○
石坂豊一君
札幌の
市区改正に関する問題ですが、
経過から申しますと、私はこれは扱いが二様になろうと思います。私の
考えるのに、
戰災都市はそれを再建するのに思う存分の
計画を立てるということは一向
差支ない。又そうすべきであると思う。併し戰災を蒙らない
都市に対して、余り雄大な
計画を立てるという事は、これは
戰前の
考えであ
つて、今日
日本はこれだけ打ちのめされた
現状においては、
現状を改良して行くという程度でいいものではないか。殊に狭い
国土にあ
つて、多くの海外からの引揚者を悉く収容して行くというとき、僅かの
土地と雖も無益に
使つてはいけないと思います。
戰前の
都市計画の
考えは、どこでもここでも
道路を広くすることや、
公園の設備その他を雄大に
考えてお
つたのであります。これも適当のことと
考えますが、併し今日はこの
考えをもう一度反省して、小じんまりした、がつちりした都会を
建設するということでなくてはならんと
考える。そこに
一つの、
建設省にも余り
法規に拘泥することなく、
一つ一大転換をなされた方がどうかと、かように
考えて、我々は実はこの
請願の最初の
紹介者として、私と板谷君とがな
つたのでありますが、その
請願は不幸にして留保にな
つたのです。重ねて又出て参りました。そこでこの
請願の
土地に対して、私は二回実地を見ております。見ておりますと、全く
請願の趣意にある
通りで、疎開した跡地をそれを好機として、奇貨として広い
道路に直して行こう、四十五メートルにしようとこういうので、現場を見ますというと、片つ方に豊平川の
鉄橋があ
つて道路が狭くな
つて行く、一方には又
学校も
建設してあるので
学校の取拂い、
鉄橋も今の
鉄橋を拡大するか、或いはもう
一つ副道を設けるぐらいにしなければ、この
区畫だけを、南四條だけを直した場合、まるで蛇が卵を飲んで
しまつたようになる。そうであるのですから、
請願者の言う
通り、三十六メートルにして火災の心配があるならば、これを
不燃化して行くということでなければならんということを見て参
つた。実は二度まで見ております。必ずしも私共は
請願者に囚われておるわけでも何でもないので、真に
都市の
建設については、従来からの燒けない
都市と燒けた
都市に対して、二段の取扱が私はどうしても必要と
考える。そして余り流行りものであるところの、
都市を徒らに人家を取
拂つて、大きな
道路を作るというようなことは、これはもう一遍再
検討しなければならん。又
戰災都市においては、百メートルぐらいの広い
道路は、
東京においてすらそれをやる直すということに
なつた。而して
都市計画を
決定する機関として、従来ある
法規は全くこれは
戰前の旧
憲法時代の
法規でありまして、その
法規によ
つて決めたものであるから、その
通り実行してかからなければならんということは、これ又
時代錯誤ではないかと私共は
考えます。私共は現
大臣に対して、これは釈迦に説法するような話であるから、我我と肚の中は同感であろうと
考えておるのであるが、ただこの場合において、すでに決ま
つたことであるからそれを押通す、ということはもう一遍
考え直して貰いたいと思うのです。この
意味において、私共は
北條君の言われた
通り、この
請願は
是非一つ本院より
政府に送付するということが必要と
考えるのです。先程来
大臣はどういう答弁をせられたか知りませんけれども、
大臣の今の、
自分の部下のや
つた仕事を保護する
意味においては、断じてこれは直すわけには行かんと言われるだろうけれども、
ただ余りにも囚われ過ぎておる。
民主主義の今日。
国会において当
委員会が多数で決議して、且つ又本院がそれを採択する以上は、
大臣がそれをも再考せんとと、そういうような頑迷不霊の考は取去
つて頂かなければならんと、かように私共は
考えます。