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柴田政次君 私から報告書を朗読致します。
愛知県、三重県、奈良県及び京都府における
国有財産の
処理状況実地調査のため
決算委員会から派遣された委員は、
中平常太郎、
柴田政次の両議員であり、尚
森專門員がこれに参加した。然るところ
中平委員は病気のため遺憾ながら参加し得なかつた。一行は左の日程で視察を行なつた。
昭和二十五年
一月十六日 朝東京発 夕京都着
一月十七日
京都視察
一月十八日
奈良視察
一月十九日
宇治山田視察
一月二十日 同右
一月二十一日
名古屋視察 夜東京着
その調査の目的及び結果を左に報告する。
第一章 調査の目的
本調査の目的の第一は、昭和二十二年法律第五十三号の規定により、
從來社寺に対して無償で貸付けてあつた
国有財産たる
境内地処理の状況を実地に調査することにある。この法律は憲法第二十條及び第八十九條に規定されている
政教分離の原則に基き、
宗教団体たる神社及び寺院に対する
国有境内地の
無償貸付関係等を断つと共に、その
善後措置として一定の條件を具備するものについては、
境内地の無
償譲與及び
半額売拂等の方法により、国家と社寺との間の沿革的な財産上の
特殊関係を整理せんとするものである。即ち、
社寺境内地が
国有財産に編入された由來を明らかにし、明治初年の
社寺土地、
地租改正、寄附等によつて、元
來境内地の
所有権が社寺側に属していたものが
国有地となつたものに付ては、その事実が立証される場合には、その
所有権を返還する意味で之を社寺に無償で譲與することとし、かかる事実がないか又は仮にその事実があつたとしても立証できない場合には、
永久無償使用権消滅の補償として、
半額売拂を認めたのである。然しいずれの場合においても、この法律が社寺に対して特別の恩惠を與えるものでない精神から、処分の範囲は、社寺の
收益目的に供されることなく、社寺が
宗教活動を行うに必要な部分に限定されている。
從つて昭和二十二年勅令第百九十号を以て、その処分の範囲を、(一)社寺の建物の敷地、(ニ)宗教上の儀式又は行事を行うため必要な土地、(三)参道、(四)庭園、(五)社寺の
尊嚴保持に必要な土地、(六)社寺の
災害防止に直接必要な土地、(七)社寺に特別の由緒ある土地、(八)社寺が現に
公益事業のため使用する土地、(九)此等の土地における立木、(十)社寺の主宰する
公益法人が
公益事業のため使用する土地等に限定しているのである。而してこの
法律施行後一年内に、社寺がその譲渡又は売拂の申請をしたときは、
主務大臣は
社寺境内地処分審査会に諮問して、その処分を決定することになつている。要するに、法律の精神は、国家と宗教との分離を実現するための
財産権の整理であり、その
善後措置として、旧
所有権の返還と、
永久無償使用権解消のための補償とを規定するものである。
次に本調査の第二の目的は、昭和二十二年度の
決算報告中、
国有財産の管理について、会計検査院がその
検査報告中に
不当事項として指摘している若干の事件につき、その
実地調査をすることである。但し、調査に赴いた府県における事件は、いずれも
社寺境内地の処分に関する問題と関連しているから、この報告中には便宜上、区別をせずに記載することとした。
第二章 京都府における調査
第一節
賀茂別雷神社
当社は俗に
上賀茂神社と称し、元
官幣大社であり、
桓武天皇以來皇都鎭譲の神として崇められ
來つたのである。
国有財産台帳には十五万余坪の
境内地が記載せられ、これが譲渡又は
売拂申請の
目的物となつている。当社に関しては二つの問題がある。
第一は伐採木の
不当收得事件である。問題の経過を記すと、昭和二十一年十一月四日
京都軍政部から京都府に対して、この境内に
進駐軍專用の
ゴルフ場を設営すべき
調達要求書が発せられ、京都府において
