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1950-03-09 第7回国会 参議院 外務委員会 第6号
公式Web版
会議録情報
0
昭和二十五年三月九日(木曜日) 午後一時三十三分開会 ————————————— 本日の
会議
に付した事件 ○
講和
に関連する諸般の
基本方策樹立
に関する
調査
(右件に関し
証人
の証言あり) —————————————
野田俊作
1
○
委員長
(
野田俊作
君) それではこれより
外務委員会
を開きます。本日は
講和
に関連する
基本方策樹立
に関する
調査
の一部として東京大学の
横田教授
をお招きして
お話
を伺うことにいたしました。
横田教授
は皆様御
承知
の
通り我が国国際法
の権威であります。
講和
問題についていろいろ議論が取交されておる今日、
教授
は正統的な
国際法
の
立場
から著書や新聞を通じて
意見
を発表されておりまして、我々の
参考
になる点が多大なものがあるのでありまするが、本日は親しくその御
意見
を拝聽することは、
参議院外務委員会
の仕事上極めて意義のあることと信ずる次第であります。
お話
の
内容
は
我が国
の
講和條
約締結に
参考
となる基本的なもの、例えば今次大戦後
連合国
と結ばれた
イタリア條
約等の
先例
その他を含めて
お話
を願うよう御依頼した次第でありますが、時間は三時までお願いできれば結構だと思います。 尚議会の
手続
上、
横田教授
は本日
証人
ということにな
つて
おりますが、
証人
の
宣誓
は
宣誓
に捺印して頂くことによ
つて
代えますから御
承知
願います。 〔
証人
は
宣誓書
に
署名捺印
〕
野田俊作
2
○
委員長
(
野田俊作
君) それでは
横田先生
のこれから
お話
を願うことにいたします。
横田喜三郎
3
○
証人
(
横田喜三郎
君)
日本
の
講和
問題に関連したことを
お話
するということにな
つて
おりますが、いろいろな問題がありますので、どういうことを
お話
したら皆さんの特に御
希望
に副うことができるか、
ちよ
つと私共よく分りませんので、
講和條
約ができる
順序
とか
手続
とかいうようなことを
お話
して、
あと
は
一ついろいろ質問
をして頂いて、それによ
つて
お答えする方が、特に関心を持
つて
おいでになる点が明らかにな
つて
いいのじやないかと思いますので、三十分ぐらい初めに話をしまして、
あと
御
質問
によ
つて
お答えしたらどうかと思います。 そこで
講和
の問題になりますと、一番やかましく問題にな
つて
いるのは、
全面講和
か
單独講和
かという問題、それから
講和
後の
安全保障
をどうするかという問題でありますが、これは私もいろいろ書いたり、喋
つた
りしておりますので、その問題も若し御
質問
があれば触れることにしまして、さつき申しましたような、
講和
が締結される
順序
というようなことについて
ちよ
つと
お話
して見ようと思うのです。 それは結局今度の
講和
についての
先例
を見るのが一番便利だろうと思います。つまり
イタリア
、ルーマニア、
ブルガリア
などの條約のできたいきさつなどについて見て、
日本
の場合もどうだろうというような想像ができると思うのです。 この場合に
イタリア
などの
講和條
約につきましては、一九四五月の八月二日の
ポツダム協定
によりまして、そのそれぞれの国と
戦争関係
にあ
つた
大国
の
外相会議
で
講和
の
原案
を作る。そうして
原案
ができたところで
講和会議
を開くということが
規定
されているのであります。更にそのことがその年の十二月の
モスコー会議
によりまして、一層その点が明確に
規定
されて、いわゆる
モスコー協定
というものができたのであります。 それによりますと、それぞれの
枢軸国
との
講和
は、その国と
戦争関係
にあ
つた
大国
の
外相会議
で
原案
を作り、それができたときにその国と
戦争関係
にあ
つた
すべての国の参加する
