○
三島通陽君 私
共九州の
文化の
施設並びに
文化財を
視察のために、一月十二日から二十一日まで
九州地方に参りました。一行は
松野委員と私と、それに
竹内專門員が行かれました。
九州は
福岡県と
鹿兒県と
宮崎県を
視察する予定でありましたが、途中で時間がございましたので、
熊本県、
大分県というものを加えました。そこでこの
報告は
松野先生がなさる筈でございまして、私は特にその中の
文化財方面だけを附け加えて御
報告申上げる筈であ
つたのでございます。
先ず、
先生がまだ出席になりませんので、私が先に
文化財の方を御
報告申上げます。
順序が
後先になりまして、私の
報告はむしろ
松野先生の附け足しなのでありますが、その附け足しが先に御
報告をいたしますことは如何かと考えますけれども、時間の
関係で止むを得ず先に
文化財でけを申上げることは御了承おき願いたいと存じます。
御
承知のように、
九州地方には余り
国宝というようなものの大きなものが少いのでごいます。
従つて一般にこの
国宝保存とか、或いは
文化財保存というようなものに対しまして、
九州の方方も余りそう
関心がないのではないかというようなことが
感じられますし、又
九州地方の
官庁関係におかれましても、少しくそういう感がなきにしも非ずというような感がいたしました。特に今度参議院におきまして、
文化財保護法が上程されるということは
新聞等で
承知しておられますが、それに対する
関心というようなものも、余り
役所方面でも持ておられない。
従つて文化財の方に余り十分な手が行届いていないというようなことを
感じるのでございます。併し
福岡には多少
国宝の
仏像等があるのでありますが、これが皆斉しく、そのお尋の
建造物は
国宝でなくてその中の
仏像が
国宝であるというようなものばかりでございます。
従つてお寺が
国宝でありませんから、これに対する
国庫の
補助もない。そうするとその檀家というようなものも
お寺を十分支える力がない。
従つて屋根が毀れ、雨が漏
つて国宝が非常に痛んでいる。そのことをそこの住職とか、或いは
国宝に
関心を持
つておられる人が非常に
心配をしておられますが、さてその
謙造物を直すというには莫大な金が要るのでありますから、それを出すことができない。
従つて放置したままにな
つておる。
従つてその
国宝がどんどん雨曝しのようにな
つてお
つて痛んで行くという
状態が非常に多いのです。これが今度
文化財保護法が出来ますと、
官費保存というようなことができますから手が入れられますけれども、現在ではそこまで手が
伸整ないという
状態であります。この点は大いに考えて行かなければならないことと、こういうふうに考えます。
そこで
福岡県で先ず
東光院という
お寺を見たのでありますが、そこには
国宝指定の
仏像が二十五体もございます。そうした一ケ所に多くの
国宝が集中しているという所は、
九州では他にないというような
場所であります。然るにこの
お寺の
附近は人家が密集いたしておりまして、
従つてこの
防火施設というようなものが必要にな
つて来るということを痛切に感ぜられるのでありますが、これがさつき申上げましたような
理由で、どうすることもできないという
現状であります。
それから観世音寺、ここにも二十四点の
国宝、重美があります。これはこれを
收めておりまするのが
金堂講堂でありますが、これが非常に
白蟻の害が甚しくて、いつ倒れるか分らんような
状態でございます。
修理費がこれで五十万円くらいかかるのでありますけれども、今申上げましたような
建造物そのものが、それが
国宝でございませんので、
国家ごこれに対して何ら手を加えないという
状態でございます。若し今度の
文化財保護法等におきまして、これが、
国家がこういうものに対しても
環境保全というような
意味で多少の
補助ができるということになれば、
県庁の方も大いに考えるし、又
地元の
民衆も眼が初めて開いて、これに応援をするであろうということが、まあ考えられるのでありまして、
文化財保護法が一日も早く完成、通過されることを我々は祈
つたわけであります。それからその脇には
太宰府の跡があります。これは
史蹟としては大変大切な所でありますが、
引揚者がその
土地を耕作しておりまして、
土台石のようなものを、あつちに動かし、こつちに動かすというふうにな
つておりまして、
大変史蹟が乱れつつあるというような
現状であります。この点は、こういうようなことも、もう少し
史蹟保存というようなことを、
民衆一般も頭をそつちに向けて貰いたいし、又
官庁もそういうふうに考えて貰いたいし、