神社側と交渉の上で工事が進められたのであつた。然るにその後程なく、同年十二月二十日に右の
調達要求書が取消されたので、
京都府知事は
工事請負人に
相当多額の賠償を
終戰処理費で
支拂つて、工事を中止したのであつた。この工事に関して、
京都府知事が
国有財産管理庁たる
大阪財務局と協議しなかつたこと、並びに、
ゴルフ場敷地内の立木を伐採するに当つて、
神社側から提出した
障害木伐採の願書に許可を與え、これによつてその伐採した樹木を
神社側の收得に帰せしめたことは、いずれも不当な措置と言わなければならない。この際伐採した立木は、
ゴルフ場建設敷地内の立木であつて、
国有境内地等木竹管理規則に謂うところの障害木ではないから、たとえ形式上
京都府知事の許可を得た上での伐採であつても、その
処分代金は速かに国庫に納入せしむべきものである。
第二は
境内地に
ゴルフ場を設置した事件である。これは、右の
工事中止後、京都府では
観光地としての
京都繁栄策の一環として、
右ゴルフ場の完成を期し、昭和二十三年三月から
上賀茂ゴルフ場設営委員会(委員長は副知事)を
事業主体として第二期工事に移つた。その事業は同年六月に
観光日本株式会社に引き継ぎ、すでに今日では
ゴルフ場として実用に供されている。このいわゆる第二期工事において、昭和二十三年三月に
京都府知事から
境内地無償貸付願に
神社側の承諾書を添えて、
大蔵大臣に願い出たが、これに対して当局よりは確答が與えられなかつた。同年十月に
神社側から
ゴルフ場設置許可願を提出したので、当局は
宗教目的以外の使用であるから、無
償譲與申請より除外し、時価による拂下手続をなすべき條件を付してこれを許可した。その後、翌年三月に関係筋より右許可の
條件変更の要求があつたので、該区域については
社地境内地処分中央審査会に諮問の上、無
償譲與又は時価により売拂を決定する、とその條件を変更された。斯くのごとき次第で、この第二期工事の経過は甚だ遺憾なる紆余曲折をたどつてきたものである。最後の決定は審査会に諮問の上で、
大蔵大臣が決定する筈であるが、
ゴルフ場の設置が神社の
宗教活動に必要なものでないことは、言わずして明らかなものと認めざるを得ない。殊に立木の無
許可伐採、及び地形の変更などを行なつたことについては、関係各方面との錯雑した事情があつたとは言え、京都府の採
つた措置は穏当と認められない。
神社側では、
境内地の
宗教目的外使用に対し、極力反対し続けていたのであることを附記して置く。
(
賀茂別雷神社実地調査調書参照)
第二節
東福寺
当寺は
臨済宗東福寺派の大本山であり、建長七年に完成したものである。明治十四年に本堂等は燒失し、その後再興されたものであるが、今尚八棟の
国宝建物が残存する。
国有財産台帳には六万四千余坪の
境内地が記載せられ、これが
譲與申請の
目的物となつている。当寺に関しては一つの問題がある。山門に近き
丘陵斜面地は元來、当寺院の
尊嚴保持に必要な地帯として、樹木が密生していたのであつたが、戰時中本坊に軍隊の屯営していた際、
防空待避場所として、樹木を伐採し、防空壕を設け、その一部が
軍隊直営の菜園に供されていた。又その一部は附近の
町内会の要請により、一般の福祉のため、戰時中の
臨時措置として、
宗教的精神から附近の住民に
家庭菜園として使用を許していた。終戰後に至り
町内会の解散と共に、使用者の責任がなくなり、唯が使用しているか分らぬ状態になり、
附近住民が耕作を続けて來た。寺院においては、一方には政府に対して、
宗教活動上必要な土地として譲與を申請し、他方には
耕作者に対して土地の返還を請求し、その大部分の者の承諾書を得ているが、現在使用中の者の一部には
返還請求に応じない者がある。寺院においては、この土地が
国宝建造物の保護のため、並びに寺院の
尊嚴保持のため必要な土地であり、将來その目的のために植林その他必要な措置を講ずる意向である。