講和会議
を開き、その
講和会議
で
原案
を
基礎
にして
討議
をして、
修正
或いは
追加
をする。その
修正
、
追加
については、更にその後に
大国
の
外相会議
を開いて、そこで最終的な
決定
をする、そういう
順序
で
講和條
約を結ぶということが、今申しましたような
ポツダム協定
と、それら
モスクワ協定
で決ま
つて
いるわけであります。それによりまして例えば
イタリア
の場合ですと、
イタリア
と
戦争関係
にあ
つた
大国
である
アメリカ
、イギリス、
ソヴイエト
、フランス、この四
大国
の
外相会議
で
講和條
約の
原案
を作りまして、それができたところで
戦争関係
にあ
つた
すべての国、二十一ヶ国と記憶しておりますが、二十一ヶ国の
講和会議
を開いたわけであります。そうしてこの二十一ヶ国が
原案
について
討議
をして、その
会議
には一度
イタリア
の
代表者
が
会議
に臨んで、
イタリア
の註文と申しますか、
希望
をそこで述べる機会を與えた。そうしてその
会議
でいろいろの
修正
や
追加
をしたのでありますが、それが最終的な
効力
を持つのではないのでありまして、その後で更に四
大国
の
外相会議
を開いて、その
外相会議
で、
講和会議
で採用された
修正
なり
追加
なりを更に考慮して、採るべきものは採るということをして、そこで最終的に
講和條
約が決ま
つたの
であります。 これは今までにこういう例は全くないことで、
大国
が非常に重要な
地位
を占めているということがお分りだろうと思います。つまり
原案
を作ることによ
つて
大
部分
のことは決まるのでありまして、それに対する
修正
とか、
追加
とかいうことはどうしても第二次的なことになる。その第二次的なことさえもそれで決まらないで、更に
外相会議
でそれを取捨選択する。まあ大体は
講和会議
で
追加
、
修正
されたことが、殆んどそのまま採用されたのでありますが、それにしても今言うように、最終的には
大国
の
外相会議
で
決定
することにな
つて
おるのであります。 そこで
日本
の場合にはどうかということが問題になるのでありますが、
日本
の場合には
講和條
約をどういうふうにしてやるかということは、何ら
はつ
きり決ま
つて
いないのであります。
日本
につきましては、御
承知
の
通りポツダム宣言
で、これは七月二十六日にできたものであります。それから一週間ほど経
つて
今の
ポツダム協定
ができた。これは
ヨーロツパ
の事柄を決めたものであります。その
ポツダム宣言
にも、
日本
の
講和
をどういうふうな
順序
でやるかということが何ら
規定
してない。それから
モスクワ協定
にもその問題は
規定
してないわけであります。そこで御
承知
の
通り
、
講和
の
会議
の
順序
について
ソヴイエト
と
アメリカ
との
主張
が食い違
つて
いるわけでありまして、
ソヴイエト
は、
ヨーロツパ
の
諸国
の
講和條
約を今のような
順序
でや
つたの
だから
日本
の
講和條
約についても同じ
順序
でやるべきだ、そういうことがむしろ
連合軍
のその時の意思であり了解であ
つた
ということを
主張
しているわけであります。ですから、
日本
の
講和条約
については、四
大国
の
外相会議
で
原案
を作るべきだということを
主張
しております。これに対して
アメリカ
の方では、
日本
については、
ポツダム協定
とか
モスクワ協定
というように
はつ
きりそういうことを決めたものがない。だからこの問題は白紙として考えていいのみならず、
モスクワ協定
によりまして、
日本
については
極東委員会
が設けられることに
なつ
たわけであります。そして
日本
の
占領
と
管理
に関しては、この
極東委員会
が
最高政策
を
決定
するということに
なつ
たわけであります。
従つて日本
の
占領
と
管理
について
最高政策
を持つ
極東委員会
が
決定
するのだから、
日本
の
講和條件
についてもその
極東委員会
が
決定
するか、或いは
