○末弘参考人 ただいまの点は、
裁定書全体を十分お読みいただくと、相当程度までおわかりを願えると思いますが、仲裁
委員会におきましては、もちろん組合が要求しましたものをそのまま——賃上げ及び年末賞與というそれをそのまま出すということの目的で、最初はずつと計算をいたしてみました。それで今おつしやつた面は、私どもが八千幾らとか、九千円前後というような数字を出しましたが、これらは、いろいろ計算をして行く
立場から出るのでありまして、それで普通に、私どもは今度の
裁定書の中にも特に註として、いわゆるベースというものの無
意味のことを申してあるのでありまして、いわゆるベース上げということに、あまり重きを置いておらないのであります。それで
公労法に書いてありますあの公社の場合の賃金は、どういうふうにする
考えかというと、それをいろいろな、こういう
立場からいえば、このくらいになる——世間でいわゆるCPOとかCPIでやれば、八千幾らくらいになる、それからまた都電の従業員の賃金の行き方からいえば、このくらいになる、あるいはさらに職種をわけまして、特に参考書として差上げてありますのをごらんになりますと、こまかく職種を相当
研究しまして、低いということは今おつしやつた
通りで、非常に低いと
考えております。それからまた年末賞與も、このような事情だから出してしかるべきものだと私どもは
考える。しかし問題は事の実現性ということを
考えなければならぬ。どういう案にして出したら、一番実現性があるかということを
考えたわけであります。その点においては、三原則とか九原則とかというような形式的な問題より、やはり国の賃金政策、あるいは経済政策上の賃金政策をどう
考えるかという問題を
考えなければならない。やはり責任ある
政府が、司令部の指導のもとに、ある賃金政策を大きくと
つている以上、その面と正面から取組んで
裁定案を出して行
つてみましても、その面からくずれるおそれが相当あり得るのじやないかということを一つは
考えました。それから年末賞與に至
つては、現行法上そういうものを出す根拠が
法律的にはございません。そこで私どもは、なるたけ実質的に問題を解決する、それには合理的な根拠を求めなければならない。そうしますと、この待遇が実質的に切り下げられているというものを、しさいに計算してみますと、ああいうものが出て来たということが一つです。それでこまかくいえば、あなたのおつしやつたように、六千幾らが、実質的には
国鉄の場合は切り下げられているのだから、ベースが上つたときには、その是正されたのとプラスされて上るのだということに、こまかい議論をいえばなります。しかしそれは
理由及び解説において言
つていることで、
裁定諸の主文としてはそれを言
つていないのです。主文としてはやはり実現性ある問題としてああいうことを申した。
それからまた年末賞與の問題につきましては、これは今日もどなたかが申されましたが、ああいう半ば国営的な企業というものは、労働者の労働意欲を高めて、労働の生産性を上げるためには、やはりみんなで努力して
予算がしまいに余つた、そうしたらこれをみんなにわけてやるという制度、これは方々の国にいくらでもある例です。そういうことを一つやる。これは單に年度末とは限らないので、来年度あたり、先ほどもお話に
なつたように、
法律をかえるなり、
予算を組むなり、何かの方法で年に四度そういうことをするとか、あるいは年度末にするとか、いくらでも
考える方法がありまして、外国にも実例がございますから、
考え方はいくらでも
考えられます。今日民自党の
福田さんから、
政府の方に
質問がありました。あれはことによると、まだどこかで、裁判所に行けば弁護士が言いそうな議論が、
議会で議論になりはしないかと思うので、一言申し上げます。つまり一体
当事者が要求していることと違う
裁定をしているのは、無効じやないかという議論であります。これは純粹の民事訴訟においてはその
通りであります。しかし労働争議の仲裁ということを日本に限らず、外国の場合でもそうではございません。究極において争議を片づけることが目的でありますから、その要求から全然離れたことをやるということは、これはむろんいけないことでございますが、要求の線に沿いながら、何らかの形でそれを実現するようなことをすることは、外国の仲裁の例を見ましてもいくらもございます。但しそういう点をはつきりするために、仲裁に関する
法律で、そういう面まで相当詳しく
規定するようにしている外国の法令もございます。しかし日本の場合全然それがございませんので、私どももその点は十分考慮いたしまして、仲裁に入ります初めに、
当事者双方の要求されることの範囲、あるいは実質的にどういう
意味であるかというようなことを十分尋ねまして、日本の
法律の
規定する制度の仲裁においては、そういうことをすることが正しいということを
考えてやりましたわけであります。それで民事訴訟の場合のような
法律論をも
つて無効論を主張するがごときは、私はこれはひ
とつそういう議論が、この
国会においてなされざらんことを希望いたす次第であります。