、これについてお伺いしたい。
  65. 高瀬荘太郎

    ○国務大臣(高瀬荘太郎君) お話のありましたような点で、確かに調整を要するような理由もあるかと思います。併し現在の制度の下ではそれが非常に困難な状況にあるというわけで、俸給等につきましては人事院とも、総裁からお話がありましたように、教員の俸給等についてはいろいろ御相談せられておるわけでありますから、将来それらの点と関連じて調整をするということは考えられますが、差当り四月から今お話のあつたような点で調整をするということについては具体的にはまだ考えておりません。
  66. 若木勝藏

    ○若木勝藏君 その点につきまして、丁度総裁とそれから文部大臣がおいでになりますからして、何とか四月からの問題につきまして、文部教官、いわゆる附属小学校勤務の文部教官のために、又教育のために、或いは教育の研究のために何らかの方法を講じて貰いたいということを要望いたしまして質問を打切ります。    〔「委員長」と呼ぶ者あり〕
  67. 山本勇造

    委員長山本勇造君) ちよつとお待ち下さい。岩間君から通告がありましたから……岩間君。
  68. 岩間正男

    ○岩間正男君 ちよつと若木君のさつきの質問に関連して、人事院総裁に質問いたしたいと思うのであります。  第一の点は恐らく政府は六千三百七円のベースを変えないだろう。これで三十一日の期限が来ると、これを延期するために、何らかの形で法案を提出するだろう。こういうような段階になるような情勢が一方に大きく動いておる。若しそういう場合に立ち至つた場合には、人事院としてはどういうような手を打たれるか、先ずこの点を伺いたい。
  69. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 人事院といたしましては、すでに勧告において示されておりますように、ベース改訂に対する強い希望を持つておる。このように大体お答えを先ず申上げて置きます。
  70. 岩間正男

    ○岩間正男君 そうすると、別に新らしくここで、その勧告の確認とか、もつと強硬に申入をするという処置を取らないのでございますか。
  71. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 勧告の貫徹ということに対しましては、日夜努力いたしておる次第であります。ただ岩間さんのお尋ねは、何かここで形式的な外部に分るような、何かの措置を取るか、このような御趣旨に伺つております。併しながらここで何か人事院がやるということに相成りますると、給與法の改正法律案の勧告をいたす外はないように思つております。現に六千三百七円ベースのときには、先ず初めは勧告書を出し、その次に改正の法律案を勧告いたしたわけであります。ところがあのときと只今とは、国家公務員法が改正をされまして少しく趣旨が違つておるように存じております。六千三百七円のときには、人事院は国会に直接勧告をする権限を持ちませんでした。内閣に対して勧告をいたすだけでございまして、その後法律が改正されまして、その直後に六千三百七円の法律案を国会と内閣とへ勧告したという形になつてつたように承知いたしております。  併しながら、一体人事院の勧告と申しまするものは、国鉄の裁定等とは、聊か趣旨が異なつておりまして、この勧告を国会側において受けて法律案を御提出になるということが最も望ましい行き方であり、それを予想してあのような制度ができておるように考えております。国会の側といたされましても、国会議員の発案の多くなるということは、国会の権威を増すものであろうかと存じておりまするし、又最前申上げましたように、人事院がここで給與法の改正の法律案を議案として国会へ出し得る権限を持ちますれば、お話は別になるかと思うのでありまするが、これはやはり勧告に過ぎませんので、直接議案として出し得るものではないのでございますから、この法律案を改めてここに出すという考えは持つておりません。かように考えております。
  72. 岩間正男

