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1950-01-31 第7回国会 参議院 文部委員会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年一月三十一日(火曜日)    午後一時四十四分開会   —————————————  委員氏名    委員長     田中耕太郎君    理事      若木 勝藏君    理事      松野 喜内君    理事      木内キヤウ君    理事      藤田 芳雄君            河崎 ナツ君            河野 正夫君            左藤 義詮君            小野 光洋君            大隈 信幸君            岩本 月洲君            梅原 眞隆君            西田 天香君            堀越 儀郎君            三島 通陽君            山本 勇造君            岩間 正男君            鈴木 憲一君   —————————————   委員の異動 十二月二十日委員岩間正男辞任につ き、その補欠として中野重治君を議長 において指名した。 十二月二十一日委員中野重治君棄任に つき、その補欠として岩間正男君を議 長において指名した。 同日委員岩間正男辞任につき、その 補欠として中西功君を議長において指 名した。 一月二十四日議長において岡崎真一君 を委員に指名した。 一月二十八日委員中西功君辞職した。   —————————————   本日の会議に付した事件 ○派辞議員報告   —————————————
  2. 木内キヤウ

    理事木内キヤウ君) ではこれから開会いたします。
  3. 三島通陽

    三島通陽君 私共九州文化施設並びに文化財視察のために、一月十二日から二十一日まで九州地方に参りました。一行は松野委員と私と、それに竹内專門員が行かれました。九州福岡県と鹿兒県宮崎県を視察する予定でありましたが、途中で時間がございましたので、熊本県、大分県というものを加えました。そこでこの報告松野先生がなさる筈でございまして、私は特にその中の文化財方面だけを附け加えて御報告申上げる筈であつたのでございます。  先ず、先生がまだ出席になりませんので、私が先に文化財の方を御報告申上げます。  順序が後先になりまして、私の報告はむしろ松野先生の附け足しなのでありますが、その附け足しが先に御報告をいたしますことは如何かと考えますけれども、時間の関係で止むを得ず先に文化財でけを申上げることは御了承おき願いたいと存じます。  御承知のように、九州地方には余り国宝というようなものの大きなものが少いのでごいます。従つて一般にこの国宝保存とか、或いは文化財保存というようなものに対しまして、九州の方方も余りそう関心がないのではないかというようなことが感じられますし、又九州地方官庁関係におかれましても、少しくそういう感がなきにしも非ずというような感がいたしました。特に今度参議院におきまして、文化財保護法が上程されるということは新聞等承知しておられますが、それに対する関心というようなものも、余り役所方面でも持ておられない。従つて文化財の方に余り十分な手が行届いていないというようなことを感じるのでございます。併し福岡には多少国宝仏像等があるのでありますが、これが皆斉しく、そのお尋の建造物国宝でなくてその中の仏像国宝であるというようなものばかりでございます。従つてお寺国宝でありませんから、これに対する国庫補助もない。そうするとその檀家というようなものもお寺を十分支える力がない。従つて屋根が毀れ、雨が漏つて国宝が非常に痛んでいる。そのことをそこの住職とか、或いは国宝関心を持つておられる人が非常に心配をしておられますが、さてその謙造物を直すというには莫大な金が要るのでありますから、それを出すことができない。従つて放置したままになつておる。従つてその国宝がどんどん雨曝しのようになつてつて痛んで行くという状態が非常に多いのです。これが今度文化財保護法が出来ますと、官費保存というようなことができますから手が入れられますけれども、現在ではそこまで手が伸整ないという状態であります。この点は大いに考えて行かなければならないことと、こういうふうに考えます。  そこで福岡県で先ず東光院というお寺を見たのでありますが、そこには国宝指定仏像が二十五体もございます。そうした一ケ所に多くの国宝が集中しているという所は、九州では他にないというような場所であります。然るにこのお寺附近は人家が密集いたしておりまして、従つてこの防火施設というようなものが必要になつて来るということを痛切に感ぜられるのでありますが、これがさつき申上げましたような理由で、どうすることもできないという現状であります。  