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1950-03-22 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第17号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年三月二十二日(水曜日)    午前十一時十四分開会   —————————————   委員の異動 三月二十日委員小林英三君辞任につ き、その補欠として水久保甚作君を議 長において指名した。   —————————————   本日の会議に付した事件証人喚問に関する件 ○大連労働組合徴收金に関する件  (右件に関し証人証言あり)   —————————————
  2. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 只今から委員会を開会いたします。十六日の委員会会議録ができ上りましたので、お手許に配付して置きましたので御承了願います。十八日の会議録もできるだけ速かに完成するように只今努めております。  この際お諮りいたしたいことがございます。先ず十六日、十八日の証人喚問に従いまして、十八日の委員会において申上げました三月十二日附のアカハタ新聞に掲載されました小島清氏が、当委員会に対して申出ました、事実を否定するところの書面を以て寄越された件をば御報告申上げましたが、この小島清氏の証言を求める必要があるかと思いますので、又十六日の委員会において尚日本共産党より帰還促進の要請をなされたという書簡の問題についてはつきり明らかにされておりませんので、日本共産党中央委員会事務局山田飜訳係小島清氏とこの二名を二十四日の午前十時に証人として出頭を求るることをお諮りいたしたいと思いますが、御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  3. 中野重治

    中野重治君 異議あり……そういうことは問題とすることができるけれども、委員会としてはまだやるべきことが沢山あるのだから、小島清氏から出た文書、その他の問題をここでよく調べて、その上で必要があればやる。ただ印刷物を配たつだけで、又こういうものが来たということを報告しただけで、次から次へ証人を喚ぶというふうにしないで、委員会のやるべき基本的な仕事が沢山あるのだから、そういうものと睨み合せてやるというふうにする必要があると私は考えます。
  4. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 今中野委員からいろいろと委員会のやるべき仕事は他に多々あるということでありますが、この問題に対しましても、すでに委員会としては重要なる問題になつておるのでございます。のみならず国民はこの委員会在り方について注視している、すでに十八日の委員会におきましても只今の件については委員長から詳細御報告になつておる。そこでこの二名の証人を喚問するということに対して本員は賛成するものであります。
  5. 中野重治

    中野重治君 委員会のなすべき仕事が必要に沢山ある。然るにそういうことをやらないで、一つの問題ばかりをやつているから、だから委員会在り方について国民の批判の眼も立つておる。こういうことは事実であります。それで私の言うのは、本来の仕事があるから、証人喚問の今提出されたような問題をやるなというのではない。こればやる必要があればやらなけばならん。併しながら本来の仕事をどしどし進める上において、必要ある限りにおいて証人喚問もやらなければならん。証人喚問そのものについていうならば、果して証人喚問をする必要があるかないか、このことをよく調べて不必要な証人喚問を繰返すというようなことのないようにしなければならん。殊に淺岡君がこの種の問題に対しては、国民関心の眼が鋭くなつておる。こういうことを言つておりますが、それは嘘ではない。全くの嘘ではないけれども、併しながら委員会のやるべき仕事をやるように導かないで、そうして明らかになつておる問題をまだ疑わしいというふうにして、そうしてそういう方向へと国民の眼を、国民関心をかき立てて行く。こういう試みはすでになされておる。これは或る程度効果を奏しておる。だからそういうことに委員会が引きずられてはならない。それで私は証人喚問の必要があるかないかをちやんと調べて、そうして必要があるということが審議の結果決まつたならば、或いは証人喚問をすることに私として異議はない。そういう履むべき手続を踏まずにやることは、委員会仕事に非常に限りを與えることであるので私は賛成ができない。これは淺岡君が私の言葉を、本来やるべき仕事が滯つておる場合には、必要なる証人喚問までやるなと私が言つたと、こうとられなかつたと思うが、淺岡君発言如何にもそう聞えたから一言附加えて置きます。
  6. 岡元義人

    委員長岡元義人君) この際お諮りいたしたいと思います。すでに中野委員からも御発言がございましたが、十八日の委員会にその内容は御報告申上げてありますから、山田飜訳係については、徳田証人よりも篤と呼んで調べて呉れということを申出ておられるわけでございます。この際更に改めてお諮りいたしますが、二十四日午前十時に両名の証人に御出頭を求めることに御異議のない方は挙手を願います。    〔挙手者多数〕
  7. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 分りました。過半数であります。よつて二十四日午前十時小島清氏、山田飜訳係二名を証人として出頭を求めることに決定いたしました。   —————————————
  8. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 証人着席を願います。  只今より大連労働合組合徴收金に関する証人の御証言を求める次第でありますが、この問題に関しましては昨年五月以来当委員会に宛てまして、関東地区引揚同胞協力会代表者上原進氏より請願書が提出され、その後鋭意本委員会においてはこの内容について資料蒐集調査に努めて参つたのであります。この間約六ヶ月を要しましたけれども、漸く本委員会におきましては、只今中委員のお手許にありますような大体の資料がまとまつたわけであります。この資料がまとまりますと共に、只今国会におきまして在外公館等借入金に関する確認の法案が通過いたしましたので、この大連労働組合徴收金が今後どのように処理されるかということにつきましては、非常な関心を寄せられるところとなつてつたわけであります。そこで本日両名の証人いわゆる請願書上原進氏並びに大連労働組合長土岐強氏の両名に御多用中出頭を求めた次第であります。本委員会の意のあるところをば証人におかれましては御了解願いたいと思います。  先ず宣誓に入ります前に証人に御注意申上げて置きます。これから宣誓を行なつて証言して頂くのでありますが、若し處僞の証言を陳述したときは、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律第六條によりまして、三ヶ月以上十年以下の懲役に処する罰則があり、又正当の理由なく宣誓若しくは証言を拒んだときは、同法第七條によりまして一年以下の禁錮又は一万円以下の罰金に処せられることになつておりますから、この点御注意申上げて置きます。但し民事訴訟法第二百八十條(第三号の場合を除く。)及び第二百八十一條(第一項第一号及び第三号の場合を除く。)の規定に該当する場合に限り、宣誓又は証言若しくは書類の提出を拒むことができます。これも併せて御注意申上げて置きます。念のために先ず民事訴訟法第二百八十條の該当部分を朗読いたします。  第二百八十條 証言カ証人ハ左掲クル者ノ刑事上ノ訴追又ハ処罰招ク虞アル事項ニ関スルトキハ証人ハ証言拒ムコトヲ得証言カ此等ノ者ノ恥辱ニ帰スキ事項関スルトキ亦同シ   一 証人配偶者、四親等内ノ血族若ハ三親等内ノ姻族又ハ証人ノ家ノ戸主但シ親族ニ付テハ親族関係カ止ミタル後亦同シ   二 証人ノ後見人又ハ証人ノ後見ヲ受クル者  次に民事訴訟法第二百八十一條該当部分を朗読いたします。   第二百八十一條の左ノ場合ニ於テハ証人ハ証言拒ムコトヲ得   二 医師 歯科医師、薬剤師、薬種商、産婆、弁護士、弁理士弁護人公証人、宗教又ハ祷祀ノ職ニル者ハ此等職ニリタル者カ職務知リタル事実ニシテ默祕スヘキモノニ付迅問受クルトキ  前項ノ規定ハ証人カ默祕ノ義務ヲ免セラレタル場合ニハ之ヲ適用セス  以上であります。先ず証人宣誓を求めます。傍聽の方も御起立を願います。    〔総員起立証人は次のように宣誓を行なつた〕    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 土岐  強    宣誓書   良心従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。         証人 上原  進
  9. 岡元義人

    委員長岡元義人君) お着席願います。各委員の方々にお諮りいたしますが、証言を求めます方法委員長から二、三の点簡單に御質問申上げまして、尚証人から証言を求めましたそれに対して、各委員から御質問を願うと、このように取計らつてよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  10. 岡元義人

    委員長岡元義人君) そのようにいたします。先ず上原証人から証言を求めますが、あなたが当委員会にたびたび請願されまそたその趣旨の中で、特に大連労働組合徴收いたしましたところの徴收金について、その徴收金主体としてその実情を述べて頂きます。
  11. 上原進

    証人上原進君) この機会に私は証言以外のことでありまするが、委員長、一言申述べたいと思いますが、如何でございましようか、簡單でありますが……。
  12. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 内容は……。
  13. 上原進

    証人上原進君) 委員各位に対しまして、関東引揚者一同を代表して感謝の意を表したいと思います。
  14. 岡元義人

    委員長岡元義人君) よろしうございます。
  15. 上原進

    証人上原進君) この大連問題は、第一においていろいろな事件が今まで発表されております。その各地における複雑な、日本人日本人をいじめたという、あらゆる問題を大連事件は含んでいるのであります。而も大連におきましては、各地に見られないところの一番重要なる問題であります。それは人民政府が樹立された。いわゆる大連労働組合という人民政府が樹立された。これは大連だけの現象であります。従いまして大連におきましては大連労働組合と申しますが、共産党のいわゆる政治経済が行われたということは事実であります。この共産党政治下におきまして、私共大連在住二十五万の老若男女は殆んど搾取搾取を加えられて、惡逆非道なるいわゆる人道を無視した暴行的行為によりまして約二億五千万円の現金が徴発されたのであります。更に物品を金額に見積りましたならば数億に上るものであると私は考えておるのであります。従つて私の申上げますことは私個人の証人言葉でなく、いわゆる二十五万引揚者の血の出るような叫びであるということを委員各位が御了承願いたいと思うのであります。而して今日まで六ヶ月間に亘りまして、私共の請願趣旨に対しまして、多大なる御盡力と御努力に感謝いたします。今日私をして大連労働組合のいわゆる大連事件内容証言申上げる機会を與えて下さいましたことにつきまして、私は関東引揚者一同に代りまして、委員各位に対しまして厚く感謝の意を表する次第であります。それから只今委員長の御質問は非常に抽象的でありますが、徴收金に対する主体と申しますと大連において徴收されたる金品財物大連在住者……。
  16. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 上原証人たちよつと申上げて置きますが、私の説明が十分でなかつたかも分りませんが、委員長が申上げたのは在外公館等いわゆる公館として、公館等という文字が入つておりますので、大連のいわゆるそういう難民救済に充てられ、或いは食糧に充てられるというような資金徴收に関しましては、終戰後労働組合ができて、どういう方法徴收されて行つたかということを証言を求めておるわけであります。
  17. 上原進

    証人上原進君) 分りました。終戰後大連におけるところの官庁は全部雲霧消散したのであります。二十五万の同胞を置き去りにしました。軍部は勿論、関東州における官僚は姿を消して、或いはシべリヤに連れて行かれた者もありますが、その他在留者の大部分を、如何にして保護するか、或いは如何にして一日も早く内地へ帰すべきであるかということについては何らの方法も講ぜられなかつたのであります。従つて我々在留民は前より小羊のごとく……。何とかしてこの窮状を打開しなければならないというのでできましたのが、私共のいわゆる従来の縦の連繋にみ動いておりました、内地で申しますと町内会長でございます、あちらでは区長でありますが、区長連合会というものの横の連繋をとりまして、あらゆる在留同胞帰還までの治安維持は勿論でありますが、行政面においても運営して行きたい、こう考えまして、全大連市の日本人会結成図つたのでありますが、ソ連側の容るるところとならず、大連全市日本人会結成できなかつたのでありますけれども、私の住んでおりました大連西部地区におきましては、どうしてもこういうふうにしなければいけないということを認められましたので、二十六名の各区長は集合いたしまして、我々の地区だけは何とかして帰還までに日本人の生命、身体、財産の安固を図るように協力しなければならないというのでできましたのがいわゆる大連西部連合委員会であります。従つて当時は警察も勿論ございません。市役所もございません。関東州庁もございません。いわゆる民間の私共の手においてのみ在留民のその日その日の生きる道を辛うじて過しておつた次第であります。ところが民国三十五年いわゆる昭和二十二年であります、大連労働組合ソ連及び中共側の了解を得まして、昭和二十年の暮から擡頭しておつたのでありますが、昭和二十二年の一月確か二十五日と記憶しておりますが、大連労働組合発会式が挙げられまして、大連労働組合大連市における一切の政治経済面を握るような状況に自然となつたのであります。その第一回の問題としまして、即ち非常食糧獲得運動であります。これは確か結成と同時に二月頃から始まつたと思いますが、大連の、第一回六百五十万円と記憶しております、これはあらゆる階級に対しまして金を出せということでこれは出した金の集計であります。第二回は更に非常食糧難民救済非常食糧獲得運動でありまして、これも集まりました金は大体三百五十万円、確か三百五十万円と記憶いたしております。それから更に住宅調整であります。これは大きな家に入つている方、反動分子と目されるところの家に住んでおるものは全部立退きを命ぜられたのであります。これは根こそぎであります。お前は今日立退け、これは労働組合の手によつて実行されたのであります。それからそれによつて集まりましたそのときの金は大体私の調査によりますと、一級二級三級四級五級に分けまして千六百万円を集めております。その集めた金の理由移転費を支給する。移転費及び……移転費と申しますと、家をとられたものの移転費も含まれておるかも知れませんが、これを貰つたものは殆んどないということでありますが、いわゆる中産階級以下の労働者移転費用に充てるという理由であつたと私は記憶しておりますが、約四百万円を出資されておると聞いております。それから更に労働組合におきましてはいろいろな名目の徴收をやつております。ここにありますのは結局大連……。  一番問題となりますのは大連日本人引揚対策協議会というものが生れたのであります。これはあらゆる意味におきまして日本人引揚に要するいわゆる資金は大体ソ連が持つべきものであると私は考えておりますが、引揚の当時におきましてはそれを私共大連在留者が負担すべきであるというような意味におきまして大連労働組合がこれの徴收に当つたのであります。ところが思う通りの引揚の実行に至らないために、集まりました金は約四百万ぐらいの金だつたということでありますが、これは難民救済費用に充当したというようなことを申されております。ところが労働組合は單に労働組合の名においてなされたのは勿論でありますが、その他大連建設公債日僑審議会、或いは榊谷と申しますと、これは世話人会と申しますのでありますが、労働組合搾取が日に日に強くなり、これによつていわゆるその日の生活に困るような状況まで押詰められ、大連日本人労働組合要求に応ずるにも応ぜられないというような状況になりましたので、日本人で何とかしてこの資金を集める方法はないかというような会議の結果、いわゆる労働組合の傀儡となりました榊谷組、これは土建の会長でありましたが、榊谷世話会人というものが生れまして、榊谷世話人会によりまして集められましたものが大体最後の金になるのであります。これは今日外務省に出ております数字は確か四千五百万円と聞いておりますが、当時の委員である森川氏の帰還後の説明を聞きますと七千万円ということを申しておる。この金は全部労働組合に行つておるのであります。  それから更にこの引揚に当りましてつまり大連市の市公債の買入れであります。一億二千万円、これもやはり大連世話人会の名によつてなされたのでありますが、即ち第一対象、第二対象、第三対象というふうに分れまして、第一対象の四十五万円、第二対象は三十万円、第三対象は十五万円とこういうふうに決めまして、ここにいろいろ証拠書類を持つておりますが、全部金品及び財物は帰りますまでに根こそぎ取られたのであります。この金額ははつきりいたしておりません。従つて帰りますときに、更に最後におきましては、大人一人百円、子供一人に五十円、荷物一個については百五十円、二個の場合は三百五十円というようなふうに累加計算をされまして取られた金は、概算いたしまして三千万円に上るだろうと思つております。従いましてこれらの金の徴收方法は全部剥奪若しくは強奪、任意に提供したというものは殆んどないのであります。而もそれは実際の有産階級若しくは富裕階級から取つたものであるなれば差支ないのでありますが、そうでなく、実際その日の生活にも困るというような階級からも搾取搾取を重ねて、裸一貫……全く内地に帰るときには、千円の金も、或いは五百円の金も持ち帰れないというような状況まで押込められたために、大連在住者の殆んどは死の一歩前まで追込まれる、こういうような状況であつたのであります。  私共はこの大連労働組合迫害は人道的に無視することはできない。その内容は一切犯罪行為であるということまで考えておるのであります。従つて各地大連労働組合糾彈大会が開かれまして、私共の手許にも、当委員会にも提出されていることと思うのであります。このいわゆる集めました金は全部で、大連市公債の大体一億二千万円、大連労働組合の集めました金が一億二千万円、合計約二億五千万円と概算されております。これが証拠は全国に向つて蒐集に努めておりますが、今日まで私の手許に集まりましたのはその半分にも滿たない状況であります。それは結局まだ一般的に徹底しないのと、それから私の方でこれを徹底せしめる方法が足らない結果今日に至つておるのであります。詳しいことは更に……。  大体概要を申述べたのでありますが、これらの徴收によりまして栄養失調によつて餓死した者、或いは不法監禁によつて獄死した者、或いは船中において死んだ者、帰還後斃れた者、非常に沢山の犠牲者が出ているのであります。これらの人につきましては、各地被害者より縷々血の出るような叫びを私の上に寄越している実情であります。つきましては私共が大連において取られました金、徴收されました金は、いずれも難民救済及び引揚対策資金という名前の下に取られたということであります故、私は理由如何に拘わらず、これが全額の支拂を要求政府の方に補償請求請願をいたした次第であります。
  18. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 尚上原証人にもう一点お尋ねいたしますが、大連労働組合は一体誰の命令によつて、どこの命令によつて作られたものであるか、これをお尋ねいたします。
  19. 上原進