然るに一部の運動者は、この土地を純然たる耕地として拂下を受けんと欲し、
自作農創設特別措置法に基き、京都府
農地委員会はこれを適当と認め、京都府
農地事務局を経て農林省への
所管換認可を申請している。これに対して
大蔵省大阪財務部からは、
反対意見を陳述しているという。
今この土地を実地について視察すると、第一にその土地は
戰時及び戰後の
食糧事情最も困難を極めた際に設けられ、極めて細かく分割された純然たる
家庭菜園であり、其作物の実況を見ても明らかに
家庭菜園の域を出でざるものである。
第二に、此の地域は当寺院の
尊嚴保持に必要であり、殊に隣接せる
国宝建造物その他の文化財の保護のためには絶対必要であると認める。現に京都府
教育委員会方面においては、文化財の保護の見地から、此の点を特に強調しているのである。要する
農地委員会関係者の言うがごとく、現に農作物のある土地は悉く農地であるというがごとき意見は、妥当な見解でないと認める。聞くところによれば、京都の社寺について
家庭菜園等の問題は、いずれも無事円満に解決しているに拘わらず、この
東山地区の一角においてのみ問題を起しているということであるが、かかる事態を起していることは誠に悲しむべき世相の反映である。
(
東福寺実地調査調書参照)
第三節 泉湧寺
当寺は
真言宗泉湧寺派の大本山であり、歴代の天皇及び皇族の陵墓甚だ多く、皇室の崇敬特に厚い寺院である。
国有財産台帳には三万四千余坪の
境内地が記載せられ、これが
譲與申請の
目的物となつている。当寺に関しては一の問題があり、その性質は前記の
東福寺におけるものと大体同様である。
本坊から悲田院に至る道路の南側の
斜面地域にある竹林は、寺院の
尊嚴保持に必要な土地であるが、竹林を自然のままに放置するときは
原始林的林野を形成するため、多年その保管及び手入を
寺院出入の一農家に依嘱して來た。
戰時中食糧事情の著しく急迫を告げたとき、この竹林の一部及び
悲田院南側の
山林地域を
附近住民の請願に応じて
家庭菜園として使用せしめて來た。その後、寺院より現
耕作者に対し、別に
寺院所有地を代償として提供することとして、
前記地域の返還を請求し、
耕作者もこれを承諾して個人的には解決している。寺院としてはその
尊嚴保持のため、竹林はそのまま保存し、樹木を伐採された土地には適当の植林を行う等、必要な措置を講ずる意向である。然るに一部の
地方民が、現に
耕作地となつている土地及び竹林を純然たる農地と見てその拂下を受けんと欲し、
自作農創設特別措置法に基き、京都府
農地委員会ではこれを適当と認めて、京都府
農地事務局を経て農林省えの
所管換認可を申請している。これに対して
大蔵省大阪財務部からは、
反対意見を陳述しているという。
今、この土地を実地について視察すると、第一に、その
耕作地に
戰時及び戰後の
食糧事情の最も困難を極めた際に設けられた、極めて細かく分割された純然たる
家庭菜園であり、その作物の実況を見ても明らかに
家庭菜園の域を出でざるものである。
第二に、一部
地方民の言うがごとく、竹林からは筍を採取するが故に農地であるというごときは、もとより取るに足らざる見解である。第三に前記の一部
地方民は、更に言葉を加えて、この竹林は場合によつては附近にある
小学校運動場に充てたいと言つているが、これは
自作農創設問題と無関係であるのみならず、この土地は甚しい急斜面の傾斜面であつて、小学校の運動場としては不適当な土地である。第四に一般的に言つて、これらの地域は当寺院の
尊嚴保持に必要であるという点は、十分に首肯されるのであるが、その全部が必要であるか、或いは一部は解放の余地があるかについては関係者の間の協議に待つべきであろう。
当寺院は、前節に記した
東福寺と指顧の間にある寺院であるが、前記の如くこの
東山地区の一角に限り、一部の者から問題を提起して、
