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証人(
久保田善藏君) 今
カラカンダ地区の状況を申されましたが、我々は
タシケント地区より
カラカンダ地区に来て、約四ケ月
間最後の取調べの地として
カラカンダに集結したのであります。私がここに述べることは
ソ連の
対外政策と申しましたが、本日ここに最も重大な、問題とな
つているところの、
日本共産党書記長徳田氏の放言せる問題に関しまして、これは
関連性を持つし、且つ又なぜ我々が四ケ年半という長時間に
亘つて残されて来たか。或いは又
帰還がどうして遅れたかということを述べなくてはこの問題を突き詰めて行くことはできない。だからこそ、私はその
必要性から求めてここにお述べするわけであります。その前に私はその当時
通訳をしておりました
管末治が、この席上にいないことは誠に残念であります。なぜならば、私は第九十九
地区九分所において反
ソ宣伝を行いましても而もそれは全大衆を集めまして、
文化活動の中において反
ソ宣伝を徹底的に行な
つたのであります。そのために私は当時
教育の任に当
つておりました
管末治から徹底的な批判を受けたわけであります。私はその
管末治がことにいないことは誠に残念でありますが、いずれにせよ、この席上においてなぜ
帰還が遅れて来たか、この問題について
お話して見たいと思います。
ソ連は全
世界の
勤労階級に向
つて、
ボルシェヴィキ党の名において、偉大な
社会主義の城塞である
ソ同盟は、全
世界の
勤労階級を
資本主義と
帝国主義の鉄鎖より解放し、
民族の
主権を擁護し、平和と自由、
民族独立のスローガンを掲げて進む
先導的国家であると呼びかけているのであります。そうして又全
世界の平和を破り、全
世界の
勤労階級を戰争の恐怖の中にさらし、
民族の
独立を尊重せず、再び全
世界を第三次
世界大戰の渦中に捲き込み、特に
日本の場合、
対ソ攻撃のための
軍事基地となし、全
日本人を肉弾と化し、
世界制覇の野望を達成し、第二のフィリツピンと化さしめ、或いは又
帝国主義を復活し、満洲、
朝鮮、台湾を奪回、これを
日本へ提出、強力なる
日本を再建し、
世界攻撃の足場にせんとしているものこそ
——帝国主義者であり、現
日本吉田内閣であると
宣伝しているのであります。在
ソ軍事俘虜及び
抑留者の帰国問題に関しましては、
帰還を遅らしているものこそ
——であり。現
吉田内閣でありもそれを取巻く一連の
反動であると主張しております。私は
ソ連におけるかかる
日本新聞により
宣伝が全く正反対であることを強調し、四年間の在
ソ生活より学び得た
ソ連の
真実を暴露し、
アメリカ進駐軍、
衆参両院、
吉田内閣に本
懇請書を出した
理由を説き、
日本共産党書記長徳田球一氏が
ソ連に呼びかけたという「
日本人にして
赤化思想を、持たぬ者は絶対に
日本に帰して呉れるな。」、この非人道的な行為の
真否を追及し、残されたる在
ソ日本人救命のために、全
日本の
総力を結集して、この
問題解決のために協力あらんことを切望するわけであります。然らば
ソ連の
政策でありますが、これは
マルクス・
レーニン主義の
理論による
共産主義社会の建設に向けられているのであります。我々が
ソ連で読まされた
ソ同盟共産党史、即ち
ボルシォヴィキ党史、
弁証法的史的唯物論や、
ソ連憲法、即ち
スターリン憲法、その他数多くの書籍や
パンフレットの中に綴られたる
共産主義、即ち
マルクス・
レーニン主義論理は一応整然たる筋道による
語字で綴られている。
ソ連は三十二年前の
封建制度と
資本主義を打破し、今や
社会主義より
共産主義へと移行しつつある
社会主義の
発展的途上にあると呼びかけております。そうして又人による人の搾取のない国、平和と自由と平等の国、都会と農村の
対立のない国、
階級的対立のない国、
民族の平等、
民族的偏見のない国、
文化、
政治、
生産生活、あらゆる面において
世界の国と称しておるのが、この
ソ連であります。恐らく
ソ連に抑留されているところの何十万の
日本人が、
ソ連に
