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1950-03-09 第7回国会 参議院 外務委員会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十五年三月九日(木曜日)    午後一時三十三分開会   —————————————   本日の会議に付した事件 ○講和に関連する諸般の基本方策樹立  に関する調査  (右件に関し証人の証言あり)   —————————————
  2. 野田俊作

    委員長野田俊作君) それではこれより外務委員会を開きます。本日は講和に関連する基本方策樹立に関する調査の一部として東京大学の横田教授をお招きしてお話を伺うことにいたしました。  横田教授は皆様御承知通り我が国国際法の権威であります。講和問題についていろいろ議論が取交されておる今日、教授は正統的な国際法立場から著書や新聞を通じて意見を発表されておりまして、我々の参考になる点が多大なものがあるのでありまするが、本日は親しくその御意見を拝聽することは、参議院外務委員会の仕事上極めて意義のあることと信ずる次第であります。  お話内容我が国講和條約締結に参考となる基本的なもの、例えば今次大戦後連合国と結ばれたイタリア條約等の先例その他を含めてお話を願うよう御依頼した次第でありますが、時間は三時までお願いできれば結構だと思います。  尚議会の手続上、横田教授は本日証人ということになつておりますが、証人宣誓宣誓に捺印して頂くことによつて代えますから御承知願います。    〔証人宣誓書署名捺印
  3. 野田俊作