従つてそうな
つて来れば、こういうものもどんどん整備されて来るのじやないか、できればそういうような所に、我々
希望といたしまして、昔の
太宰府がこのように出来ていたという模型でも作
つて置いておくとか、銅版で図面みたいなものをそこに備えておくということにして、そこに訪ねて来た昔を偲ぶ
人達が、そういうものを見て、ああ昔はこういうものであ
つたかというように思い出させたらいいと
感じました。
太宰府の天満宮は
国宝でありますが、この
建造物は非常な
白蟻でありまして、見たところは塗
つてありますから、
ちよつと分らないのでありますが、裏から見ますと、もう非常に
危險に瀕しております。これは多少の
補助金が、今回の
予算の中に組まれておるそうでありますので、早くそういうものを
修理して、こういうものがなくな
つてしまう前に何とかいたしたい、こう考えられます。
それからこれはプログラムになか
つたのでございますが、次に
熊本県に
参つたのでありますが、
熊本県に特に参りました
理由は、
熊本城を見に
参つたのでございます。これはこの前
文化財の
視察で
中野重治君が行かれまして、
大変中野重治君は、これに対していい
報告をせられました。と申しますのは、その
建物の櫓の外に、何というのでしようか、
宇土櫓の方は
修理が完成しているのでありますけれども、
倉庫のようなものがあります。これが非常に荒れておる。ところがこの
倉庫は、一見すると何でもないもののようでありますが、これは
建築学上からは非常に面白いものでありまして、
日本の城の
建築の、こういう
倉庫というようなもの、又この
倉庫の中から銃眼のようなものがありまして、城の
建築物としては
一つのティピカルのものであると思うのであります。こういう
建築も、これが
日本の最後なんであろうと思うので、こういうものを取
つておきたいと思うのでありますけれども、これに対する
関心というものが全然ないと
言つていいくらいなのであります。櫓の方だけは
大層手を入れて
修理が出来ております。この点は
心配ないのでありますが、これが櫓の中にはいろいろ
人形だとか、
写真だとか沢山飾
つてある。それを行
つて見たときの
感じは、むしろ櫓の中にお
人形だの
写真だのというものを、側にあるところの
倉庫、
建築学上は非常に面白い
倉庫の方に移して、
倉庫の中で展覧をするということにしたら、
倉庫自体も
建築的に
修理保存ができるし、而も
写真とか、お
人形とかいうものも展覧できるのじやないかということを考える。というのは、櫓の中にそういう
写真だの
人形がありますと、
建築美というものが非常に薄らぐという
感じがするのであります。それですからそういう櫓自体
建築的に非常に面白いものであ
つて、これはこのままさつぱりと、そういう中にいろいろなものを飾らない方がいい。
倉庫の方を十分に金を出して、これを修繕して頂きたい。
日本でもこういう
建築というものが少くな
つてしもうのじやないかということが考えられるし、これは
中野重治さんも言われましたけれども、沖縄の人々が、一時
避難民が入
つておりまして、中でやはり火災を起しかけたような
場所も発見します。未だにその
附近に
沖縄避難民のような、難民と言いますか、そういうような
引揚者みたいな人が住
つておられた。住むに家なくおられるのでありますが、非常に
火災等が
危險だと思うのであります。こういうものも早く整備をして頂きたいということを、もう一度ここで、こういうことは
中野重治君が十分言われましたけれども、今の
展覽のことは言われませんでしたので、こういうことも我々は何とか
注意を喚起したい、こう思
つて来たわけであります。
次は
鹿兒島県でありますが、
鹿兒島県では、余り
史蹟のようなものは見ませんで、
一つ国分寺跡だけがありました。
国分寺の跡は、やはり
保存の
計画がありますが、これも石を持
つて行かれたりなぞいたしまして、土台が非常に分らなくな
つておるという
状態でありますが、これは
県庁及び川内市あたりで段々
保存して行きたいという
計画はあるようであります。併し若し今度の
文化財保護法等で、
国家がこういうことに
関心を持
つて下されば、
地元及び
県庁もできるだけのことを併せてしたいということを
言つておりました。
それから
鹿兒島で主に見ましたのは
天然記念物なんであります。ここでこういうことを我々が強く
感じたのであります。
一体天然記念物を
保護するということと、
土地開発とか、或いは
土地の
発展計画というようなものとの間に衝突する場合が出来て来ることがある。そういうような場合に、どうして両方を成立さしたらいいかということを、我々がもつと