    証人上原進君) 大連労働組合は私共の一番初めの常識的な考えから行きますと、單なる勤労階級福利増進を図る……現在内地において結成されておるところの労働組合である。つまり勤労階級自主的団結によつて生れたものである。こういうふうに考えておつたのでありますが、そうでなく、その後の労働組合の推移を見ますと、一にも二にも、言葉を籍りて言いますと、直ちにこれはソ連命令だ、或いは中共命令だというようなことを言つてつたのでありますが、実際におきましては大連におけるいわゆる従来地下に潜つてつた連中であるとか、或いは西安、モスクワあたりから帰つて来た連中が、いわゆるソ連及び中国側背景によりまして、つまり実際にこういうものを組織しろとか、或いはこういうふうにやれとかいう命令でなく、労働組合という一つのプライヴエート的ないわゆる最初の発足であつたのじやないかと私は考えるのであります。そのいわゆるプライヴエート的な発足で、彼ら労働組合ソ連及び中共背景を利用して日本人及び日本人同胞を苦しめたのではないか、少くとも大連において加えられたあの迫害は、ソ連及び中共側でああいうことをやれというような命令及び指令があつたということは考えられないのであります。従つて大連労働組合がいわゆる独自の立場において、人民政府というような内容を持つた政治組織において、いわゆる大連の二十五万の民衆を共産主義化して内地に帰す、いわゆる共産訓練をやるというような意味において、徹底的な彼らのいい踏台に、いわゆる実践的踏台に私共はされたのではないか、こう考えておるのであります。
  20. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 土岐証人委員長から一、二点お伺いします。大連労働組合結成はどこの指令によつてそれを作るようにされたのか。  もう一点は徴收されたいわゆる徴收金如何なる目的でどのように使用されたのか。この二点について証言を求めます。
  21. 土岐強

    証人土岐強君) 証言いたします。その証言の前に、只今上原証人証言について一点だけ申上げたいと思います。  委員各位におかれましてもお分りのことと思いますが、只今上原君の証言は全く事実と相違しておるのであります。極めて惡意に満ちた断片的な資料に基いてなされたものでありまして、私はこれを認めることはできないのであります。  第一に委員長のお尋ねの大連労組如何にして作られたかという点でございますが、上原証人大連労組人民政府であるというふうな証言をして、労働組合の何たるかを全く承知していないのであります。終戰後八・一五以来日本帝国主義支配の機構が倒れまして、そのあとで難民は続出する、工場は閉鎖する、非常な混乱が起つたのでありますが、この中にいろいろな団体が自主的に生れて参りました。例えば割合進歩的な青年諸君によつて大連奉仕団というのが生れました。更に旧大連市の市長別府秀夫氏を首長にいたしまして旧大連区長を連合いたしました大連互助会という組織が生れた。又別に元航空隊員某組織いたしました愛労奉仕団、こういうようなものが五つ六つ続出いたしました。その中に最も民主的な人達で以て大連日本人民主主義連盟準備会というものが千九百四十五年九月末に発足いたしました。それぞれの分野において、それぞれの綱領に従つて活動をなして参つたのでありましたが、その年の十二月五日でございますが、当時の大連警備司令官カズロフ中将にその各団体代表者が呼ばれまして、既存の団体はすべて解散命令せられたのでございます。ただ民主主義連盟準備会のみは本国政府に照会をした上で解散か否かを決定するという通知を受けまして、翌千九百四十六年の一月二日に私共呼出されまして、司令官から連合国政府を代表いたしまして單にソ連進駐軍という意味ではなくて、連合国政府代表といたしまして、日本人大連における唯一の団体として大連労働組合結成が許可されたのであります。その許可に基きまして、従来から運動をしておりました職場労働者を中心にいたしまして、四六年一月二日に創立の結成大会を開きました。その席上で私は初代の委員長に選出をされたのでございますが、それ以外千九百四十七年の三月末まで私は引揚るまでのことについて証言をいたしたいと思います。大連労働組合は従いまして單に労働者組合であり、労働者組織ではございますけれども、二十五万の日本人にとつて頼るべき何ものもなかつた時代におきまして、あの地におきまして当然單に職場労働者生活の改善、労働條件向上、或いは文化的な向上、生産の再開に対する協力、こういうことをやるだけではなくて、日本人全市民の問題についても労働組合はいろいろな仕事をなさなければならなかつたのであります。そのことは、四十六年の一月二十五日はつきり現われたのであります。と申しますのは、この日に大連中国側の市政府の正副市長並びに各界代表と共に私は司令官に呼ばれまして、迫り来る大連の経済的な破綻、これから一般の中日の人民の窮乏を守り、餓死者を一人でも出さないために中国政府大連労働組合に対して協力を求められたのであります。そのとき司令官大連労組日本人の唯一の団体であるから、中国の市政府と協力して、日本人の窮乏の問題に対して盡力をして欲しい。こういう要請がございました。この要請に基いて、かねがね我々の運動を当面しておりました一般の難民貧困者の救済の問題が二月以来我々の運動の日程に上つたのでございます。次に二月から大連の労組がいろいろ金を徴收いたしましたが、この徴收のやり方その他について証言をいたします。最初に行われましたのは一九四六年の二月から三月の末までに行われた緊急食糧獲得運動というのでございます。当時大連日本人二十五万のうち約八万人が餓死に曝されておつたのであります。而も中国の国民党反動派の策謀によりまして、中国の内戰が全面的に開始しようといたしました。関東州は完全に経済的に孤立する。こういうような状況下に置かれました。大連労組は、市民各位に訴え、職場労働者諸君に訴えまして、この貧困者の救済のための運動を起したのであります。ところが二月の初めから始めました運動が約二十日くらい経ちましても大連の旧指導者、旧資産家の諸君から供出された金は僅かに六十万円なにがしという金でありました。大連の市中に奧地からどんどん入つて来る引揚、貧困者、転入者、こういう人達の生活を維持するどころか正に餓死者が出てもどうすることもできないような状態に置かれたのであります。そこで労働組合は誕生しても、市内の有産者の諸君の状態なんかはよく知りません。そこで各界の旧指導者の方々に集まつて頂きまして、当時の日本人の窮状を訴えまして、大体千五百万円くらいの資金が、少くとも三ケ月分の食糧を我々の手で確保しなければ三月四月五月とこの危機を乘切ることができないということを訴えまして、これらの人々の協力によりましてそれぞれ業種別の団体に民主的な方法によりまして割当をいたしました。これらの人々がそれぞれ世話人団を結成いたしまして、個人別に査定をして、この労働組合の提唱いたしました緊急食糧獲得運動の基金として寄附をされたのであります。この間労働組合としては何ら強制をした、強奪したというような非難が上原君から出ておりますけれども、そういうことはございません。ただこの世話人の諸君が割当をいたします場合に、いろいろと個人的な依怙贔屓があつたことを承知いたしまして、そのことはこの寄附金が労働組合に供出をされますときにいろいろ市民の方々から苦情が出まして、組合としては実情調査した上で、余りに過大になつているという場合には訂正をいたして参つたのであります。こうして集まりました金は約九百二十五万円に達しました。この九百二十五万円で以ちまして、無料給食延べ三万六千人に対してこれを行いました。難民の收容所を、臨時を合せまして二十一ケ所を経営いたし、五千人の難民を收容いたしました。更に無料診療所を三ケ所開設し、授産所を三ケ所開設し、或いは養老院を一ケ所、孤兒院を一ケ所、こういうふうに開設いたしまして、できるだけ餓死者の発生を少くして、我々が一人でも多く引揚に間に合うように、引揚のときまで生活が維持できるように努力をして参つたのであります。更にこの基金の余り一部百十七万円を以ちまして四十六年の三月三十一日に大連日本人勤労者消費組合を設立いたしました。これは大連労働者並びに勤労者、一般市民の貧困者、家族を合せまして十七万人がこれに参加をいたしたのであります。この消費組合が基礎になりまして、その後ソヴイエト軍から一千五百トンの食糧の廉価な支給がありました。更に中国の市政府からは糧食採弁公司を通じて市価よりも遥かに安い値段で莫大な食糧が與えられ、更に中国の職工総会を経由いたしまして民生合作社を通じまして相当多量の食糧が消費組合に流し込まれまして、これを基礎にいたしましてその後の日本人生活を維持することができたのでございます。更に労働組合がこの運動を始めまするや、日本人の間にそのように沢山の餓死者が出、そのように沢山の貧困者があつたということをソ連当局が知りまして、当時大連ドツクの監督官をしておりましたジヨルトフスキー監督官は、直ちに日本人労働者二千名を採用することを申出られました。更に埠頭の監督官、大連埠頭の監督官は数千名の荷役人夫を日本人から募集するというふうに申出られた。更に日本人の婦女子を中心にして、漁網の工場が設立され、労働組合難民救済、貧困者救済の運動に相呼応いたしまして、ソ連並びに中国当局の配慮によりまして、日本人難民化が段々防がれて参つたのであります。これが緊急食糧獲得運動と申すものでございますが、第二回に行われましたのは、四十六年の六月から十月に亘りまして、非常食糧獲得運動というのがございます。これによつて集めました金は大体千三百九十万円に上るのでございます。これは三月以降国共の衝突が全面化いたしまして、満洲が戰場になりまして、海上の交通が杜絶する、こういう状況下におきまして、最早食糧の入手の見込がない。ますます食糧が暴騰する、そのために三月末に設立された消費組合食糧の運転基金が枯渇する。非常な窮乏状態に陷つたのであります。具体的に申上げますと、当時高梁、中国人、日本人がその当時主食といたしておりました高梁の値段は、三月には一斤七円でございましたが、四月には二十五円になりました、五月には三十二円五十銭、こういうふうに暴騰をして参つたのであります。そこでこの食糧を何とかして消費組合の基金を拡充いたしまして食糧基金を豊富にしなければならない。ところが、それだけじや足らない。どうしても各地職場において、一般の市民労働者諸君が自主的に救済活動をやらなければならない。こういう点から労働組合と消費組合が共同提唱いたしまして、非常食糧獲得運動を始め、各地区に食糧協議会というものが組織されたのであります。これは各地区の一般の居住者で以て全員がこれに参加して、その居住者の中の投票によりまして、或いはその他の方法によりまして、食糧協議会の事務局がそれぞれ設立され、これが中心になつて自主的に救援活動並びに食糧基金の増加の運動が始められ、これが千三百九十万円になりました。これが殆んど全部消費組合の基金に充てられたのであります。更に同年の七月から十月に亘りまして住宅調整、中日住宅の調整が行われました。これは只今上原君の証言では、労働組合が勝手にやつたというふうになつておるのでありますが、甚だしく事実と相違しておるのであります。同年の七月の初めに私は大連政府に呼ばれまして、中日人の住宅調整が始めるという話を聞かされたのであります。この中日住宅の調整は、当時中国の人民は太平洋戰争の終結によりまして、一応解放はされておりました。又大連の主権は中国人民に返還はされておりましたけれども、住宅の面におきましては著しい民族的な差別があつたのであります。日本人は大体平均いたしまして一人当り三疊半乃至四疊を占めておるにも拘わらず、中国の一般の人々は一疊に二人、三人、こういうものが少くなかつたのであります。而も日本人は非常に高燥な位置を占めて、町の中心部に住んでおる。一片方は非常に場末の風が吹けば飛ばされ、雨が降れば雨漏りをする、而も補正も十分できていない。こういうような状態に置かれ、中国の一般の大衆の中から日本人の住宅に侵入するという気配が非常に濃厚である。奉天その他においてはそういう事件があつたのでありますが、この中国の大衆の要求を捉えまして、暴動化することなく組織的に正しく中日人民の住宅の調整が行われなければならないというのは、大連政府当局の考え方であります。そこで中日住宅調整委員会大連政府の内部に組織されまして、これが中心になつて日本人二十万の人口移動が行われたのであります。日本人は大体一人当り一・五疊を原則に定められました。病人或いは特殊な学者とか、こういうものについては二疊程度が考慮されました、こういうふうに行われたのであります。労働組合はこの中日住宅調整運動に全面的に協力をいたしました。併し労働組合だけでこれがやられたのではなく、各地区に住宅調整協議会が組織されまして、地区の居住者がすべてこれに参加してこの地区ごとにできた協議会が移転先、或いは部屋の割当、これらを自主的に決定をいたしたのであります。労働組合としては、この過程において、できるだけ日本人の持つていた中国人に対する民族的偏見、或いはフアシスト的な考え方、こういうものを除去するような宣伝活動を行なつたのであります。ただこの調整の過程におきまして運搬の費用、或いは貧困者が出る、こういうものを調達するために、多少の調整の基金を集めましたが、これは百三十八万円になります。これらは多少残りましたけれども、それはすべて醵出した地区に返還をいたしまして、その地区において自主的な救援活動の基金にされたのであります。  更に第四回に行われましたのは、引揚資金でございます。千九百四十六年の十月二十三日、私は労働組合の代表といたしましてソ連司令官に呼ばれました。引揚が十一月から始まるということを聞かされたのであります。引揚ソ連の責任においてやるが、費用その他は労働組合の方で面倒を見て欲しい、こういう要請がございました。ところがその当時労働組合の集めました、それまで集めました資金は殆ん枯渇をいたし、二十五万の日本人を四七年の三月までに全部送還するためにどれだけ費用が要る、どうしてこの資金を調達するかということは重大なる問題であつたのであります。そこで取敢えず引揚者の收容所の建設をやらなければならないという問題が起りまして、取敢えず我々はこの四ヶ月間の送還で以て二億円以上の資金が要るということを予算を立てました。先ず一千五百万円を一般の市民の寄附に仰ぐという方針を立てたのであります。ところがこのとき、先程の榊谷組の社長の幡谷仙次郎、大連汽船の船長をしておりました納賀雅友、正金銀行の支店長中西有三、これらの人々を中心にいたしまして、とてもこれだけの資金を一般に求めることは困難である。だから、一般の有産者から我々世話人が金を預つて内地において日本政府の法令に従つて然るべく償還するという約束の下に金を集めまして、これを労働組合に提供して、それで以て引揚の業務をやつて貰いたい。こういう申出がございました。そこでこれを取上げまして、二億一千五百円万の募金計画を立てて進んだのでございます。ところが、十一月の九日の晩に第一回の引揚者の集合命令が発せられ、十日に引揚者大連埠頭に收容をされまして、日本から船が入つて来るか来るかと待つておりましたが、一向に来る気配がない。やつとその年の十二月五日に第一般が参りまして、五千名の人が乘船をいたしたのでありますが、その約一ヶ月間の埠頭收容所における主食、副食、その他の給與、あらゆるものはすべて労働組合が支弁をしなければならなかつたのであります。この費用は一般の市民から集めました約一千万円余りの、一千百九十万円になりますか、この資金で以て充当をした。一千五百万円の目標の中で、一般の市民からはそういうふうな一千二百万円近いものが集まつたのでございますが、この資金があつたためにこの一ヶ月間の無料給食が実施されて、第一般の来るのを待機することができたのであります。  ところが、この一般の基金募集の方法はどういうふうにやつたかと申しますと、先ず全体として非常な有産者から一般の勤労者、貧困者に至るまで五等級に分けまして、確か一等は五百円、一番惡い五等は百円、こういうものを一応の基準にいたしまして、その基準を基準にいたしまして、寄附を仰いだのであります。その仰ぐ方法は、それぞれの大連全市に亘りまして各地区に引揚対策協議会ができました。これはすべて労働組合と一般地区の居住者で以て組織されていたのでありますが、この引揚対策協議会がそれぞれ中心になりまして、個別的に資産の内容生活内容、困窮の状態、これを調べまして、この協議会において十分討議された上で、この徴收が行われたのであります。  更に幡谷仙次郎氏を中心とする世話人団の基金の募集、これは極めて不十分でありました。十二月の初めに僅か五千人の人を送還した曉に、組合手許には僅か千五百万円くらいの資金しか残つていない。非常に募集の成績が惡かつたのであります。そこで当時奉天、或いはその他の地域におきまして、領事館その他が借入金をしておるという話を聞き、更に葫蘆島その他におきましても、内地に帰つて一人一千円宛の所持金の持帰りが許される、こういう話でありました。そこで何とかしてこの一人一千円の持帰り金を持帰ることができるようにさせたいと思いましたが、ところが、我々はソ連司令部の命令によりまして、日本銀行券以外の貨幣、朝鮮銀行券、満州銀行券その他の、或いはソ連軍票、これを内地に持帰るということは禁止されたのであります。ところが、当時大連におきまして日本銀行券は僅かに專門家の算定によりますと二千万円しかない。当時の流通貨幣はすべて軍票でありました。而もその二千万円は退蔵されて誰のところにあるか分らない。大部分が大きな資産家のふところに仕舞い込まれておつたのでありますが、この二千万円を全部供出いたしましたとしても、これは到底二十万人は愚か、二万人に一人一千円を與えるに過ぎない。こういう状況下に置かれたのであります。ただ荷物は一人について百キロ以内という規定がなされておつのたのでありますが、何とかして引揚後における、直後における当座の費用その他を調達しなければならない必要が起つたのであります。そこで、併し組合といたしましては日本政府に連絡する方法が何らなかつた。直接的に連絡することは又禁ぜられておる。そこで第一船が帰る、出発をいたしまするとき、当時の引揚者団体全国連合会の事務局長に宛てまして、私の名前で以ちまして一人当り一千円の持帰り金について日本政府に交渉方を依頼したのであります。併しその交渉の結果が判明をいたしませず、一方難民引揚の過程における冬がますます迫つて来る、難民が続出する、こういうような状況の下において組合は……組合ではありません、引揚者対策協議会は非常な資金難に陷つた、何とかしてこの悲境を打開しなければならないと思つて、取敢えず引揚対策協議会の名におきまして、持帰り金預り証というものを発行いたしました。その金は一人について一千円を限度にいたしまして預りまして、この基金を以て引揚の業務を一方遂行すると共に、この預り証を内地の税関において日本銀行券に兌換をして貰いたい、こういう連絡をいたしたのであります。そうして集まりました金が約二千三百八十五万円になるのでありますが、この制度は十二月の終りから翌年の一月の二十三日まで続けられ、二十三日に私はソ連軍司令部の呼出しを受けまして、このような証券類の発行停止の命令を受けて、そのためにそれ以後の発行は停止をせざるを得ない状態に立至つたのであります。  更に建設公債の問題がございます。大連市建設公債として丁度三千万円が集められたのであります。上原君は先程一億二千万円集まつたと言いますが、これは全く嘘であります。千九百四十六年の十二月十五日、私は大連政府に呼ばれまして、大連は新らしい建設を始めなければならない。ところが資金が非常に欠乏しておる。取敢えず市政府建設公債三億円の発行を考えておるが、そのうち一億円を日本人から集めたい、労働組合はこれに協力して欲しいという申出がございました。私はこれに対しましてその当時の日本人引揚に伴う資金の問題、更に引揚に伴ういろいろな窮状を訴えまして、一応これを断つたのであります。併しながらいよいよ引揚が始つて見ますと、大連の埠頭には五千トン乃至七千トンの大きな船が着く。日本人は窮乏化した、難民化したと言いながらも相当の荷物を持込んでいる。而も一方の反対側のロシア町の埠頭では、山東へ帰らなければならない中国の難民諸君が群集しておる。而もこれらの人々は、百トン乃百五十トンのポンポン船で帰らなければならない。こういうところから、全体として大連居住者が中日人を問わず窮乏化しておつた状態でありましたので、部分的には不幸な事態が起りましたし、又これが全面化する可能性もあつたわけであります。大連市当局はこの点を憂えまして、再三組合に対して要請して参つたのであります。そこで組合だけの力で行うことはできないので、世話人団の諸君と組合大連政府、これが一堂に集まりまして大連政府の申出を聞いて、ここに大連市建設募債委員会公債の募集委員会というものを組織しまして、戰前の大連経済会会頭首藤定氏を委員長にいたしまして、当時の大連日本人消費組合の事務局長をしておりました石堂君を副委員長にいたしまして、この募債委員会発足をいたしたのであります。当時我々は一億円と言われておるけれども精の六千万円集まればいいだろう、こういうふうに思つておりましたが、実際は六千万円は集まらなかつた。三千万円とかこの運動によつて集まらなかつたのであります。この募債の基金の徴收方法は、当時元の関東州庁並びに大連市が持つておりました所得税に関する資料、これを基礎にいたしまして、各業種別、団体別に一応の個人別の査定をして、その団体ごとに世話人ができまして、この世話人が直接個人に対して割当てる。但し專門技術者、或いは労働者、貧困者はこれから除かれる。主として旧指導的な地位にあつた人、並びにフアシスト的な帝国主義的の行動をその後も続けておるような人を対象として選びまして、この人達に公債の基金を出して頂く、こういうふうな方針で進んだのでございます。その後三千万円の建設公債は、私共が引揚げまするときに、日僑公債管理委員会というものを作りまして、前の大連機械株式会社の專務をいたしておりました森川莊吉氏を委員長に、当時の大連病院長その他の人々が委員になりましてこれが管理され、他日中日の国交が再開された場合においてこの基金は利子と共に協力した本人に返される、こういう建前で進んだのであります。その後昨年、一昨年引揚げて参りました人達の話を聞きますと、大連政府は確実にその翌年から利子その他を支拂つておる。その利子で以て残留日本人の子弟の教育費が支拂われておるということであります。この建設公債の割当に関連をいたしまして、この一月から三月までの引揚費用並びに引揚者の救援の資金が集められました。これらは大体二千万円以上に上るのでありますが、その他に労働組合、消費組合、或いは引揚対策協議会だけの直接の救援その他では間に合わない地区におきまして、自主的に合作社を組織し、消費組合の各部の連絡をとりまして合作社運動が展開されたのであります。この合作社運動を通じまして、大体述べ六十万人の日本人の救援が四十七年三月末までに実施されたのでありますが、これらの合作社の基金は、組合本部に報告のありましたものだけで約九百万円、その他報告漏れのもの推定五百万円くらいを入れまして、一千四百万円余りくらいになるのであります。その外いろいろ引揚に伴なうところの給食料或いは收容所までの輸送料、これらを入れまして大体引揚に要しました資金は一億三千三百万円になります。これは予算より非常に減つておりますが、この減つた理由は、四十六年十二月五日からすべて收容所内における給食はソ連政府において受持つということになりましたためであります。これらの組合が特收いたしました費用を合算いたしました合計二億二百四十七万三千円になると思われるのでありますが、そのうち、三千万円は公債の募集金であり、更に三千万円は剩余として残りましたその中の一千万円を、残留者に対する救援とそれから引揚軍人の援護のために使いました。私共が帰るときには、二千万円の基金が残つたのであります。この二千万円の基金は、残留を要請されました一万人の日本人同胞によつて組織されたその後の勤労者組合の経済部に引継がれまして、その残留者の生活の援護に役立つておるのであります。大体以上申し上げました。
  22. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 只今までの……。
  23. 土岐強