軍事俘虜並びに
抑留者とな
つたドイツ人・
イタリー人、
朝鮮人、中国人その他数多くの
国民が異口同音に呼び唱えるところは、
共産主義理論は遠大なる夢のような
理想であるが、革命後三十二年間経過せし現有の
ソ連の
実情は、この
理想より遥かにかけ離れたものであると言い、甚だしきは、
ソ連人自身にして、
ソ連政府の
政策に心からなる賛意を表しておらないということを、ここに断言し得るものと思います。そうして又極端に言えば、
ソ連は
—————と言うことができるのでありまして、現在の
ソ連はこの実際の
政治の運用から見れば、
——の国であり、
ボルシェヴィキ党の
——政治であります。
ソ連には十六の
共和国であり、そして百十一の
人種が住んでおります。我々の知
つておる実際に
生活した国は、ウズベックスタン、カザヒスタン、この二つの
共和国でありますが、この
共和国の中で、果して
イズベック人、
カザヒ人、
タタール人が、それぞれの国の
主権を握
つておるでありましようか。又これらの
人種で、ありとあらゆる職場で指導的、或いは又主要な地位に著いておる人が何人ありましようか。我々が見たり聞いたりした
範囲内にあ
つては。これらの国々は事実上
—————とほぼ同一の
状態に置かれておるのであります。
国民の
生活は
共産主義への
過渡的時代であり、而も
独ソ戰において傷め付けられたとは言え、戰勝国として、而も戰後五ケ年を経過した今日、
貨幣改革が行われ、
切符制が廃止されたにも拘わらず、依然として而も衣食住に亘り実に苦しい
生活を続けており、我々が曾て見たこともないような
乞食生活をしておるのであります。これは私達が直接その
市民の
生活の中に入
つて見て来たのであります。
最低生活を送りつつある我々
俘虜に対して、
ソ連の
市民が金を貸して呉れ、今日で二日も食
つていないから
パンを何とかして呉れ、
煙草を呉れと幾度となく言われたのであります。このような事実から、彼らの
生活の窮乏せる一端を覗き見ることができるのであります。そして又高い
板塀を
鉄條綱に囲まれた厳しい銃の監視の中で、絶えず強制的に
共産主義理論を押付けられた。特に
抑留者の場合には、過去の経歴その他で睨まれていたために、
抑留者は果していつ帰れるか、
抑留者は帰れないであろう、
民主運動をや
つて赤化思想を持
つている。或いは又この者は思想的に変化したとみなされる者は帰れるであろう。このような種々の噂が飛んだのであります。そして帰りたい一念から、先ず我々は
タシケント地区の第
二分所において
僞民主運動をや
つた者も少くないのであります。併し本質は暴露されました。勿論
ソ連側自体としても、前
職関係者や
抑留者は
幾ら民主運動をや
つても信用しなか
つたのであります。そして我々
抑留者や全
職関係者は、あちらこちらも
ウズベック共和国の隅から隅を奴隷のごとく取扱われて転々と移動して来たので駈ります。その間大勢の患者を出して行
つた。そうして移動の度に
煙草やその他の当然配給を受けるべき金までも搾取されて
行つたのであります。入ソの際着て
行つた軍服や、背広や、
将校の持
つて行つた物品まで、あらゆる手段によりはぎ取られ、甚だしきは
收容所の
ソ連の兵士、下士官その他の
職員の手に
渡つて行つたのであります。それに代
つてぼろぼろの
作業衣が支給されたのであります。
ソ連政府の温かい愛情で着せられた
ぼろぼろ服と
下駄靴を身に着けて、故郷の空を眺めて我々は泣いたのであります。そうして当然我々の口に入るべき肉や
パンや、米や野菜や、
保温用の石炭までが
收容所の
職員の手に流され搾取されたのであります。だが皆ただ黙
つて堪えて来たのであります。反ソ的なことを言えば、ありとあらゆる手段によ
つて残され、移動させられ、いずこへともなく姿を消して行くからであります。皆歯を食いしば
つて帰国を待
つた。そうして雨の日も風の日も零下三十五度、四十度の白雪の下にただ黙々として作業を続けて来たのであります。その間腕を取られ、手百を奪われ、或いは又足を收られて、そうして負傷をしてばたばたと倒れて
行つたのであります。
——は