    委員長野田俊作君) それでは横田先生のこれからお話を願うことにいたします。
  4. 横田喜三郎

    証人横田喜三郎君) 日本講和問題に関連したことをお話するということになつておりますが、いろいろな問題がありますので、どういうことをお話したら皆さんの特に御希望に副うことができるか、ちよつと私共よく分りませんので、講和條約ができる順序とか手続とかいうようなことをお話して、あと一ついろいろ質問をして頂いて、それによつてお答えする方が、特に関心を持つておいでになる点が明らかになつていいのじやないかと思いますので、三十分ぐらい初めに話をしまして、あと質問によつてお答えしたらどうかと思います。  そこで講和の問題になりますと、一番やかましく問題になつているのは、全面講和單独講和かという問題、それから講和後の安全保障をどうするかという問題でありますが、これは私もいろいろ書いたり、喋つたりしておりますので、その問題も若し御質問があれば触れることにしまして、さつき申しましたような、講和が締結される順序というようなことについてちよつとお話して見ようと思うのです。  それは結局今度の講和についての先例を見るのが一番便利だろうと思います。つまりイタリア、ルーマニア、ブルガリアなどの條約のできたいきさつなどについて見て、日本の場合もどうだろうというような想像ができると思うのです。  この場合にイタリアなどの講和條約につきましては、一九四五月の八月二日のポツダム協定によりまして、そのそれぞれの国と戦争関係にあつた大国外相会議講和原案を作る。そうして原案ができたところで講和会議を開くということが規定されているのであります。更にそのことがその年の十二月のモスコー会議によりまして、一層その点が明確に規定されて、いわゆるモスコー協定というものができたのであります。  それによりますと、それぞれの枢軸国との講和は、その国と戦争関係にあつた大国外相会議原案を作り、それができたときにその国と戦争関係にあつたすべての国の参加する講和会議を開き、その講和会議原案基礎にして討議をして、修正或いは追加をする。その修正追加については、更にその後に大国外相会議を開いて、そこで最終的な決定をする、そういう順序講和條約を結ぶということが、今申しましたようなポツダム協定と、それらモスクワ協定で決まつているわけであります。それによりまして例えばイタリアの場合ですと、イタリア戦争関係にあつた大国であるアメリカ、イギリス、ソヴイエト、フランス、この四大国外相会議講和條約の原案を作りまして、それができたところで戦争関係にあつたすべての国、二十一ヶ国と記憶しておりますが、二十一ヶ国の講和会議を開いたわけであります。そうしてこの二十一ヶ国が原案について討議をして、その会議には一度イタリア代表者会議に臨んで、イタリアの註文と申しますか、希望をそこで述べる機会を與えた。そうしてその会議でいろいろの修正追加をしたのでありますが、それが最終的な効力を持つのではないのでありまして、その後で更に四大国外相会議を開いて、その外相会議で、講和会議で採用された修正なり追加なりを更に考慮して、採るべきものは採るということをして、そこで最終的に講和條約が決まつたのであります。  これは今までにこういう例は全くないことで、大国が非常に重要な地位を占めているということがお分りだろうと思います。つまり原案を作ることによつて部分のことは決まるのでありまして、それに対する修正とか、追加とかいうことはどうしても第二次的なことになる。その第二次的なことさえもそれで決まらないで、更に外相会議でそれを取捨選択する。まあ大体は講和会議追加修正されたことが、殆んどそのまま採用されたのでありますが、それにしても今言うように、最終的には大国外相会議決定することになつておるのであります。  そこで日本の場合にはどうかということが問題になるのでありますが、日本の場合には講和條約をどういうふうにしてやるかということは、何らはつきり決まつていないのであります。日本につきましては、御承知通りポツダム宣言で、これは七月二十六日にできたものであります。それから一週間ほど経つて今のポツダム協定ができた。これはヨーロツパの事柄を決めたものであります。そのポツダム宣言にも、日本講和をどういうふうな順序でやるかということが何ら規定してない。それからモスクワ協定にもその問題は規定してないわけであります。そこで御承知通り講和会議順序についてソヴイエトアメリカとの主張が食い違つているわけでありまして、ソヴイエトは、ヨーロツパ諸国講和條約を今のような順序でやつたのだから日本講和條約についても同じ順序でやるべきだ、そういうことがむしろ連合軍のその時の意思であり了解であつたということを主張しているわけであります。ですから、日本講和条約については、四大国外相会議原案を作るべきだということを主張しております。これに対してアメリカの方では、日本については、ポツダム協定とかモスクワ協定というようにはつきりそういうことを決めたものがない。だからこの問題は白紙として考えていいのみならず、モスクワ協定によりまして、日本については極東委員会が設けられることになつたわけであります。そして日本占領管理に関しては、この極東委員会最高政策決定するということになつたわけであります。従つて日本占領管理について最高政策を持つ極東委員会決定するのだから、日本講和條件についてもその極東委員会決定するか、或いは極東委員会代表者を出している国の間で協定すべきである。つまりモスクワ協定によつて極東委員会を設け、日本占領管理最高政策決定することに合意したということは、日本講和條約については極東委員会に出ている国の協定で決めるんだという、そういう意味が含まれているとアメリカの方は言うわけであります。