極東委員会
へ
代表者
を出している国の間で
協定
すべきである。つまり
モスクワ協定
によ
つて極東委員会
を設け、
日本
の
占領
と
管理
の
最高政策
を
決定
することに
合意
したということは、
日本
の
講和條
約については
極東委員会
に出ている国の
協定
で決めるんだという、そういう
意味
が含まれていると
アメリカ
の方は言うわけであります。そこでこの
極東委員会
に出ている国は、御
承知
の
通り
その当時は十一ヶ国でありましたが、現在は十三ヶ国でありまして、
日本
との
戦争
で最も重要な
役割
を演じた
太平洋地域
の
諸国
であります。そこでそういう国、例えばオーストラリアとか、ニュージーランドとか、カナダというような国は、
日本
との
戦争
で重要な
役割
を演じたのだから、
日本
の
講和條
約について、最初からその議に與かるべきだ。
ソヴイエト
は
戦争
の終る直前に
日本
に
戦争
を布告しただけで、殆んど戦には貢献していないのだから、その点から見ても、これらの
諸国
が加わるのが当然だというのが
アメリカ
の
論拠
であります。こういう
論拠
が二つ対立したために、恐らく御
承知
だろうと思いますが、一九四七年の七月に
アメリカ
が
日本
の
講和條
約を作ろう、その
予備会議
を開こうと言い出しましたときに、
アメリカ
は今のような
立場
から、
極東委員会
に
代表者
を出している国の間で
原案
を作ろうということを言い出したわけであります。ところが
ソヴイエト
の方では、四
大国
の
外相会議
を開いて
原案
を作るべきだから、
アメリカ
のそういう
会議
には応じられないということを申しまして、そこで結局その
原案
を作る
会議
についての
協定
ができないためにそのままにな
つて
しまいまして、現在まで二ヶ年半も結局
予備会議
も開かれないという
状態
にな
つて
いるのであります。その原因は、今申しましたような
理由
から来ておる。その
根拠
はそれぞれ今のような
理由
であります。 で今公平に見てみますと、これは
両方共
ある程度の
根拠
がある。
ソヴイエト
の方も、
ヨーロツパ
の国の
講和條
約は全部
外相会議
でや
つたの
だから、
日本
の場合もそうするのが当然だと
主張
することにも一理あると思います。それから
アメリカ
の方も、
日本
についてはそういうことは
はつ
きり決めていないし、
日本
の
占領
と
管理
の
最高政策
は
極東委員会
でやることにしたのだから、
日本
の
講和
の
條件
も、
極東委員会
に
代表
を出しておる国で
相談
するのが当り前だということも
理屈
があると思うのであります。そういうわけで、
両方共
一応の
理屈
があ
つて
、そういう
立場
から議論しておるものでありますから、今のところ
予備会議
も開かれない
状態
であります。 そこで今度
日本
の
講和條
約を促進するということになりましても、この問題に引掛
つて
いて、なかなか
会議
を開くことも困難じやないかと思
つて
おります。
アメリカ
が最近
講和條
約をやろうという場合でも、勿論
アメリカ
としては
極東委員会
十三ヶ国の
会議
を開こうとしておりまして、
ソヴイエト
の方はやはり四
大国主義
をと
つて
おるだろう。今度の
ソヴイエト
と中国の
相互援助條
約で、
日本
の
講和條
約を成るべく早く結ぼう。それには今度の
戦争
の
同盟国
であ
つた国
全部の間で、
講和條
約を結ぼうということを
言つて
おります。が、併しそれは
日本
との
戦争
に参加したすべての国で以て、
講和條
約の
原案
を作るという
意味
ではないだろうと思います。やはり
原案
は四
大国
の間で
作つて
、そうして
原案
ができたところで
講和会議
を開いて、全部の国が入
つた
いわゆる
全面講和
をやろうという
意味
だろうと想像されますので、
ソヴイエト
の方から
講和條
約を早く結ぶべきだということを言いましても、さてその
講和條
約の
会議