民主運動を利用しまして、
ソ連強化こそ
日本民主化のゆえんであり、帰国云々する者は真の民主主義者ではない。
ソ連はプロレタリアの祖国である。
日本の民主化を、
民族の孤独を、
日本人の解放を願い、
——帝国主義者。
——反動と闘争するものこそ
ソ連である。この偉大な
ソ連を強化し得ない者は
反動として
赤化思想を植付けて、
民主運動と結び付けて労働を強要して来たのであります。或るときは即死、或るときは病に倒れ。或るときは不具者となり。
日本の空を眺め。一日も早く迎えに来て呉れることを神に念じておるのであります。我々は二度も三度も
帰還のための感謝文を書き、或るときは三十分以内に移動と言われ、蹴倒すようにして囚人列車に乗せられ、真つ暗な檻の中で放浪の旅を続けたのであります。我々が移動した地で
市民に対し、お前達は物質的にも、精神的にも仕合せに恵まれておるかどうかと尋ねますと、その反対の答を我々は聞きました。
ソ連には囚人の多いことに驚かされる。どこへ移動しても多くの
收容所を見ることができます。勿論この中には
朝鮮人も、中国人も、
日本人も、
ドイツ人も、イタリア人も、白系露人もおります。
日本人の場合は停戰後樺太より刑を受けて
ソ連の奥地に送られた人が多いようであります。タシケントで会
つた樺太から五年の刑を受けて、三年で解放されたが、働く所もなくも放浪の旅を続けておると泣いて君
つた五十歳の人の話では、約五万人の受刑者が
ソ連に来ておると泣いて言
つておりました。その原因を聞きますと、停戰直後、自分の船で家族を連れて
日本に密航しようとしたところを発見された者、自分の畑で作
つた大根一本抜いて五年、或いは出勤時間が三十分遅れたとい
つて作業サボとして送られた。このようにして社会的共有物云々とか、或いは作業サボとか、種々の
理由を付けて送
つたそうであります。この
人達もいつの日か
日本に帰ることができるであろうか、ただそれのみを待ちわびておるのであります。帰国、これは戰後四年、在
ソ同胞は勿論のこと、
日本におる家族の最も念願とするところであります。我々は
ソ連にあ
つて、その帰国の問題について幾度となく追求して参りましたが、その度に、お前達の帰国を遅らせておるものは
——であり、現
吉田内閣であり、そうしてそれを取巻く一連の
反動である。幾度話しても迎えに来ない。
ソ連はいつでも約束した人数を返すだけの用意をしておるに拘わらず、船も寄越さない。或いは十一月以降シベリヤ鉄道が凍結して運行困難である。衛生的見地からい
つても
ソ連はそのような無責任なことは絶対にできない。或いは又ナホトカが凍結しているから今年は駄目だ。このようなことを毎年繰返して来たのであります。ところがその度我々が最も困難とするシベリア鉄道を無事故で、ただの一人も犠牲者を出さず通過してナホトカに着いたのであります。勿論毛布一枚貰うことができませんでした。ところがナホトカに着いて見ますと、
ソ連が砕氷船を寄越さなければ来られないというナホトカ港、
日本海は青々として我々を迎えて呉れたのであります。而も
日本においては今か今かと迎えの船を準備して、
ソ連からの出航要求を待
つておるという事実を我々はナホトカで知
つたのであります。我々はここにおいてはつきりと
——の労働力欲しさの
——の手の内を知ることができたのであります。我我はそのときに考えました。若し米
進駐軍がいなか
つたら、或いは全
日本国民の世論に訴えて、現内閣、参集面院及び復員庁初め当局の絶大なる支援と熱烈なる
帰還促進運動がなか
つたら、この最も厳しい冬季間に、前例なきこの輸送はなされなか
つたであろうということを痛感したのであります。そのことは
日本土陸と共にますます強く感じられたのであります。そうして今まで第一梯団におられた人も続々と我が日の丸梯団に入団して来たのであります。私はここで日の丸梯団を代表して強調したいことは、我々が生涯を通じて永久に忘れ得ぬ感激、それはナホトカにおける高砂丸乗船以来、我々に対して示された船長はじめ復員