そこでこの極東委員会に出ている国は、御承知通りその当時は十一ヶ国でありましたが、現在は十三ヶ国でありまして、日本との戦争で最も重要な役割を演じた太平洋地域諸国であります。そこでそういう国、例えばオーストラリアとか、ニュージーランドとか、カナダというような国は、日本との戦争で重要な役割を演じたのだから、日本講和條約について、最初からその議に與かるべきだ。ソヴイエト戦争の終る直前に日本戦争を布告しただけで、殆んど戦には貢献していないのだから、その点から見ても、これらの諸国が加わるのが当然だというのがアメリカ論拠であります。こういう論拠が二つ対立したために、恐らく御承知だろうと思いますが、一九四七年の七月にアメリカ日本講和條約を作ろう、その予備会議を開こうと言い出しましたときに、アメリカは今のような立場から、極東委員会代表者を出している国の間で原案を作ろうということを言い出したわけであります。ところがソヴイエトの方では、四大国外相会議を開いて原案を作るべきだから、アメリカのそういう会議には応じられないということを申しまして、そこで結局その原案を作る会議についての協定ができないためにそのままになつてしまいまして、現在まで二ヶ年半も結局予備会議も開かれないという状態になつているのであります。その原因は、今申しましたような理由から来ておる。その根拠はそれぞれ今のような理由であります。  で今公平に見てみますと、これは両方共ある程度の根拠がある。ソヴイエトの方も、ヨーロツパの国の講和條約は全部外相会議でやつたのだから、日本の場合もそうするのが当然だと主張することにも一理あると思います。それからアメリカの方も、日本についてはそういうことははつきり決めていないし、日本占領管理最高政策極東委員会でやることにしたのだから、日本講和條件も、極東委員会代表を出しておる国で相談するのが当り前だということも理屈があると思うのであります。そういうわけで、両方共一応の理屈があつて、そういう立場から議論しておるものでありますから、今のところ予備会議も開かれない状態であります。  そこで今度日本講和條約を促進するということになりましても、この問題に引掛つていて、なかなか会議を開くことも困難じやないかと思つております。アメリカが最近講和條約をやろうという場合でも、勿論アメリカとしては極東委員会十三ヶ国の会議を開こうとしておりまして、ソヴイエトの方はやはり四大国主義をとつておるだろう。今度のソヴイエトと中国の相互援助條約で、日本講和條約を成るべく早く結ぼう。それには今度の戦争同盟国であつた国全部の間で、講和條約を結ぼうということを言つております。が、併しそれは日本との戦争に参加したすべての国で以て、講和條約の原案を作るという意味ではないだろうと思います。やはり原案は四大国の間で作つて、そうして原案ができたところで講和会議を開いて、全部の国が入つたいわゆる全面講和をやろうという意味だろうと想像されますので、ソヴイエトの方から講和條約を早く結ぶべきだということを言いましても、さてその講和條約の会議をどうして作るかということになりますと、又行詰るのじやないかと考えられます。  そこで講和條約の仮に会議が開かれるとしまして、後どういうふうになるかと申しますと、アメリカの方の行き方で行くとすると、極東委員会十三ヶ国で以て会議を開く。そこで原案ができて、更に日本戦争関係にあつたすべての国の参加した講和会議が開かれるということも考えられると思います。丁度ヨーロツパの條約のように、先ず原案を四大国作つて、それから戦争関係にあつたすべての国の講和会議を開くという行き方だとしますと、日本の場合には十三ヶ国で原案作つて、そうして日本戦争関係にあつた国講和会議を開く。日本と名義上だけでも戦争関係にあつた国は四十ヶ国余でありますから、その四十ヶ国余との講和会議を開くということも考えられると思いますが、併し或いは十三ヶ国でやりますれば、もうそれで講和條約はでき上つたものとして、その外の国はあまり重要でないから、ただそのでき上つた講和條約に参加するという形をとるかも知れませんが、その点はどういうふうになるか分りません。併し四大国会議講和條約の原案を作れば、勿論更にもう一遍講和会議を開かなければならないだろう。その点は日本の場合どうなるか分りません。  そこで日本がその場合にどの程度発言権があるかという問題が次に起ると思いますが、これはさつき申しましたようにイタリヤの場合ルーマニヤ、ブルガリアの場合でも、大体先ず四大国原案ができて、それから講和会議を開きまして、大体その初めの間はずつと連合国だけで話を進めて、殆んどそれができ上つたところでイタリヤ代表を呼び出して、一応イタリア希望なり意見なりを述べさせたのであります。そうしてイタリアが一度それを述べまして、イタリア代表引下つた後で、更に協議を進めて、お互いに協議をして、講和條約を決定して行くということになつたわけであります。ですから日本の場合でも、日本代表にも一度講和会議に列席して日本希望なり意見を述べさせる。そうしてそれを連合国の方では参考にして、日本希望も幾らか斟酌して最後に決定するということになるだろうと思います。この場合に日本の無條件降伏ということが問題になつて来ますが、一体その講和條約、本来ならば戦争に敗けた国も、法律上では対等の地位に立つて戦争に勝つた国講和條約を結ぶというのが今までの行き方であつたのです。ただまあ実際上実力上から申しますと、負けた方はどうしたつて不利な立場でありまかすら、御無理後尤もで聞かなければならないということが多いと思いますが、法律上は勝つた国も負けた国も同じ立場で、等しく国家として交渉をして、嫌ならば受諾しないとも言い得たわけであります。併し実際問題としてはそれができない。