    証人土岐強君) ちよつと追加して……。この二億二百四十七万円という徴收金は、すべて大連の在外同胞借入金として日本政府において考慮されなければならない金額であると考えます。ただ問題になりますのは三千万円の公債の応募金、これだけは問題にすれば問題である。更にそのうち実際に支拂われたと見られるものは、持帰り金制度によつて集めました二千三百万円なにがし、これは殆んど大部分佐世保、舞鶴、博多におきまして支拂われておるようでございます。ただ一部分これが残つておるのがあります。
  24. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 只今までの証言に対しまして各委員から御質問ございますか。ちよつと速記を止めて下さい。    〔速記中止〕
  25. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 速記をつけて下さい。午後一時半まで休憩いたします。    午後零時三十二分休憩    —————・—————    午後二時三十分開会
  26. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 休憩前に引続き委員会を開会いたします。  先ず各委員からの御質疑がございましたら発言を願います。  尚委員長から二、三点まだ質問いたしたいことがございますから先に質問いたしてよろしうございますか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  27. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 土岐証人委員長からお尋ねいたしますが、証人大連において鈴木操という女の方を御承知ですか。
  28. 土岐強

    証人土岐強君) お答えいたします。承知しております。
  29. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 日僑管理局から労働組合を作られるときにこの鈴木操、溝口春男、柳原正元、こういう人達によつて先ず労働組合結成の準備がなされたと解釈してよろしうございますか。
  30. 土岐強

    証人土岐強君) 鈴木操という人は婦人の方でありまして、これは全然関係ありません。ただ組合ができましてから組合の救援部に勤務をしただけであります。溝口、柳原については、柳原は関連はいたしておりますが、溝口は全然関係はありません。
  31. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 尚もう一、二点続けてお伺いして行きますが、日僑管理局から労働組合を作れという先程の、午前中の証言では、どこからかそのような指令があつたような御証言と承つたのでありますが、実際問題としてはそういうものを作るいわゆる打合せをば柳原正元、数名の者から持出されて逐次作られて行つたというのではないのですか。
  32. 土岐強

    証人土岐強君) お答えいたします。日僑管理局という言葉がたびたび委員長のお言葉にあつたのでありますが、こういうものは全然存在しておりません。ただ大連政府の中に日僑管理局というものがございました。恐らくその誤りではないかと思います。
  33. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 私が今申しております日僑管理局と言つたのは市政府の中の管理局が課か知りませんが、その意味でお尋ねいたします。
  34. 土岐強

    証人土岐強君) その意味でお答えいたします。日僑管理課から労働組合を作れという要請は別にありません。この労働組合は、午前中の証言においても申し上げました通り、最初、日本人民主主義連盟準備会におきましてこれが自主的にできた組織でありますが、この組織が中心になつて労働組合組織しようという運動を始めておつたのであります。その意向をもちまして、日僑管理課を主宰しておりました大連政府の教育局長に話をいたしました。一方ソヴイエト軍司令部に要望をいたしたのであります。ところが民主主義連盟は当分認められない。労働組合ならばソ連軍としては認めてよろしい、認める方針である、というようなことが四十五年の十五月五日の会合において明らかにされたのであります。
  35. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 重ねてお尋ねいたします。午前中の証言にもありました通りに、労働組合が募集されたところのその方法等について、ソ連当局かに中止を命ぜられたという御証言がありましたが、いわゆるこの労働組合において徴收される計画、即ち第一期の食糧穫得運動、その次に住宅調整とかいうような計画、そのものすべてが労働組合自体の計画に基いて行われたと、このように解釈してよろしうございますか。
  36. 土岐強

    証人土岐強君) 中止をソ連軍から命ぜられましたのは引揚者の携帶金預り証の発行の件でありまして、それ以外の件につきましては労働組合の自主的な発意に基きまして実行をいたします場合には、大連政府並びにソヴイエト軍司令部の許可の下に行われたのであります。
  37. 岡元義人

    委員長岡元義人君) この点につきまして上原証人にお尋ねしますが、これは持帰り金に対するところの徴收そのものについては止められていると、こういう御証言只今土岐証人からあつたわけでありますが、その他の徴收に対しては全部ソ連側当局の指令によつて徴收したもんだと、こういう工合に解釈してよろしうございますか。
  38. 中野重治

    中野重治君 これは委員長質問を私は訂正するわけじやありませんが、今土岐証人証言で明らかになつたように、連合軍当局から中止を命ぜられたのは持帰り金に関する、日本へ行つてからそれと引換えに日本銀行の兌換券を引渡すというための預り証、これをそれ以上発行することを中止を命ぜられたというふうに証言された。私もそういうふうに受取つておるのでありますから、委員長から上原証人にお尋ねになる際は、やはりそのようにしてお尋ねにならないと問題が混乱すると思うのです。
  39. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 只今上原証人委員長がお尋ねいたしております一番眼目は、今中野委員からも御注意がございましたが、その点以外のものはいわゆるソ連当局の指令によつてそういう計画がなされた、又命令が出されたんだと、こういう工合に解釈してよろしうございますか。
  40. 中野重治

