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中平常太郎君 この私設社会事業の面におきまする中での主として授産事業の問題につきまして、当局に御質疑を申上げたいと思うのであります。授産事業の方は、昨年から
厚生省におきましては、大分その整備にお骨を折られまして、
嚴重な授産事業の刷新につきまして、各局県に指示を與えられ、それに準拠すべく各市町村におきましても、その所在の
施設に対しまして
嚴重に調査ができた筈でありまして、昨年末全部そうい
つた方面の調査が全国的にできた筈であります。これは誠に必要な問題でありまして、授産事業の名の下に搾取をしたり、或いは又個人が利益をなすところの状態に置かれておるような
施設、乃至全く授産事業のカモフラージユの下に営業的なことをや
つておるものというようなものが、この終戰のどさくさからできて参りまして、美名の下に隠れて一個の営業のごとくなすものがあ
つたということは、これは誠に遺憾なことでありまするけれどもが、今日これは整備しなければならない対象と相成ることは、これはもう当然でございまして、我々も双手を挙げて賛成するところでございます。然るところ、この整備の方針につきまして、その
嚴重にすることはよろしいけれどもが、その発達を阻害し乃至はその経営の不可能を強要しておるがごとき、整備の厳格な指示を與えられておる点がかずかず見受けられるのであります。
日本は御承知の
通り、生活保護者の一歩手前、ボーダー・ラインにおるところの線を上下しておるものというのは随分沢山ありまして、一歩誤れば生活保護者にな
つて、国の御厄介にならなければならない。どうでもして何かの仕事をしてそうい
つた状態にならないように家計を維持して行きたいという
考えがあるところの貧困階級というものは、随分沢山あります。その中には世帶主の收入ではどうしても足りないということのために、妻が授産場に行
つて僅かでも働いて儲けたいというものがある。又娘或いは子供を行かして、そうして生活の足しにしようと
思つて行
つておるものも沢山あります。そういうものを打ち切
つてしま
つたなれば、すつきりとするように見えますけれどもが、それは直ちに生活保護法の増加を意味するのでありまして、決してこれは敗戰
日本の困難な社会情勢におきましては、とるべき策ではないと私には思われるに拘わらず、この授産事業の整備要綱の中には、
嚴重にそんなものを吐き出してしまえ、適格者でなければいかんと、こうな
つておりまするが、適格者というのは、第一番に
身体障害者はもうもとより或いは低能、或いは一般の企業体のところに雇用をして貰えないところの稼働力の弱い者、そういう者に限る、こういうことにな
つておるのでありますが、それらはもとより授産場の適格者には相違ないが、貧乏な家庭におきましては少しでも收入を増そうと思う場合には、健康な娘も来る、又健康な母親も来る、又健康な弟が来ることがある。又妻が働いてお
つて食えない場合には健康な夫が来る。そうして妻の收入と合せて自分の生活を維持しなければならない。ただ来たところの人を見れば、お前はここに来てはいかん、お前はしんでしまえ……。ところが、ここに極めて困難な問題がある。この整備要綱にこう書いてある。「然るに、授産事業の現状は、このような作業員の厳格な適用が守られておらず、独身の婦人、未亡人、引揚者、失
業者等、稼働能力のある男女、即ち一般工場において働けば一般男女並の労働賃金を獲得し得る人々が作業員の大部分である事例が多いことは、授産事業を一般企業と判然と区別し難い大きな原因をなしている。又このような人々は職員の指導訓練が必要であるからとの理由の下に授産事業に收容することも、明かに労働省
所管の職業補導
施設との混同である。」こう書いてある。「このような稼働能力のある男女作業員を收容しなければ経営して行けないような授産事業は、社会事業としての性格を逸脱しているのであるから、断乎としてこれを授産事業の
分野から排除して行かなければならない。更に又、このような作業員を先に列挙した收容し得る資格のある作業員の中に若干でも包含している授産事業は、直ちにこれらの人々を事業より締出す方策をとらざる限り、授産事業としての適格性を認めない方針とする。」とこうな