    ○岩間正男君 まあこれは総裁のおるところで失礼な言い方になるかも知れませんが、人事院の性格というものは、今非常に見直されておるところじやないかと、こういうふうに思うのであります。これは公務員法との連関であります。公務員法で語つておる勤労者の給與との問題であります。それは同時にいろいろな労働者の権利ですね、権利を一方において制限するということの連関において、人事院が発足したわけなのであります。併し、それが現在のような形で勧告するだけだ、それからそれに対してそれ以上何ら実権がない、現行法ではまあそういうふうになつておるのでありますが、併し、それが今の状態を見ますと、人事院の役割とうものは盲腸のような存在になるのじやないか、單に勧告をしたあとは国会に任せる、政府に任せる、そういう形で行きますと、最初に公務員法が勧告を国会側において受けて法律案を作られて、そうして罷業権を一方で禁止して置いて、当然それとの見合いによつてできたところのこの人事院の性格というものが、実際使つて見るというと、これは何らの労働者の待遇改善にはならないということがはつきりしたのでありまして、こういう点から考えて人事院で、今までもやつて来られた淺井総裁はこういうような段階に到達した、こういう盲腸的な存在の人事院に対して、どういう一体考えを持たれるか、それから実際六千三百円というような形でぎゆうぎゆう押付けられて、人事院の今度の勧告案が通らないというようなときに、やはりこれは止むを得ないものとして、そこのところはそういうもので頬かぶりされるか、この点改めて人事院を国会としては見直さなければならない段階に達しておりますので、この点をお伺いして置きたいと思います。
  73. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 誠に痛み入つたお尋ねでありますが、お言葉を返して甚だ失礼なんでありますけれども、先ずこれを制度の上から考えれば、若し人事院の権限というものがこれ以上強い、只今よりも強いものでございまして、或いは直接議案を国会に提出するとか、或いは給與予算を大蔵大臣及び内閣から離れて人事院が作り得るというような強さがここにあつたといたしますれば、これは憲法如何なものでございましようか、私は少しく疑問のように存じております。ただ併しながら、これは決して私共が勧告に対して責任を持たんとか、諦めておるとかというような趣旨ではございません。一体あのような勧告の制度、或いは国鉄の裁定でも同じことでございまするが、あのような中立性を持つております機関に、或る一つのことを決めることを委任いたしましたり、或いは勧告をすることを委任いたました場合には、その裁定なり勧告というものを最大限度に尊重するということを前提として、初めて法律は動いて参るものだと考えております。従いまして人事院が未だ勧告しません先から、内閣側におかれまして、もうベースは上げないのだということを頻りに申されますることは、これは人事院といたしましては甚だ不満であることは、岩間さんと恐らく同じ考えだと思つております。
  74. 岩間正男

    ○岩間正男君 それは今までもお聞きしておつたのであります。人事院は非常に不満である。それで不満の形で今後いろいろ努力されるでありましようけれども、人事院そのもののやはり基本的な性格がここで問題にならなければならないと考えております。実際これは緩衝地帶みたいなもので、元は私たち労働運動をやつておりましたときには、こういうものはなくして、直ぐに政府と直接団体交渉をやるということで問題は解決が早かつた。ところが実際人事院は期待した性格が出てないために、非常に却つて大衆を何と言いますか、惑わすというような性格になつておる。そういう点から考えて、これは淺井総裁としてどうですか、これに対して自分としてそういう職責を全うしないというような段階においては、進退問題のようなことについて考えられたことがありますか
  75. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 私はこの勧告の趣旨を貫徹するためには、国家公務員法において許されておりまするところの十分な責任を果して参つたという考えは持つておる次第であります。ただ行政権は内閣にあり、国務大臣は連帶して国会に対して責任をとつておられますし、人事院の勧告は何が科学的な給與であるかということを決めるということでございまして、財政上の立場はこれは国会及び内閣の責任でございまして、これはどうぞ岩間さんの一層の御盡力を得たいと思つております。
  76. 岩間正男