をどうして作るかということになりますと、又行詰るのじやないかと考えられます。 そこで
講和條
約の仮に
会議
が開かれるとしまして、後どういうふうになるかと申しますと、
アメリカ
の方の行き方で行くとすると、
極東委員会
十三ヶ国で以て
会議
を開く。そこで
原案
ができて、更に
日本
と
戦争関係
にあ
つた
すべての国の参加した
講和会議
が開かれるということも考えられると思います。丁度
ヨーロツパ
の條約のように、先ず
原案
を四
大国
で
作つて
、それから
戦争関係
にあ
つた
すべての国の
講和会議
を開くという行き方だとしますと、
日本
の場合には十三ヶ国で
原案
を
作つて
、そうして
日本
と
戦争関係
にあ
つた国
の
講和会議
を開く。
日本
と名義上だけでも
戦争関係
にあ
つた国
は四十ヶ国余でありますから、その四十ヶ国余との
講和会議
を開くということも考えられると思いますが、併し或いは十三ヶ国でやりますれば、もうそれで
講和條
約はでき上
つた
ものとして、その外の国はあまり重要でないから、ただそのでき
上つた講和條
約に参加するという形をとるかも知れませんが、その点はどういうふうになるか分りません。併し四
大国会議
で
講和條
約の
原案
を作れば、勿論更にもう一遍
講和会議
を開かなければならないだろう。その点は
日本
の場合どうなるか分りません。 そこで
日本
がその場合にどの
程度発言権
があるかという問題が次に起ると思いますが、これはさつき申しましたように
イタリヤ
の場合ルーマニヤ、
ブルガリア
の場合でも、大体先ず四
大国
で
原案
ができて、それから
講和会議
を開きまして、大体その初めの間はずつと
連合国
だけで話を進めて、殆んどそれができ上
つた
ところで
イタリヤ
の
代表
を呼び出して、一応
イタリア
の
希望
なり
意見
なりを述べさせたのであります。そうして
イタリア
が一度それを述べまして、
イタリア
の
代表
が
引下つた
後で、更に
協議
を進めて、お互いに
協議
をして、
講和條
約を
決定
して行くということに
なつ
たわけであります。ですから
日本
の場合でも、
日本
の
代表
にも一度
講和会議
に列席して
日本
の
希望
なり
意見
を述べさせる。そうしてそれを
連合国
の方では
参考
にして、
日本
の
希望
も幾らか斟酌して最後に
決定
するということになるだろうと思います。この場合に
日本
の無
條件降伏
ということが問題にな
つて
来ますが、一体その
講和條
約、本来ならば
戦争
に敗けた国も、
法律
上では対等の
地位
に立
つて
、
戦争
に勝
つた国
と
講和條
約を結ぶというのが今までの行き方であ
つたの
です。ただまあ実際
上実力
上から申しますと、負けた方はどうした
つて
不利な
立場
でありまかすら、御無理後尤もで聞かなければならないということが多いと思いますが、
法律
上は勝
つた国
も負けた国も同じ
立場
で、等しく国家として交渉をして、嫌ならば受諾しないとも言い得たわけであります。併し実際問題としてはそれができない。例えば第一次
講和会議
のときでも、初め
連合国側
で
講和條
約を作りまして、でき上
つた
ところで
ドイツ
の
代表
を呼び出して、その
講和條
約の草案を渡して、それに対して、大体それを受諾しろ、
意見
があれば
書面
によ
つて
その
意見
を提出してもよいということで、
講和條
約の受諾を要求したわけであります。
ドイツ
の方ではそれに対して
書面
による
意見書
を提出したのでありますが、その殆んど大
部分
は容れられなか
つた
。結局実際的から言えば
連合国
で作
つた
ものを
ドイツ
が押付けられたわけでありますが、併し
ドイツ
としては嫌ならばそれを拒絶しても
法律
上はよか
つたの
であります。併し拒絶したとすれば、
ドイツ
は依然として
連合国
に
占領
されるわけでありますから、止むを得ず受諾したのであります。今度の
日本
の場合はその点どうか。これは実際上としまして、
日本
としては受諾せざるを得ないだろうと思います。 若し受諾しなければこのまま