例えば第一次講和会議のときでも、初め連合国側講和條約を作りまして、でき上つたところでドイツ代表を呼び出して、その講和條約の草案を渡して、それに対して、大体それを受諾しろ、意見があれば書面によつてその意見を提出してもよいということで、講和條約の受諾を要求したわけであります。ドイツの方ではそれに対して書面による意見書を提出したのでありますが、その殆んど大部分は容れられなかつた。結局実際的から言えば連合国で作つたものをドイツが押付けられたわけでありますが、併しドイツとしては嫌ならばそれを拒絶しても法律上はよかつたのであります。併し拒絶したとすれば、ドイツは依然として連合国占領されるわけでありますから、止むを得ず受諾したのであります。今度の日本の場合はその点どうか。これは実際上としまして、日本としては受諾せざるを得ないだろうと思います。  若し受諾しなければこのまま占領を続ける。或いはもつと強い権力連合国に使われるということも考えられますから、実際受諾せざるを得ないと思いますが、法律上から見たらどうかといいますと、無條件降伏という関係から、法律上もはつきり反対を唱えることが出来る。と言えるかというと、この点は若干疑問だろうと私は思うのであります。それは無條件降伏という事の意味が、あの当時も非常に問題になつて、これは日本で問題になるよりも、むしろ外国で非常に問題になつた。英米の間で一体無條件降伏ということはどういうことかということが問題になつたのであります。而もポツダム宣言等は無條件降伏と言いながら、一定條件のようなことを書いていまして、そのうちには日本にただ義務を課するだけのものもあります。例えば軍国主義的な今度の戦争を起こしたような者の勢力と権力を一切除去しなければならないというようなことは、日本義務だけを言つているものでありますが、併し例えば日本軍隊が武装を解除した後家庭に帰して、平和的、生産的な業務に就くことを許すというような規定は、これは日本義務を課したというよりも、むしろ日本一定利益を認めたものでありまして、日本軍隊については永らくこつちに捕虜にするようなことはない。家庭に帰して平和的産業に就くことを認めるというのでありますから、まあ日本としてはそういうことを連合国に要求するというか、要望する、まあ権利というのは少し問題でありますが、そういう利益を認めたものであります。そうしますとこれは一種の條件で、そういう條件を認めながら無條件降伏ということは一体どういう意味だということが問題になつたのであります。であのときのポツダム宣言に書いてあることは、御承知通りあれはタームスという言葉が使つてありまして、コンデイシヨンスという言葉ではない。つまり法律上嚴格な意味講和條件という意味でないのでありまして、戦争を止めるときのタームスという言葉が使つてある。そこでアメリカの演説などでは一体コンデイシヨンスタームスではどう意味が違うかというようなことで、無條件降伏と言いながら、ポツダム宣言で或る種の條件というようなものを出したのは、あれは一体どういう意味だというようなことが盛んに問題になつたのであります。そのときにアメリカ政府などの説明では、ポツダム宣言などで言つているあのタームスというのは、これは講和條件としてこういう條件講和をするとか、こういう條件で休戦をするという條件ではない。連合国の方で日本が降伏したらばこういう取扱いをするという、その取扱い方針というか、政策というか、連合国政策を決めたものである。そうしてその政策連合国がこういうふうにするという一方的に決めたもので、それをそのまま受諾するのが無條件降伏だ、これに対して嫌だとか、條件をつけるということはできない。つまり連合国の決めたことをそのまま承認するということが無條件降伏意味だ。で決めたことは従つて條件ではなくして、これは連合国側方針政策だということをまあ言つたわけであります。で実際終戦アメリカ政府マツカーサー元帥に宛てた訓令或いは指令の第一号というようなものの中には、はつきりとこれは日本連合国との間の合意に基いたものではない、つまり契約的基礎にあるものではないと言つております。コントラクチユアル・ペースに基いているものではない。契約とか、合意とかいうものではない。で單に連合国ポリシーに外ならないということを言つているのであります。で合意とか、契約に基く場合は権利義務関係がそこに発生するわけでありますから、連合国としてはあのポツダム協定を、ポツダム宣言内容を守るべき法律的義務日本に対してある。日本から言えばあの書いてあることはそれを忠実に実行することを連合国に要求する條約上、或いは契約上、まあ法律上の権利があるということになるわけであります。  若しそれが合意に基き契約的性質を持つていればそういうわけのものであります。併しそうではないということをはつきり言つておりまして、そうして連合国ポリシーに過ぎない。で連合国ポリシーでありますれば、これはポリシーはそれぞれの国が自分決定する問題でありますから、又自分で変更することもできるわけであります。従つてまあ連合国の方で勝手に変えてもいい。必要とあれば勝手に変えることが法律上できるのだという趣旨のもので、相手の国との間の合意ならば一方で勝手に変えることはできないわけであります。併し自分政策日本をこういうふうに取扱うつもりだ、つまり方針だということであれば、その方針自分方針でありますから変えることはできるわけであります。そういうふうに言つて、つまり契約とか合意とかいうものでないから、それで法律日本は拘束されない。日本にそれを守る法律上の義務はない。併しそういうことを言いながら、他方で併しながらそれは連合国として公けに宣言したポリシーということで、公けに宣言したポリシーである以上、それを守ることはその公に宣言した責任上当然のことである。謂わば自分の国の名誉の問題としてそういうことを守る、守らなければならないということを言つておりまして、そこでそれについては連合国最高司令官以下この規定を忠実に履行しなければならないということを附け加えているのであります。