関心を持
つて勉強すべきだということであります。その現れの
一つは、出水郡荒崎の
田圃に鍋鶴が沢山来る所がありまして、この
地方は
大変鶴が来るので有名な所で、
天然記念物の
指定をされておるのでありますが、その鶴が段々集
つて来て、田畑を荒して困るというのでございます。そこで
荒崎田圃辺りに参りましたときは、鶴が非常に連な
つておりまして、側から收穫物を、或いは蒔いたばかりの麦を荒しておるというような所を目のあたり見まして、そこで
農民の諸君は、ここをどうぞ
天然記念物の
指定地から解除して頂きたいという
希望。一方一緒に行かれた
学者の
方々は、これは困る。この鶴はどこまでも
保存して行きたい。而もその鶴が飛んで来るのは短期間であるから、これは昔は鶴に餌をや
つたものだ、餌をやらないので、鶴はこういう
田圃を荒らす、だからなんか外に
方法を考えて、やはり
天然記念物として鶴は
保護したいという考えであります。又ここへ
動物園長も来られましたので、そういう
方々の意見も聞いて見ました。そこで私共の考えましたことは、然らばそんなに邪魔にならないように、
田圃の
一定の
地区に鶴を集結させ、フィーディングいたしまして、例えば餌をやりまして、そうして天然の鶴をそこに馴らして、或る
一定の
地区に集結させて、そこだけを
天然記念物の
指定地として、後は
天然記念物の
指定地を逐次解除してやるというのがよいじやないか。そうすれば
農民も満足しましようし、又
学者達或いは観光の上から見ても満足するのではないか。両方立てるということでありますが、さて
野生の鶴を
一定の
地区に集結させるということは非常にむづかしいと思います。併し
日比谷辺りでもおしどりや鶴があんなに安楽に泳いでおるのは、やはり
野生の鳥と雖も、ここは安全だということを彼らの
生活感で
知つて、そういうように自然に訓練されるのでありますから、そういうことはできないことじやない。而も
学者や
動物園長も、若しそういうことが許されて、
国家の方で或る程度面倒を見て頂けるということになれば、それは学問的な
研究のテーマとしても面白いから、少しそういうふうにや
つて見たいということを
言つておられました。但しこれには相当の時間がかかるから、その時間のかかる間は、いきなりその
地方を
天然記念物の
指定地を解除するということでなくして、逐次そういう習慣が
野生の鳥に出来てから然る後にやれというようにしたらどうだろうか。それには相当の施策を要するのじやないかということであります。こういうようなことも将来我々がこの
文化財を
保護して行く上におきましてはいろいろ考えなければならない問題であると思います。
これはその
一つの例でございますが、例えばこの外に
血條海苔という
大変珍らしい
海苔がございます。これも
天然記念物でありますが、これは余りどこにもない
海苔でありまして、これは陛下もこの辺の御巡幸になりましたときに大変御興味をお持ちに
なつたという植物であります。ところがこの
地方に
工場が出来まして、その
工場から流れて来る水のためにか、
血條海苔がまさに絶えなんとしておるのであります。これも非常に残念なことであ
つて、
学者方は是非これを
一つ絶やさないようにして貰いたいという
希望でありますが、これなども流れて来る
工場の水をどこか外へ流すという工夫を
ちよつとしてやれば、これもできるのじやないかというような問題も、同様なことが言えると思います。
それから
鹿兒島には
薩摩鷄という鷄がございます。これは特に鴨池の
動物園長が、この鶏の保近法を考えられて、いろいろ飼育をしておられる。
品評会のようなものをや
つたり、それの賞に当
つた者には餌を配給をしてやるというような
心配をしておられるようでありまして、私共の参りましたときも、
薩摩鷄の珍しいのを集めましたが、これも鶏としては非常に品のよい面白い鷄でございます。
一体日本鷄というものは今非常に
世界各国で
注意の眼を以て見られておるのでありますが、
日本の鷄は特別の
特徴を持
つております。それは形の美しさ、声の美しさ、それから声の、鳴くときのタイムというものが、非常にはつきりしておるというようなことや、その
外世界の鷄の持
つていない、いろいろの
特徴を持
つておる。人によく
なつくとか、いろいろありますけれども、
日本で農林省が白色のレクホーンとか、ロード・アイランド・レッドとか、プリマウス・ロックというような鷄を奬励いたしますために、こういう
日本の鷄が殆んどなくなりかけんとしておる
現状であります。殊に戰争中に餌がなか