国有境内地譲渡問題を複雑化しているのであつて、甚だ悲しむべき事態であるから、速かに適当な機関の仲介により円満なる解決を望みたい。
(
泉湧寺実地調査調書参照)
第三章 奈良県における調査
第一節 興福寺
当時は法相宗の大本山であり、昔から
南都七大寺の一として広大なる
境内地と
我国社寺中最高の社寺領を有していた。然るに明治維新の後、一時廃寺となつたが、明治十四年に再興された。
国有財産台帳には二万四千余坪の
境内地が記載せられ、これが
譲與申請の
目的物となつている。当時に関しては左の一問題がある。
当時の
境内地にある若干の道路は、
境内参道として
宗教目的のため必要な土地であること勿論であるが、現在では公園内の道路として、車馬の交通等、公の利用に供されている。但し県又は市の
認定道路にはなつていない。
從つて、今後のこれが利用並に維持について、県及び市と寺院との間に交渉中であるが、近く適当なる解決に達する見込である。
(
興福寺実地調査調書参照)
第二節 東大寺
当寺は華嚴宗の大本山で、昔から
南都七大寺の一として有名である。
国有財産台帳には六万余坪の
境内地が記載せられ、これが
譲與申請の
目的物となつている。当時に関しては二つの問題がある。
東塔跡の土地は、もと東大寺の
境内地に属していたが、明治四十年に之を第三者に売却し、その後
大正元年に内務省が買上げて
国有地となり、
奈良公園地の一部となれたものである。その後昭和二十二年に
境内地として必要のため、
奈良県知事より
公園地解除の指令を受け、引続き東大寺に貸付けてあるもので、
寺院側では無
償譲與を希望しているが、すでに東大寺の
所有関係は中断されてあるので、無
償譲與の
目的物とするのは困難であろう。
次に、
境内地のうちに、
大仏鐘楼の附近に、七軒の土産物を売る売店がある。これは
奈良県知事において、
公園施設の一部として許可しているものである。元來、当寺院の
境内地の大部分は、嘗ては
公園地に指定されており、その解除後においても現に
公園地の性質を帯びて利用されているので、遊覧客並びに参詣者の便宜を図つて、土産物の売店又は茶店を設けることは、
公園施設の一部であると同時に
観光都市としての繁栄策でもあるから、奈良県当局は前記の売店に関して、これを
境内地の
目的外使用としての取扱を受けないよう、
大蔵省当局に対して了解を得ることに努めて來たもののようである。寺院においては、
尊嚴保持の見地から、從來これが撤去方を県に対して屡々懇請したが、その意を得るに至らなかつたのであつた。而して
社寺国有境内地の譲與に関する法律の制定されたときにも、これは無
償譲與に支障を來る虞れがあるので、重ねてその撤去を奈良県に陳情したところ、奈良県としては
大蔵省当局の了解を得ているとのことであつたから、寺院も意を安じて今日に至つたものである。然るに今若しこれを宗教上の
目的外使用であると認定されるならば、寺院としては
不当使用として收益を図り來つたかの印象を今後に残すこととなり、寺院としての面目を傷けることになり、
宗教信仰上にも好ましからざる影響を及ぼすことを憂えるので、これを
宗教活動上必要なるものとして認定されるよう希望しているのである。
元來、当寺院は
大仏殿等に捧げられる信者の奉納、その他により財政上豊富であるから、
境内地即ち
公園地の多額に上る
維持管理費用をも悉く寺院において負担し
來つたのであり、前記の売店より納付する貸地料のごときも全く
有名無実のもの(
坪当り月額十五銭)に過ぎない状態であるから、收益を目的として土地を利用しているものとは認められない。また、それが
宗教活動の妨げになるものと認められない。從前はその貸地料を寺院において公園費として積立て、奈良県公園課で之を保管していたが、
公園地解除後はこれを寺院において、
境内公園地整備費の一部に充てているのである。かくのごとくこの売店の設置は、奈良県当局の意思に基き、