それから観世音寺、ここにも二十四点の国宝、重美があります。これはこれを收めておりまするのが金堂講堂でありますが、これが非常に白蟻の害が甚しくて、いつ倒れるか分らんような状態でございます。修理費がこれで五十万円くらいかかるのでありますけれども、今申上げましたような建造物そのものが、それが国宝でございませんので、国家ごこれに対して何ら手を加えないという状態でございます。若し今度の文化財保護法等におきまして、これが、国家がこういうものに対しても環境保全というような意味で多少の補助ができるということになれば、県庁の方も大いに考えるし、又地元民衆も眼が初めて開いて、これに応援をするであろうということが、まあ考えられるのでありまして、文化財保護法が一日も早く完成、通過されることを我々は祈つたわけであります。それからその脇には太宰府の跡があります。これは史蹟としては大変大切な所でありますが、引揚者がその土地を耕作しておりまして、土台石のようなものを、あつちに動かし、こつちに動かすというふうになつておりまして、大変史蹟が乱れつつあるというような現状であります。この点は、こういうようなことも、もう少し史蹟保存というようなことを、民衆一般も頭をそつちに向けて貰いたいし、又官庁もそういうふうに考えて貰いたいし、従つてそうなつて来れば、こういうものもどんどん整備されて来るのじやないか、できればそういうような所に、我々希望といたしまして、昔の太宰府がこのように出来ていたという模型でも作つて置いておくとか、銅版で図面みたいなものをそこに備えておくということにして、そこに訪ねて来た昔を偲ぶ人達が、そういうものを見て、ああ昔はこういうものであつたかというように思い出させたらいいと感じました。太宰府の天満宮は国宝でありますが、この建造物は非常な白蟻でありまして、見たところは塗つてありますから、ちよつと分らないのでありますが、裏から見ますと、もう非常に危險に瀕しております。これは多少の補助金が、今回の予算の中に組まれておるそうでありますので、早くそういうものを修理して、こういうものがなくなつてしまう前に何とかいたしたい、こう考えられます。  それからこれはプログラムになかつたのでございますが、次に熊本県に参つたのでありますが、熊本県に特に参りました理由は、熊本城を見に参つたのでございます。これはこの前文化財視察中野重治君が行かれまして、大変中野重治君は、これに対していい報告をせられました。と申しますのは、その建物の櫓の外に、何というのでしようか、宇土櫓の方は修理が完成しているのでありますけれども、倉庫のようなものがあります。これが非常に荒れておる。ところがこの倉庫は、一見すると何でもないもののようでありますが、これは建築学上からは非常に面白いものでありまして、日本の城の建築の、こういう倉庫というようなもの、又この倉庫の中から銃眼のようなものがありまして、城の建築物としては一つのティピカルのものであると思うのであります。こういう建築も、これが日本の最後なんであろうと思うので、こういうものを取つておきたいと思うのでありますけれども、これに対する関心というものが全然ないと言つていいくらいなのであります。櫓の方だけは大層手を入れて修理が出来ております。この点は心配ないのでありますが、これが櫓の中にはいろいろ人形だとか、写真だとか沢山飾つてある。それを行つて見たときの感じは、むしろ櫓の中にお人形だの写真だのというものを、側にあるところの倉庫建築学上は非常に面白い倉庫の方に移して、倉庫の中で展覧をするということにしたら、倉庫自体建築的に修理保存ができるし、而も写真とか、お人形とかいうものも展覧できるのじやないかということを考える。というのは、櫓の中にそういう写真だの人形がありますと、建築美というものが非常に薄らぐという感じがするのであります。それですからそういう櫓自体建築的に非常に面白いものであつて、これはこのままさつぱりと、そういう中にいろいろなものを飾らない方がいい。倉庫の方を十分に金を出して、これを修繕して頂きたい。日本でもこういう建築というものが少くなつてしもうのじやないかということが考えられるし、これは中野重治さんも言われましたけれども、沖縄の人々が、一時避難民が入つておりまして、中でやはり火災を起しかけたような場所も発見します。未だにその附近沖縄避難民のような、難民と言いますか、そういうような引揚者みたいな人が住つておられた。住むに家なくおられるのでありますが、非常に火災等危險だと思うのであります。こういうものも早く整備をして頂きたいということを、もう一度ここで、こういうことは中野重治君が十分言われましたけれども、今の展覽のことは言われませんでしたので、こういうことも我々は何とか注意を喚起したい、こう思つて来たわけであります。  