関係当局の肉身にも優る温い愛情と、我々日の丸梯団が桟橋に上陸したとき、あの雨の中にびつしより濡れながら我々を心からなる誠実と温い愛とを以て迎えてくれたダグラス・マッカーサー将軍代理の出迎え、参衆両院代表その他各府劍代表の出仰えであ
つたのであります。整然として並べる我が日の丸梯団は遠く一万キロ離れた戰友の無事を折り、異国の地に永遠に眠る
人達の冥福を祈
つたとき、
アメリカ進駐軍代表参衆両院代表も皆一斉に脱帽し、目には早や熱い涙が光
つているのを見たのであります。この姿を見よ、この
人達が何で国を売り我々の
帰還を遅らせているといえよう、各代表の激励の挨拶に応えて全員新民主
日本建設のためやるぞの一言を以て船中で作
つた日の丸を先頭に宿舎へと進んだのであります。私ははつきりという、我々の
帰還を遅らしたのは
アメリカ進駐軍でもなく
日本政府でもない、この責任は
ソ連当局にあるということを。
そうして今ここに最も大きな問題とな
つているのは、
ソ連将校の語
つた日本共産党書記長徳田球一氏の
言葉であります。
民族の
独立、自由と平和を愛して闘う共産党が、
ソ連当局に対しまして
日本共産党の名において、
反動は帰して呉れるな、こういうふうな非人道的な暴言を吐いたことが事実とするならば、
ソ連における
共産主義の
理論と実際と一致していないのと同様、口に
民族の
独立を唱えながらこの裏面において
日本民族を滅亡の渕に追込まんとする恐るべき
政策であるということが言えるのであります。
世界の平和も
民族の
独立も自由も幸福も、この
帰還促進運動の発表なくしてあり得べきではない。
アメリカ進駐軍総司令官ダグラス・マッカーサー閣下は、我々
日本人に
日本の表徴たる日の丸を帰して呉れました。
ソ同盟政府は
日本共産党と共に
日本の国に赤旗を樹てようとしています。併しながら
日本人の求めているものは赤旗ではない日の丸である。断わ
つておくが我々日の丸梯団は
帝国主義者ではない、又徒らに保守
反動の集結でもない、又第三次
世界大戰の放火者でもない、又
民族の
独立を失い奴隷となり肉弾になるための組織ではない、
帝国主義はた又
封建制度への復古も希
つてはいない、民主
日本の延再建こそ我々日の丸梯団の念願し
目的とずるものである。この
目的達成のために残留在
ソ同胞の
帰還促進運動の前衛として活躍することを我々は政府に対し要求すると共に、我々も又この日の丸の旗の下に死んで行く覚悟を持
つております。我々は、思想により
理論謀略により
資本主義諸国を内部より崩壊せしめ、結局において
世界制覇を夢みているととろの
——真実を暴露し、そうして誤れる方面に向えるところの
ソ連より
帰つた人達の
宣伝によ
つて赤化して行こうとする人を徹底的に正しい方向に進めて行く考えでおります。
それで今問題とな
つているところの九十九
地区九分所において行われた
政治集会の
内容をここで
お話いたします。私達はタシケントのアングレン並びにタシケント第九、第三分所より集結いたしまして、
最後の集結地であるところの
カラカンダ九十九
地区の
九分所に着いたのが九月の七日であります。そうして九月十五日十時三十分、この
九分所にあるところのクラブにおいて
政治集会と称しまして、そのときに六百名いたのでありますが
收容できませんので二回に分けて
收容すると言いまして
最初に三百名程入れたのであります。そのときの
出席者はソ側の所長代理であるところのシヤフエール中尉、
政治部
将校であるところのヒラトラ少尉、
日本側
俘虜及び
抑留者約三百有余名、それから司会としましては
日本人の
政治工作員
管末治、これによ
つて政治集会が持たれたのであります。
政治部
将校の講演の
内容は第一に国際情勢、即ち民主勢力の
世界におけるところの拡大、これについて縷々述べられまして、
朝鮮の
独立並びに毛澤東を首班とするところの中国の解放、そうしてこの中国の解放がいかに
世界の民主勢力に大きな影響を及ばずかということを縷々述べたのであります。その次に
日本の民主化、これについて述べられまして、
日本の民主化は
ソ同盟の強化なくしては絶対にでき得ないということを強調したのであります。三番目に今後のラーゲル
生活についてまず
