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1949-12-24 第7回国会 衆議院 本会議 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    昭和二十四年十二月二十四日(土曜日)  議事日程 第八号     午後一時開議  第一 公共企業体労働関係法第十六條第二項の規定に基き、国会議決を求めるの件(参議院回付)  第二 考査特別委員会における調査報告  第三 自由討議(前会の続)     ————————————— ●本日の会議に付した事件  日程第一 公共企業体労働関係法  第十六條二項の規定に基き、国会議決を求めるの件(参議院回付)  両院協議会を求めるの件(議長発議)  地方行政調査委員会委員任命につき、同意を求めるの件  地方自治委員任命につき同意を求めるの件  日程第二 考査委員会における調査報告     午後七時二十九分開義
  2. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) これより会議を開きます。      ————◇—————
  3. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 日程第一、参議院から回付された公共企業体労働関係法第十六條第二項の規定に基き、国会議決を求めるの件を議題といたします。     —————————————
  4. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 本件につき発言の通告があります。これを許します。倉石忠敏君。
  5. 倉石忠敏

    倉石忠敏君 民主自由党におきましては、参議院より回付せられましたる本条に対して同意せざることに決定いたしました。
  6. 幣原喜重郎

  7. 淺沼稻次郎

    淺沼稻次郎君 ただいま議題となりました公共企業体労働関係法第十六條第二項の規定に基き、国会議決を求めるの件、参議院よりの回付案に対し、社会党態度を表明いたします。  わが党は、本件に関しては、衆議院意思決定にあたりまして、公企業体仲裁委員会決定に基き、その全額を支給すべしと主張したのであります。じかるに、政府與党は、公共企業体仲裁委員会裁定中、十五億五百万円以内の支出を除き、残余は承認しないことに、多数をもつて決定いたしました。多数決はデモクラシーの原則でありますから、これは尊重しなければなりません、しかし、相手方を納得せしめず、倫理性を内包しないものは、ほんとう意味における多数決というわけには参らぬと思うのであります。(拍手)しかるに、この衆議院におけるところの取扱いが、参議院において「本院においては公共金業体仲裁委員会裁定第二項に関しては十五億五百万円以内の支出を除き、残余昭和二十五年一月一日以降日本国有鉄道予算上、資金上及び独立採算支出可能となつたとき速やかにこれを支給すべきもの」と議決せしめたといつても過言ではありません。  わが党は、参議院議決はわが党の主張に一歩近づいたものであり、さらには政府は、国会意思決定せざるゆえをもつて裁定に基く債務を負うまいとする隠謀があります。この隠謀を粉砕する意味合いからいたしましても、参議院議決に同調すべしと主張するものであります。(拍手)  以上、わが党の意思を表明するものであります。(拍手
  8. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 園田直君。
  9. 園田直

    園田直君 民主野党派は、ただいま上程されましたる公共企業体労働関係法第十六條第二項の規定に基き、国会議決を求めるの件については、社会党と同じく、当初より予算措置を講じて国会に提出すべしと要求したにもかかわらず、政府は当初より法律的解釈を誤り、多数の力をもつて‥‥(発言する者多く、聴取不能)その後、この法律案取扱いについては、政府意思を‥‥二つ三つ‥‥(発言する者多く、聴取不能)態度は、三つ四つ過失過失を重ね、遂に参議院においては回付案の送付に至らしめ、この回付案取扱いについても、運営委員会その他において、理論的に各党より論駁し、與党においては一言の反駁もなかつたにもかかわらず、最後に至りて、当初の過失を反省し改むるの体もなく、国会において多数の横暴をもつてこれを押えんとするこの民主自由党の迫害と政府法律取扱いについては、断じて反対するものであります。  参議院において修正されたこの案は、わが党の当初より主張したる意見に近いものでありますので、本案同意をいたします。(拍手
  10. 幣原喜重郎