これによつて見ますと、今後つまり連合国としてはあの政策自分の方ではこういう方針をとるということを闡明したんだから、名誉にかけてこれは守るべきだ、併し日本に対する義務として守るのじやないということであります。謂わば紳士的にこれは守るというので、法律上の義務として守るのではないということを言つております。こういう態度連合国がずつととつておる態度でありまして、その点で私が聞いたところによりますと、あの降伏文書終戦日本代表がマニラまで受とりに行つたわけでありますが、そのときにも日本代表、陸軍と外務省の両方代表が行きましたが、そのときでもそういう態度を殊更にわからせるような態度をとつていたということであります。であのときには日本に対して、いつ何日連合国厚木飛行場に到着するというような指令を與えたわけでありますが、そういう指令日本代表を呼びつけてそういうものを出したそうであります。そしてその準備をしろと言つたので、そこで日本の方ではその日にちでは厚木飛行場準備ができない、時間的にできないということを日本の方で申しまして、二日程延ばして呉れということを言つたそうでありますが、そのときにもこういう命令を下す、それで実行できるかということを尋ねたそうでありますが、それで日本の方でそれはできないということを言いました場合でも、二日くらい少くとも延ばして呉れなければできないと言いましたけれども、日本がそういうことを言つても黙つて聞いただけだそうであります。そこでそれじや二日程延ばそうということを言つたのではなくて、日本の言うことを聞いただけでありまして、日本代表部屋の外に出して、中で相談して日本代表を再び呼びつけてそれじや二日延ばすからということを言つたということであります。これもつまり明らかに両方相談をして合意の上で決めたという形を飽くまで避けて、日本の方で二日延ばして呉れなければ困るというのでそれじや延ばそうということになりましたら相談をして協議の上で決めたということになりますので、それでは今の無條件降伏という形に副わないというので、ただ向うの言うことを聞くだけで、部屋から去らして自分達決定した上で申し渡すという形をとつた。これなんかちよつと余り形式過ぎておかしいと思つた、ということを当時聞いたのでありますが、併し無條件降伏の前後から見ると、そういう態度をずつととつているので決定は飽くまで自分達だけで決めるのだ、それからそれを日本に申渡すというだけの形をとつているのであります。そうしますと今度の講和会議のときでも日本の方からの主張希望はそこで述べる、ただそれは聞いておくだけで、併しそれを適当と思えば連合国の方でそれを採用する、併しそれが日本がこう言つたから、それでこつちが承諾したというのではない、飽くまで承諾とか合意という形をとらないというのが連合国方針で、それが無條件降伏ということの意味であるというように考えているようであります。そういうことでありますから講和会議でも日本代表行つて日本希望なり、要求なり、意見なりを述べるでありましようが、それはただ黙つて聞いておく、そこでデイス・カツスしない、それは不当だとかいうようなことは言わない、ただ聞いておいてまあ連合国の中で相談して適当なものは採用しよう、そこで連合国で決めればそのまま日本としては受諾することを要求されるであろう、その場合に断るということは、今の無條件降伏という形から見ると、法律的にも断る権利があるというこがはつきり言えるかどうか。連合国の方では日本は断る権利がないのだ。こつちで決めたことを受諾する義務がある、それが無條件降伏だというようなロジツクをとられないとも限らないと思うのであります。それが今までの講和條約と違う点だと思います。  それからこういうことと関連した一つの問題と考えられるのは、講和條約にイタリアなども調印をしましたけれども、併しその講和條約の効力発生條件が今までの講和條約と非常に違つている。今までの講和條約では戦敗国調印をする場合には、戦敗国批准を得て両方批准が寄託されたときに効力が発生するのでありますが、イタリア等講和條約を見ますと、この講和條約は連合国によつて批准されなければならない、又イタリアにあつて批准されなければならない。併し條約が効力を発生するのは四大国批准が寄託された場合に効力が発生されるということになつておるのです。従つてイタリア批准がなくても講和條約の効力が発生することになつておるのであります。こういうことは非常に今までの條約では珍しいことでありまして、戦勝国側が自分達條件を謂わば押しつけるのでありますから批准することは当然でありますが、むしろ戦敗国の方が条件を押しつけられるのですから批准しないかも知れない。そういうことでありますから、むしろ批准が必要なのは戦敗国でありまして、戦敗国批准を得て初めて効力を発生するというのが今までの常道であつた。ところが今度はイタリアの場合、イタリア批准がなくても、イタリア批准の寄託がなくても四大国さえ批准をすればそれで講和條約の効力が発生するということになつておりまして、これもつまりイタリアが承諾しなくても効力が生ずるのだという、つまり無條件降伏と関連した考え方ではないかと思うのであります。ですから日本の場合も日本批准を拒んでも恐らく極東委員会代表を出している十三ヶ国の批准、或いは四ヶ国外相会議に出た四ヶ国の批准の寄託があれば効力を発生するということになつておると思うのであります。こういう條約のできる順序として特に注意すべき点は大体そんなことではないか。そういう順序を経て講和條約ができるだろうと大体想像されるのであります。大体そういうことをお話しまして、若し何か御質問があればそれに対してお答えする方がよいのじやないかと思いますから、一応この辺で打切ります。
  5. 野田俊作

