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猪俣浩三君 総理大臣に御質問を申し上げたいと存じたのでありますが、おいでにならぬ。きようは数人総理大臣を氏名されておるのに、おいでにならない。先般私は、
食糧政令についての質問の際に、やはり総理大臣の御
答弁をお願いしたのでありますが、御出席にならなかつた。あとで新聞を見ましたところが、腹が立
つたのであります。お嬢さんと一緒にデパートで何か買物をなさ
つて、銀のとやらをお買いに
なつた。これは、はなはだ私は遺憾に存ずるのでありますが、どうか側近の方々は、さような行動を総理がなさらぬように御注意をなさ
つていただきたいのであります。
民主憲法政治の行われる国におきましては、司法権が尊重せられることは申すまでもないのでありまして、司法権の独立ということが非常に大切なことに相な
つておるのであります。イギリスにいたしましても、アメリカにいたしましても、民主国家の先進国は、みんな司法権の独立、判決の尊重ということに重きを置いておるのであります。裁判所に特別の権限を持たせまして、そうしてその判決に対しましては、特別にこれを尊重するということが民主政治の中核であるということは、古今の歴史に徴して明らかなことでございます。そこで、われわれも民主国家として進展いたして行くにつきましては、この裁判所の特別の地位というものを十分尊重いたしまして——この裁判所の
意思表示は判決であります。この裁判に対しましては十二分なる尊重を持つということが、すべて合法的に国務の進展をはかる上におきまして、われわれ日常心がけなければならぬ大切なことであると思います。そこで私は、総理大臣に対しまして、この
国鉄裁定につきまして、すでに東京
地方裁判所の判決が出ているのでありますが、この判決を尊重なさる
意思があるか、ないのであるか、率直にお尋ねしたいのであります。尊重するのであるか、しないのであるか、尊重するということになりまするならば、次に以下のことをお尋ねしたいのであります。
この判決の主文におきましては、過ぐる日、昨年の十二月二日、公共企業体仲裁
委員会におきまして裁定になりました、その裁定に従えという
採決にな
つておるのでありますが、この判決に服従なさるところの
意思があるかないか、これをお尋ねしたい。
〔
議長退席、仮
議長着席〕
この判決に対して上訴をするということでありますが、御存じの通り、今回の判決は、緊急の必要ありとして仮処分の申請をいたしたのであります。かりに
支拂えというところの請求をしたのであります。そこで、仮処分の判決に対しましては、これを停止するところの手続がありません。上訴いたしましても、停止はされておらぬで、判決はそのまま生きているのであります。最高裁判所まで参りまして労働組合側が敗訴いたしましたときに初めてこの判決は不利に展開するのでありあすが、それまでは、この
地方裁判所の仮処分の判決というものは生きているのでありまするから、たといお公社あるいは
政府の合作によりまして上訴いたしましても、これを停止するところの手続がない以上は、この裁判は現在生きているのであります。
しからば、この判決に従いなさる御
意思があるのであるか、ないのであるか、私はその
意味においてお聞き申したいものである。そこで、この判決に従うということになるならば、この判決の
理由におきまして、少なくとも公社は三億二百四十三万七千円はすみやかに
支拂えというところの勧告をしておるのである。しからば、この判決の
趣旨を尊重なされて、これを
支拂うように御労力なさるのであるかえどうか。
最後に私が総理大臣にお尋ねいたしたいことは、この上訴あるいは上告をなさ
つて、この問題をずるずるにひつぱ
つておいでにな
つて、最後に最高裁判所が敗訴の判決をお受けに
なつたときにその責任をどうなさるのであるか、これをお尋ねしたいのである。
私は、去る二十四日に、法務
委員会におきまして、殖田法務総裁に対して、明日は
国鉄裁定について判決が下るのであるが、もし公社側が敗訴した場合には
政府はいかなる処置をとるかという質問をいたしました際に、殖田総裁は、九分九厘そんなことはない、そんなことはないから今
答弁できない、こういうような言をなさ
つておつた。ところが、一日違いで、まつたくこの法務総裁の見解は粉砕されまして、労働組合側に勝訴の判決が上つた。そこで、
政府はやはり九分九厘勝つというような放言をなさ
つて、上訴なさろうとしておるのでありますが、結局いおいて負けたときに、
政府の面目及びその責任はどうなるのであるかを、御
答弁願いたいと思うのであります。
次に増田官房長官にお尋ねしたいのであります。先ほど申し上げましたように、司法権の独立を守るということは民主政治の中核でありまするが、司法権の独立とは何ぞやということは、その国の歴史において変遷がある。旧憲法におきまして、いわゆる特権階級が跋いたしておりましたる際には、司法権の独立の
内容は、その特権階級に対して、
一般大衆の自由を、基本的人権を守るところの防壁をなした、そういう
意味におきまして司法権の独立があつた。
今日、この特権階級が打倒されまして、民主憲法の時代になりまして、そうして
国会の権威が高まり、政党政治が確立せられた今日におきまして、司法権の確立とは何ぞや。その