    中野重治君 それについても再び言うのは面倒でありますが、若し委員長土岐証人証言を基礎としてその点は上原証人においてはどう認められるかとこうお尋ねになるならば、やはりそれは正しくない。併し委員長が別個の問題を出されるならば、これは委員長の自由であるけれども、即ち土岐証人証言を基礎とせられるごとく今発言されましたが、それならばそれは土岐証人証言そのものとは違つている。何故かと言えば、外の問題について何らか他から命令されてやられてはおらんという証言がなされておるのでありますから、民主的な仕事、活動に対して労働組合が協力したというふうな問題について、それを委員長委員長の主観に基いて軍当局から命令されて云々云々というふうに出されると、やはり又間違つて来る。これはさつき私が言うべきでありましたが、さつき言い忘れましたから附加えて置きます。
  41. 水久保甚作

    水久保甚作君 私は委員長が尋問される時分には、これは独自の立場からやるのである。これを、委員から注意を受けて、そうしてそれに対してその言語を左右されるということは当を得ないと思います。委員長委員長の資格において自分の思うことをお尋ねになるのが穏当であると思います。この点を私からも御注意を申上げます。
  42. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 中野委員委員長から御答弁しようと思つているところを水久保委員から発言されましたので……又各委員から只今質問の時間になつているわけであります。そこで、中野委員の感覚からお考えになつている質問と、又委員長から聞こうとしている感覚は違うと思うのであります。そこで、それは証言がどのような証言がなされようとも、それは後程委員会において審議されるものであつて、それに対してそういう質問をしては間違うからこういうふうな質問をしろ、こういうふうなことはちよつとおかしいと思うのであります。むしろ私の方で聞いた質問が違う場合には、証人の方から訂正がある。かように考えますので、一応委員長からの質問質問としてこれから続けて行く……。
  43. 中野重治

    中野重治君 委員長の今の御発言は御尤もであります。従つて水久保君が、私が委員長が誤つた質問をしないための発連を、委員長がそれに対して私自身に答える前に、委員長が私の注意に従つて言を左右にするというふうにとられることは遺憾であります。今のお答えによつて明らかになりました通りに委員長は運んで頂きたい。即ち一方の証人証言を基礎として問うということと、一方の証人証言を基礎として、これに対して委員長の独自の解釈において問うという場合と二つを明瞭に区別してやつて頂きたいと、こう改めて申します。
  44. 小杉イ子

    ○小杉イ子君 私二つ程伺います……。
  45. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 委員長質問は一番あとで結構なんでございますから、一応今お尋ねしている質問だけ終りましてから、各委員からの質問をお願いしたいと思います。  只今上原証人委員長からお尋ねしている問題はお分りでございますか。
  46. 上原進

    証人上原進君) もう一度お願いいたします。
  47. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 上原証人に重ねて伺いますが、いわゆる持帰に金に対しては、これ以上発行してはいけない。こういう御証言があつたわけです。併し、徴收されました、いわゆる労働組合徴收されましたところのこの計画、いわゆる食糧穫得運動と、住宅調整運動に対するところの徴收金というものは、申請して許可を受けたという御証言はさつきあつたわけでありますが、それはやはり、上原証人に私がお伺いしたいのは、ソ連当局からそういうふうな指令その他があつてこれはやつたものである。こういう工合にお考えになつておられますか。
  48. 上原進

    証人上原進君) お答えいたします。私は苟くも、戰勝国であるソ連当局及び中国が、私共大連在留者二十五万からあれだけの金品財物を、根こそぎに捲き上げたという事実というものは、如何に考えましても、ソ連及び中共当局からそういうふうなことをやれというふうな指令があつたというようなことは考えられない。常識的にこれを見ましてもそういうことはあり得ないと、私は断言して憚らんのであります。而もこれが内容につきまして一々申上げますと非常に長時間に亘りますので、その都度証拠を提出して、これを補足したいと思います。
  49. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 上原証人に申上げますが、只今発言なすつた証拠というものはこの場で御提出なさろうとしておりますか。
  50. 上原進

    証人上原進君) できます。
  51. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 提出を求めます。
  52. 上原進

    証人上原進君) 私の手許には全国各地から数百通の手紙が参つておるのであります。而も昨年来労働組合を糾彈すべしという全国的な大連引揚者の大会が開かれたのであります。その大会の決議文も私の手許の参つておりますし、参議院にも当委員会にも提出されておると思つております。而もその内容たるや言語に絶する非人道行為であるということを強調していないものは一通もないのであります。私はソ連及び中国がかくのごとき非人道行為を労働組合に計画させ、これを実行させるということはあり得ないことであるということは私は信ずるのであります。その一つの例としてこれは又私書類を早く十五通の手紙を写しを出したのでありますが、その書状の主は元関東局の警察官をしておつて現在佐賀県に居住しておるのでありますが、その内容によりましても如何大連在留者が悲惨なる状況下にあつたかということが立証されるのであります。従つてそういう残虐非道なる行為が労働組合の計画の中に織込まれることは、決してソ連中共側のいわゆる指図によつたものでないということを明らかに申上げられると思います。
  53. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 尚各委員の方に御報告申上げて置きますが、この大連労働組合徴收金を繞りまして当委員会各地区から決議が提出されておりますが、その一部はお手許資料としてお配りしてございますが、大体内容は同一でありまして、  終戰後関東在留同胞多数に対し直接暴行或いは監禁等の不法行為をなし、或いは脅迫、凌辱等の圧迫を加えて自殺、嶽死等言語に絶する惨状を露呈させた大連日本人労働組合幹部土岐強、石堂清倫、柳原正典、野々村一男、須知善一等の不法行為を糾彈する。   一、大連日本人労働組合元幹部に対し組合名において関東在留同胞より搾取したあらゆる資金の決算報告を要求する。   一、大連日本労働組合関東同胞から日本人引揚対策資金或いは難民救済資金等の名の下に徴收した財産はすべて日本政府においてこれが補償をされたい。  大体このような趣旨で京都地区、愛知地区、本日更に神戸地区から同様の決議が提出されておりますことを御報告申上げて置きます。
  54. 小杉イ子

    ○小杉イ子君 私は土岐証人一つお伺いしたいと思いますことは、一つの会でさえもなかなかやり遂げなれないものでありますのに、土岐証人におきましてはこの名前はむずかくて長いから申しませんが、労働、勤労、引揚、その三つの会をお開きなさつて、そうして命令なさつてこれを整理なさつたということはなかなかおつしやつた通りであるならば、我々はこれは非常に感謝しなければならん。日本として感謝しなければならん。こう思うのでございます。  質したいのは、一人でなさるわけじやないと思う。その人員とか、人件費、食糧、救われた人達に與えられたところの額、それが正確であるか、土岐証人の方で正確ならば、何もこれは尋問する必要もない。ただ感謝しなければならないのではないかと思うのでございます。それをお伺いしたいと思います。  それから二番目にソ連の認めない組合は認められなかつたと、こうおつしやいますが、三つの組合に対してソ連、中国は何か主義か何かを注込むとか、教えるとかいうようなことが規定になつておりましたか、内々なつておりましたか、そういう赤い思想を注込むというようなことがあつたのでございますか、これを伺いたい。
  55. 土岐強

    証人土岐強君) 第一点についてお答えいたします。小杉委員の方からお尋ねがありました組合が中心になりまして、終戰後大体三つの団体が作られたのであります。午前中に私が証言いたしましたように、これによる救済者の数、その他については私としては確信を持つて申上げることができるのであります。ただこれらの救われた人々が東京の真中へ持つて来て、自分達が組合のために非常にお蔭になつた、御世話になつたということを大きく宣伝をしていないだけであります。ただ我々が引揚げて参りましたときに、四十七年の一月から二月頃にかけまして向うで救済された難民、或いは孤兒院の諸君が東京における座談会等においていろいろなことを発言した。ラジオでも私達はそのことを当時聞いております。  それから第二の御質問でございますが、ソ連司令部並びに大連政府からこういうふうな思想を注込まなければいけないというような積極的な注意はありません。ただ組合として、日本人の中に持つておりました中国人民に対する民族的な偏見、日本人は中国人よりも遥かに優つておるので、ただ我々が非常に困つておるのは戰争に負けたからだけである、こういうふうな感情、或いは再び侵略戰争をやる、こういう侵略思想、或いはフアシスト思想、こういうものを除かなければならない。これは組合の綱領にも掲げておりますが、その点につきましてはソ連司令部並びに大連政府からたびたびの注意がございました。民主的なふうに日本人を教育しなければならないということが言われました。併しこの民主教育につきましてソ連の司令部からも大連政府からも公式の教科書は與えられたわけでもなく、何ら特別の指令があつたわけでもありません。ただ赤い思想を注込んではいけないというような指示はありませんでした。
  56. 小杉イ子

    ○小杉イ子君 一つ土岐証人に伺いますが、土岐証人を見受けましたところ……私共がこの資料が見ますところ、大変贅沢をなさつた。料理屋に行つて大変使われたということがございますか。そういう食糧の少い、餓死しなければならないようなときにそういうことをなさつたのでございますか。それは又はなさらんのに本当の惡口なんでございましようか。その辺が伺いたいのです。露骨に伺いたい。
  57. 土岐強

    証人土岐強君) お答えいたします。そういうことはございません。すでに千九百四十四年、この第一回の二月から三月にかけましての緊急食糧穫得運動の過程におきました、私が妾をつ持ておるとか、カフエーで呑んでおるとかいう噂が盛んに飛びました。併し実際その当時組合に関係しておる者、私の居住の附近の人達が申しておるように、私はこの運動をやるために一週間に一度か二度しか自分の家に帰ることができなかつたのでございます。組合の事務所に泊り込んで朝から晩まで、或る場合には徹夜を何回もしてこの運動の推進に盡立したのであります。又その後私の家族は、私が貰つて帰える給料が少いために十分な栄養を取ることができなく、四十六年の八月から三ケ月に亘りまして、私の家内は遂に栄養失調に黄疸を併発しまして寝込んでしまうというような悲惨な状態になりました。更に又私は誰にも同じように住宅調整をしたのであります。ただ私の住宅は確かに広かつた。それは組合の夜間における会合その他に使うため組合公館として指定されたために、そこに引越したのであります。その引越し荷物が少いために手伝に来た人が非常に不思議がつた土岐委員長の荷物はまだ来ないか来ないかということを言つて、押入の中を明けて見たら僅かに一固りの荷物があつた。これだけかということで、私の家に入りまして疊だけしかないということがその当時言われて、組合員の中にさえ抱かれておりましていろいろな疑念がふつ飛んだ事実がございます。ただ私が如何にも贅沢をしておつたというようなことを言い触らすのは、何とかとし組合組織を撹乱し、組合の幹部を大衆から浮上らせようとする一部の陰謀、反動的な人達の噂に過ぎないのであります。このことは私どこに参りましてもはつきり証言できます。
  58. 小杉イ子

    ○小杉イ子君 もう一つだけ伺います。出納係という人がございましたか。それともあなたがなさいましたか。そういうことは私は伺いたい。
  59. 土岐強

    証人土岐強君) お答えいたします。私は組合委員長でありまして、常任委員会委員長でありまして、私自身が会計を掌つてつたわけではありません。組合の事務の中には、書記局の中に経理、総務というふうにそれぞれ事務分掌が決まつておりまして、経理関係何人だつたか、今はつきり覚えておりませんが、数名の担当者があつたわけであります。
  60. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 土岐証人に伺いますが、この三つの団体はおのおの関連があつたようでありますが、金を集められる場合に、その三つの団体の名前でお集めになつたのでありますか。それは非常にはつきりしておるのでございましようか。或る一つ仕事に対して労働組合の名で来るものもあり、日僑の団体というような名で来るものもあるというような状態でありましたかどうか。
  61. 土岐強

    証人土岐強君) お答えいたします。この三つの団体はそれぞれ関連はございましたが、別個の組織であります。委員長は一応向うの特殊事情によりまして私が選任されたのでありますが、会計はすべて別でございました。労働組合が行いましたいろいろの救援その他の活動の資金が、会計が全然特別会計になつておりまして、労働組合自体の宣伝活動その他は、これは労働組合本来の労働組合に対する一般の寄附金と消費組合の利益金から一部寄附されたもので以て賄つてつたのでありまして、一般の救援活動の資金は、労働組合が救援活動をやつております場合も救援費として特別に一般の組合関係の経費と別個に管理しておりまして、ただ引揚げが始まりまして、千九百四十六年の終りからこの経理関係だけの事務を取扱うところを一本にいたしまして、口座を、勘定を別にいたしました。そういう事実はございます。
  62. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 続いて伺いますが、こういう金を醵出させたのに対してどういう書類を提出なさつた方に対してお與えなさつておりますか。
  63. 土岐強

    証人土岐強君) 労働組合の第一回に行いました緊急食糧獲得運動のときには、大連日本人労働組合の名前で受取証を差上げたのであります。第二回の非常食糧獲得運動につきましては、食糧協議会の名前で以て受取証を差上げてあります。更に住宅調整については、住宅調整協議会の名前で受取証が出ております。引揚資金につきましては、大連日本人引揚対策協議会の名前で出ております。更に大連市建設公債につきましては、大連市建設公債募集委員会の名前で出ております。
  64. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 続いて伺いますが、その受取証には、ただ受取証という名とかという名前は一つも含んだ証書ではないのでありますか。
  65. 土岐強

    証人土岐強君) 借入れというようなことが書いてある証書ではないのですか。
  66. 土岐強

    証人土岐強君) 借入れという証書は書いておりません。ただ引揚が始まりましてから、午前中に申上げましたが、引揚資金世話人団として発行したものは、これは一種の借入れという形式を取つております。
  67. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 併し……。
  68. 土岐強

    証人土岐強君) 併しこれは労働組合としてはそれから借入れたわけではありません。その世話人団から醵出をして貰つた、こういう形を取つております。
  69. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 併し只今これは政府が支出すべきものだ、こういう御意見のようでありましたがそうしますと、その間にはやはりその人達から一時借りて使つたというお気持でやつておられたのか。
  70. 土岐強

    証人土岐強君) お答えいたします。私共はその当時この難民貧困者、勤労者、こういう人達はこの日本帝国主義の起した帝国主義的な戰争の戰争犠牲者である。この犠牲者を救うのはやはり日本政府でなければならない。こういう見地に基いて運動をしたのであります。但しその当時当地におきましては日本政府にはその連絡のしようもなかつた。だから我々は有産者、財閥、これに要請をしたのであります。この人達にはいずれ帰つたならば日本政府要求して欲しいということを私達は申上げておりました。
  71. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 上原証人にお尋ねいたしますが、この労働組合ができますまでにいろいろな段階があつたようでございます。先程の御証言にも西部何組合とかというのをお拵えになつたように承つております。ただその組合のみならず外の組合でも、労働組合成立前に居留民から金を醵出されたというような例が沢山あるのでございましようか。
  72. 上原進