占領
を続ける。或いはもつと強い
権力
を
連合国
に使われるということも考えられますから、実際受諾せざるを得ないと思いますが、
法律
上から見たらどうかといいますと、無
條件降伏
という
関係
から、
法律
上も
はつきり反対
を唱えることが出来る。と言えるかというと、この点は若干疑問だろうと私は思うのであります。それは無
條件降伏
という事の
意味
が、あの当時も非常に問題にな
つて
、これは
日本
で問題になるよりも、むしろ外国で非常に問題に
なつ
た。
英米
の間で一体無
條件降伏
ということはどういうことかということが問題にな
つたの
であります。而も
ポツダム宣言等
は無
條件降伏
と言いながら、
一定
の
條件
のようなことを書いていまして、そのうちには
日本
にただ
義務
を課するだけのものもあります。例えば軍国主義的な今度の
戦争
を起こしたような者の勢力と
権力
を一切除去しなければならないというようなことは、
日本
に
義務
だけを
言つて
いるものでありますが、併し例えば
日本軍隊
が武装を解除した後
家庭
に帰して、平和的、生産的な業務に就くことを許すというような
規定
は、これは
日本
に
義務
を課したというよりも、むしろ
日本
に
一定
の
利益
を認めたものでありまして、
日本
の
軍隊
については永らくこつちに捕虜にするようなことはない。
家庭
に帰して
平和的産業
に就くことを認めるというのでありますから、まあ
日本
としてはそういうことを
連合国
に要求するというか、要望する、まあ
権利
というのは少し問題でありますが、そういう
利益
を認めたものであります。そうしますとこれは一種の
條件
で、そういう
條件
を認めながら無
條件降伏
ということは一体どういう
意味
だということが問題にな
つたの
であります。であのときの
ポツダム宣言
に書いてあることは、御
承知
の
通り
あれは
タームス
という
言葉
が使
つて
ありまして、
コンデイシヨンス
という
言葉
ではない。つまり
法律
上嚴格な
意味
は
講和
の
條件
という
意味
でないのでありまして、
戦争
を止めるときの
タームス
という
言葉
が使
つて
ある。そこで
アメリカ
の演説などでは一体
コンデイシヨンス
と
タームス
ではどう
意味
が違うかというようなことで、無
條件降伏
と言いながら、
ポツダム宣言
で或る種の
條件
というようなものを出したのは、あれは一体どういう
意味
だというようなことが盛んに問題にな
つたの
であります。そのときに
アメリカ
の
政府
などの説明では、
ポツダム宣言
などで
言つて
いるあの
タームス
というのは、これは
講和
の
條件
としてこういう
條件
で
講和
をするとか、こういう
條件
で休戦をするという
條件
ではない。
連合国
の方で
日本
が降伏したらばこういう
取扱い
をするという、その
取扱い
の
方針
というか、
政策
というか、
連合国
の
政策
を決めたものである。そうしてその
政策
は
連合国
がこういうふうにするという一方的に決めたもので、それをそのまま受諾するのが無
條件降伏
だ、これに対して嫌だとか、
條件
をつけるということはできない。
つまり連合国
の決めたことをそのまま承認するということが無
條件降伏
の
意味
だ。で決めたことは
従つて條件
ではなくして、これは
連合国側
の
方針
、
政策
だということをまあ
言つた
わけであります。で実際
終戦
後
アメリカ
の
政府
が
マツカーサー元帥
に宛てた訓令或いは
指令
の第一号というようなものの中には、
はつ
きりとこれは
日本
と
連合国
との間の
合意
に基いたものではない、つまり
契約的基礎
にあるものではないと
言つて
おります。コントラクチユアル・ペースに基いているものではない。
契約
とか、
合意
とかいうものではない。で單に
連合国
の
ポリシー
に外ならないということを
言つて
いるのであります。で
合意
とか、
契約
に基く場合は
権利義務関係
がそこに発生するわけでありますから、