内容は、多政党に対することろの確立でありますし、なおまた政党内閣の制度によりまして、その多数党の内閣が行政権を握るのである。
国会をも支配し、また行政の中枢部を支配するのは多数党でありますがゆえに、この制度——この制度自体を私は悪いと言うのではありませんが、この制度によりまして、多数党の政治力というものは強大に相なる。このものが與れば、すなわちまたそこに間違いもできるのでありまして、この多数党の威力が正当に運ばれておる場合はよろしいのでありまするが、これが曲
つて運用せられましたときに、すなわち司法権の独立ということが起
つて来るのでありまして、裁判所におきまして、あらゆる努力に拮抗して基本的人権を擁護する今日におきまして、司法権の独立とは、すなわち多数党に対する障壁となし、
一般大衆の生存権を守るのが司法権の独立というふうに理解しなければならないと思うのであります。
この
意味におきまして、私どもは、司法権の独立ということこそ、真に民主政治をしてまつすぐに、有終の美をなさしむる大切なことだと考えるのでありまするが、さてこの見地から見ますると、増田官房長官の御意見に対しては、いささか遺憾なきを得ないのであります。増田官房長官は、この
国鉄裁定が発表せられますつると、裁判所が
政府に介入したのはおもしろくない、不都合だというような御意見を発表された。かようなこと、及び昨日は次官
会議とやらを催されまして、この次官
会議においても、この裁判に対して非難をされておる。しかし、ある個人あるいは学者、かような者が判決に対して批評いたしますることは、言論の自由でさしつかえないのでありまするけれども、一国の行政
機関、相当高位の行政
機関が、この判決に対して非難がましい非難をするということは、司法権の独立を脅かすものであります。
過ぐる日、
国会の
参議院の法務
委員会におきましては、浦和充子事件なるものがありました。この裁判に対しまして、法務
委員会が、国政調査権によりまして、この裁判を調査いたしました。批評いたしました。そういたしますると、学者あるいは法を守らんとするところ弁護士会その他の專門家、憂国の志士は、この法務
委員会が判決の批評をみだりにやることは司法権の独立に悪
影響を及ぼす、一私人が、一学者が、その学問的見地から発表することはさしつかえないのでありますが、一国のいわゆる国家
機関が、公然と判決に対して非難を浴びせるということは、司法権の独立に與える
影響はおもしろくない、かようなことで、ごうごうたる輿論に相な
つて来ておるのであります。そういう見地からいたしましえ、この
政府の大官である増田さん——あるいは次官
会議において、かような意見を発表なさる、ただ上訴するということならばさしつかえないのでありますが、
政府に介入するなんてけしからぬとか何とかいうところの批評をなさるということは、これが上訴されるなら、なおさらであります。上訴判決の裁判官が、いかなる行政権その他の努力にも独立して、独自の良心によ
つて判決しようとすることの妨げになる。かようなことはお慎みあ
つてしかるべきだと思うのでありますが、増田官房長官は、かような行動でもさしつかえない、行政権がみだりに判決の
内容を批評してもさしつかえないという御見解であるかどうかを承りたいのであります。
なお、きようは総理がおいでになりませんし、増田さんはなかなか法律通でいらつしやるようでありますから御
質疑申し上げるのでありますが、ただいま申し上げましたように、仮処分の判決というものは停止決定ができないのでありまして、上訴の判決においてこれをくつがえす以外に方法はない。しからば、この上訴をなさ
つても、この東京
地方裁判所の判決というものは今生きておるのであるからして、これに服従するとうことが判決を尊重するゆえんになると思うのでありまするが、上訴さえしておけば、かようなことに服従させないでもよろしいか。これは
政府よりも公社でありまするけれども、公社と
政府は一体をなしておりまするから、
政府の見解を聞きたいのでありますが、真に判決を尊重するならば、今現に生きておるこの判決を尊重なさる御意志がないのであるか。上訴されても決してこの判決は効力を停止されないということを頭に置いて御
答弁願いたいのであります。
それからなお公共企業体仲裁
委員会の性格でありまするが、この性格につきましては、判決文におきまして、実にりつぱな見解をと
つておるのであります。増田官房長官も、この判決の
内容をごらんに
なつたと思うのでありまして、私は、これに御意見があるかどうかを承りたいのであります。判決文には、かようにな
つております。仲裁
委員会による仲裁の制度は、公共の福祉のため、申請人の職員から争議権を奪つた代償として、その争議権並びに生存権を保障するための制度として設けられたものである、こういうところの仲裁
委員会の性格につきまして、増田官房長官は、この判決と異
なつた御意見があるのであるかないのであるか、承りたいと思うのであります。
すべて近ごろは、調停手続あるいは仲裁手続というものが進歩発達して参りまして、封建的な普通の裁判所の判決にかえまして、借地借家調停法、あるいは金銭債務調停法、そういう調停制度が発達して、判決にかわるところの調停裁判というものをや
つておるのであります。それと同じ
趣旨に基きまして、公共企業体の調停制度というものができ、仲裁
委員会というものができておるのであります。これは