    証人上原進君) お答えいたします。終戰直後参りましたのは大連奉仕団でありますが、奉仕団は現在三百五十万円の支拂を受けるように外務省の方においては受入れておるようであります。それから大連労働組合徴收しました面におきましては現在まだ受入態勢はないのであります。それを今請求しておるわけであります。それから私共が結成しておりましたいわゆる区長連合会と申しますのは、これは僅かな金でありまして、結局市役所の西部出張所というものを私共が引受けまして、従来の、いわゆる反動分子でありましようが、これらの人によりまして区長連合会結成いたしまして、その区長連合会の名において管内の行政をやつたのであります。その行政をやりましたその金は、つまり市役所の戸別割、いわゆるあちらでは人頭税になりますが、戸別割の、いわゆる賦課金額を基準といたしまして多数不特定の人からこれを徴收いたしたのであります。それから各方面から流れて来ます避難民、或いは終戰によつて生ずる貧困者の救済は、これは特定の、私はいわゆる富裕階級より徴收すべきものであるとこういうふうに委員会の意見がまとまつておりましたので、避難民救済の名におきましてこれら富裕階級から寄附金を徴收した事実はございます。この金額は五、六十万円に過ぎません。大した金額ではないのでございます。
  73. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 土岐証人に伺いますが、世話人団が集めました金が三千六百二十万三千円となつておりますが、これはどういう使途に使われたのでございますか。
  74. 土岐強

    証人土岐強君) 世話人団は先程の説明では説明が不足しておりますので改めて附加えますが、食糧獲得、第二次の非常食糧獲得運動、別の名前では食糧協議会運動と申しますが、その協議会運動のときに世話人団というのが発生したのであります。この協議会運動に或る程度協力した人に対して、世話人団が食糧協議会世話人団という名前で以て感謝状なんかを出しております。それと引揚が始まりましてからこれが引揚資金世話人というふうに名前を改めまして、それが受取証や感謝状のようなものを出しております。この最初の食糧協議会世話人団におきまして集めました資金はすべて大連勤労者消費組合食糧獲得の運転資金として使われました。第二次の世話人団の資金、この資金はすべての引揚資金として使用されました。それから一部募債、これが募債救援……大連市建設公債の募集委員会と重なつておりまして、この建設委員会、建設公債募集委員会の方に醵出したものも世話人団を経由いたしまして醵出したものがございます。それを合せまして何か四千三百万とかになると聞いております。
  75. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 その最後の、大連政府建設公債募金、これの中の只今お話のように、一部は引揚資金世話人団の裏書によるものが含まれております。こう書いてありますが、これに出しました人は、やはり引揚げのために使われる金と思つて出したのじやないのでございましようか。
  76. 土岐強

    証人土岐強君) 引揚げの金として使われるということを承知して、一部は承知……、いや資金の中には二つの種類があるということを了解して出しております。それは四六年の十一月から一月の半ば頃までにかけましては、この世話人団の集めました資金につきましては、これは引揚資金として使われると全部は了解しておりました。それから市政府建設公債は一月の二十日頃から始まりましたもので、四七年の一月の二十日頃から始まりましたものでありまして、これにつきましては公債引揚資金両方の性格のあるものがあるということを了解しているわけであります。
  77. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 そこを伺いたいのですが、この市政府建設の方は今の政府の、今度償還さるべき借上げ金の中には入れておいでにならないようであります。出しました人の気持が、それがはつきりそれに使われるんだということを承知で出したなら、それでもいいかもしれませんけれども、引揚資金として出したものがそつちに用いられたということになりますと、結局これは借りるときの意思表示によるべきか、それとも使われた使途によるべきか、こういうことになります。どうもこれは使途によるべきでなく、借入れのときの要望の気持ちによるべきだと思いますけれども、そうしますと、三千万円全部を除くということが、少し不当ではないか、というような気がいたすのですが、その点如何ですか。
  78. 土岐強

    証人土岐強君) この市政府建設公債につきましては、応募した各個人は大連政府から別に公債を渡たされているわけではありません。名前は向うに登録されてあるかも知れませんが、本人には何ら手形がないのであります。そういう暇もなくて、引揚の早々の間に、このうちの幾分かが公債応募金になるんだということを考えて供出して帰つたのであります。だから供出した人達の気持ちから申しますならば、この建設公債の分も借入金等として返えして貰いたい、こういうふうに思うのは当然だと思います。
  79. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 そうしますと、一体誰の分がどれだけそちらに廻つているのか、結局本当に今度は返えすとなつたときに、それが明瞭になる得るものでございましようか、結局その市政府建設の方途は、まあこれは借入金とは認められないということになりましたときに、その中に何百万円ですか、何千万円ですか、入つているとしますと、結局それだけ金が足りなくなるわけですね、これが誰の分が幾らというようなことがはつきりし得るものでありましようか。
  80. 土岐強

    証人土岐強君) 私はその点の詳細は存じません。ただ私の推測で申しますれば、恐らく各個人の分としてはつきりしていないのじやないかと思います。ただこの点につきましては当時の公債管理委員会委員長をしておりました森川莊吉氏が帰つておられますから御調査下さるようにお願いしたいと思います。
  81. 中野重治

    中野重治君 簡單に二、三の点を両証人にお尋ねしたいと思います。土岐証人にお尋ねいたします。証人は住宅の問題、或いは難民の救済の問題、それから引揚げの問題等々について民主的に事が行われて来たというふうに言われておりまして、この民主的な手続というものがどういう場合であつたかということを多少証言されたようでありますけれども、実際にはそういう場合にはいろいろな事情があり得るので、仕事をした当事者は民主的に事を運んだ、その手続は十分民主的であつたと思われておつても他から見た場合、又客観的に見た場合そうでなかつたり、甚だ不足したりするということがあります。それで特に住宅調整の問題について、及び引揚げを運ぶその手続において、これは例えば大連の近くの胡蘆島の場合なんかを私共聞いておるところによれば、いろいろ金のある者は金を使い、顔の利く者は顔を利かせて有力者が先へ帰つてしまつたというようなことがあるのですが、大連の場合は果してそうであつたか、なかつたか、こういうことをもう少し、ただ民主的な手続によつてというだけでなく証言して貰いたい、こう思います。
  82. 土岐強

    証人土岐強君) お答えいたします。
  83. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 発言されるときは委員長と呼んで下さい。
  84. 土岐強

    証人土岐強君) 住宅調整その他民主的な手続であつたという具体的な内容をお尋ねでございます。住宅調整の場合につきましては、大連の行政区画に区、坊、閭という区画がございます。その区にはそれぞれ住宅調整協議会が中国人、日本人の間に作られ、別個の組織であります。坊、これは五十戸單位くらいのものでありますが、この坊にも協議会ができております。閭というのは下の組織でありますが、協議会ができまして、これは全員参加しております。大体坊、閭が中心になりまして全員の常会が開かれ、この家の資産状態はどうであるか。この家の貧困程度はどうであるか。この家の病人はどの程度の病人であるかというようなことを十分相談して、どういう人を救援しなければならないか、どういう人にどういう部屋を與えなければならないかというようなことを全員が数回に亘り討議の末民主的に行われた。その方針に従いまして住宅の移動が行われた、この方針に従いまして住宅の移動が行われたのであります。その外そういう形で全般的にはなりましたけれども、その中には以前の指導者の家に一部の者は依然として自分は豪壯な邸宅に住んでおる、貧困者が入つて参りましても立派な部屋を提供しようとしない、僅か裏長屋を提供して、自分は依然として一等の部屋を占領する、こういうところから、入つて来た貧困者、難民の人達から指彈を受けたという例は一、二に止まらないのであります。又引揚げ緊急食糧獲得運動資金の募集にいたしましても、いろいろ民主的な方法で我々はやりました。又世話人団として結成された人々の中には、例えば田村秀雄というような、当時大連で洋品店並びに飲食店を経営しておつた有力者がおりましたが、この人は非常に積極的に組合に協力するという態度を示して、一般業界の代表を説得して組合趣旨を徹底させるのに努力したのであります。ところがこの人はみずから十万円を出して範を示したのであります。ところがその年の、四十六年の五月頃になりまして、戰時中からの隱匿物資千数百万円の統制物資を隱匿しておつたということが、中国の公安機関の知るところとなりまして摘発されて、完全に似非民主的な人であるという仮面が暴露された事実がございます。  次に引揚げの問題でありますが、私共の引揚げの方針は先ず一番最初に二十一ヶ所の難民收容所におりました奥地からの難民、これを第一線に出して、次いて極貧困者、貧困者というふうに大連に止つてつては餓死を待つより仕方がない、救援の手が十分行届かない、こういう人から優先的に引揚げる方針を取りました。これは又この意見をソ連軍司令部に申出でましたところ、よかろうというので全市に作られました引揚対策協議会において、各戸別に貧困の程度を調査いたしました、その調査に基きまして、貧困の度合に応じて優先的に帰した、送還をしたわけであります。大体四六年の十二月から翌年の一月末まで、この方針で進みました、一月末に至りましてソ連軍の方から、もう貧困者の送還は一応完了した、それで各地区毎に一括して引揚げるという方針が取られました。併しこの引揚の過程におきまして、一部の大多数の人達は組合なり引揚対策協議会の方針に共鳴したしまして、成る程尤もだというので、自分達は、有産者その他はあとへ残ろう。一番あとから帰ろうというので帰りましたけれども、中には一部の人は賄路を使つたり、僞名その他を使いまして、もぐり込み、難民の中にもぐり込み、却つて難民に指彈され、或いはその居住地の住民から引返して貰いたい、引戻して貰いたい、ああいう者を先に帰すのならばというので、非常な抗議が引揚対策協議会本部の方に寄せられた場合も決して少くはなかつたのであります。併し大体において貧困者から順次に送還をいたして参りました。
  85. 岡元義人

    委員長岡元義人君) ちよつと土岐証人に申上げますが、もうこれから先は大体各委員にもよく分つておられますので、質問されました要点だけについて簡單にお答えを願つて置きたいと思います。
  86. 中野重治

    中野重治君 次に別の点についてお尋ねいたします。先程の証人証言大連汽船の社長野川氏、正金大連支店長中西氏、大連病院長の村上氏等の名前が出ておりましたが、午前の証言と今のお話とから考えますと、こういう人々はこれはまあ富裕階級であるか有産者であるか私はよく知りませんが、とにかく相当の地位におられる方であるが、こういう方々は一時の形態に便乘するという意味でなしに、労働組合と協力された人々であると、こう見ていいわけでありますか。
  87. 土岐強

    証人土岐強君) その通りだと思います。
  88. 中野重治

    中野重治君 もう一つ土岐証言にお尋ねいたしますが、それは先程の証言に一九四五年の十二月五日に連合軍司令官から、これは言葉はちよつと正確でありませんが、労働組合以外の日本人組織は、これは禁止せられた、或いは解散を命ぜられたというような話がありましたが。四五年の十二月ですから、暮ですが、とにかく八月十五日以後の事態が一応或る落着きへ来ておるというふうにも、まあ外からは考えられるのですが、何かそういうふうな、当時にできておつた幾つかの組織が、労働組合以外のものは禁止されねばならんような事態があつたと思われるのであります。若し思われるならばどういうふうな事態があつたか、そのことをお尋ねします。
  89. 土岐強

    証人土岐強君) 確かにこういう、その当時以前にできておりました団体は禁止されねばならない事情にあつたと思います。というのは、例えば大連互助会という組織は、大連市の戰時中の市長を委員長にして、戰時中の区長内地におきましては当然政治的に追放さるべき人物で以て組織されておる団体、こういうもの。或いは大連奉仕団にいたしましても、そのうちに関係しておつた或る者は、翌年の四六年の三月十日陸軍記念日を卜しまして、大連市の大阪町の歌仙という料亭を根城にいたしまして、ソ連軍官を殺害し、大連市政を転覆し、労働組合の幹部を暗殺しようと計画しておつて、武裝鋒起を企てた三月事件というのがありましたが、このうちには大連奉仕団に関連をいたしました泰中一という者がこの首謀役を演じたというふうに聽いております。或いは大連愛労奉仕団の幹部は元軍人であります。上原君の組織されておりました西部連合会はこれなんかは顧問として長谷部、元満洲事変の立役者の一人でありました長谷部照悟少将、在郷軍人連合分会長岩井勘六少将、こういう人達を顧問にいたしました、旧追放さるべき西部地区区長と連合した組織であります。これが新らしい事態に適合しないものであることは明らかであります。特にこの上原君の主宰しておられました会の顧問の岩井勘六少将は引揚直前に私のところを訪ねられまして、今までの自分のやつたことは皆誤りである。内地へ帰つたならば私は君達と共に手をつないで民主的にやつて行きたいと、わざわざそういう申出をされに来られたこともございます。そういう点としましても明らかであります。
  90. 中野重治

    中野重治君 土岐証人もう一つだけお尋ねしますが、岩井勘六元少将の現住所は土岐証人には分つておりますか。
  91. 土岐強

    証人土岐強君) 岩井勘六少将は、その後人の便りに聽いたのでありますが、亡くなられました。確か東京都内にその遺族の方が住んでおられると聽いております。長谷部照悟少将はまだ最近の話では帰つていないようであります。ただその後継人の息子さんが東京に住んでおられます。
  92. 中野重治

    中野重治君 上原証人にお尋ねします。先程元の関東軍警察官の人から、これは神戸地区の人に当るかとも思いますが、これこれのもので出ておるというので、書類委員長手許へ出されたようでありますが、その方の名前、住所は上原証人は分つておりますか。
  93. 岡元義人

    委員長岡元義人君) こちらにありますから。
  94. 上原進

    証人上原進君) 分つております。
  95. 中野重治

    中野重治君 次に上原証人が作られた大連の西部地区区長連合会というものができた経過を明瞭に成るべく手短かに証言して欲しいと思います。
  96. 上原進

    証人上原進君) これは新らしく結成されたものではないのでありますが、従来の官庁の縱の連絡機関として区長連合会というのは戰時中からあつたのであります。ところが各役所がなくなりましたために縱の連絡を切られた、各連合会というものは支離滅裂の状態になつて、いわゆる大連在住二十五万の生命、身体、財産の安固或いは治安維持ということにつきまして不安が生じましたので、それをそのまま横の連絡に切換えただけであります。それは当時の状況としてはやむを得ない暫定的の処置だつたのであります。
  97. 中野重治

    中野重治君 西部地区区長連合会ができたのはいつと見るべきでしようか。
  98. 上原進

    証人上原進君) 縱の連繋が切れまして、横の連繋になりましたのは終戰当時の民国三十四年、即ち昭和二十年の十月の二十五日と記憶しております。
  99. 中野重治

    中野重治君 この組立てはどういうふうになつておりますか、組織です。
  100. 上原進

    証人上原進君) 組織は従来の内地における町内会長であります。いわゆる大連地区におきましては区長であります。その区長は市長の任命する区長であつたのであります。市長は大連におきましては官吏であつたのであります。いわゆる大連市長の命ずる区長の下に分区長があり、その分区長の下に班長というようなものがあつたのであります。そこで横の連繋をしました際に、いわゆる横の連繋の統一をはかるために誰を持ち出すかということになりました際、私は、従来の軍人、官僚というものよりも、少くとも関係がないものの方がいいのじやないかというので、私が当時委員長に選ばれたのであります。
  101. 中野重治

    中野重治君 戰時中の区長等々を急の場合であつたからそのまま既存して構成したと、こう言われるわけですね。
  102. 上原進

    証人上原進君) ええそうです。
  103. 中野重治

    中野重治君 そうすると、証人は、戰時中の中国における日本の勢力範囲内、或いは直接には大連ですが、大連の場合の市長、区長等々が、これは個人的に言えばいろいろ差別があるでしようが、全体として見れば日本の中国への侵略の大きな機構の下におつたことは御承知でしようね。
  104. 上原進