次は鹿兒島県でありますが、鹿兒島県では、余り史蹟のようなものは見ませんで、一つ国分寺跡だけがありました。国分寺の跡は、やはり保存計画がありますが、これも石を持つて行かれたりなぞいたしまして、土台が非常に分らなくなつておるという状態でありますが、これは県庁及び川内市あたりで段々保存して行きたいという計画はあるようであります。併し若し今度の文化財保護法等で、国家がこういうことに関心を持つて下されば、地元及び県庁もできるだけのことを併せてしたいということを言つておりました。  それから鹿兒島で主に見ましたのは天然記念物なんであります。ここでこういうことを我々が強く感じたのであります。一体天然記念物保護するということと、土地開発とか、或いは土地発展計画というようなものとの間に衝突する場合が出来て来ることがある。そういうような場合に、どうして両方を成立さしたらいいかということを、我々がもつと関心を持つて勉強すべきだということであります。その現れの一つは、出水郡荒崎の田圃に鍋鶴が沢山来る所がありまして、この地方大変鶴が来るので有名な所で、天然記念物指定をされておるのでありますが、その鶴が段々集つて来て、田畑を荒して困るというのでございます。そこで荒崎田圃辺りに参りましたときは、鶴が非常に連なつておりまして、側から收穫物を、或いは蒔いたばかりの麦を荒しておるというような所を目のあたり見まして、そこで農民の諸君は、ここをどうぞ天然記念物指定地から解除して頂きたいという希望。一方一緒に行かれた学者方々は、これは困る。この鶴はどこまでも保存して行きたい。而もその鶴が飛んで来るのは短期間であるから、これは昔は鶴に餌をやつたものだ、餌をやらないので、鶴はこういう田圃を荒らす、だからなんか外に方法を考えて、やはり天然記念物として鶴は保護したいという考えであります。又ここへ動物園長も来られましたので、そういう方々の意見も聞いて見ました。そこで私共の考えましたことは、然らばそんなに邪魔にならないように、田圃一定地区に鶴を集結させ、フィーディングいたしまして、例えば餌をやりまして、そうして天然の鶴をそこに馴らして、或る一定地区に集結させて、そこだけを天然記念物指定地として、後は天然記念物指定地を逐次解除してやるというのがよいじやないか。そうすれば農民も満足しましようし、又学者達或いは観光の上から見ても満足するのではないか。両方立てるということでありますが、さて野生の鶴を一定地区に集結させるということは非常にむづかしいと思います。併し日比谷辺りでもおしどりや鶴があんなに安楽に泳いでおるのは、やはり野生の鳥と雖も、ここは安全だということを彼らの生活感知つて、そういうように自然に訓練されるのでありますから、そういうことはできないことじやない。而も学者動物園長も、若しそういうことが許されて、国家の方で或る程度面倒を見て頂けるということになれば、それは学問的な研究のテーマとしても面白いから、少しそういうふうにやつて見たいということを言つておられました。但しこれには相当の時間がかかるから、その時間のかかる間は、いきなりその地方天然記念物指定地を解除するということでなくして、逐次そういう習慣が野生の鳥に出来てから然る後にやれというようにしたらどうだろうか。それには相当の施策を要するのじやないかということであります。こういうようなことも将来我々がこの文化財保護して行く上におきましてはいろいろ考えなければならない問題であると思います。  これはその一つの例でございますが、例えばこの外に血條海苔という大変珍らしい海苔がございます。これも天然記念物でありますが、これは余りどこにもない海苔でありまして、これは陛下もこの辺の御巡幸になりましたときに大変御興味をお持ちになつたという植物であります。ところがこの地方工場が出来まして、その工場から流れて来る水のためにか、血條海苔がまさに絶えなんとしておるのであります。これも非常に残念なことであつて学者方は是非これを一つ絶やさないようにして貰いたいという希望でありますが、これなども流れて来る工場の水をどこか外へ流すという工夫をちよつとしてやれば、これもできるのじやないかというような問題も、同様なことが言えると思います。  それから鹿兒島には薩摩鷄という鷄がございます。これは特に鴨池の動物園長が、この鶏の保近法を考えられて、いろいろ飼育をしておられる。品評会のようなものをやつたり、それの賞に当つた者には餌を配給をしてやるというような心配をしておられるようでありまして、私共の参りましたときも、薩摩鷄の珍しいのを集めましたが、これも鶏としては非常に品のよい面白い鷄でございます。一体日本鷄というものは今非常に世界各国注意の眼を以て見られておるのでありますが、日本の鷄は特別の特徴を持つております。