    ○岩間正男君 総裁は非常に自分の力を謙遜されて言われたのでありますが、無論これは組織の中における一総裁の力の問題でありますから、その点はこれは議論して見ても始まらないと思うのでありますが、併しやはり今労働者生活は、殊に官庁労働者生活は窮迫しておるのでありますから、この点もう少し徹底的に人事院がそういう職責を全うするということを私は希望したいと思います。もう一つ簡單にお伺いいたしますが、年末賞與の制度制度化しようというようなことを政府が言つておる。それで今金官の諸君達が給與改訂のために立ち上つておるので、これを何とか紛らわす方法だというように考えるのでありまするが、増田官房長官なんかの話では、これは大蔵委員会において、今年度の年末資金の問題のときに私は質問したのでありますが、そういう給與体系については変更しない。給與体系については変更しないという考え方でありますが、人事院は若しそういうふうに政府が年末賞與の制度というようなもので、この問題自体を非常にごまかして来るようなことになると、給與体系は非常に混乱して来ると思いますが、この点についてどういうお考えを持つておるか、参考までにお伺いしたい。
  77. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 賞與の問題についてお尋ねがございましたが、只今問題になつておりまする賞與ということには、二種類あるように思つております。第一種はいわゆる御褒美の意味の賞與ということでございまして、これは個人的に出すもので、そのような賞與ではなくて給與として一般的に與える賞與、例えば年末手当のごときもの、そういうものをお指しになつたと心得ておりますので、その意味でお答えを申上げたいと思つております。一体この賞與というものはこれは我が国においては従来民間におきましても一般にわれていたものでございます。これは封建時代にも下級の侍は賞與というようなものを持つていたのでございまするが、人事院といたしましては、この窮迫しておりまするところの公務員が如何程でも給與がよくなるというのなら反対すべき理由はございません。併しながら、只今政府のお考えになつておりまする賞與は、ベースを上げないから給與を出すのだ、ベースを上げられないからもつと少ない金のいわゆる涙金で賞與を出す、こういうようなお考えでございますれば、人事院としては反対でございます。人事院といたしましては、そのようなお金がありますればこれは給與の改訂に振向けられることが最も正しい行き方であろう、かように考えておりまして、昨年末の賞與の問題につきましても、そのような見解を持して参つたのでございます。
  78. 藤田芳雄

    ○藤田芳雄君 丁度給與の問題が出ましたので一点お伺いしたいと思うのですが、又賞與の問題についてもお聽きしたいと思いますけれども、今お話がありましたから重複を避けます。やはり政府のお話の中にべースを上げることはできないが実質的に給料を増してやりたいと思う、まあ能率給というような意味合において実質的には七千四百円くらいまでは今の予算のままでやつて行けるのだということをしばしば言うていられるのですが、一体そういうような形でベースは六千三百円べ一スであるのに実際において七千三百円ベースでやつて行けるということを言明しておられるのですが、それはどういう形において出そうとしておられるのか、或いはそういうことが可能なものであるか、その点人事院総裁からお聽きしたいと思います。
  79. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) これは実は私からお答えをするのは如何かと思つております。人事院といたしましては、そのような見解を表明いたしたことはございませんので、どのような基礎で内閣側において申されましたか分らないのでございまするが、ただ掛り合いがございまするからちよつと申上げ上いのでございまするが、ベースは上げられないが実質賃金は七千四百円まで上げるということは如何でございましようか。私の解釈いたしまする実質賃金と申しまするのは紙幣を拂うことではなしに、或いは生活必需品の値段が落ちますとか、或いは電車賃が下りますとか、或いは医療設備がよくなりますとか、そのようなことが実質賃金であろうかと思うのでございまして、七千四百円まで実質賃金を上げる、賞與のようなものを出して上げることになりますると、やはり現金の支拂というものの形が出まするから、これはいわゆる実質賃金ではないように思うのでざいまするが、この点は如何なものでございましようか。  それからこの能率に従つて拂うということでございまするが、一体この能率の測定、フィシェンシー・レーディングというものは非常にむずかしいものでございまして、国家公務員法でそういう制度の採用を人事院が立案し、やることになつておりまするが、まだその緒についていない状態でございますから、こういう場合に能率のよきものに賞與を與えると申しますると、それが非常に科学的に、合理的行えるものでございましようか、この点は論議があるように思つておりますが、ただこの只今お示しのこと自体の説明は、これは一つ内閣側からお聞き願いたいと思います。
  80. 山本勇造