    証人上原進君) 分ります。
  105. 中野重治

    中野重治君 顧問に岩井元少将、長谷部元少将等がなつてつたということは、あなたが参議院を最初に出された文書にもあつたと思いますが、これはどういう意味でこういう人が顧問にされたのでしようか。
  106. 上原進

    証人上原進君) お答えいたします。日本人理由如何に拘わらず床の間を作ります。少くとも従来官僚によつて支配されておつた日本人は、いわゆる指導者の力がなくなりますと烏合の衆であります。支離滅裂であります。従つてそこに民衆の社会不安というものは即時に起つたのであります。従つて如何にして在留同胞の、いわゆる結束を固くして一人の餓死者をも出さんようにやつて行くにはどうすればいいかということを考えた場合において、いわゆる大連互助会というものができなくなりましたので、私共の地区だけにおいても何とかして、いわゆる在留、当時約九万、最後は十三万になりましたこれらの人の統一結合を図つて、治安を維持して行かなければならないというので結成いたしましたが、それは單に私共の個人的な意思でなく、中国側及びソ連側の了解を得たのであります。従つて日本人代表としましてソ連政府に出入りをしておつたのは私だけであります。この事実は何のためにそういいものの必要があるかということは今申上げましたが、当時の状況から見まするならば、進駐して参りました中共軍及びソ連軍は、土地不案内のところに参りまして、どうしても日本人に協力を求める必要があるのであります。併しながらそこに協力を求める何らかの何体がないのであります。従つて新しい、土岐君の言われる反動分子にあらざる、戰争参加者にあらざる、いわゆる協力者にあらざる者をしてこの結成をすることは当然であることは私共よく分つております。併しながらそういう楢予がなかつたのであります。従つて当時の……、今日から考えますれば何とでも批判ができるでありましようが、併しあの混乱せる大連市の状況下におきましては、ないよりあつた方がいいのであります。又なければならないのであります。従つて私共はソ連中共側のあらゆる命令を受けております。ここに書類を……、請願書には書類をつけておりますが、各地区から引揚げて参ります難民の收容は私共の手において相当沢山のものを受入れております。殊に金州地区のごときは公文書を持つて私共の団体に申込んで来ておる事実もあるのであります。これらのものは私共の団体において適当にこれを処理して参つたのであります。今中野委員からのお話しは、如何にも私共が戰争中の反動分子を、こういうものを連れて来てけしからんじやないかというふうに聞えるのでありますが、併し私共としましまては、時機に応じて臨機応変の処置を取ることが当然取るべき態度ではなかつたかとこう考えるのであります。
  107. 中野重治

    中野重治君 私の尋ねたことに対してお答え下さい。
  108. 岡元義人

    委員長岡元義人君) ちよつと中野委員に申上げたいのですが、まだ沢山ありますか。
  109. 中野重治

    中野重治君 あります。
  110. 岡元義人

    委員長岡元義人君) もう少し後にして頂きしまて……。
  111. 中野重治

    中野重治君 私の問に簡單に答えて貰えば私の問題は早く片附きます。
  112. 岡元義人

    委員長岡元義人君) それは別といたしまして、委員長から中野委員にお伺いしておるのは、時間の関係等がありますから、他の委員からも相当質問がありますが、一応他の委員質問の後にして頂けませんかということをお諮りしております。先程もう一点と言われましたから……。
  113. 中野重治

    中野重治君 それは土岐証人に対する問題が一点だけと言つたのであります。それから他の諸君に大体……。
  114. 岡元義人

    委員長岡元義人君) ちよつと中野委員に申上げますが、四時頃までにと御発言なさつたのは……。
  115. 中野重治

    中野重治君 私自身なんです。
  116. 岡元義人

    委員長岡元義人君) その外の委員からも沢山質問がありますので、そのうちで運営しようと思つて委員長の立場からあなたにお諮りをしておるわけです。
  117. 中野重治

    中野重治君 委員長には誠にお気の毒です。併しながらこういうことも考えて頂かなくちやならん、これは外の諸君に聞いて貰わなくちやならんけれども、今日午後一時半再開というのに私と穗積委員が来ておるだけで、あとは誰も来ない。それだから私は残された時間で早く行かなくちやならんので早く切りますが、そういう話が委員長からあれば、これは委員長個人の責任ではありませんけれども、他の諸君にもそのことはよく寺して頂きたいと思います。午前中も同様でありますが、午後もそのようであるから、ただ俺にも質問があるのに中野だけが盛んにいつまでも質問をするというふうなことを、定刻に影も形も見せない人々から瀕りに私に向つての非難として言われるとすれば、私はこれをそのまま了承することはできない。併しながら時間も迫りましたから、あと簡單に私は問いますから、上原証人はその間に答えに頂きたい。  次に私が今お尋ねしたことはそういうことではなくて、あなた方が火急の場合にやはりあくまでも戰時中の考えにこびりついてそういう組織を作られたことは、一応主観的には了承するのですが、会長には軍人や官吏でない上原証人が選ばれたといううちにおいて、どういう意味で二人の陸軍少将を顧問になさつたか、その理由を尋ねてやるのです。
  118. 上原進

    証人上原進君) それは簡單であります。如何に終戰によつて日本が敗戰したからと言いまして、長い間の日本の伝統的因習観念は、それによつてすつ飛ぶものじやないのであります。従つて、縦の連繋のなくなつた当時におきましては、横の連繋をしてこれをうまく運営せしめるためには、そういう方法をとつた方が一番近道であり最も効果的であつたということだけなんであります。
  119. 中野重治

    中野重治君 そうすると、二人の陸軍少将を顧問に据える方が、やはり皆が納得する、言うことを利く、うまく動くと、こう考えられたわけでありますか。
  120. 上原進

    証人上原進君) それは当時の委員会の決議によつたのであります。
  121. 中野重治

    中野重治君 つまりそういうふうに受取つていいわけですね。
  122. 上原進

    証人上原進君) よろしうございます。
  123. 中野重治

    中野重治君 そうすると上原証人たちは、戰時中の上から任命された人々を、もう一度そのまま西部区長連合会組織し直し、それからその顧問には二人の陸軍少将を据えるというふうな形で新しい事態に応じよう、即ち全く侵略戰争時代の組織に多少の手を加えたもので新しい事態に応じようと、こうなさつたというわけですね。
  124. 上原進

    証人上原進君) これは一番最初そういうことで出発したのでありますが、いわゆる今日の時代において、そういうふうな旧軍人を持つて来ることは面白くないのじやないかというので、これを除外しましたのは僅か一ヶ月後であります。一ヶ月後には除外しております。ただ一番最初そういう人を持つて来たということだけは事実であります。
  125. 中野重治

    中野重治君 そうすると、二人の顧問は十一月二十五日以後は顧問の職を去つたということになりますか。
  126. 上原進

    証人上原進君) 関係ありません。
  127. 中野重治

    中野重治君 そうなりますね。
  128. 上原進

    証人上原進君) はあ。
  129. 中野重治

    中野重治君 この西部地区区長連合会は十二月五日の連合軍司令部の副司令官からの諸団体に関する禁止、それから承認、あの問題はどういうふうに通過しましたか。
  130. 上原進

    証人上原進君) もう一度……。
  131. 中野重治

    中野重治君 その年の十二月五日であつたと思いますが、先程の土岐証人証言によりますと、大連警備司令部の副司令官、名前は忘れましたがソ連軍の副司令官から、労働組合以外の日本人団体は継続をすることを禁止された。こういう証言があつたのですが、その禁止命令の問題について、これは労働組合ではありませんから、そこをどういう形で通過したか。
  132. 上原進

    証人上原進君) お答えいたします。これは、私の連合会は西部地区ソ連司令官の管下にあつたのであります。大連全市の管下につきましては、当時コゾロフ中将が指揮官であつたのであります。私共は、いわゆる大連西部地区ソ連司令官の命によつて、それから中共保安局、保安局管下の行政に対しまして、中国及びソ連軍の了解を得て連合会の運営に当つて来たものであります。従つてこれが解散を命ぜられましたのは、確か三月の終り頃かと私は記憶しております。コゾロフ中将に私は二回呼ばれました。委員会の経過その他の一切を聞かれまして解散いたしましたのは、確か三月末頃と記憶しております。
  133. 中野重治

    中野重治君 それは翌年の三月中ということになるだろうと思いますが、どういう理由解散ということになりましたか。
  134. 上原進

    証人上原進君) 解散理由は結局いわゆるただ大連労働組合が今日結成されておるから君のところは止めたらいいだろうという簡單なものだつたのであります。
  135. 中野重治

    中野重治君 そうしますと、それまでに若しこの人民の提案のために或いはその他のために区長連合会が何らかの仕事をして来ていたと仮にすれば、そういう仕事労働組合等々に引継がるべきものとこう認められたわけですか。
  136. 上原進

    証人上原進君) 私は全部この引継ぎは大連政府というものに引継いでおります。
  137. 中野重治

    中野重治君 前に上原証人から提出された文書によりますと、何か確か上原証人自身の言葉では、人民裁判というふうな言葉が使つてつたかと思いますが、会議が持たれて謝罪金を出させられたというふうなことがあつたのでありますが、あの問題の経過を簡單にお話し願いたい。
  138. 上原進

    証人上原進君) 少し長くなりますがよろしゆうございますか……人民裁判の内容は……。
  139. 岡元義人

    委員長岡元義人君) できるだけ簡單一つ要点のところだけ証言願います。
  140. 中野重治

    中野重治君 証人の御証言に入る前に私も簡單言つて頂きたいから、なぜ私がこの問題をお尋ねするかということをやはり簡單に言いたい、と言うのは外のことを答えられてもこれは私は又改めて質問しなければならん。この問題は上原証人が前から出されておる問題であつて、この問題は労働組合が実に非人道的な惨虐なことをやつた、これを一つ取調べて貰いたいというので出て来ておるわけです。外の問題も出て来ておるかも知れませんけれども、そのもとはここにあつたのだから、その怨恨やる方なきその問題の性質を明かにするという意味証言して頂きたい。
  141. 上原進

    証人上原進君) 簡單に、というお話でありますが、この問題を申上げると簡單になるのであります。人民裁判、これはここでお考えになると何でもないようでありますが……。
  142. 中野重治

    中野重治君 ちよつと証人に御注意を願いたいのですが、いつこうなつてこうなつたという経過を述べて頂きたい。
  143. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 上原証人に申上げますが、尚この問題は本日を以て終るわけではないのでありまして、本日は只今その要点だけ、筋のところだけを述べて頂きたいと思います。
  144. 上原進

    証人上原進君) それでは骨子だけ申上げます。人民裁判は民国三十五年の八月二十五日大連下藤小学校の校庭において民衆約三百名の集合の上に行われたのであります。その当時の人民裁判を受けた者は委員長である私以下約三十名であります。これは全部名前が分つております。それから当時私は留置されておつたのであります。留置身柄は中共西部保安局の留置場に私は約一ケ月前、と申しますと七月十二、三日頃より身柄を留置されてそのままであります。そうして八月十五日に人民裁判というものが行われたのであります。全くこれは一種のリンチであります。それから更に九月の民衆裁判のときに結局当時宣伝されましたのは上原を銃殺せよというのは当時の宣伝でありますが、罰金追徴金三百万円、これによつて私はその全額の支拂いの責任を持たせられました。当時の人民裁判は終つたのであります。而もその後私は約一ケ月以上、九月の二十六日まで留置されておつたのであります。故なく留置されておつたのであります。中国側の計らいによつて九月二十七日に出まして、お前はすぐ家を出ろと言い渡されましたのが翌日の二十八日だと思います。二十八日の日に私は出されたのであります。これはただ骨子だけであります。
  145. 中野重治

    中野重治君 時間が迫りましたから、私の証人に対する証言要求はこれで止めます。但し今の最後上原証人証言は私の証言を求めた趣旨に反対はしておりませんが、全然副つておりませんから、これに対する証人に対する証言要求は完全にこれを留保します。
  146. 天田勝正

    ○天田勝正君 遅くまいりまして、或いは他の委員質問と重複する点がありましたら委員長から御注意頂くか、或いは開きました証人からすでに答えた旨を言うて下されば結構であります。但し断つておきますが、何か怠けて来ないような発言が中野君からありましたが……。
  147. 中野重治

    中野重治君 怠けたか怠けないか僕は知らない。君達来なかつたことは事実だ。
  148. 天田勝正

    ○天田勝正君 私人事委員会請願説明をしておつたり、大蔵委員会へ出ておつたということをお断わりしておきます。  まず土岐証人にお伺いいたしますが、日本人労働組合以外の組織はすべて禁止された、こういうことは上原証人もまた禁止された団体におられたのでこれは一致しておると思います。そこであなたが請願書として出されました文書を見ますと、消費組合並びに対策協議会、こういうものがありますし、その文書の中には世話人団という言葉も散見いたしまするし、更に大連政府建設公債の項目では募集委員会、こういうものが段々出て参つたわけでありますが、これは大連労働組合の下部機関であるという形において認可をされたのか、さもなくばこれは別個にこういう組織をするということで一々許可をもらつてそういう団体が新しくできて来たのか、この点まずお聞きする。
  149. 土岐強

    証人土岐強君) いろいろの団体がありますが、これはこのうち世話人団というものは、世話人団ではありませんで、世話人私の言葉遣いの不注意でありますが、通常それを入れておるのでそれを使つたのでありますが、これは別に許可を受けた団体でも何でもありません。消費組合引揚対策協議会、これにつきましてはその都度ソ連軍当局の許可を受けております。許可を受けずに作られた団体であつても、これは一個の独立した団体というよりも、組合の指導性のはつきりしている、決して反動的にならない、こういう保証があるときに当局はこれを許可したのであります。
  150. 天田勝正

    ○天田勝正君 そうするとこういうふうに理解してよろしいですね。その点はつまり消費組合引揚対策協議会の方では、その都度許可をもらつた世話人団というのはこれは通常そう言つているけれども、單に労働組合のそういう面の方を担当する世話人であつて、ここに書かれてありますように、引揚資金の調達をするための世話人ということで、それはやはりこの大連市建設公債の募集の、募集委員会と同じようなふうに一つの許可をされたる仕組の中の一部をその都度その都度担当して行くという意味で殊更許可を必要としなかつた。こういう意味にとつていいですか。
  151. 土岐強

    証人土岐強君) その通りであります。
  152. 天田勝正

    ○天田勝正君 この携帶金預り制度を実施されて、その額が二千三百八十五万何がしとこういうことでありますが、こいつが禁止されたので全然これを止めてしまつたのか、発行ということを禁止されたと、先程御証言だと思いますが、預り証を発行するということを禁止されただけであつて、この制度自体はまだその後にも設けられておつたのかどうか。
  153. 土岐強