連合国
としてはあの
ポツダム協定
を、
ポツダム宣言
の
内容
を守るべき
法律的義務
が
日本
に対してある。
日本
から言えばあの書いてあることはそれを忠実に実行することを
連合国
に要求する條約上、或いは
契約
上、まあ
法律
上の
権利
があるということになるわけであります。 若しそれが
合意
に基き
契約的性質
を持
つて
いればそういうわけのものであります。併しそうではないということを
はつ
きり
言つて
おりまして、そうして
連合国
の
ポリシー
に過ぎない。で
連合国
の
ポリシー
でありますれば、これは
ポリシー
はそれぞれの国が
自分
で
決定
する問題でありますから、又
自分
で変更することもできるわけであります。
従つて
まあ
連合国
の方で勝手に変えてもいい。必要とあれば勝手に変えることが
法律
上できるのだという趣旨のもので、相手の国との間の
合意
ならば一方で勝手に変えることはできないわけであります。併し
自分
の
政策
、
日本
をこういうふうに取扱うつもりだ、つまり
方針
だということであれば、その
方針
は
自分
の
方針
でありますから変えることはできるわけであります。そういうふうに
言つて
、つまり
契約
とか
合意
とかいうものでないから、それで
法律
上
日本
は拘束されない。
日本
にそれを守る
法律
上の
義務
はない。併しそういうことを言いながら、他方で併しながらそれは
連合国
として公けに宣言した
ポリシー
ということで、公けに宣言した
ポリシー
である以上、それを守ることはその公に宣言した責任上当然のことである。謂わば
自分
の国の名誉の問題としてそういうことを守る、守らなければならないということを
言つて
おりまして、そこでそれについては
連合国最高司令官
以下この
規定
を忠実に履行しなければならないということを附け加えているのであります。これによ
つて
見ますと、今後
つまり連合国
としてはあの
政策
は
自分
の方ではこういう
方針
をとるということを闡明したんだから、名誉にかけてこれは守るべきだ、併し
日本
に対する
義務
として守るのじやないということであります。謂わば紳士的にこれは守るというので、
法律
上の
義務
として守るのではないということを
言つて
おります。こういう
態度
は
連合国
がずつとと
つて
おる
態度
でありまして、その点で私が聞いたところによりますと、あの
降伏文書
を
終戦
後
日本
の
代表
がマニラまで
受とり
に行
つた
わけでありますが、そのときにも
日本
の
代表
、陸軍と外務省の
両方
の
代表
が行きましたが、そのときでもそういう
態度
を殊更にわからせるような
態度
をと
つて
いたということであります。であのときには
日本
に対して、いつ何日
連合国
が
厚木飛行場
に到着するというような
指令
を與えたわけでありますが、そういう
指令
を
日本
の
代表
を呼びつけてそういうものを出したそうであります。そしてその
準備
をしろと
言つたの
で、そこで
日本
の方ではその日にちでは
厚木飛行場
の
準備
ができない、時間的にできないということを
日本
の方で申しまして、二日程延ばして呉れということを
言つた
そうでありますが、そのときにもこういう命令を下す、それで実行できるかということを尋ねたそうでありますが、それで
日本
の方でそれはできないということを言いました場合でも、二日くらい少くとも延ばして呉れなければできないと言いましたけれども、
日本
がそういうことを
言つて
も黙
つて
聞いただけだそうであります。そこでそれじや二日程延ばそうということを
言つたの
ではなくて、
日本
の言うことを聞いただけでありまして、
日本
の
代表
を
部屋
の外に出して、中で
相談
して
日本
の
代表
を再び呼びつけてそれじや二日延ばすからということを
言つた
ということであります。これもつまり明らかに
両方
で
相談
をして
合意
の上で決めたという形を飽くまで避けて、
日本
の方で二日延ばして呉れなければ困るというのでそれじや延ばそうということになりましたら