つたわけでありますので、そういう珍しい
日本の在来の鷄を飼育していた
人達が餌がなくて、だんだん飼うことができないで死に絶えてしまつというのが多いのであります。ところが
終戰後アメリカの
人達が
日本に来て、
日本の昔からある鷄、
薩摩鷄もその
一つでありますが、土佐の
長尾鷄とか、チヤボとか、それからその
外東天紅というような鷄が
大変珍しいというので、今
天然資源局におられる
学者が
研究して
日本の鷄の絶えることを非常に惜んでおられるようであ
つて、
アメリカ辺りにも将来これが輸出できるのじやないかと考えられます。そんな
意味でも、この
薩摩鷄の
保存ということを将来どうしたらよいかという
保存対策を考えなければならないと思うのでありますが、こういうようなものもいろいろ
保護の
方法があるのではなかろうかというようなことを
感じました。
それから
宮崎県でありますが、
宮崎県は
青島に参りました。この
青島は御
承知のように
熱帶植物が
あすこに繁茂しておるのでございますが、どうもここに来る
人達は中を踏みにじる。そういう大切な
熱帶植物の
保存さるべきものが踏みにじられており、風雨に曝されておるというようなことでありまして、こういうことも何とか考慮を拂
つて貰いたいというようなことが、
学者からも或いは
土地の人からも言われておりました。
西都原の
古墳群、これは妻町にございますが、そこに参りました。この辺には今非常に沢山の
古墳があります。而もこれは
古墳の
展覽会のようなものでありまして、いろいろ各種の
古墳を見ることができる。而もこの
古墳がだんだん荒されておりますし、こういう
古墳の中で何かテイピカルなものは、もう少し
保護をして
保存をして見たらどうか、又物によ
つては発掘もして学問的に
研究したらどうか。又その発掘して出た物の
記念館というようなものが
あすこにはありますが、それらのものが今はすつかり乱雑にな
つておりますし、それから家も壞れかか
つておる。これもどうすることもできないというようなことであります。こういうようなものを
考古学上も何とか
保護して、
保存して行きたいものであるというようなことを申されました。
次は
大分県でありますが、
大分県は
深田の
石仏に寄りました。これは先程も申しましたように、やはり
中野重治君が見えられて、この前の
委員会で大変より
報告をやられましたので、私が附け足す何物もないのでございますが、この
石仏は私も見ましたところはやはり非常に珍らしい、よい物であると思いました。私も余りこういう
方面の学問はありませんので、これらはいつ頃の年代の物で、どんな
国宝級の物であるか分りませんけれども、併しその中の
一つの首なしの
石仏などは、相当
国宝級のものじやないかと、私は素人でありますが、私は思いますし、又そういう評判だということであります。今は
国宝を
指定することが止
つておりますので、これを
国宝にはできません。
従つてこれを
保護することもできません。これは雨風に曝されており、
附近は農作物が耕されておりますし、石が上から落ちておるという
状態でありますし、御
承知の
通り石仏は日間は非常に少いのでありますから、而もこれは芸術的にも大変立派な
石仏のように思われますので、こういうようなものを何とか
保護して行かなければならない。こういうことに対しても、
土地の人もそれから
県庁もどうも少しく
関心が薄いのじやないか。
中野重治君が行かれて、議会で大変よい
報告をされたものでありますから、それから
土地の
人達も余程こういう物も大切にしなければならないということを
感じたらしく考えました。
従つていろいろ心配をしておられるようでありますが、そこまで手が届かんという
現状であります。どうぞ今度の
保存法が出来ましたならば、こういうようなことにも自然と目にかけて、朽ち果てて行かんとする我が国の大切な
文化保護財というようなものを、何とかできるだけ破滅することなく、少しでもとにかく我々の
後継国民に伝えなければならないということを
感じた次第であります。
その
外石仏の帰りに私皆様から一日遅れて
大分のやはり
石仏を見ました。これも随分痛んでありますが、併し惜しいのは
深田の
石仏であ
つて、芸術的には
深田の
石仏の方がず
つていいのじやないかというふうに思いました。
以上が大体
九州を一廻りいたしました
文化財に対する御
報告でございまして、先に申上げましたので、
大変後先になりまして恐縮でございましたけれども、丁度
松野先生がお見えになりましたから、
松野先生から他の御
報告をして頂きたいと思います。