それは形の美しさ、声の美しさ、それから声の、鳴くときのタイムというものが、非常にはつきりしておるというようなことや、その外世界の鷄の持つていない、いろいろの特徴を持つておる。人によくなつくとか、いろいろありますけれども、日本で農林省が白色のレクホーンとか、ロード・アイランド・レッドとか、プリマウス・ロックというような鷄を奬励いたしますために、こういう日本の鷄が殆んどなくなりかけんとしておる現状であります。殊に戰争中に餌がなかつたわけでありますので、そういう珍しい日本の在来の鷄を飼育していた人達が餌がなくて、だんだん飼うことができないで死に絶えてしまつというのが多いのであります。ところが終戰後アメリカ人達日本に来て、日本の昔からある鷄、薩摩鷄もその一つでありますが、土佐の長尾鷄とか、チヤボとか、それからその外東天紅というような鷄が大変珍しいというので、今天然資源局におられる学者研究して日本の鷄の絶えることを非常に惜んでおられるようであつてアメリカ辺りにも将来これが輸出できるのじやないかと考えられます。そんな意味でも、この薩摩鷄保存ということを将来どうしたらよいかという保存対策を考えなければならないと思うのでありますが、こういうようなものもいろいろ保護方法があるのではなかろうかというようなことを感じました。  それから宮崎県でありますが、宮崎県は青島に参りました。この青島は御承知のように熱帶植物あすこに繁茂しておるのでございますが、どうもここに来る人達は中を踏みにじる。そういう大切な熱帶植物保存さるべきものが踏みにじられており、風雨に曝されておるというようなことでありまして、こういうことも何とか考慮を拂つて貰いたいというようなことが、学者からも或いは土地の人からも言われておりました。  西都原古墳群、これは妻町にございますが、そこに参りました。この辺には今非常に沢山の古墳があります。而もこれは古墳展覽会のようなものでありまして、いろいろ各種の古墳を見ることができる。而もこの古墳がだんだん荒されておりますし、こういう古墳の中で何かテイピカルなものは、もう少し保護をして保存をして見たらどうか、又物によつては発掘もして学問的に研究したらどうか。又その発掘して出た物の記念館というようなものがあすこにはありますが、それらのものが今はすつかり乱雑になつておりますし、それから家も壞れかかつておる。これもどうすることもできないというようなことであります。こういうようなものを考古学上も何とか保護して、保存して行きたいものであるというようなことを申されました。  次は大分県でありますが、大分県は深田石仏に寄りました。これは先程も申しましたように、やはり中野重治君が見えられて、この前の委員会で大変より報告をやられましたので、私が附け足す何物もないのでございますが、この石仏は私も見ましたところはやはり非常に珍らしい、よい物であると思いました。私も余りこういう方面の学問はありませんので、これらはいつ頃の年代の物で、どんな国宝級の物であるか分りませんけれども、併しその中の一つの首なしの石仏などは、相当国宝級のものじやないかと、私は素人でありますが、私は思いますし、又そういう評判だということであります。今は国宝指定することが止つておりますので、これを国宝にはできません。従つてこれを保護することもできません。これは雨風に曝されており、附近は農作物が耕されておりますし、石が上から落ちておるという状態でありますし、御承知通り石仏は日間は非常に少いのでありますから、而もこれは芸術的にも大変立派な石仏のように思われますので、こういうようなものを何とか保護して行かなければならない。こういうことに対しても、土地の人もそれから県庁もどうも少しく関心が薄いのじやないか。中野重治君が行かれて、議会で大変よい報告をされたものでありますから、それから土地人達も余程こういう物も大切にしなければならないということを感じたらしく考えました。従つていろいろ心配をしておられるようでありますが、そこまで手が届かんという現状であります。どうぞ今度の保存法が出来ましたならば、こういうようなことにも自然と目にかけて、朽ち果てて行かんとする我が国の大切な文化保護財というようなものを、何とかできるだけ破滅することなく、少しでもとにかく我々の後継国民に伝えなければならないということを感じた次第であります。  その外石仏の帰りに私皆様から一日遅れて大分のやはり石仏を見ました。これも随分痛んでありますが、併し惜しいのは深田石仏であつて、芸術的には深田石仏の方がずつていいのじやないかというふうに思いました。  以上が大体九州を一廻りいたしました文化財に対する御報告でございまして、先に申上げましたので、大変後先になりまして恐縮でございましたけれども、丁度松野先生がお見えになりましたから、松野先生から他の御報告をして頂きたいと思います。
  4. 松野喜内