  11. 神山茂夫

    神山茂夫君 ただいまの件につきまして、共産党は社会党及び民主野党派と同調するものであります。(拍手)その理由については、いまさらくどくどしく申し述べる必要もありません。  そもそも当初から、政府側は、自分でつくつた法律である公共企業体労働関係法を無視してその裁定内容を一部実施するという形において国鉄五十万の労働者をだまそうとする意図を持つていたのであります。(拍手従つて、われわれが当初から要求しましたところの、本院で取扱うべきものは予算的措置を伴う、この点占だけでありますということを強調したにもかかわらず、裁定書全体を出して来たり、あるいはこれを後になつて訂正したり、さらには、初めは何らの予算的措置を伴わず、全面的に不承認を言いながら、後には、十五億五百万円という、はした金、すずめの涙ほどの金を出しておる。この点だけを承認して‥‥(発言する者多く、聴取不能)まつたく恥知らずのことをやつて来たのであります。(拍手)  われわれとしては、手続上、今園田議員から言われましたように、そもそもの初め議案を出して来たときに、不法である、一方的行為をやつておる、これを内容そのものにおいて修正しておきながら訂正するというような、無理、無謀、むちやなことをやつておる、これを民主自由党諸君は絶対多数の威力をかつてつておる、まつたくむちやくちの、多数決の名によつてやる横暴政治といわざるを得ない。(拍手従つて、これを参議院に送付して、参議院が、これに対して、まつたく内合を異にする意思決定をしますや、あわてふためいて、今朝以来ただいままで開議するに至らない醜態を演じたのであります。しかも、この責任は、ことごとく政府と異常にあるということを、われわれは強調せざるを得ない。  われわれとしては、初めから主張しておりまするように、仲裁委員会裁定そのものでも、国鉄労働者諸君の今日の生活の窮状を救うには十分ではない。しかし十分ではないが、せめてこの裁定だけは、ほんとう意味で尊重したい。民主自由党諸君決議をして曰く、裁定趣旨を尊重する、諸君はそう言つたじやないか。しかるに、その決議を尊重したのが、たつた三千一円だつた。こういうことに対して、民主自由党まで含めて、参議院におきましては、全会一致裁定精神を尊重し、一月一日以降においてはこの金額を支給するように、というような意思決定をしたことは、われわれとしては、まだ不満ではあるにしましても、労働者諸君の当面の生活を何とか少しでも助けるということで、われわれは心から賛成せざるを得ない。(拍手)  しかるにもかかわらず、この問題をめぐつて民主自由党諸君がとられたこの態度は、第一に、労働者諸君生活の窮乏を無視して、しかも、完全に三千一円というはした金でごまかそうとしている。さらに、かてて加えて、この件において国会法、無視しているのは、まつた民主自由党である。しかも、政治の次から次へとたび重なる不法行為を、気の毒なことに、與党諸君は、これを、うしろからしり押しておる。  しかしながら、民主自由党諸君のまつたくお気の毒な状態状態としてわれわれとしては、この参議院決定を尊重して、そうして全会一致——民生自由党諸君も、これを尊重するという決議をやつているのでありますから、必ずやこれに賛成されるということを期待して、われわれの意思表明を終わるものであります。(拍手
  12. 幣原喜重郎

  13. 寺本齋

    寺本齋君 わが党におきましては、先般本案が本議場において審議の際に討論いたしましたような理由によりまして、本日の本回付案には不同意を表明するものであります。(拍手
  14. 幣原喜重郎

  15. 石田一松

    石田一松君 新政治協議会は、ただいま議題となつておりますところの、参議院回付案と称しておる、回付案ならざる、多数によつて回付案と強引にされた、いわゆる公共企業体労働関係法第十六條第二項の規定に基き、国会議決を求めるの件という参議院回付案に対して同意する意思申し上げるものであります。(拍手)  すなわち、その理由といたしましては、他の議員諸君より、るる説明がありました通り、われわれも当初より、本案には、政府予算的措置を講じて国会に承認を求むベきものであると主張したのであります。にもかかわらず、政府は、あくまでも強引に、自己の有利にのみあらゆる法律解釈し、しかもこの段階において国会法第八十三條の解釈至つては、支離減裂であるということであります。  しかも、聞くところによると、ただいま参議院運営委員会において、増田官房長官は、遂にかぶとを脱いで、自分の今までの法律解釈間違つていた、政活的責任を感ずると言つて、頭を下げたということであります。(拍手)この事実を見ましても、いかに政府が今回の国鉄裁定に関して強引に一方的な措置をとろうとしたかということが明らかであると思うのであります。(拍手)  かかる観点に立ちまして、私たちは、参議院から回付されましたいわゆる回付案に対して全面的に同意を表するものであります。(拍手
  16. 幣原喜重郎