    委員長野田俊作君) どうぞ御遠慮なく一つ御質疑願いたいと思います。
  6. 橋本萬右衞門

    ○委員外議員(橋本萬右衞門君) 私は後から来て、先刻お話があつたかも知れませんが、單独講和の場合取残された国は新たにすることになりますか。
  7. 横田喜三郎

    証人横田喜三郎君) そうであります。單独講和々々々々と申しますが、部分的な講和の場合の、第一次世界大戦のときを見ましても、あのときは結局講和会議の途中で中国が脱退したのですが、丁度それがそういうような状態だと思いますね。今度仮に講和條約にソヴイエトがどうしても同意しないというなら、ソヴイエトはこの会議に出ないとか、調印しないということになりますから、丁度中国が会議の途中から脱退したと同じ形になります。アメリカ調印はしましたけれども、あとで国際連盟の問題から批准しない。従つて講和條約ができましたときには、アメリカや中国を除いた外の国との講和條約が成立したわけですね。アメリカや中国はどうしたかと申しますと、アメリカは約二年経つてから講和條約を結んだわけです。それまではまだ戦争関係が続いていたわけですが、併しアメリカも暫くしてから戦争状態終結ということをしまして、戦争関係はもうなくなつた、併しまだ講和はできていないという状態が暫く続いて二年程経つて講和條約を結んだ。その講和條約は僅か三箇條からなる極めて簡單なものでありまして、第一条と、第二條で、ヴエルサーイユ條約によつてアメリカの得た権利利益アメリカは取得するということだけ書いて、つまりヴエルサーイユ條約でありますが、その中でアメリカの得た権利は、アメリカドイツに対してその権利を取得するのだということを書いて、後はもう批准ということを書いたんですが、僅か三箇條の條文で講和條約を結んで、大体ヴエルサーイユ條約と殆んど同じ條約を結んだ。中国の場合も同じことだつたと思います。
  8. 山田節男

    ○委員外議員(山田節男君) これは非常に素人のような質問ですが、従来の外交史で連合国と、日本のような場合アメリカ講和條約というものを、複数ですね、相手が二つ以上になるというそういう例はありますか。
  9. 横田喜三郎

    証人横田喜三郎君) 例えばドイツのヴエルサーイユ條約の第一回はそうですね。
  10. 山田節男

    ○委員外議員(山田節男君) それは今の日本の場合が、まあ例えば置かれておる條件ですね。アメリカと單独條約、而も変則的な講和條約によつて、例えばソ連やこういうものと條約をやる、そういう可能性がないこともないと思いますが、そういう例は今までないのですか。ヴエルサーイユ條約なんかそういう意味で複数の平和條約もあると……。
  11. 横田喜三郎

    証人横田喜三郎君) 今のような状態日本アメリカ、イギリスと講和條約を結んだ。片方でソビエツトと講和條約を結ぶということですか。
  12. 山田節男

    ○委員外議員(山田節男君) そうです。
  13. 横田喜三郎

    証人横田喜三郎君) そうですね非常に古いところは知りませんが最近にはありません。
  14. 野田俊作

    委員長野田俊作君) 一応委員会をこれで閉会いたします。そして一つざつくばらんにいろいろお話を願います。    午後二時十三分散会  出席者は左の通り。    委員長     野田 俊作君    委員            大畠農夫雄君            淺井 一郎君            伊達源一郎君            佐藤 尚武君   委員外議員    労働委員長   山田 節男君           橋本萬右衞門君   証人    東京大学教授  横田喜三郎