    委員長山本勇造君) ちよつと質問の途中でございますが、今伺いますと淺井総裁は十分程で司令部に行かなければならないことになつております。ですから勿論皆さんの御質問はできるだけして頂き、又総裁にもできるだけ答弁して頂きたいと思いますが、今の事情でありますからちよつとそれだけ断つて置きます。
  81. 藤田芳雄

    ○藤田芳雄君 ただ一点、今のお話を総合いたしますと、そういたしますと実質的に上げるということは、給與の面においては不可能である、但し他の税とか、或いは物価の面においのものならば可能であるというように解釈して差支ないのでありますか。
  82. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) ちよつと私の申上げた趣旨と違うのでございまするか、私の申上げましたのは実質賃金という言葉の意味を申上げたに過ぎないのでございます。私は将来内閣の努力によりまして、実質賃金が漸次向上するということは、私は信じて疑わないのでございます。ただ非常に現在の公務員の生活というものが窮迫いたしておると、こういうことであります。
  83. 河野正夫

    ○河野正夫君 委員長ちよつと……
  84. 山本勇造

    委員長山本勇造君) ちよつと……。前に通告者があるのですがね。とにかく時間がないですからね……では河崎さん。
  85. 河崎ナツ

    ○河崎ナツ君 人事院総裁にお伺いいたしますが、先程お話の地域給のことにつきましての御意見につきましては非常に結構で、その差が余りないし、本給の方を上げたいと思います。これはもう非常に望ましいことでございまして、是非そのことについて一層その方向に御努力を願いたいと思うのでございますが、地域につきましてそう差がない、二割程度最高は……。そういうふうなわけで小刻みにして行くと、その改訂の運営の仕方でございますね、運営の仕方におきまして、今までですと奉職地の、学校中心の運営の仕方でございましたが、そのことのために六大都市の周辺の各府県の教員がこれはもう全く電車の便利がありますと、そちらの方に皆移つてしまいまして、奈良県の実例を御覧になりましても、和歌口県の実例でございましても、その他六大都市周辺のところは非常に混乱をいたしておりまして、教育を脅かしておるのでありますが、その運営の仕方におきまして、そういうふうな教員の住居を中心としての地域給と申しましようか、今までは奉職地の学校を中心としてのあれでございましよう。そういう問題につきまして反対の場合の、今申しましたような場合につきましては運営の方の、そういうことの考慮は如何なものでございましようか、お考えの中にございましようか、一応お伺いいたします。
  86. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) これは勤務地で一括いたしますか、居住地で一括いたしますか、どつちか一つしかとれないので、只今のところは勤務地でとつておる。それは運営の問題でございますが、これは実は説明をし落しましたのでございます。どこの地域はどれだけの地域給を與えますということは、これは国会議員各位におかれましても非常な関心をお持ちになつておることであると思います。そこで人事院といたしましては、これを人事院独断で決めることは止めまして、法律案の形でやりたいと思つております。従いまして別表のようなものができまして、丁度選挙法の別表のような形で、どこの地域に幾ら配るというような法律案を国会に提出いたしまして、十分国会で御議論を願う。まあこういうふうに考えております。
  87. 河野正夫

    ○河野正夫君 私のは極めて簡單ですが……、ベース改訂はやらんという政府の、増田長官あたりの労働組合に対するいろいろな話合いの中にしばしば本年度は超過勤務の予算が昨年よりは四割も殖えておる云々と、そのような万両で給與の実質を上げて行くというような説明をされる。ところが公務員である教職員も、又地方公務員の教職員も超過勤務ということについて完全な裏付けがないわけであります。そこでこれは何も今増田長官の言明が云々というだけでなくして、事実上超過勤務というものは必要な規定だと思うのでありますけれども、これらについて人事院は教職員の場合における超過勤務について、何程か具体的に出し得るような法律改正を勧告する用意があるかどうか。その点を伺つて置きます。
  88. 淺井清