相談
をして
協議
の上で決めたということになりますので、それでは今の無
條件降伏
という形に副わないというので、ただ向うの言うことを聞くだけで、
部屋
から去らして
自分達
が
決定
した上で申し渡すという形を
とつ
た。これなんか
ちよ
つと余り形式過ぎておかしいと
思つた
、ということを当時聞いたのでありますが、併し無
條件降伏
の前後から見ると、そういう
態度
をずつとと
つて
いるので
決定
は飽くまで
自分達
だけで決めるのだ、それからそれを
日本
に申渡すというだけの形をと
つて
いるのであります。そうしますと今度の
講和会議
のときでも
日本
の方からの
主張
や
希望
はそこで述べる、ただそれは聞いておくだけで、併しそれを適当と思えば
連合国
の方でそれを採用する、併しそれが
日本
がこう
言つた
から、それでこつちが承諾したというのではない、飽くまで承諾とか
合意
という形をとらないというのが
連合国
の
方針
で、それが無
條件降伏
ということの
意味
であるというように考えているようであります。そういうことでありますから
講和会議
でも
日本
の
代表
が
行つて日本
の
希望
なり、要求なり、
意見
なりを述べるでありましようが、それはただ黙
つて
聞いておく、そこでデイス・カツスしない、それは不当だとかいうようなことは言わない、ただ聞いておいてまあ
連合国
の中で
相談
して適当なものは採用しよう、そこで
連合国
で決めればそのまま
日本
としては受諾することを要求されるであろう、その場合に断るということは、今の無
條件降伏
という形から見ると、
法律
的にも断る
権利
があるというこが
はつ
きり言えるかどうか。
連合国
の方では
日本
は断る
権利
がないのだ。こつちで決めたことを受諾する
義務
がある、それが無
條件降伏
だというようなロジツクをとられないとも限らないと思うのであります。それが今までの
講和條
約と違う点だと思います。 それからこういうことと関連した
一つ
の問題と考えられるのは、
講和條
約に
イタリア
なども
調印
をしましたけれども、併しその
講和條
約の
効力発生
の
條件
が今までの
講和條
約と非常に違
つて
いる。今までの
講和條
約では
戦敗国
も
調印
をする場合には、
戦敗国
の
批准
を得て
両方
の
批准
が寄託されたときに
効力
が発生するのでありますが、
イタリア等
の
講和條
約を見ますと、この
講和條
約は
連合国
によ
つて
批准
されなければならない、又
イタリア
にあ
つて
も
批准
されなければならない。併し條約が
効力
を発生するのは四
大国
の
批准
が寄託された場合に
効力
が発生されるということにな
つて
おるのです。
従つて
イタリア
の
批准
がなくても
講和條
約の
効力
が発生することにな
つて
おるのであります。こういうことは非常に今までの條約では珍しいことでありまして、戦勝国側が
自分達
の
條件
を謂わば押しつけるのでありますから
批准
することは当然でありますが、むしろ
戦敗国
の方が条件を押しつけられるのですから
批准
しないかも知れない。そういうことでありますから、むしろ
批准
が必要なのは
戦敗国
でありまして、
戦敗国
の
批准
を得て初めて
効力
を発生するというのが今までの常道であ
つた
。ところが今度は
イタリア
の場合、
イタリア
の
批准
がなくても、
イタリア
の
批准
の寄託がなくても四
大国
さえ
批准
をすればそれで
講和條
約の
効力
が発生するということにな
つて
おりまして、これもつまり
イタリア
が承諾しなくても
効力
が生ずるのだという、つまり無
條件降伏
と関連した考え方ではないかと思うのであります。ですから
日本
の場合も
日本
が
批准
を拒んでも恐らく
極東委員会
に
代表
を出している十三ヶ国の
批准
、或いは四ヶ国
外相会議
に出た四ヶ国の
批准
の寄託があれば
効力
を発生するということにな
つて
おると思うのであります。こういう條約のできる
順序