  17. 中野四郎

    中野四郎君 率直に意見を述べますと、農民協同党は、参議院回付案を支持し、これを承認いたします。
  18. 幣原喜重郎

  19. 石野久男

    石野久男君 わが党は、さきに本件が本院に上程されたときと反対したその趣旨に基きまして、政府がこの案件を付議しました行為がすでに法的に誤つておるということを指摘しておつたのであります。このことは、すでに参考人としての未弘博士の言をもつてしても、明らかに政府がその措置を誤つておるということを明言しておるのであります。えの後参議院におきまして本伴に対するところの本院の決議趣旨とは反対な内容をもつて議決されておるのであります。われわれは、この参議院回付案としてまわされたということについての上程の手続に対して、民主自由党のとつておるところの多数横暴に対しては、絶対これに反対するものであります。同時に、私たちは、労働者のもつ法的な主張——あくまでも国民の一人として、また労働運動将来の姿を拡張する意味において、徹底的に政府の野望をくじかなければならぬ、こいうふうに考えております。  参議院から回付された案の内容に対しましては、党は全面的に賛成するものでのります。
  20. 幣原喜重郎

  21. 佐竹晴記

    佐竹晴記君 私は、社会革新党を代表いたしまして、ただいま議題になつておる参議院回付案については、議案取扱いについて意見を有するものでありますが、これを省略し、結論において参議院議決に賛意を表するものであります。
  22. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 採決いたします。本件参議院議決同意諸君起立を求めます。     〔賛成者起立
  23. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 起立少数つて参議院議決同意せざることに決しました。      ————◇—————
  24. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) ついては、両院協議会を求めるやいなやをお諮りいたします。両院協議会を求めるに賛成諸君起立を求めます。     〔賛成者起立
  25. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 起立少数によつて両院協議会を求めざることに決しました。      ————◇—————
  26. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 内閣から、地方行政調査委員会議委員高橋誠一郎君、渡邉銕藏君杉村章三郎君、神戸正雄君、鵜澤總明君任命するため本院の同意を得たいとの申出がありました。右申出の通り同意與たる賛成諸君起立を求めます。     〔賛成者起立
  27. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 起立多数。よつて同意を與えるに決しました。      ————◇—————
  28. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 内閣から、地方自治委員会議委員齋藤邦雄君及び遠山信一郎君を任命するため本院の同意を得たいとの申出がありました。  本件につき採決いたします。まず、齋藤邦雄君の任命につき同意を與えるに賛成諸君起立を求めます。     〔賛成者起立
  29. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 起立多数。よつて同意を與えるに決しました。  次に、遠山信一郎君の任命につき同意を與えるに賛成諸君起立を求めます。     〔賛成者起立
  30. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 起立多数。よつて同意を與えるに決しました。      ————◇—————
  31. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 日程第二、考査特別委員会における調査報告を求めます。考査特別委員長鍛冶良作君。     〔鍛冶良作君登壇〕
  32. 鍛冶良作