    証人土岐強君) 発行が禁止されますと当然その制度もなくなるわけであります。
  154. 天田勝正

    ○天田勝正君 よろしうございます。それから大連政府建設公債の募集に当つて、これを実施する場合には有産者並びにフアシストと目される人達から募集したので、資産のないものからは募集しなかつた、こういうことを多分証言されたと思いますが、有産者の方は凡そ他の委員からの質問の、いわゆる誰が見ても冨者と、こういうことでいわゆる民主的に決定されただろうと思いますが、さてフアシストということになりますと、どなたがどういう機関でそういう決定をされ、どういう基準でフアシストといういわゆる烙印を押しますか。
  155. 土岐強

    証人土岐強君) その点お答えいたします。その前にちよつと先程の穗積委員質問に対して私の答弁が間違いましたので、訂正をして置きたいと思いますので訂正願いたいと思いますが、その公債に関連をいたしておるのであります。
  156. 天田勝正

    ○天田勝正君 私は差支えありません。
  157. 岡元義人

    委員長岡元義人君) それは今の質問に関連しておりますか。
  158. 土岐強

    証人土岐強君) それは今の質問に関連して間違いがありましたから……。
  159. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 只今土岐証人から訂正の発言があつたのでありますが、一応発言を聞くことにいたしまして御異議ありませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  160. 土岐強

    証人土岐強君) 公債の募集をいたしますときに大体対象者を三つに区分したのであります。第一対象者、第二対象者、第三対象者。第一対象者が公債の応募者、こういうことになりまして、これが只今天田委員からのお尋ねの有産者、並びにフアシスト的な反動的な分子はこれに該当するのであります。従つて第二対象者というのは、その他の……。第三対象者はこれは一般の勤労者、技術者であります。この第二、第三の対象者は公債には応募しておるだけであります。この第二、第三の対象者は公債には応募いたしておりません。ただ自から発意して是非応募したいという稀な人は応募しておるだけであります。それだけを訂正して置きます。
  161. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 只今の訂正御異議はございませんですか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  162. 岡元義人

    委員長岡元義人君) かように訂正いたします。続けて頂きます。
  163. 土岐強

    証人土岐強君) フアシスト、或いは反動分子、こういうものの認定は誰がしたかということでございますが、これはそれぞれの地区においては、それぞれの地区の常会、或いは旧滿鉄関係であれば、滿鉄関係の世話人の会議において大体それが選定されておるのであります。これは大連政府或いはソ連軍からこれはフアツシストだというものはこれは非常に稀、数は少いのでございますが、そういうものは別にございますけれども、この基金募集に当りましては、それぞれの組織で大体認定されたこういうふうに見て差支えないと思います。
  164. 天田勝正

    ○天田勝正君 私のなぜこれを質問するかということを附加えて置きますが、こういう募集する場合に、どういう階層であつても、要するに資産のある者は募集すると、資産のない者は募集しないのだと、こういうことならば、至極あつさりしておるのですね。ところがフアシストということになつて、つまりあなたの言う第二対象、第三対象の方は、募集に応じても応じなくてもよいのだと、残つた第一対象の方は強制だと、これは見方によれば一つの刑罰であります。であるから、要するに刑罰的な募集だとすれば、これは誰かがそこで判定しなければならんということを言うたわけですが、今のお話の通り、これは各区で決めたのだと、こういうふうに了承すればよいわけですね。
  165. 土岐強

    証人土岐強君) ただその場合、第一対象者の中で応募の金額を決定いたします場合、フアシストであつても、無一文の者に対しては、これはやつてない筈であります。資力に応じてなされた筈でありますが、場合によりまして、非常に過大な割当をされたという場合には、募債委員会の中に審査委員会ができておりまして、そうして一々申し出をいたしまして、訂正をいたして参つた筈であります。
  166. 天田勝正

    ○天田勝正君 あなたはいつの機会に、九月の六日発の外務大臣の訓令の、在外公館等で借入れすることによつて引揚げに資しようという意味のことを知りましたか、今の訓令が出ておるということを御存じになりましたか。
  167. 土岐強

    証人土岐強君) そのような訓令が出ていることは全然存じません。ただ奉天、或いは新京におきまして、領事が裏書したものは、帰つてつて貰えるらしいということを聞きましたけれども、確実なことは聞いておりません。
  168. 天田勝正

    ○天田勝正君 後でもそのことは御存じなかつた……。
  169. 土岐強

    証人土岐強君) 後でも、今日でもそれは存じておりません。
  170. 天田勝正

    ○天田勝正君 それでは、あなたの御提出になりました請願で、はつきりと借りたんだというのは、榊谷さんでありますか、この方達の世話人団の扱つた三千六百何十万というものだけがはつきり借りてあるということになつておるのですが、あなたの先程の御証言では、この分も、自分達の協議会が受入れたのは、別段借りたということで受入れたのではないと、そうすると、このことは総体的に見て、別に借り上げて内地に帰つて来て政府資金によつて支拂いするという処置とかいうことは全然考えなしに、要するに同胞互助という形で借り、又醵出者もそういう承解の下で出したと、こう理解してよろしうございますか。
  171. 土岐強

    証人土岐強君) その点につきましては、先程穗積委員の御質問に対して、私お答えいたしておりましたが……。
  172. 天田勝正

    ○天田勝正君 あればよいのですが……。  それでは上原証人に伺いますが、午前中以来土岐証人が縷々申されておりますが、上原証人はそれとは全く逆の立場に立つて、これは大連労組の不当なる処置によつて醵出させられたのだと、だからこれは政府によつて補償して貰うべきものだと、こういう結論になつてつたと思います。そうした協議会でありますか、労組と申しますか、これらがやつた処置が不当だとすれば、この不当なる処置に対しては、当然大連労組側に抗議すべきであつて、あなた方が政府から補償して貰うという要求は、これは全然別個な要求でなければならない、私共はこう考えられるわけなんでありますが、その点どうですか。
  173. 上原進

    証人上原進君) 私が昨年の十二月十五日に出しました政府支拂い補償の請願書は、内容を御覧になつてお分りになつたと思いますが、或いは足らなかつた点があるのではないかと思います。それは要するに、大連在住の者は、根こそぎ裸になつたのであります。これは大連労働組合のいわゆる搾取によつたことは、もう間違いない事実であります。従つて、私共の同胞二十二万は、現実に内地に帰つて来ております。帰つて来ておるとしますれば、その帰つて来ますのに、私共の要しました引揚費用というものは、全部私共が大連においてこれを出して来たということになると私は思つております。これは当然政府の負担すべき行政費なるが故に、私は大連労働組合が在外公館及び……。
  174. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 発言中ですが、上原証人に申上げます。今天田委員のお尋ねになつておるのは、その問題と別個に考えて行くべきではないのかと、いわゆる労働組合を、公館等と、あの法律に書いてあります公館等の中に入れるべきものであると、こういう工合にお考えになつておるのか、その出した金とは別個に分けて考えるべきではないかと、こういう意味で御質問しておられるのであります。
  175. 上原進

    証人上原進君) 私は別個に考えるべきだと思います。大連労働組合を在外公館に認めて貰うとか、認めて貰えんとかいうことは、これは私は政府の認定だと思うのであります。
  176. 天田勝正

    ○天田勝正君 私の言う意味は、こういうことです。引揚げて来られた方は、大連を問わないのですけれども、仮に大連と限定しましても、大連の人達が、労組なり何なりに仮定して、これはよいか惡いかは別ですよ。とにかくあなた方の言う通り、捲き上げられたと、そういうことは非常に気の毒だと、こう前提すれば、これは内地に来た暁に、政府機関によつて救助するということは、これは何もこの在外公館等借入金の法律でなくても、気の毒な人を面倒をみると、例えば日銀融資なり何かの手を打つと、そういうことは必要であるけれども、略奪されておると言つておれば、それは結局大連労組なら労組の責任を追求すると、極端な言葉で言うならば、そういう、ロジツクになりませんか。救つて呉れということとこれとは全然別のことにはなりはせんかと、こういうことを聞いておるのです。
  177. 上原進

    証人上原進君) 私の申上げたいのは、結局大連労働組合の私共から徴收しました徴收方法内容犯罪行為であるかないかということは、これは私は別個だと思うのであります。それは当委員会においても、この点どいういうふうにお取上げになるか私分りませんが、ただいわゆる大連において私共が取られました金品財物の数億円というものは、当然政府の支拂い補償を受くべき内容、性質を持つておる金ではないかと、こういうふうに考えておるのであります。
  178. 天田勝正

    ○天田勝正君 在外資産一般の問題ならば、これは賠償の対象になつて、それから差引かれると、そのことによつて政府が今度はその在外資産に対してどういう方法であろうと補償するということならば、話は分るのです。私共は、在外公館等借入金整理準備審査会法に照して、この法律に該当せしむるか否かがこの際問題なのであつて、そこに重点を置いて一つお答えを願いたいのであつて、あなたがさつき政府が補償すべきだと言つたのは、これとは別個に補償すべきだという意味か、この際これに入れなければならんという筋道なのか、こういうことです。若しそうだとすれば、大連労組から搾取され、強制的に取上げられた、こういうことになれば、これはその責任は大連労組に追究すべきであつて、補償というのは全然別個ということになりはしませんか。非常にくどいですが、そういう意味で聴いておるのです。
  179. 上原進

    証人上原進君) 私はこの際大連には、在外公館及び自治団体というものが、大連労働組合以外にはなかつたのであります。その現状から言いまして、私は大連労働組合というものを、その返還して貰う意味から言いまして、大連労働組合が取扱つた金は在外公館の取扱つた金なり、こういうように私共は、これに準ずべきものであるというふうに考えて、実は請求したのであります。その内容が少し足りなかつたのじやないかと思うのであります。
  180. 草葉隆圓

    ○草葉隆圓君 大連日本人労働組合の問題は、大分前からこの委員会でもいろいろ請願、陳情等がありましたために、本日のお二人の証人に対して、私は第一に、大体こういう観点から一つ証言を二、三の点について伺いたいと思います。この問題は引揚二十数万、我々邦人八千万人が、今までにないような大きいシヨツクと、それから関心とを持つておるという前提の下に、第一に、金品は民主的に本当に調達されたか、その調達された金品は正しく行使されたか、而もそれは在外公館等の借入金に相当する内容を持つているかというのが、根本問題であると思います。さつきからそれぞれの証人証言を承つておりますると、その点について相当疑問の点がありますので、私二、三の点をそういう意味から伺いたいと思います。  先ず土岐証人に対しまして、金ばかりじやなしに物品も相当調達されたのではないか、その物品の調達は、どのくらいの見積りになつているか、こういう点を一つ伺います。
  181. 土岐強

    証人土岐強君) 確かにお尋ねの通り、金に代るものとして、物品の供出がありました。又場合によつては、家屋の提供もございました。この物品につきましては、それぞれその当時の時価に換算して、私の請願書の中には入つているのであります。ただ家屋につきましては、これは第一回の緊急食糧獲得運動の時に供出されたのでありますが、この中の一部は、売却され得ましたけれども、その後大連日本人所有の不動産の取引が、一切大連政府によつて嚴禁されましたので、供出はされたことになつているけれども、実際は組合でも使うわけには行かない、売るわけにも行かない、資金化することはできない、そういうものが大部分であります。それはこの中には入つておりません。
  182. 草葉隆圓

    ○草葉隆圓君 それから土岐証人は、至つて民主的な調達であつたということを、繰返して、おつしやつておられるようでございますが、私の方へ参ります殆んど大部分は、至つて非民主的どころか、暴行であつた、或いは場合によると監禁された、場合によると、略奪の形であつたとさえ訴えて来ておりますが、こういう事実はなかつたと、否定されるか、全般に対して……、この点を伺いたい。
  183. 土岐強

    証人土岐強君) その点お答えいたします。組合の方針といたしましては、できるだけ民主的にやつたのであります。当時の混乱した革命期の状況の下において、二十五万の日本人対象にして、少数の今まで民主的な運動の経験のなかつた時代に、民主的な人の乏しかつた時代に、あの地において、これを一〇〇%にやるということは、如何に主観的意図は立派であつても、できなかつたと思うのであります。ただ、だから一部には我々の指導性の不足から相当恐喝的に出たものもありました。或いは組合の名前を騙つて相当乱暴を働いたというものもあります。それは我々こういう分子に対しては、向うでも分り次第闘つてつたのであります。
  184. 草葉隆圓

    ○草葉隆圓君 その調達の対象について、先程天田委員質問に対する答弁がありましたから、その点は触れませんが、ただ私その点について……。そうしまするとこれは反動分子いわゆるフアシストなり最軍人に対する調達は、全く懲罰の意味を含めてやつたものか、そうしまするとこの請願に出ておりまするこれは政府借入金という形を以てやつて欲しいというのとは、全然趣きが違いまするが、この調達、或いは家、或いは物、或いは金というものは借りたのか、最初から借りるつもりであつたのか、そうじやなしに、先程のお話になつた対象者は、むしろ懲罰的な意味でおやりになつたのか、それをはつきりと一つ伺いたい。
  185. 土岐強

    証人土岐強君) これは組合としては借りるつもりはなかつたのであります。ただこの人達、こういう人達から供出を仰がなければ引揚ができなかつた、又日本人二十五万の生存を支えることができなかつた従つて組合に供出した資金は、内地に帰つたならば日本政府要求すべきであるということを、我々は重ねてかねがねこれらの人人に訴えておつたのであります。事実はそれだけであります。
  186. 草葉隆圓

    ○草葉隆圓君 そうすると組合としては借りる意思はなかつた、少くとも当初においては没收し、調達するつもりで最初は手を打たれた、こういう意味ですか。
  187. 土岐強

    証人土岐強君) 組合としては没收する何らの権限も持つておりません。或いは懲罰する権限も持つておりません。組合は行政機関でなくして、日本人労働者の自主的な組織であります。行政はすべて、その懲罰その他は大連政府がやつたわけでありまして、全然今の草葉委員のお尋ねの趣旨とは、事実は相違しているのであります。ただ組合は寄付を求め、協力を求める、これが趣旨であつたのであります。
  188. 草葉隆圓

    ○草葉隆圓君 もう一つは違つた問題で、持ち帰り金の一千円の金を預り証を出して預けられた場合には、これは何かの方法日本側にその了解を求めるなり、打合せをするなり、或いは第一回にはできなんだら、次の方法を採るなりという手を打たれたかどうか。
  189. 土岐強

    証人土岐強君) その点につきましても、午前中の証言において申上げました通り、第一回の船で組合の先遺隊を乘せまして、これに引揚対策協議会の名前、私の名前で、当時の引揚者団体全国連合会事務局長宛に、日本政府に事情を話して、交渉して貰いたいという手紙を紙、布に書いて、なくならないようにして書いて持たしてやつたのであります。その後第三船が着きましたときに、通訳官から、この預り証は佐世保において兌換されている、こういう連絡がありましたので、続けて参つたのであります。而もその私の手紙は、私が引揚げて来ました当時、暫く前まで事務局長室に張り出してあつたと、その当時の事務局長は申しておりました。
  190. 草葉隆圓

    ○草葉隆圓君 それは先程のお話の通りで、それ以外に別に日本の方から意思表示はなかつたわけなんですね、その点を……。
  191. 土岐強

    証人土岐強君) 何ら意思表示はありませんでした。
  192. 草葉隆圓

    ○草葉隆圓君 以上申上げました私の土岐証人証言に対しまして特に上原証人に、この資金或いは物品、家屋、金こういう調達は現地の人々はこれは全く懲罰の意味である、或いは強制の意味であると解釈して、このために随分困つたという現実が多く言われておりますが、これはお聞きの通りでありまするけれども、二十万の多数の同胞はこれを一体どう考えておると上原証人は現認されるかその点を、簡單でいいです……。
  193. 上原進

