○
河野(一)
政府委員 大蔵省の調査で四千万ドルから違うというお話、これはあの中に出ております
通り、
議会へ提案いたしました数字であれは入
つております。当時の調査ではその数字しかわかりませんので、それをたしか下院において一五%減らされ、上院においてそれが一〇%になり、協
議会で一二・五%に減らされた。こういうことにな
つておりますから、あの数字は実際のものとはその点、差がある。この点だけ御了承願
つておきます。それから今まで参りましたアメリカの対日援助の
予算でありますが、これは
向うの
予算では、アジア各地域が一つにな
つておりまして、日本の分というものは
はつきりいたしません。実績もいろいろそのときの地域の
條件によ
つて違いますが、アメリカの
予算書その他で
発表いたしました
ところを見ますと、一九四五年から四六年までの年度におきましてガリオアで三億ドルであります一九四六年から四七年まではガリオアで三億一千四百万ドル、一九四七年から四八年までガリオアで四億五千万ドルであります。一九四八年から四十九年まではガリオアで四億三百万ドル、イロアで一億八百万ドル、合計いたしまして五億一千一百万ドルに相な
つております。それから一九四九年から五
○年、すなわち現在の年度でありますが、これがガリオアで三億七千九百万ドル、イロアで一億一千六百万ドル、合計四億九千五百万ドルであります。
それからこれはただいま申し上げましたように、一九四九年から五〇年の四億九千五百万ドルというのは、
議会で削減されまして、四億四千五百万ドル程度に
なつたと推測されます。これは先ほど申し上げましたように、各地域のはわかりませんので、同じ割合で減らされたものとしまして、四億四千五百万ドルに
なつたと思います。それから昨年六月までの
予算を合計いたしますと、十五億七千五百万ドルであります。それで今までにどの程度入
つておるかということは、なかなか調査はむずかしいのでありますが、ESSの調査によりますと、一九四五年の九月から四十六年の三月までに、一億九千二百七十万ドル入
つておるということにな
つております。それから四十六年の三月から四十七年一ぱいの間に四億七百万ドル、一九四八年中に四億六千三百九十万ドル、それから昨年でありますが、これは六月まででありますが二億八千七百四十万ドル、合計いたしまして十三億五千百万ドルという調査に相な
つております。この
予算と実績との差が、結局
予算の成立から援助物資を買い取りまして、日本へ持
つて来るまでの間に時期的なずれが相当ありますのと、それからこちらにおります文官の
事務費等のために一部が使用されている
関係もございます。そういう点で両者差異があるわけであります。対日援助のガリオアとイロアの
関係はそういうことに相なりますが、これはいずれもアメリカの
予算によるものであります。そのほかに現在はございませんが、綿花融資というものがか
つてございまして、商品金融
会社からの綿花を日本へ融資しておりました。いわゆるCCC綿であります。これが今まで百二十五万俵、一億八千八百万ドルありまして、現在全部完済いたしております。それからこういう援助の
予算になる前におきまして、いわゆる占領地回転基金というのがあります。日本の金銀を担保にいたしておるものでありますが、これは一億二千万ドルほど回転基金がありまして、綿花、染料、機械などの形で融資しておりました。それから綿花借款、これはアメリカの輸出入銀行他四銀行に対して、スキヤツプがクレジットを設定しておるもの、これが綿花三十万俵、六千万ドル、こうい
つたものがあり、これは現在大いに活用されております。以上がアメリカから日本に対して出されておる
予算及びその他の
措置による援助の大体の
状況でございます。