    松野喜内君 今回の九州班教育文化視察報告のうち、文化財方面については只今三島先生から御報告がありましたので、私は主として教育施設について、極めて概観の報告をいたしたいと思います。  第一は福岡県でありますが、一月二十三日正午福岡県庁におきまして、知事、教育委員長などと懇談いたしました。いろいろ参考資料を頂きました。それには福岡教育委員会構成覽及びその教育委員会の手によつて成りました有益な参考資料たる「福岡教育実態」なるもの、二十四年十一月発行、及び同委員会の手に成つておる「教育福岡」なる十月号を拜見いたしました。これによつて実情を承りました次第であります。私はこの種有益なる情報が、常に我々文部委員会の方の手に入るような、それで以て我々は国会において、それについて各地の実態を把握するような努めたいものであると感じた次第であります。  一月十四日、主として久留米市を中心といたしまして、教育施設視察を綿密に行いました。久留米金丸小学校、同じく第二中学校福岡学芸大学分校久留米聾学校九州大学二分校九州大学第三分校視察いたしましたが、その視察の結果について二、三申上げて見るならば、第一は六・三制の建設費でありますが、これは難航を重ねて来た六・三制の校舍問題も、今回の六十億の予算措置によりまして、教育関係者は初めてやや安心を得たといつた様子に見受けました。併し問題はその予算の配分問題にかかつておるようでありまするから、余程地方実情に即して行わなければならんと感じました。  二つには、県全体としては生徒一人当りの坪数は平均〇・九一坪で、全国の平均よりも優位にはありまするが、戰災都市の方は二部教教のが相当沢山ありました。県全体として見れば、二部教授をしておる学校は、中学で十九校あります。学級数にして二百六十六。大牟田市などは小、中学が三十校あるうちで、二十八校が二部教授をしておるといつた実情であります。  第三といたしましては、旧軍事施設校舍への転用は、戰災都市にとつて有難いことではありまするが、ここにもいろいろ問題が起つているようです。例えば久留米第二中学は旧師団師番部を改造して授業を行いました。一同は大喜びであつたところ、突如大蔵省からこれは返還を求められまして、税務署が乘込んで来たために、生徒は一隅に押込められて、職員室は馬小屋を以て充てておるという次第であります。こういう点を見ると、中央と地方との連絡不十分のためでもありましようが、何とかこれが善処方をも考えねばならんと思つた次第であります。又軍事施設校舍としたために、国庫補助が却つて遅れまして、内閣設備の殆んどないような荒凉とした校舍授業をしておる九州大学第三分校などは、学校という感じが全くない程に見受けました。  次に新制大学設立の方針の画一性のために、不合理かと思われる一例を挙げて見れば、九州大学二分校は元の久留米工專工業專門教育施設としては十分であつたにも拘わらず、県内にもう一つ工專があつたため、九州大学生産科学研究所にこれを転換することになつておりますが、研究所設備としては全く不適当でありますので、他方この專門教育施設は廃棄の外はないといつた状態であります。新たに多額の費用を注入しなければならないとは、全く国費の濫費であるかに思われました。これが善処方を講ずべきであると見て参りました。  次に学芸大学課程を、初めから小学校教員のための小学課程と、中学教員中学課程に分けてあるため、小学課程の方の志願者は殆んどないといつたような実情を見た次第であります。これ又将来に検討せねばならん問題と思う次第であります。ここに特筆すべき喜ばしき現象一つといたしましては、久留米教育計画構成委員会の手によりまして、福岡学芸大学附属小学校と、久留米市内小学校との共編にかかわるカリキュラムの研究、名付けて「生活学習展開の手引」として百七十八頁からの詳細なる発表が出ておりまするが、而も県下の各学校はこれを基礎資料として、更にそれぞれの学校の個性を発揮し、教育内容の改善に邁進しつつある現象は、私共最も感謝し、感激した場面の一つであります。建物建設進行て並んで、これが教育内容の著しい進展振りを見るに至りつつあることは、新教育法のますます真の民主教育の方途に害いつつある実情であると見て来た次第であります。  次は鹿兒島県について若干御報告申上げます。一月十六七日でありますが、十七日の正午から県庁で各方面との懇談会が行われました。学校施設は十六七両日に亘つて広く県下を視察いたしました。阿久根小学校、阿久根中学校、川内高等学校、川内北中学校、川内亀山小学校、川内実業高等学校鹿兒島大学、鹿兒島県立大学、鹿兒島市武中学校及び清水中学校、東市来町の夜田小学校などでありました。これが視察した結果について二三申上げてみるならば、第一、定員制と施費の問題でありますが、本県のように山間部と離島の多い所では、定員制と標準の旅費補助の不合理が最も痛切に感じられました。