つておりまするが、この独身の婦人、未亡人、引揚者、失
業者などが直ちに一般労働者並の賃金が取れるであろうというて、工場に雇うて貰えるかどうか。今日それでなくとも立派な身体を持
つておる人間に数百万の失
業者がある。失
業者が満ち満ちておる。それが今日仕事をしたくとも雇
つて呉れるところがない。そういうような社会情勢であるのに、授産場の方に行
つて独身の婦人や未亡人が働くのに、お前らは出て行
つて商売人のところへ行け、企業家のところへ行けと言
つたところで、行く先がない。又、労働省の職業補導
設備というものが
日本に
幾らある、誠に蓼々たるものである。その補導
設備たるや、どこへ行きましてもただ大工の端くれを拵えるか、小間物の端くれをするように仕事を教える労働者の職業補導所というものは、決して一般的に誰も彼も行
つて、その習おうと思う仕事を中年なら半年行
つたところで、到底一般人の熟練した工員さえ失業している中に、職業補導所を出たところのうろうろするような情けない状態の者を一般の企業家が雇う筈がない。職業補導所を出れば、これは
幾らかの賃金を貰
つて食べて行けますが、出たら直ちに失
業者として流浪をしておるのが現在の状態であります。それを文書の上で直ちに職業補導所へ行けと言うて書くのは早いけれども、行き先がない、行
つたところが雇
つてくれない。こういう
実情がありながら、僅かしかない職業補導所で何か金科玉條のように言うて、
厚生省の側から、授産場からしめ出して出て行けということは、社会の情勢を知らんも程があると思うのであります。しめ出すどころか独身の婦人、未亡人、引揚者、失
業者等の、一時的な、いい職業のある間、一時でも働こうとする間は、労働勤労意欲を持
つておるものは、授産場へ吸收してこそ、私は初めて授産場の使命があると思う。しめ出すどころではない吸收すべきであると思うのです。この点が指導擁護と大変な違いがあると思うのです。これに対するお考を聞かねばならん、お伺いしたい。
それからこのような
趣旨を徹底するためには、授産事業の作業員は居住の市町村長の、資格の認定を受けなければならないということが書いてありますが、これは誠に結構なことでありまして、これは我々は隻手を上げて賛成する條項でありますので申上げることはないからして、私が今申上げたような難儀な家庭、ボーダー・ラインのものは市町村長が直ぐに証明してくれますから、授産場で仕事をさせて貰えるだろうと私は思うのでありますから、この前申上げたのとそこに違いが出てくるわけであります。
それからこの作業の運営の面におきまして、授産事業は、一般企業家に見られるような利潤から、経営並びに役職員、
事務員の費用と、
固定資産の償却その他資本蓄積に必要な諸費用を控除した残りを工賃として支拂うべき形態を決してとるべきではない、これはもう私は当然であります。そういうものをと
つて後の残りを工賃に拂うというようなことはすべきでない。ないがこれは机の上の
議論でありまして、実際におきましては授産場は一年の経営をや
つて見て、そして收支
計算をしてみて余
つたら、それから後にその雇用者の、従業員に賃金を拂うとい
つたら、それなら一年の間従業員には金はやらない、差引勘定がどうな
つているか分らない、差引勘定をして見なければ、余りがなければ貰えんというと、これ程矛盾な無慈悲なことはない。そういうことがあり得べからざることであるからして、これは数行を費やして書いているのですけれども、そういうことをする授産場は今日あるまいと思う。少くともその日さえ喰えん、一ケ月の給料が待てない、我々の経験から見ると、一ケ月の給料が待てないで、従業員には十五日目、十五日目に工賃を
計算して、その日までのものを渡して漸く生活の足しにしておる。いわんや一年のしまいに調べてみて利益があ
つたら配当しようというような、そういうようなことは、授産場でやれるものでは決してない。たとえ損がいこうとも利益があろうともなかろうとも、とにかく一定の決めた工賃はちやんと十五日、十五日に渡して生活の安定を保障しておるところに、授産場の特質があるのでございます。利益がなか
つたならば共同募金も来ましよう。又それで足りなければ寄附者もありましよう。とにかく利益がなか
つたらその工賃を渡さんというのではいけない。利益があろうがなかろうが工賃というものはでき高によ
