○
参考人(宮澤俊義君) 私の
結論は
只今豊島さんのおつしや
つたここと全然同じでありますから、
只今豊島さんのおつしやいましたことは全部そのまま私の
意見でもあるというふうに御了承願いたいと思います。
元号の
制度は
日本で長らく慣習として行われておりまして、
明治元年に先程の
お話のように
一世一元という原則が確立いたしました。それまでは必ずしも
一世一元ということは確立していなか
つたのでありますが、あれ以来
一世一元になりました。そして新
憲法成立と共に、
皇室典範の
規定もなくな
つてしま
つたわけで、私の
考えでは
明治憲法及び
皇室典範がなくな
つたときにやはり
一世一元の原則というものは消滅したんじやないかと
考えております。それ以後
元号は行われておりますが、これは前からの慣習でありまして、
従つてその
元号はいつ変えなければならないか、或いは変えてもいいか、或いはそのときに誰が変えるかというようなことについてほ、
皇室典範は、一世1元で、それは
天皇がかくかくの手続でお定めになるということはちやんと決ま
つておりましたが、あれがなくな
つたんだから、結局その点は全然
規定がないわけで、私の
考えではやはりこれは一般の標準となるべき度量衡とか、その外の問題と同じように、今日では
元号は、今使
つておる
制度を若し改めるとすれば、国会が
法律を以て決めるのが当然であると思うし、
従つて現在の状態は、
法律的に言いますれば、国会が新
憲法成立によ
つて今まで慣習として行われておるこの
元号を変えるなりどうするなり自由になし得るわけであります。
従つて今仮に
天皇崩御というようなことがありましたとしても、少くともそこで変えなければならんというわけではないわけで、万事が国会で自由にお決めになることができる、こういう状態だろうと思います。これは現状の説明なんであります。
それで現状をどう改めたらいいかということは、先程豊島さんがおつしや
つた通り、私は
一世一元という
制度は無論今認められておりませんし、それを離れて
元号を認めるということは、その前に帰えるわけですが、これはどう
考えても
理由はないと思いまして、
元号の
制度は須らく廃止すべきもの宅はないか、こう
考えております。
それを変えてどうするかというと、変えますと結局
西暦を使う以外に
方法はなかろうと思います。
年号の問題は、先程鈴木さんもおつしやいました
通り、結局年の呼び方でして、やはり便宜の問題なんです。年を
西暦の
紀元、或いは
日本の
紀元のような数え方をします場合に、どこから起算しなければならんかという理窟は、極端に言えばないわけであります。どこからか勘定しなければ番号は付かんから、便宜付けるというだけに帰着するわけでありますから、若しも
世界諸国がこの際全部共同して、今年を元年としてこれから数える、以前は全部
紀元前として数えようということに若し
意見が一致するとすれば、それはそれでも少しも
差支ないと思います。併しそれよりもたまたま
西暦が今日広く行われ、ソ連などでも行われておるというような現状に鑑みて、それに合流するというのが一番合理的であり、且つ実際的じやないか、こういうふうに
考えておるのでありますが、そうしてそういうふうに国会で改正せられることを私としては希望するのでありますが、ただその点につきまして、
法律なり国家なりが
元号の
制度を廃止するということの
意味をやはり
国民に十分周知させる必要があるんじやないかと思います。その
元号は度量衡のようなものでありまして、一定の公の標準を決めるというところに
意味があるのでありまして、それと違うことを個人が使うことは少しも
差支ない。従来
元号の
制度がありましても、多くの人は
西暦を使
つておりましたし、又私の知
つておる
明治時代の研究家で、
明治に非常に愛好を持
つておる或る入は、年賀状に
明治八十年元旦というような年賀状を寄越しますが、それでも少しも罰せられるわけでもなく、又そう書いたからとい
つてこの
年号が
法律的な効力を持
つたわけでも何でもないのでありますから、従つ工私は冗談に、或る俳句を作る人達は芭蕉何年というようなことでお互いの集まりの通知をし合
つたりしたら面白いなどと申しておりますが、そういうわけでありまして、仮に
年号の
制度が廃止され、
西暦を採用するということになりましても、結局これは公の標準ですから、公の
関係においてはそれが標準になるというだけの話でありまして、そうでない私の
年号、昔から私の
年号が大分あ
つたようであります。今例えは熊澤
天皇の
年号というようなものがありましても、別に違法でも何でもないということをやはり
国民によく分らせる必要があるんじやないか。そうしませんと今後
昭和何年とい
つたら直ぐに違法になるんじやないかとい
つたような
感じを與えることは適当でないように思います。それと同時に、若しもそういう標準が公に決まりましたならば、国会あたりは率先してそれを十分に徹底して使用して頂きたいと思います。例えばこの間公職選挙法案というものが衆議院に出まして、こちらへ参
つておるかどうか知りませんが、
ちよつと拜見しましたところが、或る
規定には、ポスターは、タブロイド型(長さ何センチメートル、巾何センチメートル)というようにメートル法で説明してございましたが、外の條文を見ますと、選挙当日は、投票所の入口から三町以内には事務所を設けることにできないなどというように、ちやんと「町」なんという字を使つであるのです。これも別に
法律的効果には何も変りはありません。それで役に立ちますが、若しも公の
法律として国会でお定めになる
法律には公の標準をお使い下さることは、これは蛇足でありますが、
ちよつとお願いして置きます。