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参考人(
石川榮耀君) 先ず始めに先程
お話のございました
東京都市計画地方審議会のメンバーの
過度集中、
過度偏見でないかという御
指摘でございましたが、明らかに一応さよう考えられるのでありますが、ただ御
承知のように、この
地方計画審議会の
立案及びその
審議の
趣旨は、結局におきまして、
東京都がその
立案者になりまして、大体においてその出費も
東京都が持ちまして、これを
各省関係に或いは
民間団体等にそれぞれ個別的に働きかけをいたしまして、その
方面の御理解を頂いて、そうしてできました案を
審議会に付議する、
審議会におきまする各
委員の態度というものは、
共同立案者というよりは、むしろ
監視者というふうな形にな
つておりまして、曾てそういう場合に出席する各
官庁その他の方々が
共同立案というような形が採られた場合は非常に少いのでございます。結局におきましては、我々の
微力というところがまあ基調をなすのでありますが、
立案及びその
進行箇所におきまして、極めて
地方的でございまして、低調でございまして、特に
東京のように各
方面の
機関が強い中枢を持
つておりまする所では、極めて案の立て方、
進行のされ方に微弱なものがございますので、今度改めまして、
関係各
官庁、
地方経済団体等も所要な
共同立案者のような形式をお取り願う、そうしてそこでお
決め願つたことを我々の方にお示し願う、こういうような形がいいのではないかというようなことが
立案の
趣旨でございます。多年この遂につきまして御指導を頂いております
吉川さんの御
意見でございまして、
お話の
通りの点は多々あるのでございますが、ただ実際にぶつか
つて参りますると、どうも我々の
微力だけではそういうふうになり易いので、これはこういう形を取
つておりますると、実際上の
実践としての
都市計画のいわゆる
首都というふうな高い
目標に向
つての
計画は柔く動くのではないか、余り紆余曲折することなしに進むのではないかと思います。それから
フランスの
首都計画のガリ版をお届けしまして、これは誠に申訳ございませんが、戦後の
計画につきましての資料はまだ
手許に入
つておりませんので、これは至急又調べまして、お届けいたしたいと思
つております。
それから折角の御注文もございましたので、
復興都市計画としまして、我我が今まで分りましたものを極めて掻摘みまして、絵で
一つ御
説明申上げたいと思います。それで申し上げたい
趣旨は、この細かい
復興都市計画の構想ではございませんので、この案におきまして、結局再三御
指摘がありまするように、
首都集中、
首都偏重というようなことは決して考えておらない、そうしてむしろ
首都の
性格をよく確認いたしまして、その與えられた
性格に対しては責任を持ちたいというふうなことが、大体の
趣旨でございますので、それを
一つ絵によりまして御
説明申上げたいと思います。極めて短時間でございますから御覧願いたいと思います。
御
承知のように
都市計画の
根本をなしますのは、世上しばしば
交通計画であるというように誤られておりますが、実際の
根本をなす
計画は
地域でございまして、
工業及び
商業その他の業及び配置ということが
根本でございますので、
地域から御
説明いたしますが、ここで申上げたいのは、
戦争前の
東京都の
地域計画でございます。これは戦後の
復興計画でございまして、ここではつきりお分けいたしたいのは、この水色が
工業地域でございますが、
荒川放水路から
下町一帯にかけまして大きな
厖大なものであります。こちらが今回持
つております
工業計画でございますが、
戰前の収縮いたしまして、これは青色が
工業地域、黄色が
中小工業地域でございますが、
昭和五年の規模をこれは完全に收縮して、能率的に極めて、立地に対しまして神経質にすべての川の
周囲というようなところを選びましてこれに集約して
しまつたのでございます。これは
議論の存するところだろうと思うのでありますが、ただ一応
最小限度に止めまして、その
目標の中から或いは
世界の国際的な
一つの
許容度等を勘案しまして、更にこれを多少なりでも無駄のないようにしたいと思
つておりますが、