即ち平均旅費であつてはならないのであつて、距離に応じて出して欲しいという要望が強かつたのであります。これが特別措置を講じなければ、教員か講習会等に遠く中央へ出席したくもできないといつたような実情であるのであります。  次に本県のように頻々と台風に脅やかされる地方におきましては、校舍修理に追われまして、内部の施設にまではなかなか手が及ばない次第です。災害補助の大幅な増額の要求切なるものがある次第であります。  次に定時制高校は甚だ振いません。却つて公民館附設の青年学校に志望者が多いのでありまして、政府の定時制高校に対する補助は、すべて公民館補助に振向けて欲しいとの要望も強く出た次第でありました。定時制高校の不振は九州全般の現象であります。文部当局は十分その原因を検討すると共に、公民館補助費の大幅増額を考慮すべきであると思います。  次に戰災学校の復旧に、学校林の用材伐出しが非常な貢献をしている事実を見まして次第です。川内高等学校のごときがその一つです。治山治水をも兼ねて、政府は学校林の奬励に更に乘出すべきであると感じた次第であります。  第三には宮崎県について御報告申上げます。一月十八、十九日でありますが、一月十八日宮崎県庁で各方面と懇談いたしまして、次いで十八日、十九日県下の教育施設視察いたしました。宮崎市大淀小学校青島学校、延岡市岡富小学校、延岡市恒富高等学校、延岡市岡富中学校及び宮崎大学でありました。これが視察の結果といたしましては、一つには宮崎県は鹿兒島県と同様山間僻陬の地が多いのでありまして、ここでも定時制の不合理が痛感されることは、全く両県共通のものであり、宮崎市まで出るためには、大部分の学校からは一泊せねばならんという状態で、旅費の不足を感じておる次第です。現在の旅費に対する国庫補助の額では、免許法による講習会等には到底出席ができないという実情であります。  次に宮崎県の特殊事情といたしまして注意すべきものに六・三制国庫補助金の配分問題があります。即ち本県は過去において民事部の強力なる指導によりまして、義務教育優先の建前から、高校の校舍が大規模に統合されまして小、中学の貸與されたために、小、中学は一応〇・七坪の標準を超えている。従つて国庫補助金の配分が後廻しにされているが、他方高等学校校舍狹隘のために、甚しい困難を嘗めている次第であります。文部当局は單に〇・七坪という数字のみによつて国庫補助金の配分を行うならば、当県のごときは非常な不利を免れ得ないことになろう。働うしても特殊事情を考慮して上げねばならん。そうして適正なる配分を要望せざるを得ないと思つた次第であります。  今回は予定外の広い意味教育、社会教育、わけても三島先生御指導の下のボーイ・スカウトの実情をも見ることができて、私は非常に喜んだ次第であります。ともすれば不良少年等が氾濫跋扈しているといつて教育者を心配せしめている折柄、こうした道義的の訓練、体験を議しての指導こそ、誠に国内は勿論、国際的に見ても必要であると思いますが故に、こういう方面のことを我々文部委員は無論のこと、各方面の国民全員が全青少年に一段と関心を持ち、マッカーサー司令部の方におかれても、又ユネスコの方の問題と関連しても、これが奬励をせねばならんということを痛感した次第であります。このことを申添えて置きます。  以上概略視察のことを御報告申しましたが、ここに視察先の関係方面各位に対して、周到なる御案内やら御高配を受けたことに対し、深甚なる感謝の意を表さねばなりません。今まで経験しなかつた程の内容の充実した視察ができたことを心から喜ぶものであります。殊に又随行の方々計画連絡極めてよろしきを得たために、すべてが予想以上の結果に行つたことをここに報告せねばなりません。而してこれら詳細につきましては、頂いた参考資料としての印刷物が沢山ありまするから、委員各位におかれましても、これらを御覽下されば幸いと存ずるのであります。  以上を以て報告を終ります。
  5. 木内キヤウ

    理事木内キヤウ君) 御苦労様でございました。  尚四国班、関東班の御報告がございますが、これは後日に讓りたいと思ますが、如何でございましようか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  6. 木内キヤウ

    理事木内キヤウ君) 御異議がなければ今日はこれで散会といたします。    午後二時三十一分散会  出席者は左の通り。    理事      木内キヤウ君            若木 勝藏君            松野 喜内君            藤田 芳雄君    委員            河野 正夫君            岩本 月洲君            梅原 眞隆君            三島 通陽君            山本 勇造君