    鍛冶良作君 永井隆君表彰の件につきましては、本年四月二十一日に、当時の委員小川半次君から、本委員会に対しまして、長崎医科大学教授永井隆君の放射線医学研究者としての真摯な態度、その犠牲者及び科学者としての崇高なる人格は当然表彰すべきものである、なお同君の「こり子を残して」その他の著述は社会教育上大きな貢献をなしたと思うので、以上の点を調査の上表彰されたいという意味の要求が提出されたのでありますが、この提案では、永井隆君の業績は、学問的の功績よりも、放射線医学研究者としての真摯な態度、崇高な人格著書社会教育上の貢献等が問題とされているのであります。  それで、本件は、四月二十七日の理事会協議によりまして、調査部基礎調査をさせまして、その調査も一段落いたしましたので、九月十二日の委員会において討論採決の結果、調査することに決定いたしました。よつて、十二月一日の委員会において、厚生省兒童局長小島徳雄樋君、東京大学文字部講師中島健蔵君、元九州大学医学部助教授石川敏雄君の三名を参考人として意見を聽取し、また調査部調査員を現地の長崎市に派遣して資料を整え、ついで十二月十五日の委員会において、カトリツク教神父田川房太郎君を参考人として意見を聽取し、さらに各種の参考資料によりまして本件調査を終了いたしましたから、ここに、その結果を御報告申し上げるものであります。  永井隆君は、島根県出身で、明治四十一年二月三日生れ、当年四十二歳であります。松江高等学校を経て、昭和七年韮崎N科大ネを卒業すしと、ただちに同大学物理的療法科に入り、ここに生涯の専攻科目とした放射線医学研究生活が始まつたのでありまするが、昭和十三年に講師となり、同十五年に助教授となり、同十九年に医学博士学位を授與せられ、同二十一年長崎医科大学教授となり、同二十三年八月、病気のため休職となつておらります。その間、昭和八年より同九年にかけて、満州事変陸軍医官として従軍し、同十二年より同十五年にかけて、同じく日華事変に従軍いたしております。  なお同博士著書は、昭和二十二年十二月「世界と肉体とスミス神父」なる翻訳書を発行したのを初めとし、同二十三年六月より同二十四年九月までの間に、「長崎の鐘」、「この子を残して」「ロザリオの鎖」等九部の著書を発刊し、その総部数数十万に達し、いずれもわが国のベスト・セラーとなつておりますが、中にも「この子を残して」の発行部数は三十万に及び、兒童福祉に関し優秀にして顕著なる貢献ありたるものとして、厚生大臣より表彰せられております。  永井君は、医学者として、着実で非常にまじめな人物でありまして、放射線医学は、臨床医学に属しながら、物理学ないし工学とも関係のある、じみちな学門であり、その適任者であつたとのことであります。  永井君はみずから、研究生活を、真に意義があつて楽しかつた言つておりまするが、これは科学の殉教者とたたえられるホルツク・ネヒト教授先輩たち、多くの犠牲者に喜んで続こうとする崇高なる人格科学者であることは、そのおい立ちや、その人となり等からも考えてみて首肯できることであります。  永井君が昭和八年から同十六年までの間に発表した論文はたくさんありますが、主たるものに「レントゲン廻折現象の利用による尿石微細構造研究」があります。この論文は、医学博士学位請求論文となつたのでありまするが、大学教授として、はずかしからぬ、りつぱな業績を残したものといわれております。さらに永井君は大いに研究しようとする意気込みでいたのでありまするが、戰争病気のため挫折いたしました。しかし、研究精神は常に旺盛であつたのでんります。しかして、大学仕事を誠実に果したばかりでなく、カトリツク信者となりまして、愛の事業をするセント・ヴインセンシオ・ア・パウロ会というのに加わり、農村・漁村を巡回して、貧しい病者に施僚をしたり、カトリツク教会慈善事業に携わつていいました。  永井君は、医学研究においては、医学は体験を基礎とする科学であるということ、生活においては必要にして十分なということを信条としていたのでありますが、カトリツク信仰が深まるにつれて、快活で、ひた向きな人格が鍛えられたようであります。  永井君は、昭和十五年、再度の従軍解除となりました。戰時下、助教授としての仕事は多忙をきわめ、レントゲン室で長時間を過すこともめにあまるほどでありましたが、民間防空救護の指導にも当り、負傷者を救うために大いにがんばりました。永井君も、何も知らないで戰争の渦中に巻き込まれた日本人の一人であります。戰争が始まつているからには負けたくはないといつてがんばり、仲間を励まして救護に当つていました。しかし、たくさんの死傷者の手当をしているうちに、だんだんと心がかわつて来たのであります。ここに、永井君が最初からの徹底平和主義者でなかつたと、とがめる人もありまするが、その前に、その素朴さを理解し、そして素朴さの変化したときの強さを知らなければならぬと思うのであります。長崎市の上空で炸裂した原子爆彈は、永井君の心をすつかりかえてしまつたのであります。戰争はいやだ、どんなにしてでも平和を保ち守らねば、と固く思うようになり、この心がいよいよ深まつて行つたことは、折々に出ましたその著書と、その言動によつて確信できるのであります。  永井君は、放射線医学研究を始めてから満十三年、戰時中のむりな勤務もたたつたのでありまして、昭和十九年ごろから健康をそこね、同二十年六月からは急に悪くなりました。病名は慢性骨髄性白血病で、これまで放射線職業病のうちの一つに数えあげられている病気であります。