    ○政府委員(淺井清君) 教職員の超過勤務についてのお尋ねでございますが、先ず一般的に申上げますれば、私はその時間外の勤務がない方が本筋だろうと考えております。併しながら止むを得ない場合に限つて時間外の勤務というものが出て来るわけでございますが、若しも時間外の勤務をいたしました場合には、必ずそれに対して超過勤務の手当を拂うことは給與法の命じておるところでございます。殊に罰則の規定を見ますれば、拂うべきものを拂わなかつた場合、拂つてはならないものを拂つた場合、いずれも罰則の適用はあるのでございます。ところが従来見ますと、どうもこの給與法の趣旨が忘れられ勝ちでございまして、超過勤務をさせて置きながら、実は予算がないから、これだけの時間しか超過勤務が拂えないと、こういう事例がしばしばあるということは、人事院といたしましては非常に不満でございます。でございますからして今年度超過勤務手当が殖えましたことは誠に結構なことだと思つておりますが、一体その超過勤務手当というものは超過勤務のないのが望ましいのでございますが、若しやりました場合には必ずやつただけ拂うべきだ。その趣旨から人事院といたしましては、新たに給與法の制度を採用いたしましたが、この給與法の制度を採用いたしますとそれがはつきり出て来る、こういうふうにいたしまして改善いたしたいと思つております。さて次の教員の超過勤務の手当でございますが、これはまだここではつきりとお答え申上げることができないのを残念に思うのでございますが、裁判官の場合は超過勤務手当は拂わないということが法律上明記されておるように記憶いたしております。ところが教員につきましては、そのような基礎はないように思つておりますが、この問題は一つ文部省とも相談の上で善処いたしたいと思つております。最近そのような要求が人事院にもなされておることは、多分御承知通りだと思います。
  89. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それではこの問題に対しては、尚まだ御質問がおありだろうと存じますけれども、給與問題に関する緊急質問は今日はこの程度にして置いて頂きまして、文部大臣が先程からお待ちのようでございますから……
  90. 河野正夫

    ○河野正夫君 淺井総裁のお帰りのことには異議がありませんが、尚超勤のことについて文部大臣に一言だけ承わりたい。よろしうございますか。
  91. 山本勇造

    委員長山本勇造君) そうでございますか、それでは緊急質問を、それについて一言だけ……
  92. 河野正夫

    ○河野正夫君 では文部大臣にお伺いいたします。今淺井総裁のお答えの通りで、この淺井総裁の起動に対する御解釈は、全くその通りだと私も賛成するものであります。さてそういたしますと、中央というか、国立又は公立の学校教職員に対して超過勤務を命ずるということ自体が、超過勤務手当を支拂わないで置いて命ずるということ自体は、非常に不合理だということになるのですが、この点について第一どうお考えになるのか伺いたい。  その次に政府の要路の方々がしばしぽ給與ベース改訂に関連して、改訂はせんけれども、超過勤務手当等を殖すことによつて収入を上げるような方策を講ずると、こういうことを言われておるのでありまするが、何十万もの教職員を抱えておる文部省といたしましては、これは他の官庁とは違つてそういう超過勤務の予算というようなものを多額に持つていない筈であり、更に昨年来御承知通り定員定額制等々のことで、むしろ予算定員よりも上廻るくらいの実人員を持つておる状態では、その予算の残というものもない。そういうふうな場合に増田長官が労働組合の諸君に言明するような意味の財源というものを持たない。こういう場合に一体どうなさるおつもりであるか、この点を承わりたい。
  93. 高瀬荘太郎