戰前のようにこういう
厖大な
工業を育成し、誘導したいという
意思表示は全然ございません。それから
商業地域でございますが、これは薄くてお見になるのに困難でございますが、
戰前の
計画はこういうふうな
厖大なものでございました。
下町一
帶商業地域でございまして、この赤色が、この
道路の両側が全部
商業地域でございまして、そういう点で非常に今回の
計画によりましては、この銀座一帶、丸の内一帶は
商業地域といたしまして、
あとはできるだけ
山の手に拡げまして、池袋、新宿、澁谷という所に、サヴウエイに
中心を置きまして、在来の
東京が大体においてこの全体から扇の要のような、ビジネストにせよ、買物にせよ、全部こちらに偏
つておりまして、ラツシユ・アワーの原因にな
つておりましたのを、今度は
山の手に、省私線に沿いまして
二つの動きを中から講ずるように、少くも
消費関係においては
山の手線に膠着したいというものでございまして、
あとは各路線毎に
商業地域を、できるだけ
商業による
人口の水増しを防ぎたい、こういうふうに考えます。これによ
つて御覧頂きたいのは、我々が極めて
戰前のような
厖大な
商業、
消費関係において、
東京の人々の殖えることに極めて臆病であるということを申上げておるのであります。それからこちらにはありませんが、こちらを御覧頂きたいと思いますので、戰後三百五十万でございました
東京の
人口はどの日の程度に抑えて行くかということ、これは
議論が非常にございますが、
議論がございましたのに対しまして、結局
計画が非常にやりにくいのでございまして、いろいろ
計画を以て四百万くらいのところが出て参りますが、我々といたしましては、とにかくそのときの
人口で抑え、三百五十万でございましたのが、これ以上殖えては困るというので、一応抑えまして、
議論も何も
説明は非常に困難でございますが、とにかくもこれ以上殖えるのは困る、それに対しまして、いろいろ
昭和五年の第一統計で計算して見ますると、三百五十万でよろしい、現在でいいのであるというので、現在三百五十万という
人口を抑えまして、
外側に黄色いものがございますが、これは
工業地域であります。これは当時
法律はございません。
法律はございませんですが、
工業地域というところを指定いたしまして、これはその後その附近を併せまして、この区域に対しましては、将来
都市計画を立てては困るということで
外側に入れたわけでございます。これは御
承知の
通り世界的な言わば
大都市としまして、曾てアムステルダムでお互いの間に約束をいたしました
実践でございますので、
工業地域といたしましてはこれは
あとに追つ馳けまして
法律とな
つているのであります。それから内部におきましても、できるだけ、いろいろ
人口が殖えることを防止するために、できるだけ緑地を取りまして、この一千五百万坪でございますが、十分に取りまして、できるだけ
人口はまあ必要なだけに止める。それはどうかというと、三百五十万というふうなことを考えまして取つたわけであります。この
二つによりまして、
首都として
経済、或いは
工業、
文化、あらゆる点において独占しようというような形はゆめ取
つておらないということを御了承頂きたいと思います。むしろ
吉川さんのおつしやいましたように、
計画によ
つてこういうことを達成するということは、極めて弱い、実際は
政治的に我々が本体であるということは御指示の
通りでございます。ただ我々といたしましては、
一種の
社会通念というようなものを取りまして、それに即応しました
計画を以て、これを合せたわけでございます。この際同時にこれはあらゆる
政治方面に対しましてもそれを通して頂くように、
都市計画を、
技術面から要請を申上げてはおつたわけでございます。
それから次に
特別地区を置くというのがございますが、これは今回の
首都建設法をどうしても煩わさなければならない問題でございますが、これは御
承知のように、戰後特にそうでございますが、誠に混乱いたしておりまして、
大都市としての統制は全くございません。三百五十万の
人口がただ自然発生的にそれぞれの場所に住んで渦を巻いているわけであります。これの最も甚しい欠陥といたしましては、次の黄色いのが軽
工業地域であります。そういうふうに分けますが、実際においては、例えば
