○北村徳太郎君
吉田首相の
施政方針
演説に対しましては、世間にすでに相当の反響があ
つたのでございますが、これを要約いたしますと、あまりにも手放しの
楽観論にのけぞ
つている、足元の現実を知らな過ぎるという一言に盡きるのであります。しかし、私がこの
吉田首相の
施政方針
演説及びこれまでの
首相の
政治活動によ
つて知り得ましたことは、
吉田首相に
世界的な歴史感覚、現実感覚の欠如しているということ、(
拍手)そうしてまた、一貫した自主的な
政治的
信念と、高邁な
理想の片鱗さえもうかがい得ないということであります。これは
国民にと
つてまことに不幸なる事実と申さなければなりません。私は、以下基本的な二、三の点に関しまして、きわめて簡單に
首相に
質疑をいたしたい。従
つて、他の
大臣諸君の御答弁には及ばないのであります。(「なまいきなことを言うな」と呼び、その他発言する者あり)
第一は、
日本経済自立のための諸
施策についてでございます。吉田氏の率いる
民自党の絶対多数をバツクとする現内閣は、すでに昨年十一月、本議場において、
日本経済は安定したと放言されておる。しかし、今
池田大蔵大臣は、社会
保障の問題となると、
経済が安定したらば考えてみよう、こう言うのでありまして、早くもここに
矛盾を見るのであります。(
拍手)しかるにまた、一昨日のこの議場において、
吉田首相は、やはりこのことを繰返して放言されているのであります。
昭和十四年度のドツジ
予算の強行によりまして、
日本経済は
デフレ化への衝撃の第一の波に襲われている。今日また、さらに新たなる
デフレの第二の波が襲い来らんとしているのであります。この現実を前にして、今の
日本経済は安定したと、手放しに
楽観するに
至つては、これこそまさに、
民自党及び
政府は、絶対多数という安易な座ぶとんの上にあぐらをかいて、足元の
国民経済の実相を直視する勇気と良心を欠いたものと断ぜざるを得ないのであります。(
拍手、発言する者あり)しかも、そもそも
政府の財政
政策の
基調をなすドツジ・ラインなるものは、その文事
通り、
吉田内閣自らの手によ
つてできたものではございません。ドツジさんがわざわざや
つて来て、ドツジ氏自身でつく
つたものである。われわれは、もとより、このドツジさんのおかげで
インフレに終止符が打たれたこの事実は認め、その功績を謝するにやぶさかではないが、
吉田首相がみずから自主的にこの道を切り開いたものでないことは、きわめて明白であります。(「それならなぜ反対するか」と呼び、その他発言する者あり、
拍手)
しかも、今日
国民経済が、か
つてない萎縮と破壊に直面し、税金の滞納、不渡手形の増加、
滯貨の激増、元値を割る投売りダンピング、
失業者の激増、深刻なる金詰まり、破産等々
デフレの深化と不景気の大波は、企業も家計も破滅に追い落さんとしているのであります。しかも、すでに、さらに新たなる税金攻勢は今から始められようとしておる。これがデイス
インフレであるとかないとかいう言葉のせんさくではありません。まさに
デフレ強化の不景気であるというこの事実は、何人も否定することができないのであります。私は、これらの不幸にしてしかも深刻な
国民経済の上に現われているところのもろもろの
現象の
責任は、一切当然
吉田内閣が負うべきものであると信ずるのであります。また、それは当然のことである。
今日、この国内の
政治責任の所在が、現
政府の
自主性のない
施策によ
つて、ま
つたく不明確であることは、
国民にと
つて迷惑千万であるというよりも、むしろ痛恨事といわなければなりません。減税はシヤウプさんに、金詰まりはドツジさんにと、重要問題はすべてその
責任を転嫁し、さしもの絶対多数も今や何らの力も持たないことを、みずから裏書きするような印象を
国民に與えておるのである。
講和間近しというこの際、
国民の自主独立の気魂を失わしめ、目標のないその日暮しを余儀なくせしめる、まことに不幸な事実といわなければならないのであります。
われわれは、もとより敗戰
国民として、また占領下に置かれている者として制約の多いことは十分承知しておる。しかしながら、それでもなお、そのわく内において、われわれが
日本人として、その自覚と感覚と良識とに基いて自主的に処理すべき道は開かれていると信じるのでおります。一も二もなく