    証人上原進君) これは非常な重要な問題でありますが、当時労働組合より多額の金品の強要を受けましたものは、一切が恐迫ならざるはなかつたのであります。ここに全部証拠書類があります。金を出さねば帰さんぞ、これは事実であります。従つていわゆる引揚対策資金及び難民救済に要する、これを充当するに足るだけの供出なればこれは自発的にみんな喜んで出したのでありますけれども、大連労働組合のいわゆる当時の行き方は、日本人は全部三年間帰さんのだ、共産教育を施して帰すんだ、従つて真裸にしなければ共産主義は徹底しないんだ。こういうふうないわゆる行き方であり、考え方であつて、私もやはり住宅徴收で家を追われ、共産教育といいますとおかしいのでありますが、主なる者を集めて共産主義とはこういうものであるというような講習を受けたことがあるのであります。従つて当時の大連市の市民は、労働組合といえば、この手紙にもありますが、泣く子も黙るというよな状態に恐れられておつたのであります。出しました金品財物は全部略奪に等しい内容を持つておるのであります。併しその中に私は当然引揚対策資金及び難民救済資金に使われたであろうと思う金もあることはこれは当然と思われます。
  194. 草葉隆圓

    ○草葉隆圓君 最後に一点だけ土岐証人に伺いますが、猪原某という人の参議院に訴えました陳情の中に、余り金銭の調達が甚だしく強制であるために、とうとう支那の公安隊からそれを禁じられて、その後は一月一日以後はそういうことがなくなつて来たというようなことを訴えております。従つて余程酷かつたという点も見受けますが、それは極く一部分の徹底しない部下のものであつて、全体がそういうことは全然なかつたというのですか。今のお話のように大部分がまあそうであつたのか……。
  195. 土岐強

    証人土岐強君) それはどういうところか存じませんけれども、極く一部にそういう行き過ぎがあつたに過ぎないと私は承知しております。
  196. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 お二人の証人にお尋ねしますが、現在上原証人はどういうふうなお仕事に携つておられますか簡單一つ
  197. 上原進

    証人上原進君) 私の職業でございますか。只今私は日本通運の嘱託をやつております。関東引揚同胞協力会の代表として今やつております。
  198. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 続いて土岐証人にお尋ねします。
  199. 土岐強

    証人土岐強君) 私は共産党本部に勤めております。
  200. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 土岐証人共産党のどういうふうな面を御担当になつておられますか。
  201. 土岐強

    証人土岐強君) 経済調査であります。
  202. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 土岐証人にお尋ねいたしますが、先程一千円持帰金云々ということで、午前中の御証言引揚者団体全国連合会事務局長と連絡をとられた、或いはそれに署名をされたとかいう御証言があつたと私は記憶しておるのですが、その引揚者団体全国連合会事務局長といいますとどなたでございますか。
  203. 土岐強

    証人土岐強君) 当時難波という人であつたと聞いております。
  204. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それは年月はいつ頃でございますか。
  205. 土岐強

    証人土岐強君) たしか一九四七年の一月一日に出た船でことずけたと思います。
  206. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 上原証人にお尋ねいたしますが、上原証人はいろいろ先程から委員並びに土岐証人証言をお聞きになつておられたと思いますが、土岐証人のお話によりますと、この労組は非常な組織を持ち、立派な機構の下になされておつたということで、只今の草葉委員の御発言に対しても、若干一部に行き過ぎがあつたかも知れないが、併し全般に亘つてはなかつたのだということをはつきり言われておりますが、上原証人証言を聞きますると、全般的に亘つたかのごとく私は受取れるのですが、その点に対してはつきりと一つ証言を頂きたい。
  207. 上原進

    証人上原進君) それを立証します証拠は、九州地区、それから神戸地区、それから京都地区、愛知地区、それぞれ引揚者大会、いわゆる大連労働組合糾彈大会を開催いたしまして、それぞれ大連における労働組合の不法圧迫を加えられた状況を決議いたしまして、参議院の当委員会に提出されておると思います。而も私の手許にもその写しが送つて来ておりまするので、その点は十分立証できると思いますが、更に私の方に参りました約八百通に亘る手紙も、全文が大連労働組合の非人道行為を糾彈しておる。国民の審判にこれを訴えろ、人道上許し難いというような訴えの手紙ばかり参つておるのでありますから、御必要があればそれを提供して差支ないと思うのであります。
  208. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 只今証言によりますと九州或いは神戸、愛知、京都、東京、更に書面に亘つて八百通ということがありますが、例えば証人におきましては九州地区におけるそうした大会或いは神戸地区における大会、或いは愛知地区におけるところの大会、そうした人達に参加された人員等も知つておられますかどうか。
  209. 上原進

    証人上原進君) これが詳細なる内容は分りませんが、大体の報告によりますと大牟田、久留米地区では役、新聞の報道では一千名集まつたと書いております。これは大毎、大朝、西日本新聞に掲載されております。私も拝見いたしました。それから熊本地区は人数は言つて来ておりません。京都地区においては約三百名ばかり集まつております。それから神戸地区は百四、五十名、東京では署名しましたのが実は非常に少かつたのでありますが、約五、六十人だつたと思います。
  210. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 それからもう一つ上原証人にお尋ねいたしますが、先程の御証言中に、引揚の権限を労組が持つていたというふうに私は伺つたのですが、そういうふうに承知してよろしいですか。
  211. 上原進

    証人上原進君) 当時の状況から判断いたしまして、大連労働組合以外に公認されたる団体がなかつたために、大連労働組合において引揚げをやつたことは事実でありまして、これを認めておつたのソ連及び中共でありますから、私はそういう権限内において行なつたのではないか。こういうふうに考えて差支えないと、こう思つております。
  212. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 土岐証人にお尋ねしたいのですが、只今上原証人の御証言のようなふうに、その引揚げの全般的な権限であるかどうか分りませんが、例えば金品を出したとか、或いは家を提供したとかいうような者に対しては優先的に還すというような進言をソ連側及び中共側にされたというようなことがありまするかどうか。
  213. 土岐強

    証人土岐強君) 金品を提供したとか、家屋を提供したために優先的に先に還つたというお尋ねでございますが、こういう事実は……。
  214. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そういうようなことを進言したかどうか、或いは向うの……。
  215. 土岐強

    証人土岐強君) そういうことを進言した事実もありませんし、又それに従つてこの引揚げが行われたということもありません。
  216. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 先程中野委員の御証言を求められたのに対して、縷々お述べになつたことでありまするが、土岐証人のその立派な機構、立派な組織においてなされておるということでありますならば、そのソ連の威を借る日労組は相当の金品を集め、一度も使途を明らかにしない。申訳的に食糧を数回有料で一般に、又困窮者に無料で配給しただけで、大部分は彼らの生活費、或いは遊興に入浸つたというようなことが訴えられておるのですが、そうした点に対しまして簡單に御証言を願いたいと思います。
  217. 土岐強

    証人土岐強君) 組合員は大体二万組織されておりまして、組合の事務局には百二十名、消費組合は十七万でありますが、その従事員は二百名足らずでありました。それらの僅か三百四、五十名の者がこの莫大な資金を、如何に物価騰貴の状況下にありとは言え、これを個人的に費消したということを考えることすらおかしいのであります。又組織が極めて民主的にできている以上こういうことがありましたならば、必ず現地においてリコールされてしまうし、いろいろ糾断の手はあつたに相違ない。又この組合の経理につきましては、ソ連軍司令部並びに大連政府が嚴重な監督をいたしておりますから、こういう不正がありましたにも拘らず、組合をそのまま放任しておつたということは、ソ連司令部当局を誹謗するものであるというふうに考えても過言ではないと思われるのであります。組合は規約によりまして、組合の会計内容は一年に一回発表するというので、一九四七年一月三十日に消費組合労働組合の会計を発表をいたしております。報告書を出しております。又引揚資金につきましては三月十五日現在一応会計を締切りまして、これを内地においても各政党並びに民主団体、官庁その他に発表しています。ただこれを全面的に大連引揚者全体に発表することができませんでしたが、各地区、各府県を廻りまして、各府県の引揚者団体その他にこれを出して置きました。
  218. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 今土岐証人から縷々御証言があつたのですが、私自身も上海にあつて引揚者で、そういうふうな経験、或いはその状況、その又渦中にもあつたのでありまするから、あなたの証言に対して成る程と納得の行く点もありましようし、又納得の行かない点もある。で、ただ多くの人たちが、例えば一千名とか、三百名とか、各地区でいろいろ行われている人たちの言を総合しますと、金も物もどうせ内地へは持つて行けないからといつて次々に取り上げて行つた。そうして乘船の日が決まると、洋服なら何着、和服は何枚、全く幾らも持つて行けないように向うで殆んど巻き上げてしまつたというようなこと伝えられているし、更に個人的にも、国家的にも、こうしたものを飜つて見ても非常に残念だということも伝えられている。又沢山取上げた中から自分らはよいものを選んで、而も多く持帰つている云々ということが言われているのだが、今のあなたの証言ではそういうことはないと言われているのだが、今のあなたの証言ではそういうことはないと言われているのですが、絶対にありませんか。あるかないか、簡單にお述べ願いたい。
  219. 土岐強

    証人土岐強君) そういうふうに類した問題がありました。これは引揚者收容所、或いは集結地におきまして、一方で非常に沢山荷物を持つて来た、一方に引揚者貧困者が帰つたとはいえ、やはり差別の程度がありますから、貧困の程度がありますので、相当ミゼラブルな状態で帰つて来た。そういう形で、場合によつては、船によつては、この沢山持物を持つて帰る人が船中で清算大会にかけられるというようなことがありました。そういうために引揚対策協議会の方で自主的な供出を勧めて、この持つていない人に分け與えるというようなことをいたしました。ただこの過程に若干意思が不徹底なために、これは強制的に取られたという場合もありましたし、これは多少あつたと思います。
  220. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 そうするとあなたが委員長をしておられ、その結果不徹底な点があり、そういうふうな点が若干あつたということはお認めになるのですね。
  221. 土岐強

    証人土岐強君) 認めます。
  222. 淺岡信夫

    淺岡信夫君 まだいろいろ質問したいことがありますが、他の委員もおありと思いますから、一応私の質問は留保いたします。
  223. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 ちよつと一点だけ土岐証人に伺いますが、先程この二億二百万の中には物品で徴收したものを金額に換算したのも加えてであるという御証言のように思います。そうしますと、今度在外公館等借入金の問題で償還を要求しておられます一億四千八百万円の中に、物品を金に換算したのがどのくらい入つておりましようか、お伺いします。
  224. 土岐強

    証人土岐強君) この正確な数字は覚えておりませんが、恐らく五%にも達しないであろうと思います。
  225. 穗積眞六郎

    ○穗積眞六郎君 五%ですか。
  226. 土岐強

    証人土岐強君) 以下だと思います。
  227. 千田正

    ○千田正君 大分時間も迫つたようでありますので、各証人証言も、若し委員各位において御質問がなかつたなら、一応今後の結論に俟つといたしまして議事を進行して頂きたいと思います。
  228. 岡元義人

    委員長岡元義人君) それでは委員長から一点だけ土岐証人最後にお伺いして置きたいと思いますが、先程草葉委員の御質問に対しまして、いわゆる大連労働組合としてはそういう方針ではなかつたのであるけれども、その一部において逸脱した、掠奪その他に類する行為をやつたということがあつたということを御証言なすつたのですが、その人たちの名前とか、そういうことも全部分つておられるのですか。先程の御証言内容から申しまして……。
  229. 土岐強

    証人土岐強君) 大連同組自体が下部組織においてそういうことをやつた、そういうことはよく分らないのであります。それよりもむしろ大連労組の名前を騙つて、或いは公安局員である、公安局の密偵であるというような形でやられた事例を聞いております。誰がこれをやつたかという点については詳細は覚えておりません。
  230. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 土岐証人の先程の御証言中には、それは分つているので、それと自分らは闘つて来た、こういう御証言をなすつたと思いますが。
  231. 土岐強

    証人土岐強君) そういう傾向がありました。傾向がありましたから、これに対して組合本部としてはこの傾向と闘うように指令を出しましたし、実際やつたのであります。ただ誰がやつたかということは私は覚えておりません。
  232. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 尚もう一点、その点につきましては十分お認めになつたわけですが、そういう行為に対して委員長としてあなたは責任を感じておられますか。
  233. 土岐強

    証人土岐強君) 私は道義的な責任を感じております。おりますが、これはあの当時の情勢の下において或る程度私は辞むを得なかつたことだと思うのであります。
  234. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 道義的な責任と今言われましたが、組合委員長としての責任を感じておられますか。
  235. 土岐強

    証人土岐強君) 感じております。
  236. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 尚ちよつと各委員にお諮りして置きたい、簡單なことでございますが、十八日の委員会におきまして、徳田要請の菅通訳が通訳した位置を示しますその当時の見取図を出したわけでございますが、大体見取図は一応管証人によつて認められましたので、あれを議事録の中に入れるかどうかをお諮り申したいと思うのであります。御異議ございませんか。    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  237. 岡元義人

    委員長岡元義人君) それでは入れることにいたします。  尚もう一点、この間各委員に御意見があつたら承わりたいということを申してありました過拂いの法案と、特還の改正法案についてはその後御意見が出ておりませんので、その点御意見は今のところないということで、その筋の手続を取つても御異議ございませんか。これは別にお諮りする必要はないのでありますが、一応御意見ないですか。
  238. 千田正

    ○千田正君 至急取計つて下さい。
  239. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 了承いたしました。
  240. 天田勝正

    ○天田勝正君 証人委員長から言つて頂く方がいいと思いますが、恒例によりまして、今までの証言で若し御訂正になることがあれば多少考えて戴いて、御訂正になるなり、お取消しになるなり、親切な措置を委員長から申上げた方がよかろうと思います。
  241. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 両証人には午前中、午後長時間に亘りまして貴重なる御証言をなさつたわけでございますが、本日証言戴きました中で訂正して置かなければならないというふうな箇所がございましたならば只今発言を願いたいと思います。両証人に申上げますが、若し違つております場合は、この委員会が閉会しない前に申出があつた場合これを委員会にかけて初めて決するのであります。
  242. 土岐強

    証人土岐強君) 只今のところありません。
  243. 上原進

    証人上原進君) 只今のところありません。
  244. 岡元義人

    委員長岡元義人君) 長い間御苦労様でございました。有難うございました。本日の委員会はこれにて閉会いたします。    午後四時四十六分散会  出席者は左の通り。    委員長     岡元 義人君    理事            天田 勝正君            淺岡 信夫君            門屋 盛一君            千田  正君    委員            原  虎一君            草葉 隆圓君            水久保甚作君            伊東 隆治君            木内キヤウ君            宇都宮 登君            小杉 イ子君            北條 秀一君            穗積眞六郎君            中野 重治君   証人            土岐  強君            上原  進君