文化国家といたしましての
首都といたしますれば、ワシントンまではとても参りません。参りませんけれども、併しながら現在の
場末形態で膨れ上
つて行くということは最も恐ろしいことでございまして、
首都としましての両目にかけましても、
場末形態を離脱しなければならない。能率の面からいたしましても、いわば
形態から行きましても、これは非常に
都市の
特徴性という、或いは
アジヤ都市の
形態と申すべきことでありますから、
ヨーロツパ並にするということで、これに対する
文化都市の
形態を與えてやろうというので、特別の
地区は、これは
法律にはございません、
法律にはございませんが、特に我々の方として、都といたしましても制定いたしまして、又整備しておりますが、誠に
徴弱でございますが、この中で紫色にな
つておりますのが
公館地区でございまして
首都でございますので、
外国等の
公館、或いは
政治上の
公館、あらゆる
公館建築等がございます。それに対しましてできるだけ
一つの所に、現在ここにございますが、偏することのないようにできるならば、この半蔵門の裏の方に、都の
関係のものはこの竹橋の方から神田に向
つてそれぞれ、徒らに
分散することは
機能の阻害がありますが、この配置して
差支ないという性質のものもありますので、その点は徒らに現在の
都市中心に集中することなしに、配列いたしたいというので、これをこういうふうに取つたわけであります。こういう
公館地域でございます紫の中に、一般の建物はございませんので、この形でやはり参りたい。これはすでにいろいろお取上げ
願つて御研究頂いておりますが、強い
意思表示にな
つておりません。
次にここの緑でございますので
文教地区と言いまして、いわば
学校学園地区ということにな
つております。これは本郷でございまして、これは豊島一帶、これは
早稲田でございます。立教もございます。
文理大もございますし、東大もございます。こういう
学校の
周囲に、全然この
法律は守られておりません、例えば
学校の
周囲に手
工業の
木工家屋がございまして、
大学の
研究室などに徒らにそこへ騒音を発することがあ
つても、抑える方法がございません。或いは警備の必要もこういう所に非常に多い。又できますならば、
国家、或いは我々の方としまして、こういう所に対して、それぞれ
住宅やなんかのあり方に対しまして、いわば
一種の
文化環境というようなものを
建設するように指導し、或いは
施設等もいたして行きたいという考えを持
つているのでございまして、
文教地区というものを拵えまして、それに指定したのでありますが、すでにそれぞれの
大学が
中心にな
つて計画をいたしておりますが、本当に画餅に帰しておりまして、今日は何らの力もございません。これは
外国、まあ、私の狭い観察でございますが、
外国等におきましては、必ず
一つの
文教区を区切
つております。
日本は段々
場末から
場末へと追込まれて渦を巻いている。
文化国家の
首都といたしまして、然らばどこに
文化的な育成の核があるか。人に見せてもこれは
大学である、これは
早稲田であるというだけでありまして、それを総合したものはございません。
それから赤いのは
盛り場でございます。
盛り場は
大都市の
一つの当然の
発生物として、これは
都市が非難されます因にな
つております。特に
東京は戦後のいわばアプレゲールと申しますか、一切の悪の温床が
盛り場であ
つたのでございます。それでこれをこのまま放置するということは
首都の治安から申しましても
衛生の面から言いましても、これはいわば
首都の名に価しない。そこでこれに
消費観光地区というものを指定しまして、
区制整理を行ない、又
衛生方面、あらゆる面につきまして、風教、その他警視庁の取締もこの
方面に集中して行きたい。そうしてこれを健全な
盛り場として、観光的な対象にもし、又
民衆娯楽の健全なる誘導にもいたしたいというので指定したものであります。まだ案としましては未熟でございますが、これらのものにただ漠然とこの中で渦を巻かしておりましたのでは、決して
首都の形は生まれて参らない。そこでこれを考えたのでございますが、今日の場合まだ誠に微弱でございますので、この
首都建設法を通して頂ければ、特にこれを強化して参りたいというのであります。尤もこれも徒らに