長崎医大影浦教授予後判定では、余命三年ということでございました。しかし永井君は、心身を打ち込んで職務を果す性格でありましたから、新たに元気を振い起して働いたのであります。  かかる際、永井君は、大学病院二階の自室で原子爆彈を受け、右半中身に、窓ガラスの破片で切創を受けました。その一つは、こめかみ動脈を切つていたので、多量の出血があつたのであります。このことも永井君の病体に大きな影響を與えたものと思われますが、永井君は、ふき出す血を抑えながら医療救護を指揮し、倒れてもまた立ち上り、救護を続けました。さらに、真理探求科学精神から、勃然として新たな情熱を燃やし、原子爆彈病という医学史上新しい資料研究科学者として働き続けたのであります。  しかし、九月の中旬、遂に危篤に陷りました。田川参考人は、神父として、永井君のこめかみの傷口がいまだにいえずして、出血するのをふきつつ終油の式を行つた言つております。これは、カトリツク教では臨終の際に行うものであります。このとき永井君は、聖書のキリスト受難のところの朗誦を求めたということでありまして、当時の永井君の覚悟のほども、うかがわれるのであります。  しかるに永井君は、ふしぎにも元気をとりもどし、十一月ごろから起きて働き出しました。けれども、昭和二十一年七月からは、高熱が続き病床につきまして、九月上よりは先不能となつたのであります。  白血病の病勢は、治療によつてとどまることはあるが、早晩治療の効果が減弱して次第に悪くなり、死に至るものであるということであります。しかるに、三年を経過した今日、なお強い精神力を持ち、数々の著作を出しているのは、奇跡的だと言わなければなりません。  永井君の自叙伝と見るべき「亡びぬものを」によれば、信仰によつて結ばれた森山綾さんと結婚いたしましたが、夫人は、原子爆彈により、二兄を残して燒骨と化しました。この亡妻ヘの感情は、「ロザリオの鎖」によつて書き著わされ、残された二兄への愛情と希望は、「この子を残して」及び「いとし子よ」に、切実に叙されております。この三著者は、永井君の謙虚で実直な真情があふれているのであります。  「長崎の鐘」は、長崎上空で炸裂した原子爆彈の惨禍を身をもつて体験した実相を広く伝えて、戰争を唾棄し、平和を希求する意思を浸透させようとしたものであり、また原子力時代原子病時代でもあるので、原子病学に新たな意義を認め、「生命の河」を著しました。永井君は、世界平和と人類の幸福を目ざす再建日本のためにわが身を役立てようとして、数々の著書を世上に贈つておるのでありまして、その美しい心境は、同君自筆の手記によつて、うかがわれるのであります。かくて永井君は、信仰生活とが一致し、人類愛のために、瀕死病床にありながら、なおも苦難の業を行ずる高潔な人格者であると認められるのであります。  ここにおいて、昭和二十四年五月二十五日には、「この子を残して」の著書は、父性愛に燃えるものであつて、子供に対する真の愛情は深く人の心をとらえ、兒童福祉増進に寄與するところ多大であるとして、厚生大臣から表彰され、さらに昭和二十四年八月九日には、長崎国際文化都市建設法施行記念に、長崎国際文化都市建設に寄與するところ大なりとして長崎市長から表彰され、次いで本年十二月三日には、長崎市議会は、永井君が同市のため渾身の努力を続けてている功績をたたえて、名誉市民称号を贈ることを満場一致で議決いたしました。永井君は、その著書「花咲く丘」の版権長崎に讓渡しており、なおその他の版権も寄付することに話が進められておるということでありますが、同市は、これおもつて、今組織中の長崎国際文化協会助成資金に充てるということであります。  これを要するに、永井君は、放射線医学研究科学者として、まれに見る真摯な態度をもつて研究に献身し、遂に職務上、原子病としての慢性骨髄性白血病にかかりましたが、研究精神が旺盛であつて瀕死病床にありながら、なおその念願を絶たないばかりでなく、昭和二十年八月九日、長崎上空に炸裂した原子爆彈のため、重病の身に重症を負うても、なおその職務を果そうとして、科学研究に一身をささげたものであります。その上、原子爆彈によつて、妻を失い、二兄を残しながら、世界平和と人類の幸福のため、死線を超えて、社会教育上有益な多くの著書を出しまして、国民を啓発し、一般大衆の向上に寄與し文化面において日本再建貢献するとこる大なるものがあると信じますれば、この際適当な方法をもつてこれを表彰すべきてあると認めるものであります。(拍手)しかし永井君は、すでに厚生大臣長崎市長及び長崎市議会からそれぞれ表彰され、ことに長崎市議会からは、名誉市民称号を贈られているのでありますから、この点を考慮し、同君精神を永久に残す、最も適当なる方法をもつて表彰されんことを政府に要求するものであります。  以上をもつて報告といたします。(拍手
  33. 山本猛夫

    山本猛夫君 自由討論は延期し、本日はこれにて散会せられんことを望みます。
  34. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 山本君の動議に御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  35. 幣原喜重郎

    議長幣原喜重郎君) 御異議なしと認めます。よつて動議のごとく決しました。  次会議事日程は公報をもつて通知いたします。本日これにて散会いたします。     午後八時一分散会