つて渡すべきだ。或いは日数に応じて渡すべきだ。大抵の授産場は能率給であります。自分が一生懸命働きさえすればそれだけ收入が増加するようにな
つております。ところがそれが
一つの企業体のごとく見られる。それは又見る筈でありまして、原料、工程、製品を出さなければならん。その間に買う資金があり売
つた資金もある。又買うにしても相当の運動が要る。売るにしても相当の販売係が要るのであります。又それに対して仕組が要ります。特にインフレということになりますと、四、五年前の資金が十数万円でできたのが、今日百万円でなければ同じ事業をすることができません。してみれば借金もしなければならん。あらゆる面において経営に困難であるに拘わらず、失
業者を少しでもこの困難な家庭を救おうと
思つてや
つておるところの授産場は沢山にございますが、それを構わんで一方から整理してしま
つたならば、そのボーダー・ラインの者がどこへ行くか、直ちに生活保護法に顛落する以外はないじやありませんか。それを利益があ
つたら渡すというようなことではいけない。もとより利益のあるなしを論ぜず工賃として渡さなければならんことは当然であります。工賃なるものはどうかというと、初めから
規則があり、この仕事をすれば何ぼ取れるということが明らかにな
つておるが、授産場に来ればどこの授産場でも傘を作り、草履を作り、縄をなうが、一個何ぼ、一本何ぼ、百枚何ぼという
規則が出ておる。それによ
つてや
つたならば熟練した者は日に百円になり、熟練しない者は五十円、そういうことになる。だから熟練するに
従つて收入が殖えるということになりますが、それを何じや、授産場外の企業体の賃金より少く
なつたら搾取したとこう言う。賃金と同じ程や
つたら授産場なるものは大きな何かの特長がなければやれるはずのものじやない。だから初めつからこの点に、一個何ぼ、一本何ぼ百枚何ぼと決めて置けば搾取じやない。固定された資金を渡すといえば搾取とは言えない。それは安いことは安いけれどもが少くとも娘を行かさにや家が持てないということを言うて来る以上は、そこに来て一家を支える、一家を扶助するという意味でありますから、安くとも授産場で働くことを喜んで来る。それをお役人は、官僚の方はや
つて来て、お前は五十円でや
つておるのか、この仕事をした者の年齢で五十円でやらせて、これは何じや授産場が搾取しておるということを言うならば、果して授産場が保てるか保てないか、保てんなら閉場しなければならん。閉場したら何十人が直ちに生活保護法を受けなければならん。働ける以上は五十円取る者があ
つたり百円取る者があ
つても、それはその人の技楠の巧拙からできてくる問題でありまして、それを能率給でやるならば搾取ではない、それを市場の賃金より渡してないものは搾取と認める。こういうような
考え方を持つということは、私は授産場の経営におきましても間違いき
つた考え方であると思うのです。
それから出納等を明らかにしたい。これは当然でありまして、いいことも大分ありますからいいことはここに申上げるまでもないのでありますが、それで授産場は営利でないからして、そう突飛なことはないが免税の点もあり擁護される点もありますので、共同募金も貰えるというので、政府の方からは別に補助金が貰えないのである。それは憲法八十九條が示しておりますから貰えないのでありますが、又
事務費なんかも貰えない。
事務費を貰うところのものは特別に市町村がや
つておるということはありましようけれども、大抵の場合は
事務費は貰えない。ただ共同募金にすが
つておる一本でありますが、そういうふうに
事務費も出さず、補助金も出さないという授産場であるならば、その
目的さえ立派にやり、その業績さえ上
つておるならば、すべてそれをそういう整備の対象にする必要は私はないと思う。それから又入
つておる従業員が盡く生活保護者でなければならんと
考えるのは間違いである。少くとも收入の過少なものは入る
條件に適う適格者であると
考える。收入が少ないから来て働こうというのだから、そういうものは今日
日本に何程あるか分らん、何も生活保護者ばかりそこへ来なければならんことはない。むしろ生活保護者というのは五人家族で六千円在貰
