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中村正雄君 冒頭に言いました
ように、この
取扱方のやはり基礎になる
法律の
解釈なり、
裁定の効力から
考えて行かなければ
取扱方も出て来ないだろうと思います。で私は今までこの前の
国鉄の
裁定のときにもこれに
関係してお
つたのですが、ただ
公労法を見ておりましても、
公労法の十六條と十七條、三十
五條、こういうものを見て参りますと、やはりいろいろの
解釈ができまして一貫性がないということは、矛盾性が確かにあるのであります。と申しますのは第一番目の十七條を
考えて見て行かなければならん。十七條ではすべて
公共企業体の職員から争議権を全部取
つてしま
つております。ところが根本に遡りまして、憲法の十一條と二十
五條、二十八條こういうところを見て見ますると、判決にもちよつと書いてありました
ように、二十
五條でこれは国民の生存権というものを基本的人権として
はつきり認めておりますし、その辺の基をなすものは二十九條の財産権と、二十七條、二十八條の労働権であるということは、誰しも学的に知
つておることであります。そういたしますと、この二十八條に
規定いたしております労働者の団体行動権、これを十七條で全部取
つてしま
つておるわけです。これは明らかに憲法の十一條にあります
ように、基本的人権は
法律を以ても、
国家権力を以ても奪うことができないと、
はつきり
規定されておりますにも拘わらず十七條で、基本的人権であるところの二十八條の
規定を、
公共企業体の従事員に対しまして剥奪しておるわけであります。
従つてこれだけ見ますれば、
公労法自体は
はつきり違憲
立法であるということは言えるわけですが、併しながらそのために三十
五條という
規定がありまして、争議権に代るべきもの、争議権という形の基本的人権では、これは
公共の
福祉その他の
関係から困るので、三十
五條という形におきまして
仲裁裁定というものを設けておるわけです。
従つてこの三十
五條があります限りにおきまして、
公労法が違憲
立法でないということが言い得られるわけなんです。
従つてこの三十四條の
仲裁、
裁定の性質を
考えます場合におきましては、何といたしましても憲法で保障いたしておりますところの、労働者の生存権確保の基底であるところの争議権に代るべきものが、
仲裁、
裁定であるということを念頭において
考えなければ、この
公労法のこの趣旨は一貫しては
解釈できないと思います。それからもう
一つは、この
国鉄にいたしましても、專売にいたしましても、それが官庁の
ような消費形態がなくして、企業体であるということを頭に置かなければ、
予算上、
資金上、可能か不可能かという
考え方が出て来ないわけです。この二つを前提において
考えますならば、私はやはり三十
五條の
規定は
仲裁委員会の
裁定に対しては、
当事者双方とも
最終的決定としてこれに服従しなければならない、これが原則であり根本でなくちやならない。
従つてこの
当事者双方というのは專売の場合で言えば、
專売公社と專売の
労働組合でなければなりません。
従つて三十
五條の場合におきましては、
政府ということは何ら表には出ておらない。併しながら專売にいたしましても、
国鉄にいたしましても、それらの
予算というものが
国会の
審議を経るものであり、又
予算につきましては
政府が監督権を握
つておるという
関係におきまして、十六條の
規定が出ておるのであるし、又三十
五條におきましてはこういうふうに
一つの裁判所の判決という
形式を取りまして、これには絶対に従わなくちやいけないといたしましても、すべての企業体に
予算というものがあります限りにおきましては、年度初めに
国鉄なり、或いは
專売公社の争議があるということを予定して、
予算を組むべきものぢやないでありまし
よう。又こういう
裁定が出るということを予定して
裁定予備費というものが
予算に組んでないことは、これは明らかであります。
従つて三十
五條によ
つて当事者双方とも服従しなければならん。反対の方から申しますと、公社の方はこれに
従つて支拂わなくちやいけないということになりましても、
予算的な
措置がない場合があり得る。
従つてその場合にこの
裁定等につきましては十六條で
規定されておる。こういうふうに
考えなくちやいけないのでありまして、そうなりますれば、十六條の
規定というものは、これはいわゆる
裁定の履行に関する
規定のわけです。
従つて十六條の本文にも「
公共企業体の
予算上又は
資金上、不可能な
資金の
支出を
内容とするいかなる
協定も」とありますが、これも「
政府を
拘束するものではない。」
従つて十六條の一項におきましては、明らかに三十
五條に書いてある
当事者双方というもの、いわゆる公社と
労働組合というものと、十六條の一項には、その当事者の一方である
公共企業体の監督者である
政府に対するところの、
一つの義務を十六條で
規定しておるわけです。この場合
当事者双方の公社と
政府とは別なものとして、監督権あるものとしての
政府に対する義務が十六條になくちやいけない。
従つて裁定の
精神によりまして、十六條に基きまして従わなくちやいけない。
予算の履行について第二項におきまして、
国会の
承認を求めなくちやいけない。この
承認を求める
精神につきましては、先程来
門屋君も言われましたし、私も憲法の根本から見まして、これはどこまでも
政府が従わなくちやいけない。でなければ十七條で争議権を取
つておることは憲法違反になる、そういう
関係。その場合にも
承認を求めるにも、
承認という
意味はこれはやはり履行の
承認でなくちやいけない。
従つて裁定の債権債務の存続如何ということは、これは第十六條に
関係ないものである。そういう
関係から、やはり
法律を、
議案を
国会に提案する場合におきましては、やはり
承認を求めるという
形式を取る以外には
方法がないと思う。
従つて昨日出されました
法制局長の
説明によ
つて、やはりこれは
承認を求めるの件で出さなくちやいかんと思います。
従つてその場合に
予算を付けるかどうかという問題がありまするが、これは私は
国会の
承認ということは、今まで申上げました
ように履行することに対する
承認でありまして、
裁定の内部に対する
国会の
審議権そのものとは
考えられないわけです。
裁定がいいとか悪いとかということは私は
国会の
審議の外でなくちやならん。履行する場合の
予算的
措置について
国会の
審議権があるべきであ
つて、
裁定の
内容につきまして
国会はこれはよいとか悪いとかという
審議権はないと思う。
従つてこの
承認を求める件につきましてはこれはやはり
衆議院と
参議院と二院制であります限りにおきましてはやはり同時に出す。昨日出されておりますこの第二の決議を両院各別に提出すべきか、
先議後議の方式によるべきかということがありますけれども、この場合私は甲説によりまして、これは決算案の
承認と同じ
ように両院に同時に出すべきものである。
従つて両院は直ちに
支出すべきであるか、或いは又
予算上不可能であるとの決議をするか、イエスかノーかがあるだけですから、言えばイエスだけで結構だ、
従つてこれは修正権はないものと
考える。
それから
最後に
予算を提出しなければいけないかどうかという問題でありますが、これはその場合
政府が
承認を求めるわけでありますから、本当を言えば
政府は
裁定に
従つて予算的
措置を講ずるのが妥当ではないか。
従つて現在
予算上
資金上不可能であれば、この案とは別に
予算委員会に対して
予算を出すのが至当でありますけれども、併し十日間という期限を切
つておるわけですから、十日間で
予算的
措置ができない場合もあるから、
従つてこの
予算をつけるつけないということは、
議院に
議決を求める件につけることが必須條件とは思えない。
国会がこれは履行すべしということになれば、直ちに
政府に
予算支出を組むことを命ずるものというふうに
考えておる。
政府はそれに
従つて予算を出せばよい。以上申上げまして、尚御質問があれば私補足して
説明してもよいと思います。(「
異議なし」と呼ぶ者あり)