関係方面の意見をうのみにして、むしろこれに便乗し、
責任を他に転嫁せんとするがごとき、卑屈な、
自主性のない
政治方式は、
国民の名誉のために一刻もすやかに拂拭せられ、自主的に占領
政策に協力する誇りを回復することが、
日本独立のために何よりも緊要なる根本要件であるのであります。(
拍手)占領下にあるとはいえ、政党
政治が現に行われている今日、
政治的
責任の所在を明確にすることは、民主
政治を
確立するための根本要件であります。そこで、占領
政策と国内
政治自主性の
世界を
国民の前にこの際明確にすることが必要であると信ずるのであります。この点に関し、まず
吉田首相の
所信を承りたいのであります。
民自党の一枚看板が
自由経済主義であることは世間周知の
通りであります。また青木
安本長官が、本議場で、繰返し、
自由経済の
原則に従
つて自由
競争の範囲を
拡大するということを力説せられたのでありますが、
吉田首相は、現
政府に
自主性がないと私が申したことに対して、現
政府の
自主性はこの
自由経済を実行しておるところにあると、おそらくはおうむ返しに答弁せられるでありましよう。事実、今日統制は次々撤廃され、自由
競争は次第に激化の度を加えつつある。はたして、一昨年の
選挙で、
自由経済の公約につられて
民自党に投票した全國多数の
選挙民が、この
自由経済の
実現によ
つて満足し、幸福に
なつたであろうかどうか。その結果はま
つたく逆であることは、
諸君の御承知の
通りである。(
拍手)
そもそも現内閣の財政
政策なるものは貨幣的安定
政策、すなわちモネタリ・スタビリゼーシヨンの
原則を單純に強行したにすぎない。それでありますから、ローガン構想による自由
貿易体制への復帰、あるいは超
均衡予算による
国家債務償還金をもってする金融機関のペーイング・ベーシスの上に立
つた投資を主軸とする資本蓄積、
投資の機構、さらに所得税の累進率を三十万円超五五%に打切ることによる高額所得層の租税負担の緩和、
かくして解放せられた
購買力が、少額所得者層に比べて消費性向が小さいと考えられる高額所得者層において自然的節約、蓄積が行われる、かようなシャウプ的蓄積方法等の展開によ
つて、今日
自由経済的傾向に拍車をかけつつあるのであります。この事実は、貨幣的安定さえ
実現すれば、その後は価格機構の自動的な調節によ
つて自然的成行きにまかせるという、一世紀前の教科書に書いてある古典的
資本主義の方法であります。
池田蔵相がいうところの、
経済の安定と復興とのたの
施策は、結局この貨幣的安定方策こそ唯一無二のものであり、
あとは
経済自然の成行きにまかせる、いなむしろまかせた方がよいと極論しておると見ても、あえてさしつかえないのであります
もとより私どもは、戰争中における官僚統制が
国民経済に惡影響を及ぼした事実を認めます。これを排除することに努力するものであります。また正常な
経済循環を
確立するためには、
競争の原理によ
つて経済的合理性を貫徹せしめることの必要であることを認める。しかしながら、今日
政府がと
つておるような手放しの自由放任によ
つて経済的合理性を貫徹せんといたしますならば、それは当然社会的合理性を
犠牲にせざるを得ない。この事実を忘れてはならないと思う。このことは理論問題ではなく、すでに
資本主義の最も惡い面として第一次
世界対戰を起した主要
原因であることは、何人も承知しておるところであります。それは遠い昔のことではない。今日この二十世紀の
日本において、光栄ある絶対多数をバツクに持つ
吉田内閣において、一世紀も前の方式がこのままとられておることは、いかに大保守党とは言え、まことに
世界の
現状を無視した、その時代遅れのはなはだしさに驚かざるを得ないのであります。(
拍手)
今日、この時代遅れの
自由経済方式によ
つて日本に何がもたらされておるか。イギリスには、ゆたかさの中の貧困という言葉がありますが、今日
日本は、むしろ貧困の中のゆたかさという逆の
現象を持
つておることを指摘しなければなりません。先ほど
池田君は、生産第一
主義、それを盛んに強調せられたけれども、その生産がいかなる方式によ
つて行われるかというところに問題があるのである。
基礎産業偏重と、