として特に注意すべき点は大体そんなことではないか。そういう
順序
を経て
講和條
約ができるだろうと大体想像されるのであります。大体そういうことを
お話
しまして、若し何か御
質問
があればそれに対してお答えする方がよいのじやないかと思いますから、一応この辺で打切ります。
野田俊作
4
○
委員長
(
野田俊作
君) どうぞ御遠慮なく
一つ
御質疑願いたいと思います。
橋本萬右衞門
5
○委員外議員(橋本萬右衞門君) 私は後から来て、先刻
お話
があ
つた
かも知れませんが、
單独講和
の場合取残された国は新たにすることになりますか。
横田喜三郎
6
○
証人
(
横田喜三郎
君) そうであります。
單独講和
々々々々と申しますが、
部分
的な
講和
の場合の、第一次世界大戦のときを見ましても、あのときは結局
講和会議
の途中で中国が脱退したのですが、丁度それがそういうような
状態
だと思いますね。今度仮に
講和條
約に
ソヴイエト
がどうしても同意しないというなら、
ソヴイエト
はこの
会議
に出ないとか、
調印
しないということになりますから、丁度中国が
会議
の途中から脱退したと同じ形になります。
アメリカ
は
調印
はしましたけれども、
あと
で国際連盟の問題から
批准
しない。
従つて
講和條
約ができましたときには、
アメリカ
や中国を除いた外の国との
講和條
約が成立したわけですね。
アメリカ
や中国はどうしたかと申しますと、
アメリカ
は約二年経
つて
から
講和條
約を結んだわけです。それまではまだ
戦争関係
が続いていたわけですが、併し
アメリカ
も暫くしてから
戦争
状態
終結ということをしまして、
戦争関係
はもうなく
なつ
た、併しまだ
講和
はできていないという
状態
が暫く続いて二年程経
つて
講和條
約を結んだ。その
講和條
約は僅か三箇條からなる極めて簡單なものでありまして、第一条と、第二條で、ヴエルサーイユ條約によ
つて
アメリカ
の得た
権利
や
利益
を
アメリカ
は取得するということだけ書いて、つまりヴエルサーイユ條約でありますが、その中で
アメリカ
の得た
権利
は、
アメリカ
は
ドイツ
に対してその
権利
を取得するのだということを書いて、後はもう
批准
ということを書いたんですが、僅か三箇條の條文で
講和條
約を結んで、大体ヴエルサーイユ條約と殆んど同じ條約を結んだ。中国の場合も同じことだ
つた
と思います。
山田節男
7
○委員外議員(山田節男君) これは非常に素人のような
質問
ですが、従来の外交史で
連合国
と、
日本
のような場合
アメリカ
と
講和條
約というものを、複数ですね、相手が二つ以上になるというそういう例はありますか。
横田喜三郎
8
○
証人
(
横田喜三郎
君) 例えば
ドイツ
のヴエルサーイユ條約の第一回はそうですね。
山田節男
9
○委員外議員(山田節男君) それは今の
日本
の場合が、まあ例えば置かれておる
條件
ですね。
アメリカ
と單独條約、而も変則的な
講和條
約によ
つて
、例えばソ連やこういうものと條約をやる、そういう可能性がないこともないと思いますが、そういう例は今までないのですか。ヴエルサーイユ條約なんかそういう
意味
で複数の平和條約もあると……。
横田喜三郎
10
○
証人
(
横田喜三郎
君) 今のような
状態
の
日本
と
アメリカ
、イギリスと
講和條
約を結んだ。片方でソビエツトと
講和條
約を結ぶということですか。
山田節男
11
○委員外議員(山田節男君) そうです。
横田喜三郎
12
○
証人
(
横田喜三郎
君) そうですね非常に古いところは知りませんが最近にはありません。
野田俊作
13
○
委員長
(
野田俊作
君) 一応委員会をこれで閉会いたします。そして
一つ
ざつくばらんにいろいろ
お話
を願います。 午後二時十三分散会 出席者は左の
通り
。
委員長
野田 俊作君 委員 大畠農夫雄君 淺井 一郎君 伊達源一郎君 佐藤 尚武君 委員外議員 労働
委員長
山田 節男君 橋本萬右衞門君
証人
東京大学
教授
横田喜三郎
君