つておるのでありますが、ボーダーラインの線の六千円貰えない、四千円か三千円の收入しかないので、女房や娘がいつも難儀して授産場に来て働いておるものが沢山ある。それが働いて取
つて帰るために生活保護にかからない、それで辛抱して生活をや
つておる。これが一朝転落したら五人家族で六千円、国家が損する、早い話が……。私がや
つておる授産場などを例にしますと、大変申訳ないのでありますけれども、団扇をや
つております。団扇で八十五人か九十人程来ておるのでありますが、この中に三分の一くらい生活保護者がおりますが、後は生活保護者じやありません。皆收入過少者であります。貧困な階級であ
つて、万一廃めたら私共の受産場だけで五十人くらい生活保護者が出て来る。出て来るというのは一軒の家庭に五千円渡そうということになれば五五、二十五万円一カ月に殖える、そうすると一ケ年には三百万円の国費と市町村費、県費が要る。三百万円の負担の殖える仕事を、私共の方で団扇をや
つて、六七百万円の団扇を作
つておりますが、そのために女が三千円
程度の收入を取り、男が四千円
程度の收入を取
つておりますが、それで生活保護にかからないで済んでおるものが五十人くらいある。そういうものは皆不具者かというとそうじやない。皆貧困階級で、何とかして働かにやならんが仕事がない、仕事がないからしてここへ来て働こうというので娘が来ておるところも、女房が来ておるところもある。又女房がどつかへ行くために亭主が来ておるものもある。それは皆生活が困難極まるので来ておるのであ
つて、それから收入を得ておるのでありますが、一見したところそう不具者ばかりおらん、おらんから、お前はここへ来る資格がないじやないか、出て行けと、一方から例えば県庁から来て出してしま
つたらその人はどうするか、泣きの涙で以てここに置いて呉れとすがりつくに違いない。それをどうするか、一概に搾取という
考えでなくして了解の下に入り、その家庭を助けるということになれば、何も差支えないと
思つてや
つておるのでありますが、而もそれが
條件に適わんからいかと言うので、私は県庁へ行
つて聞いたら、あなたの所はもう結構ですと言うて呉れましたけれども、やはり
日本国中どこの授産場におきましてもこういうことはあり得るのでありまして、まだ外の授産湯ももう
一つ持
つておりますが、これも四五十人働き、下駄を作らしておりますが、男は四五千円取り、女は二千五百円取
つております。やはり必要です。だからその内容充実ということを
考えて行かんと、それに対しましては多分に金融機関を何して、私もいつも百万円
程度から百五十万円
程度に実印を押して一文も取れんのに、自分がないのに私は実印を押して銀行で頭を下げて金を借りてそこへ使わしておる、それを廃めてしま
つて、もう一年、一年で切
つてしまうような授産場ならば、今年切
つてしまえば来年できない。来年しなか
つたらその仕事は決して人も集まりやせん。方々で難儀して生活保護法に引つ掛か
つてしまう。仕事も碌な仕事にならん、休みつつや
つたならば碌な仕事はできない。あれは技術の問題でありますから、引続いてやればこそ製品が市場へ出ることができるのであります。私の方で作る品物は今年はフイリツピンの方にも
輸出するということにな
つております。とにかくにも授産場の整備に対してはその内容をお
考えにならんというと、ただ
身体障害者ばかりを入れた授産場だ
つたならば、
日本国中の授産場は皆潰れてしまう。絶対に経済が持てないのであります。又毎年々々大きな赤字を出したならばその赤字を誰が償うか。廃める域外はない、廃めても何もその人は困りやせん、困るものは従業員が困る。私共は小さい商業じやけんにや
つてお
つた。だから何もせんだ
つても食えんことは
一つもないけれども、借銭にも何ぼでも判を押しておる。犠牲を拂
つておるけれども、それがというのが貧困な階級にどうぞして生活問題に潤おいを與えようと
思つてや
つておる。それが整備に……私の方はよか
つたけれども、その他のもので潰れるものがあ
つて難儀した話を大分聞きますので、ボーダー・ラインのものの行先を少しでも塞ぐということのないように
厚生省はお
考えにならんといかんと思いますが、この点に関して申上げたいことは沢山ございますけれども、
大臣並びに木村局長から親切な、そうして十分思いやりのある方法を以てやるという御決意をお聞きしたい。