集中生産方式と、並びに金融偏傾等、その
経済的自由をして、その
経済的自由が万人のための自由でなくして、万人の自由たらしむべき努力も
計画もなくて、特定少数者の自由たらしめる結果を招いておる。大企業を擁護する、資本家だけをゆたかにしようとする、そういう本性を次第に暴露しつつある。一方においては、
中小企業、農漁民、
勤労者等、弱い者、乏しい者へしわを押しつけている。貧困なる者、弱い者の
犠牲において、ゆたかなる者を一層ゆたかならしめんとする、貧困の中のゆたかさという
現象に直面しているのであります。すなわち、資本家階級の階級的性格を露呈しているものと申さねばならないのであります。
私どもは、
かくのごとき特定階級のみに片寄る
自由経済主義が、結局資本の支配性、生産の無
政府性等より、周期的に恐慌循環の過程を繰返す今日までの経験に徴し、
資本主義計画経済の
確立こそ目下の
最大の必要條件であると主張するものであります。
今日、
産業政策と金融
政策とは、ま
つたくちぐはぐにな
つている。それから起
つているところのいろいろな
矛盾も、要するに一貫した総合
計画を欠いておることに
原因するのであります。弱い者いじめも、ここから発しておるのである。今日、古典的な
自由経済を金科玉條と信奉しておる無知を反省して、
競争の原理偏重を修正して
保障の原理を導入する、このことによ
つて財政
政策を包む総合的な
日本経済自立
計画を
確立することが焦眉の急務と言わなければなりません。
貧困の中のゆたかさという
矛盾を克服するためには、総合
計画を
確立せねばならない。統制のあつものに懲りて
計画のなますを吹くの愚を繰返してはならない。この際
政府は、一貫した総合
計画を立てることと、今後の
経済自立
計画の用意があるかどうか、この点を明らかにせられたいのであります。もしその用意がないならば、その理由を明らかにせられたいと思うのであります。
民自党が、その財政及び
経済政策において、資本家擁護的な、資本家階級的な性格をいよいよ露骨に現わし、
国民経済の
自主性を喪失しているとき、われわれは見のがすことのできない重大な問題を持
つておる。それは、去る一月八日、コミンフオルムが
日本共産党を米帝国
主義の召使だと批判したことによ
つて、
わが国極左
陣営の化けの皮がはぎとられ、その実相が、白日のもと、
国民の前に暴露されるに至
つたものであります。(
拍手)
かくて、遂に機会
主義、無
原則主義の上に立つ
日本共産党は、今やこのコミンフオルム批判の前に意気地なくも屈服して、スターリン
首相への奴隷の言葉をも
つて、ソ連に隷属することを明らかにしたのであります。この事実は、西欧においては
二つの
世界が一応のバランスを保つに至
つた今日、冷たい戰争が次第にアジアの岸に押し寄せて来たことを物語るものであります。東亜における二大勢力のバランス維持のために、コミンフオルムが、中共の進出と相ま
つて、アジアに対する積極的な関心を示すとともに、その進出をはからんとする意図を明確にしたものとして、
世界注視の重大事件であります。一方、このことによ
つて、
日本共産党は、
日本人に愛せられる共産党から、急転直下スターリンに愛せられる共産党に変貌し、(笑声)国際共産党の一環として、完全にクレムリンの召使と
なつたことは、今やおおうべからざる事実と言わなければなりません。
かくて、今日まで人民大衆の名によ
つて人民大衆を欺瞞して来たところの一切の仮面を脱ぎ捨てて、その本来の非合法性、その非合法的、暴力的性格を暴露して来たのであります。
しかし、私の言いたいのは、
民自党並びに現内閣が、先に申した
通り、自由放任
主義を金科玉條と心得、その資本家的階級性を露骨にし、弱い者いじめをすればするほど、それは結局極左階級政党跳梁の思うつぼであるのであります。ここに、はしなくも、左右の
二つの
世界の冷たい戰争をこの
日本にも持ち来す結果を招来する危険が多分にあることを警告したいのであります。(
拍手)
しかも、かかる
政治的
危機にはほおかむりをして、識者をして翼賛
政治復活を夢みるのではないかと疑わしめるような保守合同を呼号し、しかもワン・マン吉田翁の独裁力をも
つてしても遂に一人の犬養氏さえも救い得ないという絶対多数党内の醜状を天下に暴露しながら、気ままな