公園施設の一部として設置されているものであつて、寧ろ
寺院側の意思に反して設置されているという事実はこれを承認すべきである。現に、大仏院の
正面参道に面して設けられていた二軒の売店は、
公園地解除のときにこれを撤去させた事実さえも存するのである。
從つてこの売店問題は、
大蔵省当局と、奈良県及び
寺院側との間の話合いにより、時宜に適した解決を図るべきであり、必ずしも杓子定規の解決をなすべきではないと思う。
(
東大寺実地調査調書参照)
第三節
春日神社
当社は元
官幣大社であり、昔から一般の崇敬厚き神社である。
国有財産台帳には三万五千余坪の記載があり、これが
譲與申請の
目的物となつている。当社については殆んど問題はない。ただ境内の参道その他の道路が
公園通行用その他公の目的に使用されている所があるので、そのうち如何なる範囲までを「
公用存置」とすべきかにつき、
財務部当局は県及び市並びに神社に対して、それぞれの意向を調査中であるという。尚当社の主宰する
財団法人が経営する
公益事業として、(一)
春日神鹿愛護会の事業は当社の
宗教的信向と不可分のものであり、(二)
萬葉植物園は
学術研究及び文化の向上のため有益な施設である。
(
春日神社実地調査調書参照)
第四章 三重県における調査
第一節
伊勢神宮
三重県においては
伊勢神宮についてのみ調査した。
神宮には、内宮及び外宮の外に別宮、攝社、末社及び
所管社等を併せて百二十余社が一体をなし、三重県の
南部一帯にわたる莊嚴なる神域を形つている。
国有財産台帳には
境内地六千余町歩(千八百余万坪)が掲載せられ、その大部分につき
譲與申請がなされ、一部分につき時価の半額による
売拂申請がなされている。当社については五つの問題がある。
第一は
農地貸付の問題である。神宮の宮域を流れている
五十鈴川上流の両岸、並びに前山の一部に点々として散在する田畑(田二十町歩、畑十四町歩、稲干場七町歩)は、かなり古い時代から次第に開墾を許して
地方民に使用せしめ、引継いて現今に及んでいるものであり、貸付料も單に名義上の少額(一ケ年、田一反に付一円十三銭乃至五円七十五銭、畑は八十三銭乃至四円)に過ぎない。これに対して三重県
農地委員会から、
自作農創設の目的に供することを認め、農林省えの
所管換認可申請をしている。
神宮側では、これらの土地をも他の
境内地と共に一括して譲與を受け、農地問題はその後において考慮したいと言つている。実地について調査したところによれば、これらの土地は純然たる農地であり、敢て神宮の
尊嚴保持に缺くべからざるものとは思われない。
第二は
外宮御料田の問題である。神宮においては祭祀に必要な米を自給するために、内宮のためには四郷村楠部の神田を直営で耕作し、外宮のためには
宇治山田市の岡本町及び豊同時にある
宮崎御料田を
耕作担当者を定めて耕作させている。右のうち楠部の神田については問題はないが、外宮の御料田については
宇治山田市農地委員会において
自作農創設の計画に基き、農林省えの
所管換認可申請を問題としている。これに対して
神宮側では、
神宮祭祀用の米は
楠部神田の産米のみでは不足であり、
宮崎御料田の産米も
宗教活動に必要なものとして、その土地を
譲與申請の
目的物中に加えている。この件については、祭祀用の米の必要量、及びこれを生産するに必要な土地の面積を調査さえすれば、問題は自から解決される筈である。嘗て三重県はこれらの土地からの産米に対して
強制供出を命じたことがあるが、
全国各地からの烈しい批難を受けて、現在では
任意供出の方法を採つているという。
第三は高麗広部落の
森林拂下問題である。神宮では
境内地を神域と宮域とに大別し、宮域内の森林を第
一宮域林と第
二宮域林とに小別し、これらに対する
森林経営計画を大正十二年に決定し、
内務大臣の認可を得て、爾來その施業案を忠実に実行している。そのうち第