民衆の
意思に反してどうこうというのではございませんが、高いところからの御批判がございますれば、それを講じて行きたいと、こう考えます。
以上は大体
首都の間取りとも称すべきものでございまして、土地の使い方でございます。今度はこれに多少形を與えて参る、それで御
承知のように
国家の
大都市の
計画、特に
首都の
計画は緑地でございまして、緑の多さがその
計画の
文化度を示すというぐらいに考えられております。それでこの緑地でございますが、これもこう非常に立派な点にな
つておりますが、みんな皆さん御
承知の場所でございまして、これが宮城の西の丸でございます。これは上野公園でございまして、これが代々木でございます。これが新宿御苑から外苑でございます。これが駒沢の競馬場でございまして、これが戸山ケ原、これが後楽園というふうに、御
承知の場所でございますが、これを
計画として一応こういう形を以ちまして、特にこのどこの国に参りましても、水際は必ず緑で
保護してございますが、今隅田川もそんなふうに考えてや
つております。これは非常に火災が多い所でありまして、特に最近統計で御
承知の
通り、
商業家屋は建てた半分が燃えて行くというくらいまでに今日言われております。そういうものに対しましての火災防止にもなりますので、これを十分に取りましたわけであります。
これは汽車の沿線でございまして、沿線の両側を緑に縁と
つてこれは観光客ばかりでもございませんが、我々が余り汚いところを見ないで済むように、これを取つたわけであります。
これは更に
東京は雑然たる
人口の渦でございまして、これがお互いの居住民に対して極めて虚無的な考を持たせるということは、よく御
指摘があるわけでございますが、それでこれを区の形に幾らかずつ区割を割りまして、そうしてその中に広場を置きまして、まあそれぞれ郷土的な考を幾らかずつでも持たせようということも考えたわけですが、これは画が誠に綺麗でございますが、最近の変更によりましてただ大きいやつだけ残りまして、
あとは消えてしまいました。まあ併しながらこの
計画があつたために、宮中におかれましても、我々に対して大きな御苑を全部御下附に
なつたようなことでありますので、この
計画の半分は目的を達成したわけであります。
それから、これは街路図でございまして、誠にこれはもう御覧になりましても何のことやらお分にならないと思いますが、いずれ又、図面等を目下刷
つておりますので、刷りましたら
一つお届けいたしたいと思います。これは大変な長さでございまして、
道路の長さは
東京から丁度熊本ぐらいまでの長さでございますが、初め百メートルという太いものを入れて置きましたが、大分非難がありまして、我々としても百メートルの
道路が十分にございませんと高速度自動車が走られません。そこでそれを主張してお
つたのでありますが、
経済上、その他で多少収縮いたしまして、現在は八十メートルが最高でございまして、それが数本あります。
あとは大体四十、五十というのが許可になりまして、多少とも高速度の自動車の通れるものを
計画いたしております。それを
中心として放射線として環状線に結んでありますが、いろいろなことで十分にできておらないのでお分りにくいかと思います。
ただ問題はこの実現でございまして、こういうことを並べていても、誠に迷惑だという方々から御非難がございます。そこで先程来申上げました
通り、山手線に沿うて新しい
商業中心地を移すという考から区割を整理いたしておりまして、五反田、澁谷、新宿、池袋、高田馬場等を区割整理しております。この区割整理によ
つて御
承知のごとく進めてや
つております。今日五百万坪からや
つておりますが、今年あたりから、皆さんのお目に止
つてとかく汚い所、駅の前あたりにも、今年あたりから
計画を立てて参りまして、皆さんのお目にかかるような広場として、新橋にできました。澁谷にもできました、池袋にもできました、新宿にもどうやら小さいものができて参ります。ぽつぽつできました。それでも
首都の玄関といたしましては誠に貧弱でありまして、今我々が一番苦しんでおるのは駅の形でありますが、
東京駅もこれを如何にして封建的な
東京駅を切換えて行くかということでありますが、今日の
東京駅の玄関がこちらにあるということには多少無理があるということを聞いております。本当はこちらの