文化活動を早急に展開せよ、或いは生産についての規律を確立せよ、これを述べたのであります。この結論として生れたものは、
日本の民主
民族戰線に結集すること、赤旗の下に結集することでこれは強烈なるところのイデオロギー
赤化思想を持たなければ実際になされないというこう、又
ソ同盟の強化なくしては絶対に
日本の民主政府の樹立はでき得ない、
共産主義の勝利はあり得ないということを、この
文化或いは生産規律の確立に持
つて行つたのであります。即ち労働は正義である、これは
マルクス・
レーニン主義の根本理念から来るものである、だからお前達は思想を強化すると共に徹底的に
ソ同盟強化のために狂奔しなければならない、身命を賭して闘わねばならないということをここで謳
つたのであります。その次に元興安特機にいました
軍事俘虜峯田恒次三十才は、我々はアングレンで帰国のために中間集結地に行くのだとソ側
将校より言われ出発した、今までに何回となく同じことを言われて幾多のラーゲルを廻
つて来たのであります、又ここでは
帰還問題については何ら話をして呉れない、みんなの知りたいのは、国際情勢なんかはどうでもいい、とにかくいつ帰れるか聽いたのであります。
ヒラトフ少尉曰く、帰る時期は言えない、と簡單に述べられたのであります。これに憤激いたしまして、元憲兵軍曹でありました植松楢数は、今年の春
ソ連は十一月までに戰争犯罪のため取調中の者を除く以外の者は帰国せしめると声明したではないか、我々はこの九万五千の中に入
つておるのかどうか、これは一体どうなるのかということを追及したわけであります。そのときに
ヒラトフ少尉立
つて曰く、
日本共産党書記長同志徳田球一より、
反動分子は帰して呉れるな、このように共産党の名において
日本の
反動分子は決して帰して呉れるなと言
つて来た、だからみんなは
赤化思想を持たない限りは、
反動は絶対に
日本に帰ることはできないであろう、このようなことを述べたのであります。そしてこのことは第二回目の三百名にも知らされたのでありますが、一同は憤激いたしましてこの二回目の集合には参加しなか
つたのであります。このようにして
徳田書記長の放言せることが果して
真実とするならば、我々は
日本に
帰つてこのことを
徳田書記長と対決して徹底的に追及しなければならない。これが
日本民族を愛し、平和を愛し、自由を尊重するところの
日本共産党の取るべき行為ではないということを喧々囂々と述べたのでありますけれども、そのときに余りこれを大きく取上げていると、又どこに送られるか分らないと言うて皆自重して黙
つて来たのであります。
これがこの問題の
内容でありますが、次に結論として、日共は
ソ連に対して隷属的である、それは明らかに
日本共産党が
ソ連の支援を受けてているし、
ソ連の力によ
つて武力革命を起さんとしている、だからこそこのたびのごとき野坂批判が発生したのであります。若し日共が
ソ連強化のため協力せず
マルクス・
レーニン主義の根本
理論より外れたる行動をとり平和革命を起さんとするなれば、
ソ連はこれを
反動として痛烈なる批判を加えチトーのごとき存在に陥れるであろう。このたびのごとき徳田氏の非人道的放言は
日本民族独立も
主権の擁護も、自由と平和も只單なる念仏に等しき
共産主義を暴露し、今何十万という
ソ連領土よりの完全なる
帰還なくして、真の平和も
民族の
独立も民主的政府の樹立もあり得ないのである。共産党は民自党や或いは社会党を売国奴と称しているが、これは又
日本新聞でも堂々と
宣伝されたのでありますが、我々に言わせるならば、
日本共産党こそ
日本国土を売り、
日本民族を滅亡の死の渕に追込まんとするところの恐るべき売国奴であるということができるのであります。国会は憲法上
主権を行使し国家最高の意思を
決定する機関であります。共産党議員も当然これが組織者たるに拘わらずかかる国策にもとり人道を無視せる行為をなしたることの
真否については、参衆両院において徹底的に究明するの方途を講ぜられ、共産党は
国民の前にその重大なる責務を如何にして負うべきかと明らかにせられんことを要望いたしまして、私の
説明を終りたいと思います。