二宮域林は宮域林中の大部分を占めるもので、その面積約四千町歩あり、
五十鈴川の
水源涵養、水害の防止、神宮の
尊嚴保持、特に
神宮造営用の
木材自給策として六百年にわたる
造林計画を実施し來つたものである。
然るにこの山間にある
宇治山田市高麗広部落の住民から、住民の生活困難を理由として、
五十鈴川上流森林の拂下を請願しているのである。これに対し
神宮側では、前記の
森林経営計画に基いて反対を唱えている。又、
宇治山田市議会では、
五十鈴川上流の森林が地元民に開放せられる場合には、河川の氾濫による
流域地の水害、河川並びに
宇治山田港の改修の必要等を理由として、
調査委員会において拂下反対を決議し、
神宮造営林の育成地として保存することを希望し、屡々
前記住民と交渉を重ねているが、未だ解決に至つていない。
今これを実地について調査するに、高麗広部落の住民四十六戸の住宅等の構造を見ると、決して生活困難を訴えているようなものとは思えない。山間の土地であるから、田畑は少いが、
薪炭用材として神宮から廉価(時価の殆んど三分の一程度の価格)に拂下げを受ける慣行権、農業及び炭燒業による收益、並びに神宮の造林等のために雇用されて受ける賃金等による收入は、相当の額に達し、他の地方における
山地住民の
一般生活程度と比べて決して遜色なき
生活程度を維持しているものと思われる。
更に、この地域の広大なる森林の育成は、
神宮造営の
用材自給策として、六百年にわたる
計画的経営を必要ならしめること疑なき所であり、又すでに多年にわたつて着々として実行されていることである。今若しこの地域の森林が部落民に拂下げられ、自由に伐採されるような場合には、
宇治山田市議会が憂うるごとく、
治山治水の国策に違反することとなり、河川の氾濫を來して
流域一帯の農作物收穫を害し、また河川及び港湾の改修に絶えず巨額の経費を徒費しなければならないような弊害を生ずることも明らかであろう。況んや、雨後には
五十鈴川の清流を汚濁ならしめ、早期にはその河水を枯渇せしめ、
国民崇敬の的たる神宮の神聖を毀損すること、蓋し言語に絶するものがあるであろう。要するにこの問題は、決して一時的な利害の打算を以て解決すべき問題ではない。
第四は
滝原宮境内地一部の拂下げ問題である。滝原宮は
宇治山田市から十里余を離れた、宮川の上流にある。歴史を遡れば、
垂仁天皇のとき倭姫命が
神宮奉祀の聖地を求めて
諸国遍歴の後、西暦紀元前五年に此の地に社殿を
造つて皇大神を祭られたのであつたが、その翌年に現在の
五十鈴川上流の地に神宮を移されたのである。かかる由緒深き地であるから、この宮は
境内地も広く、祭祀も神宮と殆ど同一の莊嚴さを以て執行され
來つたのである。
境内地は四十四町歩を占め、二千年の星霜を経て、未だ嘗て斧鉞の入らざる原始林である。
然るに近時一部の人々が、この森林の一部(約七町歩)の拂下を受けて
木材会社を設立しようとする計画があると聞く。その理由は、現在我が国民が
建築資材の欠乏のため、住宅の拂底に苦しんでいる問題の解決に資せんとするためであり、またその
境内地の一部を割くも神社の尊嚴を害することが無いというのである。
今、実地について調査するに、この
境内地は前記のごとき由緒深き地であるのみならず、これを学術的見地から見ても、稀有の原始林として、天然記念物として十分に保護されねばならぬ土地であると思う。
神宮側においては、勿論この地域が神社の
尊嚴保持のため必要であると主張している。地元の人々もまた同じ意向である。氏子総代の言によれば、最近の戰時中に海軍から造船資材としてこの林木の提供を嚴命されたときにおいてさえも、この森林に手を触れることを堅く拒否し、その代りに氏子総代の私有地の大木を犠牲的に伐採して提供したということである。かくのごとき次第であるから、一営利会社の事業のために、この
境内地の一部を伐採せしめるがごときは、何人もこれを承認しないであろう。尚この