経済中心地に対しても、大きな玄関をあけるべきであるということが今度の
計画でありまして、今八重洲口の方に主力を注いでおりますが、これが今度の
首都計画として本当に加えるべきである。いろいろな施設に対しても、これに集中して行きたい、今
首都の玄関としての
考え方も、これから段々確かまるのじやないかと思います。
それからこれは高速度鉄道でございまするが、この
東京の大きさは半径約十五キロでありまして、御
承知のように
人口百万あれば地下鉄道がなくちやならないと言いますが、丁度皆さんのお宅から
東京に御通勤頂くのに、一時間から一時間半ぐらいかかるのでありましよう。それはこれだけの面積からすれば、地下鉄道がなければ活動できません。そこで郊外電車と地下鉄道の場合であります。そこで地下鉄を通
つて横浜へ連絡しております、御
承知の
通り澁谷から出て浅草へ行く地下鉄道がありますが、目下考えているのが、ここに赤線がありますが、池袋から出て新宿へ至る線、これに対しては見返資金の御心配を頂いていると思いますが、これらに対しても、
首都建設ということが、表にクローズ・アツプして来れば、御心配頂けるのが、非常に楽になると思います。最近では、地下鉄をやめて高架の
道路にして、
道路の高架のものにして、その上に自動車を走らせようという、いわば高速度
道路であります。今日も
道路建設に対する業者も出て参りまして、同じくこれに対して
計画を立てております。こういうような大きな
計画になりますれば、将来の見通し或いは方針或いはあり方等についても、どうしても
地方行政庁というようなものであるよりは、もつと高いところでお考えにな
つて頂かなければならんと思います。又金の御心配等も、より高いところから出て参るようにして頂きたいと思います。
それからこれは下水道の概要地図でありますが、私はとにかく
東京の
首都としてのあり方について、ハイカラなことを申すよりは、先ず以て
衛生的な、病気の出ない、又外人等も申しますが、
日本の
都市に入ると、極めて奇妙な匂いがするということを言
つております。この匂いに慣れることが
日本に対して慣れるゆえんだということをよく言われますが、下水がありましても、まだ下水の処理が不十分でございますが、この処分場につきまして、今
二つの所があるわけでありますが、現在ここに
計画しておりますのは、これが森ヶ崎であります。これが豊島であります。これが尾久でありますが、ここに特に下水処理場を
計画して、今や
つておりますが、どうもこれに対する市民の理解の仕方が低調でありまして、むしろ今私の方は市民に隠れて、半年以上もや
つておりますが、まだ見通しがつかない。進駐軍からもたびたび矢の催促を受けておりますが、どうも理解度が非常に低いのであります。こんなことも
首都建設上どうしても改むべきことだというふうに私共は判断をしております。それからここに現れておりませんが、やはりどぶがございます。小さき下水と言いますか、幅二尺ぐらいのどぶがございます。これの長さがやはり約一千キロございますが、我々はこれを修理しておりますが、大体年に精々五百メートルかそこらであります。それでこれが、こちらの
方面に非常に蚊が出て参り、又子供に疫痢が出る原因もそれでありますが、それに対しては、
首都としては十分に
首都建設上の立場から要請さるべきものだと思います。
最後に、ここにこれらの仕事を行います場合の、ここに今日までの
進行状況がございますが、赤がこれらを完全にやる費用及び敷地でございますが、そういたしまして、街路広場はこれだけやるのに対して、この低い線がございます。これだけやりました。公園緑地もこれだけやつた。区割整理もこれだけ実現した。運河、河川、高潮防禦もこれだけやつた。排水場と申しまして、
東京じや毎年この辺が全部やられて、十数億の家財がその都度やられるが、
首都の一部にこういう所があ
つてはならんと思いますが、そういうようなことに対して、この排水場その他もこれだけやりました。港湾、街路、橋梁、公園緑地はこれだけというふうに、極めて遅々としている状態にございます。
それで、無論これに対して過剰な御要求等は申すわけではございませんが、最低限度でもやらなければならんと思うのでございます。
首都としましての新しい構想で御指導頂ける部面があるだろうと思います。