    ○国務大臣(高瀬荘太郎君) 教員の超過勤務の問題につきましては最近いろいろと申出もあり、文部省としてもいろいろと研究をいたしております。私の承知しておる範囲におきましては、只今淺井総裁のおつしやつたように、超過勤務を認めて、超過勤務手当を出すことを禁ずるという法律は教員についてないというわけでありますが、大体今までの考え方といたしましては、教員については超過勤務は認めないんだと、そういう建前で以て一般的に扱われて来たようであります。従いまして予算上におきましても、教員については超過勤務の措置が講ぜられないと、こういうことが一般的の今までの扱い方であつたと思います。それと関連しまして、その代りに教員については俸給の扱いについて二号俸くらい特別の扱いもするんだと、こういうことも言われて来ておる。それが併し超勤がないために特にそうなつておるという意見と、そうでない、教員については研究費とか、研修費とか、そういう意味で以てそうなつておるんだと、こういう意見とあるわけです。ですからその点をはつきりしないと問題が解決できない。今まで超勤がないためにこうしているんだという意見が非常に強いのですから、この点をはつきりさせるということが必要だと思います。それから起動を教員についてはつきり考えられなかつた根拠は、先程もちよつと触れられましたように、一般の行政事務官と違いまして、仕事の性質上超勤ということを如何にして考えるかということが可なりむずかしい條件になつて来ておる。ですからこれも十分検討しなければならん。それらの点を十分検討いたしまして、教員についても一般行政事務官と同じような意味において超勤というものが認めらるべきであるという、はつきりした根拠が立てば、そこで私の方は人事院、大蔵省と十分具体的な折衝をしたい、こういう考えでおります。
  94. 山本勇造

    委員長山本勇造君) そうすると、給與問題に関する緊急質問はこれで一応打切りましてよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  95. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは次に、学校教育法の一部を改正する法律案の提案理由を文部大臣からお聽きしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  96. 高瀬荘太郎

    ○国務大臣(高瀬荘太郎君) 只今議題となりました学校教育法の一部を改正する法律案につきまして、その提案理由及び内容の骨子を御説明申上げます。  この法律は、従来学校教育法規定のなかつた大学の名誉教授に関する規定をあらたに設け、又高等学校の定時制過程及び各種学校に関する規定を整理する等の必要に基きまして、学校教育法の一部について所要の改正を行うものでございます。  名誉教授に関しましては従来は、官公立の学校についてだけ單行の勅令で規定されておりまして、規定の仕方も現在では不適切と考えられますので、この際これを称号として広く国公私立の大学において一定の要件に該当する者に対しまして、当該大学の定めるところに従つて授與できるようにしたものでございます。  次に高等学校につきましては、その定時制課程の定義を明確單純化し、修業年限を一般の場合には三年、定時制の場合には四年以上と定めた外、必要に応じて、養護教諭、助教諭及び技術職員を置くことができるようにする等、高等学校の実情に応じまして、所要の改正を行いました。、  第三に、各種学校につきましては、その定義を明確にすると共に、認可を受けていない事実上の各種学校を学校教育法規定によらせることについて必要な改正を行いました。  以上が、本法案の提案理由及びその内容の骨子でございます。どうか、十分に御審議頂きまして、速かに御可決下さいますようお願いいたします。
  97. 山本勇造

    委員長山本勇造君) もう一つ法案が出ておりますが、それも一諸に説明して頂いた方が便宜だと思いますから、次に図書館法案の提出理由を文部大臣からお聽きすることに御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  98. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それでは高瀬文部大臣。
  99. 高瀬荘太郎