境内地が神宮に譲與された曉には、直ちにこれを天然記念物として指定されたいと思う。この点に関しては
神宮側においても、同意見であるもののようである。
以上は神社
国有境内地の譲與に関する問題であるが、この外に
境内地の立木無
許可伐採の問題があり、昭和二十二年度の
決算報告に関連して、会計検査院から
不当事項として指摘されており、現に
決算委員会において審議中であるから、
境内地譲與問題の
実地調査と共に、この事件について調査した。
從來、神宮宮城林の経営並に施業は、大正十二年に
内務大臣の許可を得た「神宮
森林経営計画」に基き、総て神宮司庁限りにおいて遂行して來たのであつた。然るに終戰後、神宮は国家の管理を離れて宗教法人となつた結果、
境内地の立木の伐採については、昭和二十一年八月十六日改正の「
社寺国有境内地等木竹、管理規則」に從い、県知事の許可を必要とすることになつた。
從つて神宮においては立木伐採の申請手続等につき、三重県林務課と屡々打合せしたのであるが、その打合せが迅速に進行しなかつた。やがて、宗教関係事務は教育課の所管であることが分り、改めて打合せを行なつたが、県庁の分課規程改正問題等も生じ、未だ打合せの終了を見るに至らなかつた。この間において、地元山稼人組合(慣行組合)に対する薪炭林の拂下を始め、障害木枯損木の拂下願が続出し、殊に戰災に罹つた
宇治山田市及び市周辺の戰災復旧用材並びに燃料材としての立木拂下に関して、市議会及び地元民等より熱心なる要望と陳情があつたので、県当局と交渉継続のまま、神宮においては事情止むを得ず「神宮
森林経営計画」に準拠し、施業案に支障を來さざる範囲において立木の拂下を行なつたのであつた。かくのごとくにして昭和二十一年八月十六日から、二十二年六月十四日までの間に、無
許可伐採した立木については、名古屋財務局の指令により、その売拂価格中から、慣行組合え拂下の分及び拂下関係費用を控除した差額を弁償金として国庫に納入したのであつた。
かくのごとき事情で、制度変更の過渡期において、
神宮側及び県庁側においてそれぞれ手続上の不備に基き、なお当時の急迫せる会社事情の要請も加わつて、遺憾なる事態を生じたのであつて、別段の惡意はなかつたものと認められる。伐採地について
実地調査をした結果においても、前記施業案に支障を來さざる範囲内のものであつたことを認める。
尚、神宮
境内地の奥深く立入つて
実地調査をしたが、樹木が余り密生して居つて、間伐等の手入が未だ十分でない所が多く見受けられたので、管理者に注意を與えて置いたことを附記する。管理者の説明によれば、
戰時及び戰後における手不足のため、この結果になつたのであるということである。
(左の書類を参照)
一、神宮
境内地について
二、
宗教活動に必要なる神宮
境内地の説明概要
三、神宮
森林経営計画解説
四、神宮宮域林と神宮
宗教活動との関係
五、国有林拂下陳情に関する口述書(高麗広)
六、高麗広部落について
七、神宮所管土地建物所在図
八、皇大神宮宮域図
九、豊受神宮宮域図
第五章 愛知県における調査
第一節 熱田神宮
愛知県においては熱田神宮についてのみ調査した。当社は元
官幣大社であり、一般国民の崇敬厚き神社である。
国有財産台帳には八万六千余坪の
境内地が記載せられ、これが
譲與申請の
目的物となつている。当社に関してはただ一つ問題がある。
当社勅使門の前に七棟の家屋があり、土産物の販売とか、茶店等を営んでいる。これは昭和二十一年に引揚者のため住宅の建築を許可したものである。元來この土地は神宮奉讚会が買入れて、これを
国有財産に寄付したものであるから、名古屋市民が烈しい戰災に悩み、住宅難を訴えている際に、更に引揚者の住宅問題が起つたので、名古屋市及び神宮奉讚会からの熱心な要望に応じて、当社では一年更新の條件の下に、仮建築を許したのであつた。かくのごとき事情に照し、而も神社の営利を目的とするものでない点からいえば、之を