首相の、保守合同はもういやに
なつたという鶴の一声で一時を糊塗して、表面の平和を保
つているのが、
民自党の
現状である。
かくのごとき状態をも
つてして、なおあえて
吉田首相は、国内の政情は安定したと言われるのであるか。ことに
日本共産党の戰術転換に対して、
吉田首相はいかなる用意と
対策があるのであるか。また、
日本共産党の向ソ一辺倒、すなわちソ連依存に対抗して、
吉田首相の民事党は、向米一辺倒、すなわち
アメリカ一国依存をも
つて進まんとするのであるか。もし、
かくのごとくなるならば、
日本民族は、互いに、血で血を洗う、最も恐るべき事態に立ち至らないと、一体だれが保証するでありましようか。われわれは、あくまで
日本民族の独自の主体性を堅持し、いかなる他国にも隷属することなく、わが民族の誇りを高く持して、苦難に満ちた道を切開いて行くことを念願しておりますが、
吉田首相の以上の諸点に関する
所見を私は
伺いたいのであります。
最後に、
講和開議の問題についてであります。これについては三宅君もお尋ねにな
つたのでありますが、簡單に二、三の点を申し上げたい。コロンボ
会議、あるいは近く開かれると聞くバンコツク
会議において対日
講和條約の草案が議せられるということを聞きまして、これは私ども
日本国民の喜びにたえないところであります。しかも一方、
世界の政局の舞台の焦点は、今やアジアに向けられている。
アメリカのマーシヤル・プランによる西欧諸国の復興の達成により、欧州市場は一応片がついた。アジア未開発地が今後マーケツトとして残され、今後アジア未開発地開発
計画がアジア・マーシヤル・プランとして展開されようとしておるのでありますが、特に東南アジアの政情の緊迫化に伴いまして、米ソ勢力の均衡点が次第に
わが国の周辺に接近しつつおる、きわめて複雑微妙な段階に立ち
至つておるのであります。また英国の中共承認、いわゆる北京事件等によりまして、われわれの待望してやまない
講和会議が、予期に反して遅れるのではないかとされるに
至つておるのでございます。
かくのごとき複雑な国際情勢に基いて、
吉田首相は、
全面講和は一に国際の客観情勢によることで、この客観情勢は、
わが国の
現状においては、いかんともできがたいことである、と述べられたのでありますが、この一見きわめて慎重に見える言葉の背後に、われわれの見のがすことのできない事実が二点ここに明らかにな
つたのであります。それは、客観情勢に藉口して、
單独講和もまたやむなしとの底意をその裏に隠しておるのではないかという点、また
講和に関しては、しろうとは黙
つておれ、外交のくろうとに任しておけとい
つた、いわゆる問答無用流の、秘密外交的な外務官僚の独善がひそんでいるという点であります。
講和の形式が、勢い
講和の内容に、ひいては
講和後の
日本の国際体制、さらには将来の
日本の基本的性格に、生か死かの重大影響を及ぼすことを、われわれは十分に自覚しなければなりません。
日本国民の
立場から、いわゆる
單独講和を主張するような筋合いは寸毫もないはずであります。もとより、敗戰
国民であるわれわれが勝手な主張をすることは慎まねばなりません。しかし、
ポツダム宣言によ
つてしかれた基本的軌道を踏みはずすことなく、良識と節度とをも
つて、極東委員会の承認した
憲法に掲げる
理想に基いて
日本人としての希望を表明することは、決して無條件降伏という嚴粛な事実と抵触するものではありません。敗戰
国民としての節度を踏みはずすものでも断じてないのでございます。もちろん、領土の問題、賠償問題、
講和後に認められるべき
産業水準の問題等も、
日本にと
つてきわめて重要な問題であるには違いございませんが、われわれが
最後の一線として主張しなければならないのは、
日本の基本的性格の保持という一点であります。これこそ何をおいてもかけがえのない、重要な、本質的な問題であります。
日本の基本的性格は、わが
憲法において明らかにせられている、
平和主義の根本理念に徹することである。
わが国が今日当面する国際情勢の晴雨計は、
世界政治の気圧の配置に応じて、どのように変化しようとも、この
平和主義に一貫する
わが国の基本的性格こそは、
最後まで守り貫かねばならぬ不動の
理想でなければならないのであります。(
拍手)この