政府あるいは公社、労働組合、そのいずれもの上に立
つて判断を下すものでなければならぬのであります。かような制度でありまするゆえに、この仲裁裁定の効力というものは、判決と同じところの効力、最高裁判所の判決と同じ効力を持たせたければならない。
これは区裁判所におきますところの調停手続においても、皆さん御存じの通り調書というものができますが、和解ができますれば、これは最高裁判所の判決と同じ効力がありまして、その和解調書に盛られた條項を不履行いたしますと、ただちに強制執行権が発生することに相な
つておる。これに対しては動かすことはできないのであります。調停手続におきまして、すでにこれだけの判決と同じ効力を與えている以上は、この公共企業体仲裁
委員会におきまする仲裁裁定というものに対して、これが
国会の承認とか不承認とかいうものによ
つて効力が消滅するとか発生するとかいうような議論は、この公労法の根本精神をはき違え、仲裁
委員会の制度の根本精神をおはき違えにな
つているのじやないかと思うのでありますので、あえて御質問申し上げる次第であります。
なお池田大蔵大臣に御質問申し上げるのであります。この仲裁裁定におきましては、判決文におきまして、三億二百四十三万七千円を即時
支拂えというところの判決に相な
つておるのでありますが、この金を公社をして
支拂わしめる
意思がありますか、ありませんか。また、目下国鉄労組におきましては
団体交渉を申し入れておるのでありまするが、公社の方では何ら応せざるがごとく選延いたしておるりであります。
政府が真に判決を重んじまするならば、公社をしてすみやかに
団体交渉に移らしめ、そして裁判所の判決に示されましたところの
金額だけでもすみやかに拂うことによりまして紛争を根本的に根絶する。そうして忌まわしい事件が起らぬように——あるいはストライキ、ゼネスト、場合によりましては東京駅の売上金を差押えをする、あるいは加賀山総帥のいす、テーブルから、部屋から、みな押えてしまうというようなことが起りますことは、はなはだ感心しないのでありまして、さようなことを起さぬように、池田大蔵大臣は特別の御配慮をなさる御
意思があるかないか。
なお大蔵大臣にお聞きしたいことは、この既定
予算の中の流用、移用、あるいは
予算費の支出というようなことは、大蔵大臣の承認によ
つてできることである。職員の給與は、
予算上、目というところに数えられておりますから、給與の改善が起ります場合には、必ずやこの
予算の流用とか、予備費の使用というものをしなければ待遇の改善はできないりくつにな
つております。しかるに、大蔵大臣がこれに承認を與えないと、これができないということに相なりまするならば、それこそ、この判決書がうた
つておりまする通り、大蔵大臣の頭一つで、この
予算上あるいは資金上可能か不可能かという問題が決定せられる、それによ
つて仲裁裁定の効力が発生したり発生しなかつたりするというようなことに相なりまして、これはまことに本末転倒の、ばかばかしい議論だと思うのであります。
私どもは、この
意味におきまして、この
予算費目の流用問題の裁量は、これは自由裁量ではない、大体
一般においては自由裁量でありましようが、この仲裁裁定にこたえるべき費目の流用をやること、予備費の支出をやることは、これは大蔵大臣あるいは内閣におきましての自由裁量を許されているものではなくして、法規裁量として、まさに公労法の精神に従いまして、すみやかに紛糾を解決する
方針のもとに、この承認を與えるべきが至当でありまして、もし大蔵大臣の頭によ
つてどうにもできる自由裁量だということになりますと、仲裁
委員会の仲裁の効力なんというものは、みなへのかつぱで飛んでしまうのであります。かような解釈が許されるということは、公労法それ自体の自滅をはかる理論でありまして、われわれは、とうてい承服することはできないのであります。
なおまた一九四八年七月二十二日の連合軍最高司令官の書簡、他の
一般公職に與えられたる保護にかえて調停、仲裁の制度を設けなければならないという書簡が総理大臣に送られているのでありますが、この最高司令官の書簡の精神にも違反するのでありまして、この大蔵大臣の、いわゆる費目の流用の裁定に、自由裁量ではなくて法規裁量だと思うのでありますが、大蔵大臣の所信はどうでありますか、その点を承りたいと思うのであります。
なお労働大臣にお尋ねいたしますることに、この公労法の第一條二項によりますならば、経済的紛争をできるだけ防止し、且つ、主張の不一致を友好的に調整するために、最大限の努力を盡さなければならない。」と書いてありますが、一体労働大臣は、
関係者の一人として、いかなる努力をなさ
つたのであるか。大蔵大臣や、あるいは増田官房長官あたりに、あごで使われておつたようなとはないのであるか。労働者の監督官庁として、どの程度一体法律の精神に従つた御努力をなさ
つたのであるか。今までしなかつたならば、それでも仕方がありませんが、こういう判決が出て、あなたの立場には百万の味方ができたのでありますから、今度こそ、この判決の
趣旨に
従つて、ただちに三億何千というものは
支拂い、なお
予算ができました際には次の二十六億というものを
支拂うように労働大臣は御努力なさる
意思があるかないかをお尋ねいたしまして、私の質問を終ります。
〔国務大臣増田甲子七君
登壇〕