境内地の
目的外使用として取扱われることは、当社にとつて甚だ遺憾とする所であろうと思う。当社としては、一日も速かに其の住宅の撤去を希望しているのである。殊にその土地は、勅使門の直前にあり、官庁、齋館、勅使館等に至る通路に当つている。今では此等の建物が戰災にかかつて荒地となつているものの、近き将來にはその再建が予期されているのであり、その曉には神社の
宗教活動に必要な土地であること明白であつて、住宅撤去は不可避の問題となるのである。現在はこの異常時における臨時の救済施設として、この問題を観察することが至当であろうと思う。
(熱田神宮
実地調査参照)
第六章 結論
今回の調査の結果は左の七項に要約される。
一、公共的問題は、国民生活全般のため、大所高所から観察されなければならない。
二、公務員は、所掌事務の関係から、偏狹な見解に捕われてはならない。
三、国民の文化財は高く評価され、分に保護されなければならない。
四、国民の宗教信向心の発露は、十分に尊重されなければならない。
五、宗教法人の慈惠的行為は、宗教及び道徳の側面から観察されなければならない。
六、時局に便乘して経済的利権を狙う者は、嚴重に指彈されなければならない。
七、正義の仮面にかくれて動く「黒い手」は、極力排除されなければならない。
譲與申請に対する最後の決定は、審査会に諮問の上で、
主務大臣が行うものであり、その審査及び決定が公正且つ適切であるであろうことを信ずるが、その審議が決して一時的の経済的又は政治的利害関係、情実関係、勢力関係等によつて影響されるがごときことなく、大所高所より達観し、我が民族百年の大計に立脚して行われることを、切に期待する。
尚今回の視察旅行中、各地で見聞した事項のうち重要なもの若干を左に附記する。
一、社寺に寄附を強要する者があること。
国有境内地の譲與は、国家と社寺との從來の
所有権関係を明確にしたものであつて、これがために社寺の財産又は收益が特に増加した訳ではない。譲與又は
半額売拂の対象となる物件は、社寺の
宗教活動に必要なものに限られているのであるから、将來においても社寺の
尊嚴保持等の目的のために、從來と同じく管理され、更に一層の整備が図らなければならない。然るに
地方民の間には、ややもすれば社寺が此の際偶然にも多額の財産を惠與されたかのごとく考え、学校、その他公共建造物の建設費等にあてるため寄附を要請したり、或いは
境内地森林の伐採を要請する事件等が往々にして各地に発生していると聞く。関係者はかくのごとき誤解を一掃せしめるように努められたい。
二、
社寺境内地の免税のこと。宗教法人法によれば、社寺等に対して免税の途が開かれており、又よく実現されているようであるが、今回の措置によつて
国有地が社寺の私有地に変更される結果として、地方財政の困難を理由として、地租の類を
境内地に課するがごときことのないよう、注意されなければならない。もとより、間伐その他による收益にたいして課税することは妨げないであろうが、元本に対して課税するがごとき場合には、これがために
境内地森林の伐採を必要とするがごとき結果となり、国土の保全
宗教活動の阻害等の結果をきたす虞がある。
三、
境内地を、社寺が適当に管理すること。
国有地であつた間は、
宗教目的外の利用は監督官庁の許可を受けなければならなかつたので、その弊害は稀であつたが、今後
境内地が私有地となる以上は、その
目的外使用に関する監督方法がないことになり、
從つて営利目的の利用が起り得るのみならず、森林の濫伐、又は適当な管理行為の欠如等のごとき弊害を見る虞がある。又すでにその実例があつたとも聞く。現行法の上では、譲渡後の監督方法がないから、適当な立法措置を講ずる必要の有無が考慮されなければならないであろう。差当りの方法としては、社寺の管理者、氏子総代、檀徒総代等において、
境内地の管理につき愼重なる考慮を拂われるよう希望する。
以上を以て調査報告を終る。