理想は、決して
單独講和によ
つて達成されるものではないのであります。
首相は、これらの点について、どうお考えにな
つているか。
平和主義に一貫する
わが国の基本的性格は、
憲法に明らかであるごとく、無武装、戰争放棄ということである。欧州もアジアも、冷たい戰争の余波を食
つて分裂していることは事実でありますが、これが第三次
世界大戦をもたらすとは思わないし、また起さしめてはならないが、しかし、万一最悪の事態が起
つた場合、
日本は一体いかなる
立場をとらんとするのであるか。この場合も、
吉田首相は、あえて客観情勢のおもむくままにと考えておられるのであるかどうか。最悪の事態が起
つた場合、
日本のとるべき行動は、ただ
一つしかないと信ずる。それは、いかなる戰争であ
つても、
日本はその局外に立ち、嚴正
中立を守
つて、参戰すべきではないということであります。
このことは、ひとり
日本の基本的性格を守るというだけにとどまらず、この
日本の
中立態勢を守ることが、米ソ両国にと
つて何らの支障もないはずである。米ソ両国間にいかなる他の問題がかか
つているにせよ、われわれのこの主張は、両国の利害の問題には何ら
関係がないと信ずるのであります。のみならず、極東における両国の
関係は、
日本が
中立態勢に入ることによ
つてのみ、初めて
一つの安定をもたらし得ると信ずるのであります。
ヒユーマニズムに立脚した人間尊嚴の
立場から、双方に原子兵器を保持するに至
つた二大
国家に対して、一切敵を持たざることを決意した
日本民族の真意と願望とを、
吉田首相は、
国民を代表して、
世界の良心と良識に向
つて訴える勇気と用意があるかどうか。(
拍手)しかも、このことは、
日本国民の
世界人としての
義務でもあると確信するのであるが、
二つの
世界の対立が、原子破壊力によ
つて、生か死かの脅威を人類に投げかけている今日、いずれの
陣営にも隷属・依存せず、むしろ
二つの
世界の協調と提携を求め訴え、
一つの
世界の平和を打ち立てるために、
日本国民の総意を、この際
吉田首相は
世界に向
つて衷心から訴えていただきたいのであります。
かくの如き
国民の総意が
世界人の良識と良心を動かすならば、必ずや協調と信義と愛とに基く国際的
保障が
日本に與えられると確信するのであります。(
拍手)
吉田首相は、戰争放棄の趣旨に徹することは
自衛権の放棄を意味するものではないと言われたのでありますが、その内容と方法については一言も触れておられないのであります。われわれは、以上の観点から、自己を防衛するための
最後の武器は、人間の自由と尊嚴に対する信頼以外にはないと確信する。しかも、これこそ
世界の全異民族を有効に結びつける帶であると思うのであります。
吉田首相の言われる
自衛権の内容、またその方法、この際明らかにせられたいと思います。
さきにアチソン長官が、米国の安全
保障上の利益、全太平洋地域の安全
保障上の利益のためばかりでなく、
日本の安全
保障上の利益のためにも、
アメリカは
日本の防衛を引受ける、と述べられたのであるが、この声明に関し、
日本本土に軍事基地を提供することの臆説が伝わ
つたのであります。
かくのごときことは、
日本人の気持として、またわれわれが守らんとする
日本の基本的性格からいたしましても受取りがたいものでありまするが、これらの点について、
自衛権の
関係について
所信を
伺いたいと思うのであります。(
拍手)
最後に一言したいことは、不可能であるということと困難であるということは同一ではないということである。今日
講和に関し、この困難を不可能と混同し、利害打算の上から安易な現実論が横行しておるのでありますが、
政府に一貫した
信念と
理想のないことは、一に
国民をして帰一するところを知らしめないいろいろな論議が横行する
原因とな
つておると思うのであります。不可能を可能にすることはできないにしても、困難を克服することはできるはずである。この苦難の道こそ、あえてわれわれが選びとらんとする
日本民族独立の道である。
吉田首相は、どうか
日本国民のために、この観点から、情念と勇気とをも
つて、以上の私の
質疑に答えられんことを望みます。
以上をも
つて私の
質疑を終りたいと思います。(
拍手)
〔
国務大臣吉田茂君登壇〕