    ○国務大臣(高瀬荘太郎君) 今回政府より提出いたしました図書館法案について御説明申上げます。  祖国再建の途上において、社会教育の占める役割の重大さは今更申上げるまでもありません。終戰後我が国において学校教育制度の改革を見たのでありますが、新憲法に保障する教育の機会均等の実をあげ、国民の教養の向上を期するためには、学校教育と相待つて社会教育の画期的振興が行われなければならないのであります。昨年六月社会教育法が制定公布されましたのも正にこの趣旨によるのであります。而も民主国家における社会教育の実施は、飽までも国民の自主的な立場を尊重して行うべきものであります。それ故社会教育法においても国及び地方公共団体は、国民があらゆる場所、あらゆる機会を利用してみずからの教養を高め得るような環境を十分に整備する任務を持つておる旨が規定せられているのであります。  図書館は、このような意味における社会教育機関として極めて重要な地位を占めているのでありますが、我が国における図書館の現状は、欧米先進諸国のそれに比して尚極めて不十分を免れないのであります。従つてこれが健全な発達を図るための法的措置を講ずることは各方面からの要望となり世論となつておりました。  社会教育法におきましても図書館に関してはその重要性と特殊性とにかんがみ別に法律を以て定めることといたしておりました。  政府はその後鏡意研究を進め、ここに図書館の設置及び運営に関する基準及び奨励方法等を規定する図書館法案を提出することになつたのであります。  次にこの法案の骨子について申述べます。  第一に、この法律案では、社会教育法の精神に基き新時代にあるべき図書館の真のあり方を明示して、国民に奉仕すべき機関としての図書館の性格を明確に規定いたしております。  第二に、図書館職員の養成のために必要な措置を講じたのであります。従来我が国においては、図書館活動の不振の原因一つとして職員養成の不備を指摘するととができます。元来図書館が土地の事情及び一般公衆の希望に応じて十分にその機能を発揮するためには、これに従事する職員に必要な識見と技能とがなければなりません。  それにも拘わらず、我が国においてはこれら職員を養成すべき措置を欠いていましたので、本法案においては、この職員養成の制度の確立を図ろうといたしております。  第三としては、図書館に対する国庫補助のことであります。  現在公立図書館は約一千三百九十館の設置を見ておりますが、いずれも財政的に苦労しております。そこで本法案におきましては、できる限りその運営に対する財政的援助をなし得る道を開き、図書館が新らしい時代の社会教育の機関として十分な機能を発掘できるように定めております。  第四は、私立図書館についてであります。私立図書館は我が国の図書館活動において、今日まで大きな貢献をいたして参りましたが、今後におきましても、その健全な発達を大いに期待しております。そこで本法案においては、その独自性を尊重し、その自主性を確保するために、これに対して不当な統制干渉を及ぼしたりするようなことのないように規定いたしたのであります。  以上本法案の提案の理由とその内容の骨子について御説明いたしましたが、この図書館法案が成立しまして図書館に法的根拠が與えられますならば、我が国図書館機能の充実のために資するところ甚だ大きいものと存じます。  何とぞこの法案の必要性を認められまして、十分御審議の上速かに御賛成下されるようお願いたします。
  100. 山本勇造

    委員長山本勇造君) 今日は政府から新たに三つの法案が提出されたのでありまして、大臣からその提案の理由の説明がありましたが、尚更に補足的な説明が必要なのではないかと思います。支皆さんの方でもいろいろ御質問があると思いまするけれども、今日は午前からぶつ通しでやつておりまするから、それらの点は如何でございましようか、次回に譲りましたら如何かと思いますが、御異議がございませんければ今日はこの程度で散会いたしたいと思いますが……    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  101. 山本勇造

    委員長山本勇造君) それではこれで散会いたします。    午後二時五十三分散会  出席者は左の通り。    委員長     山本 勇造君    理事            若木 勝藏君            岩本 月洲君            木内キヤウ君            藤田 芳雄君    委員            河崎 ナツ君            河野 正夫君            岡崎 真一君            大隈 信幸君            星   一君            梅原 眞隆君            堀越 儀郎君            三島 通陽君            岩間 正男君            鈴木 憲一君   国務大臣    文 部 大 臣 高瀬荘太郎君   政府委員    人事院総裁   淺井  清君    文部事務官    (文部大臣官房    総務課長)   森田  孝君    文部事務官    (大学学術局    長)      剱木 亨弘君    文部事務官    (社会教育局    長)      西崎  惠君   事務局側    常任委員会專門    員       岩村  忍君   法制局側    参     事    (第二部第二課    長)      杉山專一郎君   参考人    天 文 台 長 荻原 雄祐君    明治大学教授  藤澤 衞彦君    早稻田大学教授 吉村  正君    リーダースダイ    ジェスト日本支    社長      鈴木文史朗君    文部省初等中等    教育局長    稻田 清助君    日本ペンクラブ    幹事      豊島與志雄君    東京大学教授  宮澤 俊義君